MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/07/31
牧 薩次「郷愁という名の密室」(小学館'10)

 年末ランキングをはじめ、各方面で高い評価を得た『完全恋愛』に続く、作家・牧薩次の二冊目の長編。前作はマガジンハウス刊行だったが今回は小学館ですね。書き下ろし。

 地方都市でヘルパーの仕事をしている矢住鼎・35歳独身。彼はかつては漫画家を志していたが佳作止まりで挫折。自分より年若い漫画家のアシスタントを続けていられなくなり故郷で就職をしていた。夢よ再びと最近改めてギャグマンガを投稿したが、旧知の編集者から駄目だしを喰らってしまう。失意のうちに仕事先の老女の家に向かう途中、車で自損事故を起こしてしまい、遅刻。半分痴呆の入った老女は遅刻をとがめないかわりに、鼎を泥棒呼ばわりして大騒ぎを始めた。止めようとした鼎は老女を突き飛ばすかたちになってしまい、誤って死なせてしまう。絶望した鼎は、雪山で自殺を図ったのだが……。目覚めると無量温泉の温泉宿の一室にいた。しかも、高校時代そのままの姿を保った後輩・雫と再会。どうやら自分は死ぬ前の夢のなかにいるらしいと鼎は気付くが、その旅館では連続殺人事件が発生する。

ベテランらしい円熟の技が光る、タイムスリップSFと本格ミステリの幸福な融合。
 牧薩次というまだ単行本二冊目の新人にベテランという言葉を使うのは問題ですかそうですか。
 冒頭では漫画家への夢やぶれて意に沿わない就職をしている中年一歩手前の主人公の日常が描かれる。根拠のない自信、裏付けのないプライド等に対しての厳しい現実は、主人公も痛いし読んでいるこちらも楽しいものではない。という導入部。そこから一転、高校時代のマドンナがそのまま仲居として働いている夢の温泉旅館に場所を移しての推理劇。ネタバレを避けると、一応、この状況は自殺しようとした鼎が死の直前に見た夢のなか、ということになっている。なので、雫との再会以外にも、ほんのちょっとした鼎の記憶から導かれる様々な過去が蘇っているのが特徴。まあ、ミステリとして最大のポイントは、ある年齢層以上であれば『七回死んだ男』、現在なら『ひぐらし』や『うみねこ』あたりが想起されるある設定だ。但し、そうそう繰り返されるほどのボリュームではなく、その終わり方も唐突に過ぎる印象があった。どちらかというと、本格ミステリ指向の作品ながら、そのSF設定を縦横無尽に、しかもしっとりと物語に溶け込ませる手腕が印象に残る。
 一方で、題名通りの密室殺人が、スリップした先の無量温泉の旅館にて発生する。こちらも――、手慣れたかたちで組み立てられてはいるのだけれども、旅館の特殊な構造(しかも事前には見取り図無し)に、特殊条件が付け加えられて初めて成立するもので、トリックとしては成り立ってはいるもの、解明を経ても得心させられる度合いはかなり低い。しかしこちらも、ベテランならではのテクニックか、真相に至るまでの議論や試行錯誤のところで膨らませてあり、全体としての引っ掛かりがない。

 さらに「郷愁」へのこだわり方、演出の仕方も微妙になんだか共感できないというか、こちらは定型に嵌ってしまうようにみえる。様々な角度からみて『完全恋愛』の凄まじさに比べると、巧くまとめてあるけれどもそれだけ、という作品だと感じた。ただ、文化的なサブエピソードへのアプローチなど、辻先生(あ、書いちゃった)のご年令を考えると、よくぞ、という内容も数多くあり、やはり小説としてはしっかり読ませる内容だと思う。


10/07/30
齋藤智裕「KAGEROU」(ポプラ社'10)

 第5回ポプラ社小説大賞の大賞受賞作品。齋藤智裕氏は1984年東京生まれ。慶応大学環境情報学部卒、俳優としても活躍中で本書がデビュー作品となる。

 会社にリストラされそうになって意地を張って退職し、消費者金融に手を出した大東泰雄(ヤスオ)。借金が嵩み41歳になる誕生日の前日、ビルの屋上から投身自殺するため屋上のフェンスをよじ登っていた。いざ身を投げようとしたところ、黒い服で身を固めた若い男に寸前で阻まれる。止められてなお自殺する覚悟が揺るがない泰雄に対して、キョウヤと名乗った男は、臓器を提供してはどうかと提案をしてきた。キョウヤは社会の裏側で強大なネットワークを誇り、表舞台には決して出てこない超高度な移植医療技術を持つ組織の構成員なのだという。自分の身体の対価として数千万円の報酬を田舎の両親に残すことを選んだ泰雄は、組織の持つ施設に連れてこられた。自分の死の偽装、肉体状態の測定など詳細な診断を受けているさなかに、泰雄は一人の少女と知り合う。彼女は生まれつき心臟に障害があったが、ドナーが見つかったので数日後に手術を控えているのだという……。

平易で分かりやすい言葉で綴られた、シンプルながら情感豊かなファンタジー・ストーリー。
 アンダーグラウンドの臓器移植ネットワーク、自殺する直前に「偶然」その組織にスカウトされ、赤の他人に人生の行き先について説得される――。一応彼の行動を目撃して組織に連絡した人物がいるとはいえ、実はこの段階でかなり荒唐無稽、辻褄合わせの度合いは高い。また、臓器移植の学術的なところはすっ飛ばしてみたり、ゼンマイ+人工心臓のくだりも含め、現代には存在しない、考えようによっては巫山戯てみえる技術も登場。オモテに出てこない技術のある秘密組織だったらどんな突飛な設定でもありというところ――少し甘い。
 ただ、こういった設定で物語を序盤から展開していっても全く違和感を生じさせないという偉大な作家が過去にいた。そう、星新一である。某所にも一度書いたが、読み終えての最初の印象は「星新一ショートショートの長編化」といったものだった。メッセージ性のシンプルさ、設定の突飛さ、登場人物の浮世離れっぷり。共通点は多々あるように思う。ただ、じゃ、齋藤智裕はすぐに星新一みたいになれるのか、というと、そちらも当然そこまで甘くは無い。
 が、良い意味での共通点は他にもある。平易な文章で物語を綴ることによる読みやすさだ。 もっと込み入った文章を書けるのに、こういった文体を敢えて選んだのか、地でこういう文章しか書けないのか、それは我々には判らない。だが「もう少し漢字を使っても良いんじゃないの?」というくらいにひらかれた文章は、小説に慣れない読者が物語に入るための間口を広くすることに役立っている。但し逆説的ながら、登場人物の心象から状況描写も含めて平易になりすぎているため、物語世界全体が非常に薄っぺらく感じられることも事実としてあるのだが。同じ理由から「人を人たらしめているものは何か」「いのちとは」といったテーマについては入口付近でうろうろしている印象になってしまっている。
 そういった凸凹した巧拙共に感じられる特徴を持ちながら、この作品はきちんとオチまで含めてラストまで一本筋が通った展開をみせてくれる。物語として成立していることは間違いない。つまらないギャグ連発の主人公の「軽さ」も結果的に物語の必然要素だ。

 個人的な見解からいえば、大賞かどうかは正直微妙だとしても、新人として商業出版デビューするだけの力量(少なくとも片鱗)は感じられた。 もちろん齋藤氏よりももっと文章が上手く、物語に魅力のあるアマチュアも日本中に多数存在することは間違いない。それにこの作品が投じられたのがミステリやSFの専門新人賞であれば一次突破がせいぜいだったかもしれない。しかし、そこでエンターテインメントのなかでも比較的優しめの作品が評価されやすいポプラ社大賞で受賞というのは、齋藤氏にとっても賞にとっても幸せなことだったのではないかと思う。
 話題性を抜きに小説家としての齋藤氏の真価が問われるのは、これから刊行されるであろう二作目、三作目の作品になる。本作はあまりにも雑音が多い。(読まずに感想を書くという離れ業をなさっている方までいるようだし)俳優だけに、小説家としても今後大きく「化けて」下さることを期待しています。


10/07/29
桜木紫乃「硝子の葦」(新潮社'10)

桜木紫乃さんは北海道釧路市生まれ。2002年「雪虫」にて第82回オール讀物新人賞を受賞。07年『氷平線』にて単行本デビュー。他に『風葬』『凍原』『恋肌』という著書があり、本書が五冊目にあたる。書き下ろし。

 北海道・厚岸。かつては水産で潤ったこの街も寂れ繁華街で営業しているのは通りの両端の二軒だけ。その晩、無人だったはずの一軒の飲み屋が火を噴き、男が「中に人がいる」と大声で叫んでいた。亡くなった思われたのは、つい最近実業家の夫を亡くした厚岸出身の女性・幸田節子だった。節子は、釧路でラブホテルを経営する幸田喜一郎の三人目の妻としてお金と時間には余裕のある暮らしを送っていた。喜一郎はかつて節子の母親とも交際していたこともあった。その喜一郎は好きな音楽をカーステレオで大音量で聴くためのドライブに出たまま交通事故に遭い、意識不明の重体となった。節子は自らの不倫相手でもあり、喜一郎が経営相談していた会計事務所の澤木に善後策を相談する。徐々に仮面が脱げて本音が見えてくる幸田や自分の親戚、更に友人たちが引き起こす事件が、節子と澤木を翻弄してゆく……。

濃密なインモラルがデフォルトなのか。問答無用で物語の常識が読者の常識を侵食してゆく
 ――重てえ。
 北海道の人ってみんなこうなの?(偏見) 主人公であり視点人物を担う一人である節子の性的奔放さが凄い。誰にでも身体を許すわけではないとはいえ、高校時代から母親の愛人に身体を任せ、就職してから雇い主と関係し、その母親の愛人の妻に収まったかと思うと雇い主との関係をずるずると続けているという。また周囲もその人間関係を知ってか知らずか、許容しているようにみえるところ、全体的に爛れた印象が強い。
 その爛れた愛人関係を続ける節子と会計士で一応は本書では良識人としての扱いである(だけど節子と不倫中)澤木の視点で物語が進む。幼い頃の虐待、虐待少女の保護、少女誘拐事件、身内の大麻栽培といった小さな出来事から、大きな事件へと自然に物語は進み、回っていく。 北海道の短い夏を彩るような犯罪の数々。稚拙な隠蔽に、偶然の幸運。彼ら自身がある意味常識外れであるのに、更に自意識過剰や無意味な見栄の張り合いといった醜さが地縁血縁といった容易に外れがたいカテゴリの中で噴出している。
 サプライズは用意されているものの比較的見通しやすいタイプでもあり、結末を予見させることは手掛かりさえ揃えば容易だろう。ミステリというよりも、連城三紀彦とまで洗練されてはいないが、文芸とミステリとが幸福に融合する昭和期の推理小説に似た香りがある。 そしてインモラル度合い含めた道徳観が、どこか昭和期オヤジ(ブンガク)っぽい。新本格ミステリ以前の、セックス大好き男女の肉体関係がぎとぎとと陰に日向に存在する文学にも近しい。その当時から継続する中間的なエンターテインメント小説を継承するというような印象を受けた。

 この作品における読者の居心地(読み心地)は世代によって大きく振れるのではないかと思う。正直にいうとある程度以上の年齢層の方がより受け入れやすいのではないか。そして、平成の年代からすれば登場人物の感覚はモンスターに思えるかもしれないなー、とかとも。


10/07/28
津原泰水「琉璃玉の耳輪」(河出書房新社'10)

 大正後期から昭和初期にかけ、『第七官界彷徨』などの作品を発表した女性作家・尾崎翠が書いた、公募のための映画脚本『琉璃玉の耳輪』を津原泰水氏が小説化した長編作品。この作品は様々な偶然、津原氏を中心とした人と人との繋がりがあって初めて世に出た作品であり「あとがき」に詳しい。個人的にはこのあたり、いろいろ感じるところがあり、敢えて私事と断りつつも成立背景を記して下さった津原さんに感謝したい。

 昭和三年。緑洋ホテルに宿泊していた櫻小路伯爵夫妻と、その息子で放蕩三昧を決め込む公博。その公博はホテル近くの蒼い西洋館にいると思しき少女に魅せられている。その公博に何故か懸想してしまうのが有名な岡田卓三検事の令嬢・明子。明子は高名な探偵・唐草七郎が代表を務める「東京探偵社」に所属する女探偵だ。その少女と共に館に滞在していた謎めいた山崎なる紳士。彼らは滞在を切り上げてある朝に揃って東京へと向かうのだった……。東京に戻った明子に、黒いベールで顔を隠した洋装の貴婦人から内密に、そして風変わりな依頼があった。左耳に一粒の琉璃玉が嵌った耳輪が目印の、黄家三姉妹の行方を秘密裏に突き止め、四月十五日にその三姉妹を丸ノ内ホテルに連れてきて欲しいというのだ。破格な報酬が提示され、岡田明子は訝りながらもその依頼を受ける。明子はそのうちの一人と思しき混血女性が横浜で売笑婦をしていると旅行中の噂話に聞いて心当たりとして持っていた。彼女の名前は南京町のマリー……。

ありとあらゆる頽廃と気品溢れた変態趣味と。通俗以上の猟奇を究めた昭和初期の一大ギニョール
 ある意味では、物語として破綻している。しかし、その破綻っぷりがこれほど面白い物語はそうそう存在しない。 原作未見のままここに感想を書くことになってしまうが、仄聞ではやはり元の物語も梗概であり、それほど整合性が取れたものではないという。そんななか、琉璃玉の耳輪自体に意味を持たせ、幾つかの(時代的にあり得ない訳ではない)フィクションを織り込むことで、まず物語のなかに一本通じた筋道ができている。その付け加えられたエッセンスがさりげなくも良い味となっている。この点については特に大団円時にも様々細かなかたちで言及されている諸事についても細かな配慮を感じる。
 そして勿論、その筋書き以上に本書を傑作足らしめているのは、登場人物それぞれの変態性とでもいえる要素だ。 女掏摸、高級娼婦に旅芸人。成金の実業家にプライドの高い伯爵様。男装の麗人、阿片、監禁、暴力、犯罪者に肩入れする刑事、女同士の恋愛であろうと男と女の恋愛であろうと、すべて「あり」の世界。決して美化している訳でも、極端に讃美している訳でも、また簡略表現を心がけている訳でもなく、むしろそれぞれの持つ、その変態状態が真っ正面から描写されているにかかわらず、嫌らしさ、醜さがあまり感じられない。プライドをもって変態に臨んでいるというか。変態を恥じないというか。結果、夜の闇に紛れた人間の営みが描かれているながら、物語自体が正々堂々と正面からぶつかってくるように感じられるのだ。
 すぐに思いつく似た世界は江戸川乱歩(通俗もの)ということになる。なるのだが、乱歩の場合であっても変態が変態を恥じるような印象もあるのだが、尾崎翠さんにはそれがない。淡々と変態趣味・異形趣味を「当たり前」のものとして描いている。津原さんの筆が入っているので一概に決められないものの、(変態的)「センス」としては乱歩を上回っている部分もあるのではないかとも思う。
 原作のテイストを思い切り活かしつつ、原作以上の物語を、原作の雰囲気のまま創り上げる。簡単なようでいて最高に難しい(だけど恐らくは楽しい)仕事、そして作品。ひとことでいえば、まあ、尾崎翠・津原泰水の時代を超越したコンボによる傑作。 それでいいです。

 なお、この『琉璃玉の耳輪』は、『ルピナス探偵団の当惑』所収の「大女優の右手」で演じられた演目として、その粗筋ともども紹介されている。本作にて興味を持たれた方は、そちらもお読み頂きたい。というか『ルピナス』は『ルピナス』で傑作だと思っています。


10/07/27
筒井康隆「緑魔の町」(角川つばさ文庫'09)

 かつて『少年サンデー』に筒井康隆氏が連載していたジュヴナイル長編。1976年に角川文庫に収録されていた時期もあるが、現代のジュヴナイルレーベルにて三十年ぶりに再刊されたもの。(弊録は同じ角川文庫『ミラーマンの時間』収録の短編「デラックス狂詩曲(ラプソディ)」)また、本書のイラストレーターを務める「白身魚」さんは、どうやら『らき☆すた』『けいおん!』等人気アニメの総作画監督さんと同一人物、らしい。

 頭が良く、体力もあって自信家の中学生・武夫。授業中のちょっとしたトラブルで頭の悪い級友・藤田の逆恨みを買ってしまい、掃除時間に学校の地下にある倉庫に閉じこめられてしまう。大声で助けを呼ぶが誰の助けもないまま夜になってしまい、最終的には天井の換気口から必死の思いで脱出を果たした。傷だらけ、埃まみれになって帰宅してみたところ、家族の様子がおかしい。弟も妹も、母親までもが武夫のことが誰なのか判らないというのだ。むしろ怯える姉弟に戸惑う武夫、さらに父親が帰宅するがやはりお前のことなど知らないと家から追い出されてしまう。何が自分の身におきたのか判らないまま、泣く泣く土管で一夜を過ごした武夫は、学校に向かった。しかし、クラスメイトや先生もまた武夫のことを知らないといい、まるで精神異常者のような扱いを受けてしまう……。『緑魔の町』 ほか『デラックス狂詩曲』以上二編。

中盤までの不安感の煽り方がめちゃうまい。自分は一体誰なのか。本気で怖いジュヴナイル
 子供向けだからこそ、ということになるのだろうか。「その裏側で何が起きたのか/起きていたのか」という事実を読者には伏線はおろか一切の情報を知らせないまま、中盤に至るまで武夫の奇妙な体験を徹底して描くやり方が、ある意味えげつない。 この場合のえげつないというのは、徹底しているという意味。今の今まで自分の居場所だった場所が徹底的に消されて、本来の温かな場所からどんどん追い出されていくという、子供にとっては恐怖でしかない体験が淡淡と描かれるのだ。自分の居場所のはずだった「家」「学校」といったところで、自分が誰からも認識されないという恐怖。無視でもなく、無関係の別人として野良犬がごとく追い払われる状況。何より、その状況を作者は淡淡と、だけどしつこく描いてゆく。主人公に感情移入する立場の中学生くらいで読むとインパクトが大きいことは容易に想像出来る。
 ただ、一方、この怪奇現象の正体が判明してしまうと、それはそれで現代の常識からすれば不可解な存在ではあるにもかかわらず「調和」したことに対して安心してしまう。 安易だなあ、と現代基準では笑えるかもしれない。ここを突き抜けて難解な設定にすることも、リドルストーリーのようなブラックな結末も、当然作者には選択の余地があったハズ。だけ ど敢えてへんてこな言葉をしゃべる○○○というオチで終わらせることで、子供たちが受けたであろうショックを和らげようという意図もあったのではないかと思うのだ。

 恥ずかしながらこの作品は初めて読んだが、武夫が感じる恐怖感とともにこの結末はどうなるのだろう? という原初の読書欲「この続きが知りたい!」にも突き動かされてしまった。 その吸引力・牽引力は半端なく大きく、それだけでも何十年かの時を経て再刊しただけの価値が十二分にあると思う。この読書欲はたぶん世代を越えて共通。今の子供にもがしがし読ませたいSF作品である。再刊決めたどこかのどなた、偉い!


10/07/26
近藤史恵「あなたに贈る×(キス)」(理論社ミステリーYA!'10)

 2008年に『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞、同年の本屋大賞でも二位を獲得するなど近藤さんの知名度は、従来の本格ミステリ界隈の枠を超えて一気に拡がったように思う。丁度、この時期から受けだした仕事が開花するタイミングなのか、2010年は「隔月近藤史恵」状態にあるように思う。書き下ろし。

 ソムノスフォビア(唾液感染性睡眠恐怖症)という病気は二〇一三年にスペインで発見されて以降、一気に世界に広まった。眠ることを恐れ、脳炎を発症し早い者で一週間、遅くとも二ヶ月以内に死に至る。唾液を通じて幹線するウイルスが原因だと判明したが、感染もとのキャリアを判定する方法は開発されていない。そして二〇二八年――。完全に外界から切り離されているはずの全寮制高校、リセ・アルビュスで、一人の女子生徒・北嶋織絵が亡くなった。学校側は病気というが、ソムノスフォビアが原因らしい。病気自体もショックではあったが、織絵に可愛がって貰っていた後輩の笹森美詩は、織絵が誰かにキスされたという事態に気付く。この時代、キスという行為そのものが殺人や傷害に匹敵する悪事で、果たしてその犯人は誰なのか。身内に研究者がいる二年の田丸梢に誘われ、美詩は織絵が所属していた陸上部を中心に人間関係を調べてゆくのだが……。

近藤史恵流・近未来青春学園本格ミステリ。底流に潜むさまざまな耽美感覚が悩ましい
 おおよそ二十年後の世界を描いた作品。未知の病が世界を席巻しているという設定のため、それくらいの時間が必要だという判断なのだろう。特徴的なのは、閉鎖型全寮制学園、さらに懐古主義的雰囲気もあるということで、最低限しか未来要素を持ち込んでいないところ。教科書テキストの電子化といったところ以外、無理に科学技術を予想していない。現実があって、その延長上の未来という意味では、頑張っている作品も面白いのだが、こういう落ち着きがあっても良いとも本作で感じた。
 さて、その内容だ。キスによって媒介される死の病という設定が、二重にも三重にも効いている。 一つの愛情表現行為であり、このレーベル「ミステリーYA!」の読者層を考えると、キス自体が非日常であり、憧憬される行為の一つとなるだろう。(十代だろうからいろんな子がいるとは思うけれども、まあそれはそれとして)その映画や小説などでひとつのクライマックスにも用いられることの多い、一般的に美しいとされる行為が「死をもたらす」という設定がまずショッキングである。実際、セックス行為によって主に媒介される病気も実際に存在する訳で、存在し得ないといえない微妙さ加減もGOOD。
 そしてもう一つ、ほぼ他者との接触のない全寮制高校での事件であり、ならば「誰か」と「織絵」がキスをして、織絵が亡くなったというところがまた静かにスキャンダラス。とはいっても学園内で教師と生徒、男同士等々、さまざまな愛のカタチがあるようで(たぶん、作者は敢えて歪んだかたちも含めて書いたのだと思うが)、その意味では本作における最大の謎「織絵の死」の真相についても、そのヴァリエーションに数えられよう。こういった様々な愛情のかたちを並べること、それ自体が作者の十代読者へのある種のメッセージであるように感じられる。

 しかし、真相が明らかにされた後に、もう一つざらりとしたエピソードが加わっている。本書に関しては、イベントで近藤史恵さんに質問する機会があり、このラストが必要だったのか、という趣旨の質問をさせて頂いた。その答え――「もっと綺麗にすっきりと終わる方法もあったと思う。だけど、読者の心に何かを残すにはこれくらいやった方が良いと考えた(大意)」とのことだった。創作者としてこの姿勢は正しいと思う。


10/07/25
米澤穂信「折れた竜骨」(東京創元社'10)

 二〇〇一年、まだデビュー前だった米澤穂信氏がインターネット上でこつこつ書いたという作品の(問題編)がある意味では本書の原型なのだという。但し、その原稿は完成を見なかった。米澤氏が別の作品でのプロデビューを決めてしまっていたからだ。その元原稿に徹底的に手を入れ、発表が許されるようになるのはつい最近のこと。そしてその作品が本作。

 十二世紀。英国から船で三日ほど。北海に位置するソロン諸島は命知らずの貿易船が寄港し、それなりに栄えていた。この地を治める領主のローレントはある筋からの情報で、近々このソロンの島が「呪われたデーン人」から襲撃されることを知っていた。ローレントは腕の立つ傭兵を集めはじめ、その備えを行っていた。そんな折、この島に聖アンブロジウス病院兄弟団に所属する騎士ファルク・フィッツジョンとその従士ニコラが現れる。彼らもまた信頼できる筋から、彼らの宿敵であり、邪悪な魔法を使う暗殺騎士がこの島に潜入していることをローレントに警告する。しかし警戒の甲斐無くローレントは夜中に何者かによって剣で貫かれ、死亡する。ファルクによれば、実行犯は暗殺騎士に操られた「走狗」であるという。ローレントの娘・アミーナは彼らの捜査を手伝い、容疑者となる傭兵たちの行動を洗ってゆくのだが……。

魔術も剣も有効な歴史ファンタジー世界、その世界で通用する紛うことなき本格が本作。
 デビュー作からの一連の学園ミステリを発表してきた結果、どちらかというと所詮ラノベ出身、せいぜいが日常の謎系統の作家と思われがちだった米澤穂信は『追想五断章』にて、自らの実力のほどを重厚な筆力をもって読者に示した。本書はその筆力というか、作品の幅を更に、そして容易に米澤穂信が世界を拡げられる作家であることを再び読者に見せつける作品となっている。
 人知の及ばない魔法が存在する、という大前提がある世界。ハイ・ファンタジー世界における本格ミステリ。何でもありかというとさにあらず、魔法は魔法として、その決められたルールの内部で通用するようである。その一定のルールのなかで、どのように犯人〈走狗〉を特定するのか――というところが本書における一つのテーマだ。SF系本格にも似たルールではあるのだが、ファンタジー部を除くと史実がある分、創作のハードルは高くなっているように思われる。
 特に後半部、終盤には趣向だろうか、さまざまな手がかりが全て出揃った段階で章がぶち切られている。この唐突感、恐らく直接的には書かれていないのだが、作者からの挑戦状が幻視されてしまう。それほどフェアに本格が出来ているということなのだ。
 とはいうものの実は、ある程度、本格ミステリを読み込まれた方であれば、どんでん返しも含めてある程度は真相を見通せるという方もいるかもしれない。 ――ただ、個人的に感銘を受けたのは、その犯人像そのものではなく、犯人がそうせざるを得なかった論理的背景の緻密な組み立てにある。 こういう背景があるのであれば、犯人はこうせざるを得ない――直接議論されている箇所ではないながら、それまでに述べられてきた要素がかっちり組み合わさってこの結論に至っている。その道筋が神々しくも美しく感じられた。これぞ本格。

 他、トリックの構造的には例えば昨年度のベストで最も評価が高かった作品との共通点があるように見える。が、上記の通り、似て非なるものであり、惑わされないよう注意されたい。謎解きにおける転換部としては近しいようにも思えるが、根本的にその成り立ちが異なっている。真犯人が読者によってはすぐに見えてしまうことを作者はそれほど恐れていない。むしろ読者が真に驚くべきは、その動機であり、真犯人特定、それ以前から脈々と繋がっている論理の流れの美しさとうことになろう。がっつりと十二世紀の欧州の歴史に取り組んだ作品。検証できなかったのでどこまで史実か、というのがいえないのだが例え現実に則らなかったとしても傑作足り得ているかと考える。


10/07/24
米澤穂信「ふたりの距離の概算」(角川書店'10)

 古典部シリーズの五冊目、書き下ろし。もともと『氷菓』が文庫刊行で『愚者のエンドロール』とこのあたりで某編集さんが「米澤穂信」という作家がイイ! と絶賛していたのが米澤作品との出会いだったか。『クドリャフカの順番』、『遠回りする雛』は四六判ソフトカバー、そして今回は通常の四六判上製ハードカバーと、人気が出るに従って単価が上昇傾向にあるようだ。しばらく四六判が続いた後、近い将来、箔押し豪華函入り限定版で刊行されるのも時間の問題かもしれない。『野性時代』二〇〇九年十一月号から二〇一〇年四月号にかけて掲載された作品をまとめたもの。

 省エネ少年・折木奉太郎や、古典部部長・千反田えるらが高校に入学してなんと一年余が経過し、新一年生を迎える季節になった。伝統的に部活動に力が入っている神山高校では、新人獲得活動もまた当然のように非常に盛んで、各部の勧誘合戦が凄まじい。古典部も一応は勧誘活動を実施、折木は相変わらず単に場所を準備して座っているだけ、勧誘事態を熱心にするではなかったものの、他の部でのある出来事に対する解釈を述べたところで、それを聞きつけた一年生の女子生徒が入部を希望してきた。折木と同じ中学校出身の大日向友子。サプライズのホームパーティ、彼女の親戚の経営する喫茶店のモニターなど、幾つかの事件(というか出来事)があった二ヶ月間を経て、部員としての正式登録をする時期が来たのだが、彼女は突然、古典部に入部しないと言い出す。彼女を心変わりさせたのは何なのか。良好な関係と思われた部長・千反田えると彼女とのあいだに何か確執のようなものが出来てしまったと思われた。彼女のいう、千反田が仏様のようだの意は? 折木は大日向の真意を確かめ、古典部に引き留めようとするのだが時間が無い。神山高校のマラソン大会その距離20km。スタートからゴールのあいだに彼女に起きた出来事を確認し、慰留することは果たして可能なのか。

異色のマラソン・ミステリ(厳密には違う)。連作風学園本格ミステリ長編、米澤風
 一応長編の仕立てとなっているものの、取り上げられるエピソードの展開や、その細切れな解決は連載ものらしくもあり、結局のところの味わいは連作短編集に近い。ただ「日常の謎」であっても、折木奉太郎の特殊な推理能力、千反田えるの、これまた特殊な状況察知能力等々が合わさることによって、解かれるための奇妙な現象vs名探偵という単純な図式になっていないのがユニーク。 気付くと彼らは勝手にある事象の見解をまとめ、人の発言の真意を見抜く。味わいはミステリ、だけど形式が違うという逆向きの「日常の謎」。下手をすると謎ですらないところへの新解釈とでもいうか。
 既にここまで四作付き合っているレギュラー陣、折木奉太郎や、千反田える、そして福部里志、伊原摩耶花の四人に加え、今回登場するのは一学年下の大日向友子。すわ、新しい部員誕生か! と期待させたところで、その彼女が古典部を「辞める」というのがテーマというのはさすが米澤さん、皮肉というか残酷というか。ただ、こういったなかなか魅力的であった新登場人物を、物語都合であっさり斬り捨てられるところは素晴らしい。
 そして何より舞台に選ばれたのがマラソン大会ですよ、ほっほー。
 別に米澤穂信さんが急にランニングに目覚めたとも聞かないので、恐らくこの「マラソン大会」という設定は、いわゆる「時間制限ものミステリ」のバリエーションの一つと思われる。あるタイムリミットに向けて、探偵役その他が必死に推理を働かせるというもの。ハードボイルドに多くみられるパターンではあるが、あえて本格ミステリでそのパターンに挑戦した米澤さんの英断と無謀さには頭が下がる。高校生のタイムリミットしかも条件付き、というところで「マラソン大会」という、しかも実在の高校でもあってもおかしくない20km走を持ち込むところ、意味あるかどうかは別にしてリアリティに長けていると感心もした。
 いずれにせよ、大きな流れにしても小さな流れにしても、ごくごく普通の日常描写のなかに重大な秘密が潜んでいるところも特徴のひとつ。伏線の使い方など相変わらず巧い。

 ミステリとしては、従来の古典部クオリティをきっちりキープしているといえるだろう。決してキャラ読み等していないつもりではあったが、この限定されたシチュエーションのなかで魅力的な物語を魅力的な登場人物が解決していくところに魅力って、キャラ読みですか?
ま、マラソンという言葉だけで個人的にはオッケーなのですが。


10/07/23
横関 大「再会」(講談社'10)

 第56回江戸川乱歩賞受賞作品。応募時のタイトルは『再会のタイムカプセル』。横関大氏は1975年静岡県生まれ。武蔵大学人文学部卒業。八年連続で乱歩賞に作品を投じ続けての受賞。現在は公務員。

 すれ違いから夫の圭介と離婚し、現在は美容院を経営、一人息子を育てながら自らも美容師として働く万季子に一本の電話が掛かってきた。近所のスーパーの店長をしている佐久間秀之が、万季子の息子がスーパーで万引きをしたというのだ。秀之は、万季子の小学校の同級生で友人の佐久間直人の兄で、過去の経緯から万季子は出来ることなら関わり合いたくない相手。しかし息子を引き取りに行った万季子は、秀之から現金を要求される。名門中学への推薦入学が決まっている息子のことを考え、万季子は元夫の圭介とも相談、要求の三十万円を用意したものの、秀之は万季子の身体も要求してきた。一旦戻って熟考、百万円を準備した二人が夜中にスーパーの待ち合わせ場所に趣くと、秀之は拳銃で撃たれた死体と化していた。二人は口をつぐむことを選ぶが、捜査を担当することになるのが飛奈淳一と県警の切れ者刑事・南良。圭介、万季子、直人、そして淳一は小学校時代に仲の良かった四人。小学校六年時に四人埋めたタイムカプセルには、一丁の拳銃が入っているはずだったのだが……。

誰もが犯人たり得ない状況でのフーダニット。一方で解かれるべき謎を別に準備する周到さも良
 とにかくリーダビリティが素晴らしい。 冒頭で少年が万引きをして、それをネタに脅されるという部分の「嫌さ」から入るので、そこから派生する「多少嫌なこと」については、計算されてかどうかは不明ながらも読んでいて耐性が出来てしまっている。なので、それ以降でページを捲る手がとまる場面がほとんど無かったように思う。殺される人物は生前から悪評の高い人物で、いきなり殺害されてしまうこと自体にも違和感がないかわり、殺してしまった人物がむしろ不幸というような先入観が持たされる。恐らくはこのあたりも作者は計算してプロットを構築しているような印象がある。特に序盤から中盤にかけては、次から次へと展開してゆく物語のスピード感に魅力があった。
 小学校時代の剣道チーム所属の四人が、題名通りに三十代になって再会。それぞれの立場が微妙に異なっているし、彼らは皆、同時に中学高校と育った訳でもない。しかし、小学校五年生から六年生のあいだの体験によって頒ちがたく結び付いているというのが、御都合主義であろうと不思議な懐かしさを覚える。タイムカプセルという設定も珍しくはないのだが、それがそのまま謎に結びつけてあるところが良かったように思う。
 本書で特徴的かと思ったのは、視点を持つ人物の切り替えによる犯人像の隠蔽。 犯人候補となる登場人物が限られており、そのなかで誰か一人は少なくとも殺人の実行犯である、という点は想像がつく。様々な場所で物語が展開する。記述人物が「ワタシはやっていない」と言わない代わりに、視点人物をコロコロ変えるというやり方だ。これが不自然ではないので最後の最後まで、犯人が伏せられたかたちのまま物語が進むのだ。
 その誰がやったのか? すなわちフーダニットもこの作品ではかなりのウェイトが置かれているのだが、その謎を維持したまま、過去の小学生だった頃の主人公たちが経験したある出来事についても別の解釈が提示され、実際に謎解きとなっている。一方で後半になればなるほど解決に向けて、登場人物の動きや行動に強烈に御都合主義や偶然が取り入れられていく。○○の恋人が偶然に……というくだりは、審査員の先生も問題視されていましたが訂正されておらずこちらもちょい苦笑。

 さすがに全体的にこなれており、するすると読めることは間違いない。受賞作としてはきっちり水準以上だといえましょう。ただ、これといった強烈な特徴もないので、二作目以降(これまでの応募作の改稿?)にどのような方向を向くのかベクトルを見極めたくなる印象でした。


10/07/22
北野勇作「恐怖」(角川ホラー文庫'10)

 『リング』『仄暗い水の底から』といったJホラー映画を次々仕掛ける一瀬隆重がプロデューサー、さらにその一瀬が師と仰ぐ映画版『リング』の脚本を手掛けた高橋洋による野心作。従来のホラー映画の恐怖を越える更なる高みへ、という作品。……を、SF作家・北野勇作がノベライズしたのが本作。

 「取り壊した病棟の地下室で見つけた」。夫が悦子に見せたのは古い16mmフィルムで、戦前の満州の映像だった。患者たちの笑顔、そして手術台。開頭手術で脳を露出させ、金属の電極で電気的な刺激をシルビウス裂に与える。その彼らは体外離脱体験をして、そして背後に現れるのが白い光。別の世界へと続いているはずの。そして悦子には、その白い光が人生の目的となった。彼女の娘たち、幼い姉妹、みゆきとかおり。死への誘惑に取り憑かれてしまったみゆきは、長じてから自殺サイトにアクセス、集団で自動車に乗り込み、練炭自殺を図ろうとする。しかし、この運転手はサイト運営自体に別目的をもっており、その現場に複数の人間が現れて、意識を失った人々を次々と実験施設へと運び込む。意識を取り戻したみゆきは、その実験施設内で人間を対象にした脳実験を繰り返す悪魔の研究を続けている母親・悦子と再会する。悦子は、そのカリスマ性から何人もの協力者を得ながら、今なお人間の感覚が持つ先にある別の世界を探し求めているのだった。

――んー、そもそもノベライズに向いていない映画作品だったのでは。
 うーん、記憶にまつわるホラーということで、ノベライズを企画した側(この場合は角川書店になるのかな)が、やはり記憶に関して幻想的なホラー雰囲気を持つ作品を多く著す北野勇作氏に声を掛けたというのは、まず人選として誤ってはいないと思うのだ。その北野氏をして、何というか原作の魅力が伝わらないというか、あまり怖くもなければ、支離滅裂に感じられる物語にしかならないとは。
 映画を見ずにネットでちょろちょろと調べただけでいうのは大変恐縮ながら、そもそもこの原作映画、どちらかというと映像で怖がらせるタイプのホラー映画ではないのか(ホラー文庫には映画場面のカラー写真があり、その「画」は結構怖い)。物語として、映画においても一応の筋書きはあっても、その筋書きを満たすだけのディティールがどうもすっきりしない印象が強かった。悦子の目的は明かされはするが、根本的な意義として、それを追求しなければならないほど魅力的な研究対象なのか、さらにこの謎の組織を維持・管理している体制は一体なんなのか等々、読んでいるあいだにふっと頭を過ぎる疑問が多多出てきてしまう。(恐らく映画だと一気に流れてゆくので、気にすることはないレベルなのかもしれない)。

 北野勇作氏のファンであっても、これはちょっと、ということになるであろうし、映画ファンのサイドからみてもちょっとノベライズとして残念ということになるのではないか。誰が悪いということではないが、ちょっと中途半端な読書体験となってしまった。(誰かをスケープゴートにするとするならば、企画者かな)。


10/07/21
相沢沙呼・梓崎優(他)「放課後探偵団」(創元推理文庫'10)

 東京創元社から最近デビューないし近々本格的にデビューを控えた80年代生まれの若手作家五名による「書き下ろし学園ミステリ・アンソロジー」。微妙に二次系の表紙も含めて、創元社には珍しい企画。だが面白い。

 大量のビデオテープを格安でDVDに変換してくれる。映像研究会が段ボールに詰めて送ったはずのビデオが到着段階で中身がすり替わっていた。中身を入れ替える機会も時間も無かったはず。葉山君は名探偵の先輩・伊神さんに助けを求める。 似鳥鶏『お届け先には不思議を添えて』
 ボール数が厳しく管理される野球部の部活。しかしいくら探しても九十九球しか見つからない。残り一球が見つからないと帰宅出来ない。一年生部員は論理でその在処を突き止めようとするのだが。 鵜林伸也『ボールがない』
 バレンタインに浮かれる学校で、一部生徒のチョコレートがロッカーから勝手に持ち出され、教室の真ん中に積み上げられていた。それはそれとして、酉乃さんからのチョコを期待していた須川君は、朝一番から美少女・八反丸からチョコを貰ってしまう。 相沢沙呼『恋のおまじないのチンク・ア・チンク』
裕福な部員宅で行われた映画製作同好会の新作鑑賞会。その最中に部員の一人がワインを浴びせかけられるという事件が発生。〈聴き屋〉柏木はまた謎解きにかり出され、様々な可能性を検討する。 市井豊『横槍ワイン』
十五年前の卒業式の最中、放送室をジャックして大音量で別音楽を流す事件が起きた。その時に埋められたタイムカプセルを掘り出す同窓会。カプセルの中からは犯行声明が。犯人の可能性のある放送部員が改めて謎解きを開始する。 梓崎優『スプリング・ハズ・カム』 以上五編。

シリーズの続きあり、新機軸有り。学園舞台の「日常の謎」。解かれることによって新たな何かを浮かばせる才能が眩しい  高校・高校・高校・大学・同窓会(高校)。おっさん化の進行した自分からしてみれば、遠い昔のお話であり(誰だ旧制とかいうのは)、登場人物に感情移入というのはあまり無い。が、客観的に五人が五人とも個性ある物語作りをしている点、そして特徴的な「日常の謎」を提示している点など、想定以上に面白く読めた。もともとの依頼ということもないだろうが、殺人やそれに類するような殺伐とした事件ではないところ、万人受けする要素でもある。
 ただ「日常の謎」とはいっても、そのアプローチは様々。人工的に作られた謎、偶然が導いてしまった奇妙な出来事、作中の推理とサプライズの入射角が異なる作品等々バラエティが豊かで読んでみるまで先行き不明。ただ、その「謎」の位置づけを、「解くことで事態が整理される」といったクイズ要素が強いものとするではなく、しっかり物語に組み込んである点に好感。その「謎」が生まれた、発生した裏側に関係者のどういった想いや感情があったのかという説明がそのまま解明になっている例が多く、しっかりとミステリ・ストーリーの作法を守らんとする行儀良さ(?)に、心強さというか安心感を覚える。
 たまたま縁がなく、現段階では似鳥作品を未読なので、シリーズの一部らしいが独立した短編として冒頭作品は読んだ。その立場からいうと、登場する人間関係にシリーズ上の暗黙の了解があるようで多少判りづらく感じた。特に伊神さんの説明が不足しているように思ったが。各方面から高い評価を受けている梓崎氏の『スプリング・ハズ・カム』はやはりミステリとしての筋、センスの良さが光る。ただ、最終的な結論としての現場からの離脱方法については個人的には説得性微妙だと思うのでその点多少割引かれた。しかし、この短編でこのキレ。スゴイ新人です。さて、登場人物の心情描写に関しては『午前零時のサンドリヨン』の続編を書いた相沢沙呼に軍配か。この主人公のへたれっぷりは見ていて面白い。本当の高校生はも少しどろどろした側面もあるはずだが、あえて捨象しているというか何というか。(誉めてます)。ラブコメ要素もあるので、架空とはいえラブストーリーとしてミステリ以外の要素にも見せ場が多い印象。『横槍ワイン』は学生同士の謎解きディスカッションが良い味を出している。追加の手掛かりの扱いなんかも悪くない。

 ということで、五人が五人、個性を遺憾なく発揮している点、気持ちよい読了に繋がっているように思える。荒削りどころか、短編としてなかなか既に完成されており、先物買いの意識などなくとも普通にアンソロジーとして読める。学園ミステリや青春ミステリがお好きな方は必読ですね。