MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/01/10
歌野晶午「舞田ひとみ14歳、放課後ときどき探偵」(光文社カッパノベルス'10)

 同じくカッパノベルスから刊行された『舞田ひとみ11歳、ダンスときどき探偵』の続編。題名でお解りの通り、三年後、中学生になった彼女が出会う事件。ただ視点人物は一貫して彼女の小学校時代の友人で現在は別の私立中学に通う高梨愛美璃(エミリー)が務める。『ジャーロ』誌二〇〇八年夏号から二〇一〇年夏号にかけて掲載された作品がまとめられた短編集。

 水泳部を退部し退屈な毎日を送る高梨愛美璃。友人の萩原夏鈴、織本凪沙と共に安いファストフードショップで時間を過ごしていたところ、凪沙から募金詐欺をしている女性の仇討ちをしたい持ちかけられる。三人でその中年女を尾行していたところ、小学校時代の友人、舞田ひとみと再会。ひとみの観察眼で巻かれかけた女を再発見することに成功、自宅は突き止めて後日訪問しようとすると、その家には人だかり。彼女は何者かに殺害されていたのだ。 『白+赤=シロ』
 日中は完全警備体制が整っているはずの森海学園で制服泥棒、そして職員室に何者かが入りこみ学校の個人データが盗まれかけた。 『警備員は見た!』
 学校の英会話の先生がごくわずかな期間に10キロも体重が減ったという。彼は幽霊を見たせいだというのだが。 『幽霊は先生』
 愛美璃の小学生の弟が基本オープンの携帯電話で使用する暗号。母からの依頼で彼女の存在を解き明かし、彼らの密会先に踏み込む。 『電卓男』
 その小学生の弟から連絡を受けた愛美璃。何者かに誘拐され五千万円の身代金が要求されていた。歳ちゃんの助けを受けるが相手は本物。警察が駆けつけるなか、ひとみが弟からのメッセージを解読する。 『誘拐ポリリズム』
 通学経路の道路で踊る謎の女性。その存在に興味を持った愛美璃たちだったが道路を無理に渡ろうとした舞田ひとみが車に撥ねられ入院することに。その病院で中年女性が失踪、そして遺体で発見される事件が。『母』 以上六編。

「ゆるミス」に見せかけつつ読後感はざらざら。歌野流の技巧が光るゆるざら青春ミステリ
 十四歳という探偵の年齢、昆布のごとく動く腕とその(ユニセックス? おとぼけ?)ユニークな言動、小さな身体はあまり成長しておらず、外観に関しても視点人物が女の子同士ということもあって、あまり詳細には描かれていない。ただ、様々な描写からキャラクタとしては11歳だった前作に比べても、三年分きっかり成長している印象だ。
 その言動や空気を読める振る舞いなどから舞田ひとみから「ゆるキャラ」を想起するのはワタシだけではあるまい。そんな彼女が活躍するから「ゆるミス」? とんでもございません。中身は歌野ミステリの名に恥じない結構ハードな内容。 前作の『舞田ひとみ11歳』の感想でも書いたが、探偵役の年齢や存在と、事件と謎とのバランスが今作でもまた配慮されている印象だ。小学生よりかは多少は陰惨な事件にも踏み込むし、場合によっては叔父の歳三(こちらも三つ年を取った)をおだてて使ったりもするけれど、中学生相応の謎解き、そして解決なのだ。
 その一方で舞田ひとみが、視点人物であるエミリーと別の学校に通うということもあり、前作に比べると大幅に登場場面が減少している。かわりに全編を通じて浮かび上がるのが、高梨家の家族風景。 冒頭から父親を疎ましく思う彼女の気持ちは、ある事件を通じて少しその存在を見直す一方で、母親の別エピソードを引き出し、弟は弟でおませさんというか彼女を普通に作ってよろしくやっている、と。現代的な、ということもないのか。中学生の多感な心の動き、この家族に向けられた気持ちを通じた「都市型の家族小説」としても読むことが出来るように感じた。
 ミステリとしては、さすが誘拐の歌野晶午(とはあまり呼ばれないか?)と感じた『誘拐ポリリズム』の、二重誘拐の発想、さらに事件がループして元の位置に戻る展開の巧さ、さらには『母』の、序盤の日常の謎風の風景を伏線としてこれも一周する謎の拡がり、その二編が印象深かった。

 短編集ながら、歌野氏らしい流石の巧さが個々にも全体にも横溢している。 ミステリが好きな方ならもちろん、そうでない読者を引きずり込めるだけのクオリティがきっちり。舞田ひとみのキャラクタが生み出すほのぼのと、現実事件が醸し出すブラックとを同居させている、というのが現代的だともいえそうだ。


11/01/09
小雨大豆「フィオナ旅行記2」(講談社BOX'10)

 小雨大豆氏は1983年生まれ。漫画家、イラストレーター、ゲーム作家。「good! アフタヌーン」誌初での異例のWEB連載をこの「フィオナ旅行記」で果たして商業デビュー。本書はその2009年5月から、2010年4月までインターネット上で発表された作品(うち後半部)を単行本向けに加筆修正した作品。

 フィオナ・ローエングラム。軍事大国ローレシアの元軍人の女性少尉。ある理由から旅を続けている途中、行き倒れていた”観賞用”の奴隷だった隻眼の美少女・ヒノクレと道行きを共にするようになる。現在の地球から数千年が経過した未来(なのか?)、全く異なる生態系を持つ動植物に詳しく、ライフルの腕は超一流のフィオナと、あまり頭は良くないが真摯な気持ちを持つヒノクレのコンビ。様々な国の様々な現実を目にし、様々な人々との出会いと別れを繰り返してゆくなか、フィオナの過去が彼女を追いかけてくる。決して目的を達成するまでその動作を止めない、事実上不死身の謎の古代兵器に追われることになった二人の運命は、そしてその正体は……?

単なる架空ファンタジーのブログ旅行記を超えた、人間の生と死、戦争の痛みが滲み出る好作品

 ここを読みましょう。以上。

 ――というのは、一冊目の時も書いたが、結局この2もお付き合い。というか、後半に行けば行くほど(作者に余裕が出てきたのか)物語の質が上がっているように感じられた。読者としても、ファンタジーをブログ形式で読むという形態に慣れたことももちろんあるのだけれど、このファンタジーの本質部分にある哀しみ(と敢えて書く)が、じわりじわりと沁み通ってきた。
 背景に凄まじい戦争があったということもあるのだろうが、この愛らしい絵柄(アニメ系ではあるが)と、あっけらかんとした語り口とは裏腹に「死」が、凄まじく簡単に物語を席巻してゆく。 基本的に数日分のエピソードが幾つかまとまることで一ヶ月という章を形成、本書で約半年分ということになるのだが、普通に心温まるエピソードはその三分の一くらい。その心温まるエピソードにしても、うち半数は後日譚で落とし穴があったりする。直接的な表現は少なく、あとで「うわ」と思わされるのも巧いし、それでいて、フィオナとヒノクレ、その他のゲストとの掛け合い漫才が楽しく、表面的には殺伐さがほとんど無いところも巧い。
 巧いといえば、何種類あるのだろう、全角だけを使用した「顔文字」の豊饒さもまた横書きブンガクの表現として、新たな可能性を拓いたように思える。ブログ形式の日記という大前提となる設定があって、顔文字を使うこと自体に違和感無し。さらにそこから伝わる細かなニュアンスは、ブログで使用されているイラストを補完する、ミニイラストが如き存在感を示している。

 物語は、「フィオナが何故、旅を続けているのか」という、この物語における根源的な謎、つまりはフィオナの過去に触れるエピソードにて幕を閉じている。フィオナがヒノクレに語る、その言葉言葉は短いのだが、万感溢れるといおうか、短いながらも先に書いたような残酷さ、哀しさを内包している点もまた印象に残った。

 まさか「2」から読まれるような酔狂な方はいらっしゃらないでしょうが、必ず「1」から、と念のため。基本的にはネット環境があれば無料で読める作品でもあり、書の方はコレクターズアイテムとなるのでしょうか。でもまあ、読んで損とは思いませんでした。むしろ、新しい才能に触れられた悦びの方が上かも。


11/01/08
田中啓文「ミミズからの伝言」(角川ホラー文庫'10)

 ノンシリーズの短編集。表題作は『ケータイlivedoor』にて二〇〇七年七月に配信された短編。ほか『異形コレクション』初出というのは「牡蠣食う客」一本で、中央公論新社から刊行されたアンソロジー「ホラーコレクション」に発表された作品が「見るなの本」「糞臭の村」の二つ。残り三編は小説雑誌に発表されており、全七つの短編は2001年から2007年のあいだに発表されている。

 ミミズの養殖を事業化した夫婦が、テレビ番組のダイエット特集の時流に乗って大成功したはずが、番組捏造で大変なことに。彼女は、副業を言いつけて会社を退職に追い込むなど好き放題イジメをしてきた元同僚に長いメールを送りつける。 『ミミズからの伝言』
 両親が離婚して父親に引き取られた幾人。学校でもイジメに遭う彼の唯一の安息の場所は学校図書館だった。その図書館には「見るなの本」と呼ばれる呪われた書物があるという伝説があったが……。 『見るなの本』
 むかしむかし唐の国にいた三匹の動物たち。兎、狐、猿は前世のせいで獣に生まれついたと思い、善行を積もうと決意していた。そんな彼らを見た神様が老人の姿を借りて様子を見に訪れるが、我が儘やりたい放題。 『兎肉』
 高校一年生の秋子が頭を悩ませる存在がアキヒコ。彼女が誰か男子に好意を寄せると必ずアキヒコが現れて、交際を潰すどころか相手を殺害してしまうのだ。今度の真司とのことこそアキヒコにばれないように、という秋子の願いも虚しく……。 『秋子とアキヒコ』
 辺境の宇宙惑星の様子を見に訪れたパトロール隊員。その彼をもてなすべく待ち構えていた女性は、宇宙では絶対作れないような見事な和食を準備していた。使われた食材の正体を彼は事前に知ってしまい……。 『牡蠣食う客』
 醜貌で巨体の社長令嬢のところに婿に入った男。しかし彼ら夫婦に跡継ぎとなる子供が出来ず、将来の社長の地位が弟夫婦に脅かされはじめ、彼らは必死で不妊治療を開始するのだが、最後は宗教に行き着いてしまう。 『赤ちゃんはまだ?』
 脱サラしたアマチュア考古学者・吉村が引っ越してまで研究対象にした白髪山。山にある村では、ババガミ様という糞の神様が祀られていた。吉村は弟と共に大きな銅鏡を発見したが、彼らの周囲には何かの「気配」が忍び寄ってきていた。 『糞臭の村』 以上七編による短編集。

いつもの如きダジャレに向けて一直線? いや寄り道での「嫌感」がたまらなく高い……。
 角川ホラー文庫のホラーという意味を拡大解釈しているというか(この文庫のために書き下ろされた訳じゃないですが)、supernaturalな怖さ、恐怖という感情よりも、読んでいて感じるのはそこはかとない嫌悪感だとか、ずずーんとくる厭感だとか、うえっとくるような嘔吐感だとか、嫌ーな感じ。 どれもまあ気色悪い描写とストーリー、――終盤ぎりぎりまでは。
 なぜそんなところで対象を限定するかというと、ここまで人を厭ぁーーーな気分にしておいて、オチがいきなり駄洒落とか地口だとか、そういう作品を多数含むのがはっきりいってこの作品集の特徴である。というか、田中啓文氏の短編集のうち幾つかには、この系譜があり(代表作は『蹴りたい田中』ということになるのか)、そのど真ん中ストレートを思わせる作品集なのである。
 表題作は「水からの伝言」のパロディになるのかな。中身にも「ファックスあるある大事典」というテレビ番組が登場するなど、ミミズ尽くしのこの作品は、どちらかというとダジャレがオリジンとなってそこから筋道が作られている印象。それでもラストの生理的嫌悪感をかき立てるようなグロさ加減が嫌でたまりません。
 とはいっても、活字から吐き気や、活字から臭いが漂ってくるかのような作品でありながら、途中から「ああ、これはこう落とすんだろうな、きっとそうなんだろうな、へへへ、そろそろ来るかな、あ、来た来た」と見え見えであっても最後まで読むと、なんだろう、何かほっとするのだ。なんというか、故郷に戻ってきたかのような、心がイヤされるような気がする。きっとこういう作品を「嫌し系小説」とかと呼ぶんだと思う。(違うよもちろん) 更に、考え抜かれた思いもつかないダジャレがラストに来ると、もうこれは拍手したくなる。変ですかね。
 あと『秋子とアキヒコ』という作品は、ある程度ミステリだとかSFだとかを読み込んだ読者の思い込みを逆手に取るような仕掛けがあり、アホな真相ではあるものの思い切り引っ掛かったため一定以上の衝撃がありました。

 最初に読み出した頃は「何だこりゃ」と思っていたはずなのに、この系統の作品には中毒性があるのか、むしろ物語そのものはそっちのけで、駄洒落と世界との繋がりや意外性を吟味するようになってくる。ニヤリと笑えるか、そうでないか。ああ、こんなことで小説を評してしまって良いのだろうか。ああ、この背徳感、たまらん。


11/01/07
近藤史恵「アネモネ探偵団 香港式ミルクティーの謎」(メディアファクトリー'10)

 理論社のミステリーYA!で刊行された『あなたに贈る×』がヤングアダルト向けミステリだとするならば、その一段若い世代に向けている作品。近藤史恵さんにとって初めての「児童向け」のミステリ。書き下ろし。

 理事長兄弟の仲違いによりもともと共学だった実生学園は、実生女学院(女子)と実生中学(男子)と中心の壁を隔てて別の学校になっていた。実生女学院はセレブの子女の通うお嬢様学校、実生中学はどちらかというと私学とはいえ、授業料も安くのんびりした雰囲気。実生中学に通う一年生・中原光紀と桑江時生の二人は、カメラが好きな時生が前から眼を付けていたレンズを買うために一年以上貯めていたお金を、不良中学生からカツアゲされそうになっていた。その二人を救ったのは実生女学院の生徒と思しき三人の女の子たちだった。一年百合組の小沼智秋、西野あけび、細川巴と名乗った。当初は大人っぽい智秋の外観に高校生だと思っていた二人はクラスの事情通から、同じ中学一年生、そして智秋の親が有名女優の小沼ヨウコであると知らされる。その智秋、学校にかかってきた偽電話によって誘拐されそうになる事件があった。巴の機転で危機を脱するが、犯人が誰なのか分からない。一方、光紀と時生は偶然、その失敗を受けて智秋を改めて誘拐する計画が進行していることを知り、以前の恩を返そうとする。しかし、その実行場所はどうやらヨウコのロケ先である香港になるらしい……。

すっきりとした分かりやすい筋書きに、微妙な異国テイストが味わい。ストレートなジュヴナイル
 シリーズ化が前提という以前に、読書にあまり慣れていない読者に対する配慮が随所に感じられる。見方によっては、その配慮が裏目に出て、現実離れと評されるかもしれないが、ジュヴナイルの特質を考えるにこれはこれで良いと思うのだ。というのは、各キャラクタに付与されるアイデンティティというか、特徴に「相当な極端さ」が感じられる。 上記の梗概はどちらかというと男子視点ながら、実際はどちらかというと女の子視点での物語が多く、本自体の体裁を考えると手に取るのは男子より女子である可能性が高い。智秋は、中学一年生にして女子大生並みの風貌と身長を持ち、親は有名女優、さらにその親と二人暮らし。マスコミへの露出を求められているが、自分から拒絶している状態、もちろんお金持ち。と、まあ、いってみれば、少女漫画的に過ぎるかな。それでも、今日日、これくらい登場人物に特徴を付与してやるのが児童向け作品であれば普通のように思う。
 展開もどちらかというとテンポ優先、偶然の出会いも御都合主義もオールOK。 発生する事件は謎の誘拐と、シリアスにもユーモアにもどちらにも行けるタイプで、この点についてはぼやかしてある。特に類型的ではあるが、学校からの誘拐未遂事件などは、実際の読者に対する未然の警告としても役立つかもしれない。
 香港式ミルクティー、はもちろんクイーンの国名シリーズを意識した(?)題名ながら、ミステリとしては本格とは言い難い。ちょっとしたアイデアをベースにした、こちらは多少現実寄り。ただ、東南アジアの国ではこういうかたちでも○○を身に付けているのが発見されたら恐ろしいことになりますねえ。

 真面目にジュヴナイルをしている作品で、特別にミステリとして優れているということは流石になく、レーベル相応の作品。近藤史恵さんのファンの方が押さえるべき作品で、本来の対象年齢の子供たちが広く手にとってくれるといいな、という長編。続編を意識させる終わり方なので、このまま彼らが成長してスイーツなw青春ミステリとなる可能性もありますね。


11/01/06
中山七里「おやすみラフマニノフ」(宝島社'10)

 第8回『このミステリーがすごい!』大賞を『さよならドビュッシー』で獲得した中山七里氏の第二長編。先の作品にも登場した天才ピアニスト・岬洋介が登場、舞台は異なるが世界は繋がった続編という位置づけか。

 愛知音楽大学に通う貧乏学生でバイオリニストの城戸晶。仕送りが途絶えて授業料に事欠く一方で、大学学長の孫娘でチェリストの柘植初音と一線は越えていないものの微妙な関係にある。大学学長である柘植彰良は日本から世界に見いだされた先駆者にして世界的なピアニストだ。その彰良を中心とした楽団が学園祭でコンサートを開催されることになり演奏を希望する学生はオーディションを受ける。晶も、臨時講師である岬洋介に背中を押され、大学の所蔵するストラディバリウスを演奏したいがために受験、強豪ライバルの脱落もあって見事第一バイオリンの座を射止め、コンサートマスターに任命された。しかし、警備会社が電気的にも管理している厳重な保管庫から、一晩にしてストラディバリウスが消え失せという事件が発生。発見者は初音だったが、二億円ともいわれる損害に学園は大騒ぎになるが、理事会の意向により警察への通報はされなかった。さらに学長の彰良が使う予定のピアノが水没させられ使用不能に、更には事件の不安から、そして嫌味で尊大な担当教授の指揮により、楽団員はまとまりを欠き、むしろ一触即発の状態になってしまう。遂に柘植個人を名指しした脅迫状が届くに至り、コンサート自体の開催が不可能になったかに思われたのだが――。

演奏シーンの大迫力と、身勝手に過ぎる黒幕の動機の衝撃
 作者の履歴をみると音楽大学出身でもなんでもないようだ。が、演奏は趣味でなさっているのだろうか。前作でもいえたことではあるのだが、視点人物であるバイオリニストの主人公が精魂込めた演奏を行う場面での、文章だけで表現される音楽の迫力がまず素晴らしい。 最初のオーディション、大雨の避難場所でのピアニスト・岬洋介とのセッション。そして、最後のオーケストラによるコンサート。個々人がそれぞれ万感の思いを込めて演奏するだけでなく、ハーモニーといえば良いのか、他の楽器と組み合わさることで紡ぎ上げられる音楽の重厚な響きが音も無い(本だから当然)のに伝わってくるようだ。以前も同様のことを書いたが、音楽に詳しい方は細かい点等に引っ掛かるところもあるのかもしれないが、小生レベル(素人です)にとっては、この作品から十二分に音楽が響いてくる。
 本格にこだわらなければ、ミステリとしても悪くない。冒頭に不可能状況での楽器消失の場面が持ってこられており、オーソドックスな謎かもしれないながら、その提示方法についてはなかなか上手に書けていると思う。が、本格の観点からすると、その謎に対する解答が(教授が提出する当てずっぽう推理も含めて)さすがにアイデア的に小粒過ぎ。(可能である以上ダメとはいわないが、ちょっと計画にしても杜撰に過ぎるところが気になる)。なのでトリックのミステリとしてのみみると物足りない。ついでにいうと、中盤以降、一連の事件の犯人がある人物ということにされているが、この点も証拠や状況からすると弱すぎ、それを皆が信じるという設定もお人好しが過ぎる気がする。
 ただ、トリックと本格という視点から外れたところ、読みどころは、最終的に事件の裏側に潜む人物の恐ろしく身勝手な動機だと思う。 身勝手なこと自体はなんとなく理解できるのだが、才能至上主義というか人間の価値の見積もり方が極端に過ぎ、判っているのに文章にされると少々驚かされる。非情。正直、動機という意味ではかなり衝撃的であった。関連しての表に出てこない人間関係、こちらも伏線含みで結構うまく物語内部に沈めてある。

 トータルでは主人公とヒロイン初音、さらにはその友人たちとの関係性も含めた青春小説でもあり、読み応えがある。 晶、初音、岬洋介の三人が重要人物ではあるのだが、オーケストラに入った友人たち、天才肌、努力肌も含めての個性も短いながらよく表現されているところも印象に残った。
 あと最後にあくまで個人的な感覚。音楽と医学と主題は異なるのだが、海堂尊氏の物語作りとも微妙に近しく感じる。登場人物の作り方、人間関係、組織vs個人の戦いetc。これは「このミス大賞」出身が共通という先入観からか?


11/01/05
吉村達也「白川郷 濡髪家の殺人」(講談社ノベルス'10)

 元々は朝比奈耕作シリーズの警察方として登場してきた志垣警部と和久井刑事のコンビは吉村達也ワールドでは重要な役割を果たす登場人物。他のシリーズ名探偵が登場しない作品においては「温泉シリーズ」として、どちらかというと少しマイナーな温泉に二人で出向いては事件に出くわし、探偵役を務める(こともある)。今回は「世界遺産」シリーズという新趣向の第一弾として講談社ノベルスに久々に登場――って調べてみると講談社ノベルスへの新作としては『鉄輪温泉殺人事件』以来って十二年ぶり?

『週刊真実』の編集長を務める桜木大吾は、人気作家・夏川洋介から現在連載中の推理小説『濡髪家の殺人』の連載を打ち切りたいと唐突に切り出される。夏川によると連載を継続した場合に死人が出るという脅迫状が届いたという。しかし、桜木があれこれ追及しだしたところ申し出自体を夏川が撤回してしまう。連載は継続されたが、数週間後に夏川の担当編集者であった山内修三の生首が東京多摩川べりの河川敷で発見された。口には彼の名刺がくわえさせられていた。警察に捜査協力する一方、桜木は身内の死をスクープ記事にしたてるべく画策、『濡髪家の殺人』の舞台となっている白川郷に腹心の加々美梨夏を密かに派遣した。しかしその梨夏は実は夏川洋介と交際しており、洋介とも連絡を取り合っていた。どうやら洋介自身も白川郷にいるという。『濡髪家の殺人』は二つの旧家の不仲に端を発した連続首切り殺人事件を描いた内容だったが、白川郷には小説のモデルとなったと思しき「伊豆神家」「暮神家」があり、小説は彼らをモデルにしているようなのだ。その白川郷で、山内の胴体部分が頭を崖に突っ込んだような不思議な状態で発見された――。

サービス精神旺盛過ぎによる演出過剰? ドラマティックな展開が過ぎて主題がぼやける
 もともとテレビ畑のご出身ということもあるためか、吉村作品は全体的に人間の動きが大きく、ドラマティックにスピーディに話が展開してゆく。嵌った時の破壊力や印象はそれはそれで高く、単なる小説以上の効果をもたらすことも多いのだが、その勢いに読者が乗れる、乗れないという結果により、物語としての評価ががらりと変わってしまう気がする。本書もまた、それらの系譜での典型ともいえる作品で、ドラマティックな動き、派手な演出が多い作品だと感じられた。
 週刊誌連載の小説があって、その小説はどうやら現実を下敷きにした作品らしくて、担当編集者が猟奇的に殺害されて、さらにその旧家の対立と愛憎がピックアップされ、家を舞台にしたドラマがあり、勘違いがあり、悲劇があって、過去の事件がほじくり返され、アリバイトリックが明らかにされ……と次から次へ、まさに新聞連載並みに「ネタ」が次々と登場しては、過ぎ去ってゆく。ただ、厳密にミステリとした場合の謎は「なぜ犯人は多摩川縁と白川郷、遠く離れた二個所に切断した首と胴体を配置したのか?」という一点のみ。ほかの謎は、ホワイダニットや、隠れた人間関係、動機、経緯が都合によって明らかにされてゆくだけで、いわゆるミステリの興趣とは少し異なる。 もちろんサスペンスとしてはありだとは思うが。
 その唯一の謎、首切断についても、今時の本格ミステリが求められている動機や理由の厳密さに比べると双方弱いと言わざるを得ない。もう一つ苦言を呈するならば、世界遺産である白川郷に対するリスペクトが感じられないのが一番読んでいて辛かった。個人的に思い入れのある土地ではなくてそう思うので、恐らく気持ちが入っている人の支持を受けるのは難しいと思う。

 以前は作者自身が一線を画そうとしていた印象により、そう感じることが少なかったのだが、なんか御都合主義満載の二時間ドラマ風にみえてしまう。原作なのに映像作品ノベライズのよう。という作者を支持する読者層が、こういうドラマ風の作品を求めているということであれば仕方ないことのだけれども。


11/01/04
有栖川有栖「闇の喇叭」(理論社'10)

 今は無き〈ミステリーYA!〉というレーベル向けに書き下ろされた、有栖川氏にとって二冊目となるジュヴナイル作品。(一冊目は講談社ミステリーランドの『虹果て村の秘密』)カバーを外したところにある装画と挿絵を新進イラストレーターの佳嶋さんが手がけている。

 第二次世界大戦の終戦間際、ポツダム宣言が受諾されようとした前後、敗戦を潔しとしない一部の軍部によるクーデターが日本国内に発生。三発目の原爆が京都上空で爆発し、北海道はソビエト連邦の侵攻を受け、同軍に占領されてしまう。そして終戦。日本は青函海峡を境に南の「日本」と、北の「日ノ本共和国」との2国に分断されたまま現在に至っている。その南北は断絶したまま現代に至っており、北の管理国家はその内情は判らないものの、比較的良好に運営されているようで、再び南の日本への侵攻を企てているという噂は絶えず、スパイが送り込まれていると言われている。南の日本は資本主義国家であるものの、男子には徴兵制度が引き続き残っており、日本文化を破壊した米国文化への反発から外来語の使用を減らそうという動きがあり、方言も使用を規制されている。性的マイノリティの社会的抹殺も進み、探偵という職業もまた禁じられていた――。汽車に乗って高校に通う合唱部所属の三人、空閑(そらしず)純、有吉景以子、小嶋由之。彼らが住む田舎町、多岐野で殺人事件が発生し、彼らの日常が静かに変化してゆく――。

「異世界」ではなく「異社会」ベースにしっとりと溶け込んだ青春・本格・ミステリの傑作
 全体主義的な制度が標榜されている国家にとって国家を後ろ盾にしない権力以外が、それが知的なものであっても特別な能力を発揮するという事態は好ましくない―――とか書くと少し分かりにくいか。つまりは、探偵という職業が政府によって規制されるべき卑しき職業であるということ。犯罪捜査は、警察がするのだから、それ以外の人間が頭を活用する必要はないという理屈だ。この探偵が禁じられた世界における探偵小説のあり方というのも作者が本書にぶつけた一つのテーマではあると思う。
 日本が南北に分かれて同じ民族同士が啀み合い、徴兵制度があり、その道徳的感覚は同性愛者が強烈な迫害を受けるなど教条的に厳しく、狭量な感覚に縛られている。米国に対しても、その他の国家に対しても親しみはほとんど無い。一方で暮らし向きこそ全体的に貧しくみえるものの、実際の生活保護は充実しており、差別社会でもなさそうだ。作者がいうにはこの物語は「異世界」ではなく「異社会」。あくまで舞台は同じ別の歴史を持った同じ日本なのだ。 少し考えてみる。本書の社会と異なる、自由を謳歌しているとされる、我々が生きている現代の世の中。それに比べ、引き算で考えなければならない部分もあれば、現代には無いシアワセもありそうだ。 そして「この物語の社会は本当に悪い時代なのか?」 異社会を設定することで、現代の我々が享受している自由、そしてもう一つ「不自由」についても、微妙に気付きを与えてくれるという側面がある。有栖川氏による『1984』とまでいうと言い過ぎだが、あり得たかもしれない全体国家という見方は興味深い。
 じゃあ社会を描くばかりの作品かというと全くそんなことはなく、やはりその謎の骨格を構成しているのは、かなりかっちりした本格ミステリ。特にフーダニットとホワイダニットの重なりあい、微妙にセンセの趣味である鉄道も絡めたトリックが素晴らしい。 ターゲット読者を考えたのか説明も論理も非常に丁寧であり、万一「本格」ミステリに初めて接した、という読者に対しても優しい配慮がなされているように感じられた。トリックが判明することで犯人が浮かび上がる展開が実に美しい。 一方、その直後に探偵の否定される世界という前提で物語がまた回転してゆくので物語に引き込む力は強いと感じる。
 そして「え、このまま終わってしまうのか」というラスト。様々な要素を超えた先に、本書が青春ミステリであることを思い出させる苦さが、心憎い。 このざらざら感、若い頃に読んだらトラウマで心に刻み込まれそうですよ。消化不良のように思われる方もいるかもしれませんが、このぷっつり感こそ青春ミステリの逆醍醐味でもあるのです。

 実は闇の喇叭が鳴っていたのが版元というあたり、いろいろな意味で残念。なのだが、有栖川氏にとってのひとつの一里塚となる長編のようにも思う。学生アリスでもヒムアリでもない、ノンシリーズであるがゆえの自由な取り組みから生まれる、新たな試みと発想。 個人的事情でわざと感想をアップしていなかったのですが、やはり傑作かと思います。


11/01/03
道尾秀介「月と蟹」(文藝春秋'10)

 『別冊文藝春秋』二〇〇九年十一月号から二〇一〇年七月号にかけて連載された作品。本書刊行時の特設サイトによると、普段は取材をしない道尾氏が鎌倉周辺を取材したうえで執筆した作品であるとのこと。第144回直木賞候補作品(本稿執筆段階では選考中)。

 父の失業を機に鎌倉の近くにある海辺の町に引っ越してきた小学校五年生の慎一。その父親を一年前に癌で亡くし、母親と祖父との三人で暮らしていた。この時期の小学生はあるテレビゲームに夢中(初代ドラクエ、但し明確な描写無し。時代はこのあたり)で、ゲーム機を持たない慎一は自然、クラスの中でも孤立した。そんな彼と唯一の友人関係にあったのは、大阪からの転校生で、どうやら親から虐待を受けているらしい春也。彼らはペットボトルを加工した「ブラックホール」なる水生生物専用の罠で獲った小魚やザリガニを、彼らの秘密基地の潮だまりで飼育して遊び始めた。彼らが好んだのは、ヤドカリを神様に見立てて火で炙って殺し、本当の神様になってもらう「ヤドカミ」様というごっこ遊び。願い事をしたあとに小銭を拾ったり、いじめっ子が不幸な目に遭ったりといった些細な願い事が叶ううちに彼らはこの遊びに夢中になる。慎一の母親がクラスメイトの父親と浮気していることに薄薄感づいていた慎一は……。

大人には決してなりきれない子供に訪れる、哀しくもどうしようもない理不尽とその顛末
 非ミステリ作品ながら、主題はこれまでミステリでも繰り返されてきた、子供の不幸、ないし不幸な子供。
 主人公の慎一の一人称小説で、世界観も小学校五年生レベルでの認識であるのが、また哀しい。保護者の庇護がなければ生きられず、理不尽と戦うにも自分を守るべき盾も、攻撃するための槍も持たないか、持っていても貧弱だ。親が、親の愛が欠けた同士での仲間意識、そのなかで生まれる嫉妬、愛情を独り占めしたいという欲求……。いじめや児童虐待といった、子供の世界での出来事もきれいごとでは済ませず、さらに配偶者を亡くした親同士の恋愛関係(なので不倫ではないのだが)、子供にとっては裏切りに感じられて。
 そんなこんなで傷つき続ける彼ら。その関係、そして彼ら自身の行き着く先は何なのか。 傷ついて傷ついて傷ついて、その傷に耐えられるようになったと思えば、また別の角度で傷つけられて。慎一が奇妙な開き直りをみせる後半部分に至っては、逆に読んでいて辛くて辛くて。ヤドカミ様に託さざるを得ない切ないまでの願いもまた、誰かを傷つける行為へと繋がってゆく哀しい連鎖は、つまるところはここまで極端ではないかもしれないながら、日本のどこかできっと似た境遇の子供たちがいるであろう、ということの印なのだと思うのだ。
 鎌倉の自然が優しく、厳しく彼らを包む。道尾作品には珍しく、本書の場合はその名所旧跡や自然の描写もまた心に響くように感じられた。これもまた作者の成長か。

 正義だとか悪だとか、そういった大人の視点はなく、子供にとって訪れ得る理不尽を淡淡と描き、読者の心にざらざらした感触を残す。 意表を突くような場面がない訳ではないが、ミステリでは無い分、描写が展開がひとつひとつ読んでいる読者の心にも見えない傷を付けてゆく印象。「エンタ」というよりもあくまで「文芸」を目指した作品だと感じた。


11/01/02
三津田信三「禍家(まがや)」(光文社文庫'07)

 2001年のデビュー後、刀城言耶シリーズでミステリ方面からブレイクした三津田氏によるオリジナルホラー長編。人気がうなぎ登りの状態で書き下ろし・光文社文庫という組合せに、個人的には題名を変えての旧刊復刻だと勝手に思い込んで、刊行当時に読み逃していたもの。2011年初頭現在では、続編扱いの『凶宅』『災園』が刊行されている。

 両親を急な事故で亡くした十二歳の棟像貢太郎は、住み慣れた千葉を出てたった一人の家族である祖母と共に、東京郊外の武蔵名護池盂怒貴(うぬき)町へと引っ越してきた。最初に覚えたのは既視感、そしてその近くの森からは禍々しい雰囲気を感じ取ってしまった。東四丁目の人々は皆、大歓迎で彼ら二人を迎えてくれたが、一人、どこか不気味な容貌と雰囲気を持つ小久保家の老人は「これもうんめいじゃろう」「ぼうず、おかえり」と謎めいた言葉を発し、貢太郎を不安にさせる。一方、町内で同い年の生川礼奈が、いろいろ町の情報を教えてくれた。昼間は祖母が働きに出てしまうため、貢太郎は一人で留守番をすることになるのだが、そのあいだに家の中に何か自分の理解できない何かがいるような雰囲気を感じ取り、実際にその怪異と遭遇寸前にまで追い込まれる。礼奈の話では、この町には幽霊屋敷が四つあるというが、自分の家は違うらしいのだが……。

「古い家に少年が一人」の瞬間に忍び寄るさまざまな怪異描写の迫力が凄すぎる
 物語としては二方向から読むことができる。一つは少年が出会う怪異と、三津田氏によるその執拗でねっとりとした怪異の描写を一緒になって怖がるパターン。 古今の恐怖映画や恐怖譚を知り尽くした著者のこと、その描写のしつこさと迫力は半端なものではない。活字の羅列に過ぎない文章から、匂い立つような怪異が現れ、貢太郎と読者とを追い詰めてゆく。 素直にこの怖さを味わうというのがホラー小説を読む醍醐味の一つ。背中がちりちりするような緊張感がたまりません。  もう一つは、健気に怪異に立ち向かう貢太郎の冒険譚として読む角度。 ミステリもものとする作者のこと、少なくとも本作に関しては、怪異について因果と応報をしっかりとリンクさせている。(その根本はもちろんsupernaturalではあるけれど)。なぜこういった事態になるのか、が物語中で論理的に繋がっているのだ。その繋がりと、なぜ我が家に怪異が現れるかの理由について礼奈と共に貢太郎が気付き、最終的に戦いを挑むところ。その登場人物の処理、意外な○○については実にミステリ的。さらに細かな伏線できっちり主人公を追い込む環境を創り上げているところなども、見方によってはミステリの手法に近しい。
 ただ、あくまでもミステリ的手法は補助手段。根本的に人間が多少努力しただけではどうしようもないという、不寛容な怪異があるところ、人間として根源的恐怖を巧みに演出してきている。 物語の結末にしてもその怪異そのものを押さえられた訳ではないということからエピローグの不気味さが引き立っている。

 三津田氏のねっとりした語り口はやはりホラー小説が似合う。他のシリーズであっても、この語り口からミステリに繋がっているので似ているといえば似ているのだが、それでもやはり別系統。割り切れそうで割り切れていない怪異、雰囲気を活字にするのが非常に巧いことを改めて実感させられた作品だ。


11/01/01
一路晃司「お初の繭」(角川書店'10)

 平成22年、第17回日本ホラー小説大賞の大賞受賞作品。同賞には珍しく(というか初めて)三年連続で大賞が輩出された。応募時は筆名「ふりーくかな」題名は「あゝ人不着紬」。一路氏は北海道北見市生まれ。東京農業大学卒業後、日本の畜産会社に勤務、さらに1990年にオーストラリア移住、現地のマスコミ関係の大学に再入学し映像コーディネイター等の仕事も行っているのだという。

 想定されている時代は明治中期くらいか。農村で親たちから大金と引き替えに買われた歳端の行かない娘たち。製糸工場への丸三年のご奉公を終え、模範工女となって村に錦を飾るのが彼女たちの夢だった。幾つかの村から数十人の少女たちが鉄道に乗せられて製糸工場へと送り込まれる。模範工女からの話から、仕事は辛いとは聞いており、さっそく取りかかるのかと思いきや、まずは一人一人裸にさせられたうえでの屈辱の身体検査が待っていた。製糸工場を指揮する蛾治助は青白い顔の小男で、彼がいうには養蚕部の新工たちは、この工場で飼育されている蚕のために特に清潔にしなければならないのだという。消毒薬での徹底した洗浄、一日三度の風呂、そして月のものが始まらないようコントロールするという丸薬。成長の早かった何人かは糸繰り工場に送られ、そちらはキツイ労働が待っているようだったが、新工たちは上げ膳据え膳で仕事らしい仕事は与えられず、無為な時間を過ごすことを要求された。

誰が読んでも先の見える展開を、怪奇小説の伝統美に則って現代に蘇らせた新ホラー
 いわゆる女工哀史を思わせる序盤から前半部の展開。特に無知な田舎娘でしかない主人公・お初の目線で物語が進むため、経営者側のいわゆる「表の顔」しか判らないところがポイント。そもそも新工の娘たちが入る宿舎に先輩たちがいないということ自体を疑問に思わないというあたりの世間知らずが物語上必要なわけで。女工哀史orあゝ野麦峠のイメージを読者が持ちつつ、そのギャップをうまく物語の導入で使っている印象。女工哀史通りの「糸繰り工場」と「養蚕部」の天国。 賢明な読者がこの後の展開を予測することは作者の計算のうちだろう。

 女工たち以外の人物たちのネーミング、様々なオリジナル薬のネーミングも独特だが、これは他のホラー大賞系小説でもよく使用されている「手」でもあるので、こればかりでは褒められない。ただ、特殊な蚕の成育に異常な情熱を燃やす蛾治助や、経営者の謎の骨董趣味など脇役の奇矯な性格と合わせると物語の毒々しい雰囲気を形成するのに役立っている。いずれにせよ、一旦製糸工場に入ってしまった後、この長編はその敷地内部だけで物語が完結しているのだ。その限られたスペースに異世界を打ち立てて読者を招き入れるテクニックについては大賞に相応しい。
 微妙にネタバレ(反転)物語上、お初が(真実を知るために)工場に入り込む必要はあるのだが、若旦那が変態(これはいいのだ)であることはとにかく、変態の方向性がなんというか作品を通じてのイメージに対して異質過ぎるように思った。折角ここまで維持してきたいい意味での下品さの品位をぶち壊してしまった印象がある。読者がみんな意味が分かっていても、蛾治助が芸術品・工芸品のように扱っていた対象に直接手を触れるような変態ではいけないと思うんですよね。

 選者がいうとおり、意外性という意味ではあまり評価できない。ただ、本書はミステリでもなんでもなくあくまでホラー小説というカテゴリで勝負するのであれば、この正統派の路線はありだと思う。 今後どういう方向で勝負されるのか判らないが、粘膜シリーズみたいな独特の世界観が出来上がるようなら将来も面白そうだ。