MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/01/20
桜庭一樹「伏 贋作・里見八犬伝」(文藝春秋'10)

 2008年『私の男』で直木賞を受賞した桜庭さんであるが、一連の読書日記の例を待つまでもなく相当な読書家である。その桜庭一樹が眼を付けたのが物語文学の傑作、滝沢馬琴の『里見八犬伝』。本書は、その馬琴の息子が登場、メタ的に絡んでゆく不思議な物語である。『週刊文春』二〇〇九年十二月十七日号から二〇一〇年十月二十一日号にかけて連載された長編の単行本化。

 幼い頃から祖父から鉄砲の手ほどきを受けてきた十四歳の浜路。猟師であう彼女は祖父の死を契機に、先に上京していた兄・道節を頼って田舎から江戸へとやって来た。時に、江戸では「伏」と呼ばれる、人間の姿をしながら凶暴な犬の本性を持つという魔物によって多数の死傷者が出ており、退治した者にはお上から褒美が出されていた。浜路は猟師の勘で、人にまぎれて生きている伏の存在を感じることが出来、江戸に来たばかりだというのに兄と共に懸賞金を目当てに伏を狩りはじめる。その二人の活躍は、滝沢馬琴の息子・冥土によって瓦版にされて江戸中に配られ、二人はあっという間に人気者となった。滝沢馬琴は長年書き続けてきた『南総里見八犬伝』の追い込みに入っており、冥土は冥土で伏の歴史をひもといて『贋作・里見八犬伝』を書き連ねていた。昔むかし、里見という名の武将が治める土地があり、その殿様の家には活発で男勝りの才能を持った娘・伏と、どちらかというと大人しく鈍重な息子がいた。息子が飼い始めた美しい白い犬は、伏が身を張って自分のものとしてしまい、彼女と共に育っていった。そして里見家はもともと仲良かったはずの隣国からの、激しい武力侵攻を受ける。里見家は追い詰められるが、当主が最後にいった言葉が後の悲劇を呼び寄せるのであった――。

八犬伝のオマージュにしてオリジナルの桜庭世界が時間軸地平軸遙か遠くにまで拡がっている。至高の物語文学
 「里見八犬伝」は翻案(?)になるが正式版に近いものを何度も読んでいる。馬琴の、というか物語の面白さを凝縮したかのような奇想天外の冒険譚は今なお血湧き肉躍る迫力に満ちた傑作文学だと思う。恐らくそれを多少アレンジして現代風にするとかいった普通のオマージュ、パスティーシュに近い方法論を用いたとしても、桜庭一樹であればきっとユニークな物語に仕上げてくれたのではないかと思う。
 が、この「贋作」は、その斜め上を飛んでゆく。 八犬士の存在を人間から一種の妖怪化させてしまい、伏姫もまた悲劇のヒロインではあるものの狂人扱いだ。滝沢馬琴が八犬伝を書いているのとは別に、息子が既に「贋作」と名付けて真実を探求、伏という種族の因果を探し求めているという物語内部のメタ構造もまた、物語を複雑化させるというよりも、奥行きを(特に時間的に)深めることに役立っている。何よりも本編の半分以上を占める、二つの挿入された物語、それ自体の完成度が高く、伏が単なる獣性を持った化け物ではなく、人間と別の種族かもしれないながらも感情を持った生き物であるという部分が強調されているところも素晴らしい。ある意味では単純化され、善は善、悪は悪で割り切られている原典に対し、善悪だけで区切れない現代小説らしい価値観が持ち込まれている。登場人物もその多様な価値観をすっと受け入れているところが、時代伝奇なのに現代小説のような切れ味を持っているところと重なってみえる。
 また、桜庭一樹らしいというか、真面目な物語であるのにところどころ人間離れした能力や幻想が唐突に物語に割り込んでくる場面がある。本書でいうならば伏の森のくだりがそうだし、そもそも天守閣から飛び降りる場面もそうだ。そういった「トンデモ」に近い描写が、物語を壊したり白けさせたりすることなしに、すんなりと世界に溶け込んでいる。 この桜庭一樹のセンスは、なかなか余人が真似できないところだと思う。

 一本筋は通っているのだけれど、脇道もまた十二分に面白く、縦横斜め、さらに時間軸も含めて物語が自由自在に膨らんでいる。 散漫なようでいて濃密な世界がしっかりと描かれ、物語としての展開の面白さも当然のように存在している。ナンセンスの度合いは、個人的には山田風太郎を想起するところすらあって、有無を言わせず読者を巻き込む手腕は、巻を重ねるごとに強力になっているのではないだろうか。ランキング年度では来年扱いながら、対象年を代表する上質、かつ超絶なるエンターテインメント伝奇時代小説、である。


11/01/19
藤野恵美「わたしの恋人」(講談社'10)

 主に児童書を中心に多数の作品がある著者が、初の一般向け作品として発表したのが東京創元社の『ハルさん』。本書は芸術生活社の月刊誌『PLASMA』2007年4月号から2009年3月号まで連載された作品を単行本化したもの。連載時は中高生向けだが、単行本刊行時に一般向けに装いを新たにしたという印象か。

 ピアニストでコンサートをしたり、不定期にジャズバーで演奏する、今なお男らしい格好良さを残す父親と、美しく有能な編集者でありながらその父親にぞっこんの母、というか高校生の息子がいるにもかかわらず、朝からいちゃいちゃする夫婦――に育てられた古賀龍樹。彼は、そんな両親に育てられているせいか、一人の女性を好きになるということが今ひとつまだピンと来ない。しかし、偶然訪れた保健室でみかけた同学年・森せつなを見て、彼は一目惚れしてしまう。一方の森せつな。彼女の両親は父親の浮気をきっかけに憎み合っており、専業主婦の母親もプライドや生活から離婚に踏み込む勇気もなく、せつなを言い訳にして愚痴ばかり。そんな彼女は、愛なんて存在を全く信じていなかった。早く独立したい。その森せつなに対して古賀龍樹は、友人の笹川と相談した結果、思い切ってアプローチを試みる。どうして、こんな私に? 戸惑うせつなと、善意を信じて押しまくる龍樹。二人の恋は果たしてうまくゆくのだろうか?

非常に素直に、温かく、美しい。少女向け少女マンガのようなラブストーリー
 んー、ひとことでいうと「ベタ」かな。ただ、ベタな展開ではあるけれどもベタベタという感じはなく、すっきり爽やかなベタである。多少凝ったところがあるとするならば、主人公二人の両親があまりに極端に違うところ。ただ、登場回数の多い龍樹の両親に比べると、喧嘩ばかりしているというせつなの両親はほとんど登場しない。おかげで読者はそのネガティブな場面はあまり味わわずに済んでいるのだが。高校生、かつ男女交際は初めて、という二人が、お互いを慈しみ、大切に思うようになり、恋の入り口から半ばへとどっぷり浸かってゆく様を、性的欲望や好奇心といったところを美しくオブラートに刳るんで丁寧に描き出してゆく。こういう体験なら、大切な息子さん、娘さんにさせてやっても良いでしょう、とご両親がお墨付きを付けたくなるような、というかそんな感じ。
 ひねた読者なので、ここまでするすると起伏のない物語展開にかえって驚いている。ただ、その驚きはむしろ、今の小説ってこれくらい分かり易くないと普段読書に親しんでいない人からは読まれないのかもしれない――という言いしれない危惧にも繋がるのですよ。さすがに、ここまで噛み砕いて、丁寧に書けば、分からない人はいないだろう、という。だけどれっきとしたハードカバー、れっきとした単行本。ティーンエイジャーレベルの若い読者が対象とも思えない。すると、それ以上の大人たちがターゲットだとすると……。と、少し考え込んでしまう。

 繰り返しになるが、あまりに素直な展開に逆に驚いた。しかしよくよく連載媒体の性格を考えると、あまり極端なすれ違いはなくハッピーエンド突き進むこの展開、落ち着くべきところに落ち着いたということ、それに尽きるのかもしれない。ただ、固有名詞としてケッチャムとかダリオ・アルジェントとか普通に出てくるところなんかはどうよ。


11/01/18
蒼井上鷹「バツリスト」(祥伝社'10)

 小説推理新人賞を受賞してデビュー後、推理作家協会賞候補が二度と、凝った短編の書き手として定評のある蒼井氏。本書は書き下ろしとなる長編作品。

 かつて寛子という女性を下貫という男性と二人で争った嶋津。和広という息子をもうけて寛子と嶋津は結婚するが、その和広が嶋津の子なのか下貫の子なのか実は寛子すらはっきりしないまま彼女は亡くなってしまう。これまで彼らが取り交わした書簡がプロローグ代わりに綴られる。立派な青年になった和広だが、その人生は波乱の連続。あろうことか最期はぎっくり腰になって動けない嶋津の目の前で首を吊って死んでしまう。和広は日記を残しており、特にひどく恨んでいる人物の名前には力強く「×」が記されていた。同級生からいじめを受けた際に助長する発言をした教師、新興宗教自己啓発セミナーに引きずり込んだ男、就職した会社のパワハラ上司、別の男と交際し、手ひどく和広を振った婚約者。、下貫が諫めたこともあり、落ち着いていた嶋津だったが定年後十年を過ぎて和広に代わって復習することにとりつかれる。一人目の標的・山路を襲撃した嶋津だったが、かつて下貫に世話になった喫茶店「×(ばつ)」の関係者が偶然現場に遭遇、助力をしたことから嶋津の復讐を変則的に手伝うことになる。対象の人物は「×」そして、彼らは「バツリスト」と名乗るようになった。

よくある設定とご都合主義をひねるひねるひねって別の境地へ。まさに人を食ったミステリ
 「バツリスト」という、「×」と「テロリスト」を真似たような造語。この造語の響きがまず良い。 ただ、初期設定というか序盤にて説明される、本書の前提となる設定段階で凄まじい違和を覚えた。ある人物の殺人を前提とした復讐計画に対して「殺してはいないけれど、その人物には殺したかのように装う」というかたちで複数関係者が手を貸すという部分。もともとフィクションが大前提のミステリではあるものの、さすがにこれはちょっと変さが上回り、説得力があまり無い。
 実現するにはチームにしなければならず、チームにすると秘密が漏れる可能性は上がる。事実、後半部分ではバツリストたちは情報管理に四苦八苦している。んー、本来ならさ、別のかたちで恩返しすりゃいいのに、と思う訳です

 ただ、そこを「設定」だと割り切ってしまえば、特殊設定どたばたミステリ、ということで素直にこの、他に類のない混迷感を楽しめるようになるか。様々な性格と特技を持った人物たちによる、チーム・ミステリ。どういったやり方で、嶋津老人の欲望を鎮めてゆくのか。そしてどうやら嶋津老人自身も何やら秘密を抱えているようで、その内容などんなものなのか。謎のないところに謎をつくり、その展開に眼をはなせないようにするのは既にセンスとして身に付いているということか。
 蒼井上鷹らしい、ひねった設定と更にひねった「裏」設定が人を食っていて、そういうめちゃくちゃ、いけいけの雰囲気が好きな方ならば、良いごちそうになりそうな印象。 しかしいくらなんでもそういうものをカレーで煮ますか、普通。 ただ、すっきりとした事件、すっきりとした解決といったミステリで割り切れる感覚を重視するタイプの読者には、このごちゃごちゃとした感覚は許されないかも。どちらかというとフィクション上等・遊び心を重視するマニア向け、という注文の多い作品なのかなあ、やっぱり。


11/01/17
柄刀 一「人質ゲーム オセロ式」(祥伝社NON NOVEL'10)

 副題はもちろん「本格痛快ミステリー 天才・龍之介がゆく!」。意外とというと失礼ながら、近年ほぼ毎年一冊のペースで刊行されているIQ190の天才・龍之介が探偵役を務めるシリーズ十二冊目となる単行本である。書き下ろし。

 天地龍之介が館長を務める秋田県の仁賀保町にある学習プレイランド”体験ソフィア・アイランド”。本日は数十人の観客を集め、秋田のテレビ局が生中継するなかオセロゲームの公開対局が開催される日であった。龍之介のルームメイトでサポート役の従兄弟・天地光章らも駆け付けるなか、北日本オセロ連盟の会長を若くして父親から引き継いだ久能亜美子がプレイヤーとなりゲームが開始された。しかしネットで接続している筈の相手は、本来の対戦相手ではなく、回線を乗っ取った別人だった。「これからお前は裁きを受ける」 犯人が名指ししてきたのは亜美子の父親で秋田県警の要職にある久能警視正。七年前、久能警視正と、その息子で現在も警察に勤める久能由樹人刑事が関わった、遺伝子調査会社を舞台にした臓器密輸事件で発生した誤射事件があった。新米巡査と民間人が死亡、少女が重傷を負った。どこか釈然としない結論が出て、そのまま「鉄の門」で固められた一連の事件。折しも番組が始まる前に聞いた自動車のドライバー失踪事件と、釘が首に刺さって死亡していたという奇妙な事件から、龍之介はある推論を構成して警察も捜査に向かっていた。更に画面を通じて、犯人と久能警視正とが駆け引きをし、警察関係者から他殺死体が発見され、ネットや世論を呼び込んだ兇悪事件は次々と新たな局面を見せてゆく――。

犯人側にとってもアクシデント多数、シナリオ通りに行かない事件を龍之介はどう解き明かす?
 読み始めてからすぐ気付いたが本の小口が、展開によって「黒」「白」に塗られており、まあ、当然ながらオセロを意識した装幀となっている。黒い石を白と白とで挟んだら反転、最後までマス目を埋めて数の多い石の打ち手が勝ち――。オセロのゲームルールは日本人なら小学生から皆知っている。それを事件と二重写しにするというのが、恐らくはまず試みにあるのだが、正直にいうとあまり成功していない印象だ。事件の流れが逆転、また逆転という展開をオセロだといえばそうなのだろうが、白と白で挟まれて黒もまた真っ白といった、オセロ特有の光景はあまり読んでいて浮かんでこなかった。
 むしろ単純に耳目を集め事件を劇場型に持ち込む犯人は、近年はよくあるにしても、特殊な方法を使いつつも七年前の事件の真相を明らかにしようとする犯人の試みと、冷静にそれを解き明かしてしまう(ちょっと強引な部分もあるように思うが)龍之介という探偵側の回答とが溶け合って、別の第三者を糾弾してゆくという展開に刺激を感じた。
 また、中盤から犯人視点(何者かは不明)で事件が眺められるのだが、「ここまで?」というくらいに事件が犯人の思った方に転がっていっていないのだ。しかし瞬時瞬時の的確な判断で、しっかりと難事件にしてしまうところはスリリングだし、この部分は「作者が自ら犯人の綿密な計画を崩してしまう」という、ある意味掟破りをやっちゃっているところも面白い。その結果として、事件の模様が二転三転している訳だ。
 また、細かい点だが、この事件では犯人が「自殺とも他殺ともつかないが、DNA鑑定すればすぐに本人と分かる」という特殊な状態にある遺体を作るのだが、その理由が強烈。死者をむち打つような悪意が恐ろしい。また、印象として連続した話ではないが、ラスト一行の哀しさもまた、本書では印象に残る場面である。

 登場人物が少し多め、視点もころころ変わる序盤で実は結構読み疲れたのだけれど、中盤以降で物語世界に馴染んでくると、スリリングな迫力がシンプルに加わって楽しめる展開となった。(やっぱりオセロというゲームの扱いは空回りの気がするけど) シリーズ作品で、後から読み始めようという人には敷居が高いかもしれないが、毎回面白い趣向を凝らしてくるところは流石かと。


11/01/16
近藤史恵「砂漠の悪魔」(講談社ノベルス'10)

 2009年、近藤史恵さんは「隔月刊」とも思えるペースで新作を刊行。『薔薇を拒む』『アネモネ探偵団 香港式ミルクティーの謎』『あなたに贈る×』『エデン』、そして本書だ。大藪春彦賞を受賞した『サクリファイス』続編の『エデン』を除くと、どちらかというと少女向け小説が多いなか、本書は少年を主人公にした苦味ある冒険小説となっている。書下ろし。

 大学生の橋場広太は、小学校からの友人で彼と同じ学校に通い続け、何かにつけては親友づらをする友人の榊原夏樹を鬱陶しく感じていた。演劇部の美人上級生・桂から告白された広太は、夏樹とも交際するよう彼女に命じ、残酷な別れを演出して夏樹を虐める趣向を考えた。半年後、桂から事実を知らされた夏樹は自殺、広太は今更ながら自分の行った行為の酷さに気がついた。夏樹の父親が警察勤めという関係で、広太の行為はヤクザの知るところになり、脅されて中国に彼らの手先の「運び屋」として赴くことになる。広太は、そこで現地で学生をしている鵜野雅之という青年と知り合い意気投合した。一度目の役目はうまく行ったが、実は自分に監視がつけられていたことを知らされる広太。程なくヤクザから二度目の中国行きを命ぜられた。様子がおかしいことを雅之に指摘され、事実を告白すると雅之は逃亡を促す。広大な中国ならば、追われ続ける訳がないと。両親や桂に未練を残しつつ、ホテルから身を隠し西へと向かう列車に乗った広太と雅之。二人の逃亡はどこまで続くのか、そして「砂漠の悪魔」とは……?

ある意味予想を裏切る少年たちの逃避行。砂漠の悪魔がもたらすざらりとした感触が近藤流か
 ハードボイルドっぽい冒険小説(とかそれに類する作品)だと、著者インタビューの時に聞いていた記憶があり、その記憶と照らし合わせると「あれっ?」となるような冒頭の展開だ。大学生がつまらぬ感情から友人を精神的に追い詰め、死に至らしてしまう。吐き気のするような下劣な行為ながら、こういったことをしてしまうのが、成人の容姿を持っているが精神的には子供という大人になりきれない大人。たしかこの作中年代に「モラトリアム世代」という言葉が市民権を得たのではなかったか。(違うかもしれない)。
 そんな彼が、案内役の青年と二人、中国大陸を彷徨うストーリー。トータルとしての是非はとにかく、どこにでもいる大学生を異国における逃亡者とし、個人として日本人としてのアイデンティティが足下から崩れ去ってゆくような立場にまで追い込む展開がお見事。 (経過からいうと主人公からすると自発的に飛び込むのだが)警察にも、国家にも頼れず、側にいる友人ですらどこか信用できないという、寄る辺ない自分の矮小さを思い知らせ、そこから開き直らせてゆく展開は堂堂とした成長小説でもある。広い広い中国大陸を前に、日本という国がいかに小さく、そして平和ボケしてきていたかを、まさに「思い知らされる」ところに作者の、登場人物に対する小さな意地悪があり、印象的なのだ。
 一方で中国奥地の少数民族が直面している現実と悲劇に、広太を(読者を)直接向き合わせ、登場人物それぞれの事情を残酷に浮き上がらせるところもさりげなく巧い。露悪的に一見みえるが、それでも目を背けてはいけない事態が日本人の目の届かないところにはいくらでもある。雅彦がマスコミに訴えても取り上げられない理由に、中国へのご機嫌伺いと共に日本人の無関心があることが悲しい。どこぞの誰かがいうようにtwitterさえあれば、どこぞの誰かがいつか助けてくれるなんてことはあり得ないのだから。

 ラスト「砂漠の悪魔」に、主人公たちが出会うところ、ちょっと唐突。そこからエンディングに向かい、かつては自分が恐れていたヤクザと対峙する場面にしても、成長の度合いが違ったところにあって、ある意味微妙ではある。ただ、その後味の悪い微妙さは、作者が自覚的に読者に投げつけている結末。「良かった良かった」で終わらせないところに小説の面白さがある。


11/01/15
丸山天寿「琅邪の鬼」(講談社ノベルス'10)

 第44回メフィスト賞受賞作品。丸山天寿氏は本書によるデビュー段階で既に五十歳代とのことで、多少遅めのキャリアのスタートとなる。福岡県にて古書店を営む傍ら小説を執筆しており、既にこの続編となる『琅邪の虎』が既に刊行されている。

 秦の始皇帝の時代。皇帝に命ぜられ、徐福が不老不死の研究所を作ったのは港町・琅邪(ろうや)だった。しかも、交渉の結果、琅邪の民は税金が免ぜられたため、爆発的に人口が増え、街の警察官役である求盗の希仁の仕事もまた増えていた。その琅邪の街は、有力な商人・東王と、西王とに勢力が二分されていた。希仁は西王に呼ばれ、彼が所有している「壁」が鬼の仕業か、無くなったので捜してほしいとの依頼を受ける。西王には蓮夫人という美しい妻と、王孟という息子がいたが、王孟は東王の二人娘、銀花に執心しているらしい。この当時の中国は、同姓同士の婚姻は認められていなかった。一方の銀花は、番頭格の男と添い遂げるつもりでいたのだが東王はそれを許さず、この地の太守との縁談を勝手に進めてしまう。その婚姻の前日、花嫁は失踪、更に死体となって現れる。王孟は遺骸の棺桶の前で自死を遂げた。しかし、もがりの最中、その棺桶から何か人間らしきものが赤い着物を着てずるずると外に出ていったのだという。それから西王家では、不可解な殺人事件や失踪事件が続き、ついには家が柱も壁も全て一夜のうちに消え失せる事件が発生した。対するは希仁と、徐福門下の巫医の残虎、剣の達人・狂生とその妻・桃、そして現れた無心なる人物。一連の事件の背後にあったのは……。

半分は春秋戦国時代を踏まえる歴史ファンタジー。残り半分は島田荘司を思わせる「本格ミステリー」
 作者が初めて書いた小説ということで、表現力・描写力にはイメージできない箇所等もあって微妙に難あり、読んでいて引っかかるところもあった。しかしそれ以外の要素、すなわち設定、人物、物語、そしてミステリという意味では十分商業出版デビュー作品としての及第点をクリアしている。その設定の異色っぷりが評価されたという意味でも、懐の深いメフィスト賞らしい受賞作品だといえるだろう。
 秦の始皇帝、徐福、そして荊軻(後半だけど)といった、歴史上の人物を少なめながらうまく組み込んで作られた世界がいきいきとしている。歴史云云はおいておいても、(どこまで風俗的に正しいのか知識少なく判断できないのだが)、様々な人種、職業の市井の人々の、ごく普通の暮らしの樣子をうまく活写している序盤が特にいい(実は伏線もこの段階で張ってある)。
 反面、求盗の希仁、巫医の残虎が一応の軸となって物語が進むものの、彼らの活躍度合いが他の徐福のお弟子さん軍団に食われてどんどん薄くなっていくが、これはまあ展開が予想以上に転がったのだろうと想像され、どこか微笑ましい。中盤から登場する天才剣士・狂生、更にその後から真打ちで登場する万能型名探偵・無心。この二人の存在が大きいうえ、マスコット的存在だった筈の桃までが、実は実力が凄かったというオチ付き。フォローはされているものの、希仁さん報われないですね。
 さてさて、あとは豪華絢爛にして派手過ぎるくらいのミステリ・パフォーマンスの数々がまた、印象深い。 歩き出す死体に一夜にして消え去る家。チェスタトンですか、泡坂妻夫ですか。 本格原理主義者的には「犯人が一人ではない」というところが微妙なので問題視されるかもしれないですが、ぬけぬけとこういった不可能状況をデビュー作からどしどし作品に込めてゆく大胆さは素敵です。また、ともすると忘れがちなのが、この時代は写真も映像もないので、自分で目にしたもの以外は詳細を知らなくて当然という事実。真相解明の段になるまで、この点をすっかり忘れていた自分が情けない。

 正直、荒削りという印象は否めないものの、逆にいえば骨太の物語精神がある作品だということ。今後、作者が小説技法を修得して反映することが出来るようになれば、大元のセンスに確かなものがあると思われるので更に深みのあるミステリが生み出されるのではないか。少なくとも次作も追おう、という気にさせられる作品だった。


11/01/14
福澤徹三「Iターン」(文藝春秋'10)

 ホラーや実話怪談を片側で得意としつつ、『すじぼり』で第10回大藪春彦賞を受賞した福澤氏による、『すじぼり』側に近い長編作品。『別冊文藝春秋』第281号から第287号にかけて発表された作品を単行本化したもの。

 大手二社の遙か後塵を拝する同族系の広告代理店に勤務する中年男・狛江。東京にマイホームを購入し、二人の子供もそれなりに育ったが、会社の業容が怪しくなってきてしまい、営業としてそれなりの業績を残していたにもかかわらず、部下が二名しかいない北九州市の支店に転勤、単身赴任させられてしまう。本社は業績次第でこの支店を狛江ごとリストラしようと待ちかまえているなか、狛江はセンスの悪そうな地元の印刷業者との取引を一方的に打ち切り、営業活動に奔走する。狛江の会社を相手にしてくれる大手企業などなく、サラリーマン金融を始めとしたもっぱら中小企業のみだ。そんななか取引を狛江の意向で一方的に打ち切った印刷会社による陰湿な仕返しを受け、ヤクザの経営する会社のチラシでミスが発覚。すごむヤクザの勢いに負け、本社にも報告できないまま狛江は個人で三百万円の借金を背負ってしまう。さらに対立する組織も交えてハメられ、なんの拍子か岩切組の組長と杯を酌み交わしてしまう。(借金はそのまま)。なんとか、打ち切った印刷会社を再び取り込んでバックマージンで返済をしようとするものの、金額が足りず、週末はヤクザの事務所の電話番を手伝うことになってしまう。少しずつ仕事に馴染み、一回目の返済に準備した現金ごと、狛江はまた対立する組と、その組と手を組んでいる悪徳刑事の罠に落ちてしまい、岩切を裏切ることになってしまう。

主人公のちょいしょぼ加減が絶妙。サラリーマンの他人に明かせない「苦悩」の匙加減も巧い
 いろいろ語弊はあるが「どうしようもなく安い」人間を描くだけならば、戸梶圭太氏の方がうまいかもしれない。ただ、福沢徹三氏の場合は「どうしようもなくしょぼい」人間を書かせた場合のリアリズムは、現在の日本でも屈指かと思う。 最初からあまり恵まれてなくて、だけどその出来る範囲のなかでは結構それなりに頑張っている。プライドも自尊心もある。最初は向上心だって持っていた。だけど現在の境遇としては閉塞感に包まれている――といったタイプ。ちなみに本書は、一般小説というべき作品であるが、福澤氏はホラー・恐怖小説モードであっても、その「しょぼい」主人公にまつわるリアリズムを堅持していることが多い。
 もちろん本作でもその才能は遺憾なく発揮されている。財布を妻に握られ単身赴任している主人公の、妻子からの無視され度合いのひどさ。三百万円ならなんとかつまめても、もう三百万円追加されるとどうしようもないという、設定金額の微妙なバランス。更にヤクザ家業とサラリーマンを双方継続するためのぎりぎりのワークライフバランス(言葉は違うけど)。
 もちろんエンタメとしての物語性を裏打ちする、ヤクザ業界と広告業界の深い理解や、さらにはここのところの不況のみならず地方都市ならではの微妙に景気悪い雰囲気に至るまで、紙の上に行き届いたかたちで表現されている。
 なんか作品ディティールばかりを強調してしまっているが、特に取り柄のない中年サラリーマンが、知らず知らずのうちにヤクザのやり方を取り入れながら、ぎりぎりのところで踏みとどまり、成功するというストーリーは、良い意味での荒唐無稽さに溢れ、どこか読者の元気を誘う。 この荒唐無稽、結局のところ細かなディティール、現実に繋がる部分がしっかりしているからこそ。あり得なさそうな展開にきちんと説得性を持たせるところはいい仕事です。

 まあ、こういう細かいことを考えずに素直にストーリーを楽しみながら、中年男の復活と再生に喝采を送るのが正しい読み方か。単身赴任も悪いことばかりじゃない(ということなのか)。個人的には昔住んだ街を少し思い出し、懐かしく思ったところもあり。


11/01/13
道尾秀介「月の恋人 〜Moon Lovers〜」(新潮社'10)

 2010年5月にフジテレビ系列で放送された同題作品(主演:木村拓哉)の原作。(題名はテレビ側が付け、道尾氏が合わせたという)。但し、内容は重なる部分、重ならない部分、登場人物の名前は同じだが設定が違う部分等々、別の物語と解釈するのが妥当か。

 派遣で建設会社に勤務するOL椋森弥生は、長年交際していた、だらしのない彼氏のだらしない嘘に愛想が尽きる。彼をひっぱたいて別れ、何もかもリセットするため休暇を取って中国・上海に向かった。上海では豪華ホテルには宿泊できず、愛想の悪い女主人が経営する小さな宿を根城にうろつき回る。その女主人が誕生日を迎えることを知った弥生は、中国のケーキ屋で悪戦苦闘しバースデーケーキを購入しようとしていた。その彼女の言葉をフォローしてくれた日本人男性がいた。弥生は知らなかったが、彼は、急成長中の家具メーカー「レゴリス」の若社長・葉月蓮介。目的達成のためには非人間的な人事も厭わない彼の神経を、長年勤めている番頭格や、右腕的存在の部下は支えつつも心配していた。レゴリスは新たな展開をするにあたり、広告モデルとして全くの新人の登用を検討していた。そんな彼らの目に止まったのは、レゴリスが買収した中国の工場に勤務していたリュウ・シュウメイ。しかし、彼女は連介らの誘いを一貫して断っていた。しかし、そのシュウメイ、強がっていても貯金はなく、さらに泊めてあげた友人にお金を持ち逃げされ、子供の頃に日本に渡って離ればなれになっている父親のところに行く決心をする。父親は料理店を経営して成功していると電話では話してくれていたのだが、実態はゴミ収集を生業とする敗残者だった。シュウメイは、レゴリスに連絡を取り、モデルの仕事を引き受けると告げた。シュウメイの登場するCMはあっという間に評判になる。

ドラマとはまた異なる「月恋」。物語の重さも他作品に比べればかなり軽く、入りやすいか
 道尾秀介の作品をある程度読んでゆくと、必ず物語のどこかには傷ついた魂と真っ向からぶつかりあう場面があることに気付く。それが、どういうかたちで登場するかはもちろん作品によって異なるのだけれど、読んでいてかなり「重い」ことは事実だ。ミステリとしての大きなサプライズ、深い物語性といった付加価値が大きく、多少「重い」場面があろうと、やはり作品として面白いので次から次に出る作品を、つい手に取ってしまう。ただ、どんな道尾作品でもこの「傷」にかかわるところ、読んでいて「ずん」と来る。
 はっきりいってしまうが、本書、この『月の恋人』においては、その「傷」は非常に小さい。 ないとは言わないが、これまで道尾氏が各作品にて取り上げてきた深い傷、悲惨な傷に比べると、実にあっさりしたものだと思う。(実際は、幼い頃に生き別れた父親が長年嘘を吐き続けていた、なんていうのは軽くはない。しかし他の作品での重さはこの比ではない)。
 ドラマを視聴していないので違うと断言出来ないものの、本書の恋愛場面もまた軽い。せいぜい「ちょっと気になるあいつ」「惹かれる氣持ち」程度で、どろどろした愛憎劇もない。愛憎は、蓮介の従業員や取引先に対してあまりに早急に結果を求め、人間性のない判断をする部分の方がきつそうだ。
 ただ――従来の道尾作品との違いばかりを強調してしまったが、そこはそれ。物語の回し方、意外性の(ミステリとしてではないけれど)演出手法、「はっ」とさせられるような人間描写、道尾秀介らしさまでが消えてしまっている訳ではない。軽い作品であるからこそ、その「傷」以外の道尾作品の良さが滲み出ている感じを受けた。

 リハビリ用、とか決めつけるのも良くないが、他の道尾作品を読んで、その重さに打ちのめされている人のお口直しとかに良いのではないかと。もちろん、一連の道尾秀介バイオグラフィーの流れのなかで読むべき作品であることも間違いないが。


11/01/12
霧舎 巧「新・新本格もどき」(光文社カッパ・ノベルス'10)

 同様に新本格第一期の作品を「もどいた」『新本格もどき』の続編となる連作集。『ジャーロ』二〇〇八年秋号から二〇一〇年夏号にかけて掲載された作品に加え、自作パスティーシュを書き下ろしている。

 前作から引き続き、記憶を失っている私立探偵・吉田さん。彼は流行らない天ぷら屋に呼び出されマスターと呼ばれる店主や、店に現れた若い女性や、中年男たちが演ずる本格ミステリの「ごっこ」に付き合わされる。話を合わせていくうちに、彼らの意図したものとは異なる犯罪が発生……謎解きの必要が生じてしまう。今回は女性だけの新興宗教教団、なかでもドクター・オーガなる人物が黒幕として各事件の背後に存在するようなのだが……。
 二階堂黎人氏の「二階堂蘭子」シリーズもどき。元の題名は「人狼城の恐怖」 『人狼病の恐怖』
 森博嗣氏の「S&M」シリーズのもどき。元の題名は「すべてがFになる」 『すべてがXになる』
 北村薫氏の「覆面作家」シリーズのもどき。元の題名は「覆面作家は二人いる」 『覆面作家は二人もいらない』
 西澤保彦氏の「チョーモンイン」シリーズのもどき。元の題名は「念力密室!」 『万力密室!』
 芦辺拓氏の「森江春策」シリーズのもどき。元の題名は「殺人喜劇の13人」 『殺人史劇の13人』
 麻耶雄嵩氏の「烏有」シリーズのもどき。元の題名は「夏と冬の奏鳴曲」  『夏と冬の迷走曲』
 霧舎巧氏の「《あかずの扉》研究会」シリーズのもどき。シリーズ名の副題。 『《おかずの扉》研究会』 以上七編。

真面目過ぎる創作姿勢が裏目? 敬意が強すぎて読み物としての弱みがあるのがもったいない
「もどき」すなわち「擬き」。改めて調べてみるに「名詞の下に付いて、それに匹敵するほどのもの、また、それに似て非なるものであるなどの意を表す」んだそうだ。新本格第二期を代表する各作家のシリーズ作品を「もどく」ミステリ、心意気や良し! ――なのだが、読み物としては残念ながら微妙というべき作品集となっている。
 霧舎巧は、基本的に本格指向の強いトリックメーカーである。なので、このシリーズ作品の雰囲気、単語、文体を真似た(パロった、という方がイメージは近い)世界のなかで、きっちりと「新たに考えられたトリックをベースにした」ミステリを遂行しようとする姿勢そのものには真摯な氣持ちが伺える。その一方で、このシリーズには宿命的な遊びの要素、すなわち、探偵役が記憶喪失になっているのを周囲が「ごっこ」をすることで、その記憶を取り戻そうとしているという設定が加わる。連作集を通じて同一の主人公及び関係者を登場させるという意図のなかではこの設定自体は、慝くないアイデア……だった。この二冊目になって、その設定が、かえってくどく感じられるようになった。さらに本書を貫くもう一つの設定、一連の事件の黒幕には「ドクター・オーガ」なる人物が存在し、裏で糸を操っているというものが、加わって「くどさ」が倍増。事件は複雑だわ、登場人物は多いわ、事件が発生しているのは、記憶喪失のための「ごっこ」なのか、現実の事件なのか。読んでいて頭の中で整理しきれなかった。そもそも場面が浮かんでこない。
 昔とはいえ原作は全部読んでいて、もどかれる全キャラクタを把握しているはずの自分ですらこうなのだから、探偵役を知らない読者はついてゆけないだろうなあ、とか思う。ああ、でも、そもそもそういう読者は読まないか。
 先に述べている通り、ミステリとして非常に取り組みが真面目である。なのでトリックとしては目を瞠るようなユニークなものもある(『万力密室!』とか)のだけれども、それも短編としてみると、そのトリックは物語の難解さに霞んでしまう印象だ。
 「もどき」でありながら「本格ミステリ」に、いや新規のアイデアがこもった力一杯の本格ミステリにまでする必要はなかったのではないだろうか。 このシリーズそのものは好きなのだけれども、やはり読み物としてのわかりやすさが大前提だと思うのだ。

 それはそうと、森博嗣までは来た。ここまで来ると、「新・新・新本格もどき」の予想ラインナップは講談社ノベルス系で、京極夏彦、篠田真由美、高田崇史、清涼院流水、西尾維新、それに是非、ここに石崎幸二大先生を加えてもどきましょう! 霧舎センセ!


11/01/11
東野圭吾「白銀ジャック」(実業之日本社文庫'10)

 新たに2010年に開始された実業之日本社による文庫がその名の通り「実業之日本社文庫」。その創刊ラインナップにおいて鳥羽亮や堂場瞬一らと共に最大の目玉となったのが、当代の人気作家の「文庫書き下ろし」となる作品である。この『白銀ジャック』もまたその一冊で発売開始後、あっという間に百万冊を突破、実業之日本社の会社全体においても過去最大のヒット作品となったのだという。

 近々国際的なスノーボード大会が開催されるなど、ウインタースポーツ逆風のなかでもそこそこの経営実績を上げている「新月高原スキー場」。索道部の主任として働く倉田は、会社に対してメールによる脅迫状が届いたことを知らされる。地球温暖化の責任を取れというものだったが、スキー場に対して三千万円を要求してきていた。要求を呑まなければ複数あるゲレンデのどこかに仕掛けた爆弾を爆破するというのだ。倉田は警察への通報と、スキー客を避難させるよう上層部に訴えるが却下され、身代金が支払われることになってしまう。ゲレンデのパトロール隊に所属する根津、そして藤崎絵留を巻き込んで、爆弾の可能性を確認、根津が運搬役となって身代金をゲレンデに放置するが、死角をついて何者かが奪取に成功する。しかし、犯人は幾つか「爆弾を仕掛けていないゲレンデ」の情報を寄越したものの、続いての情報に再び三千万円を要求する。かつてスキー場で発生し、現在はゲレンデ一つを封鎖するに至っている人身事故の関係者、スノボの大会に出場するつもりでスキー場を訪れている千晶と二人の従兄弟ら、果たして誰が事件を動かしているのか――?

スキー場全体が人質という大事件。緻密な事件構成と齟齬とが生み出すサスペンス、そしてたっぷりのリゾート感覚
 東野圭吾の小説家としての円熟味、そして巧者っぷりが濃縮されたような作品。ひとことでいうと様々な読者層全てを満足させられる間口とクオリティを兼ね備えている作品――ということになるか。恐らく作者本人も自覚的だと思うのだが、東野圭吾の初発表の長編がいきなり文庫で刊行されるというセンセーションからは、フィルター抜きで多くの読者の目に留まるであろうことは事前から予測される。コアの東野ファンやミステリファンはもちろん購入するだろう、しかし多くを占める読者はミステリプロパーなどではなく、軽めの読書愛好家だと思われる。
 まず物語。誘拐犯のとんでもない要求、不可能状況での身代金略取、犯人が存在し得ない状況といった本格ミステリ的興味を惹く部分を用いながらも、実質のところの構成としてはサスペンス。 ページを繰るごとに新たな不思議が、新たな展開がテンポ良く進んでゆき、読者を選ばず物語に没入させてくれる。また、会話文の構成や文章そのものといったところ、さりげないながら非常に平易で読みやすく出来ている。特に文章に癖も個性も感じさせないのだが、その分、「物語」がダイレクトにどんな読者にも伝わってくるのだ。登場人物の人数も適正で個性もうまくばらけている。その結果、レッドへリングから犯人、探偵役といった人偏関係についても過不足無し。そもそもが、こういった初心者〜一般読者層への配慮が隅々まで行き届いている作品なのだ。
 一方で、本書の場合(ネタバレ)大きな事件の黒幕が存在し、それを別口の犯人が掻き回した結果を、主人公グループである倉田・根津・絵留らの視点で描くという形式になっている。冒頭から中盤にかけて発生する不可能状況にもきちんと先の理由があって現れている。手掛かりが百パーセントは開示されておらず読者によるパーフェクトの推理は難しいけれども、構成上重要な部分についてはきちんとさりげなく伏線が張られている。関係者が非合理的な動きをするではなく、きちんとした犯罪計画(?)があっての事件であるだけに、論理性、整合性といったところも高く、設定や筋書きに隙がない。 なので、本格ミステリファンが読んでも納得ずくで一定の面白さが得られるものと推察する。というか、オレがそうだったのだけど。

 百万部という数字にも納得できるエンターテインメントとしての良作。この部数が捌ける作品であえて東野氏が自ら趣味とされているウインタースポーツを主題に持ってきたという点、微妙に関係者へのエールにもなっているかも、というのは穿った考え方になりましょうか。いずれにせよ機会があれば普通に幅広い範囲の読者に手にとって貰いたい作品です。