MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/02/10
古野まほろ「群衆リドル Yの悲劇’93」(光文社'10)

 第35回メフィスト賞を『天帝のはしたなき果実』で受賞、このデビュー作から連なる天帝シリーズが若い本格マニアからカルト的人気を博している古野まほろ氏。デビュー作の分厚さに臆しているうちにあれよあれよと続編が刊行され、ムーヴメントに乗り遅れたまま現在に至っていたのが、恥ずかしながらようやく手に取りやすそうな作品が刊行されたので読んでみる。

 高校時代にひょんなことから世界的ピアニストである八重洲家康と同じ高校にいたことから、なぜか交際している渡辺夕佳は現在、元高校生というか浪人生。イエ先輩こと八重洲が通う東大を目指して勉強中の身である。そんな一介の浪人生に”夢路亭”への招待状が届く。何かの間違いかと連絡を取ってみるが本物だという。条件として一人ではなく恋人のイエ先輩を連れてゆくことを認めさせ、二人は信州にある館へと向かった。そこにはマスコミ関係や探偵、官僚ら八人の人物がいた。使用人も最初はいたがいつの間にか姿を消してしまい、彼らは、それぞれ一人一人が過去に起こした犯罪を断罪された。誰が何のために手の込んだ方法でこのシチュエーションを設えたのか。雪のなか通ってきた橋は爆破され、マザーグースの「ロンドン橋落ちた」の歌詞に従った奇妙な連続殺人の幕が上がる。

「新本格」と「古典本格」を複数煮詰めて結晶を取り出したら異形本格になりました
 古野まほろという作家には熱心なファン(崇拝者?)が多くいて、それぞれが熱心に分析をなさっているようだ。読んで最初の作品からそのような読み方はさすがに出来ないので、率直に雑感というか感想を並べてみる。以下、他の作品含めての分析の流れのなか、的外れであれば冷笑して無視してもらえればと。

 「Yの悲劇'93」という副題があるが、クイーンというよりも、有栖川有栖『月光ゲーム』へのオマージュのイメージ。一見無関係な老若男女が、『そして誰もいなくなった』よろしく、それぞれが別の理由で僻地に集められて、序盤にちょろっと歓待されたあとにいきなりそれぞれが罪について何者かによって糾弾・断罪されるという展開。マザーグース「ロンドン橋落ちた」の見立て、密室殺人、瞬間人間切断に被害者がそれぞれさまざまなかたちで残す「Y」のダイイングメッセージの謎……と、あえてガジェットを数多く詰め込んだと思しき展開、それぞれの要素が利用され、次々発生する殺人に込められた(弄された)様々なトリック。不可能趣味もなかなかのもので、ある程度本格のトリックは大抵網羅しているつもりでいる身にして、どのパターンなのか読めない事件もいくつか。  それらのトリックが明かされてみると、「新本格」ではなく「古典探偵小説」のオマージュとなっているところはユニーク。 ただ、一つの長編作品に別の殺人とはいえ複数のネタを詰め込む展開は読んでいて忙しすぎる。が、これもまた良い悪いは別にして、作者の狙いではあるのだろう。
 一方、天才ピアニスト兼探偵役(?)と、その相方であるどこにでもいる(?)元女子高生がワトソン役を務めるというコンビのやり取りはラノベ、ないし昔ながらの恋愛青春小説風で非常にユーモラス。また、連続殺人をパターンの異なる不可能犯罪と共に演出し、そのピアニストの特徴を活かし、きっちり挿入してきた伏線をもまた使用して論理にて犯人を導いてゆく、作者が探偵役に与えた段取りには感心した、というか「濃すぎる」と思ったけど。読者の呼吸に合わせるのでは なく、作者のペースに読者を合わさせる作家という感想を抱いた。
 事件それぞれの外観や現代版吹雪の山荘など、ここいらからは「新本格」からの影響を強く感じるし、間違いなく意識がなされている。例えば新本格ミステリの参考文献は古典ミステリになるのだが、本作では古典も新本格も(ついでにいえば島田荘司も笠井潔も)「参考文献」にされているように感じられた。そして、多数の殺人事件がある程度終盤を迎えたあとにスピード解決(但しタイミングではなく謎解きそのものに割かれる時間が)されるところ、そこには誰の(先人の)影もが感じられない。 かといって奇妙な事件は事件だし、論理的な解決は解決だし、本格ミステリであることは間違いない。むしろ「凄い」と感心するレベル。そこまで間違いないのだが、これまで本格として小生が考えてきたミステリ群と重なるかというとちょっと違う気がする。そう「異形」と冒頭で申し上げたのは、その違和感を指したものだ。
 あくまで印象だが、犯人当ての趣向を挿入していながら、作者の目線は読者に向けられてはいない。この趣向は完成度高いミステリをものにした自分自身に対する区切り、そして多少第三者向けのアピールがあるとするならばオマージュを捧げた先、有栖川有栖氏に向かっているように感じられる。

 いろいろな噂から危惧していた程読みにくいことはなく、登場人物への個性付与も月並みなれど十二分。独特の話術についてもまあ、ついてゆけないことはない感じ(妙な言い回しだけど)どうやら舞台がパラレルワールド日本らしいので、時代考証的なミスはキャンセルされるということか。真犯人が被害者を特定した理由と設備、また真犯人の年齢と犯罪との ミスマッチであるとか、微妙なところには違和感もあるのだが、それもまたこの世界では「あり」ということになるのだろう。とりあえず感想は以上。あくまでこの作品のみから感じられるのは博覧強記と独自性高いアイデアと高い思考能力を作者が持っていること。ただ、それが素直に読者にエンタメを与える能力なのかという点に関してはこの一冊での判断は保留とさせて頂く。
 小生のように「古野まほろ」初心者にはボリュームといい、内容といい入門編として良いのではないでしょうか。


11/02/09
石崎幸二「記録の中の殺人」(講談社ノベルス'10)

 講談社ノベルスが2010年11月に、女子高生フェアとして刊行されたうちの一冊、とか書くと誤解を招きそうだが事実だ。石崎氏にとってのデビュー作にあたる第18回メフィスト賞受賞作品『日曜日の沈黙』以来、一貫して続いているミリア&ユリ(&仁美&石崎)シリーズ……というか、櫻藍女子学院高校ミステリィ研究会シリーズの七冊目。

 女子高生を集中的に狙うシリアルキラーが日本を震撼させている。埼玉県の産廃投棄現場のコンテナから五人の女子高生の遺体が発見された。遺体は全裸、そして左脚と左腕が切断された状態だった。彼女たちには「同じ誕生日」という共通項があり、それが殺人鬼の動機かと思われたのだが、続いてまた女子高生五人分の他殺死体が発見され、今度はうち一人しか、前五人と同じ誕生日の人物はいなかった――。首都圏の高校生のなかには「シリアルキラー」からの疎開という名目で地方に行く人もおり、ユリとミリア、そして仁美もまた、そんな背景から疎開した友人・結花が一時的に滞在しているという新潟県にある孤島・深角姿島に誘われる。引率役としての石崎幸二を連れて島を訪れたミステリィ研究会の面々。結花の祖父は国会議員の天羽総治朗で結花の父親・総一は、その秘書。総一には内縁の妻がおり、結花と、結花の兄もその島に滞在していた。そして当然、結花とその兄が殺害される事件が発生して……。

ミリアとユリのいつものテンション、凹む石崎。しかしこのミッシング動機、なかなか深いぞ
 序盤にシリアルキラーが跳梁し、遂にミステリィ研究会も、こんな偉く危険極まりない犯人と対決か――と思いきや、とりあえずは彼女たち世界に発生した「背景」として用いられる脇筋のストーリー。なんと島に行く理由に「本土が危険だから」という疎開という理由を引っさげて、そしてこのシリーズのお約束、ある意味B級ホラー映画の被害者の如きワンパターンで、彼女たちはまたまた「島」を訪れる。(長くこのシリーズを読むに、この「島」という点は重要だと思う。)島フェチ。
 そして、戦隊ヒーロー物クラスのワンパターンで、彼女たちは「連続殺人」に巻き込まれる。 はい、絶海の孤島! 連絡不可能! 警察倒着困難! 科学捜査不可能!
 まあ、元々の家族が島で過ごす理由、さらに退屈から友人を呼び寄せるというパターン、このシリーズでは「またですか」に近い(少なくとも島に出向くという意味では)手法ではありますが、現実とのぎりぎりの接点をつけてあるところが本作の小さな意味での強み。(逆にいうと、かなり無理無理ではある)。更に、招いた側ばかりを被害者にした連続殺人。不自然だよなあ、という点は間違いなく(たぶん)作者も承知。

 本作の勝負はここから。
 真犯人についてはミステリィ研究会に動機がない以上、島にいる人数からしても引き算で用意に想像がつく。語られるべきはその人物の動機。 なぜわざわざ外界からミステリィ研究会を呼び寄せた日に事件が起きたのか。はい、ここで生きてくるのが、島に疎開という理由だけにしては序盤から派手過ぎる事件を連発させているシリアルキラーの存在。こちらの無軌道のようにみえる執拗で残虐な殺人事件が持つ意味を、限られた被害者情報などからこちらもミステリィ研究会が安楽椅子探偵状態ながら推測、解き明かしてゆく場面がまずあり、それが知的なスリルをかきたてる。
 そして、どう考えても孤島の家族連続殺人と、無差別女子高生殺しのシリアルキラー、ちょっと共通項などリンクが無い(殺人は別)ようにみえるところに、思わぬ繋がりが! というのが最大の本書のキモ。 かなりあからさまにヒントが出されていたにも関わらずそれを使うかっ! この驚きが心地よい。

 実は、事件そのものも一旦退いて冷静に眺めるに、後味良い訳ではない。ミステリィ研にとってもかなり近しい人物の死だ。だけれども、このミリアとユリの元気さと、石崎に対するSっぷり(ないし石崎自身のMっぷり)が作品そのものに上品ではないけれども親しみやすいユーモアが加わっており、緊張緩和に成功している。これはシリーズ通じていえることだが、この大いなるマンネリズムは、長いこと続けていって欲しい。今後、石崎がいきなり結婚してしまうとか、そういう意外性も有りですが。(有っても夢オチにされそう。可哀想な石崎)。


11/02/08
岡嶋二人「ダブル・プロット」(講談社文庫'11)

 岡嶋二人、最後の最新刊というコピーで発売された文庫オリジナルの作品集。1989年に、講談社文庫オリジナルで刊行された『記録された殺人』というノンシリーズ作品集をベースに、単行本未収録の三短編を増補して、改めてオリジナル短編集として刊行された。『こっちむいてエンジェル』『眠ってサヨナラ』そして表題作『ダブル・プロット』が追加作品。

記録された殺人』の既収録作品のあらすじが必要な方はリンク先にてご確認願います。『記録された殺人』
 編集者・入江伸子の担当する小説家・辻村園子。彼女がテレビ番組で人生相談を持っていることから、無理に若い女性が押しかけて来るのに伸子は出くわす。不倫相手の赤ん坊を抱えた元OL・古橋牧子の相談だったが良い案などは無い。その牧子の死体が見つかった、殺害された疑いが強いという報が警察から入るが、抱いていたはずの赤ん坊の行方が分からないという……。 『こっちむいてエンジェル』
 前担当・君原真由美が不慮の交通事故死を遂げたため、雑誌の『舞台考証』というコーナーを引き継ぐことになった入江伸子。挨拶のため関係の深い旅行会社を尋ねると担当の女性課長が会議中に倒れ、救急車で病院に運ばれたところだ という。更に警察が伸子のもとを訪れ、検死の結果、真由美が睡眠薬を服用していたことが判明する。時間的に服用したのは直前の打合せ先である旅行会社としか考えられない……。 『眠ってサヨナラ』
『バッド・チューニング』『遅れてきた年賀状』『迷い道』『密室の抜け穴』『アウト・フォーカス』
 二人一組で小説を書いている僕たちのところに新聞記事を題材にしてミステリーを複数の作家に書かせるという話が舞い込んできた。しかも『小説現代』ともう一誌別のところから、時期をずらしての依頼、さらにそのネタとなる新聞記事は江の島で起きた心中事件と全く同じものだった。依頼された作家は錚々たる顔ぶれのなか重なるのは岡嶋二人の一人(?)のみ。果たして、この二重の依頼の裏側にはどんな意味が隠されているのか? 相棒は嬉々として推理を開始した。 『ダブル・プロット』 以上九編。

ミステリとしては一歩引き。それでも軽妙洒脱な語り口は紛れもなく岡嶋二人。それを素直に喜ぶべし
 もともと講談社文庫オリジナルである『記録された殺人』自体、推理作家協会賞候補作品を含む岡嶋二人の単行本未収録短編集という位置づけ(なので普通より一作品少ない六作)だった。三編を付け加えた再編集版、この『ダブル・プロット』に付けられた「最後の最新作」というキャッチコピーの意外性ある響きが(作者自身が作ったコピーじゃないとは思うけれども)、そのまま岡嶋二人らしいと思われた方も多いのではないか。
 岡嶋二人に外れなし、が個人的持論。 持論ではあるのだが、外れていないまでも当たっていない作品もあるのだなあ、と少し気付いてしまった。今回増補された三作、残念ではあるが率直にいって、ミステリとして純然に評価する段にはこれまで発表されてきた短編と比しても少々落とさざるを得ない。これまで単行本未収録というのもまあ、むべなるかな(でも確か、かつてe-NOVELSで読めていたんではなかったっけ?)。

 でも、いーのだ。岡嶋二人なのだ。

 全部読めることに意義がある。(なので普段は買わない『IN POCKET』を岡嶋二人 補完のために買いましたよ。これで安心して眠れるというもの)。女性編集者の入江伸子を主人公とした二編、『こっちむいてエンジェル』『眠ってサヨナラ』には続編の構想もあったようだが、あまり個性のない彼女にそう魅力が感じられない。(これもまあ、他の岡嶋作品のヒロインと比してだけれども)三作のうち、岡嶋二人らしさがもっとも強く出ているのは『眠ってサヨナラ』になるか。睡眠薬を使った故意による事故なのだが、もともと交通事故死を狙ったものではなくもっと卑近な目的だという点も盲点だし、そこを明らかにした後に少なくともどんでん返しを付け加えている。現代ではむしろ違和感のない女性課長という存在は、この発表された時代では相当先端だったことが文中から伺えるところも面白い。
 また、『ダブル・プロット』は、楽屋落ち的な小説展開はあまり高く評価できないものの、話題作として興味深く読めた。というのは、これは小説雑誌における同一テーマ競作なのだが、岡嶋二人以外の参加作家のうち、二人、將}道夫と海渡英佑の作品は先に読んでいたから。(まあ偶然だけど)。ただ、その二人の作品にしても、そうめちゃくちゃ面白かった記憶がないところは問題だけど。

 『記録された殺人』の六作は普通に面白いし、増補された三作も岡嶋二人は岡嶋二人。やはり、ファンは読むべきだと思うので、買うべし。ちなみに初版では、作品集のオリジナルを『記憶された殺人』とした誤字があるので、大ファンは初版と再版を双方買いそろえるべし。


11/02/07
伊坂幸太郎「マリアビートル」(角川書店'10)

 『グラスホッパー』の続編、というよりも遠い親戚にあたる長編作品。書き下ろし。同作の主人公として活躍した「鈴木」や、幾人かのキャラクタが重なっている。ただ、物語の主導権を握るのは別人物なので続編とは少し違う印象だ。2010年の年末のミステリランキングでも高評価を得ている。

 かつては殺しを含む荒っぽい「仕事」をしていたが、アル中になりかかっていた木村。しかし自分がかかわった狡賢く謎めいた中学生「王子」の手によって五歳の息子・渉がデパートの屋上から突き落とされてからはアルコールを断ち、復讐を狙っていた。しかし木村は東北新幹線に王子が一人で乗り込むという偽情報に引っかかって拘束されたうえ更に入院中の息子の命が人質にされてしまう。その東北新幹線「はやて」には、盛岡に住む裏稼業界の超大物・峰岸の命令により、「蜜柑」と「檸檬」という名の腕利き殺し屋コンビが、あるところで保護した峰岸の息子と何かが入ったトランクを持って乗り込んでいた。その一人と一つを盛岡に運ぶ仕事だったのだが、少し目を離した隙に峰岸の息子は殺害され、トランクも奪われてしまい、窮地に陥る。トランクに手を付けたのは別の筋から依頼を受けた殺し屋「天道虫」こと七尾。上野駅でトランクを奪って降りるつもりが、かつて因縁あった殺し屋「狼」と鉢合わせして車内に引き戻されてしまう。

少し大きめの動く密室内部で行われる目隠し殺し屋大戦争。勘違いすれ違いの匙加減がお見事
 コントロールの妙味、か。それぞれ平凡なようでそれぞれ得意技のある殺し屋たちという存在自体が非凡だとは思うのだが、その一人一人の造形というか、キャラ立てが相変わらず見事に決まっている。(「王子」にしても、その「王子」につかまっている「木村」にしても、人を殺してきた人物であり、広義の殺し屋だし)。決して誉められる(倫理的に)存在ではないにせよ、それぞれが独特のユーモアを持ち、一番感情移入しづらい王子ですら、とことん一面的に憎みきれるような存在でもない(まあ、人によっては絶対に許せないタイプである可能性は高いが)。まずは、キャラクタの自立がしっかりしてこそ、彼らが複雑に絡み合う物語が活き活きとしてくるということ。
 更に、伊坂作品では、全てといっていいくらいに敷衍されている手法が本作でもきっちり採用されている。すなわち、序盤から中盤にかけて無駄話や細かな演出として張り巡らされた細かな伏線が、あとあとでじわじわ利いてくるところ。また、後々物語を左右するような重要な登場人物も序盤は読者にそう思わせず、思わぬところで人と人、モノとモノ、モノと人が繋がっていることを知らされ驚愕させられる、そのやり方。ある意味では伊坂作品のお楽しみはそういった伏線が繋がることでもたらされる得心というか妙味にあるといえるので、本作はその重要なお楽しみが最初から最後まで、あたかも新幹線の如きテンポとスピードと共に、全面的に存在しているといえる。
 また、繰り返しになるが殺し屋の個性がやはり強烈。これまた伊坂作品での重要なモチーフである、人間離れした人間の醸し出すユーモアが、全面的にキャラクタに存在(ある意味、木村祖父・祖母コンビすら強烈なユーモアを発するなんて、信じられますか?)、読んでいて微笑が途切れない。
 何よりも、東北新幹線が発車してから終点に到着するまでで、物語の後日譚や回想を除くと物語が完結してしまう。 かつて、東海道新幹線が開通した頃にはこういった趣向の作品は幾つか出ていることを思い出したが、それを「東北新幹線」でやるところに、仙台在住作家の意地というか決意が読み取れるように思うのはうがちすぎかな。

 『グラスホッパー』同様、しっかりしたエンターテインメントであり、そしてあえてエンタメに徹した内容でもあって、これは近年の伊坂作品とは異なり全く「主義主張」が聞こえてこない。ある意味、エンタメであること、それ自体が結論であるかのような作品である。「なぜ人を殺してはいけないのか」王子の問いかけに対する答えにしても、本作で辿り着くところと以前に某作で京極夏彦氏が主張していたところとが近しくて面白かった。最後はそこになるのかなあ。


11/02/06
蒼井上鷹「堂場警部補の挑戦」(創元推理文庫'10)

 2004年に第26回小説推理新人賞を『キリング・タイム』にて受賞しデビューした蒼井氏。氏の作品は2005年と2008年の二度、日本推理作家協会賞短編部門候補となっていいるが、その後口、2008年に候補となったのが冒頭にある『堂場警部補とこぼれたミルク』だ。その堂場が登場する四つの事件を扱った変格本格ミステリ作品集。

 学生時代から周囲の弱みを見つけては脅迫を繰り返していた男・矢木が事件の結果、意識不明となり、三年後に死亡した。矢木は脅迫ネタを記したノートを残し、死後に発表すると言い残しており、友人の古瀬や元カノらは事件の真相とノート探しを開始する。『堂場警部補とこぼれたミルク』
 対象者を監視中に居眠りをするという大ポカをした堂場巡査部長。これまでは帰宅してから妻の美知恵に相談すれば良い知恵が出てきて窮地を乗り越えることも出来たのだが。 『堂場巡査部長最大の事件』
 非番の日にパントマイムを習うために訪れようとした堂場が、相手先の場所を尋ねた家では、偶然とはいえ家人以外の人物が、現在進行形で殺人とその死体の始末を行おうとしていた。あれこれ理由をつけて堂場を追い返そうとするが……。  『堂場刑事の多難な休日』
 ミステリ作家を目指す兄は、既に作家として名があり、近所に住む青羽の飼い犬の鳴き声がうるさいため集中できないという。弟の私はひょんなことから青羽と知り合い、その家に入り込むことに成功するが……。 『堂場VI/切 実』 以上四編。

しかし、どうして短編それぞれ、こうもひねくれたうえに後味が悪い結末を考えつくものなのか
 承前。
 題名的にジョイス・ポーターのドーヴァー警部シリーズのパロディであることは流石に分かる。分かるのだが、同シリーズは恥ずかしながら未読なので、そちらを踏まえてのアプローチを含めたレビューは致しかねる、というか出来ないごめんなさい。なのでこの感想はあくまで「ドーヴァー警部シリーズ未読」の人物が書いたということです。

 にしても。

 どれもこれも、ひねくれている。物語も、トリックも。 例えば、四作を前から順に俯瞰するに堂場という人物の階級がどんどん下がっているようにみえるところなど、最初のひねくれの一つ。つまりは筋の通った連作短編集となっているのだが。それ以上に短編それぞれがまた困ったことに、一筋縄ではいかない事件、その、ただでさえややこしい事件に更に一筋縄ではゆかない解決を伴うため、全体としては二筋、三筋の縄ですら捉えきれない「気持ちの悪い事件」(この形容詞、そう的を外していない)に仕上がっている。
 それぞれ、仕掛けを語りたいが語ると即ネタバレという危険が。その意味では比較的素直なのが三作目の『多難な休日』か。いわゆる犯罪を犯人側視点から語る、倒叙もののバリエーションなのだが、追及する側が天然ボケ、追及される側の犯罪が現在進行形というひねりが加えられている。ここを説明するにしても多少ひねくれ加減が分かろうというものだろうが他の三作はこれ以上のひねりがある(としか言えねえ)。
 そして、なんというかこれは蒼井作品の多くにいえるのだが、ひねり過ぎた結果、物語として、関係者の人生として短編を眺めるに後味が悪く感じられる。 一旦、ある意味では平穏に決着したはずの解決をもう一ひねりするために、更なる悪意を背景に置く必要があったということになるからか。

 本格・変格ミステリとして常に、斬新で新しい試みが為されていること自体は事実として認めるものの、なんとなく第三者に無邪気にオススメできないように感じるのは、この後味ゆえ。物語を展開するトーンそのものにはユーモアもあるのに、なぜ結末でぞわっとした感覚を毎回味わわせてくれるのか。それはそれで好みもあろうが、蒼井上鷹メジャー化のためには、この点大きな壁になっているのではないかと思った。(余計なお世話かもしれませんが)。


11/02/05
貴志祐介「悪の教典(上下)」(文藝春秋'10)

 貴志祐介によるノンシリーズ長編作品。2010年のミステリランキングで高い評価を得、第1回山田風太郎賞を受賞、他に第144回直木賞、第32回吉川英治文学新人賞の候補に挙げられた。『別册文藝春秋』2008年7月号〈276号〉から2010年7月号〈288号〉が初出。

 東京の私立高校である、晨光学院町田高校で英語教師をしている蓮実聖司は、外国帰りの確かな英語と、対生徒やモンスターペアレンツといった学校が抱える様々な問題に対する解決能力とが、学校側首脳に高く評価されている。また、外観も良く生徒を引き込む授業と清濁合わせ飲む態度もあって「ハスミン」というあだ名と共に一部の女生徒が親衛隊を作る程の人気を誇っていた。しかし格闘技を含むスポーツに長け、頭脳明晰である蓮実の本質は、生まれた頃からずっと他者に対する共感を全く持たない情感欠けたサイコパス。自己に都合悪い人間を、殺人含め排除することに全く躊躇いの無い計算高い人物で、高いIQによって人間の感情表現を真似し、常に完璧な犯罪を実行してきた。この高校でも、生徒の美少女を愛人にするなど都合の良い環境を作るべく着々と手を打っていたが、さすがに一部の人間から疑われ始める……。

殺人淫楽症以外の、天才殺人鬼を描くという試み、なのかな
 個人的には貴志祐介氏の作品は大概の場合は高い評価をしてきていると思っている。のだが、本作に関しては肌が合わないのか、読んでいて波長が合わず何度も中断したうえ、読み通した結果としても決して高い評価はしづらいと感じていた。……のだが、蓋を開けてみれば世間的には高評価の連続。読み終えてすぐ書かなかった書評に再読して挑戦する。(ま、これはあくまで個人的事情)。
 さて。 貴志祐介氏の作品群を改めて振り返るに(語弊があるかもしれないが)、テンポ良くスリリングな物語展開、読者の心をつかむ構成に比して、実は人間描写という部分では一歩退くような印象に気付く。人間が描けていないなんて月並みの評論家用語を用いるつもりはないのだけれども、ストーリーの構成の緻密さに対して人間描写の深みは一歩譲る(高いレベルでの話ですよ、もちろん)という点はそう否定されないのではないだろうか。
 自覚的だったかはとにかく、本書の場合はその貴志氏の「癖」を逆手に取ってきたように思われた。というのは、普通の人間の殻を被り、人間の肉体を持ってはいるが、本質的に人間以外の「何か」である蓮実の描写が、逆にこの貴志氏の淡淡とした表現によって生きているように感じられたから。普通の感情のない人間に内面描写は不要(蓮実には凄い性欲があるけどね)であり、その人間離れした、エゴイズム剥き出しの反社会的論理性が強調される展開にあっては、この人間描写が足りないところが作品全体における長所に転換されている。

 ここまで文章量として分厚くする必要があったかどうかはとにかく、少なくとも「よくぞここまで」という程に完全犯罪が次から次へと描かれている。人に対する尊厳も何もなくなり殺人を合理的判断の内部に含めることができれば、ここまでのことが可能という描写は、人間社会に溶け込んで生きる人間型宇宙人――みたいなものを想像してしまった。ただ、この結果、血も涙もない、だけど完全犯罪が多数描写することができるようになっている。
 その仕上げが後半のジェノサイドになるのだが、それ以前の殺人にしても描写はそうグロくはないものの生々しいので、こういった展開に耐性のない方は、いくらランキング上位としても読まれない方が良いだろう。あと本作をサイコホラーとするのは間違いでは。(いくらたくさん人死にがあっても、これはサイコサスペンスだと思うのだけれど)。
 一般的に人間と人間とが命を賭けて戦う殺人ゲーム系の小説というのは多々ある一方、その動機というか設定という点はどうても荒唐無稽にならざるを得ない。(どうしても謎の巨大組織みたいな存在をでっちあげる必要が生じるから。この点については貴志氏作品であっても『クリムゾンの迷宮』あたりは弱点だと考える)。本作に関しては、その程度の(としか言いようのない)動機から、大量虐殺へと個人の考えのみで踏み込んでしまうところは注目できる点だ。一人、二人を殺害する動機としては従来も当たり前に使われてきたアイデアではあるが、これをジェノサイドの理由とするところに、本書の持つ底知れない悪意の一部があるように感じた。

 もちろん、いわゆるリーダビリティという意味では素晴らしく、内容の強烈さに比して軽く読めてしまう作品。思うに、本当の「悪」はハスミンであるのに、もっと頭の悪い「悪」を描写し、それを退治する姿を読者に見せつけているところがポイントということになるのか。それでも思わず「悪」の極北にある主人公に肩入れしたくなる誘導は、貴志祐介さんの真骨頂だといえるだろう。


11/02/04
鯨統一郎「タイムスリップ紫式部」(講談社ノベルス'10)

 『タイムスリップ森鴎外』から始まった「タイムスリップ○○○」シリーズも既に七冊目。講談社ノベルス初登場! として始まった時にはこんなにシリーズが続くとは正直思っていなかったのが、冊数を重ねるごとにこちらも慣れてきたのか、味わい深くなっているように思われる。書き下ろし。

 麓麗(ふもと・うらら)と同級生である女子高生・本間香葉子は、古文で「源氏物語」に関する授業中、教鞭の名の通り「鞭」を振るう教師の鞭を受けたショックでタイムスリップしてしまう。しかも飛んだ先は源氏物語の作者、紫式部の頭のなか。つまり香葉子は意識だけ現代人のまま、紫式部になってしまったのだ。式部の意識の残渣により、彼らの言葉などは理解できるものの、式部には夫がいるうえ、言い寄ってくる別の男のいる環境は、香葉子には刺激が強すぎる世界。そんななか権勢を振るっていた藤原道長が四阿の密室内部で死亡するという事件が発生した。当代の知恵者としてこの事件の解決は二人の才女に託されることになった。一人はもちろん紫式部であり、もう一人は史実では紫とは仲が悪いとされている『枕草子』の和泉式部である。しかし、よくよく話をしてみると和泉式部のなかには、同じくタイムスリップしてきていた麗がいることが判明。二人は平安時代に不自由しながらも、密室殺人の謎に迫ってゆく。

源氏物語に対する新たなアプローチ+なぜに密室殺人? ミスマッチにみえても意外な落としどころが
 刊行当時「女子高生ミステリー」フェアのなかの一冊として出ていた。確かに麓麗(ふもと・うらら)たちは、女子高生かもしれないけれど、本職はタイムスリッパーなのであんまり高校生活の描写とかは確か無かったような……という少し違和感があるが、ま、いいや。
 そして本作、これまでのタイムスリップシリーズ同様、相変わらずのノリ。というかノリノリ展開。ノリのうえ歴史上の人物の密室殺人(フィクション)を担ぎ上げ、さあ、これもその時代のなかで解き明かしなさいという趣向まで加わっている。と書くと、徹底的にふざけているのかというと、決してそこまでふざけてばかりいる訳ではない。(ふざけていないともいえないが)。
 古典としての「源氏物語」に関する原本の謎であるとか、内容に関する問題であるとか、きちんと触れるべきところは触れている。これは鯨氏自身の意見ではないのかもしれないが、光源氏の強引に過ぎる女性関係の結び方はよく考えてみると当時でもあっても異常なのではないのかといったところは首肯できる。また、藤原道長殺しというかなり適当と思われた殺人事件の真相に「これなら、ありかも」という紫式部側に立てば理解できないこともない(これで相手を殺害するかはとにかく)。その意味では、ッ全体的に荒唐無稽にみえてもタイムスリップ部を除くと、きっちり問いかけられた謎は「結」に繋げているといえる。

 どうしても、女子高生が平安時代にタイムスリップ! という段階で面白可笑しい展開も同時進行してしまうところは否めない。当時の風習に馴染めないことでいろいろ苦労するのは当然だし。ただ、本作はその「面白おかしい」だけで終わらない、歴史についてもピリっとした感覚が加わっているところは見逃すべきではない。やはり鯨統一郎氏は『邪馬台国はどこですか?』の作者でもあ(失礼)一筋縄ではゆかない作家であることを、読み終わると思い出さされる


11/02/03
佐々木譲「婢伝五稜郭」(朝日新聞出版社'11)

 装画が宇野亜喜良画伯の表紙に飾られた長編作品で、初出は朝日新聞出版『小説トリッパー』2010年夏季号〜冬季号にかけて短期集中連載。読了してから理解したのだが、著者のなかでの本書は、北海道民側から箱舘戦争を描いた、『五稜郭残党伝』『北辰群盗録』に続く「五稜郭三部作」の最終作とのこと。前二作読まずに本書を手にとってしまったが、問題無し。

 幕末から明治へと向かう維新直前の黎明期、官軍と旧幕府軍の対決の決着がつきつつある時期のこと。榎本武揚率いる旧幕府軍は「共和国建設」の夢を持つ同士らと箱舘に籠もって抵抗していたが、明け渡しを行った。しかし官軍は残党狩りに名のもと、箱舘にあった病院分院を襲い、傷病で療養していた兵たちを虐殺した。分院には医師を手伝う看護婦と して朝倉志乃がいたが、彼女の慕う医師が彼らの行為を止めようとしたがために殺されてしまう。志乃は分院を襲った武士を指揮していた一人を遊女に化けて膝の裏をメスで切って殺害した。志乃の行為は見破られ官軍の将校を女が殺害したということで官軍は色めき立ち、必死に逃走する彼女を追うが官軍の存在を忌々しく思う商人や外国人らが彼女を匿う。しかし、官軍側の追跡もしつこく、様々の偽の手がかりを使うことによって、外国人農場にてこっそり働いていた志乃は束の間の安堵を得ることができた。しかし、密告により彼女を最初に匿った商人が拷問死させられるに及んでしまい――。

中央とは真逆にみえても確かな信念に基づく地元史観。その説得力は高く、気高く、力強い
 近年であれば(小生の読書範囲でいうとだが)高田崇史氏あたりが常々提唱している史観というか、考え方というか。つまりは、史実はあくまでその後に正統となった歴史の主人公たちが編み出した「作品」であるということ。その背後には、語られぬ言葉のかたちで、中央となる存在に圧され、潰されていった少数部族・民俗・大衆の悲劇があったはずで、そこまで見通してこそ、歴史を知るということになるということだ。
 本書で扱われているのは、高田氏の諸作に比べると遙かに近世。明治維新前の出来事である。しかし、北海道出身の佐々木氏らしい、確かな「地元民視線」で、いわゆる五稜郭の戦いについてある意味、裏側から描いている。 つまりは旧幕府の残党を攻め滅ぼした後の明治政府となる官軍ではあるが、その裏側にかなり無茶な虐殺や略奪を行っていたという事実から、これは侵略でしかなかったという考え方や、旧政府が外国人に土地を長期間賃貸する契約をしたという日本の恥扱いされている事実も、裏返してみれば、双方に利点のある合理的取引だったのではないかといった、教科書的本土的見方とは相容れない解釈が加えられている。
 ただ、そういった反教科書的な解釈はあくまで背景に留めてしまい、主題は愛人を無慈悲に殺害された一女性による敵討ちという体裁となっている(しかも仇を討つのは最初の一場面、残りほとんどが逃避行)。か弱き一女性に対するとはいえ、仲間を殺害されて執念深くなっている強大な官軍は本気で追い込みをかけてゆく。それが全編に強烈なサスペンスを意識させる展開となっており、テンションが高いまま序盤から終盤まで一気に読まされてしまう。

 登場するアイヌ民族の扱い、官軍にしても一部将官と一部の無頼との扱い、外国人やその使用人、登場人物の扱い方が見事。また、ラスト近くの再決戦の場面にしても西部劇的で、素直に格好良く、また素直に手に汗握る。結末の扱い方も洒落ており、読み終わってなお心に残る「強い物語」であった。


11/02/02
柄刀 一「システィーナ・スカル」(実業之日本社'10)

 副題は「絵画修復士 御倉瞬介の推理」『時を巡る肖像』『黄昏たゆたい美術館』に続く、柄刀氏が擁する探偵役の一人、 美術修復士・御倉瞬介が活躍する第三作品集。『月刊J-novel』'09年2〜5月号、9〜12月号、'10年5〜8月号に発表された三作品に書き下ろし『闇のゆりかご』が加えられている。

 結婚のお祝いに、ということでボッティチェリの残した壁画の修復を依頼された瞬介。その壁画のモチーフはお祝い用とは思えないほど暗いうえ、その屋敷の誰もいないはずの離れに幽霊が出るという話が……。 『ボッティチェリの裏窓』
 初めてシスティーナ礼拝堂を訪れたシモーナの叔母が、瞬介が作業している天井方向にあるミケランジェロの『最後の審判』を見ると急に倒れた。彼女は人骨と思しき骨を握りしめていたが瞬介には、彼女にショックを与えたものが何なのかさっぱり分からない。 『システィーナ・スカル』
 瞬介が好意から、イタリアの大家である画家に、留学中の友人を引き合わせた。新進気鋭の画家だった友人・西木は尊敬していたその大家から罵倒され、それ以来激しく落ち込んでしまう。入院中の彼を見舞った瞬介だったが、彼は少しずつ元気を取り戻しているようにみえたが、突然不審な死を遂げてしまう。 『時の運送屋(カミオン)』
 殺された父の犯人として疑われた母は、直後に発生した地震によって生き埋めにされ、臨月を迎えて男の子を産んでそのまま亡くなった。彼女が穴を掘っていたと思しき道具は凶器だと思われたが。 『闇の揺りかご』 以上 四編。

世界に名を残す美術品が発する残す強烈なメッセージは、本格ミステリの謎が発する光と被る
 現在(過去の作品集)は日本在住の絵画修復士として活躍している御倉瞬介の前日譚の連作。
 若かりし御倉は独身で、イタリアにて絵画修復の修行中。そこで偶然の出会いから、現在は既に亡くなっておられる奥様と知り合い、夫婦生活を始めるまで、そして生活が開始された後の様子がそれぞれ時系列で、事件と共に描かれる。シリーズ作品の途中である、本作から読んでも全く差し支えはないよう配慮されている――のだが、これまでの御倉シリーズを読まれている方ならば、尚更興味を抱くであろう要素が本筋の事件以外にもいろいろとちりばめられているのは特徴として記しておくべき。
 そして、本格ミステリとして特筆すべきレベルのシリーズであり、三冊目の本作もそのクオリティは保たれている。ここまで二冊のシリーズ作品集中には、めちゃくちゃに感心させられる作品が必ず含まれていたのだが、本作の場合は表題作がそれにあたる傑作だ。『システィーナ・スカル』。 ミケランジェロ、システィーナ礼拝堂といった、誰もが目にしたことのあるはずの美術作品をモチーフに、ユダヤ人迫害といったかつての欧州の状況や宗教的背景などなどを絡めて来る。美術ミステリになっている一方で、妻となる女性の祖母がどこぞの人骨を握りしめたまま変死するという不思議な事件が発生。まず現実の、といっても過去の事件(動機と本格ミステリのミクスチュア)がそもそも柄刀氏らしい奇想に溢れているし、それと並行して描かれているミケランジェロの残した壁画にまつわる「ある事実」(謎というよりも)は、別の角度からずどんと脳味噌が撃たれるほどのショック。明らかに目の前にあるものが、これまで見えていなかった……)。

 美しく気高い、そしてこれが柄刀マジック。 「この作品から」という言い方はできないのだが、従来より本格ミステリとして高いオリジナリティと飽くなき克己心によって新たな世界を打ち出してきた柄刀氏が、着実に小説としても高みに近づいている印象だ。


11/02/01
古川日出男「TYOゴシック」(ヴィレッジブックス'11)

 『モンキービジネス』2008 Spring vol.1から同2010 Summer vol.10にかけて継続的に掲載された作品を単行本化したもの。ちなみに東京の夜景をモザイクで組んだ装画が超クール。内容とも微妙にマッチしている印象だ。ちなみに『モンキービジネス』は翻訳家で知られる柴田元幸氏が責任編集をしている文芸誌であり、この単行本と同じく株式会社ヴィレッジブックスが版元である。

 今回は非常に(そう掛け値無しに非常に)あらすじを紹介することが難しく、梗概をWebで表現できるボリュームですっきりまとめるのは小生の能力を超えていると判断。版元やネット書店に配信されている本書の紹介文を使おうとした――のだが。
 皆さん苦労されているみたいです。版元サイトからのコピペ「ほら、もうそこに怪物は立っている。/古川日出男が挑む、魔都TOKYO(TYO)の貌。/柴田元幸(英米文学)、木村榮一(スペイン文学)、野崎歓氏(フランス文学)の各氏絶賛。巨大都市東京の中でうごめく何かを、圧倒的な筆致で描く連作短篇集。これが日本発・世界文学の標準形(スタンダード)。」 うーむ。こちらは楽天ブックスやAMAZONに情報はなく(本は買える)、以下は丸善&ジュンク堂のサイトから。「これは、21世紀の鳥獣戯画。―柴田元幸 読者よ、耳を傾けるがいい、古川日出男の奏でる壮大な命のシンフォニーを。―木村榮一 『TYOゴシック』、なんと心弾む怪物との遭遇だろう。―野崎歓 古川日出男が挑む廃都TOKYOの貌。ほら、もうそこに怪物は立っている。」まあ、そういうことで。
『怪物たち』『果実』『鰓で呼吸する』『屋上霊園』『五十音順のゴシック T型のための抜萃版』『蝉の世界』『とても短い』『森よ、森よ』『T型フランケンシュタイン』 以上九編。

東京をテーマにしたファンタジーにして都市小説。難解、だがそれゆえに脳に直接響く
 一応、全体としてのテーマに統一感はあるものの、一つ一つの物語が分かり易いかたちで繋がっていない。途中の一部作品で緩やかな括りがかかっていなければ、全く別系統の物語のようにすら読める。というか、登場人物(人物ですらない)も、設定も、小説としての形式さえも別人が書いたかのような、古川流変幻自在の術(まあ、作家としてだけど)によって編み出されている。
 大変申し訳ないのだが、この作品を脳味噌で、つまり論理で理解するのは序盤の段階で諦めた。何か元ネタがあるのかもしれないし、無いのかもしれない。元ネタに見せかけた全く別の何かかもしれない。知ったかをすればする程ドツボに入るような気がする。なので。
 東京に怪物がいる。 銀座に。ふんふん。渋谷に。ふんふん。人を襲う、鏡が。冬眠。そうかこの我々が到達できない、別のTokyo(TYO)。TYOは、航空の国際線で東京を示す記号(から取られていると思う多分)。続いて果物の話。果物が突如、TYOで本来の果物とは異なる動きを始めた。侵掠すること水物のごとし(あ、うまいこと言った)。鰓呼吸する男と、その男を静かに深く愛する女。百科事典に蝉による蝉のための、蝉の生き様を描いた小説。蝉は脱皮する。怪物魔女天使OL。山羊たち。
 単純に生活しているだけの生き物、変革を求める人。東京都。二十三区だけではなく、伊豆諸島ほか島嶼部を含む「都」としての東京の拡がりと収縮を描く。 もちろんそのスケールと古川氏の頭のなかにある「それ」は、単行本一冊のボリュームで描ききれない以上、その断片が描く補助線含みで全体ということになる。なるのだが、その補助線がストレートじゃないんだな、これが。

 間違いなく都市小説ではあるものの、その味わいはほとんど幻想小説。 文章とイメージの奔流にたゆたううちに、古川日出男が本書で描きたかった「東京都」の姿が、ふっと見えてくる。そんな感じで読みました。ある程度は古川日出男がどんな作品を描くか知る上級者向け。正直に言って。