MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/02/20
大倉崇裕「白虹」(PHP研究所'10)

 大倉崇裕氏の隠し球として長年暖められていた『聖域』、中編集『生還』に続く、ノンシリーズ(たぶん)の山岳ミステリ。漢字二文字題名が大倉山岳ミステリの目印になるのかな。ちなみに『生還』収録の中編それぞれの題名も漢字二文字なのです。月刊文庫『文蔵』二〇〇九年十月〜二〇一〇年八月まで連載されていた作品に加筆修正して刊行されたもの。

 かつてある事件に関わったことから警察組織を不本意なかたちで辞めた五木健司。彼は人間との付き合いを避けるように、毎年夏場のシーズンのあいだ山小屋でアルバイトとして働いていた。五木は自覚のない観察力からくる独特の勘を持っており、たまたま一時的に下山しようとしている途中で、軽装の登山客が重傷を負っているのを発見する。山岳警察の米村がその男・名頃を救うが、名頃は登山は全くの初心者で何か訳がある様子だった。入院中の名頃を見舞った五木は、あまりに軽薄で剽軽な彼の性格に憎めないものを感じ取る。しかし、その名頃が、恋人だった奥村裕恵を殺害して自らも命を絶つという事件を起こしてしまう。自分が名頃を助けなければ良かったのか? 奥村裕恵の父親からも答えの無い問いかけを受ける五木。しかし、今度はその父親が病死してしまう。果たして一連の事件の裏側には何が?

山岳小説+警察小説。どちらも一歩引いた立場で遠慮する微妙なハードボイルド
 物語展開の上手さがまず光る。
 一般人にはあまり馴染みない、山小屋生活からスタート、その生活の紹介(?)絡めて、登場人物の個性がじんわりと伝わってくるエピソード。さらに主人公の「勘」によって、瀕死の登山者を救出してからの展開が急。まだまだ序盤であると思いきや次から次へと関係者が次々と不審な死を遂げてしまうという不可解さ、さらに何者かの影に怯えるような関係者たち、これまた身に覚えのないまま襲われる主人公。こういったサスペンスムードの籠もった雰囲気作りの上手さは抜群であり、いったん読み始めるとなかなか止められない。
 中盤まで明らかにされないものの何らかの過去の暗い経験を引きずる主人公と、彼とはまた別に触れられたくない過去を持っているらしい登場人物たち。不自然な明るさを持った名頃を含め、山男だからこう、ということはないのだろうが、みんな心の奥底に何かを潜ませていて、全体的に不安/不穏の霧が物語を覆っている。 その緊張感というか、テンションを常に維持するために、少しでもそれが緩みそうになると次なるネタ(殺人!)が読者に提供されていく。
 ある程度、風呂敷が広まったところで、ふと読者として不安になる。この一連の事件は、本格ミステリめいた謎解きで解き明かされるのか、山岳小説特有の一方間違えば命が無くなるような迫力サスペンスが解決してゆくのか。
 そういった部分に対し、全く予備知識無しに読み進めたところ、中盤でその両方とも違うことに気付いた。あえていえば、本格ミステリ要素も山岳小説要素も貪欲に取り入れたハードボイルドといった趣き。勘の鋭さと責任感ゆえに警察にいられなくなった男。それでいて山に逃げ込む割に本質的山男では無いというあたりに危ういアンバランスが感じられる。少し残念なのは、その両方の要素を取り入れようとしてあまりうまくいっていないように見受けられるところ。本作では、双方の属性がどこか中途半端になってしまっている。併せて主人公だけでなくその他の登場人物にも同じ問題がある。五木が追っていた事件の黒幕はある程度予想がつくのだが、その協力者たちについても属性が中途半端、そして若干安易な印象を受けた。
 残念ついでにいうと、物語の半分が「山」であるにも関わらず、大倉氏の他漢字二文字シリーズに比べると、山自体が迫力や凄みを感じさせてくれる場面がほとんど無かったこと。そういった意味では本格ミステリ、ハードボイルド、警察小説、山岳小説。さまざまな主題を取り込もうとして、双方で遠慮しあって逆に拡散したかたちになってしまい、本来魅力的である様々な要素が「芯」を失ってしまっている。

 ストーリーテリングの巧みさによって小説としては一本筋が入っているものの、諸要素に大倉崇裕さんらしからぬ戸惑いのようなものがところどころひっかかるような読後感となった。山岳シリーズとしてみるならば、先に刊行されている2冊をより強くオススメ。本書はその後に手に取られれば良いのではないかと思われた、


11/02/19
樋口有介「刑事さん、さようなら」(中央公論新社'11)

 樋口有介氏のノンシリーズ作品。書下ろし。

 埼玉県警に所属する警部補・須貝。相手はいえないが結婚を考えているという後輩・小暮と酒を酌み交わしてしばらく、小暮は非番の翌日に出勤せず、アパートの自室で首を吊って死んでいるのが発見された。相手の女に関係があるのか? 疑問に思った須貝は、管内で発生した身元不明の男性殺人事件にかこつけて小暮の通話記録やパソコンを調べるが、完全に消去してあり、一切の痕跡がみつからない。一方、殺人事件。河原に放置された死体は西川口にある、寂れた焼き肉屋『竹林』の常連客で作家兼風俗ライターの尾田のものと判明した。しかし、尾田と小暮はどうやら繋がりがあった様子で事件の構図は地元の警察からしてみると最悪といって良い内容のようだった。一方、『竹林』は癌を抱えた七十歳になる主人と、養護施設から引き取られたままこの店で働く、少し頭の弱いヨシオとの二人が切り盛りしている店。フィリピン人や風俗嬢が主な客層だった。その店の常連客だった尾田が死んだと、尾田と同棲していた二十三歳のデリヘル嬢・夕美が、店の二階に住まわせて欲しいとヨシオに頼み込む。彼女のことが大好きなヨシオは当然OKし、部屋を一生懸命に掃除して、彼女を迎え入れた。しかし彼女は見た目以上に疲れているようだった……。

どこにでもある地方警察の大人の事情と論理。人生のペーソスを演出するだけでなく……とんでもない衝撃が
 2.5人称とでもいうべき、樋口有介氏の近年作品にみられる訥訥とした文体が、それだけでハードボイルド気分というか、どこか人生に対する諦念というか哀愁を感じさせてくれる。ファンとしては、この多少作者からも読者からも距離を取った文体だけで御飯三杯は行けます。味わい深く、いやいや、格好いい。格好良くないところが。
 本編は二つのエピソードが並行して描かれているが、その文体で行動をトレースされ語られている一人が、現在は、埼玉県警の所轄署で警部補の須貝。その須貝、読み出してしばらく、所轄刑事としては遣り手ではあるものの、大きな出世を諦め(これは多分そう)家族仲も冷え、惰性で人生を生きている中年男、を勝手に想像していたら違った。中年は中年だし、ある程度惰性で仕事はしているものの、しっかり「性格プレイボーイ」だった。永遠の38歳、柚木草平とまではゆかないまでも、若くて美人の婦警さんとさらりと不倫しているうえ、家族仲も悪くなく、さりげなく格好いい台詞とか、いい味を出している。
 さてさて、あともう一人、その文体が使われるのが、二十三歳のヨシオ。養護施設を出て場末の焼き肉屋に引き取られて仕事を覚えさせられている男の子。決して頭が悪いことはないのだが、精神的に幼くおっとりとしすぎているようだ。ただ、知識は少ない一方、しっかり物事を考えており、その行動も実は非常に理に適っている。ヨシオは常連客の恋人である夕美 に仄かな憧れを抱いており、親方にも良くしてもらえる現在の境遇に幸福を感じている。
 そんな二人に投げかけられた波紋。 一人が殺され、一人が自殺し、そして一人の女が逃げ出しているという、どこでもありそうな事件。所轄と中央との関係、エリート署長へのやっかみ、関係者全てがまるく収まった事件を正義感でほじくりかえす若手警察官等々、警察小説を少々囓ったことのある読者なら「ああ」というような警察組織が抱える問題が、さらりと描かれている。ただ、あくまで警察内部の話であり、まさに大人の事情。 そんなこともあるだろうという「手打ち」内容で、須貝の飄々とした態度も相まって、あまり汚いやり口という風にみせないところが凄い。決して許される行為ではなく、むしろスキャンダルなのに「この程度のことは別に悪いことでもないんじゃないの?」と読者の気持ちを巧みに誘導するところに、本書のさりげない凄み(すごみ)があると思うのよ。

 ここから先は述べられない。

 ヨシオと須貝。捜査の過程で確かに最初の接点は必定というかたちで持ち上がる。だけど、その先。これは読めなかった。確かに伏線は、分かりにくいかたちではあるものの張ってある。しかし、そうくるか。

 某所に書いたが、『月への梯子』だと思って読み始めたら、実は『ピース』だったという非常にビターな作品。いや、この語り口に騙されるかもしれないが、樋口作品は基本的にビターなのだ。そのビターが苦すぎるかほろ苦いか、それだけの違い。そしてこの作品はかなり苦いと、そう感じた。


11/02/18
深水黎一郎「ジークフリートの剣」(講談社'10)

 『エコール・ド・パリ殺人事件』などに登場する芸術探偵神泉寺舜一郎も顔を出すが、どちらかというと彼による謎解きよりも、一人の天才日本人天才歌手と、その婚約者の数奇な運命を描いた独立長編といった趣きの方が強い作品。書き下ろし。

 日本人ながら世界的な実力を誇る若きテノール歌手・藤枝和行。自分の実力に自信を持ち公費で留学するなど人生を好きなように生きる彼に、学生時代から公私に亘って尽くして遂に婚約にこぎ着けたのが、同級生でソプラノ歌手でもある遠山有希子。日本に帰国しているあいだに有希子は強引に藤枝を連れ、謎めいた占い師のもとを訪れる。占い師の老婆は、有希子に対して「幸福の絶頂で命を落とす」という趣旨の言葉を述べるのだった……。藤枝はドイツのバイロイト音楽祭で行われる『ニーベルングの指環』でジークフリート役を獲得しており、端役であるが同じ舞台に立つ有希子と共にドイツに滞在していたが、その練習期間中、有希子は恩師絡みの別の仕事に向かう列車の事故で命を落としてしまう。喪ってはじめて有希子の大切さに気付いた藤枝は、彼女の骨と共に舞台に立つと誓う一方、女性関係に関しては荒んだ生活に逆戻り。同僚の歌手と寝、ウェイトレスに色目を使うなか、パーティ会場で出会った日本人女医・萩原佳子に惚れ込んでしまう。強引なアプローチで彼女に迫る藤枝だったが、彼女の態度はあまりに冷たく、そしてそこにはある理由があった。

静かな芸術論が物語のリアルを補強し、そのクライマックスのために全ての要素が奉仕してゆく
 感想を書くのに再読が必要だった。というのは、本書の場合、ミステリとしての本筋だけで評価するには適当ではなく、『ニーベルングの指環』や『ジークフリート』というワーグナーの歌劇そのものもまた、大きな比重を占めている。(もちろん登場人物の強烈な個性を駆逐するほどではないが)この歌曲に対して、二十世紀以降、多くの演出家が野心的に行ってきた「新解釈」の歴史が断片的にだけど印象的に描かれていることにまず気付く。ストーリーについては断片的な説明しかなく、全体像を見通せるのは元の歌劇の意味を知る人間に限られはしようが、各々の有名な場面特徴的な場面を表現するのに、古今の演出家がどういう苦労をしながら、解釈や演出をしていたのか、という部分は蘊蓄というより、ユニークな発想を楽しませるがごとし。恐らくはかなり実際に存在する演出なのだろう。
 これに対し、物語中でも(作者のイメージを代弁するかたちで)新解釈が描かれる。どちらかというとオーソドックスにみえるのだが、ここもまた本書の持つ意味合いを表現するのに不可分の要素であるのだ。このあたりを頭のなかで整理しきれず、改めて今年になって読み直した次第。
 気分屋で好色、自己中心的ドンファンという藤枝のキャラクタは、かなり好悪を呼びそうだけれども、個人的には別に違和感も不快感もない。芸術家ってこんなものでしょう。その藤枝を巡る物語は、中盤どころか終盤にさしかかるまでミステリらしい謎が全く登場しないところがむしろ謎。 だが、探偵役の登場に有希子の死。今まで謎として認識されていなかったところに謎が醸成され、いくつもの偶然や運命の助けを経て真相に至る。この偶然や運命というのがクセ者で、序盤に占い師が出てきているせいで、ミステリであるにもかかわらずこういう「偶然もあり」という風に読めてしまう。占いであるとか、思いの具現化といった偶然性の強い要素と、天網恢々疎にして漏らさずといった運命的必然思想との微妙な繋がり、バランスが本書を本格たらしめていると感じられた。
 この占い師の台詞ですら、中盤と物語のラストでは意味合いが変質してしまうし、窮地に陥った藤枝の様子については、瞼の裏に浮かぶほどインパクトが強く、そしてその対応と堂々としていたであろうフィニッシュについてはもう芸術以上。現実にこのような場面が本当にあったのなら、神様を思わず信じてしまうのではないでしょうか。

 最初に読んだ段階では「本格ミステリ」として評価したのだが、本格ではあるものの、どちらかというと物語をひっくるめた「語り」に特徴のある長編作品という風に印象が変わっている。それでもトータルとして強く心に残る作品である。独立長編として、他の方にオススメできるレベルであることも間違いない。


11/02/17
倉阪鬼一郎「火盗改 香坂主税 花斬り」(双葉文庫'10)

 多少刊行時には唐突感もあった倉阪鬼一郎氏による時代小説「火盗改香坂主税」のシリーズも順調に巻を重ねて本巻にて三冊目。主人公及びその取り巻きを中心とする連作集である。雑誌発表作品のような体裁ながら全て書き下ろし。

 辻斬りが江戸の街を襲う。犯人は女性を切り捨てて花を現場に残す。更には香坂主税が作った注進箱に犯行予告を残してゆく始末。火盗改一同は全力で犯人捜しに取り組むが。 『花斬り』
 子供から失踪した船大工の父親についての手紙が注進箱に届く。行方不明のはずの父親からの小判。強盗団の一味に引きずり込まれた父親からの心づくし。しかし……。 『破れた帆』
 香坂の部下でまだ若い若林が病に伏せった。若林は富士に登りたいといい、御手先組は若林を背負って、ある富士に登った。背中の若林は怪しい男がいたと指摘する。 『遠い富士』
 天王寺の富くじが当たったと言い張る男。その妻は男の様子がおかしいことに気付き香坂主税に注進に及ぶ。男はやはり悪人たちの仲間とさせられていたのだが……。 『百番富夢残』
 江戸の駆け比べで一等を取った金太。そんな江戸では大食いの東西の大関が立て続けに不審な死を遂げたという噂でもちきりだった。屈強な身体を持つ二人を殺めたのは誰でどんな理由があるのか。 『大関に適う』
火盗改の職の任期を意識し、養子の様子を見に訪れた香坂主税。息子・順之助は道場の朋輩に腕の立つ半兵衛なる人物がいるという。半兵衛は香坂のファンだというのだが。『黒い日輪』 以上六編。

捕物帖の人情にミステリの機転、さらに悪を断ち切る正義が光る。連作風の展開ですっきり
 先に述べておくと、短編六編が連載で発表された作品のようにみえる。が、実際のところは書き下ろしによる文庫オリジナルの連作集。つまりは、短編六編の書き下ろし。ただ、広義での捕物帖となる本書、だらだらと長い物語よりも、一つ一つのエピソードがさっくりさくりと読み終われる短編形式の方が向いているように思われる。(書き下ろしばかりでシリーズ三冊目、更に今後も続刊が続きそうというのは、なかなかの人気ぶりであることの証左とはいえまいか)。
 本作もこれまで同様、シンプルな勧善懲悪という図式は基本的にかわらないが、冒頭のエピソードがどちらかというとシリアスなため、毎回、仕事人シリーズのようなちょっと暗めの時代劇ドラマを観ているような気分にもなる。一方で終盤には弱きを扶け、悪しきを挫く、きっちり人情あふれる裁きっぷりを香坂主税が、個々の短編の終盤にクライマックスシーンとして見せつけてくれるのは良い感じだ。
 剣の腕が立ち、頭の回転も速く、人情の機微を解し、家族を愛し部下にも強く慕われる主人公。八方美人(?)にして、ある意味ではスーパーマン以上の能力を発揮する彼のキャラクタについても読者としての馴染みが出てきたところも、この作品自体への親しみ感とは密接に関係がありそうだ。
 その一方、本作では香坂自身が、自らの跡目や引退について考える描写もあり、逆に「え、もうそんな年齢なの?」と驚かされもする。ここまで自らの地位をかっちり確立してきたようにみえる香坂ですら、後見人である本多石見守様がいなくなるだけで、その地位に留まれなくなるというのは、あまりに現実的。倉阪氏の力量があれば、地位を巡る駆け引き なんかもうまく物語に取り入れられそうにも思うのだが……。

 しかし、その心配と同時に、ここにきて「白の始末人」(どうやら、これは仕事人の人たちのようだ)と「黒の始末人」という、元悪党たちですら腰が引けてしまうような凄腕の存在がにおわされるようになり、またまた次巻へと続いてゆくの でした。このあたりの「引き」のベタさも、良い意味で昔ながらの時代小説っぽくて良いのではないでしょうか。


11/02/16
滝田務雄「長弓戯画 うさ・かめ事件簿」(東京創元社ミステリ・フロンティア'10)

 2006年「田舎の刑事の趣味とお仕事」で第3回ミステリーズ!新人賞を受賞してデビュー後、受賞作を題名に冠した短編集や『田舎の刑事の闘病記』などを刊行、《田舎の刑事》シリーズとして一部に強い人気を持つ滝田務雄氏。本書は氏の初長編にして、別のシリーズ探偵が登場する作品。

 漫画雑誌の編集者をしている小亀ミドリと、人気少女漫画家・マーチ宇佐輝こと鹿野山宇佐輝。宇佐輝は見た目は悪くなくでスーツを着こなしてすらりと立てば、なかなか格好いい美男子であるのだけれど、へなちょこな性格でしゃべる言葉も何故か「お姉ことば」。一方、たたき上げの刑事を父に持つ小亀ミドリは、きっつい性格で何かと宇佐輝を叱りつけるドSの編集者。宇佐輝がミドリに断りもなく、名門帝都大学からの講演依頼を受けたことからミドリはお冠。ただ依頼は、帝都大学武術研究会からのもので、宇佐輝の発表した人気漫画『金剛石の神剣』からご指名があったものと判明。ミドリは宇佐輝のイメージを壊さないよう、強面で武術に詳しい父親と宇佐輝を引き合わせようと計画したが、その雑踏のなか、若い男性が和弓の矢が身体に突き刺さって死亡する事件が発生した。弓を発射した痕跡が残っていた場所から被害者への弾道は、名手でなければ不可能というコース。しかも被害者・蟇目は帝都大学の学生で、宇佐輝を講演に呼ぼうとしたサークルに所属していた。宇佐輝の講演の話は流れず、一方で事件については新事実が判明、きちんとした大人の男性を演じる宇佐輝は、警察から様々な情報を入手する。

キャラクタのやり取りに目を奪われるが、ロジック重視の本格。ただ事件が少々地味めか
 想像するに《田舎の刑事》シリーズにおける小エピソードであったはずの、黒川刑事とその奥さん(超どS)とのやり取りが密かに人気高かったがために、このシリーズが出来たというのはうがちすぎか。どSの才媛・小亀ミドリが、ウマヅラハギだへなちょこだと宇佐輝を罵倒し、突拍子もない手段でいじる様子は――、こうやって書くとひどいんだけれども読んでいると妙に納得するというか、とりあえず読んでいる読者をぐいぐい引き込むだけの謎のパワーを秘めている。 そういう意味で、この序盤での喫茶店での二人のやり取りは伝説級といっても良いだろう。頭の上にカップとか、これだけやられればMでなくとも泣くぞ。
 さて、そんな彼らに殺人事件が絡む。といっても目撃できるほどの近くで人が殺されるというもの。つまりは直接の当事者ではないはずだったのが、被害者の方が一連の講演の関係者ということで、事件に関わることになってしまう……展開。ただ、作品内でうんうんいっている程、和弓で射られた殺人という出来事自体には魅力はない(語弊があるが)。様々な専門的観点が入って「難しい難しい」といっても射ったら偶然当たっただってあり得るし。ただ、それでも物語をついつい読み進めるのも全てこのうさ・かめコンビの掛け合いの良さによるものだ。
 一年前の事件や、周辺の関係者の証言を疑ったり角度を変えて事件を少しずつ変容させていくロジカルな展開は後半の読みどころ。 実は真面目な(普通の)言葉遣いができてしまう宇佐輝がホームズ役で、ミドリはワトソン役に甘んじるという、序盤の関係性、つまりはSとMの逆転も発生、その逆転構造はシンプルに面白く感じられた。
 ただ個人的には、解決編として登場する具体的な殺人方法が、むしろしょぼくなったというか、安易な方向へ進んでしまった点は残念。さらには少ない登場人物からミステリとしての意外性を求めた結果、かなり無理無理な犯人像となっているようにみえる点、この二点はミステリとしての引っかかりである。
 むしろトリックで驚くミステリではなく、ロジックを楽しむミステリであると断言してしまった方が作品としては幸福かも知れない。つまりは、冒頭のウサギとカメのSM問答(ん?)を含め、作品内部の流れを全体として捉えて楽しむ、そういうミステリ。キャラクタについてはまた徐々に熟成されていい味が出そうな印象。続編前提の締めくくりなので次作にもまた期待。『田舎の刑事の好敵手』も楽しみだー。


11/02/14
鈴木光司「鋼鉄の叫び」(角川書店'10)

 2001年7月より2005年7月まで、学芸通信社の配信により、中国新聞、徳島新聞、静岡新聞等の地方紙に順次連載された作品を大幅に加筆修正して単行本化されたもの。って、新聞連載だと聞くと序盤にいきなり不倫情事の生々しい描写が出てくるところとか、これで良いの?(それともこれは加筆部分?)

 一九九四年、バブルが崩壊したばかりの時代。都内の放送局でテレビディレクターをしている雪島忠信は、仙台支局時代に知り合った、画廊で働く倉沢奈都子と不倫関係にある。二人は愛し合ってはいたが、独身の忠信に対し奈都子は学生時代に結婚した嫉妬深い夫と娘がいた。東京の本局に忠信が戻った現在も関係は継続している。その忠信は軍人だった父親の影響もあり、戦後五十周年特別記念番組として特攻隊に参加したものの自らの意志で離れ、生き延びているという人間にスポットを当てた番組を製作しようと考え、該当者がいないか様々な手がかりにあたっていた。ある伝手から手に入れた同人誌から忠信はそのような人物が存在していたことを確信する。一方、一九四五年の日本。太平洋戦争末期、雪島の父親・和宏は、軍の病院で峰岸という新進空軍将校と出会い、強く影響を受ける。峰岸は画策して和宏を戦地に出られないようにすると、自らは戦場に出るべく入院を切り上げて再度戦地へ趣いた。その峰岸が行き着いた先は、大日本帝国空軍の特攻隊基地となっている鹿児島県の鹿屋基地であった……。

日本人の考え方の深奥に迫る心意気と意図は理解はする。理解はすれど共感はしづらい
「太平洋戦争末期、特攻隊に配属し出撃したものの、自らの意志で編隊を離れて生還した兵士」
 これがいたのか、いたとしたらどのような経緯・心情でこの意志決定を成したのか。物語自体はフィクションではあるものの、その物語の構成のなかではノンフィクションのドキュメント番組を製作する過程をそのまま、ゆるやかなミステリ仕立てで読者ともども、この謎を追いかけるかたちが物語の半分を占めている。
 一方、もう一つのパートとして、主人公の忠信の父親・和宏、そして戦時中に彼が出会った青年将校・峰岸らの大戦中の様子も並行して挿入されている。二つの物語は必然的に繋がり、時代を超えた大きな物語が形成されるのだ。(但し、両者が結びつくきっかけは作品内でも偶然の積み重なりであり、ミステリ的サプライズは皆無である)。バブル期、そして戦時中。二つの時代を通じて共通して描かれるのは、日本人という種族の根本精神。 例えば右にならえ、というか、大多数が白というなかで一人黒を主張し続けることを「許さない」日本人全体が発揮する心情の怖さ。基本的に日本文化では、極端な多様を許容していないということを直視させられる。(震災の買い占めとかも、この裏返しと捉えられよう)。
 また、作中では簡単に触れられるのみだが、集団自殺といった自らを傷つけることを盾に相手に無理筋の要求を突きつけるというやり方の(国際的にみたときの)極端な気持ち悪さ。この点については、戦時中の日本人(一億玉砕)が結果的にそういう存在だったことと、もう一人現代パートでもある人物にこの行動を取らせることで「気持ち悪さ」を演出している。米国人が、この気持ち悪く理解できない文化を持つ日本人を排除するために原爆を使用したという考え方は、極端ではあるけれどもどことなく分かる気がするのだ。
 また、峰岸という人物の現代像などは「これがほんまやったらえらいこっちゃ」というような壮大なホラ話と繋がっていて、これはこれで凄いと感じさせられる。この発想は普通あり得ないよなあ。というか、小説にしちゃうところがステキ。
 そういった肯定的な流れの一方で、主人公に人生の決断を迫るといった顛末については、旧弊な価値観を自分が持ち続けているのかもとちょっと嫌になったりしたのだけれども、やっぱりそもそもこの不倫関係が「あかん」と思うので拒否反応あり。運命的な出会いってのは、男と女が出会う順番も含めてだと思うのよ。決断の覚悟を問うエピソードを二つの時代で二重写しにするという狙いが終盤にあることは分かるのだが、そこで当時の感覚で生き恥をさらしつつも生死すら賭け、覚悟を決めて特攻隊を離脱する話と、不倫相手の夫から脅されて人生のレールから覚悟を決めて外れる話を重ね合わせるのは……。重なるようにみえても、やっぱりちょっと読者の共感を得られないのではないでしょうか。

 序盤から中盤、中盤から終盤と、不倫描写とその悩みのシーンが個人的に肌に合わなかったにせよ、ストーリーテリングは抜群にうまく、最後まで読ませることは読ませる。 ただ、読んだあとにどう思うかは読者次第で、個人的にはちょっと合わなかった。が、共感するしないは別にせよ、小説としての意図は理解できた。 とまあ、そんな感じです。


11/02/14
湊 利記「マージナルワールド」(講談社BOX'11)

 講談社BOX第4回Powers受賞作品。湊氏は東京都在住の大学四年生(発行時点)。イラストは村崎久都。POWERS BOXの第三弾として単行本化された。続編も執筆中とのこと。

 携帯電話で自分の番号に掛けると普通は話し中。しかし稀に異世界である「圏内」に行けることがある。その異世界では現実の人間は「アガシオン」と呼ばれる、特殊能力を有する巨大なロボットを操って、その圏内に住むBAGsと呼ばれる敵と、もしくはアガシオン同士で戦いを続けていた。携帯電話をオフにすれば「圏内」からは手軽に脱出できるうえ、圏内で受けたダメージもほとんど現実世界には持ち越さない。かつて仲間であり恋人であった嘯樹水面(うそぶき・みなも)や葵日向向日葵(あおいひなた・ひまわり)らとチームを組んで圏内を席巻していた主人公・光宮鴇(ひかりみや・とき)。仲間だった水嶋望の裏切りにより、嘯樹は現実世界でも命を絶ってしまう。以来、ひたすらに圏内でBAGs狩りに励む鴇。しかし、鴇の前に「圏内にいるはずのない」少女・刻宮灯(こくみや・あかり)が現れた。

ひとことでいえば「メタ・中二病」 中二病であることに自覚的な青春小説
 とてつもなく巨大なようでいてでも実際は限定された世界観とでもいうのか。オンラインRPG、ないしはオフラインでもフィールドの大きなゲーム世界(ゼノブレイドとか)を想像すると「圏内」のイメージに最も合うように感じられる。なぜ巨大ロボットなのか、なぜ普通の人間が暮らす別世界ではなく、世界中の不要物の集まる異世界なのか、等に説明はない。日常の世界から電話一本で繋がっている異世界――と書くと、やはりオンラインゲームと同じだし。ついでにいうと、主人公が(もとよりそれ以前にチームを組んでいた頃から)何が楽しくて、この「圏内」で戦い続けているのかという根本理由が今ひとつ理解できない。(大した意味のない不毛な行為に、いい年齢こいても熱中し続けられるということそれ自体が中二病ってことか。 しかし、登場人物のネーミングから設定、ロボットの特徴とか作品の特徴を拾ってゆくだけで充分中二だと思うけどな)。

 あと、圏内は人々にとって不要なもの(イラナイモノ)の吹きだまりという説明があり、その概念はアイデアとして悪くない。うまくいえないけれども現代社会的だ。満たされているけれども、必要とされていない。圏内に行ける人間は、多かれ少なかれ現実世界で不要とされているということ――だろうから。つまりは登場人物は皆、世の中からスピンアウトさせられたということで、この荒んだ世界観として一連の流れに納得出来る。 ただ、その設定の割に、現実世界での彼らがあまりに「普通」に充実しているように見えてしまうのは逆効果かも。同様に主人公及び脇役女性によるセックスシーンがあるものの、このあたりも物語主題からは浮いている印象。別に性交を描写するなとはいわないが、ラノベとの差別化を図ること自体が目的のようにもみえてしまう。
 なんとなく気になるところを羅列したかたちになって恐縮だが、これだけベタな設定を様々な要素を集合させながらも、ストーリーについてはしっかりとした軸を持って進めている点は評価できる。特にアガシオンという存在から、うまく本作のオチに繋げているなあと感心した。まあ、細かなツッコミどころは多々あるにせよ、ひねくれながらねじ伏せているというか。

 他にも小生が気付いていないだけで、何かのメタファーを狙った存在は作品内に他にもいろいろありそうでもあるのだが、ごめん、そこは流した、というか深く追究出来ていない。物語を現実に繋げることで、閉じられた世界のなかだけで完結する物語の虚しさというか虚無というか寂しさというか哀しさというか、そういうフィクションならではの世界の弱みを衝いているとは思う。緻密なようにみえるけれどもそうではなく、本書のポイントはむしろこの大胆さにある。


11/02/13
若竹七海「ポリス猫DCの事件簿」(光文社'11)

 若竹七海さんが贈る極上のコージー・ミステリ、葉崎シリーズ。つい先日刊行された『みんなのふこう』に続くシリーズ七冊目。『ジャーロ』誌の二〇〇九年冬号から二〇一〇年夏号にかけて掲載されていた作品にプロローグとエピローグ代わりの掌編と、書き下ろし一作を追加した連作集。

 葉崎半島の西に位置する一周五百メートル足らずの小さな島・通称・猫島。鎌倉時代から続く猫島神社を中心に、主に観光客を相手に生計を営む三十人ほどの人間と、観光名物でもあり昔から百匹以上の猫が住む島だ。観光客のトラブル対策として日中だけ一人で猫島に駐在している警察官・七瀬晃。相棒は首から星章を提げた目つきの悪いドラ猫、猫島臨時派出所所員・ポリス猫DCだ。一人と一匹が遭遇する事件の数々をご覧あれ。
 海開きの直前、派出所の建築資材と共に舟に乗り込む一匹の猫。 『ポリス猫の食前酒』
 ケイは自殺してしまおうと猫島に渡った。猫島に猿が出て七瀬が追いかける。 『ポリス猫DCと多忙な相棒』
 猫島神社春の大祭で振る舞われる草もち。おばさんの皿に二個しかないと大騒ぎ。 『ポリス猫DCと草もちの謎』
 猫島で温泉を掘ったら不発弾。除去のためには猫たちの避難も必要だ。 『ポリス猫DCと爆弾騒動』
 猫島猫まつり。怪談とキャッツショー。英国から来たという猫は胡散臭い。 『ポリス猫DCと女王陛下の秘密』
 七歳の女の子が隣家の猫を連れて猫島に。なぜか誘拐事件と駆け落ちに。 『ポリス猫DCと南洋の仮面』
 彫刻家製作の猫のブロンズ像。この呪いの像が盗まれ、島の各所で目撃される。 『ポリス猫DCと消えた魔猫』
 相模湾で連続殺人。猫島の共同倉庫が荒らされ、拳銃が猫島に? 『ポリス猫DCと幻の雪男』
 生まれた時ノラ猫だった猫が、いろいろあって大きくなるまで。 『ポリス猫のデザート』 以上九編。

猫が好きでも嫌いでも、リゾートコージーとして楽しくて堪らない。猫好きにはもちろん超超おすすめ。
 一応というか、それぞれの短編にはきっちりミステリとしての起承転結がある――。というか、メインとなる謎がしっかりと楽しめるだけではなく、他にも小さな謎などてんこもりで様々な要素が入っている。一、二作を読んだところで、あ、おれはなかなかの高級品だと誰でも気付く。 短編それぞれ、最初の段落では直接猫島とは関係ない、どこかよそでの犯罪計画や犯罪そのもの、もしくは昔のエピソードなどが描かれ、ようやく第二段落から猫島の日常に入ってゆくという展開が基本。その第二段落でも、島の住人や関係者の奇矯な行動や、不審な言動などがあってそちらにもプチ謎解きが入る。一方で第一段落の謎も短編の終盤に至ると、完全解決され、さらに長編を通じての様々な暗示や伏線が余韻で残るという贅沢な展開となっている。贅沢といえば、きっちり連作短編集にもなっていて、例えば『爆弾騒動』で不発弾の除去をしている一方、きっちり温泉が後から湧いて出て『消えた魔猫』には、大繁盛しているスパリゾートが舞台になるといった具合。
 島の主要登場人物も、前作から引き続いて何かとキャラが立っているわ、猫島が地図入りで序盤にあり、島全体(商店)がきっちり栄枯盛衰しているわ、先に述べた通りに時系列でもきっちり進行しているわで、二次元的三次元的、もしかすると四次元的にも、きっちり物語世界が読者の頭のなかで立体化具現化できるように構成されている。 しかも、リアルばりばりのお話ではなく、基本リゾート系のゆるゆるコージーであるにもかかわらず!
 さすがにミステリのトリックが凄い、といったタイプの作品はないものの、証拠の扱いや論理展開など一日の長(何に対してかはとにかく)があり、手慣れた上手さがあり安心して読むことができるのだ。これもまたコージーとしては有り難いこと。

 そして、本来は猫を語るべきなのかもしれない。基本、犬派の人間につき、猫にゃ、といった状態にならないのでそれは、猫好きで本書を読んだ人の感想をどこかで探して下さいな。とはいえ、猫好きじゃなくとも軽くて楽しいミステリがお好きな人であれば、誰でも楽しめること請け合います。今年の夏は猫島で決まりだね! (←バカ)


11/02/12
樋口毅宏「民宿雪国」(祥伝社'10)

 樋口毅宏氏は、1971年雑司ヶ谷生まれ。コアマガジン、白夜書房の編集者を経て2009年に『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。翌2010年に『日本のセックス』を刊行、本書が三冊目の著作である。2011年には『さらば雑司ヶ谷』の続編にあたる『雑司ヶ谷R.I..P』を四冊目の著作として上梓した。

 遅れてデビューした画家・丹生(にう)雄武郎(ゆうぶろう)は九十七年の生涯を新潟の地で閉じた。正規の芸術教育を受けていないながら、日本を代表する画家としてその画は高価に取引され、ルーブル美術館に作品が購入されるなど、世界的に高い評価を得ていたことと裏腹に、自身は新潟県のうら寂れた漁港の民宿「雪国」の主人として死ぬまで過ごし、人前に出たりマスコミに取り上げられることを嫌がり、インタビューといった証言もほとんど残されていない。丹生は東京大学を卒業したとされ太平洋戦争ではニューギニアとシベリアで死ぬような思いをしたと述懐している。果たして、その丹生の謎多い生涯は実際はどんなものだったのか。中盤からは序盤にも登場した人物が、ライターとして丹生の生涯を追いかけてゆく。

衝撃あり、不可解あり。小さな嘘がふくらみ続ける借り物人生のスリルと虚無
 大変不明なことではあるが、この『民宿雪国』という題名を知るまで樋口毅宏という作家は完全ノーマークだった。世間でどうやら『民宿雪国』が評判らしい、と知って慌てて入手して、題名から想像して「どんなリリカル、どんだけ人を泣かしてきたんだこら」――とか思いきや、ぶっ飛びましたよ。
 あまり人気のない古ぼけた民宿に、主人の息子の友人だったという青年が訪ねてくるところから始まる第一章。そこにはタチの悪いヤクザとその子分と情婦が滞在しており、無理難題を「雪国」に務める美しい息子の未亡人ふっかけている。主人と名乗る人物は老人で息子の墓にて滂沱し、車椅子に乗っており弱々しい。青年もまたどうも弱々しく、ああ、なんと頼りない、誰がヒーローになるのか? 警察か? とかそんな感じから、ぶっ飛ぶ。
 ――まさにぶっ飛ぶのよ。まさかベルトに手が掛かるとは(この時は何のことやら分からんかったけどね)。
 第二章以降、第一章が無かったかのように別の物語が、でも「雪国」を舞台に展開してゆく。 {へぇぇ??」 画家? そうなの? 働いていた人物の証言、「雪国」に滞在した自殺志願者の話。なんというか、一応基軸としては民宿雪国主人・丹生雄武郎が存在するのだけれど、語り手それぞれが別の丹生の姿を語っているかのような錯覚すら覚える。これが後半に収斂してゆき、丹生の姿が改めて浮かび上がる。浮かび上がると同時に、「本当の丹生」とは一体なんなのだろう、ということで浮かび上がった中身が空虚に見えてくる。

 読み終わってみれば、難しいテーマを真正面から受け止め、だけど変化球的に描いた物語であるという印象。 果たして文学的テーマを描きたい人なのか、それともそのテーマをベースにエンターテインメントを展開させたいのか。ちょっと本作一つでは判断つきかねるところがあり、もう少し読んでみる。あ、しまった『雑司ヶ谷R.I.P』って続編なのか。『さらば雑司ヶ谷』も買わなきゃ。


11/02/11
乾 ルカ「六月の輝き」(集英社'11)

 『小説すばる』2010年3月号〜9月号にかけて連載された作品が単行本された長編。

 外崎美奈子と瀬戸美耶。北国の田舎町で全く同じ日に生まれ、隣り合う家に育った二人。身体が弱い美耶と、活発なところがある美奈子。二人が小学生の時、偶然当たったカッターナイフで美奈子の右手の腱が切れる大事故が発生する。しかし、美耶がその手を握りしめることによって、傷は跡形も無くなってしまった。どうやら美耶は人の傷を治すことができるらしい。その力を知った、働かず利に聡い美耶の父親は、娘の治療を金儲けのネタにして近所の人から金を巻き上げては娘に手当をさせていた。手当に体力を消耗するのか神の子扱いされている美耶は常にふらふらで、美奈子は美耶と素直に仲良く出来なくなってゆく。そんなある晩、美奈子の父親が自宅で倒れて危篤状態になった。救急車の到着前に隣家に助けを求めにゆくのだが美耶は起きず、美耶の父親は意地汚い金の話ばかりで一向に娘を呼び出す気配はない。そうこういううちに父親は死亡。美奈子と美耶とのあいだには決定的とも思えるキレツが入った。父親が暴力をふるっても、美耶はそれ以来頑として力を使うのを止めるのだが、美奈子は美耶のことを逆恨みするようになっていた……。

ある超能力をキーにした、近しい関係にある二人の切ない距離感の物語
 乾ルカさんが(別に覆面作家ではない。女性です)、女性作家として女性の友情物語を書いたのだなあ、というのが大きな第一印象。特段の前振りもなく、傷を治すという能力を授かってしまう美耶。その能力の因果を書かないことはもちろん、非常にあっさりと周囲を含めて「そういうもの」にしてしまって物語を続けるところは、ある意味特徴的だ。(批判しているわけではないですが、実際そんなことが起きたら大騒ぎになるかインチキ扱いされるか、マスコミが絡んじゃうのが定番かと)。
 物語は章代わりで視点人物を変え、美奈子であり、彼女たちの共通の友人や、街の顔役、美奈子の母親……といったかたちで順繰りに入れ替わってゆく。彼女たちの年齢は小学生から中学生、高校生、社会人の入口へと最終的に変化してゆくのだけれど、むしろ一定して変わらないのは物静かで無口、深い慈しみと優しさを持つ美耶の姿。 そりゃもちろん女性としての成長はするし、その得られた能力と引き替えに大切なものも喪ってゆくのだけれども、動じない、そして暖かい。悟りを開いた仙人、神様仏様といった趣きをみせている。どちらかというと、安い荒れ方をしてしまう美奈子の方が、その気持ちについては理解しやすい。自分の怒りの持ってゆく先が無く、相手を傷つける行為からしか美耶とのコミュニケーションが図れないという辛さ。実際、自分がどうすべきか頭で理解しているのに、その行動を取ることが出来ないもどかしさ。若さゆえのどこにもぶつけようのない、正しく表現できない不安とか書くと爺むさいですかいの。
 でも、恐らくの本書が掲げるテーマは、そういった青春における同性親友同士が抱く葛藤であり、それはうまく描写されていると思うのだ。
 この物語の終盤の展開は、能力の正体を読者が知った瞬間から逃れられ得ないものとして理解(想像)できる範囲。繊細で美しく、優しく、そしてとても哀しい。美しいだけが友情ではなく、むしろ醜い傷口があってこその深い繋がりであると、まあそういうお話です。これまで乾ルカを読んできたなかでは、一番毒が浅いといえば浅い分、優しい物語がお好きな方にオススメ。