MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/02/28
高殿 円「トッカン―特別国税徴収官―」(早川書房'10)

 高殿円(たかどのまどか)氏は1976年兵庫県生まれ。2000年に第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。角川ビーンズ文庫などにライトノベルを二十冊以上発表している。本書は初の一般向け作品で、同じ2010年には『メサイア 警備局特別公安五係』を刊行、こちらは実写映画化も決まっているらしい。

 「トッカン」とは(実際にそう略されているのか確認してないけど)特別国税徴収官の略称。税金を滞納する悪質な滞納者に対して取り立てを行う国税局の職員のことを指す。考えるにとてもハードなお仕事だ。さて。一部職員が脱税便宜を図るというスキャンダルの結果、東京京橋地区の税務署では大粛正人事があった。これに際し国税局(ほんしゃ)から出向してきたトッカンの一人が鏡雅愛(かがみ・まさちか)。機嫌の悪いハスキー犬といった容貌に加え、容赦無い取り立ての実力は認められており「死に神」ともあだ名される凄腕だ。彼が自分の相棒に指名したのは、しゃべる時に「ぐっ」と詰まる癖から「ぐー子」と呼ばれる新米徴収官・鈴宮深樹。深樹は何を考えているか分からないこの上司が少々苦手であった。彼らコンビが、強制徴収時に漬け物を投げつける資産家から、資金繰りがうまくゆかず倒産寸前の町工場、巧妙な脱税をしているカフェショップチェーン社長、赤字を理由に税金を払わない銀座クラブのママに至るまであの手この手で攻め立てて税金を支払ってもらおうと奮闘する。しかし、ある事件によって心を深く傷つけられたぐー子は、自分のしている行動や人生について疑問を感じ始めてしまう――。

特殊職業エンタ。誰もが嫌がる仕事、先にあるのは安定なのか――? それとも――?
 作者が扱うテーマが国税徴収官という段階で、大きい意味でのストーリーの枠組みは予定調和になるものと想像してしまう。マルサ然り、借金取り然り。お金を払え、嫌だというやり取りにおいては、必ず悪巧みや悪知恵、更に彼らに対抗するために取り立てる側にもアイデアや執念が必要になる局面が出てくる。それをおもしろおかしく書けば、コンゲーム風エンターテインメント一丁上がり! てなもんで、悪知恵をそれを上回る智略で屈させる――。それはそれで工夫されていればエンタメ小説として十二分に、そして普通に「有り」だと思う。
 ――本書も実は中盤に至るまではその系列の作品だと思っていた。厳しく愛想は悪いけれど腕が良く、実は面倒見の良い先輩が、出来は悪いがガッツと根性のある真っ直ぐな後輩を指導しつつ、仮想敵(この場合は税金滞納者)と知恵比べをする。コーヒーショップとのやり取りなど、まさにそのケース。徴税官vs納税者の丁丁発止のやり取りだけを抜き出しても、一定のエンタとして成立している。が、本書にはそれ以上の読みどころがあるところが嬉しいサプライズ。
 中盤以降、銀座のクラブママとの戦いからスケールが一回り大きくなり、単純な徴税官vs納税者という個vs個の扱いから、知らず問題の質が少しずつ変化してゆく。経済と政治、そして国税庁にも思惑が絡む一大汚職事件であり、一介の新人が果たせる割合などたかが知れている――はずなのだが、複雑に絡んだこのパートは、彼女の仕事の本質に迫るという、また別の味わいに変化してゆくところがユニークなのだ。
 特に、主人公が友人に対して思わず吐いた本音の暴言、知らずに漏らした仕事や環境に対するグチ。そういったネガティブな要素が、ほぼ全て遠い近いは別にしてブーメランとなって主人公に戻ってきては彼女にぐさぐさと突き刺さってゆく。 勢いのストーリーと思わせておいて、細かなところが実に周到。さらに、この本質を突いたやり取りは、現実を直視させられるという恐ろしさもある。
 同時に、後半に至ると「税金を払わない人」=ワルモノ という単純な図式は放棄される。いささか類型的ではあるものの、追い込まれた彼らの気持ちを代弁し、一方で国税局員についても一歩進んだ、よりきめ細やかな対応が必要であることに主人公が気付くところまで物語が進められる。
 取り立てのテクニックよりも、むしろハートwが重要ということで。ただ、ラスト近辺ぎりぎりまで仄かな恋心や実家との和解、登場人物の過去などてんこもりでエピソードの結末が差し出される。ちょっと急ぎ足すぎる印象があり、むしろ無理に全て回収しないでも良かったのではとも思った。

 エンターテインメント小説として素直に、単純に楽しく読むことが出来るし、徴収官でなくても自分の仕事に対する姿勢について新たに考えることも出来るという作品。また普段はなかなか出会うことのない徴税官を主人公に小説を書いた点にセンスを感じる。盛りだくさんに様々な要素を織り込みつつ、(多少窮屈ではあるものの)それらをきっちり展開し、ある意味でのご近所的なエンターテインメント(親しみやすい?)としたところには意義すら感じる作品だ。


11/02/27
樋口毅宏「さらば雑司ヶ谷」(新潮社'09)

 樋口毅宏氏は71年、雑司ヶ谷生まれ。「BUBKA」などの編集者を務めたのち、書き下ろしとなる本作で作家デビューしている。現在のところ、本書の続編にあたる『雑司ヶ谷R.I.P』、スマッシュヒットとなった『民宿雪国』、『日本のセックス』と四冊の著書がある。

 齢百歳になろうかという年齢ながら雑司ヶ谷で新興宗教の教祖として君臨する婆の孫として育てられた大河内太郎。婆さんは雑司ヶ谷のみならず、日本全体を裏からコントロール。批判したりマスコミを通じて楯突いた人間はこの世から人知れず抹殺してしまうような強烈な存在だ。その太郎と幼馴染みで巨体と度胸を武器に雑司ヶ谷の不良やのチンピラを圧倒的な暴力で取り仕切っていた京介。その京介の依頼を受け、チンピラの芳一が中国に人身売買で売り飛ばしてしまった子供を救出するという命を受け、太郎は中国へと飛び立っていた。そして太郎は中国で「様々な経験」をした結果、五年後にようやく雑司ヶ谷に戻ってきた。京介に両耳を千切り取られるほどに痛めつけられていたはずの芳一が、京介を殺して、その部下たちを引き継いでいつの間にか雑司ヶ谷を仕切る存在となっていた。婆さんからは、下水道マンホールに流された作業員の謎を解くよう指示を受け、そして京介の敵を取るために、五年ぶりの雑司ヶ谷を太郎は動き回り始める。

パーツごとにブルドーザーで轢き殺されてゆくような鮮烈インパクト。細かな点は知らん。凄え。
 雑司ヶ谷といえば鬼子母神って地元民でない場合でも単純に繋がってしまうのは、京極夏彦『姑獲鳥の夏』の影響か。池袋から少し南に入った普通の街、雑司ヶ谷。どうやらこの街が渋谷六本木歌舞伎町池袋とこれまで和製ノワールの登場人物たちが闊歩してきた街を追い抜いて、今や日本で最も危険な街になったらしい。ただ、街の名前が題名になってはいるものの、都市論として本作は読めなかった。この物語が雑司ヶ谷でなければならない理由はなく(雑司ヶ谷と似た成り立ちの街は他にもある)、本書における危険な登場人物たちがたまたま皆、雑司ヶ谷で生まれ育っていたに過ぎないようにみえる。続編をまだ読んでいないので訂正しなければならない可能性はあるが。
 さて、物語。が、これが説明とか要約とか拒むような内容なのだ。昏い情念が全編に渦巻くノワール小説とか、知ったかで書いてしまうのは簡単なのだが、これでは事実上何もレビューしていないに等しい。
 とりあえず、というかとにかく気付いた点が二つある。まず、変態的セックスの肯定というか歪んだ愛情であっても全て受け入れ、そこに常識の壁を持ち込んでいないところ。 本書で扱われる男女や男同士のマグワイは生々しくどろどろしてむしろ醜い描写を淡淡と念入りに続けている特徴がある。一種(あくまである種の)愛情表現? 不器用なのか器用なのか。……のだが、結果的に彼らの行為を読んでいるこちらの価値観が破壊されるかのようなインパクトを活字の方が発している印象なのだ。こういった行為を通じての思わぬ人間の結びつきが、小説の内部で意外な効果を発揮する展開に繋がっている。意図的にもみえるし、もしかすると自己主張かもしれない危うさが、小説を際物にしている気がする。
もうひとつは、人間の扱い方について、ノワールにしても特殊性があること。 こういった系統の作品世界内部で人間の命が軽く扱われるのは仕方ない。多少の現金の方が、生きている人間より価値が高い世界が存在することもあるだろう。安い人間に安いエピソードをくっつけて安く殺してしまう。まあいい、というか良くはないけどそういうもの。ただ、本作については命だけではなく「プライド」「執着」「意地」といった登場人物と不可分の心情もまた、命以上に安く扱われている。 敵に媚びを売り、執着を捨てた者を笑い飛ばす。命の値段が軽い冒険小説であっても、その登場人物が縋る縁(よすが)に、意地とかプライドを持ってくるのが普通の感覚。その普通感覚が軽〜く否定されてしまうことで本書のインパクトが独自性と強かさを増しているように感じられるのだ。

 『民宿雪国』とは近しいけれども全く別の衝撃が走った読書体験だった。万人に受け入れられる作品ではもちろんないけれど、作者と物語が発する強烈な個性については「雪国」以上に迫力があったように思われた。とりあえず凄いです、としか。続編が予定されていること自体信じられない展開です。


11/02/26
飴村 行「爛れた闇の帝国」(角川書店'11)

 第15回日本ホラー小説大賞・長編賞を受賞した『粘膜人間』、第63回日本推理作家協会賞を受賞した『粘膜蜥蜴』など独特の世界観を持つ「粘膜」シリーズを代表作として擁する飴村氏。氏が初めて角川ホラー文庫を離れ、初めてハードカバーでの刊行となったのが本作。書き下ろし。

 陸軍の憲兵本部と思われる一角に男は鎖に繋がれて立っていた。壁面には熱帯性のヤモリが張り付いており、どうやら太平洋戦争中の昭南島(シンガポール)にらしい。男は記憶を喪っており、どうやら脱走兵を追っていたはずなのだが何故か、味方に捉えられているようだ。そこに現れた憲兵風の男からサディスティックな拷問を受ける男。その結果、少しずつだが記憶が甦り始める……。そして九〇年代の日本のどこか。漫画を描くことを趣味としている高校生の正矢は生きる目的を失い、高校を中退した。その直接の原因は、これまで女手ひとつで働きづめで自分を育ててくれた母親の美代子が、高校の一年先輩の崎山と熱烈な恋愛関係となってしまったからだ。小学校からの親友・晃一、そして絵美子が考え直すよう強く諭すが、正矢の気持ちは変わらない。絵美子は正矢に対して友情以上の感情を持っているようであったが、正矢はその気持ちに応えることは無かった……。

人間誰もが「爛れた闇」を持っている。しょうがねえなあこいつらは、ったく……という不思議なホラー
 戦時中と現代。二つのパートがどのように繋がっていくのかというのがホラー・ミステリとして本書を読む時のキモとなるだろう。ネタの根源部分にかなりハードなsupernatural要素を織り込んだホラー精神があるため、「現実」だけで真相に辿り着くのは無理。ただ、そのホラーな補助線を引いた場合の伏線の妙味は「粘膜」シリーズに連なる凝り方がある。
 序盤から中盤にかけていうならば、戦時中パートにおける拷問シーンが強烈。鎖に繋いだままの人間を切れ味良い刃物で切り刻む描写。うわー、というもの。なのだが、通読したあとにより強く印象に残るのは、中盤から後半にかけての現代パートの方。真っ先に精神的にちょっといっちゃっているのではないかという美代子を含め、登場する様々な人物が抱えている心の闇が次々と顕わにされていく。この落差が素晴らしい。誰もが爛れた闇を心に秘めているとするならば、普段高潔を装っている人物の方が落差が大きい訳で。視点人物の正矢がおぼこいことを含めても、こいつらめちゃくちゃやなあ、みんな。
 ただ、それでいて悪役が割り振られている人物も含めてどうも登場人物一人一人が憎めない。感情的で理性的ではないし、感情が激しすぎて妙に計算高かったり。それぞれが行っている行為を許容できる訳ではないが、彼らが皆、良くも悪くも人間くさく感じられる。(そうか、オレ自身も心の中に爛れた闇の帝国を抱えているからだな、きっと)。結末の付け方を含め、鬼畜っぽい展開でありながら、人情とまではゆかないまでも、登場人物それぞれに独特の風味を付けているのだ。

 面白い/面白くないでいうならば個人的にはめちゃくちゃ面白かった。が、さすがに万人にお勧めできるかというと微妙。ただ物語に対する許容範囲の広い読者だと自覚されている方ならば間違いなく楽しめることと思う。こういった飴村節、今後も楽しみ。


11/02/25
三木笙子「人形遣いの影盗み」(東京創元社ミステリ・フロンティア'11)

 第2回ミステリーズ!新人賞の最終候補作品を改稿した作品を含む中編集『人魚は空に還る』にて単行本デビューを果たした三木笙子さんは、同じシリーズの『世界記憶コンクール』を刊行、本書がシリーズ三冊目にあたる。『永遠の休暇』一編のみ『ミステリーズ!』vol.44にて既出だが、他はすべて書き下ろし。

 向学心旺盛な芸者・花竜が出入りするお茶屋のひとつ”びいどろ”から年若い女中が失踪した。噂を消したい関係者だったが、その噂は静かに拡がる。花竜が周囲から内緒で通う私塾には圭子という友人がいたが、彼女のことを知らないはずの教師役の女性が見たことがあるという。『びいどろの池の月』
 年若いのに雑用全般を器用にこなすうえに世話好き、それでいて人を使うのが抜群に上手な梨木桃介が大家を務める下宿屋、その名も静修館。里見高広も暮らすこの下宿は、ある筋からはそれはもう恐れられていた。『恐怖の下宿屋』
 師匠の代わりに有村礼は、華族である松平伯爵の妹・雛に絵を教えている。その雛がかつて心の支えとしていた長兄、この明治の世にありながら「島流し」にされているのではないかと様々な証拠を集めて想像をした。 『永遠の休暇』
 高広は情報屋の佐野徹平から、有村礼が最近筋の良くない料理屋に出入りしていることを知らされる。そのキーワードからあることを思い付いた高広は、佐野共々水菓子屋に扮して料理屋に潜入する。 『妙なる調べ奏でよ』
養父の司法大臣・里見基博に呼び出された高広。政界の実力者の婦人が「影を盗まれた」といって誰にも会わず引きこもっているのだという。もちろん気のせいなのだが、話をもともと聞いてきた養母のよし乃によれば、彼女たちは芝居が好きな大和製糖の仁井田宅を訪れた際に爪哇のワヤンと呼ばれる影絵芝居を眼にしたという。さらに怪盗ロータスの影が……。『人形遣いの影盗み』 以上五編。

変化球的ストーリーをまじえてますます好調、明治時代の帝都と人々が生き生きと
 法務大臣の隠し子の正義派ジャーナリスト(実質ホームズ役)と、帝都で一番の美貌を誇る人気絵師(自称ワトソン役)との共演が続くこのシリーズ、一部の”腐”の方にも当然人気なのではないかと思われるが(知らんけど)、三冊目となってまだまだ快調だ。
 もともと明治期の風俗を巧みに織り込んだ、基本的にはホームズものの緩いパスティーシュといった構成は練り込んであり、デビュー作刊行当初は一冊限りの連作短編集と踏んでいた。それが定期的に二冊目、三冊目とシリーズ作品が重ねられるのは嬉しいもの。
 一応、有村礼がホームズに傾倒して「自称ワトソン」となって高広を引っ張り出す……というベース構成は一応生き残ってはいるものの、それほどもう重要視されていない。その結果、探偵物の宿命ともいえるパターン化からするすると脱してむしろ、この世界を様々な手法を使って描き出すころができるようになっている点には大いに好感を抱いているところ。
 また微妙に匂わされる(強調はされていない)耽美趣味というか、多少退廃を感じさせるような当時の雰囲気がうまく行間に滲ませてあるところもポイント。 加えて実際にこの時代に存在したであろう社会矛盾や、悪事、欲望などもしっかりと描いており、帝都で生きてゆくこと自体が決して綺麗事では片付かないこともスパイスとして作品に取り込んでいる。こういった大人の配慮というか遠慮ない現実への切り込みが、登場人物のファンタジー性を打ち消して一般の大人が読むに耐えるだけの物語となるための基礎要素として効いている印象だ。
 一方で、登場人物に魅力を付け足すこともまた上手。今回の作品ではレギュラー以外のキャラクタも多く登場するが、一人一人に異なる魅力を付加することに成功している。芸者をしながら勉学に勤しむ若い女性、誰をもうまく使ってしまう下宿屋主人等々、人間的魅力と個性との混淆具合が良い。
 さすがにエピソードの社会性と登場人物、風俗とうまく表現できている一方、ミステリとしての謎はちと弱くなった。というか、謎は謎でうまく創られているのだが、社会性や登場人物と綺麗に絡むため先の読める内容になってしまっているというか。普通であれば決して弱点ではなく、むしろ美点として数えられる事柄ではあるのだが、他が良いので逆に目に付いた次第。強いて他に問題を上げると全体としての線の弱さのようなところがあるが、まあどうでもいいことだ。

 個々の要素の平均点が高い一方、何かが抜けて良いというところに至っていないので、なかなか話題になりにくいが手堅い仕事ぶりは評価に値すると思う。このレベルの作品が継続的に発表できていればいずれブレイクするに値すると考える作家である。四冊目もきっと出るよね。


11/02/24
道尾秀介「カササギたちの四季」(光文社'11)

何度も候補となりつつも、なかなか受賞できないでいた直木賞を『月と蟹』で遂に獲得した道尾秀介氏。氏の(いわゆる)受賞後第一作品となるのが本作。題名通り、四季それぞれのエピソードを含む四編による連作中編集。『鵲の橋』は『小説宝石』二〇〇八年五月号、ほかは『ジャーロ』三十二、三十五、三十八号が初出となる。

 二年前に開業してからずっと赤字続き、流行っていないリサイクルショップを営む店長の華沙々木丈助と共同経営者で副店長の日暮。日暮は修理の腕こそ良いものの押し出しが弱く、引き取り依頼を受けた貧乏寺の和尚に凄まれ二束三文の品物を、毎度毎度、相場以上の高価で買い取らされている。一方、華沙々木は生まれながらの(迷)探偵体質。少しでも怪しい事柄があると勝手にその周辺をほじくって事件を感じとり「あと一歩、あと一歩でチェックメイトなんだ」と的外れの推理を周囲に披露、本人は正解を確信して悦に入っている。しかし、相棒の日暮は、かつて華沙々木の推理によって救われたことのある少女・南見菜美(みなみ・なみ)の存在を日暮は好ましく思っており、迷走する華沙々木の推理に先駆けて事件の真相を見抜き、さらに事前に予測した華沙々木の推理内容に合わせて証拠を捏造するなど、華沙々木が名探偵だと信じきっている菜美の気持ちを壊さないよう、隠れて奔走する。その日暮視点による事件歳時記ともいえる内容なのだ。

 華沙々木たちの倉庫に入った窃盗放火犯。少年が容疑者として浮かぶが。『―春― 鵲の橋』
 山奥の木工所から生活用品一式という大口依頼。女性が弟子入りを認められたらしいが。『―夏― 蜩の川』
 菜美と彼らの出会い。家具を引き取りに行った先には夫に出てゆかれた妻と娘が。『―秋― 南の絆』
 ぼったくり和尚が蜜柑で日暮たちを釣りだし、三人はお寺に泊まることになって……。『―冬― 橘の寺』 以上四編。

飄々と、それでいて鋭く、暖かい。肩の力が抜けたクオリティ高いミステリ
 さまざまなタイプの読者がさまざまな読み方をすることが可能、そして多分、そのさまざまな角度から「受け止められる」物語たること、本作品は最初から作者が自覚的に創作したのではないかと感じられた。
 直木賞受賞後第一作ということで、広範な読者に読まれること、『月と蟹』しか道尾作品を知らないという読者であっても、この作品であれば安心して世界に入ってゆけるし、青春ミステリとしても、緩めの本格ミステリとしても、ユーモア小説としても読むことができる一方、物語を拡げてゆくディティールのなか、家族という存在をはじめ、自分を偽らざるを得ず意地をプライドを持ち続ける哀しい人間の性(さが)といったところにもきっちり切り込んで居る。しかも、凄いのはこのメッセージ性がきっちり感じられながらも、それでいてしつこくないことだ。どこぞのグルメコメントのようだが、過度にべたべたせずに人情だけをほんのり浮かび上がらせる、作者の巧みなバランス感覚が表出しているのといえるだろう。
 物語としてじんわり暖かい一方、ミステリとしてもしっかり楽しめる。その謎解きについては、あらすじに書いた通り、華沙々木と日暮による二重解決が前提。 謎に対して探偵役が解決すれば「以上終わり」ではなく、ある程度の論理的整合性がとれた、でも間違った解決に対して、別の角度から別の真実が存在するというダブル探偵役による二重ミステリ。まあ、ミスリーディングというか道化役を引き受けてしまう探偵というのはミステリではよくあることではあるが、視点人物であり、真の探偵役を司るワトソン役・日暮が、そう行動するための動機が限りなく優しい。(あ、ミステリ的ではないが)。そんな彼のお人好しっぷりが作品全体のイメージを柔らかくしている。(もうひとつ重要なのは、道尾作品がしばしば取り入れる救いようのない絶望感が本書では影を潜めているところも重要かもしれない)。

 いずれにせよ心に残る、そしてバランスの取れたエンターテインメント小説だと思う。作者のtwitter上での発言を追う限り、現段階では本編の続編は考えていないとのこと。ただ、書かないと決めているものでもなく、本書の反響次第ではまた三人の活躍を読むことができるかもしれない。


11/02/23
柳 広司「最初の哲学者」(幻冬舎'10)

 『ジェイ・ノベル』二〇〇三年四月号から二〇〇五年二月号にかけて隔月で連載された短編が集められ、書き下ろしの『ヒストリエ』が加えられて単行本化されたもの。ギリシャ神話が題材となっており、要素は多少あれどミステリではない。

 父殺し母姦の罪を避けるため旅に出たオイディプスだったが。 『オイディプス』
 ギリシャに学びに出たスキュタイの王子アナカルシス。 『異邦の王子』
 迷宮に乗り込むテセウスに惚れたアリアドネ。 『恋』
 クレタ島の迷宮の主・ミノタウロスの嘆き。 『亡牛嘆』
 むーかーし、ギリシャのーイカロスーはー♪ 『ダイダロスの息子』
 神様の一族にかけられた強烈な呪いの正体とは。 『神統記』
 十年間戦争に出ていた夫を待ち続けた妻。夫の仕打ちに聡明な妻の対応は。 『狂いの巫女』
 新しい都市国家は犠牲が必要な女神像を持ち出した。悲劇はただ一人の生き残りが……。 『アイギナの悲劇』
 知識を求めてエジプトに旅立ったミレトスの人・タレス。 『最初の哲学者』
 醜い鍛冶の神ヘファイストス。美しい妻のアフロディテは浮気三昧。 『オリンポスの醜聞』
 世間的に変人といわれる夫をもった妻。悪妻の代表のように語られる彼女。 『ソクラテスの妻』
 ギリシャからの偉丈夫イアソンに一目惚れした王女は彼に尽くし続ける。 『王女メデイア』
 ペルシャ戦争の記録を個人で書き残したヘロドトスが辿り着いた究極の方法論とは。 『ヒストリエ』 以上十三編。

あくまで神話、されども柳広司描き出す神話は、人間くさく皮肉な笑いに満ちている
 ひとつひとつの作品は短編というよりも掌編程度の長さでしかなく、しかも有名無名(どこに基準を置くかではあるが)のギリシャ神話や史実の一部を切り取って物語にしたもの。事実、どこかで聞いた話、読んだことのある話が多く、作品として、一見するとオリジナリティに欠けているようにみえる。ところがどっこい(死語?)、さらりと読ませるこの短いエピソード、そして大抵は一度は耳にしたことのある普遍的な内容であるにもかかわらず、個々に地味ながら凝った趣向がさらりと込められていて、滋味深い味わいを楽しめる。
 何より、ひとつひとつが短いため、負担にならずすらすらと読めるところが良い(そして、そのすらすらと読ませるところはむしろ作者の実力であろう)。

 とはいえさすがに十三編あると全てが絶賛というのは流石に無理なので、印象深かった作品についてミニコメント。
最初のオイディプスにまつわる有名な話は、有名すぎて物語の筋書きもオチも想定の範囲内に収まっているように感じられた(もしかすると重要な要素を読み落としている可能性は否定出来ないのだが)が、『異邦の王子』のヒネリがすさまじく毒の効いたオチなどから、どこか良質のショートショートにも似た機微の効いた味わいが感じられるようになってくる。三作目からクレタ島シリーズというか、先の物語に登場した脇役が、次の物語で主人公を務めるといったかたちで物語が拡がってゆく。主人公の素性を冒頭では隠して物語にミステリ的余興を示す手法を幾つかの作品で使用しているが、『ダイダロスの息子』は、その手法以上に童謡(?)でも知られるイカロスが「なぜ」父親のダイダロスの忠告を無視してまで太陽に近づいていったのか? という命題への答えが……素晴らしい。 ギリシャ神話の時代だからこそ、この動機の特異性が引き立つという佳品だ。ここまで書いて気付いたが、本書でインパクトがあると感じた作品は、登場人物の行動自体ではなく、その動機に踏み込んだ時に一定以上の狂気と、補助線を変えた時の合理性があるものばかりだった。(特に女性の怖さが……)。
 それとは別に世間で定説になっている評価を内面から描写することで突き崩した『ソクラテスの妻』。これはアプローチの勝利。

 ということで文字通り「あっ」という間に読み通してしまえるギリシャ神話掌編群。ちょっとだけ調べたところでは伝わっているメインストリームの物語以外の異説を敢えて採用したところもありそうなので、これを持ってギリシャ神話を学ぶのは(たぶん)無理。普通に歴史エンターテインメントとして読むのが吉か。アプローチは異なるが本質的には鯨統一郎氏の『邪馬台国はどこですか?』にも連なる遊び心を感じる。


11/02/22
蓮見恭子「女騎手」(角川書店'10)

 第30回横溝正史ミステリー大賞優秀賞受賞作品。(大賞は伊与原新『お台場アイランドベイビー』)蓮見さんは1965年生まれ。大阪府堺市出身、在住。2008年第18回鮎川哲也賞の最終候補に『巫病の島』にて残るも落選、本作でデビューとなった。創作サポセン出身。

 阪神競馬場で行われる条件戦「秋月特別」に騎乗機会が与えられた中央競馬会所属の若き女性騎手・紺野夏海。人気の無い馬で思い切った逃げを打ち、久しぶりの勝利を獲得した。しかしこのレースの発馬直後、夏海の幼馴染みで同期の騎手・岸本陽介が騎乗したホナミローゼスが斜行、他の馬に激突するかたちで陽介は落馬、人事不省の重体で病院に担ぎ込まれた。しかも、同じ日にそのホナミローゼスの厩舎で陽介の父親でもある岸本調教師が頭を何者かにスパナで殴られ、こちらも瀕死の重傷を負う事件が発生した。二つも事件が続いたことに不自然さを覚えた夏海は、自分の可能な範囲で調査を開始するが、夏海と同期にデビューした女性騎手・みちるの夫である厩務員の里中が岸本調教師に対する傷害の疑いで逮捕されてしまう。里中はホナミローゼスの担当厩務員だった。

中央競馬を舞台に広がる様々な思惑と欲望。渦巻く非情、醸し出される謎そしてサスペンス
 個人的に多少競馬を嗜んでいた(嘘です、二十代の頃にどハマリしてました)こともあって競馬という特殊な世界の流れ・仕組み・風習(?)といったところを内側から描くという手法、全く違和感がありません。たぶん作者もお好きなんでしょう。ディック・フランシスの名前を引き合いに出しているだけでなく、むしろ中央競馬についてかなり詳しい人とお見受けした。 ただ、その意味では日本の競馬ミステリの先行者でもある岡嶋二人氏の諸作に比べると素人視点というか、読み方に対するフォローはもう少しあっても良かったかと思われる。かなり突っ込んだ”騎手の日常”が説明抜きで描かれているようにも思えたので。
 ──そうか、でも乱歩賞ではなく横溝賞に本作が投じられたのは、岡嶋二人さんが先に乱歩賞にいるせいか(一人合点)! とはいっても、競馬という競技そのもののゲーム性やスリルを持ち、もともと持つ魅力をうまく引き出すことが小説で実現できれば、その効果が高いことは説明不要。つまりは二匹目のドジョウを狙うのも有りということ。語弊があるが作品世界が下駄を履いていて、乗数効果を発揮できる。
 さて、しかし。競馬ミステリとして、使われているトリック自体は非凡なものではない(ミステリにおいては使い古されている)し、むしろ小粒ですらあるのだが、そのトリックを起因・要因にしたいくつもの事象や事件を展開させ、ミステリに仕上げてゆく過程にセンスがあると感じた。

(以下、ちょっとネタバレ気味、気になる人は飛ばして)
本作のラスト、真相を悟った主人公はある人物と対峙する。相手は屈服せず、逆に主人公に問い返すようなかたちで二人は物別れに終わるところでラストを迎える。ここの場面のざらりとした感触が、実は本書ではキモではなかったかと思うのだ。同じ世界に足を踏み入れたはずの二人が、実は異なる価値基準で生きていたことに否応無しに目を向けさせられる。某競技の八百長騒ぎにも似て、そのサークル内部で生き残るためには必死であって当然という態度が露悪的に示されているように感じた。
 フィクションなので作者の主張がどこにあるかも分からない(そもそも主張なんてないかも)のだが、才能ありそうな新人をベテランが潰したり、嫌がらせをしたりというのは、限られたパイに対して毎年毎年新人が送り込まれる現行制度のなかでは当然起きえる事態だと思うし。
 何がいいたいかというと、こういったクローズドサークル内部では、正義が勝って終わるかどうか分からないし、そもそもどこに立ち位置を決めるかによって正義の定義すら変わってしまうということ。作者がここまで狙ったのかどうか(ついでにいえば小生の解釈があっているかどうか)は不明だけれどそう感じたので書いておいた次第。
 文章はなかなかうまく、新人さんのデビュー作とは思えない筆遣い。読者がいることをきちんと意識されている。あと は選者の方がいわれていたように、登場人物、悪くはないのだけれども強力な魅力までは感じられなかった。うまくいえないが、競馬という競技への作者の愛と憎が相半ばしてしまい、どっちつかずになったキャラクタが複数出てきてしまったという印象なのだ。

 先に述べた通り、物語構成は悪くないというかむしろセンスあると思うので今後どのような作品を発表されてゆくのか楽しみではある。競馬か、それ以外か。それ以外を題材に選んだ時のハードルは結構高いかも。


11/02/21
福田和代「迎撃せよ」(角川書店'11)

 スマッシュヒットの連発を続ける若き冒険小説の書き手・福田和代さんによる軍事サスペンス長編。『野生時代』二〇〇九年十一月号から二〇一〇年十一月号にかけて連載された作品の単行本化。

 洋上に大きな鉄板を浮かべたような巨大な構造物・メガフロート。タグボートに曳航され中国に納入される予定のメガフロート四基が、ヘリコプターに乗った何者かの襲撃によって奪われた。そして「北」のミサイル実験に伴う警戒態勢が航空自衛隊に敷かれるなか、ベテラン航空自衛官の安濃将文一等空尉は、緊張感を強いられる生活に精神と身体のバランスを崩して苦しみ、辞表を提出する寸前まで追い込まれて居た。安濃の部下に配属されたのは新人ながらオリンピック級の射撃の腕前を持つ女性自衛官・遠野真樹。しかし真樹は上司の不調に気付きはしていたが、具体的な行動には出られない。そんななか、航空自衛隊の岐阜基地から、ミサイルを搭載したF-2戦闘機が何者かによって盗み出されるという事件が発生した。ミサイルは富士の樹海をめがけて一発発射され、同時に首相官邸には三十時間後にミサイルを日本国内の主要都市に撃ち込むという犯行声明が届いた。安濃はその動画をみて、自衛隊を辞めた元上官がこの事件に関わりがあると直感し、待機命令を無視して元上官の行方を追うことに決めた……。

全編緊張感持続。国家の安全がどうやって、そして誰に守られているのかについて思いを馳せる
 先にここまでの発表作品でも、そして本作でも感じられる個人的な福田和代さんへの不満。それは一つの作品が、その主要なテーマや扱われているディティールやイメージに比べて物語が(分量的に)短い! ということ。本書についても、同じような感想がありまする。
 日本という国家、自衛隊の存在意義といった大上段ともいえるテーマ性。また日本国家に対する国家がテロに遭うというショッキングなテーマ。またいざコトが始まるに、戦闘機パイロットや指揮官など、派手な立場の人物たちに一応は触れつつも、一番大きなスポットライトを縁の下の力持ち(防衛ミサイルの専門家)に割り振る大胆さ。これだけの諸要素を込めつつも、普通の単行本一冊分のボリュームにあっさりとまとめてしまうかな。本書はそういった意味ではもっと分厚くなっても良いと思うのだ。そして書き込まれた彼らの物語をまた読みたいと思う。

 日本という国家を動かすテロとなると、どうしてもそこに行き着いてしまうのか、複合的な理由で引き起こされたテロの幾つかの動機については既視感があった。ただ、多少先人の作品とアイデアが被っていたとしても、むしろこの軍事サスペンスの分野は発想以上にディティールであるとか、人の思いといったところが描けているかが重要で、それらについては充実していて軽々クリアするレベルにある。 また、想像力で書かれている日本という国家が進める緊急事態対応、これは現実を振り返るとこの小説のように行けば良いのに、と嘆息させられるレベル。日本の現実の指導者ははこの小説よりも幼い──。

 また、多少語弊があるかもしれないが、ここまで刊行されている福田和代さんの作品のなかではクライマックスに向かう物語のバランスがもっとも良く取れているように感じられた。(ほかが悪いのではなく、この作品が特に良い)。そういった様々な点においても、まだ日々進化している作家であり、次から次へと新作が出て、かつ着々とレベルアップしていることが分かるのは心強い。今後が素直に楽しみなのだ。