MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/03/20
拓未 司「虹色の皿」(角川書店'10)

 2008年『禁断のパンダ』にて第6回「このミステリーがすごい!」大賞の大賞を受賞してデビュー。本書まで二冊の著書があり、本書は初めて宝島社以外から刊行された作品になる。『野生時代』2009年3,6,8,10,12月号、2010年3,5月号に掲載された作品がまとめられたもの。エピソードは書き下ろし。

 高校卒業を間近に控えながら特に進路もはっきり決めていなかった岐阜の高校生・小西比呂は偶然テレビで観た神戸の『シェ・ホンマ』のオーナーシェフ・本間の姿を見て感動、大阪の料理専門学校に通ってシェフを目指す。最初の包丁研ぎから自分の仕事ではないという青い小西に、遊び人だけれど要領の良い洋介、真面目な努力家の圭吾、ちゃらんぽらんの俊夫といった学校の仲間、さらに料理学校の卒業生で近所で働く頼れるお姉さん・美穂。比呂は様々な人と巡り会い、自分なりの努力を重ねた結果、厳しい現実とも向き合いながらも数十人に一人という関門を突破して『シェ・ホンマ』で働くことが決まった。しかし、比呂を待っていたのは更に厳しい修行の毎日だった。料理どころか、何をするか明確に指示が貰えないまま、気を利かせて様々な料理の準備や下ごしらえを臨機応変に対応しなければならない毎日。深夜まで働いて早朝には店に出なければならない。同期で入ったもう一人の女性・川上絵里もあっさりと辞めてしまった挙げ句に料理人にとっては地獄のクリスマスシーズンに突入してしまう。比呂の心と身体はもう限界??

料理人ビルドゥイングスロマン。物語の流れはありがちご都合主義でも、気持ちは最後に暖まる
 先に苦言めいたことをいっておくと、大筋としての展開は実に平凡なのだ。何の取り柄も才能もない(ようにみえる)高校生が、人気レストランに就職、若者らしい紆余曲折は経るものの、最終的に人生結構やり直しもきいて成功するまでというストーリー。
 物語は陳腐そのものであるのに、読後感が不思議と暖かく、それでいて結構きちんと印象に残る。……のは何故なんだろう? 少し考えてみた。
 なんの素養も実力もないのに料理学校の先生にかみつく生徒。特別に魅力があると思えない主人公に好意を寄せる年上の美女。さらにその美女には一発逆転を秘めた秘密が。ご都合主義ではある。ではあるのだが、それが「ずる」ではなく物語全体が持つ暖かな雰囲気を高めるために機能しているので良しとなるか。「このミステリーがすごい!」大賞出身の作者ではあるが、ことここに至ると料理、及び料理人の心意気に関する微妙なtips以上の謎を提供するつもりはないようで、あくまでストレートな青春小説となっている印象だ。
 ただ、その青春小説に沿って、その微妙なtipsが大きな意味合いを持っているところが物語の吸引力になっている。なぜ超一流レストランである「シェ・ホンマ」での主人公の働かされ方がこうも酷いのか。なぜ包丁は料理人が研がなければならないのか。一話一話に微妙な蘊蓄とナゾが絡め合ったエキスが振りかけられている。
 もちろん、物語の結末もなかなか読めないところではありますが。

 本書だから付け加えられているのかもしれない、作者・拓未司氏のプロフィール。「拓未司氏は1973年岐阜県生まれ、大阪あべの辻調理師専門学校卒業後、神戸のフランス料理店に就職。その後様々な飲食業に従事。」(後は上のデビューに関するプロフィールへ)。これは、本書の主人公・比呂くんのプロフィールに限りなく近い(ようにみえる)。純粋に料理に取り組んでいた頃への、作者から過去の自分自身へのオマージュなのかもしれない。


11/03/19
北村 薫「いとま申して 『童話』の人びと」(文藝春秋'11)

『オール讀物』二〇〇九年十月号から二〇一〇年十一月号(二〇一〇年五月号は除く)に連載されていた作品が単行本化されたもの。北村薫氏の実の父親・童話作家として若い頃に活動していた宮本演彦氏の日記をベースにした伝記要素を含む長編。

 直木賞作家である北村薫(宮本和男)の父親、宮本演彦(のぶひこ)。北村薫にとって謹厳実直な父親であり、学校教師であり、ほとんど家に人を招いたりしていなかったその父親は、実は若い頃は創作に心血を注ぐ一人の若者であった。明治四十二年生まれ。神奈川県の保土ヶ谷に医者の子供として生まれた演彦は、旧制神奈川中学から大学の予科に入学した。そんな頃、演彦少年は文学で何かを表現したいという気持ちに取りつかれており、その思いをぶつける先となったのが『童話』の世界だった。本書には他にも幾つかの雑誌や同人誌が出てくるが、中心となるのは大正から昭和初期にかけて刊行されていた月刊誌『童話』である。下関に住んでいた金子みすゞが投稿し、読者の便りの欄ではまだ若い淀川長治が名調子で投稿をしている。そんな雑誌に演彦は作品を発表していた。演彦自身だけの物語ではなく、その周囲に「童話」を中心に創作を志す人がいて、そして彼らもまた時代と共に生きていた。

父の日記を通じて昭和初期の文学模様・時代風俗を描き出し、父親の生き方・生き様にまた戻す
 「大げさに言えば、これを書くために作家になった。」と北村薫は言った。
 博識にして幅広い文学的素養を持つ直木賞作家・北村薫氏。その北村薫氏が、亡くなった父上の日記をもとにその若かりし日の「宮本演彦」像を昭和初期の時代と共に描き出す──といってしまうとそれまで。なのだが、巧者・北村薫氏だけあって一筋縄でゆけるような構成を取っていない。
 まず一つの要素は、その宮本演彦氏が、一時期の童話界でそれなりに志をもって創作活動をしていたという事実。子の北村薫本人ほどに事を成し遂げることは出来なかったものの、当時の時代をリードする雑誌に認められるなど、実績があった人であったこと。その演彦氏が当時感じたであろう情動を、半分第三者的視点にありながら上手に描くのだ。嬉しかったこと、哀しかったこと、無念だったこと。若かりし頃の父親がどのように生きたのか。その一つ一つをまるで見てきたかのように活字に紡いでゆく。 らしい、というとそれまでなのだが、その筆致に北村氏ならではの柔らかさと強かさがあり、ベースがノンフィクションにありながら、フィクションの物語を読むような感覚を味わえる。
 そしてもう一つ、当時の風俗の鮮やかな描写もそう。うまいのだ。こちらもまた、相当な資料を当たりながら再構成していったもの、の筈なのだが、当時をまるで見てきたかのような描写となっている。当時の若者の生態:映画を観て、歌舞伎を論じて、古典を含む大量の本を読んで。何を食べて、街では何が楽しみにされていたのか。交通は、天候は。こちらも父親の日記だけをベースにするのではなく、相当な資料調べが背景にあった筈なのに、さらっと料理が出てくる。ため息の領分である。
 本質とは関係ない話だが、宮本演彦青年、戦前の日本人男子に対する思い込みがひっくり返された。決して不良青年という感じではないのに学生の身空から莨をすぱすぱ吸って、学校も軍事教練関係があるとすぐさぼってしまう。そういうのも昔から「あり」だったんですね。

 友人がいて、青春があった。純粋な物語でもなく私小説でもなく実録でもない、不思議な構成によって形成された伝記的小説作品だ。


11/03/18
貴志祐介「ダークゾーン」(祥伝社'11)

 『小説NON』平成二十年十一月号から二十二年三月号まで『ダーク・ゾーン』という題名で連載された作品に加筆修正と小さな改題を施して長編として刊行したもの。『悪の教典』での山田風太郎賞受賞後の第一作目ということになる。

 将棋のプロになる一歩手前の状態である、奨励会三段に所属する大学生・塚田。彼が気付いたところは端島、通称は軍艦島と呼ばれる廃墟の一角であった。彼を含め、化け物じみた外観をした仲間、そして一つ眼(キュクロプス)と呼ばれる弱々しい姿の参謀役。どうやら彼らは敵との戦いのさなかにあるらしい。赤く光る身体を持つ塚田らに対し、敵は青い光を放つ。なぜに戦わなければならないのか分からないまま軍人将棋さながらに、一定のルール(化け物同士の力関係)に従いながら、七番勝負を戦うことになる。自分は王将(キング)であり、その命を喪えば敗け。参謀役に一つ眼、大量殺戮が可能な火蜥蜴(サラマンドラ)、空から偵察が可能な皮翼猿(レムール)、巨体を利して盾にも突撃にも使える鬼土偶(ゴーレム)、触れるだけで相手を殺害できるが防御力は高くない死の手(リーサル・タッチ)。ほか、歩兵(ボーン)が六名、口すら利けないDF(ディフェンダー)が六名が全軍。そして青軍も、一つ目に相当する化け物が聖幼女(ラルヴァ)だったり、火蜥蜴が毒蜥蜴(バジリスク)といった違いはあれど、戦力は同等だ。どうやらその化け物一匹一匹は、大学や奨励会を通じての塚田の知り合いであり、死の手は恋人であった井口理紗である。幕間にて語られる現実、そしてダークゾーンの戦いの行く末は?

自身も含めてシミュレーションゲームの駒となる戦い。その展開と世界のナゾ……。
 永井豪の短編漫画で、シミュレーションゲームのコマがその世界で感情を持つという、似た設定のものを読んだ記憶がある。いずれにせよ「なぜ戦っているのか分からない」まま、軍人将棋ならぬ化け物将棋を戦い、ルールに従いながら相手を排除し、敵の王将を取ろうと双方がしのぎを削ってゆく。そもそもが何故戦っているのか判らず、戦いの末に何が待つのかも判らない。判らないだらけのなかでただ盤上のルールに従い、目の前の敵を倒す。戦略で優位に立ち、戦術で圧倒する。実際、自分の意思で対応しているようにみえるものの、これではゲームの駒に過ぎない。
 ……といった演出を意図的に入れつつ、ではその戦いの理由は──? といったところが幕間から徐々に現実世界、奨励会で優秀な成績を残してプロになるという部分で壁にぶつかっている塚田、恋人がいながらストーカー紛いのつきまといに遭って戸惑う塚田、そんな彼の姿が浮かび上がってくる。怪物パートも残酷だが、どうにもならない感情の振れから経験する現実の出来事もまた、残酷。そこに至る展開は、ある程度予測できる範囲にあるとはいえ胸に突き刺さることは違いない。
 そして、化け物将棋、現実世界、二つのメビウスの輪が繋がる。作者は何がやりたかったのか。化け物将棋はフル試合をこなすことになるため、このゲームの多様性、戦略性はそれぞれの回に意外性があり、確かに面白い。ただ『クリムゾンの迷宮』などと同様、単なるゲーム小説が書きたかったということでもないはずなのだが。どちらかというと強烈かつ哀しい現世での妄執が強烈に心に残る作品だ。

 大ヒット作品となった『悪の教典』の次に来た単行本ということで、注目度は高い。しかし『悪の教典』とはまた全く異なる手触りであるところが、多様な作風を自由自在に使いこなす貴志氏の貴志氏たる所以。ただ、化け物将棋の登場人物(?)や戦い場面についてはラノベ絵といわないので、何らかの挿絵があってくれた方が良かったかも。


11/03/17
西尾維新「偽物語(下)」(講談社BOX'09)

  『化物語』が本編となる、西尾維新流怪異譚シリーズ。前日譚にあたるのが『傷物語』、そして後日譚にあたるのが、『偽物語(上)』と本書『偽物語(下)』にあたる。本編では最終話として「つきひフェニックス」を収録。(但し、事実上続編もスタートしており、最終作ではない)。アニメ版も人気らしい(と、今更)。

 阿良々木月火の正体を開示することによって、それではいよいよ僕達の物語に終止符を打つことにしよう。 そんな冒頭文から始まるのがこの物語。これほどまでに本書の「芯」を捉えた一言はないのだが。所詮ただの妹。ファイヤーシスターズの片割れ。中学二年生、四月生まれ、十四歳でB型、ヒステリックでずる賢くて、感情がピーキーで、そして不死身な、ただの偽物の物語。
 阿良々木暦は、大きい方の妹、阿良々木火憐から強烈なラブコールを受ける。ラブコール自体の発し方受け方に何か間違いがあるように思ったのだが、要は暦が仲良くしている変態後輩・神原駿河を紹介して欲しいのだという。ある種の危険を感じた暦は拒否しようとするが結局は紹介を約束せざるを得なくなる。その二人が、暦を火憐が肩車するという変則的な移動方法で神原家に向かう途中・ポストの上に立つ京都弁の女性から道を尋ねられた。影縫余弦と名乗る彼女は、かつて忍野メメが居た学習塾の場所が知りたいという。珍しく無口になった火憐がいうには、ものすごく強い女性だったらしいのだが。ここまでほとんど登場してこない阿良々木月火の正体とは?

まさに、200%趣味で書かれた小説、なのだが、徹底が過ぎすぎて面白い
 冷静に考えると、新たな登場人物が二名(化物みたいな人間と人間みたいな化物)に加えて、阿良々木暦の妹のかなりショッキングな秘密が明らかにされている回でもあり、筋書きとしては本来、それなりに充実させることは出来た回だと思うのだ。細かいことだが、暦が自宅のドアにもう二度と手を掛けることができないとは、その時は気付くことが出来なかった、とかそういう趣旨の文章があるのだが、これなぞ非常に巧みなレッドヘリングだと思うし。その他にも、効果的にミステリ的な仕掛けも施されている。
 真面目な物語展開、そう出来るのに、そうせずにむしろ脱線をメインに進めてゆくところが「趣味200%」の趣味たる所以であり、一部の特殊性向を持った読者を大喜びさせているように思われる。そういう意味では重要なので書いておこう。……この火憐と暦との歯磨き勝負という場面は名シーンだよなあ。エロ的に。 また、アニメ化直前ということでメタ的、かつ楽屋落ちのような会話が多いのも特徴。作者が喜んでいる(?)ことの裏返しなのかもしれないが。
 あと、デカレンジャーネタはタイムラグがあるけれど、じわじわと個人的には忍び込んでくる感じ。今更地獄の番犬とかいわれても、こんなおっさんの微妙なツボを刺激してどうしようっちゅうねん。
 こういった、物語本筋から外れた「趣味」部分が「メイン」で、「物語」の部分は「付け合わせ」。 こういう割り切りをもって、阿良々木暦ハーレムを(というか、女性との様々なやりとりを)描いてゆくこと自体が本書においてはむしろ正当化されていると言って良い。この後に展開されていく、本筋に近いところの戦闘アクション場面であるとか結構痛々しく(これは現実的に「痛い」の方の意)、西尾維新全体ではとにかく、このシリーズについては本筋以外の登場人物同士の会話であるとか、態度といったところがむしろ読みどころと割り切る必要があるだろう。

 セクハラ紛いの、紛いのところがセクハラそのものになりつつある阿良々木暦。とはいえ、それぞれキャラクタ同士の会話のノリの良さ、テンポの良さ、マニアックな話題といった部分、こちらは不変。しかも「下」から読み出す奇特な方もいないだろうし、あくまでシリーズファン向けの作品。


11/03/16
石持浅海「八月の魔法使い」(光文社'10)

 若手ビジネスパーソン向けのライフスタイル雑誌『GAINER』の二〇〇八年十月号から二〇一〇年三月号にかけて連載された長編が単行本化されたもの。初出時のタイトルは『八月のかけた魔法』で、単行本化の際に改題されている。

 入社七年目で「役員のお守り」と揶揄される経営管理部に所属しているサラリーマン・小林拓真。勤務先は中堅の洗剤メーカーで、ある時期まで急成長していたのだが、近年はそこそこの企業規模を維持したまま、多少停滞感が漂っていた。お盆の時期、工場は夏期休業中だが本社間接部門は出勤日。のんびりしたムードのなか、役員に新規ビジネスプランのプレゼンテーションを企画部の大木課長が拓真の婚約者で企画部OLの深雪と共に行う予定となっていた。拓真自身は、ちょっとした仕事の関係で総務部の中林部長のもとに社長印を貰いに訪れた。中林部長は、近々定年を迎える松本係長と仕事の引継ぎをしていたが何やら様子がおかしい。松本係長は「事故報告書」の表紙を中林部長に見せた瞬間、部長の顔色が変わったのだ。一方、役員会議でも深雪が指示されたプレゼン資料を画面に映し出したところ「事故報告書」の表紙が。工場部門の責任者が知らない報告書。果たして、二箇所同時に進行する、この報告書が持つ意味とは。昼行灯といわれつつも、松本係長はかつて切れ者として知られ、家庭の事情で昇進を断ってきた人物。拓真は、その報告書が持つ真実に到達できるのか。

シチュエーションさえ整えば、大企業の役員会議ですら緊張感漂う本格ミステリが展開できる
 たぶん学生さんや自営業者の方が読んでもあまり面白くないんじゃないだろうか。中小企業以上の組織で身につまされるように読むのが正しいあり方ではないか、というようなことをいうのも、逆に想像力の欠如かもしれないけれど。ただ、かなりデフォルメされているとはいえ、組織人の立場から読んでいて思ったのは、本件に限らず、不測の事態の対応という部分に人間性が如実に出るということ。(まあ、震災後の某組織なんかもみていて同じようなことを思う訳ですが)。また、組織の場合は確実にその人間性は観察されている一方、それが人事に直接に(簡単には)反映されないこともまた。 そういうところを引っくるめて涙なしには読めない訳です。
 ちょっと本来の感想から外れたか。基本的には、組織に波風をあえて立てるという行為自体が謎、その謎を提示する人々もまた謎めいた雰囲気を醸し出していて、主人公が多くを類推と蓋然性からその真実を探り出そうという内容。手がかりが事前にある本格というよりも、謎に対する他の人物の動きや背景から次の最善手を考える、一種のゲーム小説めいた雰囲気が強いか。ただ、その緊張感はサスペンス小説にも似て、会社の会議室という身内による閉鎖空間のなかでこれだけの緊張感を描けるという部分も個人的には評価高めの理由の一つになる。
 ただ、全体的に非常に人工的なイメージがあり、それが硬質な文体と相まって独特の石持浅海氏らしい世界を作り出している。これは良くも悪くも特徴的なところであり、個人的には大好きなのだが、どうやらこれが苦手な方も少なからずいらっしゃるようだ。

 若いビジネスパーソンの方は一種のサラリーマンビルドゥイングスロマンとして読むのもあり。一方でミステリファンであるならば、こんな変化球的なシチュエーションであってもミステリは成り立つというところ、驚きながら読むのが吉ではないかと感じた。


11/03/15
辻真先(他)「探偵Xからの挑戦状! season2」(小学館文庫'10)

 NHKが行っているケータイ小説とテレビドラマのコラボレーション企画「探偵Xからの挑戦状!」。その犯人当て小説の問題編と回答編を集めたアンソロジーが本シリーズだ。本書は2009年10月から全八回で行われたSeason2が対象。Season3が2011年4月から始まっている。(ただ全3話となっているため、本書同様に文庫に入れてもらえるかは微妙かもしれない)。

 三ヶ月に一度の割合で壮烈な恋をして凄絶に失恋するタレント・葉月麻子。死ぬ死ぬと路上で喚いていたところを何者かに拉致されてしまう。気付くと屋敷の中に見知らぬ男女と共に閉じこめられている。彼ら全員、自殺志願者だった。その晩、食べ物に睡眠薬が仕込まれ、麻子は椅子に縛られている状態で目を覚ます。 『嵐の柩島で誰か死ぬ』辻真先
 メゾン・カサブランカという名のボロアパートの住人兼大家、そして磯田の隣人である柿崎慎吾が部屋で首を吊った状態で発見された。しかし磯田はそのごく直前に「おもしろいものを見つけた」という柿崎からのメールを受け取っていた。『メゾン・カサブランカ』近藤史恵
 政財界で女帝といわれている深倉澄子。直属部下十二人の最下級の秘書・佐分利光一は十数回のメールと電話をかけてようやく澄子本人のアポを取った。彼女を殺し屋学校の卒業生が狙うという確かな情報があったが「誰が」という部分の情報が断片的にしか入手できない。 『殺人トーナメント』井上夢人
 科学技術の進歩の結果、人間が一度でも視た映像は記憶から分離して第三者が取り出すことが可能になった。犯罪捜査に当然応用されているが、裏社会ではその記憶を修正するメモリーパッチが使用されるようになった。ある事件の容疑者の記憶にこのパッチが当てられた形跡があったが……。 『記憶のアリバイ』我孫子武丸 以上四編。

同じ「犯人当て」でありながら、その趣向は様々。オーソドックスあり変化球あり
 あるレベルの実績を残すベテラン(近藤史恵さんであろうとベテランの域だろう)の本格ミステリ作家四名による、ある意味では作家同士の競作であり、実際は読者を相手にした真剣勝負。テレビや携帯という媒体を介することで犯人当ても昔からみれば次のステージにあたっている。
 実は純粋にパズラーとしての面白み(脳味噌を振り絞る)という意味では、井上夢人氏の『殺人トーナメント』がユニーク。いわゆる推理ものとは異なり、トーナメント表にどう人間を当てはめてゆくかという「頭の体操」のヴァリエーションなのだけれど、一旦考え始めるとなんというか、没入してしまうタイプの謎なのだ。推理の正解を求めることも必要なのだけれども、その結果として得られた解から皮肉に物語を展開させるところなど、往年の岡嶋二人を思い出すスマートな手腕を感じた。これを普通に推理ものにもできるところにパズルを持ってくるとはねえ。
 『メゾンカサブランカ』は、近藤史恵さんが執筆したという点が実は微妙なミスリードになっているという。珍しい国からの留学生だとか、アパートの住人というのは怪しい人も怪しくない人も総じて怪しくみえるのは何故なのだろう?
 我孫子武丸さんの『記憶のアリバイ』、これもまた我孫子さんらしい近未来SF設定がベースの犯人当て。ミステリ仕立てにしていなかったとしても、この脳味噌に偽記憶を植え付けるという考え方で半分おなかいっぱい。あまりそういう視点で評価されないけれど、我孫子さんの描く近未来SFって魅力的な設定を活かした作品、多い。
 そして問題は『嵐の柩島で誰か死ぬ』。そもそもが人為的、人工的に過ぎる設定が多数ある状況のなかで、真実を、といわれてもこれはきつい。正答者も実際に少なかったようだが、どういう方向にでも空想や妄想を拡げられる自由度の高いケースでの犯人当てはちょっと不親切な気がしました。辻先生だから誰も文句を出せないのではないかと思います。

 ただ、実際に犯人当てに使用された問題ということもあって、前作の『探偵Xからの挑戦状』と同様に普通に文庫を読みながらポストイットを挟み挟み実際に推理しながら読み、定価分かそれ以上楽しませて頂きました。


11/03/14
山田正紀「人間競馬 悪魔のギャンブル」(角川ホラー文庫'10)

 個人的には全くノーマークで気付くと角川ホラー文庫で平積みになっていたので購入した一冊。書き下ろしと思われる。

 新宿副都心、新宿駅から見えるどこかのビル。時刻は夕暮れのごく僅かな時間のあいだ、見つけようとする者には見つけられない場所に城壁のようなビルが聳えており、そこには醜悪なレリーフが施された四体のガーゴイル像が存在する。その四体を貴方が見詰めているのではなく、じりじりとその位置を変えながらガーゴイルは四人の人間を見詰めているのだ。まず悪徳刑事・高界(たかい)良三は、同僚の科川に不正の証拠を握られ、退職を迫られる。時間が区切られているあいだに老人ホームで不審な死を遂げた老人、しかもその老人は入居者ではないという事件の捜査にあたった。高界は介護している自分の母親に生命保険をかけたばかり。その晩も痴呆の母親の介護をしている最中、科川から呼び出される。科川は高界を横領事件の犯人として殺害しようとしたが高界の逆襲で死亡、高界は科川の代わりに三千万円の現金を入手できてしまう。母親殺しを延期できるはずだったのが、帰宅してみると既に科川から依頼され未生敬之という少年が、高界のアパートに放火をしたあとだった。高界は未生を殺害しようと付け狙うことになるが、また高界も別の人物から殺害ターゲットとしてマークされていた。

最初の最初からどこか忌まわしい。天然で精神がおかしい四人の男女の殺戮ゲーム輪廻
 近年の山田正紀氏の文章は、それがミステリであれSFであれ、どこか以前以上に硬質な印象がある。具体的にこの言葉があるからとか、文章そのものはそう変化がないと思うので、その文章を紡ぐ段階の呼吸というか、感覚的なものなのだと思う。客観的な描写が要請される本格ミステリや、ハードSFなどとは相性の良い文章だと思うが、ホラーだとどうか。結論からいうと、普通のホラー小説とは全く異なり、言語の曖昧さを排除した狂気がきりきりと心にしみるハードボイルドホラー(造語)ができあがっているように感じられた。
 新宿都心を見つめる普通の人には知覚出来ないガーゴイル=悪魔が存在し、その悪魔たちの賭けの対象となっているのが、人間たちによる生き残りレース。人間競馬だしね! →人間競馬っておかしくないですか。人間なら「競人」? だと意味判りませんね。
 問題は大枠のギャンブルとしての設定はあれど、あくまで天上メタレベルの話になるため、対象とされた人間同士にはルール(勝ち負けすら)無し。競馬に出場する競走馬も、レースの雰囲気は感じていようが実際自分の立場が理解できないように、人間競馬も何かおかしいと感じながら、自分が何らかのゲームに参加しているとは思っていない。ヨーイどん! で殺し合うということもなく、あくまで自らの気持ちのなかで醸成される殺意に従って行動することになる。また、賭けた悪魔がその能力のごくごく一部を対象となる人間たちに送り込んでいるのもポイントか。人間を緩くコントロールできたり、感情が読めたり。
 ただ、物語としては先述の通り、殺意が交錯はするもののルールがばらばら。 個人個人が相手を恨み抜く様子と、彼らが絡み合うことによって発生する偶然の面白さのようなものは醸成出来ているものの、そこまで。アイデアとしては理解する。するのだけれど、物語としてのまとまりが欠けてしまっている印象だった。

 醸し出されている忌まわしさや緊張感という部分はパートとしては流石の印象も、トータルの物語としてみたときはある程度まとまってはいるもののインパクトとしては弱くなっている。不謹慎だが、殺し合いサバイバルゲームのような面白さは無い。山田正紀ファンの文体から大好きというファン向けか。


11/03/13
田中啓文「獅子真鍮の虫 永見緋太郎の事件簿」(東京創元社'11)

 田中啓文の幻のデビュー短編を収録した『落下する緑』(題名が色)、第62回推理作家協会賞を獲得した「渋い夢」を含む『辛い飴』(題名が味覚)に対し、本作では題名に必ず生物が入っている。
 しかし、梅寿シリーズよりも個人的には偏愛している永見緋太郎シリーズ、どうやらこの三冊目が最終作になってしまうようだ。声を大にして皆叫べば運命は変わるかもしれない。「続き出せーーっ! 東京創元社ァーーーっ!」 ──届いたかどうか心許ないなあ。

 波瀾万丈の人生を歩んできた「自慢屋」ドラマーが書いた自伝がヒット。映画化されることになり、かつて実際にあったドラム勝負の場面を撮影しようとしたところ……。 『塞翁が馬』
 生の音にこだわるドラマーと、自分が一番目立たないと嫌なベース。かつてぶつかり合って絶縁していた二人を二十五年ぶりに組ませる計画。双方、我が道で名を成していたが、リハーサルではやはり喧嘩状態に。 『犬猿の仲』
 大物ジャズペッター・タイガーのトランペットを手に入れるチャンス。唐島は財産の大半をはたいてその名器を手に入れた。しかしタイガーには別に熱烈なファンがおり、その男が何も妨害してこないことが逆に不思議だった。『虎は死して皮を残す』
ニューヨークに到着したばかりの唐島と永見。いきなり楽器泥棒と間違えられる。実際にこの周辺では壊れたり、安物だったりする楽器が度々盗難にあっていた。 『獅子真鍮の虫』
 シカゴで永見の練習を見に来たしょぼしょぼの掃除夫は、レコードを出したこともあるかつての名プレイヤー? そのことに気付いたジャーナリストが楽器を買うための寄付を募り、演奏を再開させようとするのだが。 『サギをカラスと』
 ニューオーリンズ。あまりに凄腕のアマチュアを見るうちに唐島は自信喪失になりかかる。永見に連れられた占い師の老婆が調子の良いことをいうが信じられない。 『ザリガニで鯛を釣る』
 唐島と永見が帰国。バンドメンバーは他で仕事をしており、唐島もなかなかもう一度バンドを組む気がおきない。そんななか芸能界でも大物となるミュージシャンのデビュー四十周年記念コンサートにおけるバックバンドの仕事が回ってきた。その最中、展示していたゴールドディスクが消失する事件が発生する。 『狐につままれる』 以上七編。

異色の本格・音楽ミステリとしての存在感と独特の切れ味。即興演奏と意外な真相との相性が抜群
 さすがに三冊目ということで当初は比較的色濃く存在した本格ミステリとしてのテイストは徐々に薄れてきた。作品によってはもちろん本格風味が濃いもののあるのだが、全体としてはジャズやさまざまな周辺音楽にまつわるエピソードに、ちょっとした謎を絡めたライトミステリといった趣きに変化してきている。
 ただ、実在のミュージシャンの実際に存在するエピソードなどからヒントを得たと思しき展開とはいえ、物語としての先を読ませない。読めたと思っても微妙なズレがある。(実際のエピソードにしても、意外とそんなものなのではないだろうか?) 現実の音楽界のことはよく知らないが、本書を読む限りジャズの世界は(そりゃまいろいろあるだろうけれども)長い目で見た時は公平な実力主義によって淘汰されているようにみえる。唐島と永見の米国武者修行も彼らの実力が相応にあってこそ成り立っている。本書や、その土地土地で書かれていないであろうエピソードも含め永見自身の内面変化は微々たるスピードだけれども、さすがに三巻通じては僅かに人間的にそして大きく音楽的に成長している。そういう意味ではビルドゥイングスロマンといっても良いのではないだろうか。(残念ながらそれが結実する場面まで本書では至っていないのだが)。

 音楽やミュージシャンを取り上げた本格ミステリは数多く発表されているが、学生の吹奏楽やロックといった正統派が主体に思える。ミステリ&ジャズという取り合わせ自体は珍しいし、そのミュージシャンとしての日常のなかから提示される謎がユニーク。本格と、そうではない謎(人間関係の綾であるとか)が、双方取り入られるようになったことで、より音楽を通じての「業」みたないものが浮かび上がってきている印象。この世界も一度入り込むと骨がらみになってしまうのね。また、あくまで本書の場合だが、永見緋太郎が謎に対して解決を求め、最適解を見つけ出す手法、どこかその一瞬(真相に加えて関係者の事情とか)に対する最適を探し出すという意味で、ジャズの即興演奏とに共通した感覚があるような気がする。
 ミステリとしてはやはり『虎は死して皮を残す』か。犯人の密室脱出方法ではなく、証言者の誤認を誘う方法はめちゃくちゃだけど、これは「あり」。特に、捜査側の背後で行われたであろう仕草が目に浮かぶところが面白い。もう一つ、『狐につままれる』での密室からのゴールドディスク消失。その犯人を永見が諸条件から限定していく過程が非常に論理的である一方で、一時的にディスクを四角に隠す方法がなんともバカミス領域に踏み込んでしまっている。……そりゃ物理的に可能なのかもしれんけど。

 そして、音楽。三巻目にしても様々なジャズの名盤が短編の末尾にて紹介されている。この紹介文がまた良い。「他の人間がなんといおうと、わしゃこのディスクが好きなんじゃあ」という作者の気持ちが滲み出ている。都合三冊分、この紹介も読んだけれども、今ひとつジャズはまだよく分からないので、youtubeとかでとりあえず試聴しながらどうしようか考え中。このオススメだけサイトでまとめたら使い道あるかな。それとも営業妨害?


10/03/12
青柳友子「ミスティ・ガール紅子 殺人者は二度ノックする」(角川文庫'87)

 副題は「カフェバー「クロ」の殺人調書2〈ミスティ・ガール紅子〉」と些か長い。この前作短編集『カフェバー「クロ」の殺人調書』に続く、第二短編集で文庫オリジナルである。書き下ろしは無く冒頭作品から順に『小説新潮臨時増刊』昭和62年7月、『小説春秋』昭和61年11月、『別冊小説現代』昭和61年12月、『婦人公論臨時増刊』昭和62年8月、昭和61年12月に発表されている。

 クロの常連客・菜佳子が自殺した。服飾会社OLながら金遣いの荒かった彼女は不倫相手をパトロンにしていたが、その彼と喧嘩して発作的に自殺したのだという。上昇志向の強かった彼女の自殺に紅子は不審を覚える。 『女が髪型を変えるとき』
 紅子が最近気に入っているのがサウナ・ラドン・温泉会館。友人の藤緒に誘われたのがいつの間にか一人で通うように。しかしある日、サウナで紅子は他殺死体を発見してしまう。 『バラのイレズミの女』
 ノブオとの信州旅行の最中、彼を傷つける発言を連発してからかったところノブオがどこかに消えてしまい紅子は一人に。糸魚川に行きたい紅子は、あるカップルから声を掛けられ同道することに。『桜肉はいかが?』
 いつものようにクロを訪れた紅子。しかしノブオが別の美女を連れて食事に出てしまう。しかもその美女は高級服販売店の社長と聞き、紅子はなぜか焦りまくる。『全ては夜に始まる』
 ジャーナリストのふさ子が紅子と連絡を取りたいと言い残し、そのままマンションから飛び降りて自殺してしまう。ふさ子の母親によると、ふさ子の評判は極めて悪く、死んだことを喜ぶ人までいたらしい。どうやら彼女は他人の秘密を握って強請りをしていたようなのだ。『殺人者は二度ノックする』 以上五編。

ミステリとしてはさすがに軽めも、バブル期軽薄短小時代の華麗な描写に味わいあり
 東大在学中に不倫に走り、その手切れ金を元手に二十三歳にて青山にカフェを開店、とんとん拍子に事業が拡大し二十七歳の今やカフェバー「クロ」を始め、東京で五つの飲食店を経営する実業家が、本編主人公の本名・平岡ハル。日中に実業家の顔をする時はおばさん風のファッションに身を包み自称四十五歳の本名に、そして夜に遊びに行く時は普段着の格好で「紅子」として遊び回り、時に好奇心から探偵の真似事をもしてしまう。「探偵役が最初から一人二役」が大前提というのが本書の最初のポイントなのだ。
 発生する事件は経営するカフェバー「クロ」を通じて知り合った紅子の関係者が不審死を遂げたり、事件に関係したりというところが発端で、そこに詮索好きの紅子が首を突っ込むという図式。紅子自身が事件に巻き込まれることもある。探偵役だけれども職業探偵ではなく、探偵が関係者に探偵と思われずに捜査しているところが本書の特質だ。 ミステリとしての真相はそう凝っていないにせよ、紅子が自ら事件に乗り込むことで軽妙洒脱なサスペンス感覚を作り上げている。
 しかし、改めて発表年代を見て感じたが、日本経済がバブル真っ盛り(当時はバブルじゃなくて単なる好景気だったのだけど)の時代。風俗の描写に限らず、登場人物の感性であるとか、街の風景描写であるとか様々なところに、バブリーな当時の名残が見え隠れしている。これを懐かしいと思うのは、当時を知るおっさんおばはんばかりかと思うが、それはそれでいいんじゃないかと思う。あのバブリーな状況って意外とそのまま小説として生き残っていないのだ。

 今更気にしても仕方ないのだが、紅子と、クロの経営を任されているノブオとの関係が微妙、というか一貫させられていない。紅子自身は他の男と遊びまくり、事件関係者に身体を提供して証言集めするような人物なのに、二人に男女関係なしというのはどうなの? 紅子にベタ惚れしているノブオ、紅子もノブオが大切で、でもこの二人の関係が清らかってのは、なんかここだけ妙に潔癖で、作品全体の軽薄な価値観とすさまじくずれているように思うのだよなあ。どうでもいいことですが。


11/03/11
京極夏彦「姑獲鳥の夏」(講談社文庫'98)

 1994年に講談社ノベルスで刊行されて以降、一大ムーヴメントを引き起こした京極夏彦のデビュー作品。デザイナーの仕事の退屈しのぎで書いた原稿をたまたま講談社に送ったところ、それを読んだ編集者が数日で本にすることを決定した、というエピソードはもはや伝説。事実上の第ゼロ回のメフィスト賞作品にして、中禅寺秋彦、榎木津礼二郎、関口巽、木場修太郎といったそれぞれ強い特徴をもったキャラクタがこの段階で確定していることもポイントだ。2005年に実写映画化されている。

 幻想文学を中心に執筆する小説家・関口巽。小説だけでは食べて行けないため、三文雑誌などに匿名原稿を書くなどの副業をしている。その過程で耳にした「二十ヶ月妊娠し続けている妊婦」というゴシップめいた噂についての意見を聴きに、学生時代からの旧友で中野の眩暈坂の上で古本屋をしている京極堂こと中禅寺秋彦を尋ねて行く。なんでも雑司ヶ谷にある産婦人科・久遠寺医院の娘の夫が密室内から失踪したうえに、残された妻が妊娠二十ヶ月になっているというのだ。京極堂の話を聞いてゴシップめいた自分の取り組み方を改める必要を感じる一方、その失踪した夫が、自分たちの学生時代の友人である藤牧だという指摘を受ける。京極堂の指示で藤牧と同級の先輩で、現在探偵を開業している榎木津のもとを訪ねる。すると、その久遠寺の者がちょうど当日に相談に来るのだという。関口は成り行きで訪問者・妊婦・梗子の姉だという久遠寺涼子から話を聞き、意味不明の発言を繰り返す榎木津の代わりに探偵役として乗り出すことになる。関口は翌日、榎木津と、中善寺の妹で雑誌記者をしている敦子と共に久遠寺家に乗り込む。

熟読により、多くの忘却と幾つかの誤解に気付く。今だからこそ皆さんに再読をお勧めします!
 あらすじを書こうとするとどうしても「妊婦は二十ヶ月も妊娠を続けることができるか」という冒頭に掲示される謎を省くことができない。久遠寺家の下の娘、久遠寺梗子の妊娠、その夫である藤牧の密室からの失踪。雑司ヶ谷の伝統的な産院・久遠寺医院では赤ん坊が攫われたという事件が数件発生しているという噂。ホラー小説と見まがうばかりに不気味な設定や奇妙な噂が、空襲で半分破壊され、今や廃院寸前という病院に流れている。
 解明に至る迄には久遠寺医院を巡るやりとりや赤ん坊失踪事件、榎木津の能力説明、関口の不思議な独白などいろいろな過程を経て解決へと進む。特に榎木津の能力に対する説明は懇切丁寧。そうとしか書いていないのだけれど、京極堂にとって「榎木津の幻視は現実に存在する」という前提から、記憶とその周辺理論で説明をつけている。説明機能としての「妖怪」であるとか、この後の作品にもいえることだが、結果と過程(ないし説明)の分離という論理構成を確として持っていることに改めて感心した。

 謎−解明という、ミステリサイドからのコンビネーションで物語をみた場合、どうしても最初に読む時は(一部ネタバレ)「二十ヶ月の妊娠」「藤牧の死体が目の前にあるのに、なぜかそれが見えないという関口」「死体があるのだから密室事件もへったくれもない」 以上の三段話、この部分を解明するところのインパクトがいかんせん強過ぎるのだ。冒頭で関口が京極堂に尋ねた不思議な話に対する回答として「不思議なものなど何もない」という結論に瞬間で辿り着いてしまう。結局のところ、関口一人称という表現方法に依るところもあるにせよ、本書のミステリ部、この部分だけ取り上げると、巷間いわれているようにバカミス扱いされても仕方ない。

 が、改めてしっかり読むと、関口巽の誤認は事件をややこしくはしているが、その事実自体はこの「姑獲鳥の夏」における、本質的な謎ではない。 あくまで妊娠二十ヶ月も藤牧消失も、ミステリとしては「従」。おまけですよ、おまけ。何度か読んでようやくそこに思いが至った。
 関口は事件を構成する要素ではあるけれども、事件の犯人ではない。事件の主犯は別にいて、その人物がなぜこのような事件を引き起こしたのか、その後の過程のなかで、なぜ真相は京極堂が解き明かすまで露見せずにきたのか。そういったところの方がより重要なのに記憶というものは不思議なものだ(ごまかし)。
 京極堂の憑物落とし=謎解きは、もちろんこちらの関口がもたらす誤解を除いた一連の謎の方に比重が掛かっている。

 上手いのは京極堂スタイルで、単一の犯人のみをいきなり断罪するのではなく、一見無関係にみえるような事柄を話の端緒としつつ、関係者の一人一人の行動を指摘し、犯人の背中をいかに押してきたかについて自覚させてゆくところ。関係者の無神経、無自覚、古い習慣、虚栄心。事件を構成している要素を、犯人一人の「せい」にしないところ に京極堂の探偵としてのユニークな個性がみえる。京極堂が好んで語る蘊蓄にせよ、単に思い付いた面白いことを書くのではなく、事件の本質や周辺事項を理解するのに役立つよう、筋道が実は立てられている。
複数の関係者ひとりひとりはもちろん、あまり理解力の高くない関口巽に誤解なく理解させるための蘊蓄(うんちく)。ミステリに限らず、小説作品に何らかの方面の蘊蓄があるということ自体は別に珍しいことではない。ただ、よくよく読むと本書における蘊蓄は、物語やミステリとしての謎と切り離せない蘊蓄ばかりなのだ。蘊蓄を読まされているようで実は、物語の流れの渦中にある。
 この本質を理解しないまま、各方面の蘊蓄を取り入れた「蘊蓄系」ミステリを爾後、さまざまな作家が発表したが単なる作者の趣味自慢や調査能力自慢状態だったものも多かった。そういう蘊蓄のための蘊蓄と一線を画すけれんが、京極堂シリーズの蘊蓄にある。

 なぜ赤ん坊は消えたのか、なぜ涼子は狂気を発したのか、梗子の妊娠二十ヶ月の理由とは。全ての謎が京極堂の能弁によって繋がってゆく過程こそが本書は読みどころなのだ。しかし、榎木津の能力あたりにせよ、最初からうまく説明しているものだと感心。人気シリーズの原点だけのことはある。そういえば、『鵺の碑』、だいぶ待たされているような気がします。