MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/03/31
井上尚登「幸せの萌黄色フラッグ ホペイロ坂上の事件簿 J2篇」(創元推理文庫'10)

  井上尚登氏は1999年『T.R.Y.』で第19回横溝正史賞を受賞しデビュー。その後、作品を重ねるが実は熱烈なサッカーファンでもあり、サッカーミステリでもある本シリーズが出来上がっている。『ホペイロの憂鬱』の続編で、サッカーチーム・相模原ビッグカイトに所属するホペイロ(用具係)坂上を探偵役とするシリーズ作品、第二弾になる。

 J2に昇格してから三年。一応やれることははっきりしてきたものの今年の相模原は絶不調。今日も親会社の専務が試合観戦にくるなか、社長は会議室にて挨拶の練習に励む。そんななか会議室に飾られた写真が一枚無くなる事件が。 『不機嫌なスペース』
 絶対的エースとなっている元気にまだ得点がない。何やら客席にいる謎めいた女性のことを気にしているようなのだが……。 『ホペイロのオフサイド』
 タイから来ている外国人選手・ティアちゃん。スタメンは予想出来ていると豪語していたホペイロ坂上は、ティアちゃんの道具の準備が整わず大あわて。しかし変なところからユニフォームが。 『ユニフォームがスルーパス』
 ビッグカイトに住み着いている犬・キョンがパンプスを咥えていた。持ち主は新任の女社長。サッカーをビジネスとみなしているのか、彼女はスタッフに厳しく仕事を要求、次の試合は動員2万人の目標を掲げ、実行が要求された。 『控えめなガッツポーズ』
 元選手の渡辺は相模原のスカウト。女たらしで今日は家族には出張と偽って女子大生とのデートの予定だった。しかしチームのサッカー教室に奥さんと子供がやって来たうえ、過去に付き合っていた女性がお腹を大きくして彼を訪ねて来た。大ピンチ! 『幸せの萌黄色フラッグ』
 J1昇格のかかった大事な試合直前に発表された親会社の相模ベアリングのサッカー経営からの撤退。社長も撫子もクラブ存続を賭けてぴりぴりしながらの対応のなか、坂上が大事にしていた鞄が消えた。 『昇格はポプリの香りに乗って』 以上六編。

国内サッカー好きには特に堪らない。笑いと涙のサッカービルドゥイングスロマン!
 本書における最大のサプライズは冒頭数ページに既に仕込まれていた。 何に驚いたって、前作だと巨乳で美人だけどきつい性格として坂上から恐れられていたチーム遣り手広報のオニアザミこと三島撫子さんが、秘密裏に坂上と交際していて一緒に暮らしているというのが二冊目からの設定。三年が経過しているので、前作でマドンナ役だったボランティアの奈々子ちゃんが正社員として広報に所属しているとか、若手選手だった元気君がチームを背負うエースストライカーだとか多少の変化は当然にしても、いきなり読者をのけぞらせるなんて、やるな作者。無理矢理サッカーに喩えると、キックオフ直後のセンターサークルからのフィードがそのまま得点になったような感じかな。いや成績不振で首を切られたはずの元監督がほとんど中断期間無しに別チームの采配を振るうことを知った時の気分が近いか。(あ、具体的な名前は無しですよ)
 小生、某チームサポなのでJリーグは多少詳しい方だが、その厳しい目線でもって精読しても、本作に描かれているエピソードや状態は概ねJ2の現実に近い。 第一話に描かれるサポーターの応援合戦は、水戸と山形の伝説の掛け合いを再現しているし(そういや漢祭りはないのか)、親会社に振り回されるチーム事情、サポと選手の距離(ある意味他のプロスポーツに比べてもめちゃ近い)、上位カテゴリからの引き抜き等々現実でもありそうな話が並ぶ。ただ『控えめなガッツポーズ』、細かいことだが、動員2万人の数字は、J1でも1万人程度しか観客が集まらない試合も多いことを考えると、首都圏に近い大都市クラブとはいえ所詮はJ2(エリートさんだって観客が集まらないと聞く)、こればかりは現実離れした数字……とここまで書いて気付いたが、これは『昇格はポプリの香りに乗って』への壮絶な伏線だった(のかもしれない)。この数字があれば、親会社が巨大スポンサーでなくても何とかなる可能性 がある。うん、そう考えると周到だな、これは。
 あと、JFL、J2と来て思うのだが、このシリーズはサッカーチームである「相模原ビッグカイト」が成長してゆくビルドゥイングスロマンに見えてくる。 樫井監督、内村社長、ホペイロ・坂上、三島撫子、元気、森といった選手に奈々子ちゃん、洗濯係の光恵さんに至るまでが細胞であり筋肉である生き物・相模原ビッグカイト。この集団が集団として機能し、良い経験値を積み、組織がグレードアップして成長していく姿がとても清々しく、読んでいて気持ちよいのだ。
 それにしても内村慈(ちか)社長の控え目なガッツポーズはかわいいですよね。

 本書の最終段階で、一旦はJ1昇格おめでとう。ということになるのだけれど、現実的にはJ2からJ1へゆくと様々な、予算の壁だとか施設だとか選手の入れ替えだとか運営側からすると哀しいドラマがあったりするので、シリーズはここでハッピーエンドというのもありだったかな。でも、それでも嬉しいことにホペイロ坂上のシリーズはWEB『ミステリーズ!』で今現在も継続中です。


11/03/30
福田和代「タワーリング」(新潮社'11)

 ここのところ活躍が著しい福田和代さんによる都市型サスペンス。『小説新潮』誌2010年1月号〜4月号に掲載された作品に大幅な加筆修正を加えて単行本化したもの。

 六本木に建てられた高層建築技術の粋が集められたインテリジェントビル「ウインドシア六本木」遣り手で知られる社長・川村が率いるマーズ・コーポレーションの本体も入居するこの建物はテナント部からオフィスフロア、居住区も含め、一つの都市を形成しているといっても過言ではない。そのマーズ・コーポレーションに勤務する中堅社員・船木康介は乗ったエレベーターから異音がするという指摘を受ける。他の社員はほとんど帰宅していたこともあり、船木自身が川村社長の住む50階に状況を報告、行きがかり上、エレベーター設備の会社の担当者に立ち会う。しかし異音の正体は分からず、エレベーター会社の応援を呼ぶ。重装備で現れた開発部に所属するという人物たちにより、異音の正体が悪質な悪戯によるものと判明、船木はそのまま朝を迎えた。朝9時社長が何者かに拘束され、放火とみられる事件が発生。これが巨大ビルジャックのスタートだった。

技術の最先端をゆく巨大ビルとその安全神話の盲点。さくさく読めるが内容は軽くない
 基本的に都市型テロの話。であるのだが、あえて殺伐とさせずに狂気よりも理性を重視する展開が上手いと思う。多数の人間を殺傷したいというような趣旨のテロであれば、本書にあるような手段にちょいとパニックを誘発してやるだけでとんでもない事態を発生させることも可能だろう。実際、犯人がどんなに周到に事を進めても、群衆心理は勝手に動き出す。しかし、作者はそういった展開を潔しとしていないことが感じられる。
 犯人側視点でも物語が描かれるが、その犯人たちが最初からどこか人間くさい。ただ、会話からそう感じさせるだけで隙があるということではない。もちろん犯人側の主目的が分からないまま(途中で現金とヘリコプターを要求するくだりがあるにせよ、それがその犯人たちが持つ雰囲気から似つかわしくないと普通の読者であれば判断するだろう)。ながら、彼らは常に理性的な対応を心がけている。むしろ、国際的に重要な美術品があるフロアに爆薬を用いてでも突撃の準備をしようとしている警察側がむしろ荒っぽくみえる皮肉な展開となっている。
 高層ビルであれば、通行できる個所を制限することは難しくない。階段とエレベーターを押さえれば、窓から空に飛び出す訳にはいかないからだ。その基本を押さえてビルジャックに成功する段取りもまた巧み。電気であるとか食料であるとか、犯人側がビル全体に対して心配りをしているところもユニーク。伏線としてというよりも、犯人たちの実像を透けて見せさせるのが目的か。
 そして驚天動地の終盤。ラストのビルのある仕掛けを用いた脱出(このあたりの伏線の張り方は見事だと思う)はクライマックスの一つ。ただ、フィクションだからトライが許されるというか、いくら実験を重ねていても本番で失敗したらめちゃくちゃ悲惨な死体が二個出来上がるということになりやしないか……と気付いて、ちょっと肝を冷やす。
 意地悪をいうと、上述の点についてここまで計画性高い犯人にしてはあまりに「賭け」の度合いが高いようにみえたところ、重大犯罪に参加するにはちょっと共犯者の参加動機が浅いように感じられたところあたりには微妙な引っかかりがあった。ただ、賛否あるかもしれない動機については「あり」だと思う。そうであることで一連の犯人の態度や事件の展開に整合性がとれるようになるのだ。

 ただ、日本で現実に発生する巨大な災害や付随する事件等をみていると、こういった想像の埒内にある舞台については危機管理がどこまで浸透しているかが重要であることに改めて気付かされる。事前に危機を想像することでしか、安全の準備は出来ないのだ。決して本書で描かれている犯人を礼賛するものではないが、作者も間違いなく意識はしているところだろう。


11/03/29
京極夏彦「豆富小僧」(角川つばさ文庫'11)

 2011年春『豆富小僧』がアニメ映画化されて公開された。『豆腐小僧双六道中ふりだし』がその原作だ。それと同時期に角川書店からは続編で新作となる『豆腐小僧双六道中おやすみ』の単行本、このつばさ文庫版『豆富小僧』に、豆本で刊行された内容を集めた『豆富小僧その他』等が刊行されている。ということで、本書はあくまでジュヴナイルとして対象読者を設定したレーベルに書き下ろし刊行された長編となる。

 ある企業に勤める科学者の母親の実験が大詰めを迎えている関係で、夏休みのあいだ、東京から少し離れた山奥にある研究所の寮に来ている淳史。父は既に亡く、普段は親戚のおじさん・志郎と共に暮らしている淳史は、久しぶりに母親と会えて嬉しくはあったが、その彼女が朝から晩まで研究所に詰めている。志郎もまた母親と同じ企業に勤めており、今回はその手伝いを兼ねている。従って淳史は放っておかれることが多く、携帯ゲームなどもやり尽くして暇を持て余していた。志郎からの情報によれば、近くにある村に神社の廃屋があるのだという。村を抜け、一人でふらりと出かけた淳史は、その情報通りの元神社を訪ねた。その寂れた雰囲気に妖怪が似合うと感じた淳史は、頭のなかにある妖怪データベースから、数いる妖怪のなかでも豆富小僧の存在に思い至る。その瞬間、淳史には見えないが豆富小僧がそこに現れた。小学校一年生くらいの子どもなのだが、頭が大人よりも大きく、時代劇のような派手な着物と大きな傘をかぶっている。手に捧げ持ったお盆の上には豆腐が一丁。淳史に話しかけようとするら、もとより彼からは見えない。しかも、淳史がお堂から去った後も、なぜか「そこに居続けた」。お堂にいた滑稽だるまから様々な情報を得るが、淳史の認識無しにはいない筈の彼は、淳史不在でもなぜ消えないのか。豆富小僧は淳史のあとを追いかける。

児童書向けに「妖怪」の基本を解き、その妖怪たちによるシンプルなエンタメストーリーを楽しませる
 本書のような角川つばさ文庫や、講談社青い鳥文庫、更に先輩格のフォア文庫などを読むような、ある程度読書を嗜む一般的な児童にとって、お化けだとか妖怪だとか幽霊だとかは、「この世には科学的に存在しない非現実存在」といった意識が既にすり込まれているものだと思う。(一般的な大人も同様だけれども)。それくらい絵本→児童書の流れのなかにお化けの類いは頻繁に登場する。
 そんな彼ら(つまりは児童だ)に対し、作者は丁寧に「妖怪とは?」の講義を冒頭で行う。お化けだとか妖怪だとか幽霊だとかについて、それらの違いを分析的に、しかも学術書ではなくエンターテインメントの文脈のなかでこなしたのは、たぶん京極夏彦が嚆矢だと思うのだが、それを児童書でやってしまうのもやっぱり京極夏彦だった、という。(意外性ないですかそうですか)。「妖怪シリーズ」などで京極堂の蘊蓄として語ってきた、日本文化のなかにおける機能としての「妖怪」。この存在を、子供に分かりやすいようかみ砕いて非常に丁寧に、しかも冒頭かなりの紙幅を割いて説明している。一口でまとめると、不可解な現象や日常生活での感覚の齟齬などを埋める存在であり、そして重要なのはその現象が無くなれば妖怪もまた消えてなくなるという点だ。
 そういった理解のうえで繰り広げられるエンターテインメント。淳史には豆富小僧の姿は見えず、豆富小僧も淳史には干渉できない。しかも豆富小僧は淳史がそのことを思うのを止めても姿が消えない。一方、誘拐犯をはじめ多くの人間に妄執としての妖怪がついている。説明機能のはずが、制御の箍が外れた妖怪によって主客転倒、妖怪同士が争う。人間界としては淳史の母親が開発した世紀の大発明を巡るドタバタ、妖怪的にはその執念が混じり合ったところで生まれるドタバタ。 物語そのものには大きな仕掛けも(もちろん憑物落としも)なくシンプルなエンタに徹している感。大人視点で恐縮だが、京極夏彦の児童書、という表現が一番しっくり来る気がする。

 執筆が予定されているとはいえ、まだ講談社ミステリーランドが刊行されていないので、京極夏彦氏が正面から向き合った児童書は本書が初めて。その意味では作者にとってのこの分野へのジャブみたいなものかもしれない。あと、アニメ映画の『豆富小僧』の原作は本書ではなく『ふりだし』の方ですのでご注意下さい。


11/03/28
沢村浩輔「インディアン・サマー騒動記」(東京創元社ミステリ・フロンティア'11)

 第4回ミステリーズ!新人賞を受賞した「夜の床屋」、同じく第3回ミステリーズ!新人賞最終候補となった「『眠り姫』を売る男」に『ミステリーズ!』vol.28に発表された「空飛ぶ絨毯」に書き下ろしが四編加わった連作集。沢村氏は1967年大阪府生まれ。また本作表題は「夜の床屋」の原題である。

 大学生の僕こと佐倉と友人の高瀬。二人は山道で道に迷ったまま日暮れを迎えてしまい、ローカル線の無人駅を山奥で見つけたので野宿することにした。周囲のいくつかの商店も閉店して久しく、見捨てられた駅にみえた。しかし、彼らが夜中に目を覚ますと駅前の一軒の床屋が店を開けていた。二人は、思わずその床屋を訪ねてゆく。 『夜の床屋』
 佐倉の同級生がイタリアに留学することに。その送別会の集まり。彼女は少し以前、自室の絨毯だけが盗まれるという奇妙な事件に遭遇していた。佐倉をはじめ、集まった面々は泥棒の奇妙な行動の謎を解き明かそうとする。 『空飛ぶ絨毯』
 佐倉の住むアパートの大家の孫・小学校六年生の水野君の頼みは、彼の友人・中島のドッペルゲンガーが出たので捕まえるのを手伝って欲しいというものだった。高瀬は彼らの嘘を承知のうえで、なぜ彼らがそんなことをいうのか好奇心に駆られて参加する。 『ドッペルゲンガーを捜しにいこう』
 佐倉と高瀬の共通の友人・峰原。彼の一族が所有する別荘を訪れた二人。本来のホスト・峰原は急用で欧州に飛んだのだという。彼の弟が面倒をみてくれたが、二人は建築当初に館に仕込まれた謎を解明してゆく。 『葡萄荘のミラージュ I』
 葡萄荘の謎は解け、峰原は欧州から女性の写った一枚の写真を送ってきた。佐倉と高瀬は、知り合いの指導教授に頼み、彼から届いた謎解きに挑戦することになるのだが。 『葡萄荘のミラージュ II』
 事件の鍵を握るという物語。イギリスのどこかにある監獄。看守らの横暴で囚人たちはひどい怪我を負わされている。後から収監された一人の男は元美術商なのだという。看守の一人が瀕死の大けがをし、男は自らの商売を語り始める。 『『眠り姫』を売る男』
 一連の事件の裏側にあるものは。果たして事件はいったい。 『エピローグ』 以上七編。

徐々にスケールが大きくなってゆく巨大風呂敷がなんとも魅力。畳めないくらいで丁度いい
 ミステリーズ!新人賞の最終候補となった『『眠り姫』を売る男』、その後に新人賞を受賞した『夜の床屋』。この二つの作品、方や中世以降のイギリスの幻想ミステリ譚、もう片方は、大学生の冒険とはいえ日常系の謎を絡めた特殊本格ミステリ。全くタイプの異なる二つの作品が、どちらも活かされるかたちで、一つの作品集に並んでいるところからして良センス。しかも、発表された短編を何でもかんでも集めたものではなく、連作としての体裁も整っているところに印象が残る。 書き下ろしで付け加えられた作品にしても、ご都合主義の香りがするとしてもごくわずか。ごく自然の流れのなかで奇妙な謎を演出している。
 この作品一冊の印象ではあるが、小さな謎を中くらいの真相に見せかけるようレッドヘリングをかましつつ、その実、物語の終盤には超巨大で度肝を抜くような大胆な真相が提示される作品が多い。 人里離れた地で開店している床屋、夜中に盗まれた絨毯。それ自体は大した謎にみえないところが、その解釈を広げていく過程でどんどん話が膨らんでゆく。大胆にして派手。いわゆる日常の謎が、小さな悪意などに収斂してゆくのとは根本的に正反対。沢村氏のテクニック(というかセンス)は、日常の謎から派手な事件を予感させてゆく方向にある。これは作品集全体を連作とする段階でも生きており、多少牽強付会感があるものの、あれも、これも、そこまで繋げるかっ! という貪欲さがかえって魅力となっているところが面白い。
 また、ネタバレになるので詳しく触れられないが、一連の謎が幻想ミステリ方向に進んでゆくところも意外性がある。迷走の一歩手前で立ち止まり、冷静な計算を見せつける。後半、その幻想ミステリ要素をもとに再構成して事件の見え方を変えてしまう。そういったところこもまた手練れの作家のような渋さがある。お主、やるな。

 新人の受賞作品を含む短編集、というのは短編デビューした作家さんが必ず通る道。そして本書はその理想、とまでは言い過ぎかもしれないが、受賞作という魅力ある作品を更に改めた形でデコレートして、二度美味しい存在にまで昇華させているように感じられた。梓崎優氏と比較してはいけないのかもしれないが、どこかセンスというか感覚に近しいものがあるように思う。


11/03/27
中山七里「連続殺人鬼カエル男」(宝島社文庫'11)

 第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した『さよならドビュッシー』と共に、最終候補に残った同じ中山七里が執筆した長編作品。同一作者の長編が二作最終候補に残るのは異例で、選考委員もどちらを受賞作にするか迷ったという程の完成度を持っていた。宝島文庫オリジナルとして後から本書が刊行された。

 埼玉県の飯能市で、入居者が歯抜けになっているマンションの十三階で新聞配達の少年が防水シートに吊された若い女性の全裸死体を発見する。死体は口の中にフックを掛けられる状態でぶら下げられ、凄惨な状態を呈しており、幼児が書いたような稚拙な文章による犯行声明が残されていた。証拠はほとんど残されておらず、被害者は事務機器販売会社に勤めるOLだと判明するが、殺害されるような動機もなくその恋人もどうやら犯人ではないらしい。警察の捜査が難航するなか、続いて自動車工場のプレス機にセットされ、潰されるかたちで老人の死体が発見された。指宿という引退した中学校校長だったが、先の被害者との人間関係のうえでの繋がりは見つからない。先の事件も、今回の事件も手口は同じ、頭を殴られたうえで首を絞められて殺され、そのうえで死体に対して処理をするという順番だ。犯人は「カエル男」と名付けられ、飯能市内は恐怖にたたき込まれる。市内に住む変質者や前科を持つ人物が洗い出されて捜査対象とされ、埼玉県警捜査一課に所属する古手川は、四年前に少女を殺害したが不起訴となっている当真勝男を訪ね、その保護司の有働さゆり宅を訪れた。古手川はピアノを使ってセラピーをするというさゆりに興味を抱く。しかし第三の被害者となったのは……。

サイコ、パニック、どんでん返し。全編手を変え品を変えた緊張感が持続するハイパーサスペンス
 正直『さよならドビュッシー』を読んだ時よりもインパクトだけなら強かったよ? ただ、二つ並べた場合に『ドビュッシー』を選んでしまう選考委員の気持ちも分かる。この『カエル男』、ちょっと個性が強すぎる。
 先に述べておくと、多重人格とか精神障害とか何とか療法とか、個人的にこういった事柄については生半可な描き方がされることに抵抗がある。それはこちらが正確な知識をもっているから気になるということではなく、しばしばミステリの謎解きや展開に、あまりにご都合主義の流れを持ち込むことが多いから。
 本書も決してそれらの点、精神医学の専門家が書いた作品ではないだけに、しっかり調べているのだろうけれど、ところどころ素人目でも「?」と思えるところはある。ただ、本書では精神医学や病理、こういった点はあくまで下敷きに過ぎない。一歩進んで精神に異常がある場合は起訴されない(意訳)の39条問題についても踏み込んでいるといえるかもしれない。ただ、踏み込んでいるのだけれど、社会派テーマながら告発といった意識はあまりなく、それもまた構造を維持するための柱に過ぎないようにみえる。
 つまり、様々なテーマを複層を形成しる物語構造があって、それを支えるために、惜しげなく様々な方面から蘊蓄や多少特殊な知識をつぎ込んでいるのだ。
 それでいて構造に拘りすぎて無味乾燥になっているかというと、むしろそんなことはない。事実上の主人公を務める古手川刑事が遭遇する、二度にわたる超絶の格闘場面、さらにある理由からパニックを起こして警察署を襲撃する群衆を防ごうとする場面。都合三箇所ある、格闘場面の迫力はやけに生々しい。(同時に痛痛しくもある) ある意味、凄惨でショッキングな死体遺棄場面から、格闘やパニックといった場面に至るまで、新聞連載を想像させるような山また山の連続。読者を引きつけるためにここまでするかという驚きも含め、一種贅沢なエンターテインメント作品であるともいえるだろう。

 緩急もつける、強弱もつける、それでいて物語構造はしっかり。大きいくくりでは前例があるというか、なるほどあれか、という構造ではあるのだけれども、ディティールを描写する手腕が確かなため、どんでん返しが効果的に決まっている。最後の一行にもサプライズがあり、その意味でも最後の最後まで全く目の離せない作品であった。突き出た何かセンスがあるという意味では、こちらが受賞作でもおかしくないと本気で思った。


11/03/26
東野圭吾「麒麟の翼」(講談社'11)

 『新参者』に続く、加賀恭一郎シリーズの九冊目となる作品。書き下ろしでキャッチコピーに「加賀シリーズ最高傑作」とある。「作家生活25周年記念特別刊行2011年超強力ラインナップ」の第1弾……らしい。

 東海道の起点でもある日本橋の中心には翼を抱いた麒麟の像がある。近くの交番に勤務する警官が、酔っぱらいのように歩く男を目撃、その像のところで男は座り込んでしまう。警官が声を掛けたところ、その男の胸にナイフが深々と突き刺さっていることに気付く。救急車で搬送されるも輸送途中で男は死亡してしまう。男はカネセキ金属という建築部品メーカーの製造本部長、青柳武明と判明。しかし、妻や息子たちにはなぜ自宅から離れた日本橋に青柳がいたのかがさっぱり判らない。すぐに警察による捜査が開始され、日本橋署に勤務する加賀恭一郎は、警視庁捜査一課所属で従兄弟でもある松宮とコンビを組むことになる。その晩、被害者である青柳の所持品を持っていた無職の青年・八島冬樹が現場近くで車道に飛び出し意識不明の重体に陥った。八島にはかつてカネセキ金属に派遣社員として勤務していたが派遣切りに合っており、その恨みで青柳を殺害したのではと推測された。八島には妊娠中の恋人・中原香織がいたが、彼女は彼が犯人だとは全く信じられないのだった。

ミステリの職人芸的上手さの行き着く先は、果たしてどこまで。芸術域への到達を思わせる良作
 冒頭の殺人事件については、不可能趣味等は一切なく、むしろ無造作に投げ出されている感すらある。人通りの多い都会で男が一人刺されて死亡する。犯人と思しき人物は交通事故に遭遇して意識不明の重体。果たしてこの男は本当に犯人なのか――という序盤の展開自体は特段目新しさがあるものでは無い。むしろ平凡といって良いかもしれない。
 さらに無意識のうちに、このまま見えている図式が真相ということはあるまい──、というミステリの「どんでん返し」というお約束をプッシュしているともいえる。その前提があっての加賀恭一郎。職人肌で人情味厚い一方、捜査に関しては一種の天才肌を持つ男。このような平凡な(に見える)事件であるからこそ、加賀恭一郎の魅力が大きく引き出せるということを作者はよく分かってやっている。加賀シリーズとガリレオシリーズで、事件や犯人は使い分けされているのだ。
 捜査が明らかになるにつれ少しずつ明らかになる背景。無慈悲な現実を冷静に見詰める作者の視線によって、殺人事件の周辺に、事件そのものよりもむしろ残酷な事態が展開されていく。 社会派テーマとして派遣切りの問題を絡めつつ、さらに被害者が加害者(のような存在)にマスコミによって仕立て上げられていく過程、その結果としての二次被害。思わず目を背けたくなるが、哀しいかなこれが日本の現実なのだ。ただ、この作品にとってその社会派はスパイスとして効いているものの、告発そのものを主目的とした作品ではない。それら諸要素を加えつつ、あくまで一個のエンターテインメントに仕上げているところに東野圭吾氏の凄みがある。
 加えて、そういった一連の流れ、少しずつ明らかにされる真相に加賀自身も含め父親と息子の姿を重ねてゆく手腕は見事のひとこと。ついでにいうと欺瞞と偽善で塗り固めたある人物の虚飾を剥ぎ取る場面に溜飲を下げてしまう自分がいる。これも作者が仕掛けたガス抜きでありエンタの一部。それでも。

 ということで、加賀恭一郎シリーズ最高傑作という文句は保留にするにせよ、高いレベルの物語性と意外性を湛えたミステリであることは間違いなし。基本的に本作を読まずに今年を語ることは出来ないはずというか、出来ないです。やっぱり。うまいなあ。


11/03/25
北森 鴻「ちあき電脳探偵社」(PHP文芸文庫'11)

 小学館の学習雑誌「小学三年生」一九九六年四月号から翌年三月号にかけて「きたもりこう」(ひらがな)名義で連載されたジュヴナイル作品。当時の挿絵はTAGROが書いている。収録作のうち、『幽霊教室の怪人事件』のみ、『ちあき電脳探てい社』という題名で短編集『パンドラ’S ボックス』に収録されたことがある。

 桜町小学校の三年生・井沢コウスケ。母親と死別し刑事の父親と二人暮らし。そんな彼の前に現れたのが拳法道場の師範を務める母親・ひなこと、同じく二人暮らしをしているという鷹坂ちあき。大人しいが整った容姿をした転校生。しかし彼女の住むマンションの四階には彼女の父親が残したスーパーコンピュータがあって、ゴーグルを付けてアクセスを 果たすと彼女の性格は一変して……。
 コウスケとちあきとの出会い。枝を切られた桜並木、学校の裏山で目撃されたUFO。 『桜並木とUFO事件』
 学校の裏側にある開かずの教室付近で目撃されたり、声が聞かれた幽霊。そして宝の地図。 『幽霊教室の怪人事件』
 女の子は占い、男の子はサーカスの話題。子供たちにサーカス無料招待が行われ、姫先生からは大量の宿題が。 『ちあきゆうかい事件』
 クリスマスイブ。ちあきに渡そうとプレゼントを準備するコウスケ。しかし教室ではパーティの準備が撤去されていた? 『マジカルパーティー』
 クラス一番の元気者・ゲンキが風邪で休むなか、大雪が。明日の雪合戦の優勝トロフィーが消えた? 『雪だるまは知っている』
 鷹坂一家が街を出る? 大家のサイコロ屋敷の宝石盗難事件を解決すれば、あるいは? 『ちあきフォーエバー』以上六編。

スマートで温かく、そしてどきわくの展開。理想のジュヴナイルミステリ
 例えば、コンピュータと接続した後の中性的・男性的なちあきの口調が蓮丈那智フィールドファイルの蓮丈の口調を彷彿とさせ、探偵役との関係性もそれと似ているとか、芦辺拓さんの解説などで、この当時の北森氏が作家として不遇な時期になったとか、大人視点からするといろいろ思うところもあるのだが、読んでいるあいだはそういう雑念(邪念?)を吹き飛ばすパワーが作品から発されている。 すなわち陳腐な表現になるのだが、読み始めると止まらないのだ。

 小学校三年生が主に学校で体験する事件という日常系でありながら、本格ミステリテイストが濃厚な奇妙でスケールの大きな謎。ちょっとおませな? コウスケ少年のちあきへの幼い恋心、美人のはずの姫先生のベタ過ぎるダジャレ。先生の駄洒落もそうだが、謎となるとコンピューターと繋がるちあきと、ワトソン役に徹するコウスケのコンビからは、連作ミステリではお約束の「定型」の美学も感じられる。
 謎の提示も推理の展開も真相解明も、いずれもテンポが良い。加えて小学校三年生が読者であることを意識した文体は、そのまま全世代、誰にとっても読みやすいという優しい文体ということでもある。もちろん、大人視点を拒否するというものではなく、むしろ大人を子供視点に引きずり込む魅力を持っているといえるだろう。
 幽霊、UFOやサーカス、占い師といった謎の出所となるポイントにも気が遣われていて、学年誌でしか出来ない連載だったのだと推察される。これをすぐに単行本にしなかった小学館の不明は勿体ないし、PHP文庫はじめ復活させた関係者の慧眼には恐れ入ると同時に深い感謝の気持ちを表したい。

 大人が読んでどきどきわくわくさせられる作品、子供をだますのも訳ないこと! 正直、北森鴻のネームバリューでワタシなどは手に取ったことになるのだが、その「きたもりこう」を知らない、小学校中学年の読者に素直に読み続けて欲しいと心の底から感じた。本物の輝きは永遠。学校図書館なんかにも入って、本自体がぼろぼろになるまで読み継がれて欲しいと切に願う一冊。


11/03/24
仁木悦子「子どもたちの長い放課後 YAミステリ傑作選」(ポプラ文庫ピュアフル'11)

 編者は若竹七海さん。亡くなってからも時折思い出したかのように復刊される仁木悦子作品。当初、ポプラ文庫ピュアフルというYAレーベルで仁木悦子さんの作品が復刊されているなあ、とは思っていたがよくよく知ってみれば、短編集には「書籍初収録」なる作品が含まれているではないですか。戸川安宣(編)『私の大好きな探偵』の方が刊行が先だが、とりあえず若竹七海(編)となる本書を手に取った。後半の二作品、『やさしい少女たち』『影は死んでいた』の二編が、それぞれ が初出で今回が初めての単行本収録となるようだ。

 捨てられていた子猫が二匹。可哀想に思った櫟究介だったが、家の事情で飼うことは出来ない。学校で他の生徒に呼びかけるまで、近所の猫好きの家に預かってもらうのだが。 『一匹や二匹』
 近所に住む知り合いのお姉さんが万引きをする場面を目撃した少女。そのお姉さんの美人の妹が殺害される事件が発生、姉のアリバイが問われるが少女は万引きの追及だと思い、思わず嘘を。 『うす紫の午後』
友人のバイクを壊してしまったため、近所の金持ち婆さんの猫を誘拐しようと計画する若者。首尾良く猫を連れ帰ったは良いが、その婆さんの憔悴があまりに酷い。 『誘拐者たち』
 大きな倉のある友人の家。その友人の祖父は倉に沢山の本を持っていたが、血の繋がらない嫁が惚けはじめた祖父を倉に軟禁、さらに勝手に貴重な本を売り払ってしまう。 『倉の中の実験』
 作家である母親のアシスタントの女性が殺害された。作家志望の彼女を殺害したのが母親だと疑われ、息子の正樹は誤解を解くべく独自の捜査を開始する。 『花は夜散る』
 それまで交際していた女性と別れて自らの利のために校長の娘(確認)と結婚した教師。生徒から顔色が悪いと指摘され病院に行くが、病院では異常は発見されない。 『やさしい少女たち』
 受験勉強中の兄が、窓から見えるアパートから見える影で事件があったと大騒ぎするが、当のアパートでは何も起きていないという。兄は度々同じ状況を目撃、しかし何もないので精神病院へ行かされてしまうのだが……。 『影は死んでいた』 以上七編。

書籍初収録作品も水準キープ。選者が変わると短編集としての装いも、感じさせ方も変わってくる
 若竹七海さんの解説を読んでびっくりしたこと一つ。仁木さんのデビュー作はいわずとしれた『猫は知っていた』、本書の冒頭作品も『一匹や二匹』(これはこれで角川文庫の短編集の題名でもある)。だけど、猫を扱った作品は本書の『誘拐者たち』を含め、この三作品くらいしかないそうなのだ。うへえ。
 さて。
 初収録作品以外は再読になるのだが、改めて仁木さんの物語作りの上手さを感じさせられた。というのも、謎自体に突飛さはないもののその提示の仕方がうまくミステリとして上等、更に犯人により、こちらもそう凝っているわけではないがトリックが仕掛けられてもいる。そういった一連の、通常のミステリのお約束以上に語り手(視点人物)の人間が陥る/感じているサスペンスへの展開がそれらに輪を掛けて上手いのだ。若竹さんも指摘している通り、子供視点で、子供が今まで安住している世界が壊される(また、その秩序の回復)というものだけでなく、大人視点、若者視点であっても「本来あるべき状況からのズレ」みたいなものを感じさせられ、ぞわっとする感覚が巧みに演出されている。『やさしい少女たち』の教師、『誘拐者たち』の若者。何も感じず生きてきた日常からの逸脱していく──というよりも、とっくに逸脱して戻れなくなってしまっていることに、ふ、と気付かせるという感じだ。  子供視点を用いる物語であっても、事件による彼らの「世界」を破壊してしまう力は容赦ない。また、子どもだからとフィルターをかけることなく、子どもにして度を過ぎた冒険に関しては、時に直接的に危険な目にも遭わせてしまう。こういったサスペンスフルな感覚が、ミステリとしての謎解きと同時に溢れているところ、これが時代や世代を超えて読み継がれる最大の理由であるように思う。漠然と、仁木悦子作品というのは日常系ミステリで、しかも心温まる解決という展開が過半といった印象に集約されているのだけれども、考えを改める必要を強く感じる。『やさしい少女たち』『倉の中の実験』『うす紫の午後』などが発する乾いた昏い感情。ぞくぞくします。

 小生のように既刊の文庫等で仁木作品を網羅している(つもりの)読者にとって、本作のようなかたちで未収録作品が復刊されると「これは買わねばしょうがない」となる。ただ、本作の場合は、その付け加えられた二編がそれぞれ仁木悦子作品として一定水準をクリアしており、少なくとも箸にも棒にもかからないということはない。また、これから読んでみようという読者が本書を選ぶというのも「あり」だと思う。


11/03/23
近藤史恵「アネモネ探偵団2 迷宮ホテルへようこそ」(メディアファクトリー'11)

 近藤史恵さん初の児童向けミステリーとなった『アネモネ探偵団 香港式ミルクティーの謎』に続くシリーズ二冊目。探偵団三人のうち、今回主役を務めるのは科学者を父に持つ西野あけびとなっており、あとがきによると作品ごとに主人公を変えてゆくようだ。(また、今回のあとがきは、作品の成立背景がいろいろと分かって興味深い)。

 私立実生女学院に通う仲良し三人組、小沼智秋、細川巴、西野あけび。人気女優の母親を持つ智秋、警察官一家の巴。そして西野あけびは、超伝導を専門とする有名な科学者である父親との二人暮らし。身体が小さく、女の子っぽいファッションが好きな一方、パソコンなどの操作に習熟しているという一面も持っている。あけびは父親のことが好きなのだが、その父親が最近元気がなさそうなことが気になっていた。そんなある日、父親に届いた〈忠告者〉なる差出人から届いた意味深な手紙が気になり、湯気を使ってこっそり開封して中身を読んでしまう。内容は英語で書かれていたが、研究を中断せよ、さもなくば離婚した前妻・森小路雅代に不幸が訪れるという内容だった。あけびの母親でもある雅代は、高級ホテルとして知られる森小路ホテルのオーナー。あけびとはたまに会うが父親とは没交渉だ。あけびは久しぶりに母親と連絡を取り、その結果、二人の親友と共に森小路ホテルに滞在することになるのだが……。

人の繋がりを使ったライトなミステリ。さらに重要とされる「お嬢様テイスト」が全開
 十代の女の子、ローティーンの見えざるニーズを汲み取ったとかいうと誉めすぎかなあ。近藤さん自身があとがきでも触れている通り、本書の場合はいわゆる女子の憧れ、少女小説やコミックで繰り広げられる女の子たちの夢世界の再現が大きな比重を占めているようにみえる。
 つまりは、そもそも仲良し三人組だけで宿泊するという行為そのものであるとか、森小路ホテルのかゆいところに手が届くようなサービスであるとか、豪華なアメニティであるとか、そういうところ。バトラーのいるホテルでケーキサービスでのお出迎え。選択に迷う美味しそうな朝食、豪華な部屋。まあ、そういったツボを突いた描写が丁寧に続く訳です。
 ただ、ミステリや物語とは直接に繋がっていないにせよ、それほど嫌味ではないのはそもそもが児童向けというレーベル設定にあるからかな。ミステリとしても、日常の謎として一定水準にある。 特にある人物の手帳を使った動機の設定は、人間関係の意外な盲点、本人視点では当たり前でも、第三者的には別の見方をされてしまうというミスマッチをうまく利用したもの。双子を使ったトリックもまた同様で、発言などから伺える人間心理の襞をうまく使っていて、それなりに感心した。広い意味では類例がある考え方ではあろうが、この親子関係やホテルの特殊な環境をもうまく取り込んでいるように感じられた。ただ、当然にして児童向けなので考えられているものの、凝っているというものではないので。念のため。

 最後になるが、女の子三人組の華やかさに比べての、二人の男の子が(その騎士的な行動に比べて)なんとなく扱いが 可哀想な印象。もう少し構ってあげても良いと思うのだけれど、そんなもんかなあ。いずれにせよ軽めに読めるし、アニメ系統の挿絵イラストも物語の雰囲気とマッチしている。本来の対象読者が、本来の意図通りに楽しく読む本かと思われます。


11/03/22
石川渓月「煙が目にしみる」(光文社'11)

 第14回日本ミステリー文学新人賞受賞作品。石川渓月氏は1957年生まれ。東京都出身で早稲田大学卒。応募時の題名は『ハッピーエンドは嵐の予感』(なんかこの題名は凄いな)。本作は博多が舞台だが、作者本人は三年ほど暮らしたとのこと。

 博多、中州。かつては相棒だったハブと共に一世を風靡したマムシこと小金欣作も49歳の中年になり、不景気と共に長いものには巻かれろといった感じで街金の取り立て屋として小さく生きている。そんなある日、中州を取り仕切る悪名高いヤクザの事務所・芳崎興業に、単身で乗り込んできた威勢のいい少女に心を動かされ、彼女を庇うためにヤクザに刃向かってしまう。少女・夢子は、ヤクザに欺され薬漬けで連れ去られた自分の親友・夏美を助けて欲しいという。仕方なく夢子を一晩泊め、自分はカプセルホテルに泊まる欣作に対し、面子を傷つけられたヤクザ側も素早く対応、オカマバー『メロンの城』をはじめ、欣作の客に手を回して激しい嫌がらせを仕掛けてきた。欣作のもとで働いている若者・石崎健司もまた脅されたのか出勤してこない。さらに芳崎の若い者をボクシングの心得がある若い男が片っ端から殴り倒しているという情報が。夏美の彼氏の翔一の行動だった。欣作は夢子と翔一をまとめて面倒みる羽目に陥り、芳崎興業から借金があり、彼らと対立しているメロンの城のオカマ・メロンに手伝いを求める。

丁寧な構成が光る古き良き時代の、分かりやすいハードボイルド
 ヤクザの世界とはいえ、現代を舞台に描こうとすると博多だろうがなんだろうが、経済小説の側面を持ってしまうのは近年の現実を描くための必定。斬った張った、義理人情だけでリアルなヤクザ世界を描くことはまず出来ない。その意味で街金の取り立て屋として小さく生きることを選んでいた男を主人公とした点は成功か。ほか、友人を救い出そうとする無鉄砲少女・夢子、オカマバーの百戦錬磨のマスター・メロン、マムシの部下として高い能力を持つ健司など、登場人物の一人一人がしっかりした属性を持っているところはまず評価されよう。個々の人間が、人間として描き出されている。
 一方、そんな素人に毛が生えた集団が、ヤクザ同士の勢力争いのあいだを縫って戦っている──つもりで、でもまだ実は裏側に高度な陰謀があって、という一連の出来事の構造も悪くない。多少、ヤクザ側の懐が甘いようにみえる部分もあるが、そうでないと物語は成立しないしね。裏側で糸を引いている人物の出自や構想が、後から振り返ると合理的。そういう意味でもよく考えられた、良い出来のハードボイルドだと思う。
 ただ、どこか新人賞受賞作品としては微妙な不満もある。
 上記の通り、物語はまとまっているし文章力もあるしキャラ立ちもしっかりしているのだけれど、厳しいことをいうと「どこかで読んだことのある話」の領域を抜け出していないように思うのだ。既にデビューしている作家の三作目、四作目がこの作品であれば「なかなかいい話だった。良かった良かった」となるところなのだが、この作者しか持たない宝石は何なのだろう。抜けた個性・才能という印象が残念ながら残らない。

 更にどうでもいいことだが博多を舞台に大人の世界を描くのに焼酎じゃなくてバーボンなの、という気持ちもある。個人的な印象だけど博多の大人は、バーボンよりも焼酎をかっこよく飲む方がかっこいいと思うのだ。

 いろいろ書いたものの新人賞受賞してデビューする実力があること、そのことに異論はない。今後作品を発表していくなかで、この作者にしかない個性が出てくることを切に希望したい。


11/03/21
牧野 修「死んだ女は歩かない2──あくまで乙女──」(幻狼ファンタジアノベルス'11)

 牧野修さんによる「強い女」シリーズ(?)の続巻で『死んだ女は歩かない』に続き、登場人物も作品世界も同じくしての新展開。牧野さん本人にも伺ったが、三冊目を普通に刊行するのはなかなかこのご時世、簡単ではないようだ。しかし、伏線がそこかしこに張ってあるというのに回収されずに終了してしまうことはファンとして忍びない。というか残念だ。なので、ここは声を大にしていいたい。『続き出せぇぇぇ! 幻狼ファンタジアノベルスぅぅっ!』この声が届くと良いのだが。(ん、前も似たようなことやったっけ?)

 医療虫。人体組織の問題ある箇所を代替してくれる機能を有する究極の存在が暴走、男性であれば強いストレスと共に怪物化し、死んでゾンビとなる。また女性の場合はゾンビにならない代わりに稀に様々な超能力を身につけ、チェンジリングと呼ばれる存在になる。医療虫感染者は強制的に隔離地区である千屍区に送られ、そこで暮らしているの。その千屍区の責任者のシン所長が、世界に強い影響力を持つブラック・ダリア・レコード主催のチェンジリング・オリンピックのターゲットとなった。つまり性格が悪く人望もないシン所長を最初に殺した(?)人間が優勝者となるのだ。警備を担当する雛乾月は、シン所長を安全という理由で監獄の奥底に放り込むが、空を飛んで、ゾンビを引き連れて次から次へとチェンジリングがやってくる。
 ゾンビを操る女。『こわがることをおぼえるために旅にでかけた男』
 普通のおばさんにしか見えないチェンジリング・アシッドQ。 『お墓にはいったかわいそうなこぞう』
 憑依能力を操り、次々に対象を殺害するチェンジリング。 『いばら姫』
 雛乾月の仮の父親にしてDV男。 『ガラスびんのなかのばけもの』 以上、一応四編。

強い女たち、カッコいい! その下敷きになる牧野さんの奇想がまたもう、めちゃ凄。
 主人公・乾月とその部下、輝十字と無苦。更に同僚の種車子らの無敵っぷりがやはり本シリーズの魅力。 死にそうな目に遭うほど苦戦はしても、どんなに身体がずだぼろに壊れても、最後の最後には敵を倒してすぱっとした爽快感で終わる物語である、ということが重要。
 他の牧野作品や似た傾向の、例えばオカルトサイキックアクションであれば、当然にして物語性のために、重要な登場人物を苦戦の末に/あっさりと/戦いの場ですらない場所だったり/殺したり、退場させたりというケースはあるだろう。一人を喪うことで他のキャラクタが背負う物が増すのであればOKとか、そういう方法論だ。しかし、この作品に関しては敵はいくら倒しても良いが味方は死なない、死んで欲しくない。 そのルールに従った世界だからこそ「強い女」というテーマに合致して、独特の爽快感が得られるのだ。
 ここから牧野修さんへのファンレターみたいなもんだけれど、このシリーズには安っぽいドラマはいらない。へんてこな能力を持つ強い敵、そいつらを奇想と能力で撃退する気持ち良い物語が読みたい。そうそう、そういう意味ではこの二冊目は登場する敵がイイ! 最初のゾンビを操る女は普通だけど(実は「強い女」を2冊同時に購入して、この2冊目から読み始めたのだが、あまりにも普通に展開するので2冊目だとしばらく気付かなかったのだ)。アシッドQにしても、憑依体質のミコタンにしても、かつて乾月を嬲りものにしていたDV男にしても(あくまで敵役としてだが)イイ。 つか、普通思い付かないですよこんなの。なんで西條八十。

 そして物語の魅力は、果たしてどうやって彼女らを、乾月たちが倒すのかに集中する。中途半端なラノベ絵ではなく、個性の強いイラストレーター・カラスさんの絵もまた良い感じ。彼女たちはあくまで強いからキレイなのであって、キレイで強いのではないところ、良く表現できていると思うのです。