MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/05/10
乾 ルカ「てふてふ荘へようこそ」(角川書店'11)

 乾ルカさんによる連作短編集。『野性時代』誌二〇〇九年十二月号から三ヶ月おきに第六話までが二〇一一年三月号まで掲載され、書き下ろしで「集会室」「エピローグ」が加えられて単行本化されている。

 適度に古びた木造アパート・てふてふ荘。町の中心部からは離れたところに建ち、周囲に人家はあまり無く、最寄りのバス亭からも徒歩十分ほど。不便な場所、風呂とトイレは共同、全六室、一室は2K。しかし家賃は破格の一万三千円/月、敷金礼金無しの最初の一ヶ月は家賃がなんとタダ! しかし、この好条件には当然理由がある。各部屋にもれなく一人づつの地縛霊が付いているのだ……。一号室に入居を決めたのは極度の緊張症から就職活動に失敗し続けた高橋くん。その不幸に加え、愛した人が早逝する不運を背負った彼の部屋にいたのは笑顔の愛くるしい女子大生の幽霊だった……。先の住人、二号室に済みスーパーの鮮魚売り場で働く美月のところに住み着いているのは、六十過ぎのおじさんの幽霊。いつもにこやかで何故か酒が飲める。三号室には元タレントの女性幽霊と、前科持ち元詐欺師の男。四号室、五号室は当初段階では住人はおらず、それぞれには美少年学生の幽霊と、爽やかなライダー青年幽霊がいて、六号室には子どもの幽霊とイラストレーター志望の米倉が住んでいる。彼らを束ねるのは美声を持つ大家。部屋で一晩寝ることで「見える」ようになる幽霊が住むアパートをしっかり管理している。そして、大家自身にもある秘密があった……。(基本的に「一号室」「二号室」というかたちで「六号室」「集会室」までの短編が集まっている)。

住人と前向きに進もうとする幽霊たちと、幽霊たちに励まされ生きる人間たちと。成仏がむしろ悲しくなる幽霊譚。
 もともと乾ルカさんはオール讀物新人賞出身だが、SFやホラーじみた、本書のような奇妙な話を中心に発表してきている。その乾さんの持つ乾いたユーモアと絶妙な設定がうまく溶け合って暖かい物語を作るのに大成功しているのが本作だ。これまでの作品では、情が勝ったり理性が勝ったりとどちらかに振れていた印象があったのだが、本書はあくまでバランスが取れているというところが特長となっている。
 当たり前だが、おんぼろアパートという設定が良い。これは多くのエンタメ小説で使われている、ある意味常道といっても良い設定だ。だが、不自然ではなく様々な階層の様々なタイプの人間が一つ屋根の下で暮らすという「なんでもあり」なユニークコミュニティを自然に形成することが出来る。更に幽霊である。アパートに地縛霊が居る、という設定自体も高いオリジナリティがあるものではない。日本の古い建物に、霊やお化けは付きものなのだ(そうなのか?)。いやいや実際そういうテーマの小説も数多くあります。なので、設定として目新しいということは無い。ただ、アパートと幽霊、この二つを部屋ごとに組み合わせることによってユニークで心温まる幽霊譚を作るというところまでは、そうそう発想が伸びるものではない。
 住人側が慣れてしまうと「居ること」自体が住人の救いになる地縛霊たち。家族のようなものか。ただ幽霊であるからに、彼らの幸福は成仏であるのだが、その成仏によって住人たちがむしろ寂しい思いをするという展開がユニークだ。 その幽霊たちを成仏させる方法というのが本書をユニーク足らしめている最大の理由なのだが(方法はここでは伏せる)、幽霊と好き合って、気が合ってしまったがゆえにその成仏によって大きな喪失感を住人が抱えるというアンビバレントがもう一段の住人の成長を促している……なんて巧すぎるだろこんちくしょう。また、その結果的にその方法と偶然合致してしまうことで、心の準備もないままに相手が成仏するなんて悲し過ぎる。
 とかく、同じパターンになりがちな物語のなか、五号室を訪ねてきた女性が、体質からか幽霊を全く見ないことから、物語全体の展開が急展開するところも面白い。ラストに至る直前くらいに、法則やパターンを理解し、一旦は落ち着いていた筈の読者の「?」を大きく喚起している。まあ、連作としてはそういったアクセント抜きには成り立たないので、この拡がりを褒めるべきか。

 基本的に強い癖のない作家であるのだが、その乾ルカさんの作品においてもかなり読みやすく、フラットに世界に入りやすい作品集となっている印象。必ずしも乾ルカさんしか書けないということもなかろうが、それでも彼女によって「生」を受けた物語群の生き生きとしたところは是非味わって頂きたいところ。


11/05/09
西澤保彦「必然という名の偶然」(実業之日本社'11)

 『月刊ジェイ・ノベル』+西澤保彦といえば『腕貫探偵』『腕貫探偵、残業中』という印象が強かったのだが、本作は「櫃洗市」(腕貫探偵は市役所勤務でしたね)という行政区分のみが共通する短編集。一部登場人物が重なるものの、連作集というほど繋がりは強くない。先述の『月刊ジェイ・ノベル』2009年9月号から2011年2月号にかけて不定期に発表された作品に書き下ろしの巻末作品が加わっている。

 これまでに直前に何度も結婚相手に逃げられるなど、結婚自体に失敗し続けてきた老舗和菓子屋の若旦那・倉橋譲。今回の結婚式は大丈夫だろうかと、旧友のケーカクこと恵本角樹はかなり早い時間帯から式場のホテルに待機していた。今回は何事もなく式は終了するのだろうか。 『エスケープ・ブライダル』
 ローカル局アナの榎本裕子の夫・忠純の遺体がとあるマンションで発見された。遺体は首にベルトが巻き付き、現場には娘との関係を示唆する遺書。しかし榎本の自宅とマンションは番地が同じ別の町、さらに契約は榎本が身分を偽って行った可能性が高い……。ちぐはぐな現場の意味は? 『偸盗の家』
 いい年で独身、父親や姉、その娘ら家族の専業主夫役をしている江原広和の元に旧友の研野から連絡が。飲み屋に呼び出され、自分たち前後何年分かの卒業名簿と事件の報道記事を見せられる。どうやら、この何年か名簿の上から七番目の人間が不慮の事故や事件で亡くなっているらしい。江原もその法則に当てはまるのだという。 『必然という名の偶然』
 中高一貫の私立囲櫃学園の教師・和田宏は、生徒の二三枝が公立受験を宣言したため、彼女の家に訪問する必要があった。二三枝は冗談か本気か既婚でもある和田に好意を見せる。二三枝を車に乗せ、彼女の家を訪れたが和田だったが突然の豪雨で市街との交通が寸断される。和田の自宅は近く問題ないが、妻に悪戯心から帰れないと連絡を入れたところ……。 『突然、嵐の如く』
 思い出箱に放り込んであったかつて暮らしたマンションの合い鍵。結婚も果たした昌司は、そのマンション近くでの商談後に食事をしようと妻から誘われていた。当てにしていた喫茶店が無くなっていたため、昌司は出来心でかつて暮らした部屋に足を踏み入れてしまうのだが……。 『鍵』
 櫃洗出身で倉橋譲と同級だった長渕が映画出演の舞台挨拶で凱旋してくるらしい。長渕から同窓会開催を依頼された倉橋は、友人の岡館、通称オヤカタに相談を持ちかける。地元新聞にも出ず岡館は知らなかったが倉橋の父親が亡くなっており、倉橋は和菓子屋をたたむらしい。一方の長渕は旧交を温めると突然用事を思い出したかのように、会場を出ていってしまう。そして、実家と喧嘩中で戻れないといっていた筈の長渕が、その実家のある町で遺体となって発見された。 『エスケープ・リユニオン』 以上六編。

あり得るあり得ないぎりぎり境界線にある偶然混じりの現実、さらにそこに至る論理の超飛躍
 普通じゃない。日常の延長戦にあるけれども非日常という状況がどの作品でも演出されている。例えば結婚式という行為自体は(当人にとっては特別であっても)日常に組み入れられる。しかし、何度も何度も結婚式当日に失敗をし、友人から賭の対象にまでされている人間の結婚式は非日常だろう。また、ミステリなので探偵はまあ、日常なのだが、某ミステリを踏まえ、中東石油王の財力を背景にした「大富豪探偵」も非日常。昔住んでいた家の合い鍵を所有し続けていること自体は日常だが、それで実際に退去後数年してから見ず知らずの人間の家に踏み込んでしまうというのは非日常ではないか。まあ、どれもこれも、日常の延長線上にある「非日常」が舞台となっている。(それをゆうなら殺人事件自体非日常ではないかというのは無し)。
 さらに実際、殺人を中心とした事件が発生する。殺人そのものが不可能状況というものはあまり無く、むしろ「なぜ事件が発生したのか」が謎の中心部にある。殺人だけではなく、その非日常が絡むことによってなんでこんな事件が起きているのか、という事態そのものが謎になっているのだ。更に解決についてもエキセントリックというかアクロバティック。必然性のある偶然というか、偶然性が含まれる必然というか、本書の題名に近い「偶然要素」が含まれているところがポイント。 この結果、アクロバットの距離が伸びることに加えて、物語における後味の悪さ(良い意味での)が付け加えられているようだ。
 また、改めて振り返ってみると主人公格かそれに近い登場人物に西澤氏ご本人と近しい年齢の人間が多く登場しているようにみえる。年の頃なら四十半ばかそれ以上。そのせいなのか偶然かは不明だが、当時の卒業アルバムであるとか、同窓会名簿(住所付き)であるとか、結婚に失敗して高年齢独身だとか、世代特有の感覚というか、一定の時代性(ノスタルジー?)みたいなものあるように推察された。小生は年代的に重ならないのだが、同世代の人に訴えるものが内包されている、かもしれない。

 ミステリとしては、全体的にアクロバティックな論理決着の距離が若干離れすぎて、凄まじい真相なんだけれどもそれが唯一無二の解答か? というと蓋然性は高いけれども……うーん、となってしまっている印象。前提となる条件に偶然が多いことも、その引っかかりと関係があるかも。ただ、近年の西澤ミステリ全体にもいえることだが、その論理自体のかっちりした完全性よりも、その論理をバネに飛ばされた「真実」の着地距離の凄まじさ(こんな現象からこんなことが導かれるのか!)という点を楽しむべき作風だと思う。西澤イリュージョン、すなわち本格ミステリ的手法から展開される幻視みたいなもの。


11/05/08
乙一「箱庭図書館」(集英社'11)

 基本的には乙一の短編集ということになるのだが、作品の成立経緯が少し変わっている。全て初出は集英社のWEBサイト「RENZABURO」(こりゃシバレンから来てんのか)にて開催されていた「オツイチ小説道場」に投稿された作品を、乙一氏が自由にリメイクするということで個々の作品が生まれている。ここでは紹介しないが短編それぞれに別の原作者が存在し、2011年現在同サイト内で原作となった作品も読むことが出来る。

 現在は小説家となっている山里秀太。読書が異常に好きな姉と先生とのやりとり。それが彼を小説家にしたということになっているのだが……。 『小説家のつくり方』
 流行らないコンビニのレジの内側にいる僕と、後輩の島中ちより。閉店時間間際のその店に挙動不審の男がやってきて、売り物のカッターナイフを凶器に強盗を開始した! 『コンビニ日和!』
 口の悪い女の先輩一人しかいない文芸部に入部した僕。僕はいろいろ自意識の問題でクラスで友人を作ることはおろか満足に会話すら出来ず、先輩が唯一まともに口をきける相手だった。 『青春絶縁体』
 ひどい頭痛を抱えた男は、ピンと来る女性の肋骨が開いたらそれが治ると信じ、鍵を道で拾った品行方正少年は、その鍵が合う鍵穴を探して日常を逸脱し始める。 『ワンダーランド』
 車のトランクで昼寝をしていた女子高生・小野早苗は気付くと見知らぬ土地にいた。ミツという少年に案内され廃ボーリング場に行くと、そこには多くの子どもが居た。彼らは夜の間、本当の自分になるためこの”王国”にいるのだという。 『王国の旗』
 ある大雪が降った日。僕は、私は、誰もいない雪の上に足跡だけが印されていく場面を目撃する。どうやら互いに相手が見えず、雪に文字を書いてのコミュニケーションの結果、不思議な事態が起きていることが判明した。 『ホワイト・ステップ』 以上六編。

物語の成立過程が消え、文善寺町を舞台にした(白)乙一らしい不思議ストーリー群に転化。
 あとがきの乙一氏によれば、氏は小説のアイデアがなかなか思いつかない人間なんだそうである。これまでの奇想天外・波瀾万丈、更に白っぽいものもあればどす黒いものもある乙一氏の多様な物語群を堪能してきた身としては、微妙に不思議に聞こえる。むしろアイデアは泉のように湧いて出るものの、それを小説にするのに苦労しているが故の寡作なのかな、と思えていたからだ。
 先に紹介したように全て原作がある短編作品。ただ、幾つか原作小説をWEBで読んだところ、確かに借りているのはアイデアだけで、収録作品については完全に乙一オリジナルかつ乙一作風。 さらに微妙に登場人物を重ねたり、文善寺町という共通した町を舞台に選んだり、後半に至ると先の作品のエピソードを取り込んだりすることによって、気付けば「様々なことが起きる不思議な町エピソード連作集」といった風合いを作り出している。このあたりは流石にプロの仕事だと感じる。
 また、全体を俯瞰して考えるに『小説家のつくり方』『青春絶縁体』といった、思春期特有の痛く、そして繊細な考え方がそもそも作品の根底にある作品が多く取り上げられている印象だ。もちろん原作となった作品にもその繊細さが存在している訳で、アイデアを借りるという建前ながら乙一氏が、個々の作者が発している繊細さや、微妙な心の動きをくみ取って、場合により増幅させているところに作品集全体を通しての甘酸っぱい雰囲気に繋がっているように感じられる。一見ファンタジーっぽい『王国の旗』なんかにも、その繊細さは通じている。
 上記と同じことかもしれないのだが、それぞれの主人公たちはいわゆる”普通”の少年少女ではない。皆、感覚や感性が鋭すぎる、他の人にない経験をしているといった背景を持っているようにみえる。結果、彼らは普通の学生生活から(肉体的/精神的に)逸脱してしまっているか、逸脱を内に秘めているようにみえる。結局のところ、大多数に属して普通を演じて暮らす人びとであっても、何かしらこういった感覚は多かれ少なかれある筈。結果、非常に繊細にみえる作品群でありながら普遍的に読者の心に訴えるものになっているのではないだろうか。

 その成立にかかわらず、非常に乙一らしいクオリティとセンスが感じられる作品集。誰が読んでも一定の感慨があることが保証される内容ながら、何となく若い読者により読んで欲しいと思えるのは何故だろう? 悩めるどこかの誰かにとって、とても大切な一冊になる可能性が感じられるのだよなあ。


11/05/07
福田和代「リブート!」(双葉社'11)

 2007年『ヴィズ・ゼロ』を発表以来、女流ハードボイルド・冒険小説作家として精力的な活動を続ける福田さんの↓『怪物』に続く、十冊目となる単行本。『小説推理』誌2010年8月号から'11年3月号にかけて連載された作品を単行本化したもの。

 二つの都市銀行。東京に本社を置き、関東を中心に支店網を張り巡らしている東邦銀行と、関西を地盤としてきた数少ない都市銀行・明徳銀行が、ひびき銀行という名で一年前に合併した。両行のシステム関連の人員は、異なる二つのシステムの融合に腐心してきた結果、一応は動き出し、曲がりなりにも二十四時間運用され、サービスが提供できるようになった。その基幹となる両方をつなぐのがリンカーと呼ばれるシステムで、明徳銀行側に設立された明徳サービスシステムのプロジェクトマネージャーが横田大志だった。新婚の横田は、人への気遣いは抜群なのだが今少し押しが弱いところがあった。夜中にかかってきた停電によるシステム停止の電話。無停電装置の電源不良により、本来のバックアップにも異常があるというのだ。原因がはっきりしないまま、横田らは一応目の前のトラブルを解決するが、東邦銀行側の同組織を率いるPMの仲瀬川とのやりとりは互いにいらいらして亀裂寸前だった。

日本を縁の下から支える職種の、サラリーマンたちの生き様と悦びを活写。元同僚たち、そして働く人たち皆へのエール?
 殺人も暴動もテロも起きない。具体的な犯罪も犯人追及もなく、語弊を考えずにいうならば、現代のサラリーマン小説(格好いい側)、といった趣の作品になる。具体的にいうならば、現実にもあった都市銀行のシステムダウンを防ぐために頑張るシステムエンジニアたちの実録24時間
 深夜の呼び出しの電話から始まる巨大トラブル。停電に無停電装置の故障が加わって、更に過去のシステム開発時代に端を発する謎の誤振り込みに至ってゆく。現場の人間の焦燥は手に汗握るほどに伝わってくる。実はこの段階までは、何者かが銀行に悪意のハッキングを仕掛けて……という巨悪と戦うサラリーマン像を幻視していた。が、この物語には巨悪は存在しない。あくまで「日常」のなかでのトラブルとの戦いである。その立ち位置がはっきりした結果、余計に物語の緊張感、緊迫感が増すように感じた。というのは、トラブルの原因が侵入者のせいに出来ないということだから。
 また、主人公は「いい人」。一方で根回しや議論は苦手、目標に向かって猪突猛進できる人物ではないので、対象的に描かれる仲瀬川とは異なり、近年の宝島系ミステリであるような会議室バトルも発生しない。むしろ、組織には付きものの組織間トラブル等に悩むばかり。その主人公、理系出身銀行エンジニア、新婚で子どもが近々生まれる横田という、そんな(リーマン社会には)どこにでもいる人物がいかにトラブルを乗り越え、いかに組織のなかで成長してゆくかという物語でもある。終盤は、横田の仮想敵となっていた仲瀬川の悩みも描かれ、人間味が全体に感じられる組織小説となってゆく。押しつけがましくない程度の啓蒙小説としても読めるかも。

 主人公の経歴は、性別こそ異なるがこれまで発表されてきたプロフィールから判断するに作者自身のデビュー前のそれとかなり重なるのではないか。(……とすると小説を書く時間はどこで捻出してきたのだろう?) 地味な職場で地味に頑張り続ける人間を描くに長けた作者のこと、この世界を内側から描く使命感に駆られたのかもしれない。そして、恐らく実地にこの職にある人間からしても、この作品は共感が持てる出来になっているのではないだろうか。


11/05/06
福田和代「怪物」(集英社'11)

 2007年『ヴィズ・ゼロ』を発表以来、女流ハードボイルド・冒険小説作家として精力的な活動を続ける福田さんの九冊目となる単行本。『小説すばる』誌2010年5月号から12月号にかけて連載された作品を大幅加筆修正して単行本化したもの。

 人間が死ぬ瞬間に発する匂い──〈死〉の匂いをかぎ取る特殊な能力を持っていることで、捜査一課を中心に三十年近く刑事を務めてきた香西。能力自体は周囲には秘密にしており、勘がいいということになっていた。そんな香西が定年間際で心残りに感じているのは三ヶ月前に時効を迎えた少女誘拐殺人事件のこと。当時大学生だった堂島昭という男の部屋で香西は死の匂いを嗅いだのだが、父親が警察庁の幹部であったこともあり、結局証拠不十分なまま堂島も容疑者から外されてしまっていた。その堂島が近く衆議院に立候補すると聞き、香西は複雑な感情を抱く。一方、定年間近で大きな事件に関われない香西は橋爪という男の失踪事件を調べていた。その行く先にあったのが日本循環環境ラボラトリ。そこは高温と圧力をかけた臨界水でゴミなど全てを溶かしてしまうという研究を売り物にしている会社だった。香西は真崎という若き研究者と会うが、彼の部屋からは〈死〉の匂いが漂っていた。骨まで溶かすという臨界水、また橋爪は過去に後ろ暗い仕事をしていた時期があり、真崎には橋爪を殺害するだけの理由があるように思えた。そんな折り、かつての幼女誘拐殺人事件の真相を知るという謎の女性が、香西にコンタクトを取ってきた。

超能力ベースのハードボイルドと思いきや、先読みを裏切る後半の展開がユニーク
 先読みを許さない。というか、道具立てから判断して、この先はこうなるだろうという読者の読みを裏切りながら物語が転がってゆく印象だ。特に中盤以降がその傾向が顕著。怪物と思われている橋爪と、かつての殺人者を告発しようとして過ちを犯す里紗、更に死の匂いを嗅ぐ主人公・香西。かつての犯罪者なら死んで当然なのか、さらにその殺害行為は隠蔽されて当然なのか。誰の行いが正しくて、誰の行いが間違っているのか。殺人自体ではなく死体の処理が中心テーマにあることに気付かなければ、何が正しく何が過ちなのかという危険な思考スパイラルに吸い込まれてゆきそうだ。物語上では、そういったところを考えさせないスピードで物語を運んでおいて、後になってから悩ませるという、なんとも読者泣かせの展開になっている。意図的なのだろうけれど、読者としては物語についてゆくしかなくなる。ひとことでいえば、話運びが非常に巧いということ。
 死の匂いを嗅ぐという特殊能力(超能力)、超臨界という技術を用いてあらゆる有機物を溶かしてしまう装置。この二つが交わる時に、実は誤解が始まっている。警察に属しているうちは、犯罪や死体隠匿は罪だと職業上の論理で割り切れたはずが、その価値基準が揺るがされるところがさりげない読みどころ。警察を定年退職した主人公という設定が地味に効いている。主人公だけではなく、読者もまたその価値観変動に晒される。特に、終盤近くで元刑事、正義の権化だった筈の主人公が、ある人物に対する殺意を(軽々しく)クチにするあたりは、そのクライマックスかも。
 結果、サスペンスとして読み始めた物語がミステリやクライムフィクションといった同ジャンルにシフトするではなく、何か別の命題を抱えた物語(怪物)へと変化してしまったようにも感じられる。 なんともいえない、ざらりとした感触が心に引っかかる作品であった。

 現段階までの福田和代さんの作品群のなかでは、比較的異色に属する作品かと思うが、物語展開の特殊性・意外性という点から高く評価できる作品かと思う。ただ福田さんには、特殊で地味な業界を活写するというまた本作とは別の才能もあるので単純なモノサシで測ることはちょいと難しいのですけれど。


11/05/05
近藤史恵「三つの名を持つ犬」(徳間書店'11)

 近藤史恵さんのノンシリーズ長編作品。『問題小説』2008年4,7,10月号、2009年1,4,7,10月号、2010年1,4月号に連載された作品に加筆修正を加えて単行本化したもの。

 子どもの頃から美しく育った草間都(みやこ)は、東京の大学に進学するために上京、すぐにモデルとしてレースクイーンの仕事などに携わるようになる。大学は辞めてしまった彼女だったが、モデルの仕事の限界もすぐに訪れる。そんな彼女の転機になったのは一匹の雑種犬・エルとの出会いと、その犬をネタにしたブログを書き始めたことだった。元レースクイーンで犬関係のライターをこなせるという都は、一定の仕事を確保するだけの地位を築いてきた。都にはイベント会社を経営する橋本という愛人がいたが、妻子ある彼はエルとの相性が悪く彼らのデートはもっぱら外だった。そんなある日、デートから帰宅した都は、首輪がドアに引っかかって死亡したエルと対面する。現在の地位がエルのおかげであることを熟知する都は、犬の体調不良を理由に仕事を延期させながらエルに似た犬を探し回る。そして遂にあるホームレスが飼うエルそっくりの白い犬を見つけた。お金で交渉するがホームレスは都を相手にしない。切羽詰まった都は、その犬の誘拐を実行、その混乱のなか交通事故にホームレスは巻き込まれ死亡してしまう。恐る恐る仕事を再開した都だが、連れ帰った犬が浮気を疑って部屋に入った橋本を噛んで怪我をさせてしまい……。

さらりとした薄い生活感の流れから、一線を軽く踏み越えさせてしまうところが巧く、怖い
 殺人事件まで絡む物語をまとめるのに適当ではない気がするのだが、日常系というか、普通の人間の心情に沿ったサスペンスだと感じた。まあ、元レースクイーンという人種がそうそう沢山読書系にいるとは思えないけれど、ちょっとしたチャンスをものにしたものの、代わりはいくらでもいるという仕事といった類いは恐らくは、本書で取り上げられている、美人+飼い犬+ライターのセットに限らず、いろいろと思いつくところだ。しかも自らの趣味と絡んでいたり、他に生計が立てられる当てが無かったりした場合、この仕事は簡単には手放せないと思い詰めるところ、自然な感情だと思う。
 結局のところ、本書の主人公の陥った罠もまた同様。飼っていた犬を不慮の事故で喪ったという事実。作者が残酷というか現実的だということなのだろうが、犬の死そのものを悲しむと同時に現実的な対処方法を計算しているという事実が、きれい事ではなくむしろリアルに感じられる。ここからの展開は一つの嘘を塗り固めるために次々と嘘を吐き続けなければならなくなるというジレンマなのだが。
 もう一つ、これもまたきれい事ではなくリアルなのが、都の愛人だった夫の妻が、事件後に都に対して取った行動。現実問題として殺人事件の被害者というのもまた、殺人事件の加害者以上に苦しむという残念な日本の現実があり、そこを踏まえた超現実的決断が非常にクール。女性ならでは、というと怒られそうだが名より実を取ることに長けた実業家らしい判断だと思う。
 流石にどんでん返しが強烈とか本格としてのトリックが凄いとか、そのようなタイプの作品ではないが、述べてきたような現実を冷静に踏まえたリアルな反応が、作品としての落ち着きを作り上げている。その心理状況がもたらすサスペンス感覚は違和感なく読者の心に忍び込み、共に煩悶するという内容だ。

 
11/05/04
真藤順丈「畦と銃」(講談社'11)

 2008年『地図男』で第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞、をはじめ四つの文学賞を受賞、驚異の新人として名を馳せた真藤氏による連作中編集。冒頭から順に『エソラ』二〇〇九年四月第七号、第八号、第十号に掲載された作品に書き下ろしで「あぜやぶり・リターンズ」が加えられ単行本化されている。

 日本海沿岸から数十キロ離れた山々の裾野にある農業と林業の盛んな田舎の村・御薙(ミナギ)。一部で牧畜もやっているが人口は七七〇人。スーパーが一軒。そんな村の地権者である小手川は就農者を都会から呼び寄せるが同じだけ離農者も出ているので総人口はそう変化はない。しかも小手川家は息子クニミツの代になってからは様々なかたちで村の利権を食い物にし、意に反する百姓に嫌がらせをしている。ミナギの英雄として若い農民の信望が厚い三喜男と、その弟子を自認する大助は小手川家を意に介さないが、大助の幼馴染みで色男の惣は反小手川系の農民と共にネオ農協を立ち上げるが対立はエスカレートして……。 『拳銃と農夫』
 ミナギの山林を切り開いてのロックフェスティバル開催が決定した。山林を切り開く業者は互いに罵り合い罵声を交わし合う。結局四つの地元出身業者に任せることになったがミナギの血を引く林野庁勤務の女性は木に登って叫び出す。 『第二次間伐戦争』
 四十近い信子の経営する牧場を手伝う小学生の集団。しかし信子がいなくなり牧場に何者か大人の集団が時々襲撃してくるようになった。小学生たちは彼らなりの考えで撃退を計るが、そもそも男たちが何を目的に襲撃を繰り返してくるのかが判っていなかった。 『ガウチョ防衛線』
 そしてミナギは今も続き、今なお。伝説の男が。ミナギに。 『あぜやぶり・リターンズ』 以上四編。

農業、林業、そして畜産業。その本質を踏まえ、一次産業に暮らす人びとの超絶にハードボイルドな生き様
 ──、何これ、凄い。
 話題を振りまいてデビューし、その後も独特の作品を生み出して(古川日出男氏と感覚が近しい)いる真藤氏の新作として、一定の期待感を抱いて読み始めたのだけれど、ほわほわした期待感を踏み躙ってくれるほどの内容だった。
 悪徳地権者に対して反旗を翻す、現代の百姓一揆である『拳銃と農夫』(ただしどんでん返しあり)にせよ、四人が四様の感覚で林を切り開いてゆくがために罵り合い、ぶつかりあう『第二次間伐戦争』、そして主がおらず、小学生たちが維持管理している牧場が謎の男たちによって何度も何度も襲撃を受ける『ガウチョ防衛戦』。農業のために、林業のために、畜産業のために、彼らは戦い、戦い続ける。その信じるところが生活と密着というより生活そのものであるがゆえ、宗教戦争並みに戦いが激烈になる。結局のところ、自らの理想を正しいと信じきれるかどうか、ということ。つまりは己は己の信じるところのために戦い、死ぬという物語。
 そういう様々である筈の戦いを、同じ村の近い時系列内でやってしまうというのが真藤順丈の真骨頂。それぞれの作品の主人公は異なるものの、登場人物は微妙に重なっていて連作短編集的な構成になっている。戦いというだけでは、微妙に拡散してしまいそうな主題を、一つ村に突っ込むことで強烈な濃縮が行われ、作品一冊としての完成度が高められている。一つ一つは物語であるのに、ここに収録された三編+一編以外にも、このミナギでは戦いがずっと何らかのかたちで続けられてきたのだろうなあ、と書かれてもいない過去を幻視してしまう。その意味では、この一冊はミナギという地域を叙事詩で描き出しているようにもみえる。(というか作者も当然そういう狙いがあるのだろう)。
 どうしても全体で語りたくなるのだが、個で読んでも面白いので困る。エンタメとして抜けているのは三作目の『ガウチョ防衛戦』だ。四十代のお姉さん(?)に惚れた小学生が主人公で、その小学生が防衛戦を固める牧場を襲撃する若い男たち。敵の目的が判らないまま、牧場を守るという目的で守る小学生。その戦いの細かな過程も一種の特殊戦闘小説としてユニークだし、後半に判明する敵の目的も意外性が高い。(しかも伏線があるし)。加えて、小学生同士や主人公の恋愛感情がまたさらりと爽やか(?)に描かれているのもポイントが高い。青春小説の味わいもある。

 ということで、あっという間に一気読みさせられた。決して上品な小説ではない。一次産業特有の、生きたもの相手の綺麗ではない部分も淡々と描かれるし、特有の訛りが加わった会話文はリズミカルではあるが、取っつきにくくはある。ただ、そういうところも引っくるめなければ一次産業ハードボイルドは成立しない。結局のところ、信念に従って生きる男たちの格好良さがざわっと心に残る。 凄い小説。


11/05/04
門前典之「灰王家の殺人」(南雲堂'11)

 2001年『建築屍材』にて第11回鮎川哲也賞を受賞して(メジャー)デビューした門前典之氏。他に『屍の命題』(自費出版時は『死の命題』)、『浮遊封館』といった長編があり、本作は四冊目の作品となる。

 両親を早くに亡くし、養父母に育てられた私こと慶四郎は、京都の私立大学を卒業後、サラリーマンをしている。私は学生時代に入院していた時に、雪入(ゆきいり)という人物と知り合う。運動神経も良く頭脳も明晰な彼は、独特な信条をもとに行動している一方、時々ふらりと私の前に現れる。一年前に結婚した私の妻・良子もまた雪入により好意を持っていたはずなのだ。そんな雪入と私は、昭和が終わろうという年に灰王家で十三年前に起き、迷宮入りしていた猟奇殺人事件を解決したかと思うと、その現場で首を切断されて殺害されてしまったのだ。──「己が出生の秘密を知りたくば、山口県鳴女村の灰王家を訪ねよ」謎の手紙を受け取った慶四郎は、妻に黙って辺鄙な山奥にある鳴女村を実際に訪ねてゆく。バス亭から歩いて数十分、訪れた温泉旅館灰王館は廃業して久しいということだが、持ち主である女将と使用人が住み続けており、その娘・綾香もまた小郡から帰郷していた。慶四郎は彼女らから歓待を受けるが、その灰王家の離れにある座敷牢では十三年前にバラバラ死体が密室で発見される事件があったのだという。さらに旅館の周囲で謎の人影が目撃され──。

丁寧過ぎる伏線に込み入った真相。(新)本格ミステリの核(コア)を執拗に掘り起こすイメージ
 門前典之氏といえば、というか小生が持っている印象は、大胆なトリックを仕掛けてくる作家、である。トリック至上主義というか、前例のない大がかりなトリックの実現のために小説がある、という作風にこれまで読んだところではみてきたが、本作もまたその印象に近い。登場人物を絞っていることもあって、リアリティという意味ではぎりぎり維持されているのだが、複数のトリックを絡めているがために、真に驚くべき核となるトリックがその周辺での小さなサプライズに汚されて見えにくくなっている。複数のトリックが絡み合って大きなサプライズを呼び込む狙いが、サプライズの並列接続になってしまっている感じか。
 また小生は、真相が特殊な病気でした、という本格トリックは大嫌いだと公言しており、本書のメインとなるトリックも、かなりそれに近い。が、ぎりぎり許せる。 そのこと自体がトリックではあるものの、そこで終わるではなく、その陥った人間の一歩進んだ先の状況こそがより本質的真相となっているからだ。どう書いてのネタバラシになるのであれだが、究極の状態に置かれた二人の人間関係により切った切られたという相が、奇妙な状況をより複雑化された事件であることが、単なる猟奇趣味で真相を作っただけの作品とは一線を画している。
 もう一つ、主人公というか登場人物にかかわるもう一つのトリックというか仕掛け。こちらは伏線も大概丁寧に張ってあり、ここも不自然、この視点は? といったかたちで手練れの読者であれば必ず気付くようなタイプのもの。個人的にはこちらで凝り過ぎたことが作品自体を二段階下に突き落としていると感じられた。解離性同一障害というか多重人格ってのは、一種の精神疾患なので、よほど扱いをうまくして貰わないと評価できないネタであるのだが、扱いがうまくないのだ。その結果、こちらの部分の説明を受けているうちにメイントリックがどんどん霞んでいってしまう。
 全体としては凝り過ぎて失敗しているとみる。前向きに進んで倒れているのでまだ良しとすべきなのだろうけれど。

 新本格ミステリのうちでも懐古派(今作った造語)に属する作品。トリックが成立する時代年代を舞台に、最低限のリアリティを付加したうえで、若干怪奇趣味の入った導入と展開、一転して全てを論理で解き明かす終盤。ある意味では新本格ミステリの中心地であった筈なのだが、新本格ミステリ勃興からの時間の経過がそのままハンディとなっている気がする。


11/05/03
梶尾真治「ゆきずりエマノン」(徳間書店'11)

 梶尾真治氏が三十年以上にわたって書き続けている「エマノン」シリーズの最新刊。(巻末にリストがあるのだが、第一作「おもいでエマノン」って初出が『SFアドベンチャー』1979年12月号ってのは結構衝撃的かも。本書収録の四作は「おもいでレガシー」が'06年8月にアンソロジー『異形コレクション 進化論』にて発表たもの、残り三作は『SF Japan』2007年3月から2010年11月にかけて不定期に発表された作品になる。

 幼い頃から近付いた相手の記憶を視てしまい自分の事のように経験を感じ取ってしまうという特殊な能力を持った水野香澄。その能力ゆえに引きこもりになっていた彼女は他人とほとんど触れあわないお寺のお手伝いを始めることになった。そんな彼女を遠くから眺める老人がいて……。 『おもいでレガシー』
 自身の持つアンテナに従って辺鄙な村を訪れたエマノン。彼女の前に読心能力を持つ少年が現れ、更に山奥へと案内する。奥地には数人の男女がいたが、出自はばらばらで家族でもなさそうだ。彼らは地球上に現れる「邪魔」を排除するためにそこに居てエマノンに見届けてもらいたいのだという。 『ぬばたまガーディアン』
 ごく普通に仕事をしていたが人生に夢を持たない毛谷村研一は、リストラされての就職活動の途中に思い立ち、海外旅行に出ることにする。安旅パックで到着した韓国で研一は謎めいた、語学堪能な美女と邂逅する。 『いにしえウィアム』
 かつては人が暮らしていたが今はもう誰も住んでいない島から聞こえた叫び。その声が気になりエマノンは島へと渡ったが、一緒に渡った島の元住人と水上タクシーの操縦士は化物を目撃してエマノンを置き去りにして逃げ出した。その島出身の母親の遺骨を遺言通り、島の墓に埋めてやろうと訪れた濱洲庄一。食料調達に島の船を操って戻ってきていたエマノンと会い、島に渡った。島の声の正体とは。 『あさやけエクソダム』 以上四編。

「上質」というレベル上で安定した質感を保ち続ける。これもまた日本を代表するSFシリーズだ
 表紙は当たり前のように鶴田謙二氏。ここまで来ると、エマノンのシリーズと鶴田氏のイラストはセットでしか考えられない気がする。
 「エマノン」シリーズはここまで全部読んでるしー、と思って振り返ってみれば全然そんなことはなく、『おもいでエマノン』と『さすらいエマノン』の二冊しか読んでいないのか俺はいったいここまで何を考えて生きてきたのか駄目駄目だあqあwせdrftgyふじこlp;。……いずれにせよエマノンと再会できたことは喜ばしいことだ(誤魔化してみた)。
 基本的なエマノンのスタンスに変化はない。人と過剰に交わらず、地球のため生物全体のために、時に大胆に時に残酷に、自らの内面とだけ相談しながら行動してゆく。ただ、本書の場合はどちらかというと「何かを助ける」「かつての約束を果たす」といったスタンスの物語が目立つ。さらに毎回のことながら、エマノンの存在は普通の人間にとっては謎めいていて、それでいて魅力的で。一方のエマノンはそんな自分の魅力を知ってか、でも必要以上に人を惑わせることなく、淡淡と「目的」をクリアしてゆく。
 そのほんの少し、ごくわずかだけ「人間」と遊離した感覚や目的意識を持つエマノンを、梶尾氏は実に巧みに表現していく。普通の、だけど普通でない魅力的な、そして永遠の女の子。萌えとか簡単に表現すると作者に失礼なのだけれども、三十年も前からそれに近い感覚を読者が呼び起こすようなキャラクタを描いていたともいえるのだ。時の流れが常人と異なるため、どんなに個性的な脇役も彼女の側に長期間居られない。だからこそ、彼女自身が発する、オーラにも似た魅力は作品成立に重要な礎となっている。
 作品集としては、人を助ける話であるにも関わらず、どこかトーンとしてはもの悲しい。(ハッピーエンドにみえるのだけれども、それでも何かもの悲しい)『あさやけエクソダム』のラスト前の虚しさはなんなのだ。他、運命の相手に巡り会っているのに、万々歳でハッピーにみえないのはいったい。そこが一人で永遠(みたいなもの)を司る「エマノン」シリーズの本質なのかもしれない。

 シリーズを読み返したくなった。更に鶴田謙二氏が画を担当しているコミックも読みたくなった。なんか麻薬みたいな小説です。読んでいない隙間を少しずつでも埋めてゆきたくなるシリーズ。


11/05/02
三津田信三「七人の鬼ごっこ」(光文社'11)

 三津田信三氏による書き下ろし、ノンシリーズの長編ホラー・ミステリ。ただいつもの通り、世界観が一定というか、本書に登場する本の題名や人名などの固有名詞が、同氏の他作品と共通しているなどしていて、同じ世界にあることを示すなど、トータルとしての遊び心が健在。

 「だぁーれまさんがぁ、こぉーろしたぁ……」ある晩、西東京生命が主宰している自殺防止のボランティアラインに謎めいた男から電話がかかってきた。男はかつての友人たちに毎日一人、順に電話を掛けてゆき、誰も出なかった時に自殺を決行するゲームを自らに課したのだという。心当たりの友人が尽きた六日目、男が掛けたのは”いのちの電話”だった。その電話を受けたボランティア相談員の八重もまた、かつて様々な悲惨な経験を背負った女性であったが、男の発言か ら、土地勘のある瓢箪山にある達磨神社が現場であると判断、地元公共団体に連絡を取る。翌日の日曜日に現場を訪れた男たちは、その男こと多門英介が残した男性用のポーチと血痕を発見するが、多門の姿は見えない。事件性があると判断 され、警察は残された英介の発言から、あるホラーミステリ作家が、電話を受けた友人の一人だったと判断、その人物・速水晃一から事情を聞く。速水は速水で事件に興味を抱くのだが……。

理不尽に降りかかる悪意がもたらす雰囲気が実に凶凶しい。それでいてミステリなんだから。
 デビュー作品にあたる『ホラー作家の棲む家』の段階から、三津田信三氏の作品には、版元の都合で(?)で名前を変えた、”三津田信三(つまり作者自身)”ライク(風?)の作家が登場する。 本書にもまた、これまで登場した作家とは名前が異なるが、本編に登場する速水がという作家が、その人物、つまり作家枠にあたるようだ。その作者自身の境遇だけではなく、好奇心の持ち方、精神状態といったところも共通しているようで、シリーズが違っても共通のトーンを作品が醸し出す一助となっている。
 ただ、このことは別の意味で三津田信三作品に共通した要素にも繋がっている。まあ、ひと言でいうと、怖さというかじわりとくる嫌らしさ、嫌悪感といった、あの言葉にしづらいヤな感覚だ。ホラー小説だけではなく、ミステリを標榜している以上、読者としては、手がかりがないか伏線がないかとじっくり読んでいるところ、その「じっくり」を逆手に取るかのような方法で、超常・気持ち悪・どろどろの描写が、その隙間からするすると入り込んでくる。 童謡が出てくれば見立て殺人と思うのはミステリ読みの常なのだけれども、その感覚すら悪用(?)して、読者の気持ちをささくれ立たせるところ、始末が悪い。読んでいて何とも落ち着かない、ぞわぞわした気分にさせられるのが逆に快感となってしまうのが三津田ミステリの中毒性だ。
 一方で、どんでん返しのある本格ミステリとしても毎度毎度、そして本作も「流石」な出来。殺害される人数が必要な分、それ以外の登場人物をぎりぎりまで絞っており、また、『そして誰もいなくなった』方式で、次々と関係者をご退場 させちゃったりするもので、伏線をくみ取れないまま、気付いてみると犯人候補が激減していることに気付く。それでいて、きっちりどんでん返しをかましてくるところ、三津田作品らしいなあ、と素直に感心させられる。

 三津田ミステリの最高傑作だとかは軽々しくいえないが、刀城シリーズとはまた微妙に異なるテイストで本格ミステリを実現しているところ、ユニークだと感じた。三津田作品群に放り込むとこれでも水準作というあたり、どれだけ常日頃からレベル高いんだか。


11/05/01
鯨統一郎「新・日本の七不思議」(創元推理文庫'11)

 鯨統一郎氏のデビュー作にして出世作『邪馬台国はどこですか?』、その続編『新・世界の七不思議』に続き、文庫書き下ろしで刊行されたシリーズ三冊目。『ミステリーズ!』vol.39 二〇一〇年二月号からvol.43 二〇一〇年十月号にかけて発表された作品に、書き下ろしの「邪馬台国の不思議」「本能寺の変の不思議」が加えられ七不思議となった作品集。

 ”日本人”の定義は何か、日本人は果たしてどこから来てルーツはいったい何なのか。 『原日本人の不思議』
 邪馬台国と卑弥呼、そして卑弥呼は天照大神だった。そうなると天の岩戸の伝説は何を指すのか……? 『邪馬台国の不思議』
 島根県津和野に旅行に訪れた宮田と静香。万葉集に歌が収録されている謎の人物・柿本人麻呂の正体は誰なのか? 『万葉集の不思議』
 高野山。空海はなぜ多くの中国人の有力な弟子を差し置いて短期間で免許皆伝を受けたのか。宮田が提示するある仮説を当てはめるとあっさりその謎が解けるという。 『空海の不思議』
 桶狭間の戦い、本能寺の変。宮田の提示する織田信長という人物の真の姿とは……? 『本能寺の変の不思議』
 ミステリ界隈でも人気の「写楽の正体」に関する謎。フリーライター宮田六郎の比定する写楽とは、誰なのか。 『写楽の不思議』
 米国は一般人を殺害することを辞さず広島に原爆を落とした。絶対に許されない行為である。開戦の真実、戦争の愚かさについて考える。 『真珠湾攻撃の不思議』 以上七不思議。

空想の自由さ、奔放さはシリーズ通り。論の詰め方は多少緩い感あるも超絶歴史奇想は健在
 数ある鯨作品においても知名度ナンバーワン、ベストセラーかつロングセラーとなっている『邪馬台国はどこですか?』は、既に国民的名作だと言っても過言では無いだろう。文庫で刊行され、以来(創元推理文庫という恵まれたレーベルであることも含めて)十年以上も新刊書店の書棚に並び続けている。「世界の七不思議」を挟んで、再び鯨統一郎の歴史推理が日本に帰ってきた! と判ってて書くと偏狭に過ぎるかな。実際は、ここに至る多くの長短編で歴史を中心に据えてはいないものでもいくつも歴史の謎に、鯨統一郎氏は挑んでいるし、ユニークな解釈もあるのだ。でもやっぱり早乙女静香とその他(おい)というかたちで、歴史の謎ではない謎に挑むというこのシリーズは別格だ。
 そのアプローチのユニークさは、デビューから十年以上経過した作家とは思えないくらいに斬新かつ新鮮。原日本人はちょっとキレが少ないものの、邪馬台国の位置、万葉集の秘密、本能寺というより信長の謎、さらに太平洋戦争と写楽。個人的に本作のなかでもっとも説得力が高く圧巻の解釈だと思われたのは空海の秘密だけれど。
 いずれにせよ、空想の翼の拡がり方が見事なのだ。一方、多少残念に感じたのは、アイデアは素晴らしいのに、そこからあまりそのアイデアを証明する方法にこだわっていないようにみえる点。ある斬新な仮説、その仮説が導かれる事実、までは良いにせよ、その仮説を補完してゆくことにあまりこだわっていないようにみえるのだ。そこまで時間が掛けられなかったのか、それとも適当な資料がないのか。その真相は不明だけれども、いずれにせよ少し読んでいて勿体なく感じられたのだ。

 多少ケチくさいことも書いたものの、作品集内部で行われている謎解き(歴史の謎のみ)を肴に話が進んでゆく点は圧巻。中途半端に現代事件を絡めないところが、このシリーズが実は成功している要因となっている印象だ。