MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/06/30
丸山天寿「咸陽の闇」(講談社ノベルス'11)

 2010年、第44回メフィスト賞を『琅邪の鬼』で獲得。不老不死の仙薬を求めた伝説の医師・徐福の弟子たちが活躍する本格中華ミステリ(と書くと何ですが)で、続編にあたる『琅邪の虎』も既に刊行されている。本書はシリーズ三冊目にあたり、遂に一向は居住していた琅邪の街を飛び出している。丸山氏の構想は最終的にこのシリーズは卑弥呼に行き着くらしく、相当アイデアのストックがあるようだ。

 秦の始皇帝から不老不死の研究を託され、様々な特権的な地位を手に入れて琅邪に住んでいる徐福。今回は秦の始皇帝にその研究の成果を報告する必要が生じたために、琅邪を離れ秦の都・咸陽(かんよう)に移動、その地に滞在していた。しかし、数多くの弟子たちの焦りをよそに徐福本人は、都の外れの里でのんびりとしている。しかし、その里に住む子供・喃が、里にある首塚付近で女を食べる化生を目撃し、大騒ぎになる。更にその食べられた女性は、都に働きに出ている里長の妻であるというのだ。里が封鎖されて調べられるが、化生の存在は無く、見間違いかとも思われたが、徐福の弟子の一人・易継が、その場所から丹砂(水銀)の香りがするという。丹砂は化粧に使われるため、少なくともその場所で何かがあったことは間違いない。近辺の里では、若い娘が次々と失踪する事件も起きており、続いて里から一人の老人・六爺の姿が消えた。その老人の足取りをたどるうちに桃や狂生らは一軒の古着屋に行き着く。

謎の吸引力が後半に向けてパワーアップ、始皇帝の根源的な謎に迫ってゆく
 そもそも、始皇帝は徐福に対し、不老不死の薬を作らせようとしたのではなかったのか。その始皇帝は、何故驪山(りざん)に巨大な生前墓を造らせたのか? 単なるリスク管理という訳ではなく、そこはそうするだけの理由があった――という謎解き(解釈?)がユニーク。ただ、このテーマが全体として浮かび上がるのが物語後半になるところが少し残念。
 というのは、前半部の人食い女の謎が弱く(「居た」という証拠があまりに乏しく、大の大人が子供のいうことに振り回され過ぎの感もある)、続いての娘失踪、老人失踪と続いての謎も弱く、正直、この段階ではミステリとしてのインパクトを欠いていると判断していた。だが、後半にいたって人間ではない存在を人間として操ることが可能だという「亜人」の製造といった猟奇的な謎に入り込むことでリーダビリティがなんとか回復した印象だ。
 ただ、その後半にいたってからのテンポは本物。徐福やその弟子たちを誇大評価する廬生とその配下、更に歴史的にも有名な顔にイレズミのある”布”なる大物など、ドラマティックに物語が動き出す。徐福が滞在していた村の人びとが何を思っていたのか、そして序盤の人間消失の理由は、といったところ、地味だと思われた謎が大きなテーマが提示されることで繋がって(残酷なかたちでだが)いく展開は悪くない。そして冒頭で述べた謎、すなわち秦の始皇帝がなぜ不老不死と巨大な墓所とを両立させようとしていたのか、という部分に繋がってゆく。
 本書の解決場面の一部に怪異の存在があり、これはこれで時代性を考えると存在するという前提が「あり」となる。本格としてのイメージはこの結果、若干割り引かざるを得ないのだが、ミステリをベースにしたエンターテインメントとしては、今後のシリーズにおいても先読みを防ぐことにも繋がり、作者の計算高さを感じた。
 特に終盤には、シリーズ名物(?)となっている桃と狂生が活躍する戦闘シーンあり、今回登場する人物たちの恋物語や、最強夫婦・桃姫&狂生のラブラブあり。歴史の、そして事件の謎解きだけに留まらない、トータルとしての中華歴史エンターテインメントとしては十分おいしい要素を兼ね備えているといって良いだろう。

 無心や狂生らの目的は、始皇帝の暗殺ということになっているが、一方で作者である丸山天寿氏はこのシリーズが邪馬台国へ至ると明言されている。どうやら徐福やその取り巻きは倭国にて神様になるらしい。(歴史的に古事記・日本書紀以前の人物は神様なので、そういうことかと思うが)。歴史エンターテインメント、まだまだ先は長く続いてゆきそうです。


11/06/29
松浦寿輝「不可能」(講談社'11)

 松浦寿輝氏は詩人、小説家。1988年に詩集『冬の本』にて第18回高見順賞を受賞、1996年に評論『折口信夫論』で第9回三島由紀夫賞を受賞した。2000年には小説『花腐し』で第123回芥川賞を受賞している。小生の守備範囲から外れるのではあるが、ある方からラストが本格ミステリになりますよ、と勧められたので読んでみたら本当にそうでした。『群像』二〇〇六年十月号から二〇一一年五月号にかけて断続的に発表された作品を単行本化したもの。

 元は社会的に影響力のある有名作家だったが、過去に大きな事件を起こしたことで収監され、無期懲役から二十七年経過してようやく仮出獄が認められた男。名前は平岡、喉元に特徴的な大きな傷が残り、もう老齢の域にある。過去の作品のおかげか、お金には全く不自由していなかったものの、世の中のことにほとんど興味を失っており、偶には外出もしたものの、コンクリート打ちっ放しの地下室で過ごすことを好んだ。地下室にはバーカウンターが設えてあり、平岡は水割りをちびちび舐めながら、長時間そこにいることが多かった。更に思いつきで丸テーブルを配置し、伝手で彫刻家の卵を家に呼びつけた。三十前と思しきS…君は、平岡の依頼でバーに座る中年男やバーテン、カップルなど人体模型を幾つか制作、地下室に配置した。平岡はS…君の力を借り、更にバーらしく音を地下室に入れたり、伊豆に別宅を購入、海を見渡せる塔を制作したりした。また彼の誘いによってROMSなる会合に参加、幻想と現実の狭間にあるような経験をする。そのROMSの会が平岡の伊豆別荘で開催された夜、東京の地下室で平岡のものと思われる首が、そして伊豆の塔で切断された身体が発見された……。

本格ミステリの、トリックそのもの以上にWhy done it?としての扱いがユニーク
 骨絡みで三島由紀夫という作家を知っている訳ではないので、少々読みながら調べたが、平岡というのは三島由紀夫の本名のようだ。物語自体の正確な年代は記載されていないのだが、物語は1970年、三島事件を引き起こすものの、三島が切腹に失敗して逮捕収監されるという経過があったというのが前提となっている。恐らくは2000年前後、三島の設定年齢も七十代半ばになるだろうか。
 前半から中盤にかけては世の中に関心を喪い、自分自身に向き合って虚無的に、だけど自らにとって前向きな虚無を求めてあがく老人の姿、という印象。 金はうなるほどあるため、自分のやりたいことに糸目は付けないが、普請道楽以外、そう浪費はしていない。自らの居場所、墓標を求めているという印象だ。それが中盤にROMSなる団体が登場してから、若干風向きが変わる。もう社会を引退した老人たちが、それなりのかなり高い費用を供して集まる会。単なる親睦会と思いきや、食事の後に謎めいたイベントがあったりする。B29の空襲を受けたり、高貴なお嬢さんと愛し合ってしまった若者の裁判を行ったりと、半分以上想風味で味付けられているため、受け取り方をどうすべきか、読者側としてもちょっと居心地が悪い。幻想小説と割り切れれば、この奇妙な空間にたゆたうことも出来たように思うが、立ち位置を考えているうちに物語が過ぎてしまったように思う。
 そうして最後の短編というか章というか、題名にある「不可能」に至る。ROMSの会に地元の名士を加えた伊豆でのパーティを平岡が主催、首だけの石膏像を持ち込んで客が思わず黙り込むような演説を滔々と述べる。議員の車で東京に戻り、翌朝には生首だけが自宅に、そして首を切断された死体が伊豆にある塔の中に。切断された遺体が距離の離れた別々の場所で発見される──、本格ミステリとしてはよく見かける展開ながら、このような小説で唐突に現れるとさすがに驚かされた。トリック、そのものはミステリファンにとっては驚天動地のものではない。考えつく幾つかのトリックのパターンのなかに本書で使用されたトリックも恐らく含まれるだろう。本書でも探偵役は登場せず、マスコミは謎が解けないまま、関係者による真相の独白がある。
 ただ、個人的にはこのような展開の小説内部で本格ミステリのトリックが使用された、その使われ方に感心した。 なぜここで単なる殺人事件ではなく死体切断を含む大胆なトリックを仕掛けなければならなかったのか。その過程はネタバレになるので端折るが、結局のところは、社会的規範や法律に縛られない行動、及び、自らの消失の完璧な遂行、更に話題性を付与することによる壮大な「冗談」、こういった要素を全て満たすために行われたということになろう。最終的に明かされる不真面目な態度にせよ、面白がり方にせよ、普通の意味での罪の意識など無く、結局のところ実際の事件もこの小説の事件も、通常の人間的規範とは別の位相にあった、そんな印象を受けた。

 あくまで本書のみの感想、です。 三島や近代文学については系統的に読んだことも学んだこともないので、何か重大な補助線が足りなくて間違っている可能性もありましょうが、まあ、それはそれ。一素人の感想として受け止めてもらえれば。


11/06/28
円居 挽「丸太町ルヴォワール」(講談社BOX'09)

 2009年11月という中途半端な時期に刊行された受賞歴のない新人の書き下ろし長編作品。しかし一部で高い評価を得、『2011本格ミステリベスト10』では堂々の8位、同年『このミス』ではベスト10入りを逃すものの11位となった作品。作者プロフィールではこの段階「1983年、奈良県生まれ、京都大学卒、本作にて長編デビュー。」ということだった。2011年、続編にあたる『烏丸ルヴォワール』を刊行している。

 十五歳の時、身体を患って祖父宅で療養中だった城坂論語は、突然部屋に闖入してきた、朽紅のルージュを名乗る頭の良い魅力的な女性と知り合い、数時間の時を共に過ごす。最終的には珈琲に仕込まれた睡眠薬で眠らされてしまうのだが、その時間帯に心臟にペースメーカーを埋め込んでいた祖父が自宅内で死亡していた。死自体は、自然死と診断されたものの、論語が持っていた筈の携帯電話が祖父の部屋から発見され、更に通話記録から携帯電話を用いた遠隔殺人の疑いがかけられた。祖父には論語の父親と、別の兄弟がいたが、医師である祖父を伯父が継ぐことで、論語はいったんは解放されたものの、医学部への進学が禁じられてしまった。しかし十八歳となった論語は医学部に進学、再び祖父殺しの疑いにより、常に丁丁発止のやり取りが行われるという私的裁判・双龍会の被告となることが決まった。弁護側、検察側にはそれぞれ龍師と呼ばれる人々がたち、弁護側に立つのが、今回初めて白羽の矢が立った瓶賀流、その助手には流の後輩で某大学に主席入学したばかりの御堂達也が努める。また検察側にあたるのは、流と同い年の二十二歳、凄腕の特級龍師・龍樹落花。ではなく、その弟の龍樹大和であった。大和は大和で暗殺剣の異名を持つやり手。果たして双龍会は開廷され、多くの群衆(観客)が見守るなか、流と大和による現場再現から丁丁発止のやり取りが開始される。

「京都」という土地柄が浮き世離れした天才・異能たちの違和感を軽減、論理合戦に集中させられる
 上述の通り、男性側「の視力が一時的に喪われている」ある条件下で手を握り合ったところ、男が女に惚れちゃって、というのが物語の根本。そのあいだに祖父が疑わしい状況で亡くなったことで、犯人の可能性を疑われ、その彼・城坂論語を被告に、疑似裁判が行われるというのが、三行あらすじということになる。疑似裁判である双龍会という仕組みも、裁判の緊張感をエンターテインメントとして貴族階級に提供しようというもので、舞台そのものに強烈な目新しさがあるタイプではない。確かに弁護側が青龍、裁判官が火帝、検察側が黄龍といったかたちで言葉は言い換えられているものの、その中身は裁判そのもの。ただ、歴史が連綿と続く京都という土地柄か、昔からこういうことが行われていた、といわれると急にこのイベントがリアルっぽさを帯びてみえてくることも、また事実だろう。計算して書かれているのだろうが、さりげなく巧いポイントだ。
 しかし、それだけではない。この作品は何故ここまで評価されるのか。
 やはり、一つは、この裁判上での丁々発止のやりとりが面白いから、そしてまた、もう一つは裁判上での駆け引きが実にスリリングで、かつ論理的であることだろう。三年前の事件、それも未必の故意すら怪しい、携帯電話によるペースメーカー誤動作を狙ったのかどうか、という裁判だったものが、被告側の狙いによって議論の中心があっという間にすり替えられる。すなわち、(論語にとっては)確かに存在しながら、かつ痕跡を残さず消えてしまっているルージュはいるのか、いたとしたら誰なのかという点だ。
 。その周辺人物こそ亡くなってはいるものの、別に殺人事件では(警察が介入するという意味では)ない。読む側からすると、ちょっと事件性が低いよなあ……と思って、ノリきれずに入ったところ、そこからの追い上げが凄かった。証拠の隠し球、論理筋道の破壊、証拠の捏造、私的裁判だからか、そのやり口はめちゃくちゃなうえ、矛盾や可能性を含めた論理のバトルがどつき合いの如く凄まじい。では、論理の変態(モンスター)たちの祭典になっているかというとそうでもなく、登場人物は、最初は猫を被っているせいか、森博嗣作品に登場する天才たち同様、多少変わっていても基本的には普通人の延長(一部は違うが)に思える。従って、勝負勝負! といった激しさは少なく、全体的なトーンは緊張感を孕んでかつ静謐なものだった印象だ。(当事者視点が多く、観客の受け取り方が今ひとつわかりにくかったせいもあるが)。あと、幾つか当然注意すべき引っかけがありが、油断していて気付かなかったのは読者側としての不覚。
 しかし、普通に考えると、ちょっとやそっとでは新たな証拠が見つかりそうにない事件。それを多少のご都合主義含みとはいえ、論理のアクロバットがびよんびよん飛び交いながらもきっちり着地しているし、その過程に挟まる幾つものダミーの手がかりとダミーの解決等も巧い。論理展開はクイーンの影響、加えて登場人物に「達也」ってのが出てくる。しかも嗤う。

 ラノベ風でもなく、かといって一般小説風でなく、あくまで本書は裁判エンターテインメント。 講談社BOXというレーベルによくよく相応しい作品である。最後の最後にこれは無理筋というような解決が浮上するものの、更に幾つもの伏線と重なってユニークな結論に持ち込むところも、なかなか面白かった。なるほど、これまで存在しなかったタイプのエンターテインメントであるように感じた。


11/06/27
高田崇史「QED 伊勢の曙光」(講談社ノベルス'11)

  第9回メフィスト賞を『QED 百人一首の呪』にて受賞後、足かけ十三年。他のシリーズを幾つも創作しながら十三年、QEDシリーズが完結する。最後のテーマは日本人の信仰の中心ともいうべき伊勢神宮。数多くの謎が解き明かされ、ついでに桑原と奈々のあいだにも決着(?)が? 書き下ろし。

  三重県の海岸沿いの辺鄙な場所にある八岐(やまた)村。この村の神社の宝だという巨大な真珠『海の雫』を展示会の為に持参した神職・日祀栄嗣が場末のビジネスホテルで不可解な転落死を遂げた。秘宝が無くなっていることはもちろんだが、被害者の両手親指が鋭い刃物ですっぱり切り落とされていたというのだ。小松崎の高校の先輩が三重県警にいた関係で、小松崎を通じて、伊勢に来て欲しいという依頼が桑原崇の元に届く。事件はとにかく伊勢神宮と周辺の神社を目当てに桑原は半ば強引に棚旗奈々を誘い出した。伊勢に行く途中、桑原自身は、伊勢神宮に関し、神宮の構造やそのお参りの順番、そもそもの祭神、斎宮、遷宮の謎など2ダース半もの謎があるという。しかし二人が名古屋で出会った事件関係者とは、桑原の中学時代の恩師にして現在は出家している尼僧・俗名・五十嵐弥生だった。一方、小松崎は神山禮子を通じて、同じ事件の捜査を依頼される。よくよく聞き出したところ、毒草師・御名形史紋の従姉妹が事件の関係者だというのだ。そうこうしているうちに東京に出てきていた八岐村関係者の女性が首吊り自殺を遂げてしまう……。

日本史の闇を照らすシリーズの完結編、そしてシリーズ総集編に相応しいボリュームと存在感
 平凡な形容詞になってしまい、誠に申し訳ない。シリーズ愛好者としての思いと作品に関する思いがごっちゃになってしまう。
 これまで日本の様々な謎を解き明かしてきたQEDシリーズ……と書いてみて、微妙な違和感が過ぎる。当初は百人一首であるとか、シャーロックホームズであるとか、どちらかというと文化的側面の謎が主流だったこのシリーズが、どうだろう、『式の密室』あたりから、隠された日本史、隠蔽された日本の姿、騙され貶されたもともとの地元民たちといった、教科書に載らないが忘れてはならない歴史を中心に取り上げるようになったように思う。
 そしてもうひとつ、このシリーズの独特の味わいがある。もちろんQEDでは、桑原崇が作品内部で提示された謎を解き明かす、説明をつけるというかたちはある。しかしながらこのシリーズの本来的な意味合いは、謎を解くことではなく、謎を見つけることにあったように思うのだ。
 百人一首や六歌仙にせよ、後半の熊野や出雲、更には桃太郎伝説等々、それそのもので伝説や寓話として完結しているようにみえる歴史から、疑問や謎を引っ張り出してきたことがこのシリーズの功績である。 通して読むと実感される、為政者によって書かれた歴史は、自らの支配に不都合な点があれば、そのエピソードが省略されたり意訳されたりするという、考えてみると当たり前の事実を突き詰めるのがひとつ基本的な文脈として定着していたといえるだろう。その点をきちんと気付かせてくれたことだけで、個人的にはシリーズに感謝している。

 さて、本作だ。

 伊勢神宮という江戸時代からの人気スポットがシリーズの掉尾を飾るというのも、日本の歴史を主題にした作品としてはタイムリーな最終作だといえよう。そして、列挙されるその謎の多いこと多いこと。この手強さゆえに最後まで残されていたのかと、妙に納得してしまう。個人的に、この何年かで伊勢神宮や二見神社をお参りしたこともあって、幾つもの謎はその記憶と重なって非常に興味深く読めた。普通の神社、神宮とは伊勢神宮は明らかに異なる様式になっているにも関わらず、訪問時には気付かなかったようなことが本作ではピックアップされている。確かに賽銭箱も狛犬もない神社なのだ。その秘密は──、これは確かに当てはまる。ふむ。(あとは本編で)。
 シリーズ最後ということもあり、キャラクタ的には勢揃いに近い状況で、冒頭から棚旗沙織(奈々の妹・小松崎と仲が良かった)が第三者と結婚するというところからスタート。余った熊つ崎はどうする? と思いきやいろいろヒントで彼がどうなるのかは本作で大きなヒントが出ていた。(『QED 出雲神伝説』所収の「flumen〜 出雲大遷宮」も参考のこと)。

 さらにさらに最後の最後でようやく桑原崇が何か(具体的に書かれていない)を言う場面があるのですが、ここは「皆さんのご想像の通り」だと田先生も言うておりました。ま、台詞を書かなかったことで数多くのファンの妄想をより高く広く拡げたのではないでしょうか。ありきたりなやり方ながら、使い方が巧いです。

 暗号については目次とあとがきの何行目かを横読みしたら出てきます。目次についてはある規則性もあるのでそちらも暗号のうちでしょう。

 ということで、幾つか積み残した謎(桑原がまた別の機会に)もあるものの、シリーズとしてはすっきり完結、良い最終巻だといえましょう。シリーズは、ここで終わると明言されていますが、また高田先生なりの歴史の謎に関する小説はきっと読めるものと信じております。オレたちにはまだ「カンナ」がある! でもこちらも近々完結だし。


11/06/26
西尾維新「花物語」(講談社BOX'11)

 『化物語』シリーズの9冊目にあたる作品で通巻でいうと『傾物語』に続く第6弾か。副題は第変話「するがデビル」。であり、視点人物は神原駿河本人となている。既に阿良々木暦や戦場ヶ原ひたぎは直江津高校を卒業しており、神原は関係者のなかでは(後から登場した忍野扇を除くと)ただ一人の高校生という、これまでの作品群のなかではもっとも未来を扱っている。書き下ろし。

 阿良々木暦ら、仲の良かった先輩たちが卒業、神原駿河も直江津高校で三年生になった。(ちなみに暦の妹の火燐も高校入学する学齢だが、中学から一貫校であり直江津高校には来ていない)。母親からもらった「猿の手」の怪異「レイニー・デヴィル」によるトラブルは収まったものの、神原駿河の左手は相変わらず猿の手の形態を保っており、毎晩包帯で縛って翌朝何事もないか確認することが彼女の日課となっていた。そんななか、駿河は「悪魔様」という、学生のあいだの噂を耳にする。「悪魔様」に悩み事を相談するだけで、どんな願いも叶うというのだ。自分の左手にも悪魔を宿す駿河はこの噂が気になり調べてみることにした。噂では悪魔様と会うにあたってはイージーモード、ノーマルモード、ハードモードがそれぞれあるというのだが、駿河は当たり前のようにハードモード、すなわち悪魔様との直接面談を選択。その場所とはかつて忍野メメが滞在し、その後火事で焼けてしまった「学習塾跡」だった。そして駿河はそこで悪魔様こと沼地蝋(蝋は正字)花と出会う。彼女は神原が現役バリバリのバスケットボール選手だった中学時代に、ディフェンス中心の駿河とは別のプレイスタイルで一目置かれている選手だったが、脚の骨折にて引退していた。現在は茶髪にした髪の毛に、脚にギプス。高校にも通っておらず現在はフリーターであるのだという。

変態美少女・神原駿河の意外に繊細な内面と真っ直ぐな性根が程よく協奏する青春小説
 『猫物語』以降、阿良々木視点のメタ要素まで取り込んだフェチやらなんやらの登場人物同士の戯れ言で一冊の半分が費やされたりすることがあることも考えると、阿良々木以外視点の作品はシリアスな展開を見せている。

 この神原の場合は、ここまで醸成されてきた、体育会系礼儀正しいが非常識な百合腐女子といった属性の裏側にある「神原自身」が、自身の言葉、心の動きをもって正直なところが浮かび出てくる点が興味深い。
 その視点がどうということも含めて沼地蝋花という存在との対決を通じて、これまであまり触れられなかった彼女の内面が、語弊を恐れずいうとラノベ的な紋切り型から、文学的な内面描写にて浮かび上がる印象なのだ。(ある意味では、化物語シリーズの主要キャラはラノベや美少女ゲームなどにおける「典型例」をデフォルメしたり極端化されたかたちのパーソナリティを持って登場しているのだが、見た目や感触としてはそうであっても、かなりつっこんだかたちで「なぜ彼女たちがそうなったのか」といったところを生い立ちや、過去の人間関係といったところも含めて設計してある。まあ、ラノベでも基本的にはそうであろうけれども)。
 本書で冒頭から描かれるのは、左手の暴走に今なお怯え、縛り付けておいてなお熟睡することができないという、小心で優しい女子高生の姿である。物語中盤では左手の呪いが解けてもなお、それで良しとせずに納得ゆく回答を得られるよう突き進む、馬鹿正直にまっすぐな女の子の姿である。口では散々耳年増っぷりを発揮しつつ、実際の経験値はほぼ皆無。しかし、阿良々木先輩のことはネタではなく本当に好きだったんだねこの娘。
 前作『傾物語』で成長した真宵が良い具合に育っているのを読んで涙した人も多いと思うのだが、本書の神原にしても十分、(多少の性癖がアレだとしても)良い娘だと思わされる。とまあ、そんな彼女が一人で、悪魔と過去とに立ち向かうお話。そこ自体にはそう感慨はないのだが、非常に心に引っかかったのは沼地蝋花が語る日本独特の悪平等感覚か。人より抜けて優秀な人間は、その爪を隠さなければならないという、出る杭が打たれるという狭量な社会。このあたりの彼女の独白は、どこか悲しい気持ちにさせられた。
 もう一つ、 品内部で駿河が阿良々木とメール交換をしていることをクラスメイトに告白する場面があり、その際に阿良々木が女生徒のあいだで伝説的存在になっていることが判明。この部分、なぜか吹いた。無自覚にフラグを立てまくっていたのかとか(ちょっと違うかな)。

 とまあ、ある意味では「化物語」その後、という意味合いがあるのかもしれない。(少なくとも、阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎが、大学生になってもまだ交際しているということがハッキリしたし、羽川は羽川で大学に行かず、かつて阿良々木に語った将来の夢を実現しているようだし)。そういう意味で必読にするのはずるいぞ作者。抜けて傑作ということは無くとも化物語の水準作という印象でした。


11/06/25
太田忠司「無伴奏」(東京創元社'11)

 太田忠司さんが創作した数あるシリーズキャラクタのうち、最もハードボイルドな存在がこの阿南省吾だろう。'92年に『刑事失格』にて講談社ノベルスにて登場、以降『Jの少女たち』『天国の破片』と三作に登場、中断していた。今般、創元推理文庫にてシリーズが復刊、満を持して続編として書き下ろし刊行されたのが本書だ。

 四十台後半となった阿南省吾は岐阜県の介護施設で働いていた。浜松にある実家とはほぼ絶縁状態であったが姉から父が危篤だといった趣旨の連絡が入り、仕事を放り出して駆けつけた。母親は若い頃に亡くなっており、農業を継いだ兄・拓馬と出戻りの姉の仁恵、そして父が暮らす家。実際、父は危篤ではなく痴呆状態になりかかっており、それを姉の仁恵が一人で看病していた。仁恵も病気を抱えており、省吾を実家に戻らせることを兄が画策しての芝居だった。腹立ちもあったが久しぶりに再会した父をみて省吾は省吾なりに介護の道筋を立てようとする。そんななか、阿南は偶然、高校の頃に一時期交際していた梢と出会う。梢も既に結婚しており、その夫もまた阿南の同級生だった。一旦別れたが、阿南がかつて警官で、また探偵のようなことをしていることを知った梢から、夫が家に戻らないことを相談された。知り合いの探偵を紹介するが、その夫・三隅の勤務先が兄夫婦の息子・渉が通っている高校だった。渉に話を聞くと、同級生の西山希美が『先生は死ぬかもしれない』と言っていたという。その希美の姉が、どうやら三隅と関係があったようなのだが、その菜摘も行方不明なのだという。

年代ならではの人生における生々しい葛藤、そして肉親が絡む事件。解決策は、必ずある
 特に序盤。要介護となった老人を抱えたことでの一家の変質が生々しい。変質というよりも、むしろ、それぞれの本当の気持ちが浮かび上がってきたということなのだろうけれど。ただ、これまで無関心で来られた弟を呼び戻したくなるほどの出来事ということなのだろう。ここに騙し討ちのようにして放り込まれた阿南省吾。かつての杓子定規の阿南であれば、自分基準で物事を決めてある一面では解決、だけど別の面では更に混乱といった展開になったであろうところ。しかしこの阿南、腹立ちを自分の胸のなかで押さえ込み、さらに根回しをし人間を立て、落としどころに持ち込むことに成功している。多少うがった見方かもしれないが、この一点だけで阿南の成長(といっても中高年ではあるので変化、か)を表現しているともいえるように感じた。
 後半は、自分の父親が漏らした言葉に関して、父親の過去に何があったのかを探る展開と、かつての初恋相手のトラブルを解決する展開が混ざり合う。過去探し、そして人捜しであり、双方ある意味ではハードボイルドの定型パターンではあり、大きな意外性も無いのだけれど、どちらもどうしようもない虚しさが心に響く事件という点、共通している。 どうしようもなくて、またそうせざるを得なくて起きてしまった犯罪。結局、人間は一人で生きていくしかないという、ある面からの事実が強調されるような孤独で哀しい事件。しかしそれだけではない。
 「たしかに、ひとは無伴奏の極を奏でながら生きていく。でも違う曲同士が重なり合ったとき、こんなにも柔らかで温かな調べが聞こえてくるのだ。
 ハードボイルドの手法で描かれ、数多くの悲劇を知り、それでもこのようなことを考えられる阿南省吾の心根の優しさが良く出ている。まあ、ハードボイルドの登場人物でも、タフであるだけではなく優しさを持たなければ主人公を務めることは基本的に出来ない。

 太田忠司さんの数あるシリーズのうちでも、いわゆる「玄人受け」するのがこの阿南シリーズだった。本来は過去作を読み返してから読もうと思っていたのだが、結局むらむら(?)していきなり本書を読んでしまった。(正直にいうと未読のまま年を越したくなかったので)。ただ、これ一冊で過去の阿南を知らずに読んだとしても、太田忠司さんらしい優しさと温かみを備えたハードボイルド作品として、誰であっても楽しめるものと思う。


11/06/24
北國浩二「アンリアル UnReal」(講談社BOX'10)

北國浩二氏は大阪府出身、フリーライターを経て2003年に『ルドルフ・カイヨワの憂鬱』にて第5回日本SF新人賞に寡作入選、'05年に同書が刊行されてデビュー。他に『リバース』『サニーサイド・スーサイド』といった著書がある。

 かつて才能だけで空手で相当強かったサトル。高校生になってからは先輩の強い勧めで一応空手部に所属しながらも、コンビニでアルバイトしながら不良の友人たちとつるむなど漠然と毎日を過ごしていた。幼馴染みで同じ高校に通うみゆきの好意にも気付かず、クラスメイトの美女・マリアにそこはかとない憧憬を感じている。サトルにはいじめられっ子だった兄・ワタルいる。かつて駅のホームから転落し、兄に救われたことをサトルは負い目に思っているが、ワタルは余り気にしていない。その兄はあまり見た目にも恵まれず、現在はスーパーマーケットでアルバイトをしているが、TVゲームの腕前は抜群だった。その兄の薦めによりサトルは兄弟で超リアル体感型オンラインゲーム《アンリアル》の試用版に参加する。西洋の騎士となりチームを組んで魔獣を討伐、殺戮も何でも思いのままというリアルさに二人は徐徐にその世界にはまりこんでゆく。最初はおどおどしていたワタルの性格も少しずつ変化してゆき、サトルはプレイヤーのあまりに暴虐な態度に嫌気がさし始めていた。しかしその《アンリアル》の世界で、感情を持ったノンプレイヤーキャラクターイーヴと出会ってしまう。

筋書きがある程度は読めるなか、どのエピソードが「活かされるのか」が気にかかる展開に注目
 ワタルとサトルの兄弟。
 気が弱い兄については「いかにも」という展開。 弟や家族に対しては優しいところがあるものの、決定的に気が弱くどうやら見た目もあまりぱっとしない様子。かつてのいじめられっ子でびびり体質。そんな彼が、反動的に暴虐の限りを尽くしても許される《アンリアル》の世界が気に入らないハズがなく、現実の世界から逃避し《アンリアル》世界での自分のあり方を生き甲斐にしていく。ただ、残念なことに《アンリアル》で培ったはずの暴力的な性格も現実に戻ると所詮付け焼き刃、中途半端な自暴自棄で悪い方向に進んでいる。ただ、悪い意味ではあるものの、《アンリアル》体験の結果《リアル》を変化させることに成功したともいえるのか。
 一方で、この作品独特だと思われる成長をみせるのはむしろ主人公の方だ。兄と共に《アンリアル》の世界に没入しそこで心のある、だけど誰にも操られていないキャラクタと出会う……。この世界の方で彼女を護ることが一つの生き甲斐となる。しかししかし、《リアル》の世界でも、幼馴染みの美少女からは想いを寄せられ、自分から興味を持ったクラスメイトの美女からも一目置かれ、と、ちょっと器用さがあれば充実の人生が間違いない筈。そのサトルまでもがラストでは、《アンリアル》側に身を投じてしまうのだ。確かに《アンリアル》内部で悪魔と化した兄を救うという大義名分はあるにせよ、その本質は自分がゲームの途中で救えなかった彼女(イーヴ)のサポート、そして愛(?)ゆえだ。作者としても、いくつかサトルの行動に選択肢があるなか、敢えてこうしたのは、むしろこの違和感を読者に味わわせたかったから、ではないかとみる。
 敢えて、彼が選ばなかった選択肢でも幸福のルートがあるように見せることで、逆に人間にとっての幸福っていったい何だろう、という当たり前だけれども難しい命題を読者に突きつけることに成功しているといえる。

 装丁や挿絵の絵柄も含め、作者はある程度ラノベを意識したようだけれども、多少男女関係がイージーなことを除けば、ラノベというよりも普通の青春小説を読んだという印象。しかし! 兄貴の方の救いは、本書のラストシーンから、このままどちらの方向(弟に救われるにせよ、そうでないにせよ)どう進んでもあまり無いように思えるところに気付いてしまった……。ま、いっかー。


11/06/23
芦辺 拓「黄金夢幻城殺人事件」(原書房'11)

 表題作となる戯曲は、2009年に劇団「あぁルナティックシアター」の企画により下北沢の劇場「楽園」にて八回にわたって上演されたもの。その表題作をキーに冒頭作と最終作品が書き下ろされ、連作の一部の予定だったなど事情があってこれまでの短編集に収録されなかった短編と共に刊行されたもの。ショートショートは毎日新聞日曜版に掲載されていた超短編パノラマ館のうち『迷宮パノラマ館』に未収録だった作品が集められている。

 若武者・斑鳩雪太郎が夕蝉姫の消息を追っての旅途中、それらしき情報を持った人物に誘い込まれてみれば山賊の巣に至ってしまう。一方、少年探偵・七星スバルは、怪人どくろ男爵が狙うという羊皮紙を前に様々な調査を開始する。 『黄金夢幻城』
 ある職業を中途で辞め、〈財務捜査官〉として警視庁に中途採用され、現在は警部という男。彼が自宅マンション付近で目撃した人物が会社の保養所で不審な死を遂げているのが発見された。 『中途採用捜査官:忙しすぎた死者』
 高校一年生の男女四人組。ファミレス《ムッシュー・ルコック》でお喋りをしている途中、男二人に巧みに勧誘されている女性に気付く。彼らは自分なりのやり方で彼女を逃そうとするが、別のかたちでその試みは中断される。 『ドアの向こうに殺人が』
 チンギスの血を引く誇り高い第十七代ハーン・北元皇帝トグスティムール。しかし東方で明国軍に大敗し敗走していた。彼らの前に同じモンゴルの大軍が現れ、友軍! と恃んだのもつかの間、襲われ、囚われの身となってしまう。裏切った相手は同じ血筋のエスデルだった……。 『北元大秘記 日本貢使、胡党の獄に遭うこと』
 歴史上人物や古典的名作文学などの登場人物が登場、彼らが独白をしたり悩みを綴ったりしたうえで鮮烈なオチにて締めくくられるショートショート集。 『燦めく物語の街で』
 劇のシナリオ形式。かつての映画スターだった高名な俳優が亡くなるにあたり、遺産相続を25年後に行うと遺言、ついにその日が訪れた。相続の権利を持つ親戚たちは一癖も二癖もある者ばかり、互いに虎視眈々と相続を狙っている。そんななか一人の少女・城門はるかに遺産が譲られることが弁護士の森江によって発表された。余りに意外な人物のため、親戚たちは目を白黒させて善後策を検討するが……。  『黄金夢幻城殺人事件』
劇団による「黄金夢幻城殺人事件」の上演終了後、客席にいた幅広の黒い帽子に黒いマントを引っかけた人物が自分の胸にナイフを刺しての謎の死を遂げた。しかし、その人物自体目立っており、公演中に前にも目撃されていた。観客席にいた森江春策が立ち上がり、その謎を解き明かすのだが……。 『「黄金夢幻城殺人事件」殺人事件』 以上七編による連作集。

喪われつつある懐かしい物語群の復興の狼煙となるか。七星スバルも本格デビュー
 芦辺氏のいつものように森江春策ではなく、本書に関しては少年名探偵・七星スバルが序盤から最後まで、途中作品でもさりげなく登場、そのヒロイン共々、異なる物語空間を貫く存在として描かれている。森江春策も登場はするものの、その扱いは自らが明らかに名探偵役を務める作品とは異なっている。ただ、異なる趣向の物語集成という意味合いでは傑作『三百年の謎匣』ほどには濃縮された印象はなく(そう考えると、同作がいかに細やかな神経によって描かれ、高い完成度を保有していたか、改めて感じさせられる)むしろデジタル時代と対峙するかたちでの、これまで長い年月をかけて醸成され、磨かれてきた数々のアナログ・エンターテインメントの存在を挟み込んで、改めて読者への興味を惹起している……という印象を受けた。
 ──と考えたのも、やはり冒頭『黄金夢幻城』のせいだろうか。
 現代であっても、一般的時代小説は大きな需要と市場をもって君臨しているが、時代伝奇小説というジャンルそのものはどこかに行ってしまったかのような衰亡ぶりだし、『北元大秘記』にしても、オリエンタルファンタジーはとにかく、実際の史実をベースにしたエンターテインメント系中国歴史小説(除く三國志)は、市場としては大きくない。三國志の安定感に隠れてしまっているものの、それ以外の時代はむしろさりげなく日本では壊滅状態であるように感じられる。そして『燦めく物語の街で』は、これも近年復興させようという幾人かの作家による奮闘こそあるものの、全体のムーヴメントとしては置いてゆかれている(ようにみえる)ショートショート作品群。しかも、その多くはかつての名作小説や歴史的事実をベースにして作られたパロディ系だ。作品としては先に『迷宮パノラマ劇場』に抜き取られているせいか、オチのパターンを同じくする作品が目立つが、そのオチ「アナログ時代のそれぞれ習慣ややり方を、現代科学・現代常識に照らしてみれば」というもの、それもまた本書全体を、それこそ貫くニュアンス――、かつて確実に存在していたが、現代はあまり顧みられない種別のエンターテインメント=物語の復興という思いと重なるように思う。

 七星スバルは確かに物語を駆け抜けているのかもしれない。が、作者があとがきで述べているほどその存在感が大きいといえるだろうか? むしろ彼は、アナログの物語にとって良き時代だったあの頃を象徴する妖精みたいな存在とも思えた。ナビゲーターというべきか。 『燦めく物語の街で』で彼が登場する作品「怪人対少年探偵」における、彼の葛藤もまた同様の悩みの結果にみえるのだ。確かに『黄金夢幻城』、これをベースにした戯曲『黄金夢幻城殺人事件』(これは現実に上演された劇のト書き)、更に『「黄金夢幻城殺人事件」殺人事件』は、この戯曲の実在関係者と、芦辺ワールドの住人が入り乱れ、虚実入り交じった物語世界を構築している。一種のメタ的趣向を含めたコンボをやってしまうところが芦辺作品の大胆さであり、こだわりだと思う。

 単純に物語を愛するのみならず、消えゆく形式や時代と共に消滅しそうな物語に対しても深い愛情を抱き続け、読者に対し興味を喚起する。映画館で観る映画の迫力、人間が演じる息吹を直接感じる小屋での芝居、高らかに場面描写を張り上げる講談師の口調。モニターを眺めるだけでエンターテインメントのすべてが手に入るような錯覚に陥りがちな現代だからこそ、小説を通じて、様々なかたちの物語があることあったことを呼び起こさんとする作者の真摯な姿勢が伝わってくる。
 「黄金夢幻城」というこの題名の大仰さもまた、物語を飾る良い意味での虚飾といおうか、どこか微笑ましくそして、むしろ懐かしく感じられるのだ。恐らくはそれもまた作者の狙いなのだろう。


11/06/22
歌野晶午「密室殺人ゲーム・マニアックス」(講談社ノベルス'11)

  『密室殺人ゲーム王手飛車取り』『密室殺人ゲーム2.0』に続く、『密室殺人ゲーム』シリーズの三冊目。『2.0』が「2010本格ミステリ・ベスト10」でさらりと1位を獲得し、驚かされた(個人的にベスト10入りは予見していたけれど、まさか1位とは)のに続き、本格ミステリ大賞まで獲得してしまった。気付くと凄いシリーズに。『メフィスト』誌二〇一〇VOL.3〜二〇一一VOL.1に掲載された作品の単行本化。

 <頭狂人><044APD><aXe><ザンギャ君><伴道全教授>。奇妙なハンドルネームを持つ人々が、互いの顔をマスクやアングルで隠しながら、声も変えてテレビチャットでインターネットを介し、殺人事件の推理問題を提示し、そして解き明かすというゲーム。初代の事件後、インターネット上には多くの模倣犯が現れた。そして今回もまた、画面に映るいつものメンバーによって殺人事件の実演、そして謎解きが行われている……。という動画が、誰にでも見られるネット上の動画サイトにアップされた。事件は既に事故死扱いで処理された都内の一人暮らし大学生の不審死。夜中に本棚が倒れるような音がして、翌朝に後頭部を強く何かに打ち付けたような死体が発見されたというものだ。犯行はaXeが行ったと主張、しかも、その犯行を実行していた時間帯は名古屋で、しかも警察に車を運転しながた携帯電話を使用していたことで捕まっていたというのだ。その調書までが写真でネットにアップされ、事件はアリバイトリック+ハウダニットとなった。残り四人中、ある人物の鋭い指摘と推理によって事件の謎は解かれるのだが、警察は、動画をアップしたことで具体的にある人物を指名手配した(当然のことだが)。それでも、密室殺人ゲームは継続され、他メンバーは画面に現れたaXeを吊し上げるのだが、今度は頭狂人が別の事件を用意しているのだという。

作品ボリュームは薄くなったものの、示唆や暗喩が強烈にココロに響く。しかも、イヤな感じに。
 まず背景。このシリーズ最初は、インターネットの匿名性を突き詰めた内容が衝撃だった。
 ただ、このシリーズ、インターネットは切っても切れない相性で繋がっていて、作者自身、事件やミステリと同様にインターネットそれ自体に深い洞察を加えているようにみえるのだ。
 特に本作、インターネット社会なんて一般的な浅いものだけではなく、普通の、ちょっとヘビーなネットユーザが触れられる”暗部”についても丁寧に考察されている印象。2ちゃんやニコ動などを当たり前に嗜んでいるうちに、これはやばい、というアンダーグラウンドに気付いたりするもの。本書の基本はそういったところにあると思うのだ。
 なぜ、人はわざわざ全世界に公開しているプラットフォームで自分の犯罪を公開するのか。ネットを使って、同じシュミを持つ者同士が互いに匿名で非合法を楽しむという方向だったものが、同じネットを使ってその体験を共有しようと する方向に進んでいる。この感覚自体が実際にありそうに思えて怖い。事実、匿名掲示板にしても、ちょっとしたクイズに対して三人寄れば文殊の知恵状態で回答が並ぶし、その寄って集って推理するという行為やその行為を眺めるという行為(つまりは自分のしでかしたことの反応を楽しむということ)に興じる人間がいてもおかしくない。
 インターネットがあまりに当たり前になりすぎて、本書のような事件も発生しうる事態に見えてしまうのだ。なので、このシリーズの一冊目から、あまりに荒唐無稽な設定でありながら、もしかするとありえるかもしれないというそこはかとない恐怖感が常に読書の根っこにある。

 もう一つ、この形式だから出来るミステリというか、生き残ったものが正義という感覚をここでも使ってくるところが、はあ、なんというか、凄い。最近のサブカル(?)系でしばしば見られる、何回もの時間遡行や同じ時間軸の並行世界への移動というのも、本書で取り上げられている最初の事件の真相(の裏側にある思想)と思想的には近しいと思う。本格ミステリにおいて偶然こうなりました、というのは使い方を間違えると禁じ手になるのだけれども、その偶然を取り込んでしまって「有りになるまでサイコロを振る」という発想を現実化してしまっている訳で。ああ、もう、やっぱり凄いわ。
 続いての透明人間による犯行、というくだりは目茶苦茶でありながら、目茶苦茶に周到な構造。特に前半に反則というか、当たり前過ぎて盲点になるようなトリックを使っておいて、後半に見たことも聞いたこともないトリック(?)を使って読者を煙に巻く。昔、山村美紗がトリックが他の作家と重ならないように最新の○○を頻繁に用いて本格ミステリを書いたというが、その実作方法ではなく、理屈の方だけを突き詰めてしまったら、こんなの出来ました……、という印象を抱いた。思いつくだけで凄いのですけれどね。

 最初に述べた通り、ボリューム事態は前二冊に比べると小さくなっている。なっているのだけれど、この中身に加えられた考察と発想は並大抵のものではない。他の作品とも兼ね合いがあるけれども、この作品で使われている幾つかの「思想」はマニアにまたウケそうな気がするなあ。普通の、一般的ミステリファンには基本的にお勧めできないのに、読んどけ! という作品です。


11/06/21
獅子宮敏彦「天命龍綺 大陸の魔宮殿」(講談社ノベルス'11)

 獅子宮氏は2003年に「神国崩壊」にて第10回創元推理短編賞を受賞してデビュー。『砂楼に登りし者たち』『神国崩壊 探偵府と四つの綺譚』の二冊の著書があり、本書が三冊目にして初長編となる作品。

 大陸には超大国・大玄があり、そこから南に離れた島国の朱論はその大玄に朝貢するかたちで独立を保ってきた。朱論は龍を見ることが出来るという巫女の上弦一族と、その上弦一族から指名される王が国を統治、他国を侵略することも侵略されることもなく、長い平和のなか、軍をほとんど持たずにいた。しかし、大玄の王が崩御、その跡目と目される皇太子・豹武王からの届いた上弦一族の女性を差し出す要求を断ったことから、朱論は大玄の大艦隊により襲撃され、現在の王と皇后をはじめ国家は蹂躙された。巫女の宝樹と燦樹、更に彼女らのボディーガードで幼馴染みの護座丸、夏座丸らは、突然起きた奇跡に護られて船にて脱出するが、大嵐に巻き込まれてしまう。彼らの多くは巨船によって救われるのだが、それこそ大玄の高官で宦官の玲照が操る船であった。しかし、その高官の上司は、攻め込んで来た豹武王の行動に否定的な程皇后。年明けまでは豹武王も彼女に逆らうことが出来ず、客人として保護されることになるのだが……。

オリエンタルファンタジーにしてジュヴナイルと徹するべきか。獅子宮氏の実力が中途半端にしか読み取れない
 これまで一貫して架空の中国風や異国風、和風と歴史をベースにしたファンタジー世界と本格ミステリを融合させてきた獅子宮敏彦氏。ただ、本作は講談社ノベルスで刊行されており、文体には一切(子供向け)手加減は加えられていないものの、表紙と、そして内容から判断するに本質的にジュヴナイルである。 そこに行き着くまで、一般向け作品としては、主人公たちにとり厳しい情勢を描きつつ、その行動にせよ価値観にせよ反対に、悪役の行動にせよなんと甘い展開だといらいらしていたのだけれど(これまでの作品に傑作が揃っているだけに)、なんとか得心しながら読み終えることが出来た。詳細描写されない暴力迄は許されても、陵辱は書いてはいけない訳です。(勿論、書いて欲しいという訳ではなく、流れ的に悪役が急に紳士になったり不自然過ぎだってことです)。
 たた、これまでの作品に比べると、物語と本格ミステリとの融合という点、明らかに弱くなっているところが非常に残念。物語世界と本格トリックが有機的に繋がっているところが獅子宮作品の良さとみていただけに、そこが表層でしか繋がっていないのは寂しい限り。また、全体的にバランスが悪く、物語としてのブレ、ミステリとしての弱さと二兎を追う者は一兎をも得ず、になりかかっていると個人的には判断した。
 そのトリック、現実科学的にどうかという点は問題ではない。物語内部で、丁寧に説明はされている事象であり、その手がかりにそってトリックが形成されているため、さすがにアンフェアだというつもりはない。ただ一方、最初から龍の仕業だと思えない読者にとっては、その種明かしがされてもサプライズは少ない……というよりも予定調和の範疇で全く驚けない。
 ここまで架空の国での架空の登場人物でのオリジナルオリエンタルファンタジーにこだわるのであれば、物語の流れにあまり奉仕しないトリックよりも、戦いにおける計略であるとか知略であるとか展開の方で意表を突いて驚かしてくれても良い。
 またバランスの悪さだが、そのポイントは「龍」にあるように思う。主要人物の暗殺場面にせよ、終盤における計略にせよ、登場人物間で「龍」という存在に対する信頼感、信用感というか、盲従感が違いすぎる。龍に対する対応が人によって、場面や物語展開によってばらつきが多く、頭から信じ込んでいるのかちょっと気味悪いくらいに思っている程度なのか、全く恐れられていないのか。この時代の人びとにとっての「龍」って何なの? という引っかかりの方が大きかった。
 加えて、特に終盤の多くの人を「消す」トリックにせよ、石と土で作られているであろう都市ですぐに千もの宮殿の外側に建物を作ることがが本当に可能だったの? というあたり、これまでの獅子宮ミステリでは感じなかった疑念なんかも湧いてきてしまうし。

 次巻に期待、ということになるだろうが、「龍」に対する世界観に漠然と統一感が無いところ、是非とも次は是正して欲しい。でないと、落ち着いてトリックが楽しめないのです。あと終盤の別れの場面もくどすぎるかな。
 期待が大きい分、苦言も多くなりましたが頑張ってくださいまし。