MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/07/20
湊かなえ「花の鎖」(文藝春秋'11)

 「湊かなえのセカンドステージ始動」という帯コピーと共に刊行された長編作品。『別冊文藝春秋』二〇一〇年壱月号から十一月号にかけて連載された作品を単行本化したもの。

 両親を三年前に亡くし、祖母と二人暮らしをしていた二十四歳の梨花。その祖母が胃癌で大学病院に入院してしまう。梨花は勤務先の英会話学校が突然倒産、いきなり無職になってしまうが祖母にそのことを言い出せず、手術費用は祖母の貯金から出して貰うことを考えていた。しかし、祖母は祖母で、自分の貯金を使ってオークションで入手して欲しいものがあると梨花にお願いをしてくる。せっぱ詰まった梨花は、かつて毎年大きな花束を母親に送ってきていた「K」なる人物に費用の援助をお願いしてみることを考える。
 憧れていた同僚の和弥と結婚した美雪。和弥は設計志望だったが、伯父の息子・陽介と大学の同級生だったことから、陽介の会社独立で行動を共にすることになり、営業を任されてしまう。つき合わされ、設計の仕事をしたいのに営業を任されてしまう。夢を諦められない和弥が独力で引いた設計図をコンペに応募、見事美術館建設の仕事を獲得したが、事前に名義を会社に書き換えられており、手柄が横取りされてしまった。美雪は陽介のせいだと憤る。
 イラストレーターとして働いている二十五歳の紗月は、大学時代の友人・希美子の五年ぶりの訪問を受ける。紗月とかつて交際していた彼女の夫・浩一を助けて欲しいと懇願される。ある理由から断ろうともみ合ううち、公民館で働く前田という男性に仲裁される。

湊かなえセカンドステージは、むしろ物語性重視? 女性三人の巡り会いと運命を中心とした大河小説
 三人の女性が登場する物語が交互に語られる構成ながら、 その土地で売られている創業八十年の和菓子屋『梅香堂』ほか、三つともに共通している要素があり、何らかのかたちでそれら物語が繋がっていることは容易に想像される。特に先に述べた『梅香堂』の名物菓子「きんつば」は特に良いアクセントになっている。
 そして、その三つの物語のそれぞれに不可能犯罪といったような、明確な事件性は序盤は登場しない。どちらかというとミステリを目的とするのではなく、三人の女性の物語がどう絡み合い、一つにまとまっていくかという部分がポイントとなっている。 例えば梨花の章。毎年十月になると決まって母宛に「K」なる人物から大きな花束が届く。母親はおろか父親もその送り主を承知しているようであるのだが、梨花にはその人物が誰かのかがはぐらかされ続けている。
 ──この場合、確かに「K」が誰なのかというのは物語を維持する謎の一つではあるのだけれど、その正体が物語自体の目的ではない。また、紗月の物語でなぜ希美子を拒否しているのか、というのも同様だ。結局のところ、ある程度ミステリを嗜む読者であれば、三つの物語が内包している手がかりを読み取ることは普通に可能だろう。湊かなえさんは、その点についてはフェアを超えて、率直に表現されているのでおおよそのところの関係性は読み取れるはずだ。そこからある程度(百パーセントではないにせよ)「物語の骨格」がみてくえる。その手法を取ったこと、そのうえで込められた”思い”が本書の主題だ。
 いやもちろん、全く筋書きに気付きませんでしたという幸福な読者を否定するつもりはないし、湊かなえさんの読者層はそもそもミステリプロパーの方が少なくなっているかもしれないので、ちょっと偉そうに聞こえたらごめんなさい。(でも、ここはミステリ系サイトですから!)
 ただ、さすが湊かなえさんと思った点がいくつかあって、女同士のやりとりの結果生じる嫌さ、厭さが如実に、生々しく描写されている点に強烈な冴えがあるところ。美雪のパートのある既婚女性の天真爛漫な嫌みであるとか、紗月の物語における希美子の愚かさであるとか。単に心理的な表現が巧いだけでなく、それがブラックな心情に繋がっているところがむしろ吉。最終的に救いのある物語になるとはいえ、その過程に味わいぶかいエピソードを幾つも仕込んでいる点、やはり周到だといえよう。

 ミステリという点をあまり意識せず、三人の女性のそれぞれの物語をじっくり取り組むのが最も楽しめる読み方かと思う。ミステリによる驚きを踏まえた、彼女たちの結びつきや生き様について思いを馳せて頂きたい。湊かなえさんの物語の巧さについては、これまでも実績があるし、本書でもまたその証拠を一つ増やしている。


11/07/19
二階堂黎人「東尋坊マジック」(実業之日本社'11)

 二階堂氏の擁する探偵役の一人・水乃サトルの社会人編として六冊目にあたる長編作品。もともとは『石垣島マジック』として予告されていた作品だったものを、再構築したもの。『月刊ジェイ・ノベル』誌二〇一〇年七月号から二〇一一年六月号にかけれ連載されていた作品の単行本化。

 アンタレス旅行社の業務で東尋坊に、ツアーの下見に来ていた水乃サトルと部下の由加理。しかし、現場で中年男が、ヤクザ風のダウンジャケットを着た男性に射殺され、東尋坊に墜落する場面と遭遇、由加理が目撃者となってしまう。男は逃走するが、サトルは例の如く現場で出しゃばり過ぎたために警察の誤解を受け連行されてしまう。サトルの見元引受人となってくれたのは先輩でもある警視庁の馬田刑事。馬田は馬田で「冥妖星」と呼ばれる連続女性暴行殺人事件を捜査しており、今年(1996年)もまたその事件が発生して捜査に当たっていた。事件は女性が拉致して、足指をぐちゃぐちゃに壊して監禁、そして暴行、最後は首を絞めて殺害するという残虐なもので、なぜか1976年から四年おきに発生していたのだ。馬田はサトルたちを現場に連れて行き、その推理に期待していた。一方、東尋坊の事件は、現場付近で釣りを目的に訪れていたという大阪のヤクザ二人組が事件で使用された拳銃を放棄するところが目撃され、犯人候補として急浮上。しかし大阪でも同じ銃が使用された事件があり、二人には鉄壁のアリバイがあった。東尋坊で撃たれた男の妻というのが保険金詐欺の常習犯であり、今回の事件にも何かウラがあることが感じられたのだが……。

名勝・東尋坊を中心とした日本海の海岸沿いを巡る旅情溢れるミステリー
 非常に映像的な構成となっている。自殺の名所としても知られる景勝地・東尋坊でいきなり展開される殺人劇。被害者はいきなり海に突っ込み、犯人は薬莢を残して逃走。偶然その条件を目撃したのがサトルの部下でもある由加理嬢。サトルは民間人ながら警察を思わせる表現で現場を仕切り、犯人が残したと思しきまだ温かい薬莢を拾った。サトルが拾わなくても現場検証で見つかるものだろうが、その時はもう冷たくなっていた筈だ。また現地にはいかにも怪しい関西弁を操る二人組のヤクザが滞在していた……。
 目の前の銃撃事件とは別に、サトルは馬田が抱えているシリアルキラーによる長期間にわたって発生し続ける連続殺人事件にも興味を示す。様々な捜査の過程でサトルたちは日本海側の様々な海岸を訪れ、現地の食事に舌鼓を打つ。事件について話し合ったところ、サトルは由加理のヒントから、事件が四年おきの閏年二月二十九日に発生、当日に暴行が行われ翌日に殺害されていることに気付く。何十年も捜査している警察すら気付かなかった事実だ……。

 まあ、いいや。結論からいうと二つの事件が繋がる。シリアルキラーについて四年に一回事件を起こしていた理由はサトルの想像が正解ということになっているのだが、その異常さに至る必然性については残念ながら納得させてもらえなかった。狂気の方向など無限の可能性があり、そのなかで「どうしてこうなった?」という道筋への必然があってこそのミステリではないか? 一方、一丁の銃で別々の場所で移動不可能な時間帯同士で殺人事件が発生したという点、こちらの分割トリックはなかなか。実際は部品の微妙な精度違いは組み合わせても大丈夫なのかとか、高速道路には上りと下りがあってどっちかは一旦降りないと接触は無理だとか、無断録音に証拠能力は無いのではないかとか、気になるところはあるのだが。そもそも知人を助手席に乗せたままパトカーが追う暴走車を理由無しに追いかけ、更に事故るという描写には唖然とさせられた。常識知らずによる行為と反社会的行為がごっちゃになっている世界観は読んでいて本当に辛い。

 ということで、典型的な登場人物たちによる旅情ミステリという印象が最終的には強かった。民間人でありながら警察に協力する、旅する探偵・水乃サトルの存在がどこか浅見光彦とも重なってみえてきたこともあるのだけれど。


11/07/18
芦辺 拓「七人の探偵のための事件」(早川書房'11)

 芦辺拓氏による森江春策他探偵が集結するオールスター長編。《ミステリマガジン》二〇一〇年三月号から二〇一一年七月号にかけて隔月で九回にわたって連載された作品に、加筆修正をして単行本化している。早川書房からは傑作『三百年の謎匣』以来の作品である。

 行政の都合による市町村合併によって田舎の村が飛び地となり、さらに僻地扱いされるようになった名鳴(ななり)。この地で住人が立て続けに不審な死を遂げた。現在は常駐の警察官すらおらず、遠くにある本部からやってくる警官たちは、事なかれ主義によって事件性を否定する。町の若者たちは、長老格人物のアドバイスによって「名探偵」をこの地に招き入れることを決定し、代表の若者たちが上京して名探偵を捜して回る。偶然来日していた往年の名探偵・レジナルド・ナイジェルソープの講演会にて奇妙な事件が発生、犯人は見あたらず、被害者も不自然な密室内部にいたという事件に、ナイジェルソープほか六人の探偵たちが吸い寄せられる。弁護士・森江春策、おばあちゃん探偵・平田鶴子、少年探偵・七星スバル、冒険家・壇原真人、謎めいた知的美女・霧嶺美夜、定年間近の強面実直刑事・獅子堂勘一警部補事情を知った彼ら七人は、名鳴を救うことに同意、都合をつけて三々五々ながら名鳴に乗り込んでゆく。探偵たちは、町の住人に拉致されるかのように事件現場に連れて行かれ、森江は田んぼの真ン中で本人の足跡だけを残して死亡している遺体と対面することになる。さらに、一つの事件を解決するごとに全体を通じての厄介な矛盾が……。

本格ミステリ世界・名探偵オールスターによって「七人の○」をやってみるという趣向に満ちた長編
 (あくまで個人的な)ある疑義を除くと、いくつもの作者の趣向、遊び心が数多く感じられる作品だ。
 ベースは(これもネタバレになるのかなあ)世界の○○による日本を代表するといっても過言ではない映画「七人の○」だ。単に助っ人を七人集めるという点だけではなく、この探偵を集めるという背景や展開についてまでもが映画の方のパロディの一部。そもそも飛び地となってまともな警察捜査が行われない土地の人間が、地元に探偵を連れて帰るという使命を帯びている――という冒頭設定から吹き出しそうになった。さすがにそこからの展開は無理矢理重ねられてはいないが、大きな意味合いでの味方VS敵の構図については多少近しい空気が存在する。
 また、作者の意図とは異なるかもしれないが感じたのはヒーロー集合映画システム。個人個人が異なる個性を持った名探偵たちが、基本的に「推理の間違い」が許されない(ボケはあれども)うえ、それぞれ自分の見せ場を作ってゆかなければならない。夏休みの仮面ライダーや戦隊もの大集合映画で、これを解決するためにはパターンが二つある。一つはヒーローの数だけ敵を設けること。もうひとつは、一人では適わないような強大な敵にみんなで立ち向かうこと。
 実際、本書ではまず、最初の方の形式が踏襲され、名探偵は離ればなれに(作者によって)させられた上、ひとつひとつ別の事件を別の探偵が解き明かす方法がとられている。ただ、それぞれの事件が不可能犯罪であるうえに「ドミノ式」なる連続殺人の不可解さを取り入れ、先に殺害された被害者の特技によって、次の被害者が亡くなっているような図式を作者は読者の前に繰り広げてゆく。このあたりはさすが、一筋縄ではゆかない。この全体としての不可能犯罪(強大な敵)を、今度は個々ではなく「名探偵たち」が解き明かしてゆくのだ。(帯にある「新喜劇」とは微妙にコンセプトが異なると思う)。
 思わしげな幕間によって暗示されていた、過去の事件、そしてこれだけのことをしでかした犯人側の殺意及びその動機……というあたりは、非現実とまでは言わないながら無理矢理に現実地平に押しつけられているかのような印象もある。この点は深く追求すべきではないだろう。やはり注目すべきは、名探偵たちの格と、それに釣り合うだけの大事件。 この微妙な物語上でのバランスをよくぞ最後まで取り切ったという印象だ。

 ただ、上記以上に、本書についてはファンだからこそ苦言を述べておく。
 パロディとは別に、その登場人物を配する際に、自ら創造した探偵たちのオールスターをやりたかったという作者の気持ちと意気込みは理解する。しかし、そのベースになるモティーフのため必要となる七人の探偵、そのうち三人が本作で新登場というのは、お祭りと、正統派本格ミステリとの両立を期するのであればちょっと無理筋だと思う。長らく登場し続けている森江春策は安心できる「名探偵」だが、他の探偵たちはどうか。複数作品に登場している平田鶴子までは良いとしても、先の『黄金夢幻城殺人事件』にてお目見えしたばかりの七星スバル、ナイジェルソープにしても登場したのは『グラン・ギニョール城』一作品だけ。読者にとって「探偵を名乗っている人物」=「信用できる者」かどうか判断が付けられないのだ。芦辺氏の手口を散々知っている自分は良いですが、芦辺拓初体験の方は絶対、別の読み方になるはず。
 さらに今回初登場の、壇原真人、霧嶺美夜、獅子堂勘一警部補。彼らに至っては、名探偵なのかどうか、そもそも味方なのか味方を装って接近してきた敵なのかすら判らない。実際、壇原は再登場場面からして怪しいのだが。まあ、現実問題としてはそこまでお堅い見方をすべきではなく、あくまで遊び心に殉じた作品であると割り切るべきなのかもしれない。
 この文章を書きながら急に思いついたので本書の感想からも外れる話。こういった場面でシリーズ名探偵が足りないのであれば、新島ともかであるとか、菊園綾子であるとか、彼女らが単独で(コンビってのもいいどすなあ)探偵役を務めて完結する物語を創造しておくべきではなかったか。森江春策は出さない、少なくとも探偵役はさせない前提で。彼女たちが加わっているとまた違った物語になっただろうというのは愚考か。

 ということで、芦辺拓初心者には当然勧められないのだが、逆にある程度読んでいるファンには、この豪華絢爛探偵祭りを逃す手はないという、かなり読者によって選ばれる作品のように思われる。


11/07/17
西澤保彦「彼女はもういない」(幻冬舎'11)

 帯の紹介文の末尾に「R−18ミステリ」と銘打たれた西澤保彦氏によるノンシリーズ長編作品。書き下ろし。

 その地方都市では抜けた資産家であった両親の急死により、巨額の遺産を相続した鳴沢文彦。大学を中退し若い頃から定職にもつかず、五十歳近くになった現在も、キャバクラに通うなど遊び暮らしている。そんな彼のもとに送られてきた高校の同窓会名簿。鳴沢は高校時代、軽音楽のバンドを組んでおり、正明、啓太、そして比奈岡奏絵という四人の仲間がいた。正明とは時々付き合いがあったが、啓太は既に亡くなっており、奏絵も、彼らと面識のない男性と結婚して十年前は北海道にいるとなっていた。しかし、今回届いた名簿では連絡先が空欄になっていた。その瞬間、鳴沢は女性全般に対する憎悪を燃やし、冷酷無比な連続殺人犯へと変貌を遂げることになった。まだ鳴沢は系統だってその強烈な殺意を抱く理由について理解していなかったが公園で見かける自分に雰囲気の似たホームレスや、姉の忘れ形見で金を無心しにきたろくでなしの甥を使って最終的な構図を演出するための準備を開始する。まず女性をスタンガンで気絶させ普段は住んでいない実家の離れで、ビデオ撮影つきで、甥に陵辱させ、そのDVDを携帯電話に住所登録のあった男性のもとに送りつける……。身代金要求の電話をする一方で、その女性は首を絞めて殺害してしまっている。連続殺人鬼が鳴沢文彦であることは間違いなく、ではなぜ彼はそんな行動を取るのだろうか。

ある意図を抱いた連続殺人鬼。その犯人が隠した、究極の目的を見抜くことができるか。
 「シリアルキラーによる倒叙」という叙述形式が取られている。当然、計画の真髄は、そもそも警察ほか、外部からは無差別殺人者(シリアルキラー)にみえるように振る舞いつつ、その裏側に目的をしっかり隠していること。 外部は当然のこと、読者に対してもその本当の目的だけは周到に伏せているのがミステリとしてのポイントだ。
 西澤氏は、これまでも比較的多くシリアルキラーものを手がけてきている作家である。その狂気の人間離れした感覚であるとか、登場人物をあっさり退場させる思い切りの良さであるとか、また本格のロジックを斜め四十五度の狂気と両立させるなどテクニックと構成については安心して読める。この作品もそういった感覚の延長で捕らえていたのだが、本作は構成自体に文句はないものの、読んでいて正直幾つも引っかかりがあった。
 まず、読者にも想像つかせないような連続殺人を前提とする犯罪計画。これが三流大学しか入学できず、金持ちの息子というコンプレックスを抱えたままろくに勉強をしてこなかったろくでなしオヤジの作る計画なのか。快楽主義でそのキレ方にせよ、緻密な犯罪計画を立案するタイプとは思えないところにまず、違和感。頭脳的な部分に火事場の馬鹿力が働いたのかもしれないながら、狂気の犯罪計画と主人公像とのギャップに戸惑った。
 また、鳴沢の一連の事件を通じて実現しようとした最終的な目的については、一応伏線もあって筋は通っているのだけれど、そこに至る手段が装飾過多に思えてならない。つまりはリスク、殺人の数が多すぎる。その行為を誘発することだけを考えるのであれば、何も何人も同じパターンで殺害する必然性は限りなく低いのではないか。面識あるキャバ嬢を殺したかったにしても、だ。(とはいえ、ここで敢えて「ここまでする」ことでグロテスクな恋愛小説という異形作品を形成しているとはいえるよなあ)。
 そのうえで、さらに捜査する側の城田理会らの推理も、いきなり回答編を犯人に突きつけるというのは少し読者からみると強引すぎ。 多少なりとも推理の課程が論理的に詰める課程がなく、これでは妄想推理にみえる。フィクションであるためそれが的中していることも当然なんだろうが、行為と結果だけ読むと刑事の妄想がたまたま現実と一致していましたー、どうぞー! という印象なのだ。

 途中までは西澤氏らしい冷たい筆致と、肥大した自意識を抱える主人公の醜悪さなど、うひょうひょいいながら読めたのだが、読み終わってみると上述のひっかかりが。とはいえ、細かな点を抜きに純粋にこの強烈な自分勝手な動機と、めちゃくちゃ苦い結末に至る小説作品としては西澤氏らしい味わいを湛えている。 先に述べたように異形の恋愛小説として読むことも出来るだろう。そしてサプライズ重視の方ならば、かなり派手な驚きを味わうことができるはずだ。


11/07/16
ほしおさなえ「夏草のフーガ」(幻冬舎'11)

 ほしおさなえさんは1964年東京都生まれ。'95年、大下さなえ名義の「影をめくるとき」が群像新人文学賞優秀賞に選ばれる。2003年には『ヘビイチゴ・サナトリウム』が鮎川哲也賞の最終候補に選ばれ、ほしおさなえとしてミステリデビュー。以降著作を重ねている。本書はノンシリーズの長編で書き下ろし。

 受験を控えた都築夏草(なつくさ)、十二歳。児童書の翻訳を生業としている母親と暮らしていた。父親はある理由から母親と別居している。志望校は初等科から大学まであるミッション系私立女子校・望桜学園。大好きなおばあちゃんから、出身校でもある望桜の話を夏草は聞いており、ずっと憧れていたのだ。おばあちゃんから貰った「おメダイ」と呼ばれるペンダントがお守りとなったのか試験はうまくゆき無事合格。3月11日の怖い地震を経て、4月には無事入学を果たした。しかし一番喜んでくれるはずのおばあちゃんが突然倒れ、入院してしまう。そして何とか一命をとりとめたものの、外観はそのままなのに自分は中学一年生だと言い張るようになっていた。どうやら特殊な記憶障害らしく、母の希望によって夏草は、おばあちゃんに無理矢理に現実を認識させるのではなく、おばあちゃんの気持ちを尊重して治るまでそれらしく辻褄を合わせ、話を合わせることにした。幸い日常生活に支障はなく、鏡を見ても何とも感じていないらしい。しかし、そんな生活のなか、夏草はちょっとした行動をクラスメイトに咎められ、強烈なイジメに遭い、登校できなくなってしまう。祖母、母、そして娘、三代。自分のことで悩み家族のあり方に悩み、いつしか大切なことに気付いてゆく。

どこにでもある、誰にでもある人生での疑問と障壁。解決に正解がないことが正解
 どういう基準で読んだら本書をミステリーというジャンルで括れるのか、という文句をいってもはじまらない。むしろファンタジーめいた部分すらある、母娘三代+別居中の父親が加わる家族小説であり、絶望と希望、宗教と信仰について様々なかたちでアプローチした物語である。不思議な部分、物語進行上の謎の存在はあるものの、謎解きはないので先に注意しておきます。
 さて、中学一年生化してしまう祖母については、信仰と宗教と、個人の関わり合いという実際の時代としては昭和期どまんなかという時期も相まって、かなり繊細で微妙な問題についての悩みが描かれる。しかも、一応テーマとなる学園がキリスト教系だとはいえ、宗教が当時の彼女の悩みの中心部にあったことがある程度まで進むまで判らない仕組み。とりあえずその祖母が自分なりの結論に至り、中学一年の自分から最後は自分自身の命を終えた後の去就についてまで話をしたうえで、静かに物語から退場する。一旦解決したかのようにみえて、終盤で実はそれもまた一面的な解決でしかなく、皆が悩んでいたことを明かすのも主題ゆえか。
。その祖母が自作していたのが「ヒンメリ」なる工芸で(表紙にあるような)麦わらを組み合わせるモビールのようなもの。中盤以降は、そのヒンメリが、場面場面でポイントとなるアイテムとして様々な場面で象徴的に使われている。
 母親は、夫との別居について悩んでいる。(この夫婦については、夏草がいるとはいえ、二人の発言を読む限り、互いをうまく思いやれない者同士なので一緒になったことが間違いだと思ったが、まあフィクションだ。)ただ、ちょっと余談になるが、本書では「おばあちゃん」と「夏草」については一定の存在感があるものの、登場場面が多い割りに「母親」の存在があまり心に残らない。いい人すぎるせいか。
 夏草が友人の勇気や自分自身の心に宿った何かに助けられ、いじめられたことの意趣返しとまではゆかないものの、普通に学校生活が送れるようになる場面、こちらはむしろ現実的な描写で、そこに意外性があった。 イジメた側をこてんぱんにやっつけて溜飲を下げるのではなく、誰も謝罪らしい謝罪もなく、先生も正義の味方でもなく、それでもクラスがいつの間にかイジメがなかった頃と同様に復元しているという。改めて考えるに、イジメられっ子が教室に復帰するのに、これほど良い状況というのはないのではないか。何も無かった時までリセットするようなもので。この柔らかい匙加減にはかなり感心した。

 全体的に優しい筆致で穏やかな表現で綴られた物語ながら、なかなか普通に生活していると直視できないような問題について、登場人物を通じて説いている印象。説いているといっても押しつけがましいものではなく、柔らかくも実は鋭い本質解釈を丁寧に述べてくれているように感じられた。誰に、というよりも、偶然でも手に取った読者の心を豊かにしてくれるようなそんな小説です。


11/07/15
円居 挽「烏丸ルヴォワール」(講談社BOX'11)

 講談社BOXというランキング的には微妙なレーベルから刊行されながら、新人賞受賞経験もないデビュー作品『丸太町ルヴォワール』が本ミス8位に食い込むなど才能が注目された円居挽氏の二作目にあたる作品。題名でもご想像がつく通り、前作と過半の登場人物が重なるシリーズ二冊目、書き下ろし。

 京都に伝わる謎の書物「黄母衣内記」。古い神様を呼び出すことが出来るのだという。私立松谷学園の美術教師・綾織耕作が所有していることが判っていたが、この書物を欲する男がいた。耕作の弟・綾織文郎、アヤボウという商標で知られる綾織紡績の三代目社長だ。文郎は、龍樹家に双龍会を通じての奪取を依頼、当主の落花はその仕事を引き受ける。落花は友人で龍師でもある瓶賀流や、妹の撫子、御堂達也らに、耕作の身辺を探らせるが、その耕作が突然、愛車のブレーキ故障により死亡してしまう。警察は事故死と判断したが殺人だと「黄母衣内記」を狙う弟たち、文郎と、もう一人武郎が主張、双龍会が開催されることになった。そんななか、達也や撫子らの天才っぷりについてゆけなくなってきた普通の秀才瓶賀流は、元特級龍師だったという謎めいた人物「ささめきの山月」からの誘いに乗ってしまい、龍樹一家と対立関係に。同じく山月から誘われた元龍師で探偵の鳥辺野有や、残された娘・操子を巻き込んでの対決が開始される。

誰が敵で誰が味方? 頭脳戦と心理戦、誘導捏造なんでもありのナンセンス論理決戦+α
 まず、本筋とは直接関係ないのだが、一読して目立つのは、麻耶雄嵩氏、鮎川哲也氏といった様々な本格系作家へのリスペクト、というか細かな小ネタ的単語の挿入である。当初はクリスピンやクイーンやクロフツが作家として名前が挙がるのだが、ネタの使い方は作品が進むにつれ変化球になって、鬼貫警部の推理方法のパクリだとか、黒いトランクだとか、烏有に貴族探偵? 他エタオイン症候群という病気はフレドリック・ブラウンかな。ブランディッシュ病院はゲームというよりも清涼院流水氏の作品? 等々疑い出すときりがない。双鴉の計、又鴉の計といったところも京大ミス研の蒼鴉城あたりから? それにしても、傀儡后ったら牧野修さんのアレなんだけれども。ま、他にもあるんだけどいいや。

 さて、本筋に直接関係する話。

 ――非常にレベルの高いエンターテインメント作品である。そしてミステリの形式を踏まえながら、従来のエンタメ小説のカテゴライズから微妙に外れた位置にある感。 格好良くいうと「円居挽」というオリジナルな地位をたった二冊で獲得してしまったようにすら感じられる。
 その内容を無理矢理ひと言で表すと「ナンセンスな論理合戦」というあたり。複数登場する特徴的な”天才”たちが、それぞれ異なる切り口で事件を踏み台に己の正義を実現するために議論を戦わせる。そのための舞台、双龍会という私設裁判という仕組みが物語内部で非常に高度に機能している。
 ただ、この双龍会という仕組み、流動的なので説明が難しい。本作の場合、自動車を使った故殺事件がベースにありながら、その真相や犯人を見つけ出す争いだったはずが、証人の帰属を争う戦いになったり、また真犯人捜しに戻ったり。結局のところ、直接の肉弾戦を除いた仁義無き、そして正義無き戦い。従って、論語にせよ達也にせよ撫子にせよ落花にせよ、もちろん瓶賀流やささめきの山月にせよ、誰が正義でもなく、そして誰もが裏切る可能性があり、誰もが仲間になり得る世界なのだ。
 もう一つ、論理を武器に彼らは戦うのだが、そのよって立つ大地が一つではない。証拠の後出し、証言者の隠匿、さらには捏造、偽造なんでもござれ。理想的な「真相」を想定して、その内容に沿って証拠を作っていくというのが常道だと いうのだから恐れ入る。前作からこのあたりは徹底していたが、真実を追求するための論理ではなく、あくまで双龍会で勝つことが龍師たちの至上命題となっている。飛び道具も後出しじゃんけんもありという、卑怯上等のこの世界、作者も作中で人名として登場させている通り、山風、そして忍法帖を思わせる。忍法帖は妖怪人間のような人間たちのナンセンスな戦いであったが、頭脳と倫理という意味で変態だといえる、本書に登場する人物たちも妖怪人間と同じ。
 登場人物が全体的に薄っぺらいところもまた、現代的なエンターテインメントに通じているように思う。語弊を恐れずいうと、設定や登場人物が実にラノベ的なのである。天才という雛形のバリエーションであり、かつ舞台はオリジナリティがあり、京都という風情は加えられているものの、双龍会の存在そのものも突飛だし。(もちろん、悪い意味ばかりで指摘しているのではないよ)。ただ、そういったガジェットを使用することで、先述したようにカテゴライズすらできない、癖のある物語世界にすんなり読者を招き入れることに成功しているように思うのだ。

 さてさてそれでいて、読者を煙に巻きながらうまいことやっているエピソードを最後に浮き上がらせる。あ、こりゃこりゃ、やられましたよ。ギャップ萌えっていうんですかね。考えてみると前作も結末はべたべたの恋愛小説として終わっていた訳で、そうですか、実は恋愛小説ですかこれは。しかし、ぬけぬけと。畜生、やられた。


11/07/14
田中啓文「こなもん屋馬子」(実業之日本社'11)

 「蘇我屋馬子(そがのやうまこ)」その弟子「イルカ」と聞くと、田中氏のカルトな人気を誇りつつ不遇な某シリーズを思い出す人も多かろう。果たしてこの馬子はその馬子と同一人物なのかどうか。大阪でこなもん(粉物=小麦粉系の食べ物)屋を経営する馬子とイルカの謎解き話。初出は『月刊J-novel』2010年1月号から三ヶ月おき(2011年は2月号から)に発表された作品を単行本化したもの。但し収録作は発表順には並んでいない。

 大阪難波、宗右衛門町のどこかにある「店主ベンピ・馬子屋」。ぼろっちい店に踏み込んだ男は、その店の『なんもなし』を食し、その瞬間にこの店に魅入られた。 『豚玉のジョー』
 大阪天神橋筋商店街のどこかにある「店主クレオパトロン・馬子屋」。屋台以前の小さな店に踏み込んだ男は、その店の『たこ焼き』を食し、その瞬間にこの店に魅入られた。 『たこ焼きのジュン』
 大阪ミナミの谷町筋のどこかにある「店主ミスユニバー・馬子屋」。木造の古臭い店に踏み込んだ男は、その店の『すうどん』を食し、その瞬間にこの店に魅入られた。 『おうどんのリュウ』
 大阪ミナミの三津寺筋のどこかにある「店主BIRJIN・馬子屋」。雑居ビルの地下にある店に踏み込んだ男は、その店の『焼きそば・普通のやつ』を食し、その瞬間にこの店に魅入られた。 『焼きそばのケン』
 JR天王寺駅のどこかにある「店主絶生の美女・馬子屋」。チェーンコンベアのついたぼろぼろの屋台に踏み込んだ男は、その店の「マルゲリータピッツァ」を食し、その瞬間にこの店に魅入られた。 『マルゲリータのジンペイ』
 心斎橋筋の裏通りのどこかにある「店主エロ・ザ・ブス・テーラ・馬子屋」。雑居ビルの一番奥にある店に踏み込んだ男は、その店の『豚まん』を食し、その瞬間にこの店に魅入られた。 『豚まんのコーザブロー』
 鶴橋の駅周辺商店街のどこかにある「店主美の仮住まい・馬子屋」。キムチ専門店と純喫茶のあいだでつぶれそうな古い店に踏み込んだ男は、その店の『ラーメン』を食し、その瞬間にこの店に魅入られた。 『ラーメンの喝瑛』 以上七編。(すみません、あらすじ少し手を抜きました)。

こなもん料理が運ぶ夢と「大阪のおばはん」馬子の解き明かす真相。様式美がそのままエンタを為す
 大まかな流れは全て同じ。大阪の繁華街のどこかにぼろっちい粉物の店を構える蘇我屋馬子。見た目は大阪のおばはんそのもの、性格もえげつなくどぎついが決して悪意がある訳ではなく、客のことを気遣う、わかりにくい優しさを持っている。そんな馬子の店に偶然たどり着き、食したこなもんに嵌まる男たち。常連となるうちに題名となる渾名を馬子に勝手に付けられる。その職業は隠しているものの、実はその男たちはまた斯界の有名人で、ちょっとしたトラブルを抱えていたりするのを馬子が見事に解決してしまう。しかし、事件解決後、再び馬子の店を訪れようとしても、そもそもそんな店など存在していなかったように跡形も無く消え失せてしまっているのだ……。
 改めてこうやって書き出してみると、他にも店の看板がめちゃくちゃで何か勘違いでへんてこな文言が書かれているとか、メニューはいろいろあっても結局できるものは決まっているとか、作品集を通じて共通している細かな縛りが多くある。 ある程度様式があって、そこからのバリエーションがあるコメディということで、そこから吉本新喜劇を連想したのだけれど、作者にそういう意識はないらしい。それでも、それが七作全てに「様式」とまでいえるほどに決まり事を徹底しているのはユニーク。ユニークだけど創作する側としては、やっぱりめちゃくちゃしんどいんちゃうやろか。
 そうそう、本書は読むとお腹がすいて困るのだ。もちろん、その理由はこなもんがめちゃくちゃ旨そうに描写されていること。(まあ、それが「こなもん屋」を題名に冠する以上重要なのだが)。店構えと同様、最高級の材料や素材をかき集めたりはしておらず、当たり前の材料を当たり前に調理して絶妙な仕上がりにしているところも重要。こなもんもあるレベル以上を狙うとなると調理人の腕が重要なんです。
 ミステリとしては、本格指向はなく、例えば『豚玉のジョー』では、しばしば”ジョー”と一緒になる二人組の大阪のおばちゃんが抱える行動がテーマ。二人の何気ないやりとりのなかから、ある犯罪に繋がりかねない事実を指摘するものだし、『たこやきのジュン』では、登場人物は大阪のラジオ局に出ている東京出身の篠山ミチルというタレントのことを気に掛けており、彼女が落ち目で仕事がうまくゆかない理由について、示唆することで修正してやるというもの。まあ、他愛ないといえば他愛ないのだけれども、馬子の扮する(地か)大阪のおばちゃんという、お世話焼きの存在が程よい具合に人間に干渉し、一歩を踏み出させている。

 客を客とも思わないようにもみえる馬子とそのほかの人びととの掛け合いはディープ大阪そのもので、毒舌も多少入るものの笑えるボケと突っ込みが満載。多少露悪的な描写もあるので、恐らく大阪以外の人の方が大阪の人よりハマるのではないだろうか。分かりやすく、万人にお勧めできるエンターテインメント作品集。
 最後に。ちなみに題名に登場している人名は全て『科学忍者隊ガッチャマン』から。コーザブローは南部孝三郎博士、喝瑛はベルク・カッツェ、ギャラクターの首領である。


11/07/13
岸田るり子「味なしクッキー」(原書房'11)

 第14回鮎川哲也賞を『密室の鎮魂歌』で受賞してデビューした岸田るり子さんである。どちらかというと「嫌系」(男にとっても女にとっても)の作品をサスペンスや本格どちらのアプローチからでも書ける器用さを持つことを近作でアピールしている印象がある。本書もその系統の作品集で『小説すばる』『ミステリーズ!』『HMM』などに発表された作品に書き下ろしが加えられて単行本化されたもの。

 青木という男との取引のためにパリを訪れた香田由美。彼女は、その青木がパリで育てる二人の娘を引き取ろうとする。異国の地に暮らす男と女の駆け引きの裏側にあるものは。 『パリの壁』
 別れたつもりの彼女にストーキングされる男。男の方に非はあるが、決して関係は元に戻らない。彼女も諦め、押しかけてきて最後に晩餐を一緒にしたいという。 『決して忘れられない夜』
 研究生の論文添削を利用したアリバイを準備し、恐喝していた相手を殺害した准教授。しかし何故か彼は何を思ったか、相手宅にかかってきた電話に出てしまう。 『愚かな決断』
 高校時代の担任だった輝男と結婚した七菜代。自分の妊娠をきっかけに高校時代に不審な死を遂げた高田龍子の幻を見てしまう。しかも幻は「私は殺された」という。過去の詮索は悲劇の始まりとなった。 『父親はだれ』
 ハーブの販売をしている小さな商社・前川物産。一年前に立ち上げたこの会社の電話番号はかつて、自殺などの相談を受ける〈生命の電話〉に使われていたものだった。時々かかってくる間違い電話に、社長はオペレーターの振りをして電話を受けることがある。 『生命の電話』
 真面目だけが取り柄のサラリーマンが和菓子屋の一人娘で美しい妻を娶った。妻はどこか冷めており子供も出来なかった。いつの間にか妻はアルバイト先のフレンチレストランで愛人を作り、しかし夫は妻に執着していて別れるつもりはなかった。 『味なしクッキー』 以上六編。

黒い黒い黒い。男も黒ければ、女はもっと黒い。よくある話に偽装した際立つ黒い物語群
 岸田さんの作品に登場する男女は、ミステリで主人公を張っているにもかかわらず、どこにでもいる市井の人びとが多い。ないし多少の特技(語学力とか)をもっていたとしても、その感覚であるとか、道徳観であるとかは基本的にそう大きく常識からずれてはいない。そりゃもちろんミステリなので、犯罪に手を染めるだけの意思の強さであるとかはあるけれど、それでも作品内部に存在する登場人物はどこか身近な存在に思える。
 そんな彼や彼女たちが抱えていたり、思いついたりする闇。その普段の、日常の姿が身近だと思えるだけに、その闇との落差が大きく感じられるのだ。
 それにしても、作品全てのオチがこれほどブラックにキメられているという作品集も珍しいのではないか。
 『パリの壁』は多少ネタバレになるので詳しく書けないが、乗り込んできた女性と、パリに元々住んでいた男性との丁々発止のやりとりからは、微妙に平凡な浅ましさと平凡ながら後のない計算が感じられ、それがブラックな味わいに繋がっている。『決して忘れられない夜』では、むしろ犯人の持つ癖そのものの存在がダークに感じられた。『愚かな決断』は、ハッピーエンドに一旦持ち上げて地獄の底まで主人公をたたきつける手法が凄まじい。何をもって愚かな決断だと題名が付けられているのか、改めて考えさせられる。
 『父親はだれ』、これは本作随一のブラックな結末だ。どちらかというと身近で封印されていた、過去の秘密を探るという展開自体はよくあるのだが、これはオチの嫌らしさが強烈。そもそも想像していなかったところに不幸をばらまいている作者も腹黒い(褒め言葉)。残り二つについては略すが、どれもこれも終盤にブラック展開が待ち受けている。それが予想される、されないは別にして。ただ、では暗澹とした気持ちにさせられるかというと、そうでもなく心が波打つような気持ちでページを閉じるという感覚の方が近いか。

 「嫌な」「ブラック」を中心に思わず感想を書いてしまったが、そればかりの作家ではない。サスペンスはサスペンスだし、本格は本格の様式を備えている。非常に多彩な技をお持ちの作者なのだ。あと、単に良い話よりもブラックな話の方が心に残りやすいという事実もあり、そういったところまで含めて恐らく計算のうちなのだと思う。


11/07/12
中島 要「ひやかし」(光文社'11)

中島要さんは、2008年、第2回小説宝石新人賞を『素見(ひやかし)』という短編で受賞。その後、長編『刀圭』を翌年刊行してデビューした。本書は二冊目の単行本となる。受賞作の題名をひらいた「ひやかし」を表題とし、『素見』同様に吉原を主題にした短編を集めている。

 皆川藩の上級武士の父親・大下彦十郎の娘、おなつ。彦十郎が花見の席でつまらぬ刃傷沙汰を起こした上に失踪してしまい、母と兄、そしておなつは逃げるように江戸に出た。遊びを覚え、大きな借金を抱えた兄によって吉原におなつは売られ、五年の歳月が流れたものの他の女郎のように巧く客をあしらえない。張見世に出てもなかなか客のつかないおなつのことを、じっと注視し続ける浪人がいた。おなつの知らない顔で、また登楼することもないまま半年が過ぎた。果たして彼の目的は……。 『素見』
 老舗呉服問屋の若旦那・伸太郎が吉原で散在しすぎたのを親に見咎められ勘当された。彼が目当てにしていた花魁・朝霧も当然金の切れ目が縁の切れ目。伸太郎は名前を変え、吉原のなかで幇間として生きることになった。 『色男』
 元は小間物問屋の娘が吉原に売られ、一年の見習いが過ぎて客を取る直前に自死。以来、その部屋では幽霊が出るという噂が。その店の花魁・白藤は息子を兄に預けている。兄から金の無心を受けた白藤だったが……。 『泣声』
 弥之助は絵師の修業をしたがものにならず、現在は贋作を作ってそこそこ金に不自由せずに暮らしている。その彼が今の地位に落ち着くまでは女を騙すなどひどいことをしていた。 『真贋』
 大政奉還から徳川幕府の崩壊。旗本の次男に産まれた保次郎は旅籠に売られ現在は町人で、品川の女郎の年季明けを待つ身。しかし幼馴染みが敗戦濃厚な彰義隊に身を投じると聞き、生き方を変えようとする。とばっちりを喰うのは、保次郎を待つ女郎・おしのだった。 『夜明』 以上五編。

あっさりしているようでいて絡みつくような情念が匂い立つ。余韻の持つベクトルに独特のセンス
 表題作『素見』の最後の一行が強烈なインパクトを発している。ネタバレどころか、この短編の全てが詰まっている言葉なので引用等はしないが、主人公のことをじっと見詰めるだけの浪人は一体何者なのか――という「謎」が、いい話とまではゆかない迄も、ある程度、読者が納得するだけの理由と共に明かされる。なるほど、ここまでの背景、主人公の境遇、全部が伏線になっていた訳か。ふむふむ、と。正直、この段階では吉原を舞台にした、普通の時代ミステリの域を出るものではなかった。
 ――のだが。それが、最後の一行で、平凡な時代ミステリが、極上の「花魁小説」に昇華するのだ。良くも悪くも、蛹が羽化する瞬間を期せずして目撃してしまった、というような、むしろ読者の側に背徳感を覚えさせるような衝撃である。余韻の方向性、最後の最後に思わぬところに連れて行かれる感覚。このセンスを見せつけられると本作での新人賞受賞、大いに納得させられる。
 吉原の、そして花魁の描写については(時代小説専門ではないのであまり詳しくないが)少なくとも違和感を覚えたりしないレベルだし、小説その他で語られている吉原の現実をきっちり再現している。男尊女卑が当たり前の時代に、女性が男性を相手に自己主張することが許される数少ない環境、それでいて多くのパトロンがいなければ自分自身を維持することも出来ない非常に高度のコミュニケーションが要求される空間。一方で自らのピークを見誤ると落ちるところまで落ちてしまうという恐怖、女同士の嫉妬や僻みといった争い。花魁たち、女郎たちには普通の意味での恋愛は許されず、吉原ルールに縛られる哀しい定めがある。基本的には金と打算で繋がる縁、だけど重要なのは彼女たちも「女」、それだけでもないということ。 この微妙な女心の狭間、そんな女たちに惚れてしまった男たちの気持ち、つまらない意地から見えない思い遣りに至る迄、そういった微妙な心の機微を描くのに作者は長けている。
 文体そのものは、むしろからりと乾いていて読みやすいのだけれども、その端端からじわり、ちらりと見える「機微」のようなものが、しっかり隠れていて、どこかでゆらりと立ち現れる。そういえば、ラストの『夜明』も作品の内容は異なるものの最後の二行に読者が痺れさせられる作品だ。こういった最終的に思いを一点に込めるパターンが巧いのか。

 恥ずかしながら、ハナノベ絡みのご縁で読んでみたというのが正直なところであるのだけれど、人間の機微が描かれた時代小説としてまずまずの出来ではないかと思う。受賞作が抜けていることはもちろんではあるのだが、他の作品も相応の叙情を感じさせる出来となっている。受賞が決してフロックではないことを作品集全体で証明している印象を受けた。


11/07/11
東川篤哉「はやく名探偵になりたい」(光文社'11)

 『謎解きはディナーのあとで』にて大ブレイクをしてしまった(?)東川氏のデビュー作品は『密室の鍵貸します』という長編、そしてそのデビュー作から脈々と続くのは本来、東川氏の代名詞のハズだった「烏賊川市シリーズ」という探偵・鵜飼や砂川警部らが活躍するシリーズなのである。本書はシリーズ七冊目、初の短編集にあたる。『ジャーロ』三十一号、四十号〜四十二号、そして二〇〇九年の『新・本格推理 特別編』で発表された作品が集められている。

 烏賊釣り漁船を皮切りに不動産から株式投資によって資産を積み上げた藤枝喜一郎。その唯一の親族である甥・修作が遺言状の書き換えを阻止するため、地下室に完全密室を構成して喜一郎殺害を実行。その直後、予期せぬ客・探偵の鵜飼杜夫が登場した。 『藤枝邸の完全なる密室』
 鵜飼とその探偵助手の戸村流平が依頼人の妻の浮気現場を押さえるために張り込み。しかし相手の男は荷物に入れられトラックで逃走、しかし何故かノンストップのトラックにて遺体として発見された。二人は海岸で釣りをしている依頼人に報告に出向くが……。 『時速四十キロの密室』
 路地奥に住むひとり暮らしの老人の依頼で、夢見台という住宅地にある自宅を訪れた鵜飼と戸村、しかし留守のようだ。その住宅地は似た町並みが多く、その酒屋ではビールケースが突然七つも盗まれたのだという。 『七つのビールケースの問題』
 烏賊川で三代続く老舗和菓子店・西園寺家の娘、絵理が自宅で深夜になんと戸村に相談事。いい雰囲気を目指す戸村だったが、西園寺家の当主が車いすに乗せられ、海岸に向かって移動するのを目撃、更に空っぽの車いすを押して謎の人物が引き返してきた。当主は当然行方不明に……。 『雀の森の異常な夜』
 一家の皆からマー君と呼ばれている僕は家族から赤い水を飲まされて気持ち悪くなる。ビーグル犬の母さん・モモはそんな僕を窘める。同じ小屋にはアイちゃんもいる。しかし屋敷では宝石が盗まれ、それがどこからも出てこないのだという。 『宝石泥棒と母の悲しみ』 以上五編。

相変わらずの脱力系テンションが素敵。東川篤哉氏は昔からずっと変わっていないというのに
 『謎解きはディナーのあとで』については出版社が販売拡大を仕掛けた、とは聞くのだが、これまでだって仕掛けられた小説やミステリは沢山あるはずなのに、本書が抜けた本格ミステリで百万部突破と驚くべき実績を出したのは何故だろう──。(ドラマ化ももちろんだが、小学生までが読んでいる)。と考えると、やっぱりこの殺伐とした時代に、この毒舌とのんびり、更にSっけとMっけが混じり合ったような、生温かいギャグの応酬が、遂に現代読者の多くに認められるようになったということなのだろうか。
 実は、東川篤哉氏はデビュー以来、全く作風を変えていない。本格ミステリと生温かいギャグ連発のミクスチュアである。ギャグについては、誰にでも判るもの、ミステリマニア向け、プロ野球マニア向け等々、その種類によって対象となる層は異なっている。基本的には作中人物にとっては毒舌とはいえ、そう笑いの入り口が限定されるものでもなく、勘違いから肩すかし、独りよがり等々、コメディ映画のような構成になっているところは特徴的だといえるだろう。また、もう一つ、そのギャグめいた受け答えやアクションのなかに、本格ミステリとしてのトリックを隠していたりするから一筋縄では行かない。本書でも『藤枝邸の完全なる密室』など、真相は超納得させられるであるのだが、結果的にトリックそのものが笑いを取る材料になっている。『宝石泥棒と母の悲しみ』も、トリックが明かされた時に唖然とさせられる。見抜いたと思わせたトリックが完全に捨て石になっていて、奇妙なところから驚かされた。そのテクニック自体に超絶のオリジナリティがあるものではない。だが、結果的にトリックそのものがサプライズと、同時にギャグをもまた担っているのだ。
 こうやって考えると、あまりにしょうもない(とんでもない)トリックを考えついた氏が、ギャグのオブラートで包み込むことによって、見え見えになるのを防ぎ読者のサプライズを引き出しているともいえる気がしてきた。

 一応、本格ミステリの形式も備えてはいるものの、むしろ探偵二人組のアホなやりとりと、依頼人との哀しくおかしいやりとりといったところで、クスクス笑いながら読む作品。 とはいってもテイストとしての烏賊川市シリーズを壊しておらず、安心して読むことができた。