MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/07/31
恩田 陸「夢違(ゆめちがい)」(角川書店'11)

 恩田陸さんの二年ぶりの新作小説! という触れ込みで刊行された長編作品。新聞夕刊連載で、初出は『北海道新聞』『中日新聞』『東京新聞』『西日本新聞』に二〇一〇年五月六日から二〇一一年五月二日にかけて連載されたもの。

 獏と呼ばれる装置が開発され、夢札を引く――人間が睡眠中に見た「夢」をデジタルデータとして記録し、その分析によってカウンセリングなどが可能となっている社会。国家資格である夢判断を行うことのできる野田浩章は、十年前に亡くなった筈の兄の婚約者・古藤結衣子の影を頻繁に見るようになった。髪の毛の一部だけ束のように白く、自分自身も想いを寄せていて最後には自分の方を頼りにしてくれていた筈の彼女。その結衣子は「予知夢」を見ることができるため、ずっと神経をすり減らしていた。しかし、ある事故に巻き込まれてそれ以来、音信が途絶えてしまっている――。そんな浩章のもとに奇妙な依頼が舞い込んできた。小学校のあるクラス全員が突然教室を飛び出し、その一部が運動場の周りで吐いたりした事件があったのだという。当初は食中毒と思われたが、どうやら全員が何か白日夢を見ていたようなのだ。「何かが教室に入ってきた」生徒たちのなかでも、もっとも明瞭な夢引きを残した小学校五年生の早夜香に会いに、浩章を含む専門家が奈良へと赴く。彼女の夢を分析していくと、学校の外から何かが入ってくることが分かった。同じ夢を浩章は幻視する。悪夢の正体は一体なんなのか――。

「夢」を記録し他人も見られることが当たり前という恩田ファンタジー。そもそも夢とは一体なんなのか――。
 大きく大きく拡げた風呂敷をばたばたと畳んでみたら、まだ少し余裕があったので途中はとにかく最後はキレイに畳むことが出来ました、という印象。結末直前についてはぎりぎり落ち着きを取り戻したようにも思える。なぜあの建物かってのはちょっと唐突ではあるながら、ラストシーンはうまくまとまっていると思う。のだけれど、物語中盤から終盤に至る部分、一クラス消失からその行き着く先であるとか、浩章ご一行が僅かな手掛かりでスパッスパッと正解に行き着いてしまうところだとか、終幕に向けて計画的に組み立てられているというよりも物語の赴くままに執筆されているような印象が残った。(作者としてはその気はないかもしれないが、あくまで印象として)。
 ──といった最終的な印象は置いておいても、序盤から中盤への吸引力の強烈さは、さすが恩田陸としかいえない迫力がある。特に何か特別な現象ばかりを書いている訳ではないのに、細かな断片が勝手に頭の中で繋がった「何か」、それが人類滅亡の序曲ではないかというくらいの不安感をかき立ててくる。集団白昼夢、そして夢判断を行う人間が視る幻視。予知夢があるという前提で、ならばその予知夢を視る人間がもっともパニックに陥るのはどういう状況なのか。
 SFというかホラーというかといった設定のうえ、物語展開はサスペンスのそれ。そう思わせるのは、文章が映像的でもあり、どこか映画を観ているかのような感覚になる。ちょっとしたさりげない描写も含め、やはり読者を物語世界に引き入れることに長けた作家であること、再確認した。
 少し本作とは外れるが、太田忠司さんに「月読」が死者の残した「月導」なる現象を読み解くという『月読』というミステリのシリーズがあるのだが、サスペンスめいたイメージ、波乱を孕みつつ静謐さを強く打ち出されていて、本書の、特に序盤とは共通した雰囲気を感じた。本書における「夢」が、どこか「死」を思わせる眠りだから、か。

 一応SFめいた設定を踏まえつつも現実の延長でありながら、その現実が実に容易に悪夢から浸食されていく──。物語の設定にせよ、その導入や盛り上げ方にせよ、これまで恩田陸さんが培ってこられたテクニックでありセンスでありといった要素が思う存分盛り込まれているという作品。どんなタイプであれ、恩田陸さんのファンという方であれば必読だと感じられた。


11/07/30
福田和代「ヒポクラテスのため息」(実業之日本社'11)

 正統派冒険小説及びシステム・IT系の小説の多い福田和代さんが初めて挑戦する医療エンターテインメント。『月刊J−novel』二〇一〇年七月号から二〇一一年四月号にかけて連載された作品が単行本化されたもの。

 祖父が設立した「ちはや病院」を継ぐのが嫌で医学部にも進まず、奈良の田舎町から東京の大学に進んだ風祭翔。実家に顔すら見せないままITベンチャーに就職、システムエンジニアとなっていた。業務提携の人材を捜すためにインドに滞在している最中に、病院長だった父親が急死、更にその間に会社が倒産してしまったこともあり、葬式にも間に合わなかった。三ヶ月限定という条件でちはや病院の理事を父親に代わって引き受けることになってしまい、借り上げ社宅に置いてあった荷物を年上の交際相手・夏樹に押しつけて八年ぶりに実家に戻った。弁護士の吉野や総務課の篠原有希に気付くと乗せられ、また割り切った翔は病院経営について自分なりに誠意をみせるべく、勉強を開始した。しかし病院は赤字体質で身売りを検討している状況、翔は実力をもった医師が二人、最近になって急に辞めたこと、さらにはかつてこの病院を改善するためのアンケートの一部が紛失していることなどに気づき、医者ではないながら、病院に何があったのかについて体当たりで調べ始める。

なぜ病院が”倒産”するのか? 背伸びしない視点から裏側に切り込む病院経営エンターテインメント
 現在の日本医療の状況を描いたミステリ、というストレートな意味では恐らく海堂尊氏が第一人者ということになるのだろうが、福田さん自身、少なくとも現役の医療従事者ではないはずで、その意味では外側から医療問題について調べ、真っ正面から問題に取り組んだ作品であると推察される。それはそのまま、医者の息子でありながらその跡継ぎを拒んできた本書の主人公・風祭翔の立場に近しい。過度に何かに偏らない、その平坦(フラット)な目線が、本書の読みやすさを作り上げているように感じた。
 今まで全く縁がなかったにもかかわらず、決算報告書やレセプトの読み方に挑戦したり挫折したり、それでも調べたこと感じたことを一生懸命伝えようとする主人公。多少調べて書いたというような個所はあるものの、その疑問や発見がどこか読者の感じ方と近い。 例えば、本書のなかで登場人物の台詞としても述べられているのが、子供の頃は病院の経営が危ないなんてことはなかったのに? という疑問。これに対し、例えば診療内容・施術内容だけでなく、回数や期間によって保険診療が打ち切られたりして「持ち出し」になってしまう事情等々、勉強になった。言うなれば良心的であればあるほど貧するような変な仕組みだと思っていれば良いのかもしれない。病院の人事制度、何をすれば儲かるか、赤字病院を黒字に転換する法律すれすれのテクニック等々、tipsめいた情報も相当あり、それぞれがすらすらと、また物語から外れないかたちで入ってくる点も良し。
 中盤から終盤にかけて、病院の抱えていた問題点、過去のしがらみ、個人の事情から改善提案まで明らかになってゆく。さらにそれぞれに翔のアイデアは小気味よく打ち出されてくるし、夏樹をはじめ登場するスタッフも前向きで素敵な人びとが多い。銀行も翔の熱意に対してどこか協力的ですらある。──それでも。
 最終的には、本書の場合は相手が大きすぎて、素人のアイデアだけでは結局のところ立て直すことが出来なかったという結末になる。折角期待したのにこの結末は気に入らないという人もいるだろう。しかし、病院自体は結局流れに逆らえなかったとしても、将来、病院や患者のことを真剣に考えてくれる医者志望者が一人生まれたことを祝福したい。作中にあるが、会社でも病院でも経営に情熱は必ず必要なのだ。

 病院経営という素人は普通手が出ないレベルに主人公をもってきたことで、逆に分かりやすい医療エンターテインメントになったという不思議な作品。青年の成長譚として素直に読んでも読みどころ多く、誰もが共感できる長編となっているかと思う。


11/07/29
真梨幸子「殺人鬼フジコの衝動」(徳間文庫'11)

 2008年に徳間書店から出た単行本が文庫化されたもの。

  死刑執行された大量殺人鬼・フジコは実在の人物である。この小説はそのフジコの生涯について彼女に近しい人物が彼女の死の直前に書いた記録である――。帰宅すると父親が玄関に倒れていた。お母さん? 妹が惨殺されているうえ、自分自身も「カルマ」を口にする犯人から首を切られて意識を失う。首に大きな傷が残ってしまったものの小学校五年生の森沢藤子は残酷な殺人事件被害者として叔母夫婦に引き取られた。工場のライン勤務の叔父と、新興宗教にはまっている叔母。フジコは「かわいそうな女の子」を演じることで学校で仲間を作ろうとするのだが、その選択に失敗。友人の立場を維持するために叔母の小金をくすねたり、嘘をついたりして日々を暮らしてゆく。その小学校でも自分の犯した罪を隠すために級友の女の子をマフラーで絞め殺してしまう。ばれなきゃ何をしても大丈夫、大人ってちょろい。心の底からそう信じる彼女は、大した中身も無いままに「おいしい」ポジションを獲得するテクニックだけを磨いてゆく。学年代表で卒業式の答辞を読むに至ったフジコは級友の誘いを断り、司法試験を目指すという大学生・裕也の元を訪れる。彼は必ずフジコの身体を求めてきた……。

手詰まりを殺人で片付ける癖のある安い女。ミステリとしての細かな仕掛けは果たして必要だったのか
 誰でも思うことなのだろうが、児童虐待、ネグレクト、集団によるイジメなど小学生レベルのひどい境遇から始まり、万引き、詐欺、過度の男性依存、見栄と浪費……殺人が挟まって、というネガティブな感情が渦巻く醜い女性の感情と行動が「これでもか」というレベルで描かれる。 ただここまで露悪的というか、むちゃくちゃな展開には一種すがすがしさも感じるほど。どこまで作者はフジコ嫌いやねん。あまりにも単純、短絡的に殺人という行為に手を染めたうえ、ばれなければOKという経験値だけ積み上げてゆくフジコは醜悪で。死体をミンチにして切り刻んでとにかく見つからなければ大丈夫。更に殺人という行為をもって他人の人生をも縛り付けてしまう展開など、その執念深さに頭が下がる。特に終盤の小銭のために次々と殺人行為に進んでゆく狂乱状態も凄まじい。 ダークヒーローになる資格もなく、ピカレスクの王様なんてほど遠い、凄まじいまでの、この「安さ」がフジコそのものなのだ。
 だったらなんで最後まで「そのバカに徹する」ことが出来なかったのだろう? フジコの凄絶にしてお馬鹿、人間的に空っぽでだらしない垂れ流し人生だけで終わってくれたら、無能すぎる警察はフィクションにしてもどうかという点は多少引っかかるにせよ、そういう人生もあるでよ〜という、どす黒く心に刻み込まれるような物語になったであろうに。
 しかし残念ながら、この物語にメタレベルの仕掛けが施されていることで、フジコの鮮烈な物語が入れられた「額縁」が安っぽく感じられる。「はしがき」「あとがき」で、このフジコの物語は第三者の創作であるという前提で、作者は物語自体を主題に二転三転させている。はっきりいうと、この仕掛けによって物語が急速に冷え冷えとしてしまい、つまらなくなっていると感じた。じゃあいったいフジコはなんだったんですか。単純な欲望から突き進んでいた殺人依存のバカの悪い意味での一途さが良いのであって、そこの「操り」の構造なんていれてしまったことで物語全体から受ける印象の興醒め感が甚だしい。(あくまで個人の感想です)。
 正直、第一章の一人称を「わたし」にすることで終盤部から再び序盤に繋がるような仕掛けにしていることについては、ミステリの構成として「お、巧い!」と感じたのだ。多少窮屈な表現になっているので引っかかっていたのが腑に落ちた。この結果、あからさまな描写の第二章がうまく伏線化しているのだ。さらに作品内部で不幸の山と谷を繰り返すというフジコの人生そのものが物語全体でもループさせてあるのか、やるなあ。──という気持ちがなんか「あとがき」の付け足しで消し飛んだと、まあそういうことです。

 好き好きなんだろうけどなあ。序盤の精神的、肉体的虐待描写が相当にキツイので「残酷物語」に耐性の無い方には絶対にお勧めできない作品。いずれにせよ、なんか凄く勿体ない気がする。


11/07/28
石持浅海「人面屋敷の惨劇」(講談社ノベルス'11)

 石持浅海氏による「館もの」ミステリ。ノンシリーズの長編作品で『メフィスト』2010 Vol.2から2011 Vol.1にかけて連載された作品を加筆修正してノベルス化したもの。

 十年から十二年ほど前、東京都の西部で児童失踪事件が連続して発生した。小学生を中心に複数の児童が急に姿を隠してしまったのだ。犯行声明もなく、事件に関係する児童の総数も不明ながら、子供を失った親を中心に「被害者の会」が結成されるに至った。しかし事件から時間が経過するにつれ、世間の人々の興味も薄れ、被害者の会も逆に邪険に扱われる始末。その被害者の会の家族たちが、当時一度捜査線上にあがったものの、捜査対象から外された土佐という投資家を訪問する計画をする。土佐は近所では「人面屋敷」と呼ばれる大きな私邸に住んでおり、その家に被害児童か、児童に関する手掛かりがあると彼らは考えたのだ。普通の方法でのアプローチは無理だったが、被害者の会メンバーのひとり・加茂が投資雑誌取材をタネにアポイントを獲得。無理な人員構成だったが、残り五人はカメラマンという名目で土佐宅に突入した。多少驚きはあったものの、土佐は余裕の表情で彼らを迎え入れた。幼児虐待を疑うなど土佐の挑発的な発言により、メンバーのひとり糸居由規美が逆上、また書斎の壁に行方不明の幼児たちのスケッチが飾られているに至り、同じくメンバーの藤田が土佐を刺し殺してしまう。警察への通報を議論している最中に、女子高生・亜衣が部屋に入ってくる。土佐の娘だという彼女は、今回同行していない被害者の会メンバーの娘と同じ身体的特徴を備えていた……。

むしろ前半に論理的展開が集中し、後半はむしろ奔出する狂気に唖然とする
 石持浅海氏のミステリは「論理的な展開」がひとつ名物というか特徴となっている。ある事件、ないし局面に際したとき、登場人物の行動が論理によって規定され、幾つかある選択肢のなかから最も合理的だと思われる行動をとってゆくのだ。それは殺人をこれから犯す場合の時もあれば、クローズドサークルで犯人を炙り出す方法だったりする場合もある。本書の場合は、犯人を含むグループの行動がそれだ。
 「人面屋敷」。響きが不気味で何かと曰くもあるし、持ち主については謎が多いのではある。ただ、そこかしこに人面が飾ってあるとかではない。ただ、その人面屋敷に、合法不法ぎりぎりの状態で入りこんだグループメンバーが軽率にも館の主人を刺し殺してしまうところからスタート。そこに主人の娘が現れたことでややこしくなる。父親を殺された娘、子供たちを救いたい親。力関係は娘が上、だけど、というところで論理でつながれてゆく。
 残念(登場人物にとって)なのは、その論理の埒外にある人物が犯人や、メンバーの一部に存在すること。娘の存在はある希望に繋がる一方、自分たちは殺人者の仲間、というぎりぎりの状態での屁理屈に近い論理展開がユニーク。 また、そこで惨劇が行われて訳が分からないのではあるけれど。
 しかし、本書の場合、一番のインパクトになるのはやはり終盤に立ち現れてくる「人面屋敷」の秘密というか、その主人の抱えていた真実であろう。どうあってもそうなる確率があり、それでいて警察の厄介になっていないということは、そのままある事実を示唆している訳で。背けていた目をそこに向けざるを得ない、そして目を向けた先にあるもの、というのが強烈すぎて、そのほかの物語を消し飛ばすほどの衝撃がある。 とはいってもそれもまた、論理で行き着くべき帰結であって、その裏側に狂気があるという、本書全体を覆うテーマとも二重写しになっているともいえそうだ。

 読み進めてゆくうちのサスペンス感というものは実は薄い。ラストについてもハッピーエンドとはいわないまでも多少の希望を抱けるものだといえるだろう。序盤から中盤の論理的展開と、その後半部分に拡がるサプライズとインパクトは良くも悪くも一読忘れがたい。たまに漂う悪の魅力というか背徳感もまた石持ミステリの魅力になっている場合があるのだが、本書の場合は背徳感がキツイか。ある程度石持ミステリに免疫のある人向けではないでしょうか。


11/07/27
三津田信三「生霊(いきだま)の如き重(だぶ)るもの」(講談社ノベルス'11)

 三津田信三氏の代表作となりつつある刀城言耶シリーズの『密室の如き籠るもの』に続く二冊目となる中編集。うち『天魔の如き跳ぶもの』は、原書房の特装版『凶鳥の如き忌むもの』に収録された作品の再録。『死霊の如き歩くもの』は『新・本格推理〈特別編〉』に、その他の中編は『メフィスト』2010 Vol.2、Vol.3、2011 Vol.1が初出となる。

 中庭を囲んで渡り廊下の四隅に部屋がしつらえられている風変わりな屋敷。この屋敷に住む研究者の本宮は、四隅それぞれに民俗学関係の研究者の部屋を設けていた。刀城が訪れた日、中庭で主のいない下駄が足跡を付けており、足跡のない中心部で狩猟で用いられる毒物によって殺害された研究者の遺体が発見された。 『死霊(しりょう)の如き歩くもの』
 奇妙な屋敷神を祀った一族があるという阿武隈川烏の言葉によって東京郊外のある家を訪ねた刀城竹藪の中での足跡を残しての子供の消失。そして彼らが滞在しているあいだにも……。 天魔(てんま)の如き跳ぶもの詳細はリンク先。
 学者でもあり怪奇小説作家でもある土淵教授宅。その家の池に浮かぶ島には屍鑞化した木乃伊が眠っているという。刀城が宿泊した雪の夜、木乃伊が島に現れ、翌朝、発見者と被害者の足跡しかない場所で殺人死体が……。 『屍蝋(しろう)の如き滴(したた)るもの』
 横溝某作そのもの? 刀城の先輩が疎開していた奥多摩旧家ではその当主の生霊が現れるのだという。跡目争いのなか身体の弱い長男が死亡、さらに戦死した筈の次男が帰還。しかし時を置いて二人目の次男が現れた……。 『生霊(いきだま)の如き重(だぶ)るもの』
 刀城がたまたま耳にして飛び込んだ怪奇談。長屋が並ぶ一角で友人の男の子が消失してしまったという。現場には複数の旅芸人が出入りしていたが、子供は出ていっていない筈なのだが。 『顔無(かおなし)の如き攫(さら)うもの』 以上五編。

最後に巻き戻される恐怖の余韻が深みを増す、三津田(本格)ホラー(本格)ミステリの真髄
 ↑わかりにくいかもしれまえんが、ホラーにもミステリにも「本格」が係るということ。
 刀城言耶がまだ学生だった頃に遭遇した事件簿、ということで大学教授や阿武隈川烏の紹介などで、小説家となって以降に行き会う事件ほどではないにせよ、殺人事件が絡むかなりディープな体験及び、他人の体験談である。中編といいながらかなりのボリュームがあり、それぞれ怪異か幽霊、それに類する何か人智の及ばない何かが引き起こしたのではないか、という謎めいた事件が発生する。単なる密室殺人、不可能殺人といったレベルではなくプラスアルファとして、そういった怪奇が絡んでいるところがシリーズの特徴であり、本書でもまたその点については十全だ。その前半部における怪奇描写はもちろん優れているし、先に書いておくと事件が解決してもなお、まだ「怪奇」という要素を留めおいて理屈で割り切れない部分が何かしら残してあるところがスバラシイ。本格ミステリとして必要条件に答えを提出しているにもかかわらず、なお余剰を残して余韻を響かせてくれている。

 ただ、雰囲気作りは抜群にうまいものの、ミステリとしてはこの雰囲気に過去の名作のコンセプトを借りて応用している印象が強い。もちろんトリックの大枠としては出尽くしている訳で、過去作品の類似を咎めること自体意味はないのだが、どちらかというと横溝であるとかクリスティであるとかカーであるとか、読むうちにコンセプト自体にも名作のイメージが浮かぶような構成にあえてしてあるように思えるのだ。
 その結果、新たな分野にオリジナルでチャレンジしているという感じがなく、これまである本格ミステリのガジェットを、三津田流の物語に合わせ位相をずらして応用しているという、それはそれで悪いことではないながら微妙にどこかで読んだことあるような懐かしい印象に落ち着いてしまう。もちろん、本書での真相そのものはコピーではなく紛れもないオリジナルである。結構工夫されているものが多いし、また見方によってはバカミス一歩手前のユニークすぎるものもあるし、でそれぞれは特徴的なのだけれども、物語トータルから受ける印象は、残念ながら過去作品のオマージュというような印象は否定できない。
(ここまでうまく表現できているか判らないが、本作はミステリとして十分面白いのだけれども手放しで絶賛するのではなくちょっと条件がつくかなー、とその程度の話ではある)。
 また、後の作品にも登場する歩く大迷惑・阿武隈川烏先輩は本作でも破壊力抜群。常識的にはあり得ないエピソードの数々がとにかく強烈。道を通りかかったら匂いがしたので、誰一人知らない集まりの鍋にちゃっかりと乱入して鍋奉行していたとか、あっぱれとしか。

 これまでの東城言耶シリーズのクオリティはキープしており、むしろ中編集として発売されている分内容が詰まっていてお得感もある。このシリーズは時系列に沿って読む必要もないため、探偵役が若い時分の物語ということで、本書から読むという選択肢もありだと思う。


11/07/26
東川篤哉「謎解きはディナーのあとで2」(小学館'11)

 本格ミステリ界隈でひっそりと暮らしていた東川篤哉氏を日当たる場所に引きずり出した、超のつく人気作品となった『謎解きはディナーのあとで』の第二弾。この題名はどうかと思うけれど、まあ、仕方ないのかな。また、2011年、櫻井翔、北川景子、椎名桔平らによってドラマ化されているが、個人的に彼らの顔がこの「2」でも頭に浮かんで止まない。小学館の小冊子『きらら』2011年1月号から2011年10月号にかけて連載された五編に書き下ろしの六話目が加わって単行本化されている。

 世界的コングロマリット・宝生グループの一人娘にして国立署の女刑事・宝生麗子。その上司であり壊れやすい国産車メーカー・風祭モータースの御曹司・風祭警部と共に事件捜査にあたる。彼らの前に立ちはだかる謎を実際に解いているのは、暴言癖のある宝生家の執事・影山だ。本書もこの三人のコンビネーションは健在。
女性が空きビルの一室で刺殺された。目撃証言と移動に必要な時間から事件発生時刻が割り出されるのだが、容疑者には、事件発生以前から細々としたアリバイがあった。 『アリバイをご所望でございますか』
倉庫を改造したおしゃれな部屋で、バスタブで溺死していた女性。部屋は荒らされておらず自他殺不明だったが、クローゼットにあった筈の帽子が多数無くなっていた。 『殺しの際は帽子をお忘れなく』
友人の父親の還暦を祝うパーティ。上層階級が集う集まりで殴打事件が発生。犯人は赤い服を着て宝石を胸に付けていた、よく知らない若い女……。該当するのは麗子含めて七人。『殺意のパーティにようこそ』
クリスマスイヴなのに予定のない麗子。予定のある影山。朝から彼らは影山と衝突し雪のなかバス出勤する。予定外の停留所で降りた麗子は、自転車の轍と発見者の足跡しかない雪密室殺人に遭遇する。 『聖なる夜に密室はいかが』
 国立を代表する家電量販店チェーンを経営する花柳家。当主が交通事故で亡くなったばかりのこの家で末っ子の夏希によく似た、その従姉妹・寺田優子が殺され、その長い髪の毛が切り取られ暖炉で燃やされていた。 『髪は殺人犯の命でございます』
国立を代表する画家が自宅のアトリエで何者かに刺し殺されてしまう。現場には梯子が倒れていたが、密室状態となっており犯人の姿も見あたらない。警察捜査では何も見つからなかった現場に、麗子は影山を伴って夜中に再訪する。 『完全な密室などございません』 以上六編。

語り口とギャグは生暖かい東川クオリティをキープ。ミステリの意外性に手を抜かない態度に好感
 売れに売れた『謎解きはディナーのあとで』の続編、考えてみるに二年越しの新作ということでそう慌てて第二作を刊行したものではない。雑誌連載をまとめたものとはいえ、じっくりと取り組んで作られたものだといって良いだろう。版元としては売れているうちにばんばん続編を、なんて皮算用があったかもしれないが、そうなっていないところに意思みたいなものを感じる。(東川氏は決して寡作という程ではないので、やはり丁寧に作品を練り上げたものと受け取りたい)。
 さて、わざわざ過大に評価するつもりはないが、客観的にみても本格ミステリとしてみて、それぞれが結構凝った構成を取っていると感じる。作品ごとに一概にはいえないながら、手がかり→想像といった「当たり前推理」(作中で風祭警部がするような推理ね)から最低二ひねり(一つではなく)は入れようとしており、犯人や真相に必ず意外性を狙っている。 さらに意外性を優先する余りに構成や設定に無茶を入れたりすることなく、作中の手掛かりに沿っての論理的な犯人指摘が行われている。多少特殊な知識を要する作品もあるとはいえ、『殺しの際は帽子をお忘れなく』であるとか『髪は殺人犯の命でございます』であるとか、本格ミステリ的な考え方、論理の組み立てによって為される犯人指摘の場面など(たとえ影山の推理でなくとも)、なかなかほれぼれするものがある。
 ただ、正統派だけではなく、一歩間違えると、というか既にバカミスみたいな作品が混じっているところが面白い。 『聖なる夜に密室はいかが』の足跡トリックの真相。さらっと書いてあるけれど犯人の行動、結構これはアクロバティックだと思うし、『完全な密室などございません』にて構成された密室そのもの、そして犯人などは人を食っている。が、それでも手掛かりやヒントをベースにして外堀を埋めたうえでの論理の結果、ここしかないと いう場所に「穴」を作っている訳で、これってホームズ並みの理屈ってことになりやしないか(これはちと褒めすぎと書いた瞬間に反省している)。……であっても、やっぱりバカミスっぽいのは否定できない。

 このミステリとしての真面目さと、同じくミステリとして人を食ったユニークさが作品集内部で両立しているところが何とも良い。 当然、作り上げてきたキャラクタも良いのだが、やはりミステリとしてのしっかりした構成があっての人気だと改めて思う。

 特にこの「2」が抜けてこれまでの東川作品を超えた出来かというとさすがに否定せざるを得ないが、デビュー以来の延長線上の東川篤哉による創作物そのものを体現するような作品ではある。本格にこだわり、生暖かいギャグにこだわる。それでいて『ディナー』から入ったであろう多くの読者にも優しい。むしろ、この二作目にて本格ミステリとしての東川クオリティが維持されていることそのものに正直、かなり感心した。あ、すごく面白いですよ。


11/07/25
鯨統一郎「タイムスリップ聖徳太子」(講談社ノベルス'11)

 ふと気になって、よくよく刊行時期を調べてみると『タイムスリップ戦国時代』以来、四年連続で講談社ノベルスの11月新刊扱い。そういえば昨年もランキングが一段落してほっとして『タイムスリップ紫式部』を読んだような記憶がある。鯨統一郎氏の人気シリーズである「タイムスリップシリーズ」の八冊目となる作品。書き下ろし。

 砂漠地方のなかにある国家ナジドに住む有力豪族・バディアは国家間の交易を生業としている。その隊に世話になっているテオという少年とウラーという少女は、今月はまだ一つも物を売っておらず、クビにされる寸前だった。そのテオは神の声が聞こえるといいだす。バディアは厄介払いも兼ねてテオに博覧市のあるラバダ国に行くよう指示した。一方、倭国を掌握している聖徳太子は既に隣国である塊やマーシア国との戦いに勝利し、それらの国家も支配していた。聖徳太子の次なる目標はラバダ国。さらにサンディア全域を掌握し、世界最強のトーマ帝国をも狙うという。まずはラバダ国の王女・サマヤを、自分の六番目の妻にすべく輿入れを要求してきた。積極的に応じようとするのは女ながら重鎮のオガセツ。彼女はラバダ国と戦火を交えず、降伏するよう執拗に王に勧めており、病に倒れたばかりの王も弱気になりつつあった。秘策をもって三千人の部下を集めたテオは、神のアドバイスにより、サマヤ王女を聖徳太子のすぐ前で奪還、誘拐したことにしてラバダ王との会見を果たす。

タイムスリップメンバーも本作ではどこか影が薄い。架空世界を舞台にしたオリエンタル風ファンタジー
 この世界に登場するウラーなる人物が(当初はウララだったのが呼びにくいのでウラーにされた)、シリーズレギュラーである”麓うらら”であることはまず自明。さらに冒頭で登場する教師・氏家であるとか、タイムスリップ自体は発生しており、『タイムスリップ紫式部』でのパターンと似て、心が歴史上の人物に飛んでいっているようだ。ただ、単純に日本史や世界史上の過去に行くのではなく、聞いたことのない中世かつ中東の国家に現れる。
 舞台になるサンディアは砂漠に囲まれた中東あたりにある国らしいのだけれども、この地域を狙っているのが「倭の国」というあたりで、どうやら時系列も、その存在している世界も完全にパラレルワールド的関係にあるようだ。(「倭の国」の位置がさらりと読んだだけでは全くイメージ出来なかった)。そもそも同じ地球上の同じ時系列であるかすら判らないのだから仕方ないか。イメージとしてはパラレルワールドの、更に過去に飛んだというダブル・タイムスリップである。
 で、そこで行われるのは国家vs国家の戦争。大国と小国、多勢と無勢、孫子の兵法といったところが駆使され、三国志や戦国時代の戦いのイメージで砂漠の戦いが描かれる。思い切った工夫、暗殺や裏切りというあたりで勝負が動くところもそれらと似ている。聖徳太子、そしてテオ。二人の主人公がそれぞれ更に上位の軍師的存在を抱えており、様々な詭計や謀略に戦略がぶつかり合うため、中盤は歴史ファンタジーとして楽しむ構造になっている。

 後半には神様論、そして聖徳太子についてなど少しだけ鯨統一郎作品っぽい展開がある。が、あくまでメインはファンタジーだ。最初からミステリでもないシリーズであり、不思議なファンタジーとしてやりたいようにやりました、という印象。元からのタイムスリップシリーズファンでなければ、さすがにいきなり本書は戸惑われることと思います。

 あと、鯨統一郎のデビュー作品『邪馬台国はどこですか?』のなかの一編「聖徳太子はだれですか」は、題名通り聖徳太子の正体に迫る作品で、聖徳太子と時の権力者・推古天皇や蘇我馬子との関係についての鯨氏による推理は発表されている。本書の終盤、聖徳太子の存在について微妙な考察があるし、倭の国には小野妹子や蘇我入鹿、刀自古、(酔虎という女性は推古天皇でしょうね)といった歴史上の人物も登場しており、実際の奈良時代の日本をイメージはしているようだ。一方で暗殺者として諏訪地方の伝説に登場する甲賀三郎(まさか探偵小説作家の方ではあるまい)が登場したりもする。全般として、どういった基準で登場人物が選ばれているのかよく判らなかった。


11/07/24
田中啓文「ハナシはつきぬ! 笑酔亭梅寿謎解噺5」(集英社'11)

 『笑酔亭梅寿謎解噺』としてスタート、当初は落語本格ミステリという形式であり、当初は「本ミス」にもランクインしたシリーズであったのが、まず本格が取れた落語ミステリとなり、最終巻である本作ではミステリの冠すら取れ、中盤からその様相を強めていた、主人公・竜二のビルドゥイングス・ロマンと化している。(面白いからいいのだけれど)。本作が最終刊。初出は『小説すばる』二〇一〇年三月号から二〇一一年七月号にかけて隔月で連載されたもの。

 品行方正にみえ、自分の小屋まで作った噺家の壮絶プライベートの話、落語協会上層部の不正を正そうとする正義感落語家の話などが最初。その途中から少しずつ物語が進んでゆく。落語家がタレント紛いの一発ギャグや一発芸をしてウケを取ることを否定してきた梅寿。竜二自身もその考えに同意していたハズだったが、たまたま大勢の落語家が出演する全国ネットのテレビ番組で、兄弟子・梅雨の使った恐ろしくつまらないギャグ「クイラトス」を披露したところ、あまりのつまらなさから、逆にテレビで大受けしてしまう。いかつい風貌と滑るギャグ。そこからじわじわと、なぜか落語家ではなく、タレントとして大ブレイクを果たしてしまった竜二は「クイラトス」のポーズと共に、深夜番組やバラエティに登場、松茸芸能の女性マネージャーが張り付いて、落語以外の仕事で毎日のスケジュールが埋められてしまうようになってしまった。売れっ子タレントとして収入は増え、これまでの落伍荘を出て綺麗なマンションに引っ越しを果たし、更に以前から夢だった高価なバイクを購入、乗り回すようになった。タレントとしては色物扱いで、梅寿の適当なコメントから母親候補が大量に現れたり、ドッキリでかなりひどく瞞されたりもする。そんななか、梅寿に竜二より先に入門していたことがあるという現役小学生の兄弟子と、噺家という職業を賭けての落語勝負をすることに。しかし、あろうことか竜二は……。『堀川』『上燗屋』『二番煎じ』『花筏』『狸の化寺』『子ほめ』『地獄八景亡者戯』 以上七編。

ああ、あほらしけど、おもろかった。最後の最後まで上方落語への愛情が溢れた、はちゃめちゃ成長物語
 田中啓文氏の諸作のなかでも人気シリーズとなった「笑酔亭梅寿謎解噺」もこれで完結。ネタバラシにはならないと思うので書くが、今回も一冊の物語のなかで竜二は成長するものの、まだまだ本当の意味で噺家として一人前になるには遠い……といった状態で幕を閉じている。ただ、物語の最初、入門前からすると大きく成長していることは確かで、こっちは単なる読者で、別に何をしてやった訳ではないのだが、この竜二の成長を嬉しく思ってみたりもする。 結構こういう読者、他にもいるんじゃないだろうか。梅寿の無軌道っぷり、竜二の反発と、それでも落語への愛と。シリーズを通じて読むと「ああこいつらアホやなあ」と思うと同時に、竜二に立派な、でも型破りの噺家になって欲しいと何か、切に思わせるものがあるのだ。
 さて完結編となる本作。一応落語で題名が綴られているものの、品行方正と思われた噺家が愛人と借金まみれだったり、禁煙落語をしている江戸落語の人たちが秘密を抱えていたり……といったような、謎解きにしても他愛のないもので、ミステリというには少し軽い。では何なのかというと本書の場合は落語が、その文化が……、というところもありながら、この巻に限っては急に売れてしまったお笑い芸人の悲喜こもごもという内容が大きい。特に一発芸など明らかに一時的な流行で売れてしまったという芸人の悲惨さが、かなり赤裸々な状態で描かれていると感じる。良いことだけでなく他の芸人の怨みも買う、先輩の嫉妬も買う。東京大阪、地方を往復し、睡眠時間は移動時間のみ。本来の職業である筈の落語すら禁じられてしまうという境遇、しかしこれまでの赤貧とは全く違うレベルの収入と。好きなことをしながら貧乏生活をするか、好きだけれどもそれ以上の苦しい思いをして金を稼ぐか。なにやら別に芸人に限らず、多くの人間が抱える「生き方」の悩みと被っているようにも見えてきた。 おかしい何か眼から汗が。

 一連のタレント騒ぎが、竜二にとっては非常に厳しいかたちで終わったところで竜二は声を喪う。ここからの梅寿の強引さはそのまま師匠の愛情として印象的だ。そりゃやられている竜二はたまらないだろうが、愛無しにはこの展開はない。また、最後に取り上げる落語のネタが『地獄八景亡者戯』と大技なのも落語ミステリらしい始末の付け方だ。ついでにいうと、ラストのラストは「わあわあ言うております」と書かれていないけれどもそういう感じであるところが、それらしくて良かった。まだまだ竜二の成長がある。そういう余韻をもった切り方でもある。
 それはそうとして、また、スピンアウトや番外編で構わないので、成長した竜二の物語、書いてくれないかなー、書いて欲しいなー。


11/07/23
辻村深月「冷たい校舎の時は止まる(上下)」(講談社文庫'07)

 現在は直木賞の候補作品を輩出、2011年『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞受賞と人気作家として活躍する辻村深月さんのデビュー作品。2004年に第31回メフィスト賞を受賞した作品。講談社ノベルス版では上中下の三分冊だったが、文庫版では上下二冊に。新川直司によってコミカライズされている。

 県下では一番の進学高校・青南学院高校は旧校舎が新しく建て替えられた年、極端に偏差値が上がり現在の三年生には優秀な学生が揃っていた。大学受験を間近に迎えた冬のある日、学院に登校してきた他の生徒の姿があまり見えないことを訝りながら登校してきた八人の三年生は、無人の校舎に閉じ込められてしまう。担任教師の榊と従兄弟関係にあり、優秀な成績の鷹野博嗣、その幼馴染みで、友人・春子のイジメによって拒食症になっていたが現在は立ち直っている辻村深月、複雑な家庭事情を抱え、荒れていた時期もあったが、現在は榊に対して一途な思いを寄せる佐伯梨香、その梨香に想いを寄せる片瀬充、一週間の停学明けで久々の登校となった菅原、梨香とは幼馴染みで生徒会副委員長で凛とした美女・桐野景子、三年生唯一のA級特待生で学年一位の成績のうえ、美術にも才能がある清水あやめ、そして深月の立ち直りに真っ先に協力した藤本昭彦。生徒会関連の繋がりからそれなりに仲の良かった彼らだったが、あることに気付く。学園祭の最終日に自殺した彼らのクラスメイトの、名前も顔も性別すら思い出せないことに。どうやらこの空間は自殺した人間が「ホスト」を務める異空間、そしてその「ホスト」はここにいる八人のうちの誰か? 脱出不可能の校舎のなかでその人物が自殺した時間、五時五十三分になると仲間のもとに何かが訪れ、マネキンと大量の血を残してひとりまたひとりと退場してゆく……。

ホラーじみた興趣を孕んだ青春小説でありながら、背負うものが若くして重く、味わいは大河小説級
 文庫にしても上下で千ページを超えるボリューム。何でもありのメフィスト賞史上でも、もっとも長大な作品である。文庫版で修正が入っているのかもしれないにせよ、その長さに読者を飽きさせず、興味を持たせ続けるだけのテクニックとセンスが存在している。その段階で「勝ち」なのかも。
 まずは幻想めいた雰囲気。誰もいない学校、取り残され脱出できない八人。ゲーム性すら感じさせる舞台環境に「校舎」という容積的に大きなクローズドサークルをたった八人に割り当ててしまう大胆さ。 更にそのうち一人が「鬼」(ま、比喩的な意味で)であり、その事実が本人含め伏せられているという不気味な設定。そういった「つかみ」から非常に巧い。そのつかんでしまった後から、八人いる人間全てについて中編一編ぶんくらいの過去エピソードを付与してゆく。 たかだか十七歳、十八歳の彼らにしてからが(選ばれたこともあるのだろうけれども)それぞれ重い体験や経験、境遇を背負ってきている。家庭不和、イジメ、友人の死、孤立感、疎外感。頭が良すぎることもまた孤独の源であるし、優しすぎることもまた傷つき易い心の裏返しだったりする。こればかりは誰の物語に感じ入ったとか、同情した同一視した、ということは個人的にはないが、もっと登場人物に近い世代であれば、かなり強烈なインパクトをもって彼らが迎え入れられるであろうことは想像に難くない。
 また重さ一辺倒ではなく、それぞれの生い立ちを読ませるのも巧い。過去に地域に登場人物の一部がクロスし、八人以外の登場人物も織り糸を為し、他のエピソードで取り上げられた小さな出来事が別の人物のエピソードに繋がる。絡み合うという程ではないにせよ、「ああ、そういうこともあるかも」と思わせるところに小さな巧さがある。そのエピソードが重なっていくうちに、若い人物しか登場しないにもかかわらず、いつの間にか重厚な物語世界に取り込まれてしまっているのだ。まるで大河小説を読んでいる時のように。
 また、そういった経験を踏まえ、この異常な環境に置かれてなお、登場する人物たちの態度がクールなのもまた良い。このあたりも読者の心を捉えるための微妙なセンスといえる気がする。
 途中でちょっとしたミステリ的な仕掛けもある。が、ある程度丁寧に読んでいれば違和感に気付くはず。その仕掛けを見破ろうが見破るまいが、物語の真相という意味ではその先にあるのであまり関係ないのだが。というか、そのトリックを主題に持ってきてしまったりしたら、この作品は単なる長大で陳腐なミステリとして消費されてしまうところだったかも。

 多少反則めいた部分もあるが、幻想的な「冷たい校舎」の造形と、そのうえで戻ってきた現実とのギャップ、出来事、最終的な落としどころが良かった。 これだけ劇的な経験を登場人物に与えておきながら、べたべたした人間関係から微妙に外した距離感、そのあたりもセンスか。テーマがヘビーである一方で、非常に爽やかな気分で読み終えることが出来た。

 懺悔。この作品が刊行された当時、そのボリュームに圧倒されて手を付けられませんでした。辻村作品自体は読めるところから読んでいるので全く知らないことはないけれど、本書を避けてきた行為が微妙に自分の良心が痛ませてきた。これで一つ荷が下りた、かな。

 現在の辻村深月という作家のまさに「原点」。恐らく作家としてある程度キャリアを重ねてきた現在の辻村深月さんにはこの作品を二度書くことは難しいのではないか。作家となる前の作家だけが持つ瑞々しい何かが、漠然とだけれどもこの作品には含まれているような気がしてならない。


11/07/22
早見裕司「闇長姫」(講談社BOX'11)

 自称・奇談小説家・早見裕司氏による書き下ろし作品。本書がそもそも講談社BOXというどちらかというと若者向けレーベルであり、また代表作に『メイド刑事』(GA文庫)といった作品が並ぶが、早見氏1988年デビュー、SFを中心にしたジュニア小説〜ライトノベルやノベライズを多く手がけており大ベテランといえるキャリアを持つ作家である。

 『月刊 小説と作家』という地味な雑誌の取材で十五年前にデビューしたホラー・ファンタジーの作家・香坂孝行の取材のため国立を訪れた社会人二年目、新人編集者の椎名紫。なにやら不思議な夢を見ているうちに目的地である国立駅に到着したのは良いが、一度来たことのある国立と降り立ったこの駅は何か違うような印象がある。ジャメヴュ? しかもそんな椎名を迎えたのは史上最強の女子高生を名乗るマリカなる少女、インド映画に出てくるような衣装をしている三人の楽隊、そしてミッドナイトブルーの振り袖を着た七、八歳くらいの幼女……。一旦別れたマリカに香坂との待ち合わせ場所で絡まれる。エア食事をするマリカは香坂とも知り合いで、香坂がかつて刊行したファンタジー小説『迷い橋、眠り橋』は、彼女と香坂が実際に体験した(!)物語がベースとなっているのだという。マリカらによると、フィクションを束ねる闇長姫の勢力によって、実は世界は瀕死の危機に陥りつつあるのだという。しかもそれを救える可能性は椎名紫にあるというのだ……。

あっさりしているように思えるながら高い完成度。不思議な余韻を残すファンタジー
 一冊のボリュームとしては決して分厚いものではなく、かつ活字の大きさが極端に小さいということもない。普通の一冊の、むしろ薄いくらいの長編だ。またストーリー自体は実にシンプル。 普通の青年を主人公とするところに、ちょいとセカイ系のあざとさがうっすら透けてみえるものの、物語世界は実は周到。フィクションの世界と現実の世界、その隙間に相当する世界。これらが折り畳まれたり、フィクション世界の侵略開始理由が現実の無秩序批判だったりと、世界が「危機」にあるという理由はしっかり作られている。
 加えて、史上最強の女子高生、夢見師の塔都、万能で使用可能のエア・カード、二十四時間営業で必要な本が必ず存在するという会員制終夜図書館、中央線が直線であることを利用した終終ジェット、そして闇長姫等々、個々に登場するガジェットがユニーク。似たような発想があるような無いような、それでいてこの世界にぴったり嵌まるような存在であるところが面白い。同じ国立でだけど過去の国立と重なっているという設定で、まさにすぐ隣にある異世界冒険譚である。もしかすると裏設定などはかなりしっかり作られているのではないかと想像されるのだが、本編での記述がどこかあっさりもしていて、個々についてはもっと丁寧に詳しく書いて欲しいと思わされる。それもテクニックかもしれないのだけれど。
 あと、ちょっと苦言になるかもだが、主人公幼少時のエピソード、これはこれで良い話であるのに、そこに至る伏線が非常に少ないため、唐突感とまではゆかないものの気持ちよく納得できなく感じられた。ただ「いい話」ではあるのだけれど。

 内容から贅肉を削ぎきった結果、高度なファンタジーとなった作品という印象。挿入されている友風子画伯によるイラストもどちらかというと今風の萌え画ではなく、むしろ児童書風で、それが物語の雰囲気と素晴らしくマッチしている。ファンタジーとここまで言い続けているが、要素を改めて並べて眺めるに都市型の幻想小説としての要素もあるように思われてきた。恐らく読者の好みによって本書自体の評価も大きく分かれるのではないかと想像される。いわゆるラノベとは微妙に違ったクラスタにある作品であり、このような作品が許容されるのが講談社BOXなんだよなあ、と改めて感心する次第。


11/07/21
篠田真由美「原罪の庭」(講談社文庫'03)

 「建築探偵・桜井京介シリーズ」の第一部を締め括る五冊目。シリーズ全体でも重要な節目となる作品であると同時に「物語」としても、「本格ミステリ」としての出来の双方が素晴らしく、篠田真由美氏自身の代表作のひとつとして数えられる作品でもある。元版は1997年、講談社ノベルスにて書き下ろし刊行されている。

 既に亡くなっている資産家・美杜家の当主・美杜晃。一九八六年、その未亡人・みすずとその次女にあたるみちる、みちるの夫の薬師寺静(しずか)、そして静の前妻の連れ子にあたる深堂華乃の四人が密室となった温室内部で凄惨な死体となって発見された。そして温室の内部からは当時七歳の静とみちるの息子・香澄がひとり生き残り、発見された。香澄は死体を宙づりにし、その遺体から内蔵を取り出し、血を温室の床やガラスになすりつけ、自分自身もまた血まみれの状態だった。しかし救出に入った人々の前で彼は笑顔を浮かべたのだという。センセーショナルな事件であったが決め手を欠き、中途半端なかたちで迷宮入りしつつあった。事件以来、香澄は全く口が利けなくなってしまっており叔母にあたる、美杜かおるの元で暮らしている。事件を掘り起こそうと香澄との面談を求めるルポライターの渡部晶江、美杜かおるを保護する実業家・門野、そして門野によってかおると香澄の母子に引き合わされる神代と桜井京介。かおるにすら心を開かなかった香澄はなぜか京介に懐き、京介も香澄の事を蒼と呼び、珍しく親身なって面倒をみてやった。しかし過去の事件の亡霊が彼らの周囲に立ち現れて……。

切なく果敢なく、そして残酷な密室に類無し。豊かな叙情性を併せ持つオールタイムベスト級の本格ミステリ
 どうしてもこの建築探偵・桜井京介シリーズの五作目、『原罪の庭』は第一部完結編として、そして「蒼」の凄絶な過去について触れる物語ということで、リアルタイムの時だけではなく、後の作品の解説でも「これだけは読んどけ」と取り上げられることの多い作品だ。
 確かに薬師寺香澄=蒼の生い立ちが核心の一部を形成しており、蒼について深く触れる場合には絶対に外せない一冊であることは間違いない。が、散々いろいろな場所で言っているのだが、「それだけ」の作品ではないのだ。密室ものの本格ミステリとして、世界でも類を見ないような内容と、物語上の絶妙なバランスの上に成り立った、奇跡的な傑作だと確信している。
 本書の現代の時点から過去に相当する、美杜家で発生した連続殺人事件自体は被害者人数が多いものの、実はそう特筆すべきものではない。たくさん人が殺されること自体にトリックは無く、犯人サイドの中途半端な工夫はもとより役に立っていないことになってしまう。いや、その工夫が役立たないにも関わらず、犯人が盲目的にその工夫をたどった事は遠因になっているのだが。ただ、実際に麻痺した感覚であれば、こういった事態も起きえる訳で、この部分も強烈なレッドヘリングを形成している。(後から思えば)。
 さて。なぜ一人温室に残った香澄が死体を様々なかたちで弄ぶような真似をしたのか。猟奇的趣味、死体悦楽、残虐さへの好奇心といった背徳的な趣味を七歳の子供が持っていたのか。――学校に通っておらず空想に遊ぶことが多かった子供であれば、あるいは? 更になぜ内蔵を取り出したり、血で温室内を塗りたくったりしたうえで笑顔を見せたのか。――やはりまともな神経の持ち主ではないのか、どういった教育、影響、もしくは洗脳でこんな残酷なことをするようになったのか? この「あるいは七歳の子供でもそういうことをするかもしれない」と思わせる展開がミソ。 ルポライター渡部晶恵を物語に配置しておくことで、読者にも一抹の疑いを抱かせる。技巧として凄いのだ、このあたり。
 普通に読めば、理由が判らないまま子供に残虐な行為の衝動があったとしか思えない。虫の脚を引き千切ったり、カエルを爆竹で爆破したりといった行為の延長? いやいや。 「……としか思えない」「……としか考えられない」という状況、これ以上傷つけてはならないという大人の判断、そして蒼に対する腫れ物に触るような対応、読む分には仕方ないことと思える。
 物語上の現代も、不吉な警告があり、傷害事件も発生する。一定のサスペンス色は帯びているのだけれども、それもまた、過去の事件とまとめて京介による真相暴露によって吹き飛んでしまう。
 まあ、真相によって遺体損壊のみならず、微笑みの理由、そしてその後の沈黙の理由に至るまでが反転するように明らかになるのだ。そこまで読んできた物語の、まさに色調が反転する衝撃を味わうことになる。 残酷だと思われていた行為に込められた深い意味、愛情。そしてその愛情が理解されない戸惑いと怖れと深い悲しみ。これまで、当たり前のように蒼に対して大人が取ってきた態度が、いかに残酷なものだったか。全てが反転した瞬間、怒濤となって様々な感情が読者の方に押し寄せてくるのだ。大きなサプライズを味わえるミステリは数多くあるが、サプライズと同時に同じくらい大きな情動、感動が心にしみいってくる作品は、そうそう無い。
 なにしろ、残酷で猟奇なミステリであった筈の物語が、一転して家族愛に満ちた家族小説へと変身するのだ。物語性の豊かさはもちろんのことながら、何よりも本格ミステリの形式を用いることで家族小説としてのインパクトが強烈になっている。

 作者によるあまりに巧みなミスリードの度合い、反転するまで徹底的に隠し通した真情。大事なことなので繰り返す。シリーズ作品の重要な位置を占める作品でありながら、本格ミステリとして、物語として超絶の完成度を誇っているという。個人的には奇跡のような作品だと思っている。この作品を読むために、(完結してしまったけれど)桜井京介シリーズを読み始めても良いと思うくらいだ。
 偏愛が過ぎて感想が今の今まで書けてこなかったのはご愛敬。でもホント、読んで損がないと断言できるミステリであります。