MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/08/10
千澤のり子「シンフォニック・ロスト」(講談社ノベルス'11)

 それまでも探偵小説研究会で別名義で活動をしていた作者は、二階堂黎人氏との合作『ルームシェア』を「宗形キメラ」名義で発表して小説デビュー。単著では『マーダーゲーム』を発表、千澤のり子としてデビューを果たした。その千澤単独名義の二作目が本書。

 北園中学吹奏楽部では引退する三年生から後輩たちへのパートの引き継ぎが行われていた。ホルン担当の二年生・泉正博は憧れていた先輩・工藤麻衣子から引き継ぎを受けるが、演奏や容姿・性格について彼女が自分のことを貶す発言を聞いてしまい深く落ち込む。泉は演奏で工藤を見返そうと、個人で出来る限りの練習に打ち込んでいた。そしてそんな彼のことを慕う後輩一年生女子も現れる。しかし泉の練習成果は実際の演奏技術向上になかなか反映されず、本来、実力を披露するはずの定期演奏会におけるホルンソロパートをOBとなった工藤に譲り渡さざるを得なくなってしまった。傷心の泉は悔しさを隠しつつ学校を飛び出すが、その晩に事故か他殺かわかりにくい状態で工藤が変死しているのが発見される。吹奏楽部にはかねてから部内で男女交際が成立するとその片方が死亡するという噂があった。そして二年生のある男子が工藤先輩と実は交際していたと漏らす。また事件当日にアリバイがなく、ソロを奪われた恨みを疑われた泉もまた警察からはとにかく、部員たちから糾弾されてしまう。さらに続いて吹奏楽部関係者が殺害される事件が……。

幾重にも練り込まれた伏線と堅牢なトリック。多少の綻びも計算のうち、それでも騙し抜かんという気概あり
 結局時間を空けて二度読んだ。それも作者の狙いのうちかな。やっぱりネタバレせずに語るのは非常に難しいので伏せ字多数。申し訳ない。

 もともと作家としてではなく、評論家(もっと前だったっけ?)としての作者はこの方面のトリックに非常にこだわりを持っていることを予備知識として持っていた。なので読み始めて違和感を覚えた瞬間に何か仕掛けられていることを疑った。泉という言葉が、名字でも名前でもどちらでもありだよなあ、ということは刑事さんのヒント以前にすぐに気付いたのだけれど、堅牢にプロットが組まれているせいか、クリティカルにそのトリック自体に気付けず、もやもやとした気持ちのまま結末に至ってしまった。そちらに気を取られていたせいで、二重に仕掛けられている時系列のトリックの方はむしろスルー。そもそも二重に(考えようによっては三重に)トリックが仕掛けられているところは執拗で、むしろ中級者以上狙い打ちという印象すら覚えた。(ミステリ初心者だと、かえってひどく混乱するだけではなかろうか)。
 そして巧いのはその二重トリックそのものだけではなく、トリックを支えるために凝らされた趣向だろう。特に泉正博の音への執念を、気持ちが高揚した時に最高の演奏が出来るというある意味変態じみた性癖に繋げてみたり、目的不明の謎の脅迫を受ける泉が読者には分からないような心当たりがあるような独白を唱えてみたり。彼の行動や言動から、書かれていないことを読者はいろいろ幻視しちゃうのです。「何を隠しているんだこいつ」という感じで。
 加えて他にも名前に関するあれこれ(部長の名前が違ったり、覚えていないとか)や、牛乳パックの日付だとか違和感はいろいろ。また、携帯電話ではなくて家電話を使っていたり、『M』の扱いだとか本文中に年代が出ていないところ等々ありながら、日付と曜日が一致する複数年代を利用しているせいか章題上の矛盾もなく、幾つか疑問点を抱いたとしても、どれもクリティカルなトリック打破に繋がらない。作者自身多少なら見破られても構わないと思っているフシすらある。 つまり何か仕掛けてあることは分かられても構わないけれど、その根本を貫く「何か」だけは最後まで死守できると。で、実際そうだったんですが。

 本格ミステリとして非常に堅牢な作品かと思う。
 一方、応援方々、小説としては気になるところもあって。まず、泉正博が工藤麻衣子先輩からはボロカスにキモ扱いされる一方で、複数の後輩女子からモテているところ。どうやら他の友人たちからも悪意を持たれるような人物ではないようで、当初はこの差異にトリックがあるはずだと必死になっていろいろ考えたのだけれども、単なる好みの違いなのか結局。またこれも個人的な感想だけれども、全ての登場人物が中学生、しかも二年、一年生にしてはちょっと「大人」すぎるところは気になった。一人二人これくらいませた子がいてもいいのだけれど登場する全生徒の自立具合、考え方、恋愛関係等々、誰もが中学生離れしているのは(当時の時代性を考え合わせると余計に)不自然に思えた。この不自然さにもトリックがあるものだと思いこんで凝視しましたよ。最後まで読んではじめて犯人が中学生でなければならない物語上での理由に至ったので、理解はしたけれどすっきりとまでは。

 多少小説的な苦言は呈するものの、それらによって構築されたトリックが根本から覆されるようなものではない。細かいところを気にするよりも、最後まで読んで「ええええ!」と感じるのが吉。 最後になったが青春小説としても(誰に感情移入するかによるにしても)独特のほろ苦さがあって良い感じ。むしろ少年少女の時期を終えてしまったことによる虚しさがより強調されているように思えるところが個人的には好みかも。最初から完成しているよりも、まだまだ発展途上だと信じているので今後もガンバレ。


11/08/09
拓未 司「ボトムレス」(NHK出版'11)

拓未氏は神戸市在住。『禁断のパンダ』で第6回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞してデビュー。以降、基本的に「食」に関連するミステリをはじめ小説全般を発表してきている。本作は「NHK出版WEBマガジン」2009年11月〜2011年7月の連載に加筆修正して単行本化したもの。

 ある街にあるフランス風料理店のほど近くになかなか営業しているところを見かけないという都市伝説めいたレストランがあるという。その名は「ホール」。巷間の噂では「死ぬほど旨い料理」が供されるのだという。たまたまその店に入ることが出来た人間はそう多くない。店の雰囲気は悪く、第六感が働く人ならむしろ店に入るべきではないという勘が働くはず。その直感を振り切って店に入ると、不気味な老ウェイターが現れて、ありきたりのメニューが渡される。そこで客はいう。自分の食べたいのは「死ぬほど旨いという料理」なのだと。しかし老ウェイターはそんな噂は知らないと否定する。しかしこの店には「食べると死ぬかもしれない料理」があるという。客はその料理を当然オーダーする。そしてその料理が出てきた瞬間、食欲の塊となって一心不乱に食べ尽くす――のだが、店を出たあとそこで自分が何を食べたのか覚えていないのだ。そして、食べた者は食に関する感覚が以前と異なっていることに気付く。辛口批評で飲食店を潰してきたグルメ評論家、客の入りが悪いうえ、怪我で自殺を考えている腕の良いシェフ、生来の大食いライター、フードファイター、ロハス趣味の女性。グルメ評論家の助手を務めていた女性と、週刊誌記者がこの店の秘密を追うのだが――。

グルメ・ホラー? 肝心な部分をぼかすことで不気味さ向上、まさに奇妙な「味」
 ボトムレス、すなわち底なし? オムニバス形式とも連作長編ともいえるような、幾つかのエピソードがモザイクのように絡まって構成される長編作品。基本的には、料理店を貶した評価をする可能性をちらつかせることで、暗に金銭的見返りを要求する悪徳かつ毒舌グルメ評論家の死と、その死の謎を追うアシスタントの美人女性というのが、大まかなフレームを形成している。ただ、その評論家のエピソードからねっとりとしていて濃厚なところからいきなり開始される。
 グルメ評論家の彼は取材失敗の腹いせからこの店を探し当て、伝説の「死ぬかもしれない料理」を食す。──、しかしある意味で彼はそこから食欲グリードに取り憑かれ、ひたすらに食事を続けなければ耐えられない身体になってしまうのだ。しかも、かつて馬鹿にして決して口に入れなかったようなB級、C級のファストフードやコンビニ食品に興味を示す──。当然ぶくぶくに太り、その末路はお約束。毒舌が過ぎて対決相手がいなくなるところなど、非常にリアル。その一方、食を扱うマスコミに対する不満といった部分も多少込められているように読めた。
 ではアシスタントがその死を追うのか、というと少し異なりレストラン「ホール」で食事を求める人びとのエピソードが次々描かれるのだ。絶望と共に食した味、フードファイトの過程で出会った味、それぞれ理由は異なるのだが「食べると死ぬかもしれない料理」に至ってゆく事情と過程が描かれる。
 ただ「死ぬ」という結論が素直に首肯できるのは、最初に登場したグルメ評論家のみ。単に食事が沢山という人や、料理ができない絶望から死のうとするシェフなど、どちらかというと普通の人だったり、むしろ良い人だったりが、次々と「死ぬかもしれない料理」に挑戦してゆくのだ。この不条理、そして別に罰せられるほどの食事行為を普段からしている訳ではない(つまりは普通の食生活)人びとが、結果として不幸な目に遭うところ、幽霊であるとか、お化けといった理由がつけられないところが、漠然とホラーを感じさせる。 このレストランが何だったのか、少なくとも本書では結論が出ていない。誰が救われて誰が死を迎えるのか、全く基準が分からない。この不条理の具合が実にホラーテイストを盛り上げてくれる。

 当初はミステリのつもりで読み始めたところSFっぽい設定が連発されたあと、ホラーっぽい展開にて締めくくるという離れ業が炸裂していて少し驚いた。クロスオーバーでジャンルが交差しており、どのような方向性を持った読者であっても読むことが出きる一方、どこかのジャンルで強烈に押せるというタイプの作品ではないところが弱点か。


11/08/08
石崎幸二「第四の男」(講談社ノベルス'11)

 石崎幸二シリーズというのはユリ&ミリアシリーズというのか。最近はお色気担当(他称)の仁美もいい味わいを出してきた、第18回メフィスト賞受賞作『日曜日の沈黙』から続くついにシリーズ八作目となる長編作品。これもまた鯨統一郎さんのタイムスリップシリーズ同様、講談社ノベルスの年末の風物詩として長く続いて欲しいもの。書き下ろし。

 化学メーカーのしがない独身サラリーマン・石崎幸二がミステリィ研究会の特別顧問をしている天下無敵のお嬢様学校・櫻蘭女子学院。大手食品メーカー会長の孫娘・星山玲奈が拉致されかけるという事件が発生、しかし彼女は隙を見て脱出、無事に保護された。ちなみに玲奈の母親は十六年前にある島で殺されており、未だに犯人は特定されていないが、その当時島に来ていた男性が怪しいと考えられていた。石崎の素性もまた、その男性に該当していたが、石崎自身はある方法で自分が犯人ではないことを証明する。そして石崎たちミステリィ研の面々と当事者・玲奈は事件が起きた島を訪れることになる。一方「シーウルフ」を名乗る謎の犯人グループが玲奈を襲ったと主張、警視総監宛にその犯行を声明した。そして彼らは「別の女子高生を誘拐した」という脅迫状をも送りつけてきた。その女子高生が誰なのか、犯人は明かしてこないため警察は人海戦術で確認を図るが、お嬢様学校らしく強大なプライバシーの壁が立ちはだかる。

ま、た、孤、島、と、D、N、A、か、よ。と思わずニヤニヤしちゃう安心の石崎幸二クオリティ。
 定番というか、お約束というか。序盤から中盤にかけてのミリアとユリの毒舌と、サラリーマン石崎のみじめ過ぎる自虐との応酬の、面白さクオリティが高い。 かなりどぎついといえばそうなので、いきなり本書を手に取ると戸惑われる方もいそうなものだが、もう八冊も続いてきているともう恒例/伝統行事であり、この味わいを楽しむのが本書を手に取る理由の半分となっているといっても過言ではないだろう。特に序盤以上に強調されているのは、『僕は友達が少ない』というか『いない』石崎が、更にモテないことも加えられて徹底的にいじられる場面。けれども、石崎にMっ気が強いせいもあって悪気よりもユーモアチックなところが抽出されている印象だ。さらにお色気担当とされてしまった仁美や、新キャラクタが絡んできていても彼女らの絡みについては安定の出来映えを誇る。
 加えてのお約束、無理矢理にでも孤島にミステリィ研が出発・滞在してしまう力業、さらに事件に絡んで斉藤刑事(女性)が島を訪れて、必ず石崎はびんたをかまされます。等々、全部ひっくるめて大いなるマンネリ、万歳! 

(この本編と直接あまり関係ない掛け合いが非常に面白いというのは、西尾維新の超人気の某シリーズ↓とも構成が被るわけで、これはもしかするともしかすると来年にかけて、石崎幸二大ブレイクの予感が!)
 さて。ミステリ部。今回は孤島というほど孤島ではなく住民のいる島ではあるものの、中盤から発生している事件が明らかになってくると過去の密室殺人事件、誰が誘拐されているのかすら分からない現代の誘拐事件などが複雑に絡み合ってくる。加えてこれもいつもの如くDNAが事件解決の鍵を握る。更に終盤に幾つものどんでん返しがあり、特に過去の事件についてはそれはそれで動機などは説明不足、憶測し過ぎな部分はあるにせよ、綺麗なかたちで着地、後味の悪くない結末を迎えている。

 ユーモア部分が魅力であることは間違いないものの、本格ミステリとしてきっちり押さえるべき点を押さえているところがシリーズの魅力である……ってなんて今度は東川篤哉の取説を読んでいるような。ただ、このユーモア部分の魅力がもしかすると特殊な層にしかウケない可能性があるところがちょい微妙かなあ。石崎先生、ガンバレ!

「石崎さんが逮捕されても、真犯人は警察と取引しようとするわよね」
「うん、あの男は我々四天王の中でも最弱、とか脅迫状に書いてくると思う」ユリが答える。
「俺、四天王なの?」

いや、どうでもいいんですが、こういうノリ、もう大好き。


11/08/07
森 博嗣「つぶやきのクリーム The cream of the notes」(講談社'11)

 森博嗣氏が半年ほどのあいだに思いついた「呟き」を、百個集め、それに対する補足文章を二ページつけて約200ページの単行本にした本。ちなみに「呟き」と現在いえばtwitterを指すが森氏自身はtwitterはしていないようだ。

 気に入った呟き。
「土地に縛られているのは個人ではなく、集団である」 土地は人を縛らない。その土地にいる人間の集団が縛るのだ。更に自分自身がその土地に縛り付けられようとする。
「自分のせいで失敗したときより、他人のせいで失敗したときの方が後悔するのは何故」 失敗してすぐに謝る人はおかしい。それは仕事の失敗よりも人間関係を壊さないことを重要視しているからだ。チームワークが目的ではなく、目的は勝つことだろう。
「人生の勝ち負けは、勝率でなく、勝ち数で決まる。いくら負けても良い。」 思わず個人的にはナンパとか想像しちゃいましたが。でも負けてもくじけず、勝つまでチャレンジ出来る人が勝つという真実。だってそこで勝っている訳ですから。
「電子書籍というものが、既に「防戦」であることを出版界は理解しているだろうか。」 電子書籍の便利さから、現在の出版界は目をそらし過ぎ。プラットフォームが出版社からIT企業へ。既存出版社が出来ることは、負けることをどれだけ遅らせられるか、だけ。
「こんなに借金を抱えているのに税金を上げないなんて、正気の沙汰とは思えない」 若者こそが税金上げを今すぐ主張すべきだ。今なら金持ちの老人が払ってくれるが、既に日本が借金まみれの現在、その債務が先送りされると支払うのは今の若者だけになってしまう。→目から鱗の正論。──等々、百の呟きとその解説。

「呟き」という名前の一種の格言集か。興味あるもの首肯できるもの反発するもの、いろいろ。
 森博嗣という作家がデビュー以来、その独特の理系的感性(とひとくくりにできるものではないだろうが)でミステリ界を席巻した時期があったことは事実で、最近になって多少一段落がついているとはいえ、その感性自体が摩滅してしまっている訳ではない。
 大学教授で作家で、昔貧乏だったけれど今は才能を生かして多少裕福でという立場そのものが普通に重ね合わせられる人なんぞ読者の0.1%以下だろうけれど、日本人であること、男性であること、家族がいること、そもそも人間であることといったところは共通している人間も多く、いくつかは「なるほど」と思う呟きが掲載されていた。(でなければ、わざわざこんなところで感想書かないよね)。
 「抽象性の高さ」に気をつけているという。つまりは具体的なことをなるべく取り込まず、抽象性の純度を高めて情報としての時の流れに対する耐性を付けるという感じか。古い小説でも何でも抽象性が高い作品はあまり古びていないし、一方当時大ヒットしていても具体的に過ぎると時間の経過と共に古くさく感じられてしまう。当たり前といえば当たり前。だけどこれが意外と難しい。 全体的にいわゆる「勝った側から」の物言いも多く、人によっては反発するような内容の方が多いかもしれない。また人間は事に当たるに努力して当然、失敗しても落ち込むのではなくすぐに対応策を考えなさいといった、ビジネス啓発書みたいな内容の、ありきたりな呟きも結構多い。ただ、いくつか「うわ」と思う逆転の発想が冴えた内容があるのも事実で、上記したうちの最後の税金上げろという呟きは衝撃的だった。今の年寄りは全て理解したうえで若者に借金を押しつけて逃げきろうとしている訳ですよ。世の中のそういう仕組みを知る機会のない若者には、仕組み自体をごまかして煙に巻いて。ま、これだけじゃないんですが、いろいろ考えさせられるなぁ。

 ただ、内容としては小説ではなく「情報」。ソフトカバーで刊行されているとはいえ、内容は○○新書で出ていた方が似合うもの。更にいうと、Webでどこかのスポンサーサイトから無料で提供されていても良いのではないか――という気も少しする。ただ、対価を払うことでしっかりと内容を読んだので、こういう形でモノになるというのも有りかな。


11/08/06
山口雅也「狩場最悪の航海記」(文藝春秋'11)

 『別冊文藝春秋』2009年9月号〜2011年5月号に連載された長編作品。2001年にロンドンで偶然発見された「ガリバー旅行記」の続篇という設定で、ガリバーの日本上陸をきっかけにした冒険物語を描いている。ノンシリーズ。

 江戸時代。日本の「ザモスキ」を訪れた冒険者・ガリヴァーは将軍・徳川綱吉と謁見することに成功、しかし将軍は天然痘を患って床に臥せっていた。日本は鎖国中ではあったものの、限定的な貿易をしており、多少は海外の知識もある状況で江戸にも外国人通詞がいる。そんななか、ガリヴァーは綱吉の側用人で博学の狩場蟲齋(かりばちゅうさい)と意気を投合、狩場のたっての頼みもあって、将軍のために不老長寿の秘薬・竜仙粉を探す旅への同行に同意する。しかし江戸の内部には様々な陰謀や力関係があり、様々な立場の人間が狩場たちと同行、更に用意されていた軍艦はオンボロのうえに船長以下の乗員は、犯罪者の寄せ集めで全く役に立たない。その航路の途中、彼らの船は女性船長率いる海賊の襲撃を受けて、奮闘むなしく船は乗っ取られてしまうが、更に目的の島近くで大嵐に遭遇、船は転覆寸前まで翻弄されて乗組員は死を覚悟し、船に残るか海に飛び込むかの選択を迫られる――。

ミステリ部分もあるにはあるが、偽書形式で興趣に溢れた、ストレートな架空世界冒険譚
 元もとこの作品はジュヴナイルレーベル「講談社ミステリーランド」への発表が想定されて構想がスタートしたらしい。それが舵を切って一般向け作品に仕立てられた。そういった背景事情を支点に置いて考えると、このどたばたした展開(そして序盤と中盤、そして終盤のトーンの差)も納得がいきやすい。
 序盤というか冒頭部分は本書の中でももっとも濃厚だ。本家の『ガリヴァー旅行記』には第三者によって抹消された部分があるという前提での書簡が綴られる。原典をベースにした設定らしく細かな固有名詞が並び、更にそこかしこに大学教授による註釈がつくなど、非常に「偽書っぽい」。ここは原典『ガリヴァー旅行記』を深く知る人間は楽しいのだろうけれど、小生不勉強で子供向けの巨人国と小人国の話しか知らないため、たぶん良く出来ているのだろう、と雰囲気を味わうのみ。
 ただ、この部分は実は導入ではあるものの本筋とは深く関係していない。奇才・山口雅也という看板に、展開がどう転ぶのか、どうしても疑い深くなってしまうが、あくまで本書は秘境探検冒険小説、それ以上でも以下でもない。
 確かに切腹事件や密室事件なども発生はするものの、むしろ主筋からするとおまけでしかない。あくまで大嵐から地図にも記載がない幻の島に上陸してからの展開が読みどころということになる。ただ、このあたりのベースとなる発想がどうにも古式ゆかしい。漂流した先、迷い込んだ先が恐竜が跋扈する世界でした――という展開は、古今東西いくらでもあるパターンで、日本刀など東西の武器を使用しての戦いにユニークさはあるものの、人間が凶暴な恐竜と戦うという流れもまあ、よくありますな。ただ、台詞として使われる蘊蓄であるとか、細かな発想であるとか、恐竜生態に関する最新の研究成果であるとか、その先に現れる人々であるとか、その隠れ場所であるとか、そこかしこに山口雅也らしい博識と破天荒が同居したオリジナリティある発想があって、読んでいて飽きさせないところが最大の特徴であろう。終盤に至っては急にSF度合いを増してしまってなんというか、あれですわ。某アニメ映画で日本では有名な、ラ○ュータという国(某では表記が少し違うが)は、そもそも『ガリヴァー旅行記』の方がオリジナルであることを見せつけられる、とそんな印象です。

 インタビューなどによると『ガリヴァー旅行記』に登場する日本の港町「ザモスキ」が、アナグラムで観音崎(山口作品にしばしば登場する地名)に近いことから発想が始まったようだが、結果的には別のかたちのエンターテインメントに着地している印象。最終的に謎解きよりも、エンターテインメントに徹した冒険小説、というのが結論。


11/08/05
西尾維新「鬼物語」(講談社BOX'11)

囮物語』に続く、『化物語』第二部、ないしセカンドシーズンの第5弾にして6冊目となる長編作品。書き下ろし。話数表記およびサブタイトルは第忍話「しのぶタイム」となっている。少なくともセカンドシーズンは次の『恋物語』「ひたぎエンド」を最終作となる。

 時系列としては『傾物語』直後から。阿良々木の自宅にリュックサックを忘れた八九寺真宵と共に相変わらずの軽口とセクハラを重ねながら二人で自宅に戻る。家にたどり着き、リュックサックを渡そうとしたところ、いきなりそれが現れた。『くらやみ』としか呼びようのない虚無的な、形容のしようがないような謎の存在だ。暦は本能的な恐怖を感じ、自転車に飛び乗り、真宵と二人乗りにて全力でその『くらやみ』から逃げ出そうとするのだが、逃げ切れず自転車は『くらやみ』に呑まれてしまった。二人は、偶然遭遇した斧乃木余接の「アンリミテッド・ルールブック」にて三人まとめて学習塾跡まで吹き飛ばされて一時的に『くらやみ』を振り切ることに成功した。真宵は気絶、暦と余接が話しをするうちに、なぜか余接は暦にキスして廃墟を後にしてしまい、暦は気を失ったままの真宵にいたずらをしようとしたところで忍が目を覚ました。『くらやみ』について忍に尋ねると、最初は渋っていた彼女を暦はこれまた強引な方法でいうことをきかせた。そこから語られるのは四百年前、忍野忍が伝説の怪異・吸血鬼の王だったキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードだった頃、『くらやみ』が現れた時の話と、孤高の存在を貫いてきた彼女が、暦以前に最初の眷属を作った時の話だった。とはいえその当時も『くらやみ』が現れ、彼女の周囲の人間を次々飲み込んでいったらしいのだが、やはりその正体は不明であった。しかも、語り終えた彼女と暦、そして真宵の前にまたもや『くらやみ』が現れたのだ。

どのヒロインの物語になるのかまた予想は裏切られ、着実に終幕に向けてのカウントダウンが進む
 前の『傾物語』が、「まよいキョンシー」と題され真宵のエピソードがあったものの、実際に物語を動かしていたのが忍と暦だったことと同様、本作も「しのぶタイム」と題され、確かに忍が伝説の吸血鬼だった頃のエピソードがあるものの、実質的に物語を支配しちゃっているのは八九寺真宵だったよというストーリー。
 あくまで基本的には、本作の目玉は本来、これまで漠然としてしか語られてこなかった忍の四百年前、そして最初に作った彼女の眷属の物語。『くらやみ』の登場によってようやく金髪幼女の歴史にスポットがっ!──のはずではあるのだが、そのあたり忍らしいというか、実に適当。『くらやみ』の現象そのものはそれなりに異常性というか怪奇性があるのだけれど、眷属に絡む理由は多少悲劇的な一方、非常にあっさりしている感触。これでは暦の嫉妬はかき立てられまい。むしろオーロラきれいだったという正直な感想の方が印象残ったり。あと、むしろ普通の感性を備えた人間ってこの「化物語」世界では哀しく残念な存在にみえてくるのも特徴です。
 本筋とは無関係ながら、化物語シリーズを構成している特殊なハーレムシステムをメタ的に揶揄(分析?)している箇所があって、興味深かった。一般的に主人公の鈍感のみで成り立たせるケースが多いのだけれどこのシリーズは主人公に序盤に正式な彼女(戦場ヶ原ひたぎ)をあてがいながら、その他の女性たちに仲間、恩人、後輩、妹といった恋人とは微妙にベクトルの異なる「愛」ある立場を与えることで絶妙のバランスを取っている。(セカンドシーズンでは、その関係性のバランスが崩れることでヒロインが退場していくようにもみえる)いずれにせよ作者、非常に計算高い。

 また余接であるとか、男女の別が変わるようにみえる忍野扇であるとか、セカンド特有の登場人物についても、伏線が張られているようにみえ、やはり最終話に向けて全体を整えているようだ。また本作最大の特徴である阿良々木暦一人称によるヒロインたちとのやりとりが、本書もまた冒頭から暴走。一種のワイズクラックの応酬みたいなそのやりとりこそが、実は「化物語シリーズ」魅力の源泉だと思う。セカンドシーズンでもそのボリュームが減らず、むしろ増えていたのは作者の計算か、単なる流れか。いずれにせよ次がラスト。ここまでくるとむしろ先が楽しみというよりも、どこか寂しい気がする。


11/08/04
長沢 樹「消失グラデーション」(角川書店'11)

 長沢氏は新潟県生まれの男性で、本書はそのデビュー作となる第31回横溝正史ミステリ大賞の大賞受賞作品。応募時の題名は『リストカット/グラデーション』だった。

 バスケットボールの強豪校である私立藤野学院高校の男子バスケ部に所属する椎名康(こう)。足首の痛みを理由に部活を途中で抜け出し、学内にある死角スポットで生徒会所属の後輩・藤崎咲羅と密会しているところをクラスメイトの放送部員・樋口真由に邪魔される。藤野学院のクラブ棟を狙うヒカル君と渾名される変質者が出没しているのに対し、樋口は自腹で隠しカメラをそのスポットにセットしていたのだ。一方、椎名は女子バスケットボール部のエース・網川緑に惹かれていた。実は中学の先輩である伊達とかつて椎名は訳ありの事情があったが、それでもその伊達が可愛がっているという網川のことが気になってバスケ部に入部したという経緯があった。その網川はコンビを組んでいた伊達先輩らが引退したあと、強引なスタンドプレイが目立ち仲間たちと対立、孤立していた。さらに康は、偶然彼女がリストカットする現場に行き会わせてしまう。実は自分もかつて自傷癖があったという樋口真由と共に、事を公にしたくない網川を治療できる樋口のかかりつけの医者に連れてゆく。網川は退部を口にするが、彼女をスカウトした教師や学校は翻意させようと説得、逃げ出すようにたまたま康のいた屋上に来た網川は再び落ち着くためのリストカットをしようとする。康は網川は止められないと判断、消毒薬を取りに部室に行き戻ってきたところ、屋上に網川の姿はなく、真下に転落した彼女の姿が。慌てて駆け下りた康だったが、何者かに後ろから襲われ、気を失ってしまう。そして、網川は血痕だけを残して消えてしまった――。

一見ラノベ風の軽い展開のなかで繰り広げられる不可能犯罪状況。しかし衝撃は斜め横から
 「女子高生」「バスケ部」と分かりやすい属性を重なて備えた女生徒たちがこれだけ何人も登場して、小説、つまり文字情報のみでしっかり書き分けが出来ている点がまず(当たり前だが)素晴らしい。その結果、主人公の女たらし・コウ、コウに対してムチと飴を使い分けるプチサディスト・樋口真由、孤高の女子バスケ部エースの網川ら、主役級の人物もしっかりそれぞれのアイデンティティが確立されていて、すいすいと引っかかりなく読める。 その結果、警察の出す結論を間違いだと断定しての、いわゆる「探偵ごっこ」を高校生のみで行っていること自体にそう違和感を覚えないようにされている。
 つまり、その手慣れた筆致と展開がミステリとしても良い効果を生んでいる。実際、本書で使われているトリックについてはいくつかの違和感から、「友人」の方については疑ってはいたのだが、それにしては地の文がおかしいし……と思ってみたら、ここまで周到かつ執念深いものとは!
 手垢がついたというと失礼ながら、それでも過去から「よくある」トリックを用いたうえで、まだまだサプライズを引き起こせることを証明してみせた、というかむしろ、強引にやりこめられた感が強い。
 同様に、主人公を中心としてタイプの異なる美女が集まり、更に過去にも幾人かの美女の存在があり、別に交際する相手ではなくとも美女が友達つきあいしてくれる。ラノベもかくやというような、なんというハーレムシステムを形成しているのだ最初は思わされる。が、こちらのトリックについてはこのハーレムがそのままトリックに繋がっている。 考えようによってはラノベの常識を盲点に使ったということになり、非常にユニーク。そして、まさかその中心にいるのが○○だとは(もちろん周到な伏線も合わさってのことだが)、事前に察知出来なかった──。ちょっと悔しい。
 また、クラブ棟屋上からの女子バスケ部エース消失という点は、追いかけるべき謎として中盤に明快に提示される。その殺害方法は目の前に明らかな手掛かりがありながらシンプルすぎて目につかないというもの。一種プロパビリティ犯罪も入っているから尚更だ。
 その消失の不可能性は良いのだけれど、いくら伏線があるとはいっても、転落後に顔を合わせたヒカル君なるルパン系(盗むのは制服とかだけど)犯罪者の助けを借りるという場面について、いくつものご都合主義が重なっているため個人的には本格ミステリとしての評価を下げている。その後の展開も含め、どうしてもこうしたかったことは分かるのだが、偶然を廃し必然を狙う工夫をもう少し頑張って欲しかったように思う。

 横溝賞の選考委員が大絶賛とのことだが、最後の瑕疵が微妙に気になるので個人的な評価はそこにまでは至らない。ただ、筆力と構成力をもった作家だという点は分かるので今後にも期待。長沢「樹」という作者の名前も、もしかすると本書の主題と重なるのかなーと邪推。別に覆面作家ではないみたいなので、顔写真もネット上にありますが。


11/08/03
初野 晴「ノーマジーン」(ポプラ社'11)

 ポプラ社の『asta※』に2011年1月号から2011年7月号にかけて連載された作品に書き下ろしが加えられ、加筆修正されて長編となったもの。著者は、2002年『水の時計』で第22回横溝正史賞を受賞してデビューしているが、同作品から続くファンタジーをベースにしたミステリという系譜に連なる作品である。

 およそ百年ほどの未来。少子高齢化が進み日本は終末論が囁かれて治安も悪化、テロリズムが発生し、無関係な市民が巻き込まれるという世界になっていた。ある理由から足が悪く車いす生活を余儀なくされている、若い女性である「わたし」ことシズカは、古い一軒家を借りてひとり暮らしをしていた。皮革工芸の天才だった桐島悟の残した革製品を、ただ一人修繕することができるのが「わたし」だった。代理人を通じて仕事を請け負い、複雑な革製品を修繕して対価を得る。その流れのなか、開かない鞄とビスケットを持参してやってきたのが「ノーマジーン」という名の言葉を喋り、解する赤毛の猿だった。五歳程度の知能と非力な身体を持つノーマジーンとシズカは共同生活を開始。もともとの貧乏ぐらしに加え、ノーマジーンの幼児以下の知能と性癖に悩まされつつも、二人は温かな関係を作り始める。

終末が信じられているどこか寂しい未来社会と歪な二人の不思議な関係と──。
 新興宗教が跋扈し、社会保障も破綻しかかっている。燃料や食料の価格が高騰しているらしい。その他、社会に関する裏設定が大量にあるのだろうなあ、という未来社会。しかしその社会とはシズカは縁を切って暮らしている。脚が悪いシズカは仕事も食料も燃料も、代理人を通じて入手しており、彼女たちが住む古い一軒家以外は「世界」がどうなっているのか、ほとんど分からない。丁寧な仕事で作られている世界、だがそれは本書の主題ではない。
 物語のポイントは赤毛の猿、ノーマジーンを中心に二つあり、ひとつはノーマジーンとシズカとの心の交流のあり方、そしてもうひとつは謎の多いノーマジーンの正体ということになる。脚が悪く、収入も限られているがために(金銭的にも、精神的にも)非常に慎ましい暮らしをしていたシズカ。そこに現れた五歳児感覚のノーマジーンは、当然、無自覚なままでわがまま盛り。シズカの庇護欲だけでは現実的には養えない。だけど情が移るうちに何とか良い経験をさせてやりたいという気持ちが徐々に募ってくるところ微笑ましく、同時にどこか哀しい。欠けている者同士の交流ということにどうしてもなってしまうからか。
 終盤にかけて、二人の暮らしに対する闖入者が現れ、ノーマジーンの秘密が明かされ、二人の関係が否応なく変化を迎えてしまう。ある程度整合性はあるのだけれども、個人的にはこのあたりの展開があまりにご都合主義というか不自然さが滲み出ているというか、バタバタしすぎているのが不満。侵入者がたまたま固有の知識を有している不自然、ノーマジーンのやらされたことはとにかく、そこから受けるシズカの衝撃がどこかすんなり受け取れないこと。ただ、一旦亀裂の入りかけた関係が、最終的にどうなるかという部分が、物語の最終的な興味へと繋がっていくので一概に否定するものではないのだけれど。ただ、やっぱりノーマジーン自体の秘密という部分に偶然や無理さが強いところに引っかかりが残るかな。

 ただ、初野晴氏の作品群のひとつの系列である、童話風ファンタジー+ミステリという形式はきっちり有しているので、その系譜がお好きな方であれば満足できるのではないかと。ミステリと標榜しているとはいえ、ちょっとミステリとしてのみ読むには物足りないかも。


11/08/02
真梨幸子「パリ黙示録 1768 娼婦ジャンヌ・テスタル殺人事件」(徳間書店'11)

 『孤虫症』にて第32回メフィスト賞を受賞してデビューした真梨幸子さんの長編作品。ミステリやホラーの手法を使って非常に「嫌な」作品の書き手としてカルトな人気を集めているようだ。本書は歴史的事実をベースとしたフィクションで、真梨さんの新境地となる作品。挿画はあの、さいとうちほ氏によるもの。

 フランス革命の二十一年前、パリには近代化しはじめたばかりの警察組織が存在していた。二十人の警部がそれぞれの担当業務を務めるなか、その一人、マレー警部に与えられた業務はある放蕩癖のある貴族が放埒な行動を取らないかどうかの監視業務と、その揉み消しであった。しかし、復活祭の日、マレーが一瞬目を離した隙にその貴族・マルキ・ド・サド侯爵は市場で見つけた女乞食を家に連れ込んでいた。彼女・ローズ・ケレルはサド侯爵の屋敷内部で特殊性癖に基づいた暴行が加えられ、這々の体で逃げ出したと主張、侯爵に対し恨みのある弁護士一家によって訴訟沙汰になった。一方その日、セーヌ川の河畔から身体の各部が切り取られ、切り刻まれるように惨殺された女性の遺体が発見される。どうやらその遺体は、かつてサド侯爵が初めてのスキャンダルを引き起こした娼婦・ジャンヌ・テスタルのものだった。彼女は五年前は扇工場の女工であったが、その美貌から娼婦を兼業、女衒の手によってサド侯爵のもとに送り込まれたが、あまりの侯爵の暴虐に耐えかね、訴え出て大金をせしめていた。テスタル殺しの残虐な性癖からサド侯爵の犯行ではないかと疑われるが、マレー警部は先入観無しの慎重な捜査を開始した。

中世の大都市パリの汚濁に満ちた世界を丁寧に描き出す。人びとの心も、都市自体も。
 その当時のパリが、都市として現実問題として汚物や死体が散乱する非常に不衛生な街であったこと、また、市民の心もより強い刺激や娯楽を求め、スキャンダルが愛され、自らの欲望のために他人を踏み台にすることを厭わない──というように、これもまた堕落していたということ。
 サド侯爵という名前は、現在もなおSMの「S」の方の語源として知られる人物であるが、歴史上に実在し、関連する文書も残っている。そしてその醜聞の多いキャラクタ(特徴や性格)は、本書で再現されている姿がむしろ近そうだ。ただ、本書の主人公はむしろそのサド侯爵をマークしていたマレー警部。前後して発生するスキャンダル、そして惨殺死体。アリバイ的にサド侯爵はスキャンダルと殺人事件の同時犯行は無理で、なら誰が、というのが本書における中核だ。ミステリとして、その謎に対する回答がある。(が、この真相そのものについては、現代基準でそう感心できるトリックが使われているものではない)。
 謎解きを物語の吸引力としながら、この猥雑で猥褻な「フランス革命前夜のパリ」という都市自体がむしろ主人公として君臨しているように感じられた。残念ながら活字を読みながら悪臭を感じるところまで行かなかったが、オブラートに包まず、汚物については汚物としての表現が並んでいることから、この街の「残念さ」がきっちり伝わって来た印象だ。何があってもおかしくない、汚れきった街。この街だったから、サド侯爵が生きてゆけ、そして蔓延ったインモラルやそのほかもろもろが、後の革命に繋がってゆくという、ガスが溜まった状態というのも物語から感じられた。

 読了したあとに改めて簡単にサド侯爵の生涯などを調べると、主要登場人物であるマレー警部をはじめ、母のモントルイユ夫人やジャンヌ・テスタル、ローズ・ケレルといった娼婦かそれに準ずる女性たちに至るまで実在の人物だったことが、個人的には読了してから最大のサプライズ。この時代がお好きな読者、そして真梨ファンであれば従来とは多少毛色が違うのでやはり本作は読むべき作品だろう。この時代、綺麗の裏には汚いが確実に存在していた、とも。


11/08/01
中島 要「刀圭」(光文社'10)

 2008年、第2回小説宝石新人賞を『素見(ひやかし)』という短編で受賞した中島要さんの単行本デビュー作品。受賞作は別に『ひやかし』という作品集に収録されており、本作が先行して長編として刊行された。

 尊敬する医者であった父親の命により、長崎に医者としての修行に出ていた若き青年医者・井坂圭吾。しかし後妻を娶った父親が、妻に逃げられ不可解な死を遂げたと聞き、志半ばながら江戸に戻ってきた。亡き父親のいう「刀圭」の精神を全うすべく、貧乏長屋に住み着き、針子で彼の世話をしてくれる若い娘・タキと共に医者を開業する。その高邁な思想と、彼同様に人に尽くした父親のことを知る薬種問屋の助けを得て、無償を含む格安で貧乏人たちの面倒をみることになった。世話になっている女性のぐれた息子を救った結果、逆にその女性の自害を誘ってしまったり、薬種問屋の若旦那と徹底的に反りが合わずに問屋と喧嘩別れし、格安の薬が手に入らなくなってしまったりと、人びとは少しずつ圭吾と距離を取り始める。相応の治療費を要求するようになると、貧乏な患者たちも寄りつかなくなるが、圭吾自身は頑なな気持ちから若旦那に頭を下げることも出来ない。状況を見かねたタキがあらゆるコネを手繰って薬が入手できないかを、圭吾に代わって探して回ったところ、意外なところから助けの手が……。

先端を学んだ若医者の青臭さと江戸ならではの人情とが程良く混じった心地良さ
 江戸当時最新の西洋医学も本草学も学び高い理想を掲げるまだ若き医者が、世間の荒波や大衆の心ない部分に触れてやさぐれるも、また様々な人びとの助言を入れて立ち上がるまで。作者の物語で主の舞台と思われる吉原関連のエピソードもあるものの、基本は一人の町医者が中心となっている物語だ。
 江戸の人情、当時の風俗といったところは分かりやすく読みやすいかたちで表現されている一方、良くも悪くも主人公の「頑なさ」が、物語そのものを左右している印象を受ける。保険もなく金もない貧乏な人びとが、金がないという理由で治る病気も治せないまま病気や怪我に苦しむ。救われる可能性のある人間は全て救われなければならないという主人公の感覚はどちらかというと、国民皆保険に護られた現代のそれに近く、金が無ければ医者にも診せられないという庶民の考え方は江戸時代そのものの本質的な感覚であろう。実際問題、貴重な薬を使うことで治療するのであれば、その対価が、その仕組みの維持のために必要な筈で、そのあたりが本書は幾つかのしくじりはあれど義理や人間関係でうまく回るよう設定してある。
 周辺人物も、多少極端ながら自らの意思、生き方に芯を持った魅力のある人物が多い。(主人公の義母の生き方なぞ、かなーり極端である。筋は通るけど、いいのかというか通すのかその筋)。そして、そんな彼らのサポートがあってこそ自分が自分でいられること、最終的には多少周囲を見渡すこと、つまりは世の中の理を理解出来るようになって、むしろその志に近づくことが出来るということ。 主人公がそこに気付くまでの物語と言い換えることも出来そうだ。橋が落ちて大勢が犠牲になる事件であるとか、吉原の現実であるとか、個々のエピソードの用い方もうまく、最後の万人が納得できるラストもまた定番的でありながら、これしか無いだろうということで良しとしたい。

 江戸時代という時代のなかで自分の生き方を模索する青年医師の話……とか書くと間違っていないけれど肩肘が張るか。文章自体は非常にとっつきやすいので、医術を中心に篤い人情が溢れた青春譚として気軽に手にとって頂きたい作品。現在はまだソフトカバー版のみだが、文庫になった方が人口に膾炙しやすそうな印象です。