MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


11/08/12
山田彩人「眼鏡屋は消えた」(東京創元社'11)

 第21回鮎川哲也賞受賞作品。山田彩人氏は1967年東京都生まれ。千葉県在住。都立墨田川高校中退。現在はライター。

 気付くとそこは演劇部の部室。頭を強く打ったようだ。私は森野学園高校二年で演劇部員の藤野千絵……。しかし、駆けつけたはずの友人・竹下実綺の様子がおかしい。「先生」と私を呼ぶし、やけに敬語なのだ。『眼鏡屋は消えた』という練習していた台本の表紙が変わっている、日付を聞くと一日前? どうやら私は生徒ではなく母校の英語教師で記憶障害を起こし、八年分の記憶を喪ってしまっているらしい。
 思ったより綺麗になっている自分にうきうきしつつ、イケメンの彼氏がいないことに落胆しつつ、そしてその生徒の助けを借りながら、記憶障害であることを隠しつつ、千絵は関係者の話を聞いてゆく。ショックなのは、親友だった竹下実綺が既に亡くなっているのだという。自分のPCには「殺された」との文字が。彼氏がいないのはどうやら高校時代に苦手にしていたイケメンの影響が大きいらしく、しかし八方ふさがりで彼に連絡を取ると、そのイケメン・戸川涼介は猫探し専門の探偵となっていた。性格は相変わらず悪く、対価さえ支払えば、千絵の調査を手伝ってくれるという。学校内の時計塔三階から転落して死亡したとみられた実綺だったが、涼介が友人を救うために偽造した遺書によって自殺と判断されたのだという。また、当時時計塔の内部や周囲には生徒らがいて、実綺が建物に侵入できた時間帯は無かった。実綺が当時執筆した『眼鏡屋が消えた』、登場人物のモデルとなった人物も校舎から不可解な転落死を遂げており、実綺の事件との関連も疑われる。過去の二つの事件、そして千絵殴打事件。複雑に絡み合った事件の真相は。

全体に溢れるユーモアと、ぽんぽん進む物語のテンポ、整った論理、平均点の高い作品
 序盤のどんだけお前イケメン好きなんだよ、という軽薄高校教師だった(らしい)藤野千絵の記憶喪失になりながらもあっけらかんと事態に対応しようとする場面。ここでの一人称はいわゆるボケが凄まじく、読者によるツッコミどころ満点で非常にテンポ良く読めた。 のだが、残念ながらギャグというか、主人公が発していた天然ボケっぽい面白さは中盤に向けて少しずつトーンダウン。決して笑いのポイントを取り入れるのを忘れている訳では無かろうが、どちらかというと当たり前の範囲内の笑いに過ぎず、物語が落ち着いていっている印象。
 そういった作品内部での起伏はとにかく、全体として文章は達者で、また物語の展開のテンポ、会話のリズムなども素人離れしていてとにかくすらすらと読めてしまう。
 ミステリ部分。提示される謎自体は決して突飛なものではない。人が死んでいるので日常の謎とはいわないが、超絶怪奇な不可能状況など派手な内容なものとまではいかない。けれど解決に至る論理であるとか、複数の登場人物の考え方の齟齬や思いこみによって複雑化した事件が解きほぐされる展開などは、(多少憶測や決めつけが目立つとはいえ)本格ミステリである鮎川賞らしいものだった。
 面白い面白くないでいえば面白いし、登場人物も立っているし。強いていうと恐らく多くの方が抱くであろう感想、八年前の記憶が関係者全員鮮明過ぎないか? というツッコミが入るくらい。(例え特別な日であろうと2003年に何してたかなんて覚えてないよー)。
 ただ、なんというか。おとなしいミステリという印象がどうしても残る。レベルの高い新人に対する無いものねだりということになるのだろうが、人物にせよ、論理にせよ、ユーモアにせよ、どれも平均以上、だけど抜けて高得点を得られた何かを感じられないままだった。受賞に値する作品ではあるのだけれど、このあとこの作者はどういうふうになっていくんだろう? というわくわく感が残念ながらこの段階では感じられない。むしろ第二作でどうなるか、個人的には興味深いところである。


11/08/11
笠井 潔「吸血鬼と精神分析」(講談社'11)

 新本格ミステリという言葉が登場する以前から続いている笠井潔氏の矢吹駆シリーズ、『熾天使の夏』がシリーズ第ゼロ作という位置付けらしいので、本書は第3回本格ミステリ大賞を受賞した『オイディプス症候群』(2002年)から9年ぶりの第六弾ということになる。ちなみにシリーズ第一作の『バイバイ、エンジェル』は1979年の刊行であり、三十年以上書き継がれていることになる。

 パリのバスティーユ広場近くのあるアパルトマンでルーマニアから亡命した元将校が殺害される事件が発生した。部屋は必要以上に堅牢に出来ており、不意を突いて襲撃されたとは考えにくく、知り合いによる犯行が疑われるなか、被害者はDRACと読める血文字を書き残していた。モガール警視らが捜査にあたるが上層部より内務省に管轄が変更されるという指示が出る。亡命者の部屋にルーマニアから別に亡命した体操選手・タチアナの写真があったことからぎりぎりまで捜査を続けるもタイムアップ。また暫くしてパリでは週末ごとに女性が血を抜かれて殺害されるという「吸血鬼」事件が発生、猟奇連続殺人にマスコミもヒートアップ、捜査するモガールも頭を抱えていた。一方、『オイディプス症候群』の事件があった牛首島から無事フランス・パリの自宅に戻ったナディア・モガール。しかし実際に殺人事件に自分が巻き込まれたことで精神的に深いダメージを負っていた。鏡に映る自分の顔が顔として認識できなくなって鏡恐怖症のような症状に陥り、学生時代からの友人・シモン・ロチルドの紹介でルーマニア出身の有名な精神分析医・ジュリア・ヴェルメイユの治療を受けることになった。診察の後、彼らは同じヴェルメイユの治療を受けているというタチアナと名乗る女性に深夜にサン・ドニにあるディスコに来て欲しいといきなり求められる。

詳細に論証をし丁寧に緻密に解釈を吟味、積み重ねて合理的な解釈のみで真実に至る。小説では普通こんなことしない
 本質直感と現象学を駆使して不可能とも思える状況について推理する矢吹駆。このシリーズでは実在の哲学者・思想家をモデルにした登場人物が登場することでも知られており、本書の場合はラカン、らしい。中盤はそのラカンモデル人物と矢吹駆との問答が繰り広げられている。のだが、そちら方面に疎い小生にはその議論の表面をなぞる以上の感想はもてていない。文系で、ある程度は基礎知識があって、系統立てて思想や哲学について考えられる方には興味深いのだろう、たぶん。ただ残念ながら小生では思想論議そのものが凄いのかどうか評価することはできない。が、延々と続く割りに様々な事例を取り入れるなどして飽きさせない(夢中になる程面白いというものとは異なる)ところなどは、流石だと思う。
 今回の事件についていうと、ダイイングメッセージにせよ、血を抜かれた死体、ないし死体から抜かれた血と二面性があるということで、原初の段階では駆の推理の根源にある本質直感を適用させられない。 それだけではなく死体に残された徴の問題など、見立てとしようとすると齟齬が発生するなど、いわゆる「真相」へ至る道が非常に遠い。 そのこと自体が特徴だともいえる。つまり不十分な状態では合理的な解釈を積み重ねられない。後半の後半になり、関係者それぞれのアリバイや隠れた動機なども明らかにされた段階で、謎解きが加速する。ユニークなのは、探偵小説的な筋道でいうと幾つも犯人と犯行のパターンが存在すること。 疑わしても合理的に解釈がつくのだ。その事象に対し、こうすれば全てのピースが填るはず、いや、それならばこうするのはおかしい、という展開なのだが通常の探偵小説における論理のアクロバット、ミスディレクションにひっかかる迷探偵たちによる議論といった定番の進行方法とは明らかに異なっているのだ。
 思想に関する考察もひっくるめて、最終的にはいわゆる作者=神様による事実の肯定=作品内の真実の保証を受けないかたちで、純粋に小説内に提示された事実と論理のみで絶対の犯人を限定してゆく終盤の展開が本書最大の読みどころになっていると思う。経験による推理は、証言が変わればひっくり返る。しかしここで駆は、そういった要素も丁寧に排除してゆく。細かな事実を積み重ねて、そこに合理的解釈ばかりで進めてゆくと、堅牢な犯罪構成が見えてくるのだ。
 本作では事件の動機部分、なぜこんなことを? といったところにも欧州の宗教レベルでの考え方、物語当時の東欧の恐怖政治を背景にした人間真理といったところまで関係しているなど、とにかく深みある部分・エピソードが多数。 あらゆる可能性を打ち消すためにあらゆる可能性を検討しているからか。

 ボリューム満点ということもあって、普通の長編に較べると扱われる事件の数が多い(笠井長編にはその傾向がいずれにせよ多いのだけれど)。最終的にはシンプルに感じられるようになる。また、単純にトリックだけを眺めると組み合わせてはあるとはいえ、驚天動地の見たことないというものではない。むしろ犯罪が解き明かされる課程を、従来探偵小説の成り立ちとは異なるかたちで構築したことに意義がある作品かと思う。
 ここまですること自体また本格ミステリの新しい形態なのだろうけれども、エンタメとしてはどうよ?、と思うところもある。本格ミステリの熱心なファン、哲学・思想好き、矢吹シリーズファンといった笠井ミステリのコア層はもちろん必読でしょうが、ライト層にいきなり読ませる本ではないですね。ニコライ・イリイチの登場の仕方がえげつなかったり、悲劇であるのにどこか温かい気持ちになれたり、不思議な作品でもあります。