MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/01/10
綾辻行人「奇面館の殺人」(講談社ノベルス'12)

 新本格ミステリというムーヴメントの先陣を切ったとされる『十角館の殺人』から二十余年、全十作と宣言されている綾辻氏の「館シリーズ」の九作目となる作品が、前作『びっくり館の殺人』以来五年ぶりに刊行された。昔と変わらず講談社ノベルスへの書き下ろしというのも嬉しい。

 過去に建築家・中村青司が関わった様々な館で奇妙な事件に遭遇してきた推理小説作家・鹿谷門美。一年前に知り合ったばかりの怪奇幻想小説作家・日向京介より、鹿谷と年格好と見た目がそっくり、更に生年月日まで同じだという縁で連絡があり、お願いごとがあるのだという。内容は、東京都下ながら辺鄙な地域にある資産家の屋敷に、ある理由から招待されている彼の代わりに鹿谷が滞在し、報酬の二百万円を受け取ってきて欲しいというもの。断るつもりでいた鹿谷だったが、その屋敷の設計者が中村青司であり、館が『奇面館』と呼ばれていることを知ってしまい、逆に引き寄せられるように現地へと向かうことになった。館の主人の名は影山逸史という資産家で、その館の初代当主の透一が趣味で蒐集した世界各国の仮面のコレクションが館に飾られているのだという。「会」と呼ばれる催しが行われるのは今回で三回目で、日向は初参加であったが他の参加者の一部は過去にも経験があるようだ。そして奇妙なのは当主自身が仮面を被っていることに加え、会の参加者も当主と出会う可能性のあるタイミングでは必ず仮面を被ることが要求されていた。

館シリーズを構成する多くの核心が満たされる展開。ひたすらに懐かしさがこみ上げる
 館もの新本格ミステリの「元祖」として君臨してきた綾辻行人氏。 シリーズもここまで進んできた以上、単体のミステリ作品としての評価以上に、その館シリーズの一部として読まれることも仕方ないだろう。作者も当然その点は意識しているのか、近年になって発表された数作以上に”初期の館シリーズ”の持つ、独特の雰囲気(作品世界だけでなく、ミステリとしても、展開から受ける印象も全て)に近しいものを再現しようとしているように感じられた。そして、その初期作であっても、後期にさしかかってからの作品であっても、シリーズに共通して重要なのは、館を通じて、事件を通じて登場人物(主に館の持ち主)が発露する、特殊な狂気。 読了したあとにこの狂気が物語からふわっと浮かび上がり、「館」を自ら建設し──中村青司にその狂気を具現化してもらうような──、館の主の姿が物語を読み終えてなお印象に強く残る――という点。その狂気はダイレクトに表現されていてもつまらない。館に足を一歩踏み入れた瞬間からじわじわっと作中人物や読者に伝わってきて、最終的にぐわっと明らかになるのが良い。そして、本作も仮面を被った館の主人、仮面を被らされて外せない関係者といったところから、狂気が少しずつ漏れてきているような表現技法が何とも心地よい(慣れているので)のだ。
 一方、名探偵役として振る舞うことが要求される鹿谷門美の一人称、更には圧倒的に部外者ということもあって、本能的な物語展開予想も含め、視点人物本人に危害が及ぶ可能性が低い展開だ。あくまで「追う側」として物語の外側に探偵役がある印象なのだ。いわゆるサスペンスがあまり醸成されておらず、事件そのものが、鹿谷の視点から客観的に眺められる構造になっている。この距離感はサスペンスに偏らない、新本格ミステリの原点への近づきとも受け取れる。(たぶん考えすぎだけれども)。
 館の当主の抱える秘密、そして闇、招かれた側の混乱、館に仕掛けられた秘密の仕掛け……、ここに館そのもののコンセプトが加えられる。また、トリックにしても錯覚あり、首の無い死体、仮面が何故かぶせられたのか等々、仮面の館という館そのものの存在理由と錯覚させるかたちでユニークな理由が隠されていると感じた。こういった物語として、設定として、そしてミステリとしての一連の「巧さ」は、新本格初期に館シリーズを読むたびに感激していた当時の気分を彷彿させてくれる。 懐かしくあり、それでいて決して古いトリックを使い回している訳では無い。結局のところ、読み終わって全体を俯瞰してみれば、本格ミステリとして不思議な「懐かしさ」がこみ上げてくる。決してトリックにせよ設定にせよ古いネタが繰り返し使われている訳でない。なのに不思議と親しみが感じられるのは、やはり館シリーズというものの親和性がなせるものなのかな。

 登場人物の造形の仕方にも味があるし、(格闘技可能なメイドアルバイトなんて、初期作ではなかなか出てこれなかったのではないだろうか)、館も見取り図を眺めているだけでどこか楽しくなるもの。館が好きなら踊らにゃそんそん。ミステリファンを名乗るのであれば、とりあえず読んでおけ。


12/01/09
折原 一「帝王、死すべし」(講談社'11)

 折原一氏による長編作品。ノンシリーズ、書き下ろし。

 息子の精神状態を危惧した父親が、こっそりと息子・輝久の部屋に入りこむ。息子は彼に対して心を開かない。そのことを気に病んだ父親は、部屋で一冊のノートを発見する。表面には『てるくはのる』という謎の文字列が。そしてその内容はいじめられている自分と復讐を望む彼の言葉が赤裸々に綴られていた。どうやら息子は「帝王」なる車椅子に載った不思議な人物に虐げられているらしい。輝久の身体、学生服を着ている限りは外から見えない場所にはひどい怪我がいくつもあり、「帝王」とその部下は輝久の怪我を確認して監視する──。父親は、息子に対し日記を見たとは明かさないまま、いろいろと詮索を行い、学校の担任に対し日記の件を相談した。が、学内でイジメは無いとその若い教師は断言している。
 ある出版社に中堅ノンフィクション作家・真島による持ち込み原稿が届いた。話半分に聞いてやるつもりで編集の私は話を聞くことにする。彼は現実にあった『てるくはのる』事件を題材にした本を書きたいのだという。しかし、現実にも『てるくはのる』と呼ばれる人物による事件が発生──。

一瞬、社会派系ノンフィクションに近いフィクションではないかと……、全然違う! 折原節炸裂!
 発端は、自身に対する「イジメ」を描写する少年の日記。題名につけられた『てるくはのる』という文字の響きが示すように、赤裸々であると同時にそこはかとない狂気、反撃・復讐の香りが感じられるところが一つポイントになっているといえるだろう。そしてその手記自体が生々しい。まあ、作家であるのでこれくらいの「嘘」は軽く吐くことができるといってしまえばそれまでなのだが、痛みが読者に伝わってくる、というと判るだろうか。読んでいてどこか辛さを感じさせられるのだ。
 物語はその日記をベースに動き出す。過去にあった児童襲撃事件、日記のことを表沙汰に出来ない父親がイジメがあるのではないかと執拗に担任に迫る行動。なぜ母親は父親ではなく別の人物とコンタクトを取るのか。帝王は実在するのか、現実に発生する暴力事件の意味、そして──。その日記そのものや、日記を巡って引き起こされる人間関係等々、発生している事実に違和感を覚えさせながらスルーさせる、この絶妙な嘘つき加減が良い。誰のコメントが、誰の行動が正義なのか、悪なのか。読めば読むほど判らなくなり、迷宮に入りこんでしまったかのような不安感が高まってゆく。叙述の不安定さからサスペンス感覚を引っ張り出してくるテクニックは、相変わらず一級品だと感じさせられた。
 そしてこのテキスト。読むと普通に読めるのに、誰が書いたのか、誰を指しているのかといった肝心なところを微妙にぼかしたりミスリードしたりと、技巧の塊のような文章になっている。はっきりいえば折原一らしい誤認テクニックだといえるのだろうけれども、折原一らしさは、そのテクニックのみならず、この後味真っ黒の物語性にもあるように思えた。最終的に「読者を騙す」という行為と同時に、強烈な作中人物の悪意が噴出する仕掛けに唖然とさせられる。 最終的な部分、救いというのか絶望というか。この結末はどちらにせよキツイ……。

 ネタバレの可能性があるのであまり詳しく内容に触れられないのだけれど、登場人物として名前が挙げられている関係者が少ないなかでよくぞここまで引っかき回して、そしてサプライズに繋げてくれるものだと改めて感心させられる。そして嫌ぁ〜な雰囲気をまとったサスペンス性もさすが。読んで爽快感を得たり気持ち良くなれる作品ではないですが、間違いなく超絶技巧に舌を巻く、そういったタイプの物語です。


12/01/08
島田荘司「ゴーグル男の怪」(新潮社'11)

 もとはテレビ放映用。NHK総合テレビで2011年8月5日に放映された「探偵Xからの挑戦状! 夏休みスペシャル『ゴーグル男の怪』」として書き下ろされた作品に大幅加筆のうえ単行本として刊行されている。小生には珍しく放映をチェックしていたが、なかなか良い出来だったように思う。

 都下の福来市の外れ、濃い霧の出たある晩のこと、パトロール中の巡査の前を不審な男が駆け抜けて行った。男はなぜかスキー用のゴーグルを掛けており、その目が真っ赤に血走っているように見えた。直後、近辺の通称煙草屋横丁と呼ばれる一角にある鉢呂屋で店番の老婆が殺害されているところが発見された。そのタンスの周辺には煙草が散乱しており、凶器は現場にあったと思しき置き時計。そして現場に遺されていた現金のうち、一枚の五千円札が黄色蛍光ペンでマーキングがなされていた。そういった五千円札は同様にその周辺の煙草屋でも発見されたが、受け取ったお婆さんはその時のことをはっきり覚えていないようなのだ。また鉢呂屋はタンス預金を相当隠し持っていたと思われたことが判明、そのゴーグル男が煙草屋にいたことも判っており、手配はされるもののその行方は知れない。一方、この福来市には原子力関連の燃料を扱う企業があり、住民には知らされていないものの放射能の危険に実は常に曝されていた。そしてその杜撰な管理が大きな事件を引き起こしてしまう──。

島田荘司氏が「本格ミステリ」を「社会派」「本格ミステリー」に変化させてゆく手管をチラ見
 探偵Xとして放送されたのは、あくまでゴーグル男の事件。煙草屋を襲ったと思しき男はなぜゴーグルを掛けていたのか。そしてその内側が赤く血塗られているように見えたのはなぜか。もちろん、本書においても「謎」として提示されている事柄になる。この部分については問題編と解答編の分かれたテレビ番組においても同様に「謎」となっていた部分。つまりは、提示された手がかりからある程度論理的に解答が導かれる部分ということになる。活字以上に映像でみるゴーグル男の不気味さと、手がかりになるあるものの色(コントラストの鮮やかさ)であるとか、映像でミステリを創ることを意識していたであろうことも窺える。活字のみの時以上に、色や影の濃淡といった視覚的部分にも気を遣って製作されていた印象を受けた。犯人役の残念さは活字の方で倍加されているところも特徴のように思う。こういった動機の根深さのようなところは映像で深く突っ込むのは不向きということだからか。
 一方、活字として刊行されるにあたり、明らかに加筆されたのは原子力に関する事柄だ。3・11の特に原発施設に関する問題提起は島田荘司氏はtwitter等でも行っているが、その延長にあると感じられた。これほど危険な存在を日本人は扱い続けても良いものかどうか。(これは結論が出ている気もするが) 特に高度放射線を被爆した人間の、人間が人間でなくなってゆくような死に様はフィクションだからこそ余計に心に響く。恐らくはその「死」を赤裸々に、残酷に描くことで一定の感情を読者の心に引き起こそうという意図があるものだと思うし、それは成功している。ただ、ある人物の幼少期のトラウマあたりは、正直ちょっとやり過ぎ感を受けたが。

 その映像版+原子力トラブル(社会派)+過去からのしがらみ(島田ミステリー)という図式で構成されていることが本書ではよく判る。つまりは一般的な「ミステリ」が「島田流本格ミステリー」へと変貌した使用前、使用後のような印象。ただ、さすがに原子力の部分とゴーグル男の絡みがかなり窮屈になっている。が、それも力業でねじ伏せているところが島田御大ならでは。


12/01/07
乾 ルカ「ばくりや」(文藝春秋'11)

 奇妙な味の小説を多く発表する乾ルカさんの短編集。『オール讀物』誌に2009年9月号から2011年4月号にかけて不定期に連載された「ばくりや」シリーズの短編に加え、書き下ろしの「狙いどおりには」が収録されている。

 自分の持つ特殊能力を種類は選べないが他人の特殊能力と交換してくれるという不思議な店「ばくりや」。奇妙なかたちで広告されているそこに連絡を取る人物は、自分の能力に倦み疲れ果てた人びとだった。女性に異常にもてまくる能力ゆえに生活が破壊されつつあった三波。彼の場合は『逃げて、逃げた先に』
 自宅から離れれば離れるほど異常な悪天候に見舞われるという永井。交通機関すら止まる程の嵐が起きる修学旅行をはじめ、他人への迷惑からもう諦めていた。しかし「ばくりや」を尋ねた結果……。 『雨が落ちてくる』
 就職する会社、自治体も含め次々と倒産してしまうという謎の能力を持つ藍川。彼は動物に異常に好かれる能力を手に入れ、動物園に飼育係としての就職も決まった。 『みんな、あいつのせい』
 剛速球を投げる能力はあったがノーコンのため戦力外通告を受けたプロ野球選手の吉良。同居の恋人にDVを振るう。恋人のあかりは元芸能人だったが現在はキャンペーンガールくらいしか仕事がない。 『狙いどおりには』
 とにかく涙腺が緩く社会人になった今もちょっとしたミスで号泣してしまう石倉。ダメ社員だった彼は「ばくりや」に行って能力交換をした結果、驚くほどに仕事の出来る人間となった。そして何かを喪っていた。 『さよなら、ギューション』
 三浦のぞみは普通のOLだが、これまでの人生、とにかく間が悪い。会社では社内恋愛カップルの逢い引き現場に出くわし、子供の頃は不注意な怪我で家族旅行をフイにした。そんな彼女が「ばくりや」を訪ねてみたら、休業日にぶちあたってしまった。 『ついてなくもない』
 入場○人目といった記念をはじめ、とにかくキリ番に縁がある柏原。意に沿わない女性と交際して別れ話をしようとしていたら、動物園の記念入場者として報道されてしまい、それどころではなくなってしまう。 『きりの良いところで』 以上七編。

設定の意外性と奇妙な説得性から物語が膨らみまくり。センスに脱帽
 取り替えっこ、ですよ。単純にいえば。物々交換ならぬ能力交換。人が羨むような、もしくはどうでもいいような様々な能力がその交換の対象。雨男であるとか、大食いだとか、動物に愛されるだとか、そういったちょっとした、だけど本人としてはいろいろな思いのこもった何かを「入れ替える」ことによって発生する悲喜こもごも。乾ルカさんらしい、SFともファンタジーともつかない不思議小説的な展開であるのだけれども、その発想がいちいちユニークゆえに、先読みを許さない物語になっていて一話一話一気に読ませてくれる。
 その特殊能力の設定がまずユニークであり「あるある」とは思うけれども思いつくのは容易ではないタイプの何か。雨男にしたって単純に出かけると雨というレベルではなく、地元から離れれば離れるほど凄まじい荒天になってしまうなど一工夫してあるところが面白い。一見、素晴らしいとしか思えない能力なのに、当人にとっては困ったものであるところの描写にも工夫がある。普通に女性にもてる能力のある男とかいうと羨ましいはずなのに、この作品に出てくる男は全然羨ましくないのです、いや、本当、マジで。
 何が交換されるか判らない展開、判ってからもどう転ぶか判らないという不安感。時にシュール、時に爽快、短編ごとの変化の付け方が絶妙に巧く、大まかな意味でのパターンは決まっているのだけれども、最終話に至るまでそこからのこれまたうまく加減をつけての「オチ」への物語運びもなんかうまく決まっている。ある意味、落語の三題噺に近い、無関係なエピソードが繋がることで意外な展開を生み出すという物語作りなのだけれど、ここからもたらされる驚きは、ミステリのそれにも近い。ある程度の伏線と整合性がきっちり図られているからか。

 発想そのものが特別にユニークだということではない。それこそ『わらしべ長者』みたいなものだし。ただ、それでいてこれだけ様々な物語展開と紡げるところはやはり才能だろう。なんといっても「読者に簡単には先を読ませない」という、破格の物語作りに引きつけられて止まない。


12/01/06
柳 広司「ロマンス」(文藝春秋'11)

 『別冊文藝春秋』二〇一〇年七月号から二〇一一年三月号にかけて連載された長編作品を単行本化したもの。昭和初期を舞台にしているものの基本的にノンシリーズ作品。

 昭和八年、青年家族である麻倉清彬子爵は、学生時代からの友人・多岐川嘉人伯爵の身元引受人として上野にあるカフェー〈聚楽〉を訪れた。嘉人が予約していた部屋に入ったところ、見知らぬ人物が背中を刺されて死んでいたのだという。嘉人の身分を知らぬ警察が彼を拘束していたのだが、清彬はでたらめな推理で警察を煙に巻いて二人して帰宅した。パリで生まれ、十歳まで外国で暮らしていた清彬には四分の一ロシア人の血が流れている。そのせいで嘉人の妹・多岐川万里子に結婚を申し込もうとした寸前、父親の多岐川伯爵から断られていた。華族社会は何かと閉塞感が漂っており、時代との齟齬を若い二人は感じ取っていた。「陛下のため」を免罪符に過激な行動を取ろうとする面々。清彬の面倒をよくみてくれる周防老人は陛下とも親しいが、なにやら陛下周辺でもきなくさい動きがあり、清彬には特高刑事も接触してくる。そんななか、共産主義者との繋がりから万里子が警察に拘束される事態が発生した。しかも黙秘を貫き、警察も持て余しているという。

丁寧に描写された時代背景から導き出される、立場ごとの思想と行動がミステリとなる
 戦前ある時期の貴族階級の若者たちを主題に描いた、特殊環境下で成立するミステリ。柳広司氏はこれまでも日本史のうえでの特異点のような時期などに焦点を絞って『ジョーカー・ゲーム』など、傑作ミステリを生み出してきているが、太平洋戦争を描いたそれらよりも更に以前の日本が舞台となっている。ただ、冒頭からカフェーで謎の人物が何者かによって殺害されている──、という場面から始まるれっきとしたミステリであるのだが、この殺人事件はむしろ登場人物の行動をかき乱す要素としての機能が大きく、いわゆる謎解きの要素は多少薄め。
 貴族として生まれ、天皇陛下と繋がりある人物とも親しく、外国語も銃器の扱いも堪能、冷静沈着にして頭の回転が早く、外国人の血も入っているがゆえの見た目の良さも兼ね備えた麻倉清彬。現代に持ってきたならばスーパーサラブレッドとして遇されたであろう彼が、この昭和初期の時代であるがゆえにぶつかった挫折とは。 そしてその彼と成就しない恋にあるとみられた親友・嘉人の妹・万里子の謎の行動の意味。日本を舞台に時代がかった、そして悲劇的なラブ・ロマンスが描かれる──というのは、本書の表層。このロマンスの背景にあったどす黒い、時代そのものが発する悪臭や歪み。ロマンスを通じて浮かび上がる、当時の日本が抱えていた不条理がその第二層に位置して、物語をコントロールしている。 ただ。ややこしいのは男女の表層的ロマンス、時代の歪みといった状況を、更に混ぜ合わせながら掘り進んだところにたち現れる人間の本質のようなところまで、深読みすれば読めてしまうというのが本書の特質なのだ。
 もちろん、ミステリとして捉えた時ならば、冒頭の殺人事件犯人の意外性(と同時に得心と)がある作品でもある。が、あくまでそれもまた物語における添え物にみえるというのが正直なところ。本心が表に出せない時代に秘められた思いが、題名にあるロマンスを形作っているという印象だ。

 一連の『ジョーカー・ゲーム』のシリーズで発せられていたようなぴりぴりとした、そして殺伐とした雰囲気とは少し違う。だけど、やはり現代を舞台にした作品では表現できないような、退廃と背徳、そして時代のうねりといったフィクションでしか出せない様々な味わいが込められている。単純なモノサシでは評価できない深みある作品である。


12/01/05
石持浅海「彼女が追ってくる」(祥伝社NON NOVEL'11)

 全て祥伝社NON NOVELにて刊行の『扉は閉ざされたまま』『君の望む死に方』に登場した碓氷優佳が登場する倒叙本格ミステリシリーズの三冊目。書き下ろし。

 横浜レアメタルという会社に勤務していたが、あることをきっかけに独立して自ら貿易会社を立ち上げた若き女性経営者・中条夏子。会社が軌道に乗ってきた今年、以前の雇い主らが親睦会として毎年恒例行事にしている「箱根会」というイベントに誘われた。かつての同僚で、現在はネットショップで社長をしている黒羽姫乃も参加すると聞き、自分の海外出張予定を曲げて参加を決めた。姫乃と夏子はかつて一人の男性を愛し、そして夏子はその男性の死に姫乃が関係していると考え、彼女に対して静かな殺意を抱いていたのだ。三つの会社の社長とその妻や後継者候補、さらに夏子と姫乃、横浜レアメタル従業員の比呂美とその友人で火山学者だという碓井優佳らによって、別荘地でのささやかなイベントが開始された。宴会が終了し、各自ロッジに引き返した後、計画通り夏子は姫乃のロッジで酒盛りをしている途中、姫乃の真意を確かめつつ、隙を見て彼女をアイスピックで刺し殺してしまう。証拠を隠滅し、自室に戻ろうとした夏子はいくつかのアクシデントに見舞われながらやり過ごし、翌朝を迎える。朝食に起きてこないということで姫乃の遺体は発見されたが、夏子にも心当たりのない、別の参加者のカフスボタンが手の中に握り込まれていた……。

短めとはいえ、犯人の、そして読者のぴりぴりした緊張感が詰まって漏れ出してくるような傑作倒叙ミステリ
 いや、さりげないけれどこれは凄い。これまでの二作にしても緊張感は高かったが、本書でもまた、倒叙ミステリ特有の緊張感が「前半」を覆っている。ただ、このシリーズ、いわゆる犯人が周到な計画をもとに事件を引き起こして、後に探偵がその小さなミスを見抜いて真相を言い当てる、という過去からある普通の倒叙ミステリとはちょいと違う。石持氏は必ず小さな、だけど良く曲がる変化球をこの倒叙に仕込んでいる。
 本書の場合は、被害者が死ぬ間際に取った「ある行動」の意味が、犯人には分からず、犯人まで含む集団が謎解きをする羽目に陥ってしまうところがポイント。つまり、倒叙ミステリだったはずがWhy done it? に変化しているのだ。それが犯人であり、生き残って勝利したはずの夏子にとっての恐怖。被害者の姫乃が仕掛けてきた「何か」がさっぱり分からないという題名通り、夏子が生き残ったにもかかわらず『彼女が追ってくる』という雰囲気になっている。死者が生者を追い詰めてゆくような不思議な錯覚が、サスペンス感を盛り上げてくるのだ。
 また、これまでもそうだったが碓氷優佳という探偵役の極端なクールさが、より強調されている。 殺人事件に巻き込まれすぎたのか、「自分に直接に不利益になるのでなければどうでもいい」に近い感覚でかなり初期段階で真実に近いところに到達している。のだが、別に社会正義を無理に実行するつもりがないという態度がユニーク。本作でも自分の友人とある人物との交際を進めるために犯人を排除するかのような行動が、めちゃくちゃですけれど素敵です。さらに最終的な展開についても、ある程度予想していながら「自分の目の前でないなら、ま、いっかー」という態度がたまりません。

 読んでいるあいだはそう気にならなかった、碓氷優佳という探偵役の特殊性が醸し出すサスペンスが、本格の凝縮されたロジック以上に本書の読みどころなのではないか、という印象を後から。そもそも、石持氏の場合、特異な動機というのはひとつ作品群における特徴として挙げられるものなので。
 最後に。作中でお土産にされている焼酎「三岳」はまじ美味しいです。


12/01/04
はやみねかおる「名探偵VS.怪人幻影師 ─名探偵夢水清志郎の事件簿1─」(講談社青い鳥文庫'11)

 『卒業〜開かずの教室を開けるとき〜』にて完結をみたはずの「名探偵夢水清志郎」シリーズ、セカンドシーズンが開幕。亜依、真衣、美衣の三姉妹とは訣別(?)して、新しい助手を得て本人以外は全てを一新してのスタートとなっている。

 小学校六年生の宮里伊緒(いお)。学校ではお嬢様として猫を被っているが、家では探偵小説を愛読し、探偵を目指す活発な女の子だ。小学校二年生の妹・美緒と共に魅力的な謎を解き明かすことを生き甲斐にしている。そんな彼女の耳に「怪人幻影師」の噂が入ってくる。大鎌を持ち白い仮面を付けた不気味な怪人、子供を誘拐して剥製にしているのだという。家を飛び出した伊緒は怪しい紙芝居屋を発見、その行動に不審点を感じた伊緒は、男のアジトを突き止めておいた。そして深夜に家を抜け出した伊緒は、その人物・名探偵だという夢水清志郎と出会う。食べ物に意地汚い教授こと夢水のもとに依頼人が訪れた。五十年前の町並みを完全に再現したテーマパーク「レトロシティ」を作り上げた老人兵藤秀隆と秘書の田宮だった。兵藤は、レトロシティにあえて闇を取り戻すために「幻影師」の種を植え付け、その人物が遂に「幻影師」になったのだという。夢水への依頼は、その幻影師との対決──だった。夢水は引き受け、伊緒と美緒、その祖父で武道家の武伊らとレトロシティへと向かった。

夢水2ndは、本格ミステリ名探偵という存在から、「赤い夢」と対決する正義の味方への変転か。
 『卒業』で完璧に終了した──はずの夢水清志郎が復活。まさかまさか、という気持ちが先走ったが読んでみると、これもあり、という風に感覚も変化する。三姉妹とコンビを組んでから出版期間として十数年、そのあいだに子供たちは幾世代も入れ替わり、小学生が大学生、社会人へと巣立ってゆく。その結果、新たな物語を紡ぐために探偵を同じくしたとしても新たな切り口が登場する、というのも「あり」だ。携帯電話、インターネット。そういった情報機器を当たり前に使いこなす現代っ子と対応する、新しい(でもいつも通りの)夢水清志郎。 2010年代の夢水が新たに赤い夢に切り込んでゆくというアプローチなのだ。
 今回舞台になるのはレトロシティ。おそらくは「ALWAYS 三丁目の夕日」のイメージになるだろうか。レトロな町並みだけではなく、その町並みの内部で実際に暮らす人びともセットで募集して、実際に独立した「街」として存在しているという設定だ。大金持ちが自分の夢のために作った、といったお約束もジュヴナイルとしてはもちろんOKだし、現代のお金を両替しないと現地で使用出来ないだとか、携帯電話持ち込み禁止とか、細かな設定もよく出来ていると思う。この細かなディティールがしっかりしていることが意外と重要。(特に子供たちが目にする作品だから余計に)。
 ただ、さすがはやみねさんだと唸るのは、「怪人幻影師」をいう存在を引き立てるために、むしろこの「街」が必要になっているという逆転の発想か。怪人はもはや平成の世の中に跋扈することは出来ない。時代も遡らせることはテーマ上できない、ならば、怪人のための街を創ってしまおう。そういった大胆な発想がこの作品の裏側にあるように思えた。当初設定した怪人が役不足扱いされ退場、かわりに意外なところから真の怪人が現れ、宣戦布告していく。設定こそ現代風であっても、展開がストレート。これも良い点ですね。

 ミステリとしては、一応ギリ本格の範疇になろうけれど、本書のメインはあくまで「赤い夢」。現代社会ではなかなか味わえない闇の怖さが、より強調されているように感じられる。あと、夢水清志郎氏のダメ人間っぷりについては前シリーズに拍車を掛けて酷くなっておりまする。


12/01/03
松崎有理「あがり」(東京創元社'11)

 表題作となる『あがり』が第1回創元SF短編賞受賞作品で松崎有理さんは本書が初単行本となる。他、アンソロジーや『ミステリーズ!』に発表された作品に、書き下ろしの『へむ』を併せた作品集。東北地方にあると思しきとある大学が舞台となっており、共通する登場人物も存在するため、一種のシリーズ的雰囲気を醸し出している。

 女性研究者・アトリの幼馴染みで同じ研究室に所属するイカルの師、ジェイ先生が亡くなった。生物進化を研究していた先生は個体淘汰を主張していたが、世の主流は遺伝子淘汰だった。イカルは追悼といい個体淘汰を証明するという奇妙な実験を開始、没頭してゆく。 『あがり』
 治療法のない重い病気にかかった数学者。数学に興味のある女性と知り合った彼は、老化に関する実験を自分を被験者として行うことを決意、実行する。実験は成功しつつあるかのように見えたが……。 『ぼくの手のなかでしずかに』
 三年間論文を発表しなければ研究者引退を迫られる「出すか出されるか法」。人文系老研究者が代書屋ミクラに論文代書の依頼を。その研究は「幸運と不運の研究」というものだった。 『代書屋ミクラの幸運』
 「出すか出されるか法」対策のため、遺伝子に関する共同論文を書くことにした研究者二人。しかし実験予算も足りず、途中で法案自体に変更があり、二人の関係に罅が……。 『不可能もなく裏切りもなく』
 絵を描くことが好きで社交性のない小学生の男の子。そんな彼に転校生の女の子の友達ができた。彼女は大学病院の地下通路に彼を案内する。そこには大人は気付かないような奇妙な存在がいた。『へむ』 以上五編。

SFのセンスオブワンダーが貫かれつつ大学や研究者の存在意義も問いかけている印象
 表題作である『あがり』など根本的発想が、受賞作ならではの意外性と迫真性(嘘を嘘に見えなくする力)に満ちており、いきなり物語世界に引き込まれる。冒頭のその作品のドライブ感が素晴らしいまま、続いて同じ歴史ある北国にある大学が舞台となって物語が続いてゆく。大学関係者に愛される甘味処、研究者に突きつけられる恐怖の法律「出すか出されるか法」、さらに論文を代わりに執筆する代書屋の存在など、日本の学術ワールドの架空の近未来(?)が、かっちりと構築されて世界を形成している。更にその学術ワールドを、登場人物や関係者を変えながらも様々な角度から描写する筆力にも舌を巻く。何よりも世界観にぶれがないのが素晴らしい。また理系ミステリで学術用語が多用されながらも、カタカナを個人の名前以外では一切使用しない独特の文章からは、作者の言葉に対するこだわりが感じられた。
 表題作の『あがり』については、さすがに扱われる遺伝子に関する情報や、実験機器や手順に関する描写など「さすが理系!」というものであるが(読みにくい訳ではない。念のため)、全部が全部、基本的にSFながら無理矢理なSFではない。 SFにそう詳しくないので間違っているかも、なのだが、SF要素となる根本発想は超絶に理系! ということではないのだ。発想のベースそのものは(文系でも考えつきそうな)ちょっとした思いつきやIFから来ていそうにみえる。ただ、その「思いつき」の展開の仕方、理屈・理論の裏付けといったところはそっち系の学問をきっちり修めた人でなければ書けそうにないのだけれど。
 「理系」という意味では、今更引き合いに出すべきではないかもしれないが森博嗣のミステリィと最初に出会った時のような新鮮さが、この理系な大学の描写や人間関係などから感じられた。現実が実際にそんなものという向きもあるのだろうけれど、極端に合理化が進められ、どこか効率優先が強く感じられた森博嗣ワールドとはまた異なる、居心地の良い冷たさといった雰囲気が、この大学から感じられる。人間味はある。一方できっちり研究もしている。だけど、世間の人びとと感覚が微妙にずれた生活者たちという登場人物全体に通じるキーワードが重要か。その彼らが振り回される様は、ある意味ではコミカルに見える一方、強烈なペーソスが同時に存在している。漠としてだが、現在の大学のあり方にまで思い至る方もいるかもしれない。

 文章にしても物語作りにしても、そしてこういう世界のなかでの恋愛模様にしても、どれも高い表現力が感じられる。またSFの題材選定のセンスもうまく、才能がいきなり感じられる作家かと思う。新たに新設された新人賞を受賞するに恥ずかしくない実力者であることは間違いない。


12/01/02
近藤史恵「サヴァイヴ」(新潮社'11)

 プロ自転車レースを題材として、近藤史恵さんのスマッシュヒットとなったシリーズ、『サクリファイス』『エデン』に続く三冊目の中編集。五作中、前二作が「yom yom」、中三作が「Story Seller」、最後の一作が『小説新潮』2011年5月号と、三媒体に発表された作品がまとめられている。が、多少時系列は異なれど世界は同じくされている。

 フランスのレーシングチームに移籍した白石誓。彼のもとに無礼な日本人フリーライターが訪れていたところに電話が。知人のレーサーが変死しており、近くに誰もいないので誓に確認して欲しいのだという。その男・フェルナンデスは薬物の過剰摂取が死因だった。 『老ビプネンの腹の中』
 日本のプロレーサー・伊庭が練習中、横からつっかけてきたオートバイのライダーが目の前で交通事故死した。それから急に恐怖感が。そして伊庭のロッカーが何者かに荒らされていた。若いチームメイトが怪しいと思われるのだが。 『スピードの果て』
 ヒルクライムで抜群の成績を残す新人・石尾は愛想が悪く、チームのエース・久米から煙たがられていた。ベテランの赤城はその石尾と普通に話せるため、監督から世話係を申しつけられる。 『プロトンの孤独』
 チーム・オッジの単独エースとなった石尾。相変わらず態度は変わらず、赤城があいだに立つことが多い。その石尾がレース中にトラブルに巻き込まれる。チームとは別の第三者が関係しているようだが……。 『レミング』
 エースとしての石尾もベテランの域に。しかし、石尾が出場するはずのある山岳レースで不可解な動きがあり、オッジの出場が不可能になってしまう。石尾はそのコースをレース開始前に走ると赤城に告げる。 『ゴールよりもっと遠く』
 ドーピング疑惑に巻き込まれたポルトガル人レーサー・ルイスの実家に間借りしている誓。コンディションは上々だったが、闘牛の残酷な側面を目の当たりにして精神的ダメージを受ける。そして別チームに所属するルイスがまたしても……。 『トウラーダ』 以上六作品。

アスリートとして団体競技者として、そしてプロとして。その先、遠くまで見据えて。
 ここまでシリーズに登場してきた人物の角度を変えた人間譚という趣き。ミステリの味わいは相当に薄れたものの、その分「アスリート小説」とでもいうべき、体力と才能と努力と引き替えに金銭を得ている、プロスポーツ選手の物語としてより豊かな味わいを得ている点は強調すべきだろう。
 どうしても中編以下の物語の長さのなかでは、自転車レースのルールや駆け引きや仕組みなどあれこれ、という部分については説明不足になる。日本にもあるが欧州ではかなりの人気競技である自転車レース。チームスポーツであり、個人戦でもあるが、一位を目指さない選手も多く、仕事さえ果たせば脱落すら許されるといったこの業界(?)の特殊事情は作品内部では細かくは描写されていない。(長編を読んでいる読者には自明のことになることの一因か)。ただ、そういった特殊事情を差し引くことで、むしろこの自転車レースもまた、れっきとしたプロスポーツであり、生き残る厳しさと、それに立ち向かう男たち(この場合男性だけなので)の雄々しさ、潔さ、そして決意といった研ぎ澄まされた様々な感覚が、より強調されて、物語としてはより冴えを見せているように思われた。つまりは個々には自転車レースの物語でありながら、全てのアスリートの事情を内包するような物語になっているということ。これはこれで凄いことかと思う。スポーツをちょっとでも囓ったり、プロスポーツ何かのファン・サポーターやっているような読者であれば、この感覚がぐいぐい心に食い込んでくるはずだから。
 例えば『老ビプネンの腹の中』『トウラーダ』では、あまりのプレッシャーに押しつぶされたり、競争から脱落する選手を描く。パイが限られた世界の厳しさと、そこに生き残るという戦いを称えている。また、個々の戦いに命の危険まで伴うところはロード系レースだけでなく、一部の格闘技にも通じるのではないか。また、『ピードの果て』『プロトンの孤独』では、自分がプロの世界で生き残るために仲間すら敵視せざるを得ない厳しさが背景にある。金や恋愛の問題以上に、意地とかプライドが絡むところに複雑さがあり、こちらの系統の作品には多少ミステリ風味が残っている。また、業界の特殊事情を背景に持ち込んだ『ゴールよりもっと遠く』は印象深い。この根っこにある存在は今後も何かと使われそうな予感がする。

 自転車レースを知らなくても読めます、という程度の紹介だと平凡か。アスリートが好きな人、プロスポーツが(野球でもサッカーでも)好きな人であれば、この登場人物たちの気持ちや生き様が心に響くと思います、こんな感じ。


12/01/01
大村友貴美「存在しなかった男」(角川書店'11)

 2007年に『首挽村の殺人』にて第27回横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビューした大村さんの長編作品。

 小さな輸入家具会社で働く北館奈々は、津嶋栄とのタイへのハネムーンから帰国した成田空港で途方に暮れていた。新婚旅行のあいだ特に何の問題も起きなかったというのに、帰国便の中で「ちょっと知り合いを見つけた」と言い残した新郎の津嶋が消えてしまったのだ。行き違いかと帰宅してみたものの、戻ってくる気配はなく、交際三ヶ月で結婚した相手のことをほとんど知らなかったことに奈々は愕然とする。旅行会社勤務で給与は低いが、家賃収入があるといっていた彼は常日頃から身だしなみも良く、一流店での食事が当たり前だった。しかし、残された品を調べても、どうやら家賃はまるっきり嘘でむしろ金銭的に余裕の無かった津嶋という人物が浮き上がってくる。更に警察に失踪届を出そうにも、あまりにも津嶋が残していったものが少なく、奈々の狂言を疑われる始末。しかし、東京湾から津嶋のものと思われる死体が発見される。身体の損壊がひどかったが、津嶋の遺品のなかにあった親知らずのDNAから、本人と断定されたももの、奈々は何が我が身に起きたのか納得できず、夫の秘密を探ろうと行動を開始する。

サスペンスで開始される物語は、陳腐な社会派ストーリーに落ち着いてしまう
 飛行機からの人間消失! という部分が狙いの作品ではない──。 この点が難問ではないことに気付かず序盤を読み進めてしまった。(ただ、ここ奈々が疲れて寝込んでくれているから良いものの、起きてたら難関が多いよな……)実際は、飛行機で行方不明になった夫は変わり果てた他殺死体で現れる。 大きなからくり自体は登場する関係者も少なく、仕組みについては恐らく多くの読者が気付くだろう。なぜ他人のパスポートが使えたのか、であるとか、なぜ遺体のDNA鑑定でも夫と断定されたのか、といった細かな方法や小さなトリックについてはよく気付いていると思う。ただ、木を見て森を見ずというか、計画全体の大枠に無理が感じられる。そもそも計画自体をもっとシンプルにしておけば完全犯罪になるのにという引っかかりはぬぐえない。
 もうひとつ肌が合わなく感じられたのは、介護や貧困の負のスパイラルについて細かく述べている一方、株や投資で成功した人物を悪人とまでは断定されないまでも描写としては自分勝手でわがままな存在として描写しているところか。介護問題については現実に進行中であろうし、一旦職業ルートからスピンアウトした人間が元の地位に近いところに復帰するのが困難であることなども、実際事実である。が、小説のなかで殺人の動機として延々と語られたところで、社会派というよりも、暗い小説だとしか感じられないのだ。現実に既にあることを読者が知っているような事柄を小説にしたところであまり共感できない。以前の社会派と違って巨悪に相当する存在がないから余計にそう思うのかもしれないが。

 不可解な蒸発をしてしまった夫の謎を遺された妻が追うサスペンス──というところが妥当な線。ただ、先に述べたように事件の大枠に(作中に理由は示されているものの)引っかかるし、展開にせよ小道具にせよ、あまり新鮮みが感じられないのが難。