MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/01/20
福澤徹三「東京難民」(光文社'11)

もともと『幻日』というホラー作品集でデビューしている福澤徹三氏には、実話風フィクションの怪談・ホラー小説の作風と、多彩な職歴を活かしたアウトロー小説という二つの作風がある。特に後者では『すじぼり』にて第10回大藪晴彦賞を受賞している。本書もそのアウトロー小説の系譜に連なる作品で、『小説宝石』二〇〇七年十一月号から二〇一一年一月号にかけて隔月で連載された長編が初出。

。  北九州市から上京、漢字で名前が書ければ合格する程度の三流私立大学に通う時枝修。父親は小さな設計事務所の社長で仕送りを貰ってマンションで気ままな一人暮らしを送っていた。同じ大学に親しい友人と彼女のいる生活。しかし、大学の授業料が振り込まれておらず、両親が謎の失踪を遂げてしまい連絡が取れなくなってしまう。当然貯金は無く、もたもたしているうちに大学は除籍となり、修は学生の身分を喪ってしまう。慌てて北九州に戻ってみるも実家はもぬけの空、更に両親を追いかけているとおぼしきヤクザに追いかけられるにあたり、修は慌てて東京に舞い戻った。しかし敷金礼金無しの触れ込みで契約していたマンションも家賃滞納となって即座に閉め出さしをくらい、僅かばかりの現金と保険証、携帯電話だけを持って友人宅に転がり込むことになる。そこから当座の生活費を求めて日払いアルバイトを探し始め、ポスティング、テレホンアポインターそしてティッシュ配り。ただ優柔不断でいい加減、周囲に流されやすいうえに腹を括れない修の性格が災いして、どれも長続きしない。更に泊めてくれていた友人らとのちょっとした行き違いから居候先のアパートを飛び出してしまう。

21歳の裏ハローワーク。転落人生・坂道まっしぐら。一介の学生が最底辺に行き着くまで。
 普通の意味とは異なるがジェットコースター的展開。しかもほとんど真っ逆さま急転落のみで持ち上がったり浮上したりすることが無いという。  一つ評価したい、というかこの作品のユニークな点は、どんなに酷い目に遭っても主人公がダークサイドに落ちきらないこと。 確かに主人公、善人というには小ずるいし、根性も無ければプライドも意味なく高く、計画性も甲斐性も全く無し。読んでいて、「あー、そこはちゃうやろっ!」という行動も多く、特に序盤の、現状認識が余りに甘く、一方で彼女や上から目線の友人に対しては何様かという勝手さで振る舞う。あまり読者の感情移入は期待しづらい設定となっている。ただ、ここからの落ち方が悲惨な分、それはそれで作者の配慮であるかのように感じるのだ。
 また、この手の作品の場合、ある程度落ち込んだ後は闇社会へと足を踏み入れてしまいがち。だが、この作品、水商売に足を踏み入れたり、ヤクザに追われたりとかなりインパクトある場面はあるものの、主人公は最後のところで非情になりきれない。 もちろんその結果、さらにどん底に落ちてゆく訳なのだが。
 物語の後半以降、タコ部屋生活や屋外生活などで一緒になる年配の宿無しの人々が、最底辺の生活を強いられているのは社会が悪いせいで、自分たちは悪くないと言い張る場面が散見される。そういう意見も判るし、住居がない人間にセーフティネットを担うべき役所も含めた「社会」は底辺に冷たいことも本書を読むとよく判る。とはいえ、基本的に主人公・時枝修の序盤から終盤のぎりぎりにかけての行動からは、分別も思慮も我慢も感じられない点もまた気にかかる。薄っぺらいプライドと中途半端な温情と、我慢と根性のない肉体、更にギャンブル酒煙草女にすぐに流れる意志の弱さ。確かに人間は弱い存在だけれども、最底辺に落ちる前に抜け出す機会はいくらでも(読者の立場からすると)見えている訳で、それを一時の感情で放り出しては転落していく修の姿に、憐憫は覚えても同情はしづらいと思うのだ。先に述べたように読者も一緒に底辺に落とし込まない配慮かもしれないにせよ。

 赤裸々に、生々しく底辺と呼ばれる世界で生きる人間たちが描写されているところは、従来の福澤作品と較べても随一のキレ(?)ではないかと思うし、普段安穏としてぬるま湯に浸かって生きている我々一般読者にとってはかなり強烈なインパクトが残る内容であることは間違いない。

 彼の転落の教訓があるとするならば・住居(住所)は確保しとけ、・携帯電話を手放すな(支払い含め)・身分証明になる文書は常に身につけておけ、ということになるだろうか。様々なアルバイトの仕組みや裏側も判るので、本書自体、生の知識が多いところも面白いです。


12/01/19
中山七里「魔女は甦る」(幻冬舎'11)

中山七里さんは『おやすみラフマニノフ』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞してデビュー。本書はその中山さんが、第6回の同賞に投じていた作品を幻冬舎が刊行したもの。本書自体の出来も商業出版に確かに値する。(ただ、同時に瑕疵も感じるし『連続殺人鬼カエル男』と大枠での構成が似ているところも微妙っちゃ微妙 かな)。

 埼玉県の人里離れた地域にて数十もの部位に切り分けられ死亡した人間の遺体が発見された。切り離されただけではなく烏も遺体を啄んだらしく、辺り一面に肉片が散らばり、ベテラン捜査員ですら吐き気を催すような惨状を呈していた。遺留品から、亡くなっていたのは外資系製薬会社の元研究員・桐生隆だと判明、彼の勤めていた研究所が現場のすぐそばにあったが、製薬会社の事業撤退により研究所自体は閉鎖されていた。捜査にあたった埼玉県警の捜査一課の槙畑らは、桐生が事故で両親を喪い巨額の遺産相続をした身でありながら非常に質素で勤勉で穏やかな暮らしをしていた人物であったことを突き止める。桐生には美里という恋人がいたが、彼女もまた遺産を相続できる程に関係は近しくなかった。事件には、警察庁キャリアである宮條によれば彼の勤めていた製薬会社は後ろ暗い部分も多く、事件そのものに麻薬が関係している可能性が高いのだという。桐生の自宅には大量の専門書が、そしていつも穏やかな笑顔をみせ、品行方正を絵に描いたような生活をしている彼が抱えていた昏い過去が溢れており、彼自身が小学校時代にイジメられていた事実が、そして東京を騒がしている薬物を原因とする殺人傷害事件にもこの製薬会社と桐生の影が……。

サイコミステリーと見せかけてのまさかのパニックホラー。登場人物切り捨て感が良くも悪くも有
 冒頭に、普通の人間が抱く恨み辛みではちょっとここまで念入りに破壊出来ないよーというくらいに凄惨な死体を配置する。凶暴なカラスが飛び交う埼玉の片田舎というどこかうら寂しい風景と重なって、いきなり荒涼とした雰囲気が物語をがががっと覆い尽くしてゆく印象だ。更に同じような時間帯に発生した乳児の誘拐事件、それまで地域で発生しているペットの連れ去り事件。なにやらどす黒い陰謀がこの地域で進行しているのでは……?
 誰がどんな理由でどんな死体を創り上げたのか? どうやって? インパクトのある死体を冒頭に登場させているところで、読者の強烈な興味と意識を最初から集中させる。捜査を行うのが、単なる普通の刑事や警察官ではなく、自分のなかの正義や警察組織に属することに強烈な動機があるような人物。当然、事件の行方と同時に、その刑事の人間ドラマが形成されてゆく。(ついでにいうと、事件の解決場面が近づくと犯人ないし、それに類する存在によって捜査している当事者は肉体的に瀕死となるような重傷を負わされる――。)──といったあたりが「カエル男」と近い印象の理由ですかね。ただ、こちらは最終選考で落とされた作品。世に出ない可能性が高かったわけで、捨てるに勿体ないガジェットを拾って再利用したのは悪いことではないのです。
 とはいえ、その人物に対して冷たい中山氏。結果的にどうしても中途半端に思えるのは、たった一人の肉親である妹が絡んだ凄絶な過去が語られ、中盤まで物語を引っ張りまくっていた警察庁キャリアである宮條の扱い。これはもうひたすらに、勿体ない。(どう勿体ないかは書けませんが)。あと、主人公にしても物語が終わってもちょっと再起は出来そうにないし。もうちょっと、ほんの少しだけキャラクタにお情けを掛けてやってもいいんじゃないかなー、と正直思いました。

 トータルとして、先の登場人物の件も含み、物語構成として後半に盛り上がるもののそれだけ、となっているところが残念な一方、嫌な雰囲気を作り出す手腕については非常に上手。 人間が何を考えているのか判らない、ないし狂気を持つ者の狂気な論理といったところを描き出す力量が抜けていて、その分サイコホラーっぽい雰囲気となっているということか。後味が悪いのも作者の一つの特徴ということですね。


12/01/18
中田永一「くちびるに歌を」(小学館'11)

 乙一氏は他にいくつかの筆名を使い分けて創作活動をしているが、中田永一はその別名義のひとつで、『百瀬、こっちを向いて』『吉祥寺の朝比奈くん』の二冊、、ここまで恋愛小説を発表する際に使用されている「中田永一」名義による長編青春小説。この名義では初長編ということになるのではないかな。書き下ろし。

 NHK合唱コンクールの課題曲「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」に触発された先生が、合唱部の生徒に十五年後の自分に向けて手紙を書くよう宿題を課した。必ずしも提出を前提としなかったこともあり手紙には、等身大の自分の気持ちや悩みが綴られていた。誰が書いたのか判らないその手紙が、物語の幕間に登場する――。
 長崎県の五島列島にある小さな中学校。合唱部の顧問だった女性教師の松山先生が産休に入ることになり、東京の音大出身で松山先生と同級生だった柏木先生が期限付きの臨時教員として学校に来ることになり、やはり臨時で顧問になった。松山先生の頃は女子部員しかいなかった合唱部に、柏木先生の垢抜けた美貌に惑わされ、男子生徒が多数入部してきた。三年生の仲村ナズナは、部長の辻エリを支えて合唱部を盛り上げようとしていたが、男子生徒の多くは本気で合唱に取り組む気などはなく、真面目に練習したい女子生徒とのあいだに亀裂が走るようになる。また、知的障害を持つ兄を抱える家庭の事情もあり、ほとんど友人を作らず学校生活を送っていた桑原サトル。彼もひょんなことから合唱部に入部することになって……。

多感な年頃、というこの世代のみが輝くことができる数瞬を鮮やかに映し出す
 ――とまあ、へたれで平凡な感想だけれども、まあ、読んでいる人間が感情移入するしない別にして巧い小説であることは間違いない。ただ、個人的には一部にツボはあったものの全体的には、ストーリー展開よりもその展開そのものも踏まえた、むしろ青春小説の技巧っぽいところが目についた感が強い。ただ、この作品にハマって無条件押しになる人が出てくることも理解は出来ます。悪いことじゃないです。
 自分自身、田舎の中学生だったから判るというか、全体を俯瞰して感じるのは恋愛やそれに近い感情に戸惑う中学生の瑞々しさのようなもの。なんとなくどういう風に生きてゆけばよいかは判る。でも自信もなければ確信も信念もない。知識はあっても周囲が気になる。自意識過剰となりかねない、自我というものがまだきちんと形成される前。どうでもいいことを恥ずかしく思い、重要なことを目の前で取り逃す。ああ、書いていてイタイ。
 コンクールに向かって友人たちが結束してゆく。良いです。
 あとテクニックでもう一つ。柏木先生が独白する生々しい恋愛体験や情念の残り香みたいなものと、恋愛に対する立ち位置から価値観までまだら模様の中学生たちと。この対比が青春小説として非常に巧みにブレンドされて渾然一体となっていること。本筋の合唱コンクールへの道とは別に、恋愛や恋愛未満の事柄や出来事として様々なエピソードが展開されてゆくのだけれど、単なるバラエティとしてだけではなく、個々の出来事に固有の濃淡があるように感じられるのだ。 恋愛ごっこをしているレベルの子から、ヘビイな恋愛の後始末に至るまで、様々な「恋」があって、それぞれがそれぞれなりに真剣勝負。そういった当事者の真剣を演出するもまた中田氏はお上手なのだ。

 中学生から大人まで、誰が読んでもなるほど感動する内容に溢れている。もともとが物語巧者でもある作者のこと、これだけのパーツが揃うとうまくまとめてくる。創られた感じが気にならない方であれば、ほぼ欠点の見当たらない作品でもあり、読んでまず損はないかと。あ、ミステリ要素はほぼ皆無です。


12/01/17
西尾維新「恋物語」(講談社BOX'11)

 2010年6月から刊行が開始された『化物語』のセカンドシーズンは、『猫物語(白)』『傾物語』『花物語』『囮物語』『鬼物語』、そしてこの『恋物語』が最終作品。当初の噂では本書が物語シリーズのラストになる予定だったのだが、本書においてファイナルシーズン刊行が発表されている。そもそも積み残した謎が多く、本書で完結すること自体疑問視されていたので、その点は納得。この『恋物語』それでも副題は当初予定通り「ひたぎエンド」である。

 前作で、戦場ヶ原ひたぎは自分の命と引き替えに多少時間的猶予こそ貰ったものの、高校卒業と同時に神様と化した千石撫子に阿良々木暦と共に殺される予定にされてしまっていた。もともと全く歯が立たなかった阿良々木は、改めて自分の力で元に戻してやろうと努力したようだが、半死半生で逃げ帰ってくる始末。一方の戦場ヶ原が選んだ選択は、かつて自分の一家をめちゃくちゃにした男・貝木泥舟と連絡を取ることだった。残り期間は四十数日。そのあいだに貝木にその神様を騙して欲しいというのが彼女の依頼であった。貝木は貝木で、戦場ヶ原からの電話に驚き、京都にいるのに何故か沖縄での打ち合わせに臨む。二人の駆け引きの結果、気は進まないながらも貝木は神様を懐柔することを引き受けるのだった。戦場ヶ原自身は阿良々木に全くこのことを相談せずにコトを進めていた。貝木は改めて阿良々木たちの街へと入りこみ、その対象となっている神社へと赴く。

強烈な裏切られ感がまた西尾維新らしい。これもまた別の「恋物語」なのかもしれないし。
 戦場ヶ原ひたぎ自身の柔らかいタッチのイラストが表紙、ラスト一冊という予告、それに阿良々木暦視点の物語はおしまいで、最後はひたぎ一人称で締められるという噂。誰もが多少は疑っても信じた情報が、冒頭数ページであっさり裏切られる。この程度はいっておいても構わないだろう。戦場ヶ原ひたぎと阿良々木暦のきゃっきゃうふふが見られると思っているのなら期待はするな。本作では、この二人が揃って登場する場面すら無い。前作でやっちゃったことを正す、ある意味では筋の通った物語だといえる。むしろ一人称の人物が変わったことよりも、本書の後にまだ三冊の刊行予定があることにより驚きと安堵が混じった気持ちになった。シリーズ内部で説明されていないこと(特にセカンドシーズンでの初登場人物や世界観とか)が多すぎるし。
 貝木泥舟というおっさん一人称視点というのは物語シリーズのなかでも微妙。妙に饒舌であ一方、話が回りくどいし、自分のことを「信用できない語り手」と断言しており、テキストの正当性の証明がつかない。まあ、厳密なミステリではない展開であり(物語上の謎はあるにせよ)、嘘つきを自称する登場人物がいても、そう問題はないのかもしれない。一種の戯言遣いか、彼も。とはいえ、本書の後半というかラストについては化物語全体でまるっと無効化されていそうな気がする。
 さて、その神様と貝木の対決は、神様側の強烈な幼児性が引き立っており、ディティールとしてはユニーク。見方によっては、この人間の論理が通用しない存在になっている点、可愛いというよりもむしろ怖い。 この人間のようにみえて同じ価値観が通用しない人外みたいな存在であることが、彼女の本質だった──というのは前作の感想にすべきか。いずれにせよ、途中経過における神様の行動のアホさ・無邪気さ加減が、その後半のギャップを引き立てている。ただ、その神様が黙りこんでしまうネタ、これがまたユニーク。大人になってから中二病が指摘される感覚に近いかな。
 あと、題名の「恋物語」。普通であれば、戦場ヶ原によるLOVE阿良々木暦になりそうなところ、そこに敢えて戦場ヶ原が絡むかつての「LOVE」が本書の本質にあるのではないかという想像が働く。だからこそ貝木が低報酬で動いたってことに意味が出てくるように思うし。作者もむしろどっちに取られても構わないとふんでいそうだ。

 あとこのシリーズ、本当かどうかあれだが残り三冊。ここまで来るとシリーズ買いしている読者が入手しているのだろうけれど……ここまで物語が来ちゃったら、最後を見届けるまで読み続けるしかないですよねご同輩。


12/01/16
浅暮三文「やや野球ども」(角川書店'11)

  2010年12月に業界初という触れ込みで刊行された電子書籍型小説誌『デジタル野性時代』。書き下ろしを基本とする構成で、その創刊時から第9号にかけて連載されていたのが本作。ちょっとした超能力が登場するものの、基本は野球小説である。それも一風変わった。帯のコピーを書いているのが村田兆司ですよ、あの。

 立川市にある一軒のバー「ファイブ・クォーター」。そのマスター・人見から声を掛けられ、店に通っていた九人の男たちが草野球チームを結成することになった。様々な職業、年齢も立場が違う男たち。共通するのは仕事でも恋愛でも壁にぶち当たり、それをうまく発散できず小さなバーでその憂さを晴らすことしか出来ないこと、そしてもう一つ、それぞれあまり役に立たない小さな「超能力」を持っているということだった。異様なほどの汗っかき、男の服装だけを透視する能力、ゴミを集めてしまう、ほんのごく僅かな距離のテレポーテーション等々――。そしてマスター自身は、目の前の人物に能力があると判るという超能力。マスターはうまく彼らをたきつけ「リリーズ」なる草野球チームを結成、練習をさせ試合をさせたところ、その記事がなぜかスポーツ新聞に掲載された。そんな野球経験すら全くない彼らが最終的にはスポンサー付きトーナメント戦に出場、勝ち抜けば「巨人軍」と戦えるというところまでやってきた。

力と力のぶつかり合い以上に、知力と知力のぶつかり合い。場合によっては実力以上になる(かもしれない)
 一旦通読した時は「おっさんの為の野球系成長小説」だと感じた。全くの素人が練習を重ねて短期間で上達し、野球だけではなく人生についても後ろ向きから前向きに変化してゆく様が描写されているから。その印象自体は間違ってはいないのだけれども、改めて思うに、これもまた浅暮さんの流派に従えば「野球系ファンタジー」ということになるのではないかと思うようになっている。
 超能力の存在があるからファンタジーと単純にいうつもりはない。ファンタジーであるのは、レベルアップの省略部分に感じる。というのも実は野球にしろ何にせよ球技というスポーツは、ある一定レベルに至らなければ経験者には相手にしてもらえないレベルがある。野球でいうならば未経験の野球素人が1〜2回練習した程度では、投げる、捕るがせいぜいで普通はまともなキャッチボールすら覚束ないはず。それが加速度的に上達して即練習試合というのは……作品内でこの「荒唐無稽」に一貫性があり、野球をする時間さえ取れない大人に対する夢物語の提供、そういう意味でのファンタジーなのではないかと考えた次第だ。ま、どうでもいいことかもしれないが。
 とはいえ、中身は「野球小説」それも、なかなか他に類のない展開がユニークだ。あ、もちろん弱小チームが実力以上の力と運を発揮したり、事前調査をベースに頭脳的プレイを重ねたりしてトーナメントを奇跡的に勝ち進むということだけならば少年マンガでもなんでも「普通」にあるだろう。本書のユニークさは勝負の勘所での動き。 圧倒的なピッチャーやバッターが試合を決めるのではなく、むしろ机上の空論に長けた参謀が活躍している。細かなルールの盲点をついた戦略が多いのだ。審判ですら読み込んでいない可能性のあるルールブックという重箱の隅から、相手攻略のヒントや必殺技を考え出していくという作品は過去に読んだ記憶がない。
 ただ、こういった裏技を準備しておくことで序盤において圧倒的に実力差があるチームと対戦していても、なぜか「なかなかいい勝負」になるよう物語のバランスを取っているともいえるだろう。その結果、幾つかある「リリーズ」の試合では、リリーズ自体の野球の実力が足りないことは明確であっても、結果としてどちらが勝つかさっぱり判らない。結果、物語の先行きが全くみえなくなるのだ。
 終盤に至り、このリリーズの快進撃の理由や監督の秘密が明らかになってくる。その結果として「巨人軍と戦う」が手を伸ばせば見えるところに持ってくるあたりは流石の物語巧者。背後にいる人たちの野球に対する熱意は、ちょいと熱すぎる気もするけれど、本来スポーツの持つ力はこういうものかもしれない。

 素直に野球の楽しさを思い出させてくれる……タイプの小説では全くないけれど、いつの間にか「リリーズ」に感情移入してしまって彼らがどうなるのか、読み進めていくうちに気になって仕方なくなっている。(作中のスポーツ新聞記事も同様のノリなのかもしれない)。あまり押しつけがましくない結末含め、非常に温かい気持ちになることができる作品である。


12/01/15
小路幸也「花咲小路四丁目の聖人」(ポプラ社'11)

 ポプラ社の小説雑誌「asta*」に連載されていた長編作品の単行本化。ノンシリーズ。

 大規模ショッピングセンターに押され、高齢化が進み、まだまだ二代目が頑張っている店もあるなか、徐々にではあるもののシャッター街化が進みつつある、日本のどこにでもありそうな商店街・花咲小路商店街。かつてその地域の大地主だった矢車家の一人娘・矢車亜弥(25歳独身)は、父親である矢車聖人(元イギリス人で日本に帰化・70歳・妻は病死)について悩んでいた。もともと父親は"Saint"という称号で英国を中心に、美術品を颯爽と、そして完璧に盗み続けてきた、世紀の大泥棒。日本人である妻の故郷にやってきてからは、その事実を隠し通してダンディな外国人というスタンスを貫いていた筈だったが、亜弥の四つ下の幼馴染みで商店街の二代目・克己と北斗と協力して正義の泥棒稼業をこっそり再開させているのだ。妻を喪って以来、生きる気力がみられなくなっていた祖父の復活は嬉しいが、その行為は褒められない。一方、英語塾を経営している亜弥の耳に、町内で複数の”浮いた”噂が急に流れてきたことに気付いた。しかも、名前が挙がっているのは商店街の古株の家の人間ばかり。特に目立つもののない花咲小路商店街に果たして何が起きようとしているのか。

華麗なる怪盗ものかと思いきや、その怪盗が活躍しての心温まる地域コミュニティ再生ストーリー
 結論からいうとクライマックスにおける花咲小路商店街の変貌については、フィクションにせよ荒唐無稽(どうやってそうしたか、つまりHowという点において顕著)なところはある。さすがに一夜にして……というには、いくらなんでもこの演出は……とも思う。思うのだけれどもそういったつまらないリアリズム信奉を吹き飛ばすくらいに「絵的」に様になっている光景なのだ。(この言い回しは自画自賛したいな)。本書のキモとなる場面ゆえに詳細をここに記すことは出来ないのだけれども。
 さて、その「結末」に至るまでの展開がまた素晴らしい。小規模商店街の苦悩というテーマ自体は目新しくないものの、そこに活きの良い若者を放り込み、仮想敵を配置しという流れのなか、なぜ急に特定の家庭の不倫が表沙汰になっているのか、新規に開店した店の正体は何なのかといった小さな謎を埋め込み、だんだんと大きな「謎」含みの流れに統合してゆく。
 中盤に至って敵の姿がみえてきても、その対抗手段を弄する聖人がそもそも「泥棒」でありながら、モノを盗むこと、がテーマではないという、これまた小さな裏切りが待っている。主人公の亜弥と、四歳年下ながら「いい男」に育ってしまった幼馴染み・克己との、ほんわかした恋愛模様も良いアクセントになっているし、(ツンに徹しきれずに押し切られる感じですかね)特に「味方」に相当する人物に個性があって良い感じ。

テンポ良く、そして小さなアイデアとサプライズがうまくかみ合っている。あのアニメの名台詞「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」というフレーズが良く似合うストーリーですね。モノだけではなく、むしろ心を盗む怪盗セイント。格好いいねえ。


12/01/14
秋梨惟喬「憧れの少年探偵団」(創元推理文庫'10)

 2006年に『殺三狼』で第3回ミステリーズ新人賞を受賞し、『もろこし銀侠伝』でデビューした秋梨氏は、かつて那伽井聖という名義で創作活動を行っており、北村薫・宮部みゆき選『推理短編六佳撰』に『憧れの少年探偵団』という作品が採用されたこともある──ということで、その採用された作品を全面的に改稿、「クリスマスダンス」と改題、更に探偵団を同じくする短編を集めたオリジナル作品集。

 勝ち気な小学六年生・鳥居未菜美とその幼なじみでワトソン役の歌川時雄、名探偵・月岡君、武道を嗜む肉体系ながら頭も良い勝川章、パソコンでの検索を得意とする司馬遷太郎の五人は自称・桃霞少年探偵団。近所の尾形さんのお屋敷で密室殺人事件が発生、しかし月岡君が引っかかっているのは密室よりも別のこと? 『クリスマスダンス』
 街興しのイベントで登場する地元戦隊ヒーローのショーの最中、スタッフの一人が頭を強く殴られる傷害事件が発生。犯人は怪人のかぶり物をしていたようだが、誰なのか絞りきれない。 『桃霞少年探偵団vs清流戦隊』
 正体不明の犯罪者・ルナティック。ホームから人を突き落としたり、老人ホームの食事に下剤を混ぜたり、そのたびにトランプくらいの大きさのカードを残してゆく。そのルナティックによるものと思われる事件が発生、幽霊マンションでの殺人未遂事件で、主婦が突き落とされたが犯人の痕跡が無いのだという。 『ルナティックを捕まえろ』
 司馬の級友でお気楽な友人・狩野雪世。不思議ちゃんの彼女がいうには自分が誘拐されたらしい。桃霞で開催されるバンドのコンサートに行っているあいだ、携帯電話が盗まれ食堂を経営する自宅に彼女を誘拐したと電話があったのだという。身代金は奪われたが金額は二十万円。誘拐犯の狙いは?  『不愉快な誘拐』
 桃霞市にいくつか走るケーブルカー。ストーカーが狙った若い女性、彼女がケーブルカーに乗車後、消失したのだという。昔からケーブルカーには人間消失の都市伝説があって、警察から活動自粛を言い渡されていた少年探偵団は秘密裏にその謎に迫る。 『異次元ケーブルカーの秘密』 以上五編。

謎解きや蘊蓄、登場人物そして架空都市・桃霞もまた。魅力のバランスが取れた好ミステリ
 もともとの作品「憧れの少年探偵団」も読んではいるものの二十面相論の部分以外あまり覚えていなかったため、瑞々しい気持ちで取り組めた。そしてまた作品集自体からも手抜きやごまかしのない作者の誠意がきっちり読み取れる好作品が揃っており、シリーズもののミステリとして高く評価したい
 ……とまあ、思わず最初に持ち上げてしまった。
 まずは登場人物。名探偵役の月岡君自体は実はそうでもない。少年探偵団ものとしては普通に名探偵というか、思慮深く口が重くだけど自分の立場をわきまえつつ、冷静に振る舞える存在である。魅力的なのはむしろ脇役。名探偵役を引き立てるために少年探偵団では周辺登場人物が子供っぽくなる傾向があるが、本書では丁寧にそれを廃し、リーダー格の美少女、ワトソン役、ジャイアン役、中庸のタイプと、それぞれが自然な立ち位置から、物語に関わっている。また、後半ではそういった脇役視点に物語が変化することもあって、趣味にせよ恋愛にせよ正義感にせよ、小学校六年生ならではの少年少女からぎりぎり大人への第一歩に進もうとする、境界線世代の面白さが堪能できる。
 また、「密室」等事件の冒頭では関係者が盛り上がっているものの、実は本書一冊を通じて、物理トリックとして凝っている作品が揃う訳ではない。トリックで魅せるというよりも、短編ながら触れられている事件や奇妙な出来事などの伏線や手がかりから論理的に真相に迫っていくタイプのミステリであり、事件そのものの見え方が変わるサプライズが多い。なかでも『ルナティックを捕まえろ』『不愉快な誘拐』は多少突飛な印象があれども、ユニークな展開に驚かされた。『不愉快な誘拐』は、狩野雪世という女の子の天然ボケなキャラクタがいい味を出しているのもポイントである。
 また、作者自身があとがきで述べているように、矛盾だらけであっても様々な魅力的なガジェットが存在する「桃霞」という都市もまた面白い。設計図を敢えて厳密に引かず、矛盾があることを前提に創られる街。千変万化する都市の装いが事件を様々に色づけている。妙な都市論などないままに、二十面相の昔へと読者の気持ちを引っ張り出すのに、この手法は役立っている。

 もともと実力がしっかりしている本格ミステリ作家が、様々な遊び道具を使って物語を作り上げている印象。当初の二十面相論だけではなく、ケーブルカーや戦隊ものなど細かな雑学知識がいろいろ登場しながらも、それが嫌みになっていない。登場するのが小学生でありながら、事件は結構本格的。彼らが邪な大人を翻弄する場面なども見ていて楽しいし、読者によっていろいろと楽しみどころの多い作品集かと。続編希望。


12/01/13
辻村深月「光待つ場所へ」(講談社'10)

 辻村深月さんによる中編集。三編それぞれが、小説現代特別編集『esora』vol.6、vol.8、vol.9に発表された作品。収録にあたって加筆修正がされている。『冷たい校舎の時は止まる』のスピンアウトあり。

 T大学文学部の清水あやめは、大学とは別に絵画に特別な才能があると自他ともに認められてきた。大学入学後のある授業で、芸術的表現で田辺颯也が撮影した映画が上位に評価され、ショックを受ける。田辺は高校の同窓・鷹野博嗣の友人で、実は彼自身、芸術的には清水を上回る実績があった。 『しあわせのこみち』
 幼い頃からモデルをしてきた千原冬子は、現在は秋葉原でオタク相手の、しかしプロのモデルとして経験を積んでいる。彼女にはぎりぎりのところで物語性の高い嘘をつく癖があった。しかも別に必ずしも自分に有利になるように計算しているものでもないが、かつては彼女のことを見抜いた同級生・赤羽がいた。 『チハラトーコの物語』
 クラスの合唱コンクールで伴奏を担当することになった倉田梢。しかし彼女は上達せず全体練習にも差し支える状態が続いた。指揮者の天木は困り、友人の秀人と共に秀人の彼女で別クラスの椿を呼んできた。更に椿を通じて、彼らはクラスの松永が、天才ピアニストであることを初めて知る。 『樹氷の街』 以上三編。

ある種の天才のプライドというか。特別な人間・優等生ならではの孤独と痛みが響く
 作者自身の感情の断片が投影されている──という印象は穿ちすぎか。ただ、本書の登場人物はそれぞれが、どこにでもいる誰か、ではなく、「世界にただ一人しかいないかもしれない誰か」が中心となっている。特に『冷たい校舎』スピンアウト、というか前作の登場人物が大学生になったあとの物語である『しあわせのこみち』からはより強くそんな印象を受けた。同様にプロフェッショナルのモデルであるヨーコの容姿とその生き様に対する覚悟、天才ピアニストであるがゆえに級友と普段づきあいすらすることのなかった高校生・松永からも、「プラスの意味で人と異なる」がゆえの孤独であり、葛藤であり、懊悩であるといったところが、直接的ではなく間接的にみえてくるような仕掛けとなっている。
 勉強であれ、スポーツであれ、極端な話でいえばオタク的な知識や特殊な性癖であっても、自分が知る限り最優秀だった世界は、それより上位の人間によって叩き壊される。普通は子供のうち早い段階でその衝撃に出会うのがフツーなのだが、あまりにも優秀に過ぎて大学生になるまでほとんどそんな体験をしてこなかったらどうか。悪い平等社会のこの国では出る杭は叩かれやすい。傷つけられる機会も多いだろうし、そうなると人付き合いは臆病になり、極端な話、恋愛ですら出来なくなってしまうのではないか。そんなエピソードばかりではないけれども、主人公たちからはどこか、そういった普通の人からの嫉視体験が透けてみえるのだ。優秀であるがゆえの不自由、それがやっぱりあることが妙に納得させられるのだ。一方で、登場人物はその能力を持ちながら「まだ成功していない」し、「まだ何者でもない」。こういったギャップもまた登場人物を苛立たせているようにもみえるか。(これは一概にはいえないが)。

 第三者からみると「恵まれている」としか思えない人びとであっても、彼らにしか判らない傷つきやすい魂がある、と。それもまた決めつけられるものではないけれども、彼らの青春模様からは、そういった事柄を一番強く感じた、と。あくまで個人の感想ですが。


12/01/12
近藤史恵「ホテル・ピーベリー」(双葉社'11)

 近藤史恵さんのノンシリーズ長編作品。『小説推理』2010年10月号から2011年4月号にかけて連載・発表されたもの。

 とある不名誉な理由から学期途中で小学校教諭の職を辞した木崎淳平。海外旅行経験の無い彼が、バックパッカーの友人から紹介されたのが、ハワイのなかでも観光客が比較的少ないハワイ島にある少し変わったリゾートホテルだった。ハワイ特産のコーヒー豆の名前が冠された”ホテル・ピーベリー”。グリーンカードを持つ日本人夫婦がオーナーで、最大三ヶ月の宿泊期間が認められる代わりになぜかリピーターお断り、滞在できるのは一度限りというルールがある。ホテルは四十前の和美という奥さんが切り盛りしており、夫の方はヒロに飲食店を開業してそちらで働いているという。部屋数も少なく、木崎と同時に到着した女性・桑山と、他男性が三人宿泊していた。木崎は、慣れない旅行先での体調不良で弱っているところで和美と関係をもってしまう。さらにホテルに絡んで人間の生死が絡む事件が発生、ピーベリーを覆う雰囲気は不穏なものへと変化してゆく。

日本人には馴染みのうすい長期滞在型リゾートを舞台に描かれる人間模様&サスペンス
 近藤さんにはジュヴィナイルながら「アネモネ探偵団」シリーズがあり、旅行やホテルといった”旅ミステリネタ”はいろいろと使いどころがありそうなのだけれど、よくよく考えてみれば「一カ所長期滞在」がそもそも可能な日本人ってえのは、本書に登場しているようなフリーランス職種や、旅行好きフリーターや、会社辞めちゃいました記念や、一種やけっぱち逃避行といったそれなりの背景や事情のある人たちくらい。無垢な子供たち数名が一ヶ月も学校休める訳はないわな。そういう意味では、ハワイという舞台でありながら、それでも長期滞在の日本人ばかりが滞在するこのホテルの成り立ちというのは、さりげなく書かれているけれども結構特殊なのだ。
 更に厳しい条件として「リピーター禁止」。ホテルはおろか、普通の客商売であれば、あり得ないようなこの条件が何となく成立するように思えるのも、日本人夫婦がハワイでホテルオーナーをしているという特殊性・独立心と、旅行客に求められるものがどこか共通しているようにみえるから。なので、様々な人間関係と事件が発生するホテル・ピーバリーの背景には絶妙の匙加減が働いている。さらっと読めばどうということのない舞台背景ながら、個人的にはむしろ相当に凝っているように感じられた。
 さて、しかし序盤は隠された人間関係を巡るミステリもどき。旅先における男女のらぶあふぇあー(敢えてひらがな)なんて珍しくもないし、むしろ実話としても陳腐なのだけれども、主人公の傷心旅行の背景が発覚すると、イケナイコト(敢えてカタカナ)である行為にかかわらず、こういった描写自体に深みがあるように見えてしまう。人間誰もが何らかの特殊性癖を持っており、ばれたらやばいこともあるだろうが発覚するしないはまた別の話。ただやはり、それでも前半部は、この主人公の内面の葛藤が中心に演出されている印象だ。
 これが後半になると印象ががらりと変化する。ホテルの(元)宿泊者たちが次々と変死を遂げてゆくのだ。密室も見立てもない単なる変死。偶然が重なったともみえるこの流れには戸惑うところ。ただ、その真相は、読者にというよりも多少事情通の旅行者がいれば名探偵でなくとも一発、という内容なのだ。だけれども、ホテルの裏事情が重なることで、この事件が起きた背景・動機といった部分により「長期滞在型リゾート」ならではの要素が絡んでいるところがユニークだった。トリックそのもののオリジナリティ、独創性よりも、読者への、そして他の宿泊者への「見せ方」の部分に味わいがあるのだ。

 前半部・主人公心理と後半部・ホテル関係者連続変死事件とでどこかテーマが分かれてしまっていることは否めない。が、近藤さんの読みやすい文章と、後半部の物語の見せ方、起伏の付け方、そして最後のけりを付けるシーンなど、小説家としての円熟みを感じた。(読みやすい、以上スルーという読み方ももちろん有りですが)。一冊丸ごと、そしてさくっと近藤ワールドを楽しめる作品かと思います。


12/01/11
小路幸也「東京ピーターパン」(角川書店'11)

 小路幸也氏のノンシリーズ長編作品。

 かつてのビッグネーム、現在でも信奉者の多い伝説的ロック・ミュージシャン・宮下ジロウ。その初期メンバーでギターを担当していたシンゴこと杉田辰吾シンゴは、ある事情から六十歳になる現在、現役ホームレスとして公園で寝起きしている。かつての彼のことを知るごく僅かな協力者によって人に迷惑を掛けずに静かに暮らしている。その一人が交番勤務の吉川。彼もまたかつてはドラムを叩いていたことのある元ミュージシャンだった。印刷会社に勤務している石井は小太りの体型ながら、判る人には判る素晴らしい声を持った元ボーカリスト。現在はくたびれつつあるサラリーマンではあるが、聞く人が聞けば彼の声の良さは隠しきれない。つけ麺屋でアルバイトしている小嶋はメジャー指向のバンドの元ベーシスト。キープレイヤーの脱退でバンドは解散してしまったが、夢と現実の狭間で気持ちが揺れ動いている。実家が寺で、その離れの土蔵で引きこもり生活をしている高校生、仕事の一環としてバンドのマネージメント経験のある姉。ある日の深夜のこと、その土蔵に、ある事件に遭遇した石井がパニックから公園にいたシンゴと小嶋を引き連れて寺の土蔵に飛び込んできた……。

仮に才能があっても現実は厳しい。だからこそ、一夜のネバーランドを、彼らに……。
 小路幸也氏の著作の半数弱くらい(きちんと数えていないけど)が、ロックを中心とした音楽に関係する物語である。人気シリーズの『東京バンドワゴン』にしたって名台詞「LOVEだねぇ」も、ロックのなかの話だ。作者の側から考えるに、書いても書いても書き足りないくらいに音楽と物語が感覚的にフィットしているのだろう。本書もまたその音楽小説の系譜に連なる作品で、演奏する側が一生に一度遭遇出来るか出来ないかという奇跡について書かれた話だ。
 まあ、バンドのそれぞれのパートのメンバー、しかもそれなりの腕前の人びとが夜中にスタジオ代わりにもなる土蔵に突入……となると偶然が過ぎるといえば過ぎるし、ご都合主義はもちろんのこと。筋書きが不自然になっていることは間違いない。だけどそれでもこういう「音楽の持つ奇跡」を描いた物語を書きたかったという作者の衝動が、熱意が伝わってくる。 なので、物語はフィクションであることは当然としながらも、その「良さ」を抽出して読み取るのが吉かと思う。
 その意味では、逆に音楽の良さ、バンドの良さみたいなもののエッセンスが詰まった、というか、そのものが物語のかたちをとった作品になっているといえよう。少し前まで見ず知らずだった者同士が互いの力量を認め合い、尊敬してより良いものを作りだそうという情動。普段ならば接することのない人同士が音楽で繋がる間口の広さ。(まあ、一定以上の力量があることが条件ということになるのだけれど)。まあ、音楽って、彼らにとってはもう一つの言葉なんでしょうね。

 さらりと読める一方、楽しさとか前向きといったポジティブな感情が、ががっと伝わってくる「熱い作品」。この勢い良さと読みやすさが両立しているところは小路幸也氏の良さのひとつ(もちろんそれだけではないですよ)なので、楽しみつつ読むのが良いです。