MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/01/31
森 晶麿「黒猫の遊歩あるいは美学講義」(早川書房'11)

 森氏は1979年静岡県生まれ。ライターなどの仕事をしながら小説執筆を行い、本作で第1回アガサ・クリスティー賞を受賞した。選考経過によるとポオ作品のネタバレの修正が受賞の条件だったという。連作短編の形式をとっており、それぞれのポオ作品がモチーフとなっている。

 美学を専門とする若き大学教授・通称「黒猫」。偏屈で付き合いにくい彼の「付き人」の役割を言い付かっている博士課程一年で語り手を担う女性大学院生。このコンビが出会い、黒猫が美学の理論を通じて解決してゆく日常の謎。冒頭の作品は語り手の母親が秘匿していたでたらめな地図に関する謎。 『月まで』(モルグ街の殺人)
 黒猫たちがかつて出会った事件。軽井沢の別荘に招かれた同級生。その招いた学生が、滞在中に謎の自殺を遂げてしまう。さらにその壁の中から、本人の母親の死体が……。 『壁と模倣』(黒猫)
 黒猫の誘いで調香師の元を訪れる語り手。この街にはかつて大好きな級友が住んでいた。この調香師の香水が入った瓶が河原に捨てられており、心中しようとしているように見えるカップルが目撃されていた……。 『水のレトリック』(マリー・ロジェの謎)
 学会に出席するといっていた住職が現れなかったことをきっかけに、その住職を探して寺まで赴く……話。 『秘すれば花』(盗まれた手紙)
 喫茶店で偶然後ろの席に座った映画監督。彼が呟いた「頭蓋骨を探す」という言葉に疑念を抱く語り手。さらにその監督の自殺死体が湖から……。 『頭蓋骨のなかで』(黄金虫)
 ギリシア音楽の研究者の自宅に赴いた黒猫と語り手。その書庫でノックのような音が聞こえたかと思うと音楽らしき旋律が聞こえてきた……。 『月と王様』(大鴉) 以上六話。

個々の要素を取り出すに古い革袋であるのに、トータルで新規性を演出する不思議ミステリ。
 なんというか、あまり似た手触りの物語が記憶にないという、不思議な読み心地を感じさせられた。美学という学問にこだわりのある黒猫という探偵役が特殊なのかと読んでいる最初は思ったが、冷静に考えてみると、微妙に違う。探偵役ひとりでは、ここまで全体の雰囲気を醸し出せない。
 どちらかというと黒猫自体の存在は、奇妙にみえる謎に対してエクセレントな解を追求する天才肌探偵というもの。こうやって書き出してみると、要素としては過去の様々な名探偵が持っている要素であり、黒猫自身が名探偵役として、かつて無いほどのオリジナリティを誇っているということではないようだ。多少自分勝手でクールではあるが、こういったオーラを同じようにまとった探偵役は従来のミステリ界にも沢山いる。
 むしろ、この全体的に洗練されているようにみえる雰囲気は、探偵役というよりも世界観から来ているようだ。一つはポオの作品に則って発生する事件という香味と、もうひとつは、その提示される謎自体が発する奇妙な叙情性。これらが、クールで個性ある探偵役の解釈を通じて溶け合うことで、この独特の世界観が築き上げられている。
 語り手は天才肌の黒猫に振り回される伝統的ワトソン役(女性であるし恋心がちょろっと見え隠れするところはかわいいが)で、でも、立ち位置が黒猫より下でありながら、庶民(?)よりやや上というあり方もまた巧い。この結果、物語(謎)は天上から降ってくるのに、その解決はあくまで我々の地平まで降りてこない場所で片付けられてゆく(ように錯覚させられる)。別に地に足が着いていない訳ではないけれど、学問であるとか、人間であるとかが、大正時代でいうところの高等遊民の雰囲気を持っている。
 ポオポオこだわりすぎている訳でもないし、謎が極端に浮世離れしているということもない(少しはある)。謎に対して美学やそれに類する学問がひけらかされるとヒントがヒントになっているように思えなかったり(小生の理解不足かも)、説明不足が感じられる文章もあるのだけれども、トータルとして「不思議ちゃん」なミステリとして、うまい バランスで成立していることは間違いない。

 ここまで国産ミステリは行き着くところまで来ていたようにも思ったけれど、実際のところはバランスとセンス次第で新たな世界を切り拓けるものなのだなあと感心。というか、このセンスには、自分は創作者じゃないけれども少し嫉妬するなあ。


12/01/30
辻村深月「ネオカル日和」(毎日新聞社'11)

  今や直木賞候補の常連で、吉川英治文学新人賞を受賞している辻村深月さん。彼女がデビュー以来発表してきた各種のエッセイが初めてまとめられたのが本作。33編あるエッセイ、加えて10編ルポだけではなく、アンソロジー等に発表されたショートショートと短編小説合わせて4作も連なっており、産休に入る前の辻村さん集大成という内容になっている。表題の「ネオカル日和」は辻村さんが毎日新聞に連載していた「日本新(ネオ)カルチャーを歩く」から。

 藤子・F・不二雄及びドラえもん、能、少し変わったアクセサリー、パワースポット、フジロックといったテーマとそれに関わる人から話を聞くかたちをとるルポエッセイ 『ネオカルチャー新発見』
ミヒャエル・エンデの『モモ』、深川栄洋監督『狼少女』、クリスティー『アクロイド殺し』、ポオ『黒猫』、ロジャー・ドナルドソン監督『世界最速のインディアン』、『幻影師アイゼンハイム』、岡崎京子『リバーズ・エッジ』……辻村さんの印象に強く残る映画と本に関するエッセイ 『おおむね本と映画の宝箱』
自分の体験や身近な出来事をまとめた、ある意味エッセイらしいエッセイ 『四次元の世界へ』
特別収録 ショートショート&短編小説『彼女がいた場所』『写真えらび』『さくら日和』『七胴落とし』
そば打ち体験記であるとかショッピングであるとか、ご出身の山梨県の方言であるとか、こちらもエッセイながら少し長めの話題が集められた 『女子とトホホと、そんな日々』 以上五章による。

意外なような意外でないような。等身大女子+ちょいオタと、こだわり。辻村世界の原点。
 これだけ集成されているものを読むと、雑誌他で一つだけ囲み記事を読むものとは全体の印象が異なってくる。
 通読して感じるのは、藤子・F・不二雄さん、及びドラえもん世界への深い愛情とこだわり。特に映画の題名がぽんぽん飛び出るところは、さすがというか、まあオタクと呼んでも差し支えないレベルにあるのではないかと。また、ドラえもんの映画の内容だけではなく、一緒に観に行っていた友人との仲違いと仲直りのエピソードまでもがドラえもんがらみとなると、ああ、これは辻村世界に骨がらみで入り込んでいる文化なのだなあ、と妙に感心してしまう。(とはいってもここまで読んできた辻村作品からドラえもんワールドを想起することはあまりなかったように思うのだが)。
 また、読んできた本や映画のセレクトも、同じ業界の先輩作家がセレクトするような内容とは微妙に一線を画しているようでいて、そこも逆に面白かった。当然ながらミステリ一辺倒ではなく、通常の娯楽作品であっても、貪欲に吸収していることが分かる。それぞれの媒体に対するこだわりの持ちようが、辻村さんが作品内でも取り上げる「中二病」めいた部分を隠そうとしていないのも正々堂々として良い。また、学生時代の趣味として映画のチラシ集めを紹介しているエッセイで父親の「もっと凄い」コレクションが開陳される場面など、作家としてのメンタリティというか、こういった根本的な部分で文化的に似通った親子関係が感じられ、微笑ましく感じられた。
 とはいえ全面的に肯定することはもちろんない。セレクトは趣味なので良いのだけれども、それぞれを取り扱うエッセイや紹介記事としては個性的というよりも残念ながらテンプレート。ネタバレはないのだけれども、その面白さを表現するのに主観のフィルターを通しすぎていて、エッセイの読者たる我々もまた面白く感じられるかどうかを訴えるところは乏しいように思われた。まあ、評論する訳ではないのだから、感じたことを感じたままに書けば良いのだろうけれど。
 創作、ショートショートはまあ職業作家として水準レベルながら、二つの短編がやはり繊細で巧い。近所の有名たい焼き店で、サクラに選ばれる女の子の、期待と感激、不安と悲しみといった情動が平易ながらしみじみと感じられる『さくら日和』、神林長平トリビュートから転載となった『七胴落とし』、これは逆に通常の辻村作品ではなかなか出てこないモチーフから物語展開されていて、これまた短編ながらキレ良くまとめられている。

 いずれにせよ(まだ100%ではないながら)ある程度、辻村作品を読み込んできたので、こういったエッセイ集も普通に先入観無しに読めるようになったかな。ただ、これだけ出版不況のなか、エッセイをまとめて一冊に、という単行本が出にくくなっているように思うので、これはこれで辻村深月さんが当代の人気作家の一人であることの証左ということにもなるのかな。


12/01/29
松尾由美「煙とサクランボ」(光文社'11)

 松尾由美さんのノンシリーズ長編。『小説宝石』二〇一〇年九月号〜二〇一一年八月号にかけて連載された作品の単行本化。

 とあるバーの早い時間帯にいる常連客・炭津。中折れ帽を被ったお洒落な紳士風の彼には秘密があった。彼は十数年前に交通事故で既に命を喪っており、ある理由から現世に執着が残ってしまい幽霊となっているのだ。幽霊とはいえ、特殊なかたちの実体があり、力は弱いなりにものに触れることが出来、煙草を吹かしたりすることも可能。その分、人目につかない場所に寝ぐらが必要だったりもする。バーテンの柳井は、特異な体質によって幽霊を見分けることができ、炭津に協力する立場をとっている。会社勤めをしながら漫画家として活動もしている立石晴奈という女性は、ある場面で炭津に助けられてこのバーに連れてこられて以来、定期的にバーを訪れるようになった。彼女が、友人の漫画家に誘われて訪れたパーティで不快に思った話をぶちまけたところ、炭津は思わぬ角度から彼女にアドバイスをした。どうやら炭津には「名探偵」の素質もあるらしい。そんなかなり年上の炭津に対し、晴奈は少しずつ憧憬の気持ちを抱くようになってゆくようなのだが……。

テーマのひとつひとつは凝っていて魅力的、なのだがそれらが関わることで難しくなっているかも
 消えたジーンズの謎、先輩漫画家の悪意、そしてメインは立石晴奈の幼い頃に住んでいた家が放火され燃え跡から発見された謎の女性の写真の謎。松尾由美さんらしい、日常系の謎が長編作品のなかにエピソードのようなかたちでちりばめられている。また『バルーン・タウンの殺人』や『安楽椅子探偵アーチー』など、本格ミステリの形式を持ちながらSFやファンタジー要素を大胆に取り入れる作風もまた松尾由美さんの自家薬籠中のもので、探偵役が幽霊というだけでは読者を驚かせられないと思ったか、探偵役は特殊な幽霊、と特殊な設定まで付けてくれてしまっている。
 加えて放火されて今はないという立石晴奈のかつて住んでいたという家の映像的な美しさも良い。家でありながら船のようであり、空を背景に建っている様子というのが、全く見たことがないにもかかわらず、頭の中に浮かぶようだ。
 ――ただ、設定と、物語の構成との双方に凝りすぎてしまった結果、松尾作品らしいすっきりした味わいが打ち消し合って消し飛んでしまっている印象なのだ。パートとしてのミステリ、パートとしての人情譚としては読みどころもあるのだけれども、一本の長編のなかではそれらが不協和音として、バランスの悪さがかえって目立ってしまっている印象を受けた。恐らくは、「一般的な幽霊の設定」に様々な要素――ものに触れることができる、亡くなっていると認識している人には見えず、第三者には見える、遠くに移動できない――を付け加えたりしたため、どこか幽霊の存在自体が、作者の独りよがりが感じられる設定になってしまっていることがひとつ。(作品上の神である作者が好きに設定をいじるのは当然のことながら、設定自体が中途半端に感じられるという感じ)。
 もう一つは、謎の配置というか位置付け。
 あえて連作短編ではなく、長編の一エピソードとして幾つもの事件を挟んでいるのだが、その謎の強弱が物語の流れと合っていない。ラストの炭津による名探偵&告白場面にしても、読者にとってはあまりにもミエミエな展開(幽霊と知っているから余計に)でありながら、登場人物は簡単に理解できないため、どうしても回りくどい表現になってしまっている。作者が立石晴奈にサービスが過ぎるあまりに、読者に対して気が回ってないのではないかと思う次第。

 最終的に出そろったかたちでの「幽霊」の設定などは、他にありそうで無さそうなユニークなものであるので、この世界観を用いてもう一勝負というもありかと。その場合は、むしろ幽霊は名探偵という設定を取っ払って、純粋な悲恋というか愛情譚にしてしまった方が、この設定には向いているように思われた。


12/01/28
京極夏彦「ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔」(講談社ノベルス'11)

 これだけ電子書籍の存在が注目を浴びながら、昨年10月が日本初の四形態同時発売だったというのも面白い。というか、ただでさえ分厚いこと自体が代名詞ともいえる京極氏の小説なので、定価が変わらずとも単行本・ノベルス・文庫で同時発売という選択肢の増加は読者としてありがたいのだけれど、出版社はそうでもないのだろうね。もちろん+電子書籍も同時というのは本来消費者にとってはもっともあって欲しき姿である。果たしてどの形態が一番売れたのだろう。

 近未来の日本は、ネットワークが恐ろしく発達した管理社会となっている。人間同士の直接接触を厭う人間も増え、ネットを介した関係が一般化し、登録住民であれば少なくとも生活に困ることはない(登録されていない住民はスラム街で暮らしている)世界。『ルー=ガルー 忌避すべき狼』の事件が集結してから三ヶ月後。事件の関係者のひとりで、旧時代の動力機関である祖父の壊れたバイクを修理して時間を過ごす変わり者の十四才・来生律子は、同じく関係者でゴスロリ調の服装を身にまとう少女・作倉雛子の訪問を受ける。その雛子から、律子は毒が入っているという瓶を受け取ってしまう。律子はその毒を、同じく前の事件の関係者である天才電脳少女・都築美緒に渡して分析を依頼した。一方、前の事件の被害者の家が爆破されたり、荒らされたりする事件が続けて発生、また児童による不可解な連続殺傷事件が発生する。前回の事件で警察を辞めた元刑事の橡兜次は、三十年前、かつての自分の友人が犯人とされた殺人事件のことを調べようと、事件の関係者である霧島タクヤの事を調べるべく神埜歩未の居宅に近づこうとするが……。

十年ぶりの進展に落涙。SFの皮を被りながら百鬼夜行で出来ないミステリが描かれる
 かつてインターネットやアニメージュ(徳間だから)で、未来設定を公募した『ルー=ガルー 忌避すべき狼』のシリーズ第二弾が十年以上の時を超えて誕生。ちなみに、どんな設定を応募したかはさっぱり覚えていないけれど、御礼に貰った御祓済落款付き京極夏彦サイン入り絵はがきは、家のどこかにあるはずだ。確か全プレじゃなかったかな。
 作品としてのボリュームは大きく(ノベルス版で読んだが、これはプラットフォームさえあれば電子書籍版が正解だったかもしれない)、少女と刑事の二人が交互に語り手となる形式もあり、読者の立場によって、いろいろな読み方があると思う。十四才の複数の少女たちによる冒険譚、近未来管理社会に警鐘を鳴らす本格SF。美少女が登場する、設定がSFであるということは認めたうえで、やはり小生の読み方ではSFミステリということになってしまう。
 注目すべきは「毒」だ。SFにつき、その毒がリアルに存在するかどうかがまず気にならない。物語の構成・設定上、どうしても中盤までは説明不足というか、設定依存の謎があり、物語を維持する支点が複数あるため、毒が本書の全てということではないのだけれど、一つの支点としての役割がめちゃくちゃ巧いのだ。この毒の正体が素晴らしい。その成立経緯にせよ、その結果としての毒のあり方にせよ、科学的ではないかもしれないが論理的なのだ。加えて、その毒を巡る関係者の動きが、狂気じみた統一論理に則って実は動いていました、というところがまた良い。未来にあっても登場人物の根本的感覚・正義感は同じはず、という読者の想定する前提条件に微妙に不協和音を響かせつつ、犯人(?)側には徹底的な超絶論理が仕込まれているという。京極作品のなかでは珍しいやり方ではないが、『ルー=ガルー』の世界観のなかで、どろどろの人間模様が描かれるところは狙っているのだろうけれど、かえって全体の印象が強くなるのだ。
 また、作者のインタビューを拾い読みしていると、この登場する毒薬の小瓶という存在、近年いわゆる百鬼夜行シリーズにて登場するある「毒」と共通するとのこと。クロスオーバーが少なくない京極ワールドではあるが、こういった小道具で繋げるというのは珍しいやり方のように思う。
 あとは、ガールズ青春小説としての、どこか不思議な爽やかさが印象深い。生き残るために人を傷つけもするのだけれど、このある意味の自己中心っぷりもまた魅力である。

 「絶対できないことは絶対できない。それができると思うのを夢というんだ。だから、夢は絶対に叶わない。夢は寝てる時に見るもんで起きてる時に見るもんじゃなーい」
 「でも夢を捨てないでとか言うよ」「バカ、実現できるならそれは夢じゃなくって目標だ。それは、できることだ。実はできることをできないと思い込んでしないのは、ただのナマケ者だナマケ者」


 いいですよね。こういうの。

 基本的に、というか絶対に一作目の『ルー=ガルー 忌避すべき狼』を読んでからでないとダメですね。前回の事件の前提というか、続きとなる事件であり、ネタバレばりばりです。他の京極作品では、こういった続き読みを前提とする作品(推奨はあっても)もまた、やっぱり珍しい。理屈っぽいところ、ボリューム、それっぽい蘊蓄。どこを読んでも京極夏彦、だけど京極夏彦のなかでは異端のシリーズの一つ、かな。異端のシリーズはこのシリーズだけじゃないですから。


12/01/27
森谷明子「望月のあと 覚書源氏物語『若菜』」(東京創元社'11)

 森谷さんは2003年『千年の黙 異本源氏物語』で第13回鮎川哲也賞を受賞してデビュー。その後一般ミステリも発表しているが、王朝ミステリが多く、受賞作続編となる『白の祝宴 逸文紫式部日記』、更に本書はこの一連の王朝ミステリとして三冊目となる。架空の(史実も当然)登場人物が重なっている。

 一連の源氏物語を執筆し、それが宮中で大反響を呼んでおり香子(紫式部)もまた筆に力が入っていた。しかし熱心な読者である女房たちは物語内部の時間の流れに矛盾を発見し、それを香子に伝えてくる。一方、香子もまた「若菜」の巻を執筆していたが、その主題が重苦しいため、その矛盾の解消を兼ねた華やかで明るい物語を別に書こうと考え、夕顔の遺児である玉葛という女性を登場させることを思いつく。そんな折り、香子は藤原道長がかつての思い人の娘であり、関係としては姪にあたる若い娘を人知れず囲っているという噂を耳にし、腹心の阿手木をその邸宅に送り込んだ。『玉葛十帖』、そして後半は『若菜』で、元服前の童・糸丸の目を通じた都の状況や、名もなく貧しい人びとの生活が描かれる。なぜ厳罰があると判っていながら高貴な人びとの邸宅に火付けが行われるのか。

ちょっとした発想の転換ながら、源氏物語が見事にあるテーマのミステリに変貌している
 前半と後半で違うテーマを扱っているにも関わらず、王朝ミステリという時代性が安定しているため、二つの物語をきっちり結びつけていて、流れ上の違和感はない。おそらく普通の読書家の方であれば、宮中から登場人物を屋外に飛び出させ、その当時の貧しい人びとの暮らしに目を向けて、人間として「気付く」後半部の方が物語として高く評価するのではないか。後半部の主人公を担う糸丸少年の成長譚にもなっているし、友情物語でもある。ただ、あくまで個人的にだが、火付けの理由についてはミステリ的ではあるけれども、その動機がどちらかというと生々しく、せっかくの王宮文学であるのにエレガントさに欠けてしまっているようで評価を上げられない。(極端をいうと、源氏物語とも平安時代とも関係なくともミステリとしては成立してしまうので)。
 こう書くと丸わかりだけれど、個人的に評価したいのは前半部。宮中内部で十二分に影響力のある自らの物語を使って、巧みにある人物の行動を規定してしまうのだ。された方は、別に規制されているような気分は全くなく、しかしこれは確実に操られているじゃないですか。源氏物語ほどの物語を使うことによって、時の権力者の行動に影響を与えるという、この大胆な発想が、基本的に現代的ではあっても、同時にミステリ的に優れて見えて仕方がない。 その結果、人ひとりの人生が大きく変化し、彼女の幸せが物語後半でも明らかになるところ、いやいや、巧いですよ。一方で、あの有名な「望月の……」の句を詠んだ道長の、その「望月のあと」という舞台裏も並行して描かれていると。この何重にも物語テーマを重ねて厚みを出しているところ、これも重ねて、巧いです。

 王宮文学としては非常に筆致が安定しており、ミステリ的な要素を加えていながらそこに違和感もない。登場人物の感覚をあくまで当時らしい感受性で描いているのに、それが現代読者であるこちらに違和感として伝わってこないところもさりげないけれども素晴らしいテクニックかと。ただ、王宮ミステリという段階でエンターテインメントとしての受け手が限定されてしまうかもしれないところがもったいない。が、いかんともしがたいので、王宮ミステリOKの人には一連の作品をやっぱり読んで頂きたいもの。


12/01/26
横関 大「チェインギャングは忘れない」(講談社'11)

 2010年『再会』にて第56回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした横関大氏の三冊目となる長編作品。ノンシリーズ、書き下ろし。

 東京拘置所から茨城県の刑務所に向かう護送車が、何者かの襲撃を受けた。護送車で運ばれていたのはせいぜいが懲役八年以下の囚人たち。決して凶悪犯などではなかったが、うち五名が襲撃者の手助けのもと脱走を果たした。その事件と前後して、トラック運転手の水沢早苗は、サービスエリアで自分のトラックの側に寝転がっていた大貫修二と名乗る若者の強引なヒッチハイクにつかまってしまい、苦笑しながら新宿方面へと送ってゆくことになる。修二は自分の記憶が曖昧だといい、早苗から一万円を借りると姿を消してしまう。都内ではクリスマスの正午に女性をネット中継しながら殺害する「サンタクロース」なる殺人鬼に対して厳戒態勢がひかれていた。そんななか池袋署刑事課の神埼と黒木は、チンピラとはいえ地元でも筋が通っていることで知られる大貫が脱走したことに好奇心を抱き、極秘裏に行方についての調査を開始する。勤務先から一人暮らしの息子・航平が待つ自宅に帰ってきた早苗だったが、そこに修二が再び現れ、人なつっこい笑顔と憎めない性格から、するすると水沢家に入り込んでしまう。

ご都合には黙って目をつぶって、物語の流れ、そしてスピード感に身を任せよう
 先に述べておくと、物語構成の全体にわたって、かなりご都合主義的な展開が鼻につくところがある。サービスエリアでトラックの側に寝ていた強引なヒッチハイカーって、それが女性ドライバーだったらもっとも関わっちゃいけない人種だと思うし、ヒロインが○○されてから救いのタイミングラグだとかも、凶悪で頭脳的な犯人像の割りには、いろいろと抜けた一面がかいま見えて微妙に読んでいて「あれ」と思うような落差が多い。最後盛り上げるために事件執行をわざわざ時間調整している感じですらあるし。
 ただまあ、そういった細かく突っ込みたくなるような部分に目をつぶって流れだけ楽しむ分には悪くない。むしろ、そういったフィクションならではのちょっと突飛な展開をつないで、全体的なスピード感を重視しているということであれば許容範囲だといえるのではないだろうか。事件が進行してゆくにつれ、なぜ護送車からわざわざ刑期が短い犯罪者が脱走するような事件が発生したか、という謎の大きな理由はみえてくる。ミステリとしては、むしろその理由が明らかになったあとに感じられる細かな齟齬の埋め方に妙味を感じた。そもそも修二と早苗は高校時代に面識があるという描写が冒頭にあるのに、このよそよそしさはいったいなぜ? であるとか。
 ある意味、小説よりもドラマなどでがんがん物語を進めてゆくようなメディアにより向いているのかもしれない。ただ、小学生を連れての雀荘での資金稼ぎであるとか、トラックに昭和歌謡だとか、作中のエピソードの細かなディティールへのこだわりがユニークだったりもする。そういう意味では変わった作風にもみえる。

 ちなみに、チェインギャングとは、人種差別が激しかった時代の米国の言葉で、一本の鎖で繋がれた多数の囚人のことを指す言葉。この作品では、鎖のような絆で結ばれた集団という意味で使用している。一見何のことか判らない題名の意味がラストに向けて浮かび上がる展開などには好感が持てた。


12/01/25
法月綸太郎「キングを探せ」(講談社'11)

 書き下ろし。恐らく昨年刊行された作品であるが、来年末のミステリ系のランキングで相当高位に来ることがこの段階で明らかだと断言できる作品。少なくとも『本格ミステリベスト10』なら3位以内。去年で言えば『折れ竜』クラス。

 互いを渾名で呼び合う四人の人物。夢の島、イクル君、りさぴょん、カネゴン。互いに全く利害関係のないその四人はとある場所で知り合い、それぞれが殺したい相手を抱えている事情があることが判明。四人による交換殺人の計画が、とあるカラオケボックスで話し合われる。自分が殺害する相手と、その執行順が新品のトランプカードによって決定された。Aを2枚を引いた夢の島がトップバッター、そして殺害対象はAの頭文字を持つ、安斎という名の一人暮らしの老人だった。安斎はイクル君の叔父で、猜疑心が強く狷介な性格だった。夢の島は、うつ病を患う妻の目をくぐり抜け、深夜に安斎宅に向かい、イクル君のアドバイスをもとに飼い犬に睡眠薬を仕込む。強盗を装い、安斎を縛り上げると、屋根裏に隠されていた現金も奪おうとするが、そこに手製の警戒装置がセットされていることに気づき、安全な位置の札束のみを奪い、そして約束通り安斎を絞め殺した。唯一の親族であるイクル君は、当然捜査対象として警察に調べられるが、彼は当然ながら絶対確実なアリバイを用意しており、早々に容疑者から外れることが出来た……。

複数犯罪の一部に倒叙形式を借りることでトリックとサスペンスを両立。本格ミステリ、威風堂々
 交換殺人を扱ったミステリは幾つもあるが、なかなか現実問題としてはうまくいかない要素が多い。とにかく最後に殺人を担当する人間は、別に殺人を実行する必要が無くなっているからだ。(自分のターゲットは既に死んでいる訳ですから当然ですね)。二人より、三人、三人より四人と、関係する人数が増えれば増えるほど、殺人自体の嫌疑からは免れやすいかわりに、秘密の保持や良心、ミスなどによる露見の可能性は高まってしまう、と。なので、トリックそのものよりも、そのモチベーションの維持といったところに無理が働き、物語として窮屈になりやすい。
 ただ、さすがは法月氏。そういった要素も重重に理解したうえで、本格ミステリとして、ついでにいうとそれ以上に一個の小説として全体を非常にうまく処理している。まず前半部を、犯罪の実行場面を読者とともに追いかける倒叙ミステリとし、特有のサスペンス風の吸引力で読者を引き込む。そのままサスペンスだけで押し通すこともできただろうが、そこは本格ミステリなので変化球が入る。後半はその読者に赤裸々に見せてきた前半部を踏まえ、そこから強烈な謎解きミステリを機能させているという奇跡の一品である。前半部は前半部で、いわゆる倒叙ミステリの面白さがあり、後半に論理が繋がる本格ミステリの面白さがある。実に贅沢なミステリ。
 そして小説としても無味乾燥した内容になっていない。重大な犯罪をこれから犯そうという際の、犯人が覚える恐怖、実行中の異様な高揚感、終わった後の安堵と後悔。その心理状態に加え、捜査側も五里霧中から手がかりが少しずつ見つかってゆく過程が生き生きと描き出されている。ダミーの解決――とまでいかないが、探偵役の法月綸太郎が、かなりしょっちゅう的外れな(事件の真相を知る読者からしてみると)推理をしているところも、むしろ自然な展開にみえる。血が通っている印象。
 また、題名からは、倒叙ミステリをもまた得意とした本格派の驍将・鮎川哲也氏への強いオマージュが感じられる。題名にしても同氏の長編作品『王を探せ』を一部英語にして漢字の開き方を変えたものだ。ただ内容の方は、同姓同名容疑者四人のアリバイ崩し――といってもうろ覚えの『王を探せ』とは異なっているかな。

 寡作ながら法月氏の長編作品は、本格ミステリとしてきっちり評価されてきており、本書もまたその高評価に連なる作品となるであろうことは想像に難くない。本格ミステリファン必読、とシンプルに述べておく。


12/01/24
中山七里「要介護探偵の事件簿」(宝島社'11)

 中山七里さんのデビュー作であり、「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した『さよならドビュッシー』『おやすみラフマニノフ』の前日譚にしてスピンアウトの連作ミステリー。「冒険」と「快走」は「このミステリーがすごい!」関係書籍に発表された作品だが、残りは書き下ろし。

 名古屋で不動産を中心に事業を展開する香月玄太郎。老齢となってなお意気軒昂だったのが脳梗塞で倒れ、車椅子生活を余儀なくされることに。しかし玄太郎は全く腐らず、元気だった頃以上のパワーで今日も失礼な人間を遠慮会釈なく罵倒する。
 玄太郎が売りだそうとした宅地に隣接する、建築されたばかりの家から設計士の死体が発見された。現場は施錠された密室で、犯人の目処が立たない。自分の財産の売れ行きに影響が出始めると、玄太郎は強大なコネを使用して警察から情報を獲得、いくつかのヒントからある人物に目を付けた。 『要介護探偵の冒険』
 玄太郎が倒れた直後のエピソード。奇跡の生還を果たしたものの身体の各所に障碍が残ったためリハビリセンターに通う玄太郎。玄太郎は趣味のプラモデル作りで、また別の老人は息子夫婦の励ましで歩行訓練に勤しむ。しかし隠れた殺意がセンター内にあった。 『要介護探偵の生還』
 玄太郎の住む住宅街で後期高齢者ばかりを狙った襲撃事件が連続して発生していた。玄太郎は警察のやる気の無さに憤慨、小学校の平等主義にも憤慨し、百万円を賭けた車椅子競争を運動会に無理矢理ねじこんだ。 『要介護探偵の快走(チェイス)』
 計画停電でいつもより閉店時間を早める歴史ある銀行。ATMでお金をおろそうとした玄太郎がいる時間帯に、駆け込んできたのは四人組の強盗たち。停電で電磁ロックが効かなくなる金庫を狙った周到な犯罪に玄太郎の推理が冴える。 『要介護探偵と四つの署名』
 玄太郎の長年の悪友で、政界の重鎮にあった大物議員が自宅で趣味のレコードを鑑賞中に毒殺された。飲食物に毒は仕掛けられておらず、投与経路が判らない。音楽に疎い玄太郎は、自らの経営するアパートの店子・岬洋介を伴って友人の弔い合戦に赴く。『要介護探偵最後の挨拶』 以上五編。

ミステリーとしての出来はでこぼこ、だけど玄太郎の性根が一直線
 身体、特に下半身は悪いが、そのこと自体はもう個性の一つとして本人が考えていない。「要介護」と謳ってはいるものの、これだけ口と頭が回る老人という個性が物語を圧している。 天上天下唯我独尊タイプの探偵役は、過去の作品のなかにいくらでもいるけれど、老人であること、要介護であることをハンディとも何とも感じていないという意味での無軌道っぷりはむしろ頼もしく、不快感は少ない。特に、物語の内部でしばしば発揮される己の確固たる価値観に基づく独自の正義感に、一本筋が通っていて良い味が出ている。
 また、玄太郎老の個性だけが物語のポイントではない。そちらはそちらで毎回毎回思い切り発揮されるながら、個々の短編には微妙に蘊蓄ミステリの側面がある。 『冒険』では建築だし、『生還』はリハビリ、さらに『快走』は車椅子。『最後の挨拶』はレコード鑑賞で、かなりマニアックな領域に入りこんでいってます。それぞれが、ミステリとしての謎に重要なリンクがあり、蘊蓄がよく調べました、という結果報告になっていないところは評価できる。
 また、小粒ではあるがミステリとしては気が利いた内容が揃う。『四つの署名』については、正直中編以上で処理しても良かったのではないかと思うが、『生還』では読者の思い込みを思い切り反転させる手腕が鮮やかであるし、『快走』も多少無理はあるものの、クライマックスがユニークだ。『冒険』あたりは前例あることも踏まえてこうしたのかどうか。トリックそのものというよりも、物語のなかでの使い方が上手なので、読んでいて飽きさせない。

 物語の構成やトリックの扱い方それぞれにセンスがあり、短期間にそれなりにミステリを刊行している割に、その品質が今のところキープできている印象。本作はシンプルにして「まんま」な題名で少し損しているところがあるが、老年・障碍者が共に元気になれる作品だと思う。


12/01/23
辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ」(集英社'11)

 第145回直木賞候補作品。『小説すばる』2009年11月号から2010年11月号にかけて連載されていた作品。ノンシリーズで、恐らく現段階では他作品の登場人物と繋がっていないと感じられた。

 中学二年生の小林アンは、『赤毛のアン』をこよなく愛する母親からつけられた自分の名前が気に入らない。しかし、彼女自身はそこそこかわいいという外観もあって、同じバスケ部に所属するクラスの中心人物である芹香らと仲良くしていた。ある出来事を理由にして、現在は別れてしまっているがかつては彼氏もおり、いわゆる「リア充」に属していると見られていた。しかし、浮き世離れした母親の感覚や、実はクラスの友人たちの会話などに共感できず、世間で発生する中学生の自殺など暗い事件が掲載された新聞をスクラップし、書店にある人形が掲載された高価な写真集に魅せられるなど、彼女には裏の顔があった。家族とも友人とも心の底から馴染めておらず、ある些細な出来事から芹香らから無視されるようになったアン。そのアンは、隣の席に座る「昆虫系」と揶揄される一段に所属する徳川勝利の発言や行動が気になるようになる。河原に血まみれで中に何かが入ったビニール袋を捨てていった徳川を見つけたアンは、思わず彼に対して口走ってしまう。「私を殺してくれない?」

思春期の子供の持つイタい思考(中二病)を揶揄せず、真面目に正面からこの葛藤を捉える
 中二病という用語は、その概念を含めた言葉として、インターネットを中心にあるレベル以上の知名度を得てきているように思う。後で考えるとなんであんなことに夢中になったのだろうというような、サブカルや他者と異なる文化や考え方への傾倒だ。親や友人の一般的価値観とは異なる何かに価値を見いだすことで、自分自身の差別化を図るというと身も蓋も無いか。ただ、そういった肌的な感覚が本書の大きなモチーフとなっている。
 この作品における主人公の中二病。これは、日常的に接する他の友人たちと異なる感覚、異なる趣味──というよりも、自分自身の感覚や感情が他者と異なることを自覚し始めたという方が近いか。主人公の、暗部に何となく憧れていく気持ち、と、同時に友人や家族が幼く(つまらなく)みえるというこの感覚を、実に巧みに活字にし、文章にまとめている。自分を殺してくれ、という叫びを発するかどうかは別にして、こういった自己と他者との感覚の違いを自覚したことのある人間は少なくないと思う。また、作者は、小林アンにそういった感覚を持たせつつ、リア充側としての友人づきあいもまた維持させる。表面上の友人関係を維持しながらも、彼女の内面に渦巻く葛藤が、良い具合に物語を波立たせている。
 さて、主人公の小林アンの造形も巧いのだが、そのほかに相当する登場人物の造形もまた巧い。ベストプレイヤーは、アンから相棒として指名される徳川勝利なるのだろうが、学校の先生からアンの友人たち、母親といったところも、そのアンからみたときの「つまらなさ」がよく表現されており、単なるモブではなくアンの考え方、生き方との比較対象として常に場面に現れている印象だ。そのアンからすると「つまらない」と思える人間が、現実にはアンの普段の平和な日常の鍵を握っているところも皮肉だろう。そしてまた、最終的にはアンがクールだと捉えていた、徳川勝利ですらアンよりもひどい中二病に冒されていたということ。彼らのあいだにあるのは共犯関係というより不協和音にみえるのだけれども、自覚がないまま物語が進むところが痛々しい。
 そして終盤、いくつもの障壁を乗り越えて、アンと徳川が自殺に近い殺人計画に向かって突き進んでいく。このパートは登場人物以上に読者がスリリング。 語り手でもある主人公は、物語から「死」というかたちで退場するのか。それとも何か別の行動を選択するのか。ぎりぎりまで、予断を読者に許させないスリリングな展開もまた、作者の力量。そして登場人物に対して残酷なのは、これらの一連の出来事を経た後日譚をエピローグに使用しているところ、か。何がハッピーエンドだったのか、そうでないのか。

 残念ながら直木賞とはならなかったが、ここまで発表されてきた辻村作品の明らかな延長でありながら、同時に新境地に至ったかのような濃厚さがある長編作品。 題名の不可解さ、一種の軽さからは想像がつかないような重みが読み取れた。中二病に罹り、中二病を乗り越えた(経験があるのだろう)作者だからこそが描ける、若者にとってある一瞬の物語。瑞々しく、そして痛々しい。


12/01/22
古野まほろ「天帝のあまかける墓姫」(幻冬舎'11)

 古野まほろ氏による「天帝シリーズ」の六冊目にあたる作品。従来講談社ノベルスで刊行が続いてきたシリーズではあるが、出版社が幻冬舎に変更されて以降、本作が、中断していた天帝シリーズ再開の端緒という位置づけとなる。

 米国のアンドルース空軍基地から最新鋭の超音速旅客機にして日本政府専用機である「おおろら」が飛び立った。外務大臣をはじめとする軍の要人や、米国大統領と親戚筋にあたる学芸員のほか、ある事情で米国を訪れていた二人の高校生・古野まほろと、穴井戸栄子もまた同機に搭乗していた。数多くの護衛や随行員が同行していたにもかかわらず、この機体はハイジャックされてしまう。その際に効率的な虐殺が実施された結果、生存者はたったの十八名となり、機内の一室に軟禁されることとなってしまう。犯人は躊躇なく人質を殺害できる行動力を持ち、政府に対してある二人の人物を早急に探し出し、都内の小学校に連れてくるよう謎めいた要求をつきつけてくる。政府側から持ちかけられた駆け引きはほとんど通用せず、さらに「おおろら」には高度四千メートルを切ると爆発するという爆発物も仕掛けられているという。しかも、このハイジャックされた飛行機内で犯人たちにも与り知らない状況下で不可思議な殺人事件が発生してしまう──。

いろんな意味で盛り沢山。ミステリサブカルロジック、この過剰さ加減は……うーん、好きな人には麻薬。
 個人的には天帝シリーズは最初の作品で挫折した経験があるのであまり相性は良くないであろうことは判っていた。小生基準でいうと目茶苦茶に時間を要したながらも、最後まで読みましたよ、僕! 気に入らないなら感想書くなとか信者の方からは言われそうだが、まあ、相性が良くないなりにそう感じる理由を分析しながら書いたので、あまり怒らないでくださいね。
 結論を述べると、自分にとっての居心地はめちゃくちゃ悪いのだけれど、暴走加減がとてつもなく面白い。

 読み心地ではなくて、居心地。さて、居心地の悪さというのはどういうことか。――自分もいくつかの方面についてはオタクであることを認めなくもない(歯切れ悪っ) けれど、古野作品に関していうならば、オタク向けパートのボリュームが相当に多いにもかかわらず、自分の手持ちの知識が通用するのが探偵小説・本格ミステリ関連部分のみに限られてしまうのだ。
 古野氏のオタクっぷりは、その他にもいろいろ繰り広げられる、というよりも、一人称で思考や発言のなかでぶっ飛び、脱線しまくって説明なしに繰り広げられている。独特のレトリックと相まって、その少し本筋と外れた表現が元ネタあるパロディなのか、古野氏自身の文章技巧なのか、第三者では判断が難しい(と思う)。自分の身に当てはめた時、いわゆる蘊蓄やネタ会話といった部分で理解できるのは精精2割まで。残りの半分くらは、たぶんガンダム、たぶんエヴァといった想像は出来ても、その喩え言葉が示す元ネタ上の意味合いが理解できない。まあ、ガンダムは1st止まり、ハマーンとかいわれても顔すら浮かばない俺は今更そっち方面を勉強する機会もそうないと思うし。
 ただ――、そのごてごてした前半を過ぎ、大量殺戮ではなく、それとは別の「個人」が特定される殺人事件を迎えて以降の構造的部分は正直、かなり面白い。次々と登場するダミーの解決、その否定、微妙に探偵小説上のゲーデル問題なんかも加味しつつ、衝撃的な解が次々と提示されてゆく。
 後半部はもう圧巻。これでもう最終解決だと思われるところから、複数回のひっくり返しがある。 それぞれが強引なようでいて、論理的には裏付けがあるなど周到な手業には驚かざるを得ない。ここまでやられるとサプライズのためのサプライズになっているところ、また、そもそも文章がこてこてな分、どこそこにこういう記述があったといわれても余り感動できない。文章そのものがシンプルで読みやすければ証拠のさりげなさにもっと驚けたと思うのだが。もちろん個々のトリックは凄まじいうえに素晴らしく、その論理で詰めてゆく展開そのものもスリリングなんですけどね。
 また、最終パートに至ると、過去作品に登場した重要人物が次々登場、それぞれが果たす意味がわかりにくく、初読には辛い状況になる。こればかりはシリーズ読者以外を置いてゆく展開になってしまう。まあ、シリーズ作品を中途で読んだこちらが悪いので気にしないことにするが、気になる方はやはり一冊目から、ということになるのだろうか。また再刊が進んでいることであるし。

 見た目の厚み以上に重量級。あまりに凄すぎて、理解できている気がしない。また本書一冊だけでも、いわゆる「まほろ信者」が現れることも改めて理解できた。が、読者としてリーダビリティを求めるのも自然な欲求なので、その点だけは自分としては最後まで合わなかった。文章や文体からいろいろ意図が感じられた部分もあるが、それ以前に読みにくいという感覚はいかんともしがたい。


12/01/21
伴名練「少女禁区」(角川ホラー文庫'10)

 伴名練氏は高知県生まれ、東京都在住の会社員。2010年に表題作で第17回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。本書は表題作を含む二編からなる中編集。書き下ろし。

 鏑木技研という企業を興し、各方面の産業を貪欲に取り込んで三十年で急成長を遂げた企業グループの創始者・鏑木陶彌。二年前に彼は死亡。しかし死してなお、その年若い娘・夕乃と息子・相馬に対し二十四時間のフル教育プログラムを施し、その意識を支配していた。彼の生存中も、小さな反抗はあったものの、圧倒的な力でその芽を父親が恐怖を伴うやり方で叩きつぶしてきた結果、少年も少女も父親を怖れ、二人は互いにべったり頼る共依存の関係に陥っていた。『chocolate blood,biscuit hearts.』
 数百年に一人といわれる程、呪咀に長じた天才少女。彼女の才が明らかになるにつれ多くの大人子供が彼女に対して干渉したが、彼女にはどんな呪いも通用しないばかりか、徹底した呪咀返しに例外なく遭わされた。彼女はいつの間にか忌みの代名詞となっていて、ある日、父親とその後妻とが爆ぜた死体となっている側に彼女が発見された。宗家のしがらみで彼女と同居することになったまだ少年の”私”は、家族に手を出させないために彼女の玩具となることを承諾する。『少女禁区』 以上二編。

ホラーの風味は効いているけれども、二編とも純粋な愛情が貫かれるラブストーリー
 やはりまずは表題作、『少女禁区』。いろいろな装飾・形容詞が絡められているものの、そういった要素をはぎ取った本質としては、ドS少女とドM少年との純愛小説ということになる。最初の段階、この冷酷な少女が、少年の身体に苦痛を与え、その苦しむ様子をみて楽しんでいるという関係のうちは、まあ普通の趣味の押しつけみたいなものである。その趣味が苦痛であるがゆえに、ホラーだと普通に安心させられる部分もあるだろう。だが、物語の進行につれ、その苦痛のみが糸電話のように互いを繋ぐ遠距離恋愛となることで、苦痛を与え合うという手段がむしろ崇高な絆として聖性を増し、結果として、そこに愛情のみが浮かび上がるという仕組みである。偶然できたのか、計算でそうなったのか。いずれにせよ結果(つまり物語)をみるに周到な構成となっている。なんたって痛覚を刺激しつつ、最後は甘酸っぱいってのはどうよ。
 そして、その骨格たるストーリーにホラー・ジャパネスクの要素をまとわせる。呪詛を身上とする一族、旧弊たる柵、村社会。そういった旧社会の非情、それが物語の筋書きとマッチングしている。この点は作者のセンスを褒めたいところ。特に少年が、少女の手指の醜さを褒めるくだりなど、なかなか気が利いている。
 穿った読み方をするならば、こういった肉体関係を伴わない特殊愛情表現形式を実現するという形式自体は、現代ラノベの袋小路化した物語バリエーションのうちにもある。というような見方をするならば、この作品は新しい怪談というよりも、ホラー風ラノベに立ち位置は近しいようにも思えなくもないか。

 もう一作『chocolate blood,biscuit hearts.』は圧倒的な圧力に晒されて精神的に緩やかな崩壊に巻き込まれつつある姉弟の話。こちらは施された教育プログラムにせよ、その後の脱出生活にせよ、恣意的に操られているような展開が多いせいかどこか人工性が高く、物語全体に作り物めいたイメージが伴う。また、後半の展開がこうなったら嫌だけどこうなるんだろうなあ、という坂道ころころ転落人生になってゆくのが読んでいて辛い。まあ、ホラー文庫 だから辛くて良いのだろうけれど。

 やはり心により強く残るのは、ホラーでありながら純愛小説でもある表題作の方だろう。さすがに後半、純愛と判明してしまってからは、ガジェットが反転してかえって甘さがきつくなりすぎている感もあるけれど、インパクトという意味では悪くない。短いながらも心に残る作品集です。