MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/02/20
北山猛邦「私たちが星座を盗んだ理由」(講談社ノベルス'11)

 『メフィスト』二〇〇七年五月号掲載の『妖精の学校』、同七月号掲載の『恋煩い』、『妖精の学校』二〇〇九年七月号掲載の『嘘つき紳士』に加え、書き下ろし短編二編が加わった、北山猛邦初のノンシリーズ短編集。

 通学途中にある駅ホームの反対側にいる先輩に一年近く片思いしているアキ。彼女にはシュンとトーコという仲良しがいて、シュンからは一度告白されたが断っていた。アキはトーコが教えてくれる恋のおまじないを実行することで先輩に近づけるようがんばり始める。 『恋煩い』
 ――目覚めると白い服を着た子供たちが住む島の建物だった。自分のことが思い出せない彼女はヒバリという名前を貰い、その島の学校で生活を開始する。島の一部にはフェンスがあり、危険な虚があったり、魔法使いがいたりするらしい。 『妖精の学校』
 借金で苦しむ男が池袋で偶然落ちていた携帯電話を拾った。男は一計を案じ、その持ち主が田舎に残してきた 交際相手の女性にメールを送って現金をせしめようと考える。実は持ち主は交通事故で死亡していることを知るが、男は引き続き、彼女にメールを送り続ける。 『嘘つき紳士』
 中世西洋の山奥にある貧しい村に突然「石喰い」が現れた。石喰いは触れるだけで村人を石化させ、その人間を貪り食った。村はパニックに陥り、毎晩襲ってくる石喰いによって多数の犠牲が出るが、村はずれに住む鳥打ちが石喰いを倒した。それから十年以上が経過し、石化された人間を元に戻す技術を持つ人物が村を訪れる。 『終の童話』
 十数年ぶりに隣家に住んでいた夕兄ちゃんと再会した姫子。夕兄ちゃんは姫子と共に、もう亡くなった姉の麻里が入院していた病院に通っていた。看護婦となった姫子は、夕兄ちゃんはどうやって麻里に首飾りをプレゼントする代わりに首飾り座を消してしまえたのかを尋ねた。 『私たちが星座を盗んだ理由』 以上五編。

丁寧に構築された物語世界が、ラスト近くで反転。短編ミステリ特有の「キレ」を徹底的に磨いた珠玉集
 何はともあれ、まずは『妖精の学校』だろう。本書オンリーでは最後の意味が普通判らず、作品自体のオチも意味も分からないという困った作品である。ヒントはあからさまなので、読み終わってからパソコンなりでその意味を調べた結果、読後感がどろどろに変化するという希有な体験をすることになった。 まあ、最後の表記が緯度経度を示していることさえ判れば、それがどこに相当するのかというだけの問題だったのだが。(調べることが前提という意味では電子書籍でスマホとかで読むとすぐに調べられるよなあ……、と少し考えが脇道に入る)。
 ここからの読後感の変化はなかなか味わったことのない不思議なもの。場所が特定される。ふーんと思う。物語の内容を振り返る。その「場所」に、なぜこんな物語が生まれ、成り立っているのか。 記憶がない子供たち、「その場所は何処にも属さない」という紙に書かれたメッセージ、ということはその目的は……。と、読み終わって調べてから、また頭を使わされた挙げ句、最終的には、どこか戦慄めいたものが背筋を通り抜けるという。 凄い作品だ。
 続いては、冒頭の『恋煩い』、トリックそのものはヒントが多いのでかなり早い段階に見抜けたのだけれど、この作品は見抜けたことだけで読者が知恵を誇れるような作品ではない。誰が仕掛けたのか、というフーダニットも構造が分かった段階ですぐに分かるし、むしろ感心すべきは、物語の構成の方かと思う。だが、最後の一行、二文字で息止まった。 これが最後かよっ! この二文字のおかげで見えていたカラーの場面が瞬間でモノクロに変わるような変換が脳内で実施されちゃいました。
 『終の童話』も好きなタイプの話。途中で明らかになるミステリ仕立ての部分はそう感心しないものの、とてもうまくリドルストーリーとしてまとめてあるところに好感。また『嘘つき紳士』は、携帯電話の特性をうまく使ってはいるものの、なんとなくこちらは物語構成に古くささを感じた。男と女が互いに裏切り合う展開が、どうも昭和ミステリっぽく感じられたからかもしれない。
 表題作『私たちが星座を盗んだ理由』はトリックよりも、題名含めて醸し出す雰囲気を楽しむ作品のように感じられる。物語が、しばしば北山作品の挿絵、カバーを手がけられる片山若子画伯の画調に捧げられているような印象を受けた。

懺悔すると本来昨年中に読んでいなければならない作品集の積み残し。改めて採点するに個人的にベストに投じはしないまでも、非常に志のある、ミステリとしても、物語としても質の高い作品集であると感じられた。 良作です。


12/02/19
天袮 涼「葬式組曲」(原書房'12)

 2010年『キョウカンカク』で第43回メフィスト賞を受賞してデビューした天祢涼氏による書き下ろし長編。天祢氏にとり、講談社ノベルス以外では初の単行本となり、そういう意味では初ハードカバーともいえる。

 経済情勢の悪化と、その不明朗な会計方式などから「葬式は無駄」という風潮が高まったパラレルワールドの日本。「葬式税」の導入の結果、葬式を行わず死者が出るとそのまま火葬にしてしまう「直葬」が当たり前になっている。その日本でも唯一、伝統文化を守る観点から葬式に補助金を出し、葬式という風習が残されたS県にて葬祭業を行っているのが若き女性社長が率いる北条葬儀社だ。
 父親に反発して家を飛び出した次男が、家業を継いだ長男を差し置いて喪主に使命される。『父の葬式』
 祖母の葬式をするにあたり、遺族はなぜかその棺に対して過剰なこだわりをみせる。『祖母の葬式』
 直葬指示の政治家の息子が交通事故死。妻は葬式を主張も夫は否定。子供の遺体が密室内で消失してしまう。『息子の葬式』
 社長の幼馴染みの女性が首を吊って死亡した。残された夫は、亡くなった妻の声の幻聴に怯える。『妻の葬式』
 本書で行われてきた一連の葬式について引っかかるものを覚えた人物がいた。『葬儀屋の葬式』 以上五編。連作短編集。

前四話と、最終話とのミステリとしてのギャップがユニーク。天祢ミステリの別側面を発見
 講談社ノベルスにおける天祢作品は、稀代のマジシャンによるステージマジックを彷彿させるような、絢爛豪華系本格ミステリというイメージを個人的には持っている。複数のトリックを仕込み、様々な派手な事象を演出しつつ、その解決については伏線をしっかりと使用し結構手堅かったりするところも特徴か。ここまで一連の作品を評価していることもあって、本書(地味な表紙だけど)その延長の派手系ミステリを想像していたら、表紙同様の地味というか、別の意味で手堅いミステリだったことに驚かされた。
 風習やルールが現実と異なっているようなパラレルワールドの日本を舞台にすること自体は、本格ミステリであっても、近年そう珍しいものではない。しかし葬式のない世界という発想はなかなか普通出てこない。前の四作はそういう世界のなかで、人間が亡くなったら当たり前のように葬式を行わない時代のなか、敢えて「葬式」を行うその意味・意義について切り込んでいる。その問いかけは当たり前に葬式が行われる現代の日本人に対しても同様に問題提起をしているように感じられる。
 もちろん、それぞれミステリとしての体裁は整っており、葬式という「人の死に絡む」非日常が舞台となっているだけに謎の位置付けが、「日常の謎」と「非日常の謎(殺人とか?)」との中間に位置している。 そこまで考慮したうえでの設定かどうかは不明だが、それぞれ謎の置き方がユニークだと感じられた。また語り手も作品ごとに葬儀社メンバーそれぞれと異なれば、謎・事件の性質も四つが四つとも異なるなど、バラエティに富んだものになっていて 読んでいて飽きない。
 ほうほう……、と感心して進んできてぶつかるのが最終話。同じ葬儀社が手がける葬式という共通項はあれど、事件の性質や関係者が異なるはずの先に発生していた事件が、連作短編集としてひとつにまとまって別の顔を読者に見せるのだ。真相そのものよりも、あからさまに提示されていた伏線に気付かなかったこと自体がサプライズを呼び込んでくる。このサプライズの物語上の必要性自体は疑問符がなくもないのだが、よくぞこうもまとめてきたという意味で深く感心させられた。

 『キョウカンカク』など講談社ノベルスで天祢涼が合わなかったという方にも一読いただきたい出来。ただ逆にそちらで高評価を出している人には刺激という意味では少し物足りない可能性もあるかも。小生などは本作を読んで、逆に天祢涼という作家の本質が良い意味で分からなくなった。なんというか、意外と作品の幅が広いのね。


12/02/18
鏑矢 竜「ファミ・コン」(講談社ノベルス'12)

 鏑矢氏は大阪在住。2010年メフィスト賞に初投稿。『メフィスト2011Vol.2』へ投稿された本作が物議を醸し、メフィスト賞受賞ではないのに単行本化され、デビューとなったという。

 多人数の弟妹を抱える大家族の長男・連城紡。高校三年生。しかし、眠れないまま居間で過ごしていたある深夜、帰宅した父親の手によっていきなり家を追い出されてしまう。パジャマ姿のまま、現金は皆無で渡されたのは食料を積んだ一台のリアカーだけ。それもこれも、父親が連れて帰ってきた同い年の美少女・雛先幽(ひなさき・かすか)が家に住むことになったから、というのが理由。つまり、預かりもののお嬢様を僕が傷物にしてしまわないようにというものだ。仕方なく僕は友人宅にお世話になろうとするが、いろいろ自分の貞操の危機を感じて飛び出し、アルバイトで雇ってくれている二歳年上の情報屋・臨(のぞむ)先輩のところに厄介になる。翌朝、裸足にパジャマ姿でリアカーを引いて登校した紡は、同様に転校してきた幽と再会することになる。

この結末は驚愕ではなく予定調和では。ライトノベル系どたばたエンターテインメント
 よくいえばアグレッシブ、正直にいうと、ひたすらにどたばたしたエンターテインメント作品。 ただ、個人的には最近のライトノベル読み込みの成果もあって、あくまでなんとなくだが、この作品の立ち位置なんかも分かる。気がする。
 とにかく主人公(紡)とヒロイン(幽)とで行動と思考が交互に描かれ、それが唐突なところで切り結ばれる。その展開における彼らの思考と行動の勢いがとにかく凄まじいパワーに満ちている。冷静に考えるとあり得ないような展開や、絶対不可能な物理現象、あまりにひどい反射的仕打ち、突拍子も無く前触れのない行動……等々を全て「物語の勢い」で流してしまって超絶な辻褄合わせを実現しているという物語。飛行しているヘリコプターに人間は普通飛び移れません。そんなこんな、ぎりぎりのところで成立し、繋がってゆく行動と行動の一連の流れは、なんというかもうエピソードのピタゴラスイッチ。 ぎりぎりで成り立っているというよりも、成り立たないものを成り立つように錯視させられている感覚なのだ。
 全てにおいて平均点以上が最低限課される一般向け文芸作品として(ミステリ分野の一般的な新人賞を含む)の軸から評価されるなら、恐らく二次くらいで落とされてしまうのではないか。キャラクタの作り方も西尾維新をはじめとしたライトノベルの先達の影響下から抜け出ていないし、特に取り柄のない主人公がチートな能力を発揮する展開や、一般向け小説に求められる、必要とされる最低限のリアリティもクリアしていない。ただ、一方で、本書がライトノベルだったら、設定・人物・背景・環境、完全に全部アリ、むしろ常道にあるくらいのもの。
 帯などの煽り文句からすると、トリックトリックと結末のサプライズが強調されているきらいがあるが、これは伏線が露骨すぎて、むしろ着地するべきところに落ち着いて着地したようにしか思えない。苦笑させられたという意味では、飛び込むだけ飛び込んできた主人公が敵役に対して唱えた台詞、開き直りが過ぎてユニークだった。まあ、苦笑だけど。
 その後のハッピーエンド一直線という展開はキライじゃないのだけれど、どこか慌ててまとめに入っているようで安易さが鼻につく。ここで一周して先頭に戻るにせよ、なるほどとは思うもののサプライズじゃないでしょう。やはり本書、ミステリや一般エンタとして読むよりも、あくまで先述のライトノベルの、どたばたエンターテインメント系だと割り切れば、結構楽しい読書時間になるのではないでしょうか。

 講談社もラノベ専門レーベルを立ち上げたし、元もと講談社BOXもあるしで、そのそちらで本来刊行されるべき作品だったかと思うのですが。メフィスト賞に応募された作品だから講談社ノベルスという硬直的な対応で読者を振り回すのはいかがなものかと感じます。世間的にいわれている「一般小説のライトノベル化を体現」した作品などではなく、本作の場合はあくまで本来ライトノベルレーベルから出るべき作品が講談社ノベルスから出た、ということです。


12/02/17
田南 透「翼をください」(東京創元社ミステリフロンティア'12)

 田南氏は、本作がデビュー単行本となる作家。

 九州を代表する国立大学・K大学に通う景太は、同じゼミにいる男好きする美人・石元陽菜に好意を抱いていた。その陽菜は笑顔が愛らしく人懐っこい一方で、その内側の性格が悪く、男の愛情を自分の都合で弄ぶことになんの通用も感じない自己中心的な性格を隠していた。ゼミの友人たちはそんな陽菜の気を惹くべく、自らの「秘密」を彼女に話してしまっていた。そんな彼女の元に無言電話が繰り返しかかってくるようになった。暫く我慢していたものの、陽菜は思わず「地」で相手を口汚く罵ってしまう。”相手”は、陽菜の変貌に自分のなかの偶像が崩れショックを覚え、彼女に対して殺意を抱くようになる。陽菜、景太、景太の一つ下の弟で足に障害がある碓氷、美女ながら冷たい雰囲気を持ついずみ、ゼミ生同士、同姓でカップルとなっている田崎慎一と田崎亜矢、教授に加え十数名のゼミ生が現地に住む漁業関係者からヒアリングを進めるというフィールドワークを行うべく(場所)の島に渡った。折しも天候が不調で、島は巨大な台風の直撃を受けてしまい、そのさなかに陽菜が何者かに刺されて死亡、行方不明となっていた碓氷は崖の途中で引っかかって瀕死の状態であるところを救助された。ゼミ生はそれぞれ台風のなか、三々五々出てしまっており、更に証拠も風雨によって流されてしまっていた。島民に動機はなく、犯人特定の決め手がないまま、ゼミ生は島を離れ、「このなかの誰かが犯人」という不安定な状態で日常生活を再開する。しかし、彼らを取り巻く環境は激変した――。

本格ミステリベースの犯人当て──なのだが、何かこう手触りが違う、感じ
 一応、手がかりだとか伏線という意味で本格といえば本格ミステリなのだけれども、手触りが非常に独特な作品だ。新人のデビュー作品にしては文章自体はこなれている印象で、多少描写に理解しづらいところはあったものの、特段どこかが読んでいて引っかかるという部分はない。ただ、登場人物については、最初の犠牲者として陽菜が殺害される事件が発生する迄に、景太兄弟を除くゼミ生たちの書き分けが終わっていない点はマイナス。台風で誰も行動の足跡が残っていないとう状況下、基本的に十人超のゼミ生全員が犯人候補とされて、中盤から後半にかけて誰が犯人なのか(それに付随するストーカーは誰なのか等)を推理するというのが本来の展開。
 しかし、人物が頭のなかに入りきらないうちに推理パートに入ってしまい、事後後出しでそれぞれの個性が訴えられても、それはちょっと違うだろという残念な気持ちが正直先だってしまった。
 とはいっても、先に述べた「「独特の手触り」というのは、この後から犯人候補に個性や特徴を付与してゆくこの創作方法と無縁でもない。事件が起きたあとにじわじわと物語にリアリティが浸透してゆくような感覚といえばよいのか。島では陽菜殺害の犯人は特定されず、全員が容疑者という状態で福岡に戻るゼミ生たち。ここでの疑心暗鬼に加え、息子・娘たちが犯人候補になっている段階での彼らの親の描写などはちょっと珍しい。加えて犯人がはっきりし ないことでゼミ生やその保護者たちがそれぞれ、固有の立場で周囲からスポイルされていく展開と合わせ、”嵐の孤島”での、浮き世離れした本格ミステリ固有の事件だったものが、地に足の着いた現実的事件へとじわじわと変質してゆくのだ。
 終盤に物語が至るにつれ、身体障害者の秘密やトランスジェンダー、中年女性の若い男性への思慕など、登場人物のなかには、コンプレックスを抱えたマイノリティの属性が浮かび上がってくる者が出てくる。序盤でひとりひとり顔が見えなかった犯人候補の肖像が、最終的な謎解き直前にようやく揃って見えてくるという物語構造となっている。本来のミステリらしからぬ、この構造が独特の手触りに繋がっているということかと思う。人物紹介即ネタバレということではないながら、でも、大きなヒントになるところを巧く回避しているのですよ。

 謎解きがあり、真犯人が明らかになったあとでも、更にどんでん返しはあるのだけれど、この点については急にフィクション味が強くなってしまっているように思われる。まあ、警察が看過したということに目をつぶれば良いのだけれど、さすがにこれは見逃してくれるかなぁ? なのでむしろ犯人当ての本格ミステリというよりも、それぞれの登場人物が醸し出しているそこはかとな狂気が、完全なる狂気となって結実してゆく、その動機と過程、そして結末のおどろおどろしさが印象に強く残された。 当初はそう思えないながら、最終的にはサイコ系の香りも強く漂ってくる作品かと思う。


12/02/16
遠田潤子「アンチェルの蝶」(光文社'11)

 遠田潤子さんは2009年『月桃夜』にて第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビュー。書き下ろしの本書が二冊目の作品ということになる。大阪府在住。

 大阪の安治川の側で先代から続く居酒屋を経営している四十過ぎになる藤太。右膝を痛めており、料理の腕はまともだがアル中になっており商売自体はあまりやる気はない。そんな藤太の元を中学校時代の同級生・佐伯秋雄が小学生の女の子・ほづみを連れて現れる。ほづみは、藤太と秋雄と同じ中学の同級生だった森下いづみの娘だと言い残し、現在は弁護士をしている佐伯は五百万円を藤太に押し付けて姿を消した。ほづみの安全を確保するため、自宅マンションには近づかないで欲しいのだという。おっかなびっくりで、突然の小学生との生活に戸惑う藤太だったが、放っておけない理由もあった。小学校から中学校にかけて、藤太・秋雄、そしていずみの父親は揃ってクズ人間友達で、酔っ払って麻雀ばかりしていた。まともに子供の面倒をみず、労働を押し付けられて暴力を振るわれる。彼らは、過去にある決断をして実行、それから互いに没交渉になっていたのだ。程なく秋雄のマンションは手がけた事件の遺族家族による放火がされ、秋雄は行方不明となってしまう。自分の過去を振り返りながら、不器用ながらほづみと向き合おうとする藤太だったが、不器用さと自らの気持ちに苦しみ、うまく接することがなかなかできない。

普通の人情譚かと思いきや、凄絶なアンダーグラウンドの、至高の純愛小説だった
 アンダーグラウンドという表現が適当なのか、少し考えてしまう。子供は親を選べず、その親がどうしようもない人間であっても親は親だからだ。登場する藤太、秋雄、いずみの子供時代、彼らの親たちは子供に対して愛情を注ぐという、一般的には当たり前であることを放棄し、(さまざまなかたちで行う数々の行為が虐待で、だけどそれを虐待とも思っていないような存在として描写される。次々と心を折られるような出来事が繰り返されるなか、彼らの目を盗んで育まれる友情、そして幼い恋心。しかし、彼ら子供の物語を叩き壊すような強烈なエピソードが付け加えられる。
 親の負債を子供に無条件に押し付け、子供の身も心もずだぼろになるようなことを強要する。こういう世界が存在することは側聞しているし、あるのだろう。エンターテインメント小説のかたちで読みたいかどうかは別にせよ。そこで物語は既にある程度進んでおり、事態の背景が中盤でようやく見えてくる。

 ここから後半、そして終盤に向けて物語が一気に加速する。

 自分がほづみの親だと主張し、いずみを追いかけ回す謎の男。なぜ秋雄は行方不明になったのか。いずみはどうしているのか。そういった謎がばたばたっと明らかになってゆくにつれ、偶然こうなったに過ぎなかったような「状況」が、様々な人物の思いや罪の意識、そして切ない愛が籠もったものだということが判ってくるのだ。 ハッピーエンドが予感しづらいラストも含め、こういうかたちでしか描けない「何か」を作者が必死でつかもうとした作品かと思う。

 この小説の地元に近い場所に縁もあるので、この安治川沿いの「まつ」のイメージが、個人的にはすんなり浮かんでしまう分、余計に切ない。あと、誰でも思うだろうが、ファンタジーノベル大賞でデビューした作家の二作目にしては、えらくリアル、そしてベタな展開だったことに驚かされた。


12/02/15
一田和樹「サイバーテロ漂流少女」(原書房'12)

 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を『檻の中の少女』にて獲得した一田和樹氏による受賞後第一作。最先端のセキュリティ技術を知る職業にある氏の経歴を十二分に活かした作品。「今読む」ミステリとして非常に高いレベルにあるにもかかわらず、帯の惹句や書店サイトのBooksデータベースの登録内容で狙いすぎているせいか、素で魅力が伝わりにくいように思われた。

 前作にも登場した自称・腕利きサイバーセキュリティのコンサルタント・君島が、得意先から依頼され、本業とは異なるが家出中の子供の捜索の仕事を頼まれる。twitterで、その子供と面識ありそうな人物を特定し、スパイウェアを利用してオフ会の開催情報を入手。依頼人であるその母親を連れて、その子らが集まっているファミリーレストランに赴いて仕事は終了となるはずだった。しかし、君島側に心当たりが無いにもかかわらず彼の顔は、何故か彼らに知られているらしい。そこからネットを使った攻撃を君島は受けるようになる。一方、世間では政府から情報セキュリティ専門家の個人情報が大量に盗まれる事件が発生していた。さらに多大な謝礼ポイントを提供することで近年急速に勢力を伸ばしてきたアンケートサイト『平坦主義』、個人情報が詰まったこのサイトがハクティビストとして企業や政府のウェブサイトの改ざんを開始し、さらに個人情報の流出を進めていった。『平坦主義』は、直接的に情報セキュリティの専門家を襲撃、君島もまた乗車している車のハッキングによりあわや交通事故という目に遭わされる。彼らの正体、そして目的とは……?

時代の最先端瞬間風速、情報セキュリティの裏の裏をかけば下手なテロより被害は甚大なのか……。
 専門家ではないので側聞だが、物語に登場する組織や政府機関などに実在のものが多く使われているのだという。判る範囲でもtwitterはそのままだし、『平坦主義』に相当するアンケートサイトにしても、モデルとなっているのがどこなのかくらいは分かる。また多数の動画投稿サイトなど、従来の「普通の人々」が持ち得なかった道具を、インターネットの浸透によって武器として効果的に使用する方法が、様々な角度から描写されている。非常に現実的、ないしは現実に類似している。
 凄いなあ、と思うところがまず二つ。一つは、技術が現実ベースであること。 ウイルス、スパイウェア、セキュリティホール、アプリケーションにしたって、普通の人々が普通に使用しているサイトにこれほどの危険性と落とし穴があるということを、さらさらっと書いているところが凄い。別にシステムの専門家でなくても、一般的なPCスキルがある人間であれば、この世界の超現実性はリアルに感じられると思う。
 もう一つは、そのセキュリティ関係の技術やテクニックの凄さを単純にアピールする目的ではない、という展開。 技術的に作者の知識が抜けている場合、「よく知っているでしょ僕」といった展開になりがちところ、その感覚を丁寧に抑えている点は好感。物語として考えた時は、セキュリティ技術は物語の現実性の付与に利用している程度で、実際に読んでいてきついのは、このセキュリティの重要性なり、問題発生時の怖さを認識していない人々をの態度・考え方に対して警鐘を徹底的に鳴らしている点。 専門家ではないのに、専門家のいうことを聞かないことで被害が拡大・深刻化していく図式って、3.11にも通じる恐ろしさがある。
 前半部はそういったところが読みどころであったのが、後半になると「意外と」きちんとミステリしているところがまたユニーク。江戸川乱歩の時代からあるような古典的なトリックだったりするのだが、情報セキュリティ等の渦に飲み込ませることで、凄まじいカムフラージュに成功しているのだ。これはやられるわー。
 福山市に君島らが乗り込んでゆき、犯人たちと対決するあたりの行き詰まる攻防も迫力あり。

 問題があるとするならば「この瞬間」が旬の作品であることか。個人的にはここで書かれている技術が陳腐化する可能性よりも、実際にこの作品で取り上げられているような、現実的に甚大なダメージのあるような不祥事が先に起きて、そこから現実が変更されるような事態が起き、結果的に物語の前提が違ってくるような変化が先に起きるような気がしてならない。

少女シリーズになるのか、君島シリーズになるのか。サイバーセキュリティばかりに目が行くが、実際は 前作の『檻の中の少女』にしても、そういったコンピューターやネットが蔓延する社会のなかでの歪みで あるとか、生き方といった現代社会の縮図をうまく活かしているからこそ、魅力的なミステリになって いるということ。単なる技術小説じゃ、ここまで面白くは読めないです。本格ミステリとして評価軸から はさすがに微妙ながら 現段階でミステリ全体として今年度の上位に評価されるべき作品かと。
12/02/14
田中啓文「茶坊主漫遊記」(集英社文庫'12)

 WEB集英社に二〇一〇年九月から二〇一一年六月にかけて連載されていた作品がまとめられた作品集。最近多い、単行本やノベルスを経由しない「いきなり文庫」パターンで、この文庫版がオリジナルとなる。

 寛永十四年。米沢のある村に長音上人を名乗る小柄な僧侶と、腐乱坊なる大男の僧形が訪れた。この村では岩屋八幡という神様を拝んでおり、洞窟の中の祠に容疑者を縛り付けておくと、有罪の場合は、洞窟の奥にある祠から神様が射った矢が身体に刺さるのだという。 『茶坊主の知恵』
 二人を追って柳生十兵衛が動き出す。東海道は大津の宿場町を訪れた長音上人らは。ある武芸所に通う侍と知り合う。武芸所には道場主の知り合いの若い女性がおり、彼女は人知れず道場主と手合わせをしているらしい。彼女は誰かの復讐のために剣を習っているのか? 『茶坊主の童心』
 瀬戸内海に浮かぶある島で、かつて海賊が残した財宝を求め、無人の菩提島にて穴を掘り続ける男がいた。 『茶坊主の醜聞』
 九州は天草。一行は強烈なキリシタン弾圧に晒されている地域を通る。なぜここまで切支丹をこのトップに君臨する男は執拗に狙うのか。 『茶坊主の不信』
 鹿児島。厳重に外部からの侵入者を警戒する薩摩藩の男たち。目的の場所にたどり着いた長音上人は果たして、この地で何をしようというのか──。 『茶坊主の秘密』 以上五編。

ロジカルなミステリ仕立てから、上方講談風の大風呂敷の伝奇ストーリー展開へ
 うわー、これはネタバレせずに内容紹介するのは無理だ! と悩んでいたら、文庫の裏にある内容説明にて茶坊主の正体があっさり明らかにされている! ――なら、いっかー、と、まあ。題名にある茶坊主、老齢になるまで生き延びていた石田三成であるという設定。実際、石田三成生存説というのは幾つかあるようで、代表的なものでは関ヶ原の合戦の罪を問われて処刑されたのは影武者、その後は親しかった東北の佐竹家に三成は匿われ、帰妙寺という寺で生き延びたというもの。帰妙寺には三成のものと伝わる墓まであるという。
 それとは別に「茶坊主」という名前や個別の題名からも想像がつく通り、小柄な茶坊主→ブラウン神父、腐乱坊→フランボウに留まらず、各作品の題名からも明らかな通り、ミステリとしてはチェスタトンが意識されている。茶坊主はこの作品の内部では長音上人という僧であり、また一話目『茶坊主の知恵』にて彦七なる軽薄だが身の軽い若者が彼らと同道するようになる。この三人が揃って作品ごとに西下してゆくのだが、こちらはテレビ時代劇の『水戸黄門』風である。
 斯様に様々な元ネタを下敷きにしつつ、物語の最初の段階では、その題名通りに逆説と論理といったブラウン神父シリーズっぽい、論理的なミステリが意識された仕立てとなっている。『知恵』では洞窟内部で、奥に据えられた無人の神棚の方から射られた矢で村人が殺害される事件が扱われるし、『童心』では剣道道場での仇討ちと修行の話に思いこみからくる逆説を、『醜聞』では瀬戸内海の孤島に隠された財宝の秘密を、鮮やかにひっくり返してゆく。
 ただ、物語が進行するにつれ、このいわゆるチェスタトンばりミステリ、という雰囲気は後半に息を潜めてしまい、まさに講談よろしく人物の謎へとシフトしてゆく。 石田三成の旅の目的は一体なんなのか? 柳生十兵衛はなぜ追っ手として差し向けられているのか、といった物語展開における謎が中心となる。いずれにせよ、読者を吸引する力があり展開の意外性が強いのでページを捲る手は止まらない。
 旧来からの日本史観では悪役っぽいイメージがつけられがちの石田三成も、上方講談の世界ではご当地武将でもあり、豊臣家に与する正義の味方。血戦関ヶ原 石田三成の死闘とかあるし。その世界観のもとでは徳川家光を悪役とするこういった展開も全く違和感無し。最終話で明かされる彼らの旅の理由、人物の繋がり、また更にそこからの再逆転等々(このあたりは伝奇や時代小説というよりも、手法としてはミステリだった)、凄まじい想像と凄まじい辻褄合わせがあって嬉しく感じる次第。

 確かに明るく元気になるような作品ではないが、過去未来はとにかく、現在この瞬間こういうテーマで石田三成のエンターテインメント時代小説を書けるのは、田中啓文さん以外にいないと思う。(たぶんだけど)。面白いです。


12/02/13
逢空万太「這いよれ! ニャル子さん2」(GA文庫'09)

 2012年4月からテレビアニメ化される。略称はどうやら『這いニャル』。2009年4月に作者のデビュー作でシリーズ一冊目となる『這いよれ! ニャル子さん』が発表され、本書はそのシリーズ二冊目となる作品。

 謎の組織のオークションにかけられるところだった窮地の真尋を救い出し、宇宙犯罪組織との対決業務は一段落ついたはずの這い寄る混沌・ニャルラトホテプ(ニャル子)。しかし、真尋に惚れ込んでいるニャル子がすんなりと帰路につくことはなく、彼女は貯まりにたまった三百年分の有給休暇を地球で、しかも真尋の自宅に住むことで消化するのだという。それだけでも頭が痛いのに、ニャル子を追って前巻でバトルを繰り広げたクトゥグアのクー子もまた地球に、というか真尋の家に現れた。見た目ニャル子も美少女だが、クー子もやっぱり見た目は美少女。であるが中身は所詮邪神でありクトゥグアである。両親が旅行中ということもあり、とりあえず滞在を許すが、翌日真尋とニャル子が学校に行ってみると、ちゃっかりクー子もまた転校生として転入してきた。というどたばたのなか、地球に新たな危機が訪れる。人間の夢を管理している幻夢境に対し謎の敵が襲撃を加えているのだという。その敵と戦わんとするニャル子とクー子と共に幻夢境を訪れた真尋は、そこでとんでもない体験をすることになる――。

クトゥルーだけじゃない! 様々な要素のパロディが溶け合って独特のユーモアが(異常に)盛り上がる
 ある意味ではネタバレになるのだががこれは構わないだろう。はっきりいって本書も実は第一巻と同じ構造である。
 ニャル子が居候していて真尋にしつこく絡んでは振られて学校に行って危機が発生して異界に行って敵をぶちのめして戻ってくる。ここに途中から前巻では敵だったクー子が絡むのと敵の存在(正体がなんとあの人物だ! って今回初めて登場してきたんだがな!)バリエーションがついたのと。
 そういう意味では、前作、本作続けて戦闘場面が仮面ライダー(今回はある方法で、バイク相当の乗り物で宇宙法定速度をぶっ飛ばして駆け抜けてもゆきますよ)の戦いを模したものであることと関係している、の、か、も、しれ、……ない。無理矢理に上から目線で解釈すると、仮面ライダーシリーズの一回一回が、登場する怪人と、その怪人が引き起こす事件のみバリエーションで、戦闘に至る経過はルーティンであること、また、仮面ライダーというシリーズ全体もライダーと敵組織に本質を変えずにそれぞれにバリエーションを付けることで成立していること、それらとなんと這いニャルは同じだったのだ。つまりはパターンですよパターン。いい意味で(2巻しか読んでないくせに)。

 なるほど! すると続巻読まないとこの仮説は確認できないな、そうかー、続きもオレ読まないと駄目なのかー(棒)。

 クトゥルーも仮面ライダーもそうだが、さらに加えて様々な方面からパロディネタは引っ張ってきている模様。個人的なところでいえば、今回、章題の一つが「炎の転校生」、でいきなりツボった。しかも「富士山とぞうきん、どっちがいい?」ってのは、その島本和彦先生の『炎の転校生』の名場面ではないですか。火を象徴する邪神が本当に転校してくるって展開が凄まじく、また、『ニャル子』の、相手のツッコミ待たずボケまくり、空回り上等というノリ、もまた島本コミックのノリに近しいものもあるような。幻夢境をはじめ、引き続き、クトゥルー絡みの要素は引き続き多数も、二冊目でこちらが慣れたせいなのか単語そのものから受けるインパクトは多少薄まった感。ただ、前作に登場したシャンタッ君(本来は、鱗に覆われた身体に馬の頭、蝙蝠の翼を持つ象より大きな怪鳥シャンタク)が、礼儀正しいペットとなって再登場。美味しくゴハンを頂く姿がなかなかかわいいです。アフーム・ザーとかも出てきます、というか、この単語については出てきてから調べた。ふむふむ。
 ニャル子に出てくる知らない単語を辞書で引くと物知りになれますね。クトゥルー関係はwikiはじめ、ネット関連に記述も多いし。最後の方に出てくる宇宙最高裁判所はデカレンジャーじゃなかったか、確か。

 真尋←ニャル子(ニャルラトホテプ)←クー子(クトゥグア)の、頂点の重ならない三角関係が織りなす不毛な関係が、普通のハーレム系のラブコメになることを拒んでいて、しかしここからどう展開が拡がっていくのだろう。饅頭が怖いので次も読むことになりそうだ。


12/02/12
樋口有介「楽園」(中公文庫'11)

 元版は1994年に角川書店より刊行されたもの。ノンシリーズの長編作品。

 南太平洋に浮かぶ小さな島国・ズッグ共和国。人口は五千人にも満たず、大した産業も輸出品もないこの貧しい国は、米国や日本からのODAで経済を維持していた。とはいっても、その過半はサントス大統領とその血族が懐に入れてしまうため、島の人々の多くは貧しい生活を余儀なくさせられていた。とはいえのんきな島民気質もあって大きな事件もなく、人々の多くは平和な暮らしを楽しんでいた。米国の退役軍人であり、商売人としてこの島に滞在するスタッド氏は、自分でも時々その事実を忘れてしまう程度のCIAのエージェント。普段はハワイに滞在している上司が急に島に訪れ、大量のプラスチック爆弾がこの平和な島に持ち込まれた可能性があることを示唆される。反米・反日のプラカードを掲げるだけのおとなしい反政府主義者が、その直後にODA予算で建設中の橋にて謎の爆死を遂げてしまう。平和だとばかり思われていたこのし島では、大統領の余命が尽きようとしており、そのことを知る様々な勢力が静かに暗躍しようとしていた……。

樋口らしさはあるし、狙いも判る。判っても狙いが読者の気持ちの明後日。微妙
 文庫版のあとがきに書いてあるのだが、作者自身はこの作品を「マイベスト」だと考えているそうである。一方でファンサイトでの人気投票では、四十数作品ある樋口作品のなかでの、不動の最下位を獲得している作品でもあるのだという。

 作者がマイベストという気持ちも、分からなくないでもない――かな。 というのは、伏せられたテーマ性が強く、樋口作品には珍しく資本主義による浸食、欲望の変質、現地住民と先進国民との軋轢であるとか、社会的な陰謀であるとかが正面から描かれている。加えて架空の南の島の風俗や背景が、まさに色鮮やかに描写されていて、からっとしているようでいてじわっと蒸し暑い熱帯の雰囲気がよく出ている。さらに終盤には、このズッグにおける意外な展開が待ち受けている。マイベストであるというご本人の主張は主張として覆せるものではないが、一連の樋口作品における異色作であることは間違いない。が、やっぱりどうして、そういった意図が成功しているとは言い難いと思うのもまた正直なところ事実。
 当事者気分でいた人物が、少しずつ一連の陰謀をかぎつけていったと思いきや、その裏側のもっと深いところにもっと強烈な背景があってという三段構え。ただ、この三段目の伏線が中途半端に過ぎるのが読者にはきつい。情では理解できるけれども、それ以前の理が不足している。主張は分かる。分かるけれども現地の人が皆が皆、一種のナショナリズムとして同調するほどに彼らの動きに説得力があるのかどうか、読んでいる限りではすっきり理解できなかった。
 (あと、勝手な憶測としては、樋口作品の代表的探偵役である柚木草平が、引退したら南の国に移住したい(大意)といったポリシーを持っていたはずで、柚木に直接示すものではないものの、南の島であっても、そうそう世の中はシンプルに、単純に出来てないということを(多少は)言いたかったのかな)。

 結局のところ、樋口作品に対して読者は、中年男の人生の機微は求めても、政治的メッセージや、世界の真理といった大仰な要素を求めていない訳で……。その作者と読み手のギャップが、この順位差になっているのではないかと愚考する次第。
 どうでもいいことなのだけれど中公文庫の樋口有介、どちらかというと地味に復刊していっている印象だったのが『ピース』のスマッシュヒットもあって慌てて他の作品をかき集めている印象がある。一方で、いち早く柚月草平シリーズを集めた創元推理文庫がマイペースなのが実に勿体ない。というか『楽園』はすれっからしの樋口ファンが詫び寂びを楽しむタイプの作品で、二、三冊目の読者が読む作品じゃないと思うのですよね。


12/02/11
古野まほろ「絶海ジェイル Kの悲劇'94」(光文社'12)

天帝シリーズと世界観は同じくするようだが、由緒正しき貴族にして天才ピアニスト・「イエ先輩」こと八重洲家康が探偵役を務める『群衆リドル』に続く、二冊目の長編。書き下ろし。

 貴族にして天才ピアニストの東京帝国大学学生の八重洲家康。自らの才能について絶対的自信を持つ家康であったが、さらにその祖父・清康もまた天才ピアニストであった。しかし、清康は戦時中に赤化華族として捕らえられ、他四人の囚人と共に、一望で監視できる牢獄が造られた絶海の孤島・古尊島(ふりそんとう)に収監されていた。しかし、音楽雑誌の編集者・波乃淵今は、清康は難攻不落のその監獄から脱獄に成功、今なおどこかに生きているという――。話を聞いた家康と「友達以上恋人未満」の東京帝大生・渡辺夕佳は、現地に赴くが、そこで罠に填められる。50年前に清康らの脱獄を許した結果、波乃淵の父親の看守長は割腹自殺していた。波乃淵と、当時の看守達の子孫たちが、同じく家康をはじめ、収監されていた華族の子孫四名を言葉巧みに島に連れ込み、牢屋に閉じ込めて当時の状況を完全に再現する。波乃淵は、夕佳を人質にしたうえで家康に対して清康がどうやって脱獄したのか推理、実行せよと迫った。絶海の孤島、切り立った絶壁、監視場から見通される牢獄。清康の手口に家康は至ることができるのか。

実現可能な行動は百パーセント実現できる前提が自覚的。ゆえに切れ刃外縁ぎりぎり本格
 重要なことなので先に書いておくと天帝シリーズに較べ、格段に読みやすい。大日本帝国が継続していて貴族制度があるなどの時代設定は同じだし、個性が凄まじい濃いめの登場人物が登場するあたり(人数は少ない)なんかも天帝と重なる。その理由は簡単で、蘊蓄やパロディといった設定、流れにあまり関係のない展開、当て字やルビといった余録が削られていること。その過剰だった装飾分をストーリーとトリックに全力投球、出来上がったものは、物語のガジェット全てが伏線となり手がかりとなって、全てトリックに奉仕するという、究極の本格ミステリを指向した内容となっている。この姿勢については高く評価すべきかと思う。

ただ。

 その、目指した先が究極に過ぎて、凄いコトになっちゃってるんです。 ──なんか勢いになっているのだけれど五十年前に脱獄に成功した祖父、詳細な獄中日記(?)をベースにその状況を再現し、脱獄してみろできなければ一人づつ殺害していく……、というデスゲーム。さらに状況を再現するあまりに、戦時の看守と囚人の関係も復活、その過程にある行動は紳士的とはいえない暴力的でえげつないもの。ここで無用の反抗をせずに、その殴られる過程であっても情報を収集し続け、僅かな差し入れられたもの、島での一日の生活といったところから、ヒントを見つけ、結論からいうと脱獄に成功するというミステリ。これはいい。
 ただ、不可能としか思えない状況から僅かな隙と巧妙な道具を用いて脱出する手口が、何というかもう。
古くは『十三号独房の問題』とか、近年では三津田信三作品だとか山口芳宏作品だとか似たような状況はあるけれど。なんというか蓋然性という観念を抜きにトリックが成り立っているところが凄い。端的にいうと、「人類のうち誰かが可能な行動は清康(家康)にとっても可能」というもの。超人なのか仙人なのか。こんなこと普通できるはずない、出来る可能性が低く普通は試しもしない──といったことが出来る、という前提で(実際に出来たから脱獄できたわけで)真相解明が進んでゆく。ではアンフェアかというと全くそんなことはなく、一応は手がかりも伏線もきっちり読者の前に開示されている。この道具はこう使うことが可能、こういう方法なら○○に気付かれない、通り抜けられる等々、唖然とするネタが並んでいるので、これは確かめて頂くしか。

 ここまでくると騙されたとか、作者と読者との知恵比べといった従来の本格ミステリの興趣ともまた違う世界が見せつけられているような印象を受ける。本格ミステリではある、けれどもやはり異端にして先端なのだ。この形式を踏襲できる作家もそういないと思うので、余計にそう思われるのかも。