MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/03/10
愛川 晶「ヘルたん」(中央公論新社'12)

 書き下ろしにて刊行された愛川晶氏のノンシリーズ連作短編集。『パルティアン・ショット』『ミラー・ツイン』『シュガー・スポット』の三話にモノローグが挟まるという構成。

 元いじめられっ子で専門学校中退、二十歳過ぎたのに極端な童顔、未だ童貞の神原淳(ぼく)。福島県内に実家があったが、父親の会社が倒産、悪い筋からの借金もあったようで両親は一本の電話を掛けてきたきり、金策のために関西方面に行ったきり行方不明。超遠縁の田代という親戚宅に預けられたがいられなくなり、紹介状を持って「法律関係の仕事」を引退して悠々自適、浅草の成瀬秀二郎という老人宅を訪れる。何とか離れに住まわせて貰うことに成功、そこで成瀬宅をヘルパーとして訪れていた高校の先輩(元不良娘)・中本葉月と再会する。実は、成瀬は未だ深い洞察力を持つ元探偵、さらに葉月先輩の助けもあって、ぼくはヘルパーの見習いとして、そして探偵の助手として、少しずつ第一歩を踏み出すことになった。

軽めの題名・表紙から想像つかない、真面目で重たい正統派介護小説にしてミステリ。
 ここのところは「神田紅梅亭寄席物帳」での活躍が目立っていた愛川氏によるひさびさのノンシリーズミステリ作品。四六判のソフトカバーの単行本での刊行とはいえ、ラノベ系と見まがう系統のイラスト表紙に加え、予備知識無しでも想像のつく「ヘルパーたんてい」を略して四文字とした「ヘルたん」なる題名。さすがに主人公は十代ではないものの、地方から上京して困っているところに旧知の(元ヤンだけど)美女先輩が救世主のごときかたちで登場する──といった、一種安易ともいえる出だしに至るまで、基本的に「ラノベ風」に見える、作品である。 ただ、これは作者か版元か、どちらの戦略なのかは不明ながら、本質的に本書における意義を認めていないようであまり気分の良いものではない。
 参考文献をみれば明らかだが、ヘルパー及び介護という部分に真っ正面から切り込むエンターテインメントである。探偵小説を優先して「名ばかり」でヘルパーという仕事を描いていない。語弊を恐れずいうならば、切実なエピソードから訴えてくる「介護という仕事」という描写は、ミステリという核を抜きに、それだけでも一読の価値がある。引きこもりから仕事を得て生き生きとしてゆく若者の成長譚である一方で、人生の円熟期を迎え、自らの行く末を見据えた先輩方の、生き方記録でもあるのだ。
 登場人物を紹介してゆき、続いてはその人間関係が膨らみ、いくつかの不自然な行動をさりげなく中盤までに説明しておきながら、最終的には紛う事なきミステリという展開へと進んでゆく。このあたりは強く本格ミステリ作家としての個性を持つ愛川氏らしいといえばらしい。ただ、終盤の展開と真相はどちらかというとダウナー系。介護ともあまり縁の少ない理由で結末は単純ハッピーではない。少なくとも、主人公が介護を学びながら、ヘルパー同僚の美人先輩ときゃっきゃうふふしながら謎解きをする──といった話ではない。元名探偵の成瀬が日常の謎を鋭く解き、神原淳は物語における正解を見つけ出そうとする。介護という切実でもある社会派テーマに目を取られていると、足下をすくわれることだけは間違いない。

 読み終わって改めて物語内容以上に印象に残るのはやっぱり冒頭で述べた表紙及び題名と、かっちりとした内容との大きなギャップなのだ。そこまで若者向けにアピールする必要があるというのは、本書特有の話なのか、それともジャンルとしての衰退期がそうさせているのか。どこか不安で、そしてどこか哀しい気持ちになってしまう。本筋が正統派だけに、余計に。


12/03/09
田中芳樹「髑髏城の花嫁」(東京創元社'11)

 某社より刊行されていた青少年向けヴィクトリア朝怪奇冒険譚である『月蝕島の魔物』は、某社の不義理の結果、東京創元社がシリーズごと引き取ることとなった。本書は大手貸本屋社員のニーダムと、その姪・メープルら、主人公たちを同じくするその続刊、書き下ろし。

 ニーダムはクリミア戦争に従軍し厳しい戦場で過ごし何とか生き残り、パリで講和が成立した時にはスクタリの野戦病院にいた。とはいえ兵士たちは交通事情から簡単に帰国出来ず、そのまま現地に留まっていた。その病院を指揮していたナイチンゲールと上官のヒューム中佐の命によりエドモンド・ニーダムは戦友のマイケル・ラッドと共に、瀕死の状態にみえるクレアモントという少尉をダニューヴ河(ドナウ河)の河口にある城に送り届けるというものだった。クレアモントは母方がワラキアの貴族でその城は髑髏城と呼ばれている。成功すれば除隊証明書がもらえるとあって、二人は命令を引き受け、現地の案内人の手伝いを借り、大ナマズを撃退、何とか命じられていた刻限に城に到着した。現地には一族の者だという美女・ドラグリラ・ヴォルンスングルが二人を歓待、二人は現地を出て、ラッドはフランスで、ニーダムは姪のメープルが待つイギリスへと帰国した。一八五七年大手貸本屋であり、ニーダムとメープルの勤務先であるミューザー良書倶楽部は、第九代フェアファクス伯爵ライオネル・クレアモント閣下から大いなる贔屓を受けることになる──。

歴史・風俗とも緻密な設計図に沿って描かれる英国中世ファンタジー
 前作の『月蝕島の魔物』でより顕著だったが、本作でも中世の英国を舞台にするにあたって、現代に伝記レベルで名前が残る有名人物をストーリーの流れに普通に織り込んでいる。ナイチンゲールもそうだし、ディケンズやアンデルセンなど当時の文豪たちが、ニーダムの職業である貸本屋との絡みで出てくるところが面白い。それらの人物が名前を持つだけでなく、例えば威圧感を持つだとか、口がよく回るだとか、恐らく実際にそういった伝聞があるのであろう性格付けまでがされている。こういった背景に対するこだわりが生み出す緻密さは全編に及んでおり、歴史的事件や当時の地理や市民風俗や感情といったところについても、二重三重で検証された設定が使用されているであろうことが窺える。
 ただ、その一方、本作の物語自体はどこか一直線。クリミア戦争当時に主人公・ニーダムとその友人ラッドが関わった謎めいた人物が、伯爵となって英国再デビュー、しかし高飛車なうえにどこか様子がおかしい、実は──、というもの。この──に相当する部分が、伝奇小説としていささか意外性の少ないパターンが使用されており、伏線も多いため、その点で全体の盛り上がりに欠けるように感じられた。
 とはいってもストーリー自体には起伏はあるし、個々のパートにおける周辺状況、例えば終盤における戦闘が喜劇っぽくアレンジされていてドタバタ劇風であったり、邸宅内部でニーダムとラッド、メープルとヘンリエッタらが、こちらも喜劇めいた口論(漫才?)を繰り広げていたりと、周辺部を膨らませることには成功している。あと髑髏城に存在する化物たちが二つの族であるといったところも、意外性と共に周到だと感じさせられた。

 こういった欧州中世を物語舞台に選ぶ日本人作家も複数存在するが、ジュヴナイルのためにこれだけ丁寧な考証を行って作品を作り上げる作家は現代はそう居ないはず。おかげで少年少女向けを意識した読みやすい文体でありながら、物語全体に気品というか品格というか、数段レベルの高い意識のようなものが感じられる。 名作と呼ばれる作品が必ず持つ物語のオーラのようなものといおうか(余計に判りにくいけど)。
 こういった作品に巡り会える読者は本当に幸福である。一冊書き上げるのに作者の負担が大きいことは理解するが、是非こういった良質の作品はずっと続いて欲しいと切に願う。


12/03/08
逢空万太「這いよれ! ニャル子さん5」(GA文庫'10)

 アニメも絶賛放映中『這いよれ! ニャル子さん』、♪うー! にゃー! が頭にこびりついて離れない、五冊目。

 どれだけいるんだよ八坂家の外国人留学生、ということで、真尋を(一般的な男の子同士の友情以上に)慕うハスター君、転校生八坂ハスターとして普通に八坂家仲間入り。真尋の母親・頼子さんが帰宅して、居間ソファがニャル子、居間床がクー子に占拠されている関係上、場所が無くて真尋の部屋で寝たハス太、真尋を起こしにきたニャル子の嫉妬を全身に浴びるイベントからスタート。考えた末に、真尋は邪神たちに居間を居住空間にすることを禁じ、自分たちの能力で個人空間を準備するよう要請、ニャル子らは宇宙通販業者・ヤマンソ・ドットコムに何やらを注文することとなった。さて朝ご飯、そしてゲームをしながらだらだらとした登校場面。学校に行くまでに50ページを費やして、なんじゃこのぐだぐだっぷりと思うと、ノータイムで放課後に切り替わる。一体何が起きたのか判らないと思うが、俺にも良く判らない。放課後、腹が減ったと大合唱する邪神三人とペット一匹に押し切られ、帰り道のたこ焼き屋台に寄ることになったご一行。その屋台を切り盛りしていたのは、日本人とは思えないメリハリのある顔に緑髪、二十台中盤から後半を思わせる大人びた雰囲気に知的なメガネといえば、あの人、ルーヒー・ジストーン。前作で思いっきり敵対していた彼女であったが、株式会社クトゥルーのゲームハード部門撤退の結果、ルルイエランド内での異動先が何かと気に入らず、結局辞表を提出してしまったのだという。帰宅した真尋は、ある(アホらしい)理由からニャル子らと共に遙か四百光年離れたセラエノ図書館へと向かうことになる。

ぐだぐだした展開に既視感あるストーリー。だが、駄目な子ほど愛おしいもの。
 いや、別に『這いニャル』が駄目だといっているわけではないのですが。言っているのと同じか。ごめんなさい。 でも、ノリだけで展開してゆく日常部分、口笛と口先で誤魔化して以前の設定をリセット、前触れ無しに発生するイベント、なんか既視感のある敵方宇宙人たちの行動動機などなど、強引なうえに新鮮味に欠ける展開になりつつある。

 ──でも、面白いのだ。いいのだ。

 「私なんて今度出る新型iaiaPhone、通称イアフォンを予約済みなんですからね」
 「母さんはね、ムスコニウムがないと生きて行けないけど、ダンナ酸も摂取しないと本調子になれないのよぅ……」
 「英語でいうと迷走マインド」「何で迷走だけ日本語のままなんだよ」
 「……少年、わたしの空腹は最初からクライマックス」
 「三つ目のキーワード――年齢」がばっ!
 「明日の元気を前借り!」
 「……だいたい、どんな原理さ、テレポーターって」「仕組みは、謎です」「は?」「謎です」
 「……少年、アトランチスとコンボイと村雨城には謎が付き物」「ここのどこにその三つの要素があるんだよ」

 日常→非日常→戦い→日常→以上。 そのヴァリエーションが今回は辺境のセラエノ図書館。この図書館のイメージなんかは結構月並みではあるのだけれども個人的には好印象。さすが宇宙の叡智が集約される場所だけある。辺境だけど。ちなみにこのセラエノ図書館でハスターが「検索」をしている姿、どこか仮面ライダーW(ダブル)のフィリップが脳内インターネット検索をしている場面とイメージと重なった。後半部にもWを意識した描写はあるし、セラエノ図書館とニャル子たちとの連想の結束点はこのあたりかな。
 また、意外と多いなあと思ったのが歌詞ネタ。そのまま書くといろいろとジャスラック的にややこしいのでアレンジして元ネタは想起できるようにしつつ会話文に溶け込ませている。アニソンはあまり詳しくないのだけれど、平成仮面ライダーOPの歌詞であるとかユーミンだとか、(たぶん)マクロスネタだとか。他、刊行レーベル関係なくラノベネタも結構ある。いいのかGA文庫。邪神同士だからか『邪神大沼』ネタが結構あったようにみえた。
 なお今回の敵はツァール星人ロイガー星人、以前の巻でニャル子の作る怪しげな食べ物の具材になっていた星の双子の住人(星が違うのに双子)たち。図書館で襲われ、更に地球に出現。但しミャンマー、だけどアラオザル。なんと今回、真尋たちと接触したツァールとロイガーの祖父たちが、かつて地球に訪れた際にダーレスやスコラーと接触して生まれた短編が『潜伏するもの』なんだそうだ。ああ、ためになるなあ。そもそもこのシリーズ内では、ラブクラフトやダーレスも過去に地球を訪れた宇宙人たちと接触したおかげでクトゥルー神話が生まれたってことになっているし。それじゃあ仕方ない。しかも星の戦士がアラオザルを破壊した理由も生々しい、つーか脱税って何だよ。アラオザル。ザルが猿。ま、仕方ない。竜巻に巻かれるハス太の変身シーンはあれか、威吹鬼かな。

 だんだん、感想らしい感想が書けなくなってきた。ノリであるとか構成であるとか、新キャラクタとの訳判らないやりとりなどは相変わらず楽しいのだけれど、本シリーズの根源的部分を形成する筈のニャル子と真尋とのやり取りが、バリエーションはあるもののワンパターンの繰り返しが多少くどく感じられてきたかも。(ニャル子求愛・真尋拒絶with暴力or暴言のパターン。真尋の暴力がかなり過激なのが個人的に苦手)まだ続きも読みます。


12/03/07
海堂 尊「モルフェウスの領域」(角川書店'10)

 桜宮シリーズに属する一冊で『野生時代』2009年1月号から不定期掲載で2010年11月号にかけて発表された作品を単行本化したもの。多少SFめいた設定が取り入れられてはいるものの、主人公や周辺人物から判断するに『医学のたまご』の前日譚的要素を感じた。ま、田口公平とか思い切り出てるんですが。

 桜宮市にある「未来医学探求センター」に薄給アルバイトで勤務する日比野涼子は、東城大学の資料整理とともに世界初のコールドスリープ被験者として「凍眠」についている佐々木アツシの生命維持装置の管理を仕事としている。睡眠学習装置と装置チェックを行いながら、日々を過ごす彼女は外交官だった父親に連れられ、世界各国の領事館で生活するうちに、各国語をマスター、更にアフリカ某国に滞在中に医務官から医学の基礎もたたき込まれていた。アツシは「凍眠」開始時は九歳。レティノ・ブラストーマという目の病気により片方の目を喪っており、続いて反対の目にも転移、全盲の危険があるため、五年間の冒険に踏み切ったのだ。この背景には技術進歩に加え、ゲーム理論の世界的権威・曾根崎伸一郎教授が提唱した「凍眠八則」をもとにした「人体特殊凍眠法」が制定されていた。しかしこの法律は官僚の諸事情により闇に葬られかけている。アツシの目覚めの時期が近づいてきたため、涼子のもとに、設備業者の西野という人物が送り込まれてくる。涼子も一目置く優秀さと躁的な軽薄さを兼ね備えた西野、実は、装置自体を設計した人物でもあった。涼子は目覚めた後のアツシの立場について深く憂慮、曾根崎教授に対して一通のメールを送付した。また一方で、東城大学医学部附属病院長の高階に対し今後のアツシのサポートについても要請、田口公平、如月翔子、佐藤伸一といった面々が目覚めた後のアツシのケアに回ることになった。しかし残念なことに「凍眠」の期間中にアツシの両親は離婚、二人とも親権を放棄していた……。

一方で作品に確立するテーマ性、そしてもう一方では懐かしい彼らに会える喜びと。
 コールドスリープ、つまり人間の冬眠(作中では凍眠)がひとつメインテーマとして描かれる。医療方面に詳しい作者のことでもあり、現代の最先端からすれば全くの絵空事でもないのだろうが、こちらの感覚としてはやはりSF。とはいっても感覚的には納得しやすい技術であり、アツシと涼子の関係性(凍眠者とそのケアをする者の特別な感情、特殊なかたちではあるものの「愛」と呼んでも差し支えないのではないだろうか)についても同様に理解できるものがある。
 その骨組みがまずあって、この革新的技術、そして特にアツシ自身を護る者と、己れの無謬神話と主に組織防衛のためにその仕組みを否定する官僚たちとの戦いが、その外枠に存在する。主に涼子が周到に準備する前半部、アツシの境遇を巡って翔子らが活躍する後半部、そしてクライマックス。この外枠と骨組みの隙間には、東城大学医学部関係者をはじめとした心ある面々によるドラマがある。 この隙間部分(といってしまうと語弊もあるが)において活躍する人物に、これまで一連の桜宮サーガに登場してきた重要人物が効果的に配置されていて「あ、懐かしい」とか「あれ、こんなところにあの人が」というような一種のファンサービスにもなっている。田口や翔子など、読んですぐ判る他でメインを張ったような登場人物以外も、例えば佐々木アツシにせよ、日比野涼子にせよ、ちょい役や思わせぶりな役として他の作品にも登場していたようだ。(涼子については後で調べて初めて判りました。でも伏線含め、確かに繋がってます)。念のためいうと、単なる「顔出し」だけではなく、ちゃんとそれぞれが役割やら追憶などでサーガ上の意味合いがある点も強調しておきたい。

 先端医療の世界、特に一連の桜宮サーガにて取り上げられるテーマは重く、ひとことで何が正義とか簡単に決められない状況を描き出す。日本全国、財政的に無尽蔵にお金がある訳では無い。医は仁術という言葉だけでは現代ではやって行けないのが実像だ。そういう意味では、さまざまな医療の実像を広く知らしめることができる、その意味でもこのシリーズの意味合いは大きいように思う。


12/03/06
畠中 恵「やなりいなり」(新潮社'11)

 デビュー作品『しゃばけ』から続く若だんなシリーズ、ビジュアルストーリーブックを除いた正編としてはちょうど十冊目となる作品集。『小説新潮』誌二〇一一年二月号から六月号のあいだに連載された作品をそれぞれ順に単行本化したもの。

 若だんなの住む長崎屋のある通町界隈では、急に恋の病が大流行していた。さらになぜか若だんなの天敵の疫病神や病の神様も町に集まっている。町の境界を護る橋姫が恋をした結果、通町にさまざまな神様が集積するかたちになってしまって……。 『こいしくて』
 若だんなのもとにいきなり現れた幽霊。護符を貼ると実体化するのだが、自分自身が誰なのか判っていない。しゃべり方から噺家ではないかと若だんなは推理し、聞き込みを開始する。 『やなりいなり』
 若だんなの父親の籐兵衛が連絡も寄越さずもう三日も家に戻って来ない。芸者絡みの争いだ、追いはぎだと妖怪たちは勝手な推理を繰り広げるが、その真相は……。 『からかみなり』
 若だんなの住む離れに雲が丸まったと思しき奇妙な玉が降ってきた。若だんなが拾うが鳴家がよってたかるうちにひとりでに玉は飛び出し、屋敷を出てしまう。鳴家が追うが、今度は空から「百魅」なる妖怪が現れる。 『長崎屋のたまご』
 体調が良いので親友の栄吉が働く安野屋を自ら訪れる若だんな。大量の菓子を買い込む浜村屋の新六、その友人の五一の喧嘩を見かけ気に掛ける。五一は許嫁だった新六の妹を振って一人房州に旅してしまったうえ、一旦江戸に戻ってまたすぐに出るのだという。それを新六から責められていたのだ。 『あましょう』 以上五編。

世界観が完全に確立、物語自体の起伏は実に穏やかに緩やかに。
 もとよりそれほどタフな物語ではないし、特に本作収録の五作品ではこれまで前巻で積み重ねられてきた人間関係について、変化が一切ない。 元より虚弱体質の若だんなは冒険できる身体でなく、恋愛らしい恋愛もなく、縁談も見合いもない(というテーマの回はあるが)。これで周辺の人間関係にまつわる話がなければ、物語は当然のこととして穏やかなな内容に終始する
 シリーズが長く続き、物語の終着点が見えないタイプの作品であるため、シリーズを続けること自体が目的化しているかのようなイメージも受けた。ちょっとした奇妙な現象が起きて、その現象に絡んで新しい妖怪が江戸の町に現れて。実はこういうことでした、と。それはそれで良いのだけれど、巨視的にはパターンが同じになってしまう点でいささか退屈な印象もある。
 収録作のなかでは『あましょう』の一人勝ち。若だんなが目にした、どうやら親友同士の喧嘩模様。その原因は、そして彼らの行く末は。持参金とお嫁さん、断られた縁談と、さまざまなピースがばらまかれていて、ある程度は読者も組み上げられるのだけれど、最後のピースが実に哀しく、そして印象に残る。 他の作品でもこういったアイデアを取り上げられないことはないと思うのだが、この真相は「しゃばけ」シリーズのなかですんなりと許容されるタイプであるところも好印象に繋がっている。

 ただ、やはり短編五作で短編集一冊としている(通常なら七作)関係もあり、パターンが似ていることもあって盛り上がりには少々欠けるところは否めない。他の作品集と比較して抜けて凄いということもなく、シリーズを追っているファン向けの作品集であるという印象。


12/03/05
馳 星周「暗闇で踊れ」(双葉社'11)

 『小説推理』に二〇一〇年一月号から二〇一一年五月号にかけて連載されていた長編を単行本化した作品。

警視庁捜査三課の神崎巡査部長は、大学中退でノンキャリアの刑事で出世や正義にあまり興味が無く、署内でも”氷のザキ”との異名を取る人物。しかし、家庭を顧みなかった結果、妻と子供は別の男性と別居を開始、離婚を迫られる状態にあった。警察に、松濤に住む富豪老人の所有する美術品が一時に大量に市場に出回っていると情報が入る。井上の庶子だと自称する榊田恵・学の姉弟が、売却に噛んでいるようで、神崎は後輩の水沢と共に井上宅に乗り込むが、老人は二人のことを信用しきっており、事件性を確認することはできなかった。三十前後の女盛りで抜群のスタイルと美貌を持つ榊田恵は、神崎に連絡を取り、弟のことで相談したいという。警戒しながらも二人で会う神崎は結局、弟・学を尾行するが彼は彼で十歳ほど年上の人妻と濃厚な交際をしていることが判った。ストーカーらしき人物がいるという恵の助けに応え、松濤の屋敷を訪れた神崎は、遂に恵と関係を持ってしまう。そこから激しく愛し合っていると神崎は思っていたが、ある時、恵と連絡が取れなくなる。ほどなく井上が死んだこと、美術品一切合切が売り飛ばされていたこと、学もまたいなくなっていることに加え、神崎自身も身に覚えのないクレジットカードを作られ、二千万円近い借金を負わされていたのだ。天性の詐欺師である姉弟と、その二人に執着する刑事の行き着く先は……。

かつての馳作品の持つ破滅的狂気が静かに燻るように。絶望っぷりがじわりと浸みる
 前半部は馳星周氏特有の、多少荒れた雰囲気こそあるものの、美術品詐欺・結婚詐欺といった、あくまで詐欺が中心で物語が展開している。その詐欺すれすれの行為で寸止めしている犯罪者VS尻尾をつかみたい警察というような図式が最初段階では提示されている。あからさまに怪しい姉弟。超絶な美女と、整った顔つきの美少年(といっても二十歳だが)、彼らがモテない人間の心の襞にするすると触手を伸ばしてゆく。騙されたという自覚もなく、対象者は心をつかまれ金品が掠め盗られてゆく。詐欺の手口も鮮やかである一方、瞞す側の心理描写が巧い。むしろ瞞す側に感情移入してしまうよう、作者は巧みに読者を誘導する。 こういうとこ、うまいなあ、ここで一旦、物語が突き放されたような展開に移る。刑事の側が恥ずかしいほどの詐欺にあい、ぼろぼろになる展開。面白いのはここで刑事が相手を憎みきれず、むしろ執着を増加させるところ。それだけ相性のいい女だったということなんだろうが。

 そしてこの後半ですよ後半。
 もとから修羅の世界、地獄のような境遇にあった姉弟と、その地獄に飛び込もうとする男。彼ら三人が織りなす同床異夢っぷりがたまらない。 どう転んでも破滅という美しさ。それぞれがそれぞれの立場から愛し合いながら異なる狂気を孕むこの展開、息をするのも忘れるほど。 どちらに転んでも破滅、時間がかかるかかからないか。それでいて三行先がどう展開するか全く読めない程の緊張感とスリルがある。
 初期のひたすらに爆発するかのような馳作品から一段ステージが上がって、物語としてかっちりとした構造を持ちながら、その構造から溢れてくるような情念の描写がたまりません。
 特に、終盤の「姉」の様子は修羅が如き。自らの秘密、そして──。
 近年の馳星周氏の作品を全て追えている訳ではないのだが、ここのところは前半から中盤にかけて、深謀遠慮もあって押さえに押さえていた何かが終盤に爆発して「ジェノサイド(虐殺)」になってしまうケースが多かったような印象がある。(間違っているかもしれなが)。本作も、過去でも人は殺されているし、後半でも人は殺されるが、物語をキレイにするための片付けといった印象はなく、あくまで登場人物を精神的に追い込んでゆくための手段として表現されている。むしろ、三人が三人とも善後策を考えているはずなのに、互いに互いを傷つけ合ってゆく不器用な展開に痛烈な哀しさすら覚えてしまう。

 前半部はむしろ美術品・結婚など詐欺師のやり口・手口がかなり具体的に描かれており、変な意味で参考になる。いずれにせよ、読みどころは最終章近辺、刑事の絶望、姉弟のあまりに悲惨な生い立ちの暴露、そして最終的な彼らの決意の非情っぷり。このあたりの切れ味が素晴らしい。インパクトの大きい作品でした。


12/03/04
小路幸也「荻窪シェアハウス小助川」(新潮社'12)

小路幸也さんのノンシリーズ長編。『小説新潮』誌2010年9月号から2011年6月号にかけて連載された作品の単行本化。

 早くに父親を亡くして母が外に働きに出た関係で双子の弟妹の世話と家事を引き受けてきた沢方佳人。母親からは大学進学を勧められたものの、やりたいことが無く、高校時代から続けている酒屋のアルバイトを何となく継続していた。そんな彼のもとに母の知り合いの相良さんという建築士が訪れた。沢方家が昔から世話になっていた小助川医院の建物をリニューアルしてシェアハウスを建設するので、その住人兼管理人をして欲しいという。二年前に診療を止め、隠居生活に入った大家の小助川鷹彦(タカ先生)がオーナー兼、健康面アドバイザーを務め、彼と住人とのパイプ役が期待されているらしい。相良さんの審査を経て、やって来たのは女性が四名と男性が一名。大学に入学したばかりの恵美里、駅前の書店で働き出す今日子、幼稚園の先生になった亜由、四十代独身の茉莉子、そして三十代後半のレストランウェイター・大吉だ。それぞれシェアハウスは初めてで、お互いの距離感を図りつつ、ルールを決めながらの生活。大きなトラブルはなく、むしろうまく軌道に乗り始めたところ、皆で外でバーベキューをやっていたところで大きな事件が発生してしまう――。

家族と他人とで距離感は当然異なる。ほんわかしながら「家」と「人間の繋がり」について少し考える。
 「多人数が一つの家に暮らす」という表向き、表層上のテーマのみを取り上げるならば、数ある小路さんの著作のなかでも看板シリーズである「東京バンドワゴン」と被っている。ただ、「多人数が一つの家に暮らす」という行為そのものは同じでも、時間的にも空間的にも、そしてそれぞれのエピソードのなかでも家族の絆が全面的に押し出されるバンドワゴンに対し、シェアハウスは、どこまでいってもやはり同居人といえど基本的に他人同士であり、個人個人の物語は別々に紡がれてゆく印象を受けた。他人の男女が同居する以上、ルールがあり、そのルールに従って生活することが基本だし、そのルール自体がそう交流を目的としたものではない。ただ、そんななかでも互いに手探りで、人と人が仲良くなってゆく姿はみていて心地よいのだ。
 一方、生活が軌道に乗り始めたシェアハウスで、かなり大きな「事件」が物語中盤で発生する。その結果、一時的にだが、シェアハウスを解散してしまわなければならないような事件だ。そのこと自体は物語のアクセントとして良いのだけれど、そこから後のアクションというか、居住者同士の距離の取り方もまた、やはり家族ものとは異なっていた。ただ、その距離の置き方が巧いのだ。依存しすぎず、だけど温かみは感じ取れる距離、という感じ。
 その中盤以降、事件も含めて、普通の意味の一人暮らしではなくシェアハウスを選択した(せざるを得なかった)彼らが、それぞれ抱えるちょっとした躓きであるとか、鬱屈であるとか。そういったところが少しずつ人と人との関わりのなかで溶けてゆく。このあたり、小路作品ではお約束ともいえる展開ではあるのだが、やはり気持ちいい。人間、おかしな理屈で生きる人間ともぶつかってゆかなければならないといった、タカ先生の言葉がところどころ説教臭くはあるけれど、まあ正論であり、なかなか一人で思い悩んでいると気づきにくいことなので、その説教臭ささえも悪くないと思える。

 中盤の大事件を除くと、登場人物は芯の強さ弱さはあっても、基本的に善人であり、そんな彼ら同士のかかわりのなかには毒は生まれない。なので、読者によってはメリハリがないといった感想を抱く方もいるかもしれないが、そういった良い意味での「緩さ」「安心感」というのもまた、小路作品の魅力である。本作はラストの方の決断も良い感じかな。単純にほっこりしたい時の選択肢として小路作品が手元にあるというのは、実は非常に嬉しいことなのです。


12/03/03
はやみねかおる「復活!! 虹北学園文芸部」(講談社'09)

 講談社百周年記念事業である「書き下ろし100冊」に応じて発表された長編作品。書き下ろし。はやみねかおる氏の超人気作品『夢水清志郎シリーズ』(前期)からスピンアウトした要素を含んでおり、対象読者も基本的には同等。イラストは『妖怪のお医者さん』の佐藤友生氏。

 春。日本人の父・三四郎とイギリス人の母・アリスとのあいだに生まれたハーフの美少女・岩崎磨韻(マイン)。中学生になり虹北学園に入学した。年上の従姉妹である岩崎亜依から聞かされていた「文芸部」に入部しようといたにもかかわらず、現在の虹北には、その文芸部自体が存在しなかった。特大フォントで「え〜!」と叫んだマインの悲鳴は体育館に響き渡る。生徒指導の安達先生に文芸部復活を訴えたマインは、一枚の紙を渡される。「新設クラブ申請用紙」。そこには五人分の名前欄があり、申請受付の締切は四月末なのだという。やはり小説に興味がある人間がいるのは図書室だろうと、図書室で大声で勧誘を開始するものの、司書の先生に大目玉を食らったうえ、三日が経過しても誰一人入部希望者は現れなかった。へこみはじめたマインが目をとめたのは学級通信。そのなかに書かれた文章のひとつが、光ってみえたのだ。執筆したのは陸上部の美少女天才ルーキー・野々村紗弥香。更に賞金狙いの投稿マニア・極楽鳥宴寿(田中花子)、伝説の校閲を父に持つ宇田川宇亜など、次々と見つけた候補に声を掛けてゆくのだが、締切は刻一刻と迫ってきた!

努力! 友情! 勝利! 少年ジャンプのお約束をなぜか文芸部で実現!
 夢水清志郎シリーズ第一期のほんわかカップル:岩崎亜依とレーチの愛の巣wだった「虹北学園文芸部」が、時の流れに身を任せ、いつの間にか消滅してしまっている時代。(つまりは『卒業』からもかなり年代が経過したあとの物語ということになる。)年上の従姉妹・亜依から文芸部の楽しさを聴き続け、ようやく入ろうとしたら、その文芸部そのものが廃部になっていたというどん底展開。
 そこであきらめたらおしまいだよ、ってことで空気も読まずに頑張るマインの態度と行動力が問われる状態。そこで得た情報により、部員を他四人集めれば、もう一度文芸部を復活させることが出来る! という背景、そしてマイン本人のお色気抜き、ひたすらなパワフルさ加減の結果、仲間を求めてゆく展開となってゆくに、もうこれはどこか少年マンガ的なノリに近い。というか、そのもの。
 某海賊コミックで主人公が惚れ込んだ人物を仲間にする展開(まあ別に海賊でなくてもいいんだけど)にどこか似ている。女の子なので拳で相手にいうことを聞かせるといった強引な展開ではないまでも、一度惚れた相手を、あの手この手で籠絡せんとする展開は、ある意味では本書の読みどころ。最初は、いきなり暴力(びんた!)でマインを振る陸上美少女。賞金目当てと公言してはばからない作家候補。なかなかその道は多難ながら、結局のところ誠意と熱意で押し切ってゆき、その子たちの本当の気持ち──小説を書きたい、書いてみたい、に踏み込んでゆく展開は、うん、悪く無い。
 三人の仲間を得たマインが、最後の一人をどうやって集めるかという部分については、ミステリではないけれども意外性がある。(まあ、無理もある)。また、友人の葵、さらに先生方なども善人で、かつ筋が通った良いキャラクタだと思う。マインの叫び声のフォントが大きくなると、どこかこちらも幸せになる。そんな小説です。ある意味、正統派のジュヴナイルだともいえそう。

 本編主人公の岩崎マイン、『名探偵ものしりクイズ』というシリーズのおまけ短編小説で本作以前に登場しているらしいです。もっと幼い頃。(読んでいる筈なのだが、彼女の記憶がない……。)


12/03/02
吉村達也「原爆ドーム 0磁場の殺人」(講談社ノベルス'12)

 吉村達也氏は多数シリーズを抱えているなかの一つで、比較的最近開始された「世界遺産シリーズ」の第二弾。2010年の『白川郷 濡髪家の殺人』に続いて志垣警部と和久井刑事のコンビが探偵役兼進行役を務めている。世界遺産としての原爆ドームを取り上げる構想は以前からだったものの、3.11を受けて発売日を大幅にずらさざるを得なくなったという事情があるようだ。

 広島市の原爆ドームの近くにある病院で32歳の若さで病死してしまう沢村あずさ。死の直前までは普通に働いていたものの高校生の頃に悪ぶっていた時期があり、その頃のある行動について激しく後悔をしていた。あずさは死の直前、ある人物に対し、「ある行動」の全てを告白していた。北海道の無医村にいた彼女の母親はその事実に気付いた。続いて東京都大森のアパートで風俗嬢の榎本朱美が凄惨な他殺死体で発見された。ナイフで七十五ヶ所刺され、その背中には原爆ドームの慰霊碑に刻まれた碑文と同じ「安らかに眠ってください」という文字がマジックで描かれていた。和久井は被害者の部屋の壁に、素人臭い原爆ドームの絵が、殺害のあと掛けられたことに気付く。怨恨を中心に捜査を進めた警視庁は二人が中学の同級生であったことをつかみ、十八年前に集団暴行によって死亡した高校生の存在が浮かび上がる。その高校生・南純太の妹・紫帆は、彼女たちと同級で、現在はモデルを務めるほどの美女。しかしなぜか、その兄の死を目撃していたという当時小学生だったテレビリポーター中尾真治と現在は結婚生活を送っていた。真治は一連の事件が起きた直後、自らのブログに原爆に関する刺激的な言説を乗せ、ブログを炎上させていた。

サスペンス要素重視の結果、推理要素は低め、メッセージ要素がかなり高め
 良くも悪くも近年の吉村作品らしい内容。 1990年代のデビュー直後、吉村氏の初期作品には、かなりユニークなトリックが凝らされたものが多い。ただ、その発想がドラマチックに過ぎて現実離れしてしまうケースがあったこと、さらに謎解きに至る手続きが本格ミステリのオーソドックスなパターンから外れることが多かったことなどから、なかなか本格界隈から評価されにくい状況にあったように思う。(最初期には、新本格ミステリ作家の一角に名前が挙げられていたはずなのに)。
 その後ある時期に、トリックに頼らず、一般読者にも判りやすいミステリを指向するようになってしまい、どちらかというとサスペンスが強調されることが多くなってきている。トリックに無理がなくなる(つまりマニアにとっては魅力が薄れる)一方、多少残虐な場面、狂気めいた場面を描いても、単に恐怖心を煽る目的ではなく、きっちりそこに人間心理・心の深奥にある微妙な綾までを説明するようになってきており、本作もその傾向に沿ったものだと感じられた。本作なかでも「何故最初の被害者は全身をナイフで75ヶ所も刺されたのか?」「何故人気レポーターは、わざわざ自分のブログで炎上騒ぎを起こしたか」といったところが、その傾向に当てはまる部分だ。

 改めて、本作のミステリ部分について。
 関係者・志垣・和久井──そのほか様々な視点人物が登場、吉村作品にしばしばみられる頻繁な場面転換がみられる。この複数視点人物による描写により、どちらかというと絵柄というか、ドラマ性を重視した物語作りとなっているようにみえる。また、複数視点人物による描写それぞれに嘘はないにせよ、「本人知っている大事なことを語らない」ことによって謎が維持されている物語形態となっている。しかも、それが犯人だけではなく、複数の関係者が、知っていること、経験したことを読者に伏せたまま事態が進行してゆく。この伏せた何かを明かしてしまうと謎度は八割引き、というかミステリではなく単なる因縁がらみの犯罪小説。もうこれはこれで、こういうもの、なのだ。
 その伏せられた謎が、告白や指摘によって明らかになったところで、一応は全ての謎と真相が繋がってゆく。現在の吉村達也氏を支える読者層が、必ずしも本格ミステリ形式を好んでいないことからこのような物語形式が使われるようになったのであろう。今更もう。

 ほか、「安らかに眠ってください」はとにかく「過ちはくりかえしませんから」の疑問、加害者に必要なのは、再発防止ではなく徹底した謝罪であるなど、メッセージ性の強い主張も多い。3.11や原発問題には直接関係しないにせよ、「原爆が落とされることを容認した日本人」から、多少の出来事では声を上げず動かない日本人に対する苛立ちであるとか、過去の高校生殺害事件を巡るミステリというよりも、吉村氏(ないし作中登場人物)のさまざまな主義主張の方が強く印象に残る作品だった。


12/03/01
芦辺 拓「大公女殿下(プリンセス)に捧げる密室」(祥伝社'12)

 月刊『小説NON』平成二十二年五月号に中編『ヴェルデンツ大公国の密室』として発表された作品を改稿、長編化して単行本化したもの。作者あとがきによると、この形式をとったのは、世界観を確立したかったことと、中編をベースにした長編化という横溝正史ら先人がしばしば行っていた形式をとってみたかったことと二点理由があるとしている。中編の長編化は昭和期は多かったが、確かに近年はあまり見ない。

 弁護士事務所に客も無いある日、閑を持て余した森江春策がゴールデンレトリーバーの《金獅子》をシャンプーし、そのついでに耳側の固まった毛をハサミで揃えてやろうとしたところ、毛だけでなく肉も切ってしまって大変なことに。その翌日、過去に『探偵宣言』に収録されているある事件にて森江春策と知り合った鞠岡未来生からの手紙が届く。彼は現在、ヴェルデンツ大公国という欧州の小国におり、その国で名探偵としての森江の力を借りたいのだという。その森江、同国と浅からぬ縁があるのだという。現在は森江の愛犬として知られている金獅子は、その国の現在の大公が別名で日本に滞在していた折りに譲り受けた犬であるらしい。
 ――かつて大阪で事務所を開いていた際、森江は伊能次郎と名乗る老人の訪問を受けた。彼はある重要な封筒を森江に預かっていて欲しいといい、さらに。その中身はある人物の運命のみならず、一国をひっくり返すだけの重大な影響力があるものだという。さらに伊能は留学生として大阪に滞在中のエルマン・ルドゥックなる人物を護って欲しいと言い残した。早速その封筒を狙ってか深夜に森江の事務所に賊が侵入、これは森江の機転でやり過ごしたものの、近いタイミングで伊能次郎は自宅アパートで刺殺されてしまう。事件当日を含め、伊能宅をしばしば訪れていたという留学生が参考人として引っ張られたが、彼こそがヴェルデンツ大公国の大公太子でもあったのだ……。なんとか彼の疑いを晴らした森江は、そのお礼代わりに(まだ子供のゴールデンレトリーバー、即ち)金獅子を預かることになって現在に至っている。手紙が気になる森江は、早速ヴェルデンツへと向かうが、ろくに情報も伝わっていない筈なのに、既に新聞で名探偵来訪が取り上げられるなど何故か現地で大きく歓待されてしまう。

ファンタジックな展開もあくまで「本気」の伏線。後半一気に物語が変転してゆく様に迫力
 言うてしまうと森江春策だろうが新島ともかだろう芦辺氏の物語に登場するのは、当たり前だが架空の人物。だが、その架空の人物たちが普段活躍している東京・大阪も、いうなれば架空の東京であり架空の大阪であるのだが、そちらはそちらで下現実に存在する都市をバックグランドとするリアリティが担保されている。また、芦辺氏はリアリティにはこだわりをみせることが多く、背景や必然性のないままにこういった新しい国家を舞台にしたりは普通しない。しかし、本作はあえて森江春策に全くの架空の国に飛んでいってもらうという試みを実現している。
 現在単行本待ちのスチームパンク小説もそうだろうが、芦辺氏は、黄金期探偵小説風を筆頭に、昭和期の大衆小説風、少年少女向けジュヴナイル、もう少し上の世代向けのヤングアダルト(ラノベではなく)から、SF、ファンタジー、ショートショート、時代小説、一人雑誌、講談、演劇といった非常に幅広い分野を意識し、意識するだけでなくその「様式」を模した数々の作品を発表している。森江春策(とは限らないが)が登場し、本格ミステリをベースとしながら、その骨組みを様々な「要素」に溶け込ませてしまうテクニックは名人芸に近い。 
 こういった創作上の冒険的な取り組みを継続的に行う作家は、近年は特にあまりみられないように思う。思うに評価されにくく、一歩間違えるとコケやすい手法だからという理由もあろう。しかし、そこに敢えて挑戦してゆくという作者の姿勢はもっと評価すべき要素だと思う。また、読者側からの要求ではなく、あくまで作者の意志による様式選択は、ドン・キホーテ的行為に近くみえるかもしれない。でも芦辺氏の姿勢には、「かつて自分が体験した物語、かつ、このままでは時代の波のなかに消えてしまうかもしれない物語形式に対する恩返し」というような無私の創作意欲がみえるのだ。「ルリタニア・テーマ」(※1)を取る本書もまた、そういった下敷きのもと生まれたものだと感じられる。

 前振りが長くなってしまった。前述の通り、架空の王国における殺人事件を含む謀略事件に森江春策らが探偵役として巻き込まれる話となる。大公女が探偵役補佐を宣言し、いきなり森江を引っ張り回すが、長年のパートナー・新島ともかのいる年齢不詳の森江春策に対してツンデレキャラをいきなり登場させる理由も効果もなく、この設定はいささかどこかの読者に媚びただけの中途半端な印象を受けた。
 ただ事件の方は通信棟の殺人事件――『綺想宮殺人事件』で出てきそうな特殊な通信設備のある建物で、二人が他殺体で死亡、現場に残っていた一人が当然犯人では? と疑われる事件。また、大公自身が事件現場にて目撃され、犯人ではないかと目される事件。実は、この二件、芦辺作品にしては、という条件はつくものの、事件そのものと使用されているベーストリックは非常にオーソドックスなもの。いろいろと 「ルリタニア・テーマ」実現のための、西洋チャンバラなどの見せ場はあるものの、ミステリとしては正直そう高く評価できないで終わりそうな印象で中盤まで進んだ。
 が、しかし。終盤に至ると、探偵が自らの推理の不完全さを自ら公開してゆき、限定されていた筈の事件外枠が外へ外へと拡げられてゆくことで、次々と別の真相が浮かび上がってくるのだ。 一連のロジックや、名探偵すら落とし穴に知らず落ちていたという罠など、非常にスリリングであった。むしろ、ここで関係者を現実に引き戻してゆく過程にサプライズを持ち込んでくるとは。
 その構造については高く評価できる一方、実は今回、この動機についてはあまり感心できない。物語上でのバランスの悪さ(ファンタジー→こてこての社会派風動機)、そして、リアリティの面でも今更これはどうかと思う。簡単にいうと、この十年、最早日本企業には、物語の「巨悪」を担う力は無くなっているのです。

 早い段階から登場する愛犬・金獅子誕生秘話が語られたり、大阪時代の知られざる森江春策のエピソードなど、ファンにとってっはボーナストラックの要素も大きい。またコメディ的な要素も含め、あまり現代の一般的読者が触れることのない物語様式を用いて、さらにこの物語形式が持つ特有の面白さを引き出すことには成功していると思う。個人的には、このヴェルデンツ大公国、どこかあの常春の国を思い出してみたり。当然タマネギとかはいませんが。(本来思い出すべきは、小泉喜美子『ダイナマイト円舞曲』ですよね、わたしの立場からすると)。

(注1)
『ゼンダ城の虜』に登場する架空の王国・ルリタニアの名称から、「近代または現代のヨーロッパ大陸の一角に、架空の小国を設定し、そこを舞台に大冒険をくりひろげるお話」について田中芳樹氏が「ルリタニア・テーマ」という冒険小説のジャンルとして提唱した。