MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/03/20
相沢沙呼「ココロ・ファインダ」(光文社'11)

 2009年『午前零時のサンドリヨン』で第19回メフィスト賞を受賞してデビューした相沢氏の四冊目の単行本。東京創元社以外では『マツリカ・マジョルカ』に次いで二冊目。『ジャーロ』誌40号(2012年12月)から43号にかけて連載された作品がまとめられたもの。

 写真部に所属するミラこと鏡子は、同じ部で華やかな雰囲気を持つ親友のカオリに憧れがあった。そのカオリの様子がおかしく、それはカオリをモデルにして撮影していたシズにあることに気付く。だが、二人の不仲の決定的理由が分からない。 『コンプレックス・フィルタ』
 カオリやミラの写真部の後輩である秋穂。彼女のカメラのSDカードに撮影されていた学校の壁だけを撮影した写真の意味は。 『ピンホール・キャッチ』
 先生から貰った二眼レフカメラ。カオリはクラスでいじめを受けている生徒を気に掛けるが何も出来ずシズに相談。かつて中学の時に同じように酷い目にあった映子の話を彼女に聞いてもらう。 『ツインレンズ・パララックス』
 優等生・天野しずく。写真の道に進みたい自分と優秀な大学進学を望む親とのあいだで。そして一枚の写真が友人のいろいろな事件に繋がっていたことに気付く。 『ペンタプリズム・コントラスト』 以上四作による連作集。

よくも悪くも「青春」特有の心の動きにセンシティブ。繊細な描写を吉と捉えられれば。
 普通の女子高生たちの、普通の写真部の、普通の日常。淡い恋もあれば、友情もあれば、ちょっと暗い側面もある。だけれども、恐らくいわゆる我々が普通に経験する「日常」と近しいフィクションとしての「日常」の物語。  しかし、その女子高生の物語を心の襞まで丁寧に描いてゆくと、日常もまた小さなミステリになり得る。本書でも、ちょっとした仲違いの理由であるとか、掲示されていた写眞が一枚交換されてしまっていた謎であるとか、掲載誌もミステリ誌であることもあってそれぞれ小さいながら「日常の謎」があるミステリになっている。
 ただ、それ以上に登場する女の子たちが、普段生活している段階で抱いている繊細な感覚が重要なモチーフになっているように感じられる。それが女子高生だから、ということではなく、相沢氏の描く高校生の感覚が、大人の感じる高校生らしい繊細さに非常に近く、技巧として巧く感じられる。小さなコンプレックスであるとか、恋や友情のちょっとした悩みであるとかが、人生の重大事として日常生活を脅かすほどの脅威であるという、世代特有の日常。さすがにおっさんなので、彼女たちへの思いきり感情移入などは今更不可能だが、それはそうとしても気持ちや心情が理解できるという点、そこが素晴らしい。 表層は2012年らしい物語ではあるのだけれど、とにかく突き詰めてゆくと時代を超越する普遍的な「悩み」が描かれているということだからか。
 そして相沢作品に共通しての話ではあるのだが、登場人物それぞれが不器用だけれど優しい。この不器用がしばしば謎へと繋がってしまうのはご愛敬。でもその裏側にあるのが悪意よりも優しさが大きいところが、相沢作品の良さなのだと再確認できた。

 若い世代の人がラノベ感覚で読むも良し、大人が温かな気持ちで読むも良し。鮎川哲也賞出身作家らしいハードでシビアな本格ミステリを期待する向きへの答えとはなっていないが、相沢沙呼という作家の個性は十分出ている連作集かと感じた。


12/03/19
堀井拓馬「なまづま」(角川ホラー文庫'11)

 堀井拓馬氏は1987年生まれ。東京都出身。文京学院大学人間学部卒業。本作で第18回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞してデビュー。

 その世界では、悪臭を放ちなかなか取れない大量の粘液に覆われてゆっくり動く醜悪な生物・ヌメリヒトモドキ。どうやって出現したのか、生きたものこそ襲わないものの、髪の毛や爪など人間の老廃物を好んで食し、殴っても燃やしてもその特性が変化しない。巨大な「女王」から生まれ、また帰巣本能に従って女王へと戻る。日本国中のさまざまな場所に出現し、迷惑な存在でありながら対処の方法がほとんどないという厄介な生き物。そのヌメリヒトモドキの生態観察研究を職業にしている「私」。私は二年前に妻を亡くし、非常に虚しい毎日を送っていた。研究所の内部情報により、ヌメリヒトモドキが人間の感情や記憶を習得する能力を持っていることを知る。また、研究員の一人が自分の情報を与えてヌメリヒトモドキを飼育しており、その個体は徐々に研究員同様の性格を身に付けていった。そうして私もまた、醜悪な怪物を通じて最愛の妻を甦らせるため、遺品として残していた彼女の髪の毛を使用し、一匹のヌメリヒトモドキを浴室内に閉じ込めてしまう。

結末がみえているなか、ねっとりした文章で包まれる気持ち悪さ
 古今東西、愛する人間、そして死んでしまった人間を甦らせようという話は枚挙に暇が無い。 生物の理に反し、宗教的文化的にもタブー。しかし、愛ゆえに、残された側の絶望ゆえに、その甦らせるという行為に入りこんでしまう人間は(実際にどうなのかは不明だが)少なくない。
 ゾンビ譚、猿の手、まあ何でも良いのだが、そういった話の発端と過程は基本同じである。その結末だけが異なり、その結末のその先は大抵また同じ、というのが三十秒考えた結果なのだがどうだろう。本書でもそうだが、愛する人を甦らせるために禁断の研究に挑むところ、悲しみ/哀しみのあまり人間のタブーを踏み越えるという点は大抵の作品で同じだし、本書もまたタブーを踏み越えていく主人公の葛藤が、読みどころの一つ。愛する人を思う気持ちと人間としてのタブーとを秤に掛ける物語となることは既定路線。
 また、ゾンビなりを甦らせたあと、最終的な部分も大抵は同じである。自然の摂理に反したことを実現したり試みたりした者には大抵の場合、罰であったり揺り戻しがあったりと悲劇的に終わるものがほとんどである。
 と、前置きが長くなったが、本書はその「甦らしものの基本路線」を踏襲しながら、幾つかの意外性を孕んでいて、そこが非常にユニークに感じられた。 甦らせる対象を醜悪な怪物に設定したところは、まあアイデアとしてあり得る埒内。優れている一つは、この粘着質な文章。かなり主人公の鬱々とした心情が中心となっていて、読めないと読みにくいのあいだくらいの鬱陶しさでおおむね全体が繋がっている。(読みやすくは無い)。この悪文の匙加減が作品の雰囲気と不思議にマッチしている。この文章が、作品の嫌なリズムを醸し出しているといってよいだろう。そして、愛する者を甦らせた先。 甦らせたこと行為そのものに主人公が復讐されるのではなく、甦らせた相手に復讐されるような展開。これは正直いって相当に意外で、心に残った。罪と罰ではあるのだけれども、その演出と設定のインパクトが強烈なのだ。計算通りなのか、偶然の結果なのかは読み取れないが、心に嫌な傷が残るようなタイプの演出である(褒め言葉)。

 量産の効きそうな作風ではないのだけれども、妙に心に引っかかる作風だ。本書自体は読んで後悔しないし良かったと思うのだが、文章が文章なので次も読みたい! というと無条件に手を挙げられない。恐らく刊行後、あらすじで興味が持てるかどうかが(もちろん個人的には)鍵になりそう。


12/03/18
福田和代「スクウェアI」(東京創元社'12)

〈ミステリーズ!〉Vol.35、36、38、39号、加えてVol.48号、そして最終話の『バナナズ!』は書き下ろしという初出で構成されている連作短編集。『スクウェアII』も同時に発売されている。

 大阪は梅田にあるデッドエンドストリートと名付けられた行き止まりの小路。その路地にてひっそりと営業しているがのがショットバー「スクウェア」だ。気まぐれでふらりとこの店に入った大阪府警の薬物対策課・三十六歳の独身男である三田は、バーテンダーのリュウや他の常連たちと少しずつ親しくなる。三田はリュウの身のこなしなどにただならぬ気配を感じ取るのだが、リュウはなかなかその素性を表に表すことはなかった。そんな彼らと常連たちとが織りなす事件模様。
 所属の芸能事務所から逃げ出した人気歌手・アリサ。ひょんなことから彼女と関わりあいになってしまった三田は彼女の抱える苦しみを知る。 『スクウェア』
 違法ドラッグを売りさばく売人の捜査を行う三田。その三田の周辺に出所したばかりの人生転落した男の姿が浮かぶ。『ザ・リヴァー』
 署内の仲間の子どもに贈るプレゼントを巡る幕間劇。三田の後輩でお調子者の大迫が中心となる物語。『スクランブル!』
 元ボクサーでスクウェア常連の宇多島の元妻が覚醒剤使用の罪で逮捕された。リュウと宇多島がとった作戦は……。 『チョイス』
 宇多島の経営するスポーツ用品店で連続放火事件が発生、張り込んでいた大迫が怪我を負う。 『デイイン、デイアウト』
 大迫が主人公の番外編。 『バナナズ!』 以上六編。

大阪舞台の人情ハードボイルドでありつつ、違反薬物を巡る悲劇を巧みに織り込む
 冒頭にある表題作品はハードボイルドの王道を行くようなイメージを受けた。福田和代さんらしい関西系の微妙な人情であるとか、麻薬をテーマにするさりげなさなど、物語としての完成度は最初から高いが、有名歌手と独身刑事のロマンスなど、ちょいと狙いすぎ(?)と感じさせられるフィクショナルな部分が目立つように思った。
 のだが。
 福田さんは、この歌手を序盤から退場させてしまう。これが英断。 実際、彼女(アリサ)は中盤以降この「スクウェアI」では再登場させて貰えない。この結果、まず浮かれ混じりで始まった麻薬捜査刑事のキャラクタがむしろ引き締まった。多少、ハードボイルド基調ながら物語が警察のチームワークを主題とした物語や、麻薬を巡る人間関係の悲喜こもごもを描いた物語であったりと、さまざまな方向性を持ちながらも、基本的に太めの幅を持ったベクトルでぐいぐいと読者を引きずってゆく。普通の彼女であるならとにかく、芸能人との交際がもしあったら、やはりこのスクウェアが中盤以降持っているベクトルからちょっと外れてしまうように思うのだ。
 読んでいて感じたのだが、作中で三田が思うほど一般的な読者はリュウの正体に興味はないのではないか。(まあ、個人の感覚なのですが)。むしろ一話、一話のなかで麻薬や覚醒剤によって狂わされた人生であるとか、それと立ち向かう勇気であるとかが描かれていて、その一連の流れが心地よく感じられる。大阪だから、というのは偏見になるのだが、ハードボイルドと人情はよく似合う。

 また、三田、リュウ、宇多島だけなく、おけい、大迫ら周辺人物や警察の面々にも個性が強く、良い意味でのしぶとさと愛らしさが込められている。また、本作自体は連作短編集としての性格を持ち、個々の登場人物に愛着が湧いたところで次巻に続く、というのはむしろ嬉しくなる。ということで、最終的な感想は『スクウェアII』へ。


12/03/17
小林泰三「人造救世主」(角川ホラー文庫'10)

 小林泰三氏によるダーク・オペラ、人造救世主シリーズ三部作のうちの第一作目。文庫への書き下ろし。この後『人造救世主ギニー・ピッグス』『人造救世主 アドルフ・クローン』と続き、三冊にて完結している。

 「もう努力しなくても構わない」──科学班の多数の〈父〉や〈母〉によって育てられ、九番と呼ばれている僕は、突然に〈父〉から戦力外通告を受けた。僕はもう英雄になることはないことが判明したことが理由だ。彼は生まれてからずっと白一色の部屋で過ごし、食堂や図書室等を回り、毎日〈父〉〈母〉からの実験を受けてきたが、これからの扱いが決まらないのだという。そんな九番は〈兄〉の一人から、同じように価値がないといわれた仲間と共に脱出しないかと誘われる。──東京の大学生・橘ひとみは交換留学生のジーン・モルテンと共に関西観光に来ていた。ジーンは訪れた寺社・傍流寺で退館時間を過ぎても寺に居座ると言い出す。結果的に寺に閉じ込められた二人の目の前で、十数人の同じ顔をした西洋人風の男たちが現れ、謎の能力で五重塔を破壊し始めたのだ。思わず悲鳴を上げた二人に襲いかかる男たち。そこに現れたのがヴォルフと名乗る謎の男。先の西洋人たちと元より敵同士だったようで、次々と相手を屠り、二人を助けつつ現場を脱出した。ヴォルフと共にひとみとジーンは、西洋人の所属する謎の組織に追われることになってしまう……。

かなり強引な展開と半ばギャグめいた設定とが絡み合う、魔術と科学が交差する物語──の別の見せ方。
 まあ、なんというか素敵なパロディというか、強引な展開です。ページ数の限界があったのか、序盤こそ意味深なプロローグがゆっくりめに展開していた物語が、本編に入ったところから急加速。謎の組織とヴォルフとの複数回の戦いがかなり急いで何度も発生している印象。その中断の説明が思わせぶりというか、ちょっと秘密めいているというか、いずれにせよあまり読者に親切ではないため、するすると読むとヒーローと強いのだけれどもおバカな弱点もある怪人たちとの戦闘が続いているだけの物語に見えてしまうのだ。(モチーフとしては仮面ライダーシリーズを始めとした特撮ヒーローものが下敷きにあるような感じだ)。
 残念ながら、一部で酷評されているのも理解できる。ひとことで説明するのは難しいのだけれどライトノベルとして刊行されたSF系の作品であっても、これだけ多数刊行され、淘汰して生き残っている作品は、かなり上質でもある訳で。筋書きや表層のみをたどると、筋書きはめちゃくちゃ、登場人物の魅力も今ひとつということでライトノベルより劣るといった言い方をする人がいることもまあ、分からないでもない。
 ただ、あくまで一般向け小説であり、内容的なギャグを楽しむだけの、ある程度の教養が楽しむために必要な作品だと割り切るべきなのだろう。歴史上の有名人物のゲノムをもって生み出されたクローンというネタを、ある程度知識をもって面白がれるレベルの読者を想定しているように思うのだ。歴史上の人物の、モチーフとされた人物が何者で、どんな特徴が実際に史実として伝わっていて、という部分が頭に入っていると極上のギャグになるような描写がいくつか(オチもそうだけど)みられた。
 小林泰三氏はある意味職人肌の作家で、全方位読者に親切な作品を目指していない。(それは面白がれる人が多いにこしたことはないだろうが)。ある程度自分で満足した作品を打ち出し、面白がれる人が読めば良いといういうスタンスで割り切られた作品なのだ。たぶん。
 基本的には、敵の特徴や戦闘方法から、そのベースとなった遺伝子を持つ人物が誰だったのかを推理しながら読み進めるのが一つの読み方になりそうだ。
 本書に関していうと自分も(作者にとって)良い読者ではなく、戦闘シーンのお馬鹿なアホらしさを楽しむような読み方(さすがにこれだけヒントがあったら、一桁のヴォルフ(ドイツ語やし)の正体なんて序盤の序ぐらいで気付いてしまうので余計に)になってしまっていた。敵さん、凄いけどアホやで、こいつら。

 正直もっと歴史についての知識があったら、もう少し笑える箇所も増えたのだろうなあと想像はするものの、今となっては詮無い話。超人同士が戦うどたばた劇として楽しく頂きました。終盤の、いわゆる「悟り」との対決なんかも、巧いったら巧いですよね。ただ、謎の組織MESSIAH、よく分からない。あと戦闘員って――、これが実は一番凄い 人がベースになっているのではないでしょうか。ロンギヌスの槍についていた血液ってどう考えてもあの人のものじゃないですか。確かに復活したした。うん。


12/03/16
西澤保彦「幻想即興曲──響季姉妹探偵ショパン篇」(中央公論新社'12)

 西澤保彦氏のノンシリーズ作品。ただ題名の付け方からすると続編がどうやらあるようだ。書き下ろし。

 出版社に勤務している響季智香子(カコちゃん)のひとり暮らし先に、母親と喧嘩したとかで普段はロンドンで暮らすピアニストである妹の永依子(イコちゃん)が転がり込んできた。智香子は担当している女性作家・古結麻里から『幻想即興曲』と題されたミステリの原稿を預かっていたのだが、古結はその智香子にその原稿を処分して構わないといっているのだという。作品は一九七二年に、古結麻里が子供の頃に住んでいた吾箭戈(あやか)市で実際に発生し、古結自身が関係者のアリバイ証言をしたという事件をモデルにした作品だった。田舎町である吾箭戈にあった貸本屋兼駄菓子屋の〈佐藤商店〉の店先で、開業医〈野田医院〉の主人・野田修造が腹に包丁を刺されて死亡した。現場から黒づくめでサングラスをかけた女性が逃走しており、ほどなく被害者の妻・野田美奈子が容疑者として浮上、自身が罪を認めた。しかし、現場から離れた野田家の自宅で美奈子がピアノを弾いている後ろ姿を、古結麻里は友人の茂森壮太と共に目撃していた。そこで流れていた曲こそはショパンの『幻想即興曲』だった──。

本格としてのかっちりさよりも、さまざまな角度からの論理で切り結んで浮かぶ真相の意外性を重視か
 書き下ろし作品ではあるが、副題の意味深な付け方を鑑みるに、姉妹探偵のシリーズものにする意向が作者の方にはおありの様子。ただ、別にシリーズ探偵とするにしても仲の良い姉妹というだけで十分であり、わざわざ百合関係にする必要があったのかどうかは疑問、と先に述べておく。ただそれ以外、ジェンダーについて西澤氏が意識的なのは今に始まったことではないし、被害者の野田美奈子とある人物との関係であるとか、女性同士の友人以上に少し踏み込んだ関係そのものを否定するものではないが。
 ミステリとしては、二重三重の構造を持っている、というか過去に発生した事件があり、その事件について執筆された小説があり、その小説をベースにして新たに推理する者ありというかたち。つまり、「事件」「事件を経験した女性作家」「事件をベースにした作家の作品」 ──かといって、事件が極端にややこしい訳でもなく、本質はとにかく表層はシンプルだ。そこからの展開は西澤氏らしいフェアさと意地悪さが同居するような内容。 断片的に真相に近づけても、なかなか読み通せない。事件そのものに魅力がある訳でもないものの、そのシンプルな事件はさまざまな解釈が可能になる分、なかなか手強い
 その手強さは「らしい」のだが、動機が少し本作は弱くないか。というか動機に比して時間の経過に微妙な違和感があった。人それぞれでしょう、といわれるとそれまでなのだけれど。突飛な動機ではなく、むしろオーソドックスに過ぎるのだけれども、何というか事件のややこしさに比べるとなんかすっきりしない。

 どこをどう切っても西澤氏の作品ではあるのだけれど、物語作りの方向性のような部分が少しずつ変化していて、何十冊も読んでふと気付くと大きく舵が切られていた、と。なんかそんな改めて何かに気付かされたような作品。本格は本格ミステリなのだけれども、動機などに新規性を狙い、ジェンダーの主義主張が絡まっているあいだに読者が微妙についてゆきづらくなってなっているのではないか。少し危惧してみたり。


12/03/15
西尾維新「零崎人識の人間関係 無桐伊織との関係」(講談社ノベルス'10)

 九年にわたって刊行された「零先一賊」のシリーズは2010年3月26日、四冊同時発売され、四冊全てが最終巻(とかいわれても、さ)されている『零崎人識の人間関係』で小説版は幕を下ろした。(原作をベースにコミカライズ等が別に進んでいるようだ)。本書はそのうちの一冊で小説現代増刊『メフィスト』二〇〇九年一月号が初出。

 哀川潤に敗れながら許された零崎人識と、元普通の女子高生ながら双識から『自殺志願(マインドレンデル)』を受け継いで零崎の一賊となり、人識と兄妹となったばかりの無桐伊織。二人は人類最強の請負人である哀川潤が、人類最終・想影真心との最終決戦を終えて入院中であると聞きつけ「零崎を開始」したのだが。戦闘どころか勝負にすらならず、あっという間に椅子扱いされてしまう。しかもまだ体力が二割しか戻っていないという彼女が、今は亡き石凪崩太から請け負った依頼を手伝うことを強要されてしまう。三人は、彼の妹で骨董アパートに住む闇口崩子を誘拐、殺し名・序列二位の闇口衆の本拠のある北海道の大厄島を目指す。哀川は崩太から、彼が愛用していた巨大な鎌・デスサイスを取り返すよう依頼されたというが、その地には生涯無敗を誇る老人結晶皇帝・六何我樹丸(りっか・がじゅまる)が君臨していた。哀川らは、石凪砥石・闇口憑依・六何我樹丸らと大厄ゲームを開始することになった。

人識の存在感が微妙に薄い一方、物語自体の興味の引き方が絶妙に巧い
 零崎人識の人間関係といいつつ、本書での彼は完全に狂言回し。よくある「登場人物表」があるとするならば、トップではなく三番目から四番目程度の扱いを受けている。悪目立ちしているのは、最強の請負人であり闇口崩子でありといった感じで、まあ、実際のところ自ら目的がある訳でもなく、ただ無桐伊織ともども事件に巻き込まれてしまっているのであるから、仕方ないといえば仕方ない。
 物語自体は、あまり人間関係最終四冊のうちでは地味目ではないか(まだ一冊読んでないのがあるので完璧な感想ではないにせよ)。生涯無敗の結晶皇帝という存在が、インフレ著しい西尾維新のシリーズでいうとちょっとピンぼけした印象に繋がってしまうせいか。ここに至るまで人類××な人びとが多数登場している戯言&零崎シリーズにして、まだその上を出すんかい? という戸惑いの方が高いのだ。まあ、無敗って言い募れば確かにそうなのだろうが、それに加えて娘っ子を孕ませるのに萌える七十代老人というのが、どうも感覚的に妖怪じみている。(確かどんなに殴られても蹴られて気を失っても、参ったをしなければ負けではないという超絶な論理もこの世にはあるけれど)。
 大厄ゲームというのも、思ったほど駆け引きの要素もなく、あくまで西尾維新の作品としてはそれぞれ戦い方(加えて必勝法も)が中途半端。新登場人物の魅力もあまり無く、残念ながら西尾維新の作品としては凡庸といった印象が強い。
 実のところ本書の読みどころは、闇口崩子を拉致誘拐した哀川潤に対し、人類最終に、いーちゃん以外にどれだけの人数の人間が救出依頼をしたか、というところだと思う。名前見ても誰か判らず思わず調べてしまった人間も数名、それにしてもそのいろいろ独特の立ち位置の人間が多い戯言シリーズにおきながらも、これだけフラットに愛されガールとなっている。

 『零崎人識の人間関係』のうちでは、まあ普通レベル。どれを最後に読んでも良いそうだけれど、本書最後というのはちょっと違う気がする。いや、それでもある意味ではありなのかも。


12/03/14
吉村達也「魔界百物語1 SEASONI 妖精鬼殺人事件」(飯塚書店'11)

 '99年『京都魔界伝説の女』が、最初の「魔界百物語」として刊行され、吉村氏がライフワークにすると宣言されていたのだが、三冊が出て中断してしまっていた。本書のあとがきによると急速なデジタル文化の発展により当初のコンセプトが通用しなくなったというのが理由だという。本書は飯塚書店と吉村氏が協力して、新たなライフワークとして新コンセプトによる氷室想介+魔界百物語を完成させるという目論見でスタートを切った第一冊目。──しかしながら、吉村氏が六十歳の若さで2012年に急逝されてしまい、このシリーズの完結を読者が読むことは出来なくなってしまった。合掌。

 東京から京都に事務所を移したサイコセラピスト・氷室想介。かつてのアシスタントで好意を寄せられていた川井舞とは年齢差を考えて別れを告げ、現在は一人で活動をしている。その京都では「陰陽大観」の実現を狙うQAZが活動を開始、氷室が知らないあいだに、氷室想介を最大の敵として認識していた。その想介のもとに東京の高島平の団地に住む二十八歳の主婦・高柳良恵がカウンセリングを求めて訪れていた。彼女は黒系に赤を配したアニメのコスプレのような衣装で氷室のもとを訪れ、9.11が米国諜報組織によって引き起こされたと陰謀論を滔々と展開した。彼女は夫には愛人がいると激しく妄想しており、四歳の息子も夫も限界に近づいていた。氷室のいうことをほとんど聞かず良恵は帰京。夫の浮気相手だと疑う隣家の主婦と集会室で諍いをしているあいだに、彼女の息子はベランダを乗り越えて転落、死亡する事件が発生した。ベランダに脚立が出ていたこともあり不幸な事故と判断されたが、東京で事件を再調査を開始した氷室は関係者の人間関係にさまざまな疑いを抱く。

大仰なプロローグが静かに進行するなか、シンプルなミステリでキリッとまとめる。良いスタート
 いや、著者が亡くなったという補正を抜きにこの作品は悪くないと思う。もとの作品になった『京都魔界伝説の女』の場合は、この倍のトリックを詰め込んでいたということになるが、犯罪プロデューサーやら、天才博士やら、魔界案内人やら、そもそも事件自体胡散臭いうえに関係者も胡散臭い人間が揃ってしまい、どこか浮き世離れした雰囲気がぷんぷんと漂っていた。本作は、登場人物は一応重なるとはいえ、それほど訳の分からない個性は発揮しておらず、メインストーリーに絡んでこないので、逆にごちゃごちゃした雰囲気が軽減されている。
 相談しにきた主婦が抱える狂気、事件に際しての周辺の人間の多面性など、極端な描写はあるものの奇をてらったという程でなく、事件自体がシンプルなため、動機や背後の人間関係についてはすっきり納得できた印象だ。人物描写については安心できるレベルでもあり、読みやすい点も良い。一方で、ある方法で、子どもを誘導する真犯人が終盤で告発される。これはなんというか、洗脳にしてもちょっとどうだかなあ、というトリックだ。プロパビリティというレベルでもないし。

 とはいっても、百物語の序盤としては上々の物語であることは否定しない。ストーリーテリングは相変わらずの巧さであり、すいすい読める(多少事件に引っかかる点があったとしても)。結末が判らなくても、その意図が汲めるかもしれないと思うので、既刊含め刊行されるこのシリーズは時間をかけても読んでゆきたい。(個人的に)


12/03/13
小路幸也「Coffee blues(コーヒーブルース)」(実業之日本社'12)

 月刊『ジェイ・ノベル』二〇一〇年二月号〜二〇一一年六月号にかけて掲載された長編作品。

 元々は広告代理店に勤めながら、同僚で交際していた女性をある事件で喪ったことがきっかけで職を辞した弓島大(ダイ)。今は「弓島珈琲店」という喫茶店を、元女子プロレスラーという丹下さんという女性に手伝ってもらいながら経営している。その事件の時の担当だった三栖刑事は現在は喫茶店の常連、さらに建物の空いた部屋に格安で住んで貰うことになった。ダイは手先が器用で古道具を直したり、客人や遊びに来る小学生のちょっとした依頼を聞き届けている。そのダイのもとを訪れた小学校二年生・芳野みいなは、自分の姉が家に帰ってこないので探して欲しいという。姉は帰ってこないのに、両親は普通にしているのだという。彼女の訴えにダイだけではなく、丹下さんや常連たちを巻き込んで調査を開始するとどうも、工場を経営しているその家、おかしくないようでいてどことなくおかしい。一方、元上司からの噂を通じ、かつての恋人を失った事件のきっかけとなった男・橋爪が刑期を終えて出所しているという情報が入ってきた。しかも、彼女の父親でダイの元上司でもある吉村は、橋爪を殺害したいという。

全編にわたって存在する「悪意」と「毒っぽさ」が、優しくも厳しい不思議な緊張感を醸し出す
 掲載雑誌や主人公の名前から、『モーニング Mourning』の続編、というか前日譚? 扱いとなる作品であること間違いない。ただ、読んでいてもそちらへの接続が気になるような内容ではなく、むしろ独立した作品として普通に読んで十二分に面白い。
 この厚みの作品にしては、登場人物が多い。ダイが喫茶店をやっているという設定から、従業員の丹下さん、喫茶店の常連の刑事さん、遊びにくる高校生の純也、香世や小学生たち、町内会の顔役、協力してくれる同級生。こういった下町っぽい、『東亰バンドワゴン』を彷彿とするような人間関係が縦横に、そして温かく繋がっているところが前提としての特徴だろう。舞台が都会であれ地方都市であれ田舎であれ、小路作品における気さくな人間関係は、それ単独でも読む価値がある。というかほっこりする。
 そういった人たちが、子どもからの訴えを真剣に聞いて「芳野家で進行している何か」について、出来る限りで前向きに捜査を続ける物語。そして、ダイの元恋人の命が喪われる事件に関係した男が出所したことから、元恋人の父親でダイの元上司がその男を真剣に殺そうとするというのが、サブストーリーとして存在する。もちろん上司が芳野家と縁があるなど、設定的な補正(?)もあって物語は最終的に一個所に収斂してゆく。
 解決に至る過程で、暴力こそ無いものの、ダイの店に心当たりのない麻薬が仕込まれたうえで密告があって警察が駆けつけるなど、かなりひどい、そして誰からかのものか判らない悪意が物語内部を跋扈している。 多少の悪意があるのは、どんな物語でもそうだが、本書の場合、最後の最後に至るまでその黒幕は判らないし、その悪意も落ち着いてくれない。(最後はさすがにアレだが) 善意の人間が多い小路作品において、最後まで徹底しての「悪意」が描かれていること自体少し珍しく、そして本書においてはそれが物語の緊張感を保つのに非情に良い働きをしている。

 最後の突入場面などもきっちりクライマックスであるし、最後に落ち着く人間関係については、多少の緊張感は残るものの、いつもの小路幸也節で温かいものに落ち着いていく。あえて悪意の源を読者にはっきり見せないところが物語としての成功理由の一つだったかも。小路作品をある程度読んでいる人ならば間違いなく楽しめる安心のクオリティ。この喫茶店を舞台にして、バンドワゴンともまた違うシリーズにも出来そうだと正直考えてしまった。(実際あるといいよなあ……)。


12/03/12
大倉崇裕「凍雨」(徳間書店'12)

 『問題小説』2010年7月号〜2011年11月号に隔月連載された作品に『読楽』2012年1月号掲載分が初出の長編作品。近年の大倉氏の作品のなかでも多くを占めてきた「山岳もの」に連なる一冊。ノンシリーズ。

 十月末、閉山式も済んで山小屋も閉鎖されたあと嶺雲岳。福島県北部にある登山家に愛されたこの山を十二年ぶりに訪れた深江信二郎。タクシーで登山口に向かった深江は、三人のガイドと共に山に登ろうとしている母子を目にする。その二人が、今は亡き深江の親友・植村の妻・真弓とその娘・佳子だった。一旦は引き返した深江だったが、山道にて一台の不審な男たちが乗ったワンボックスカーとすれ違った。いきなり彼らから背後を撃たれ、運転手が負傷、車は崖下に転落してしまう。瀕死の運転手を背負ってなんとか脱出した深江。更にその男たちを追ってか中国人とタイ人の集団が車二台に分乗して山へと急いでいた。母子の身を案じた深江は、逃げ出すことをせずその争いに身を投じてゆく……。

チートな主人公によるサバイバル。ドラマよりも戦いそのものが主眼の山岳ハードボイルド
 どちらかというと、人間関係からしっかり書き込むことの多い大倉作品には珍しく、序盤から物語展開が突っ走っている作品だ。突っ走っているがゆえに、序盤から中盤にかけては、主人公やその背景についていろいろ読者として疑問が浮かぶものの、そういったところを高速度で飛ばしていって、中盤以降に回答が貰えるというような構成になっている。
 まず、序盤の「不思議」。追悼登山をしている親子がいるだけのシーズンオフの山に集まる男達。こいつらいったいそもそも何者? 本格的に武装しているけれど敵はいないよ? 追いかけてくる外国人たち。一気に山は賑やかになる。のだが。丸腰で引き返してきたような主人公がいきなり、武装した男たちを相手に大立ち回り。 普通逃げるところで立ち向かい、仲間でもない人間を救い出し、武器もないのに勝ってしまう。
 そこからは山岳サバイバル、ないしは兵士同士の山岳戦。 多少かわったものが武器にされたりする部分もあるものの、基本は殺人術のぶつかり合いだ。狂気や勢いだけの殺人者は脱落し、最後は訓練された男たちのぶつかり合いとなってゆく。ここに至るまでの展開が早く、深江や植村の事情といったところは後から追いついてくる。
 深江がなぜこれほどに強いのか、なぜ男たちはこんな何もない山の中に武器をもって入りこんできたのか、なぜ真弓たちは人質として生かされていたのか、そういった疑問点には全て回答がつく。明かされてみればなるほど、確かにそれぞれが繋がっている。
 次から次へと戦いが続き、深江も休み休みながらもタフな戦いを繰り広げてゆく。決して超人ではない描写なのだが実質超人か。テンポというよりも、首根っこをつかまれて引きずられて読むような感覚だった。

 作中にちょっと矛盾点があるようなので、一応反転。
 一連の事件が起きている季節外れの十月末が、深江の親友だった植村の命日。一方、植村が子供を救ったが命を失った運命の六年前「大雨が続いた。あの夏の日がやってきた。」という記述がある。そもそもはシーズンオフなのになんで遭難するような山に子どもが登っていたのか、という素朴な疑問からですが。(ここまで)。

 物足りないことはないのだけれど、殺戮とサバイバル・ゲーム戦を山中で行う「ため」の設定となってしまっているように感じられた。ただもちろん、中盤以降はその人工性をすっ飛ばすくらいに緊迫したサスペンス&サバイバル小説となってはいる。で、一定の現実っぽさが担保されているとはいえ、大倉氏のシリアス系統の作品のなかではやはり異色作という印象が強い。山でなくても成り立つ作品でもあるし。


12/03/11
福澤徹三「シャッター通りの死にぞこない」(双葉社'12)

 『小説推理』'11年4月号から'11年12月号にかけて連載された同名作品に加筆修正して単行本化された長編作品。

 勤務していた闇金から三千万円もの金を強奪し逃走をする男・影山清(仮名)、三十二歳。追っ手の手から逃れるには華やかな夜の街よりも、中途半端な田舎の方が良いだろうという判断から、たどり着いたのが東京から電車で二時間、シャッター通りとなっている子鹿商店街。つぶれた映画館、老人が店番をしているう「宮下時計店」店番すらいない「薄井寝具店」、聞いたこともないコンビニ「ハルマート」、向かい合いで店主同士がいがみ合うラーメン屋「満州」に焼き肉屋「ソウル」。スナック風の店構え「レストラン喫茶 ニューかさご」にはフィリピーナのマリアに美人だけど男のサンディがいた。となり町のショッピングセンターに客を取られたとかでバンビロードどころかゾンビロードとしかいえない程に商店街は寂れきっている。影山名義で作った偽りの身分がたまたまイベント会社社長ということもあり、後輩の専門学校生の頼みと、出戻りの美人・舞衣を口説くため口からの出任せを乱発、この冴えない町の町おこしを手伝いはじめる。しかし頼りの三千万円は影山が酔っ払って意識を喪っているあいだに消失、影山自身が身動きが取れなくなってしまう。そうこうしているうちにイベント開催の日付が迫ってきて……。

アウトロー小説ならではの普通の笑いと、笑えない笑いと。
 「3ページに1回は腹筋が痛くなるハイテンションコメディ!」ということで、福澤徹三氏が本格的に抱腹絶倒のユーモア小説、ギャグ小説を狙って発表した作品ということになっている。まあ、狙いとしては理解できる……のだけれど。特に前半部はダークの度合いが強い展開のインパクトが強すぎて、多少のギャグでは笑うに笑えない気持ちで読み進めざるを得なかった。アルコール中毒で死亡して生命保険で借金を補填するとか、実際にあろうがなかろうが、笑える気分にはなれません。そういった地獄から現金持ち逃げして逃げ出してきた男が、多少旅先でどんな目にあおうと、なかなか気分として切り替えられない。そこらへんの匙加減が判らないまま、読まざるを得ないので、(つまりは、福澤氏の他のアウトロー小説であれば、主人公には速効で追っ手がかかって海に沈められるのが当然くらいなのに)、多少子鹿商店街の人の良い人びと相手にホラを吹こうが何しようが、虚しく見えてしまった訳です。
 本書がギャグ小説として息を吹き返すのは、主人公が舎弟として潜り込もうとする、アッパーおやじ・アサカツが後半に登場してから。このおっさんの傍若無人っぷり、更にはアイデアマンぶりは、素直に笑える。 前半で我慢せざるを得なかった分も含め、この無茶っぷりはより突き抜けてみえるのだ。実際、追っ手がかからない訳はないながら、アサカツの存在でどれだけ小説として助けられているか。
 寂れた商店街の街興しが基本軸。商店街の個性的な面々と、本来は主人公の影山が化学反応を起こすべきところが、単なるルーズでしかないところも、ギャグの薄さに繋がっているかも。現状をごまかしごまかしする主人公が多少ひどい目にあっても、笑うところじゃない。繰り返しになるがアサカツが強烈な個性を発揮しだしてからこそが、本書の「ギャグエンターテインメント」としての正式な段階になるかと思う。

 小生の記憶がベースで恐縮だが、福澤徹三氏の一連のアウトロー小説に「外れ」はほとんどない。アウトロー小説をベースとしているとはいえ、作品としての狙っているところは異なるのでまあいいのだが。正直なところ抱腹絶倒というには、それでもまだなおお行儀が良すぎる印象。この路線は他にも書ける作家がいるので、福澤氏が無理にこちら方向に作品の幅を拡げる必要は、個人的にはないように思った。