MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/03/31
太田忠司「探偵・藤森涼子の事件簿」(実業之日本社文庫'12)

 最初の『歪んだ素描』は角川書店の『カドカワノベルズ』(厳密にはワニブックスの短編だけど)、途中からレーベルを変更して実業之日本社が刊行するノベルズ叢書である『ジョイ・ノベルス』を中心に刊行されてきたのが太田忠司さんが擁する探偵の一人「藤森涼子」。彼女のシリーズ最新刊が近々に発売されるに先立って発売されたのが本書。シリーズ既刊の短編集から書評家・大矢博子さんセレクトによって「傑作選」という体裁となっている。単に面白い作品を選んだだけではなく、「年を取る探偵」藤森涼子の年輪を感じさせる奇跡のような作品の並びがみえる。

 大学生の妹・美紀の失踪を一宮探偵事務所に依頼に来た姉・飯島友子。すぐに発見される妹、高額な探偵料金を支払うことに躊躇しない姉。両親がいないという彼女たちの関係に不審を抱いた涼子だったが、友子が何者かに殺害されてしまう。 『善意の檻』
 かつて一宮探偵事務所の仕事をしていた新居が、二人暮らしの母親と共に焼死した。新居は直前に何かの秘密が封印されたと思しきディスクを所長に預けていた。涼子は、しかし新居の母親の周辺をあたるよう指示される。 『封印された夏』
 涼子が事務所を訪れたところ同僚の柏木が頭から血を流して倒れていた。金庫がこじ開けられ、新居が残したディスクが消えていた。『遊戯の終わり』
 愛知県警の刑事・土岐と婚約した涼子。土岐は刑事を辞め、四日市にある実家の和菓子屋を継ぐことを決めていた。涼子もこれで不安定な暮らしからの脱却が約束される……。そんななか旧知の飯島美紀の紹介で母親探しを手伝うことになってしまう。その母親は見つかるが、依頼者とは無縁の暮らしを開始していた。 『追憶の猫』
 美紀、李理亜、綾らと探偵業務を続けている藤森涼子。その涼子のもとに飯島美紀が亡くなったと刑事からの連絡が入る。彼女は顧客情報漏洩事件を監視するため、派遣社員に化けていた。現場に駆けつけた涼子が見たものは……。 『ウンディーネの復讐』 以上五編。

成長を続ける藤森涼子さんの追憶と再会。これからのファン以上にこれまでのファンに強くおすすめ。
 既刊の短編集収録作から、良作をセレクトして再編集。こういったかたちの「選集」「傑作集」が初心者向け、まだ藤森涼子シリーズを読んだことのない読者にとって最大のそして最良の贈り物になることは言を俟たない。もともと長年継続している割に長編が『暗闇への祈り』一作(でも阿南が出ているよ)しかなく、基本的に短編を重ねることで活躍する探偵である。ノベルスのまま文庫化されていない作品も多く、加えてジョイ・ノベルズ自体が店頭で入手できる書店が限られており、現在では過去作品の入手が困難な点は否めない。なので、藤森涼子という女探偵がどういった人間なのか、どういう事件に対峙してきたのかといったところを一冊でまとめて読めるというのは非常にありがたいことなのだ。ということで藤森涼子シリーズに興味がある方、でまだ読んだことのない方は読んでみましょう。

 加えて、おすすめしたいのは既に藤森涼子シリーズを読んできている読者の方。 本気で感心しているので繰り返すが、本書を読むことで藤森涼子の年齢の重ね方が垣間見え、生き様が俯瞰できるようになっている。帯に「事件と謎解き、少し恋愛」とあるのだが、その「恋愛」という部分が、これまで短編集を刊行段階で読むことに比べると、思いの外比重が大きい。加えて短編一つ一つとしてはスパイスとして効いているレベルの恋愛エピソードが長い流れのなかでは、すっかり彼女全体に馴染み、成長にも一役買っているところに改めて気付かされる。その年代年代で、刊行された最新の作品しか読んでいないとなかなか気付けない彼女の姿を、もっと客観的にあるいは相対的に眺めることが、この作品集によって可能になるのだ。正直最初は、小生も収録作だけみて「全部読んでるよなー、どうせなら「ペットからのメッセージ」読みたいなー」などと不謹慎なことを考えたのだけれども、改めて読んでその印象が一変した。既に読んでいた筈の彼女の姿が、また新たな一人の魅力的な女性として目の前に現れるように思えるのだ。

 OLを辞めて「求む、バカな人」という凄まじい求人に応募した彼女の探偵人生はそれはそれ。不幸な人間、悲しい人間の性を多数みることで、当然、人間としての厚みを凄まじく増している。最初は二十八歳だった彼女も、もはや四十二歳(本書)。人に使われる立場から使う立場へ。探偵という特殊性も多少はあるにせよ、仕事に対する人間の成長もまた本シリーズの魅力を形成していると改めて思う。


12/03/30
北川歩実「熱い視線」(徳間文庫'10)

 北川歩実氏十七冊目となる作品。このところ北川氏には短編集、しかも文庫オリジナル(というと聞こえが良いが、単行本を経由しない)作品集が多い。本作の前作である『天使の歌声』(創元推理文庫)もオリジナル短編集であった。

 エクササイズでボクシングをしている泰介は、ひょんなことで美女と知り合いになる。ストーカーに追われている彼女を護ると宣言した数日後、怖くなった泰介は彼女に幻滅されてしまう。 『恋人気取り』
 エステサロンの研究所でのバイト時の発明により正社員登用された先坂。現在求められているのはダッチワイフを上回る『人形』の開発。しかし女性経験のない彼の作る人形の顔は毎回ダメだしの対象とされてしまう。 『瞳の輝きを求めて』
 幹線道路のトンネル内部。和仁は赤い服を着た幽霊を見たと怯えるが同乗していた静穂は信じられない。和仁は怯え続ける一方、静穂の勤め先の美容院に女性の写真を持った若い男性が聞き込みに現れた。 『赤い服の女』
 冬休みの終わり、中学生の息子の秀男が校舎から飛び降り、自殺を図ったとの連絡が母親の真砂子に届く。秀男は友人の安田の制止を振り切ったというが、一命は取り留めた。果たしていじめはあったのか。真砂子の調査の結果、浮かび上がった真相は……。 『ポケットの中の遺書』
 人嫌いで引きこもったまま受験勉強を続ける浪人生・康希。画面越しの家庭教師が指導を行い成績も上々。しかし本番になると心のトラブルが発生、康希の受験は失敗続きで今回こそと期するものがあったのだが。 『長い冬』
 役者の仕事を続けるため人の良い友人や恋人を踏み台にしてきた俺。いろいろ不要品を売りつけてきた西尾が購入した嘘発見器『サイグラス』。しかも効果が本物で、西尾の恋人の尚美にこの製品が渡り、人間関係のトラブルが。 『心の眼鏡』
 婚約者がぎりぎりまで二股を掛けていたことを知り複雑な気分の雅恵。前の交際相手が他殺死体で発見され、婚約者が容疑者となるが、アリバイがあるという。そのアリバイの証言者を探していたところ、ある女性が彼を見かけたと言ってくれた。 『見知らぬ女』
 人気が落ち目のタレント・菊本那美が、小火、盗難、追突事故と立て続けに事故に遭った。マスコミを呼ぶ狂言と思われていたが、更に本人の自己申告による拉致事件までが発生した。ニュースキャスターの元島は彼女を巻き込んだ劇場型の犯罪を計画していたが。 『熱い視線』 以上八作。

短編ひとつずつに丁寧に凝らされたオリジナルの趣向と設定、そして絶妙な悪意と苦み
 それぞれの作品の初出をみるに1996年に「小説NON」に発表された『ポケットの中の遺書』がもっとも古く、同じく「小説NON」に発表後にアンソロジー『舌づけ』に収録された『長い冬』が90年代、残りは2000年代に入ってから「問題小説」に発表された作品が多いが、最も新しい作品でも表題作『熱い視線』が2002年9月号と、短編集として刊行される時期からするとたぶんに拾遺集的なニュアンスがあるように思う。
 のだが、作品レベルは拾遺集なんてもんじゃなく、非常に高い。しかも、短編小説として得られる物語イメージ、またミステリとしてのサプライズ、いずれもレベルが高いのだ。 北川歩実という作家の誠実な創作姿勢の裏返しということであろうが、この一冊でしっかりとお腹がいっぱいになるような内容だ。
 裏表紙の作品紹介で「さまざまな”まなざし”が八つの悲劇を呼ぶ。」とあり、表題作も「視線」という文字がある。ただ、もともとがその意図があって発表された作品ばかりでもなく、過度にこだわっている訳ではない。作品それぞれ取り上げたいところが多く、そのポイントが「視線」になるものをまず挙げると『赤い服の女』になるか。幽霊を目撃したという男の証言、こちらを正とすると……という発想がユニークながら、後味の悪さもまた強烈。後味ついでに挙げると『ポケットの中の遺書』。中学生の自殺、いじめといったキーワードをミスディレクションにして、自分の息子の自殺原因に至らせたところで味わう感覚は最悪である(褒め言葉)。ほかも犯罪者の計画を突き崩したあとにさらなる地獄をみせるような作品も幾つかあり、最悪度合いは高い。

 ただ、この悪意をかっちりと物語の外側に添えるのが北川流の一つの特徴。この世に存在しない機械を小道具にして悲喜こもごもの人間模様を描いた『心の眼鏡』あたり、理系の蘊蓄や知識に深みをみせる著者ならではのミステリだともいえるが、それ以外の人間心理を深く抉り、裏側を引きずりだす手腕もまた作者の武器であることを再確認した。繰り返すが、高いレベルの作品が揃ったノンシリーズ作品集、お腹がいっぱいになりますよ。


12/03/29
長崎尚志「闇の伴走者──醍醐真司の猟奇事件ファイル」(新潮社'12)

 漫画家・浦沢直樹の編集担当として影ながら作品に多大な影響を与えたとされる編集者。小説としては『アルタンタハー 東方見聞録奇譚』を2010年に発表、本作は書き下ろし長編で二冊目の単行本となる。

 一九六〇年代から七〇年代にかけて活躍し、さらに八〇年代にラブコメ漫画でヒットを飛ばした有名な漫画家・阿島文哉。ラブコメブームが終わり、青年誌に戻り、政治漫画を手がけて復活。大御所として君臨していたが二〇〇九年に亡くなった。その彼の漫画スタジオ・アジマプロの整理が行われたところ、出所不明の五十枚ほどの漫画原稿が出てきた。女性を監禁し殺害する男の物語で決して商業誌向けではなかった。未亡人の阿島淑子は、この漫画がだれによって書かれものか調べて欲しいと、出版社の英人社を通じて調査会社に依頼。元警察官の調査員・水野優希が担当することになった。優希は優秀だが漫画方面に疎く、そのブレーンとして巨漢の元編集者・醍醐真司がサポートすることになった。醍醐は異常な食欲を持つ見た目はうさんくさい男であったが漫画の知識は確かで、渡された原稿の癖や特徴から様々な事実を的確に指摘、元アシスタントの関係年代を的確に絞り込んでゆく。しかし現実では〈漫画家〉〈漫画編集者〉ら、この漫画同様に女性の監禁殺害をもくろむ人間が静かに犯行のチャンスを伺っていた……。

漫画の世界の歴史と深淵。この世界を書くのに長けた作者が書くべくして書いた「漫画ミステリ」
 世の中に「ミステリ漫画」は多数ある。恐らくは漫画草創の時期から探偵小説は漫画とくっつけられることは多かったであろうし、現代も少年漫画誌の看板作品として金田一とかコナンとかをはじめ、いくつもの作品が思い浮かぶはずだ。ただ、その逆となる「漫画ミステリ」すなわち「漫画を題材にしたミステリ小説」というものはかなり少ない。小森健太燻≠フ初期数作品あたりが思い浮かぶが、(古くは福本和也氏も漫画原作者という経歴を生かした作品がある)「文章→画」に比べ「画→文章」が読者にとって分かりやすい方にゆかないことが理由か、少なくとも「ミステリ漫画」ほどには販売されていないことは確かだ。
 そういうなか、本書はかなり異色である。ミステリの流れのなかに漫画を当てはめているのだが、その捉え方が多重であり、非常にユニーク。ハードボイルドということではないが、まず事件の手がかりが50ページほどの漫画であること。描かれた画における癖であるとか特徴であるとか、(例えばスクリーントーンの種類等で)その作成された時期を特定していく展開は蘊蓄ものミステリとして及第点以上。それ以外にも雑学については、本筋に関係あるものからないものまでいろいろと取り入られていて、そのバランスも悪くなく、物語への興味を維持するのに役立っている。
 本書に対する好感度が高い理由は、その漫画の蘊蓄「だけ」でミステリを構成していない点。 漫画家、漫画編集者、それぞれの行動の理由であるとか、動機の真相に至るまで、「漫画」の本質が関係している。小説家と編集者以上にどうやら結びつきの強い印象を受ける漫画家と編集者の関係性に至るまで、しっかりと物語に取り込んでいるのだ。唐突にこの関係のみを示されても読者は混乱するだけのところ、丁寧に言及して伏線を積み上げていることで、本来特異な筈の動機や背景が非常にすっきりと理解できるものになっている。このあたりは小説家プロパーでないとはいえ、さすが「物語のプロ」といったところか。

 漫画を題材としたミステリとしては、史上最上といっても良いのではないか。(というか、ここまで小説をして漫画に対して真摯に向き合った作品を寡聞にして知らないだけなのかもしれないが)。一昔前、職業絡みのミステリが高評価を得ていた頃の江戸川乱歩賞であれば、受賞作レベルといっても良いと思う。個人的には表紙のセンスが多少残念なことと、副題にするほど「猟奇」ではないし、この用語を使用することでむしろ一部読者を敬遠させているのではないかといった、細かいところが気になるくらい。良作です。


12/03/28
高田崇史「千波千波の怪奇日記 化けて出る」(講談社ノベルス'11)

 高田崇史氏の「千波千波シリーズ」といえば、『試験に出るパズル』など「千波千波の事件日記」として刊行されていた。パズル重視の本格ミステリで語り手の「ぼく」らは浪人生という設定だった。本書はその「千波千波シリーズ」最終刊。題名が怪奇日記と変更されている通り、「ぼく」たちが大学生となった後に遭遇する謎と謎解きが主題となっている。

... が笑う?千葉千波の怪奇日記・美術室の怪首が転がる?千葉千波の怪奇日記  美術科の美人先生が通り魔に襲われて亡くなる事件があった後、江戸川大学の美術室では誰もいないのに人の気配がするようになったのだという。 『美術室の怪 油絵が笑う』
 二十年前、大学の事務室で盗難事件があり一人の学生に疑いがかかった。冤罪を主張したが聞き入れられず、学生は体育館で遺書をバスケットゴールに血で書いたうえで自殺。その後体育館ではその学生の呪いが……。 『体育館の怪 首が転がる』
 五年前に文学部の美人学生がストーカー被害に遭い、音楽室から身を投げて死亡。その後、音楽室では誰もいないのにピアノが鳴るという現象が……。 『音楽室の怪 靴が鳴る』
 何十年も前、学食で一人きりでチキンライスを食していた学生が、女子学生に笑われたことに激高、彼女を突き飛ばして死なせてしまう事件があった。学生は自殺。その後、学食のその座席でチキンライスを食べるのはタブーとされていたのだが。 『学食の怪 箸が転ぶ』
 京成立石駅付近の飲食店が中心となって実施された立ち飲みの日。ぼくと慎之介と女性学生二人は誘われてそのイベントに参加していた。四十年前、立石駅の伝言板を巡って親友同士が仲違いする事件があり、その当日も神社で殺人事件が発生した。『立って飲む? 「立ち呑みの日」殺人事件 』 以上五編。

ミステリとしての狙いと物語の立ち位置に(高田作品には珍しく)大きなぶれあり。締め括りとしては微妙?
 千葉千波シリーズ自体の刊行が久々。これまで浪人生活の不便をよくかこっていた作品ではある。だが、大学に合格したことで気持ち一新の意味か、連作短編として新たに幾つかの共通コンセプト(パズル、飲み会、七不思議、過去の怪異譚と現代の不思議、更に解決後にもう一ひねり……)を打ち出そうとした形跡がみえる、というか前半はそのコンセプトに従って物語が進んでいる。この当初コンセプトは悪くない。
 ただ、この一冊に限っていえば、そのコンセプトが完遂できてない。軸となるべき根源的な部分、つまりは最終的に何を訴えようとしたのかという点、絞りきれないまま迷走してしまっている印象である。大学生活ベースのコメディミステリにするのか、大学七不思議を追求するホラーミステリにするのか、物理トリック暗号トリックを中心とした本格パズラーを追求するのか……。これがいずれも中途半端になっていて、どれ一つとも(残念ながら)成し遂げられていないのだ。ファンとして非常に残念ではあるのだけれども、千波君のシリーズとして、ここで一旦仕切り直すというか、打ち止めにするのもやむを得ないかなーと思わされた。
 もともと、多少「痛い」登場人物の多いシリーズではあった。主人公・ぴいくんの妹が絡んだ時の盲目っぷり、慎之介の空気を読まない傍若無人っぷり、おろおろする一人好青年・千葉千波。みんなどこかしら感情移入を拒む痛さがある。本作は、ここに加わる女子学生二人の勘違いっぷりが強烈で、目を覆いたくなる。人間性、失礼な「え?」、 「吊す」等の暴言といったところ、彼女たち二人が登場する部分、読んでいて不愉快になる。ぴいくんも含め彼らが、勉強らしい勉強バイトらしいバイトもせず、エリートだ格下だ、狭い世界で飲んで迷惑をかけているというのが、結局のところ、読んでいる自分の良心に跳ね返ってくるから痛いのか。(駄目だ、おれ)。
 個人的に、このシリーズの面白さは、徹底したパズル感覚にあったと考えるので、そこに力があまり入っておらず、中途半端な怪奇譚となっている段階で微妙といえば微妙な転換だといえる。第一話『油絵が笑う』、第二話『首が転がる』あたりは、解決の二重性など(勘違い含めた)トリックもあり、まあまあだったのだが。『立って呑む』に至っては、立ち呑みのイベント描写が中心になって、ミステリ要素が完全に脇に押しのけられてしまっているうえ、これがシリーズ最終話というのは少し悲しい。

 最近最終話を迎えている『QED』や『カンナ』に較べると、どうしても尻切れトンボ感が否めない。逆にいうと、その2シリーズとは異なる意味で一度リセットする必要があったのかもしれない。


12/03/27
相沢沙呼「マツリカ・マジョルカ」(角川書店'12)

 2009年、鮎川哲也賞を受賞した『午前零時のサンドリヨン』以来、青春ミステリを中心に活躍範囲を拡げつつある相沢沙呼氏の三冊目となる単行本。同一主人公とヒロインを描いた連作中編集。『小説 野性時代』二〇一〇年十一月号、二〇一一年四月号、二〇一一年七月号に発表された三編に、書き下ろしの『さよならメランコリア』が加えられ、まとめられている。

 とある高校一年生の柴山祐希は、運動も勉強もあまり得意でなく、クラスにもあまり馴染めず、部活にも所属していない大人しい男子生徒。その柴山は学校近くの雑居ビル四階で自殺を試みようとしているようにみえる女子生徒を目撃した。必死に四階に到達したところ彼女は別に自殺しようとしていたのではなく、双眼鏡を使って周囲を観察していたのだという。マツリカと名乗る彼女は、この廃墟ビルに住んでいるといい、やがて祐希を「柴犬」と呼んでパシリ扱いを始めるのだが、祐希自身、彼女に不思議な魅力を感じていて、この関係を嫌がってはいなかった。
 学校を彷徨う原始人なる噂があり、マツリカはその原始人を探しているという。祐希は学校で調査を開始、丁度実習に来ていた先輩に相談すると、その噂が昔からあったことを知らされる。 『原始人ランナウェイ』
 ひょんなことから写真部の小西さんと仲良くなった祐希。その彼女から学校の裏山で行われる肝試し大会に誘われ、参加することになる。いろいろ曰く付き伝説があるなか、無事にゴールするものの幽霊が出たのではないかというハプニングが……。 『幽鬼的テレスコープ』
 文化祭にも積極的に参加していなかった祐希だが、マツリカさんからゴキブリ男を捜索するよう依頼され、自分のクラスのメイド喫茶に出向く。美女に変身していた小西さんから、演劇用の不思議の国のアリスの衣装が無くなった事件の捜査手伝いを頼まれ、勇気を出していろいろな人に話しかけてゆく。 『いたずらディスガイズ』
 姉にばかりメールを打っていた祐希の生活もマツリカさんや小西さんらによって少しずつ変化が生じてきた。決して祐希は誰からも相手にされていないのではないこと、目をそらし続けていたこと。三年生のマツリカさんが卒業する時期、祐希はいろいろ大事なことにようやく気付いてゆく。『さよならメランコリア』 以上四編。

高校生くらいになって発生する怪異は、裏側に深い悲しみと哀しみが湛えられている
 別にアニメ絵のイラストがあるでなし、その定義は曖昧なので断言は出来ないのだが、ラノベ的な印象が強い。主にマツリカさんの奇矯ともいえる行動様式と、彼女に付き従う柴山君のヘタレっぷりあたりが、まずそう思わせる筆頭か。学園青春ミステリにするにせよ、このあたりのリアリティをどう担保するかがラノベと一般小説の境目のように思えるのだけれど。
 まあ、ジャンルはどうでも良いこと。そういう設定であると割り切ったうえでは相沢沙呼らしい好作品になっている。例えば、友人関係を作るのに全く苦労をしないタイプの裏側で、さまざまな理由・コンプレックスなどからいろいろ人間関係についてなかなか勇気の持てない若者たちがいるところまでは小説家なら誰でも書く。相沢沙呼の場合、その彼らが抱く固有の孤独感、人と同じように出来ない疎外感といったところを描き出すのが抜群に巧いのだ。人と同じである必要は無いとココロの中で思って胸を張ってはいても、現実は必ずしもそうではない。そのこと自体に思い悩めるだけの人間でなければ、相沢沙呼作品の主人公になれないのだ。つまり、繊細だけではなく、その繊細さの向く方向性の演出がうまいということ。
 自分の心のなかで行ったり来たりする何か、他人から命じられたり、引っ張っていってもらったりすることで楽になる何か。まあ、すり切れたおっさんからみると、ちょっとしたことであっても、主人公はうじうじと悩み、奮起し、思い切って進んでゆく。緩やかな成長小説ということくらいはいえるかもしれない。
 謎解き――というか、奇妙な出来事として残された伝説の裏側にある真実――は、解き明かされることで基本的に哀しさ、寂しさ、苦さを覚えるもの。客観的に考えれば、そのような事態は強制されないと出来ないだとか、ある程度真実が分かっている人間によって怪異譚にされてしまうとか、どこか高校生にして世の中の矛盾や辻褄合わせは必要で、そのために存在する──「大人の事情」に対する「装置」としての怪異。 ミステリについてはこちらが肝となっている。ちなみにこういった演出まで「ラノベ的」というつもりはない。本作の場合は、あくまでキャラクタの話なので。

 赤裸々にされることで引っ込みがつかなくなるという理由による怪異。本書全体が不思議ちゃんとの恋愛譚であるにもかかわらず、ミステリ形式をとっていることで「ふわふわ」と「ずっしり」が混在する、一読忘れがたいストーリーになっているといえるだろう。ミステリとしては、本格要素はあるものの、そちらに無理にこだわっていない印象。


12/03/26
道尾秀介「水の柩」(講談社'11)

 『小説現代』二〇一〇年十一月号から二〇一一年七月号にかけて連載された作品の単行本化。単行本刊行時、特設サイトが設立されるなど、鳴り物入りでの販売となっていた。

 紅葉が名物の田舎町で旅館・河音屋を営む両親に育てられた中学生・逸夫。普通の中学生であり、普通に育てられた自分は、普通であることに奇妙な負い目のようなものを感じていた。お嬢様として育てられたがその暮らしが嫌で村を飛び出してきたという祖母・いく。年の離れた弟・多々朗はまだ赤ん坊だ。それぞれさまざまな個性を持った従業員たち。将来にも、現在の自分の立ち位置にも漠然とした不安。一方、小学生の頃に外の町から母親と妹と共に引っ越してきた、逸夫の同級生・珠子。両親が離婚した結果、母親が夜の仕事に出ている。お金がなくうまく友人たちのあいだで立ち回れない珠子は、小学校の頃から今に至るまでずっと級友たちからの執拗ないじめの標的となっていた。ある出来事から逸夫と珠子は少しずつだけ口をきくようになる。逸夫は珠子から、小学校の卒業式の時に埋めた「タイムカプセル」の中身をどうしても入れ替えたいので、深夜に掘り起こしにゆくのを手伝ってくれと頼まれる。

鄙びた田舎の町、時折自然が見せる美しさ、人間のちっぽけな営み。感情が絡み合う「小説」
 ある一点については、道尾秀介らしい「ミステリっぽい要素」を使用していた。というのは冒頭近くでいきなり展開される路線バスに乗ったご一行様の場面。登場人物が誰か誰だか判らないまま、(名前は出ているけれど属性の説明が極端に少ない)話が進んでゆく。この部分の記述方法に、小さいけれども物語の根幹に繋がる仕掛けが施されている。 この作品の「小説」として根幹を占めている(言い過ぎか、三分の一くらい)のは、ある意味この仕掛けにあるようにも思われる。
 珠子が受けている「いじめ」以外は、過去に関わる部分を除くとそう大きな事件がある訳ではない。ただ、淡々と彼らの考え方や生き方が描かれている結果、ほんの些細な事柄から登場人物の「見えていないところにある性格」が徐々に浮かび上がってくるあたりの展開が見事。直接的に表現していないにもかかわらず、ひとりひとりの生きるための力(そして奪われたり否定されたりすると激高するようなツボ)があることが、しみじみと伝わってくる。陳腐な言い方をすると「勇気づけられる」「気持ちをもらう」ということになるのかもしれないが、むしろ「生きる」ことそのものの難しさを改めて感じさせられた印象だ。当たり前のことながら、人間それぞれがそれまで生きてきた道筋が違うことによって異なる難しさを抱え、折り合いで常に悩んでいる。ただ、一人の力では限界があるその生き方も、人と助け合うことによってマシになる、こともある。物語として、小説として、(登場人物が)不器用ながらも温かい「力」がしみ出てくるような作品であった。

 ミステリの場合は、どちらかというと力押し、大どんでん返しのイメージが強い道尾氏だが、本作はそのもともと持つ繊細さが、普通に発揮された作品である。ミステリとして読むのは難しいが、道尾秀介という作家の存在はある意味ミステリー。もともと作家として道尾氏が持っていた、ミステリ以外の「良いところ」が抽出されたような、美しい(特に景色が)作品である。


12/03/25
湊かなえ「サファイア」(角川春樹事務所'12)

 月刊「ランティエ」に2010年から2012年にかけて掲載された作品が初出。(単行本にあまり詳細が掲載されておらず)。帯には「湊かなえの新境地」とあった。

 三十代の聞き役男性に対して一方的に喋り散らす五十代女性。ムーンラビットイチゴ味という歯磨き粉にやたら執着をしているようなのだが……。 『真珠』
 瀬戸内海に浮かぶ島に住む両親。その裏に六階建ての老人福祉施設が建設された。人の良い両親はその住人と距離の離れた交流を開始する……。 『ルビー』
 吃音癖のある男性が婚約者に指輪をプレゼント。たまたま怪我をした雀を庇った男は、雀の精を名乗る女性から婚約者の正体を少しずつ聞かされて……。 『ダイヤモンド』
 子どもだと思い込んで近所の人の頼みを聞いた。探していたのは猫だった。主人の活躍で何とか猫を保護し、坂口家にお返しをしたのだが。その坂口さんが次々と家族の秘密を……。 『猫目石』
 政治家の妻。この立場で精一杯頑張ってきたが夫が落選してしまう。それから失意の夫は徐々にDVを繰り返すようになり……。 『ムーンストーン』
 旅先で知り合った青年と少しずつ仲良くなってゆく大人しい女性。彼女が一年がかりで欲しいものを彼にねだったのだが、彼は帰らぬ人となった。生前、彼が行っていたアルバイトが……? 『サファイア』
 癖の強い小説で世に出た「わたし」。わたしにはかつて交際していた男性を喪った過去があった。その哀しい過去がわたしを小説に駆り立てた。 『ガーネット』 以上七編。

毛色の違いは、エンディングの差なのか。毒がある方が光る作家ならではの迷いが……?
 湊かなえさんというと、短編が積み重なる連作短編集を得意としているような印象があるのだが、本書のような完全なノンシリーズ短編集は初めてということになるからだろうか。「湊かなえの新境地」といった表現が帯にあった。
 新境地らしさ、というか、ちょっと毛色が異なる印象を確かに受けた。全体的に作品としては「奇妙な味」でありながら、オチのサプライズには必ずしもこだわっていない。その結果、バッドエンディングばかりになっていない(むしろグッドエンディングもある)というところ、間違いなく従来の作品集の印象と異なる。
これまでの作品では、結末はどうあれ、市井の普通の人々が隠し持っている、強烈な毒を赤裸々に、密やかに活字として焼き付けているところに、湊作品としての大きな特徴があったと思う。その「毒」こそを湊作品の特徴とするならば、本書はその感覚がかなり薄い。 また、同様にサプライズを意識しながらも、そのサプライズが必ずしも「毒」に繋がっていないところも、作品集としての新たな特徴といえそうだ。
 ――ただ残念ながら、人間ドラマにしても、ミステリにしても、それほど抜けて凄いと思える作品が無いようにみえる。人によって感じ方は違うだろうが、最後の二作を連作扱いにしてしまったことは、個人的には評価できない。(この二編がもっとも印象に残るであろうことは理解できるにせよ)。宝石テーマの「ノンシリーズ」短編を続けるという矜持というか、意志というかが途中まで感じられていたのに、ラスト少しに至って、どこか「得意の連作にしたらどうよ」という誘惑かアドバイスかに負けてしまったかのようにみえるから。(もちろん、創作の裏側など知りようもないのだけれど、この窮屈な構成から、そういう物語があったのではないかと感じてしまう)。近年の出版不況のなか、単行本でノンシリーズ短編集を刊行できる作家も相当限られているはずで、湊さんはそれが可能な数少ない作家の一人なので、余計にそう思うのかもしれない。
 本作品集から一作だけ選ぶとするならば『ムーンストーン』か。サプライズの届き方はそう強烈ではないのだけれども、思いこみを逆手に取る老獪な構成も悪くないし、また、女子高生や主婦の抱える人間関係の赤裸々な悩みなどの表現が、実にリアルでその部分で「嫌さ」を感じさせてくれるのが良い。

 作品から発する空気そのものは、湊さんらしくはあるし、恐らく『告白』のセルフパロディとなる『墓標』なる作品が登場するなど、結構にやりとさせるものもある。が、一連の連作に比べるとノンシリーズだから出来ること! には至っていない印象だ。小説自体は巧いので十分に読ませるが、作者にはそれ以上を期待したい。


12/03/24
舞城王太郎(原作・越前魔太郎)「魔界探偵冥王星O デッドドールのダブルD」(講談社ノベルス'12)

 覆面作家・越前魔太郎名義の作品としては七作目(本としては六冊目)にあたる作品で、ここまで各作品が(現在はほぼ明らかにされているとはいえ)覆面であったもののの、本書に限っては本家本元の舞城王太郎執筆であることが」明らかなシリーズ第一部(なんだそうだ)の最終作品。調布とか福井弁とかさりげないキーワード、癖からも舞城っぷり全開であり、舞城ファンならば冥王星Oを一冊も読まずとも世界観に追随可能なのではないかと思われる。

 度重なるプレッシャーによって重度のアルコール中毒状態にある【冥王星O】。しかしその彼が生きてゆくためには指令を拒むことはできない。果たして【窓をつくる男】からの指令は、【吸血鬼】の娘を保護するというものだった。【吸血鬼】の名前は該円東雄作、現役の警察庁長官。娘の名は杭子で女子高校生だ。【窓を作る男】の技により、該円東家に到着した【冥王星O】を待ちかまえていたのは、大量の血液と警察が入り乱れる殺人捜査の現場。雄作の妻、悦子が他殺死体で発見されていたのだった。悦子もまた吸血鬼であり、その周囲には警察に所属している(普段は人間の姿をしている)人狼たちがいた。【彼ら】の事件は、人間のあずかり知らないところで闇に葬られるのだ。人狼の一人に殺害されそうになった【冥王星O】は咄嗟にその悦子の死体が微笑みを浮かべていたことを見て取り、状況から見立て殺人であるとその場でかなり無理矢理な推理を開陳、一部に呆れられつつも、それを聞いていた杭子本人に気に入られて、いきなり殺されることは免れた。人間を簡単に殺害できる吸血鬼や人狼に囲まれつつ、指名である杭子の保護を自分の身を守るために実行しようとする冥王星Oだったが、事態はなかなか一筋縄では進行しない。吸血鬼の名門・該円東家を巡る陰謀、ヴァイオリン型の楽器に加工された少女と、その作者である人体楽器師……様々な人物を巻き込み、事件は複雑な様相を呈してゆくのだが……。

一周回して、破壊して。詭弁を弄して、戦って。エンタメ特化した舞城王太郎、最強。
 越前魔太郎、雑誌掲載の一編を除くと、最後の一冊として取って置きすぎた。ので、覆面作家としての作者が異なるがゆえの設定上の差異や拾われた伏線も細かい点は、ここでは説明できない。ある程度そういった細かな伏線回収に目をつぶっても、一冊のエンターテインメントとして一筋縄ではゆかない印象的な作品に仕上がっていることは事実。素直ではないのだけれど、そのひねくれっぷりが何とも独特の世界観と「ちょうど良い」感じでマッチングしている印象だ。
 その最たるひねくれっぷりを発揮しているのが主人公【冥王星O】。彼が相対する(本作ではそう呼ばれていないようだが)【彼ら】と呼ばれた魔物たち、即ち吸血鬼、人狼といった、人類の遙か上を生きる圧倒的存在だ。彼らによる圧倒的な脅威に対し、単なる人間でしかない【冥王星O】が、どんなに厳しく不利な状況にあっても、口先からスタートする機転と頭の回転、それと根拠のない度胸と根性で何とか凌いでしまうという、大人戯言遣い(まるしー西尾維新)の活躍が、めちゃくちゃ面白い。中盤での該円東家の人間部隊と人狼との対決、その決着後の独特な緊張感。自らの命を守るために、次々と適当な嘘をそれらしくみえる推論で飾り、証拠も無いのに周囲を納得させるか煙に巻くかで進退を先送りさせ、生き延びてゆく。圧倒的な力とか、努力と根性とかで戦いを勝ち抜いてゆくという面白さとは全く異なる、読み方によっては卑怯ともいえるやり方で、冥王星OVS人狼、人間VS人狼、冥王星OVS吸血鬼といった命のやり取りを伴う異種格闘技が繰り広げられている。
 そして極めつけは、舞城王太郎版『占星術殺人事件』あるいは『六枚のとんかつ』。まさかこれをやりたいがために【吸血鬼】や【人体修復師】の設定を作った訳ではないだろうが、舞城絵(イラスト?)と共に説明されるこのトリックは何とも味わい深い。現実問題、人狼の爪が異常な迄に鋭いのも、ゲル型対人狼兵器も、宙に血液を浮かべてずるずると全水分を吸い取ってしまう吸血鬼も、「ぐるぐるドンドコしょ」なる呪文で、人間を生き返らせる前段階の【死体人形】を生成する能力を持つ【死体人形師】も、バカっぽい。バカっぽいけど格好いい。 この微妙な匙加減が舞城イズムなんだよなあ。

 残念ながら手掛かりが中途半端なので(このあたりの説明に相当する箇所、読みづらいし)フェアな本格ミステリという構成ではないながら、トリックが明かされた瞬間、本格ファンは噎び泣くはず。つか、全オレが泣いた。また本編とは直接関係ないが、吸血鬼から身を守るため、彼らの存在を知ってしまった普通の人間が、あえて薬物中毒になったり、HIVにわざと感染したりする展開、結構ゾクッとした。これもある意味では真理だと思う。

 さすがにこの作品から越前魔太郎に入るという選択肢は無い(絶対駄目)とはいえ、さすが本家本元、越前魔太郎六作のうちでも最上位かかなり上位に食い込むエンターテインメント。妙に「文学」に色目を使わず、徹底的に娯楽に徹した舞城王太郎、めちゃくちゃ強いやんか。


12/03/23
福田和代「スクウェアII」(東京創元社'12)

スクウェアT』の続編にして完結編。収録前から順に『ミステリーズ!』vol.41、42、44、45号にて発表された作品に、書き下ろしの『赤ちゃんに乾杯?』を挟んでいる。

 関空で体内に大量の覚醒剤を隠して運んでいた日本人が死亡した。大規模の麻薬密輸事件だが、経営している工場で借金を背負ってはいたが、麻薬組織との繋がりが見つからない。捜査の過程でその妻がかつて覚醒剤を使用していたことが明らかになるのだが。 『マザー』
 前の事件に関係して「スクウェア」が捜査の参考上に浮かび上がる。しかし、その「スクウェア」が火事に遭い、リュウが行方をくらましてしまう。三田は「ギャルソン」のママらを通じて彼の居場所を必死で探るのだが。 『サーチ』
 突然デッド・エンド・ストリートに現れた幼児。道を歩いていたところを三田が保護したのだという。その存在に『ギャルソン』に勤めるオカマたちが大騒ぎするのだが。 『赤ちゃんに乾杯?』
 関空に到着した貨物から大量の麻薬が発見された。その届け先は堺市にある堅気の化学会社。麻薬組織と繋がりはありそうにもないなか、不自然な就職活動が行われていることが発見され……。 『ブラッディ・ハート』
 神崎川にて大量の魚が死亡。その魚の内部から覚醒剤が検出され、その成分はから暴力団・光洋会ルートで発見された麻薬と不純物成分が一致した。廃棄場所の近くには光洋会会長の別宅がある。果たして誰が廃棄したのか。浮かび上がったのは、一連の事件に関係していたと思しき人物であったが……。 『デッドエンドストリート』 以上五編。

長編要素の濃い連作形式が、麻薬とさまざまなかたちで戦う人々の思いを深く強く描き出す
 刑事の三田や謎のバーテンダー・リュウ、元プロボクサーのスポーツ用品店オーナー・宇多島という面々。一冊目『スクウェアT』で登場した彼らは、刑事の三田はとにかく、リュウや宇多島は事件の度毎に警察すら翻弄しかねない活躍をみせてくれた。単なるヒロイズム? 愉快犯? フィクションならとにかく(ってまあ、本書もそのフィクションなのだけれど)なんの動機も見返りも無しにそういった行動を取るものではないだろう。ならば、彼らは一体何者なのだろう? というのが一冊目における大きな興味だったように思う。二冊目にして完結編たる本作においても、その流れは継続されていく。ちなみに素性が明らかになるのは、ラストではなくて本作の中盤。その中盤にてエピソードが明らかにされることによって、彼らの行動が腑に落ちると同時に、作品自体の見え方が変化し、その変化したかたちのままラストに突っ走るという、計算された構成になっているのだ。
 本書で意外だったのは、「彼らだけではない」ということ。(詳しく書くとネタバレになるので詳細を説明はしないが)。リュウや宇多島は警察の向こうを張ってまで「何か」に対して戦いを挑んでいる。その敵は時に暴力団、時にチンピラであるのだが、一貫して相手にしているのは「麻薬、それに類するものの販売をしている人間」である。一方、三田の方も麻薬取り締まりは専門である。だが、それでも彼らとの共闘にならないところに庶民感覚というか、現実と理想のギャップがあるように感じられるのだ。
 本作では短編ひとつひとつも事件はあるが、全体としての繋がりが大事にされつつ描かれている印象が強く、中編集ではあるながら、『スクウェアT』以上に連作としての流れが重視されている。戦う姿勢や方法はさまざまであっても、一本筋を貫く麻薬に対する登場人物ひとりひとりの静かで強烈な怒りがひしひしと感じられるところが良い。開き直っているうえに固い決意、これはある意味、警察よりも、強い。

 二冊分のボリュームながら、テーマ性があるうえテンポも良いので両方合わせてするすると読むことができた。福田さんの文章も良くなっているということかもしれない。読み出した感じと読み終わった印象が変化はするものの、良い読書であったことには変わり無し。


12/03/22
伊坂幸太郎「PK」(新潮社'12)

 表題作『PK』は『群像』2011年5月号に、二番目の『超人』は同2011年7月号にて発表された作品。最後の『密使』は書き下ろしアンソロジーである日本SFコレクション『NOVA5』(河出文庫・大森望・編)の収録作品。ただ、本書をまとめるに際し、それぞれの作品の繋がりをより深くしたとのこと。結果、作者の意図はとにかく連作集として通用するだけの相関性が三作品にある。

 日本のワールド杯への出場をかけ勝ち点3がどうしても必要な試合、エースフォワードの小津はロスタイムに入ってから相手DFを翻弄してゴールに迫り、PKを獲得した。そのPKはなぜ成功したのか。過去にある行動を取ってヒーローになり、後に議員となり大臣となったある人物は調査を開始する。一方、大臣に対して圧力を掛けてくる何者かの存在があった。 『PK』
 作家の三島の友人で家庭内事情でちょくちょく彼の家に居候している田中。その三島宅に防犯システムを売り込みにセールスマン・本田が訪れた。本田は三島が自分も知る作家であることに気付くと、自分が持つというある超能力について相談を持ちかけた。 『超人』
 私は他人と握手するとその人数に比例して一日が終わる直前に周囲の時間を止める超能力を持つらしい。ある理由から握手の多い仕事を選んだ私は、その能力を利用してある場所に進入して欲しいという強い依頼を受けた。しかもその密使として現場に持参するもの、それはGだった。 『密使』 以上三編。

伊坂幸太郎らしくあり、伊坂幸太郎の強みあり、だけどなんだか物足りない?
 ”PK”、伊坂幸太郎という組み合わせだと、読前のイメージはサイキック、超能力の方だったけれども、このPKはまんまペナルティキック。我々の生きている時系列とはパラレルワールドな世界でのワールドカップ本戦出場がかかった試合でのPKのお話だ。(それだけではないですけれど)。
 「一般の人間には関知できないような、あまりにも巨大でその関係者ですら全貌が把握できない」ような何かが世の中を動かしている。かもしれない。というあたりがテーマ。その存在に訳が分からないまま、漠然と感じながら抗う個人というのが、ざっくりと捉えた時の物語の流れになるのだが、その「巨大な何か」があまりに巨大すぎて、全体のイメージも合わせてぼやけてしまっているという印象が強い。敢えて具体的にしないことで恐怖感を煽るという意味では成功していないこともないとは思うが、登場人物個々の行動ベクトルもまたばらけてしまっているところで、やはり物語全体の一体感が薄れてしまっていることもまた事実かと思う。
 その他、細かなエピソードが断片的に描かれ、それが意外なところ時系列や人的関係によって繋がっていたり、繋がっているとみるや無関係だったりと、小さなところから大きなところまで様々に伏線と結果を紡ぎ出すことで、物語に拡がりを持たせているところはいつもの伊坂幸太郎らしい展開だといえるだろう。その展開のなかに、相変わらず日本(ないし日本みたいな国)の危機的政治状況だとか、ヒーロー論であるとか、人生にもしかすると少しは役立つのではないだろうかというのような格言めいた何かであるとか、諸要素がいろいろと込められている。多方面にそれがわたっているので「ああ、これは俺にも関係あることだ」とか「この文章は私のために書かれたのでは」と思われる読者がいてもおかしくない。そして個々に区切ったエピソード自体はユニークだし、読ませる内容でもあるので、読んでいてストレスはなく、続きは気になるし、思わぬ繋がりを見せつけられて「おおっ」となる。読んでいて面白いことは事実なのだけれども、伊坂作品でみられる「毒」「苦み」があまりなく、その分読み終わった後まで引く余韻というものが他伊坂作品に比して薄いように感じられた。

 面白い面白くないで判断すると当然面白い、ということになるのだけれども、伊坂幸太郎の最高傑作というレベルにある作品ではない。どこをちぎっても伊坂幸太郎の物語にして、だけど余韻が伊坂幸太郎らしからぬ薄さ、と。無理矢理まとめるとそんな印象だった。


12/03/21
森 博嗣「ブラッド・スクーパ──The Blood Scooper」(中央公論新社'12)

 『スカイ・クロラ』に続いて中央公論新社で開始された森流ファンタジーの新シリーズ『ヴォイド・シェイパ』に続く、二冊目。スズカ・カシュウという師匠に山の中で育てられた剣士・ゼンの物語。

 当て処の無い旅の途中、畠の脇にあった農具置き場で一夜を明かしたゼンは、暴力的な侍とその侍を金でなだめる二人組の会話を聞く。実力的には金を渡した方が遙かに上とみえたが、ゼンに気付いたなだめていた方の男・クズハラは近くの村で道場を開いているという。一旦別れたゼンとクズハラであったが、ゼンはクズハラの道場に立ち寄り、一般的な剣術についていろいろ教わる。長居するつもりがなかったゼンではあったが、村一番の素封家・シシド家の娘・ハヤと知り合い、シシド家に滞在することになってしまう。シシド家には非常に珍しい「竹の石」という宝物があり、盗賊団がそれを狙っているという情報があって、用心棒が欲しいというのだ。近々、村では祭りが開催されることもあり、人の出入りも多くなる。クズハラと共に館の守りを固めるゼン。祭りのあと、村を豪雨が襲い、それに乗じて果たして盗賊団がシシド家を襲った。

先入観の無い澄んだ瞳で「戦国時代」を眺め、剣の道を究めてゆく
 前作である程度の世界背景というか雰囲気が説明されてきたこともあって、物語運びに重点が置かれはじめている印象。とはいってもゼンを通じて、ピュアに世界が紹介されているのは前作通りでもあって、一般的な時代小説とは一線を画していることに違いは無い。時代設定がない以上、時代考証も無い訳で、森氏のイメージによるファンタジー時代劇ということだから、ま、仕方ないか。ただ、その森氏の作り上げる世界(これは『スカイ・クロラ』でも、講談社ノベルスの一連のシリーズでも当てはまる)を流れる空気が実にクール。本書も時代劇にしては空気が乾いていて、描かれている全ては「和」テイストであるはずでありながら、北欧あたりの空気が流れているような雰囲気が全体を通じて流れている。
 また、一応の義理人情に準じる感情は持つものの、主人公のゼンが目の前の事象を割り切る、合理的な考えを旨としているのもまたこの乾いた雰囲気とマッチする。山の中で師匠と二人で育ったがために、いわゆる一般常識を欠いた状態でいるということでもあるのだが。
 この空気がユニークなのだが、物語としては多少のどんでん返しを含めて先を読みやすい展開。ただ、ここも展開だけが読みどころではなく、剣士同士が戦う際の描写が、それまでの一般的な描写から短文中心に変化させていて、物語テンポが明快に変化する。刀の先が土に引っかかる、ある戦いを経ての二度目の戦いだから、等々微妙な成長などを匂わせる部分も面白いが、全体のうえからは些末かな。

 先の作品でも書いたかもしれないが、やはりこの作品は時代小説や剣豪小説ではなかなか見られない「独特の空気」が面白い作品だと思う。デビューから十数年、そうそうトンガってばかりはおらず、かなりこなれた森博嗣の、ミステリとしてはとにかく、物語作りや文章については本シリーズがひとつの到達点にあるのかも。