MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/04/10
柳 広司「パラダイス・ロスト」(角川書店'12)

 結城中佐&D機関。第二次大戦前後に活躍したスパイを中心とした『ジョーカー・ゲーム』『ダブル・ジョーカー』に続く、シリーズ三冊目。『野性時代』二〇一一年七月号から二〇一二年三月号にかけて発表された作品がまとめられたもの。

 ドイツ軍の占領下のフランスで、一人の日本人学生・島野がドイツ軍に蹂躙されかけた老婆を救ったところ、兵士に殴られて気絶。その彼を三人のフランス人の若者たちが助けた。島野は記憶を失っていたが、自分がスパイであることに気付く。自分の任務は、そして取るべき行動は。 『誤算』
 英国領シンガポールにあるラッフルズホテル。日本からは狙われることは無いと高を括り我が世の春を謳歌する欧米人。そんななか、一人の実業家がホテルの中庭で変死体で発見された。犯人として自首した女性は米国海軍下士官・キャンベルの恋人だった。キャンベルは事件の真相を探ろうと必死で探索を開始、別の容疑者の目星をつける。 『失楽園』
 英国タイムズ紙極東特派員のプライスは、日本寄りの記事を執筆することで反英感情が高まる日本に残っていた。彼は実は優秀なスパイでもあり、日本で秘密裏に組織されたD機関とその設立者といわれる結城中佐について調べようとするが、手がかりが全くない。しかし彼は優秀な頭脳を駆使してその端緒をつかむ。 『追跡』
 サンフランシスコと横浜を結ぶ豪華客船《朱鷺丸》。米国から秘密裏に帰還するドイツ人も乗り込んだこの船に内海脩は、英国人の暗号専門家が顔かたちを変えてこの船に乗り込んだことをつかんでいた。結城中佐から彼への指令は彼を日本に来させないこと──。 『暗号名ケルベロス 前篇』
 暗号の専門家は内海にも判らない理由から、何者かから毒殺されてしまった。更に国籍船名を消した軍船が《朱鷺丸》を停船させドイツ軍人を逮捕してゆく。その過程のなかで殺人事件も明らかになり、内海もまた真相を知るために軍人達に協力的な態度を取る。 『暗号名ケルベロス 後篇』 以上五編。

チートな主人公たちの活躍に舌鼓。さらに独特の緊張感、テンション維持のテクニックが見事
 こう書くと語弊があるかもしれないが、ひとつひとつのストーリーが抜群に面白いという訳ではない。が、トータルとしてめちゃくちゃ面白いのは、チートなキャラクタの、キレキレの活躍が各作品できっちり演出されていることが理由のように思う。
 一度見ただけでその情景を暗記するように頭のなかに入れ、様々な語学をネイティブ同様に話すことが出来、古今東西の文化の理解に優れたスパイたち。それぞれの作品ごとに「名前」は与えられているが、それが本名でないことは明らかなうえ、結城中佐以下十数名いるスパイの「誰」に相当するかは判らない。
 先の作品に登場したスパイは、次の短編のスパイと同一人物なのかそうでないのか。別に分かる必要はなく分からないところがスパイということでもあろう。
 『誤算』において、日本のスパイが無意識のあいだに致命的なミスをしたようにみえたり、『暗号名ケルベロス』でトラブルに巻き込まれたりと、天賦の才を備えた優秀なスパイたちも展開によっては窮地に追い込まれる――ようにみえて、実はきっちりそれが逆転の手に繋がっているなど、凡人には想像すらつかない策略が背後にきっちり凝らされている。策略だけでなく、それを実行するだけの頭脳と体力、技術もまた備わっている訳だ。
 そうなってくると「基本的に失敗はあり得ない」物語となる。冒頭で述べた、ひとつひとつのストーリーが抜群に面白いという訳ではないというのは、この点が理由だ。しかし、それでいて、なぜこれだけ面白く読めるのか。
 主観というと身も蓋もないが、基本的には「テンション」の維持、そしてもう一つは「チート主人公への信頼」があるように思う。後者については、一昔前の大衆小説と実は本質的に通底している。スパイが窮地に陥っているようにみえること自体錯覚で、物語上ではスパイは常に勝者の位置にいること、これを読者は直感的に気付いているからではないか。ハリウッドのヒーローは本当に窮地に陥るが、スパイは窮地に陥っているようにみえるだけ、なのだ。この点が、一般的なエンターテインメントと異なる面白さに繋がっているように感じられる。

 もちろんテンションというのは第一作からずっと続く、身が切られるような緊張感。スパイですから、ばれたら「おしまい」ですからね。その当人たちが感じているテンションが、ストーリー内部にも文体そのものにも感じられるということ。この感覚を文章で味わえるところは癖になりそう。このシリーズ、ずっととまではいえないまでも末永く続けていって欲しいものです。


12/04/09
永嶋恵美「廃工場のティンカー・ベル」(講談社'12)

 2000年『せん−さく』でデビュー、'04年『転落』のスマッシュヒット以来、ドメスティックサスペンスの旗手として活躍中の永嶋恵美さんによる短編集。『小説現代』誌に二〇〇九年四月号から二〇一一年四月号にかけて不定期に掲載された「廃○○」シリーズが集められたもの。

 個人で建築士を営む中年の片平。クライアントの病院に寄ったついでに、仕事の打診があった工場跡を訪れる。そこにはお腹を空かせた、しかし訳ありの少女が隠れていた。 『廃工場のティンカー・ベル』
 とある会社の支店に勤めるOL・美野里。彼女にはかつて貨物線沿いの家に住んでいて、フタバという半ノラの猫を飼っていた思い出があった。そのフタバが急に居なくなってからも彼女はある儀式を続けており、今年もまた。 『廃線跡と眠る猫』
 中学生の佐藤拓人はかつて通っていた小学校に家出で訪れた。友人同士の情報でうまく校内に入りこんだが、地元有志が行っている警備員の見回りに見つかってしまう。しかしその警備員は拓人に意外な話をする。 『廃校ラビリンス』
 中学生の祥(さち)そして、その友人の美緒。二人は廃園となった遊園地に入りこんでいた。祥が自殺をすると決め、美緒がそれを見送ることになっていた。子どもの頃から遠足でしょっちゅう訪れた思い出の地は変わってしまっていて。 『廃園に薔薇の花咲く』
 文系の博士号を持つ勝己は、年上で子連れの恋人・遼子と、かつて学生時代にフィールドワークで訪れた集落跡に来た。既に廃村となって久しく、人はおらず遼子の息子・聡は村内を走り回る。 『廃村の放課後』
 高校の登山部の仲間だった香津美が急にガンで亡くなった。遺灰を山に撒いて欲しいという故人の希望に、四十五歳を迎える友人たちのうち「ぬるい部員」三名は示し合わせて久しぶりに山登りすることになる。 『廃道同窓会』 以上六編。

現実の強い悩みや不幸を抱えた登場人物が、事態に立ち向かってゆけるようになる迄。
 読み終わって、考えて、やっぱり思うのだけれども、本書の物語はそれぞれの舞台を、必ずしも「廃○○」にしなければならない必然性は無い。どれも別に人気のない他の場所でも成り立つことは成り立つ話だ。ただ、必然性はないのだけれども、物語としての叙情性を高め、主人公の気持ちを表出させ、その悩みや葛藤を浮き彫りにするにあたり、すばらしく相応しい舞台であることに改めて気付かされる。
 廃工場、廃線、廃校、廃園、廃村。全てかつては人の営みがありながら、何らかの事情で人によって打ち捨てられた場所。 また、その場所を好んで訪れる登場人物たちの心情にも、またどこか人生から(家族から、友人から、社会から)打ち捨てられたような感情を隠し持っている。作者の巧いのは、そういった「荒れた場所」×「荒れた心情」の物語でありながら、そう簡単には物語の真相を見せないこと。むしろ、どこかその感情から目を背けようとはしゃいだり、全く別の話題を出したり、といった展開をみせ、それでいてその展開自体がまるで本筋であるかのような流れで物語を紡いでゆく。
 もちろん、それぞれシチュエーションは当然のこと、胸の内に抱えた絶望にしたって登場人物ごとに異なっている。その背景、登場人物の設定にしてもバリエーションに富んでおり、永嶋さんのストックの豊富さに驚かされるくらい。それでいて、絶望からきっかけをつかんで希望を求め、改めて戦いに挑むことを決意するという作品の本質は全ての短編にて共通させている。

 ミステリではなく、基本的にいわゆるハートウォーミングストーリーというタイプの物語。ただ、伏線や心理状態の演出、そして物語の深層の明かし方など、全体的にどこかミステリー的でもある。単純に「いい話」で感動できるほど繊細ではないけれど、これはその感動への演出が実に巧い。その巧さにむしろ痺れた。 あ、普通には、「読むと元気の出る作品集」です。


12/04/08
中島 要「晦日の月 六尺文治捕物控」(光文社'12)

 2008年「素見」で第2回小説宝石新人賞を受賞してデビューした中島さんの『刀圭』『ひやかし』に続く三冊目の単行本。『小説宝石』誌二〇一〇年二月号から二〇一一年九月号にかけて掲載された作品に、書き下ろしの「雲隠れ」が加えられている。

 江戸中の悪人を震え上がらせていた「千手の辰三」こと堀江町の親分が去年の暮れに姿を消した。南町奉行所の同心・塚越は上方を荒らしていた「名なしの幻造」を辰三に探らせていたといい、親分の十手だけが見つかるにつれ、辰三は殺されたのだと人は噂するようになった。辰三の子分・六尺文治は親分の無事を信じ、駆け出しながら日本橋界隈の守りを引き継ぎ、辰三の妻が経営する一膳飯屋「たつみ」と一人娘のお加代の助けを借りながら、今日も捕物をこなしてゆく。
 落ち目のご隠居が隠し金が盗られたと騒ぎ、息子が内々に済まそうとする。更にその隠居が女中を手込めにして殺害したかのような状況で死亡していた。 『役立たず』
 江戸錦絵小町競べが話題で、お加代もまたその候補と目されていたが、本人にその気が無い。加代の幼馴染みの志乃は選ばれたがっていたが、加代は父親捜索の費用を稼ぐために出場を決定、幼馴染みの間柄はぎくしゃくに。 『うき世小町』
 茜屋の小さな子どもが神隠しに遭って二十年、その息子が戻ってきたという。周囲はその存在をいぶかるが、新造がその男を息子だと断じてはばからない。対処に困った身内から、内々に奉行所にも相談が届く。 『神隠し』
 加代に対する思いが隠しきれない世間知らずの若だんな、何やら身辺が狙われているようだからと加代に住み込みで警護を依頼する。住み込み初めてみたところ、若だんなではなく大旦那が殺害される事件が。 『ねずみと猫』
 大量の錦絵が大川に投げ込まれた。どうやら枕絵を描く絵師が絡んでいるようで、文治はその男のところに赴く。彼には結婚相手の決まった年頃の娘がいた。 『晦日の月』
 旅の男が飯屋で江戸の話を聞く。『名なしの幻造』を追って、自分の管轄外まで出張ってくる目明かしがいるという……。 『雲隠れ』 以上六作。

情緒と人情に流されすぎない個々のエピソードが微妙に苦く、全体を覆う謎を引き締めている
 初単行本となる『刀圭』、そしてデビュー作を含む『ひやかし』、そして本作と、着実に進化をとげている感。本作は初の捕物帖、いってしまうとミステリ仕立てとなる作品だ。ミステリプロパーの作家ではないとお見受けするなか、個々の事件の構成がなかなかに論理的な点にまず目を引かれた。単に、事件が情実で解決されるのではなく、きっちり裏に悪意や隠れた激情があるといった舞台作り、さらにそこからの微妙なミスリーディングなど(それは本格ミステリプロパー作家と比べられないにしても)、意外ときっちり作り込まれている印象を受けた。
 もう一つポイントと思えたのは、エピソードごとの結末の苦さ。これは作品の肝でもあるのであまり詳しくは触れないが、信じていた者に裏切られたり、仲良かったと思った人間が知らない一面を持っていたり。持てる者、恵まれた者は気付かないし気付けない世界があることを、赤裸々に物語中で明らかにしてゆく残酷。まあ、こういった苦みは嫌いではないし、中途半端な予定調和よりむしろ好ましい。
 もちろん江戸情緒を支えるような雰囲気であるとか、小道具であるとか、そういった時代小説としての基本線はもちろんレベルキープ。特段に色気や風俗が強調されてはいないが、江戸時代らしいという雰囲気はきっちり作ってある。

 残念でもあり、楽しみでもあるのは、本書全体を通じての謎、「果たして辰三親分は家族を捨てて、現在どうなっているのか」という点が完全には明らかにされていない点。続編を支えるだけの謎になるのか微妙に不安ななか、でも物語としては最終的な解決をみていない訳で。果たしてこのあと、物語はどういう展開をしてゆくのか。みえるようなみえないような、そしてどうせなら予見できない方向へ転がっていってもらいたいもの。


12/04/07
鯨統一郎「笑う娘道成寺 女子大生桜川東子の推理」(光文社'12)

『ジャーロ』42号(2011年7月号)から同44号2012年4月号(勧進帳と忠臣蔵は同時発表)した作品に、書き下ろしの表題作が加えられた連作短編集。探偵役に桜川東子が据えられており、同シリーズに連なっている。

バー〈森へ抜ける道〉にやってきた歌舞伎好きのOL・阪東いるか。マスターの山内、常連の工藤と島を加えたヤクドシトリオと意気投合、通ううちにいつの間にか店でバイトを始める。話題になるのは日本の蒸留酒と、かつて銀幕やテレビを賑やかしてきた往年の俳優・女優たち。そして歌舞伎にも似た現実の事件。実際の謎解きは、例の如く同じく常連の女子大学院生・桜川東子が歌舞伎と現実事件を独自に解釈してゆく──。
 ガソリンスタンド経営者の奥方が、ガソリンを被って焼死。夫と、同業者の若い息子とが捜査線上に上がる。実際に金に困っていたのは誰だったのか。 『笑う女殺油地獄』
 風俗嬢の住むアパートでその女性と、交際していたコンビニ店員の二人が死体となって発見された。心中が疑われる状況だったが不審な点も多かった。コンビニ店員の徳馬を巡って実は様々な思惑が。 『笑う曽根崎心中』
 企業の乗っ取り計画をしていた男性四人、女性一人の詐欺師グループ。企業にスパイとして送り込まれた女性が殺害され、残り四人が捕まるが、彼らは殺人を否定。果たして真相は。 『笑う白浪五人男』
 銀行強盗が発生し、その検問を担当していた刑事が犯人を見逃してしまう。彼は自殺とも他殺ともつかない状態で死亡していた。彼には密かに交際している女性がいた。 『笑う勧進帳』
 吉川塩業という塩メーカーの社長が殺害された。容疑者は吉川塩業から執拗に攻撃を受けていた弱小同業のアサノソルトの専務・大石。それ以前にアサノソルトの若社長が自殺しており事件は復讐によって引き起こされたかに見えた。 『笑う忠臣蔵』
 銅鐸の研究をしている二十五歳の学者・安井が自宅で焼死。彼には前川亜美という学生の恋人がいたが一緒に焼死したのは喫茶店のウェイトレスの清原華奈子。華奈子と安井に一見接点はなかった。そして前川亜美もまた行方不明に。 『笑う娘道成寺』 以上六編。

鯨流の軽みに流されつつ、歌舞伎筋書きへの素朴な独自解釈がユニーク
 物語としては軽く読めるのに、その内容に実は深みがある(ことが多い)──というのが、誤解されやすいが鯨作品の特徴だと思う。本書はまさにそのタイプの王道をゆく作品ではないか。その題名からも判る通り、テーマになっているのは日本の伝統芸である歌舞伎の主要演目。忠臣蔵を筆頭に、そのメディアは歌舞伎とも限らず、日本で伝統的に伝わっている物語芸能とでも呼ぶべき作品群だ。自分の浅学を晒すようだが、一部を除いては漠然としかストーリーを把握していなかったこれらの作品、ただ、本作における鯨氏の矛盾点の指摘は、なるほど、的確であるように感じられる。面白さの源泉の一つはまずここ。
 勧進帳でなぜ義経一行は逃げることが出来たのかなど、筋書きのうえで当たり前だとされている点について、現代的な平易な感覚で疑問点を提示し、そこに新たな解釈を持ち込む。こういった常識の裏を取る考察は鯨作品(歴史系?)の最大の魅力である。それが本当であるかどうかはむしろ(多少語弊はあるが)どうでも良く、ああ、こういった疑問の持ち方があるんだな、と気付かせてくれるところが嬉しいのだ。
 その他、バーの面々による雑談では日本の銀幕初期を彩った俳優・女優に対する蘊蓄がある。この方面は多少疎いのだが、それであっても歴史を順繰りに蘊蓄で整理するこのやり方(物語上の必然性とかうるさいことをいうと確かにどうかと思う部分だが)、やり方自体が既に「芸」のうち。前振りにあたる部分でありながら、鯨連作短編集においては「華」ですらある。

 もちろん、わざわざ繰り返し述べることではないかもしれないが、例の如く物語自体はノリが軽い。さくさく読めるし、本作はソフトカバーだが、むしろ文庫向きだとも思われる内容だ。とはいっても、鯨統一郎さんらしさが十二分に感じられ、そのつもりで購入した読者を裏切ることはないはずだ。


12/04/06
深水黎一郎「言霊たちの夜」(講談社'12)

  2011年『人間の尊厳と八〇〇メートル』で第64回日本推理作家協会賞(短編部門)受賞した深水氏の、受賞後第一作品集に相当する単行本。『メフィスト』誌に掲載された冒頭二作と書き下ろし二作による連作集。
 昨年(2011年)の夏頃、」深水氏がtwitterでフジテレビ批判を行って一部で話題になったが、それをメタ的に作品内容に取り入れている点もユニーク。

 大手ゼネコンに勤務するエリートサラリーマン・田中優史は巨大プロジェクトの責任者に抜擢されていたが、その直前の休日を年上の彼女の家でくつろいでいた。そこにかかってきたプロジェクト相談の電話。何か、勘違いや聞き違いが重なって田中は恐ろしいことに巻き込まれてゆく。 『漢(おとこ)は黙って勘違い』
 日本で外国人相手に「日本語」を教える自称・カリスマ教師の”俺”こと金田村。いつも通りに授業をこなし、生徒の面倒な質問にそれなりに真摯に答え、友人のスミス氏と居酒屋に行くのだが、何かとトラブルに巻き込まれる。 『ビバ! 日本語』
 文芸評論家の小田嶋二郎は、最近ちやほやされていると感じている二世作家・早乙女満を凹ませられるような論文を書き上げた。悪筆の彼がいざワープロ打ちしようとしたところ、急に故障。特殊な入力方法のそのワープロは今や骨董品扱いだったが、小田嶋は探し回った挙げ句に官能小説の大家の遺品として使われていた機械と巡り会う。 『鬼八先生のワープロ』
 ある特定のパターンに則った言葉や表現を聞かされると強烈な痒みに襲われる特殊なアレルギーを持つ男。旧友で現在はテレビ業界の仕事をしている浅井とばったり再会、メシでも、ということになった。彼は浅井の行動によってそのアレルギーが強烈に刺激されるようになって……。 『情緒過多涙腺刺激性言語免疫不全症候群』 以上四作。

にやにやとひたすらに笑える一方、ミステリでもないのにめちゃ頭を使う奇妙小説
 小説は作者の書きたい何かに奉仕するという考え方があるが、さしずめ本書の場合は日本語特有の「聞き間違い」「勘違い」「変換ミス」「お約束」に特化したものだといえそうだ。冒頭の『漢は黙って』でいうならば、冒頭でかかってきた電話に対し、年上の彼女が聞いている状況下「関は入れない。うまく行かないことがわかりきっている」「梶がダメだ」「若狭が重要だ」といった言葉を無意識に連発するような主人公だというと分かりやすいだろうか。(もちろん、関も梶も若狭も本人は人名のつもりで連呼している訳だが)。
 あと、ワインをグルメ的に評価する形容詞がめちゃくちゃエロっぽいであるとか、  というような勘違い言葉を書くために、登場人物を動かしている関係上、物語としてはかなり無理がある。というよりコントのシナリオのようなもの。それでも四作品をそれぞれ微妙に絡ませて、同じ世界のなかでの同時並行に発生するトラブル(迷惑?)として扱っているところ、作者の意地のようなものも感じる。また、駄洒落や聞き違いだけではなく、母国語によって苦手な発音があるとか、冒頭で述べた日本のテレビ局が垂れ流す害悪が「観なければいい」だけで済まない問題であるとか、蘊蓄的な側面でも役に立つものが散見される。
 とは、いっても基本、ギャグである。ナンセンスである。
 問題は公共スペースで読んでいたら、面白すぎて顔がにやけること。もうひとつは、凝ったネタがいくつもあって、一読しただけでは、何と勘違いさせようとしているのか判らないものがあること。こういうのにぶつかると、凄く考えさせられる。分からないままだと悔しいし。分かった時の爽快感はなかなか。

 まあ、そんな作品集です。 スーパー銭湯でも、可能性ある限りはやってみるべきだ。 うん。ジャグジーとかあるやつ。


12/04/05
貫井徳郎「新月譚」(文藝春秋'12)

 貫井徳郎氏のノンシリーズ長編作品。『別冊文藝春秋』二〇一〇年七月号から二〇一二年一月号にかけて連載された作品。第147回直木賞候補作品。

 新米編集者の渡部敏明は、八年前、四十九歳で突然絶筆を宣言してしまい、以来筆を断っている元女流ベストセラー作家・咲良怜花(さくら・れいか)の許を尋ねた。相応に年を重ねながらも未だに美貌を保っている彼女は、自らの顔を整形によるものだとあっさりと明かす。渡部は学生時分に、彼女の作品から大きな衝撃を受けており、その彼女に改めて筆を執って貰いたいと切望していた。自らの覚悟を示すため、忙しい時間を縫って全作品の丁寧な感想文をまとめたところ、彼女は渡部に自らの人生について語り始めた――。
 特に何の才能も持たず、スタイルこそ抜群だったものの容貌は決して美しいとはいえなかったOL・後藤和子。短大を卒業して一年、最初の会社を辞めたあとに小さな会社の就職面接を受けた。読書が好きな女性だからという理由で社長の木ノ内徹に気に入られたのだ。木ノ内はいうなれば人たらしで、和子のことを最初から深く認めてくれたうえ、彼女に対して最上級の好意を示してくれるようになる。木ノ内は女性にだらしないと同僚から聞いていた和子であったが、彼の攻勢に対して徐々に心を開き始め、遂に男女の仲となった。しかし、幸福だったのも束の間、木ノ内の周囲には別の女性の影が見え隠れするようになる。その不安から和子は自分のコンプレックスとなっている容貌に手を付けることを決心した。最初は小さな美容整形手術だった。しかし木ノ内が離れてゆくことに焦り、更に木ノ内が自分の知る別の女性と結婚することを知ったことから、両親から巨額の費用を引き出し、誰もが振り返るような美人顔へと変身を遂げた。ただ、残念なことに木ノ内はあまり和子の顔の変貌に興味を示さなかった一方、今まででは絶対考えられなかった大企業に就職が決まるなど、和子の人生は確実に変化をはじめていた。

「小説家になる」ではなく「小説家が生まれる」ということ。その根っこの情念が丁寧に描き出される……
 書店で平積みになっていた本書に作者の言葉によるPOPがあった。「憑かれたように書きました」 恐らくその気持ち は偽りのないものなのではないか。女流小説家の一生だとか、ベストセラーが産まれる経緯であるとか、物語の表層で表現されている事柄、出来事を通じて、その裏側に「一人の人間」の魂の彷徨が感じられる。彼女の「魂の苦しみ」「魂の安らぎ」を普通に文章で綴っていった結果、奥行きの深いスリリングな物語ができあがってしまった――という印象だ。
 主人公はスタイルは抜群に良く頭も悪くないものの、容貌には恵まれなかった後藤和子。貫井氏は本書の前作にあたる『灰色の虹』においても、顔に痣のある青年を主人公に据えており、あえて容貌をマイナス方向に持ってゆくことで人間性や本質について深く切り込もうとしているようだ。
 物語の冒頭部分における意外感はそうない。ひとつ、若手青年実業家の木ノ内が、醜貌にもかかわらず後藤和子に対して、遊びではない愛情を注ぐところくらいか。ここからの化学反応の描写が、さりげなく自然な展開ながら緻密で隙がないのだ。もともと和子のなかに存在する根強い人間不信、愛情への戸惑い、一旦満たされることでより強い飢えを感じる人間の本性、自らの容貌について両親に対する不満、友人と思っていた人間の本音……。木ノ内との幸福なエピソードを積み重ねてゆく。しかし、ある意味読者の予想通りに、「あるポイント」で彼女の幸福は突き崩されてしまう訳だが。
 この序盤から中盤、そして終盤に至るまで、本書を広義のミステリーとして読むならば、キーポイントになるのは 「木ノ内の態度・考え方」にある。これまでも本書のように醜貌の女性が整形によって美女になるというテーマの作品は読んだことがあるが、基本的には復讐譚が多い。かつて男たちから受けた仕打ちを美女になって倍返しするといった内容だ。恐らく本書で最も成功しているのは、最も関心を引きたい男が、本当に顔の美醜にこだわっていないという設定だろう。
 この常識外れの男性の感覚は、最も彼から愛されたい和子ですら本当の意味で「視えていない」。結果生まれる意外性が、驚くほど効果的に物語のスパイスになっている。先に述べたように序盤のサプライズを生み出すのは木ノ内の態度ということになると、物語を中盤、終盤までコントロールするのもまた、木ノ内の生き方ということになるのだ。後藤和子の物語でありながら、その裏側に木之内徹の人生が確固として存在しており、むしろ和子は触媒で木之内の生き方にも個人的にはインパクトを感じた。

 主人公・後藤和子=咲良怜花の考え方は、実は平易で分かりやすい。が、木ノ内徹という人物の飄飄として見えて実は、様々な計算・打算があり、かつ本当の意味で顔の肉付きを気にしないという彼の考え方自体がミステリーを為している。(主人公はあくまで和子だが、彼女が引き立つのはあくまで相方としての木ノ内がいてこそなのだ)。
 自己からはみ出た感情を原稿用紙に記すようになった咲良怜花。デビューしても整ったワンパターンの物語ばかり書いていた。その彼女がなぜ傑作を得られるようになったのか。貫井氏と咲良怜花を重ね合わせるのは野暮だが、このあたりから創作秘話やゴシップめいたエピソード、さらに出版業界内情暴露といった部分が目立つようになる。ただ、怜花自身が俗世から超越した感覚を持っているだけに、生臭さがあまり感じられない。編集者に襲われたり若手編集者を喰ったり人気イケメン作家と浮き名を流したりといいった場面もあるものの、これが「咲良怜花」の問題であり、「後藤和子」の本質とは無縁であることがこちらにも伝わってくるからか。
 ちなみに、咲良怜花、単一作家がモデルではないと思うけれども、内面はとにかく業績や行動については複数の女性作家の「部分」が混じり合って構成しているように見受けられる。複数人の名前が浮かぶがそれが当たりでも外れでも差し障るので名前は挙げないよ。

 最後に。未読の方の興を削がないようぼかして書くと、咲良怜花の作品執筆の大きなモチベーションになっているのは木ノ内徹の存在。彼女が二度の結婚を経てなお怜花は選ばれなかった。それでも小説は書き続け、むしろとんでもない傑作を何冊も上梓していた。――その、彼女のモチベーションが喪われる時が断筆のタイミングとなる。ここまでは予見していた。そして、断筆の理由が明かされた時。やはりこの作品全体が「壮絶なラブレター」であることにも気付かされるのだ。得心するという感触。肩の荷が下りる感覚。そういった印象だった。

 正直なところ、咲良怜花の物語に一応の結末がついたあと、そのまま引き続いて(もう忘れていたような)冒頭の編集者の話になること、都合の良い彼女の最期といったところ、このエピローグ自体に若干余剰めいた、だらっとした印象を持ちかけていた。ただ、本当の最後の最後に一枚の写真の描写が入るところ。
 ここで先の不満は氷解する。長編一冊、まるまるが本当に恋愛小説でもあったことを言葉ではなく、感覚にて止めを刺された。


12/04/04
逢空万太「這いよれ! ニャル子さん6」(GA文庫'10)

 気付くとアニメ放送も既に終了。もの凄い勢いでクトゥルー関連用語がポピュラーになったのではないかと思うこの春でした。(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!

 真尋の母親が戻ってきたというのにすっかり八坂家に居着いてしまったニャル子、クー子、ハス太、そしてシャンタッ君。彼女たちが当たり前のようにリビングを占領している状態に業を煮やした真尋は、亜空間を使用した自室作りを強制的にニャル子たちに開始させた。ほどなく、それぞれが物置部屋の扉からチャンネルを切り替えると繋がる空間を自分仕様の部屋していた。八尋の抜き打ち検査によると、意外と普通の部屋を作っていたハス太、部屋全体がニャル子仕様となっているクー子の部屋、これまた意外と普通、だけどその本質は真尋との愛の巣だというニャル子の部屋、とまあ三人がそれぞれ。何のかんのでいつものような賑やかで騒々しい毎日が再開されるところであった。そんななか、クー子の携帯電話に誰かからの電話が着信する。みるみるうちに様子がおかしくなるクー子。どうやら惑星保護機構の上司から連絡があったらしい。中途採用、しかも縁故採用のクー子に対し、監察官が訪れるのだという。もちろん視察対象はクー子一人。しかしクー子のよると「視察は口実」らしい。やってきた女性は思いきり縁者、クー子の従姉のクー音だった。クー子のことを心から、そして幼い頃から愛する彼女は、お見合いを勧めまくった挙げ句、クー子は自分と結婚すると言い出し、それをクー子が拒否するや「好きな人がいるんだな?」と脅迫。しかしクー子がニャル子のこ とが好きだと正直に告白するのは種族的に大問題。困ったクー子が好きだといって挙げたのは、なんと人間の男性だった(へへ、誰のことだか分からないようにしてみた)!

大いなるなりワンパターン、もはや判る人にしか判らない数々のネタが楽しい
 なんというか、ライトノベルとして安定した領域にある──。 感じ。
 というのも、この六冊目、クー子の”姉”という新しいキャラクタが登場するところまではある程度新しいものの、やはりというか当然というか、その姉がこれまでの登場人物(主に宇宙人だけど)と同様に「変態」なのだ。とはいってもラノベレーベルの変態であるからして、まあ、なんというか、その、特殊性癖ではあるもののマニアックであまり害が無い(当事者以外には、もちろん)タイプである。ただ、身内にいたらこれほど困った存在はないだろう。しかも権力持ち。
 そこで、既存住人である真尋やニャル子やハス太が協力して彼女を謀ろうと、まあ、そんな話。展開には既視感、登場人物もまあ、安定の変態(大事なことなので二度繰り返してみた)、そして必要十分条件を満たすのは、どこまで読者の共感を求めようとしているのか判らない、ちりばめられた小ネタの数々。ほんっっと、感心する。

 第三章、章題が『エンジテミル』。なにゆえ米沢穂信氏のパロディとこんなところで出会うのだろう?
 ニャルラトホテプが手持ちの札をこちらに向けてくる。八割方ジョーカーだった。
 『サイクロン!』「ジョーカー!」『サイクロン!』「ジョーカー!」これだけでも普通におかしいんだが、『サイクロン!』『サァイクロンッ!』『ジョーカー!』『ジョォカァァァッ!』 ここは茶吹いた。
 「……SAN値下がって(つかれ)るのかな、僕」 →ルビ打ちが絶妙
 「……HICニャル子フィギュア」「何の略だ」「ハイパー・イアイア・クトゥルー」
  クトゥルー邪神群を端的に表す漢字四文字を思いついた。全員変態。これしかない。
 胃腸胸焼けにハスター10。「うん、お前ら宇宙人にはいいと思うけど間違っても僕に使うなよ」
 「……それに」「あ?」「……少年なら、別に構わない」「……っ!」

 なんというかクー子の天然の反応に味わい深さを感じる今日この頃であります。ストーリーと、ツボに入ったネタ以外はあまり覚えていないという、何というか、恐ろしい子! (違う)。


12/04/03
石持浅海「トラップ・ハウス」(光文社'12)

 石持浅海氏によるノンシリーズ、書き下ろし長編作品。

 文京区にある東京流通大学の四年生である本橋らは、就職も決まり、ある理由で仲良くなっているクラスメイト十人で卒業旅行に行くことになった。幹事役の古木がバイクで先行、残り九人の男女は車2台に分乗して、秩父長瀞にあるリゾート地へと向かった。到着後にバーベキューをするため、昼前に到着した彼らは管理事務所に寄って古木の到着を確認したあと、宿泊に使用するトレーラーハウスへと向かった。大型トレーラーを改造した宿泊施設で、内部にベッドやキッチンなどがあり、ベッドもソファや椅子も使用すれば十人が寝ることができるというものだ。外側にはバーベキューに丁度良いウッドデッキも拡がっている。全員がトレーラーハウスに入ったところで古木と連絡を取ろうとするが携帯が繋がらない。車に積んだビールを取りに行こうとすると、どこかで目覚ましが鳴った。キッチンにあった目覚ましの側には謎のメモが。文面は、本橋たちへの卒業の祝福と、君たちはここから出られない、という謎めいた予言だった。更にソファに腰掛けたメンバーの一人、大柄な木戸が突然倒れた。呼吸をしておらず、心臓が止まっている。慌てたメンバーは外に飛び出そうとするが、扉は内側から開かないようノブに細工がされ、窓も開けられないようになっていた。さらに窓はガラスではなく樹脂製らしく割ることが出来ない。さらに至るところに画鋲が仕掛けられている。果たして犯人の狙いは。そして犯人は?

着眼点が珍しい新しいクローズドサークルと目的を見せないスリリングな展開が奇妙にマッチ
 石持浅海さんらしい、といってしまうとそれまでなのだけれど、舞台設定が珍しく、かつ「現実にもあり得る」なところがまず面白い。 トレーラーハウスそのものに生活するというのは、普通の日本人ではそう体験は出来ないだろうけれど、こういったリゾート地に宿舎代わりに設置されてしまうというのは「あり」だろう。(どうでもいいけれど、二十年以上前、カラオケボックスという存在が生まれたころ、貨物用コンテナがそのまま流用されていたことを少し思い出した)。宿泊施設として十名近くが使用。アメニティはあまり良くないだろうから、利用するのはもっぱら少人数の家族、そして学生たち……ということで、そこに訪れるのが学生十名というのももまた「あり」の延長なのだ。
 そのトレーラーハウスが人為的な方法によって密室にされ、内側から脱出不可能な状態になる──、それだけであれば普通の館ものミステリと変わらない。ただいかんせん「狭い」。誰かが誰かを、自分の痕跡を残さず殺害するとった芸当はスペース的にまず無理。だけど早々に一人目が殺害され、残りのメンバーも地味ながら効果的な手段により少しずつ怪我を負う。そう、犯人が何をさせたくてこういった意地悪な状況を作り出しているのかが、当事者はもちろん読者にも判らないのだ。 一応、プロローグで他のメンバーが知らない悲劇的場面の描写があるのだが、それが何を意味するのか中盤まではさっぱり物語と繋がらないし、結局のところ犯人が想定できても、そもそも目的が判らないため、読んでいるこちらもまた不安なままページをめくることになる。密室を利用しての強烈なサスペンス喚起。
 これもまた石持浅海氏らしい──ということになるのが中盤以降の展開。この密室を脱出する方法を検討するのではなく、中に残った生き残りメンバーは、犯人が残したメモにある「謎」への「謎解き」を開始する。状況、発言。細かな情報を整理して論理的な推論が重なることで、二年前に起きた事件の見え方が変化してゆく。この議論の詰め方、ぶつけ合い方は本格ミステリの醍醐味である。(ただ、議論の対象が”こっち”なのは意外ではあった) つまり密室や意地悪状況といった困ったことを一旦捨象して、遠回りのネタに思える事柄を謎解きの対象としてしまう。(もちろん密室は密室の意味があるので不要という意味ではないですよ)。小さな振り幅でありながら、その振れる方向性の意外性の作り方が巧い。で、そしてまたこれも相変わらず。

 新しい密室、いつもの議論。動機は多少無理筋もあるけれど理解の範囲。なんというか、いつの間にか石持氏の手の上で踊らされていた、読み終わるにどこかそんな気分のする作品。読了して想起したのは岡嶋二人後期のある有名作品だけれど、名前を挙げた瞬間にネタバレになるような気がするので題名は控える。携帯電話がある時代、いろいろとこのテーマも難しいところもあるなか、「良くやった!」といえるのではないでしょうか。


12/04/02
古川日出男「ドッグマザー」(新潮社'12)

 三部作形式になっており、冒頭から順に「冬」が『新潮』二〇一〇年七月号、「疾風怒濤」が同二〇一一年二月号、「二度目の夏に至る」が同二〇一二年二月号に掲載されている。視点人物は変更されているが、世界としては『ゴッドスター』と重なっている。

 東京の湾岸地区にいた”僕”は、養父である偉大なる家なしメージの遺骨を抱いて、ヒッチハイクで京都へとやってきた。お供として連れているのは博文という名を持つ老犬。メージの遺骨を埋めるのは明治天皇の伏見桃山陵。様々な警戒をかいくぐって実行したあと、正確なIDはないが一応二十歳となっている僕は、知り合いの知り合いの伝手で六地蔵で女に拾われる。彼女と念入りに僕は性交をする。そして面接を経て鉄板焼き中心の飲食店に住み込みで勤め始める。その鉄板焼き屋は昼間は普通に営業をしているのだが、裏の営業時間になると数多くのテレビの電源が入り、一種の賭博場として活動が開始される。僕は表の時間も、裏の時間も従業員として働く。そこでまたいろいろな人と知り合う。賭け金の回収、当選金の支払い。アンディという上得意の家で行われていたパーティで、六地蔵の女とまた巡り会い、僕は念入りに性交する。乱交もする。その場面が写真家によって撮影され、元々整った顔立ちをしている僕は無駄のない筋肉を付けるためジムへ通い、写眞を撮影され、商品になる。女性のもとへと送り込まれ、サービスを行い、アンディを通じて金品を受け取る。僕の商品価値は少しずつ高まり、僕自身は具体的なことは判らないまま、特殊な事情を抱える女性の相手をいつの間にか引き受けていた。京都。そして。

疾走から地に足をつけて根を張っての展開へ。京の都が意外な角度から観察されている
 相変わらず、どのような展開をみせてくれるのか、一ページ先は闇というストーリー展開。読み終わって俯瞰することでみえてくるのは、僕(カリヲ?)が東京から京都を訪れ、この地で養父であったメージからの教えを理解しながらその野望に近づいてゆく、展開というところか。直接的にネタバレになるので転記は避けるが、本書の最後の一行に書かれた言葉が強烈で、本書の展開や僕の行動原理は、その一行を達成するための道のりであると理解できる。また、そこでさまざまな補助線が浮かんできて、読んでいるあいだより、読み終わった後にすっきりした印象に変わっている。
 もう一つ特徴的だったのは、ポルノグラフィと見まがうばかりに丁寧に書き込まれた性交場面。都合三回? だったか、描写力だけではなく人間に生じる感覚を活字にうつすことに長けた著者によるもの、非常に(良い意味で)ぐちゃぐちゃのえろえろになっていた。びっくりした。この濃厚なセックス描写から人間の根源的な何かが感じられ、それがまた長い歴史を持つ京都のイメージと繋がる(ような気がした)。
 当然想像のうえで表現されているのだと思うのだが、”お金持ちでアンダーグラウンド”が多数登場、その行動や舞台がいちいち格好良い。賭博、宗教、セックス。力を持つ者がその力を行使したり、見せつけたり。平凡な読者の立場からすると非日常。だけど日本のどこかにこのような世界が本当にあるのか。細かな描写でしないのだけれど、想像力を刺激される。
 名前の有無や各登場人物と僕との関係性など、様々な暗喩とかありそうだけれど、さすがにそこまで丁寧に読み取れていない。また、京都の地形などや地名など(更に京都南インターだとか)について古川氏らしい考察や観察結果が物語内部に配置されているが、個人的印象ながらこれまでの作品で東京で考察されてきたもろもろに比べると若干パワーが足りないように感じられた。

 もともと様々なことを”学ぶ”存在でもあった僕。なので、京都弁の言葉の響きがうまく漢字に変換できなかったり、方言の意味が分からなかったりする。が、中途半端に学校生活は送らず(というより未就学だ)、路上の大学を卒業しているだけのことはあり、生きるための力(嗅覚でもある)、本質を観察する力は非常に高い。 その結果、知っている言葉ですら新たに「発見」されるのだ。これは本書に限らず、古川氏の作品を読みながら常に感じることなのだが、見慣れた存在であっても新たな角度から眺めることで全くこれまで感じたことのない体験を読書から得ることができる。これまでの京都、これからの京都。また少し、違う見方を得ることができたかもしれない。


12/04/01
獅子宮敏彦「君の館で惨劇を」(南雲堂'12)

 南雲堂が「島田荘司/二階堂黎人 監修」の看板で開始したレーベルが「本格ミステリーワールドスペシャル」。これまで門前典之『灰王家の怪人』、小島正樹『龍の寺の晒し首』の二冊が刊行されている。本書も書き下ろしとなる第三弾。

 テレビや映画で人口に膾炙している「横溝正史」「江戸川乱歩」ではなく、原作に記されていた通り忠実に殺人現場や死体の様子を描いた絵。その絵がミステリマニアを中心にカルト的な人気を誇るようになった画家・幻城戯賀。彼は自ら描いた絵を手放さず、三重県の不便な山奥に立てられた幻城の個人美術館でしかその絵を見ることが叶わないとされている。しかし、デビューしたての本格ミステリ作家・三神悠也のもとに「本格マニア」を名乗る人物から「女王蜂降臨」の日時情報が記載のメールが届き、同じく本格作家の白縫乙哉にもまた同じメールが届いた。二人は幻城戯賀美術館を訪れ、画を堪能、そしてその日に美術館を訪れていた「女王蜂」なみの美貌を誇る天綬麗火の姿を見る。彼女はまだ二十一歳ながら日本有数の大富豪・天綬在正と結婚していた。思いがけず、彼らは彼女と口をきく機会を得、悠也は麗火から手作りのコサージュをプレゼントされた。──それから二年九ヶ月が経過した。悠也は「ダーク探偵」と共に再び幻城美術館を訪れる。決して表に出てこない事柄ながら、世間には上流階級の事件を人知れず解決する「ダーク探偵」という存在がおり、しかもそのワトソン役には毎回別のミステリ作家が指名されるのだという。ミステリ作家たちは間近で現実の事件をみることで、新たな本格ミステリを世の中に生み出しているらしい。彼らの今回の依頼人こそが天綬在正で、彼のもとに謎の人物からの脅迫状が届いているというのだ。怪しい館に怪しげな雰囲気、本格ミステリらしい状況のなかで、殺人劇が開始された。

わけがわからないよ。
 ミステリとしてのトリックそのほか理解はするけれど、これを面白がる人間があまりに多いようなら、本格というジャンルのむしろ終焉だとも思うなあ。
 乱歩の作品を現実的に模した形での殺人。正史の作品を原作に忠実に再現したかのような殺人。それらが、クローズド・サークルとなった洋館で起こっていく。その中で翻弄される主人公の三神。そして、傲岸不遜なダーク探偵。序盤の関係者の紹介部分がもたもたしているので、実際に物語が展開されるのは、中盤以降。そこからは良くも悪くもそんな感じで進んでいる。あえてそうしていると思しき大時代的な雰囲気、乱歩の時代からの狂気の代名詞である「お金持ちが自分の楽しみのために創った」という館、不可能状況下の美しい死体。古今のさまざまな作品(ネタバレに至る作品は少ないものの)の題名が飛び交う、メタ的な物語。
 道具仕立てであるとか、雰囲気「そのもの」は否定しない。ただ自分が年を取ったのか、本書のポイントでもある、推理小説マニアが湯水のように費用を用いて推理小説の複数の名場面を再現した大邸宅という設定が読んでいてキツく感じられようになった。横溝の各作品にせよ、乱歩の作品にせよ、劇場めいた妖しい雰囲気や、どろどろとした因習に満ちた村落などの背景は、ミステリとしての人工性以前に物語の舞台とされた時代・風俗と密接な関係があった訳で。携帯電話が使える時代の現代人が、わざわざ場面を3Dで再現するという一種の狂気は、受け取ろうにも持て余してしまう。

 そしてミステリとしての本書。この犯人・トリックに納得できない訳ではないのだが。でも、なんというか本格ミステリというのは「実際に行うことが出来ないからこそ、想像力を駆使して頭のなかに思い描く」というものであって、(都の条例の対象になる青少年なんたらもある意味似たようなもんだ)、実際にやってしまうのは単なる小汚く狂った犯罪者でしかなく、知的遊戯の相手にはならないと思うのだ。そのラインをいろいろな意味で一歩踏み込んでいる本書、もしろんその部分も含めフィクションなのだけれど、本来本格ミステリが向かうはずの、尖った方向性とは全く違う方向に踏み込んでいるような気がしてならない。

 もうひとつ、獅子宮敏彦さんてこんなに文章が下手だったっけか? というのが実は読み始めてすぐの感想。国産推理小説、乱歩正史彬光鮎川といった古典に類する作品の多くが下敷きというか、説明として入っており、歌野三津田倉阪といった近年の本格ミステリについても言及があるという、マニア泣かせの展開。(ただ裏を返せばマニア以外に対してはネタばれ寸前の(一部にはネタバレの)説明が多数あるということでもあり、厳しい作品であるともいえるだろう。