MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/04/30
福田和代「特殊警備隊 ブラックホーク」(幻冬舎'12)

 女性ながら硬派冒険小説の書き手として認知度を高めている福田和代さんのノンシリーズ長編作品。『パピルス』二〇一〇年六月号から二〇一二年二月号にかけて掲載された作品を大幅に加筆修正したもの。

 西暦二〇××年、日本における凶悪犯罪の組織化、多様化に伴い、日本政府は民間警備員にも犯罪者同等の武器携帯を許す法律を作成していた。日本でボクサーだった最上は、ある事件の結果日本を脱出、タイの底辺層で賭けキックボクシングの試合に出場していたがスカウトされ、警備会社ブラックホークの警備課長・須藤にスカウトされ、特殊警備隊に新人として配属された。特殊警備隊は警備課長直属の精鋭部隊であり、ブラックホークへの依頼のなかでも重要人物・最重要VIPの警護が主な業務である。女性隊長の妹尾の部隊での、最上の最初の業務は競争力を失って久しい日本の産業のなかでもまだ世界と戦うことの出来るロボット開発会社グッドフェロー社の山野辺博士の身辺警護だった。博士は新型ロボット・カイザーXの完成に向けて多忙を極めていたが、世界中を揺るがすテロリスト集団・空牙(クーガ)に狙われているようなのだ。彼の他、新世代の携帯端末を開発した米国のカリスマ社長、クーガから脅迫を受けた東都重工業の社長、自由民権党の幹事長など、警護対象者(プリンシパル)は癖のある人物ばかりであった。

推定される未来のリアルとフィクショナルなストーリーとのマッチング
 まず目を引くのはその設定だろう。現在の(日本の)治安が年を重ねるにつれ悪化していることは誰の目にも明らかだし、警備業そのものは着々とその業務の幅を拡げていることは周知の通り。今後、持つ者が持たざる者、悪意ある者に狙われるという事態が過激化することもリアルに予想がつく。更に作中の自動車産業の斜陽化(これが起きる時は部品産業の衰退も意味するので、ロボット産業が生き残れるとも思えないが)あたりは、シナリオとしてはあり得る話。もちろん各企業はそうならないよう知恵を絞っているのだが(急に当事者)。おっと、だがもちろん少子高齢化+機械事業という意味では介護ロボットは注目産業。日本のように移民を嫌がりながら介護を求める都合の良い国は、最終的に人手を機械に求めざるを得ないから。こういった現在の日本の状況を冷徹な視点で見通したうえで、着々と想像される世界設定を創る手腕は見事だといえる。
 そういったリアルな将来が感じられる一方で、物語上で主人公たちとの対立軸となるテロリスト集団、さらにその名前が「空牙(クーガ)」であるとか、その幹部と主人公とが過去に運命的な繋がりがあるとか、その他、登場人物の属性や関係性においては良くいうとフィクショナル、語弊を恐れずいうと作り物めきすぎているような印象を受けた。本書自体がフィクションであることはもちろんで、そうである以上ご都合主義は当たり前ながら、展開を劇的にしようとするがあまりに、人間関係の方がいわゆる「ベタな設定」になってしまっている点は多少気になった。
 とはいっても、個々の作品におけるストーリー展開に手抜きはない。警備員という職業である以上、警護対象が尊敬できない人物であっても護ることが仕事、さらには良い人であれば尚更丁寧に仕事をしたくなるのが人情。パーム社のCEO・アレキサンダー・ボーン社長の警護では、細かな対象の癖にいろいろと伏線を仕込んであり、結末の人情譚に至るまでうまく作り込んでいる。東都重工業株式会社社長の警護は、まさに尊敬できないプリンシパル。防衛関連に詳しい著者ならではの「濃さ」でもある印象で、物語としてもきっちりまとまっている。

 読み終わってみると、設定のかっちりした部分と、展開のある程度アバウトながら勢いよく突っ走ってしまう部分とが、うまくマッチングされてしまっている印象。 多少テーマの割に軽い感もあるが、その分は「情」が濃いところに使われているようだ。個々の物語としての満足度は高いうえ、人間関係を中心に積み残されているようにみえる伏線も多く、続編が期待できそうな作品である。

 
12/04/29
竹本健治「かくも水深き不在」(新潮社'12)

 『小説新潮』二〇一一年八月号掲載の「鬼ごっこ」、同二〇一一年三月号掲載の「恐い映像」、同二〇一二年二月号「零点透視の誘拐」に新潮ケータイ文庫DXに二〇一一年九月二〇日から一一月二日にかけて連載された「花の軛」の四作に、書き下ろしとなる「舞台劇を成立させるのは人でなく照明である」が加えられた連作短編集。

 僕たち六人が探検と称して入りこんだ廃墟となっている巨大な洋館。しかし手分けして探検をしているうちに館から出ることが出来なくなり、メンバーが一人ずつ消えてゆく。 『鬼ごっこ』
 平凡な日常のなかテレビを観ていて突然感じた理由無き恐怖。どうやらあるCMに映る場面に関係があるようで、僕がその地を実際に訪れてみることにする。そこである女性と知り合って現場に向かうが……。 『恐い映像』
 通勤途上にある花屋に勤める美人店員・江梨香。眺めるだけだった彼女と知り合いになり、仲良くなってゆき僕は上機嫌。時折訪れる八つ年下の高校生の妹・紗季にもその状態は丸わかりだが、彼女は江梨香が見たままの女性ではないと看破する。 『花の軛』
 人気芸能人・山路ふうまの娘が誘拐され、身代金三億円が要求された。身代金は用意され、犯人は周到な準備をもとに警察をあざ笑うかのように翻弄するが、あるところでぷっつりとその消息を絶ち、更に娘は犯人こそ不明なものの、生還を果たした。果たして事件の背景にはいかなり目論見が……。 『零点透視の誘拐』
 全く異なると思われるここまでの物語。その物語が一つに繋げられてゆく──。 『舞台劇を成功させるのは人でなく照明である』 以上五編。

竹本流・イマジネーションホラーとミステリとの独特ハイブリッド
 個々の作品における設定や展開におけるイマジネーション、つまりはベースとなるアイデアが独特。それぞれしっかりとミステリでありながら、同時にホラーでありながら、どちらにも属さず、更にその境界線上にあるかというとそうでも無いという、説明の難しい「竹本健治」ならではの世界観としかいえない環境下で個々の物語が綴られているのだ。ミステリとしての解釈も可能、ホラーとしての楽しみ方も可能。どちらにも属し、どちらか単独では存在し得ない境地。ただ、強いてどちらかというならばやはりホラー寄りではある印象。
 一見ノンシリーズの作品群。ただ本作品集のどの作品にも心療内科・精神科医として天野なる人物が登場している。とはいっても語り手に近かったり、単に登場する医者としてだったりと、それぞれにおける関わり方は物語によって様々だ。そういう意味では「さりげない天野連作」なのかなー、と思わせつつ最後の作品にて、一連の物語の真実を読者に明かす趣向が加わる。(但しこの部分は想像出来る範囲内というか、まあ「そうくるか」という感じで物語上の意外性は少ない。作者の狙いもそういったサプライズというよりも、作品全体の調和、ないし物語個々の余韻を統一しようといった意図にあるのではないかと思われる)。
 注目すべきは全体の趣向というよりもむしろ「個」の作品の持つ破壊力だ。冒頭に来る『鬼ごっこ』。迷い込んだ洋館内部においての幻想感覚に加え、下手なホラー映画より遙かに恐怖のイマジネーションが刺激されるラストシーンの衝撃が印象的だ。また『恐い映像』では、物語がイマジネーションからスタートし、ご都合主義的な展開の裏側が見せられる場面に嫌な感覚が立ち上ってくる。『花の軛』における語り手=読者の、「ああ、やっちまった」感覚、『零点透視の誘拐』のミステリ的超絶意外性など、どれも実に個性的でかつ竹本健治的なのだ。正直、トータルとしての作品集の印象よりも、個の作品の題名を挙げて語りたくなるタイプの作品集である。

 竹本ファンであればもちろんお勧めということになるのだろうが、ホラー小説がお好きな方にも本作はお勧め。小生は具体的に判っていないまでも、様々なホラー映画などのモチーフも用いられているように感じられた。ベストなどには挙がりにくいかもしれないが、読者の印象にはずしっと残る作品集である。


12/04/28
西崎 憲「飛行士と東京の雨の森」(筑摩書房'12)

 七編から成る短編集であるが、『文学界』二〇〇四年五月号に掲載され、大幅に加筆修正されたという「理想的な月の写真」以外の六編は全て書き下ろしという、近年では比較的珍しい発表形態となっている。(普通は発表済が六編、書き下ろし一編とかだ)。このかたちで刊行に踏み切った版元にも合わせて敬意を表したい。西崎さんの作品が一つでも多く読めるのは幸せなこと。

 音楽プロデューサーのわたしを訪ねてきた老紳士は、二千万円でCDを新作して欲しいという。自殺した娘が好きだっもの十種類から十の音楽を製作する仕事。わたしは手がかりごとに旅をし、空想を巡らせ、本を読み、会ったこともない娘のことを想い、音楽を創ってゆく。 『理想的な月の写真』
 古本屋で入手したウェールズの航空に関するエッセイから導かれた、かつて海を渡って日本を目指した、日本人の父親を持つ女の子・ノーナの物語。 『飛行士と東京の雨の森』
 都市に向かって高速を走る男、郊外に向かって高速を走る女。三年後二人は結婚するのだが、今はそのことを二人とも知らない。 『都市と郊外』
 父母が亡くなり、入院を経て精神的な理由から仕事を続けられなくなったテツオ。無意識の危機感からカメラを買い、街歩きをしながら撮影をする。寂れた場所、淋しい場所。 『淋しい場所』
 子どもの頃に見た天井から下がっている白い紐の記憶。その光景が何を意味していたのか、大人になった男は知ってしまう。 『紐』
 かつて有名バンドのギターをしていたイケ。しかし人気と実力は他メンバーが持っており、自分はバンドを止めてしまう。その後、本屋でアルバイトをしながら、ゆっくりとまた音楽が趣味の人間たちと関わってゆく。 『ソフトロック熱』
 義母が亡くなって五箇月。夏のはじめのある日、芙巳子は奴隷を買うことを思い立った。この世界では大きな家では奴隷を家に置くことは珍しくなかった。 『奴隷』 以上七編。

どれも美しくキレイでいながら、どこか淋しく、静かで、そして大きな物語たち
 すみません。先に書いておきますが、専門がエンタメ系なもので本作品集のスタイルや個々の形式に文学的な先例や類型などがあったとしても言及できません。
 とはいっても『理想的な月の写真』の物語運びは、ミステリ、それもどこか探偵ものハードボイルドのような展開を思わせるもので、とてもスリリング。紡ぎ上げるものが音楽、しかも受け取り手は亡くなっているとなるといくらでも手抜きもずるも出来そうなのに、ストイックに仕事に向き合う「わたし」の姿がどこか格好良い(格好悪い台詞も含め)。またその思考過程も読者に晒しているのだが、その論理的で緻密な展開にも驚かされた。
 更に終盤、「世界はこわいものではないということ」について主人公が思索を巡らせた結果、不可知なものと人間がダンスを踊り、それを楽しまなければならないといった結論に至る部分がある。唸った。というか、この一節が発する「不可知な感覚」がどこか自分の心の底をがっつり握って行きましたよ。たぶん、そういうことなんだろうな──、と読んで感じた。あと、缶コーヒーを飲むという行為は空を見上げるという行為に繋がる(大意)という描写、ここも大好きだ。ラストの主人公の台詞も良い。この宙づり感によって、物語が心の中に展翅され、ピンで刺し止められるような気がした。
『飛行士と東京の森』はノーラの行動力に物語の力が込められている印象。物語の本筋に至るまでのアプローチの方法が心に残る。他のやり方もありそうでありながら、古書店での偶然の出会いというパターンはある意味陳腐でありながら、それはそれで空気を醸成するためには「あり」だと思うのだ。

 『奴隷』がちょっとユニークで、多少コミカルなところもある。ただ、全体を通じてぼんやりと頭に浮かんだのは、緩慢で静謐な滅びへの道行きという言葉。文体も計算されており、登場人物の動き、物語のリズムといったところも丁寧に構成されていて、まず読みやすい。それでいて物語の奥行きが深いのだ。その結果、雑音というか雑味のないシンプルで深い物語となっている。とはいえ何か「寂しさ」のような不可知の感情が、物語に通底しているようにみえる。(少なくとも小生はそう受け止めた)。個人的な寂しさというよりも、世の中全体が淋しいという感じ。うまく言葉に変換できないのだが、それこそ本書にもあるように、その見えないものを感じるために読書という行為があると、そういうことではないだろうか。ひと言でいうと、上質な物語集、である。


12/04/27
鯨統一郎「タンタンの事件ファイル 横浜「佐藤さん」殺人事件」(小学館文庫'12)

 鯨統一郎氏+小学館文庫というコラボでは、いわゆる「繰り返しパターン蘊蓄」が特徴的なマグレ警部シリーズが三冊刊行されているが、本書はまた全く別のシリーズの(恐らくは)端緒となる作品。文庫書き下ろし。

 日本中から浮気をなくすことを夢見る二十六歳の岸翔太は、横浜中華街に探偵事務所を開いていた。その名も「たんぽぽ探偵事務所」。そこを訪ねてきた十八歳の鈴木海鈴(まりん)。事務所の名前を「タンタン」と勝手に訳し、気に入ったので雇って欲しいと言い出す。いきなりで混乱する翔太だったが、続いて事務所に刑事がやって来た。佐藤大和という人物が殺害された現場に翔太の名刺が落ちていたというのだ。そして現場に残された「藤」の文字。もちろん翔太に心当たりはない。続いて依頼者として事務所に来たのが佐藤優子なる人物「佐藤優子。次はお前の番だ」という脅迫状を受け取ったのだという。優子は一旦退去するのだが、横浜では佐藤みうなる女性が刺し殺される事件が発生。捜査線上には名前に藤がつく書道家・藤原紫火人と、新興宗教〈藤の和〉の教祖・丸藤藤丸が浮かぶ。佐藤ばかりが連続して殺害される事件が続いてゆくなか、犯人の狙いはどこにあるのか──。

軽く読める内容にして時事ネタユーモアたっぷり。それでいてミステリの趣向もまたきっちり。
 鯨氏が得意としているとされる連作短編の一連のシリーズに比べると、長編作品は話題になりにくい印象がある。とはいっても、込められた趣向であるとか、インパクトであるとかそれなりに大きく、話題性もある(例えば『ふたりのシンデレラ』という作品では、犯人探偵ワトソン等々で一人八役に挑戦しているとか)のだ。苦言ということではないが、鯨氏の描く登場人物の「軽さ」が、物語性を薄めてしまってきていたように思う。ところが本作は、その軽さが非常に良い方向に出ている。(容疑者関係は相変わらずではあるけれど)。
 本書の面白さのひとつは、岸翔太と鈴木海鈴というコンビの掛け合いにある。常識知らずの海鈴の受け答えが、嫌みなく面白く、頭の中で突っ込む翔太のタイミングも良い。彼女のボケも想定の斜め上から来るので素で面白いのだ。第三者をも巻き込んだ、その掛け合い漫才のようなやり取りが中心で物語が進むため、物語全体のバランスが彼らの「軽さ」と展開がうまくマッチして程良い読みやすさに仕上がっている。
 もう一つはミステリとしての強度がそれなりに高いこと。 鯨ファンの多くが本格的な本格ミステリファンではないように思うのだけれども、この「佐藤」連続殺人は「ABC殺人事件」ならぬ「AAA殺人事件」。佐藤さん尽くしの展開が、単なる陰謀や偶然といったつまらない理由ではなく、ミステリとして「これがやりたかった」という狙いが、読み終わるときっちり理解できるところがGOOD。多少周辺のレッドヘリングに関してはやっつけ感がなくもないが(宗教とか絡むとちょっとねぇ)、根っこの部分はかなり堅い。

 もう一点、作品の本質とは関係ないこと。

 本作、結構時事ネタというか、芸能界の人名であるとかネット用語であるとか、普通に「この瞬間」の出来事や言葉を多用している。実在の芸能関係ネタ、時事ネタがあまり使われることのない現在の文芸界を俯瞰するに、この手法はある意味ユニークな気がする。ゆずの北川と高島彩との結婚ネタであるとか、てへぺろとか。文庫書き下ろしという出版形態ゆえに、訂正する機会のないまま時間が経過する訳で、作者も覚悟の上かと思われる。三年後、五年後にこの作品を読んだ時にそのあたり、どんな時代ギャップが感じられるのだろう。永遠に読まれるにせよ(そうでないかもしれないにせよ)、「この瞬間」を刻み込んでおくという趣向に勇気を感じる。

 ちょっと持ち上げすぎたかもしれない。が、一冊読んでまずまず満足を覚えたことは間違いなく、鯨ファンであれば間違いなく満足できる水準にあるだろう。 あと、鈴木海鈴というキャラクタはかなりユニークではあるのだけれど、東子や煌子といったところと少し被るかな。


12/04/26
舞城王太郎「短篇五芒星」(講談社'12)

 『群像』3月号に短篇を一挙五編を発表、全てをまとめて「短篇五芒星」とした作品群の単行本化。異例のことではあるが、この短篇五編連作の形式がそのまま第147回芥川賞の候補(舞城氏としては三度目)作品となった。(受賞に至らず)。

 自分の実人生と全く関係が無いにかかわらず、やたら「流産」のことが気になってしまい、その気持ちに従うために彼女と別れ、人間関係も壊れてゆくという変な話。 『美しい馬の地』
 大人になって一緒に焼いた鮎でビールを飲んでいた筈のお姉ちゃんが、突然鮎の家に嫁いでしまう。段々姉のことを周囲が忘れてしまいそうになるなか、覚えているのは私の交際相手のみという変な話。 『アユの嫁』
 有名な怪談である四点リレー怪談を実際にやってみることになってしまい、しかし成立しない筈の四点リレーがなぜか成立してしまうという変な話。 『四点リレー怪談』
 癌にかかった元筋肉男・通称鍋うどんにバーベルとして持ち上げられた時、征一郎の人生は変わってしまった。人嫌いが高じてアメリカの田舎町に隠棲するという変な話。 『バーベル・ザ・バーバリアン』
 東京から福井に越してきた女子高生。地元では悪い箱と戦う女の子がいたが、私は恋をしたのでそれどころではない。ただ、その彼から適当にあしらわれてしまうという変な話。 『あうだうだう』 以上(当然)五編。

良くも悪くも舞城王太郎。テンションの波がそのまま小説になっているところとか
 あくまで私見だが舞城王太郎の文章というか作品というかは、緩急に差がある展開が多い。急のところは人間離れした突っ走り方を普通にさせておきながら、緩のところではあっさり常識人に戻したりキャラクタをあっさり退場させたり。良くいえば緩急なのだが、穿った見方をすると急で続けることに飽きちゃうのかな、とも思うのだ。ブレーキをかけるというのか。
 本書に収録の短篇五作、まずは相変わらずの舞城ワールド。福井県と調布市を中心とした物語作り、方言や無茶苦茶な人間関係、主人公の独特の感性。 当然、キャラクタ個別には差があるし、それぞれが独立して似ても似つかぬ作品であるのだけれど、トータルとしてはやっぱり舞城節といった要素で形成されている。
 その奇抜さが群を抜いて変態的(褒め言葉)なのが、凄いところ。 誰が普通に鮎と結婚したり、箱と戦う人間の話なんて思いつくかいな。また剛腕で、それを一つの物語のなかに組み込んでしまうところもやはり高い実力だと思う。ただ、そのテンションというか、実力がところどころで「ふっ」と途切れてしまうように見受けられるのだ。集中して読んでいた時に「え?」と思わせられる急展開を物語が迎える場面、急にテンポが上がるよりも下がるケースの方が多いと感じる。(具体的には本書だと「鮎」のラストとか「四点リレー」の説明とか)。本書でも何となく終盤に、普通に物語を「ま・と・め」としてしまっていたり、連載打ち切りがごとき「二行で切り上げ」ていたりするところなど、その感覚があった。まあ、ちょっと気になるという部分であり、あくまで緩急の緩という風に前向きに捉えることもできないことはない訳だ。

 個人的には「あうだうだう」の言葉の響きと、物語上におけるこの「怪異」の描写が非常に気に入っている。主人公の疑念の抱き方とセットになって、独特の雰囲気を醸し出していた。また、四点リレー怪談の真相(?)も舞城氏らしく、ちょっと笑わせていただいた。

 最近だとジョジョのパスティーシュを出したり、通常の意味でのエンターテインメントに徹することも出来る作家であることは間違いない。ただ、そういったところではみ出た着想やアイデアがこういった短篇にまとまっているのだとしたら、これはこれで「あり」のように思う。訳わからなさを面白いと思う感性が、それでも要求されるのだけれど。


12/04/25
中島 要「江戸の茶碗 まっくら長屋騒動記」(祥伝社'12)

 2008年「素見」で第2回小説宝石新人賞を受賞してデビューした中島さんの『刀圭』『ひやかし』『晦日の月』に続く四冊目となる連作短編集。『小説NON』誌平成二二年一一月号掲載の「江戸の茶碗」から平成二四年四月号「いじっぱり」までを不定期に発表、書き下ろしの「男と女の間」が加わって単行本となっている。

 芝神明にほど近い三島町の松蔵店(まっくらだな)と渾名される貧乏長屋の取り柄は唯一安いこと。この長屋のなかでも赤目勘兵衛なる浪人は日がな飲んだくれているが、どうもあちらこちらに顔が利くようだ。
 親が騙し取られた小間物屋を買い戻すべく日夜努力する兄妹。だが兄の方が一瞬の欲からこつこつためた二十両で価値のない茶碗を購入してしまう。 『江戸の茶碗』
 長屋の定吉は夜中に小便に起きた時に黒板塀の側に鬼の顔を目撃、それから小便を我慢しては寝小便をしてしまうようになり、手習いにも行けなくなってしまう。赤目勘兵衛は定吉に、その鬼についてある解釈を行う。 『寝小便小僧』
 薬種問屋の二代目・山城屋栄太郎は坊ちゃん育ち。店を継いでからも吉原で放蕩三昧、遂に家が傾き、番頭らの計らいで廻船問屋の行き遅れを嫁に貰うことで立て直しを図ることが決まるが、栄太郎は当然面白くない。 『遺言』
 松蔵店に住む按摩の梅次郎。彼が長屋で親しくしていた屑屋の彦兵衛の正体が、実は木綿問屋の大店のご隠居だったと知らされる。そのことが本当なのか梅次郎は勘兵衛に相談するのだが。 『真眼』
 松蔵店に住む籠かきの寅三と丑松。小男でお喋りと無口な大男のコンビはバランスが悪く籠かきにあまり向いていない。そんな彼らの駕籠に乗ったお嬢様。家の縁談が嫌で飛び出したらしいが、寅三は一計を案じる。 『嫁入り問答』
 定吉の母親で、料理屋で仲居をしているお今。長屋でも評判の良くない勘兵衛と息子の定吉が仲良くなっているようであまり面白くない。その定吉が誘拐され、お今は悪党からある仕事を強要される。 『いじっぱり』
 一件以来、勘兵衛とお今は互いに感謝しあいながらも、顔を合わせると悪口の言い合いになってしまう。そんな二人の関係を定吉はあきれ顔で見守っている。男女の仲は難しい。 『男と女の間』 以上七編。

気は強いけどお人好し、悪ぶっても根は善人。そんな江戸っ子の事件をほっこり描く
 貧乏長屋に住む人々の遭遇するちょっとした事件と、謎の人物・赤目勘兵衛を絡めて、山あり谷ありの人情譚として仕上げる。基本的にはこの形式が踏襲されており、松蔵店(まつくらだな)という長屋の住人が一周するだけの物語が描かれている。基本的な構成としては、別に珍しいものではないが、物語のバリエーションと強弱はこの方法を採用することで拡がり、強調されている。
 ポイントになるのは、この赤目勘兵衛という人物のもつ独特の面白みというか、魅力になるだろう。普段は酒飲みで働いている気配がないぐーたら男。(作中で、この人物の収入の一端については説明があり、妙に得心した)。そんな彼が、長屋の人間が困っている時に口や手を貸してくれ、トラブルが解決に導いてゆく。普段はだらけているが、やるときはやる、更に能力や人脈が凄まじく深い。(ちょっと違うかもしれないが、勘兵衛をみていて両津勘吉巡査長を思い出した)。貧乏であるが、能力的にはチートでもあり、情報網もかなり広く持っている模様。ユニークな探偵役としての役割をも果たす。口は悪いが、思い遣りは深い。うん、似ている。
 文体に癖がなく、まだ新人に近い作家の割に文章がこなれていて読みやすい点もプラス情報だろう。

 短編それぞれに起伏はあるものの、ミステリの要素は少ない。泣けるところまでゆかないものの、ほかほかした気持ちになるような結末が多い。また最後の一行でサゲ(落ち)をつけるなど、どこか落語的な感覚も作品から感じられる。江戸情緒溢れる作品世界で、温かな気持ちになることができる。そういう作品集。特に、登場人物では赤目勘兵衛の外伝(があるなら)は読んでゆきたい。


12/04/24
沼田まほかる「ユリゴコロ」(双葉社'11)

 沼田まほかるさんは1948年生まれ。『九月が永遠に続けば』で第5回ホラーサスペンス大賞を受賞、同作を含む著作がスマッシュヒットを続ける。本書は書き下ろし刊行で、第14回大藪春彦賞を受賞している。

 ペットを連れて集まることが出来るドッグランを備えた喫茶店を何とか軌道に乗せ、従業員で結婚を考える恋人の千絵がいる平穏で、静かな幸福に満ちた生活をしていた筈の亮介。千絵が突然失踪、父親の末期膵臓ガンの発見、さらに母親の交通事故死と立て続けに不幸な事故に見舞われる。父親の留守中に実家に戻った亮介は、父が隠したと思しき場所から、母の名前が記された遺髪のような髪の束と、四冊の手書きノートを偶然に発見する。「ユリゴコロ」と書かれたそのノートには、人間を殺しても何も感じないというシリアルキラーの独白が淡々と記されていた。この書を記したのは母なのか。また、先日亡くなった母親は誰なのか。亮介自身の幼い頃の記憶のぶれもあり、彼は「ユリゴコロ」の謎に引き込まれてゆく──。

シリアルキラーの狂気と純情。類型ない登場人物に翻弄される不思議な読後感を持つミステリ
 誰が書いたのか判らない作中作が物語の中心を形成している。殺人の告白をする何者かと、その正体に思い悩む解読者……。一方で主人公の周囲は過去も未来も不透明な出来事が多く、関係者の人数はそう多くないにもかかわらず、謎めいた秘密をどうやら抱えている人物が多くいる。こういった殺人者の倒叙的な告白をベースに、第三者が謎解きをするという形式そのものは珍しくなく、この手の構成自体はオーソドックスといっても良い。
 しかし、本書はある一点で強烈な異彩を放っている。というのはこの殺人者の手記が訳わからん価値観に支配されているところ。普通(あくまでフィクションの世界での普通)、シリアルキラーという人種は、快楽殺人衝動、自己確認衝動、その他何か「狂気なら狂気なりの理由」があっての殺人がその法則に従って実行される。そこに法則があるからミステリにもなり得るわけだ。
 だが、本書の「ユリゴコロ」そのルールがしっちゃかめっちゃか。その時々の感情の流れのなかで、殺人という行為は衝動と共に描かれているのだけれど、よくよく読むとそのひとつひとつの衝動に統一感があるようで、衝動というニュアンス以上の意味があまり無い。(だから「ユリゴコロ」なのだろうが)。さらに成長するにつれ、そこに意味が付加されてもいるのだけれど、だんだんその衝動が曖昧になって理由が付随するようになってくる。なので、その行動の変遷がむしろ怖いし不気味なのだ。さらに、その彼女の行動は少しずつ人間性(平凡な表現で申し訳ない)を普通に取り戻していく。本来は「いい話」なのだろうが、個人的にはここに本質的に気持ち悪さを覚える。人間は確かに変わるが、変わって良いのかこんな人間が。(ああ、俺は狭量だなぁ)。シリアルキラーでありながら純粋無垢、真っ直ぐ。あまりみない存在なのである。

 後半に向け、様々な人間関係が整理され、浮かび上がってまとまって落ち着いてゆく過程は、ミステリとして及第点。誰が誰、というのは想像のつく範囲内であるものの、その結果として美しい滅びに向かってゆくある人物たちの結末に清々しいものを感じた。ブラックなのに読後感があまりひどくなく、むしろすっきりという不思議。心に残る作品ではある。


12/04/23
辻村深月「鍵のない夢を見る」(文藝春秋'12)

 第147回直木賞受賞作品。『オール讀物』2009年4月号ほかに掲載された三作品と文春ムック「オールスイリ」に発表された二作品、合わせて五編からなる短編集。

 老いた母親を連れて参加した老人向けバスツアー。そのバスガイドは名字は違うが小学校の頃の知り合いだった律子だった――。一学年に一クラスしかない小学校で近隣地区からの転校は珍しかった。やってきた水上律子は、その母親は、知人や近所の人の家から寸借的に小銭を持っていってしまう盗癖があり、問題が大きくなると引っ越しというパターンを繰り返していたようだ。この町では田舎のこと、人々は彼女の犯罪を見とがめても、諭すだけで警察には届けない。『仁志野町の泥棒』
 家の前の消防団員の詰め所が放火された。地方共済に勤務する三十六歳の笙子は一時期、その消防団の団長に熱烈に迫られていたことがあった。 『石蕗南地区の放火』
 夏の房総半島に着の身のまま現れた陽次と美衣のカップル。付き合いが長いようにみえるが、互いの気持ちがすれ違い、また行き当たりばったりにみえるちぐはぐな行動。二人の関係は? 『美弥谷団地の逃亡者』
 大学教授を殺害したと思しき若い男・羽根木雄大は、元交際相手の女性もラブホテルの非常階段から突き落とし、重傷を負わせ逃走しているという新聞記事。果たしてその裏側にあった事情とは。 『芹葉大学の夢と殺人』
 欲しくてたまらなかった子どもを授かった君本良枝。育児に没頭するものの徐々にノイローゼ気味となってゆく。そんな彼女が訪れたショッピングセンターでふと気付くと傍らにあった筈のバギーが無く子どもが見当たらない。 『君本家の誘拐』 以上五編。

どこにでもいる当たり前の人々がちょっとしたことから陥り、抜け出せなくなる瞬間。宙づり感覚が巧い
 『仁志野町の泥棒』、物語の本体自体は、母親と近所の人々との田舎っぽい曖昧な関係性、さらに小学生女子の子供っぽい感情の満ち引きをうまく描写しているものの、それまで。本作は、むしろ高校生になってからの再会時の描写が秀逸だ。短編のほぼ終盤まで費やして「律子」について語っている一方で、優位だと主人公が信じ込んでいた人間関係、その関係自体があっさり「無」で扱われるという逆の残酷さを用い、人間関係・考え方ののギャップを鮮やかに描き出す。そこでの心の落ち着けようがない宙づり感が見事。その意味では主人公の自意識過剰を最後に読者に明らかにして突き落とすという意味では『石蕗南地区の放火』も同系統。
 ある意味分かりやすく読者受けするのは『君本家の誘拐』なのだろうが、子供がいる親で、この時期を体験している人間には多かれ少なかれ同様の気持ちがあるものだろうし、結末は大人しい。(これは超絶の狂気に行く分岐点もあった訳で……)。また『美弥谷団地の逃亡者』も、ストックホルム症候群をベースに、ヒントがちりばめられているのでどこか中盤から結末が想像できる物語ではあった。ただ、ラストの台詞の「とってつけた感」が、むしろ素晴らしく良い。
 個人的に一番心に残ったのは『芹葉大学の夢と殺人』。実際の事件にヒントがあったのかもしれないが、大学生→教師となった犯人の元恋人・二木未玖の共依存めいた行動様式のアンバランスさに魅力があった。顔つきがキレイなだけ、夢はあると口ではいうが本質的には「わがまま坊っちゃん」である羽根木雄大を見下しつつも、自分からは別れられず、離れられない共依存状態。交際するに値しない男、自分の価値すら理解できていない男であると頭で理解しながら、気持ち自体とギャップがあるという危うい状態をうまく、そして残酷に描く。ラストの動機も、やけっぱち具合が良くでていて、ミステリとしてもみられる内容になっているかと思う。
 ラスト一作を除くと、いわゆる「サスペンド」感覚が重視された物語。そんなんいわれてもどうしようもないやんけー、てな話である。ところどころに辻村さんらしいドキっとする心理描写はあるものの、本作自体が辻村作品の最高傑作かと問われると、それは違うと思う。ただ、まあ、それぞれ読み応えはあるので、


12/04/22
雀野日名子「山本くんの怪難 北陸魔境勤労記」(MF文庫'11)

 雀野日名子さんは2007年、「あちん」で『幽』怪談文学短編部門大賞を受賞し、翌年同作でデビューを果たす。さらに'08年、『トンコ』で第15回日本ホラー小説大賞短編賞を獲得している。

 大手化粧品会社・オーメン化粧品に勤務していた山本は、入社してしばらくはバリバリのキャリアウーマンで数々の仕事上の伝説を持つモーレツ女性部長・経塚詩織のもとで働いていた。仕事は凄いが部下には手も口も出るという人物。しかし山本は彼女の部下から一転して、日本でも最も認知度の低いといわれる福井に左遷させられ、失敗した企画商品「梅の匂いのつけまつげ」の在庫処理を命ぜられる。人一倍、心霊現象等に弱い山本であったが、本人はその地霊を呼び寄せてしまう特異体質で、経塚部長の思い出の地でもある福井で、様々な霊に取り憑かれてゆく。この地で福井の町おこしを図るNPO法人・ビタミンに所属する元気女性・夏井さんとも知り合うが、地元をそのままの姿を保ちたい部長と、残った住民のために町を発展させたい夏井さんとのあいだで山本は板挟みになる。山本が体験するさんざんな目、そして彼女たちと福井県の行く末は――?

怪談への志の高さ、地元(福井県)への偏った愛は本物。惜しむらくは……。
 狙おうとしたのはポップな文体で地元の怪異を描き出すといったところか。『幽』の東雅夫編集長らが提唱するところの「ふるさと怪談」を強く意識しているところまでは理解するのだけれど、その目論見が百パーセント達成できているとはちょっといえない印象だ。軽い文章というのと駄目な文章は違う。本書に関しては著者の他の作品に比べると、軽さを狙おうとしすぎたせいか、文体(はっきり言ってしまうと文章力)が、その狙いと釣り合っていないのだ。
 主人公の山本君の一人称で物語が進むのだけれども、怪異が怪異なのか、単なる彼の勘違いなのか、supernaturalなのか、それとも現象として存在するのか、書き分けきれていないので、読んでいて混乱させられる。本来訴えようとした恐怖は薄まり、怪異は笑いにすり替わってしまっている。もうひとつ、罵詈雑言の鉄拳上司・経塚詩織にせよ、ヘタレの山本君にせよ、どこか何か足りなくて人間的な魅力に乏しいのも弱点だと思う。山本君はヘタレという設定以前に、どうも頭も要領もコミュニケーション能力も足りていない印象で、全く感情移入ができないし、経塚部長にせよ、仕事が出来るだとか部下が沢山いるという説明はあるけれど、これはエピソードとか性格できっちりみせていただかないと、単なるパワハラ暴力女にしかみえない訳ですよ。

 一方で、深く感心させられたところもあって。というのは(恐らく他県の人間にいわれたらブチ切れるんじゃないかと思えるほどの)自虐的地域(福井)ネタ。負け癖がついた地域という考え方、また、田舎というか地方というかにおいて「そこから出て行ってしまった人間」それでも「その地で暮らしてゆかねばならない人間」の感じ方、物事の受け取り方の根本的齟齬。 こういった都会に住む人間が気付きにくい、また表現しにくいような事柄についても、(自虐的に)赤裸々に描写してしまい、きっちり問題提起してゆく態度は素晴らしい。また、「町おこし」「村おこし」といったイベントが持つ本質的無責任さへの指摘も鋭い。これも地方それぞれによって受け取り方は違うのだろうが、やってもやっても「おこらない」町や村が多いことを考えると、地方人による一流の地方人自己批判として、なにやらいろいろ考えさせられる場面は多かった。
 たぶん、作者にとっても小生にとっても根本的に残念だったのは、ギャグのツボが違うこと。作者が狙って面白くしようとしているところがことごとく滑ってしまい笑えなかった。地方に伝わる「地霊」と戦うのが「町おこしの勇者」ってあたり、コアな部分のユーモアとしてはユニークだとは感じるのだけれども。

 真面目な話、福井県をベースとした怪異譚として、普通に怖く気持ち悪くきちんと描くことも出来ただろうに。やはりライトノベル風に仕上げるところから、真面目な部分とふざけた部分とが分裂してしまったように感じられる。部長・経塚詩織を巡る感動物語としては無理が多く、一方で怪異がギャグに溶けて怖くなくなっている。この主題で真面目に社会派ホラーとかだったらどうなっていたのか、とか読み終わって考えてしまった。


12/04/21
井上夢人「ラバー・ソウル」(講談社'12)

 井上夢人氏のノンシリーズ長編。『IN★POCKET』誌の2010年6月号から2011年12月号にかけて連載された作品が初出。単行本化にあたり加筆修正が加えられている。

 「ぼく」こと鈴木誠は、幼い頃にひどい病気をした結果、両親すら正視を嫌がる程の醜い容貌と不自由な身体となってしまい、小学校の頃からずっと引きこもって他人とほとんど接触せずに生活していた。幸いなことに両親が裕福な資産家であったため、使用人の金山を通じ、趣味の世界に没頭することが出来た。鈴木誠がのめり込んだのはビートルズをはじめとする洋楽と他人と顔を合わせずに住むドライブ。特に音楽分野では金にあかせて買い集めた音源や資料をベースに、洋楽雑誌《ミュージック・ボックス》に投稿、そしてマニア受けする音楽評論を投稿、人に認められることが僅かな心の支えとなっていた。その音楽雑誌の編集者を通じ、鈴木誠は愛車のコルベットを小道具としてモデルたちの写真撮影に貸し出すことになった。その現場に、老人の運転する車が突っ込んでくるという惨劇が発生、モデルの一人〈モニカ〉が事故死した。〈モニカ〉の親友で現場にいたモデル〈美縞絵里〉は、現場にいた編集の指示で鈴木誠のコルベットで自宅に送られることになった。虚脱状態にあった絵里に対し、生まれて初めて助手席に女性を乗せた鈴木誠は興奮、一度会っただけの絵里に対して一方的で行き過ぎた情熱を示すようになる。モニカの同性相手〈遠藤裕太〉のアパートに絵里は深夜に訪れるが、彼女がアパートを出てすぐにガソリンによる放火があり、裕太は焼死体で発見された。関係者は事件について、鈴木誠について事件後に様々な感想を述べていた……。

細部への徹底的なこだわりが生み出す独特の謎と雰囲気。簡単に至高の愛と片付けたくないラブ・ミステリ
 ハードカバーの装幀、目次周りまで含めた細かな点をチェックしてゆくと誰でも気付くところだが、本書、ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」の収録曲の題名や内容をイメージし、対応した章立てで進行してゆく物語だ。無理筋とも思われる趣向を押し通して物語を完成させてしまう井上氏の力量、今更証明しなければならないものではないだろうが、この趣向へのこだわりはむしろベテランらしい遊び心と芸術性に満ちている。ここまで凝った構成にしながら、物語として、そしてミステリとしてのサプライズや構成の妙味にも同時に溢れているところが本書最大の特徴になる。(正直、こういった趣向抜きでも十二分に高いレベルの作品であったのに、更に、という点は通常以上のサプライズとなる)。
 ♪you are my destiny、のポール・アンカの歌声の方が何か犯罪チックというか、そんな響きのなか物語が始まる。アメ車を利用した撮影場面など、どこか典型的・類型的フィフティーズを思わせる”洋楽”な雰囲気。そこに加わるオールディーズやビートルズの蘊蓄に至るまで、冒頭はどこかノスタルジーにしてレトロ。(当時のとんがった若者たちが、こういった細かな蘊蓄を競い合っていたであろうことも想像に難くない)。しかし、この雰囲気をぶち壊す交通事故、ここから具体的な事件が展開してゆく。
 鈴木誠の手記の方法で描かれた、ある女性に心が奪われ全てを捧げ尽くす物語。大金持ちにして極端な人嫌いという彼がとる手段が、いちいち合理的にして効果的、また分かりやすくストーカー心理を正当化してゆく。淡々とした記述は、全般に残酷にして、どこか常識からのズレが感じられ、読者はぐずぐずと悪い気分に落とし込まれてゆく印象。 醜い容貌を持ち、心こそキレイながらどこか常識外れ。そんな「鈴木誠」の描写は、読者を落ち着かないものにする。 彼を甘やかす協力者の存在、両親の遺産によって得られた並外れた財力、そしてその財力の向かう先。設定こそ奇抜だし、どこかアンタッチャブルな雰囲気が漂う(普通小説としては)なか、微罪によって積み重ねられていくストーカーとしての戦利品。ある程度、読者を「型にはめて」しまったうえで、物語は独自の展開によって加速してゆく。
 丁寧に書かれた文章こそに仕掛けがあり、丁寧に検証された構成にて成立するミステリ。その両者をコントロールする作者(と編集者?)のセンスはもちろん、それがアルバム『ラバー・ソウル』をなぞっているところ、奇跡というか、際物というか。そうでなくとも高いセンスを誇る井上作品が、より一層の輝きを得てしまった印象。
 物語の真相は、後半に至ると総合的にある程度透けて見える可能性はある。また、記述された表現と(恐らく実際はそうであったであろう)人物像とのギャップはなかなかブラック。このざわざわとした感触が作品の印象を強めていることは間違いない。

 物語を読み終えて思うのは、それでも「至高のラブストーリー」とか単純なコピーは付けたくないということ。確かにその感情がベースにあるにしても、現実の残酷さがより勝っている。 いつの世にあっても男ってのは美醜関係なく哀しい存在であることよ。ミステリの感想としてこれが正しいのかどうかは別にして。