MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


12/05/22
小路幸也「キシャツー」(河出書房新社'12)

 河出書房新社が運営するWEBサイト「KAWADE Web Magazine」二〇一〇年九月〜二〇一一年九月にかけて発表された小路氏のノンシリーズ長編の単行本化。時期として夏から夏にかけて発表されている訳だ。なるほど。

 北海道の海岸線を走る一両編成の電車。沿線の高校に通う仲良し三人組はるか、このみ、あゆみ。はるか。いつでも元気娘。はるかの一つ上の幼馴染みでご近所さん、容姿端麗冷静沈着の生徒会長・よっしーとその友人で、父親をデザイナーに持つ西遼太郎。よっしーと吹奏楽部でクラリネットを共に吹いている高嶺の花のお嬢様が紗絵さん。彼らの住む地域では電車のことを汽車と呼び、汽車を使った通学のことをキシャツーと呼んでいる。夏休み、部活に通う彼らは不便な場所にあるうえ遊泳禁止のため、地元の人が誰も近づかない海岸線に赤いテントが張られていることに気付く。そこから流れてきたサックスの音に興味を引かれた彼らは、テントの住人と思しき同世代の男の子とコンタクトを図る。宮谷光太郎と名乗る彼もまた高校生。ただ夏休みを利用して、小さな頃に家を出て行った血の繋がらない姉を捜しにこの町に滞在しているのだという。あまり表に出さないが、それぞれ心に抱えるもののあるはるかやよっしーは、光太郎とすぐに仲良くなり、お姉さん捜しをみんなで手伝おうということになった。これからの進路に悩んでいたはるか、自分の心の中で温めていた強い思いを自覚する紗絵。それぞれにとっての北海道の短い夏休みの物語。

少年少女よ、大志を抱け。微妙に滲んだ毒すらスパイス程度。爽やか青少年たちが前に進む物語
さすがにもう数十冊小路作品を読んでいるし、読んでいれば、いつもいつも小路氏ならではの「手慣れた感じ」を受け取るし。それでもノンシリーズを読めば読むたびに新鮮な感覚に陥るのはどうしてなんだろう。本書でもまた、ああいつもの小路さんだー、と思う一方で、青くて甘くて酸っぱいこの青春野郎どもにどきどきとさせられるのだ。
 主人公をはじめとする(本作の場合は、全員がそれぞれ主人公である)登場人物の「人の良さ」「気持ちよさ」。全く経験したことのない状況が描かれているにもかかわらずどこか懐かしく、親しみやすい印象がある舞台背景。人と人とが心を許しあい、苦労せずに協調し、初対面でも互いを信頼できるという、シンプルだけれども、心地よい人間関係。一歩離れた醒めた目線で捉えればそれはそれでご都合主義ということになるのだろうけれども、別にいいじゃんご都合主義。
 さて、本書は高校二年生〜三年生の夏休みの物語。キシャツー(汽車通学)といいながら鉄道部分は少なく、むしろ刺激の少ない(実際のところはとにかく)地方の高校生の日常生活の象徴として「キシャツー」が取り上げられている印象だ。いろいろと好奇心旺盛だし、恋愛にも興味あるし、行動力もある彼らが眩しく感じられる。ただ、その眩しさの裏側には、しっかりとみんなに影の設定がある。その影を乗り越えて明るいことが終盤にまた明らかにされるのだ。(自分は少し凹む)。
 迷い無く自分の進路を決めている人物もいれば、まだ将来を迷っている人物もいる。現実だってそうだろう。登場人物の一人、元気印のはるかが、終盤にこういった独白と台詞を云う。

 人生って、要するに毎日のことなんだ。
 一日一日が積み重なっていって人生になるんだ。
「ってことは、就職するか進学するかどうするかを決めるってことは、毎日をどうやって過ごすかを決めるってことなんだよね。それが人生を決めるってことなんだよね」


 逆に年を取ると当たり前のことに悩む青少年。いいねぇ。ということで、北海道の青少年の一夏の良い話。また、ラストに数年後のエピソードを持ち込んでおり、でもその段階で町に誰もいなくなっているというのもまた象徴的に感じられた。小路さんのことだから、いずれまた「彼らのその後のエピソード」なんかを拾い上げてくれそうな気がする。(あーでもなー、その場合は不幸な目に遭っている人物が必ず一人はいるんだよなー、このまま余韻にのんびり浸るってことでいいかなー)。


12/05/21
道尾秀介「ノエル: a story of stories」(新潮社'12)

 元々中編として発表された作品を仕立て直して連作中編集に変更したと思しき作品。『光の箱』は「Story Seller」(『小説新潮』5月号別冊、2008年4月刊行)に発表され、同題の新潮文庫にも収録されている作品。『暗がりの子供』『物語の夕暮れ』はそれぞれ『小説新潮』誌2011年5月号、2012年5月号が初出。先のコメントと少し矛盾するが、ある程度連作でまとめる構想は以前からあったのかもしれない。

 現在は絵本作家として生活できるようになった卯月圭介。彼は子供の頃母子家庭でずっと貧乏な生活をしてきたため同級生にからかわれ、いじめられることが多く、彼はその現実から逃げるよう学校のノートに物語を記していた。圭介は中学になっても引き続きいじめを受けていたが、彼のことを心配してくれる少女・葉山弥生が現れる。画を描く弥生は圭介に自分と同じ何かを感じていて将来は二人で絵本作家になろうという夢を語り合うようになる。しかし高校に入ってから起きた事件で二人の関係は引き裂かれる。同窓会に招かれた圭介は当時のことを回顧し、弥生の現在に思いを馳せる。『光の箱』
 小学三年生の莉子は生まれつき、左足が曲がりにくく運動が苦手で太り気味の体型だった。学校でみんなに笑われて馬鹿にされることが多く、家では年の離れた赤ちゃんをお腹にかかえた母親から邪険にされているような感じを受けていた。仲の良かった祖母は入院し、莉子はひとりぼっち。その気持ちを絵本「空飛ぶ宝物」の主人公・真子と重ねるようになり、絵本を無くしてからは、心のなかで莉子は真子と会話をするようになる。 『暗がりの子供』
 与沢は三ヶ月前に同い年で最愛の妻を亡くした。教師を定年まで勤め上げたものの、二人は子供に恵まれなかった。定年後はボランティアで図書館で子供たちへの読み聞かせのボランティアをしていたものの、妻の死後その情熱は薄れ、自分が生きてきた意味を見失おうとしていた。そんなある日、ベランダで奇妙な水滴を見つけた与沢はその水滴のなかに数十年も訪れていない故郷の海辺の景色を発見した。図書館で最近偶然目にした雑誌記事に、かつて自分が住んだ家が、絵本作家の住居として紹介されていたことから、与沢は一計を案じ、自分でも妙な頼みと思われるあることをその絵本作家に依頼する。 『物語の夕暮れ』 以上三編が軸になる連作長編。

「物語」が軸になり、さまざまな人に影響を与え合う。ノエルという題名に相応しい温かみを持つ物語
 絵本作家の夫婦、そしてその夫婦や別のある人物が作った、架空の物語が作品ごとの軸になり、先のみえない作中作として展開されており、物語自体の動きの説明になったり、登場人物の心象風景を描き出してみせるなど、多彩な味わいをみせている。その作中の物語は、基本的に児童向け、小学生向けの物語である。当然、作品としてのトーンは本文とは変化し、道尾氏らしいようならしからぬような文体と発想の物語となっている。まあ、発想は「あり」か。加えて、その作品自体が子供の落書きに留まらず、きちんと起承転結のあるストーリーになっている。結果、作品全体のトーンを落ち着かせるようでいて、意外と展開がスリリングだったり、謎めいていたり、寓話以上に寓話的だったりでむしろ先読みできず良い意味で落ち着かない。
 また、各作品に対し、ミステリ的なあるトリックをそれぞれにうまく仕込んでいるのだけれども、サプライズそのものを読者に与えたり、呼び起こそうという意図は少ないようだ。その落差や驚きを、むしろ作品の味わいを深めたり、読者を安心させたりするために使っている印象だ。一瞬「えっ?」と思わせることで、その場に読者を一度立ち止まらせる。そんな使い方である。
 また、スターシステムとまでは言い過ぎだが、各作品の重要な勘所に絵本作家に限らず、時期を違えて作品ごとの同じ人物が縦軸横軸に登場しており、作品相互の繋がりを感じさせ、同時に連作集としての一体感を醸成している。別に無理して登場させた風ではなく、自然なかたちでキャラクタもさして変化させずに現れるので、別の作品の後日譚の意味合いも兼ねるなど、器用な構成となっているのも特徴といって良いだろう。

 道尾氏が少年少女の不幸話を書き始めると、下手すると救いの無いケースもあり得るので、『光の箱』からかなりどきどきして読み進めた。ただ、トータルとしては「白い」道尾作品であり、終わってみると第三者に普通に勧められる安心のクオリティ。抜けた傑作ではないけれども、道尾氏による「いい話」の作品として記憶に残るであろう連作集である。


12/05/20
近藤史恵「アネモネ探偵団 ねらわれた実生女学院」(メディアファクトリー'12)

 近藤史恵さん初の児童向けミステリーとなった『アネモネ探偵団 香港式ミルクティーの謎』『アネモネ探偵団2 迷宮ホテルへようこそ』に続くシリーズ三冊目。三冊目にしてようやく学校の話になったという、普通とは逆の展開なのが面白い。今回の主役を務めるのは警察一家の剣道娘・細川巴。

 理事長兄弟の仲違いによりもともと共学だった実生学園は、実生女学院(女子)と実生中学(男子)と隣り合いながら、中心の壁を隔てて別の学校になっていた。ある日突然、実生女学院でのグラウンドにおける一切の活動が禁止された。体育や運動部の活動が全て体育館で行われることになるなど、突然の不便の理由について生徒達は何も知らされなかったが、学校を休んでいた巴の剣道部仲間である山城五月が登校したことによって理由が明らかになった。学内の盗撮。扇情的なものではなく、現役閣僚で強面の政治家・山城大臣の娘の容姿が見目麗しいといった内容ではあったが、校内で撮影された写真が週刊誌に掲載されてしまったのだ。気丈に振る舞う五月ではあったが、両親の自分に対する対応に不満があり、家を飛び出し、最終的には警視総監を父に持つ警察一家・巴の家に厄介になることになる。一方、写真が撮影された角度から計算すると、どうやら実生中学方面が怪しいということで、もともと写真が趣味だと公言し常にカメラを持ち歩いている時生が疑いの目を向けられていた。疑いは晴れるものの釈然としない。一方、智秋、あけび、巴の仲良し三人組・アネモネ探偵団は、事件解決を図るべく実生中学の制服を着て男の子のフリをして捜査し、犯人を捕らえようと計画する。

謎解き要素は徐々に薄めに。元気な女の子たちが思う存分活躍する展開に素直にニコニコ
 本シリーズが三冊重ねられたこともあって、どこか非常にオーソドックスな少年少女向け文芸作品に落ち着いてきている印象。加藤アカツキさんによる表紙はイラストというよりも、彩色の関係かアニメの一場面を切り取ってきたかのよう(特に表紙)で、完璧に「今時のティーン仕様」準拠の作品となっている。(おっさんには手に取りにくいというか、なぜ読んでいるかは特殊事情もあるのだけれど)。
 さて、内容だ。もともと超絶なお嬢様学校という(ある意味よくある)設定のなか、出自というか家庭環境がそれぞれ特殊な三人組(芸能人の娘、科学者の娘、そして警察一家の娘)が持ち回り主人公。ただ、皆いわゆる「よい子」であり、性格こそ多少凹凸はあるものの、基本的には素直で友人や家族思いで優しく、好奇心旺盛で行動力のある普通の女の子。その境遇以外のところを大きくまとめてしまえば、本書を読むような一般的児童たちからみても、人間としてはそんなに遠くにいるような存在ではない。 同じクラスとはいわないまでも、遠い親戚の女の子くらいの距離感なのではないだろうか。
 アネモネ探偵団の男装というパートが一番盛り上がるところではあれど、本書の半分は優しさで出来ている。特に中学生としての彼らと両親との関係性というか、その態度を深読みしたり浅くしか読めなかったりで、うまくコミュニケーションが取れなくなっている状況をうまく描いている。最終的には家族愛に戻ってくるところ、非常にオーソドックスな児童向け作品となっているといえるだろう。

 敢えて本格からハードボイルド(ちょっと違うけど)めいた文脈に変更しているようにもみえる。このシリーズを通じて、いろいろなミステリがあるということを子供達に伝えよう──ということであれば、深謀遠慮に過ぎるなぁ。恐るべし近藤さん。あと今回の副題はやっぱり『ねらわれた学年』のパロディですよね。


12/05/19
青崎有吾「体育館の殺人」(東京創元社'12)

 2012年、第22回鮎川哲也賞の受賞作品。青崎有吾氏は神奈川県横浜市生まれ。受賞当時は大学生。鮎川賞初の平成 生まれの受賞者となる。もちろん本書がデビュー作品。

 前期中間テストが終了した六月の、土砂降りの雨が降ったある日、神奈川県立風ヶ丘高校の旧体育館の緞帳の下りたステージ上で、胸にナイフの突き立てられた男子生徒の死体が発見された。被害者は放送部の部長・三年生の朝島友樹。遺体はなぜかステージの袖から中央部に移動された形跡があった。通報から捜査にあたった神奈川県警の刑事たちが検証したところ、体育館の出入り口全てが施錠されていたか、目撃証人がいたかのどちらであり、犯人が外部から出入りできた形跡が無かったのだ。密室状態のため、容疑は授業終了後に真っ先に体育館に来ていたため、唯一殺人機会があった卓球部部長の二年生・佐川奈緒に向かう。事件発見当時、体育館にいた卓球部一年生の袴田柚乃は、兄の優作が刑事で本事件捜査に携わっていたにもかかわらず、部長を救うために高校の部室に住み着いているといわれる変人・伝説の廃人、裏染天馬に警察からの嫌疑を晴らしてくれるよう依頼する。突出した成績を取りながら重度のアニオタである天馬はお金と引き換えに推理を引き受け、ある遺留品一つから警察相手に佐川奈緒の嫌疑を晴らしてしまう。そして……。

展開から展開への流れが良し。ロジックの細かさよりも新人離れした流れのスムースさに心地よさ
 今回の鮎川賞選者によると「いろいろおかしいところがある」とのことだったが、一読者として普通に読む限り、幸いあまり気になるところは無かったように思う。物語の舞台であるとか、実際の高校生の人間の動きとして多少不自然なところはあったかもしれないが、フィクションとしてのミステリを潰してしまうような致命的なものではない。探偵役に特殊な性癖を持つ変人を当てはめてしまったがゆえに、ヒロインの恋愛感情を彼に抱かせたところには流石に無理を感じたが、あくまでミステリとしては問題ない。
 さて作品。冒頭で殺人事件が発生する。学校内で高校生が殺害される痛ましいものではあるが、殺人(殺され方)自体は不可思議状況にない。物理的、心理的、視線によって閉鎖された、犯人脱出不能の密室内での殺人だというところが、作品としては最大のポイントだ。
 特に探偵役・裏染天馬が登場してからの物語テンポが加速、そこが物語全体の魅力に繋がっているように感じられた。 特筆すべきは、やはり探偵役が推理の過程で見せつける、クイーンばりのロジックだろう。中盤で、現場近くのトイレに残されていた一本の傘から次々と導き出されてゆく蓋然性の高い推論の流れが印象深い。『九マイルは遠すぎる』にも似たシンプルな命題から想像を広げ、状況からその回答を限定してゆく展開はむしろ美しさを感じるものだ。
 メモを取ったりというような厳密な読み方をしておらず、読者として探偵役と同時進行で、論理的に事件を推理――というのは出来ていないので、もしかすると本書に取り上げられなかっような理屈や論理、た解決方法があるのかもしれない。けれど、物語としては書かれた論理は別にペテンでも構わないのだ。読者をその論理に翻弄させられることができれば、ミステリとしては十分それで良い。
 ただ、本格としての尺度のみならばとにかく、ミステリ小説として本書を強く推せない理由が一つだけある。探偵役が度し難いアニオタである、という設定である点だ。 アニメファン(現役、かつディープな)でなければ分からないような暗喩・明喩の数々が物語上にあること自体を否定するつもりはないが(従来ミステリでもみられる鉄道や妖怪の蘊蓄などとも通じなくもない)、これらの要素がミステリを解決する道筋と一切関わらないのはどうかと思うのだ。
 個人的には本気の若本さんで馬鹿笑いしたクチではあるけれども、一般的にそういった知識は相当に特殊なものだ。ライトノベルとは違い鮎川賞は十代からお年寄りまで全てが読者であるという意識が作者にあって然るべき。ならばその脱線寄り道はここまでいろいろ書きたいのであれば、作者と、ごくごく一部読者が意気投合するためのマニアックな「ネタ」としてだけではなく、やはり本筋でもアニメが実は重要な役割を果たしていた、という風にして欲しかった。

 その個人的に気になった点を別にすれば、文章は既にこなれていて引っかかるところも少なく、登場人物の個性もそれぞれが際だつとまではいかないまでも、きっちり書き分けられている。作者がまだ卒業して間がないこともあり(?)現代の高校生活の描写もしっかりしている。まあ、現実に高校舞台の殺人事件なんて起きよう日にはマスコミが凄いことになりそうだけれども。ま、そこは本格ミステリですから。いずれにせよ、青崎氏には手堅く物語を築き上げるセンスがあり、また様々なロジックを生み出す力もあり、実際作品評価としても本格ミステリ界隈ではデビュー作としては上々の評判を得ている。近いうちに出るであろう次の作品でも同様のクオリティがあることを希望したい。


12/05/18
有栖川有栖「江神二郎の洞察」(東京創元社'12)

 長らく刊行が予告されたまま、そして多くのファンが期待して待ち望んでいた短編集。ある程度定期的に著作を発表している作家にして、短編集なのにこれほど待ち望まれているというのはなかなか珍しいのではないか。有栖川有栖氏の人気シリーズ、いわゆる「学生アリス」の短編のうち、マリアが入学するまでの時期のものを集め、書き下ろしが一編加わった作品集。ある程度ほかのアンソロジーに収録された作品なども含まれる。

 EMCの先輩・望月の下宿するおんぼろアパート「瑠璃荘」で発生した講義ノートの盗難事件。関係者の出入りを整理してゆくと犯人は望月しかあり得ないように思われるのだが江神二郎が推理を巡らす。 『瑠璃荘事件』
 アリスが路上で、顔見知りの女の子に声を掛けるも無視される。彼女とは音楽喫茶で何度か話をして知り合いのはずなのだが、とアリスは訝しむ。 『ハードロック・ラバーズ・オンリー』
 望月の実家のある和歌山県に赴いたEMCご一行。線路に置かれた死体は轢断される前に既に死亡していた。その場合犯人は……。 『やけた線路の上の死体』
 EMC創部を江神と共に行った伝説の人物。石黒操。彼の親友が持っていた写真は、親友のクラスメイトの女性が川沿いで亡くなった時に撮影されたという写真だが、犯人以外は撮影できないが持ってきた親友が持っていた写真。彼の同級生が亡くなったときに撮られたものだが現場の状況は犯人以外が写真を撮ることが出来ないものだった。犯人は彼なのか――? 『桜川のオフィーリア』
「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」 アリスが公衆電話で偶然に耳にした男の台詞。果たしてこの人物は何者なのか、江神の下宿に集まったEMCの面々による超絶推理。 『四分間では短すぎる』
 幽霊の出るという噂があった廃病院。大家の関係でその病院跡地に泊まり込むことになったEMC。原因不明の腹痛で信長がリタイアするなか、開かずの間に現れた幽霊とは……? 『開かずの間の怪』
 信長たちのゼミ教授が自宅に飾っていた絵が「誘拐」された。身代金はたったの千円。犯人は教授の身内で直近に家を訪れたある人物であることは確定。しかしその彼は絵を持ち出せたはずはないという。身代金の受け渡しを依頼されたEMCがその謎に挑戦。 『二十世紀的誘拐』
 大晦日。実家に帰らないアリスは、江神先輩の家で大晦日を過ごすことに。二人でしんみりとこの年の回顧をしたり、ミステリ談義をするとともに本来創作指向ではない望月先輩が書いた犯人当て小説『仰天荘殺人事件』を解き明かそうとするアリス。 『除夜を歩く』
 アリスがミステリ好きということを知り、推理小説研究会に興味を示しはじめたマリア。織田や望月はそのマリアを部員にしたくてたまらない。一方、研究会が時々出入りする古書店の主人が、飲み代を奢ったり、商売道具の本をタダで客に配ったり、さしたる理由もないようにみえる状況でその財産を使い込んでいた。 『蕩尽に関する一考察』 以上九編。

中身が濃いのに一気読み。論理が至る着地点よりも、伏線によって支えられる論理の通り道、筋道に心地よい驚きが潜む
 論理の本格ミステリの書き手たる有栖川有栖氏による短編集。短編のひとつひとつが充実しているというか、物語の展開にせよ、込められているトリックにせよパターン化されておらず、その個々の内容が濃いのだ。そして、その濃さが、読みにくさや取っかかりにくさに繋がっておらず、丁寧という印象がより強い(実際は初期短編から近年の短編まであるので、執筆時期についてはいろいろということなのだが)以前はここまで有栖川短編が物語として面白いと感じることは少なかったので、学生アリスが性に会うとか、そういうことなのかもしらん。いずれにせよ、今回短編のあらすじを書き直すのに読み直したらまた面白かったという。なかなか罪作りな短編集である。
 過去に読んだ作品が複数ある、というファンの方も多いだろうが、短編集の形式で江神二郎がこれだけ登場するというのはやはり目新しい。トリック、アイデア、ストーリー。そのネタの軽重はあるものの、基本的には本格ミステリ、そしてシチュエーションに対する論理的解釈を楽しむ作品が多い。初期作品特有の濃さがある『やけた線路の上の死体』、論理の構築よりも破壊っぷりが美しい『瑠璃荘事件』。ホラーっぽいテイストが独特の味わいをみせる『開かずの間の怪』。どれも読みどころがあるのだが、しかし推理という意味で圧巻なのはやはり『四分間では短すぎる』か。もちろん『九マイルは遠すぎる』を意識した、日常で偶然耳にしたちょっとした短文からの展開される意味、そしてその意味に至る論理には瞠目せざるを得ない。結論の飛躍よりも、その筋道に至る着想が面白いのだ。特に「Aからさき」という言葉の解釈なども、本当に目から鱗です。
 また、物語としてはとにかく(でも物語としても、このぐだぐだが大学生活の特権だといえ、味わいはある)、本格ミステリファンが「はっ!」となるような内容に満ちあふれた『除夜を歩く』。ストレートな本格ミステリとしてはそこまで評価に至らないかもしれないながら、本格マニアの琴線に触れるという意味では、今年度のナンバーワン短編ではないだろうか。江神二郎とアリスとのミステリ議論のなかでさまざまな含蓄に富んだコメントが溢れている。
 そのひとつひとつに唸らされる。特に、時折有栖川作品でも言及される怪奇幻想小説の祖でもあるポォから始まった筈のミステリが、むしろ怪奇幻想を許容しない偏狭なジャンルに至っているという不思議な状況について語っているくだりは、脳味噌に強烈なインパクトを頂きました。もちろん、ミステリその他の蘊蓄のみで短編を構成している訳ではなく、望月が書いた(ので下手というエクスギューズがつきますが)作中作が加わって理論や蘊蓄だけではなく、しっかりミステリにもなっている。出来が悪いとか、トリックはシンプル過ぎるといった作内評価があるけれど、なんというか全てがミスリーディングみたいなもので、これもバカミスとしては「有り」でしょう。作者本人名義で発表はしづらいにせよ。

 前述の通り、短編個々に執筆された時期は異なるのだが、作中の年月経過ごとに作品が配置されているため、短編集全体としての違和感が相当に減少している。また長編で扱われている事件の合間に起きた事件であるという短編の位置付けがはっきりしているところが面白い。本書をベースに、時系列にあたる長編を読んでいくと、また違った印象を得ることができそうだ。
 一九八八年の大学生活というあたりで(有栖川先生はこの十年上だそうですが)なんか個人的にはノスタルジー直撃。世間はバブル、でもバブルの関係ない学生という特殊な時期。論理の本格ミステリという見方とは別に、どこか懐かしい大学生活のだらだらぐだぐだした感じを伴う実録青春小説(色気は少ないけど)という味わいもあくまで個人的にはありました。


12/05/17
藤野恵美「ぼくの嘘」(講談社'12)

 藤野恵美さんは1978年、大阪生まれ。『ねこまた妖怪伝』にて第2回ジュニア冒険小説大賞を受賞。ほか数々の児童向け作品を発表中。本書は『わたしの恋人』の続編、ないしスピンオフににあたるジュニア向け文芸で講談社「YA! ENTERTAINMENT」で連載されていた作品が単行本化されたもの。

 同じ高校に通う親友・龍樹と、その彼女・森せつな。二パートに分かれた本編の片方の主人公を努める笹川勇太は、現在に至るまでぱっとしない外見に運動音痴、部活はパソコン部で趣味はゲームとアニメという非モテ少年。しかし、ホラー関連の話題など気軽に話をすることができる森せつなに、いけないと思いつつも強烈な片思いをしてしまう。三人で話をしていたところで、森せつなが忘れていったカーディガンを勇太が抱きしめ、思わず顔を埋めたところを、クラス一の美少女・結城あおいに写メで撮影されてしまった。もう一方のパートの主人公はその結城あおい。彼女は、あまり男の子に興味はなく、中学時代からの親友で現在は別の学校に通っているかすみに強烈な片思いをしていた。そのかすみが、年上の彼氏を作ったということで、写真で脅して笹川勇太を自分の彼氏と偽装してダブルデートをしようということにしたのだ。とりあえずあおいは勇太を呼び出し、最低限自分の彼氏に相応しい格好はさせようと、勇太の洋服や靴を選んでやる。そして勇太とあおい、そしてかすみとその彼氏だという石田さんとの四人の遊園地デートを開始する。そのデートのなか、あおいと勇太は「石田さん」の秘密に気付く。

いわゆる児童向け小説とは思えないどろどろした人間不信っぷり。だが、それが素晴らしい。
 勇太に依存するダメ母親と生活し、恋愛については奥手ながらネット上の相談を揶揄したり、料理など家事がひとわたり実はできるなど、実はしっかりした、そしてどこか老成した精神構造を持つ勇太。金持ちで地位のある両親から愛玩されながら、自分のレズ的性癖などもあって、自分を偽って「いい娘」でいることに慣れてしまっているあおい。 主人公を務める二人が二人とも、表面上は普通のどこにでもいる高校生ながら、その内面にいろいろな家族的葛藤を抱えているという図式。その別に秘密にもせず序盤で、だばだば描写してしまうところが生々しい。心に抱える秘密にしない。まあ、自分にとって秘密ということはないのだが。こういった異常愛や歪んだ家族愛といった要素は、一般向け小説であれば、ちょっとした背景、スパイスでしかない程度のことであるけれども、児童向けに近い読者層を考えると結構重い、はず
 さらに両親の関係だけではなく、あおいとかすみの関係、特に「石田さん」との対決にせよ、その結果からくる人間不信にせよ、肥大した自意識がもたらす恋愛不信が赤裸々に、そして普通に描写されている。こういった淡々とした凄さが目立つ。(もちろん、双方の両親の事情も含めれば、もともとの恋愛の先にある結婚に対する不信もまた底流にあるものと感じられる)。
 ネタバレになるので一応反転させるが(以下)ラスト、主人公の勇太とあおいが結ばれる。残念ながら高校在学中ということではなく、十七歳から倍の年齢を重ねた三十四歳のこと。サラリーマンとなっている勇太が取ったのは、十七歳のあおいがしたり顔で言っていた「恋愛とはタイミング」を地で行く行動ではある。異国の地の空港から誕生日にメールするという、相当に思い切ったやり方だ。これをドラマティックとみるのが普通――なのだろうが……。そして、描写によれば大人あおいは中二病的な女の子好きではなく、真性のレズビアンとなっている。しかしこの時は、上司から睨まれ、同性の恋人から振られ、異国でひとりぼっちの誕生日、とかなり凹んでいるところ。確かに「タイミング」は伏線ではあるのだけれど、ここまで条件が揃ったら惚れてなくても誰でも落ちるわな、フツー
ただ、そのタイミングに大いに助けられて繋がったカップルが、果たして未来永劫、それこそ富めるときも貧しきときも愛を貫くことが出来るのか? という点は大いに疑問なのだ。一歩引いて考えると、タイミングだけで成立してしまったこのカップルは自分たちの両親とまた失敗の歴史を繰り返すんじゃなかろうか? と思う訳です。

 恐らく作者は、対象読者に無理にでも分からせるというようなつもりはあまり無いまま、だけど一方ですさまじく計算ずくで作中の人間関係は作り出しているように思う。普通に児童向けを書くことの多い作者の、どこか吹っ切れたような設定や描写に、むしろ戦慄するような気分を味わった。いろいろな意味で複雑な読後感でした。


12/05/16
小島正樹「祟り火の一族」(双葉社'12)

 島田荘司氏との共著によるデビュー、さらに『十三回忌』での単独デビュー以来、著作を重ねて独特のトリックで着実にその存在感を増しつつある小島正樹氏。本書は書き下ろし長編。

 劇団員・三咲明爽子(あさこ)が斡旋された奇怪なアルバイトは、成城にある大きなお屋敷で、繃帯を全身に巻き付けて寝込んでいる男性の枕元で、六つの怪談をしゃべるというものだった。明治時代、何度も火で焼き落ちた橋をかけるにあたり、火付けの冤罪をかけられ人柱にされた少女。振り袖姿で主の前に幽霊となって現れる話。橋の内部からすすり泣きが聞こえ、また橋から血の涙が流れ出すという話。鍾乳洞の内部に横たわる白装束の女性。殺したはずのその女性が甦り、火の付いた松明を投げつけても熱そうな素振りすらみせないという話。神社の奥にある池から火が上がり、さらにその池の底にはびっしりと人骨が敷き詰められているという話。林の中にいる黒いマントを着た人物。しかしその顔はのっぺらぼうという話。火の付いた納屋に閉じ込められた男。退路が断たれ脱出できない男は耐熱カーテンを纏い、首をつる。男の顔面が溶け頭蓋骨があらわになると、その中から緑色の少女が飛び出してきた──、という話。その理由や意味は明らかにされない。その屋敷に興味を抱いた明爽子は、忘れ物を口実にこっそり屋敷に引き返し、繃帯の下の火傷を目撃し、家人につかまってしまう。──解放された明爽子は、自分の後輩にして、非常に運に恵まれている刑事・浜中康平を巻き込んでこの奇怪な事件に首を突っ込む。

奇妙な事象と解決でのアクロバット。怒濤のトリックと怒濤の解決の合わせ技にしばし呆然
 前から読むたびに感心してはいたのだが。本作あたりで、小島氏が本当に凄まじいトリックメイカーである、ということを強く強く実感させられた。その常識から飛躍した発想は絶頂時(今もかな)の島田荘司氏に近く、とてつもない奇妙な状況を作り上げ、一応は理屈のつく解釈を提示してくるという、ある意味オーソドックスな、そしてそれこそ島田荘司氏がかつて提唱した「本格ミステリー」の形式に則っている。ネタバレにはならないと思うが、時間、空間、科学、化学、物理学、ありとあらゆる世の中の事象を応用・援用し、実現が「できそうな」「可能な」状況を読者に提示する心意気がとにかく素晴らしい。
 また、小島氏を小島氏たらしめているのは、そのサービス満点の詰め込みっぷり。 序盤だけでこれでもかというほどに奇妙な状況を連発しておき、さらに解決時に同じような怒濤の勢いで探偵役が解釈をつけてゆくのだ。正直、トリックだけを取り出せば、普通のミステリ作家であれば長編を3〜4本維持できるだけのアイデアが詰まっていると思う。
 ただ──、残念ながらこのままでは島田荘司氏を超えられない。トリックメイクだけ取り上げれば、初期の島田本格もかくやというレベルのインパクトがあるのだが、小島氏の場合はその優れたトリックをテーマ性・物語性に流し込むという部分の力が若干欠けているのだ。語弊を恐れずにいうと、トリックは凄いのだけれども、物語自体がぎすぎすして面白くない──のですよ。様々なトリックを読者に開陳するために、物語らしきものを無理矢理あとから創られているようにみえてしまうのだ。
 怪奇じみたトリックだから怪奇じみた舞台や登場人物を配するというのではむしろ駄目ではないだろうか。翻るに、小島作品から、島田荘司氏の持つ才能の凄まじさもまた浮かんでくるように思う。魅力的な登場人物が多数生き生きと動き回り、トリックとは無関係にすらみえるのに最後にはきっちりと本格ミステリになっている――という幾つもの要素全て神業という所業は、トリック創出能力だけではない神的才能が加わってのこと、ということなのだろう。

 ちなみにこれは批判ではなくてエール。 物語性だけならば島田荘司氏に比肩する作家は沢山存在するけれども、そのトリックで肩を並べられるだけの発想とアイデアを持つ作家なんて、ごくごく僅かしかいないのだから。是非、「本格マニアにはたまらない」「トリックが凄い」とか、そんな賛辞で満足せず、小島氏にはぜひともその島荘のいる神の領域に達してもらいたいと思うのだ。


12/05/15
福田和代「ZONE(ゾーン)豊洲署刑事 岩倉梓」(角川春樹事務所'12)

 月刊『ランティエ』2011年1月号から10月号にかけて連載された長編作品が単行本化されたもの。福田和代さんはハードボイルド系を描ける女性作家だが、これまで女性主人公の作品は無かったのではないか。(これが初めて?)

 もともと工業地帯であった豊洲は、都心に残る最後の開発地帯として古い町並みのなかに大規模商業施設や新しいマンションが次々と建設され、他地区から人口が多く流入してきている地域である。元々は深川署、後に新設された豊洲署に移った、セイアンこと(生活安全課)に所属する若手の女性刑事・岩倉梓。彼女は阪神大震災で被災した靴工場を経営する両親のもとを離れ、現在は東京にある警察の女子寮に住む。生活安全課が扱う事件は多岐にわたる。ベランダの隙間に挟まれている女児を救出に飛び込むと、その五歳の女の子と八歳の男の子を残したまま、母親が行方をくらましている。水商売をしていた母親を子供たちは探していたらしい。また、別の機会にはひとり暮らしの老人の孤独死の処理を行う。しかし、その老人の財布が見当たらない。ただ事件性も低いと思われたが八坂や梓の捜査継続の申し出を了解する。幼稚園に届いた、イベント中止を要請する脅迫状。具体性は分からないまま、梓は対立母親グループのあいだを行ったり来たりする──。新たに立ち上がる町のなか、警察官たちもまた力を添える。

半分事件、半分日常の謎。物語性とミステリのバランスが絶妙な都市型人情警察小説
 東京という既に日本人によって蕩尽し尽くされた筈の都市において、まだ拡大が図られるのが、本書で取り上げられる豊洲をはじめとした湾岸の埋め立て地帯(と書くと身も蓋もないが)である。
 当たり前に書くと、その周辺で起きるちょっとした事件を通じて、勃興しつつある「ZONE」から「町」へと変貌しつつある地域そのものを活写するといった意図があるのだと思う。普通に物語を追って読むだけで、その点は成功しているといえるだろう。豊洲という地区に限らず、日本という国家における現在におけるコミュニティ・地域性としてのあり方、そして多様性がうまく複数の作品で触れられている。作中で取り上げられる事件、それは格差や教育の問題であり、ネグレクトや貧困であり、弱肉強食と勘違いした詐欺。かつての古いだけの地域でも、新しいだけの地域でもそんな事件は起こりえるけれども、こういった新旧入り交じる地域だからこそ強調されるタイプのトラブルが目立つようにみえる。
 ただ、個人的に心動いたのは、むしろそんな良くも悪くもそんな都市で生々しい現実を見せつけられる岩倉梓という主人公の生き方と成長の方。都市なんて、個人がどうこう出来るものではないし、また警察官であれど出来ることは限られている。だけど、警察という立場で、公僕という立場で、無力ながらも前向きに何ができるのか。どう見られているのか。そういった細かな気付き(気付かされ)によって、社会人として彼女を成長させてゆく(成長してゆく)過程が、なんとも初々しくまぶしい。(もう、こちらは既に枯れ果てたオヤジだしねえ)

 東野圭吾が人形町を舞台に刑事小説『新参者』を書いたのと、何となくだけれども被るようにも思った。ただ、福田和代さんが東京の方ではない(作中の岩倉梓と同様に兵庫の人)だと知っているので、むしろその距離感のつかみ方の巧みさに、作家らしいすごみというか、豊穣な想像力を感じる。関西から東京に出てきて、自らを鼓舞しつつ頑張っている独身女性公務員というと『トッカン』シリーズともどこか近しい印象もあるかな。


12/05/14
門井慶喜「若桜鉄道うぐいす駅」(徳間書店'12)

 門井氏は2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。主な著作に『天才たちの値段』『この世にひとつの本』など。本作品は当初『本とも』2011.5(no.46)から連載が開始され、途中で『読楽』2012年1月号〜2012年4月号(以前の『問題小説』)に媒体を移して完結、ということらしい。(ちょっと類推入ってますがたぶん)。

 鳥取県の因美線郡家駅から続く、第三セクターで運営されているローカル線・若桜鉄道。そのなかにある「うぐいす駅」の駅舎。古くに建設されたこの駅舎はフランク・ロイド・ライトが設計したとされるているが、地元自治体・鶯村の芹山豪造ら村長一派は、長高齢の医者の引退に伴う無医村の懸念から、長期間をかけて根回しを行い、駅舎を取り壊して病院を建設するという悲願を成し遂げようとしていた。しかし、文化的に有意義な建物だということで村出身で京大名誉教授で三之輪重次郎を筆頭にの反対派も現れる。移築する金もなく、膠着状態を打開すべく双方が入り乱れてもみ合っていたところ、駅舎のなかで反対派に所属する老女が頭から血を流して死んでいるのが発見された。世論は一気に反対派へ流れる。村長の孫で、重次郎の孫弟子でもある「私」こと芹山涼太は東京の大学で近代史を専攻する大学院生。双方から呼び出しを受けて、駅にまつわる歴史を都合の良いように捏造せよと迫られる。

軽い文体に興味深いテーマ、最後まで読ませる。なのだが完成度そのものは微妙か
 門井作品にしてはちょっと微妙。学術系と鉄道系と社会派系とエンタメ系と恋愛系の要素を全て織り込んだ――と書けると良いのだが、それぞれの要素がかなり中途半端に混じり合い、足を引っ張り合って本来の主題がなんなのかが見えにくくなっているように思われた。
 正直、本格的な美術ミステリに実績ある門井氏の作品、かつマイナー駅の駅舎の建設者がフランク・ロイド・ライト、といったところで過剰に建築探偵系のアカデミック・ミステリを勝手に期待したこちらの落ち度でもあるのだが。でも序盤でライトの波瀾万丈の人生(他の本でも読んだことはあるのだが)が取り上げられるに至って「そっち系」の作品だと思うのは仕方無いじゃないですか。
 ただ、なぜかそうならない。恐らくは狙って創造したのだとは思うのだが、あっちへふらふら、こっちへふらふらといった優柔不断な「私」一人称を使う主人公・芹山涼太、彼にどうしても感情を寄せることができない。精神的に大人でないことに加え、折角の彼女を実家に連れてきて強引な性行為を行ったと思えば、中盤でいきなり寝取られる展開と、なんというか、柔らかな語り口とのほほんとした舞台でありながら、展開に対する読者の願いからずるずるとずれていっている印象が強い。また、途中で掲載媒体が変化したことと関係あるのか、当初は駅舎保存反対派と賛成派とのあいだに挟まれて、そうでないための証拠を捏造せよ――という展開が、いつの間にか片側に与せざるを得ない状況下での田舎の選挙テーマへと主題がすり替わっている。
 一応、辛うじて内容の同一性は維持をしていて流れはある。(現実のお話だったらむしろこんな感じなのかもしれない)というものの、さきほどの寝取られにせよ、対立候補と関係者の裏切りにせよ、どこか世知辛く、せっかくの冒頭のおっとりほのぼのした雰囲気をわざとぶち壊しているようで、なんとなく腑に落ちない。その意味では結末も作りすぎに見えてくる。テーマが二転三転しながらも、結果的には力業でストーリーを繋げてしまう手腕は、本作に限ったことではないのだけれど、本作の場合はその才能がマイナスに作用してしまっているように思えてならない。

 敢えて厳しいことをいうと、門井氏が作風を広げたというよりも、既存作家の既存の芸風をいくつかミックスして安易に辿ったという風にみえてしまう。若桜鉄道というマイナー路線にスポットを当て、序盤で魅力的な展開を構成できる作者ならではの「濃さ」がやはり読みたかった。


12/05/13
小路幸也「レディ・マドンナ 東京バンドワゴン」(集英社'12)

 2006年に刊行された『東京バンドワゴン』から始まり、年に一回、書き下ろしで単行本が刊行されるというサイクルを続けて早七年。一冊過去話があることもあって登場人物は六つ年を取っている勘定か。春に読了しているのに感想が今になる不思議(でもない。サボっていたから)。

 古本屋東亰バンドワゴンに来る客たちのなかに不審な人物がいる。種類を問わずまとめて棚の一角を買い占めてゆく男性客がいるというのだ。勘一の問いかけにも「読むから」といわれると仕方がない。さらにまた同じ場所を買ってゆこうとうする。また、別の男性客は家の大掃除をしていたら出てくるといい、一冊ずつ保管状態の良い貴重な本を売りに来る。果たして彼らは何者なのか。 『冬 雪やこんこあなたに逢えた』
 中学生になり部活でも音楽をしている研人が上級生を殴ったという知らせが届く。どうやら我南人をバカにされたことに憤ったらしい。家族で謝りに行き一旦収まるものの、翌日研人は家出してしまう。また、我南人のバンド仲間・強面の中川が堀田家にお願いをする。彼には隠し子がいて、ずっと自分を社長だと偽ってきたのだが、その彼女が上京してくるのだという。 『春 鳶がくるりと鷹産んだ』
 バンドワゴンを久しぶりに訪れたすずみの親友・美登里。三年間音信不通だった彼女は、男でしくじって海外青年協力隊に参加していたのだといい、しばらく堀田家の手伝いをしてくれることに。一方勘一は長年探していた、サチの父親の蔵書が、勘一と対立する大学の書誌学研究室にあることを突き止めるのだが……。 『夏 思い出は風に吹かれて』
 我南人の妻である秋実と施設で姉妹同然に育った智子が、堀田家を訪れる。経営状態が悪化したので施設を閉めざるを得ないというのだ。また我南人の音楽仲間の一人、農水省の役人をしている光平が米国に行くことになった。彼は一緒に暮らしている龍哉とくるみの関係が崩れることを憂慮していた。 『秋 レディ・マドンナ』 以上四編。

大家族小説から、大一族大河小説へと拡大中、拡大してもいつものホームドラマ
 一冊目から毎年シリーズを読んでいることになるのだが、家族が増えるエピソードが一冊に必ずあって、巻を重ねるごとに確実に家族が着々と増えている。結婚があったり、出産があったり。更に家族だけでなく、勘一の昔なじみやこれまで登場してこなかった親戚たち、さらに我南人の音楽友達など(キースだけじゃなくて)も含め、過去のエピソードなども絡むがために堀田家関係者は、一冊で数人ずつ増えている勘定だ。
 本書というかシリーズの大きな特長なのだが、その増加した彼らのうちほとんどが使い捨てされていない。 恐らく小路氏も意識的にしているのだとは思うのだけれど、登場人物ひとりひとりが記号というより、本当に生きた登場人物として遇しているようにみえるのだ。フィクションなので、一回きりのエピソード、登場人物をその話だけで切り捨てて、次の作品では前の出来事を無かったことにする──というやり方もあるはず。それなのに、あえて登場人物表がどんどん増えることを厭わず、どんどん人数が増えてゆくというのは無謀にして面白い。
 キャッチで書いたけれど、最初は「堀田家」の話が中心であったシリーズであるが、本書あたりでは「堀田家とその周辺の関係者たち」まで含んだ物語となっている。また、四編中、二編くらいに登場しなかった人物であっても、きっちり顔を見せに別エピソードで現れていたりする。
 さすがに年一冊で読んでいると「あれ、誰だっけこれ」という人物もいるけれど、レギュラーメンバーの息災っぷりと子供たちの確実な成長さえあれば、むしろそっちの脇道筋は気にならないか。(研人や花陽の成長に目を細めているのは私だけではないはずだ)。
 もうひとつ、本書に関していうと、原点に回帰したという印象もあった。つまりはそれぞれにある程度、東京バンドワゴンらしい「謎解き」要素があったこと。本屋の悩みもそうだし、男女の悩みもそう。これを単に解決するだけではなく、ドラマティックに解決してゆく展開、これが芸となって味わいを高めてくれている。良き哉。

 読めばしっかり「セカイ」を堪能させていただける、安心の一冊。核家族なんて例を引くまでも無く、大家族が一緒に住むというカタチそのものが、珍しくなりつつある今、一定のノスタルジーだけではなく、むしろ新鮮な味わいがあるように思われるのだ。


12/05/12
戸松淳矩「うそつき」(東京創元社'12)

 『剣と薔薇の夏』にて2004年に第58回日本推理作家協会賞を受賞した戸松淳矩氏。もともと前作が二十四年ぶりの新作ということで話題を呼んだが、八年経過した本作もまたなんと「協会賞受賞後第一作」ということでどれだけ寡作なんだという驚きも。(とはいえ、あとがきによると幾分事情はあったようですが)。書き下ろし。

 鎌倉の裕福な家庭に生まれ甘やかされて育ち、六年かかって大学を卒業後、司法試験を口実に勉強もろくにせずにだらだらと遊び回る男・石館朋也。最近になり資産管理が厳しくなったことなどから、週に三日だけ、叔父の経営する零細不動産会社で働いていた。鎌倉にある売り物件の補修を行った帰り道、朋也はトンネルで人の争う物音を聞く。根は恐がりな朋也はじっと身を潜め、静かになった後のトンネルにおそるおそる入り込んだところスーツを着た男が倒れているのに遭遇した。更にバイクのものらしいエンジン音が聞こえてきたことから、朋也は半ばパニックに陥り、被害者の眼鏡を拾い、トンネルの外に落ちていた、これも被害者のものらしいバッグをひったくると自宅に逃げ帰った。借金返済の必要からバッグの中のキャッシュカードを使用して、こわごわながら偶然見つけた暗証番号で現金を下ろすのに成功する。報道で被害者は今枝俊昭という建築会社勤務のサラリーマンであることを知るが、ひょんなことからこの人物の遺族らに偽名を使って関わってしまうことになってゆく。

虚言癖のある甘ったれ自己中心男が生み出す、ミステリとしての位相のズレがユニーク
 この被害者を巡る謎と、更にその被害者が活動していた文学同人『湘南漫文』の人間関係を巡るパートが交互に語られ、それぞれが微妙な謎を孕みながら進んでゆく展開。物語の実は終盤に至るまで、作者が何をもって「謎」を設定しているのかが、微妙に分かりにくい構造になっている。というのも、非常に特徴的(魅力的ではない)な主人公、即ち石館朋也の行動・言動があまりにも「うそつき」だから。
 物語の展開としては、どこか昭和の香りを残した微妙な古くささが、逆に現代文学としては新鮮みとなっている印象。主人公を除く要素が、一般文芸の同人集団にやたら若い人たちが参加しているとか、作中の事件が汚職絡みであるとか、冒頭に発生した殺人事件の動機であるとか、なんとなくであるが懐かしさを感じるようなアイデアが組み合わさっているように感じた。意外性を狙ったものではなく、ミステリとしてはむしろ収まるべきところに収まってゆく物語。
 また物語の本筋のついでみたいなかたちで触れられる、鎌倉を中心とした風景や光景描写、歴史や文芸についての蘊蓄がやたらに豊富。本筋から脱線、寄り道要素にも関わらず平気で2頁とか費やしているのはご愛敬。人によっては丁寧な描写で雰囲気が良く出ているということになるのかしれないが……、正直ちょっと内容の重みに比べ、描写の丁寧さは過剰に思えた。
 そしてこの本筋がまたユニーク。 題名通りの「うそつき」ががんがん物語をかき回してゆくのだ。法律こそ学んでいたものの、根本的に薄っぺらい男が自分のプライドを守るため、他人より優位に立ちたいがために、半ば癖というか、自分でも本気で信じてしまうようにぺらぺらぺらぺらと嘘をつき、その場を誤魔化してゆく。ただ、そのおかげで手がかりらしい情報がいろいろ手に入るのだ。もちろん本人があまりに薄っぺらく、ダークヒーローめいた詐欺師像の演出であるとか、他人のためにやむなく嘘をつくとか、そういう意味合いは一切無し。ひたすら、自己都合なのだ。
 面白いのは、その嘘でかきまわした結果、様々な隠された要素が浮かび上がってくる展開だろうか。本能的な嘘や、嘘で入手した情報をつなぎ合わせることによって、謎解きと同義(結果的に)の行動となっているところが本書のキモなのかなぁ、と思うのだ。

 ただ、そうはいってもこの、あまりにも独善的うそつき男はあくまでその程度の存在。改心もせず、欲望の赴くままに生きているので、まあ、結末は推して知るべし。ついでにいうと最後の最後まで読者の感情移入を拒むという意味でも、印象深い主人公である。読むこと自体に相応のパワーを要する作品でもあります。


12/05/11
横山秀夫「64(ロクヨン)」(文藝春秋'12)

 2005年に『震度0』を発表して以来、長らく沈黙していた横山秀夫氏。その沈黙期間においてもその存在感は揺らぐことなく『この警察小説がすごい!』で『第三の時効』が堂々首位を獲得するなど、読者からの支持は全く衰えていないと思われた。そんななか、満を持しての発表となったのが本書。『陰の季節』などから続くD県警シリーズに一応連なる作品だが、事実上ノンシリーズの長編といって差し支えない。

 D県警で広警務部秘書課広報室に勤務する警部・三上義信。もともとは捜査二課所属で刑事の仕事への復帰を望んでいたが、三ヶ月前、悩みを抱えていた娘が家出してしまい私生活では妻と共にその行方を捜し求めている。業務がしばしば中断されることもあり元来は友好的であった筈の記者クラブと広報室との関係がぎくしゃくしてくる。そんななか、昭和の終わり、平成六十四年に発生したD県警最悪の未解決の少女誘拐殺人事件・署内の符丁で「ロクヨン」と呼ばれる事件に対する警察庁長官の視察が決定した。事件発生は十四年前。時効を目の前にして犯人の手掛かりすらない状況下、視察を滞りなく進めるよう広報室に厳命が下される。三上自身、刑事時代にその捜査に身を投じた一人だったが、その刑事部が長官視察に際し、警務部に対し閉鎖的な態度を取り始め、さらには記者クラブが取材をボイコットしようとする騒ぎになる。更に被害者・雨宮祥子の父親である雨宮芳男もまた、長官の視察を拒否。三上はにっちもさっちもゆかない状況に追い込まれる。三上は奇妙な動きをみせる同じく警務部にいる同期・二渡の行動を追うがそのうちにロクヨン事件の捜査班の一部に不自然な動きがあったことに気付く。事件当時、雨宮の自宅に待機していた警察関係者のうち二人が退職していて行方がしれないというのだ……。

警察が、巨大な組織が抱える闇と業。更に時効寸前の事件を解決に導くアクロバティックなアイデアと
 いやいや確かにボリュームが小さいとは言い難いながら、更にそのボリューム以上の濃い内容を誇る作品である。警察という大組織を描いた作品としても、十四年前の未解決事件の解決を目指す作品としても、家族の繋がり、組織における人間同士の信頼を描いた作品としても、じっくり読める。様々な角度から物語が複雑に絡み合い、それらがハーモニーを奏でて強烈に「太い」物語となっている。
 ただ、そのことが読者にとって明らかになるのは後半以降で、マスコミと警察の対立、更に刑事部がマスコミまでをも巻き込んで警務部に対して嫌がらせを仕掛けてゆく流れは、主人公に肩入れして物語を読み進める読者の胃を痛めつけるような内容で、前半部の読み応えはかなり重い。
 当然、後半部はその重みの意味合いがそれぞれ解きほぐされてゆくので、徐々に軽くはなる。ただ文章量という意味のボリュームだけではなく、込められた様々な「思い」がまた重いのだ。
 個人が組織に属するという意味を本作でもまたかみしめざるを得ないし、その経過、結果として発せられる心の悲鳴はまた重い。また、本書にみられる幾つもの対決の構図は常にぴりぴりしていて、そこにルールも無ければ和解も難しいというこれまた胃が痛くなるような構図ばかり。それでも横山氏は組織における矛盾や、個の消滅を描くことに長けており、本書の広報軍団とD県警広報とのやり取りのシビアさには痺れさせられる。
 そして、もうひとつ魅力はミステリ部にある。十四年間犯人特定の手がかりすら得られなかった事件、これを解決に導く恐るべき方法。似たトリックは実は横山氏の過去作品にある(共通しているのは執念という意味だけだが)が、本書の場合、トリックと同時にそのやり方でしか犯人を追えない一般人の悲哀もまた浮かび上がる。彼らの心情を思うと読んでいて自然と涙が出た。また、その地点以降の展開はミステリとしても十二分に読み応えがあった。

 小生の価値観では主人公が警察組織の人間であるとはいえ、刑事ではないので『この警察』の一位に推せるかどうかという点では躊躇するながら、本書をして警察小説のオールタイムベストに推すという人も今後は多数出てくるだろう作品。その意味では年間ベストレベルではなく、先日出たばかりの東西ベスト100といった企画でも今後は名前が必ず出てくると確信できるレベルの作品である。