MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/01/10
小野不由美「鬼談百景」(メディアファクトリー'12)

 ご体調もあって講談社ミステリーランド『くらのかみ』以来、長らく新刊が出ていなかった小野不由美さんが2012年に久々に刊行した二冊の単行本のうちの一冊。メディアファクトリーの怪談雑誌『幽』に連載されていた百物語怪談を単行本化するにあたって書き下ろしの新作を十八編付け加えたという。

 誰かが体験した奇妙な話、恐ろしい話、説明のつかない話。見えないはずのものが見え、この世のものではない何かから誘われる。学校、家庭、店舗、リゾート、田舎、都会。小学生から老人まで、奇妙な話は世の中のどこにでもある――。
 『未来へ』『増える階段』『マリオネット』『一緒に見ていた』『踊り場』『K二六五』『遺志』『隠れ鬼』『続き部屋』『鬼』『透明猫』『教えてくれたもの』『K階段』『香水』『跳ねる』『白い画布』『開かずの放送室』『胡麻の種』『落とし物』『どこの子』『シーツ幽霊』『非常階段』『末期の水』『夢の男』『被写体不明』『どろぼう』『壁男』『謝辞』『街灯』『烏』『青の女』『定位置』『特別な二階』『お気に入り』『第七コース』『軍服』『追い越し』『さずかりもの』『電話ボックス』『図工室から』『トンネル』『砂山』『もう駄目だ』『髪あらい』『足音』『廃病院』『もう一対』『カエル』『芸者』『テント』『お馴染み』『海へ還る』『仲間入り』『赤い女』『覗き見』『助けて』『三コマ』『時間差の足音』『狐狸の住処』『影の手』『禁忌』『掃除のテープ』『ぬいぐるみ』『たぶん五匹』『続きをしよう』『レインコート』『注意報』『黒猫』『給水塔』『顔』『背中』『グリコ』『剃刀』『ウィリアム・テル』『雨女』『横顔』『墜落』『踏切地蔵』『一念』『兄』『密閉』『不評』『影男』『壁下地』『無言の妹』『来訪』『ガラスの中』『リレー』『窺うもの』『欄間』『ひろし』『逆らう手』『名代』『空きチャンネル』『鏡』『滴』『尾けてくる』『満ちる』『花簾』 以上 九十九編。

日本全国津々浦々、二十四時間誰にでもどこにでも。形や姿を変えて怪異はどこにでも忍び入る
 いわゆる実話系怪談による百物語(収録は九十九話)で、ごくごく短い話とちょっと長めの話が混じり合って構成されている。舞台は現代が基本で時折回顧的な話も入るが、せいぜいが携帯電話のない時代といった程度。平均すると3ページから4ぺーじ前後の話が多いか。ただ、人から聞いたという部分を強調するでなく、語り手こそ変われど、まさに「百物語」のような語り口にて物語が紡がれているのが特徴だ。きっと、現代どこかで、本当に話を持ち寄って「百物語」を行うと、本書のような感じになるのではないかと想像される。
 そして個々の作品、文章は粘着質でも過度にさらりとしている訳でもなく、どちらかというと的確で平坦。その分、余計な装飾抜きで読者と怪異が向き合うことができるようになっている。また、特定の地方、特定の人物といった縛りを出来るだけ無くした構成になっていて、体験者の性別や年齢の違いこそあれど、発生する怪異そのものは、比較的誰の身にも起きえるようなパターンの占める比率が高い。つまりは、その気になれば誰もが怖い思いをすることが出来る怪談本ということになる。
 これだけ作品があるとたとえ読者が誰であっても、少なくとも数作品は、読者の心に直接響く、後を引いて心に残るような作品が幾つか目立って出てくるもの。小生の場合は『砂山』における、埋められた人物に近寄る、砂の中に潜んでいた白い手や、『もう駄目だ』の、見えている本人にしか見えていない、後ろから追いかけてきていたのであろう何か、また『髪あらい』の、ぬめった下水管に突っ込んだ指が握りしめられる感触など、やはり目に見えにくい怪異が、人間のいる空間に害意をもって侵入してくるような作品にどきどきさせられるようだ。
 また、怖いとは別の意味で妙に心に残るのが、ごくごく短い『芸者』なる作品。怪異を目撃してしまう人物による経験談なのだが、ラストで部屋に現れた芸者に対して、思わず足が出てしまい、それを怪異の方が避けたという展開に驚く。うまく説明しづらい感覚なのだが、実体として手応えがなかったとか、気持ち悪い感触があったとかではなく「避けた」という反応そのものが醸し出す微妙な味わいが変に余韻となって残る感じがした。

 読む前も、読んでいるあいだも、読み終わってからも受ける印象はやはり「現代の怪談」にして「現代の百物語」。ただ、2012年限定かというと決してそんなことはなく、恐らく今後も普遍的な怖さ、そして存在意義を持ち続けてゆきそうな一作だ。同時期刊行の『残穢』とも繋がるような話もあり、怪談好きならば、押さえるべき作品集である。


13/01/09
小路幸也「話虫干」(筑摩書房'12)

 筑摩書房刊行の雑誌『ちくま』二〇〇九年一〇月号から二〇一一年九月号にかけて連載された長編に加筆修正して単行本化されたもの。ノンシリーズの長編。

 馬場横町市立図書館。歴史と伝統のある図書館に司書として採用された糸井馨。彼は副館長の榛さんから「話虫干」なる業務を命ぜられる。図書館の蔵書である貴重な初版本が「話虫」と通称されている存在によって、内容が書き換えられてしまうのだという。図書館員に伝わる「話虫干」は、その話虫がゆがめた物語に、登場人物として図書館員が入りこんで本来の筋道に戻すことをいう。糸井が入りこんだのは、夏目漱石の『こゝろ』。本書に登場する学生・圖中とその友人・桑島との共通の友人として糸井が登場する。物語には原作にはない桑島の妹や夏目漱石本人などが登場するようになり、外国人美少女のエリーズ、果てはシャーロックホームズに至る迄、物語は脱線してゆく。学生の糸井と、その下宿の女主人にして、夏目漱石とかつて親交があったという設定の榛さんは、物語の状況を観察しながら、物語のなかの話虫が誰なのか、そしてどう筋道を修復すべきか頭を悩ませる。

話虫という発想はユニークながら、拡がった風呂敷をキレイに畳もうとしすぎた、かな?
 冒頭から『こゝろ』に登場する圖中が感じる違和感といったところから物語がスタートする。視点人物がまず『こゝろ』における登場人物なのだ。よく分からないまま物語が進み、いきなり糸井視点に切り替わり、現代的な言葉遣いと行動を物語中で取りながらの状況、加えて回顧場面を挟んで、ようやく物語の全景が見えてくる。なるほど、『こゝろ』の世界にスリップインした現代人の物語、と。つまり彼らは、タイムパトロールよろしく歪みを訂正する使命を帯びている。
 ただ、現実問題として(個人的には)『こゝろ』は学生時代に読んだことがあるという記憶しか残っていない。どんな話だったか、完璧に忘却しており、むしろ本書で再発見したという情けない状態で読むことになった。ただ、名作とはいえ、本書を読み始めるタイミングで、ちょうど『こゝろ』の内容が完璧に頭に入っている人もかなり少数だろう。
 引っかかったのは『こゝろ』の内容を覚えていないという問題というよりも、糸井サイドと圖中サイドと描写をする視点人物が切り替わることについてゆきにくかったことか。特に糸井が現代と現代的視点で榛さんと会話する物語中とで視点を引き受け、学生として物語は桑島の視点において発言、行動していることで読んでいて微妙に居心地というか揺れのようなものが感じられてしまうのだ。設定が特殊すぎるのでどうしても説明的発言が必要である一方、どことなく落ち着かなくなってしまっている。
 また、タイムパトロールどころか、全く是正される気配もないまま、物語は正直『こゝろ』の世界を超越する拡がり方をみせてゆく。 本編からの歪みは激しくエスカレート、シャーロック・ホームズまで登場させてこっからどうするの? ──と思っていたら、こちらはそれも引っくるめて小路氏はある意味きちんと、その風呂敷を閉じてみせた。(本当の問題は、本編だと自殺してしまう桑島の処遇だと思うのだが、それも引っくるめて)。ただ、贅沢な感想になるが「あくまで辻褄があった」というレベルであり、なんというか読者として「これはうまくやった、やられた」という程のカタルシスには至らなかったことが微妙に残念。恐らくはこれしかないだろうなあ、という予想の範疇に収まったからかもしれないが。

 正直、小路氏の数ある作品のなかでは結構異色に分類される作品になるかと思う。ただ、それでいて内容自体は小路節をしっかりキープしているので、ファンであれば楽しめるものと思う。ただ、本書から小路ワールドに入るというのは、ちょいご遠慮いただきたい感じか。正直、小路氏の場合は、物語上の制約が無く物語を大胆に動かせた場合の方が「良さ」がより多く出るように感じられるので。


13/01/08
深木章子「衣更月家の一族」(原書房'12)

 『鬼畜の家』で第3回ばらのまち福山ミステリー文学賞を受賞した著者による二冊目となる長編作品。書き下ろし。(本作を読むまで名字の「みき」を「ふかき」と誤って読んでいたことは秘密だ)。

 世田谷区の住宅街で廣田優子という主婦が自宅玄関で撲殺される事件が発生した。現場には花瓶、そして包丁。優子の妹である晴菜の夫、つまり義弟の弘毅が加害者であることははっきりしていた。弘毅と晴菜は離婚調停中であったが、未練の残る弘毅が妻に対してストーカー行為を働くようになっていたのだ。優子宅に身を寄せていた晴菜を訪ねた行き違いから起きた事件だと思われたが、弘毅は自ら警察に出頭し、優子が自分を包丁で襲ってきたのだと証言する。それを花瓶で防戦してこのような結果になったというのだ。同時期、職場で共同購入した宝くじで高額当選を果たし、当選金を独り占めして失踪するように退職した楠原という人物がいた。その楠原が変死。恋人だった麻貴はどうして良いか分からず、友人のマンタに相談するが、マンタは楠原に成り代われば良いとアドバイスをする。さらに別の鷹尾家では長男が両親を自宅階段で突き飛ばし、死なせてしまう事件が……。

異なる貌つきをみせる三つの事件を最終的に収斂させてゆくテクニックがポイント。技巧本格
 それぞれ全くタイプの異なる事件、さらに事件の中心人物の名字をとって、三つのエピソードがそれぞれ「廣田家の殺人」「楠原家の殺人」「鷹尾家の殺人」という題名で異なる物語となっていて、最終的に表題でもある「衣更月家の一族」というパートでまとめられている。冒頭に相当する事件は、花瓶と包丁と、その指紋を使用したシンプルなトリックながら、そのトリックに込められた意味が最終的に判明することで大きなサプライズへと繋がってゆく。最初から予定されたどんでん返し、そしてその更に上をゆくアイデア。要所で展開されるロジカルな推理が心地よく、なかなかミステリ的な構成に対して手慣れているように感じた。
 個人的には、三つの事件が収斂する最終的な構図よりも、事実上三中編ともいうべき構成のなかの、個々の事件についての表現力にむしろ感心した。 宝くじの高額当選から崩れてゆく人間関係、更にその本人死亡に際しての偽装結婚であるとか、愛なのか打算なのか、登場人物の動きが敢えてその底がわかりにくく表現されているため、倒叙形式で事件を追っているのにどこか、不安な気持ちが伝染してくるようだ。
 最後の事件については人生の転落から振り込め詐欺要員にされるまで、プチピカレスク小説のような印象もあった。どちらかというと社会派的要素も加えられた三つの物語。その三つを貫き通す鍵はあるのか──。
 更に、最終的に連作のかたちになると知っていても、一見では、その繋がりが分からないようになっている。連作として繋げる趣向自体は否定しないが、今回の動機は正直少し陳腐にも思えた。物語の連鎖の構成が非常に良いだけにもう少し、動機についてはひねっても良かったのではないかと感じられた。

 デビュー一冊目の受賞作『鬼畜の家』も題名からして衝撃ではあったが、この二冊目については余り奇を衒ったところはなく、むしろミステリとしてかっちりとした構成になっていて、オーソドックスなミステリ作家としての実力を知ったような気分もあって嬉しい驚き。作品においても、いろいろ作中人物と共に推理をする楽しさもあります。


13/01/07
西尾維新「憑物語」(講談社BOX'12)

 2011年に刊行された『恋物語』にて「物語シリーズ」セカンドシーズンが終了、その際に予告されたファイナルシーズン三部作のうち、一冊目にあたる作品。「第体話 よつぎドール」。

 大学受験を控えた高校三年生の阿良々木暦。二月の中旬のある日、妹の火憐が朝の日課のフルマラソンに出た際に、帰ってからの風呂を入れてやったところ、もう一人の妹・月火と鉢合わせた。火憐のための風呂ではあったが、二人とも自分が一番に入ろうとしたためだった。結局なぜか妹と二人で風呂に入る羽目に陥った暦であったが、そのさなかに自分の身体に起きた異変に気付く。自分の身体が鏡に映らないのだ。また、忍に血を吸わせていない(吸血鬼化していない)にも関わらず、骨折レベルの怪我が常人ではあり得ない速度で回復してゆくのだ。暦自身、吸血鬼になりかかっているのか? 忍野メメがいない今、臥煙 伊豆湖のセッティングにより、暦は怪異の専門家である影縫余弦に相談を持ちかける。どうやら何度も吸血鬼の力を暦が用いたせいで、暦自身が吸血鬼になりかかっているのだという。そんななか、不死身の怪異を専門とする人形使い・手折正弦によって神原駿河と暦の妹たちが誘拐されたとの情報が入る。暦は、余弦の相棒である憑喪神の少女・斧木余接と共に事態に対処しようとするのだが……。

本当に終焉に向かいつつある? 時間は流れ、人は変わる。物語はどこへゆく?
 エロい方で有名になった『偽物語(下)』での大きい方の妹・火憐との歯磨きであるとかと同等、今度は小さい方の妹・月火とまた風呂場で乳繰合うという展開で、序盤に多くのページが費やされる。まあ、それはそれ、物語シリーズの名物でもあるし、序盤でこういうゆるゆるにやにやな場面を持ってきて後半のシリアスと物語内部で落差をつけるって、ああそうか『ひぐらしのなく頃に』と方法論としては同じ(?)。
 その後は阿良々木暦に発生した怪異──というか変化について。吸血鬼の力を持った人間から、人間にもみえる吸血鬼へ。これは単にモンスターになるという事実に加えて、怪異の専門家たちの「狩り」の対象にもされてしまうということ。この変化に戸惑う暦と忍。ただ、この段階でもう中盤。どこかあっさりと説明されているような印象もある。ここで読者としてそう焦らないのは、他の作品で無事に大学生となった暦の存在が描写されたことを知っているからか。
 ただ、物語としてはきっちり起伏がある。加えて、いつも通りというか、いつもと違ってというか、西尾維新の物語のコントロールは終盤に至って凄まじいキレをみせる。、阿良々木暦にとっての今回の”敵”・手折正弦との戦いが、この作品単体においてはクライマックスであり、そこでの戦い自体が意表を突く展開になっているのも、これまたある意味ではいつも通り。工夫とアイデアによって、クライマックスを普通に力同士の衝突にしないのも、この物語シリーズの特徴の一つだ。
 そこで西尾維新がもう一段階巧いのは、その読者に対し、戦いを収拾するにあたっての裏切りを投入──とここまではいい。さらにシリーズ読者が漠然と気付いていること、つまり、「物語」シリーズが後半戦になってから少しずつ主要登場人物が退場していという事実に沿って、本作もまた進んでいると納得させる。(ここまで、忍野メメが消え、千石や真宵は舞台からエピソードと共に退場している)「ほう、途中から出てきたけれど、ここで○○○も退場かぁ」という得心に対して、裏切る。えええ! もうこれは単なる感想でしかないのだけれど、本当にあと二冊で結末に至れるのかどうか。帯代わりのシールには、「100パーセント終焉に向かう小説です」との西尾氏のコメントがあるのだが。あと、忍野姓を持ち、登場人物に干渉できるメタレベルのあの人物の本当の役割は一体?

 ということで、『恋物語』とは異なり、残り二冊『終物語』『続・終物語』がいつ頃の刊行になるのかは記載が奥付後の広告にはありませんでした。いずれ出るのでしょうが、本作以降の展開が全く読めないというのがやっぱり西尾維新。どう裏切ってくれるのか、それがまた楽しみ。三部作のはずが結局四冊になるというような別のかたちで意表を突く展開もあり得るかも。


13/01/06
青柳友子「石膏の家」(集英社文庫'89)

 解説によると、純文学中心の一般小説家から、執筆対象をミステリに移し始めた時期に発表されたノンシリーズ短編を集めた文庫オリジナルの作品集。最も古いのが一九八〇年に『別冊小説新潮』秋号に発表された『きれいな若い男』、最も新しい『サバイバル・ゲーム』が『小説新潮』一九八五年八月号とのこと。

 父親と二人暮らしの江里子は、バーのステージに出ていた若いギター弾きと知り合い、自宅に連れて帰る。深い関係になった二人だが、江里子は父親の世話を続けている。 『石膏の家』
 会社の金を横領して恋人に貢いでいた志津子は、男に捨てられ横領がばれそうになり、死にたくなっていたところ、いきなり結婚しないかと求められ、その男の家を訪れ関係を結ぶ。しかし何気なく開けた押し入れから別の女性の死体が現れる。 『サバイバル・ゲーム』
 東京のひとり暮らし。痴漢や変質者に注意していためぐみの周辺では、婚約者の明彦が不在中に不安に思えるような出来事が立て続けにおきていた。そのめぐみは自宅で襲われそうになって……。 『幸せになりたい』
 バレエスタジオで知り合った洋子と澪はレズビアンとして愛し合っていた。ダンサーの澪が腰を痛めたこともあり、洋子は甲斐甲斐しく世話を焼くのだが。 『愛しすぎて』
 かつて交際していた男はエリートサラリーマンに。芸能界に進んだ自分は落ちぶれている。自分を成功者と偽って、その男・三田と会った彼女は嘘を重ね、三田とホテルに行くことになるが……。 『昔の夢』
 偶然知り合った一つ年下の大学生と交際して三年、男は別の女性と結婚するという。負担にならないよう下手に出ながら最後に会って、彼女は男をべろべろに酔わせる。 『愛の誓い』
 交際していて結婚を考えていたはずの男が、会社の同僚と結婚してしまった睦美。その女性から、何故か時折睦美に電話がある。 『あのひとによろしく』
 レストランで働く三十一歳の未樹子。年上の美女が若い男性と食事をしにきた。その男性が、一旦店を出たあと、わざわざ未樹子を待ち構えていた。 『きれいな若い男』 以上八編。

男と女の強い欲望とすれ違いが生み出す生々しい人間模様。このドロドロ加減に昭和が薫る
 ミステリとしては、前半の作品、表題作の『石膏の家』そして『サバイバル・ゲーム』が、意外性を兼ね備えていて、本格とはいえないまでも読みどころがある。続く『幸せになりたい』は、後味はとにかくまだサプライズがあるものの、そこから後半の『愛しすぎて』『愛の誓い』『昔の夢』といったところは、男女、女女といった組み合わせには変化がついているものの、裏切られた女性が、相手に対して復讐する(一種の心中)というもの。その手順や手段については、多少凝った小道具を用意しているケースもあるものの、ミステリとしてのポイントになるレベルには至っておらず、せいぜいがサスペンスを小道具に使う一般小説であるという印象だ。『あのひとによろしく』『きれいな若い男』も、味わいとしては一般小説に近く、ミステリは香り付け程度。
 先に挙げた『サバイバル・ゲーム』については、ありそうに無い設定を重ねる(死を覚悟するほど相方に裏切られた男女がその晩に偶然出会って声を掛け合う)ところは良いのだが、そこから男女の知恵比べとはいえ、展開がシリアスに走ってしまったところに微妙に違和感。こうまで徹底するのであれば、スラップスティックに走った方がユニークな作品になったと思うのだが、まあ、今更いっても仕方無いところ。
 ということで、作品として、そしてミステリとしての完成度でいうと表題作になる。特に終盤のある人物のさりげない壊れっぷりはポイントだろう。単に事件だけではなく、落としどころに歪んだ心理を浮かべたことで印象深い作品になっている。とはいっても、この作品集のなかで、という話であってミステリ史に残るほど凄いということではない。作品集全体のレベルとしては一般小説とミステリの中間程度、現在のミステリ読者が積極的に手に取る理由はあまり見当たらなかった印象。

 個々のの作品とは無関係な話。別にそういうタブーが現在ある訳ではないのだけれど、こういった女性視点による肉欲的感情って近年、小説ではあまり描かれないようになっているように思う。昭和期と平成の作品、カルチャーだけではなくこういった根本的な違いがあります。本作に限らないものの、昭和期の小説を読んでいると、文化は確実に変化しているということに気付かされたりするのです。


13/01/05
京極夏彦「眩談」(メディアファクトリー'12)

 二〇一〇年四月から二〇一二年十一月にかけて、主に怪談雑誌『幽』に連載された作品群に『厠の怪』といったアンソロジー、電子書籍などに発表された作品が加えられてまとめられた短編集。『○談』シリーズも『幽談』『冥談』に続いて三冊目となった。ノンシリーズながら、日本固有の八百万の神様にまつわる奇妙な話で揃えられている。

 田舎家の古い便所に行くという行動を徹底的に厭な感じで描写した、その臭い展開の結果。 『便所の神様』
 特に心当たりがないままに視界の中で一部が歪んで見えるようになった私。その症状は凄い勢いで進行して……。 『歪み観音』
 六年に一度しかやらない敬太の村の祭り。六年生の敬太は以前の祭りのことに思いを馳せる。果たしてそこには別のある人物がいたのではなかったか。 『見世物姥』
 小学校の友人宅の隣に住んでいたちょっと困った人物・もくちゃん。頭のねじが外れた彼の存在を友人はいろいろと困っていたが。 『もくちゃん』
 勢いで会社を辞めた二十六歳の私。実家では「シリミズさん」なる何かを意味不明のまま、適当に祀っていた。一体これはなんなのか。だけど……。 『シリミズさん』
 つぎはぎだらけのちょっと普通では無い温泉旅館。館内で風呂に入ろうとするだけで迷子になってしまい……。 『杜鵑乃湯』
 父の十三回忌の最中に気分が悪くなって出てきた私。目の前にあった坂は、思い出す坂なのだとそこにいた老婆が説明する。 『けしに坂』
 小学校の頃によしこという名の同級生がいた。二十年以上前の曖昧な記憶。その証拠の一冊のマンガ本。覚えていることを埋める「むかし塚」……。 『むかし塚』 以上八編。

そこにある表現のしきれない「何か」に対する畏怖。言葉にしづらい感情が詰まった傑作集
 冒頭の『便所の神様』からいきなり傑作なのでびっくりした。他の作品も含めて、本来、怪異は不条理な存在であるということを読者に突きつけるような作品が多く、個人的には『○談』のシリーズのなかではもっともレベルが高い一冊になっているものと考える。
 同時に、読者によって相当に好みが分かれるであろうことも想像に難くない。この手の不条理な作品、幻想的な作品を全く受け付けないという読者(特に京極堂シリーズのみの読者だとその傾向が強いのではないか)も多いだろうし、怪異であってもある程度は因果と応報があった方が好みという方もいるだろう。だが、敢えて個人的にはこの「え、この話、訳分からないよ」という感覚を大事にしたいと思うのだ。
 その意味で冒頭の『便所の神様』が巧く、そして凄い。田舎で暮らしたことは無くとも不衛生な便所を使うという経験ならば、大多数の人にあるだろう。その肌感覚、鼻感覚、視覚から雰囲気まで強烈なイメージで再現している途中。そのクライマックスの「訳分からなさ」。一読唖然、これほどインパクトのある短編はなかなかお目にかかれない。
 因果応報系であれば『もくちゃん』『見世物姥』といったところが、ある程度普通の怪談系統か。異形コレクションのグランドホテルを何となく思い出さされる『杜鵑乃湯』や、物語としては不思議な感覚があるがまとまりの良い『むかし塚』といったところも別の角度からすると正統派幻想小説ということになるだろう。
 あくまで個人的な感覚からになるが、もう一編、『シリミズさん』が大好きだ。そもそもなんでお祀りしているのか誰も分からない、何か。それに加えてなんでか分からないけれど、うわあ、という振り回されるような展開から不思議なスリルすらかき立てられる。不思議で、厭で。嗚呼。形容しがたい。この「形容しがたさ」にどうにも惹かれているみたい。

 一編一編、神様というか不条理というか、人間の想いとか行動とかでどうにもならないような物語が次から次へと飛び出てくるので全く飽きず、ある意味一気読み。そしてどーーーんと不思議な気分に囚われてしまうという。しかし、この物語群は実は神様が創っているようにも思えてきますね。
 あと、どうでも良いことですが、特殊なフォントで組まれていることもあって「と」が読み辛いように思いました。


13/01/04
有栖川有栖「論理爆弾」(講談社'12)

 もともと理論社のミステリーYA! として開始された少女探偵「ソラ」シリーズも『闇の喇叭』『真夜中の探偵』に続いて、ついに三冊目。(予告されてから少し時間が経過しましたが)書き下ろしにて刊行された。

 北海道と本州とのあいだに国境線が引かれているパラレルワールドの日本。探偵行為は国家の捜査活動に対する反逆行為として、重大な犯罪として扱われている。探偵の両親のあいだに生まれた空閑純。母親が探偵活動中に行方不明となり、職業を隠した父親と奥多岐野という片田舎でひっそりと暮らしていたが、ある事件に巻き込まれ父親が探偵活動で逮捕されてしまう。ソラは仲の良かった友人にも行く先を告げずに大阪へと旅立つ。父親の裁判を待っているあいだに得た手がかりで、母親が失踪したという九州のある村にたどり着いた。いきなり老婆から帰るよう怒鳴りつけられたりしつつも、なんとか五年前の母親の足跡をたどろうとするソラだった。しかしその村の山を隔てた隣村に、ある人物を狙って、北の国の特殊部隊兵士が侵入したという情報が。国家を挙げてのテロ対策であったが、村の出口となるトンネルが撃墜されたヘリコプターによって塞がれてしまう。一方、閉鎖された村では、次々と住民が殺害される事件が発生する。

あったかもしれない日本の物語。パラレルワールドに自覚的なアンチ本格ミステリに驚き
 有栖川有栖はロジックを駆使した本格ミステリの書き手である──というのは、少なくとも現在の作者の立ち位置を形容する言葉として間違っていないだろう。本書においても、そのスタイルは揺らいではいない。揺らいではいないのだが、その立ち位置をうまく利用して、これまでの有栖川ミステリとは異なるスタイルの本格をやっているように感じられる。
 有栖川本格の通常のロジックであれば、犯人の狂気なら狂気に対しても、狂気なりに論理的な行動というものがあって、手がかりや推論から蓋然性の高い真相を見抜くことが出来る──というのが基本。状況や環境、目的などに従って犯人が行動する結果、意外であってもその人物の犯行だというのが、蓋を開けてみるとすっきり分かる。ところが、本書、犯人に相当する人物が当然いるのだけれど、犯人の論理が真っ直ぐではないのだ。その理由は我々の住む世界からすると、物語の存在する「世界」そのものが歪んでいるから。(もちろん向こうから見たら、我々の立ち位置もまた歪んで見えるだろうが)。北海道と本州のあいだに国境があり、その結果、文明こそ現代と同様の進化を遂げていながら、文化としては多いに異なる世界。その常識の違いが論理の意外性に奉仕している。つまり、この世界での真っ直ぐが、ミステリの常識からみても少し歪んでいる(ように見える)。
 ソラの世界の「日本」についての細かな設定を一冊目から積み重ねていることもあって、読者は物語世界に一度入れば、その歪みも含めて気付かないうちにこの「世界」に居ることになる。細かな設定が積み上げるユニークな世界観はもちろん、ソラやその友人たちが織りなす友情の物語にせよ、物語そのものが魅力に満ちていることはいうまでもない。だが『闇の喇叭』一冊で完結できないこともなかった(実際そう思う)このシリーズを、有栖川氏がこれだけ深みに満ちた展開にしているところに、物語の充実とは何か別の、ミステリ作家としての深謀もあるように思えるのだ。

 ということで本書は「学生アリス」「作家アリス」とはまた異なる「本格ミステリ」へのアプローチとなっているようにも思われる。何冊かで結論は難しいのでこの観点からは続編をもう少しみてみたい。本書は本書で「こんな理由で山の中にクローズドサークルをこしらえたミステリは他にあったっけなあ?」とか、普通にいろいろ思うけど、簡単にまとめるならば、やはり細かな設定から導かれるサスペンス感が素敵な本格ミステリです。


13/01/03
逢空万太「這いよれ! ニャル子さん7」(GA文庫'11)

 七冊目にして初の『ニャル子短編集』とはいうものの、普通に短編が並んで収録されているのではなく、枠として刊行当時のニャル子が上司への報告書の水増しに際して、これまで書かれていなかったエピソードを新たにレポートするという形式がとられている。この部分の独白も結構楽しい。あとがきによると『GAマガジン』に収録された短編3話プラス書き下ろし3話にて構成されている。短編の題名それぞれも何かしらパロディだなぁ。

 真尋とニャル子が最初の事件を解決した直後。欧州のどこかの国から真尋の親戚として転校してきたニャル子と、その友人・暮井珠代が真尋攻略について相談する 『世界の合い言葉は萌え』
 あの事件のあと蕃神がいなくなってしまい、地球人の夢における防御力がゼロになってしまった。代わりの蕃神をどうするか、真尋の夢のなかで相談するニャル子とクー子。しかしその手段に真尋がキレる。 『幻夢境の一存』
 心の底でどうやら真尋を憎からず思っていた暮井珠緒。ニャル子の親友でもある彼女が、また対真尋の恋の相談を受ける。しかし事態は珠緒の想像以上に進展して、かつ停滞していた。 『恋愛の才能』
 クー音の騒動の後。真尋の母親(永遠の十七歳)が商店街の福引きでプールのタダ券を引き当ててきた。一行がプール。まあ、ろくな事にはなりません。 『プールサイド、血に染めて』
ニャル子が風邪を引き、いつも冷たい真尋たちも優しく看病。そんななか惑星保護機構から出撃命令が。クー子、ハス太、真尋はシャンタッ君に乗って北極へと向かう。敵はレアアースを採掘に来たミ=ゴ。 『ユゴス・アタック』
 シャンタッ君は小さい脳味噌で、いつも何とか真尋のお役に立ちたいと考えていました。 『断章 ちいさな恋のうた。』 以上六編。

安定のぐだぐだ。ツン99%への歪んだ愛情と肉欲とが迸るパロディ満載の展開
 ↑「安定のぐだぐだ」、というこの形容詞こそが相応しい(自賛)。 ──ここまでの各巻の長編エピソードの中間に入る(現実の作品としての初出も、巻と巻のあいだである)幕間的要素満載の短編エピソード。ただ、その時々で真尋のニャル子たちへの態度軟化がじわっっとあることはあるにせよ、絶対に駄目過ぎる邪神に対して一線だけは越えさせない人間としての矜持……というよりも、単純にツンの極みを見せつけてくれる。(ここまでツンが続いても健気なニャル子ではあるけれど、本書では多少そこに気持ちの揺らぎがあったりすることも見て取れて、そこもまた面白い)。
 そして相変わらずのパロディネタの数々。分かる限りではライダーがやっぱり多いけど、それだけでは無い感じ。メタレベルのパロディネタは本来商業出版では禁じ手だと思うのだけれども、ここまで徹底されると芸として完全に「有り」の世界だ。

「なぜ仕事の報告書に『もっと動きが欲しい』やら『視点が揺れている』やら言われなければならないのか」

「お待たせしました。歩く暮井さん」(その前まで「歩くスピーカー」呼ばわりだった)
「……いや、まあ、確かに歩くけどさ」

「お前に足りないものは真心加減配慮誠意礼儀優しさ慎み深さそして何よりも――常識が足りない」
「……真尋さんに足りないものはヒロインを思いやる気持ちだと思います」

「そんなわけで、ブレーンストーミングを始めましょう、クトゥルー的に」
「クトゥルー的にやったらほんとに脳味噌をかき混ぜることになるからやめろ」

 とうとうニャルラトホテプの作った料理にすら欲情するようになったらしい。つくづく存在自体が病気の生きている炎だ。

「何の鳥だ、言ってみろ」
「タカとクジャクとコンドルの肉です」

 風属性の邪神だけにエア十代。←これは巧いこと言っていると思う。冗談言ったらエア・ジョーダン。

「まずは準備運動をしませんとね。いっちにー SAN値!」

 繰り返しますが安定したぐだぐだ。ゲームマンガ特撮アニメ系統いずれかに詳しい方であれば、その元ネタに思い至った時に吹き出すこと確実。ところどころ昭和歌謡。脱力といえば『ユゴス・アタック』の敵対的邪神撃退の方法など脱力すること請け合いです。無駄な伏線が多すぎる。だがそこが良い。テレビ放映がだいぶ前に終了してしまったので少しあいだが空いてしまいましたが、まだ既刊が数冊。だらだらゆっくりと読んでゆくとしましょう。


13/01/02
津原泰水「爛漫たる爛漫─クロニクル・アラウンド・ザ・クロック─」(新潮文庫'12)

 『小説新潮』の別冊にあたる新潮社の雑誌『yomyom』24号、25号に掲載された少し短めの長編作品で単行本を経ずに、文庫先行で販売された作品。あとがきによると〈クロクロ〉と名付けられているこのシリーズの構想は既に第三部まであるとのこと。またどんでん返しが予告されており、そういった意味でもユニークな作品となりそうだ。副題はビル・ヘイリーの名曲「ロック・アラウンド・ザ・クロック」と引っかけられているのだと思うが、それ以上のことは分からない。

 玄人受けするテクニックや計算しつくされた楽曲で知られるロックバンド「爛漫」。メンバーのなかでも特に異色の才能があったボーカリスト・ニッチこと新渡戸利夫が違法薬物のオーバードースで死亡した。音楽ライター・向田むらさきの娘・向田くれないは母親に頼み込み、その葬儀に同行する。くれないの目的はその葬儀に訪れるであろう米国帰りのギタリスト・岩倉理と面識を持つこと。くれないは彼こそが、母親が決して明かそうとしない自分の父親だと推量していた。通夜の席で偶然ながら爛漫の残されたメンバーともくれないは面識が出来、さらに利夫の年子の兄・鋭夫とも知り合いになり、携帯電話番号を交換する。実は鋭夫は聴覚が不自由ながら、利夫が作曲したとされる爛漫の楽曲の多くに関わっており、実は影のメンバーといって良い存在であったが、その事実を知る人物はバンドメンバーの一部だけとごく限られていた。鋭夫がステージに立つことになっていた追悼コンサートにて、何者かによって鋭夫は感電させられてしまう。くれないは、その準備をしたPAが鍵を握るとみて、単独で彼女に会いにゆく。

現段階、ミステリとしては普通。だけどロックバンドの生々しさ、瑞々しさがじっくり描かれる
 ひとことで表してしまうと、変死した人気ロックバンドメンバーの死の謎を追え! てなお話。ただ、その筋書き通りに淡々と表現されている訳では無く、この小説自体が、そのメンバーの死も含み、その前後の環境も引っくるめてのプロモーションビデオのような構成となっている。時系列がシャッフルされ、その部分部分が表現されることによって、事件の発生と経過、加えてロックバンド「爛漫」の存在に至るまでが、読者の頭の中で再構成されるよう、計算されたプロットによって物語が出来ている。
 ただ、一冊目の段階で判断するのは拙速ながら、この作品のみを取り上げると禁止薬物を巡るサスペンスと、その実行犯人とが陳腐というか普通に感じられる。(奇を衒っていないという意味では、安心して読めるということでもあるのだが)。ミュージシャンや関係者が薬物で死ぬ。自分もミュージシャンに関わりたかった人間のエゴ。──恐らくは、この作品にちりばめられている「微妙に不自然」な登場人物の行動や言動が、あとから回収されてゆくのであろう。──実に楽しみである。
 ミステリとしてはまだ現在進行形だと推察されるながら、それでいて架空のロックバンドの才能や楽曲イメージを読者の頭の中に描き出す表現力が素晴らしい。(陳腐なほめ方になってしまうが)。読んでいるのは活字の並びでしかないのだけれど、メロディまでは無理ながらその熱狂であるとか、グルーブであるとか、ロックバンド特有の生々しい熱さが伝わってくるのだ。また、主人公のくれないをはじめ、登場人物が持つ異能(抜けた才能)であるとか、立ち位置の表現であるとか、シンプルながら必要十分な文章で語られている。それぞれが抱える「美学」も、また。当然、人間がいればいるだけ思惑も出てくるであろうし、ここからどう物語がローリングしてゆくのか。

 作品全体に対する判断は二冊目、三冊目を待ってから、ということになるのだろうが、あの『ブラバン』で見せつけられたような、楽器・音楽に対する人間の想いのようなものはこの作品から既に濃厚に立ち上っている。文字に込められた音楽を引き続き楽しませていただけるものと大いに期待する次第。


13/01/01
初野 晴「カマラとアマラの丘」(講談社'12)

 冒頭の表題作は『小説現代特別編集「esora」vol.05に、また真ん中の『シレネッタの丘』は『メフィスト』2011 vol.3に発表された作品。残り三作は書き下ろしにてまとめられた単行本。

 廃園となったその遊園地には奇妙な噂があった。今なお一年中綺麗な花が咲いており、一人の青年がその番人をしている。動物と会話したり、相手の考えることを読み取るさとりであるという話もある。月の出ている晩にその青年と出会い、いくつかの質問に正直に答えると、自分の一番大切なものと引き換えに大切なパートナーを望み通りに埋葬することを引き受けてくれる――。
 心の病を治す心理療法士(セラピスト)のリサは、人間もペットも相手に治療を施すことができるプロ。そんな彼女が担当しているおばあさんから廃墟の遊園地の話を聞き、夜中にパートナーだったハナの遺骨と遺灰を持参、現れた森野と名乗る青年に、リサはハナとの物語を語り始める。『カマラとアマラの丘』
 米国人のブライアン・レイとその妻・夕鶴。廃園となった遊園地に忍び込んだブライアンは、引きずってきた『ビッグフット』をこの遊園地に埋葬して欲しいと、現れた森野に頼む。ビッグフットは存在が確認されていない未確認生物だ。一方ブライアンがいない時間、夕鶴は全く違う話をする。彼女は移植治療を専門にする医者で、ブライアンにある治療を行ったのだという。『ブクウスとツォノクワの丘』
 ベテラン刑事の市川は廃園となった遊園地を訪れた。仕事熱心なあまり構ってやれなかった息子が交通事故に遭い意識がない状態に。延命を求める市川に対し、妻は息子の命を思い切りたいという。市川は三鷹下連雀で発生した「天才インコ」と脳性麻痺の少年が生き残った一家惨殺事件の捜査をしていたが、現在は担当から外されていた。 『シレネッタの丘]』
 鼠を捕って生計を立てている薄汚い老人を追ってその弁護士は廃園となった遊園地に足を踏み入れた。リゾート開発のために山林を買い取るための交渉を任されている男と、森野との会話のなか、悲惨な事件が浮かびあがる。 『ヴァルキューリの丘』
 ライカと名付けた殺処分寸前に僕が引き取った犬。身体はもうぼろぼろとなっているその犬を追って僕は廃園の遊園地へとたどり着くが、頭の中が混乱している。 『星々の審判』 以上五編。

ファンタジックな雰囲気と動物の蘊蓄がミスリーディング。常識をあざ笑う意外性が襲ってくる
 ──と書いてから気付いた。このファンタジックな雰囲気、そして森野なる人物の特殊技能があってこそ、本書が特殊なミステリとして成り立っているということに。
 特に初野氏の別の側面でもある、既存の物語のオーバーライティングというか、どこかで読んだことがあるような気がする(非常に曖昧な書き方だが)寓話に、新たなエッセンスを加えて、全く別の味わいを持つ物語に変換させる――センスが非常にうまく引き出されている。特にデビュー作品前後ではそれが顕著で、それが横溝賞受賞後にどこか迷走してしまっているようにみえたのは、一旦その路線に行き詰まったからではないか──とか邪推した時期もある。(ご存じ現在はハルチカシリーズなどで復活しているわけだけれども)。
 さて本作。廃園となった遊園地、月が出ているあいだだけ、といった舞台環境は、どこかブラッドベリを彷彿させ、さらに訪れる人たちが抱えている非凡な事情もまた、その哀しい雰囲気、寂しい雰囲気を深くするようなタイプのものだ。ただ、動物や文化についての蘊蓄がさまざまなかたちで語られ、そして更に腹の探り合い、問答のようなかたちで依頼人と森野が会話を交わす。そこに浮かび上がるのは、動物たちとの特殊な交流をもった人々の哀しく幸福な姿である。 人間とペットの信頼関係を、さらに超越した関係。人間のかたちをしていなくても、人間は深い愛を対象に捧げることができるし、対象は受け取ることが出来る。その当たり前にして深い出来事が全体を通じて、人間と動物の物語として結晶しているのが本作だ。
 物語としてだけでなく、実はミステリとしての側面からも高い評価が出来る。こういったファンタジックな雰囲気、序盤で説明される制約であるとか、説明であるとか、理由や理屈といった「現実的ではない部分の設定」が、ミステリとしての本作の有り様に少なくない影響をもたらしているからだ。(特にトリックが――詳しくは書けません)特に最初の一編『カマラとアマラの丘』の丁寧な伏線張りからくるトリックは秀逸で、油断していたこともあって嵌めにあっさりやられました。その次の『ブクウスとツォノクワの丘』、読者は当然トリックに注意するところ、こちらは二人の語り手が紡ぐ物語同士が凄絶に復讐しあう様に呆然とする物語。ホラーめいた結末も、本格としてむしろ「有り」で、注意をそらされていたところなので、衝撃が大きかった。いずれにせよ、幻想小説としてではなく、ミステリとしての答え合わせの機能として、どうしても動物の声が聞ける人物を配置する必要があった、と。うん、一周した。
 発想というかベースになる考え方は、同じ初野さんの『ノーマジーン』にも近似しているようにも思えたが、アイデアの根っこはとにかく発展させていったベクトルは異なっており、味わい自体はとても異なったものになっている。

 一筋縄ではゆかない作品が四つ並び、しっかりと堪能させて頂いた。一方で(人によっては気にならないだろうが)文章力、表現力にはまだ一定の向上の余地があるように思え、作品自体の持つ重みや雰囲気とまだ文章の釣り合いが取り切れていないようにも思えた。物語展開に必要な、個々の作品ごとの動物に関する蘊蓄が、浮いてまではいかないけれども、物語に溶け込みきれていないように感じられたところもある。現実から遊離した物語であるからこそ、冷徹で丁寧な、誰にも文句をいわせないような描写が求めれられるものだと考える。ということで初野氏はまだ一段以上アップグレードする余地があるはず。今後も期待ですー。