MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/02/20
鳥飼否宇「妄想女刑事」(角川書店'12)

 読了してから少し驚いた。それぞれにトリックのある連作短編集なので雑誌連載されたものだと思い込んで読んでいたら、実は書き下ろしだったという。鳥飼否宇氏は1960年生まれ。第21回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を『中空』で受賞、2001年に同作が刊行されてデビュー、とか思い出したように書いてみる。

 準キャリアで巡査部長・二十九歳。表情豊かでキュートな顔。ショートカットの魅力的な美女。自称では酒豪の宮藤希美は、長らく配属願いを出していた警視庁の捜査一課に遂に配属となった。何故か最近セルフレームの眼鏡をかけるようになっている。そして彼女の相棒となるのは、四十二歳独身の垂れ眼にえびす顔、そして美少女フィギュアマニアでもある荻野政則。希美には、時々暴走する妄想癖があり、荻野はその理解者でもあって二人は何のかんので良いコンビであった。荻野のかつての級友かれ自由律俳句が書かれた謎の手紙が届く。中に込められたメッセージに気付いた 荻野は、その男・福井のところに出向くがつい最近自室で首吊り自殺したのだという。荻野はその死を疑う。 『独身中年ゴシチゴ暗号事件』
 山手線の網棚から切断された男性の腕が発見され、続いて都営大江戸線で女性の手首と足首、そして切り取られた胴体が発見された。しかも同線の特徴から、その遺体の置かれかたに不自然さがあることが判明する。 『通勤電車バラバラ殺人事件』
 万世橋の近辺で白人男性の轢き逃げされた遺体が発見された。身もとが判明するような持ち物は無くなぜか女装をしていた。遺体の手が不自然なかたちをとっており、ダイイングメッセージかどうかでもめる。 『日本観光コスプレ変死事件』
 昨晩一緒に飲んでいた、希美の身近な先輩が何者かに殺害された。被害者は最近モンペ、即ちモンスターペアレントにしつこくされて困っていたといわれ、その候補者が容疑者として挙げられるが、候補にはみなアリバイがあった。 『先輩刑事モンペで殉職事件』
 遠縁の資産家を殺害したとして、四分の一だけ日本人の血が流れる映画監督で白人のアルバート・ロスに容疑がかけられた。しかし、ロスを含む四人の外国人グループは事件当時、遙か離れた小笠原諸島の母島で撮影していたとアリバイを主張。希美と荻野は、船に揺られて長躯・母島へと乗り込むが……。『世界遺産アリバイ幻視事件』 以上五編。プロローグとエピローグで宮藤希美の登場と、御園生独の退場がある。

本格というよりバカミス、そしてユーモアはユーモア。ながら、ちょい標的読者の年齢層が高め?
 ちょっと変わった女性刑事を主人公とする本格系のミステリ小説──というと、昔からあるといえばあるものの、最近では大ブレイクしたあのシリーズと、大きなくくりで考えると、被る。ただ、もちろん意識はあるはずで、事件は超絶に「おバカ」で押し通しているし、一人で飲みに行ってその結果、主人公が自分で真相に辿り着くという展開、またその真相がけっこう無理がある(バカっぽい)ところは、鳥飼ミステリの本流の○○的であるとかにイメージは近い。
 また、どこが、といえないのだけれど、笑いの質がどうも万人向け、若い人向けというよりも、多少ミステリを読んでいるおっさん向けではないかと感じた。(個人的なツボは『ジャーン交換殺人』だったが)。と、ここまで書いて気付いたが、事件の本質がバカミスっぽいトリックにあるからか。トリックもどちらかというとダミーの真相に至ってしまう迷い道の方が面白かったりするので、一概にバカミスともいえないのだけれど、このあたりは全編が書き下ろしであるところが微妙に影響しているかもしれない。

 鳥飼氏らしい南の島描写が延々と続き、果たしてトリックなんてあり得るのだろうかというくらいに引っ張る『世界遺産アリバイ幻視事件』。母島と東京間の長距離を離れ業でつなぐこのアリバイトリックは巧い。というか、メンバー選定に無駄がないところに感心した。そこまでトリックを弄するところがまたバカミスっぽいところもGOOD。ほか、『日本観光コスプレ変死事件』のダイイングメッセージ(というか、単に死体の指の状態であるのだが)も、思い返すにバカミスだよなぁ。確かにこういう指だよなとは思うけれど、それをミステリにしますか普通。

 読み終わって一度、そしてこうやって感想を綴りながらもう一度思うのは、「鳥飼否宇らしい変なミステリ」であったということ。普通に某シリーズのように、変わった女性が主人公を務めるミステリとして読む分にも全く差し支えはないのだけれど、マニアの貴方であるならば、この「そこはかとなく漂う変さ加減」を堪能するのが吉かと。


13/02/19
恩田 陸「私と踊って」(新潮社'12)

 主に『小説新潮』誌に2000年代後半に発表された短編作品にSF系アンソロジーや『NHKスペシャル』などの冊子に発表された作品と、書き下ろしの」『二人でお茶を』が加えられてまとめられたノンシリーズ短編集。横書きの『東京の日記』が巻末からスタートするため、後書きが後半四分の一くらいの位置にあり、おやっと思わせる構成となっている。恩田陸さんをして、ノンシリーズ短編集は『図書室の海』『朝日のようにさわやかに』以来、五年ぶり三冊目とのこと。

 職場から勤務時間内に突然失踪した樺島。直前に内線で連絡を貰っていた学生時代からの友人で同僚の城山は彼のデスク周りにいろいろとおかしな痕跡があることに気付く。 『心変わり』
 良識あるメンバーによる良識ある討論会。柱時計と腕時計、どちらが良いか。そこに闖入してきた一人の女性はメンバーの「和」をざらっと乱す。 『骰子の七の目』
 たどたどしい日本語で主人にある理由から逃げることを勧める手紙。 『忠告』
 ある女性が訪れて、その劇団にいられなくなった顛末を淡淡と人々の前で語ってゆく。 『弁明』
 学校や建物がブロックに分かれて少しずつ動いてゆく世界。かつては建物は動かなかったのだけれども。その中心にあるのがどうやら曼荼羅らしい。 『少女界曼荼羅』
 ピアノコンクールを明日に控えた夜、親知らずによる歯痛に苦しむ僕の、心の中に降り立ったのは「L」。その日から僕は「L」と事実上の二人三脚で演奏家として名前を上げてゆく。 『二人でお茶を』
 子供の頃、出席したパーティで地味な格好で壁の花となっていた私。彼女はそんな私に「踊って」と声をかけてきた。長じて私は劇評を、彼女は高評価されるプロのダンサーとなり、頻繁には会えないながら、つかず離れずの関係を続けていた。 『私と踊って』
 震災後、法に基づかない戒厳令や外出禁止令が発令され、自衛隊など官がプライバシーを制限できる東京を日本に縁のある、ある外国人の目線から日記形式で綴った和菓子日記。横書き。『東京の日記』
 カバー裏に八百字。地球からの言葉とそれに応えるはやぶさの呟きと。 『交信』ほか『台北小夜曲』『火星の運河』『死者の季節』『劇場を出て』『聖なる氾濫』『海の泡より生まれて』『茜さす』 以上、合計十九編。

古今東西・変幻自在。恩田陸はあらゆるイメージに偏在し、日常を静かに破壊している
 普通の意味での起承転結が完結している作品はほとんどなく、どちらかというとイメージが重視され、そのイメージを膨らませたり、どこかに浮かべたり、飛ばしたりといった遊び心をもって構成されていると思しき作品が多い。恩田さんらしい、というか、恩田さんによる連作短編集の一作であるとか、長編の断片エピソードのような作品も多く、(本書に収録されているということは、そういった大きな世界まで描かれなかった、途中のないし、断片だけの物語ということになるのだが)、敢えてキレイに物語が閉じられてない作品が多い。 本書でも作品が短ければ短いほどにまとまっている一方で、多少長めの物語になる方が、いろいろと余計なエピソード(当然回収されない)を入れてきていて、大きく想像が膨らむ。
 ここに超能力があるのか、作品世界は現実の延長なのか、それともパラレルワールドなのか。普通に現代を舞台にした本格ミステリが書ける一方でSF作家でもあるという「いろいろ作家」恩田さんの個性が、特に本書のようなノンシリーズ作品集だと「なんでもあり」というかたちで噴出する。 ちょっと面白いけれど、長編では使われなかったらしいアイデアや、ちょっとしたマメ知識といったところが作品の一部、重要なポイントとして使われ、果たしてその世界は、どんな世界(どちらかというと不安が多いようにみえるけれど)なのだろうと想像するのも結構楽しい。
 一方、本や映画などにインスパイアされたと思しき作品がある一方で、本作の場合は、恩田さん自身の旅行やその経験がベースになったとように見受けられる作品も散見される。べたべたとガイド風に文章を書いているのではなく、あくまで恩田さんの感覚で綴られる情景であったり、その土地の風景であるのだけれど、それがダイレクトに心に飛び込んでくるのだ。また、その視界が開けている(うまくいえないが空間を感じさせる描写という感じか)ため、言葉で書かれていること以上のイメージが入り込んでくるようなのだ。 その結果、行ったことも見たこともない土地であっても、全く知らない外国であっても、どこか懐かしい気持ちにしてくれる。人が生きているという根源的な部分は同じだから、か。

 また本書には、一編のみの独立した作品がある一方で、「対」が意識されたような作品がいくつかある。あとがきでおおよそ明らかにされているが、「犬」とくれば「猫」でしょ、といったライトな感覚が楽しい。正直、イメージが先行していてストーリーとしてインパクト(というか意外性)のある作品はちょっと少なめ。ただ、『心変わり』などで途中から感じられる強烈なサスペンスであるとか、オチが最初からみえているけれど、(物語中)何が事実なのか、が分からないがために不思議な感覚に陥る『忠告』『協力』といったペットものも短いながら印象は強い。
 一方でNHKスペシャルのために書かれたという『聖なる氾濫』であるとか『海の泡より生まれて』といったところでは、短い文章のなかから豊穣なイメージが立ち上っており、それはそれで良い読書体験である。

 ノンシリーズの作品集であり、作品をまとめるための統一イメージ・テーマも、あまり無いようだ。なので、”現在に近い”恩田陸さんのあれこれ、を知ることが出来るというところが特徴。何が出てくるか分からない面白さが、恩田陸の作品であるからして(一定のクオリティが保証されるため)安心して読めるというところか。短編好きな方には堪らないかも。


13/02/18
法月綸太郎「犯罪ホロスコープII 三人の女神の問題」(光文社カッパ・ノベルス'12)

 『犯罪ホロスコープT 六人の女王の問題』から五年も経過している印象はないのだけれど、十二星座をモチーフとした同シリーズの二冊目にして最終刊。光文社『ジャーロ』誌に二〇〇八年夏号から二〇一二年秋号にかけて掲載された作品が、加筆修正・改題されて刊行された作品集。

 ルーツが異なるため番号が違う〈正義〉のタロットカードが残されていた二つの殺人現場。一見、共通点は見あたらない被害者同士を繋げる背景から恐るべき犯罪計画が。『キングを探せ』のパイロット版となったという短編。 『[天秤座]宿命の交わる城で』
 既に解散している三人組正統派アイドルグループ・トライスターが所属していた芸能事務所社長が殺害される事件が発生。犯人は彼女らのファンクラブ会長で、社長が企画したアイドル復活計画が詐欺だったことに対する復讐だというが。 『[蠍座]三人の女神の問題』
 ペット関連の著書を持つ女性の婚約者の動物病院院長が、ストーカーだった女性を殺害した容疑を掛けられているので晴らして欲しいと、編集部を通じて綸太郎に依頼が。綸太郎が目する容疑者が二転三転して……。 『[射手座]オーキュロエの死』
 個性の強い音楽評論家が失踪。再び編集部を通じて相談を受けた綸太郎は、父親と一緒に男の自宅マンションへ。評論家は拘束されて息絶えていたが、自らの血を用いてダイイング・メッセージらしき紋様を残していた。 『[山羊座]錯乱のシランクス』
 人気女性コンサルタントの息子に女装癖が。しかし彼は最近、母親に「息子」の誘拐事件の身代金運搬を手伝ったのだという。その額一千万円。”息子”の理由は判明するものの、さらにその身代金を渡した男が殺害される事件が発生する。 『[水瓶座]ガニュメデスの骸』
 美容業界のカリスマ女性社長が、ある男に唆され奇妙な託宣に取り憑かれる。彼女が若い頃に事故死した息子が生まれ変わっているといい、自社サイトにまでそのメッセージを載せたところ、候補の男性が三名現れた。『[魚座]引き裂かれた双魚』 以上六編。(前作と合わせ合計十二編)。

手堅くムラも無駄もなくがっつりとした論理と展開が中短編で饗宴、という贅沢
 濃い。
 法月ミステリの文章は決して読みにくくないものの、表現の正確さを期しているうえ遊びが少ないので、読んでいてがっつりくる印象がある。各短編、序盤に星座についての蘊蓄・解説がなされており、実はその段階でも結構、情報量が多いのだ。そこから短編サイズで、最終的にどんでん返しのある事件に法月綸太郎(探偵)が触れてゆくこともあって、普通の読み物を期待している読者にはちょっと内容と文章が濃すぎて重いかもしれない。
 だがその一方、やはり「本格ミステリ」短編として読むならば、これほど滋養に満ちたご馳走にはそうそう出会えない。 食べ物はハイカロリーな方が美味しいんですよ。
 また、星座をテーマにした短編という縛りを課したうえで、作品の内容にきっちり星座が絡んでいるところも凝っていて、凄まじい労力が費やされたであろうことが推察される。本格ミステリとしての味わいに絡むところ絡まないところ両方あり、作品集として労作ではあるけれども絶対必要だったか(作品の主題を思いつく役には立っているものと思うけれども)というと、実はこの点だけは少々疑問も無くはない。

 特に序盤三作はオーソドックスな(?)犯人当て。 冒頭の『宿命の交わる城で』にせよ、表題作の『三人の女神の問題』にせよ、表面上出てくる事件そのものが反転してゆく過程が美しい。全般に犯人が弄する狡知も悪魔的で、ここまで考えるか! という計画を、小さな手掛かりと論理で撃破してゆく推理の過程がスリリング。
 もう一つ凄ぇなあ、と感心したのが『引き裂かれた双魚』。山師めいたインチキ男に瞞されたとはいえ、女社長の考え方がある狂気に支配されており、、終わってみるとその狂気の立場から彼女の計画と行動、言動が全て一貫していたこと。端からみると「なぜこんなことをしたのか分からない」行動が、その角度から観察することでキレイに繋がっていることを、こちらも論理をベースの解き明かすところは気持ちよかった。
 また全般に事件の構造自体が凝っているところも特徴。交換殺人、誘拐、ダイイングメッセージといったテーマもとにかくながら、占い師、元アイドルユニット、カリスマ女社長、美人コンサルタントからごついドラッグクイーンに至るまで、事件に関わる人物たちがある程度、いわゆる「表舞台」で目立つ職業にあるところもユニーク。そういった人々の背景であるとか、過去であるとかをおざなりにせず、短編でありながらその苦労も含めて描き出している。とかく、本格ミステリの被害者や犯人が薄っぺらくなりがちななか、こういった登場人物への配慮(?)が為されているところもまた、法月綸太郎氏(作者)が本格ミステリ作家として永く支持を取り付けている一つの重要な要素のように感じられる。

 2012年12月刊行であるので、ランキング的には次年度版の対象作品ではあるが、本格ミステリ系のベストテンでは他の作品次第でそれなりに上位に食い込むことが予想される。いわゆる「正統派」本格ミステリであり、がっつり本格を楽しみたいという貴兄であるならば必読かと。


13/02/17
鯨統一郎「タイムスリップ竜馬と五十六」(講談社ノベルス'13)

 何のかんので既に九冊目となる講談社(ノベルス・文庫)名物が鯨統一郎氏による「タイムスリップ」シリーズである。初の複数主人公(偉人側)作品で、これまでの八冊と微妙に趣きを異にしている。書きおろし。

 幕末。京都の近江屋で刺客の一段に襲われた坂本竜馬。何とかその場を切り抜けようと奮戦するも、階段から転げ落ちてしまう――。しかし、目覚めると刺客の姿はなく見覚えのない街にいた。一方、現代、級友の麓うららたちと戦艦大和のレプリカを見学していた女子高生歴女・香葉子もまた、昭和十八年の日本にタイムスリップしてしまっていた。状況が分からず焦る二人が駆け込んだのは、連合艦隊総司令長官・山本五十六の屋敷であった。五十六はその直感から憲兵に追われる二人の不信人物を庇う。過去からやってきた竜馬と、未来からやってきた香葉子。香葉子は持っていたスマホを利用して、未来から来たことを二人に信じさせることに成功、このまま太平洋戦争に突入すれば、日本は多くの人が空襲で命を喪い、新型爆弾を落とされて敗戦国になる――、そんな未来となることを五十六に信じさせた。三人は太平洋戦争突入を回避する方針で一致団結するものの、歴史の趨勢は既に開戦に向けて動き出していた。それでも五十六の判断と竜馬の度胸、そして香葉子の知識とでなんとかその流れを食い止めようと奮戦する。

タイムスリップシリーズは遂に次のステージへ? 前向き展開に仄かな感動が
 偶然ハル・ノートを読んでいた「程度」の女子高校生による「二次大戦開戦直前」の人々に対する未来予知(?)。本書のタイムスリップは「いきなり」なので、事前にタイムスリップなど前提ではなく、特別な勉強をしていない女子高生程度の知識で、過去の人々を納得させなければならないというハードルは、そのまま多くの読者にとっての「自分が代わりにその場所にいたらどうだろう?」という感覚と近い。 多少はこの時期に興味があったかもしれないけれど、テキストもインターネットもない状態で歴史に臨む、博覧強記ではない香葉子に対し、どこか親近感を覚えるのはそのせいだろう。
 太平洋戦争への日本参戦の転向というのが本書のテーマ。誰か一人の意見を翻意すれば良いというものではなく、相当に手強いテーマだかろうか。竜馬と五十六、香葉子によるトリプル主人公状態となっている。設定は思いついても実際に小説にするにはかなりハードルは高いもの。このあたりを力業で、だけどさらりと読めるようにまとめあげる鯨氏の手腕は手堅いもの。また、中盤における、戦争に進まないための人事であるとか、手段であるとかもなかなか知恵が凝らされた内容だといえるのだけれども、個人的にもっとも感心したのは終盤に、財閥を説得する場面
 相手は、大コングロマリット。すなわち戦争に用いる武器を開発・製造することで利益を得る肚積りである財閥の人々。戦敗の結果、財閥解体が為されることを納得させながら、連合軍と日本軍の戦力差・国力差を冷静に説明、財閥による資金力を開戦に逸る軍部から引きはがしてゆく過程など、論理を駆使したディベートで相手を圧倒してゆく、会議室ミステリに近い迫力があった。

 なんとなく、こういった迫力を鯨作品で感じることが無かったので新鮮な感覚でもあった。また、開戦ギリギリで綱引きをしている場面が多いため、(よく言われているように)真珠湾以前に既に長期戦では敗北するシミュレーションが出ていたにもかかわらず、なぜ日本は太平洋戦争に突入してしまったのか、といった歴史の謎の一端に(どちらかというと空気に、かな)触れることが出来る。
 主戦派の主張というのが、何というか日本人の悲しさ、メンツを守る・こだわることに異常なこだわりをみせ、大局的に物事を判断できなくなってしまった結果だということにも気付かされる。ただ、どうだろう、そういった空気を醸成する何か(マスコミや教育なども含めて)が、国内に充満していたことも確かだったのではないか。政府などに対する不平不満を海外に逃す必要が――といったポイントを挙げてゆくに、少し冷静になって考えるとお隣の某国の状況にもどこか似ており、漠然とした恐怖も実は本作から味わうこととなった。

 残念ながら最終的に開戦を避けるためにはタイムスリップ並みの奇跡がもう一つ必要になっているのだが、そうでもしないとこの流れは止められないとはどれだけ強烈なウネリだったのか。五十六と竜馬、さらに香葉子と並べると五十六の途中退場や竜馬の立ち位置の曖昧さなど物語上のバランスは微妙なところもあるけれど、ぎりぎりで手綱を捌いて最後まで持ち込んでいる印象。他の鯨作品同様、めちゃくちゃ読みやすいのですが、内容は結構深みがありますよ。


13/02/16
平山夢明「暗くて静かでロックな娘(チャンネー)」(集英社'12)

 平山夢明氏による、SF・ホラー(supernatural)テイストのない作品集。全て初出は『小説すばる』で最も早いのが『人形の家』で2010年1月号、もっとも最近のものが『チョ松と散歩』で2012年8月号。

 ギャンブルと酒とに溺れる俺を受け入れてくれた少年テツオと少女チハル。駄目だと分かっていながら彼らの優しさに甘える俺は。 『日本人じゃねえなら』
 好きあって一緒に暮らしていた筈のタミエの様子がどうもおかしい。違和感から刺々しさへ。タミエは他の男のところに出て行った。元カレとしてサブが会った男は減らず口を叩く病人だった。 『サブとタミエ』
 風呂屋のボイラーで働く市三には兄がいた。兄は健康食品の店を出したが失敗して失踪。戻ってきたが頭のねじが外れてしまっている。 『兄弟船』
 家族が絡む過失で交通事故を起こし交通刑務所に収監された経験のあるカホル。不動産会社の嘱託として働くカホルはまた少年を車で轢き殺してしまう。自首する前にいろいろ用事を済ますうちに。 『悪口漫才』
 火葬場で働く男が、同僚に元お笑い芸人チョンベをみつけ、漫才をしようとするが、火葬場は火葬場で変な人物が現れてトラブル続き。 『ドブロク焼場』
 夫婦が互いに罵詈雑言の限りを尽くしながら作るラーメン屋。超人気店だったこの店に無理矢理雇われてしまった男が見届ける、この店と夫婦のたどり着く先とは。 『反吐が出るよなお前だけれど……』
 自殺志願が強いはあちゃんという女性と一緒に暮らす俺。俺は俺でパチンコに金を吸い取られる日々。ある日、はあちゃんは見知らぬ婆を連れ込み、婆を赤ん坊代わりに真剣にごっこ遊びをしていた。 『人形の家』
 いじめられっ子のチョ松。チョ松は俺のことを俺が思う以上に親友だと思っていた。チョ松は早朝に倒れるお化け煙突の様子を見たいと俺に、こっそり家を出るよう頼み込む。 『チョ松と散歩』
 サエコの娘でまだ幼い千春は、サエコとサエコの恋人で同棲しているアキオから、ひどい虐待を受けていた。 『おばけの子』
 腐ったようなパブの便所の前で俺はロザと出会った。曲芸師でナイフ投げの父親の娘。そのナイフの的になる目と耳が不自由な娘。俺はそれから二週間ほど彼らと一緒に暮らした。そして。 『暗くて静かでロックな娘』 以上十編。

哀しくて可笑しくて安っぽくて力強くて。濃厚バッドに小さなグッド、心に突き刺さってぐじゅぐじゅになる物語
 言い方が難しいのだけれど、学校で強制的に読むことを除いて、大人になって活字をほとんど読まない層があるとしたら、本書に登場する男女はその最たるものだといえるだろう。戸梶圭太氏がかつて連呼していた「安い人たち」による「安い生活」と、「安い感情」が作品に溢れている。 無職の男、単純労働者、親に捨てられた兄妹、どつきあい夫婦漫才状態のラーメン屋、安っぽいセックスに薄っぺらい愛情。つまらない冗談に意味の無い暴力。教養のかけらもないようなベタな会話。(教養って何それ美味しいの?)
 そんななかでちらっと発揮される、ちょっとした暖かさや優しさが、限りなく素晴らしく見える。(不良が犬を可愛がるといいヤツに見えるというアレ)ただ、この場合、そういった見せ方の意図よりも、ただ単純にその不器用な優しさ自体を作者は描きたかったのだ――と確信はないけれど信じたくなる何かがあるのです。

 誰でも気付くことだが、非常にきたない言葉遣いが交わされている作品が多い。日本語の語彙として初めて目にする言葉すらあった。けれども、その作品ごとに、罵声なら罵声、悪口なら悪口のパターンが異なっていること。正直、直視するのもおぞましいような、四文字言葉に近いような口喧嘩じみた会話なのだけれども、毎回その作品に最も相応しい罵詈雑言が選ばれている、ようにみえる。これはこれで、言葉のバリエーションが多くないと出来ない芸当だと思う。
 もうひとつ、こういった最底辺(ごめんなさい)の主人公たちを登場させると、その登場人物の個性が薄れ、都市論や時代論といった方向に物語が進んでしまうことが多い。本書はその方向性を逆にきっちり拒絶している。 あくまで安かろうと悪かろうと人は人。バカだろうとお人好しだろうと人は人。どんな境遇にあっても個人としての主人公たちがしっかりと地に足を付けた行動・言動を取っている。物語で描かれるのは、あくまで個人の絶望であり、悲しみであり、悦びであって、都市とか街とか時代とかのせいにしない。 この潔さもまた収録作品の魅力となっているように感じられた。

。  バッドテイストのなかでも多少のユーモアを交えた個性の強い物語がほとんどのなかで、さらにそのなかでも特段の異彩を放っているのが『おばけの子』だ。虐待報道などで実年齢は○歳なのに栄養失調で○歳児並みの体重しかなかった――といったニュースは知れどその裏側にあった虐待の構図(のなかでもありふれた一つ、ということになるのだろう)は当事者以外は闇の中というケースが多い。『おばけの子』はそんな、親から虐待を受け続ける子供の視点から描かれている。
 児童虐待を受ける側、児童の視点から淡淡と、そしてストレートな描写。度を超した暴力激しすぎる嫌がらせ。奴隷以下の扱いに、でも子供はなぜ逃げ出さないのか。暴力を振るう親であっても親なのか。――この結末ですら救いにみえる生き地獄。当事者の目線で物語を語るのはフィクションでしか出来ないこと。親を人間以下に描き、そんな親でも親と慕う子供の姿が途轍もなく哀しく、痛痛しい。安易な救いすら描き出さない作者の決意の前に、読者は頭を垂れるしかない。

 プロレタリアだとかなんとか関係なく、人間を下層につきつめてゆくと「生」そのものにぶちあたる。 そういった意味で根源的なパワーが詰まった小説作品集。特定の誰かを読者として想像できない。とにかく単純に一人でも多くの人に、読んで何かを思って(考えて、ではなく)欲しいと感じる。読書人として、出会えて良かったと思える本だった。


13/02/15
保科昌彦「ウィズ・ユー 若槻調査事務所の事件ファイル」(東京創元社ミステリ・フロンティア'09)

 保科昌彦氏はもともと2003年に第10回日本ホラー小説大賞長編賞を『相続人』で受賞してデビューした作家。以来『オリフィス』『ゲスト』といった角ホラ系作品を中心に執筆していた。が、なぜか本書で初めてユーモアミステリに挑戦した。この若槻調査事務所の事件ファイルシリーズは、第二作『名探偵になりたくて』が同じくミステリ・フロンティアより刊行されている。

 〈ウィズ・ユー〉は、インターネット上に展開されている仮想空間。セカンド・ライフがモデルで、さらに細かな設定ができるものだという。探偵事務所「若槻調査事務所」。所長は胃潰瘍で入院中、もともとあまり仕事がない事務所を部下たちが運営していた。脚フェチの向坂が担当しているのが、とある企業の女性更衣室に仕掛けられた盗撮カメラの犯人捜し。肝心な場面が撮影される前にカメラが発見されているためにヒントが少なく捜査は難航中。そんななか、幼い娘が誘拐されたと相談に訪れた男があった。すわ誘拐事件! といきりたつところが、どうも話がかみ合わない。よくよく聞いてみると、男が〈ウィズ・ユー〉内部で育てている四歳の娘がシステム内部で誘拐され、身代金が請求されている事件なのだという。担当となった元刑事の中年探偵・高原は、コンピューターの知識があまりないまま引き受けてしまう。仮想空間内部で制約がいろいろあるなか、経理の三崎美帆に手伝ってもらい、いろいろと準備をして臨んだにもかかわらず、結果として身代金は奪われてしまう。ただ幸いなことに娘は解放され、男の元に戻ってきた。高原はせめて犯人捜しをしようと奮闘するが、有力な手掛かりを得ることは難しい……。

インターネットの仮想空間と哀しい過去、様々な思いが交錯して織りなされた微妙な人間模様
 表現が非常に難しいのだけれど、いろいろな条件がピンポイントでかみ合って成立している作品──ということ読了後に最も心に残った。やろうとしていること、実際に本書で実現したミステリというか、物語のスケールはとても大きいのだ。まとめると、インターネット上の仮想空間で発生している出来事と、それらのガジェットを操作する側・人間様のいる現実空間で起きた出来事、起きている出来事とが符合し、呼応しあって大きなミステリを形成している──というもの。
 普通、仮想空間でおきた出来事――娘が誘拐されようが、身代金が取られようが、現実に誰かが傷つく訳ではなく、お金は多少損をすれどRMTが絡まない限りはこちらも現実世界への影響はない。(影響があったら、我々はゲームで敵を倒す都度捕まらなきゃならなくなる)。それがインターネット内での、そしてゲームでのお約束であった筈なのだが、それをひっくるめて、ネット内だけではなくトータルで大きなミステリになっている。
 ネット内で発生した事件の加害者、被害者がそれに応じた現実事件のしがらみを持っていることで成り立つ謎と真相。その連環となっている真相については読み応えを感じた。特に、なぜ犯人はこんなピンポイントで、ネット内で誘拐事件を引き起こさなければならなかったのか――といったあたりの繋がりは、それこそピンポイントでありながら、その意図としてはうまく出来ているといえるだろう。

 ただ一方で、正直このネット内仮想空間という部分の居心地というか、嘘は嘘でも構わないのだけれどどこか現実の延長では考えにくいことから生ずる引っかかりが多数あった。基本的にはせいぜいキーボードとマウスだけで操作する筈の〈ウィズ・ユー〉が、中に入ったら何でもOK全知全能過ぎるという部分にかなり大きな違和感があった。操作も会話も現実とほぼ同等のスピード、体感が出来る(みたい)という部分が現状技術ではあり得ない。だが、作品内ではいろいろと出来すぎてしまっている。 この「差」つまり、作品世界で何が出来て何が出来ないのか、という部分が、読者から見えない(判断できない)のだ。(これが某ラノベのフルダイブ型オンラインゲームだとか、井上夢人さんの某作品のヴァーチャルリアリティといった大がかりなものならば、ある程度納得できるのだけれど)
 仮想空間内に管理人がいたり、NPCがいたりと、ある程度ゲーム・システムとしての大枠はきっちりあり、大筋で発生している出来事に問題はないだけに、仮想空間での不自然さが物語全般のバランスを壊しているようにみえるのがとても残念。

 ただ、先にも述べた通り、ゲーム空間での犯罪、その動機、現実での人々の錯綜する想いといった、ゲームから出たあとの物語構成はかなりかっちりできている。その真相から浮かび上がる人々の思いといったところも印象良く、あら不思議、読み終わると人情絡みのハードボイルド系統ミステリのような読後感に浸れるのだ。正直、途中までは引っかかるものの、それを乗り越えると普通にミステリになっているという作品。


13/02/14
恒川光太郎「私はフーイー 沖縄怪談短篇集」(メディアファクトリー'12)

 恒川光太郎氏は2005年、『夜市』で第12回日本ホラー小説大賞を受賞。同作に「風の古道」を加えた単行本『夜市』を刊行してデビューした。同作は直木賞候補にもなり、後に刊行した作品でもしばしば山本周五郎賞の候補などに選ばれている。本書は『怪談列島ニッポン』という別のアンソロジーにて発表された『弥勒節』に、雑誌『幽』にて発表された短編に書きおろしの『月夜の夢の、帰り道』を加えてまとめられた短編集。

 臨終の際にユタが弥勒節を胡弓で演奏する風習。島にいる不幸をもたらすきらきらと美しい怪異・ヨマブリ。謎の老婆から胡弓を託された隼人。そして──。 『弥勒節』
 幼い頃、近所の森のなかで大量の古靴をぶら下げた家住んでいたクームン。しゃべれず、だけどどうやらそれは人の願いを叶える存在らしい。家族と喧嘩したという初対面の女の子を僕はクームンのところに連れて行く。 『クームン』
 弾みで人を殺してしまい、ほとぼりが醒めるまで無人島に逃げている男の前に、半分頭がぼけたような男が。彼がいうには島の洞穴には強烈な臭いを持つニョラなる生き物が住むのだという。 『ニョラ穴』
家への帰り道、人気のない草原で見つけた深夜まで営業しているパーラー。そこにいた気さくで若い女性・チカコは自分は娼婦だといい、私と深い仲になる。彼女は一緒に住むおバアを殺す話を私に持ちかけてくる。 『夜のパーラー』
 お化け電車に乗った年、父が不在となり母とナコ姉との三人暮らしとなった。実は父はろくでなしで娘二人を廓に売ろうとしたのだという。母親が父親を殺害していたが、死体の始末を手伝ったデンさんもまた下心を持った男だった。 『幻灯電車』
 十二歳の少年は両親と共に島を訪れており、地元の少女と知り合う。そこで謎の女から父親が近く死に、母親は少年を置いて家を出ると伝えられる。果たしてその通りになり、少年は暴力で自分の立ち位置を獲得するようになり、少年院に入るような人生を送っていた。 『月夜の夢の、帰り道』
 異国から来た女・フーイー。戦争で国を追われたという彼女は変身することが出来、人々の役に立っていた。やがて結婚し子供を残すが蛇に噛まれて亡くなってしまう。それから五十年後、一人の少女が、自分はフーイーだと言い出した。実際にフーイーがその娘のなかに甦ったのだ。 『私はフーイー』 以上七編。

怖くて穢くて、そして美しく温かくて、からりと残酷。恒川ワールドin南の島々
 恐怖譚ではあるのだけれど、その土地(この場合は南の島)がそうさせるのか、じっとりしておらずどこかからりとした風情がある。パターンもなく、登場人物も形式も語り手も何もかも異なるタイプの作品が七つ並んでいるにもかかわらず、どこか近しい「雰囲気」を湛えているように思えてならない。考えてみると、物語が持つ特有の温度とか湿度とか、そういった部分が均質なのではないかと考えた。
 沖縄にせよ、南の島々にせよ、少なくとも物質的には決して裕福ではない。それゆえの悲劇はどうしても生まれるのであるけれど、本土の人間なら悩みこむような事柄でも、本書に登場する人たちは結構あっさり受け流す術を持っているようにみえる。そこが羨ましくもあり、また、本書に登場するような幻想・怪異が生まれる土壌(精神的バックボーンとでもいうべきか)にもなっている。怪異があっても、それを打ち消したり、忌み嫌ったりするのではなく、それはそこにあるもの、としてせいぜい避ける程度という対応ができてしまうところ。 本土人としての小生なんかの感覚と離れてはいるのだけれども、この地域なら「有り」(というか当たり前)なのだろう。
 個人的にクトゥルーっぽいせいもあるのだけれども、ユーモラスな語感とどうしようもなさが混じり合う『ニョラ穴』がお気に入りなのだが、シンプルな物語構成に幾つものプロットが詰まってものすごく内容が濃い『弥勒節』や、地域としての哀しみが詰まった『幻灯電車』といったところも印象に残る。登場人物として最もインパクトが強いのは『夜のパーラー』のチカコですけどね。怖ぇっす。

 表紙はどこかグロいけれど、読み進めるうちにやっぱり沖縄を含む南の島々が醸すであろうリゾートめいた風景がまず浮かぶ。青い空、白い雲、青くて綺麗な海。そして、その地域が生む不思議。恒川作品が持つ高いクオリティが全ての作品に発揮されており、レベルの非常に高い恐怖幻想作品集として楽しめます。個人的には、「沖縄短篇集」などとわざわざ付けずとも良いのに、とも。


13/02/13
高田崇史「毒草師 パンドラの鳥籠」(朝日新聞出版'12)

 高田崇史氏のデビュー作品から続いていた歴史本格ミステリ『QED』シリーズからのスピンアウトとして『カンナ』シリーズ(完結)と、さらに第三弾としてこの『毒草師』シリーズがある。本書は題名の通りその『毒草師』シリーズの三冊目となる長編作品。書き下ろし。

 薬剤関係の業界雑誌編集者の西田は、編集長から京都に住むという美人医師・星川涼香の訪問を受ける。彼女の叔父で毒草を専門に研究していた田所仁という人物が、京都の山奥で行方不明になっているといい、西田を通じて、彼の奇妙な隣人である「毒草師」御名形史紋の協力を得たいというのだ。田所が探して求めていたのは「魔女の薬草」更に、行方不明となった場所には「魔女の鳥籠」と呼ばれる古い建物があり、齢三百歳ともいわれる「祝(はふり)」という魔女が棲むと噂されている場所。さらにその地では過去に何度も首無しの死体が発見され、最近では髪の毛が真っ白になった男性の溺死体まで発見されていた。幸い、御名形と連絡が取れた西田は、どうせ彼の興味は引けないと思い込んでいたが、予想に反して御名形は興味を示し、現地の位置などから「浦島太郎」「パンドラの箱」といった伝説と事件が関連しているという。御名形の助手で西田が仄かに想いを寄せている神凪百合、御名形本人、さらに西田は、西田の自家用車(新車)で一路関西へと向かう。なぜか御名形は京都に入る前に幾つかの奈良の神社の名を挙げ、参拝をしてから彼らは丹後半島へと入る。羽衣伝説や「記紀」に伝わる様々な伝説がある地域にて静かに続いてきた歴史の闇に、御名形らが挑む。

軸のぶれない歴史ミステリでありながら序盤の幻想風味がいいようもない怖さに繋がっている
 『カンナ』シリーズや、『QED 出雲神伝説』といったところで触れられているなかで、主要目的地として彼らが訪れることこそ無かったけれども、しばしば重要な秘密が隠されているということで非常によく名前が挙がっているのが、この丹後地方。作中、登場人物の口を借りて「この地域にはかつて優秀な一族が住んでいた」というのは事実であろう。そういった角度から物語を眺むるに」、QED、そしてカンナで積み重ねられてきたテーマの裏側斜め四十五度を走る作品。

 悪い言い方をすると本書でも突き詰めたところでの主題は、従来の高田作品と同じ――ということになる。ただ、裏を返せば軸がぶれていないということで、むしろ年代も場所も出所も異なる、様々な種類の史料・資料をベースにしながら、どのラインから進めていっても、最終的に「教科書に書かれていない」歴史のある事実が浮き上がってくる訳で、実際の学説がどうあれ、高田作品を読めば読むほどに、本の向こうで仮説されている歴史が、むしろ真実に近いのではないかと思わされる。

 というのも、本書もまた結論からいうとある時期の天皇家や蘇我一族にまつわる謎がテーマの一角を占めている。ただ、そこに至るアプローチが様々にユニーク。浦島太郎の伝説では「なぜ乙姫は浦島太郎に玉手箱を渡して帰らせたのか」 ←この行動って森の熊さんでお嬢さんお逃げなさいと歌っている熊みたいに不自然(変な喩えだけど、本質的には似てないかい?)という、根本的で設定でありながら、あまりに有名な展開のため誰もが不自然に思わなかった事実について疑問符が差し挟まれる。

 そもそも、子供がいじめていた亀が……というくだりが実は後世の創作であったり、同じようなストーリーが記紀に記載されいいるなど、この段階でも驚きがちらほら。加えて、複数の天女の羽衣伝説、丹後地方にある神社の読み方や主祭神などから導かれる「あること」といった流れは、さすがに高田氏が既に自家薬籠中としている(論理の)展開だ。

 また、いわゆる現実事件のパートについても(本格ミステリとしてではないが)構成とサスペンス感覚は個人的に評価している。例えば江戸川乱歩の『白髪鬼』ではないものの、例えば一夜にして髪の毛が真っ白に、そして老人のように老け込んでしまった被害者――一見、本格ミステリファンが好みそうな奇妙な謎ではある。ただ、この原因自体は、あまり知られていないとはいえ、現実に存在する毒薬によって引き起こされているというもの。このトリックそのものは本格ミステリ的に個人的にはアウトの領域ではある。
 もし本書におけるミステリの狙いがこの部分の解明にあって、そのハウダニット回答が「これ」のみだとすると、ミステリとしては夢オチレベルのあまり褒められない回答となる。だけれども、この部分をホワイダニットとして処理し、今回の作品テーマである「浦島太郎」へと繋げていっていく展開が巧い。 加えて、冒頭から登場する三百年生きる魔女の意味、そして、彼ら一族が守り通してきた秘密(これが、またそれまでの不自然死体と繋がるところも妙味)も興味深かった。『カンナ』シリーズもそうであるけれど、こういった日本という国の根幹に関わる事柄であれば、一族全員が現代常識とは異なる生き方をするという選択が、全く不自然ではなく感じられる。(これは高田作品に小生がどっぷり浸っているから余計にそう感じるのかもしれないが)。

 高田ワールドのスピンアウトといいながら、QEDやカンナシリーズに限りなく近い読後感と満足感を得ることができる作品。神社仏閣系統だった前シリーズ群に比べると、『毒草師』はその題名通りに毒草≒薬についての情報比率が高まっているとはいえ、あくまで比率の問題。もちろんシリーズ頭から読むことをお勧めするものの、人間関係がそれほど入り組んでいないので、本書単発作品として手にとる選択も有りかと思われる。


13/02/12
古野まほろ「セーラー服と黙示録」(角川書店'12)

 これまでのまほろシリーズと連なる世界観ではあるものの、ノンシリーズ(?)となる書き下ろし長編。

 古野ワールドと同様の日本帝国。愛知県三河湾に浮かぶ島の上に建設されたカトリックの女子高・聖アリスガワ学園。全世界に比べて日本での勢力が弱いカトリックが勢力拡大のために設立したという建前で、実は治外法権、ヴァチカン教皇庁直轄領土であり、本土と行き交う船を利用するためにパスポートが必要なのだ。そして何よりも、日本帝国で非常に高いヒエラルキーを持つ国家資格でもある探偵学の専門教育を旗印に、入学後の一切の学費生活費は不要という超エリート校であった。この学校に通う二年生の鹿児島の貧乏華族の娘・島津今日子。特殊な環境ではあったが、今日子は友人の葉月茉莉衣や古野みづきらと共に、苦労しながらも楽しく学生生活を送っていた。ただ、今日子は、一学年上で入学以来ずっと試験で首席を守り続ける天才お姉さま・三枝美保に、その能力を見込まれていた。美保を追い越すことは出来ていなかったものの常に次席の位置にある同学年の紙野伸子は、今日子の能力が認められず、そういった特別な対応をすることがどうにも気に入っていない様子だった。そんななか、校長である古賀枢機卿の計らい(強制?)により、三年生の卒業試験を無理に受験させられた今日子。今回初めて伸子が美保を逆転したなか、その二人よりも高い得点をたたき出してしまう。さらに学年の首席と次席には、学校側から特別試験が秘密裏に課され、その結果によっては卒業後の特別待遇が約束されるのだという。その経緯より、今日子は女性のように美しい外見を持ったジョヴァンニ飯塚司祭と共に、試験経過の見届け人に選ばれた。二人は、学校内にある二つの鐘楼に別々に閉じ込められ、課題としてあることを求められていた。しかし、深夜に懐中電灯によって彼女らの生存が確認された後、翌朝になってから美保と伸子は鐘楼の十字架に磔にされた無惨な状態で発見された……。

ある種の狂気が織りなす丁寧に準備された祭壇に、不可能状況犯罪を生け贄に捧げちゃおう
 そもそも本土と隔絶された孤島の更に雪密室に塔の密室x2。夜明けと共に発見される手錠で磔になった美人女性の死体……。事件の見た目の奇怪さ、奇妙さは一般的ミステリの世界ではかなり高いレベルの変態度ではあるのだが、まほろミステリ作品群がこれまでやらかしてきた強烈さに比べると普通くらい(?)のレベルに留まっている印象だ。基本的には日本帝国のお話ながら、さらに特殊な地域を設定しているがために、幕間含めてその状況説明に前半はどちらかというと紙幅が裂かれている。ようやくご期待の事件が発生するのは中盤以降。
 本書、ミステリとしてユニークなのは、ホワイダニット、ハウダニット、フーダニットそれぞれを「完全に」役割分担をして二人一組三コンビ(合計六名)が、それぞれの挑む点か。それぞれに、こんな行動は取らない、こうあるべきだ、こうなるのでこのような行動は不合理といった納得性の高い論理を積み重ね、推論を進めてゆく展開が面白い。なぜ制服は畳まれていたのか。ブラジャーが重ねられていたのは何故かなどオレには気づけねぇよそんなのというところにもヒントが実はちりばめられているという、シンプルに込められた超絶の贅沢がたくさんあり、ひたすらに呆然とさせられる。
 個人的に印象に残るのは、探偵役を務める女子高生の一人・葉月茉莉衣が「私思うんですけど〜」という軽薄な台詞のあとに開陳する動機論。その分類は下記。

T怨恨、U痴情、V金銭その他の利害、W愛情、X精神異常、Y通り魔その他の無差別、Zドグマ、[依頼、\口封じ、]太陽、XIその他

 例えば、痴情は惚れた腫れた、で愛情は殺すことが愛情表現というタイプ。安楽死型、永遠に独占型、太陽ってのは「太陽がまぶしかったから」カミュかい。本書に当てはめる云云以外に、この分類は意外と有効かも。
 事件発生までに比較的長めにページが割かれており、事件発生から解決に至るスピードが早い。その結果、なんか物語全体もあっさりしているようにみえるが、それは雰囲気的にそうみえるだけ。(ただ論理的ではあるけれども、蓋然性が高いというレベルで切り捨てられている事象も散見されるので、普通には感心すれど超絶に感心するレベルではない。残念ながら。)
 前半部分の丁寧な世界観構築にとバランスを取るという意味では、真犯人がこの事件を発生させる「動機」という部分が、本作のキモであったように思う。狂信者の思考方法を、いきなり提示するのでは物語としても歪んでしまう訳だが、その狂信者の正気を丁寧に解説してゆく展開により、この動機がぶわーっと浮かび上がってくるし、その結果、探偵役を務めた三人の女子学生たちの勝負や今後の彼女らの行く末といったところに、深みが出ているように思うのだ。不可能犯罪が奇跡ではないのは当たり前。ただ、日本の法律・警察が入り込まない地点での犯罪は、結局のところは権力者の匙加減ひとつで見え方が変化するという一種の恐怖も味わいの一つとしてあった。

 通常の感覚で捉えると、どうしても鐘楼の二つの死体と密室殺人に眼が行くのだけれど、もう少し全体として捉えることで不気味な動機と狂気が浮かび上がってくるように思う。古野まほろ氏は、論理で説明される本格っぽい何かよりも、本格と論理を通じて浮き上がってくる整然とした狂気の側をむしろ描いてゆきたいのではないか。


13/02/11
小路幸也「探偵ザンティピーの休暇」(幻冬舎文庫'10)

 小路幸也さんが文庫書き下ろしで継続させている「探偵ザンティピー」シリーズ、最初の作品。この文章を書いている2013年1月現在、本書のほか『探偵ザンティピーの仏心』『探偵ザンティピーの惻隠』の三冊が刊行されている。

 ニューヨーク・マンハッタンに住む私立探偵・ザンティピー・リーブス。元警察官で数カ国語を話すことが可能。家を飛び出したきり親不孝な状態となっているが、ある日、しばらく音信が途絶えていた愛する妹からいきなり手紙が届いた。結婚するのだという。しかも日本人と。そのザンティピーへ旅館の若女将となった妹のサンディから日本まで会いに来て欲しいとの連絡があった。「寅さん」の大ファンでべらんめえ調の日本語も操れるザンティピーが、訪れたのは北海道の寂れかけた温泉地。唯一、活況を呈する〈ゆーらっくの湯〉にサンディは嫁いでいる。十年ぶりに再会した二人ではあったが、ザンティピーはサンディに人にいえない悩みがあることを見抜いていた。彼女は、地元の人が聖なる場所として禁足されている地域に犬の散歩で入り込んでしまい、さらにその場で人骨を見つけてしまったらしい。サンディが正直にいうと家の人たちに迷惑がかかる。ザンティピーは滞在中に偶然に自分が見つけたことにしようと計画するのだが……。

事件と謎解きを通じて人間同士の不器用な思い遣りと暖かみを引き出してゆく小路マジック
 主人公・ザンティピーが語学の達人という設定のうえ、その妹のサンディも日本語を十分に操るため北海道の田舎町の物語であるにもかかわらず、地元住民の老若男女と、彼らが十分にコミュニケーションが取れている。このようなパターン(田舎のコミュニティ+外国人)である場合、ユーモア混じりにカルチャーギャップを物語に取り入れるケースが多いと思うのだが、あまり本作はそういった方面に進まない。むしろ、異文化を背景に生まれ育っていながら、サンディが事件の端緒に関わるに際して、周囲に配慮してザンティピーを呼び寄せる気遣いや、ザンティピー自身が寅さんファンという日本通であることもあって登場人物の設定に無理にこだわらずにシンプルにストーリー自体に重点を置いているところが、逆に特徴となっている。
 砂浜に埋まっていた白骨死体という主題ながら(事情から)警察の介入はなく、手掛かりも状況証拠と過去の出来事や伝承のヒアリングといったところから真相を類推していく、いわゆる広義のミステリーの範疇に入るミステリ。一方で、探偵役が直接的に襲われるなどお約束といった展開があり、、ザンティピーは米国で活躍する(らしい)バリバリの私立探偵だけれども、いわゆる本気のハードボイルドを狙った作品ではない。多少ワイズクラックめいた台詞はあるものの、ザンティピー自身が「いい人」で気配りが出来、何かに反骨するような気概はあまり感じられないのだ。
 こういった特徴の結果、小路ミステリの良さが滲み出る展開となっている。具体的には「真相がどうあれ人間同士の繋がりや思い出を大事にする」ということ。不愉快を目的としたような奇妙な展開や強情な登場人物はおらず、皆それなりに訳があってそういった態度を取っている。『東京バンドワゴン』シリーズにも通じる、ミステリと義理人情のコラボが長編全体にはまっている。また、物語の展開のうえでも日本人が探偵役を務めていないことによって、ヨソ者による推理であるとか事態の流れが自然となっており、大団円に向けてキレイにまとまった作品である。

 本格ミステリの切れであるとか、ハードボイルドの渋さといったところはあまりなく、むしろ小路作品として普遍的な家族愛や隣人愛と、過去の不幸な出来事とがからまりあいながら、「良きに落ち着く」物語展開を楽しむ作品。強いて苦言をいうならば、ザンティピーのべらんめい言葉が少々読みにくいかな。