MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/03/20
大阪圭吉「大阪圭吉作品集成」(盛林堂ミステリアス文庫'13)

小林眞/小野純一編による同人誌。戦前に雑誌発表されただけの大阪圭吉短編を四編まとめた作品集で、解説を森英俊氏が担当、さらに表紙は渡辺啓介による画が用いられているという非常にクオリティの高い一冊である。

 その水族館では二人の若い女性が海女として水槽内に潜り、見学者に姿を見せつけるという特別な催しを行っていた。性に目覚めたばかりの中学生がその催しに通い詰め、一方、舞台裏ではその催しを企画したブローカーを巡ってその女性二人が微妙な火花を飛ばし合っている。『水族館異変』
 国府津の従姉妹・信子さんの結婚が決まり、お祝品を持ってお使いに行くことになったクルミさん。彼女は東京から電車に乗ってゆくこの一人旅をとても楽しみにしていた。個人的に渡そうとしている小さな香水瓶をポケットに、途中で楽しむお菓子や道中でサンドウィッチを購入する計画を立てていたが、前に座った威圧的な態度を取る中年男性のせいで、思い切り萎縮してしまう。しかもその男は……。 『香水紳士』
 一人でこつこつと文具の商売を重ねて成功してきた男。独身のまま中年となってしまった男が気付いたのは、新聞に掲載される女性による求婚広告だった。そんな彼が目にとめた一人の女性、彼女は自分の理想ではないかと思わず手紙を送ってしまう。首尾良く返事を貰い、履歴書から想像以上の女性であることに驚き勇んで乞われた通りにその宅を訪れた彼だったが……。 『求婚廣告』
 首尾良く勤務先の同じビルの女性をデートに誘い出した男が、急な用事で待ち合わせに三時間半も遅刻してしまう。待ち合わせ場所の駅には当然彼女はいなかったが、駅にある伝言板に別の駅で待つという、何やら思わせぶりなコメントが残されている。男は、慌てて追いかけるが、次の駅にも彼女はおらず、やはり伝言板に次のコメントが……。 『告知板の女』 以上四編。

戦前の作品と思えない洒脱さと妙味。現在にも通じるテンポ感を創成してゆく感覚も抜群
 解説にもあある通り『求婚廣告』は、ドイルの『赤毛連盟』の影響を受けていることは明らかだし『水族館異変』は、文体はとにかくとして視覚的な要素においては乱歩的な幻想風景&黄表紙趣味が見え隠れしている。あまり偉そうなことは研究不足につき書けないのだが、現代に比べると出版点数も、蓄積された小説数自体も遙かに少ない戦前の探偵小説という分野は、とても強く互い互いが影響しあっているというようにみえる。が、多少他の作品のネタが想起されるものであっても、素直に面白い――のだ。 (実際、大阪圭吉に限らず、戦前の探偵小説は、いわゆる趣味の良い作品が多いように思うが)。

 まずは本集成の目玉である『水族館異変』。検閲によるものと思しき伏せ字がいっぱいあって、なんか□□□□、□□□□□――とか書いてあると、むしろどきどきしますよねしませんか。 恐らく性的なニュアンスが含まれている文章なのだとは思うものの、むしろ伏せ字のままの方に想像力がかき立てられるという不埒。に、しても、本作はやはり水槽の中を、鑑賞されるために泳ぐ美女と、それを頻繁に観に訪れる少年というモチーフが既になんというか、小恥ずかしく、でもって実際はそのガラスを隔てた向こう側で起きている痴話喧嘩とのギャップが不思議な空気を醸し出している印象。全体を通じて感じられるどこか退廃的でやけっぱちにみえる雰囲気もなかなか現代の作品では出せないタイプのものではなかろうか。筋書き自体が特別優れている作品ではないのだけれど、切り取られた情景が印象に残るタイプの作品である。
 『香水紳士』は、物語は初出が女学生向け雑誌ということで「らしい」作品。大人しく気の弱い少女の咄嗟の機転がお手柄に繋がっているところ、最後に欲のないことをいうあたりかわいらしい。
 ほのぼのとした『求婚廣告』。新聞に条件を書いて結婚相手を募集するという風俗的な部分に微妙に感心してみたり。また、主人公紳士の心の高鳴りや感激、そして戸惑いがテンポ良く繋がっていて、物語全体に不思議なリズム感があるようにも思われた。奇妙な状況を作り出すところまでは素晴らしい一方、トリック(?)としてはさすがにまあ、ちょい無理があるのはご愛敬。
 最後の『告知板の女』、これも一種の巻き込まれ(?)型のサスペンスになるかな。ユーモア・サスペンス。物語のテンポとしてはこれが最高。いわゆる伝言ゲームのリアルバージョンなのだけれど、一日かけて東京・神奈川を引きずり回される男の、意地と疑念とのせめぎ合いが巧く伝わってくる。流れに入るまでの序盤の主人公の動き、じっくり考えると軽率すぎて不自然だが、先ほどに続いてご愛敬パート2です。

 既に、本格ミステリの分野における再評価が行われた作家(少なくとも、現代の本格ミステリマニア層であれば「大阪圭吉」の名前すら知らない読者はほとんどいない筈)である、大阪圭吉の拾遺集的な作品集。そもそもこれまでマニアが必死に探してもなかなか見つからないクラスのレアな作品である訳で。基本、そういう作品はあまり面白く無かったりすることも多いのだけれど、この作品集、先に述べた通りテンポが良く、気持ち良く読めた。あとがきでは、発掘が進めばまた新作(?)が刊行される可能性があるとのこと。今後も引き続き、楽しみに待つとしましょう。


13/03/19
中町 信「女性編集者殺人事件」(ケイブンシャノベルス'87)

中町信氏にとっての第三長編にあたる1978年刊行の『殺戮の証明』が改題された作品。'87年に本書・ケイブンシャノベルスに収録され、'89年にはケイブンシャ文庫入りしているものの、以降は復刻されていない。ちなみに、2013年現在、 スマッシュヒットとなっている『模倣の殺意』のベースとなった『新人賞殺人事件』は、本書初出の更に5年前、1973年発表の作品となる。

 老舗の医学系の出版社である南林書房では、年末の一時金を巡って労働組合が、経営者・管理職に対して激しい闘争を仕掛けていた。本来の責任者である次期社長の専務が欧州外遊中であり、編集畑出身の常務・阿南円太郎が責任者だった。組合の要求は高い一方、会社側も頑なで団交は何度も決裂、組合委員長の意向もあり、越年も覚悟しなければならない状態だった。組合員による管理職に対する非難中傷は熾烈を極め、更にサボタージュやストライキも鮮烈化、会社業務も支障を来している。組合員の久我富子は、過激派の急先鋒であり、社内でシュプレヒコールで管理職を吊し上げ、更に非組合員の秘書課員が詰める電話交換室に乱入した。久我はかかってきた電話を勝手に取り、二本ほど電話を盗聴、そのままエレベータにて上階に上がり、そして瀕死の状態で発見された。その間、彼女を目撃した者はおらず、彼女は部屋にあった創立記念パーティの記念写真の上に、血文字で「S」のような文字を書き残して息を引き取った。同階に残った管理職が疑われるのだが、当然全員が犯意を否定した。捜査が行き詰まるなか、続いて常務の阿南が何者かに突き落とされて死亡する事件が発生した――。

強烈な労働争議にインパクトあるもダイイングメッセージ、アリバイトリックとも小粒
 こいつが被害者でなければ他に誰がなるねん! というほど強烈なイジワル女性が第一の被害者。残されるダイイングメッセージ。後半の事件ではアリバイトリックが弄されるものの、計画性が今ひとつで、更に犯人が一人で行ったものではないあたり、本格ミステリとしては割り引かざるを得ないトリックだと思う。 明かされた動機からすると「一応」、犯人らの行動、理解は出来るものではあるのだけれど、この動機は現代は動機として少なくとも建前上道義上、エンタメ系小説では絶対に使えないと思う。 (ということで、中町氏亡き今、これほど現在と価値観が異なる作品、かつミステリとして特筆すべき点が少ない作品は、物理的に改稿もできないわけで、絶対に再刊されることはないだろう)。
 しかし、インパクトという意味ではかなり強烈に心に残る。
 本書で特筆すべきは、出版社を舞台に繰り広げられる労働争議の醜悪さだろう。このケイブンシャノベルス版は、改題と共に多少は加筆修正されている筈だが、そのあたりは修正されていないようだ。出版社での、組合員と管理職の各種ストライキやサボタージュを交えた団体交渉というだけなら理解できるのだが、感情的で理性がない。
 人格攻撃、相手の容姿を貶す、育った家庭や出自をネタに中傷する誹謗する。それを紙に書き記し、晒す。その悪口を剥がすと、剥がしたこと自体をまた攻撃のタネにする。第一の被害者・久我富子だけではなく、人間的にクズ以下の行動をとっていても、かつそれが労働争議の下であれば、それを容認するし暴言の責任も取る必要がないという、職場空気自体の毒が凄まじい。この時代(たぶん初出の七十年代中盤)の労働組合というのはこれほど最低の存在だったんですかねぇ。
 後味が悪い――というのはその組合活動に加え、罪を犯した人間が皆「死んで詫びる」価値観が最後まで貫かれているようにみえることも加わる。不倫が多いのは、昭和期のミステリの特徴でもあるので、仕方ないとはいえ、現在の常識からするとかなり違和感が出てくる要素だと思う。

 正直、トリックそのものが長編向きではないということかもしれない。ここまで書いている以上、基本的にお勧めできる作品ではありません。埋もれてしまうのはそれなりの理由があるということ。労働争議のえげつなさが読みたいといった物好きな方と中町信コンプリートを目指す方くらいで良いのではないでしょうか。


13/03/18
深木章子「螺旋の底」(原書房'13)

 島田荘司選第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作『鬼畜の家』から、本格ファンから高い評価を得た『衣更月家の一族』に続く、深木さんの三冊目となる長編作品。ノンシリーズ、書き下ろし。

 英国を旅行中に交通事故を起こし、先妻を喪い、脚に消えない障害を負ったショックからパリで長期療養をしていたゴラーズ家の当主ポール。ふさぎ込む彼の心の傷を癒やしたのが専属心理療養士だった女性”私”と結婚することになった。結婚後もしばらくパリに住んでいたが、二人は数ヶ月後、ゴラーズの本拠であり邸宅がある、北フランスにあるラボリという何もない田舎の村で暮らし始めることになった。このゴラーズ邸、中央部にある太い管状の柱の周囲に、地下から三階の屋根裏部屋まで繋がった螺旋階段があり、螺旋の中央部は1メートルほどの空洞となっており、その最下層にあたる地下室は硬く扉を閉ざしていた。ポールの告白によると、第二次世界大戦直後、ドイツ軍に協力していた人間たちを村で私刑にする事件があり、その際に村人同士が殺し合った遺体が、二十年以上その地下室内部に放置されているというのだ。さらにゴラーズ家を支配しているのは、長年女中をしているデュポン夫人で、さらに彼女は、ポールの実の母親であるという公然の秘密があった。滞在開始直後に早速、村の上流階級が集まっての パーティが開催されるが俗物の年寄りが集まるイベント、面白い訳がない。私が、ポールと結婚に踏み切ったのは愛情ではなく、ある理由からだった。一方、ポールはポールで割り切っており、私をパリに帰しては、村に住む少年を瞞して睡眠薬を注射、自宅に攫った……。

前二作から一転、海外作品のようなゴシックミステリ。地味な歪みが嫌らしくも、ミステリ的滋味も深い
 うーん、ゴシックだゴシックだ。
 これまでの現代国内の人間関係の歪みを描き出してきた深木さんが、ちょっと異なる作風に挑戦した、ということで良いのだろうか。醜い人間感情を醜く描き出せる作者であることは認識していたつもりだったが、本書で感じたのは、とても醜い人間感情を、むしろ、あまり醜く感じさせずにさらりと描き出している点だ。
 古くからある巨大で豪壮な邸宅、その館を護る頑固な使用人たち、旧弊な価値観に囚われた人々、少数の人間間でもゴシップの多い上流階級の社交、地方特有の排他感情。こういった背景、いやこういった背景が許される地域と時代を作品内に持ち出すことによって、さまざまな人間感情を物語の内部で、より矮小に、いってしまうと「どうでもいいこと」っぽく見せることに成功しているように思う。(表現が難しいな)。あまりに豪壮で大きな背景や設定によって、一人一人の細かな人間感情が塗りつぶされているような印象なのだ。
 語弊があるかもしれないが、人間感情自体はそれぞれ作者はきっちり描いている。が、その感情が、どちらかというと現代舞台の普通のミステリに比べると、動機としてとても小さなことのように感じられるといえば良いか。何がいいたいかというと、この表現手法の結果、日常と犯罪行為との垣根がとても低い世界にみえるのだ。
 田舎暮らしゆえの情報制限、地域のタブー、使用人の増長等々、序盤はさまざまな「?」があるものの、いくつかは推理ではなく無造作に倒叙形式で犯罪状況が描写されることによって読者に真実が伝えられる。それでも残った謎や、殺人計画などがあり、夫婦それそれの目的や思惑も最後まで完全には明らかにされない。それらを解き明かすことがミステリとしての大きな主題か――と感じさせるところ、それが既に素晴らしいレッドヘリング。
 謎解きはあるのだけれど、その謎自体を勘違いさせることで別のところから、いきなりとんでもないものを取り出して見せつけてくれる。繰り返しになるけれどトリックを隠すのではなく、謎を隠すことによって読者を煙に巻いてしまうところ、とんでもないことを計算して物語を構成している。正直大したものだと思う。
 真実が明らかにされるにつれ、ただでさえ悪党っぽさがみえる”犯人”の、更なる暴虐ぶり、自己中心的な態度が十二分に強調される。この結果、少々の悪事なら覆い尽くす「時代・舞台」のなかでさえ、この事件性が釣り合うほどに大きくみえるようになっているのだ。

 後味がビター/ブラックなのは深木作品である以上(?)当然であるとして、凄く新しい試みをしている訳ではないのに、ミステリとしてきっちりしているうえ、強烈なサプライズが伴う佳作だという嬉しい作品。 ミステリに手を抜いていないことが大きなプラスとなり、物語性まで相乗効果で豊かになっているように感じた。これまでの前二作と作風がかなり異なるというところも注目で、次回作の方向性がまったく読めなくなったところも嬉しい誤算。


13/03/17
伯方雪日「ガチ! 少女と椿とベアナックル」(原書房'13)

 一貫して格闘技愛とミステリ愛を両立させるという異彩を放つ作品を打ち出してくる伯方雪日さんの三冊目となる 長編作品。ノンシリーズ。

  ヴォルケイノというプロレス団体に所属する若手レスラー・吉野。身体が大きく運動神経自体は悪くないのだが、動き出す時に一瞬考える癖があり、反応速度が遅れるがために今一歩一皮がむけない状態が続いていた。その吉野が付き人をしていた万年前座のレスラー・宝来弾が四十九歳で急死した。そもそもシナリオ通りに動くのが絶対のプロレス業界で、煌びやかなベルトを腰に巻いたヴォルケイノの現役チャンピオン・ガストン・”エンジェル”・ピットに対してガチの勝負を挑み、敗北、その直後のことだった。葬式の席で、吉野は弾の娘でプロレスを毛嫌いしていた女子高校生の宝来尽子(つくし)と出会う。葬式から少しして登校し始めたつくしだったが、少し変わった性格の同級生・坂本ないきが、女子高生連続殺人に巻き込まれて死亡してしまう。エキセントリックな性格で見た目もぱっとしない彼女の遺体からは覚醒剤反応があり、さらに生前は、どうやら売春組織に関わっていたといった疑いが浮上する。しかもその彼女の父親はヴォルケイノのスポンサーをしていた。父親の不可解な死と友人の不可解な死。ヴォルケイノの周囲にはどうやら不可解な何かがあるようだ。吉野とつくしは協力しながら、その謎について探ってゆく。

格闘技に対する愛情を謳いあげながら、伏線尽くし(つくし?)の綺麗な本格ミステリとを両立。
 現在も過去も、民放で放送があって時間が合えば観ないこともない――程度しか格闘技界のことを知らないのだが内部からの暴露本が出る前と後とで、プロレスを巡っての共同幻想のあり方が異なっているというのが現実だろう。力道山や馬場、猪木、お茶の間で民放が放送するプロレスが観られた時代は、証拠がないがゆえにレスラーたちは真剣に毎回リング上で戦っているという前提でのフィクションもあり得たのだろうが、今となっては「プロレスはショーである」という前提が、それがフィクションとして描かれたプロレスであろうと(作者の前に)立ちはだかる。感動的な物語がショーに吸収されてしまう可能性がある、難しい題材になってしまっていると思う。
 しかし、格闘技とミステリの融合というテーマを続ける伯方氏は、ショーであり、エンタメであり、ストーリーが決められた「現代のプロレス」という世界を物語の舞台に使用しながら、それでもなお、この世界に夢を賭ける者たちの心情を切々と描くことで、嘘くさくない物語を創りあげている。 特に、チャンピオンベルトを自らの腰に巻きたいというレスラーの強烈な本能に着目している点、流石だと思う。
 もちろんガチンコ勝負の総合格闘技が幅をきかす現状はきちんと踏まえ、シナリオが存在するプロレスの内情・内幕みたいな部分も丁寧に書き込まれている。前時代的体育会的トレーニング、上下関係の厳しさ、前座と人気レスラーの待遇差。細かなtips的要素が、プロレスファン以外の読者への興味を提供し、またもちろん、プロレスファンの著者ならではの臨場感ある試合シーンも読みどころだろう。きちんとしたルールのある格闘技としてのプロレスだけではなく、身体にオイルを塗る、本番の試合で凶器を使用する、毒霧を口から吐くといった反則技が加わるところもご愛敬。 まずは筋の通った物語としてきっちり魅せてくれる。

 そこにミステリ要素も加わる。
 正直、読みながら女子高生連続殺人事件と覚醒剤とプロレスの三題噺は、ちょっとフィクションにしても相性が悪いように感じた。偶然に助けられている部分が平均的ミステリに比べると若干成分多めに見えたのだ。殺人事件の被害者の親が、プロレス団体のタニマチで、被害者本人がヒロインとクラスメイトでその犯人とクラスメイトとは無関係にヒロインが知り合い――だとか。だが、海外と日本を飛び回るレスラーと関係者の日常をうまく取り込むことで、それらがきちんと繋がり、偶然にみえた部分も必然へと変わってゆく後半の展開からは快感を覚えた。
 プロレスらしく(?)どんでん返しもばしばし通してくる終盤は、本当に最後まで真相を読み通させてくれなかった。幾つかのトリックであるとか人間関係は、丁寧に読むと見えてくる部分もあるのだけれど、トータルとしての構図がそういった想像の斜め下から飛んできた印象。

 伯方氏、寡作ながらデビュー作以来、作品を重ねるにつれ、ミステリとして物語として双方について、毎回しっかり上積みがある。題名の付け方のみ(個人的には)ちょっと微妙な気がするものの、本作もまた、ミステリを愛する方、プロレスを愛する方、双方の読者も満足できる作品になっていると思う。


13/03/16
門井慶喜「ホテル・コンシェルジュ」(文藝春秋'13)

 『オール讀物』2010年6月号から2012年8月号にかけて不定期で連載していた作品をまとめた連作集。

 観光都市・京都にあるシティホテル「ホテル ポラリス京都」。フロントデスクのすぐ近くにあるコンシェルジュデスクでは、ベテランコンシェルジュ・九鬼銀平がお客様の相談ごとを承っている。フロントには新人同然の二年目の坂名麻奈。このホテルの最高級スイートに滞在する上客大学生・桜小路清長の常識外れの「コンシェルジュへの依頼」を二人はかなえてゆく。
 桜小路清長のスポンサーである伯母の、夫の姉・ヤエが大切にしていた仏像が盗まれたという。伯母によるとその仏像が淫らに見えたので隠したというのだが……。 『みだらな仏像』
 清長が通うウォッカバー「イスクラ」。共産主義者を自認するマスターがカウンター内で交わした電話。そのやり取りの言葉が過激に聞こえた清長は、国家的陰謀が進行中であると大騒ぎ。 『共産主義的自由競争』
 清長がアルバイトしていた美容外科で女性担当者が失踪した。残されたメモには「太秦」「仁和寺」「木屋町」の文字が。『女たちのビフォーアフター』
 かつてインチキ臭い芸風で一世を風靡した占い師・アクエリアス為吉。彼は実は麻奈の祖父にあたる人物であった。麻奈はその芸風を浅ましく感じていたが、先日亡くなり、彼が最後に残した言葉に親戚たちが隠し財産があるのではないかと騒ぎ出す。 『宿泊客ではないけれど』
 伯母が博物館に寄付した先々代が創ったとされる鉄道模型。戦後の汽車C62が走っていることから偽物扱いされ、伯母が激怒。清長は大学を中退させられJR西日本へ。一方清長の実母・桜小路玉美は庭から多数の西洋人形を掘り出した。しかしその眼がくり抜かれていた。 『マダムス・ファミリー』 以上五編。

様々な雑学っぽいネタが多数集まって整理されて不思議な雰囲気を創り出している
 ホテルのコンシェルジュ。ホテルの宿泊客に対し観光名所の行き方であるとか夕食レストランの紹介だとか航空券の予約だとかをアドバイスしたり代行したりするお仕事。本書は一応、題名にもある通り、このコンシェルジュが探偵役を務める作品集──なのである。なのであるが、彼に仕事を頼むのが常識知らずのぼんぼん金満大学生・桜小路清長ということで、依頼内容も梗概で述べている通り、常識外れ。そもそも普通はコンシェルジュに依頼するという発想が出てこないような「謎」ばかり。普通なら、探偵事務所や警察に依頼するような内容なのだ。
 結果的に、門井作品らしい、どこか全体が浮き世離れした、ゆるい雰囲気にマッチした茫洋とした謎解き物語になっているところは面白い。 (ただ厳密に読むと、謎とコンシェルジュという職業との連関がないため、探偵役を彼にする必然が全くないということでもあるのだが)。
 更に、助手兼ワトソン役に真面目なホテルのフロント女性・坂名を持ってきており、ホテルの上客のため(つまりはビジネスとして)多少老獪な態度で清長に接する九鬼とのあいだに好対照がある。伯母のあき子、清長自身、母親の玉美ら、名門桜小路家の人々の個性もユニーク。
 また、良くも悪くもコンシェルジュに縛られないことから、「謎」のタイプが様々。 おかげで謎の仏像探しから、鉄道模型の時代鑑定に至るまで、謎解き自体が「何でもあり」になっているメリットを取るべきなのだろう。ミステリとしてのベースはちょっとした蘊蓄であるとか雑学を別角度から扱うことで意外性をもたらすもので、本格ミステリ的な凄みはないものの、分かった時に「ほぉ」と感心させられるタイプである。また、これもコンシェルジュとは関係ない作品であるものの『宿泊客でなないけれど』の、アクエリアス為吉の話はどこか切ないねぇ。

 デビュー後しばらくの門井作品は、美術品であるとかどこかお堅いネタをが多かったように思うのだが、最近はすっかり柔らかくなっている印象。それはそれで独特の境地に達しつつあるようにもみえる。


13/03/15
東川篤哉「魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?」(文藝春秋'12)

 作品集の題名「魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?」が『オール讀物』二〇一一年七月号に掲載され、本書では改題され『魔法使いとさかさまの部屋』となった。『魔法使いと失くしたボタン』は「オールスイリ 二〇一二』に発表された作品で、残り二作はそれぞれ『オール讀物』二〇一二年四月号、八月号に発表された中編。ということで、魔法使い(魔法少女?)マリィと、M素養強い若手刑事・小山田のコンビが繰り広げるユーモアミステリ。

 ベテラン俳優の妻が自宅の離れで撲殺された。遺体が発見された現場は巨大なテレビをはじめ、とある探偵小説作品のように色々なものが逆さまに置かれていた。容疑者となる俳優は、打ち合わせをしており少し席を外しただけ、更に片腕を怪我していた。しかし、月夜に犯行を目撃していたのは、魔法使いの女の子……? 『魔法使いとさかさまの部屋』
 ダイエットスタジオを経営している有名インストラクター。ビルの所有権を巡って義兄の殺害を実行する。レッスンの休憩時間中に呼び寄せた義兄を殺害し、車の椅子に固定、死亡推定時刻と死後硬直も計算に入れた、力業のアリバイトリックだったが、全てを終えた帰り道に、道の真ん中に立っていた女の子を轢きかけてしまう。 『魔法使いと失くしたボタン』
 婚約した女性に誑かされ、芸能事務所から不動産業に鞍替えしようという社長を、古参のものまね芸人が毒殺した。兼ねてから準備していた署名の物まねにより、完璧に自殺に見せかけた筈が、元婚約者から逆に罠に填められてしまい、芸人はその挙げ句……。 『魔法使いと二つの署名』
 弱小球団のベテランバッター菅原武彦が打った大ファールが、外野スタンドで売り子をしている魔法使いのおかげで軌道が捻曲ってホームランになった夜。菅原はそっくりさんを利用したアリバイを四谷のマンションで作り、交際していた妹を捨て自殺に追い込んだ元野球選手を八王子で殺害した。 『魔法使いと代打男のアリバイ』  以上四編。

東川篤哉らしいユーモア本格ミステリを、よりラノベ的軽さとファンタジーに寄せてみた
 烏賊川市シリーズ、謎ディナシリーズ等々でも登場人物の個性付け、デフォルメについては東川氏はかなり大胆に行っている。本書は冒頭からその「個性」が強烈な印象と笑いをもって迫ってきた。
 ラノベ等でみられる要素「妙齢の暴力的美女」「サディスティックな扱いに悦びを覚えるM主人公」「深い設定や理屈なく、とにかく魔法が使える」、強いて解釈して付け加えると「大した理由はないのに好意を寄せられる主人公」「ヒロインは天然系ツンデレ」等々。さすがにハーレム要素までは取り込んではいないものの、挙げてゆくに、一般小説としてのコードよりもライトノベルのコードが目立つように感じられる。
(登場人物の年齢層はかなり高いけれど)
 ただ、ブレイク以降の東川氏を評する形容詞として「本格なのに面白い」というフレーズが使用され、本格ファンが激怒していたことを少し思い出したが、良くも悪くもそのニュアンスを引き続きうまくくみ取った、あくまでユーモア本格を基調とする作品群なのだ。特に前半の二作『さかさまの部屋』『失くしたボタン』は素晴らしく、倒叙ミステリの新たな試みとして本格ミステリ界隈ではもっと評判になっていても良かったレベルの内容だと思う。
 SFミステリ、SF本格ミステリは新本格二十年の歴史のなかで多くの作品が出ているが、SF倒叙ミステリってのはほとんど類例が記憶にない。(お前の記憶にないだけだと突っ込まれると困るのだが)。本書の場合、魔法少女が登場するので、きちんというならば、SFでなくてファンタジーですね。
 『さかさまの部屋』は犯行の全てが描写されていないものの犯人は明白で、その完全犯罪の阻害要素として存在するのが魔法少女。こういった意表を突く演出が、冒頭だけにかなり驚かされた。また『失くしたボタン』において、小山田が犯人を追い詰めてゆくロジックも印象深くユニーク。残念ながら、後半の二作は、物語部分に重きが置かれてしまい、本格としては若干割り引かれるものの、より軽妙に、より読みやすく、より軽く、だけどミステリとしてはしっかり。普通にミステリとして評価したくなる内容ながら、ミステリのランキング本投票の締切となる九月三十日が奥付という刊行タイミングがアダとなったか?

 この生温かくとぼけたユーモアという要素はそれこそデビュー当時から東川氏が堅持していたものであり、その姿勢がむしろ周囲に理解され、評価されるようになったというのが謎ディナをはじめとする一連の東川ブームの本質のように思う。ブームがあったから迎合したのではなくて、あくまで素でユーモアミステリブームの引き金になってしまった作家であることを再確認したような気持ちです。


13/03/14
田中啓文「鍋奉行犯科帳」(集英社文庫'12)

「Web集英社文庫」にて二〇一二年五月から十月まで連載された作品に、書き下ろしの「絵に描いた餅」を加え、全四話にて構成された中編集。集英社文庫オリジナルとしては『茶坊主漫遊記』に続くノンシリーズ。2013年4月現在、引き続きWeb集英社文庫にて連載されている。読んだの年末なのになぁ。

 代々、大坂西町奉行所の定町廻り同心を務める村越家の嫡男・村越勇太郎。この度、西町奉行所に新任奉行として赴任してきたのは大邉久右衛門という大男。基本的には吝嗇家なのだが、食べることにかけては金と手間を惜しまない。渾名を「大鍋食う衛門」という美食家で大食漢だった。あまりやる気を見せず、部下泣かせの久右衛門であったが、いざ事件があるや意外なひらめきを見せてくる。
 役木戸である蛸面の千三が、数名が筵でぐるぐる巻にした遺体らしきものを船に乗せている場面を目撃するが殴られて意識を喪う。飼い鳥屋の主人が近くで失踪、更にフグ毒で死んだと思しき犬の死骸が発見される。久右衛門は、一連の事件の裏側を見抜いていた。 『フグは食ひたし』
 くちなわの瓢吉なる悪人が大坂の町に現れ、強盗を働いてゆく。奉行所の面々は神経をとがらせていたのだが……。ウナギ。まむし。 『ウナギとりめせ』
 勇太郎がかつて通っていた剣道道場の師匠が病気だという。道場を守っていたのは娘の小糸だった。そこに大熊という道場破りが現れ、暴力的な剣をもって道場が乗っ取られてしまう。仇討ちを更に大熊は粗食に異様にこだわる男だった。 『カツオと武士』
 京菓子に対抗して大坂で美味い菓子を作る玄徳堂。しかし砂糖の供給を絞るなど京都の菓子屋は強烈な嫌がらせを……。 『絵に描いた餅』 以上四編。

江戸時代の「大坂」を活写。落語でも講談でもない、普通の時代小説とも微妙に違う「新大坂時代エンタ小説」
 こんなことを書いても「そんなこと知らんがな」という話なのだが。本書を手にとってまず感じたのは、題名の駄洒落。まあ、田中啓文作品だし、鍋奉行がほんまに奉行やったら、という発想が本書の原点であることは一瞬で想像がついた。またまた、駄洒落満載の作品かと思うと少し違って、題名でめいっぱい弾けている分、作品内での駄洒落は相当に控えめだったのはちょっと意外だったけれど。
 加えて、読みながら感じたのは、これは田中啓文氏からの、同じ「大坂」を扱っている「なにわの源蔵」シリーズへの微妙なオマージュであろうこと。同じ、過去の「大坂」を描いた物語。そもそも、かつて自分(俺ね)に「なにわの源蔵」シリーズを強く薦めてくれたのは、それこそ田中啓文さん本人ではなかったか。ただ、江戸に比べると「大坂」の資料が凄く少ないという話も聞いたことがあるなぁ。商人の街にして水の街。上方とはいえ地方都市だったのか。
 その時代に最初に目が行くものの、生真面目な村越勇太郎とちゃらんぽらんにみえる大鍋食う衛門とのコンビや、ええ加減にしてわがままな衛門と、融通の利かないその部下たちのやり取りなど、作品内で醸し出される雰囲気というか空気そのものが、実に落語的。またドタバタする展開はどこか講談を思い出させられる……、とまあ、そんなことを感じながら読んでいた訳ですよ。あとテレビ時代劇の雰囲気も少しあるかも……とか。

 そしたら。解説で有栖川有栖さんがそのあたり全部書いちゃってる。

 そりゃそうだよなぁ、思いつくよなぁ。落語についての細かな「気付き」は有栖川さんの方が遥かに上いっている感じだし。年季の違いだなぁ。すごすご。
 あ! でもひとつ見つけた。このカバーの著者近影、若すぎませんか?

 本来のポイントが後先になってしまったが、冒頭のおはぎにせよ、フグにせよウナギにせよ、登場する食事がまず美味しそう。それでいて、それらの食料がしっかりとミステリや物語に絡んでいて寄り道が無駄になっていないのだ。その寄り道にしてもグルメ的な部分に加えて、食に関する蘊蓄もあるなど非常に楽しい。ユーモア時代小説になるのだろうけれど、ミステリにせよグルメ小説にせよ、いろいろ要素が混ざり合ったハイブリッドな時代小説である。


13/03/13
貫井徳郎「微笑む人」(実業之日本社'12)

 『月刊ジェイ・ノベル』二〇一一年六月号から二〇一二年二月号にかけて連載された長編作品の単行本化したもの。作者がインタビューやペーパー等で本書について語っている言葉によると、雑誌連載開始当初は、殺人を行うにあたってあまりに動機の軽い(おかしい)対象人物をルポルタージュ風に描き、最後に解りやすい動機、実は過去にトラウマがあり、その経験から人の命を軽視できるようになりました云々、を付け加えて終了する予定だったらしい。途中で矛盾に気付いて修正を進めた結果、全く異なる「貌」を持つ物語──となったらしい。

 最高学府を卒業してエリート銀行員となり、仕事への取り組みも人当たりも良く、将来を嘱望され、美女と恋愛の末に結婚して一女をもうけ、何不自由なく幸福に生活しているに見えた仁藤俊実。彼は妻と娘を水遊び中の事故に見せかけて殺害した疑いで逮捕された。仁藤はその事実を認めたが、動機については「家に本を置くスペースを作りたかった」と言い、微笑む。異常な動機に捜査陣やマスコミは大騒ぎするのだが、犯罪行為自体を認めている仁藤本人の供述は覆らず、かつ心神耗弱も認められない。この事件に興味を持ったミステリー作家の”私”は、仁藤の本当の姿、そして事件の真実を焙り出そうと、両親や職場、そして大学から遡って彼の周辺にいた人物のインタビューを繰り返してゆく。しかしその過程で、仁藤の周囲で不審な死が相次いでいることに気付く。仁藤と同じ職場にいた人物が行方不明となり、後ほど遺体で発見される、大学時代の同級生が不審な交通事故死を遂げている、しつこくその捜査をしていた刑事が、罠にから失職に追い込まれる。刑事の一件を除くと、動機らしい出来事があるにはあるのだが、一般的な価値観では人を殺害してまで実現しなければならないとは思えない事柄ばかりなのだ。私はさらに仁藤の過去へと踏み込んでゆくうちに……。

物語や登場人物が怖いのではなく、判ったつもりになっている行為自体の怖さに気付いて、改めて怖い。
 初読時に混乱して感想が書けなかった。半年経って再読していろいろ感じたことをつらつらと。
 序盤から中盤、そして終盤に至るまでのリーダビリティというか、引っ張り方はそれはもう見事なもの。特定人物を描写するにあたり、ルポルタージュ様式を模し、複数の関係者に対するインタビューで一人の人物の姿を読者の前に徐々に浮かび上がらせる――という方法自体、ミステリでは極端に珍しいものではない。だが、本書でその対象となっている仁藤俊実については「解るようでいて、よく解らない」というのがもともとの描写。その彼の有り様は、、人の話を聞くにつれ、仁藤の周辺にこれまで起きた不自然な死が浮かび上がるにつれ、不可解というか、人間の命を些細な動機で奪うことに抵抗がない人物であるという風に受け止められるようになる。ただ、違和感が拭えない。
 サイコキラーや異常な動機による殺人など、それこそミステリで腐るほど接している訳ではあるが、そういった数ある殺人犯人像のなかでも微妙に異質、なのだ。 ある物事を達成するのに対象者が邪魔になるケース、その対応策が幾つもあるなかに「殺人」という選択肢が当然に入っているような人物――あたりが、近いのだが、仁藤の場合はそもそも殺人以外の選択肢の方が遙かにイージーであっても、時折殺人を行って(微笑みながら)いるところが異なる。冒頭の殺人にしても、殺人者として裁かれる事態に陥ったら、そもそも本棚に本を並べる以前に、本買えなくなるだろう? とか「つっこみどころ」が多いのだ。
 いい加減なのか周到なのか、冷静なのか衝動的なのか、敢えて統一解を作者は示さず、仁藤の人物像を揺らしまくる。ダークヒーローでもなくサイコ・キラーでもなく、狂人でもない。読めば読むほどに「仁藤の訳の分からなさ」が怖く感じられる。

 ただ、再読で気付いたが、本書で恐ろしいのは「仁藤俊実」というわかりにくい人物のことではない。

 読み終わって本当に恐ろしく感じたのは、解りやすい結論、理解しやすい道筋、ありきたりの物語に、むしろ安易に飛びついて安心してしまうという、読者自身の心の動きが自覚させられるところだ。
 終盤、彼の小学生時代を知るという情報提供者の悲惨な小学生時代と、そこにいる仁藤俊実の立ち位置。当人にとっては悲劇ながらあり得る出来事と、小学生なりの正義感、そして現実。未成熟な正義感と罰されるべき人物の悲惨な最期。こういった”魅力的な不幸な出来事”が提示され、作中のミステリー作家ならずとも、犯人像を理解した気になってどこか安心してしまう。
 結局のところ、その後の殺人についてはどういった動機なのか衝動なのか、殺人の理由はよく分からないが、とりあえず、そんな狂った考え方に陥ったのは幼少期の凄惨な経験によるトラウマだと。なるほど、割り切れないなりに何となく理解できる落としどころである。

 しかし最後の最後、その証言自体が全く架空のものだったと明かされた瞬間、それまで読者が築いてきた心の中でのストーリーが瓦解する。ミステリー作家である語り手が陥れられる混乱状況は、その瞬間、読者にかけられていた魔法が解けてしまうことを意味する。解ったつもり、なんというものは完全なる錯覚だったのだ。殺人犯の心の闇など解き明かされることはなく、他人の考えていることなんて永遠に解りゃしないという事実。 ある意味は当たり前。頭で理解はできる。だけど心がついてゆけない。

 何よりも、作中のミステリー作家だけではなく、読者としての自分までが仁藤俊実に振り回されてしまっているということに気付くと、なんとも嫌な、そして恐ろしい気分になるのですよ。意外なかたちで作者に・証言者に裏切られた結果、本書自体が心に残る嫌な作品(褒め言葉)に変化している。 これもまた今流行(?)の、いわゆるイヤミスの特殊な別形態ともいえるように思う。


13/03/12
近藤史恵「はぶらし」(幻冬舎'12)

 『ポンツーン』2010年7月号から2011年8月号にかけて連載された作品を加筆修正して単行本化したもの。ノンシリーズ。

  テレビなどの脚本家としてそこそこ成功している独身・三十六歳の鈴音。交際している男性は現在はいないが、仕事も私生活も充実した毎日を送っている。そんな彼女に十年ぶりで連絡をとってきた高校時代の友人・水絵。それほど親しかった訳でもなく、借金の申し込みだろうと半ば想像しつつファミレスで再会してみると、彼女は子連れで現れた。夫のDVに耐えかねて離婚して、リストラに遭って家賃も払えなくなったため、行くところがないのだという。就職活動中なので一週間だけ止めて欲しいと鈴音は泣きつかれる。戸惑いながら受け入れた鈴音だが、生活習慣の違いなどから最初は戸惑い、そして水絵の性格の不一致や、互いに思い遣りに欠けた言動などから関係はぎくしゃくしてくる。加えて水絵の就職も決まらず、鈴音のストレスもピークに達して出て行って貰おうと決めたタイミングで水絵の子供・耕太が高熱を出す。水絵はもう少し同居を続けさせて欲しいといい、鈴音も途方にくれながらも許してしまうのだが……。

イヤミスならぬイラ(イラ)ミス。天然風図々しさvs同情と葛藤のせめぎ合い
 まさに「友達という存在に対して、どこまで助けられる?」という主題にじっくり向き合うイヤな作品。

 知人ではあるけれど、友人とはいえない程度の人物から助けて欲しいといわれたら。
 最初は謙虚だったものの、その裏側にある図々しさ、図太さが透けてみえてくるようになったら。
 善意で行っている行為に対して、被害者意識を勝手に持ち出されたら。

 まさに善意につけ込まれてゆく状態。主人公が多少お人好しにみえるかもしれないが、平均的日本人の独身ワーカーの感覚には近いだろう。
 一方、基本的に嫌な女性として描かれている水絵だけれど、客観的に境遇をみるに相応に同情すべき要素は多い。職無し家無し子連れでの就職活動がままならない。子供を養うためにどうしても働かなければならないのに、その子供が就職活動の際には足手まといになるというジレンマ。面接に際して見た目を整えたいのに髪の毛さえ切る暇がなく、切ったら家主に嫌みを言われる。家事を手伝おうにも経済観念が合わない。挙げ句、病気の子供にうどんを用意しておいたのに留守中に勝手に中華を食べさせられ、病気が悪化している。

 とはいえ、最初の「はぶらし」に関するエピソードが端的に示すように、その扱いの差違がそのまま鈴音と水絵の感覚のズレに繋がっているところは技巧として巧い。その他にも、「独身一人暮らし女性」と「子連れ主婦」との感覚差・常識差についても、「ありそうな、ありがちな」エピソードが多く、読者を「あるある」状態にうまく誘導している。 例えば早朝のテレビ視聴。慣れない人にとっては「テレビがついている」という状態自体がストレスになるのだが、つけている側は「ボリュームを小さくしている」で免罪されると思っている。こういった行き違いを本当にうまく積み重ね、この嫌な物語を、ごくごく自分の身近な物語として感じさせることに成功している。このあたり、読んでいて本当にいらいらする。同居人を放り出したくても、そう出来ないジレンマ。

 物語の後半、水絵のいい加減さ、やけっぱち状態が強調されてゆき、さらに耕太の父親登場によって彼女の行動が全否定されるような展開になってゆく。ただ、それでも、最後に水絵からかかってきた電話で心に棘を突き刺しているところなどは小憎い。

 物語の締めくくりに相当する部分で(ネタバレにつき反転)鈴音が成長した耕太と再会するのだが、この部分で明かされる水絵のエピソードについては(個人的な感覚だけれども)余計な気がした。水絵が、高校時代に手癖が悪かったという噂が伏線となって、これまで転がり込んだ他の家では水絵は、窃盗行為を繰り返していたという耕太の証言が出てくる。伏線ゆえおかしくないのだが、水絵は悪人だったという結論に行き着く。鈴音の家では、結局踏み切れなくて未遂に終わったということだけれども、それにしても本質的に犯罪者だったという事実を消せるものではない。
 こうなると、鈴音が同居時に感じていた強烈なストレスや罪悪感は、本来不要なものだった、さっさと追い出しても実はOKだった――という心の平穏を得るための、安易な免罪符のようにみえてしまうのだ。本当に善意の固まりで転がりこんできた母子であった方が、読者に刺さる心の棘がもっと強烈だっただろうし。読者の心を軽くするためであれば成功しているけれど、その分、物語自体も少しだけ軽くなってしまっているように感じた。

 小説としてのリーダビリティは非常に高いうえ、巧みな心理描写で綴られる物語は、するすると作品世界に読者の気持ちを引き込んでゆく。読中、読後感が爽やかとは言い難い作品ながら、不思議な吸引力を持つ作品。表紙がお風呂なのは、残り湯に関するエピソードからかな。


13/03/11
石持浅海「届け物はまだ手の中に」(光文社'13)

 『月刊サスペリアミステリー』二〇一〇年八月号から二〇一二年六月号にかけて隔月連載された作品が単行本化されたもの。ノンシリーズ。『サスペリアミステリー』自体は秋田書店で刊行されていた本格ミステリーコミック誌。現在は休刊中。

 恩師を通り魔として殺害しながら、悪徳弁護士による弁護の結果、心神耗弱が認められて無罪放免された男に対して、殺人というかたちの復讐を果たした二十九才・独身で神奈川県の農業試験場で働く楡井和樹。彼は、殺害した遺体の首を切り離し、冷凍した後に厳重にビニール袋で梱包、ボストンバッグに詰めた。向かうのは共に復讐を一度誓いながら、就職時に復讐に反対、袂を別った小学校からの親友宅を訪れた。友人の名前は設楽宏一。大学卒業と同時にITベンチャーを立ち上げて成功、横浜の山手の大邸宅に、大学の同級生だった妻と一人息子と共に暮らしている。しかし、アポ無しで訪れた楡井は、大人が目を離した隙に高い塀の上を歩くまだ四歳の息子・大樹を助けることになる。当日は、大樹の誕生日でパーティが屋外で行われていた。会場には、設楽の妻・さち子、宏一の妹で、楡井とも面識のある真澄、宏一の秘書をしているというクールビューティ・遠野ら三人の美女がいたが、本人は見あたらない。彼女らによると、宏一は急な仕事で二階にある自室にいるというのだが、なにやら楡井に対する接し方がぎこちない。不在だから帰ってくれとも言われない代わり、仕事中だという宏一に対するに言伝も無いようだ。彼女たち三人の言動や行動に怪しい何かを感じ取る楡井だったが、自分自身殺人犯であり、なかなかその疑惑を口に出せないのだが……。

浮かび上がる疑心と疑惑。反転しての不思議なハッピーエンド(?)がじわりと心に残る変本格
 石持浅海さんの作品設定が変わっているのは、この作品に限ったことではないのだけれど。これはまた、奇妙なミステリである。そもそも冒頭が「復讐成就」の場面から始まる。つまりは殺人者が殺人を犯す場面。しかも復讐だから本人(主人公)は、理性的に悦びに震えているのだ。はじめから逃げ切るつもりもない主人公。だけど、この結果をかつての相棒にだけは知らせてやる必要があるのだ。
 ──その彼が陥る奇妙な状況が本書のテーマ。
 ただ、登場人物が限られており、主人公の楡井が対面する三名の女性がそれぞれ、奇妙なアクションをすることもあって、この設楽亭の状況がどうなっているのかは、微妙に読みながら想像がつく。腹の探り合いと上辺の会話。果たしてその想像は当たってはいた。が、個人的にはその想像の裏側にあったディティールに戦慄した。
 かたや安定志向の公務員、かたや冒険的な事業であるITベンチャー社長。この二人がなぜ、このような人生を選んだのか、更になぜ二人のベクトルが違ってしまったのか。この裏側に実は互いに明かせない深謀遠慮があった。凄いなぁ。特に終盤に明かされる狂気すら感じる人生観には背筋が寒くなる。

 そして本書がユニークなのは、真相が明らかになったあと。登場人物のなかで「誰が強いのか」が意外性とともに浮かび上がる展開。え、これってハッピーエンドといってもいいの? と思わず目をこする、不思議なハッピーエンドが奇妙に心に残る。ただ、登場人物の描写もまた、この結末に向かっていたという風にも受け取れ、技巧という意味でも味わい深い。
 ストーリーとは直接関係ないが、本書の登場人物の片方は作中で言及のある「横浜産業大学」の卒業生なのだが、その大学のライバル校として名前が出てくる「東京産業大学」は、『見えない復讐』という異色ミステリの舞台となっている。(同じ大学じゃないかと思って調べたら違った)。