MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/03/31
北 夏輝「恋都(こと)の狐さん」(講談社'12)

 第46回メフィスト賞受賞作品。本作にはサプライズが二つある、ということでWEBサイトで謳われていたのだが、一つは第45回同賞受賞・高田大介氏『図書館の魔女』よりも先に刊行されること、もうひとつは恐らくこれまでのメフィスト賞受賞とのジャンル違いにあるのではないかと想像される。既に二作目『美都で恋めぐり』が刊行されている。

 大阪の実家から奈良県にある女子大に通っている「私」。特長のない顔、性格、スタイルの私は二十年間彼氏というものがいたことがない。二年生の二月三日、節分の日に東大寺二月堂で行われる豆まきに一人で行くことにする。無料のイベントのうえ、豆を入手できると恋愛が成就するとインターネットで噂されているのだ。そして、私は一人で奮戦のうえ、配られた豆や鈴を手にし、狐の面を被った着流しの男の人「狐さん」と、その男の人の傍らに佇む二十代後半の美女・揚羽さんと知り合う。私は、せっかくの節分を堪能すべくそのまま二人と共に元興寺、興福寺と豆まきを堪能。狐さんは口が立ち、様々な知識を持つのだが、飲食するにあたっても少し面をずらすだけで決して狐のお面を外そうとはしない。揚羽さんもそんな狐の態度に違和感はないようだ。節分なので鰯と恵方巻が食べたいという狐だったが、金はないという。あっけにとられる私の前で、狐さんは奈良駅前の噴水広場で口上を述べ、多くの通行人を周囲に集め、なんと大道芸の手品を初めてしまう。

「そうだ、奈良、行ってみよう」となる、ほわほわライト級恋愛小説
 非常に知的で冷静で、出しゃばり過ぎず控えめすぎず、かつユーモアを解する上品なお嬢さん──という一人称で描かれる小説である。恋愛に関するもろもろのみ経験と知識が同年代より遥かに少なく奥手、男性によってはこういうタイプの方がお好きな方もいらっしゃるだろう。また、年上を立て、悪口は内心に思っても口に出さない分別があり、物の見方がかなりユニーク。特殊な経験や特技がなくとも、読んでいてとても安心できる人物を主人公に据えている。 彼女の視点を通じて語られる世界、ということでどっしりしていてぶれが感じられない。また「私」の考え方、比喩的表現等々にちょっと面白い感覚があり、ほのぼの、にこにこして見守りたくなる展開なのだ。
 そして、特筆すべきは臨場感溢れるイベントごとの「奈良」の色合い。 観光ガイドからの引き写しではなく、実際にその場にいるかのような感覚が味わえる。この感覚が刺激となって、本書に書かれているイベント、自分がその場にいることを想像しているうちに、実際に行ってみたくなる。この「行ってみたくなる」という吸引力がかなり高く、そういったセンスは素晴らしいと思う。
 観光客の多い奈良で偶然の出会いを繰り返すことで(そりゃ狐面に着流しは目立つわなあ)、徐々に育まれ、自覚に至る恋心。共に過ごすうちに狐さんへの気持ちが抑えられなくなった、三月。彼女は最後にある決意を抱きながら、奈良へと向かう──。
 なかなか恋愛だけを取り上げた恋愛小説を読むことがないので断言できないのだけれど、この結末は微妙かも。実際、読んだ方なら賛否両論、というよりも否の方が多いであろうことは想像に難くない。主人公、終盤いきなりヘタレと化すのだ。不器用以前の独り相撲。告白する前の一方的推測による撤退というヘタレっぷりは(個人的価値観からくるものだけれど)失笑するしかない。傷つきたくない打たれ弱い以前に打たれること自体から逃げ出す(繊細な、なんて形容詞は勿体ない)若者の現実的運命なんぞこんなもんかもしれないけれど、フィクションの恋愛小説がそこを生々しく書いてどうすんだ、という気がした。まあ勿論、小説としては有りなんだろうけれど……。

 狐の面を狐さんが被っていた理由、狐と揚羽の関係といったところにも理由があるのだけれど、そこまでのぽわぽわした雰囲気からすると、若干リアルに傾き過ぎる分マイナスか。やはり前半から中盤にかけて張り切って奈良を巡っている一連の描写が、とても素晴らしい作品だと思う。(実際はどのイベントも凄まじい人数の観光客がいそうですけどね)。


13/03/30
蓮見恭子「アンフェイスフル 国際犯罪捜査官・蛭川タニア」(角川文庫'13)

 蓮見恭子さんは2010年『女騎手』で第30回横溝正史賞優秀賞を受賞してデビュー。他に『無名騎手』『ワイルドピッチ』と長編を刊行しており、本書が四冊目の長編作品となる。

 組対特別捜査隊所属の蛭川タニア警部補。警視庁で一番”地獄耳”といわれ、外国語に堪能。組対に鳴り物入りで入った中国留学経験ある若手を潰したともいわれている。中国に語学留学し、流暢に北京語を操ることができるものの、警察の語学センターではなく池袋署の所轄刑事課に所属する若手刑事・南条隆志は、行きつけの中華料理店で不法滞在の外国人のガサ入れを行う蛭川と出会う。その後、池袋ではバラバラ死体の一部と思われる女性の腕が発見され、遺留品から被害者は中国人の可能性が高まっていた。事件には最初から蛭川ら組対が絡み、所轄の刑事たちは事態を訝しがるものの、地道な捜査の結果、Aと仮に名付けられた彼女が、他人の保険証で婦人科の受診をしていたところまで突き止めることが出来た。どうやら外国人による代理母出産が事件の背景にあるらしいことが浮かんでくるものの、証拠は一切見つからない。更に、捜査状況進展に大いに貢献した蛭川タニアが、一連の捜査の裏側で不法行為ぎりぎりの手を使っていることに南条は気付くが、南条自身、蛭川の使っていた情報屋を保護するため、自分で疾しく感じている、中国人実力者との復縁が必要になってしまう。ある程度捜査が進んだ段階で、南条は表向き捜査本部から外され、蛭川らと共に事件の鍵を握ると思われる新潟中心部にある産婦人科を秘密裏に監視することとなった――。

外国人犯罪+代理母出産。社会的テーマを物語に幅広く包含した社会派・警察サスペンス
 代理出産というなかなか男性に踏み込みにくいテーマがまずしっかり描かれている。そのものが違法という感覚はあるが、当事者でないと(男性だと尚更)なかなか興味が持ちにくい主題だというのが正直なところ。だが、本書はミステリの形式、サスペンスの形式を用いることで、そういった読者をも物語世界に引き込むことに成功している。単にこの夫婦の精子と卵子を用いて、別の女性の身体で子供を作るという行為自体についての是非を問うという意気込みは比較的薄く、むしろ、この行為をビジネスにする人間たちや、依頼する側、引き受ける側といった様々な立場・価値観の人間を登場させることによって物語世界に深みを出しているのが特徴だ。
 また、子供がどうしても欲しい夫婦に代理母出産を勧めるというだけでなく、子供を持つことが叶うとなると生まれてくるであろう、その一つレベルの高い欲求に目を付けたアイデアもユニーク。確かに、代理母が生んだとしても、どうせなら血の繋がる我が子を、養子ではなく綺麗な戸籍で自分のものにしたいという欲求は理解できる。(日本人だから?)
 外国語の表記を出来る限り、現地語で記していたり、日本国内で生活する中国人の生態を描いてみたりと文化的な障壁(カルチャーギャップ)、考え方や価値観の根本的な違いなどをさりげなく背景に加え、さらには新潟を例に取ることで都会と地方の生活・価値観の差異を入れたり、現実のあまりキレイでないところを直視する力強さもある。他の作品でもそういった傾向があるのだが、著者の場合、複数の社会的テーマを作品に織り込む力に長けているように感じられる。
 そういった社会的テーマを流さずに丁寧に描いている反面、作者が真面目すぎるせいか、テーマに入り込みすぎてしまい、急に登場人物が「先生」状態になってしまうところも散見される。また、副題に蛭川タニアの名前があるが、本書の主人公はあくまで南条隆志。正直、この隆志の方は、陰影の濃い過去を持つ若手刑事として分かりやすい造形なのだけれど、蛭川タニアがわざと女性らしさを押さえていることもあり、多少イメージしづらいように思えた。シリーズ化により掘り下げてゆく計画なのかもしれない。

 四冊目にしていきなりの文庫書き下ろしということで多少軽めの作品ではないかという先入観があったが、見事に打ち砕かれた。ミステリとしては冒頭から登場する「腕」が生かしきれていないところが少々残念ながら、社会派・警察サスペンスとして現代世相をきっちり映し出した作品になっているといえよう。


13/03/29
新藤卓広「秘密結社にご注意を」(宝島社'13)

 2012年、第11回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞作品。投稿時の題名は『或る秘密結社の話』。作者・新藤卓広(たかひろ)氏は1988年宮崎県生まれ。中央大学法学部卒で現在も宮崎県に在住、公務員。

 大学を出てそれなりの規模の電機メーカーに就職、無難に仕事をしていた筈の青野恵介は、二年四ヶ月で退職を余儀なくされた。同僚の女性と課長とのあいだに不倫があるのでは、ということに気付き、持ち前の強い好奇心が抑えられず、その証拠を探すべく女性を跡けていたところを見つかり、ストーカー扱いをされたのだ。会社を辞めさせられて腐っていたところに「有限会社フリースイープ」なる会社からスカウティングの手紙が届く。好奇心でオフィスを覗くと美女がいた。宝来あいみ、と名乗る彼女によるとこの会社はシークレット・サービスの会社、即ち「秘密結社」なのだという。たまに清掃の仕事もあるものの、日中に傘を差して歩いたり、レンタル店の店頭ゲーム機で延々と遊べなど、犯罪ではないが何の役に立つのか分からない仕事ばかり。あいみの他に、うっとうしい性格の大東、生真面目な色男・三浦ら、社員は他にもいるが皆別々の仕事を割り振られ、さらに月に50万円もの給料はきっちり支払われているという──。
 会社員・伏見は携帯電話で脅迫電話を受ける。息子が誘拐されたというのだ。息子はどうやら犯人に確保されているらしく、犯人の要求は携帯を切るなというものだった。街中に呼び出され、のこぎりを買い、更に団地をうろうろした挙げ句に最後の指令は、ある部屋にある死体を解体せよというのもだった──。

からっとした文体と特徴的で魅力的な登場人物。新人離れした構成センスが光る絶妙エンタ
 主に三つのエピソードによって序盤から中盤にかけて構成されている。メインになるのは一応主人公と思しき、元若手サラリーマンで好奇心が高まると抑えられないという性癖を持つ青野のパート。特殊な能力はなく(その好奇心を除くと)感覚や考え方は常識的。読者の分身として物語世界への没入を助けている。メールでしか登場しない、秘密結社のボスをはじめ、あいみ、大東、三浦という他の社員三人も、中盤から後半にかけて、それぞれが強い特徴を持っていることが明かされる。
 続いては経済ヤクザを自認する暴力団若頭・滝沢と、その幼馴染みで滝沢のコネで厚労省関連の入札でうまく立ち回っていた溝田。そして支配欲が以上に強く、頭の回転が早い伏見。伏見は既存大企業で社長になることを最初の目標に、溝田の地位を自分の会社で手に入れようと滝沢にアプローチを行う。
 三番目は、家庭内がうまくいっていないある少年。父親・母親が自室に鍵を掛けていることから、少年は自学でピッキングを習得。そのテクニックの上達から他人の家に忍び込むことを繰り返すようになっていた。泥棒ではないので物を盗むことはないが、家に侵入した痕跡を残す愉快犯活動を続けているうちに「空き巣へ。入れるものなら入ってみなさい」という挑発的な張り紙を見つける。

 あらすじを繰り返すようなかたちになったが、その三つの話が収斂、秘密結社の意味、目的といったところが、様々な伏線から繋がってゆき最後にクライマックスに至るストーリーなのだ。作品の構成自体は現在は「よくある」手法でしかないのだが、その三つの話が等価ではなく強弱がつけてあったり、意表の突き方に独特のセンスがあったりと全体として手堅く、そして巧さが光る構成になっている。
 また、だらだらと時系列にエピソードを描いてゆくのではなく、章ごとにその内部で効果的なシャッフルを行っているところが特徴的。メリハリの付け方がうまく、読んでいて全く飽きさせない。選者のいうところの「既視感」も理解できるのだけれど、既視感をもってしてなお、これはデビューさせねばと思わせる「力」が作品から溢れている。

 ちなみに、ミステリにおいて、この手の「秘密結社」なる存在が一般向け作品内で、訝しがられながらも一応その存在を認められるのは、ホームズの『赤毛連盟』を前提としたうえでだが、伊坂幸太郎氏の存在が大きいようにように思う。からっとしたタッチで大ぼらを吹けば、それはそれで普通に「有りでOK」という現在の当たり前は、伊坂作品が人口に膾炙したおかげ──というのはうがちすぎだろうか。(一昔前であれば、秘密結社、何それあり得ないだろ、で終わらされていた可能性があるなぁ、とか思ったので)。

 冒頭、日中に傘を差している主人公の描写があるが、その傘に理由が付けられたらプラス5点は満点に近づいたものと思う。さんざん繰り返しているが、アイデアそのもの以上に「読ませるセンス」に長けた作家かと思うので、このクオリティが維持できればどんなネタを扱っていたとしても次作以降多いに期待できるかと感じた。


13/03/28
芦辺 拓「スチームオペラ 蒸気都市探偵譚」(東京創元社'12)

 『ミステリーズ』vol.43(二〇一〇年十月)〜vol.51(二〇一二年二月)にかけて連載された作品が単行本化されたもの。『2013本格ミステリベスト10』で9位を獲得している。

 主に石炭を燃料とした蒸気と、エーテルという物質を動力源として様々な機械がひしめく大都市。エーテルを利用したワープ航法により宇宙への進出を果たし、また世界中の国家・民族がそれぞれに発展を遂げ、個性を尊重しながら平和な成長を続けている時代のこと。エーテル推進機によって宇宙をも航行する大型空中船・極光号の船長を父親に持つ活発な少女・エマ・ハートリーは、父親の長期にわたる宇宙探索の航海から出迎えるために学校をさぼって港に迎えに来た。ところが、なかなか乗務員が下船しないことに業を煮やし、彼女はこっそりと船に直接忍び込んでしまう。エマは船内でつるりとした不思議なカプセル内に入れられていた少年と出会う。実は少年がカプセルから出る気配が無かったため、その解決のために名探偵ムーリエが呼ばれていたが、もともとムーリエに憧れていたエマは、社会活動の一環として認められている「見習い」になることを切望する。結局謎のカプセル少年・ユージンと共に首尾良く名探偵ムーリエに認められ、「見習い」として活動を開始した。早速、謎めいた事件が次々と発生する。密室のなかで巨大な金属で頭を殴られて死亡していた学者の事件、円周形状を為すガラスの廊下内部で矢によって射殺される男の事件――。ムーリエはエーテルの理論を用いてそれらの謎を快刀乱麻に解明してしまうのだが、どうもエマの心のなかには微妙な引っかかりが残る――。

「蒸気機関が支配する世界」と「名探偵が活躍する本格ミステリ」の不可分にして幸せな融合
 どうしても、芦辺作品の場合には「あとがき」のコメントに引っ張られてしまうが、このスチームパンク世界、最初にイメージするのは宮崎駿世界になってしまうのだが、読めば読むほどその凝りようは遥かにかのアニメを上回っていることに気付く。
 蒸気機関で稼働する(現実的視点からすると)不思議で、どこかユーモラスで魅力的なガジェット群がまず面白い。蒸気で走る自動車のみならず、無線通信やテレビに相当する機械までが実現されている。一方で、蒸気だと少々しんどい設備や機械については「エーテル」なる物質が代替してくれている。蒸気では難しい宇宙空間などはこのエーテル科学によって航行が可能なのだ。
 もちろん、並行科学世界を創って登場人物を配して以上終わりにならない。芦辺作品である以上、本格ミステリの試みが必ず潜んでいる。本書においても(ある意味当然のように?)「連続不可能犯罪」が発生し、名探偵とその少年少女の見習いコンビが推理する――というのが大筋だ。ユージン&エマのボーイミーツガールに加え、エマに対抗心を燃やす大金持ちお嬢様・怒りんぼサリー・ファニーホウといった登場人物も愛らしく、世界観と登場人物たちが渾然一体として大きな「物語」を創り上げている点にまず好感を抱かされる。

 いってしまうと(多少予測はできようが)、この特殊な世界で、そしてこの世界の常識として描写される事柄を用いて発生する謎、そしてその謎の真相を解き明かすという、いわゆるSFミステリの手法が用いられているわけ――なのだが、個人的に高く評価したのは、描写されている事柄ではなく「描写されていない事柄」が本格ミステリとしてのキーになっている点だ。
 書いてないことを手掛かりにしなければならないならアンフェアじゃないか、というとそうではなく、やはりこの場合フェアだとしかいいようがない。ネタバレになるのでこれ以上は書けないが。
 また、その事実の裏返しでもあるのだけれど、不可能犯罪に対する最終的な真相よりも、中盤で開陳される地元名探偵ムーリエによる、この世界における不可能犯罪解明に力が入っているようにみえる。中盤という位置が示す通り、真相は別にあり(エマが不審がるレベルの)ダミーの解決でしかないのだけれど、蒸気機関とエーテルなるエネルギーの存在で全ての現象が説明されるこの世界での「解」がきちんと用意されているのだ。この部分のみ抽出するに『黒死館殺人事件』かっ! というような蘊蓄たっぷり。疑似科学(?)ベースのこちらの真相の方が、実は最終回答よりも解決編としては魅力が高いと感じられた。

 初読時に引っかかって感想を書きあぐねていた理由でもあるのだが、これだけ壮大な設定と世界観を示してくれながら、敵方の存在設定があまりにステレオタイプ――資源問題から暴力をもって弱者から収奪し植民地主義を蔓らせる国家・汚染や事故の可能性を知りながら集団の利益のために原子力を推進した団体、自己中心的に他者踏み躙ってでものし上がるのが正義という風潮――といった、分かりやすくも陳腐な「悪」を設定していた点だ。読者としては作者の生々しい恨み節に触れさせられたような印象があって急に興ざめした記憶がある。
 が、今回少し分かった。ちょっとまだうまく言葉にまとめられないのだけれど、本来的に芦辺氏のジュヴナイル(少年少女向け作品)として刊行された「ネオ少年探偵」のシリーズ等に比べると、『スチームオペラ』自体、物語を成立させるための要素として、ジュヴナイル形式が必然として選択されている。 ”女性”になる前ぎりぎりの年齢、冒険心溢れる少女主人公の一人称を使用した結果、この物語自体が、彼女が生まれ育った世界を完全肯定できる信念・常識の鉄壁さによって記述されることが可能になる。作者が試みる、SF/ファンタジーでありながら「同時に本格ミステリでもある」という諸要素・伏線を隠し通すのに、この「主人公一人称形式」の採用が大いに役立っているのだ。
 同時に、芦辺氏が選んだのは、少し古い時代のジュヴナイルの王道である「少年少女が分不相応の冒険に飛び込んでゆく――」という形式だ。この場合、名探偵の力を借りて少女が対決するのは、やはり「分かりやすい悪」でなければならない。本書の場合、怪人や大悪党を一人設定しても物語世界はひっくり返せない。その代わりの存在として(分かりやすい)悪の大集団が必要となった……、と考えると冒頭のステレオタイプもセーフとなる。ショッカーのような悪のための悪の組織を持ち出したりするよりは、人間の悪者の方が遙かに整合する訳ですよ。
(一方でライトノベルに対する作者の微妙な憧憬もまた見え隠れするようにも思うけれど、そこはまた別の話)。

 作者の該博な知識と「あとがき」にある様々な先人エンターテイナーに対する敬意とが合わさり(本書に限ったことではないが)物語世界、特に設定部分に数多くの工夫があり、深みが出来てきている。 現在存在する家電などがどうすれば、このスチームパンクの世界でも使用できるようになるのか、というアイデアを眺めているだけでも結構楽しい。そうやって創り上げられた世界が魅力的であることは当然である。先人が考えたスチームパンクの世界を再現するだけではなく、更に芦辺流にアレンジしたうえでより魅力的な世界にしてやろうという心意気が小憎い。
 近年の芦辺作品における物語世界の深みはこの「プラスアルファ」を目指す心意気によって生み出されていることを再確認するに至った。

 最後に。名前と日本語に関するエトセトラは皆まで書かず、分かる人には分かるという書き方でも良かったよう にも思います。


13/03/27
伊坂幸太郎「残り全部バケーション」(集英社'12)

 表題作は実業之日本社から2008年に刊行されたアンソロジー『Re-Born はじまりの一歩』に発表された作品。『タキオン作戦』は同じ実業之日本社の『紡』vol.1に、『検閲』は『小説新潮』2008年7月号に、『小さな兵隊』は『小説すばる』2012年11月号と、それぞれ別媒体に発表された短編で、『飛べても8分』が書き下ろし。もちろん、単行本にするにあたり、加筆修正されている。

 父親の浮気をきっかけに夫婦は離婚、一人娘の沙希は全寮制の高校に入るということで一家が解散することになった日。父親に見知らぬ人物「岡田」から「友達になりませんか」というメールが入り、父親は友達が欲しいと言い出し、母親までもが乗り気になり、一家三人は、その「岡田」と共にドライブに出かけることになる。 『残り全部バケーション』
 路上で見かけた小学生男子・雄大の傷跡に気付いた溝口と岡田。その傷の理由が虐待の結果であることを知っている二人は、その親に対してとんでもない方法を用いて虐待を止めるよう説得をする。 『タキオン作戦』
 溝口は、岡田の後任であまり役に立たない太田を相棒に仕事をしている。若い女を攫って車の後部座席に押し込んで逃げようとするも、近くで議員が襲われたということで検問がしかれている。しかも警察の様子もどこかおかしく……。 『検問』
 僕の父親は、実はスパイだった。外国に行っていてなかなか電話で話すこともできない。父親は担任の弓子先生に気をつけろという。同じクラスの「問題児」岡田君もまた、学校内の異変に気付いているらしい。 『小さな兵隊』
 溝口が思いつきで、指示を受けずにやった当たり屋でなぜか相手が銃を運んでおり、脚の骨を折る怪我をしてしまった。太田の後任の高田は、実は溝口のボス・毒島の命で溝口と組んだ人物。溝口は病院内でもマイペースだったが、そのボスの毒島が何者かから殺害予告つきの脅迫状を受け取ったうえ、溝口と同じ病院に入院していることが判明した。 『飛べても8分』 以上五作による連作集。

いかにも伊坂幸太郎を好きそうな読者が好きそうな、伏線と回収とワイズクラック満載の犯罪小説
 序盤からは分かりにくかったが、毒島というボスのもと、恫喝や当たり屋や誘拐といった裏の稼業を請け負う「溝口」と「岡田」を中心とした物語。少なくとも犯罪を行っている訳で心優しき、ということはないのだが二人ともなんというか、憎めない性格が割り振られている。ただ、冒頭の作品が「岡田」が溝口との訣別してしまう話であり、その次は二人がコンビを組んでやった荒唐無稽は人助けの話、続いては岡田の後任と仕事をしている溝口の話、そして岡田の過去の話。最後の一編は、総集編で五作品のなかではもっとも時系列的に新しい話にあたる。
 一応、登場人物の誰かは繋がっているものの、時系列的にはかなり幅広い。

 そして、本作は、構成と設定に、これまでの伊坂作品の公約数に近いように思う。
 凄腕の悪人であるのにどこかとぼけた性格を持った登場人物であるとか、彼らが口にする意味不明だけどどこか格好良く感じるワイズクラックであるとか、各所にちりばめられた伏線を手堅く、上手く回収してゆくテクニックであるとか。
 物語に登場する人物であるとか、設定であるとか、彼らの行動とかは、もちろん本作なりに工夫されているのではあるのだけれども、その根本にある「伊坂幸太郎の登場人物づくり」「伊坂幸太郎の時系列を操る技術」「伊坂幸太郎の伏線設定と回収の妙味」や、映画の名場面(?)などから転用される台詞であるとか、物語の本質にあたる部分は基本的に「既視感」のあるテクニックによって構成されている印象。 よく言えば読んでいて安心、あえて悪くいえば、新しさがない。「最後で結構しんみりとできそうな、だけど解決を明示しないリドルストーリー」になっている、というのもそうかな。
 ただ、もちろん作品としてのクオリティが低いとういことではなく、品質はむしろ高い。なので、物語として読んで いて面白いのは相変わらず。

 これまでも高い評価を受けてきた『陽気なギャング』や『グラスホッパー』『マリアビートル』などと系列としては同じで、少なくとも同様に高い評価を読者から受けるであろうことは想像できるし、どうやら実際にそのようだ。ただまあ、なんというか、伊坂幸太郎を読んだなぁ、という印象だけが残るということでもある。

 最後、多くの読者が「良い方」に想像するのだろうけれど、作者が心に抱く真実は逆でアンハッピーエンドなんじゃないかという気がしている。(どうでもいいことですが)。


13/03/26
海渡英祐「地獄への直行便(ヘルフライト)」(トクマノベルズ'79)

 初出は不明ながら1961年に『極東特派員』でデビューしたものの、それほど派手な業績を立てられなかった海渡英祐氏が『伯林─一八八八年』で乱歩賞を受賞する前後に書かれたという連作集。作者と徳間書店との関係のなか、まとめられ作品として刊行されたもの。

 林誠という男が仕切る麻薬密売組織の捜査を行っていた河本部長刑事が、特殊な麻薬によって気の狂った麻薬中毒にされてしまった。外事課の石塚警部補は東南アジアを股に掛けるシンジケートと戦うために香港に飛び、現地警察との合同捜査に挑む。 『真珠とヘロイン』
 都内で米国人貿易商が殺害されるが、現場からは偽札が発見された。石塚は被害者の友人の日系米国人を装い、被害者周辺を洗う。 『赤い黄金』
 お偉方の鞄持ちでパリを訪れた石塚利彦。しかしあまり楽しい出来事が無い。一人で街をぶらついていたところ画商の娘でパリに暮らす日本人女性・由美子と知り合う。彼女とうまくいきかけるが別れた翌日、パリで石塚は殺人事件の捜査に立ち会う。被害者が日本人画商だった。 『殺意の花束』
 ダイヤモンド密輸の日本人関係者が交通事故で死亡した。偶然の死ではあったが、石塚はその男になりすまし、密輸グループの全貌を暴くべくベイルートへと向かう。『天国の密使』
 LSDを扱う裏の大物が来日。まだこの時点ではLSDは違法性はないが激しい幻覚を見せることは知られていた。石塚はその愛好家集団に潜り込むが、LSDで意識を喪っているうちに、メンバーの一人が殺害される事件に行き会わせてしまう。 『ゼロの幻』
 中東の大物政治家が非公式に来日、さらにその政治家の命が何者かに狙われているという。非公式ゆえに十分な警護がされないなか、逆に政治家を狙う人物をあぶりだすという危険な仕事を手伝うことになる。『暗殺二重奏』 以上六編。

古い時代のプレイボーイヒーロー系冒険小説も、的確な描写と仕掛けがある分、今なお読ませる
 表題がどことなく下品でどぎつい響きがあり、勝手に想像していたのは世界を股に掛ける傭兵野郎のお話……みたいなものだったのだけれど、全く違った。
 警視庁の外事課に所属する石塚利彦なる警部補が主人公となる連作――なのだが、この石塚センセイが、公務員とは思えないほどにくだけた性格(?)つか、簡単にいうとプレイボーイなのだ。まあ、適当な想像でいうならば発表された時期に007シリーズとか流行っていたんだろうなあ……というタイプ。(ふと思いついたのだけれども、いわゆる現在いうところ、ラノベ系のハーレムものと、こういったオトナ向けの読み物として描かれるハーレムと、主人公がモテモテなのは同じだけれども、作品ごとにヒロインが入れ替わるとことか、そもそも様式が違うよなぁ。)
 ただ、そこは乱歩賞作家・海渡英祐。適当で分かりやすい悪役をぶっ倒し、ヒロインといちゃいちゃする単なるお色気スパイ大作戦といった安易な物語ではなく、結構真面目に冒険小説&ミステリを作り上げている。 多少設定に無理があるようにみえる(交通事故で偶然死んだ人間になりすまして海外に飛ぶなんて、普通考えません)部分もあるにはあるのだが、それ以上にサスペンス要素が強い。
 悪人を中心とする人間関係に意外性が仕込んであるものも多く、最後の『暗殺二重奏』などは最後の最後まで誰が敵で誰が味方なのかが分からず、強い「やられた」感を受けた。しかも結末まで読み通してみれば、前半にあったちょっとした描写が伏線になっていることに気付かされたり、ラブシーンでの睦言がそのまま、真相に繋がっていたりと、本格とはタイプが異なるながら、ミステリとしての構成に手慣れた感じがあり、安心して読める。
 また、発表されてから時間経過がありすぎているせいもあるのだけれど、(執筆当時は普通に現代を描いている訳なんだけれど)、この当時の風俗、風景の活写に不思議な魅力があるのだ。夜の東京や、薬物絡みの犯罪、さらに石塚が飛び回る香港、パリ、ベイルートといった異国の、そして70年代っぽい雰囲気が不思議なエキゾティシズムを発している。ついでに発表された中間雑誌(?)のせいなのか、そんな魅力的な地域であっても描写される場所が微妙にチープな場所だったりするところも面白い。これら海外にせよ、あとがきによるとその全てが「見てきたような嘘」というところも、さすが大作家の貫禄だと感心した。

 読んでいて面白かったので普通に褒めていますが、これは小生が海渡英祐が好きすぎて見える幻かもしれません。古書店で探して見つけて読んだけどたいしたこと無かったという苦情は受け付けませんので念のため。


13/03/25
山口雅也「謎(リドル)の謎(ミステリ)その他の謎(リドル)」(早川書房'12)

 山口雅也氏が《ミステリマガジン》などに発表した、「結末を読者の想像にゆだねる」リドルストーリーばかりで構成された作品集。表紙はかつて早川書房から刊行されていた「異色作家短篇集」の装幀を模している。

 片方の扉を開けると虎が、もう片方の扉を開けると絶世の美女、そして結婚が。王女との秘め事がばれた男が「女か虎か」の罰を受ける時、王女は片方の扉を指し示す仕草を。王女は恋人を救おうとしているのか、他人の物になるなら虎に喰わせようとしているのか――「女か虎か」の”背景”が史実ではどうだったかを知る人物が、もっと突っ込んだ内容を描いた作品を更に山口雅也が訳したという作品。、『異版 女か虎か』
 ロボット研究をしている男たちが知らぬうちに人々が一定の法則のもと「群れ」を作って行動していることに気付く。群れに属する方はその自覚がないらしい。そして男たちは人間が群れる理由を知る……。 『群れ』
 男がいつの間にか手にしていた太極が書かれたカード。見覚えも記憶もないまま入手した、どこかの会員カードかと同僚や家族に尋ねてみると、皆が皆異なる反応を示し、妻は家を出ていってしまう。しかも、そのカードが何なのか男以外は知っている風なのに誰も教えてくれない。 『見知らぬカード』
 無力な人間を人質にし、武器を突きつけ、奇妙な謎々を提示し、不正解だと人質も回答者も殺害してしまう謎のシリアルキラー。犯人は次々と事件を起こすなか、目を付けたのは捜査を担当する美人刑事とその子供だった。 『謎の連続殺人鬼リドル』
 哲学的な悩みを持ち、人間関係を構築するのが苦手な”私”は職場でも浮き、妻との仲もうまくゆかない。そんな彼が飲み会の帰り道、ふと目があったホームレスは、まさに”私”であった。 『私か分身(ドッペルゲンガー)か』 以上五編。

単純に読者がAかBかを想像するだけで終わらない。その先、そして先を想像させられるある種の恐怖
 あまりにも有名な「女か虎か」のイメージが強いせいか、ミステリ系列でのリドルストーリーというと「Aを選ぶか、さもなくばBを選ぶか」といった、AorBで二つの選択肢のうちどちらか、というようなものをつい想像してしまう。(オレだけかもしんないけど)。
 本書の場合は、敢えてその「女か虎か」を深耕した『異版 女か虎か』は確かにその系譜。AorBという選択肢を物語中に多数登場させ、その分「ミステリ」を増やすという手法が採られている。そしてもう一つ、『私か分身か』、こちらも、ダメサラリーマンとホームレス、どこかで道を違えてしまったと思しき、一人と分身が出会ってしまう物語。最初はすれ違わせることで恐怖を煽るような展開だったのが、二人面を向け合ってからのやり取りが何とも奇妙。
 一方、単に「答えを読者の想像に任せる、作者が明確な正解を書かない」という手法が採られているのが、『群れ』と『見知らぬカード』。それぞれ人間が群れる行動の原因、主人公が何のカードか分からないが、他の誰もが知っている謎のカードとは一体なんなのか。もしかすると作者は答えを持つのかもしれないが、読者の手元にはヒントらしいヒントもない。んー、なんだったら、どうやったら整合性がとれるのだろう?

 で、個人的に問題作となるのが『謎の連続殺人鬼リドル』
 この作品、先に紹介した方法に当てはまらない。殺人鬼がなぞなぞを出し、とてもまともに答えられないトンチ系のクイズだけに、最初の一人を除いた回答者は皆殺害されてしまう。そのシリアルキラーっぷりが問題ではない。最後に、不気味な余韻(これから何が始まるのか分からないような)があるのだが、そこで物語は途切れ、銃声が聞こえる。それ以前にいろいろ選択肢は提示されているのだけれど、どうとも受け取れる。さらに果たして被害者(候補)はそもそも回答したのか、正解不正解どちらで銃が発射されたのか。途中で物語がぷちんと切られることで狂おしいまでに謎が残る。 それでも、物語としては不気味な完成形をみせており、いやーな、そして不思議な余韻を残す作品であった。「明快な答え」が無いことは頭で理解しながらも、謎の方が読み終わってから増殖するのだから。

 リドルストーリーであるにも関わらず、「そこ」に至るまでの過程が論理的に組まれている感じ。そして論理的であるからこそ、謎が引き立つわけで。やはり、計算し尽くされた作品で埋められた作品集だと改めて思う。


13/03/24
逢空万太「這いよれ! ニャル子さん9」(GA文庫'12)

 『這いよれ!ニャル子さん』がアニメ化される! と小躍りしていて、ふと気付けば放映開始直後から、(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!が社会現象化(ただし世界レベルではごく一部)となっていて驚き、ふと気付くと放映が終了していて、更に気付くと第二期『這いよれ!ニャル子さんW』の放映が開始されも半分近くが過ぎているという。(2013年5月のお話)おっさんは世の中の流れの速さについてゆけないよ。一行目からゴゴゴゴゴ。あ、これはジョジョや。ゴゴゴゴゴゴ。

 邪神が真尋を求め、地球を訪れて三週間(まだ三週間)。クトゥグアは血の海に沈み、ハス太は八坂頼子からルーヒーとの同居を勧められ、珠緒は謎めいた言動を残し、真尋は教室の掃除をする傍ら、教室を消し飛ばしかけるクー子に制裁を与える。帰りには百均に寄ってフォークを買い溜めし、ゲーセンで邪神たちと遊び、真尋とニャル子はプリクラで2ショット写真を撮影、なぜだろう、少し真尋はニャル子に対してどきどきしてしまう。そんないつもの日常、の筈が、その帰り道にニャル子たちがすぅっと消え失せてしまう。何かのドッキリかと慌てた真尋が家に帰るが、ニャル子たちが存在した形跡がキレイさっぱり無くなっているうえ、母親の頼子すら「ニャルコタチ……、新しい太刀なのかな?」という反応だ。自室に戻って困り切った真尋の前に現れたのは二等身の少女のフィギュアだったですョ。面倒くさい話し方ですョ。イス香ですョ。いろいろとニャル子とは別の意味で鬱陶しいイス香から何とか真尋が聞き出したところによると、この時代よりも過去で時代改変が行われたようなのだ。イス香はイス動と共に、時空管理局なる部署に所属しており、何のかんのの理屈により「少数精鋭」とやらで、真尋はイス香と共に過去に飛ぶことになってしまう。

ニャル子はなぜあれほど真尋のことを一途に好きなのか。シリーズ全体の謎に迫る第九巻
 毎回毎回、感想に「安定のワンパターン」とか書いてしまうシリーズ。今回も序盤はそうだった。ぐだぐだだ。そのぐだぐだのバリエーションが面白い(個人的にしばしばツボる)ので、それでいい――というパターンだったのだが、その序盤が終わると、本作はかなり趣きを変えてきていた。驚いた。
 過去が改変された結果、ニャル子たちが「いないこと」にされてしまう展開。真尋、そしてイス香。彼らがコンビを組んで過去に飛ぶ。だが、多少のピンチも結局力業で押し通し、全ての設定を無かったことにしたうえ、口笛を吹いて誤魔化してしまうニャル子がおらず、ニャル子に変態的に欲情しながらも、真尋たちを助けてくれるクー子も、そして(実はめちゃくちゃ強い)ハス太もいない。単なる地球人でしかない、真尋が自身の機転とフォークを武器に戦わなければならないのだから! (戦うってのともちょっと違うけど)。
 とはいえ、相も変わらず物語そのものよりも、仮面ライダーをはじめとする特撮ヒーロー、ジョジョ、歌謡曲、有名ゲームやラノベのパロディを交えた(場合により一頁に数カ所あったりする)、テンション高い会話が面白い作品である(失礼)のだが、ニャル子らに代わり本作ではノリノリのイス香がその役目をサポート。物語の流れが変われど、笑いのツボはいつも通り。安心のクオリティ。

 クトゥグアが、血の海に沈んでいた。
 だらしなく四肢を投げ出して、うつ伏せになってぴくりとも動かない。
 部屋中に漂う鼻腔を刺激する鉄錆のような臭気は、この紅い水溜まりが間違いなく血液である事を雄弁に物語っている。
 そんな凄惨な犯行現場を、真尋は家族総出で見下ろしていた。

 → つ、遂にニャル子でミステリ、来た? → まあ、なんというかクー子が血文字で残したダイイングメッセージまでがありながら、このミステリパートは数ページで瞬殺。まあ、ニャル子が、残された証拠を揉み消しながら推理をする場面はかなり笑えたので良し。チートな邪神が犯人だった場合、証拠もへったくれもないのだけれど。

 深きものだけに、深入り。
「……少年。あまり上手い事じゃないけれど、それでも言葉に出さなきゃ伝わらない」
「お前は何でそういう時だけ僕の思考を的確に読んでくるんだよ殴るぞコラ」

 「そうですね! それでは駅の側の喫茶店でミルクティーを飲みながら新しいシャンプーとリンス、そして旅行の計画の話題に花を咲かせに参りましょう!」 →いや、ここで某曲を持ち込むのはツボというか、野暮な性格がばれちゃまずい。反則。

 風の神性だけに、エアホッケーでは真の力を解放できるらしい。
 黄衣の王とはいったい何だったのか。

 抜き取りネタは序盤だけでも結構ツボに入ったやつが沢山。やはり三邪神と真尋の絡みの方が個人的にはイス香より ツボ度が高かったかな。他にも面白かった個所、かなりありました。個人の読書・ゲーム・テレビ遍歴などに依存する のは相変わらずですが。
 うーむ、あと『深山さんちのベルテイン』(作:逢空万太)も一冊くらい読んでおいた方が、もしかしてより以上に ニャル子を楽しめるのかもしれないなぁ(悩み中)。ちなみに仮面ライダーの方、フォーゼ、ウィザードとだんだんと 斜め視聴になってしまっている私は平成ライダーシリーズの良い視聴者ではありません。こちらのド本編『ニャル子』『ニャル子W』は欠かさず観ていますが、観ている姿を家族に見せないところが平和維持のポイントですな。わっはっは。


13/03/23
白石かおる「誰もが僕に『探偵』をやらせたがる」(角川書店'13)

 白石氏は2009年『僕と『彼女』の首なし死体』で第30回横溝正史ミステリ大賞の優秀賞を受賞して一般文芸デビュー。それ以前にライトノベルの著作がある。本作は前作の続編にあたり、表題作品に似た題名の『誰もが僕に探偵役をやらせたがる』のみ『小説屋Sari-Sari』二〇一二年十月号に発表された中編で、他三編については書き下ろし。トータルとしては連作長編の趣きとなっている。

残業の帰り道に都会のビルの谷間にある茂みに白骨死体を発見してしまった白石かおる。上司の冴草室長を呼び出し警察にも届けるが、なんと死後四年は経過しているうえ、遺留品から判断されるに、彼らの勤務先・四菱商事で失踪していた元エリート社員の遺体らしい。  『僕の目の前の見知らぬあなたへ』
 知り合いのコンビニ店員に「探偵」としてやっていくべきだと諭される白石かおる。新宿から乗車した京王線の車中で傷害事件が発生、刃物で斬りつけられたと思しき太った男性からかなり離れた場所にいる高校生から、僕は血に染まった刃物を手渡されてしまう。 『誰もが僕に探偵役をやらせたがる』
 同僚で親友の野田から相談された事案。四菱の系列会社が水ビジネスを行っており、東京と神奈川の県境くらいにある鄙びた村にある川で取水しているが、水が良すぎて困っていることがあるという。早速、現地に泊まりで出かけた僕は、アナと呼ばれる小さな女の子と知り合う。『僕を取り巻いて流れるさまざまなものごと』
 様々な会社の人間が集まるパーティに出席した僕。あまり興味を持てずにうろうろしているところを冴草室長に捕まり、元公安にいたという警備保障会社の重鎮と引き合わされる。彼が警察時代に手がけたスパイ事件。あるメディアを隠し持っている筈の女性スパイが、ホテルの一室で摘発された。バスタブで一糸まとわぬ状態であったにもかかわらず、メディアは見つからず、女性は捜査員から奪った銃で自分の脚を撃ち抜いてしまったのだという……。 『僕は人の話を聞くのが嫌いではない』
 四編に加え、プロローグ、インタールード、エピローグが付け加えられている。

文系・天才肌による、一般的感覚から多少異なる位相で展開される、現代の探偵小説
 前作の感想を書いた時に(当時、まともに読んだこともない割りに)、作者の経歴をみてバイアスをかけて作品を「ラノベ的」と断じていたことを少し反省。あの物語展開がエンタメ文芸として許される文体だったと、今だと恐らくちょっと異なる感想を持つことだと思う。読みやすい文体と軽い文体は違うということ、この何年かのラノベ修行でようやく理解したこともあって、大して読まずに一概に決めつけては駄目でした。すみません。

 さて、そんな前作の続編となった本作。冒頭からなかなか印象的。他の誰もいないオフィスでの残業シーン。実はストーリーとは無関係に、自分の机の周囲だけ電気を付けてPCに向かって主人公の白石が仕事をしている。ここでぼんやりと空想や回顧が入って――、この場面が個人的な経験と近しいものがあって結構気に入っているのだ。同僚に声を掛けられ、我に返る場面も含めて。あるある、とまでは言わないまでも、なんというか響く何かがあんですよ。あくまで自分の問題ではあるんですけどね。

 さて、ようやく本題。そして本書、印象をまとめるのが難しい。主人公が探偵行為・活動をあからさまに嫌がっている反面、なんのかんので直接的に頼まれると推理をしているという矛盾が作品内にあり、年上女性と年下男の子の恋愛部分(一方的ツンデレ?)にしても、その相手、冴草室長がなぁ……。経営者一族と繋がりがあるエリート女性社員。お姉さん風を吹かせる程度ならかわいいのだけれど、基本的に白石を叱る言動がおばちゃん・お母ちゃん(おかん)になっているようにみえる。途中で室長側は恋心を自覚しているのだけれど、こちらもなんというか、ノれない。人間関係という意味では、微妙に、心の底から納得させられるレベルにないように思えた。
 ただ、一方、そんな関係性を抜きに、物語全体から漠然と感じられるのは、結局、作者は探偵ではなく「天才」を描きたかったのではないだろうか、ということ。
 明らかに民間企業としては高スペックの人間が集まるであろう総合商社、しかも明らかに本社勤務。本人の役職はとにかく、創業者一族と連なる女性上司の歓心を得ており、役員とも顔を合わせる立場にある。実社会に白石かおるを還元すると、変わり者ではあるけれども、超のつくエリートサラリーマンであることは間違いないのだ。その主人公、森博嗣氏が描くような理系天才型人間ではないが、その文系バージョンに感触が近い。(もしくは石持浅海氏が描くノンシリーズ探偵/犯罪者とか)。スペックが高いがゆえに、場の空気も読めるし、状況判断も的確。何よりもサラリーマンであり、話の流れを「探偵はしたくないんです」といったつまらないことをいってぶち壊さない。お付き合いで推理しているうちに、いつしか本気になってしまっているというあたりは、実はユーモアとして受け取れないこともない。仕事は仕事。推理はオフタイムの余興。 それが”僕”の基本スタンスにみえる。いくら社内で事件を請け負う立場になろうとも。
 また、本書で扱われる四つの事件も、サラリーマンが巻き込まれてもおかしくない事件と、安楽椅子探偵型の事件とに大別され、これまた世界観に照らしても「普通にあり得る」世界の話となっている。このあたりのさりげない配慮も計算づくなのか。人間関係の軽さを差し引いても、何か心に残るのは、この「白石かおる」という人物のユニークさ故のように感じられた。
 前作がどこか切なく、ただ文体が軽かったことに対して、本作もまた読む人によっては宮仕えゆえのペーソスは感じられるのではないか。頭がいいだけの、野望も欲望も薄い人間が探偵役をすると、こういう小説になる、ということ。ただそれだけのことかもしれない。

 さすがにネタバレまでは至っていないものの、前作の重要なポイントを踏まえたうえで本作が展開されている。従って出来ることなら『僕と『彼女』の首なし死体』を読んでから本書に取りかかる方が吉。まだ現段階、完全には完成されていないと思うのだけれど、不思議な魅力を持つ作品である。


13/03/22
鯨統一郎「堀アンナの事件簿 ABCDEFG殺人事件」(PHP文庫'12)

 作品集としては2008年『ABCDEFG殺人事件』として、今は無きレーベル・理論社ミステリーYA!の一冊として刊行されたものが初出。ただ、個別の作品、例えば『Aは安楽椅子のA』は2001年に刊行された角川スニーカー文庫のアンソロジー『名探偵はここにいる』の一作として発表されているなど全てが書き下ろしではなかった。既に本PHP文庫にて続編にあたる『堀アンナの事件簿 2 安楽椅子探偵と16の謎』が刊行されている。

 カープ探偵事務所に勤めている十八歳の堀アンナ。両親を交通事故で喪い、愛猫をまた続けて失ったショックからか突然の難聴となってしまい、一切の音が聞こえなくなった。幸い読唇術が使えることで所長以外の唯一の同僚、中川にはばれてしまったものの、失業すると食べてゆけなくなることもあり、その事実を所長の鯉登はつ子には隠したまま探偵業を継続しようとする。依頼された事件は、首を切断された遺体の首探し。警察が捜査に取りかかっている事件だが、クライアントは首を探しだして欲しいという。『Aは安楽椅子のA』
 ○○が死んだ。その死はベッドに仕掛けられた爆薬による爆死。○○とベッドを共にした経験のあったアンナは殺人容疑者にされてしまう。 『Bは爆弾のB』
 ××が死んだ。地下室に閉じ込められた被害者は、なんとたった三日間で餓死してしまった。しかしアンナはその被害者が食事をする場面を見ていた筈なのだが。 『Cは地下室のC』
 一家三人が死んだ。その家に忍び込んだ空き巣が犯人とされていたが、彼と文通している歌手が無実の証明をして 欲しいとアンナに依頼してきた。 『Dは電気椅子のD』
 ▲▲が死んだ。が、夢だった。英会話を教えていた財閥の娘が交通事故死した。不仲で別の愛人もいる夫が疑われるが。英語が必要になりアンナは一度断った、目の見えないマリアを所員として雇うことにする。『Eは英語のE』
 五〇〇〇人の人間が死んだ。――十六歳の交際相手が不感症になった理由を知りたいと五十二歳の大学教授が依頼に訪れる。引き受けるアンナは、PCが得意だが感情が表に出ず口の利けないマリアと会話しようと努力する。『Fは不感症のF』
 無重力空間(ただし地球)で一人の宇宙飛行士が死んだ。 密室内部での全身打撲。あたかも無重力状態のなかで殺されたようにみえるのだが……。 『Gは銀河のG』 以上七編。

さまざまな無機物と安楽椅子が探偵。鯨氏らしい様々に凝った趣向に度肝を抜かれる作品集
 もしかしたら他にもあるのかもしれないが、多数ある鯨統一郎氏の著作のなかで、本書の前段に相当する作品は『ふたりのシンデレラ』じゃないかと思うのだ。同書はジャプリゾの『シンデレラの罠』「私は探偵で、証人で、被害者で、犯人でもあります」の一人複数役をなんと倍増させた「一人八役」に挑戦、成功している作品だ。
 本書はいわゆる『ABC殺人事件』に挑戦――は厳密にはしていないのだが、アルファベットABCを思いきり増大化させているところ、どこか発想が近しいように感じられた。
 さて、梗概に書くことができなかった要素が一つ。まず、題名にあり、主人公でもある堀アンナ、彼女は名探偵ではなく、名推理も出来ず、ワトソン役ともちと違う、なんというか、推理ができない困った探偵なのだ。常識もなく、金銭感覚もめちゃくちゃ。では、推理するのは何かというと、安楽椅子探偵その他ご一行様たち。というのも、彼女の耳が聞こえなくなったことと関係するのかしないのか、彼女は「物」が放つ声を、ときどき聞き取れる特異体質になってしまっているからだ。特に、彼女の部屋にある安楽椅子。これが推理をすることが多い。(まあ『安楽椅子探偵アーチー』ほど安楽椅子一辺倒ではないが、基本的な発想は近しいかな、やっぱり)。
 文章が軽く読めてしまうのは、もう鯨作品の特徴なので良いのだが、本書、心臓に悪い。あえて○○とか××とか書いたが、序盤はとにかく作品ごとに主要人物がばたばた死んでしまうのだ。三作くらい読んだところで、正直ページを捲る手がちょっと止めたくなってしまう。また、ミステリとしてはかなりバラエティに富んでおり、テロリストが登場するかと思えば、財産狙いの殺人事件が出てきたり。あっさり答えが登場しているのでなんだけれども、トリックも結構考えられていると思う。(場合によりちょっとクスッと笑えるトリックもあったりするが)。

 本書の終盤では、探偵事務所には身体の一部が不自由な女性が三人揃い探偵活動をすることになる。彼女らの冒険が引き続き、どんなかたちで続くのか、続編が気になる──ところ。ABCで事件をZまで創る、という行為自体も褒めるところなのかもしれないけれど、天下の鬼才・鯨統一郎氏にとってはお茶の子さいさい(?)だと思うので敢えてそこには触れない。やはり、個々のミステリとして味読すべき作品集かと思う。


13/03/21
葉真中顕「ロスト・ケア」(光文社'13)

 第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作品。葉真中氏は1976年東京生まれ。09年、「はまなかあき」名義の児童向け小説『ライバル』で第1回角川学芸児童文学優秀賞を受賞している。葉真中氏はブロガーとしても有名で、本作の審査員にも知らずブログ読者だった人がいたとかいないとか。

 検察官の大友秀樹は、実業家で裕福な父親が老人ホームを選ぶにあたり、高校時代の友人で現在は全国的に介護サービスを展開しているフォレストという会社で営業部長をしている佐久間功一郎に連絡を取る。金銭的に問題のない父親は完全介護の老人ホームで悠々自適な暮らしをし、大友自身が介護に煩わされることはない状態。一方、舞台となるX県八賀市で、息子と共に出戻り、母親と生活していた羽田洋子。重度の認知症にとなり、自分のことが分からず暴れ、汚物をしゃぶるような母親と毎日戦いのような暮らしをし、経済的肉体的精神的全てに心が折れそうになっている。その母親が「彼」の手にかかり、あっさりと死亡した。洋子は悲しみつつもほっとしている自分に気付いた。「彼」は、泥棒でもサイコキラーでもなく、夜中に忍び込み、要介護の老人をある目的から殺害していた。適当な間隔と徹底的な下調べにより、そもそも犯罪として認知されていない。一方、フォレストが補助金を不正受給していたことが発覚。実際介護事業は、それでも儲かっていなかったうえに、社会的バッシングを受けてフォレストは最終的に倒産してしまうが、その直前佐久間は、顧客名簿を持ち出し、もともと繋がりを持っていた裏の人間・ケンと組んで、オレオレ詐欺を指導、若者を使って効果的に老人から金を巻き上げることに成功するが独立志向がばれ、ケンの反感を買い殺害される。性善説で犯人を悔やませてから起訴する方針を堅持している大友のもとに、佐久間に関する一方が入る――。

序盤のさりげない警句が全て伏線へ。介護の現実を淡々と描くことで社会の歪みが浮かび上がる
 今現在、元気でいる親を持つ者の多くに降りかかる「介護」の問題。間違いなく、考えさせられます。
 大倉崇裕氏の近作、『夏雷』でも、施設に父親を入所させることが厄介な仕事を引き受ける条件の一つになっていたことを思い出した。身内による老人介護。当事者にとっては重く、当事者以外(社会といっても良いのか)には理解されにくい老人介護について正面から捉えた社会派ミステリーである。
 まあ、その社会派的観点で本書について書きたいことはいろいろあるのだけれど、突き詰めると「天気予報などと違って少子高齢化は確実に予測できることなのに」という、序盤で大友検事らの話に行き着く。自分も含めての日本人の特性なのか「最悪の出来事を不吉だといって想像したがらない」「そもそも想像してはいけない雰囲気をつくる」「想像する人間を排撃する」といった考え方があるように思う。原発もそう。そして介護の世界にも当事者の苦労を知らず、ないし無視して理想論を振りかざす「社会」に問題があるのだろう。本書を読むことで初めて知る事実もあり、関心を持つということが大切だと改めて感じた。

 ミステリ的には、序盤の警句が後に響くという構成が気に入った。特に主人公・大友の父親が入所するホームのモットーとして掲げられている「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と、実の母親の介護に疲れ果てた羽田洋子が気付く「人が死なないなんて、こんなに絶望的なことはない!」という台詞。その文脈のなかにおいては自然に溶け込んでいるのだけれど、後からまた響いてくる。特に小道具が、トリックがということはないのだけれど(隠された真犯人という部分は、多少手垢がついた手かと思うが、本書がミステリ賞に応募された作品である以上、必要だったか)、物語構成の序盤の伏線、例えば、登場人物の性格付け、言動といったところが、後からきっちり回収されるところなどにセンスを感じた。 にしても、ミステリとしての犯人のレッドヘリングが、やっぱり介護のしんどさにも繋がっているところなど、空恐ろしいことでもあるよなぁ。

 この文章を書く前に、他の方のネットでの感想に触れる機会があったのだが、感心、感動しているものがある一方、特に介護の知識経験がお有りの方かと思うが、この程度のことは当たり前であるとか、今更活字にする価値などない、というような辛辣な意見もちらほらとみられた。ただ、介護未経験の人にとっては強烈なインパクトが残ることは確実で、作品としてもよくまとまっており、一読の価値は十分あると思う。