MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/04/10
初野 晴「退出ゲーム」(角川文庫'13)

 2002年に『水の時計』が横溝正史賞を受賞してデビューした初野氏は第二作以降しばらく沈黙していた時期があった。本書はその沈黙を打ち破る作品で、2005年以降に『野性時代』に発表された作品をまとめ、2008年に元版が刊行されている。以降、「ハルチカシリーズ」と呼ばれる、初野氏のひとつの看板となってゆくシリーズであり『初恋ソムリエ』『空想オルガン』『千年ジュリエット』と続いている。本書の表題作「退出ゲーム」は第61回日本推理作家協会賞短編部門の候補になっている。

 廃部寸前の吹奏楽部のフルート奏者・穂村チカは、ある事件から登校拒否に陥っている幼馴染み・上条ハルタ。優秀な頭脳と中性的で魅力的な顔立ちを持つハルタに、チカは文化祭が陥っている脅迫事件の解決を求めた。科学部から猛毒の硫酸銅が盗まれたのだ。状況によっては洒落にならない事態になりかねない状況に二人は。 『結晶泥棒』
 学内で急に流行りだしたルービック・キューブ。ハルタは学内一の腕前を持っていた。そんななか吹奏楽部に中学時代のコンクール入賞経験のあるオーボエ奏者を入部しようと画策したチカは、彼女の亡くなった弟の遺品となる、前面真っ白のキューブの謎に挑むことになる。 『クロスキューブ』
 父親がサックス奏者で本人もかなりの腕前を持つマレン。高校では演奏を止めたという彼は、親友の名越が部長を務める演劇部に所属していた。マレンの転部を認めさせるためには、演劇部と吹奏楽部とで行われる「退出ゲーム」という演劇勝負に勝たなければならないのだが……。 『退出ゲーム』
『エレファンツ・ブレス』 以上四編。

ほろ苦い若人の成長を描いた青春本格ミステリ──のはずなのに要所に凄まじい脱線が
 まずミステリ以外のところ。主人公のチカ、そして相方のハル。彼らは同一人物に対して恋をしている。──が、そこは(少なくとも)本書においてはまだそう重要ではない。ハルが最初に引きこもっている理由にはなっているが、すぐにそこから脱出してしまう。眉目秀麗頭脳明晰のハルにこういう属性を付けたのは、確信的な計算のもとだと思うし、嫌みにならないという意味では成功している。ただ、このシリーズは主人公の二人、加えてそのほかの登場人物についても「変すぎ」。個性的とかそういうレベルではなく、種々の属性が付けられた結果、変人たちばかりとなっている。ただ、そんな彼らが吹奏楽部においてなんのかんので集結、先を目指してゆくというスポ根ならぬ吹コン的展開がこのあと待っている。青春小説としての側面は、シリーズに対する親しみやすさを創り上げている。
 さて、ミステリ。こちらも序盤から中盤、終盤に至るにつれ、謎のこしらえ方がある意味で狂気じみてくる印象。 一介の高校生が巡り会う事件なので、本来的には「日常の謎」でなければならないはず。
 文化祭を前にして危険な元素で出来た結晶が紛失した、全面真っ白なルービックキューブ、舞台の上から人間を退出させるという演劇部によるゲーム性高い劇。ただ、その過程であるとか謎解きであるとかへの展開に至る「作者の想像力」が、「読者の想像力」の斜め上を軽々と超えてゆく。 特に『エレファンツ・ブレス』については、高校生の扱う謎としてはフィクションとはいえここまで飛ばすか! という意味でのオドロキもあった。面白いからいいんだけどさ。

 単純な日常系ミステリとせず、一方で甘ったるい青春小説とせず。甘みよりも苦みの方が多い、現実的な青春(?)を踏まえてのシリーズ。謎解きのスケールが大きいのも、青春ミステリとしてはむしろ個性的ですごく良いことなのかも、と感想を書きながら思い直した。


13/04/09
麻耶雄嵩「隻眼の少女」(文春文庫'13)

 文庫化を契機に再読。初読時に感想を書きあぐねているうちに、デビュー時含めこれまで無冠だった麻耶雄嵩氏が、あれよあれよといううちに本作で第64回日本推理作家協会賞・第11回本格ミステリ大賞のダブル受賞。麻耶氏にとり、少なくとも後期代表作といえる作品となった。

 一九八五年。信州の山奥にある温泉に二度目の訪問をした大学生・種田静馬。家庭の事情などから自殺願望を持ち、地元の伝説が残る龍の首に何度も訪れているうちに、水干姿で左目が義眼の美少女・御陵みかげと知り合う。親と二人で同じ温泉宿に滞在しているという彼女は、知る人ぞ知る高名な探偵であった同名の母親の跡を継ぎ、これから探偵になるのだという。その地では、地元の旧家である琴折家の女性が代々引き継ぐ、スガル様という現人神がいた。静馬らが出会った翌日、次代のスガル様候補である女子中学生・琴折春菜が首を切断された状態で、竜の首で発見された。更に彼女の部屋に静馬の名前が書かれたメモがあったこともあり、警察は容疑者として静馬を連行しようとする。しかし、そこで御陵みかげが推理力を披露、静馬が犯人たり得ないことを鮮やかに説明、母親の名声が地元警察にも届いていたこともあり、静馬の疑いは解けた。更に琴折家の当主・達紘が、みかげに探偵として事件を解決して欲しいと依頼をし、静馬もみかげの探偵助手見習いとして、事件に携わることになった。しかし、犯人は彼らを嘲笑うかのように、探偵達の鼻先で春菜の妹・夏菜を殺害。事件は混迷を深めてゆく。

マニア向けには後期クイーン問題など問題意識を、初心者には強烈な驚きを。異形でありつつ正統な本格
 美少女探偵というところまでは現代風。ただ、山村に伝わる伝説、現人神信仰、次々に殺害される旧家の三姉妹……といった道具立てはむしろ横溝系昭和ミステリに連なるものだ。能力不明の探偵のすぐ目と鼻の先で連続殺人が起きながら事件を止められないプレッシャーといったところも見方を変えると伝統的である。隻眼の名探偵と麻耶雄嵩というのも、何かを想起させられるものがありますね。
 また本書の場合、一九八五年のパートと、二〇〇三年のパート、大きく二段落に分かれている。みかげと静馬の出会い、そして連続殺人事件といった展開が、解決をみた──と思うと何度もどんでん返しがあって、事件が結局第一部だけでは終結しない。この部分、一旦全て納得ゆく解決をみた筈なのに、犯人と名指しされた人間もそれを認めたはずなのに、その次の晩から名探偵をあざ笑うかのように、一旦立ち止まった連続殺人が再開される。サスペンスとして優れていることは勿論なのだが、この「外れる」という部分、結局(真犯人が準備しておいた)ニセの手掛かりも含めて探偵が推理し、間違った結論に至るということなのだが、ある意味オーソドックスでもある名探偵が引っかかる(更にその裏もあるのだけれど)。なぜか、まだ今回が探偵としてデビューだから、と、細かな点でもその大枠が相応しいものになるよう計算されている。
 そして驚愕の第二部。こちらにも静馬とみかげが登場するが、その関係性は変わっているし、かつての事件をなぞるような事件がまた不気味。この真相、特に第二部で明かされる第一部の真相の衝撃度が個人的には高かった。ただ、後期クイーンとも絡むこの居心地の悪さはなんだろう。オコジョとか腹話術とか、さすがにこのあたりはダミーだと思ったんだけど違うの? とはいえ、トータルとしての犯人の悪意と身勝手さは賞賛に値します。探偵を名探偵に進化させるのもまた犯人なんだな、と。

 恐らく筋書きだけを読んでゆくと、なんてどんでん返しの凄まじいミステリだ、ということになるのではないかと思う。マニアになればなるほど「気付き」が増える作品ではあるのだけれど、それが物語構造の本質なところに届かないところもまた周到だといえるように思う。こういったどんでん返しの連発は、マニア以外の読者にとってはむしろ辛いのではないか、と余計なことも考える。


13/04/08
歌野晶午「コモリと子守り」(光文社'12)

 『舞田ひとみ11歳、ダンスときどき探偵』『舞田ひとみ14歳、放課後ときどき探偵』に続くシリーズ三冊目にして初長編。本来であればカッパノベルスから出て『舞田ひとみ17歳、子守りときどき探偵』といった題名になるべきもの(個人的な感覚では)なのだけれども、どうしてこうなった。
 あと、このシリーズについても最初に刊行された時にこういったかたちでシリーズ化されることはあまり予測できなかったなぁ。探偵美少女探偵が年齢を重ねて成長しちゃう問題というのは、以前に愛川晶氏が根津愛シリーズで何かぼやいていた記憶が。(根津愛の場合は、モデルとされた女性だったか)

 かつて発生した事件ぐれてしまったで兄は無軌道な暮らしとなり、母親も生活の張りを失っている。そんななか学校に行けなくなってしまった馬場由宇は、小遣いも昼食も止められながら引きこもり生活を続けていた。その由宇、自宅の裏にあるアパートのベランダに、オレンジ色に髪の毛を染められた『崖の上のポニョ』のポニョに良くにた幼児がしばしば放置されていることに気付く。親は大久保という姓の若い男女。そして子供の名前は真珠と書いて「ぱある」だ。虐待を疑う由宇だったが、具体的行動に移すことができない。しかしある日、真夏のパチンコ屋の駐車場内で苦しむポニョを発見、パチンコに興じる大久保夫妻に声が掛けられず、思わず自宅に連れ帰ってしまう。更に世話の仕方で唯一相談できる舞田ひとみの家に相談に向かっている間に、そのポニョが行方不明。何者かに誘拐されてしまうのだ。由宇の勝手な行動に怒り狂う大久保夫妻と共に、ひとみと由宇は捜索を開始するのだが……。

誘拐ひとつも世につれ人につれ。犯罪の本質すら変化しつつあるという視点が(良い意味で)えぐい。
 複数の誘拐がテーマとなる中篇を緩やかに繋いで、長編作品に仕上げた──というのが一番感触に近い。連作中篇というには、個別の事件がキレイに区別しづらいので。二歳程度の言葉がうまく喋れない幼児を狙った誘拐事件。途中で犯人からのコンタクトが途絶えたり、善意の連れ去りが誘拐事件に発展したり、そもそも後先を考えない、幼児そのものが目的となる連れ去りの犯人を特定するのはかなり大変。
 序盤についてはミステリではあるのだが、誘拐ミステリではあるのだが、犯人特定の過程などについては一般的ミステリの手法を用いて解決に持ち込んでゆく。この結果、舞田ひとみの優秀さと事件の「普通さ」(ミステリとしての)が読者に印象づけられる。が、この展開そのものが既に歌野晶午の罠なのだ。
 トータルとして読むことで理解できるのだが、本編の誘拐事件についてはサスペンス調で展開するものの、その本質(事件が発生した理由。動機とも少し違う)が、ちょっとこれまでのフィクション、更に現実からは類を見ないもののように思うのだ。子育てという行為で孤独に追い込まれる事態、周辺コミュティとの交流が薄くとも構わない環境、更に虐待が疑われるとご近所でなく行政が動くという時代。そういった状況が複合することによって、当然こういった「動機」が、納得させられるかたちで生まれてくる。ぞっとすると同時に「あるかも」と思わせられるのだ。このダークな匙加減、歌野晶午は途轍もなく巧い(昔から)。

 本筋だけでも深く感心させられるのだけれど、もう一点、本作はディティールに関する現代的作り込みが素晴らしい。 例えば風俗的な描写。つまりはインターネット時代の事件は、複数の素人の手によって故意も偶然も映像・写真で記録され、ネット投稿によってニュースにされてしまうこと。誘拐犯に対して、現金受渡をするための被害者が乗った車を、警察ではなく素人が追跡しようとする時代、何でもかんでも写メで撮影され、情報が呟かれる時代。匿名掲示板やSNSが当たり前に利用され、捜査も、そして犯罪自体もやりにくい時代が作品内部で反映され、登場人物だけでなく読者としても独特のストレスを感じさせられる程だ。その他、下手に書くと差別的表現になるような事柄や描写についても、読者の先入観を大いにに利用し、意外性の喚起に利用している点にも注目したい。
 もうひとつ、探偵役もまた強烈なストレスに晒されている。引きこもりとはいえ、自由になる金がほとんどなく、兄は犯罪者と疑われ失踪しているし、舞田ひとみの側も(彼女があっけらかんとしているので忘れがちだが)、いい加減な父親と、結婚して子供ができたあともひとみに子供の世話を押しつけて、自分は研究に没頭する義理の母親など、ちょっとかわいそうなんですけど。

 軽めの入りに重い読後感。 全体的にサスペンスが勝っている展開ながら、考えさせられる内容と本格ミステリ的な手法が入り交じり、独特の歌野晶午らしい本格ミステリに仕上がっている印象。しかし、このテクニカルでダークなミステリって、ほんっと歌野さんしか書けないし、やっぱり個人的にめちゃ評価高いです。今年の本格系でベスト候補の一作。


13/04/07
山田彩人「少女は黄昏に住む──マコトとコトノの事件簿」(東京創元社'13)

 『眼鏡屋は消えた』で第21回鮎川哲也賞を受賞した山田彩人氏の三冊目となる単行本。冒頭の『ボールが転がる夏』が『ミステリーズ!』vol.57(二〇一三年二月)に発表されているが、残り四作品は全て書き下ろしとなる連作短編集。

 ジャニーズ系、高校生にも時折間違えられる童顔色男ながら、男らしさと任侠道に憧れる二十五歳の刑事・姫山誠。彼はこれまで不可能犯罪と思われる奇妙な事件を解決した実績から『名探偵マコちゃん』なる渾名が付けられていた。しかし彼の本当のブレーンは警察を退職した綾川さん……だと信じていたのだが、更に綾川の娘で非常に特殊な性癖を持った引きこもり女子高生・琴乃が真の名探偵だったのだと聞かされ、誠は煩悶する。
 入り口にワインの瓶が立てかけてあることで密室となっている部屋で男が刺殺死体で発見された。凶器のナイフは室内にあり、他の出入り口も鍵が掛けられていた……。 『ボールが転がる夏』
 花火大会を見物していたグループのうち一人が、缶コーヒーを飲んで苦しみだした。人数分配られたその缶にだけ毒が入れられていたというが、誰も怪しい行動を取った人間はいないようだった。 『毒入り缶コーヒー事件』
 ポオの作品を模した城館風ホテルで行われるパーティ。この余興に出演する筈だった男が殺害された。その部屋からは仮面を被った怪しい人物が逃走。仮面とマントが発見されるが、犯人の足跡は砂浜の途中で消失してしまっていた。『たぶんポオに捧ぐ』
 琴乃に付き合い北海道に行った誠。帰り道、二人はバスに乗車中猛吹雪に遭遇、他の乗客ともども途中の煙草屋に避難する。少し弱まって再出発するが、またしても立ち往生、更に乗客の一人が石で殴られ殺害される。 『吹雪のバスの夜に』
 落ち目のライトノベル作家が密室内部で殺害された。特殊な鍵は二つあったが、一つは旅行中の友人が、もう一つは被害者の口の中から発見された。その作家が逆恨みしていたのが現在人気絶頂のライトノベル作家・菊池紫音。そのサイン会に乗り込んだ誠は、信じられない状況に陥ってしまう……。 『密室の鍵は口のなか』 以上五編。

童顔刑事と毒舌女子高生の掛け合いと自己正当化が楽しい、ライト本格ミステリ
 ミステリとして語る前に、登場人物の造形が面白かった。実は冒頭「申し遅れたが俺の名は姫山誠。童顔で小柄ゆえよく高校生と間違えられるが、父の跡を継いで刑事となった現在二十五歳になる硬派の日本男児である。」とあり、この一瞬げんなりした。自分に対する形容詞として、硬派とか日本男児だとか使う人物の一人称は読むのにキツそうだな、と思ったのだ。が、ある意味でこれは正しかったが、杞憂だった。こういった語り口そのものが、本書の笑いどころであったのだ。 名前から女性系渾名がつけられやすく、実はスイーツが大好き。さらに情報漏洩から始まり、女装や恩人の疑惑に至るまでありとあらゆる恫喝や脅迫を受け、結局は捜査情報を女子高生に渡さざるを得ない情けない刑事が主人公。その主人公の内心・一人称”だけ”が男らしいというもの。彼の心の揺れが実に楽しい。
 外に出る際にはコスプレ美少女状態の琴乃、娘を溺愛しているうえその伴侶として誠推しの恩人・綾川、自分の愛され系を理解していない主人公。その他の登場人物が織りなすドタバタ系の人間模様もユニーク。ずるずるとマコちゃんが深みに嵌まっていくところが特に。

 ミステリとしては、それぞれにいわゆる「不可能犯罪」に挑戦しているところは評価すべきだろう。5つある事件のうち、密室殺人が2つ。犯人のいない毒殺事件に、犯人消失の殺人事件。個人的には一般的な不可能犯罪のフォーマットからは外れているながら、『吹雪のバスの夜に』の事件が印象に残った。別の殺人犯人を目撃したという老人が殺害されるという事件なのだが、吹雪のなかで遭難しかかっているバスという状況と、そのバスに偶然乗車していた乗客達といった、一見動機も殺人も無関係な事象が繋がる──というか、逆転の発想によってするする繋がってゆくところに面白さを覚えた。(もしかすると厳密には推論に穴があるかもしれない)。この作品に限らず全般にいえるのだけれど、活動する女子高生安楽椅子探偵・琴乃さん「分かるところしか推理しない」というところも、物語をすっきりさせているポイントにみえる。特に犯人の隠された動機といった内容を無理に推理しないことで、物語がすっきりとしてみえる。

 基本は最近流行のライト本格ミステリ、であるのでミステリ部分もしっかりはしているものの、ちょっとおちゃらけた展開といった方向に作者の労力が割かれているようにみえる。登場人物に対する好悪はあるかもしれないながら、現代風が強調された本格ミステリとして気軽に楽しめる作品である。


13/04/06
吉永南央「名もなき花の 紅雲町珈琲屋こよみ」(文藝春秋'12)

 2004年、吉永南央さんが第43回オール讀物推理小説新人賞を受賞した「紅雲町のお草」(単行本は2008年刊行)からスタートする”お草さんシリーズ”の三冊目にあたる連作集。第二話に相当する『霜月の虹』を『オール讀物』二〇一二年五月号に発表、それ以外は書き下ろしとなっている。

 紅雲町にある珈琲屋・小蔵屋にこれまで良質の豆を安価に卸してくれていたミトモ珈琲商会の経営者が代替わりするらしい。草はその様子を見に横浜にある店に出向くが、二代目の令とは会えない。またどうやら小蔵屋には店の評価をする覆面調査員が訪れているようなのだが……。 『長月、ひと雨ごとに』
 リヤカーで野菜を売るのに草の店の駐車場を借りたいという若い男。草の旧知の若者で現在は新聞記者の荻尾。彼は草も通う青果店の産地偽装疑惑を暴くのだといい、草に協力を求める。 『霜月の虹』
 草の幼馴染みで身体の不自由な由紀乃の頼みで、郷土史研究家の勅使河原先生宅を訪れる草。先生の娘で美容院を経営するミナホが、ストーカー被害に遭い、その周辺では不審者が目撃されているという。その不審者の写真、勅使河原家に長年出入りしている弟子の藤田のものだった。 『睦月に集う』
 由紀乃の隣家のあばらやに住んでいた芸者の女性が失踪、あばらやの状態が悪く取り壊したいが関係者が複雑で動けない。草はその芸者の痕跡をたどって桐生に出向くが、そこにもその女性は居なかった。 『弥生の燈』
 荻尾・ミナホ・藤田・勅使河原。彼らが地元の源永寺で発見したゲンエイ円空仏の論文と、現品の消失が彼らの葛藤の原因となっている。しかし勅使河原の受賞祝いが行われ、関係者の仲は回復せず。会場に現れたカップルが場に波紋を残して去ってゆく。 『皐月の嵐に』
 源永寺から発見された円空仏を一時的に草が持ち帰っていたものが、荻尾に発見されてしまう。その仏像に残された手がかり、そして十五年前に起きた不幸な出来事とは……。 『文月、名もなき花の』 以上六話による構成。

現代北関東小都市で繰り広げられる、季節感溢れる時代小説のような滋味と拡がり
 シリーズの前二冊を読まずして手にとってしまったものの、それまで物語が(恐らく)しっかりしているせいか意外と読めたこと、そして感じるものがあったので敢えてイレギュラーながら感想を認めてみる。

 まず表紙が杉田宏美比呂美さん。ポップ系のイラスト──個人的には若竹七海さんの作品表紙のイメージの画である。登場しているのが割烹着を着た草、テーブルを挟んで向かい合っているのは荻尾だろうか。裏表紙には料理を運ぶ、恐らくはバクサン、つまりはこの光景は作品にも登場するレストラン、ポンヌファンの中。と前置きが長くなったが、本書の本質はこういったポップカルチャーではなく、むしろべたべたの和、季節、そして人情。 装幀が醸し出す雰囲気よりも、かなり和に寄った、そしてコージーミステリと時代小説の人情譚がミクスチュアされたような雰囲気が、独特の世界観を創り上げている。

 その軸になっているのは、お節介──といってしまうと身も蓋もないけれど、いろいろと他人の世話を焼いてしまう草をはじめ、他人の役に立つことが好きなお人好しの人々が多く登場し、彼ら彼女らが互いに影響しながら、すれ違いながら物語が形成されている感。また、その周辺の心理描写がうまく、また登場人物が良い意味で「大人」であり、物語自体が決してハッピーばかりでない割にさっぱりした感触に仕上がっている。
 一応、各話ごとに細かな謎があるが、本格系の日常の謎というよりも、人間関係や過去の出来事が絡む物語上の謎といった味わいが強い。その細かな謎が積み上げられて、この作品集全体を通じての最大の謎、十五年前に何があったのか──へと迫ってゆく流れがとても自然で、不器用な人間模様が交錯する様々なかたちの愛情がタペストリーを成しているかのようだった。

 題名に日本語による月の名前が重ねられていくように、物語の方でも季節感溢れる演出、特に小蔵屋の品揃えなどにみえ、その意味でもどこか時代小説に近しいような印象を受けた。物語自体はしっかり現代であるのにそう感じるのは、やはり人情や家族愛といった底流の感情は時代を超えても不変ということなのかもしれない。


13/04/05
法月綸太郎「ノックス・マシン」(角川書店'13)

 本格ミステリ作家として知られる法月綸太郎氏のSF作品集。表題作は『野性時代』二〇〇八年五月号に〈春のミステリ短篇競作〉として発表されたもの。続いて前から順に『野性時代』二〇〇九年二月号、書き下ろし日本SFコレクション『NOVA2』(河出文庫)、トリの作品は『小説 野性時代』二〇一三年一〜二月号に発表された作品。

  語句や成句の頻度分析から解析が進められ、統計学の手法を応用する論理数式が格段に進化した結果、人々が読む物語は自動的に生成されてしまうようになっている時代。上海大学の数理文学解析研究者ユアン・チンルウは、国家科学技術局に呼び出される。論文内容を確認したいとのことだったが、技術自体は時代遅れの筈だったが、目を付けられたのは主題として取り上げた二十世紀の探偵小説の「ノックスの十戒」に関する部分だった。中国人を登場させてはならないという項目を解析するために用いた「No Chinaman変換」。様々な事情からチンルウは人類初の双方向タイム・トラベルに挑むことになる。 『ノックス・マシン』
 黄金時代を彩る名探偵を支えてきた「ワトソン役」たちが、ワトソン役の登場しない「テン・リトル・ニガーズ」を執筆、発表を間近に控えたアガサ・クリスティを抹殺するか議論を拡げる。彼らはかつて「アクロイド殺し」を発表したクリスティを拉致監禁し、ある誓いを立てさせた前科があった。 『引き立て役倶楽部の陰謀』
 サイクロプス人の統治下にある惑星ガラテアで警察に捕らえられた「わたし」は、精神分離器にかけられ、鏡像人格である“相棒”と分離してしまう。サイクロプス人が一つ目であることから生み出された理論、そして相棒からの鏡文字から、囚われの「わたし」は仮説を捻り出す。 『バベルの牢獄』
 『ノックス・マシン』から十五年。巨大企業ゴルプレックス社で子テキストの原典との同一性を保つ業務をしているプラティバ・ヒューマヤンは、社の幹部から緊急呼び出しを受ける。ブラッドベリの『華氏451度』の世界のように、電子テキストが燃えてしまっており、その延焼を食い止める必要があるのだという。 『論理蒸発ーノックス・マシン2』 以上四作。

心の底からの理解が追いつかない。黄金期探偵小説をネタにしたハードSF作品集
 帯の書き方がいささかアンフェア。「論理と奇想のワンダーランドへようこそ」は良い。「本格ミステリとSFの美しき「融合」がここにある。」これもまあ、いい。「異形の奇想ミステリ集はい、これはダメ。嘘です。本作はあくまで 「異形の奇想SF集」。確かに多くの本格ミステリの要素や題名、蘊蓄が入っていることは事実。ミステリを題材にしているとはいえ、作品自体の体裁に謎解きミステリの要素はカケラも無く、読者による推理が可能といった要素は皆無。譲っても(かつてのミステリとSFが未分化だった時代の)探偵小説、まで。やはりこれはSF作品集でしょう。大森望さんくらい、SFとミステリに通暁された読み手なら「両面的に傑作」といいきれるのだろうが……。

 さて。繰り返すがSF……である。それもいわゆるハードSF。

 確かにベースになっているのは黄金期の本格探偵小説。表題にあたるノックスだけでなく、全体を通じてヴァン。ダインクリスティ、クイーン、カーといった、本格ミステリ作家の名前がぞろぞろと(いささかマニアックに属する作家も含め)登場、ただ、それはネタを提供するのみ。『ノックス・マシン』『ノックス・マシン2』においては、確かに評論めいた発想(なぜ、ノックスの十戒の五項目目は中国人のオミットなのか、クイーンのある作品には読者への挑戦が挟まれていないのか?)がベースとなっている。ただ、その事実の指摘まではとにかく、その地点からの推論展開については完全にSF的発想・SFベースの物語で埋めてしまっているので、実際問題、評論ともちょっと違っている。

 ただ、哀しいかな、小生にはSFのガジェットとして用いられている用語が意味不明なのだ。どこまでが本当でどこからが虚構なのか。 数理数式の理論はもちろん、名称を挙げられても具体的イメージが浮かばない、この文系頭にはこの文章はちと辛かった。
 ただ、先読み出来ない展開という意味ではスリリングであり、面白かった面白くなかったでいうとまあ面白かった――という感想になるのだけれど、SFとして掲げられている前提条件及びその結果についての理解(極端な話No Chinamanを虚数にして云々でどうなの、みんな本当に理解して読んでるの?)が及ばない。従って、SFとして書かれている部分がぶっとんだ展開に見えてしまい、どこまでが現代SFとして普通に許容範囲なのかも分からないのだ。
(ミステリでいえば、夢オチが許されるのかどうかすら分からないって感じか)

 結論として「読むべき人、そして素養のある人にとっては傑作」なんだろうけれど、「だけど、小生にはよくわからない」という作品でした。正しいモノサシを持ってないので……。単なる感想だなこれは。


13/04/04
深津十一「「童石」をめぐる奇妙な物語」(宝島社'13)

 深津氏は1963年生まれ、京都府出身。京都教育大学卒業、北海道在住。第11回『このミステリーがすごい!』大賞の優秀賞を本書が受賞、デビューされている。

 高校二年生の木島耕平は、死期の近づいた祖母から奇妙な依頼を受けていた。自分にお迎えが来たら、遺体の口に準備してある小さな黒い石を入れ、そのまま火葬して欲しい。さらに火葬後、骨からその石を取り出し、林という人物のもとに持ち込んで欲しいというものだった。家族には秘密で遺体にこっそり石を入れ、骨壺から石を取り出した耕平は、いわれた通り林なる人物と連絡を取り、その自宅へと趣く。林は記憶力が非常に良く、テンションの高い老人で、涙石やいざり石、白夢石といった奇妙な石を、高い対価を支払ってでも蒐集していた。耕平の石は林の手にゆだねられ、耕平は蔵にあったコレクションのうちの幾つかを「割る」手伝いをした。本物の石は、割ることによって様々な反応があり、割れて砕けちった石は価値を失ってしまう。石を一旦預け、代わりに白夢石という石を預かった耕平。林のいう通りに枕元に入れて眠ると、白づくしの気持ちの悪い夢を見てしまう。ショックさめやらぬまま学校で授業を受けていた耕平は、理科の美人教師・ナオミ先生に石について書いたノートの落書きを見られ、呼び出されていろいろと質問を受けてしまう。ナオミもまた、石に関する思い出を持っていた。白夢石を耕平は又貸ししたところ、翌日は、ぜひ自分も林のところに行きたいと言い出した。

「このミス」大賞の異端? 感触としては現代的伝奇に繋がる「奇妙な話」
 先に述べておくと正直、一般的な意味でのミステリーとしては評価できない作品である。まあ、評価が低いというのではなく、評価軸が異なるため評価不能という意味ではあるのだが。伝奇的要素を微妙に絡めた、奇妙な物語系のエンターテインメントだというとしっくりくる。
 「このミス」大賞については、過半読んでいるかすら怪しいのでなんともいえないのだが、結構こういったタイプの、あまりミステリらしくない作品は珍しいのではないだろうか。むしろ、日本ホラー小説大賞くらいにありそうなイメージを受けた。
 ただ、受賞の意味はすぐに分かる。ストーリーテラーの才能があるのだ。とにかく物語の入り口が上手い。
 本人の遺言で、遺体の喉の奥に石を仕込み、火葬後に骨入れを漁ってまた石を取り出すという「しびといし」。淡淡と主人公はその行為を、実行するのだけれど、そこに至る過程での微妙な罪悪感、悖徳感というのが普通ではなく、主人公と共に読者もまた焦らされる文章なのだ。この吸引力で一気に謎めいた石を蒐集するという謎の人物のところまで至ってしまうがために、この「石」の世界にどっぷりと浸かってしまう。決して大げさではなく、むしろ抑制された文章であるにもかかわらず、すっと読者を引き込むセンスに、途中でふと気付いて大いに感心させられた。
 ここから魅力ある巨乳女教師を交えての展開は、軽妙に進むものの物語の展開としては多少軽くなるし(ラノベ的といっても良いかもしれない)、実は物語全体としては微妙な印象に変わってゆく。何よりも冒頭から思わせぶりに登場する「童石」自体の謎については、まあ、これしかなかったんだろうなあ、とは思うのだけれども、個人的には微妙としかいえない真相だった。ある意味、それまで一応ミステリを疑いながら読んでいた物語が、伏線らしい伏線無しに、ファンタジー/伝奇に切り替わってしまったような違和感を覚えた。
 ここで終わってしまっていたら、それほど評価出来なかったかもしれないのだけれど、こういったぶっ飛んだネタを 展開したあとに知らされる「しびといし」の真実とのギャップがユニークだった。実はこちらはこちらで「え」という ような、一種の反則技。ミステリの答え合わせとして実は◎◎でした、というこの答えが最終解であるならば暴れる レベル。だが、先の伝奇的な回答と、こちらの現実的回答が並列で「答え」となることによって、もう一つの主人公(?)である石たちの奥深さが、ぐっと深まるように感じられるのだ。

 一旦、思い切り非日常にゆきかかった世界が戻ってくるような感覚というのが近い。

 本書に登場する石にもいろいろ実際の言い伝えや伝説など、モデルがあるものも多いと聞く。単なる石がこれほどまで魅力のある世界を形成できるという、そのこと自体がミステリとしてのサプライズといえば、そういえるかもしれないなぁ、と最後に思った。


13/04/03
太田忠司「セクメト」(中央公論新社'13)

 太田忠司氏による、書き下ろし長編作品。ノンシリーズ。

 五ヶ月前、大田区で四十歳くらいの男性が刺し殺され、続いて三十八歳の女性が杉並区で胸部をめった刺しにされた遺体で発見された。三ヶ月後にはまた世田谷区で男性が背中から襲われ、その一ヶ月後には狛江市で主婦が殺害された。一連の事件で共通に目撃された車などから、四十二歳の相良敏夫という人物が捜査線上にあがった。警視庁捜査一課の若手刑事・和賀らは、世田谷区にある相良のマンションを見張って張り込みを行っていた。しかし、相良は警察の隙を突いて二階の部屋から飛び降りて逃走してしまう。気付いた和賀が追うものの、人通りの少ない路地にて心臟にナイフを突き立てられた他殺死体となって発見された。発見者の和賀は死体発見現場に佇む若い女性に気付くが、「死んでしまった。このひとも、シオネも」と言葉を残して立ち去ってしまう。捜査の結果、相良には心臓移植の経験があり、以降、普通に生活していたが直近は急に冷酷な行動を取ることがあり、妻は夫を恐れて実家に帰っていたことが判明した。一方、川崎市では高校生が殺害される事件が発生したが、その高校生はその直前殺人を犯していた……。

人類に関する壮大なテーマを内包した連続殺人サスペンス。毒が強烈な黒・太田作品
 連続殺人鬼連続殺人という、なかなか他に類のないような展開が序盤は続く。つまりは殺人事件の犯人を、警察が逮捕する前に掠め取って殺害する謎の犯人がいるということなのだ。さらにその事件(犯人だけでなく)を追うのは警察だけではなく謎の美少女も加わってくる。犯人側、そして捜査側が双方とも二重構造をもち、その片方が読者にとって謎という構成になっている。
 物語構成としては、そういったシンメトリーが形成されている一方で、背景がよく言えば壮大、悪くいうと絵空事じみていて、このあたりの受け取り方は読者次第。これだけ強大な相手であれば、こういう事態も有りと思うか、一方でなんかやることが小さいようにもみえるか。基本はその背景となる「理論」も含めて受け入れ、共に憂えれば吉という印象だ。

 個人的なお気に入りは影村夏月と影村宗晴という、孫娘と祖父とのコンビ。特に夏月は、問答無用に強い女という、例えば、牧野修さんが『死んだ女は歩かない』 (傑作なので今からでも読むがよろし)のシリーズが一瞬ダブってみえるような、強靱な意志と頑健な体力を共に備えているタイプ。彼の牧野作品に登場してきた誇り高い女性たちと、どこか夏月が被って見えさえする。
 ただ、舞台はどちらかというと現実なので、多少物語の内部でのギャップはあるかなー。太田忠司さんの作品にしては珍しく、ばたばた人が殺され死んでゆくストーリーで、更に物語の整合性をとるために、移植手術の結果、前の人間(ドナー)の性格や特長がレシピエントに移るという状況自体は、事実なのかどうか不明ながらよくいわれていること。ただ、更にその背景に国際シンジケートのような存在をもってきたところは、多少安易のようにも思えた。映像化されたとするならば、これくらいシンプルな筋書きで、残りアクションシーンで魅せることも出来ようが、そのあたりは活字メディア、やはり底は出来ることなら深くあって欲しかった。

 「セクメト」とは、とは古代の神様で、“人間を抹殺する為に生まれた殺戮の神”だということだ。序盤、中盤、後半と殺人鬼の影は見え隠れするのだけれど、セクメトはその彼らの誰かを指す訳ではない。物語としては、殺戮が目立ちがちだが、やはりトータルとしての設定を含めて楽しみたい作品だ。


13/04/02
芦辺 拓「スクールガール・エクスプレス38(サーティーエイト)」(講談社YA ENTERTAINMENT'12)

 本書はアニメーション制作会社・旭プロダクションの40周年記念事業の一環として企画された、「Asahi Girls Collection」および「Anime Game Character」という美少女キャラクター企画の一環として刊行された作品。YA! で2012年1月15日から5月31日までWeb連載された作品を単行本化したもの。なおAGCプロジェクトは、2013年5月をもって完了するとのこと。

 東京は練馬区、西武新宿線武蔵関駅近くにあって自由な校風で知られる武蔵旭丘女子学園の一年生から三年生が混成された三十八人が、海外体験と文化交流のため、南シナ海に浮かぶ常夏の島国。サルマナザール共和国へと訪れていた。そしてその首都から離れた第二の都市・ゲロンバン・ブルマサラに滞在中、この国家内部で革命運動が勃発、交戦状態となった。二十数名の生徒がこの都市のホテルに滞在、また文化交流で近隣の村に七名が宿泊しており、兵士達が彼女たちを捕らえるべく宿泊先に押し寄せてきた。間一髪、ホテル組は廃工場に逃れることに成功。しかし、滞在中の女性コーディネーターの保身などから再び窮地に。彼女たちは機転と知恵を絞って、全員で再び今度は工場を脱出、見知らぬ土地での逃避行を開始するのだった……。

女子高校生総勢38名全員主役。昔懐かしさも多少伴う、多人数集団少女による冒険小説(鉄系)
 『魔法先生ネギま!』でさえ38冊を費やして、クラス総勢は31人。38人全員主役をヤングアダルトボリュームの一冊で物語の内部でやり遂げようという構想自体にまず無理がある。なので、物語として普通に読むのが難しいだろうことは先に予想できる。
 そもそも、この作品の成立過程においては、先に38人の女子高生のそれぞれの公式設定があるはずで、そこは恐らく勝手に変更できないはず。かつ一冊かけて彼女たちを満遍なく紹介することも目的のひとつだろうし、冒険をさせながら全員を出すだけで結構難しい作業になる。数名の”センター”扱いする正・副の主人公を決めて、彼女たちを中心に展開して、残りを有象無象扱いにした方が物語が締まったであろうことなど関係者も重々承知だろうが、それが「出来ない」物語なのだ。宿命的に。

 従って、予備知識無しに「引き締まったストーリー」を求めて一冊読むには不向き。もともとの企画を(ある程度深く)知る人間向けの作品でもあるのだろう。

 ちなみに、小生の読み方は(関係者には失礼かもしれないが)「登場人物の区分を最初から完全に諦めた」というかたち。同じ武蔵旭丘女子学園に通う女子高校生という記号でひとくくり。それが問題児だろうがスポーツ少女だろうがお嬢様だろうがツンデレヤンデレクーデレだろうが……、その属性特徴性格趣味等々を一切気にせずに「38人のうちの一人」として共通化して読んだ。

 その読み方で登場人物の装飾を剥ぎ取って読むに、鉄道系大衆小説的冒険小説――、という感じだった。平和ボケした日本から訪れた多数の女子高生が機関銃などで武装した集団に襲われ、辛うじて逃げ出すも追われるという展開。丸腰で護衛もない彼女たちが、拉致監禁暴行射殺といった生々しい暴力にも晒されず、機転と運で全員が無事脱出 という、相当ゆるいエンターテインメントでしか許されない(少年少女向けレーベルだから当たり前です!)離れ業を成功させる。38人のうち一部誰かが持つ特殊知識が活かされる場面もあるものの、基本的には、ちょっとした機転が大当たり、敵との賭けに出てみれば全て勝利、拾った乗り物は全て問題なく動作し、相手が武器持ちなのに味方は怪我すらしないというチートな運があってこそ。事実上の交戦状態にあっても緊張感のない娘は平常運転だし、行程で偶然出会う謎の人物は味方だし。
 こういった「ど安心エンタ」の形式は、現在の少年少女向けの小説よりもむしろ、昭和期の大衆小説(竜崎三四郎シリーズとかね)のノリに近いように感じられた。少女たち危機一髪! を思わせる場面で章立てが区切られたとしても、それはあくまで形だけ。彼女たちは誰からも傷つけられないというルールのなかで、逆に言うならよくぞ冒険小説の体裁で最後まで書ききった事実を賞賛すべきなのかもしれない。
 また、サルマナザール共和国の設定も、現実のアジアの延長線上にあるというよりも、同じく昭和期のアジア観を少年少女小説向けに具現化したような書き方になっていることもその印象を深めているかもしれない。
 もうひとつ特筆すべきは鉄道に関する(かなりマニアックな)知識・雑学を物語に貪欲に物語に取り込んでいる点。このサルマナザール共和国はかつての日本が技術協力をして鉄道を寄付したという設定で、恐らく日本の古い鉄道が有していた特殊な技術が、そのまま彼女たちの逃避行のために実地に応用されて使用される。そちら方面は明るくないのだけれど、日本をかつて走った鉄道たちを再び蘇らせるに、かつての日本鉄道が眠る、この地を舞台にするという発想はなかなか良いアイデアだと感心した。

 小生には出来なかったけれど、彼女たちの固有名詞が登場する度に冒頭にあるクラス全員の名前とイラストに戻って容貌を確認してまた物語に戻る……という読み方ももちろん「あり」。本来の本書レーベルの読者たちはどう読むのだろう?
 長編作品でありながら芦辺氏の作品で必ずみられる凝った本格ミステリの趣向が、珍しくあまり感じられなかった。(もちろん細かなトリックは多数ありますよ)。作品の成立経緯も異色だが、芦辺作品のラインナップにおいてもかなり異色という位置付けになるかもしれない。


13/04/01
北山猛邦「人魚姫 探偵グリムの手稿」(徳間書店'13)

 近年特に、音野順シリーズ、猫柳十一弦シリーズなど、ユニークな探偵役を生み出してきている北山猛邦氏によるノンシリーズ長編作品。書き下ろし。

 人魚姫。海の中から人間の王子に恋をした人魚姫は、恋が成就できなければ泡になるという運命を受け入れ、自分の声を海底の魔女に差し出す代わりに人間にしてもらう。人魚姫は口が利けないまま、王子に仕えるのだがその王子は、自分を助けてくれた人魚姫と勘違いをして、隣国の姫との結婚が決まってしまう。明朝は泡になってしまうという夜、人魚姫は、魔女から手に入れた短剣を姉妹から受け取る。短剣で王子を刺し、その血を脚に浴びることができれば元の人魚に戻れるのだ。しかし人魚姫は王子を刺すことが出来ず、海の泡となって消えてしまった……。その翌日、王子が居城である離宮のバルコニーのある部屋で刺殺された。部屋は監視された密室状態で当時、離宮にいた人物全員にアリバイがあった。人魚の存在を知らない人間界では、消えた侍女、即ち人魚姫が容疑者扱いされていたが……。
 デンマークの街・オーデンセに住む11歳の少年・ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、風変わりな旅人・ルートヴィッヒ・エミール・グリムと出会う。二人は海岸でセレナという少女と出会う。セレナは、人魚姫の妹で、魔女に心臟を差し出す契約で人間になっていたが、一週間以内に王子を殺害した犯人を見つけなければ死んでしまうのだという。ハンスとグリムはこの荒唐無稽な彼女の話を信じ、共に王子殺害の真相を探る。

世界的有名な童話後日譚+北山流本格ミステリで漂う、ほのかにリリカルな読後感が印象
 思わず読了してから原典「人魚姫」について調べてしまった。作者はハンス・クリスチャン・アンデルセンで発表は1836年。アンデルセンの父親は実際に1816年に亡くなっている。一方、グリム兄弟として登場するルードヴィッヒも(一般的にはヤーコプとヴィルヘルムの兄弟として知られるが)実在、史実においてもグリム童話集の挿絵を一部担当するなど画家であったという。人魚が人間社会と交わるという段階で当然ファンタジーなのだが、前提となる人魚姫の物語そのものと、歴史上実在した登場人物に関しては原典・歴史を忠実に引き継いでいるようだ。
(ついでにアンデルセンが生涯独身だったことを思い出したのだが、こちらはセレナとかそんな女性の影はない模様)。

 さて。童話モチーフ+本格ミステリといえば、初野晴氏あたりが近年だと多く作品があるが(山口雅也氏のマザーグースなんかもそうかも)、人魚姫テーマはあまり読んだ記憶がない。なんたって犯人からは脚がつかないからね!(寒い!)

 改めて、さて。
 本格ミステリである。誰も入れなかった密室内の死体、関係者全員にアリバイ、動機も誰にもない。消えた凶器に時間限定の探偵活動。ベースが童話だと思えないほど、ミステリのガジェットが横溢した設定となっている。
 その現象に対峙する三人。特に、泡になった人魚の姉妹と、後年の童話作家・画家の二人が探偵役をするという設定が実は周到だ。王子殺害という一大事が前提なので、別の人魚が人間となって探偵活動に乗り出すという展開は、普通に自然な展開と思える。のだが、この段階で既に作者が「仕込んで」いるなんて誰が思うだろう。
 別の人魚が探偵にくる、つまりは魔女と契約をする必要がある、という段階で本書のトリックの大きいところが仕込まれている。トリックのもひとつ、王子を実際に刺し殺したのが誰で、その用いた方法とトリックについては、どちらかというと、これもまた北山猛邦氏らしい大がかりな物理的トリックがある。そこからは立ち上る「らしさ」については、どこか愛らしく感じられてしまっった。この剛腕トリックをフツーに形成してしまうところ、ある意味で魅力的である。
 人魚の悲劇の話でありながら、そのモチーフを覆すような構成もユニークで、人魚姫という物語が発する悲しみをひっくり返したうえで別の側面から哀しさを持ち込むところなど、偶然なのか仕込みなのか不明ながら物語の取り回しがとても上達しているように感じられた。また、文章が平易で読みやすくなっており、そういった意味での作者の成長はめざましいものがある。

 この同時代には、他にも歴史的有名人がおり、実際、アンデルセンはディケンズやユーゴーと親交があったという。(ディケンズとアンデルセンが活躍する物語は田中芳樹氏の『月蝕島の魔物』以下でも書いているが)こういったかたちで童話世界と融合した物語は他にも展開できそう。北山氏の本格ミステリ、年を経るごとに安定して読ませる内容に変化しているなか、本書のような大胆な物理トリックが良いアクセントになっているように思いました。(個人的に)。