MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/04/20
月村了衛「機龍警察」(ハヤカワ文庫JA'10)

 月村了衛氏は1963年生まれ。大学卒業後、予備校教師を経て1988年に『ミスター味っ子』で脚本家デビュー。『少女革命ウテナ』『NOIR』といった作品の脚本を担当する。2010年、本書にて小説家としてデビューし、続編となる『機龍警察 自爆条項』が年末ランキングで高評価を得て日本SF大賞を受賞。さらに三作目となる『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞を受賞している。

  深川で複数の不審なアジア系外国人が潜伏中との密告があり、所轄の警官が確認に出向いた。現れたのは三機の「キモノ」。人体を模して設計された全高3.5m以上にも及ぶ二足歩行型軍用有人兵器『機甲兵装』だった。パトカーを踏み潰して警官を殉職させた機甲兵装はそのまま深川方面を派手に逃走、コンビニに突っ込んで一般人を死傷させ、装備された銃機関砲で警察に抵抗し、多数の死傷者を産んだ。彼らはそのまま有楽町新線千石駅に突入、停車中の地下鉄を人質に立て籠もる。SATと共に現場に赴いたのは、以前に発生した「これまでの警察では手に負えない」事件対応のために設立された、警視庁特捜部長の沖津。沖津の背後に控えるのは、元傭兵の姿俊之警部、元ロシア警察のユーリ・オズノフ警部。別にいる紅一点、テロの専門家・ライザ・ラードナー警部を加えた「雇われ警部」三人が、SIPDという警視庁特殊セクションに所属する特殊機械兵装『龍騎兵』の乗り手であった。姿とオズノフは、SATと並行するかたちで地下鉄軌道へ入り込むが、ぎりぎりで犯人たちの罠を察知するが、既に遅く仕掛けられた爆発物によってSATは甚大な被害を被ってしまう。更に一人は撃ち殺したものの、残り二機は逃走してしまう。

近未来アクションSFにして現在(いま)に通じる警察小説。非情さこそがリアリティ
 SFというとSFになるのだろうか。現在我々が手にしている最新ロボット技術+SFっぽいプラスαの技術を加えたのが、本書時系列における世界観のようだ。人間が搭乗して操縦、人間の動きをトレースする「機甲兵装」「龍騎兵」。パトレイパーであるとか、ウォーカーマシン(古い)であるとかのイメージか。本作の主人公は人間であると同時にその兵装もまた人間の動きを強化することで、その強力さゆえに人間をあっさり殺害できるようになってしまった乗り物である。
 イラストもなくイメージを膨らませるしかないながら、SFやアニメを観ている分、容易にその姿が(自分オリジナルだけれども)想像できてしまう。ただ、従来のこういったロボットが出てくる作品と確実に一線を画しているのは、この兵装が殺傷兵器であることに正面から取り組んでいることだ。三人の傭兵たちによる、この「キモノ」による一般人を巻き込んだテロリズムの凄まじさは、平和惚けした日本であっても十二分に「起こりえる未来」なのだ。人間はトラックと衝突すると、人間が死にトラックは無傷。この当たり前の事実を兵器として加速してゆくと、本書の描写になってゆく。
 そのディティールに加え、警察小説としての表現力も十二分に存在している印象だ。 キャリアノンキャリアとは少し異なるが、秩序を重んじる閉じられた組織において、入りこんできた新組織に対する苛立ちや、外部者である傭兵を警察内部に入れたことによる嫌悪感など、組織内の秩序を重視する勢力と、新興勢力との対立は読みどころ。その心理的、物理的駆け引きは日本の一般組織論とも重なっており、日本の警察小説らしい展開となっている。加えて、一般的に正しいはずのサイドの方が、実は汚染されている設定も小憎い。歯がゆさみたいなものが小説を加速している。
 どうしても展開上アクションシーンが多くなってしまっているが、その戦闘時の迫力も尋常でなく、死闘というか殺し合い。 警察が犯人を確保するのに威嚇射撃、といった常識だと犯人に殺されてしまうという世界。こういったところも建前の組織と実行の組織の差が浮かび上がるポイントだ。
 一方で暴力的な場面の描写に過ぎるところがあり(数が多いという意味では特に)、すぐに怪我した死んだという展開なので、気の弱いご婦人にはお勧めできない。とはいえ暴力的なところこそがまた、小説と現実世界とのリンクがあるようにもみえるので、それもまた必然か。

 警察小説を書きたかったということはないと思う。将来的に実現するかもしれない兵器を世界に持ち込むことで、想像力を強く羽ばたかせたSFアクション、という見方が正しいのだとは思うのだが、それでいて警察小説としての側面が強く、ミステリ畑の自分としてはそう読める部分が大きかった。が、作者の筆力が確かでエンターテインメントとして素晴らしいという点だけはどうあっても動かない。


13/04/19
水生大海「熱望」(双葉社'13)

 水生さんは三重県出身、1995年に秋田書店より漫画家デビュー。2005年第1回チュンソフト小説大賞(ミステリー/ホラー部門)銅賞受賞、2008年『少女たちの羅針盤』(映画化)にて、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞優秀作を受賞、翌年デビューした。(なんかプロフィールが増えていたように思ったので転記してみました)。

 農業を営む実家を飛び出し、都会で派遣社員として生活している三十一歳の春菜。年齢の割に自転車であれば企業が 主催するお見合いパーティに出席した際、会場すぐそばで知り合った若手実業家を自称する男性と交際を開始するが、この男が結婚詐欺師だった。結婚を約束して、事業の運転資金の当面の貯金を渡してしまったところで男は姿を消してしまう。春菜は無理を承知で結婚相談所にクレームをつけるが、そもそも相手は登録した人物ではなく、譲歩は引き出せない。結婚するという情報が流れ勤め先との派遣契約を打ち切られ、金銭的に困窮した春菜は、その結婚相談所勤務の若手社員を捕まえ関係に持ち込んで、押しかけ交際を開始。彼から別れを切り出され、翻意がないと悟ると妊娠をちらつかせ、百万円ばかりの慰謝料を手に入れた。その慰謝料でプチ整形をし、春菜は男から瞞される側から、瞞す側へ立ち位置を変えてゆく……。

ちゃっかりした現代女性が主人公。徐々に他人に対する感情が麻痺することで進行するクライムノベル
 帯には「私たちの時代の”イヤミス”誕生!」といった煽り文句があった。私たちって誰よ? という疑問はさておき、本書の場合は先行の女性ミステリ作家が発表しているイヤミスとは微妙に方向性が異なる印象を受けた。(それが「私たちの時代」ということなのかもしれない)。というのは、主人公の春菜、「まともに強い」のだ。最初は。
 結婚詐欺師に根こそぎ財産をやられながら、弱音を吐かず”できること”をする。親に頼ると自分が「終わる」ことを悟っているからか、コトにあたるに際しての覚悟がしっかりしている。胸が大きく、容貌はそこそこ、そう目立つところはないけれど、まだまだイケてると思う三十一歳女性。マイナスの人生をなんとか立て直そうとして、段々と出来ることが限られていることに気付く──。自分を傷つけて小金を手に入れてからの第二章以降は若干ノワールじみてくる。強さが悪い方向へ、狡さや胆力といった方向に特化してゆく印象だ。
 第二章以降、ずぶずぶと自らが結婚詐欺師となって犯罪をエスカレートさせる春菜の姿が描かれる。ただ素人目にもその計画は稚拙で、悪質は悪質なのだけれども浅知恵の印象が免れない。加えて浅薄さゆえに人も手に掛けてしまい、警察に完全に追われる身となる。本書では、そこに至る過程が順を追って描かれている。それはそのまま、春菜の感覚麻痺の系譜に他ならない。人間は徐々に犯罪に慣れ、罪悪感を麻痺させることができる生き物であることを、本書は生々しく見せつけてくるのだ。最初に被害者だったことから、それが自分の心の免罪符として現実から目をそらしているところが丸わかりのところは確かにイヤミスっぽい部分である。そんな彼女の行き着く先は果たして。

 ↓の「レジスタンス、ニッポン」も同じく結婚相談所が一部舞台になっている。本書は登録する側、同書は登録を求める側。双方主題ではなく、あくまで舞台として使っているのだけ、更に作者の作風も根本的に異なるのだけれど、自分が高いと信じ、他人を安いと貶める。妥協したつもりで、された側が逃げるとキレる。人間の本質という意味では表現手法こそ違えど根っこにあるものは同じだな──と醒めた目で見てしまう。

 人の不幸を笑えそうで、──笑えない。ちょっとしたことで転落したり不幸を背負い込んでしまうのは、現代日本では誰もが共通に抱えている、悲しい要素であり、結婚詐欺といったかたちではなくとも、いつ我が身に降りかかってもおかしくないのだ。そんななか、元手も背景も無しに生きようとするとこういった選択肢に陥る人間もいそうだ。途中で登場する、老人たちの非情ともいえる抜け目のなさ、半分ユーモアなのだろうけれど、それもまた印象に残った。


13/04/18
戸梶圭太「レジスタンス、ニッポン」(双葉社'13)

 書き下ろしの長編作品。

 二十九歳の菅井活人が所属していたバンド仲間から裏切られ、追い出された挙げ句バンドはメジャーデビュー、活人は無職となった。完全に負け犬となった活人の前に現れたのは一族の中でも変わり者で知られる叔父の文蔵。こってりと弾けた服装をした文蔵は、現在、小さな結婚相談所を経営しているといい、活人にその手伝いを求めてきた。今更バンドに戻ることもできない活人は結局、株式会社ベストパートナーの新人社員(ただ一人)として働くことになる。欺瞞と嘘と誤魔化しが横行どころか、そのものという業務内容に活人は倦み疲れてゆく。会社側もひどいが、自己中心的で周囲が見えていない会員たちもまた頭痛の種。活人はひどい文句をつけにきた会員女性にキレ、逆に惚れられてしまい大変な目に遭う。そんな生活のなか、アフリカ帰りの野波と名乗るワイルドで格好良い人物と活人は知り合いになる。トラブルになるとまたこの野波が大活躍。一方で文蔵は、グリーンサタンという世界的な環境テロ組織に協力を要請され、苦境に陥っていた。会員の帝国電力社員を結婚相談所内部で誘拐させろという無茶な要求だったのだが……。

若い主人公の特殊で特殊な成長譚? これでもかという安い人間たちの描写がグレードアップ
 まず改めて感じたのは、個々の人間のディティールの強烈さ、インパクトについては相変わらず。むしろ以前に比べてグレードアップしているようにすら感じられた。特に零細結婚相談所で会員になろうという人物たちの安っぽいプライド、小さな見栄、自分の現実と理想への逃避等々、多かれ少なかれ人間の持つ醜い部分を極限まで肥大化された人間たちが次々登場。主人公からバカにされているし、実際気持ち悪くはあるのだけれど、それでも「観察させる」ことによる吸引力が凄まじい。(その露悪的な演出がトカジ作品の魅力の一つでもあるけれど)。
 ただ、第一部、第二部、第三部と展開し、主人公は菅井活人で変わらないし、叔父の文蔵も彼と行動を共にする。のだけれど、──物語としては既に何がやりたかったのかが分からないレベルに至っている感。結婚相談所はいいけれど、展開は拡がらない。ここに絡んでくるのが環境テロリストたち。終盤は結果的にテロリストに与せざるを得なくなった活人がそちらにのめり込んでゆくのだけれど、何がそもそもやりたいのか、やらせたかったのかよく分からないまま「HAHAHAHA」といったかたちで締めくくられている。 たかだか要人の息子の誘拐場所を提供しただけの人物が、ここまでテロリストたちから厚遇される理由が今ひとつ分からない(フィクションだから、だが)。

 どうでもいいことだけれど、途中で開催される「お見合いパーティー」で、太った女性DJが四十路ハートをドキュン選曲が妙にツボ。デペッシュモードだとかウルトラヴォックスだとかが、こんなところで活字で会えると思わなかった。これがお見合いパーティでさえなければ。

 ひさしぶりにトカジ節を堪能。人間って安い。ああ、もうそれだけ。脳みそが空っぽになるような感じです。


13/04/17
福田和代「碧空のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート」(光文社'13)

 『小説宝石』二〇一一年一月号に掲載された『ギルガメッシュ交響曲』で掲載が開始され、二〇一二年九月号まで不定期に五編が同誌に発表された。加えて『遠き山に日は落ちて――渡会俊彦の場合――』と、著者による航空自衛隊音楽隊取材ノート『航空自衛隊の音楽隊は、こんなところです!』が書き下ろしで加えられ、短編集としてまとめられている。

 航空自衛隊航空中央音楽隊。東京の立川に庁舎があり、基本的に自衛隊の広報部門として年間に百回余のコンサートをこなす、職業音楽家でありながら自衛官という集団である。隊に所属する女性隊員として、どんくさくトラブルが多いといわれているのが、アルトサックス奏者である鳴沢佳音(かのん)だ。彼女と同室の安西夫人(独身だがお蝶夫人のようにエレガント)や、佳音の高校時代の同級生である渡会らが音楽隊の面々が邂逅する、ちょっとしたミステリー。
 決して欠けてはならない筈の自衛隊所有の楽譜の一部が消えていた。果たして誰が楽譜を持ち出したまま返却していないのか。その曲が最後に演奏された時に定年退職を迎えた人物の年齢が合わないことに佳音たちは気づく。 『ギルガメッシュ交響曲』
 佳音と学生時代に仲が良かった音大の仲間たち四人。クリスマスの夜に女だけで集まる習慣があった。かつて校舎に仕掛けられていたいたずらの写メがまだ残っていたことから、謎解きになるのだが。 『ある愛のうた』
 子供たちに演奏を教えるイベントの際、吹奏楽に力が入った名門中学で、学校所有の楽器の一部が鍵のかかったロッカーから次々紛失するという事件の存在を佳音は聞く。しかし、学校顧問はそのことを知らなかったらしい。 『文明開化の鐘』
 音楽隊を撮影しにきたという元戦場カメラマン。そのカメラマンは戦場から友人が送ってきたという一枚の絵はがきを示し、その意味が知りたいという。 『インビジブル・メッセージ』
 学生時代から佳音に興味を持ち、進路も同じくした筈の渡会ではあったが、全く佳音の側に脈がない。先輩や友人たちは渡会のそんな姿を見て(楽しみながら)応援してくれているのだが。 『遠き山に日は落ちて――渡会俊彦の場合――』
 佳音と新たに同室になった澄川理彩。天然な性格の彼女だが、男の居住空間に注意されても何度も入り込んだり、ゲストとして来られた米軍の音楽隊指揮者に話しかけるなど、外れた行動が目立つ。佳音が真意を問いただそうにも「黙秘」と言い出す始末だった。 『ラッパ吹きの休日』 以上六編に著者による上述の取材ノートが加わった短編集。

自衛官にして音楽家。部外者的にはちょっと不思議な立場にある主人公たちが遭遇する事件と謎。
 自衛官といいながらも、手に持つものが武器ではなく楽器であることもあって、軍人的側面はあまり強調されず、語弊を恐れずいうならば超体育会的文化的国家公務員たちの物語(分かるかな?)といった印象だ。自衛官とはいえ当然スーパーマンではなく、ストレスもあれば喜びもあり、酒や恋で失敗もすれば、行動で人様を笑顔にすることもある。もし狙いが、航空自衛隊の一部門を人間的に描こうというところにあるのであればかなり成功しているといえるだろう。音楽隊としてはよく判らないが、作者のこれまでの仕事の仕方から考えても恐らくは綿密に取材のうえで執筆されているものと思われ、本当の関係者が読んでも違和感はあまりないのではないか。
 加えて主人公が天然っぽい若い、そして真っ直ぐな性格で誰からも愛されるタイプの女性、さらに彼女に一途な想いを捧げる男性隊員がいて、また恋愛強者や個性的な既婚者など煽り立てる場面があるなど、ラブコメ調のおもしろさもある。
 そういったディティールについて一定の評価が出来るとは認めながらも、日常の謎のミステリとしてはちょっとインパクトが弱いかな、というのが読みながらの正直な印象だった。様々なかたちで音楽をテーマにした謎、ではあるのだけれど、全体的に謎の成立の仕方が人工的。航空自衛隊音楽隊という物語に溶け込んではいるものの、音楽隊としてはとにかく、絶対に航空自衛隊でなければ成立し得ないというほどのインパクトはない――と思っていた。

 ──のだが、正直この会話文ひとつに強烈に打ちのめされた。
「自衛官になれば、もしかしたらイラクに派遣されるかもって思ったのよ! そんなわけなかったけど!」

 これはすごい。この文章は、収録された短編における謎の一部しか説明していないのだけれど、打ちのめされました。自衛隊を扱った小説でなければ説得力の欠片もない話ながら、この一文で、どれだけ彼女が相手のことを想っていたか、どれだけ行動力があるか、でもってちょっと天然入っているところがかわいいとか。その前後を読むと万感が読者の胸に浮かぶという。いや本当にすごいです。

 どちらかというと「情」に篤い人々の、優しさが作ってしまう謎。自衛隊という堅めの響きのなかそれとバランスを取るかのように、登場人物も抱いている思いにしても、いろいろなところが柔らかい。ミステリはテイストだと割り切って、また完成された楽団ゆえに、成長譚のような面白さはないかもしれないけれど、心を打つ物語群として味読して頂きたい作品だ。


13/04/16
桐野夏生「ナニカアル」(新潮文庫'12)

 そもそもデビューが乱歩賞。推理作家協会賞、直木賞といった数々の賞を取り、人口に膾炙する代表作だけでも片手では足りないという著者に、さらに二つの冠(島清恋愛文学賞、読売文学賞)をもたらした長編恋愛小説。『週刊新潮』誌に二〇〇八年から翌年にかけて連載された同題作品を二〇一〇年二月に単行本で刊行したものが元版。

 戦前から戦後にかけ『放浪記』などの作品で人気を博していた女流作家・林芙美子。彼女から受け継いだ住居を林芙美子記念館にする話が持ち上がり、芙美子の死後に彼女の夫・緑敏と結婚した姪の房江が遺品を整理していたところ、画家である緑敏が遺した絵画のキャンパスから原稿用紙の束が発見された。昭和十八年、戦意高揚の原稿を作成させるため、軍部は多くの職業作家を戦線のある南方に送り込んでいた。かつて女だてらに大陸の拠点・漢口一番乗りを果たして勇名をはせた芙美子もまた、陸軍報道部嘱託として病院船に偽装した船で南アジア方面へと向かうことになった。当時芙美子は結婚していたのだが、若い新聞記者・斎藤謙太郎とダブル不倫の関係にあり、日本での関係が途切れそうになっていたものの、遠く離れたアジアであれば、と淡い期待を抱いていた。芙美子は行きしなの船の事務長と肉体関係を持つなどラディカルな感性と奔放な性格の持ち主だ。そんな彼女がシンガポールやインドネシアで触れる日常と実感される彼我の戦力差、日本本土と植民地の物質的豊かさの差は、彼女の気持ちを強く刺激する。さらにボルネオ島で斎藤との再会を果たした芙美子は、戦争中であることからくる強制と恐怖と抑圧に直面することになる――。

奔放で切ない恋物語にして、強大な権力による抑圧の恐怖を描くノンフィクションに限りなく近いフィクション
 読み終わって最初に気付くのは、巻末に示された参考資料の膨大さである。林芙美子については勿論、徴用で南方に連れられた作家の生活や、当時の南方の様子、同時に徴用された作家の動静、当時の文学界の状況、そして兵隊たちによる独善的な抑圧。実在の人物に題材を取るにあたって、徹底的に資料を調べた形跡が伺える。さらに文学系webサイトを幾つか拝見するに、どうやら林芙美子の周辺に登場する、不倫相手であるとか親族であるとかについても、変名とされているものの、実際のモデルが実在するようなのだ。ただ、そういわれても(小生に予備知識がないこともあって余計に)あまり現実と地続きという印象はない。登場人物がエキセントリックで「事実は小説より奇なり」という慣用句を地でゆくような人々ばかりだからだろうか。
 いずれにせよ作中作の形式を取っているため、小説としてのメインプロットについては創作であることが担保されているのだけれど。その内容がまた凄まじい。恋する三十路女、精神的にも肉体的にも気持ちを持て余した女性の気持ちが赤裸々に描かれているのだ。もともと林芙美子本人がそういった性格だったようなのだが、浮き草というかボヘミアンというか。その時々の気分に流されるところがありながら、芯となる気持ちについてはかなりぶっとく堅い(本書で結婚相手にそれが向いていないのだが)。 そんな情熱的で自由な女性の恋物語──というのが、本書の一側面である。

 もうひとつは、あくまで戦中に題材を取った作品であるということ。
 女性ならではの、外地を知る者ならではの客観的な姿勢と視点で、まだ攻勢にあったはずの日本の姿を冷静に捉えている。そういった感性から小説なり、エッセイなりを書くのが仕事となるのだが、ここで軍部からの抑圧が入る。特に従卒として扱っていた野口という兵の後釜で訪れた兵隊の口ぶりや内容は、かなり物書きの人間にとってはショックな内容であろう。つまりは、日本軍という威信を借りて、さも自分が偉いように振る舞うことだけではく、書かれたものについてもたった一人の現地兵の恣意的な判断でどうにでもなるという事実が、現在進められている法律なんかと二重写しになった怖さを感じた。

 こういった奔放でルールに縛られない林芙美子の(そして恐らくは多くの作家の)態度が結局、当局が気に入らなく感じていたということか。恋愛というよりは交情といった交際形式については是非もあるだろうが、何かこの当時の文学周辺と、その感じ方などいろいろ勉強になった。恋愛小説としては立場が違いすぎて感情移入が出来ない分、当局がもたらす恐怖といった方向により過敏に反応してしまったきらいはある。が、実際そう感じると思う。


13/04/15
西尾維新「暦物語」(講談社BOX'13)

 「物語」シリーズの、シリーズ十一弾、通巻十四冊目となる作品。表紙は影縫余弦。本書を含まず残り二冊、だが、あとがきを読む限りではまだ何冊か含みを持たせているようにもみえる。阿良々木暦視点の短篇集。お値段1,600円というのもハードカバー並みですね。

 羽川翼。学校内の花壇のそばで祀られている奇妙な石のこと。 『こよみストーン』
 戦場ヶ原ひたぎ。私立直江津高校の屋上は施錠されているのに真新しい花束がある。 『こよみフラワー』
 八九寺真宵。とある公園の砂場に浮かび上がる鬼の顔のような紋様のこと。 『こよみサンド』
 神原駿河。神原家の風呂に使われている不思議な水は、未来の結婚相手の顔を浮かび上がらせる。 『こよみウォーター』
 千石撫子。撫子たち中学生のあいだになぜ「おまじない」が流布したのか。 『こよみウインド』
 阿良々木火燐。火燐の通う道場に突如現れたひょろ長い木。気持ち悪いので弟子たちは切り倒すというが。 『こよみツリー』
 阿良々木月火。月火の所属する茶道部ではいる筈の人数より一人多いお化けが出ると噂が。 『こよみティー』
 忍野扇。山のてっぺんにある北白蛇神社。その建設資材たる木材はどのようにして運び込まれたのか。 『こよみマウンテン』
 忍野忍。戦場ヶ原が作ってきたドーナツに執着する忍。忍はがドーナツを一個消し去ってしまったのだが。果たしてそれはどこにあるか。 『こよみトーラス』
 斧乃木余接。受験前の暦が出会った余接は、何かを探しているのだという。阿良々木も手伝うことにしたのだが。 『こよみシード』
 影縫余弦。暦は吸血鬼の力を使えなくなっているため、体術を鍛えようとする。 『こよみナッシング』
 臥煙伊豆湖。大学受験の日、北白蛇神社を訪れた暦を待ち構えていたのは、伊豆湖。彼女は暦に対してある試みを行い……。 『こよみデッド』 以上十二編。

よくある思い出作り作品かと思いきや、後半四分の一でシリーズの根幹に迫る展開が。結局、目、離せない
 趣向としてはむしろわかりやすい。微妙なバランスのうえにハーレムを築き、展開のなかでそれを解体させられる 高校三年生・阿良々木暦。彼が怪異に出会ってからの一年間を、一ヶ月単位、各ヒロイン一人ずつというかたちで、 怪異や謎と対峙し、それを誰かが(本当に行き当たりばったりにみえるくらいに誰か)が解き明かすというものだ。
 連作短編集で、各作品に縛りをいれるのはごくごくよくあるパターンであるので珍しいことではない。ただ、十二篇もの作品を創りつつ、(全員が暦に対して好意を抱いているかどうかは別にして)モブ抜きで、ちゃんとしたヒロインを十二名も用意できたものだと感心。  おかげで半分くらいの普通の謎解きに普通に瞞され(堪能したともいう)、八九寺真宵ら、もう二度と対面できないと思っていた登場人物の隠されたエピソードに舌鼓を打って。とまあ、普通に読んでいたのだ四分の三。

 これがなんと。年明けくらいからなんというか、実際のシリーズでも書かれているような書かれていないような曖昧な時期にさしかかると、(本来受験に集中しなければいけない筈の阿良々木さんは)かなり危険な状態に巻き込まれてしまう。 吸血鬼に取り込まれるようになってしまう(鏡に映らないって、日常が便利不便というよりも、やっぱり普通の人たちと集団生活は送れないような気がするのですが)。
 やはりその状態が間違っているということで、どうやら最終的に糺されようとしているようなのだが、どこにどう力点が置かれて支点がどうで、というところが現段階非常に曖昧なのだ。そして本書最後に意外な人物が出てくるしこれはやはり、今はやりの並行世界の繰り返しパターンとかで終わるのだろうか。ま、最後の人物の正体(というか本来の属性)がアレな訳だから、同じく阿良々木さんも吸血鬼を乗り越えてアレになってしまった、なんというオチかもしれないし、それがまた並行世界のお話で、物語は続くよ、とか。ふむーん。

 実は、これまでの物語シリーズのなかで最大ボリュームらしい。のだが、短編の集成という形式のため、あまり読みながらそう負担を感じずにさらさらと読めてしまう印象。もう一つ気づいたのは、シリーズに対するネタバレを最小限に留めている点。人間関係などは結果、変化してしまったものはそう記述されているが、それら以前のエピソードの内容については触れていないのだ。謎やミステリとしての内容はそう濃い(ミステリ的に凝っている)とは言い切れないが、それでも最後まで普通に読ませるだけの力がある印象。やっぱりすごいや。


13/04/14
山田正紀「復活するはわれにあり」(双葉社'13)

 『小説推理』'08年7月号から'09年8月号にかけて連載された同名作品に大幅に加筆修正を加えて単行本化したもの。初期の山田正紀冒険小説のパッションがそのまま再現されている印象。

 権藤グループの中核企業の社長にして実質オーナー、二代目の権藤は、四十代にして病に冒され、余命が限られていることを宣告される。しかも脊髄付近に腫瘍があり、身体の麻痺が進行してゆくため、車椅子での生活を余儀なくされているが。業務については熱心で「車椅子の不屈の経営者」というレッテルが貼られていた。提携先の企業とのトラブルでベトナムにいた権藤は、調子者の部下・稲原の裏切りに対し、彼の居場所を突き止め、居場所に乗り込もうとするのだが、逆に途中で誘拐されてしまう。権藤は同じく車椅子に乗る“ジエイゾ(蠍座)”と名乗る人物と対峙、サイボイドという超ハイテク車椅子(パワードスーツに近い)を与えられ、豪華客船に乗船せよ、という指示を受けた。別に身代わりではないが、どうやらそこで事件が起こるらしい。果たして彼らが乗船した「南シナ海号」は海賊の襲撃によりハイジャックされ、特別船室にいた数名の乗客以外は強制退去させられていた。彼らの狙いはベトナム沿岸にある『ディープ・ホリゾント・ドラゴン』という石油掘削施設。彼らは珊瑚礁のためにそのプラントに乗り込む必要があるのだいうが……。

大ベテランの作品でありながら、むしろ荒削りな若さが漂う、初期冒険小説イメージがよみがえる長編
 主人公たちが、巨大な陰謀に巻き込まれ、当初の予定以上に大善戦をして相手組織を苦しめる──。巻き込まれ型、普通の人間、その場の機転や多少の運や偶然を味方にして危機を乗り越えてゆく。確か、山田正紀の冒険小説を公約数で語るとこういう感じではなかったか。
 本書もそのイメージに近い。ただ、本書で強烈な特徴となっているのは主人公の身体がかなり不自由なことだ。基本が車椅子であり、腕にしても麻痺が進んで感覚がない状態。普通であれば、安楽椅子探偵ならまだしも、冒険小説の主人公に据えるのはかなり勇気がいるディティールである。ここはSF作家山田正紀、ハイテクスーパー車椅子《サイボイド》を登場させることによって、不自由なままの主人公・権藤をヒーローにすることに成功している。表紙絵では旅客機のビジネスクラス以上の椅子みたいな感じだが、読んでいるあいだはむしろパワードスーツのような車椅子? ということでちょっともやもやした。ただ、こういった主人公、補助装置が登場したのは作者の執筆過程における体調とも無関係ではなさそうだ。
 それ以外の要素については、巨大な石油掘削プラントに対して、テロリスト側もほとんど個人で乗り込んだり、主人公側も無謀を承知で突っ込んだりと、個人の可能性を極限まで拡大・期待するような作風はまさに山田正紀。彼らがどうなるのか、復活するのはわれにあるのは誰なのか、まさに読んで確かめて頂きたい。

 「感傷的すぎるとは思わないか。くだらない感傷のために命を捨てようとしている、そうは思わないか」
 「たしかにくだらない感傷かもしれない」○○は動ぜずにうなずいた。「だけどそれを除いたらおれのような男に何が残る?」


 これですよこれ。格好いいなぁ。(○○は人名ですが多少ネタバレ気味なのであえて伏せてます)。


13/04/13
山田風太郎「明治断頭台」(角川文庫'12)

 もともとは『オール讀物』誌の一九七八年五月号から七九年一月号にかけて連載(一回休載)された作品で、初刊は文藝春秋から一九七九年に単行本が出ている。その後、風太郎明治物の一冊として文春文庫から筑摩書房、そして今回角川文庫の山田風太郎ベストコレクションの一冊として刊行されている。

 維新によって徳川幕府こそ滅びたものの、新たな国家体制がまだ定まらない明治の最初期の頃――。犯罪を取り締まる側が汚職と不正を繰り返していた。官僚の汚職不正を取り締まるために設立されたのが、太政官弾正台。水干姿の優美な青年・香月経四郎と、同僚で後に初代警視総監となる川路利良は、その大巡察として任についていた。香月は早速、権力を笠に庶民虐めをしていた五人の邏卒を取り締まる。フランス帰りの香月は、処刑道具のギロチンを持ち帰る時についてきたエスメラルダというフランス人女性を伴っており、攘夷を唱える人々からの受けが悪く、親代わりの真鍋直次から彼女を帰国させるよう強い要求を受ける。結果なぜか二人が探偵競争をすることになる――。ここまで『弾正台大巡察』『巫女エスメラルダ』
 建物を支える巨大な柱とその周辺に設置されたらせん階段。その脇で胴体を両断された遺体が発見された。近くにいた関係者には犯行が不可能……。 『怪談築地ホテル』
 米国に逃亡した筈の徳川幕府の重臣・小笠原壱岐守。その壱岐守の内儀が妊娠、彼の生き霊が出没するといわれている。壱岐守を追う田鎖左玄という男が、神田川に沈んだ人力車の中から発見されるが、車夫もいない人力車がなぜ川に突っ込んだのか。 『アメリカより愛を込めて』
 後ろ盾のない有能な若者を姻戚でのし上げるために岩倉具視は谺国天という男に女衒のごとく一定の家柄の美女を集めさせていた。その谺が永代橋で欄間に紐をくくった首つり死体として発見される。 『永代橋の首吊人』
 築地ホテルの屋上から望遠鏡で覗いた先でヘボンの弟子・岸田銀次郎らが人気の女形を介抱している姿を目撃。一方、芸者の菊千代が誘拐され、犯人は菊千代の兄に父を暗殺されたという賀川という人物だった。 『遠眼鏡足切絵図』
 汚職事件の容疑者宅を邏卒が張り込みをしていたすぐそばで、首を切り落とされ、糞尿にまみれた裸の大男の死体が発見された。死体の主は不明……。 『おのれの首を抱く死体』
 真鍋の叔父からの依頼でエスメラルダが訳していた書物が危険思想を孕むと、罠によりエスメラルダが逮捕、死刑にされることが決まった。これに対して香月が取った策は……。 『正義の政府はあり得るか』 以上八篇による連作集。

本格ミステリと時代性との結合、大胆に過ぎる動機、明治物特有の現実感。連作短篇集のお手本
 最初の二篇は全体へのプロローグというか、登場人物と時代背景の紹介のような位置づけで、特段の謎はない。ただ、そこに居たかもしれない実在の登場人物を適宜配置するという風太郎流の時代小説作りは健在で、いきなり歴史的によく知る人物が現れるなど、過去を舞台にしているとはいえ、どこか現実と陸続きであるような錯覚が引き出されている。
 さて、本書が高く評価される理由は、やはり本格ミステリとしての興趣。本書自体が連作ミステリの歴史的意義といっても良いくらいだ。いろいろな角度から分析しても、アイデアがきっちり詰まっていて隙が少ないのだ。
 そういう意味で個々の短編について、ひとことで特徴をいうならば、トリックと明治物との不可分の関係、ということになるだろう。使用されている小道具やトリックなど、明治の時代という裏付けがなければ使用できないものばかりなのだ。逆にいうと、明治時代を強く意識させるトリックを用いて作品を構成している訳で、さりげなくも本格ミステリが、あえて別の時代や世界に題材を取る際に、現代では必須と思われている要素「必然性」を満たしているということになる。理論や評価としての本格の定義がまだまだ定まらない時代にあって、その精神が遵守されているところは本当に凄いことだ。
 たださすがに現代感覚で読むに道具立て以外の”トリック”という意味では若干使い古されているタイプのようにもみえるが、それでも発表時期を考えると、それはそれでやはり凄いこと。

 さらに本書の評価を別の意味、特に物語的に高めているのはラスト『正義の政府はあり得るか』であろう。一旦解決された事件がひっくり返されることはもちろん凄いのだけれど、その背景であるとか、ベースになっている考え方などが狂気じみている。その狂気がまた我々にも理解できる狂気というのが凄く、物語の結末の破滅的な雰囲気を多いに助けている。

 明治物は、なんとなく老後の楽しみで一部しか読まずに取っておいてある──のだが、いろいろあって手に取った。もっと早くに読んでおけば良かった。風太郎歴史小説としての哀歓といった風味も確かに深いのだが、同時に本格ミステリとしての興趣がここまで素晴らしいとは考えていなかった。(考えてみると探偵役が各話で推理をするのではなく、エスメラルダお託宣によって解が示されるという趣向ですら、機能的な意味がある訳で)各種ミステリのガイドブックで高評価を得ていることも素直に納得できる一冊。


13/04/12
沼田まほかる「痺れる」(光文社文庫'12)

  真梨幸子と並び、現代女性イヤミス作家の二大巨頭扱いされる沼田まほかるの短編集。『小説宝石』誌二〇〇五年八月号から二〇〇九年四月号にかけてに発表されたノンシリーズ短編を2010年に光文社で単行本化、本書はその文庫化である。

 初期の痴呆に入りかかった老女が物入れのなかのある物の整理を決心する。しかし集中力も体力も欠いてしまっており息子・篤志とのやり取りが辻褄が合わなかったり、息子の後妻の名前を間違えたり。一方で過去の姑とのやり取りを鮮明に思い出したり。果たして彼女が戸棚に仕舞ったある物とは。 『林檎曼陀羅』
 通勤の帰り道に暴行された女性。彼女は妻子持ちの男性と不倫関係にあり、二度も中絶を経験していたがレイプ犯の行為も、不倫相手の行為とどちらが非道なのか判断がつかなくなってしまい……。 『レイピスト』
 山間の別荘地で一人暮らしをする女性。寂しい生活にも慣れてきていたところ、学生らしき男が庭に入りこんでくる。庭の片付けをする代わり、少し厄介になりたいという男の申し出に彼女は思わず頷いてしまう。 『ヤモリ』
 死期が間近となった曾祖母の口から出るギッチャンという言葉はどうやら儀一なる人物らしい。お嬢様だった曾祖母が不注意から起こした火事で、自分の娘を犠牲にして彼女を救った使用人のことだった。 『沼毛虫』
 大きな古い家で一人暮らしをしている女性。庭でトラブルに巻き込まれた彼女を救った家周り何でも屋は、その後も何かと傷んだ家周りの修理をしては適正な料金を請求してくるが、きりが無い。 『テンガロンハット』
 幼い頃にたこに絡め取られた女性絵の春画を見せつけられた経験のある女性は、映画館で横に座った痴漢に身体をまさぐられ……。 『TAKO』
 共同ゴミ捨て場の分別に情熱を傾ける隣人に対し、殺意を頂いた主人公は完全犯罪を計画、ある晩に実行に移そうとするのだが……。 『普通じゃない』
 家の庭を褒めてくれる男。レズの恋人を持つ妹、その恋人の母親との奇妙な関係。 『クモキリソウ』
不倫相手の妻はとてつもない包容力で夫を世話しており、別れて主人公と一緒になるという願いすら叶えてしまう。主人公は劣等感にさい悩まされ新たに夫に当たるが。 『エトワール』 以上九編。

徹底したリアリズムで心理から情景からを描写する一方で、与える効果を計算して大胆に読者に委ねる
 まあもちろん”イヤミス”ではあるのだけれど、単にダークな読後感を呼び込む物語作りという側面よりも、嫉妬や不幸や痴呆といったネガティブ状態の感情を、強烈なリアリティを再現していることがポイントのように感じた。誰もが共通して持つ「厭」さを、丁寧に紙上に再現することで「厭な物語」を創り上げているということだ。レイプや痴漢、不倫といったアンモラルな事柄についても避けず、というか正面からぶつかっていて、すくなくともフィクションとして、読者の感情にざらりとした何かを擦りつけることには成功している。 扱っている対象がタブーだとか、そういった批判は的外れ。こういうかたちでしか表現し得ない感情もあるのだろうし。

 系統としては二つ、普通に厭な話とユーモア混じりでの厭な話とある。
 まず前者筆頭は冒頭の『林檎曼荼羅』。認知症となってしまった主人公を内部から一人称で描写する。時間経過の途切れ方、息子の嫁への言動、突然の過去への脳内スリップ、食欲。これ以上に惚けた内容だと読者はついてゆけないし、これ以下の正気では小説の効果が減殺されるうえ、本人のアイデンティティが揺らがない。正直、ミステリとしては微妙ながら、文学的には傑作とみる。 また、穏やかで平穏な生活が、若い男性の闖入者を許した結果、元に戻るだけというのが許せなくなるというダークな感情を静かに描いた『ヤモリ』も印象に残る。
 後者では、気の弱い独身女性とサイコめいて押しつけがましい家周り何でも屋とのやり取りを描いた『テンガロンハット』。通じたつもり、判ってもらったつもりが伝わってないディスコミュニケーションの絶望をユーモラスに描く。姉さんが来なかったら果たして。またラスト一行の絵的なおもしろさが群を抜くのが『普通じゃない』。これは実写じゃなくて脳内で笑うのた一番のようにも思う。

 九編それぞれかなりレベルが高く、短編としてのキレも相まって一冊としてのインパクトが高い。 草や庭といった植物系キーワードが多いように思うのと、三十代、四十代の幸福ではない女性の内面描写が冴えまくっているところがポイント(意味があるかはとにかく)。沼田まほかるらしいダークなざらざら気分を堪能できますよ。


13/04/11
石持浅海「カード・ウォッチャー」(角川春樹事務所'13)

 書き下ろし、ノンシリーズ長編。

 飯田橋に工場のあった塚原ゴム。工場は移転したが、小規模の研究施設は依然同じ場所にあった。同社の基礎研究チームに所属する下川が、夜中にサービス残業をしている最中に椅子が壊れ、転倒、手首に怪我をした。痛みが引かず病院に行ったところ、仕事中の怪我なので労災だと家族から労働基準監督署へ連絡がゆき、塚原ゴムに臨検が入ることになった。労災隠しだけでなく慣例的なサービス残業をはじめ、後ろ暗いことの多い同社だったが、研究総務の小野やその上司・米田は上層部からも隠し事をするなとの指示に従う予定だった。しかし、調査員の訪問直前、倉庫で研究員の一人が死んでいるのを発見してしまう。死体は、所内でも最もサービス残業がひどく、当日も顔色が悪くて足下がふらついていた八尾だった。ただでさえサービス残業で追究を受けることがわかりきっているなか、よりによって当日過労死が発覚となっては会社存続すら危うい。遺体を動かすと犯罪になるため、米田は小野に対し、死体を「見なかったことにする」よう指示をした。発見が遅れるだけであれば罪には問われない――。塚原ゴムを訪れた調査員は、北川寛男と介良幸伸。二人は威圧感もなく穏やかな微笑みをみせながら、書類やサーバをチェックし、所員からヒアリングを実施してゆく。このままなんとか臨検をやり過ごせると小野は考えていたのだが……。

一昔前の日本企業のリアル。典型的な石持ミステリではあるものの企業ドラマにどうしても目が行く
 特定企業内部で当たり前とされてきた常識や慣習が、黒船(労基署)の来襲によって自分たちの置かれている異常な環境に気づいてゆく過程がリアル、というかおもしろい。社員が皆、知識や情報として持っている「当たり前の状況」が、自分たちに当てはめられなくなっているという思考停止が本当に日本企業らしいのだ。  というのも、おっさん面していうならば、現実に十数年前のコンプライアンス云々が流行る以前の日本企業って多かれ少なかれ、こういった利益優先社員軽視の社内常識がまかり通るという側面があったから。(うおー、心当たりありまくりだ)会社内で明確に許可が出ているワケではないけれど、暗黙の圧力というか習慣みたいなものは、確実に存在している。一定時間以上は残業はつけないとか、上司より先に帰られないとか、有給休暇は病気や怪我以外では使用できないとか。高効率労働より長時間労働を尊ぶ雰囲気だとかもそう。こういった「負の常識」が(予想通り)物語上で覆されてゆく展開がテンポ良く、文体も軽いのでさくさくと読書が進む。
 かつて吉村達也氏が著作のなかで「サラリーマンは会社のためにっていうけれど、そもそも会社ってなによ」(意訳)といった趣旨のことを述べていたことをふと思い出した。個人のコンプライアンス違反は会社は庇ってくれないんですよね。
 ──閑話休題。
 もうひとつ、本書で感心したのは、複数のサラリーマンのタイプ違いの心理描写を実にさりげなく、巧みにこなしているところ。石持氏も(信じられないが)現役サラリーマンだから、ということかもしれないけれど、様々なタイプのサラリーマンがそれぞれ実にリアルに描写されている。 作家の想像力で書かれた「会社員」というより、ビジネス雑誌に登場するようなビジネスパーソン。むしろ、石持作品という枠内で限っていえば、いつもの作品に出てくる人物より、本作登場人物がより人間くさく感じられる。研究所員なのに。

 さて、序盤から死体は出てくるけれど転がっているだけ。終盤残り四分の一くらいになってようやく臨検調査員によって論理的展開で不在の人間の存在が浮かび上がり追求されてゆく過程は石持作品ならではの緊迫感。誰も犯人たる存在がいないようにみえながら、実は……、という展開と、想像される悲劇は哀しい。それらしいエピローグも皮肉が効いている、というかこれが「現段階」の一般的会社像という感じを受けますね。

 石持氏らしいといえばらしく、らしくないというとらしくない長編作品。あらゆる会社勤めビジネスパーソン兼本格ミステリファン向け。(結構そうすると母体は大きいなぁ)。