MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/04/30
古野まほろ「パダム・パダム Eの悲劇'80」(光文社'13)

 『命に三つの鐘が鳴る Wの悲劇’75』に続く、「天帝」シリーズに登場する二条警視正過去の事件簿。前回から五年が経過したという設定、書き下ろし。

 キャリア警察官の二条実房は、特命を帯びて特例で京都府警の平安署に署長として赴任することになった。折しも京都では“眼喰鬼”と名付けられた連続猟奇殺人犯が跋扈しており、事件発生現場に近い平安署には、その捜査本部が置かれていた。経験の少ない若きキャリア署長の登場に、当然京都府警の面々は面白くない筈なのだが、犯人必検の命を受け、大義名分よりも捜査活動に力を入れる姿に(一部を除き)反発は和らいでゆく。が、その赴任したその夜、眼喰鬼に襲われたとおぼしき死体が発見された。夜中は真っ暗になる糺の森、そして被害者は警戒活動中の警察官であった。警察を挑発するかのような犯人の行動に署員たちは怒りを露わにするが、二条は二条でかつて自分が左翼の過激派学生であった頃の憧れの女性から極秘のコンタクトを受け取った。二条は自らの信念に基づいていくつかの「手」を打ってから、彼女との待ち合わせ場所へと赴く。

本格や小ネタといった従来まほろ要素以上に切れ味鋭い警察描写が鮮烈! 純警察小説の白眉
 古野まほろという作家は、パラレルワールドを舞台に用い、現代に残る華族や上流階級、チートレベル頭脳の人々を登場させることで、どこか我々のいる現実とは浮き世離れした世界を創造する人、というような印象を持っていた。本書の前作にあたる『命に三つの鐘が鳴る』でもそういった側面はあったが、本書ではその甘っちょろい印象が打ち砕かれた。
 小説が実に生臭いのだ。ミステリとして、というよりも警察小説としての「生臭さ」がとても強い。 強大な組織内部に蔓る打算や欲望、建前と思惑といった欲望が、直接的ではなくともかなり赤裸々に描写されていることが、その臭いの最大理由だと思う。
 一応フィクション、パラレルワールド上の警察ということにはなっているものの、その警察組織としての内部構造、すなわち人事的、経理的、総務的な手続きや仕組み、その組織に奉職する人間特有の内部癖や習慣などの警察関係の演出がリアリズムに徹していることがひとつ。そして、作者によるその組織特有の内部的歪みや矛盾を知り尽くしているかのような描写もまたその感覚を裏付ける。作者に関するある噂を聞いたが、本書を読むと宜なるかなと首肯せざるを得ない。新署長が赴任してすぐの挨拶回りの順番や心得といったところなど、暗黙知で廻されている内部行事など資料をいくら読んでも描けるものではないし。

 こういった描写の見事さの延長線上にあることなのだが、一連の事件の始末の付け方が鮮やかにして独特だ。単純に犯人に覚悟をさせてタイホしたり、自殺を示唆するといったレベルではなく、その遙か上をいく組織の対面を保つ特殊な政治決着。実はこの部分がもっともアクロバティックかもしれないと思ったり。
 思わず警察小説的側面ばかりを強調してしまったが、本書はやはり豪腕な変化球ミステリであった。警察署に挑戦するような連続殺人鬼、不可能状況からの消失を成し遂げる犯人……。ただ、正直その事態の奇妙さよりも、それらの一連の事実が示す方向性というものが、見えてくる展開なのだ。正確にはそういう気がした。警察組織を丁寧に書いた分、ミステリ部分は多少手薄なのねーと思いきや、度肝を抜かれました。 マジで。

 いってしまうと巧妙な犯人が仕掛けた罠に読者として見事に嵌められた、とまあそういうことです。恥ずかしながら。あまりにもあからさまなレッドヘリングに食いついた、とまではゆかないまでも、それが真相だと明かされる前から思い込まされていたというのか。そこからの思い切った逆転は、先に述べた警察小説的な側面と離れておらず、その意味でも主題と内容が絡み合った絶妙の作品であると思う。

 ただ惜しむらくは自己主張控えめ、読みやすくなったとはいいつつも独特の空気や会話は健在。元からのまほろファンには当然受け入れられているのだろうけれど、一般に膾炙するためにはどうかなぁ。

 いずれにせよ警察小説と思って読んでもらって十分に収穫かと。まだそれほど「まほろ」度は高くない自分ながら、本作は広い範囲にお勧めできる作品だと考える。

 
13/04/29
鯨統一郎「邪馬台国殺人紀行 歴女学者探偵の事件簿」(実業之日本社文庫'13)

 鯨氏のデビュー作『邪馬台国はどこですか?』等に美人歴史学者として登場している早乙女静香、『九つの殺人メルヘン』に登場し、その後も『浦島太郎の推理』等に登場する女子大生・桜川東子、このヒロイン二人が共演したのが『全ての美人は名探偵である』、この作品に静香のライバル役として登場していたのが翁ひろみ。本作はこの三名の美女が共演するという豪華(?)中編集である。冒頭一作目は講談社『メフィスト』二〇〇八年九月号に掲載されているが、残り二作は月刊『ジェイ・ノベル』(実業之日本社)に二〇一二年に三〜五月号、八〜一〇月号に掲載されており、出版社を跨ぐ作品集となっている。

 美人歴史学者・早乙女静香、桜川東子、そして翁ひろみはある飲み会をきっかけに「アルキ女デス」なるウォーキングの会を結成、早速各地の遺跡のある地のウォーキングを開始する。しかしその場所は何故か邪馬台国縁の地ばかりで、行った先々では必ず殺人事件が発生するのだ。
 佐賀県の吉野ヶ里遺跡で金印が発掘された。書かれた文字からもこれまでの歴史学をひっくり返すような発見の筈なのだが、発見者が発表を躊躇っているうちに殺人が……。 『吉野ヶ里殺人紀行』
 奈良県にレジャーランド〈YAMATAI〉を建設しようと企画を進めていた女性社長が不審な死を遂げた。その二年後、執念で関係者を回る刑事が何者かにまた殺害されてしまう。 『纏向−箸墓殺人紀行』
 青森県の縄文時代の遺跡・三内丸山付近にある「マロン館」。この付近で連続婦女暴行事件が発生していたが、遺跡アルバイトの女性が施設内で他殺死体で発見された。しかも遺体は、縄文時代風の服装で飾り付けられていた……。 『三内丸山殺人紀行』 以上三編。

まさに三美人の饗宴。軽やかな文体で綴られたミステリながら、鯨統一郎らしい邪馬台国への挑戦
 展開自体はテレビ的。――といっても構わないだろう。歴史のエキスパートでもあるタイプを異にする美女三人が、ウォーキングと称して遺跡のある地方都市に出向いて食べたり飲んだりお風呂に入ったり(多分これ重要)。中編の表題通りに吉野ヶ里(佐賀)、纏向(奈良)、三内丸山(青森)と出向き、地元の名物を食したり(これも重要)、遺跡を散歩したりする。
 ただ、やはりそこは早乙女静香を筆頭にパワフルな女性たちのこと、殺人事件の容疑者となったり、直接犯人らしき人物に襲われたりと事件に巻き込まれ、更には頼まれないのに名探偵役を買って出る(しゃしゃり出る)という展開。本作自体は、力関係三番目にしてこのメンバー内では常識人を自ら標榜する翁ひろみの視点で多くが語られるのであるが、天上天下唯我独尊、我が道を進む早乙女らに対する心の中(だけ)でのツッコミがユニークだ。情報担当と名付けられ、女性週刊誌の情報を集めさせられるなど、彼女の苦労も並大抵ではないのだが。
 一方、本書で取り上げられるテーマはこれまた題名に示されている通り「邪馬台国」。鯨統一郎&邪馬台国といえば、デビュー作『邪馬台国はどこですか?』に続き、宿命(?)的なテーマでもある。ただ、その独特の歴史観や疑問から導かれる歴史推理的要素は本書ではあまりみられず(前方後円墳のどっちが前? という常識破りは面白かったが)、吉野ヶ里で日本の歴史をひっくり返すような金印が発見された! などから開始されるフィクションとしてのミステリが多くの比重を占めている。(むしろ美女三人のやり取りが最も比重が高いともいえそうだが)。そういった意味では創元推理文庫の一連のシリーズとはちょっと一線を画しているものと考えて頂いた方が良いかもしれない。

 かといってミステリとして手を抜いているかというと(軽めであることは否定できないにせよ)そんなことはなく、作品それぞれにレッドヘリングがあり、伏線や手掛かりがあって、意外な犯人が指摘されるという、きっちりとした構成になっている。個人的に残念なのはむしろ、ミステリとしてではなく背景にあたる部分に明らかなフィクションが多かったところの方か。常に高いレベルの作品を要求するのは酷にせよ、それだけ鯨統一郎という作家には期待してしまうのである。


13/04/28
福田和代「東京ダンジョン」(PHP研究所'13)

 『TOKYO BLACKOUT』など、大都市を舞台にした作品を福田和代さんによるノンシリーズ長編作品。『WEB文蔵』にて二〇一一年五月から二〇一二年三月にかけて「メトロの怪人」という題名で連載されていた作品を改題、加筆修正して単行本化したもの。

 大学ではラグビー部に所属していた的場哲也は卒業後は東都メトロに就職、保線作業を業務として現在は銀座線を担当している。勤務中、的場は誰もいるはずのない地下鉄線内で男の人影を目撃、追跡するも逃走されてしまう。その的場は、現在独身で不規則な勤務のため、夜勤明けに時折実家に戻って食事をするのだが、母親から哲也の弟で就職に失敗して現在無職の洋次の様子がおかしいと相談を受ける。『革命を起こせ』等の過激な発言で知られる強面の経済評論家・鬼堂征男の講演会にちょくちょく顔を出しているようで変な友人がいるようにみえるのだという。的場は、母親を安心させるため鬼堂の講演会に一人で乗り込むが、発言は過激だが鬼堂自身の考え方はそうおかしくないものと考えられた。一方、インターネットを中心に東京の地下鉄に「地底人」が出るといった噂が流れ、東都メトロの新線が近々開業するというタイミングで洋次が何者かに頭を強く殴られ入院する。命に別状はなかったものの、早速の見舞いに訪れた講演会を通じての友人だという朝宮なる若者に、的場は胡散臭いものを感じ取る。

日本という国家の抱える諸問題と若者の危機意識と――。
 主人公に鉄道の保線マンという、誰でも知っているけれど地味で、なかなかその仕事の詳しい中身が取り上げられることのない職業の人物を据えている。福田和代さんは、こういった「縁の下の力持ち」を、どこからか引っ張ってきては小説の中心にどん! と持ってきて素晴らしい物語に仕上げる能力に長けており、本書もまた広い意味ではそういった傾向を強く持つ作品である。
 序盤は地下鉄にうごめく謎の存在、そして哲也の弟が通っていたという経済シンポジウムへ。展開はどことなく不自然さがあり、また、そのシンポジウムで大声で議論されている事柄自体は、現在の日本で様々な人間が様々な立場で議論しているもので目新しくはない。先に書いておくと、この議論の中身よりも本書の場合は、本来もっと真剣に将来を考えなければならない若者たちへのメッセージという要素が大きく、個々の議論の中身を味読はすれど吟味しなくとも良いようにも思う。

 主人公の活躍はさておき、当初は脇役としか思えないかたちで登場している強面の経済評論家・鬼堂征男が本書後半で、非常に良い味を出している。一般的な物語でこういったタイプの人物が出てきた場合は、大抵はわかりやすい悪人として、裏でなにやら画策している――といった扱いになるところ。本書では、正義の味方とまではゆかないながら、警察の思惑とテロリストの思惑との狭間で、絶妙に立ち位置をコントロールしながら、自ら考える正義や憂いといったところを世界中に発信することに成功している。彼が、軟禁されかかったある場所から脱出する場面なども、さすがに冒険小説の文脈という工夫とスリルに満ちていたし、あくまで主人公は保線マンの哲也ながら、この鬼堂が全体として、本書『東京ダンジョン』全体を喰ってしまっているようだ。そして、結果的にそちらの方が印象が深くなり、物語のメッセージ性といったところも向上しているように感じられた。
 とはいっても、終盤、命の危険が伴うなか、爆弾物を探しに自衛隊員と同行して次々と地下鉄に潜ってゆく、民間人の男たちの姿は心に響く。

できるのは地下鉄の保線だけだ。その地下鉄が、いま危機に瀕している。会社のためにやるわけじゃない。それが自分の仕事だからだ。自分にも、ひとつだけ誰よりも上手くできることがある。だからやるのだ。

 災害時。非常時。こういった人物たちがどれだけ心砕き、身体を動かしてくれたものか。本書一冊からでも大いに想像できようというもの。

 結果としてミステリやパニック小説、政治スリラーといった既存の枠組みから評価しようとすると、微妙にこぼれる小説作品になってしまっているが、そのメッセージ性は明らか。犯罪を犯しながらも、潔い犯人たち、そして彼らを見守る目線。ある程度の犯罪行為を描いた作品であるにも関わらず、読後感がとても暖かいことも特徴だといえるだろう。


13/04/27
石持浅海「わたしたちが少女と呼ばれていた頃」(祥伝社NON NOVEL'13)

 本格ミステリマニア筋から非常に高い評価を得た傑作『扉は閉ざされたまま』にて初登場した美人でクールな火山学者・碓氷優佳(うすいゆか)。続く『君の望む死に方』『彼女が追ってくる』(こう考えると石持センセは題名を付けるのがあまり上手でないかも)と倒叙長編が続いたなか、彼女の高校時代を、友人の視点で描いた日常の謎の連作短編集が本作。『小説NON』誌平成二三年五月号から平成二五年二月号にかけて不定期に発表された作品がまとめられている。

 特進クラスのある横浜の女子高。入学した上杉小春はクールで物静かな碓氷優佳という級友と親しくなる。出会って早々、優佳は小春に対して深い洞察力を発揮、学校に至る信号機にまつわる伝説の謎を解く。 『赤信号』
 夏休み中に出来た彼氏のおかげ? 級友の一人の成績が急上昇した。男女交際禁止の校則から小春は気を揉むが、優佳は彼女が遠からず別れることを予言する。 『夏休み』
 学級委員長でクラ1ストップの成績を誇るひなさま。彼女には読書しながら飲酒するという悪癖があり、時折二日酔いの症状で学校に来ている。優佳はまた、彼女については心配ないという。 『彼女の朝』
 四六時中手を握り顔を近づけて二人でいる、同性同士の恋人と思われる二人。優佳はその二人のことは心配ないのだという。 『握られた手』
 医者の跡継ぎながらこっそり漫画家を目指すカッキー。周囲は彼女の志低い志望校選びが気に入らない。しかし確固たる目標のある筈の彼女が志望校を上げてきた。背景に友人のアドバイスが? 『夢に向かって』
 受験を控えての女友達で行った初詣。その道行きで友人のサッサが転倒、利き腕の右腕を骨折してしまう。うろたえていた彼女の態度がある日から前向きに変わった。その変化を悪い方に予想した友人がいた。 『災い転じて』
 受験終了後の打ち上げで優佳が体験した年上の男性たちとのロマンス? が肴になる。優佳「素敵な人」と称したのは四人の男性のうち、誰だったのか。そして小春は三年間を振り返り、優佳についてあることに気付く。 『優佳と、わたしの未来』 以上七編。

碓氷優佳は「昔から碓氷優佳だった」のではなく、無自覚名探偵・碓氷優佳だった? そして切り口・石持流「日常の謎」
 名探偵が登場する物語を描写する際に、その探偵役の魅力なり能力なりを読者にわかりやすく伝えるための伝統的な手段がある。ホームズの頃から現代に至るまで有効な、その方法とは「序盤で、ほんのちょっとした手掛かりから飛躍した推理を関係者に見せつけて、感嘆させる」というやり方だ。近年はこれを逆手に取ってパロディに使うような作品もたまに見かけるが、既に頭脳明晰のクールビューティとして数々の石持作品に登場している碓井優佳の場合は、その飛躍した思考が高校入学直後のエピソードから表現されており、本編の語り手となる上杉小春を大きく驚愕させている。
 高偏差値大学への進学が前提となる女子高特進クラスという舞台は、論理的思考を持ち知能レベルの高い人物が比較的よく集まることの多い石持ワールド(というか石持氏の作風そのもの)との親和性が高く、皆が皆、論理的な思考能力・会話をするといった登場人物の描き方は従来の延長戦でぶれがない。珍しくラノベ風のイラストが入れられており、雰囲気は和らげてあるものの、読めば普通に「いつもの石持ミステリ」なのだ
 男性作家が描いた理想(?)の女子高生活なので、実際とは異なるものとはいえ、各種の風物詩が取り入れられていて違和感はあまりなかった(つーか、自分も男性だからかもしれないが)。そんな彼女らの「日常」そして、その「日常」に潜むちょっとした秘密を、小さな手掛かりから碓井優佳が解き明かしてゆく、オーソドックスな日常の謎ストーリー。その謎の設定やレッドヘリングの(女子高校生にしては)異常性があったりするところ、石持氏らしさがにじみ出ていて、古参の読者としてはむしろ安心。そして、そのアクロバティックとも思える論理の着地点は鮮やかで、時に残酷なのだ。

 漠然とラスト数ページに関することは「腑に落ちない」くらいに感じていた。――友人に関する出来事、事前に分かっているなら、もっと早く対処してやりゃあいいのに、とか。だが、流石にシリーズ通じて、まさかそういう主題が隠れていたとは見通すことは全く出来ず。ラスト数ページにおける謙信による優佳像の再評価の部分、ある意味では本書でもっともサスペンスフルだったかと思う。 うまくいえないが、現在の碓氷優佳と比べると、本作の碓井優佳は間違いなく同一人物の過去像ではあるが、彼女が自覚的に自分自身を確立する前という危うさがポイントだ。ラストのこのひんやりした感覚――、日常の謎でも石持ミステリはクールである。いろんな意味で。


13/04/26
古野まほろ「天帝のやどりなれ華館」(幻冬舎'13)

 天帝シリーズの六冊目にあたる作品。一作目にあたる『果実』と『御矢』の中間にあたる作品で、シリーズにおける通常の語り手であった古野まほろは登場していない。本シリーズは講談社ノベルスで刊行されていた作品が「新訳」として幻冬舎で大幅な改稿版が再刊行されているなか、幻冬舎からの新作として出ている作品のひとつ。

 子爵令嬢・修野まりの要人ゴルフを中心とした東京旅行に同行、勁草館高校3年で吹奏楽部に所属する柏木照穂と峰葉実香。彼らは東京駅の丸の内側にある由緒正しいステーションホテルの最高級タイプの部屋に宿泊する。そのフロアにはお忍びで日本を訪れていた米国政治家の要人、日本帝国陸軍元帥、推理小説作家、銀行の女性頭取ら、超VIPが陣取っていた。しかし、このタイミングを見計らったかのように都内で兇悪な致死性ウィルスを用いたバイオテロが発生、何者かの意図によってこのホテルのフロアも不審な贈り物等による感染者が発生、帝国陸軍による物理的な完全封鎖が実施され、柏木と実香は完全に隔離されてしまう。パンデミックの危機を抑えるため、陸軍の指揮官は表向きはどうあれ、ホテル内部に残された関係者全員の滅殺を決意。一方、封鎖のタイミングはホテルの外にいたため難を逃れたまりは、己の特殊能力と立場をフル活用して二人を救おうとする。一方、感染者と非感染者に区別されていたホテルの内部でも、感染を拡げんとする謎の人物が暗躍する。

パンデミックの恐怖+権謀術数の組織小説+数々の蘊蓄に論理的本格ミステリ。
 太平洋戦争に敗北しておらず、貴族制度が色濃く残っているパラレルワールド現代日本という設定。もちろんこの程度のフィクションは当世珍しくもなく当然ながら許容範囲。個人的には、古野まほろの独特の状況・会話表現技法にも慣れてきたし、単体どころかシリーズ通して読んでも理解できないサイド(バック)ストーリーがあることも理解した(あくまで存在することを、だが)。講談社ノベルス時代、厚みに閉口したうえに語り口が肌に合わず、早々に諦めたことも今となっては笑い話(自分のなかで)。いやいや本作、そういった過去を笑い飛ばせるくらいに、独特の切り口語り口ながら素直に面白いエンターテインメントして読めました。

 鼻持ちならない華族階級かそれに近い階層に位置する、だけど頭脳的にチートな主人公たちが巻き込まれる、テロや陰謀が動機・理由となる理不尽で不可解な事件、というのが基本的な天帝シリーズの構成と認識しているのだが、本書もまた大きなその流れに逆らうものではない。ただ、本書の場合、その方向性のなかでも特段に凝った趣向に唸らされた。

 東京駅ホテル。エボラ出血熱、ウィルス囲い込みの完全なる密室。しかも原因はテロ、狙われたのが米国からお忍びで来ている国賓。 なんというか必要事項を網羅するための構成に隙を感じさせない。密室やパニックといった、この作品をミステリ的成立させるに必要な要素構成が、緻密かつ厳格に律されている。無駄がなく余剰もない。唐突に思われる事柄も伏線として後から効いてくる。まあ、そうでなければなかなか読者への挑戦を挟むだけの、作者の自信は成り立たないのだろうけれど。
 加えて、一連のエボラ出血熱の感染者が皇居前や銀座で炸裂する場面と、東京駅に繋がり、ホテル封じ込めに至る展開はパニック小説として読んだとしても十分な迫力、そして説得力を備えている――のだが。物語の(ミステリとしての)主題は、そうやって最低接触感染が確実なエボラ出血熱の患者がクローズドサークル内にいるという、そもそもパニック小説に成り得る素養を控えながらもやっぱり本格ミステリであるところがユニーク。但し、本作については結末結論は同じなか、必ずしも内部の人間が論理的にその謎を解き明かす必要があったかどうか、というあたりは微妙に疑問なのだけれど、それもご愛敬か。

 細かい話だが米国国賓に昼食として修野まりが蕎麦を勧める場面があり、その流れるような、かつ説得力ある説明には唾を飲み込んだ。蕎麦が国賓向け食事にも我々の立ち食い食事にも両立して存在している理由、そして内部の区分について寡聞にして初めて触れた。感心したぜ。
 読了後にネットの感想にもいくつか触れたが、従来の古野まほろ作品に比べると本書はかなり「読みやすく」なっている模様。だから面白く読めたのかもしれないけれど、それにしても自覚的な独りよがり、独特の言葉遣いや世界観も含めたオリジナリティを強烈に主張しながら、一般的エンターテインメントとして十二分に読ませる作品であることは間違いない。 大きな流れのなかの一冊ながら本書から読むという選択も全然大丈夫です。


13/04/25
小路幸也「蜂蜜秘密」(文藝春秋'13)

 『別冊文藝春秋』二〇一一年七月号から二〇一二年七月号にかけて連載された長編作品の単行本化。小路氏が本来ファンタジー系統の作家でもあったことを改めて思い出すような美しい作品。ノンシリーズ。

 峻険な山脈に囲まれ自動車が直接入り込める道路はなく、森の端っこから馬車を使って向かったところにあるポロウの村。この村は不老不死ともいわれるほどの伝説を持つ「ポロウの蜂蜜」の産地として知られており、養蜂と、蜂蜜で成立している。この村には、この土地でしか育たない希少種のポロウミツバチがおり、大きな音を嫌うのだ。また同じく固有種である植物・キングサリーがあり、この二つが揃ってはじめて「ポロウの蜂蜜」が出来るのだ。このポロウの村の農学校に転入してきたのがレオだった。整った顔立ちと洗練された立ち居ぶるまい、明晰な頭脳。「奇妙な天才」と呼ばれる彼は、キングサリーを代々育てるロウゼ家の娘、サリーともすぐ仲良くなるが、彼にはどうやら他人に心を許していない様子があり、また自身の出自や能力に秘密があることを隠していた。ただ、あくまで普通の学生として過ごしながら、少しずつ村の秘密を探るレオだったが、徐々にその能力が村人の眼にもとまるようになってゆく──。

久しく小路さんから出てこなかった正統派ファンタジー。欧州の架空の村に隠された歴史と秘密とは
 今のところ『東亰バンドワゴン』のシリーズが代表作とはいえ、音楽を扱ったり、小学生〜高校生な学生生活だったり、社会人の日常だったり、国内だったり海外だったり。出てくる作品ごとに、どんな背景、設定、小道具が使われるのか、全く先読みを許さないのが小路作品の魅力のひとつである。雑誌までは追えていないので、単行本で「どんな話なんだろう?」と思ってページを開く時のどきどきが、やっぱり魅力だと思うのですよ。うん。
 本作題名が変わっている。蜂蜜、秘密。秘密は蜜の味とかいうけど、この二つをくっつけて小説の題名にするというのは相当珍しい。だが、物語は実際、そのまま「蜂蜜」の「秘密」だったという──。 ただ、小説世界的なリアルを維持しつつ、微妙なファンタジー感を織り込む世界設定が、実に小路ワールドらしいのだ。
 ある程度のネタバレを含むのだけれど、冒頭より不思議な能力をみせる主人公、どうやら普通の人間ではない。ここまでは良い。だが、彼はどういう意味で普通の人間ではないのか、という部分の見せ方(謎の引っ張り方ともいう)がとても巧い。どこか、欧州の少し昔の、封建制と迷信とが残った世界だという印象が、主人公という異物が入ることで世界の成立から歪む……ちょっといいたいニュアンスにぴったりはしないが、そんな感じを受けた。
 世界でも珍しい蜂蜜の産地として、一定の繁栄を享受している村。それ単体では何の問題もない筈なのだけれども、外部の(どうやら東洋っぽい)研究者のトク先生が見つけた、村の人々に無視されている重要な事実から、微妙に何か村自体に秘密があるようにみえるのだが。ただ、語り手側に村の有力者の娘が入り、別の有力者の跡継ぎも語り手側につくなか、村に秘密は本当にあるのか? という疑念も湧くわけで。何が起きているのか、何が問題なのか、それをぼかしたままで物語が進行してゆく。ただ、レオの謎めいた行動と独白が村の謎と共に読者をぐいぐいと引きつけていくので、目を離せない。
 結末自体は明かせないものの、本格とまではゆかないミステリ的要素があり、少し驚いた。レオの正体、かつてこの村で起きた出来事。更に現代になぜその出来事が繋がるのか。明かされると納得できる内容であるのに、一つ一つが明かされる過程において、かなり驚いた(ミステリ的に)。 フェアでもないけれど、サプライズの質は紛れもなくミステリだよなぁ。

 黄色い表紙が目印。剣と魔法という意味ではないけれども、あくまで正統派のファンタジー小説。テーマ的にも、内容・展開的にも「おとぎ話」的要素が強いのに、あまり子供向けだと感じさせないのは構成や骨組みがしっかりしているからか。少なくとも小路ファンであれば読む価値のある長編かと思う。


13/04/24
小路幸也「フロム・ミー・トゥ・ユー」(集英社'13)

 祝テレビドラマ化決定! そもそもが昭和期のホームドラマをリスペクトすることから開始された家族小説。今回は短篇集ということで、集英社WEB文芸RENZABUROに掲載された作品や「青春と読書」「小説すばる」といった小説誌に発表された作品、さらに書き下ろしが三編加えられている。

 我南人がいきなり連れてきた赤ん坊・青。長ずるにつれ自分の生い立ちから微妙にぐれはじめたものの、我南人はその斜め上をゆく解決を示してきた。 『紺に交われば青くなる』堀田紺
 小説雑誌の過去号に掲載された無名新人の推理小説。その小説の道筋通りに勘一は祐円と共に写真を撮影しながらすずみをお供に幼なじみが入院している病院へと向かう。『散歩進んで意気上がる』堀田すずみ
 堀田家の大恩に報いたい記者の木島は、マードックに関する悪い噂を聞き、迷惑をかけずに確認したいと藤島に相談する。 『忘れじの其の面影かな』木島主水
 亜美独身時代。一人旅の北海道でバッグを無くして途方に暮れた彼女。相談した交番の前を似たバッグを持った男が通りがかり……。 『愛の花咲くこともある』脇坂亜美
 新進IT企業の社長である藤島。相棒の三鷹が行方不明だが事業を必死で守っている。そんななかぽかりと空いた数時間、気になっていた「東京バンドワゴン」を訪ねてみることにする。 『縁もたけなわ味なもの』藤島直也
 養護施設に育ち、家は無いと自負する不良娘・秋実の喧嘩を引き取ったロックンローラーたち。特に変なしゃべり方をする男に優しくされて。 『野良猫ロックンロール』鈴木秋実
 イケメン旅行添乗員だった青。何気なく参加した合コンで知り合った女性がすずみだった。彼女と順調に交際するも青とすずみは一度は別れを決意。友人たちが翻意を促す。 『会うは同居の始めかな』堀田青
 学校のバザーで東京バンドワゴン・ワゴンという古本販売企画を小学生の研人とその同級生メリーが手伝うことに。販売した一冊の本を見た校長先生の様子がおかしくなって……。 『研人とメリーの愛の歌』堀田研人
 藍子の後輩でつきあいの長い真奈美に花陽が、実の父について質問をする。真奈美も藍子に話していないその人物についての秘密があった。 『言わぬも花の娘ごころ』千葉真奈美
 「柿のコロッケ」。レシピは不明。妻を亡くした父親が子供のために作りたいという料理を真奈美の紹介で料理人のコウが手伝うことに。コウはその男性から真奈美の過去について聞いてしまう。 『包丁いっぽん相身互い』甲幸光
 この数年間違いのなかった朝刊が届いていない。配達担当の学生が堀田家の前でぼうっとしたかららしいがその理由は意外なところにあった。 『忘れ物はなんですか』堀田サチ 以上番外編ばかり十一編。

シリーズ読者へのすばらしいプレゼント。想像のスキマを埋めつつも新たな想像がまたまた羽ばたく
 ボーナストラック、ないしお年玉? これまでの作品の隙間や作者が抱えていた設定などが「物語」として提供される、ラブに満ちあふれたある意味「待望」された作品集。 一作一作の完成度がかなり高く、恐らくは数多くいる登場人物に多くの裏設定があると思しきシリーズであり、これまでも一行だけ、数行だけ触れられてきたエピソードは数多くあって。でも、普通はそれらが改めて物語にして貰えるのは希有なこと。が、本書はそれが実現された、やはり希有にして待望の短篇集だと素直に喜ぶべきだろう。
 これまでもこの堀田家大家族については、多くのエピソードが語られてきているが、ベースとしては(基本的に)「堀田家」「東京バンドワゴン」という家中心の話となりがちだった。堀田サチという、特有の個性(?)を持った女性が語り部になる話が多かった以上、思い切った過去エピソードテーマの巻以外、現在進行形の物語が多くなるのは致し方ないところ。一方、本書は最初から堀田サチ視点を捨て去って、登場人物の一人称にて「その当時」のエピソードを「その当時」の登場人物が過ごす(語るのではなく、進行形)物語群なのだ。 時代はいろいろ──になるのだが、物語手法ゆえにそれぞれが実に瑞々しい。

 個々の作品でどれが好きか──というのも、これまで誰に、どんなエピソードに読者が思い入れを持っているかによって異なるだろうけれど、個人の感覚では亜美のエピソードや、青のエピソードなど、女性陣が堀田家の男性との関係性を育んでゆく話が気に入っている。あくまで個人的に、ですけどー(誰に言っている?)

 東京バンドワゴンのシリーズは春になって刊行されると(読む時期は年内のいつかになってしまうこともあるけれど)、自動的に購入している。カバーをかけてもらうので、帯には「番外編」としか表側に書いてなかったし、手に取って開くまで短編集だということに気づいていなかった。
 何がうまいって、「誰の」物語なのか、目次だけじゃ判らないこと。どうしても順番に読んでゆくことになる。また、時系列の飛び方がばらばら。だって秋実さんが旧姓で、登場人物として出てくる話なんて今まであったっけ? そういった意味で順に読んでいっても全く先読みが出来ない。でも、それぞれがピースとなって、これまで埋まっていなかったパズルを埋めてくれる。そんな贅沢な作品集。シリーズ読者はまず必読、と。


13/04/23
津原泰水「たまさか人形堂それから」(文藝春秋'13)

 商店街にあって人形の修理をメインに生き残りを図る人形屋「玉阪堂」のオーナーの澪、人形製作の確かな腕を持つ冨永や師村といった面々を中心に繰り広げられた人間模様がミステリ仕立てで描かれた『たまさか人形堂物語』の続編。全五編のうち三編が『別冊文藝春秋』で発表されており、『ピロシキ日和』『雲を越えて』は書き下ろし。

 OLをリストラされ祖父母が営んでいた小さな人形店「玉阪人形堂」を受け継いでしまった三十台独身の澪。資産家のお坊ちゃまながら人形師としての技術とセンスを持つ、押しかけアルバイトの冨永、事情から表に出たがらないが日本人形師としての凄腕を持つ師村、普段はラブドール製作会社の社長ながら、様々な人形に詳しく腕も確かな皮肉屋。束前。澪は個性の強すぎる彼らに囲まれながらなんとか「玉阪人形堂」を運営してゆく。

 顔に油性マジックで落書きされたリカちゃん人形。澪は安請け合いするが、樹脂に顔料が染みこみ、冨永らは修理不能の判定を下す。一方、女性人形師・五十埜がグループ展に出展した人形が何者かによって引きずり倒される事件が発生、玉阪人形堂で修理することになった。 『香山リカと申します』
 老女がかわいがると髪が伸びるという市松人形。それを持参してきたのは見た目と言動ががかなりやばいミュージシャン系の若い男だった。 『髪が伸びる』
 前作に続くエピソード。小田巻姫が海外で発見されたという噂。果たして本物か偽物か。玉阪人形堂の面々が身分を偽って現在の持ち主だという男のところに乗り込む。 『小田巻姫』
 ボルトで創られたジョンスコ人形や、古いマネキン人形の修復にあたり、急激なスランプに陥ってしまった冨永。割れて顔面が粉々になった人形の修復にかかる師村。人形師の気持ちが知りたいと人形製作教室に通う澪。それぞれの苦悩とアイデア、距離。 『ピロシキ日和』
玉阪人形堂に飾られている人形たち視点の物語。 『雲を越えて』 以上五編。

小説なのに現実(リアル)を超えて人間味が溢れる。津原泰水、珠玉のセンスと超絶技巧。
 たった五編の短編、厚みも薄い短編集である。シリーズの続編で主要登場人物は既にアタマに(朧気だけど)入っている。筋書きだけを辿ると、実はそう突飛なものではない。登場人物に何か出来事や事件を絡めた化学反応が描かれている。――であるにもかかわらず、読了に同じ厚みの小説の三倍くらいの時間をかけて読むことになった。 それもこれも、小説に横溢する種々の技巧を味読したが故。本当に、そこかしこで「うあ、この表現うめぇ」と唸っていたからだ。
 人形製作を生業にして生きる人が一般的ではない(絶対人数として)のだけれど、ここに流れる、本書における日常風景が、下手をすると我々読者が生きている現実より遙かに「日常風景」にみえる不思議。 たとえばピロシキを巡るエピソード、ジョンスコというアーティストを巡るやり取り(を通じて、自分だけ知らないシュミの世界の奥深さが語られる? と、少し違うか)。登場人物とリカちゃん人形の絡み、そして第一話で登場したリカちゃん人形が、どのように使われてゆくのか。基本的に「人形」というものをアーティスティックに扱う人々の物語である一方で、芸術家肌の感覚だけではなく、日常を織り込んだことによるリアリティが鳥肌立つほどすごいのだ。
 第一話に登場する創作人形作家の五十埜さんの人形つくりに際し、澪が「手足がない」ことを指摘して初めて本人が「そういえばそうですね」と頷く――、このシーンから芸術家の常人とは異なる感覚が垣間見え、読んだ瞬間背筋が凍った。そういった「日常」のすさまじい描写が続くおかげで、どうやら読者としてのこちらの感覚も鋭敏になったみたいで。

 その意味では、一冊目に収録された短編からこぼれたエピソードを拾遺するかのような構成も、恐らくはその本作における「日常」を演出するための手段とみる。つまりは、人生は短編小説のように輝く瞬間もある一方、死なない限りはその瞬間も含めて継続してゆくものなのだ、と。

 それでいて本格ではないながら、人間心理や人形の構造をうまく用いてミステリになっているところもスバラシイし、作品によっては登場人物の活躍に溜飲を下げる展開もある。登場人物が皆、壊れそうに繊細であるにも関わらず「生」が生々しく迸っている。 いやあ、本当に不思議な小説である。自分がいうと怒られそうだが、玄人受けしそうな作品集という見方もできそうだ。
 強いて不満を挙げると、一冊目の単行本と題字サイズ含め背表紙が違いすぎる。並べて美しくない。


13/04/22
大倉崇裕「福家警部補の報告」(東京創元社'13)

 『福家警部補の挨拶』『福家警部補の再訪』に続く、シリーズ第三弾。順に『ミステリーズ!』vol.44〜45、vol.47〜48、vol.51に掲載された作品三編が単行本にまとめられたもの。近年の単行本では珍しく雑誌連載中に掲載された挿絵が再録されている。

 学生時代からのつきあいでプロの漫画家を目指して同人誌を合名で作っていた河出みどりと三浦真理子。みどりは出版社の目にとまってデビューを果たし、実力派の漫画家として着実に名を広める一方、芽の出ない真理子とは袂を分けていた。漫画家をあきらめた真理子は有名出版社・湧泉舎に入社し、敏腕営業部長として活躍。いつの間にか、みどりの連載についても口を挟めるだけの実力を勝ち取っていた。結果、みどりと真理子の立場は逆転していた。自分の新連載がつぶされかけていることを察知したみどりは、話し合いをするために真理子の住むマンションに乗り込むが、彼女のけんもほろろな対応に腹を立て、発作的に殴り殺してしまう。 『禁断の筋書(プロット)』
 先代の死をもって解散した暴力団「栗山組」。組員は栗山組の番頭格の菅原の尽力によって、カタギに戻っていた。しかし先代の息子・栗山邦孝の、小学生の娘が誘拐された。犯人は邦孝の義弟でヤクザを続けていた次郎。要求は身代金ではなく、解散のきっかけになった宿敵・飯森組への殴り込みだった。菅原は別の弟分・近藤を介して次郎とコンタクト、隙を見て二人を殺害し相討ちしたかのように偽装した。 『少女の沈黙』
 銀行強盗を計画していた三人組が、ワンボックスカーの内部で爆死した。彼らはそれ以前に爆弾を利用した宝石店強盗を行っており、誤爆かと思われた。しかし実行したのは車椅子の老女と、その夫で、彼らは法で裁かれないような犯罪者を慎重な計画のもと殺害していた。 『女神の微笑』 以上三編。

実は着実にコロンボシリーズを超えつつあるのではなかろうか。福家警部補の洞察、素晴らしい
 このシリーズ、作品を重ねるにつれ、いろいろな意味で磨きがかかってきている印象だ。トリック(ミス?)の質、作品世界の背景のユニークさ、福家警部補と容疑者とのやり取り、読者の想像を超えたところに残される証拠。そして勿論、読んでいる時に感じるスリル。これも。作者がシリーズに慣れてきたというよりも、何か本質的な部分をがっしりつかめるようになった、というような印象である。もちろん創作に際して散々に苦労はなさってはいるのだろうけれど、全体的にこなれてきている。
 第一話目はまだ分かる。合作で漫画家を目指していた二人が袂を分かって、恨みあう関係になってというもの。一人が編集者というところがキーではあるけれど、想像できないことはないか。ただ、二話目は無理筋。ヤクザがヤクザを殺害する話ではあるけれど、その裏側に解散した組、再就職がうまくゆかない元組員、誘拐を利用して対立組織を襲わせるという発想。普通出てきません、こんなの。 強いていうならば、福家警部補の作品以外に使うつもりであたためてあった構想ということであればまだしもあり得るのでしょうが。それでも、二重、三重にこれはちょっと思いつかない。第三話目の老夫妻は、別の意味での味わい深いキャラクター。再登場は必至なのだろうけれど、福家が強くなりすぎて対抗馬が必要なところ、彼らがその役を今後担うのかもしれない。(脱走しているから表舞台には立たないだろうけれど)。
 また、これはこのシリーズに限ったことではないのだけれど、倒叙形式のミステリを用いることで「犯人が犯罪を犯すに至った哀しみ」というものが、通常のミステリよりも強調されているように思う。そこに至る動機や人間関係といった情報が、最初は犯罪シーンだとしても、犯人像をより深く追うことになっているため、必ず作品の中盤以前で描写される。普通の形式のミステリの場合、犯人が判明するのは最後ということになり、実はこういう動機がありました、とかはどうしても後付けにならざるを得ない。(そりゃまあ、複数の容疑者を立てるとか、やり方はいろいろあるにせよ)。 倒叙の場合は、犯人の心情に読者が寄り添う時間がちょっと長いのだ。当たり前のことではあるのだけれど、本書を読んで改めて気付かされた。

 このシリーズ、読めば読むほど好きになってゆく。福家警部補そのもののスーパー過ぎる造形に対し、あまり実は魅力も感情移入もないのだけれど、彼女と対峙する犯人たちの生々しい人間くささの味わいが実に深いのだ。ミステリであり、結末を予想する楽しみを保持しながらも、一個の人間を描いた小説としての読み応えもまた、個々の作品が応分に孕んでいる。最初に戻るが、磨きがかかっているがため、全体としての味わいもまた濃く感じられる。

 日本だとこの分野の第一人者は、古畑任三郎ということになるかもしれないが、福家警部補も着実にその地歩を固めつつある、と書いてもそう大げさな気がしない。今すぐではないにせよ、いずれシリーズ自体が大ブレイクするような気がする。


13/04/21
森 博嗣「スカル・ブレーカ」(中央公論新社'13)

 「スカイ・クロラ」シリーズが終了後、中央公論新社で展開されている森博嗣氏の「ヴォイド・シェイパ」シリーズ三冊目。シリーズで一貫して日本の四季をイメージした写真が装幀に使用されているが、本書は色鮮やかな紅葉が使用されている。

 都に向かって旅を続けているゼン。海と山を小さく見て歩く日を続けた後、大きな川を船で渡り、その先にある大きな街を目指す。その途中、二人の男が刀を抜いて睨み合っているのに出くわす。その戦いに興味をもてなかったゼンにチハヤという人物が声を掛け、二人を分けた。二人のうち一人、中年のヤナギと三人でうどんを食し、ヤナギと一緒にいたゼンは、ドーマと名乗る人物に声を掛けられる。その地の城に来て欲しいのだという。ゼンはヤナギと話をするうちに、ヤナギがゼンの師匠・スズカ・カシュウと縁のあるタガミ・トウシュンという人物の門下生であったことを知る。ゼンはその城の殿様と、その姉上だというクク様という女性に拝謁し、翌日の剣術の試合に出ることを承諾させられた。ゼンはその木刀の試合を見学し、真剣勝負になってしまうため戦いを辞退しようとするが、ゼンに勝てば侍として召し抱えられるという若者が勝負を無理矢理に挑んできた。その彼を完膚無きに叩きのめしてしまう。城を辞去したゼンはタガミ・トウシュンを訪ねたいと欲するが、九日後に「瑞香院」というところに来るようククからの文が届く。ゼンはトウシュンを訪ねてからククとの約束を果たすことにし、街に宿を取る。

いろいろな俗事、世間との折り合い。チートな能力と超然とした態度を持つゼンの静かな成長譚
 世間常識を疑う、ないし、世間常識を見直すというセンスは、どのシリーズであっても森博嗣氏デビュー時から一貫して作品で示しているひとつの特徴である。初期作品、例えば西之園萌や犀川創平あたりでは、理系研究者の感覚は常人とは異なるなぁ、というものだったが、本書の場合、最初からまっさらの人間を設定していて、彼が世間と交わっていく過程がそもそもユニーク。愛想笑いであるとか、時候の挨拶であるとか、結構人間というものはどうでも良い(合理的ではない)行動を取っているものである──というあたりのことに改めて気付くことが出来る。
 物語としては、ゼンの強さ(スズカ・カシュウの高名)も際だっており、異色侍剣士ものとしての展開が、本作でも際だっている。強き者が強き者を知る。弱い者は強いかどうかの判断が付けられない。ゼンはチートではあるけれど、超人ではないという能力の位置づけがまたうまい。本書においても、多人数に囲まれたり鉄砲に対して剣士がどうにかできるものではなく、どうあれば勝てるか、勝負から逃げるべきかという見極めという部分がまたゼンの成長に繋がっているあたりが非常に実践的に感じられる。基本歴史ファンタジーのはずなのに、妙に戦いの部分が現実臭い(良い意味で)。
 いろいろなこと、世間や社会に出ることで学びつつも、なお率直で裏表の少ないゼンの態度はすがすがしく、普通に読んでいて若者の成長譚として気持ち良く読めてしまう。ただ、今回登場するクク様など、少しずつ出生の秘密なども明らかになってゆくようで、最終的には物語世界の意外な謎が待ち構えていそうな予感はある。

 ただ恐らくは、現段階で見通すことの出来ないタイプの謎のような気もするので、素直に巻を重ねてゆくのを眺めていることにする。あと『スカイ・クロラ』のシリーズで感じさせられた、独特の無常感が本作からも漂うのだけれど、まだそれは薄い。いずれ、その死の香りのようなものが強くなってくるのであろうか。