MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


13/05/16
篠田真由美「わたしはここにいます」(光文社カッパノベルス'13)

 篠田真由美さんが光文社で、かつノベルスにこだわってという姿勢で書き続けるゴシックミステリのシリーズで、『すべてのものをひとつの夜が待つ』『美しきもの見し人は』に続く第三弾にあたる。
 基本的にはノンシリーズなのだけれども、篠田真由美さんの代表作である「建築探偵桜井京介シリーズ」主要登場人物の血縁が登場している関係もあって、その外伝的な位置付けにもあたる長編作品。

 須崎鷹哉という二十歳になる青年は、静岡の実家を出て東京で一人暮らしの大学生活を送っていた。しかしそんないつものようなある日、故郷から突然の凶報がもたらされる。痴呆症が入りはじめていた彼の祖母が使用していた電気毛布が原因で実家から出火、家族四人が焼死したうえ、近所にも大きな迷惑をかけたのだという。地元に戻った鷹哉は「家族」として地域から集中砲火を浴び、東京に戻るも目的を失ったまま日々を過ごすようになる。そんななか突然、 京都にいる伯父だと名乗る人物から連絡があり、その伯父の雇い主の娘である常磐井文乃という美少女を北海道まで陸路で送り届けるという仕事を命ぜられる。行き先は北の果て稚内のさらに北端で、有名な霊媒・九条紫姫音(くじょうしきね)が住まう館だった。十六年前、文乃の母親である芙美乃がこの館を訪れ、紫姫音の後継者選びなるイベントに参加していたという過去があり、その時に母親は文乃を身籠ったのだという。今回はその十六年前に集まった人たちやその関係者が再びその地に集まるというもので、文乃はその時に何があったか知りたいのだという。クセ者揃いの参加者に対し、鷹哉は文乃の婚約者として紹介され、様々な欲望や思惑の渦巻くなか、猛吹雪により外部との行き来が遮断された密室内部に閉じ込められてしまう――。

霊媒に降霊術、人形、館といったギミックと裏腹に、全編を覆う静かな祈りが染みいってくる不思議な長編
 機会があって篠田真由美さんご本人にもお伝えしたことなのだが、本書については三度繰り返し読んだ。もともとこのカッパノベルスで展開されている篠田さんのゴシックミステリのシリーズは好みなのだけれど、本書の場合はそのなかでも別格くらいに気に入っている。ただ(それが何度も読み返した理由にもなるのだけれど)どこに惹かれたのか、言葉にすごくしづらいのだ。
 ゴシック様式の館で特殊な温室があるというのも良いし、人形を多用した雰囲気づくりであるとかも好みではある。ただ、抜けてここがすごい! というものが抜き出せないのだよな、これが。ただ、物語の本質に触れるので詳しくは書けないけれど「わたしはここにいます」という、待ちの姿勢でありながらも自己主張と包容力を感じさせるこの台詞、そして題名が、物語にベスト過ぎるマッチングをみせているところが気に入ったのだと思う。この言葉自体、自己主張でありながら、どこか祈りをかんじさせるものがあり、それが登場人物の心根として読んだ時に深い味わいとして心に染みた――ということなのかなー(というのはまだ分析としてはしっくりこないから)。

 また、その祈りと関連してだが、本書の物語自体は狂気と不信の入り乱れる神秘主義者とそれに類する者たちによる愛憎劇。過去の謎に人物の謎が積み重なり、館の特殊性と神秘性、さらに猛吹雪による閉鎖性が相まっていわゆるゴシック調本格ミステリの要件を数多く満たしている。ただ唯一の探偵役という人物が存在せず、視点人物たる鷹哉も若いというよりも幼い感情で突っ走るきらいがあることもあって、落ち着きの無さも同時にある。名探偵役が存在せず、ゴシックミステリとしてもゴシックの方が強い。

 もうひとつ、少しだけ心当たりとなるのは、やはり外伝であるということも、深い印象と関係ありそうだ。長い年月をかけて「桜井京介」シリーズは、きっちり完結となっているのだが、本書はまたそのシリーズの「先」について良いさじ加減で思いを馳せることができる要素がある。結末近くで意外性のあるカップルとして主要登場人物が男女の仲となっているのだけれど、その二人を直接描いたのではないのに、その二人の幸福が十分に感じられるのだ。直接書いていないのに何で? と思われるかもしれないが、そうなのだから仕方がない。

 失礼ながら、ミステリとして小説として正直にいって初読の方に対してものすごく勧められる作品かというと、そうではない。過去のシリーズという積み重ねがあってこその作品だ。だけれども、あくまで個人的には、心に「ずしん」と響く何かがあり、今後も長く心に留まることは間違いない。


13/05/15
小林泰三「アリス殺し」(東京創元社'13)

 日本ホラー小説大賞出身、現代SF小説界の尖兵でもある小林泰三氏は、なぜか(?)しばしば本格指向の強いミステリ小説を著す時がある。本書もその系譜に連なる作品ながら、普通ではないミステリになっている。クライムクラブ書き下ろし。

 理系大学院生である大学生の栗須川亜理は、最近「不思議の国のアリス」の世界の夢ばかり見ることに気付いた。アリスの視点で作中に登場する奇妙な生き物たちと会話したり行動を共にしたりしているのだ。最近になるまでその事実自体に気付いていなかった彼女は夢日記を付けてみようと思い立つ。さて、夢の中のアリスは、塀の上から落ちて玉子のハンプティ・ダンプティが墜落、死亡するという事件に遭遇した。夢から覚め、大学に出かけた彼女は同じく玉子のような体型の研究員が、ハンプティ・ダンプティと同じように屋上から足を投げ出して座っていた後、そのまま墜落死したという事件のことを知る。再び夢の中のアリスは、ハンプティ・ダンプティが墜落死した時に、その近くにいたという目撃者が現れ、彼女が犯人ではないかと周囲が糾弾を始めた。続いてグリフォンが牡蠣を喉に詰まらせて死亡すると、現実世界でも牡蠣を食した大学教授が死亡した。アリスと亜理は、どうやら夢の中で誰かが死んでしまうと、現実世界でも相当する別の誰かが死んでしまう事実に気がついた。亜理は、夢と現実との連関に同じく気付いている同学年の井森と共に、夢と現実とのあいだで犯人探しを開始するのだが……。

「アリス」の世界を下敷きに、幻想と現実の行き来のなかにトンデモのサプライズが仕込まれる
 すごくびっくりした。
 世界的名作にして日本の本格ミステリでもしばしば取り上げられる、ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』と『不思議の国のアリス』を設定の下敷きにおいた作品。現実とアリスの世界、両方を行き来するというのが特徴で、主人公の名前からして栗須川亜理と、どこかのミステリ作家を想像させる名前が付けられている(が、これもまた周到な理由があってのことだ)。一方「アリス」とその仲間たちが暮らす夢の世界の不思議の国で発生する連続殺人(人じゃないか)事件。
 アリスの世界の、いわゆる「なんでもあり」なテイストを小説内部でよく反映しており、かみ合わなくていらいらするような会話から、世界観、いい加減さといったところがうまく表現されている。その結果、アリス世界での証言や証拠の適当さ、いい加減さによって論理的な推理が困難になっており、ミステリとして逆にそこが不思議な味わいに繋がっている。つまり、その「いい加減」の中での論理を構築せざるを得ないという、その無理っぽさが魅力なのだ。序盤は世界観を楽しませつつ、一方で終盤の攻防に至るに、真の犯人、さらにアリスとの対決に至るまでスリリングかつサプライズの連続。 よく出来たミステリであることは間違いない。

 ただ、あくまで小生の個人的な許容範囲の問題によって、本作については面白いミステリとして拝読させて頂いたものの、本格ミステリとしては枠外という判断です。本格としてのギミックであるとかトリックであるとか、レッドヘリングであるとか満載ではあるものの、異世界としての「不思議の国」の位置付けに二つ不満があって。一つは『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の原作準拠と思われる設定が多く、原作をかなりきちんと知らなければ読んでいて理解できない/想像できない事柄が多すぎるように思うこと。(実際自分がそうだったので)。もう一つは解決に相当する部分、最後の最後にどこか「放り出す」ような感覚が持ち込まれていること。小林泰三のSF的遊び心というと、それはそれで「あり」なのだけれど、本格ミステリを標榜するのであれば、ここも緻密に締めくくってもらっても良かったように思う。

 小林泰三らしい奇想と論理が実にうまくマッチングしたミステリ。 氏のミステリはユニークな作品がもともと多いのだが、本書はそれらに比して全く力負けしない強力な作品である。


13/05/14
大倉崇裕「問題物件」(光文社'13)

 『ジャーロ』誌二〇一一年秋冬号から二〇一三年春号にかけて五話掲載されたシリーズ短編集。かなり特殊な能力を持つ「人」が探偵役を務めており、大倉氏の他シリーズとは繋がっていない。(今のところ)。

 大島不動産販売に入社した新人社員・若宮恵美子は、創業者一族の正統な後継者にあたる大島雅弘の世話と、彼の住む屋敷の維持管理を命じられた。雅弘は難病を患って治療中のため、社長業には就けず、雅弘の叔父が社長となっていた。ただ社長一派は雅弘を警戒しており、在宅のままクレーム物件処理を行う販売特別室室長に任命、恵美子もまた同室に配属される。室長代理の片山から命じられたのはマンションに居座る男の退去要求。初仕事には荷が重い内容で経験のない恵美子には困難な仕事だった。仕事を辞めようと考えた彼女の前に現れたのが、どこか雅弘が大事にしているぬいぐるみによく似た「犬頭」と名乗る探偵だった。 『居座られた部屋』
『居座られた部屋』
 借りた人間が必ず死亡してしまい、とりあえず自殺と処理されている部屋。恵美子はその理由を調べろという無理難題が押し付けられ……。 『借りると必ず死ぬ部屋』
 最近、急に悪臭が漂うようになってきたゴミ屋敷。近所のクレームに恵美子が派遣されるも所有者の前島という老人に追い返されてしまう。困った彼女の前に現れた犬頭は……。 『ゴミだらけの部屋』
 ポルターガイストが発生するという奇妙な部屋。またもや恵美子が派遣されるが、時既に遅く、住人は夜中に大騒ぎしたかどで警察沙汰に。夜な夜な家具が移動して部屋がめちゃくちゃになるという部屋に犬頭は……。 『騒がしい部屋』
 借りた人間が三年連続で一人ずつ必ず失踪するというマンションの一室。調査を依頼した筈の管理人は非協力的だったが、犬頭が現れ……。 『誰もいない部屋』 以上五編。

謎(?)の探偵・犬頭が傍若無人の大活躍。本格っぽい謎と解決を吹き飛ばす暴れっぷりを見よ!
 いやいや。冒頭の設定がながながとしているものの、全五作品全てが、本格ミステリ、いや、島田荘司御大がかつて提唱する(していた?)ところの”本格ミステリー”に近い奇妙な謎が込められている。マンションや家など、不動産関係で設定上まとめられているが、ポルターガイストや連続失踪など普通ではあり得ない、合理的な解釈が付けづらい状況が発生している。そこに派遣されてくるのが狂言回しの役を務める主人公・若宮恵美子である。
 先に書いてしまうと、それぞれの謎に対する解釈は合理的で、すとんと腑に落ちるものである。本格ミステリとしては(どうしてもそうなるのだが)犯人に相当する人物が、地上げを狙うヤクザや宗教団体といった大人数の勢力」が絡んでしまうところで割引となってしまうものの、落ちとしては得心が行く。

 ──ただ、本作の眼目は本格ミステリのそれを凌駕する探偵役にあると思う。それが探偵・犬頭。はっきりいうと様々な超能力と怪力を備え、社会常識を無視することを厭わない超人(どうやら人じゃないけど)であり、解決に至る手掛かりを手に入れる道筋はめちゃくちゃ強引である。(解決が論理的であることと矛盾はしません。念のため)。その強引っぷりが、見ていて気持ちが良いのだ。必ずしも悪人相手ばかりに能力を発揮する訳ではないのだけれど、この動物っぽい推進力と、解決のための強引さには不思議な魅力がある。犬頭の無双な働きぶり、そして一方で必死でブレーキ役を務めようとする恵美子との掛け合いこそが本書の面白さの本質であると思うのだ。

 本書の最終話で、難病治療のため雅弘が渡米してしまうため、ある程度シリーズとしては「ここで終わってもおかしくない」状態となっている。一方で、アイデア次第ではまだまだ続いても良い展開も可能であるので、元気になった雅弘と恵美子のコンビに犬頭が加わる物語を読んでみたい。ミステリを不動産縛りにするのは、アイデア的にちょっときついかもしれないですが。


13/05/13
皆川博子「海賊女王(上下)」(光文社'13)

 初出は『小説宝石』2009年11月号〜2013年5月号(2012年6月号休載)にかけて連載された長編作品の単行本化。連載の単行本化とはいえ、もう八十歳を越えている皆川博子さんが『開かせて頂き光栄です』『双頭のバビロン』といった話題作・力作長編を毎年のように刊行されていること、それ自体が最大のミステリかもしれない。そういえば『少年十字軍』も今年だよな……。

 十六世紀、戦争が略奪と同義の時代。スコットランドの高地に生まれたアラン・ジョスリンは弟のロイと共にガログラスと呼ばれる戦士集団に身を投じた。ガログラスの隊長は親しいアイルランドの族長と契約しており、彼らはドゥダラ・オマリーが率いるガレー船に乗船する。彼らはケルトの一部族ゲールであり、そのことに誇りを持っていた。ロイが族長の息子・ドナルから難癖を付けられるなか、アランはドゥダラの娘で十歳のグローニャに気に入られ、従者として雇われることになってしまう。そのグローニャこそが後の「海賊女王」。アイルランドを根城に自ら船団を率いて戦いに明け暮れ、さらに高い教養と政治的な駆け引きを駆使してゲールの誇りを守り続けた大人物である。少女期、青春期、壮年期、そして晩年に至る迄彼女に常に付き従ったアランの視点から、彼女の波瀾万丈の人生を描き出した大長編。

戦いこそが生きる糧という厳しい時代、そして生々しい「生」が全編から迸る、歴史冒険巨編
 中世に実在した女海賊の生涯をテーマにした上下巻、千ページを軽く越える大長編ながら、読み始めてからはぐいぐい引き込まれてしまい、ほとんど一気読みしてしまった。題名における海賊女王は、主人公のグローニャ・オマリーだけではなく、海賊たちを公認して植民地経営を行っていた、グローニャと同い年のエリザベス一世女王も指し示すダブルミーニング。どちらかというと政治的な駆け引き(さらに閨房政治?)が中心となるエリザベス女王のサイドは、中世のじめっとした側面を、グローニャたちの海賊行為はどちらかというとからっとした書き方となっており、その両者の対比、そして交わりもまた物語を構成する織り糸の一つである。
 ただ、やはり中心に立つのは伝説の女海賊でもあるグローニャ本人。幼少期の奔放さ、青春期の葛藤、性的な奔放さに妖艶さが加わり、仲間たちを守るためであれば自分の身体を与えることを何とも感じていない。壮年から老年にかけては勇壮さと歴戦の強者としての貫禄も加わる。山あり谷ありの人生にしても、その立ち位置・姿勢については結末に至るまでひたすらに「格好いい」。
 そしてもう一つ特筆すべきは、現代と異なる中世の常識や社会習慣が丁寧に描かれていること。人間の生命誕生と死、悪魔やタブーといった宗教観、略奪や戦いといった行為の位置づけといった事柄全てが「当時の事情」において再現されている。──少なくともほとんど予備知識のない小生のような読者は違和感なく、この「世界」にどっぷり浸れる。その結果、グローニャがとても眩しく感じられる。彼女がシンボルとしての「生」そのもの、として描かれているから。 弾けるようなそれでいてしなやかに、誇り高く愛情も豊かに。少しずつ現代の常識や価値観とは異なるのだけれど、だからこそ凄まじい魅力が文章から感じられる。さらっとこんな人物を創造してしまうのは、皆川博子さんの才能なのだろうけれど、やはり改めて凄さをひしひしと感じる。

 ミステリとしての変化は少なく(もちろん伏線と回収はあるけれど)、人間ドラマと海賊やガログラス(戦士集団)の戦闘と駆け引きが中心で物語が進行する。丁寧な歴史小説であり、直球の冒険小説でもある。皆川博子さんの作品群におけるベストかどうかは分からないが、「このミス」基準であれば個人的には2013年のベスト・ミステリだと胸を張ってお勧めできる作品である。


13/05/12
近藤史恵「土蛍 猿若町捕物帳」(光文社'13)

 近藤史恵さん初の時代小説として『巴之丞鹿の子』が文庫書き下ろし刊行(幻冬舎文庫だったはず)されてから十余年、版元を光文社に移してから着々と新作が刊行される「猿若町捕物帳」シリーズ。本作が五冊目にあたる。なお、ここまでの作品は全て光文社文庫入りしている。本書のうち『はずれくじ』が書き下ろしのほか、前三作についてはそれぞれ『ジャーロ』39〜40号、42〜43号、44〜45号に発表された中編。

 長屋に住む夫婦の妻側の兄が難癖をつけに旦那不在時に訪れるという。長屋差配の銀治の訴えに千蔭は長屋を訪れるが兄とはすれ違う。しかしその銀治が何者かに殺害される事件が発生、その兄が疑われるが、夫婦の旦那も芸者のところに入り浸っていることも判明する。 『むじな菊』
 江戸で暗闇のなかで男を襲い、髷の髻を切り落とすという謎の辻斬りもどきが連続して発生していた。その捜査中の千蔭の前で身投げ騒動が。飛び込もうとする娘を取り押さえているのが中村座の座付き作者で顔見知りの利吉だった。その娘・お鈴の兄が利吉の兄弟子で、博打に身をやつしお鈴を苦界へ売り飛ばす寸前であるのだという。 『だんまり』
 梅が枝に身請けの話があるという噂に千蔭が動揺するなか、中村座の内部で自殺事件が発生した。スッポンの奈落で首を吊っているようにみえたが千蔭の見立てでは殺人であった。被害者は中村座の人気役者・杉蔵の弟子で、杉蔵の激しい女遊びの末に妊娠していた女性と結婚していたが、過去の事情はともあれ仲良く暮らしていたという。 『土蛍』
 怪我をしてから仕事がなく長屋のお情けで生きる男・直吉。彼は長屋の後家から金を出すから富くじを買わないかと持ちかけられ、承諾する。しかし直吉はその直後、土左衛門となって川から引き上げられた。金もくじも身には着けておらず、川を浚ったところ高価な根付けが見つかった。 『はずれくじ』 以上四編。

情と理との狭間で揺らぐ人間関係が引き起こす事件。ミステリとしての作法が整うこなれた人情譚へ進化中
 現代小説から本格ミステリ、そして近年だと自転車レースをテーマとした作品で人気を博している近藤史恵さんではあるが、元々重きを置いていた歌舞伎ミステリからこの時代小説の流れについても、確かな実力を感じさせる作品群が揃っている。この「猿若町」シリーズ、全体としての登場人物配置と造形にのみ強いフィクショナルを感じるものの、個の小説として作品数が増えるにつれ、後になればなるほど小説としての妙味が増してきている印象だ。基本的にミステリの骨法を用いた作品ながら、本格やトリックへのこだわりを薄くした分で情感を増す方向性へ変換していっているようにみえる。そしてその手触りが悪くない。
 特にさまざまなかたちの恋愛模様を時代小説のなかに落とし込み、ミステリで味付けすることで強烈な情感を生み出すテクニックが凄まじく上達しているように感じられた。例えば『むじな菊』の犯罪動機もろもろ、『土蛍』『はずれくじ』のこれまた犯人の動機であるとか、手法としてのミステリ、つまりは殺人やもろもろの犯罪を絡め、更にそれが明らかにされることで強烈な情感が浮かび上がる仕掛けが為されている。序盤から中盤にかけて一面的な見方で登場人物を描いておきながら、その裏にある、読者が想像すらしていなかった秘められた動機が明らかにされる。ここでミステリのサプライズと同様に、登場人物の真情そのものが読者にとっての大きなサプライズとなる。

 近藤史恵さんの時代小説。 本書から読まれても勿論構わないのだけれど、本書の背景となっている千蔭や巴之丞、梅が枝といった人間関係は過去の作品で描かれており、本書に興味を持たれた方はぜひ「ここに至る物語」として最初から順番に読み進めて頂きたい。


13/05/11
逢空万太「這い寄れ!ニャル子さん10」(GA文庫'12)

 楽しかった「W」もとっくに放映終了ですね……って、アニメは続編を完了してほとんど本編に追いついてしまっている様相。ラノベの場合はシリーズ何冊目を超えると人気シリーズという基準はあるのかどうかよく分からないけれど人気あるんでしょうね。テレビ鑑賞であまりにハマリすぎていて、脚本家のオリジナルのようにみえる邪神たちと真尋の日常、単にぐだぐだ放課後遊んでいるだけという場面ですら、実は原作通りという点、ある意味すごい気がする。いや、自分が知らないだけでラノベ原作のアニメなんてそんなもんなのか。

 前作で過去に飛び、幼い頃のニャル子・クー子・ハス太らとの「実は出会っていた」を果たし、無事に帰還した八坂真尋。翌日の朝っぱらから布団のなかにニャル子が潜り込んでいて、その気配に気づいたクー子が逆ギレするなど、またしてもいつもの日常が再開され、真尋もどこか安心して以前よりもとげとげしさこそ減ったものの、やっぱりフォーク投げの技は冴えまくる。学校では調理実習で人外の食べ物混入やシャンタッ君の産んだ卵などに注意をしつつ、暮井のあまりの料理音痴っぷりに呆れる。その学校の帰り、いつものごとく、ニャル子・クー子・ハス太とで寄り道先を考えていたところに和服に黒髪だけど赤い眼をした美女が現れた。彼女はアトラク=ナクア星人の銀(しろがね)アト子。ニャル子の高校時代の友人にして宇宙アパレル企業の会長令嬢である。アト子の要望で近くにある都会・札幌らしき場所に観光に出向いた真尋と邪神三人+アト子。さらに母親である八坂頼子の無条件の快諾もあって、アト子を八坂家に連れ帰ることになった。アト子は真尋を称して「ニエにしたい」と意味不明の言葉を漏らすのだが……?

新キャラ登場も安定のぐだぐだっぷり(褒めてます)。ゆるゆるニヤリこそシリーズの本質
 今回第10巻にしてまだ作中ではニャル子襲来から三週間程度しか経過していない模様。時折、地球時間と違う時間経過を辿るせいもあるのだろうけれど、二〜三日/冊というペースで物語が進行中。第九巻で、ニャル子ら幼少時の過去に飛び、彼女たちの知らないところで宇宙を救って帰ってきた真尋。序盤は(といっても100ページくらいは)、ニャル子の友人・アト子が新登場するとはいえ、彼女を巻き込んでの安定した学校+日常生活。 邪神が一人増えたくらいで動じない八坂頼子さんが頼もしい。
 話が動くのは、アト子の一貫性のあるようなないような、謎めいた行動のあと、惑星保護機構の本来の拠点の視察にご一行が米国に飛んでから。多少不安感こそあるものの、むしろ中盤以降はそのパロディそのものと、邪神たちのやり取りの味わいに加え、なんとなく伏線めいたやり取りのなかで、果たしてそのどれが採用(?)され、最終的にどんなにしょうもない(KANSAIの褒め言葉)オチがつくのかを確認するために読んでいるようなもの。そして、ここに至るにそれがとても、とても楽しいのだ。楽しいのだ。大事なことなので二度書いてみたがくどいな、これは。

「……くー……すー……泡盛は……古酒(くーすー)……」
「お前、起きてんじゃねえのか」

「……事後……なの……?」
「事後どころか事前ですらねえよ!」

「……わたしを差し置いてニャル子と……部屋で二人きりになって……あげな事やそげな事やとてつもない事を……」
「いい加減おまえは下半身で物を考えるのはやめろ!」

「邪神蜘蛛の理(ことわり)」(個人的にはこれツボ入りまくり!)

「SAN歩下がって死の影踏まず、みたいな立ち振る舞いですから」
「それ人を盾にして危険回避してるだけじゃねえか」

「……真尋さん、毎回思いますがよく台詞だけで字面が分かりますね」
「お前の考えていそうな事くらいクー子を見るより明らかだ」

「おお、新商品ですか! どんなんです?」
「東南アジアに生息する希少な昆虫の腸の筋を乾燥させた繊維よ。SAN値の伝導率が極めていいらしくて、それでマフラーか何か編めないかと思って」
(分からない人は分からないで良かろうなのだァァッ!)

 ということで非常に面白さが安定した(ある意味で)第10巻。もはやストーリーもそれほど展開しなくても、別に彼らの日常が描かれていれば良い――、とすら思えるようになったのはどうなんだろう? エンタとして、こうやってゆるゆるっと楽しむのもまた読書の一つの形態として普通に「有り」なんでしょう。