MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


98/12/20
山田風太郎「忍びの卍」(講談社ノベルススペシャル'94)

講談社ノベルススペシャルの第一期刊行分。伊賀忍法帖と前後して書かれた絶頂期の作品。

将軍家光の頃、幕府に仕える隠密には伊賀組、甲賀組、根来組の三派があった。幕府の要職にある土井大炊頭は若き柳生剣士、椎ノ葉刀馬に対し、これを一派にまとめるためにどの組が最も優れているか、審査するよう命じた。各組、代表者を一人ずつ選び、彼らが刀馬にその技を披露するのだ。最初の根来組忍者、虫籠右陣は女性を特殊な体質に作り替える「ぬれ桜」敵の殺気を異常に敏感に察知する「暗殺剣」を伊賀組の筏織右衛門は、宮本武蔵の元弟子という剣法に加え、自ら交わった女性を一昼夜の間、意のままに操る「任意車」を、甲賀組百々銭十郎は自らの体液を全て精に変え女性を魅惑する「白朽葉」そしてその女性を用いて必殺の剣法を編み出す「赤朽葉」をそれぞれ披露した。刀馬の報告により、大炊頭は、甲賀を選ぶ。落選組の伊賀、根来の二人の忍者は江戸を逐電、家光の弟で英君の誉れの高い駿河大納言忠長の元に走る。

ちょっと毛色の違う忍法帖?
多種多様の忍術が飛び交って多人数の忍者が登場する風太郎忍法帖の他の代表作に比べ、三人しか忍者が繰り返し自らの同じ技を使う本作品は見方によっては地味なものかもしれない。他の作品の忍者が一、二度の決闘で散るのに比べ、登場人物が少ない分、一人一人の個性、技がじっくり描写されている。そうして浮き彫りにされる忍者の凄絶さ、非情さが余すところ無く伝えられている点が、まず本書の魅力の一つ。そしてもう一点は忍者同士の争いでありながら、物語の裏側に隠された大きな陰謀にある。登場人物は元より、神の視点から物語を追う読者にさえ、その全貌を想像するのは難しい。中途で命ぜられ、公儀隠密となる刀馬を含め、彼らの人生は正に「忍者」そのもの。その悲哀感漂う生き方、最期はそれぞれ魅力があるのだが、(それが悪役としての魅力であっても)やはり本作の主役は「ストーリー」にあると思わざるを得ない。スパイ小説、謀略小説的な魅力がある。でも風太郎作品に出る女性って、なぜかみんな壮絶で妖艶で、そして必ず薄倖……。

歴史の裏側。権力の継承の難しさ。読み終わった後に色々日本の歴史について感じてしまう作品。面白いけれども読後感が良い意味で少し違う。「忍法帖のリアル」とでも言うべきか。


98/12/19
仁木悦子「刺のある樹」(角川文庫'82)

仁木雄太郎、仁木悦子の兄妹が活躍するシリーズの第三作目。作者自身の第四長編にあたり、旧『宝石』に昭和36年頃に連載されたもの。

相変わらず留守の水原家でシャボテンの世話をして好きに暮らしている雄太郎、悦子の兄妹の元に尾永という紳士がやって来た。自分が何者かに狙われているのではないか、というノイローゼにかかっており、警察で取り合ってもらえず、彼らを訪ねてきたというのだ。最初は車に刎ねられそうになり、次は何者かに川の中に突き落とされたという。そして最近、自宅の周りに不審な人物が出没するようになって心配が極まったというのだ。当然のごとく二人は事件に興味を持ち、尾永氏宅へ向かうことになる。引き受けてもらえると安堵した紳士が自宅に電話するとその妻が殺された、という悲報が。現場に向かった三人はミシンに覆い被さるように絞殺されていた死体だった。その豪華な洋間の窓は開いており、そこには靴の跡が残されていた。

目立たないながらも、緻密な構成が魅力の作品
いつも変わらない兄妹の日常に現れた依頼人、タイミング良く発生する殺人事件、(都合良く)現場に入る雄太郎、悦子兄妹による初期捜査…と、それなりの盛り上がりではありながら、序盤は意地悪く言うと当たり前のミステリとしての物語。「ありきたりだな」そう思った瞬間にこの作品の作者と読者の知恵比べは読者の負け。平凡に見せながらも、そこかしこに伏線が埋められているのが仁木作品の常套手段で、かつ仁木長編の大きな魅力なのだ。
その後も限られた登場人物の中で発生する連続殺人。一見変哲もない舞台装置の中に隠された真実。限られた容疑者。巧みなレッドヘリング、読者の想像の上を行くアリバイトリック、思わぬところから見えてくる真相。本当に良く作られている。終盤に明かされる真相そのものよりも「あれが伏線!?」と序盤の色んなシーンが実は事件の手掛かりだった、という事態そのものに強い印象を受けた。

良く書評家の方が「雄太郎、悦子のシリーズは明るい雰囲気のミステリだ」なんて言うようだが、私にすると必ずしもそうとは思えない。時に悦子の被害者の気持ちを考えないほどの好奇心の強さや、雄太郎の独善など鼻につくシーンも相当多い。ただ、正々堂々読者を欺いてやろうという仁木さんの姿勢が全編から常に伝わるので、つい手に取り、そして読み込んでしまうのだ。


98/12/18
芦辺 拓「地底獣国の殺人」(講談社ノベルス'97)

芦辺氏の七作目の長編。主に描写されているのは戦前の冒険譚であるに関わらず、探偵役は一貫して芦辺作品で探偵役を務める、森江春策。

ある事件を解決してお祝いにホテルでディナーを食していた森江春策。そこで「名探偵!」という言葉に敏感に反応した老人が森江を誘い、奇想天外な人外魔境での物語を語り始める。戦前、新聞社が乱立していた頃、特ダネを求め各社が主催して奇抜な冒険を行っていた時期があった。仮名文字新聞は自殺の名所であった大島の真原山の火口からクレーンで記者を降ろし内部を探索、世間で大評判となった。仮名文字をライバルと目する「あづま日日新聞」はトルコのアララト山に実存すると言われるノアの箱船の捜索をぶち上げる。選ばれた探査メンバーは体力抜群の折竹、雑学の鬼、神山らの新聞記者はじめ、飛行艇の操縦士、異端の学者、その美人助手、通訳など。そして森江春策の祖父、森江春之介もこの一行に加わっていた。彼らは飛行艇を利用してアララト山に挑む予定で準備を進めていたが、謎の男や、武装集団が現れ彼らを妨害する。プロジェクトに国家間、思想間の様々な思惑が働いていることをメンバーは薄薄感じ取りながらも、彼らはアララト山に向け出発する。

魔境冒険歴史蘊蓄本格推理小説。
こういう小説はこれから後にも先にもないだろう、という盛り沢山に内容が詰め込まれた小説。大枠として森江春策による安楽椅子探偵型式があり、老人が語る形で人外魔境冒険譚があり、更にその冒険譚の中にトンデモ系から歴史的事実まで様々な歴史の仮説が蘊蓄の如く語られる。魔境に入ってからの彼らの姿はそのまんま、ロストワールド&ジュラシックパーク。登場人物の真の姿が明かされる後半部はスパイ小説のノリも多少はある。でも凄いのは、これだけ話を詰め込みながら破綻がほとんどないところ。(まぁ、破綻していてもSF的な説明で切り抜ける大技もなくはないけれど)それに、それぞれの特異なキャラクタや、珍妙な多種多様な学説(邪馬台国はエジプトにあった!?)が物語をごてごて、こてこてと良い意味で飾り立てており、怪しい雰囲気を盛り上げている。読み終わったあと小学校の時に図書館で「トンデモ系科学本」を読んで味わった「空想の楽しみ」を堪能出来る。もちろん、犯人探しの本格推理として頑強に読む方もいらっしゃるのだろうし、色んな読み方が出来る作品。

作者の目指した(?)通り、人外魔境を嵐の山荘に見立てた本格推理小説……という読み方よりも、出てくる事柄に感嘆しながら、冒険小説的に読んでいく方が物語りに移入しやすそう。変な譬えだけれど、子供心に帰れるような、そんなミステリ。


98/12/17
泡坂妻夫「ゆきなだれ」(文春文庫'88)

泡坂氏の叙情系の短編ミステリ集。

和菓子職人が二十年間憧れていた女性を旅行先の写真に見つけ、思い切った行動に出るが…… 『ゆきなだれ』
二十五年以上前に預かった手紙から、昔少しだけ知っていた一人の男の生き様を感じ取る 『厚化粧』
一年に一度、自らの個展の日にだけしか会うことの出来ない不思議な女性に惹かれる男 『迷路の出口』
鮮烈な実力を持ちながら連れ合いを戦争で亡くした浪曲師の奇癖 『雛の弔い』
人生の岐路を蜜柑の房の数の賭けで決めた男女の不思議 『闘柑』
若い頃書生として勤めていた家の女主人が裸婦のモデルをしている絵を見つけ、その画家の軌跡を男が辿る 『アトリエの情事』 学生の頃からほのかなあこがれを抱いていた女性は、いつの間にか完全に垢が抜けた完璧な女性になっていた 『同行者』
疎開中に暫くの間一緒に住んでいた女性はそれは見事な入れ墨を体中に入れていた『鳴神』 以上八編。

目眩く泡坂世界に、切なく、そしてしんみり。但し文庫版はネタバレ注意!
泡坂氏の作家、アマチュア奇術師、ともう一つの職業、紋章上絵師という稼業のせいだろうか。氏の描く職人や伝統芸人の姿は常に活き活きとしていて、江戸っ子の「粋」を感じさせる人物が多い。
この短編集に限らずとも、泡坂氏の恋愛ミステリにはどちらかというと無器用だけれど女性や家族に対する直截な想いを持つ男達が主人公として据えられることが多い。そして彼らが、泡坂氏の仕掛けたミステリアスな謎に読者と同様、いや読者よりも素朴に戸惑い、悩む姿が物語の中心に在る。泡坂氏の彼らを見つめる視点こそ常に暖かいが、彼らが世間という大きな流れに浮き沈みすること自体は、作者を持ってしても止められない。でも彼らの「生き様」は世間的には格好良いものではないにも関わらず、美しさ、潔さを十分に感じさせる。
特に印象に残る表題作『ゆきなだれ』。意に添わない結婚をした男性の一途な想いと、その相手の女性の運命。二十年前に一度だけ肌を許してくれ、そのまま行方をくらました女性の持つ秘密にミステリ的な臭いは確かにある。しかし物語の主眼は純粋さを失わない二人の男女、彼らが分別ある年齢で、かつその分別を捨てさろうとする「生き様」にあるように思う。美しい雪景色と悲劇的なラストが印象に強く焼き付けられる佳作だ。他の作品も切ない作品が多く、読み終わった後、しんみりとした気分に浸れる。
文春文庫版の解説はネタバレの嵐なので注意。

ミステリとしてよりも、オトナの恋愛小説として読むのが正しいのかも。泡坂氏にかかると男と女の関係までもミステリとして描かれる。泡坂氏でなくとも男女の仲はミステリなんだけれど。しみじみ。


98/12/16
島田荘司「御手洗潔のメロディ」(講談社'98)

'91年から'98年まで雑誌や企画本に書き下ろした作品を集めたもの。島田荘司の生み出した歴史に残る名探偵、御手洗潔シリーズの三つ目の短編集。

御手洗の元を訪れた高名な音楽家は数回訪れた美人女性の行方が知りたいという。別れた後も何度も彼に連絡を取ってくるのだが、彼がその現場に赴いても彼女はいないというのだ。彼女の名前さえも聞かずに「また会える」と請け負う御手洗に石岡君はドキドキ。その二日後、郊外レストランのSという店でバイトする青年からおんなじ便器が修理しても修理しても割られるという話を聞くと御手洗が急に真剣になった< B>『IgE』
ある年の12月23日の日曜日、高校生主催の外国人障害者を招待する「手作りコンサート」に御手洗を招待したいという電話を石岡が受ける。大いに乗り気の石岡だったが御手洗は「その日だけはダメだ」とにべもなく断り石岡は憤慨する 『SIVAD SELIM』
1960年代、御手洗がハーバードの学生だった頃の事件。「ザッカオ牽引サービス」という会社の看板の「Z」の部分に12発もの弾丸が撃ち込まれた。御手洗は友人のビリーと共に純粋推理でこの謎に挑む 『ボストン幽霊絵画事件』
ハリウッドで女優として成功している松崎レオナと、彼女が下積み時代にヨーロッパで一度だけ出会い、現在は御手洗と仕事をしているという学者兼ライターとの交流を描いた 『さらば遠い輝き』 以上中編四編。『SIVAD SELIM』『さらば…』は非ミステリ。

御手洗はいつも急いでいる
このスピード感が御手洗ものの魅力。とはいえ、本作品集ではミステリと呼べるのは実質二編だけである。その二編とも中編としてはなかなか魅力的な作品だ。突飛で、そして様々な情報ソースから、これから発生する事件を予測する『IgE』、ほんのちょっとした妙な出来事から珍しく現場で情報収集をして、とんでもない事件を明らかにする『ボストン…』どちらもタイプは違え、御手洗の怜悧かつ鋭敏な頭脳によって、事件がパタパタパタとその姿を顕していく様はやはり「読者にとっての麻薬」。どちらかというと御手洗の傲岸不遜さが強調されているきらいはあるが、頭脳の働きが常人と違う名探偵はこうでないと。設定、背景、登場人物…全て名人芸。ミステリに関して島田氏は読者の期待を裏切らない。
そして、もっと!もっと!もっと!
と、ファンは叫んでいるはず。石岡君はいっつも「あの事件は発表出来ない」「この事件は名誉毀損だから駄目」とか言っているけれど、今までの作品だってやばいもの多かったじゃない(笑)近況報告ばっかりでお茶を濁すのは、そろそろ止めにして、御手洗・石岡セットで活躍する大長編を書いて欲しいもの。

この作品集は(明記こそされないものの)作者の意図からして今までの御手洗シリーズを全部読破した人に向けて書かれたもの。シリーズ最初にこの作品に触れるのは避けた方が無難。


98/12/15
貫井徳郎「崩れる 結婚にまつわる八つの風景」(集英社'97)

貫井氏の六冊目の単行本にして初の短編集。全て「小説すばる」誌に'94年〜'96年に掲載された短編を集めている。ただ題名でも分かるように全体的なトーンは掲載時から意図的に揃えられていたようだ。

ろくでなしの亭主と息子との生活に疲れ果てた主婦の姿を淡淡と描く表題作 『崩れる』
結婚前に交際していた年上の女性の影に怯える男 『怯える』
独身女性翻訳家にかかってきた高校時代の印象の薄い友人から、クラスメートとの結婚を伝える電話 『憑かれる』
結婚相談所のカウンセラーが、相談に来た男性を親身に指導するうちに勘違いされる 『追われる』
妻の運転する車が上司の妻の車にぶつけられるが、その上司は誠意を見せない。不倫中の同僚から上司の不倫情報を聞き込んだ彼は… 『壊れる』
高級マンションに越してきた主婦が子供を遊ばそうと公園に出掛けるが、近所の団地の主婦達に敬遠され孤独感を感じる。同じ境遇らしい女性の新聞の投書に反応して新たな友人関係を築くのだが… 『誘われる』
病的に臭いに敏感なその主婦は、隣の家のベランダから漂う生ゴミの臭いから、家庭内の様々な臭いまで気になって気になって仕方がない 『腐れる』
留守番電話が苦手なある女性が自分の部屋にあった留守電を手放してから、実生活が覗かれているような執拗なイタズラ電話を受けるようになる 『見られる』

日常のほんのちょっとした隙間に潜む悪意が生み出す悲劇
ミステリ的な話運びではあるのだが、全体的にホラーというか、恐怖が作品集全体を支配している。更に「結婚」という慣習を中心にその周辺に「失うモノを持つ」登場人物を配することで、作品毎に異なる狂気、恐怖、恥辱を効果的に読者にアピールする効果を上げているように思う。愛にしろ地位にしろ、財産にしろ喪うかもしれない、というところに不安が、喪う事態に恐怖があるのだ。一般にホラー系の小説は「こうなると嫌だな」と作者は読者にあるイメージを呈示する。その感覚を持たせること自体が作者のテクニックであるのだが、貫井氏のこの作品集の場合、その「嫌だな…感覚」を持たされたまま、ラスト数行に秘められた深謀に更に驚く、という二重構造になっている。登場人物それぞれは、どこかでほんの一歩足を踏み間違えただけなんだろうけれど……その日常性がホラー作品としての条件なのかもしれない。
個人的には『見られる』の緊張感が特に印象に残った。島田荘司の某作品とシチュエーションは似ているのだが、その意外な真相と、更なるどんでん返し。短い中に色々なエッセンスが込められた佳作だと思う。また表題作『崩れる』は意外性こそ他作品より少し落ちるかもしれないが(逆に意外性がないのが意外なのかも)貫井氏特有の硬質の文章で淡淡と描かれる日常に澱のように溜まっていく狂気が感じられ、ラストまで一気に読めた。

描かれている世代が私自身とも非常に近いせいもあるのだろうが、「人ごとと思えない」作品が多かった。恐らく結婚している人の方がしていない人よりも感じるところは多いのではないだろうか。貫井節のエッセンスが詰まった好短編集。


98/12/14
蘇部健一「六枚のとんかつ」(講談社ノベルス'97)

第3回メフィスト賞受賞作品。昨年度様々な論争を巻き起こし、メフィスト賞の存在意義まで問われた話題作。

保険調査員をしている「わたし」こと小野由一は今まで様々な奇妙な事件に巻き込まれていた。駆け出し推理小説家、古藤や、「わたし」の部下の体重120kg、早乙女らと解決したそれらの事件を記録した十五のファイルという形式で書かれている。
誘拐保険に加入していた子供の誘拐事件を解決すべく、脅迫電話を分析した「わたし」は「ガッツ石松」と雑音の中に聞こえたことから、監禁場所はガッツ石松の事務所の近くと推理する 『音の気がかり』
古美術目当てで刺殺されたパン屋の主人は名物カタカナパンでダイイングメッセージを書いていた 『パンは知っていた』他、各編にダイイングメッセージ、暗号、アリバイ崩し、失せ物探し、不可能犯罪など非常に多岐に亘る分野でめまぐるしい成果をあげる主人公らの物語。

正真正銘の問題作品
色々と情報が先行しており、正直そういったフィルターを介した先入観に基づいて読んだのだが、その感想は、残念ながら作者本人が命名したアホバカミステリなどではなかった。一言でいうと、単なるクイズ本じゃないか、これ……という一種の悲しみ。
例えば、ミステリが好きな人が何人か集まって酒を酌み交わすとしよう。酔っぱらってきて「何かミステリのネタになりそうなことってないだろうか?」と話題にしたときに、思いつきでぽんぽん出てきたようなネタをそのまま使用したら、この作品集が出来上がってしまうのではないだろうか。読んでいても、ほとんど頭を使わずに(つまり推理が推理にならない)済むことだろうか。言い方は悪いが、そのミステリの本質的部分がクイズ的であるがため、結局幼稚園児からお年寄りまで理解できてしまうような印象。一応題名は著名な推理小説のパロディ的な題名であるのだが、内容は全くその元のネタとは関係がないことには少々不満。
先入観を持ちたくない人は以下を反転して読むことはご遠慮願いたい。 最後の最後まで文章は幼稚で洗練されていないように思え、読んでいる途中で度々つっかえたし、恐らく作者が読者を笑わせようとするポイントも、どこかずれていて「ここで笑えって?」と聞きたくなる。また、本来のユーモアミステリとは異なり、他所から借りてきていてギャグそのものがオリジナルでないものが多すぎるのは問題。加えて下品な下系ネタが多い。飲んでいる時に人から聞く分には面白いのかもしれないが、活字で読ませられる身にもなって欲しい。初めからそのつもりもなさそうだけれど、初歩的な設定の矛盾が多すぎるような気もした。

文庫版はどう変化したのだろう。蘇部作品は引き続き読んでいるけれど、この作品だけ読み返す気にならない……。(04 /04/30、記載内容を一部変更)。


98/12/13
藤木 稟「陀吉尼の紡ぐ糸」(トクマノベルズ'98)

野崎六介氏が「京極系ミステリ」と名付け、今年春頃 、京極夏彦ファンの間でもかなり話題に上った新人。民族学出身の方でミステリ以外の著書があるらしい。今年はこの後立て続けにシリーズを二冊継続している。

昭和九年。軍の力が否応なしに強大化している東京が舞台。遊郭としての存在をまだまだ誇示する吉原の一角にある弁財天を奉る神社に「触れずの銀杏」と呼ばれる大木があり、明治の頃から神隠しの伝説を持っていた。ある日、毎朝の日課である犬の散歩に出た男がその木の根本に倒れている男を発見した。総白髪でその顔は背中に対して完全にひっくり返っていた。そして男に対し「おいでおいで」という風に手を振ったという。そして何処からか聞こえる狐の鳴き声。パニックに陥った男は派出所に駆け込み、現場に戻るが、現場には影も形もなく、靴だけが残されていた。この事件の取材に訪れた新聞記者、柏木は、現場にいた軍に対し暴言を吐いたかどで花柳界の担当に回されてしまう。彼自身、身内が神隠しにあった経験があり、事件との関わりがあるのか否応なく引きずり込まれていく。そして彼は取材に向かった吉原で、検事から転身し吉原の自営組織の長を務める盲目の男、朱雀十五と出会う。

目眩くアイデア、周到なプロット。もう少しだけ消化をしてくれれば
評論家や先輩作家が概ね好意的な反応を示しているのも頷ける内容。印象的なプロローグから、「神隠し」をテーマに双子や複雑な家族関係、過去の犯罪などを絡め、更にそれを昭和九年、日中戦争直前という時代性で包み込んで、一大猟奇犯罪スペクタクルともいえる内容になっている。文章そのもののぎこちなさ、時代に関する記述がいささかカタログ的なことなど引っかかる点もいくつかはあるが、デビュー作ということで頑張りすぎたとプラスに考えたいところ。
それと分類するなら、「京極系」というより「島荘系」だろう。過去を舞台にして伝奇的モチーフを使っているだけで同類項としてくくるのは、物語の表層のみ捉えた分類にしかすぎない。奇妙な死体や不気味な事件、登場人物を幻惑させる事件や事象が次々と発生、読者も含めて混乱の極地へ叩き込んでおいて、ラストでおもむろに探偵が真相を解き明かす…。本作の構造は島田荘司の後期の大作群により酷似しているように感じた。京極氏の場合は妖怪が主であり、事件は従である。他にも特徴はあろうが、本来京極氏の執筆動機が妖怪にある限り、京極系というジャンルはミステリを書こうとしている作家(藤木氏が民俗学出身であることを考えたとしても)の中には存在し得ないのではないか。

剛速球を投げる大型新人。まだコントロールこそ完全ではないものの、今後の作品で大化けすることだろう。本作そのものでは、大量の謎の呈示とその筋道の通った解決が大きな魅力。読み通せばそれなりの感慨が得られる作品かと思う。


98/12/12
山田正紀「氷河民族」(角川文庫'77)

山田氏のデビュー作『神狩り』などに続く長編第四作。最初はハヤカワ文庫から発刊された。SFなのだが、あまりそれを意識させない高次のエンターテインメント的な作品。

ある雨の夜、ドライブ中の「私」は突然飛び出した少女をはねてしまう。外傷は無かったが少女は意識を失っており、「私」は彼女を友人の医師、須藤の元に運び込む。「私」は以前、須藤の妻、聡子と関係を持ち、彼とは絶縁状態だったのだが、そういう事は言ってはいられなかった。改めて見る少女は完璧な美しさを纏っていた。彼女は幾日も眠り続け、そしてその体温は異常な低温だった。須藤は更に彼女の血液組成が常人のそれとは異なっている事に気付く。一方私は聡子から「須藤が麻薬取締法違反の容疑で拘留された」というの連絡を受ける。更に翌朝、私の元に突然警察が訪れ、須藤のかわりに少女を匿っていた聡子が殺され、須藤が行方不明になっている告げる。少女は一体何者なのか??

デビュー間もないという事もあり、まだ文章そのものは硬い感じがする。しかし、この段階でまだ山田氏は二十七歳なのだ。(陳腐な表現で恐縮)それなのにこの圧倒的な迫力と壮大な構想はいったい何なのだろう?勿論、今後の作品群でそのスケールは明らかになるのだが。しかも本作を読む限り、テーマが重厚なだけにその硬い文章がマイナスとなってはいない。
本編の中心テーマは山田氏の解釈による従来にない形の「吸血鬼」伝説。その存在を単なる伝奇物語として捉えることなく、(どこまで事実なのかは??だが)「吸血鬼の存在」に対してある程度の科学的な裏付けを取り、物語の説得性を飛躍的に高めることに成功している。こういう良い意味での衒学術は山田作品の大きな魅力である。SFとしてだけでなく、「私」の存在はハードボイルドのようでもあるし、国際的な謀略も渦巻いているし、どのような形からでも楽しめる一流のエンターテインメント小説だと言えるだろう。ラストに至るまでの場面展開、キャラクタ構成、多少の時代は感じても一気に読めてしまうことに変わりはない。

山田氏の小説は既に百数十冊が刊行されており、初期の作品は極度に入手困難な状況になっています。ハルキ文庫などで復刻もされつつありますが、古書店100円コーナーにてよく発見されるので、いろいろ試されてはいかがでしょうか?


98/12/11
宮部みゆき「鳩笛草」(カッパノベルス'95)

この年末の話題作『クロス・ファイア』の前編に当たる作品『燔祭』が掲載されており、クロスを読んだ方がみんな「先に『鳩笛草』に目を通した方が良い」とおっしゃるもので一生懸命探していたもの。

十二年前に交通事故で両親と、それまでの記憶一切を同時に喪った智子はお婆ちゃんに育てられた。そのお婆ちゃんも心臟病で亡くなり、相続の関係で家を売らざるを得なくなった智子は、遺品の整理を開始する。今まで手を着けたことのない物置の中から大量のビデオテープが発見され、記憶を失う前の智子に不思議な能力があったことを発見する 『朽ちてゆくまで』
最愛の妹が殺された。物証がないため罪に問われない犯人を前に殺意を募らせるその兄。彼の前に今まで全く意識していなかった女性が「私、お役に立てます」と言い、手も触れずに彼の目の前にあるキャンドルに灯を灯した。 『燔祭』
地方警察の刑事課に勤める本田貴子には、生まれつき触れた人や物の持っている「思い」を読みとる能力があった。不自然に思われない程度にその能力を使って人生を有利に進めてきた貴子に、ある日突然自らの能力の衰えを感じさせる事態が起きる表題作 『鳩笛草』の三つの中編。

どこにもないことをどこにでもあることのように描く宮部マジック
「著者のことば」で「超能力をSFとして捉えず、人間だれもが持つ能力の延長として捉えて、それでミステリを書いてみよう」(意訳)と宮部さん自身が語っているが、その試みが成功している。三つの中編それぞれは能力こそ違え、予知、念力放火、記憶透視と普通の人間が持ち得ない能力を苦労して折り合いながら、納得しながら公使している若い女性達の物語。それぞれの能力は現実には有り得ない(あるのかもしれないが)もの。しかし、宮部氏の描写力、構成力は、読者のすぐそばにもこんな人達がもしかしたらいるのでは、と錯覚させてくれる。「力を持っている」はずの彼女たちの感性があくまで普通、ないしは普通に生きている私たちより「弱いもの」として描かれていることが大きい。たまたま行き会った彼女らの物語を、道具立ての不自然さなど微塵も見せずに「すっ」と心の中に染み込ませるように読ませてくれる宮部さんも私にとってはまた「超能力者」である。

最近はクロスファイア効果?からか、相当重版されたようで新刊書店の平積みでも見かけます。面白くそして少し切ない三つの物語。平凡な我々へ「物語の語り手」という卓越した超能力を持つ宮部みゆきさんからのプレゼントです。