MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/01/20
仁木悦子「夢魔の爪」(角川文庫'78)

第三回江戸川乱歩賞受賞作家、仁木悦子の短編集。「私立探偵三影潤」もの一編、「仁木雄太郎・悦子兄妹」ものが二編を含む六編から成る。

三影がかって家庭教師をしていた篠村家の息子が、催眠術マニアのその伯父を殺してしまったという通報を受ける。密室となっている部屋に佇んでいた息子はやはり犯人なのか?『夢魔の爪』
雄太郎、悦子が世話になったばあやの住む田舎に遊びに行ったところ、殺人事件が発生していた。人付き合いの悪いおばあさんの死体が喉を絞められた姿で川から上がったというのだ『赤い痕』
母親となった悦子が子供を連れて遊びに来た田舎の旅館。敵の多い女性評論家、倉井容平が同宿だったが彼は何かに怯えていた。彼の部屋が火事になり同時に彼自身も死体となって発見された『虹の立つ村』
街で偶然再会した女中から、その不幸な結婚とそれを脱出するに至った過去の事故の話を聞いた女性は小さな疑惑を覚えた『おたね』
車椅子の女性と幼い姉妹との交互の視点からマンションの上階で南米の毒吹き矢で発生した殺人事件を推理する『小さい矢』
二十一世紀の世界の研究所で炭酸ガス中毒で死んだ助手。ただ殺人と思われる痕跡が。近未来SF仕立ての『ねむい季節』以上六編。

懐かしさを覚える舞台背景とミステリとの美しい融和
本書収録作品のうち『赤い痕』、『虹の立つ村』そして『おたね』は、叙情溢れる長閑な田舎で発生する事件を描いている。舞台となっている自然や風景、植物と、昔ながらの泥臭い人間関係。それらが物語の上で大きなスパイスとなって作品を強く印象づけている。もちろん、ミステリとしての推理の筋道のフェアなところや結末の意外さといった基本的なポイントをクリアしており、短編としての質は高い。『おたね』は名作の誉れが高い、とのことで、心理描写など泣かせる物語である。しかし今まで私が読んできた仁木短編はどれもレベルが高かったので、本作品が特に図抜けているとも思わなかった。文章は美しく、物語は分かり易く、情感が豊かで、かつミステリとしての構造は忘れていない。「短編の名手」とは良く言ったもの。
他の短編も子供視点と、身体の不自由な女性との明るい交流に心和む『小さい矢』、SF的な設定がミステリとしての必然性にしっかりと結びついた『ねむい季節』、かっちりとした本格推理の趣の大きい表題作『夢魔の爪』と水準作が揃っている。

本作含め、角川文庫の仁木作品は絶版中だが、なぜこんな勿体ないことをするのだろう??乱歩賞受賞作『猫は知っていた』のみ簡単に読めるがそれ以外にも、仁木悦子がいろいろな素晴らしい世界を築き上げていることはもっと多くの方に知っていただきたいと思う。


99/01/19
笠井 潔「嵐が丘 鬼丸物語」(角川文庫'88)

エミリ・ブロンテの名作『嵐が丘』を吉田喜重が翻案、時代を日本の中世に移し替え、松田優作、田中裕子らをキャストに据えシナリオを書いた映画『嵐が丘』を笠井潔がノヴェライゼーションしたもの。本書そのものは「書庫の部屋」10万アクセス記念に一人囃子様より頂きました。多謝。

中世の日本。荘園制度と鎌倉幕府の治世の狭間。火の神の神事を司り、麓の人々とは隔絶した生活をしている山部一族。彼らの住む荒れ果て魔の住むような地に建つ立派な、しかし荒れかけた館に一人の貧乏聖と、同行を願った猿回しと鍛冶師が辿り着く。聖は幼少の頃、この地に立ち寄った事があり、老婆より一族にここ十数年の間に降りかかった奇禍の話を聞く。山部一族の「東の荘」を治める先代、高丸大夫が都から異様な貌を持ち強い野性を持つ一人の少年を連れ帰った。下男として仕えることになった少年は鬼丸と名付けられ、当主の息子、秀丸らに虐げられるが全く意に介さない。当主の一人娘、絹は彼の野性と狂気に強く惹かれていく。成長した鬼丸は、畏れ多い火の神の神事を盗み見る。誰にも赦されないこの行為をした鬼丸は高丸大夫と絹は庇うが、秀丸は激怒し東の荘を飛び出してしまう。そして更に月日が流れ、一族の定めより巫女となるため山を下りることを嫌がった絹は、一族の「西の荘」の当主の許に嫁入りすることを計画する。

激しすぎる「生」のドラマ
本作の舞台となる世界には、「東の荘」「西の荘」と呼ばれる豪族及び、それを祀り、畏れ、忌む里の人々が登場し、独特の重厚な雰囲気を醸し出している。祖先を同じくする二つの家族。片や孤高に自らを火の神と変化する祭事を行い、世界との交わりを断ち、片や火の神を退治する祭事を行い、里との交わりを持ちながら、対照的に地域を治めている。二家族に共通するのは”火の神に関わる一族”であるが故の外からの偏見、そして個を犠牲にする頑迷な伝統的家長制度のシステムだ。主人公の鬼丸は、その火の神の申し子でありながら、そのシステムに縛られず、傲岸に成長する。彼の燃えさかる溶岩をも思わせる情念は交わる者に必ず影響を与え「東の荘」「西の荘」共々を破壊的な運命に導いていく。鬼丸や絹、そして他の人間達の抗い、叫び、戦い、それぞれが構成の必然と相まって、破滅的に美しい物語を織りなしている。この破滅という結末でしか、この物語のハッピーエンドは有り得なかったのではないだろうか。原作『嵐が丘』を知らなくとも、この作品から受け取れる何かは、きっとあるはず。

私自身は映画を観ていないのだが、カバー等に掲載されたスチール写真の関係でイメージが固定される部分はあった。ノヴェライゼーションという特異な出版形式上仕方のない部分ではあるが、テキストとして評価をしようとする身には少し残念。

笠井潔の諸作品中でも入手の困難な本の一つ。発行直後に消費税に絡む角川文庫再編で、そのまま絶版となったため。ただ小説としての出来も素晴らしいので、やっぱり笠井ファンは要チェック。


99/01/18
都筑道夫「キリオン・スレイの復活と死」(角川文庫'77)

アメリカからやってきた好奇心旺盛な「自称」詩人、キリオン・スレイが探偵役を引き受ける、都筑氏の「名探偵復活待望論」に沿って作られた本格推理シリーズの第二作目。

雪山にグラビア撮影のお供として向かったキリオン・スレイと家主の青山。スキー場へ向かうリフト型のロープウェイ、衆人環視の中で千枚通しでモデルの一人が刺し殺された『ロープウェイの霊柩車』
あるマンションの住人に次々と彼らの持つセックスに関する秘密を暴露する手紙が送りつけられて来た『情事公開同盟』
ビルの八階にあるデザイン事務所に見知らぬ女性が訪れてビルの外で「人を殺してきた、飛び降りて自殺する」と大騒ぎ『八階の次は一階』
キリオンも訪れたパーティ会場で一人の作家が服毒死。彼は人が飲みかけのグラスを飲んだ途端に死んだという『二二が死、二四が恥』
キリオンらがたまり場にしているバーのママが自室で死亡していた。ある学生がその遺留状況から推理を押し進めると犯人はどうしてもキリオン・スレイであると指摘『なるほど犯人はおれだ』
あるバーのトイレで殺されていた詐欺の容疑者はトイレや刑事の尾行など三重の密室で殺されていた『密室大安売り』
青山の元に「キリオン・スレイと名乗る白人がラブホテルで殺された」との連絡が『キリオン・スレイの死』以上七編の短編集。

本格推理短編のお手本。
これもまた都筑氏の「論理のアクロバット」を実現した作品群。初めのWHY?が非常に冴えている。例えば「狭いロープウェイの中でどうやってモデルは殺されたのか?」「住民のセクシャルな秘密を犯人はどうやって知ったのか?」「誰も知らない事務所でなぜ女性は自殺騒ぎを起こすのか?」それぞれの謎は一旦その真実をちらりと見せながらも、その着地はキリオンの証拠や心理状態、その他背景を加えた論理的な推理により最終的な解決を持って終結する。都筑氏が短編の名手と呼ばれる所以か、短めの文章の中に様々なヒントが散りばめられていた事に読者は後からしか気付かせて貰えないのだ。ちょっと無理目かな?と思う解決もあるのだが、それも論理的な詰めがなされているので、投げ伏せられてしまうのが不思議。更に「推理小説」以前に、時代は(現代からすると相当に)古いのに何故か都会的な洒落た雰囲気の漂う文章もまた巧い。短編の題名それぞれも洒落っぽい。この辺りの「読みやすさ」も都筑作品の魅力だろう。

本作品の難点は入手難である。前作の『キリオン・スレイの生活と推理』はそれなりに部数が出ているが、これ以降のシリーズ、特に『再訪と直感』は即買いものかと思う。


99/01/17
竹本健治「囲碁殺人事件」(角川文庫'94)

『匣の中の失楽』で一躍その名を馳せた竹本健治氏の二冊目の単行本。元本は'80発行。後の『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』と併せ俗に「ゲーム三部作」と呼ばれる。

棋界(囲碁ね)の天才少年として騒がれている「IQ208」牧場智久は姉の典子が助手を務めている大脳生理学者の須藤を訪ねる。智久は近く行われる囲碁のタイトルの一つ、棋幽戦の見学に行こう、と二人を誘い、三人は山梨県甲府にある閑静な旅館を訪れる。対戦するのは「碁の鬼」とも呼ばれる豪放磊落な槇野九段と、「精密機械」の異名を持つ氷村七段。既に第一戦は氷村が勝利を収めており、対戦場となる旅館一帯には一種独特の緊張感が張り詰めていた。第一日目。第一手から長考を重ねた槇野は誰もが思いもつかなかった歴史に残るような妙手を使い、氷村を激しく攻める。勝負は翌日に持ち越したが、誰もが感嘆しつつ槇野の勝利を疑わなかった。ところが翌日、槇野は首を切り落とされた死体となって旅館の近くの滝壺から発見される。結局すぐには容疑者が挙がらず、宿泊者は帰宅を許されるが、智久はその場にいた人間を誘ってこの事件の犯人当てを行おうと提案する。

(竹本作品にしては)意外とストレートな本格ミステリ
竹本ミステリの特徴といえば「異界への誘い」とでも言おうか。別に魔物が跳梁跋扈する世界ではなく、登場人物、読者の確固たる足許を揺るがすような「現実と信じていた事態が実は現実じゃない?」というメタな世界を諸作品で展開しており、それがホラーっぽい味わいと共に大きな効果を上げていると思う。
さて、振り返って本作では、その「異界」へのこだわりはあまり感じられない。 基本的には首切り殺人に対するWHO DONE IT? とWHY DONE IT?の正統派ミステリである。なぜ勝利を目前に控えた槇野九段が殺されたのか?槇野九段はなぜ首を切り落とされていたのか?これらの謎を智久、典子の姉弟や須藤が他のエピソードを交えながら、たまり場となっている囲碁センターに度々集まって推理の検討を行うのだ。試行錯誤の結果、須藤がもたらす事件の真相は思いもよらないものであり、色々な不明点に説明がついて一つ一つに納得する論理的な解決が成される。
それでも得意になって殺人事件の推理をゲーム感覚で行っている智久に対し、それが空論でなく実際の事件であることを思い知らせるエピソードからは「異界に対する現実の復讐」を感じさせられ、竹本テイストを感じ取ることが出来た。

文章的にも読みやすく、ゲーム三部作の第一作品でもある。囲碁に関する知識が全く無くとも読める(私がそう)ので竹本作品の入門的には良いのではないだろうか。特に『匣の中の失楽』に挫折した方は再トライされてはどうでしょう?


99/01/16
坂口安吾「能面の秘密 安吾傑作推理小説選」(角川文庫'76)

もちろん、純文学の方で知られる坂口安吾。彼自身熱心な探偵小説の愛好家であったことは超有名。彼の短編探偵小説の傑作を集成した作品集。

人妻の恋人を旦那と別れさせる為に大金が必要になった豪腕新人投手。彼は自らのトレードの契約金を求め様々なエージェントと接触する『投手殺人事件』
「警察を呼びますよ」との声に気付いた巡査がその家を訪れると押し売りらしき男たちがいたが、彼女は逆に狼狽。不審を覚えた巡査は彼女をマークする『南京虫殺人事件』
全く当選する見込みがないのに選挙に打って出た商店主。余りにも無謀な彼は何らかの策謀を持つに違いないと密着取材をする新聞記者『選挙殺人事件』
農家から成り上がり村の公安委員にまでなった男の唯一の悩みは三十三歳にもなってゴロツキの真似をする息子だった『山の神殺人』
作家先生に原稿を取りに行った編集者は、同業の美人編集者が駅の側でそわそわしている姿を見かける『正午の殺人』
恩義のある旅館の主人に「新弟子待ったらいいのに」と口走った医者、彫刻家、剣術家がその主人が病気になってしまったため妙な事に『影のない犯人』
高利貸しの父親が行方不明の長男の行方を調べるために心霊術師を呼ぶという。残された兄妹は奇術師の伊勢崎九大夫にその秘術を暴くよう依頼する『心霊殺人事件』
盲のあんまがお得意の主人を揉んだ後、その家の奥方のところに行くと、彼女は誰かに強請られているようだった。その晩、主人は焼死してしまう『能面の秘密』以上八編に加え末尾に『年譜』がつく。

独自の探偵小説観が漂い溢れる佳作揃い
掲載された作品が著されたのは大体、昭和二十五年から昭和三十年にかけて。もちろん当時の時代風俗が、物語中に色濃く反映されている部分は否めず、戦後しばらくの日本の世相、慣習、雰囲気にまずは慣れる必要があるかもしれない。坂口安吾本人の文章の語り口も独特だが、これは慣れてしまうと毒々しさ馴れ馴れしさに、深い味わいがある。個々の小説の構想の斬新さ。これが本作の大きなポイントだ。安吾自身の主義から、それまでの探偵小説の主眼とされていた物理的機械的なトリックは本作、ほとんど用いられていない。はっきり言うと殺人方法そのものは普通の刺殺や殴殺で、凡庸とさえ言えるかもしれない。それでも本作を高いレベルの探偵小説(推理小説)たらしめているのはやはり構成の妙。舞台の設定と登場人物の配置がさりげなくも巧み。もちろん「読者を欺くため」に使われるのは巧妙なアリバイトリックであり心理的な盲点を突くトリックで、一見すると奇妙な事象が目に付きながらも最後は論理的な帰結で解決に持ち込まれる。(本作収録の一部は「犯罪小説」ともいえる作品もあるが)安吾のこだわりと技の融和が楽しい、本格ミステリ短編集。

本作も現在絶版で、かなり入手も難しいかもしれない。頑張って探して欲しい、としか言えないような……。(申し訳ありませんが、こういう「読みたくなっても入手困難作品」のレビューが今年ははっきり言って増えると思います)


99/01/15
藤木 稟「黄泉津比良坂 血祭りの館」(トクマノベルス'98)

独特の作風にいつの間にか読者を引き込む'98デビューの実力派、藤木氏の第三作目。

「血取りの爺」と呼ばれる化け物の言い伝えの残る和歌山県の山奥の一角に国でも有数の素封家とされる天主(てんしゅ)家の擬洋風の壮大な屋敷があった。その敷地の一角には千人の男が曳いても動かないと言われる「千曳岩」があり、この岩が動いた時には岩の間から鬼が這い出てきて不吉な出来事が発生するという伝説もまた伝わっていた。四十年前に動いた時には天主家の当主を除き家族が惨殺される事件もあった。現在、この壮麗な屋敷には天主家の一族と大量の使用人が住み、俗世界との交わりをほとんど断ち切った生活がなされていた。莫大な財産を持ち血族婚を繰り返した複雑な一族の間には不穏な空気が蔓延しており、そしてまた昭和初期のある日、その岩が動き一族の間に緊張が高まっていた。第一の事件が発生したころ慈英、聖宝の二人の僧がその館を訪れ続いて探偵の加美がやって来た。

本作、上下巻の上巻である。
てっきり本作で結末がつくと思って読み進めていた自分が悪いんだけれど。今年の二月刊行予定で下巻にあたる『黄泉津比良坂 暗夜行路』という作品が出るそうなので、まとめて読むのがやっぱり吉でしょう。うん。

この段階でコメントするのも邪道かと思うのだが、敢えて。良くもまぁ、こんな無茶な設定を…という典型的?「館もの」の設定。不気味な洋館、不気味な一族、不気味な装飾、不気味な言い伝え、そして不気味な殺人。宗教や占星術、美術や音楽などに関する事実なのか衒学なのか分からないような蘊蓄の嵐。「はぁ、疲れるなぁ」と最初は誰でも思うはず。それを我慢して読み進めると意外に面白くてびっくり」なのだ。後半部分まで読み進めて「これは解決のしようが無いんじゃない?」と思わせられるくらいに立て続けに出てくる謎。そして判明してくる登場人物の思わぬ動き、そして真実だと思わされたポイントが更にひっくり返されてしまって「どうするんだろう?」というところで次の事件のプロローグへと移っていく。引っ張り方が小憎らしい。

ホントの評価は「メインディッシュ」となる下巻次第だが、「前菜」と「スープ」までは思っていた以上に美味しく頂いてしまいました。現段階での後半作品への期待は非常に大きい。


99/01/14
土屋隆夫「針の誘い」(角川文庫'77)

色々な方にご推奨頂いた土屋隆夫氏。元本は昭和四十五年発行。お陰様で私は本作が初読です。

友人宅に遊びに行った帰り、千草検事は血相を変えて路地に飛び出してきた女性と出会う。彼女が働いている製菓会社社長宅の家の一歳になる娘、ミチルが誘拐されたらしいというのだ。脅迫状も自宅から発見された。両親たる社長とその妻はいたずら電話で呼び出しを受けて外出していたがすぐに戻り、事態を知り愕然とする。脅迫状の文言を真に受け、警察の介入を頑なに拒否する両親は要求された現金を揃え指定の場所に出掛ける。ところが自宅近くの石屋で、現金を渡すよう指名されていた母親は目撃者が数人見守っていたにも関わらず、見えない犯人によって刺殺されてしまった。数人の容疑者が挙がり、強い動機を持つ者もいるにも関わらず、千草はその誰に対してもすっきりしない思いを抱いていた。

うーん、これぞ、がちがちの本格誘拐小説
本当に参った。唸らせられた。
最も卑劣な犯罪、誘拐。しかし皮肉なことに誘拐事件を支配する「事件の主人公」は現実であっても、小説内部の話であっても「犯人サイド」にある。誘拐をテーマに推理小説を作ると「あたふたする被害者側」vs「冷静沈着大胆不敵な犯人側」との構図が必ず成立し、本作もその点では例外ではない。ただ、その「犯人サイド」の小憎らしさが抜けている。脅迫状を一通と思わせておいて、裏をかく。身代金を受け取るとみせて裏をかく。警察の裏、被害者の裏、そして何よりも、読者の裏をかくのだ。この辺りは綿密に構成された作者(犯人)の論理(ロジック)が完全に勝っている。読者(捜査側)はその術中にはまり、自由に弄ばれるしかない。更に作中で目に付くのは「決して大がかりではないが小粋な」トリック群。これらが積み重ねられることで、大きなロジックのトリックを補強している。その一部を仮に読者が見破ったとしても、それでも最後には作者の計算された大きな罠にかかっているという仕掛けだ。実際の誘拐事件の事例を加えて作中の事件のリアルさに肉付けするやり方、緊迫した雰囲気に良く似合う硬質の文章も好印象。

何はともあれ、「はぁ、これで事件終結だ」と思わせておいて更に「?」「??」と、何度もひっくり返されるのは、やっぱり推理小説の醍醐味であり快感。初めて読むため(それだけじゃないか?)、かなり注意深く読んだつもりだったが、見事にやられてしまった。誘拐小説の傑作として挙げられる作品だろう。犯人の抱いていたある大がかりな動機、そして少し寂しいラストも味わい深い。


99/01/13
森 博嗣「地球儀のスライス」(講談社ノベルス'99)

森博嗣の十二冊目の単行本にして『まどろみ消去』に続く二作目の短編集。書き下ろし作品三編を含む。

病院長の父親を殺された跡継ぎの息子は古参の看護婦と結婚、事件現場に残されていた小鳥を飼うことに密かな歓びを見出していた『小鳥の恩返し』
トオルの恋人カオルは、彼の一卵性双生児の弟、サトルを紹介される。トオルよりサトルに惹かれるようになるカオル『片方のピアス』
別荘地に訪れていた少年は死を決意し、想いを日記に託した。彼の死体を発見した男は、自らその日記の続きを書き始める『素敵な日記』
ちょっと知能に障害のある素直な少年の独白調で綴られた明るく、そして哀しい日記『僕に似た人』
削り出しで作られるインドの石塔の謎を犀川が出題、皆がそれに挑む『石塔の屋根飾り』
機関車に飾られた風車に似たマークについて諏訪野が出題、皆がそれに挑む『マン島の蒸気鉄道』、何者かに襲われるという強迫観念に駆られる男と、目の前で男が自ら頭を打ち抜いたのを目撃した女のエピソードが絡む『有限要素魔術』
婚約者と共に田舎の沼地にやって来た男が学生時代にあった親友との事件について告白する『河童』
明るく元気でかの有名な(笑)タカナシレンム嬢は不気味な大男と謎の老人にバイトをしないか、と誘われる『気さくなお人形、19歳』
感性の鋭い一人の学生が大学の学食で一人の女性と出会い、はじめは疎ましく思いながらも段々彼女に惹かれていく『僕は秋子に借りがある』以上十編。

乾いた叙情感が美しい透明感の溢れる小説
この評って変?でも私はそう感じた。
様々な小説がある。本格的なミステリから、幻想小説っぽい作品まで。悪く言えば統一感がない、のだがプラスに捉えれば色んな趣向が凝らしてあるということ。色々なアイデアを持ちながら、長編では犀川&萌絵という人気キャラに縛られて書くに書けなかった構想を森氏が次々と実現させたものなのではないだろうか。
黒後家蜘蛛の会を彷彿とさせる(というか明らかに意識した)『石塔の屋根飾り』『マン島の蒸気鉄道』、ショートショートっぽい作風の『素敵な日記』、叙述風ミステリ『僕に似た人』『片方のピアス』……と個別に挙げるとその傾向がはっきりする。特に印象に残ったのは『小鳥の恩返し』と『僕は秋子に借りがある』。両作とも物語にさりげなく自然に「謎の人物」が現れ、「その正体は一体だれ?」というミステリ。「謎の人物」の取る行動は突飛なのだが、そのことが妙に現実の恋愛のリアルを感じさせる。上質の恋愛小説のような独白調の語り口が、”ずびずば”と私のハートに刺さった。ワタクシ的に連城三紀彦風切ない大人恋愛小説と村上春樹風哀しい青春小説のツボに弱いせいかもしれない。

「犀川&萌絵のその後」というキャッチコピーに惹かれて購入した方には不満な内容かもしれません。(何故って……)そのことを考えず「森ミステリの別側面」という風に捉えれば、色々と楽しめる作品集です。


99/01/12
山田風太郎「忍法剣士伝」(角川文庫'86)

山田風太郎十八番目の忍法帖の長編。'67に河北新報に連載されたもの。現在のところ角川文庫版を入手しないと読むのは困難か。

戦国の世、織田信長が順調に版図を拡大している頃、次の標的となったのは伊勢の北畠家。信長は暗愚な次男、茶筅丸を当主北畠具教の美貌の一人娘、旗姫に婿入りさせるべく要求をしてきた。北畠の危急を知り、彼の元には塚原ト伝、上泉伊勢守ら二人の当代無双の剣豪が集っていたが、受け入れやむなしの風であった。旗姫が指名した若き忍者木造京馬の一言でこれは決定されたが、京馬の兄弟子で旗姫を横恋慕していた飯綱七郎太はその決定に不服を覚え、単身にて果心居士の元に乗り込み「幻法びるしゃな如来」を体得、婚前の旗姫にその術を施してしまう。その技を受けた女性はあらゆる男を悩殺する女人となり、魅惑され十歩以内に立ち入った男性の悉くが全ての精液を放出してしまうという恐ろしいものであった。京馬は具教の命を受け、野獣と化した十二人の剣豪らから姫を守るべく放浪の旅へと出る。

伝説の剣豪同士の鬼気迫る一騎打ちに大興奮
表題に「忍法…」とはあるが、物語の契機となる「幻法びるしゃな如来」以外は「忍術」そのものには余り重きが置かれず「剣士同士の凄まじき戦い」がメインになる。旗姫を連れて逃げる木造京馬はそれなりの忍者ではあるものの、兄弟子たる飯綱七郎太にも及ばず、ましてや追っ手となる当代屈指の有名剣士たちに力で及ぶすべもない。従って旗姫の魅力に取り憑かれ次々と追いついて来る剣士たちは京馬本人は歯牙にもかけていないし、彼も姫の安全第一に戦わずに済ませようと知恵を絞る。その結果、目的の同じ剣士達が互いに戦いあうことになる。その取り合わせはまさに戦国のドリームマッチ。動機こそ女性を争うものながら、尊敬する剣士と刀を交えることに悦びさえ感じている彼らの殺気、気迫、妙技が本作最大の読みどころとなろう。更に「さすがは風太郎」と唸らせられたのは、剣士それぞれの伝えられる史実、余生を物語上でうまく料理している点。もしや実際にこんなことがあったのでは、と読者を錯覚させてしまう虚実重ね合わせてもっともらしくしてしまう技巧により、風太郎魔界は読者により強いリアルを感じさせる。
魔界転生』では柳生十兵衛と魔界剣士の剣での戦いが描かれていたが、かの作品では十兵衛に加え身を挺して彼らを倒す仲間がいたのに対し、本作では十二分に剣士対剣士の正々堂々の一騎打ちが描かれている。これらを読み比べるのも面白い。

やっぱり忍法帖は凄い。読み進めることが常に「快」映画を見ているかのような巧みな場面転換、時代に風化しない話術、奇想天外な設定。どの作品を読んでも必ず満足。本作はラストの後味とちょっとしたひねりが嬉しく、読後感が大いに爽快だ。


99/01/11
貫井徳郎「誘拐症候群」(双葉社'98)

貫井氏の六作目の長編にして、『失踪症候群』から続く「症候群シリーズ」の続編。

理由あって警察の職を辞し、托鉢僧として自らを修行の身に置く男、武藤。彼はその表向きの顔とは別の裏の仕事も行っている。新宿西口地下で毎日托鉢をしている彼は、高梨というティッシュ配りの青年と知り合う。普段は人との交わりを極端に避けるはずの武藤は何故か、絵本作家で貧しいながらも韓国人の妻と仲睦じく暮らしている高梨に対して好感を抱くようになる。
世間では報道されない奇妙な事件が続いていた。平凡な一般家庭の子どもが誘拐されるのだ。しかし機械的な声の脅迫者の要求する金額は五百万、七百万円とそれほど多額ではない。被害者が何とか工面した金を指定された口座に振り込むと子どもは必ず無事戻ってくる。犯人の報復を畏れて警察への届け出を躊躇う被害者により、この事件の発覚は遅れていた。
病身の母を看護している独身女性、咲子は日々の外出もままならず、人付き合いの苦手な彼女の唯一の楽しみはパソコン通信。彼女はネット上で知り合った、実際には会ったこともない男性<ジーニアス>の知性に知らず知らずのうちに惹かれていた。

スピード感溢れる展開、複雑なプロットを解く快感。一気読了保証!
本作品で提示される謎は、決して不可能犯罪や不可解犯罪ではない。一連の事件の黒幕が「ジーニアス」であろうことも早い段階で明らかにされてしまうし、高いレベルに洗練された誘拐の構造は興味深いものの、それ自体は大きな謎とは言えない。武藤と高梨が巻き込まれる誘拐事件もサスペンスフルな展開ながら、犯人探しにその謎は集約されてしまう。一連の事件と、武藤の事件。読者は最初からジグソーパズルの既にかなり組み合った部分部分をいくつも手にしているのだ。その部分部分(プロット)の絵は鮮やかで、その部分を眺めるだけで充分な何の絵が出来上がるのかは茫洋としながらも、漠然と分かる気にさせられる。しかし、読者はその繋ぎ目となるピースを探し続けなければならない……これが本作品の特徴である。この作業には退屈どころか、作者によって巧くコントロールされた流れと、物語にマッチした硬質の文体によって「キレ味鋭く」埋めていく快感さえ感じさせられる。
高梨の哀しみ、武藤の根性の捜査、咲子のひらめきと韜晦、そして<ジーニアス>の傲慢さ……「組織的捜査」が大きな魅力だった前作よりも人間の持つ感情が重視されている感があり、それがまた物語により深く没入する要因となっている。
そして、ミッシングリンクが少しずつ繋がり、終盤ぎりぎりまで二つに分かれて見えそうで見えなかったパズルの最後のピースを填め込む悦びが、本作品の最高のカタルシスとなる。高梨の取った普通なら悲劇的な行動がそれでも「救い」に見えてしまうあたり、私の心も「症候群」に囚われているのだろうか?

警視庁人事二課の環とその部下の凄さがしっかり描写された『失踪症候群』を読んでから本書に取り組んだ方がこの迫力をじっくり味わえるかと思う。それにしても「症候群シリーズ」は両書ともいわゆる「ジェットコースターノベル」読み出したら止められない。真剣に続編(最終巻?)が待たれる。読むべし読むべし。パソコン通信やインターネットを知らない人には理解不可能な用語もあるかもしれないが、このHPを見ている貴方は大丈夫(笑)