MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/03/10
山田太一「見えない暗闇」(朝日文芸文庫'98)

ドラマ『ふぞろいの林檎たち』などのシナリオで知られる山田太一氏。実は文学的には山本周五郎賞受賞者である。本作も週刊朝日に'94年頃に連載されていたもの。
本作品は福井健太さんのCAPRISE CENTERの掲示板にて「本格ホラー」という概念について教わった際に中島晶也さまからその好例として挙げられた作品の一つ。

東京都の清掃局で課長を務める洋介。彼は一人息子を京都の大学に送り出し、妻と義父との三人で平穏に暮らしていた。勤務中、かっての部下でゴミ処理場に勤務する関田から「真夜中、ゴミ処理場の中に光るものが出る」との連絡を受ける。しかし関田は電話をしてきながらも何か様子がおかしい。帰宅すると今度は共働きの妻の様子もおかしい。尋ねると帰り道に見知らぬ男に声をかけられ、駅まで送っていったのだという。自分でもなぜそんなことをしたのか分からないという妻に洋介いらだちを感じる。翌日、洋介は「光るもの」の確認と関田の様子を見にゴミ処理場を訪れるが、やはり関田は何か隠していることを感じ、自らの恥ずかしい体験を暴露してまで彼の話を促すが彼は話したくても上手く表現できないようだ。暫く後、洋介は義父から妻が浮気をしているのではないか、という疑惑を聞かされる。それ以後明らかに妻の様子もおかしいのだ。

今まで知覚しなかったものを認識する怖さ
上記掲示板で学んだこと。「本格ホラーとは超自然的恐怖を描いた小説である」「超自然的恐怖とは異界の力によって日常が根底から壊されることの恐怖である」
本作の裏に表に現れるテーマの一つとして「ゴミ」が上げられる。人が一度廃棄してしまった「ゴミ」はそれがどう処理されるか、程度のことは誰でも知っているとしても、それを実感する機会など普通ない。しかし世の中、本当は「ゴミ」で溢れている。それがモノであってもヒトであっても。しかし、人間は便利なものでそんなことを知らなくても生きていけるし、知ろうとそもそも思わない。その存在を無理矢理知らされ、しかも決して忘れられない、忘れさせて貰えないとしたらどうなるか。それが本作に於ける超自然的異世界を形作る一部分である。「ゴミ」の中に「言葉では表現できないもの」を見た主人公洋介の同僚、また「ゴミのような人間」という、これまた異世界に触れてしまった彼の家族が、少しずつしかし確実に日常が破壊され、それを元に戻そうとすればする程洋介自身がその異世界に近づかざるを得ない…静謐な凄まじさが、読者の恐怖を呼ぶ。作者による説明のない「異界の者共」「夜、光るモノ」…などなど。想像と妄想をそれらに巡らすのもまた、ホラー小説の醍醐味なのだろう。

ミステリではないし、俗にホラー小説として分類される小説でもない(らしい)。が、この小説全体に流れる不思議な感覚。赤裸々に具体的に描かれる主人公らの経験と共に「小説」として深く楽しめる作品だと感じた。


99/03/09
結城昌治「長い長い眠り」(中公文庫'75)

結城昌治氏の長編第二作目。'60に光文社から書き下ろされた作品が元。前作『ひげのある男たち』に続く、ひげの郷原部長刑事もの。ただ郷原部長の活躍はちょっとおとなしめかも。

千駄ヶ谷の絵画館裏の林の中で一人の男性死体が見回りの警官によって発見された。その男は眼鏡をかけひげを生やしており、何故か下半身にズボンを履いておらずパンツ一枚の状態であったことに捜査員は首を傾げる。身元が知れるようなものは無かったが、胸ポケットに入っていた寺社の地図から丹念に調べていくと、男が輸出玩具製造の会社社長、野平研造であることが判明した。野平は女性にだらしがなく、四人目になる妻との仲は既に冷えており、更に小料理屋を経営している胡蝶という女性との付き合っていることが分かった。しかも胡蝶は、事件当日に現場近くの信濃町駅で、野平の血の繋がらない娘、カオルと偶然出会っていた。痴情による殺人かと思われるが、動機を持つ人間があまりに多すぎて捜査は難航する。

洒脱で都会的なミステリ。三十年以上前の作品とは気付かなかった
本作品の中心となるのは完全なWHO DONE IT?。下半身パンツ一枚にして屋外に放り出された「女性に対して愛情は真剣なのに関係はルーズ」という何となく憎めない性格の社長を物語の中心に据えることで、彼の周辺に効果的に関係者(容疑者)を散りばめることに成功している。物語は多面性を持って色んな人物の視点で進められているため、彼らがそれぞれ陰に日向に様々な動機を持つことが分かる。女性、金銭、親子、仕事…それぞれ、確かに動機とはなるが、被害者を含めて、読者が憎く感じるような悪い人間は全然出てこない。それでも「彼が死んで良かった」などの穏やかでない言動が飛び交うし、それぞれ誰が犯人であってもおかしくないクセ者揃い。多分、中盤までに犯人を当てられる読者はそうはいないはずだ。
それにしても文章が新しいとまでは言わないまでも、今読んでもあまり古びていない。また登場人物たちのドライな感覚も余りにも現代的で読んでいて、読みながらこれほど昔に書かれた小説だとは思えなかった。当時にしても氏のセンスは相当に斬新なものであったのでは、と推察される。
ただ、ちょっとミスリーディングが不発な点、文章で触れていない読者に隠された点が真実に影響するところなどフェアと言い切れない部分があるのが少し残念。読み終わって郷原が事件を振り返って回想するのだが、この事件の発生することになった、鍵となるある性格の特徴と、その点に着目して物語を作り上げた点などは、やはり非凡な才能を感じる。

本格というより洒落た都会のミステリ、といった趣き。真剣に犯人を捜すも良し、ユーモラスな雰囲気を楽しむも良し、郷原部長刑事に感情移入するも良し。色々な読み方が出来るが、ラストでびっくりすることだけは誰にも避けられないでしょう。


99/03/08
甲賀三郎「妖魔の哄笑」(春陽文庫探偵CLUB'95)

戦前、乱歩に次ぐ人気を誇っていたと言われる探偵小説家、甲賀三郎。探偵小説に冠せられる「本格」という言葉を考案したと言われ、大阪圭吉や小栗虫太郎を世に送り出した功績も。短長編とも多作を誇り、その論理的な解明への筋道は高く評価されていたが大戦終結直前'45年に没した。

新潟行きの寝台急行列車に乗った青年、土井健三はふと夜中に吐き気を覚え、便所へ向かう。使用中の札にデッキを出て用を足そうとしたところ突然車掌から羽交い締めにされ、軽井沢駅で殺人の容疑者として取り調べを受ける。彼の乗っていた車両のもう一人の乗客らしき男が便所の中で顔を滅多切りにされて殺されていたのだ。土井は向かいの乗客の中指が欠けていたと主張、死体の指が揃っていたことから、今度は被害者は高崎で降りた大富豪、野崎氏が偽装されて殺されたのではないか、と推論された。野崎氏の娘、銀子は帝国ホテルで警察の水松警部と落ちあうが、番頭格の成田という男もろとも謎の男達に警部の目の前で誘拐されてしまう。追跡の結果、成田は暴漢との撃ち合いにて命を落とし、敵も捉えられた仲間を撃ち殺し逃走してしまう。ようやく軽井沢に辿り着いた銀子は「死体は父親でない」と証言、捜査は再び混乱する。一方、東京に戻った土井は事件の責任を社長より取らされ、事件を探る探偵になるように命ぜられた。

波瀾万丈にして構成緻密、これは人気が出たわけだ。
何もかも鮮烈にして強烈。顔面切り刻まれた死体、四本指の男、誘拐、浴槽を除いて美女の殺人現場を目撃、暗躍する黒眼鏡の女。主人公の土井青年と副主人公の水松警部がいいように「敵」に翻弄される。戦前という時代、情報伝達手段が少ないため、どうしても個人行動が増えてしまう彼らが一人で味わう恐怖とスリルがより強調された形で読者に伝わる。薄暗がりは決して明るく照らされることはなく、暗闇はどこまで行っても暗闇なのだ。
本編には乱歩の通俗長編との共通性が見られる…というより、当時の大衆文学(大衆が熱狂的に受け入れる作品)とはこのようなものだったのだ、と改めて伺い知った。作品を振り返ると奇怪な発端、エロとグロの饗宴、底知れない悪の組織、意表を突く誘拐、悪漢との格闘、そして不可能犯罪。これらの全てが物語にはち切れんばかりに込められている。素晴らしいのは、それが単にどたばたした正義と悪の勧善懲悪物語としてではなく、推理小説的プロットに基づいて構成され、それに当時のエンターテインメントの衣を分厚く着せている点であろう。時代と読者が変わってもエンタメの本質は変わらない。一気にいけます。

残念ながら甲賀三郎作品のうち、現在新刊で読める作品は非常に限られている。その中で春陽文庫のこのシリーズは貴重。他の作家ともども今のうちに買っておきましょう。いつ何が起きるか分かりません。それはね、春陽文庫だから(まるしー喜国先生)


99/03/07
坂口安吾「復員殺人事件」(角川文庫'77)

'48年に発表された名作『不連続殺人事件』の翌年より「座談」という雑誌に連載されたものの、廃刊で執筆が中絶、安吾の手では結末がつかなかったという幻の長編。その後に高木彬光により『樹のごときもの歩く』という完結編が執筆され、本書でも収録されている。

昭和二十二年の夏のある日、素人探偵巨勢博士の事務所に倉田定夫、美津子という兄妹が訪れ、二つの手形を照合して欲しい、と依頼した。その二つの手形は紛れもなく同一のもので、倉田家の次男、安彦のものだった。少し前、小田原の成金である倉田家の玄関先に一人の復員がやって来た。片手片足がなく両眼は潰れ片顎まで砲弾にもぎ取られたその傷痍軍人は、家人に対し左の手のひらをしきりにアピールする。事情に気付いた美津子が、安彦が出征前に残していた手形と比べてみた、ということだった。結局彼は、安彦だろうということで家に収まるも、当主の由之はじめ、一家は彼を「丹下左膳」と呼び毛嫌いする。更に倉田家では十七年前も長男とその息子が、轢殺されるという事故とも他殺ともつかない事件が発生していたのだ。そしてある晩、惨劇が発生する。倉田家の長女が射殺され、美津子をはじめ、三人が大量の睡眠薬を飲まされ、そして最大容疑者であるはずのその復員兵までもが絞殺されていたのだ。出征前の安彦が残していた「樹のごときもの歩くを見ゆ」聖書の一説の意味するものは?

考え抜かれた複雑な構想と壮大な伏線。途絶が本当に残念。
既に二人が謎の轢断死を遂げている一家を襲う次の災厄が、一挙五人の殺傷事件。限られた登場人物しかいないにもかかわらず、こんな大胆な発端を持ってこれる作家は現代に至るまで安吾くらいしかいないだろう。(清涼院氏とかは別ね)本作の凄まじさは、冒頭でこれだけ殺されておきながら、倉田家の連続殺人事件がまだまだ継続する点。ばったばったと人が死にどんどん容疑者が限定されているはずなのに、生き残った関係者全てが怪しい…(昔の殺人事件を含めると被害者までも怪しい)という、複雑さ。ここで陰惨なおどろおどろしい過去の因縁が…と持ってくるのが当時の探偵小説の常道なのだが、そこは安吾。奇妙な宗教程度は伏線に登場するものの、戦後復興期のたくましさと、安吾流の楽観論を備えた登場人物たちは、あまり落ち込まず、再び日常生活を開始してしまう。安吾が描きたかったものが、決して登場人物の悲嘆や変化ではなく、「純粋な読者との知恵比べ」という明快な目的を持っていたからだろうと思う。

そして高木氏による解決編。謎だけ呈示された物語から(しかも初めから犯人当てを意図したものではない)結末をつけるのは大変な作業だと思う。その意味でも高木氏の業績は非常に大きい。ただやはり一読者の際限ない欲望からすれば、安吾の手による結末が読んでみたかったのは正直なところ。本作もポイントは押さえられ、論理的でそれなりに納得出来る解決に結びつけられているものの、安吾が大量に埋めた伏線を中途半端にしか利用仕切れていない点が何より残念。安吾独特の軽薄なカタカナの使い方も逆に多用しすぎで意識しすぎているのではないか、と感じた。

私が読んだのは角川文庫の絶版本ですが、逆に古書価がついている分、専門古書店に行けば結構置いてあります。ちくま文庫などでも読むことが出来るはずです。ただ、こっちは文庫にしては鬼畜価格(笑)ですのでプレミアついても結局古書で購入する方が安いかも。安吾の探偵小説群の持つユーモアと緊張の混じり合った雰囲気は、現物にあたって頂かないと正確に伝えるのは難しいですね。


99/03/06
鮎川哲也「積木の塔」(角川文庫'76)

'66、読売新聞社の新本格推理小説全集の為に書き下ろされた作品。とうとうハルキ文庫で鮎川長編の復刻が開始されたので、待っていれば再刊もあり得るかもしれない。

中途入社して苦労しながらレコードのセールスで好成績を上げていた真面目な中年サラリーマンが、東京のある喫茶店で突然死亡した。検屍の結果、青酸を喫茶店のコーヒーに混入されたことが原因だと分かり、殺人事件として捜査が開始される。彼を喫茶店に誘った「稲村のおくさん」と呼ばれていた女性が第一の容疑者として浮かんだが、殺された男と「稲村」という人物との繋がりが分からない。丹那刑事は捜査の過程で、長谷鶴子という女性に辿り着くのだが、彼女自身も山陽本線の沿線で絞殺死体として発見された。彼女は福岡のパトロン訪問の帰り道、大阪行きの急行列車内で殺され、死体を投げ捨てられたものと見られた。そのパトロンの挙動に不審を感じた丹那は、男を調べるが彼には完璧なアリバイが存在した。

直球ストレートのアリバイミステリ
鬼貫警部ものであることからも推察されるように、アリバイ崩しが主眼となった作品。特に本作では当初こそ数人の容疑者が浮かぶものの、序盤を過ぎる頃から容疑者が完全に一人に絞られ、彼vs鬼貫との精神戦の様相を呈している。捜査の過程で少しずつ隠されたベールがはぎ取られていき、容疑者の人物像が少しずつ明かされていく様は、なかなかに面白い。特に殺された男との意外な繋がり、そして終盤に向け浮かんでくる犯行の動機というのは、昔から存在した理由ではあるのだろうが、現代でも通用するかもしれない怖さを感じる。これだけの材料があれば、もっと社会に訴えるような作品にも出来そうなものだが、アリバイトリックに拘り、動機や他の材料をあくまで副材料として扱ってしまうあたりは「鮎川哲也だから」としか言いようがない。
本作に限らず、鉄道アリバイミステリは飛行機の使用を検討に入れるシーンが必ず入るが、ジャンボがばしばし飛んでいる現在ではもちろん、プロペラ機が飛んでいたであろう当時でも、十日以上前に乗った乗客の顔をスチュワーデスの証言だけで検証出来てしまうのだろうか。これは言ってはいけないコトなのかも。

うーん、標準的鬼貫警部モノ、と言ってしまえばいいのだろうか。昭和初期の鉄道や、土地土地のノスタルジーをほんのり感じる作品。


99/03/05
山田風太郎「妖異金瓶梅」(角川文庫'81)

『水滸伝』『三国志演義』と並ぶ中国を代表する奇書『金瓶梅』。日本を代表する奇才、山田風太郎がその設定と登場人物を借り、連作推理の形式で物語を再構成して描いた作品。風太郎作品の中に限らず、国産文学(広義のミステリ)全体の中でも「傑作」とされる。

中国、宋の時代、清河県。三十半ばの大富豪、西門慶は豪壮な屋敷に正夫人の他に六人の愛妾を持つ上に、美童や花街の女性をも嗜む壮健な体と逸物を持つ大人。惚れた女性はどんな手段を使ってもモノにするのだが、それでも皆に愛されていた。特に彼の第五夫人、潘金蓮はその美貌、豊満な肉体と聡明な頭脳を持つ女性で最も深く西門慶の寵愛を受けていた。絹問屋の息子で西門慶の幼なじみで、彼のたいこ持ち、応伯爵も女遊びは卒業した筈なのに、潘金蓮の魅力には参っていた。そんな一家に発生する奇妙な事件。足の切断された愛妾の死体、雪の中で死んでいた美童…次々発生する事件を、応伯爵が沈着に解き明かすのだが……。

妖艶且つ大胆、奔放にして細心、愛の最も単純で複雑な形
「はぁ」読後の第一声が溜息である。さすが中国、とにかくスケールが大きい。もとの設定こそ借りてきたとはいえ、実際のところは風太郎が渾身込めて一から作り直した中華世界である。その舞台の中で、登場人物が素晴らしく活き活きと描かれている。彼らの生活の匂いが頁の隙間から漂ってくるかのようだ。更に「中国」という馴染みの薄い宋の時代の風俗習慣の中に読者を叩き込んでおいて、それぞれ短編の中での犯罪、復讐、トリックそして動機がすんなりと、驚きと共に受け入れられるよう計算づくしの構成は見事という他なし。
予備知識ナシに入っても物語最初の数編を読めば、一連の事件の主役が誰だかはすぐに気が付かれることかと思う。その主役の持つその「情念」が真の主役であることに気付くのはそれよりも後になるか。一種物語を作る上での縛りともなりそうなその状況下で、それを上手く料理し昇華させることで風太郎はその情念そのもので読者を魅惑し戦慄させることに大成功している。主要な登場人物が喪われた後のラスト数編を付け足しと言うなかれ。対象が既に存在しない世界ででも、その情念が生き続け、増殖していることには背筋が寒くなると同時に、不思議な感慨さえ湧いてくる。

ミステリとしても確かに一級だが、それだけの範疇に止まる作品ではない。原著『金瓶梅』が色んな形で評価されているのと同様、純文学、恋愛小説、伝奇小説、もちろん推理小説と色んな要素が渾然一体となって複雑で読む者を惹き付けて離さない、蠱惑的な香りを漂わせる特級文学であると断言したい。風太郎に触れたなら本作も読まないと損(断言)廣済堂文庫版が大書店で入手可能。


99/03/04
服部まゆみ「罪深き緑の夏」(角川文庫'91)

『時のアラベスク』にて第七回横溝正史賞を受賞し、業界内でも信奉者の多いという服部さんの第二長編。'88年に発表され文庫化されたものだが、比較的近作に関わらず手に入りにくい。

主人公の若い画家、山崎淳は十二年前に、ある画家の愛人だった母親と、その画家の”奥様”の見舞いに熱海を訪れた。その別荘の側に「蔦屋敷」と呼ばれる洋館があり、腹違いの兄と父親の弟子の青年はその屋敷に住む百合という少女に熱を上げていた。滞在に倦んでいた淳は、その洋館に訪れ百合と出会う。彼女は淳を蠱惑、彼に毒の花を食べさせ、寝たきりの自分の母親に淳を会わせる。その母親に「お前は醜い」と罵倒された淳は戻るなり寝込んでしまった。そして、現在、その百合が兄の婚約者として再び淳の前に姿を現す。それがきっかけのように奇怪な事件が、彼らの回りで勃発するようになる。画廊で火事が発生、展示終了した兄の絵と展示を開始するために搬入した淳の絵が燃え、良くしてくれていた画廊の主人が焼死した。さらに兄は百合とのドライブの途中に事故を起こし、百合を下半身不随にしてしまう。

「現代」という磨り硝子に映った中世風ゴシックに飾られたミステリ
時代遅れの洋館にひっそりと住む純粋無垢の幼女、秘密を共有しながら心を決して開かない美少女、そしてソドミイの研究に執念を燃やす兄とで構成される奇妙な一家。一方、腹違いで画家としての才能と性格に恵まれた兄を持ち、屈折した心を持つ主人公。クセと秘密を抱え込んだ登場人物らが、欲望と歪んだ愛情、変わった嗜好や羨望という糸を縦横無尽に操って織りなす物語は、重厚なペルシャ絨毯のよう。彼らは自らこそが、デザインしているつもりがいつの間にか織り込まれてしまい、複雑で美しくかつ生々しい織物が最終的に読者に呈示される。
その表層こそ、自分のことを伝えたいのに伝えられない、相手の何気ない仕草に一喜一憂し、自分自身の劣等感に苦しめられたり…といった、主人公の少年の(青い)青春恋愛小説とも取れる展開なのだが、下層にどっしりと横たわっているのが、様々な動機を内包した本格ミステリ的な謎の群である。「蔦屋敷」という奇妙な舞台と、クセと魅力を併せ持つ登場人物たちによってその謎と動機と真相とに大きな説得力が与えられるのだ。 平たく言えば、毒のあるロマンティックミステリとすれば良いのだろうか。読んでいる間ずっと服部氏の創り上げた「世界」に不思議と魅せられてしまう作品かと思う。

本作、比較的最近であるにも関わらず、角川のカバー替え時に絶版にされた模様。独自のセンス、他人とは異なる思考をする全く別の他人の白昼夢の中に飛び込まされたような、不思議な魅力を持つ作品。日本人作家には珍しい繊細なセンスと大胆なミステリが融合した、これも一つの完成形かと感じた。


99/03/03
山田正紀「人喰いの時代」(徳間書店'88)

戦前の小樽を舞台に、呪師という学生が出くわすその地域に纏わる古今の事件を解き明かす連作短編集。'84〜86にかけ『問題小説』に発表された作品に書き下ろしの一作を加えている。

時は戦前、昭和十一年前後。遊民学生であった椹(さわら)秀助は東京から樺太に向かう定期船の途上で「人間心理の不思議さ」に興味を持つという呪師霊太郎という奇妙な学生と出会う。船は天候事情により小樽にて足止めされ、二人は小樽に腰を据え、いろいろな事件と関わり合うことになる…。
船のマストから絞殺された人間が宙づりになってぶら下がる。下着姿だった彼はいつの間にか服を着ていた『人喰い船』
小樽郊外の温泉街。最終バスに乗った男一人を残して運転手を含む乗客男女四名が行方不明となる事件があった『人喰いバス』
小樽近郊、朝帰岳にある邪恋谷と呼ばれる場所はよこしまな恋をした人間が近づくと必ず墜落するという伝説があった『人喰い谷』
倉の中で娼妓と恋仲になっていたエリートサラリーマンが手首を切って死んでいたが凶器が見当たらない『人喰い倉』
昔、特高に尋問され釈放された男が、雪まつりの会場で不審死を遂げた。彼の周りには足跡が無かった『人喰い雪まつり』
北海道大博覧会の目玉、北道タイムズの放送塔。準備中のその塔のネオンサインが突然点灯した瞬間、「人が落ちた」と秀助が叫び、人々が騒ぎ出す『人喰い博覧会』

不可能犯罪と時代の告発を両立。山田正紀初期の意欲作
作品集の題名を「人喰いの時代」としてあるように、個別の作品を取り上げていくとそれぞれが、表面的に不可解な人間や物体の消失を主眼としてまとめられている。奇怪な状況の下、犯人や被害者や凶器や足跡が消えてしまう事件。その建物や環境なりが、それらを取って喰ってしまったのではないか、という不気味さがある。ただ本作の「人喰い」は状況ばかりでなく、恐らく表題にある「時代」にも大きな割合で掛かっている。つまり題名そのものに戦前の暗い世相をも反映させる意味もあるのだ。物語全体は思想の統制、軍部の肥大、特高の暗躍といった景気こそ好況でありながら実は破滅に向かって日本国がひたひたと進み出した時代を舞台にしている。そして小樽においてその悪しき状況を支えたと思しき人物達(悪者)がさりげなく、または深く物語に関わっている。その結果、発生した事実よりも、圧迫からの反発、窮境からの逃避といった動機めいた部分にどうしても心が奪われる。最終話『人喰い博覧会』にて明かされる真相を待たなくとも、確実に「人喰いの時代」は読者の胸を捉えるはずだ。もちろん、個別の事件も山田正紀風に料理。元トリックがあるものもあるようだが、物語を楽しむ上で支障になることはない。事件と時代。二つのプロットが絡まりあって『人喰いの時代』という平和ボケした我々には想像も付かない、壮絶な時代の一環を垣間見せてくれる。

徳間文庫版も含め、かなり入手困難だったが、ごく最近、ハルキ文庫で再刊された。山田正紀のミステリ第一作(諸説ありますが)にして傑作として挙げられることの多い作品。最近の山田ミステリと読み比べるのも一興かもしれません。


99/03/02
土屋隆夫「危険な童話」(角川文庫'75)

土屋隆夫氏が'71年に発表した第三長編。必ず昭和ミステリのベスト100に挙げられる作品で、今なお土屋氏の最高傑作とする人も多い。私は相変わらず角川文庫版で読んだが、光文社文庫版が現在は普通だろう。比較的入手しやすいはず。

ある文学青年が同人誌『信州文芸』に発表した未完の長編、『月女抄』の幻想的な冒頭部分が序章として引用されているが、本編では一変して木曾という刑事の出勤風景が描かれる。ピアノを習いたいという娘を巡り、女房と衝突した余韻を残しつつ研修に出席させられて署に戻ると、殺人事件が彼を待ち構えていた。彼が上田署に配属されてすぐ傷害致死で逮捕した須賀俊二という男が、刺し殺されたというのだ。五年の刑期を務めて一週間しか経っていなかった彼が「---私が出獄する日にまた刑事さんにお世話になるんじゃないかと---」と言っていたことを木曾は思い出す。須賀はピアノを教えている未亡人、木崎江津子の家で発見され、第一発見者の江津子は容疑者として拘留される。しかし、須賀を刺した凶器のナイフがどこを探しても見つからない。そこへ「彼女は犯人ではない」と書かれたハガキが警察に届く。しかもそのハガキには疑わしい人物の指紋までついていた。

犯人探しでもアリバイ探しでもない……証拠探しの本格推理
あくまで捜査する側から事件は観察され、事件の真相は全く読者にとっても闇の中。ただ、章が変わる毎に冒頭部挿入される、月との交流をテーマにした幻想的な散文詩が提示されている分、作中の登場人物(木曾刑事)より優位に立っているはずなのだが…。
容疑者の江津子は被害者の従兄弟ながら、死体発見の経緯に不自然な点があり、絶対的に怪しい。動機も殺害方法も明かされないが、ただ彼女がこの事件の少なくとも黒幕であろうことはすぐに想像がつく構造になっている。本作が盛り上がるのはここから。警察に拘留されている彼女には出来ない筈の、不思議な出来事が次々と発生するうえ、どんなに探しても彼女を犯人と決定するに足りる物証が全く発見されないのだ。この証拠と事件のからくり探しが本作品の眼目とも言える部分。主人公・木曾の焦燥はそのまま読者に転移し、木曾が分からないことは読者にも分からない。凶器はどうなったのか、警察に送られてくる脅迫状は誰から、どうやって、そして彼女が凶行に及んだ動機は一体何だったのか。これら一つ一つのからくりは、小さなトリックかもしれない。しかし「塵も積もれば山」となるを地で行くかのように、土屋氏はそれぞれを物語の最中に効果的に配置することで「大きな謎」を創り上げている。そして土屋氏がどうして章毎に詩を挿入したか、という部分にまで考えが及んだとき、本作の深く、巧みな構想に必ず溜息が出るはずだ。
それにしても、土屋作品に登場する「父親」は家族への愛情表現が無器用な人が多いな…。

土屋氏は自らの作品に使用するトリックを必ず自ら実行して可能であることを確認してから使用するという。そこまで追及する必要性の是非はとにかくとして、日常レベルとも言えるトリックで作品をこの高みまで引き上げてしまう。この姿勢は、奇想天外なトリックばかりがミステリでないこと改めて気付かさせてくれる。


99/03/01
仁木悦子「赤い猫」(講談社文庫'84)

'79年から'81年まで雑誌に掲載された短編を集めて立風書房から刊行された作品の文庫化。表題作は日本推理作家協会賞を受賞した作品。

一人暮らしの老婆の話し相手という仕事に就いている女性が、自らの母親が殺されたという事件を老婆に語る『赤い猫』
病院に入院した三影潤は同室の男達が語る、一人暮らしの大金持ち老人が殺された事件を聞き推理を巡らす『白い部屋』
嵐のために民宿に閉じこめられた一行。夜中の徒然に付近で発生した殺人事件の推理を始める。雄太郎もの『青い香炉』
夜中に現れるバケモノ「子とろ」は子供を連れ去ってしまうという噂。ある主婦が昼日向にその「子とろ」を目撃したという。悦子もの『子をとろ 子とろ』
悦子の教えるピアノ教室の生徒に「うさぎさんは病気」という歌を教えたところ激しく泣き出した。そこへ彼女の祖母の訃報が飛び込む『うさぎさんは病気』
大学教授の家に原稿を貰いに来ていた吉村はその家の孫娘が誘拐されたと知らされ、家族と協力して事件にあたる『乳色の朝』以上六編。

やっぱり「日本のクリスティ」だわ
表題作の『赤い猫』。確かに凝ったプロット、お婆さんの安楽椅子探偵など面白い作品ではあるが、短編なら今まで読んだ仁木作品にもっと印象が強いものが多数ある。『石段の家』とか『かあちゃんは犯人じゃない』とか子供視点の作品が仁木さんの神髄だと思うので、正直、この作品じゃなくても…という気がする。恐らく、過去の業績も含めて「そろそろ」というタイミングがあって本作品が受賞したのだとは思うけれど。
とは言っても本作品集もやっぱりバラエティ豊かで、飽きない、興味深い作品が揃っている。なんといっても『赤い猫』『白い部屋』『青い香炉』と三作品揃って安楽椅子探偵形式なのだ。それぞれ主人公が違うので、形式は同じでも展開や受ける印象は全く違う。この三編には実は更に共通した趣向が隠されているのだが、それは読んでのお楽しみで。また仁木悦子が探偵を務める二編も化け物を予感させる出だしだったり、幼児の異常な反応を使っていたりで、つかみが良いので解決まで一気に読めるし、ノンシリーズの『乳色の朝』に限ってはどんでん返しにつぐどんでん返しで、ラスト近くまでさっぱり誰が犯人なのか分からない。
人が死に、残された家族が寂しい思いを抱えるような結末であっても、あまり読者が暗い気分にならないのはどの作品にも基本的な家族の愛情を仁木さんがしっかりと描いているから。読者の気分までしっかり掴み込む丁寧な作風が、次々と仁木作品を読みたくなる魔法の秘密かも。

協会賞の看板に惹かれて読んで頂いても一向に構いません。でも本作品集も確かに相当良いですが、他にも傑作はたくさんあるので、もっともっともっと仁木作品に触れて下さい。数冊読めば仁木さんの「日本のクリスティ」というニックネームが伊達じゃないことがよーく分かりますよ。大型古書店なら、大抵数冊はあるでしょう。