MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/03/20
国枝史郎「八ケ嶽の魔神」(講談社大衆文学館'96)

大正期に活躍した演劇畑出身の伝奇小説作家、国枝史郎。彼の遺した伝奇長編、『蔦葛木曽桟』『神州纐纈城』と並ぶ三大傑作の一つで、国枝作品には珍しく唯一完結している作品。大正後期に雑誌『文芸倶楽部』に連載された。

物語は天正年間、信州のある城の城主、橘宗介、夏彦という兄弟がある姫を賭けた骨肉を分けた決闘の終結から幕を開ける。十四年間の戦いの末、宗介は弟夏彦を討ち果たし、その首級と共に帰城するが、夏彦を慕う姫は自害して果てていた。怒りに震える宗介は地上全てを呪い、八ケ嶽に籠もり「窩人」の祖として君臨した。一方、自害した姫が夏彦との間に宿していた娘は久田姫と言い、その子孫は「水狐族」として諏訪湖のほとりで一族を成し、その末裔同士互いを忌み嫌い、互いを憎悪していた。相変わらず山の中で暮らす「窩人」一族の長、杉右衛門には美しい娘、山吹がいたが、彼女は江戸から美しいものを運んでくる腹黒い若者、多四郎に誑かされ山を下りてしまう。結局、彼女は瞞され、多四郎は「窩人」の奉る天狗の纏う黄金の鎧甲を盗み出して山を下りてしまう。残された彼女は一人の男の子を産み、多四郎を恨みながら他界。その男の子、猪太郎こそ本編の主人公となる鏡葉之介であった。

まさに伝奇。跳梁跋扈する異形の世界の抗しがたい蠱惑
主人公の鏡葉之介の登場するまでに、優に一章以上の紙幅を費やして、じっくりと「この世界」の背景について読者に語られる。それも単調な説明文でなく、その場面場面がリアルに、そして情感たっぷりに描写され、「本編が始まっているのでは?」と勘違いさせられるほど。この手法の効果は読者をこの異境に取り込むことに関して絶妙な効果を上げている。確かに主人公は複雑な境遇ではあるのだが、比較的じっくりと彼に視点を据えて物語りが進む分、混乱は少ない。それでも一人の女性を巡る因縁から、山と湖という対立する異教の一族へ、更にその一族の中で起きる裏切りと悲劇の構図という背景の壮大さは、がっちりと読者を捉えて離さない。
「窩人」と「水狐族」との剥き出しの憎悪、「多四郎」の現代人らしい卑劣なやり口、「復讐」という自らの宿命に抗えず人斬りとなる葉之介…をはじめ物語全体を覆うのは、人間の浅ましさ、辛さ、憎悪、業の深さなど圧倒的にネガティブな感情である。ラストのカタストロフィも決して爽快とは言い難いし、割り切れない部分も多々ある。それでも怪異の地の八ケ嶽、地獄絵図となる江戸市中で繰り広げられる物語には圧倒的な魅力がある。江戸の華は火事、と言われるが、その渦中で動物たちと共に奇想天外の活躍を見せる葉之介。善と悪の関係なんぞ、なんとちっぽけなものか、と道徳と規範にがんじがらめな我々でさえ、思い込まされる。激しく、熱い、そして時代を超えた魂の律動がそこにあるのだ。

連載作品が基となっているせいか、物語構造としては稚拙な部類かもしれない。ラストに向けての収斂の仕方もスマートとは言い難い。ただ、大正時代の人々が圧倒的な興奮を持って、本作を迎え入れたという、それまでになかった迫力は十二分に感じ取ることが出来るはず。講談社大衆文学館が絶版になる前に、押さえておきたい一冊かもしれない。


99/03/19
小林泰三「人獣細工」(角川書店'97)

第三回の角川ホラー大賞短編賞を『玩具修理者』にて受賞した小林氏の二冊目にあたる単行本。前作でみられた傾向を引き継ぎながらも、成長(変化)が窺われ、本格ホラーのスピリッツの溢れた快作が揃った。

遺伝子工学と臓器移植の技術が発達した時代、体の弱かった「わたし」は外科医の父親から、体中の器官をことごとく移植されて育てられた。免疫反応を抑制するために特殊な遺伝子技術により育てられた「ぶた」(文中は中国漢字)が「ヒト」用のドナーとして利用される時代、その「ぶた」の器官がたくさん入った身体を「わたし」は高祖夫人の呂大后が戚夫人に対してした仕打ち「ひとぶた」になぞらえ、思い悩んでいた。表題作『人獣細工』
夏休みの間、田舎の祖父母宅に遊びに来ていた少年。近所の別荘に住むという黒づくめの大男と知り合った従姉妹のお姉さんが、少しずつ変貌していく様子を巡り、彼と対決することになり奇策を凝らす『吸血狩り』
小学校の同級生だった男が当時のクラスメイトに送りつけてきた本。作者こそ彼の名前ではあったが、恐ろしく古い皮の装幀に『芸術論』と題されており、どう考えても彼が執筆したものとは思えない。更にその内容も芸術について述べていると思えば、幻想世界を表現していたり、不可思議極まりないものだった『本』以上、中編三編。

科学のホラー、対決のホラー、幻想のホラー
三編が三編とも異なるテイストをもって描かれており、それぞれが脳髄の恐怖神経をちくちくと刺激してくれるのだが、構成や狙いのコンセプトが異なっているせいか、その恐怖神経が刺激する先がまた微妙に違うのだ。三つとも怖いのだが、違った怖さを持っている、ということ。
特に私の気に入ったのは『本』。全編に跨るメタ構成により、本の内容と現実が互いに浸食しあって最終的にどちらがどちらとも区別がつかなくなる不安定さが光る。それに加えて「芸術のインストール」という一応現実サイドで発生する事象が美しく狂っており、凄惨極まりない。あることにより、完全な芸術家になってしまった人間、不完全ながら自らを芸術家と思いこんでしまう人間、それぞれの行動が見る者の恐怖を呼ぶのだが、説得性のある理由と状況の緻密な描写が凄まじい迫力。
他の作品も、科学テイストを全面に押し出した『人獣細工』は、SF仕立てでもあり、小林氏の想像力と主人公の恐怖する様が魅力的だし、『吸血狩り』の「彼」は結局何者だったのだろう、という二重に物語を捉えられる部分が恐かった。

デビュー作品である『玩具修理者』とはまた違った怖さを三作品で味わってしまった。小林氏の着想、構成力の凄さを実感できるホラーの好作品集。自分的オススメ。


99/03/18
近藤史恵「ねむりねずみ」(東京創元社'94)

第四回鮎川哲也賞を『凍える島』で受賞した近藤史恵さんの二冊目の単行本。創元社の企画「黄金の13」への書き下ろし。

代々続く名門の血筋で人気の若手歌舞伎役者、中村銀弥こと棚橋優と結婚した一子は、その新生活の中で銀弥の愛情表現の足りなさに何となく不満を感じていた。そんな時期、歌舞伎の雑誌記者、良高を銀弥の紹介で知り、彼に急速に惹かれていく。二人に肉体関係こそないものの精神的な浮気はずっと続いていた。そんなある日、銀弥が怯えた声で一子に告白する。「言葉を忘れていくんだ…」。「あめ」「かさ」など身近な単語を少しずつ思い出せなくなり、自らの状態に怯える銀弥。それでも舞台上での台詞は全く忘れることがなかった。一子はその彼の症状にショックを受け、良高に、そして昔からの親友の泉にそのことを相談する。泉には銀弥の症状は、一子の浮気を知った銀弥が言葉に表さない抵抗を示すのだ、と仄めかし、心当たりのある一子は自らの進退について深く思い悩む。銀弥の状態は少しずつ悪い方に進行していき、そしてとうとう舞台の上でその症状が現れたとき、観客席の隅っこでそれを見ていた一子はショックのあまり、通路に倒れ伏してしまった。

歌舞伎界と現実との狭間、不思議な味わい
普通のミステリ読者で歌舞伎や劇団の世界に実際に通暁されている方はどれくらいの割合で存在するのだろうか。私は観ないとは言わないまでも、どちらも深く分からない人間の一人である。その状況下で、意外と「歌舞伎」や「劇団」の世界はミステリの舞台として、数多く使用されている。色んなキーワードが両者に当てはまるのだが、「衆人環視」「舞台上の虚構性と現実とのギャップ」「カリスマの魅力」「芸術性」あたりがミステリの小道具?として魅力があるからなのか、と思う。
ところで、本作も「歌舞伎」の世界を舞台としている。しかも馴染みの薄い世界なりに、私にも魅力的と思える人物たちが登場、よそよそしくも親しみのある不思議な雰囲気が醸し出されている。ポイントとなる歌舞伎作品の筋書きや、台詞の意味を丁寧に解説してくれているところなど有り難く、その舞台裏や興業の様子など雰囲気がありありと伝わってくる。本編は人気役者の婚約者が幕中に客席で殺された事件と、それとは別の人気歌舞伎役者が罹った「言葉を失っていく」という奇妙な病気という二つの謎が二重螺旋のように絡み合いながら進んでいく。銀弥の奥方、一子の視点と、探偵今泉文吾の助手にしゃしゃり出てきた若手歌舞伎役者で女形の小菊の視点で別々に思われる二つの事件が語られ、少しずつ交差し、そして最後に一致するまでのプロセスはなかなか見応えあり。どちらかというと心理的な部分に仕掛けられた両事件の真相は、歌舞伎界の特質、役者という職業などのバックボーンを得て、哀しく胸に突き刺さった。

個人的にはあまり高く評価していなかった『凍える島』に対する考え方を変えたくなる衝撃を受けた。また後の近藤作品で登場する探偵役、今泉文吾と若手歌舞伎役者小菊も登場、この後の近藤作品を味わうためにも土台となる作品かと思う。

現在、『凍える島』の文庫化が進んでいるとのことで、いずれ本作品も文庫にまとまるのかもしれませんが、今はハードカバー版のみです。


99/03/17
江戸川乱歩「吸血鬼」(創元推理文庫'93)

初出は'30から報知新聞に連載されたもの。この頃は『魔術師』や『黄金仮面』など四つの連載を同時にこなしていたという。いかに乱歩が当時人気があり、しかも多作をこなしたものかが伺い知れる。本作も俗に「通俗もの」と呼ばれる作品で、後に「怪人二十面相シリーズ」で活躍する小林少年が初めて登場した作品としても知られる。

塩原温泉にて若い男、三谷と中年男性、岡田の二人が一人の女性を巡って奇妙な決闘を行わんとしていた。液体を満たした寸分違わぬ二つのグラスの片方に岡田が毒を入れ、三谷が選んで二人同時にグラスを飲み干すというものだ。三谷が先に飲み干すと、岡田はグラスを手に苦悶の表情を浮かべる。三谷は自らの勝利を確信、岡田を哀れみ彼のグラスをはたき落とす。更にその場面を件の女性、倭文子に目撃されていたと知り、岡田は旅館から二枚の死体写真を嫌がらせの置き土産に失踪してしまう。それから半月の後に、片手片足を義手義足に固め、顔が焼けただれ両方の唇のない、歯がむき出しの不気味な様相の男が、その後も塩原温泉に滞在を続けていた倭文子を訪ねてくる。こっそりと風呂場を覗く不気味な男を見て怯える彼女。三谷は彼女を励ましながら辺りを調べ、風呂の側を流れる川の中から。何者かの水死死体を発見する。死後暫く経過したその死体は、恋に破れ、辱められた岡田のものと考えられた。一方、東京に戻った倭文子。彼女は実は、百万長者の未亡人で息子のいる身であることを三谷に告白するが、彼はそれでも彼女に変わらぬ愛を誓う。しかし、倭文子の一人息子、茂が誘拐され、身代金の受け渡しを買って出た三谷の隙をついて、今度は彼女自身が誘拐されてしまう。

空飛ぶ風船男、黒眼鏡に隠れた醜い容貌、消失する死体に謎の誘拐…まさにエンタメてんこ盛り!
題名こそ『吸血鬼』であるが、ドラキュラのような化け物を扱った作品ではない。ただ夜は墓の下に潜み、夜な夜な這い出て人の生き血を求める吸血鬼とこの犯人のイメージは、深層部分では見事なまでに一致する…と分かっていたとしても、序盤はとにかく謎だらけ。上記の決闘シーンはプロローグに過ぎず、物語で重要なポイントとなる事件は、次々と富豪で美貌の未亡人倭文子の身の回りで発生する。誘拐した子供に親への脅迫文を読み上げさせ、身代金受け渡しに犯人は現れず、逆に倭文子を誘拐してしまう犯人の不敵さ。更に大胆不敵なことに名探偵、明智小五郎に立て続けに送りつけてくる挑戦状……悪党がこれだけ謎に包まれ、しかも兇悪な雰囲気を漂わせる根底に流れているのはやはり乱歩の旺盛なサービス精神か。次から次へと現れるネタをこんなにふんだんに盛り込んで果たして収拾がつくのだろうか、と読んでいるこちらが焦るほど。とにかく「よくぞ」という突飛な場所を次々と取り上げた上にスムースに転変させ、更に密室殺人や、死体や人間の消失などを「これでもか」とばかりに盛り込み、読者を混乱の極に突き落としてくれる。基本的に確かに通俗小説かもしれませんが、Who done itの探偵小説部分が背骨にある分、最後まで楽しめます。まぁ、他作品と被るネタ(トリック)は御愛嬌でしょう。小林少年より文代さんの活躍の方が、この作品では目に付きますね。

本作はもちろんいまだに新刊書店で入手可能。創元推理文庫版は、新聞連載の区切りが分かるようにしてあり、当時の新聞挿し絵(あの竹中英太郎画伯)がほとんど復刻されている。不気味な雰囲気がよくマッチしており、この文庫で初めて読むというのは、結構お買い得かと思います。


99/03/16
佐々木丸美「崖の館」(講談社文庫'88)

ネット上で頻繁に絶賛の声が聞かれる「幻のカルト作家」佐々木丸美さん(なぜ彼女がそう呼ばれるのか、理由をご存じの方はご教示下さい)の「館三部作」の第一作。元本は'77年に講談社より刊行された。

襟裳岬の近く、冬の嵐に難破した人々が浜辺に辿り着きながらも全員が凍死したという伝説を持つ百人浜と呼ばれる地に白く大きな洋館が建っている。人里から十四キロ、雪が降れば一切の交通が遮断される「崖の館」。そこに住むおばさんの元へ、今年も私、涼子をはじめ、いとこ六人がやって来た。おばさんは現世のしがらみに囚われない大物で、気前が良くて大金持ち。ただ二年前に養女として引き取った姪(涼子にはいとこ)の千波を謎の転落事故で亡くしてしまっていた。最年長で千波の許婚だった研さん、しっかり者の真一、わがままで奔放な由莉、芸術家肌の哲文、箱入り娘の棹子、そして高校二年生の私、涼子。みんな小さな頃から休みの度にこの館に集まって兄妹同様に育ってきた。そして今年の冬も。ただ、どうしても皆の心には二年前の事件が引っかかって、その真相を探りたい、という思いが胸の中にわだかまっている。そんな中、千波が転落した階段を調べていた研さんが、崖へ転落してしまう事故が発生する。

幻想文学と人間物語と推理小説の見事な融和
「この作品は本格ミステリですか?」
「はい、そうです。でもそれ以上の何かも描かれています」

ミステリとしてのプロットだけを抜き出してみると、典型的とも言える「館ものミステリ」。閉鎖され、外部と連絡の取れない館の中で繰り広げられる殺人事件はじめ、もろもろの不可思議な事件。その閉鎖性ゆえに登場人物は限られ、誰もが過去の事件に絡んで、それなりに動機を持っている…。この点をいかに巧く料理するか、というのが「館ものミステリ」における作者の腕の見せ所なのだが、本作品の場合は館を登場人物の日常の延長として創り出すことで不自然さを感じさせない。(いとこ同士が親戚宅に集まることになんの不都合があろうか)更に凄いと感じたのは、出来てきた作品は「館ものミステリ」に止まっていない
末っ子ということで人間的にまだ大人に成り切れておらず、男性の魅力を少しずつ感じることを覚え始めた主人公、涼子。人と分かり合うということ、人を信じるということ、人を愛するといこと、そして疑うということ…ほんの数日の間に事件やいとこ達とより深く関わり合うことで、彼女は劇的に成長していく。ミステリとして張り巡らされた構造に加えて、この成長した彼女の視点から一連の出来事を捉えることで、その幕切れに至るドラマティックな効果が確実に高めれているように感じる。それは、ミステリ部分の手抜きを人間ドラマでごまかしているような安易なものではなく、両方をきちんと取り込み、しっかりとしかも魅力的に紙幅の中に並べられてある感。

ミステリとしても、一つの文学作品としても高い評価を与えられる。そしてそれらを紡ぎ出す文章のまた美しいこと。読み始めてしばらく経つと、読者の心は必ず、雪原の彼方、崖の側に聳え建つ白い館に飛んでいくはずだ。それを誰も実際に見たことがないにも関わらず。


99/03/15
宮部みゆき「とり残されて」(文春文庫'97)

とうとう(?)直木賞作家となった宮部氏の短編集。初出は'92年に文藝春秋社より単行本が出ている。

恋人を失いノイローゼから立ち直り、養護教諭として働く「わたし」は子供の足音の幻聴を聞く『とり残されて』
交通事故で逝った兄のお参りに現場の村を訪れた孝子は土産物屋で一枚の曼珠沙華の柄のハンカチに惹かれた『おたすけぶち』
幼い頃の事故の後遺症に苦しむ野球選手は喧嘩で刺され倒れたわたしは女性に助け起こされる『私の死んだ後に』
特急のグリーン車で隣り合わせた女性の二人連れが、社内で起きたノイローゼにかかって飛び降り自殺した男の話を始めた『居合わせた男』
ある銀行の次長が「お金に囁かれた」と発作的な行動をとった。その話を聞いた男は……『囁く』
マンションの留守番に来た男、相原真琴は女性の地縛霊に身体を乗っ取られてしまった『いつも二人で』
内気なOL梨恵子は毎晩決まって見る夢について調べてもらうために勇気を絞って調査会社を訪れる『たった一人』以上七編。

宮部SF初期短編集
簡単なフレーズでまとめたが、これは「宮部みゆきがお得意の押しつけがましくない程度の超常現象を使ったちょっとだけSF的な設定を使い、人間の心理を抉るようなテーマを絡めて描いた初期のミステリテイストを含んだ作品を集めた短編集」の略である。何冊か宮部作品を読まれたことのある方なら御存知の通り、彼女は頻繁に超常現象を下敷きにした作品を著している。『龍は眠る』しかり『レベル7』しかり。最近の人気作品『クロス・ファイア』もそうだ。しかしそれらは「単なるSF物語」(「SF」の定義は置いて下さい)として人間の姿や未来についてのみを語り出すのではなく、超常現象があろうと、無かろうと「愛情」「哀しさ」など人間心理を鋭く描いている作品が多い。つまり特殊能力や、超常現象は単なる効果的な舞台装置であり、道具に過ぎない。(SF作品だってそうだ、と言われれば返す言葉ありませんが)従ってその現象を科学的に分析しようとする試みもないし、その現象は「存在」するものとして描かれ、基本的に説明されないことがほとんど。読者はその彼らの心の動きを想像し、共感することで宮部ワールドに没入するのだ。宮部さんは、通常の状態では表面化しないような感情をこれらの道具を用い、普通以上に剥き出しにして、卓越した構成と文章を以て我々に提供してくれる。この短編集に収められた作品は暖かいラストを迎える作品ばかりではない。人間への愛情と同時に悪意もしっかりと物語にされている。それでも読み終わると不思議と、柔らかな余韻に浸ってしまうのが、宮部さんの魅力か。

宮部さんの短編集と言えば個人的に『我らが隣人の犯罪』が一押し(未読の人はこちらから)だが、本作もなかなかに心が震える作品が揃っておりGOOD。


99/03/14
横田順彌「寒い国へ行きたくないスパイ」(徳間文庫'85)

「ハチャハチャSF」という独自の作風でSF界でもカルト的な人気を誇る「ヨコジュン」こと横田順彌。本作は'82年から'85年頃まで『SFアドベンチャー』誌他に掲載された短編を集めた文庫オリジナル本。ちなみに題名からはジョン・ル・カレの名作『寒い国から帰ってきたスパイ』が当然想起されるだろうが、まっったく関係ない

大日本帝国が誇る軍事探偵、本郷義昭の孫、本郷駅前は寒さに弱い三流スパイ。彼は農協調査室の司令官、東村山茂作より、北のO国のスパイ養成学校にいる某博士の唇を奪うように要請される。しかもその方法は身体を数oの大きさにし、しかも口以外の場所から博士の口に辿り着かなければならない…その準備を描いた抱腹絶倒超短編『寒い国へ行きたくないスパイ』
宇宙の運び屋である俺の宇宙船は突如現れた異星人操る船と衝突、全身骨折するが駆けつけた医者により緊急の手術を受け骨の代わりに海綿体を埋め込まれた『緊急手術』
屋根裏をバタバタと走り回るネズミを下からつついたつもりが大音響を立てて物体が落ちてきた。それは数ヶ月前に行方不明になった掃除機だった『必殺ホース固め』
などなど短編及びショートショート他『話にならない話』『部長の憂鬱』『続・話にならない話』『二〇〇一年から来た機械』『異星の客』『△□戦争始末記』『保存版 未来生活の知恵』『博士のタイムトンネル』『月の法善寺横丁』『中村一郎の場合』合計十三編。

「これがハチャハチャSFかぁ…」衝撃の接触
ヨコジュン初体験。エロというよりはエッチ、グロというよりはお下劣、そしてダジャレのラッシュ。読む人を選ばない「予想を超えた世界の笑い」のオンパレード。本作(というか、この文庫本では)、単行本未収録の作品が集められただけあって玉石混淆。『話にならない話』と『月の法善寺横丁』でヨコジュンの執筆過程がそのまま短編小説としてまとめられていて、楽屋落ちの笑いをいきなり味わってしまい、『二〇〇一年から来た機械』、『博士のタイムトンネル』で純SF的奇想を味わい、『保存版 未来生活の知恵』でエッチ系の笑いを『緊急手術』でお下劣系の笑いをそれぞれ堪能した。そして『寒い国へ行きたくないスパイ』は少なくとも本作品集の集成とも言える傑作。(『亜細亜の曙』のパロディと言われても私に反応は出来ないけれど)
とにかく着想が「ダジャレ」である、というのは古今とっても他にそう類を見ない考え方かと。また自らハチャハチャな作品と称しているだけあり、面倒臭い科学考証をすっ飛ばしてしまうところも逆に見事。とにかく狙うところが読者の笑いを通したエンターテインメントに徹しているだけに、SFという何でもありの舞台を選んでいることは大正解だと思う。

小林文庫オフ会でお会いしたミステリの強者が口々に勧められるので思わず手に取ったが、思わず勧めたくなるその気持ちをよーーく理解できるエンターテインメント作家である。思わず含み笑いをこぼしたくなる作品揃い。説によると当たり外れもあるらしいので、注意を(ってどうやって注意すれば良いんだろう?)


99/03/13
鮎川哲也「太鼓叩きはなぜ笑う」(徳間文庫'81)

鮎川哲也の鬼貫警部、星影龍三に続く第三の名探偵「三番館のバーテン」シリーズの第一集。安楽椅子探偵ものに分類されるシリーズだが、雰囲気がある。

物語の構成は下記四作どれも共通。刑事事件に巻き込まれた容疑者。彼らは疑われる立場に立たされるがアリバイが無く苦渋。その弁護を引き受けるふとっちょの弁護士。更に彼の手足となって動き回る探偵(一応彼が主人公)。そしてその探偵が息抜きに訪れるバーが「三番館」そこの達磨のような髯の濃いマスターが実質的な探偵役を務めている。
デパートで切り裂き魔と間違えられた男は今度は殺人犯の容疑者にされてしまった『春の驟雨』
プレーボーイの会社員が一夜を共にした女性と訪れた中華料理屋を探せ『新ファントム・レディ』
楽器屋の社員がセールスするため訪れたもののすれ違った女性が殺されていた『白い手黒い手』
芸能人の秘密を掴んで彼らを脅迫、金をせしめていた男が殺された『太鼓叩きはなぜ笑う』以上、四つの中編。

一見は定型、しかし非定型のアリバイ崩しがメインの作品
まず、事件の構造は同じ。疑われても仕方のない様な行動を取った人間が、身に覚えのない容疑で拘束される。そこからの展開も同じ。依頼を受けたふとっちょの弁護士が、彼らの無実を感じ取り「俺」という探偵に事件の調査を依頼。私立探偵らしく、対象と周辺の人物のアリバイをかなり奇抜とも思える方法まで用いて探り出す。ここからもまた同じ。しかし「俺」の調査は必ず行き詰まり、憂さ晴らしも兼ねてバー「三番館」に向かう。そこで起きることも同じ。決して押しつけがましくなく、バーテンは自らの推理を語り、「俺」はその推理を元に事件の真相を暴き、そして最後に「三番館」に戻って祝杯をあげる…
でも、やっぱりそれぞれは違う。「俺」が証明するのは「容疑者のアリバイ」であり「真犯人そのもの」であり「真犯人のアリバイ」であり、物語の構造が同じでも背景が違う以上、そこに用いられているトリックはそれぞれ大きく異なっているのだ。またアリバイ崩しがメインとなるにも関わらず、時刻表的トリックは全くない。これは嬉しい。彼らが容疑者として疑われるに至る経緯は何となく似ていても、真犯人の立てた犯罪計画は悪魔的で、簡単には崩しようのない緻密なもの。バーテンはその全体像の不自然な点を見抜き、探偵を急き立て、焦点を絞ってその犯罪計画の一部(しかし最も堅牢な部分)のヒントを「俺」に差し出してくれる。この辺りの妙が本作最大の魅力だろう。出来る限り出しゃばらず、ポイントのみを指摘する姿は、普通の安楽椅子探偵とひと味違う味わいを出している。

絶版中なので古本屋か、図書館でどうぞ。ただ徳間文庫では本作が多分、最も見つかりやすいと思います。鮎哲作品の重要なシリーズキャラの一人でもあるし、一作は読んでおいて損はないのではないでしょうか。


99/03/12
夢野久作「押絵の奇蹟」(角川文庫'74)

新青年に掲載された中編三編が収録されている。『氷の涯』は創元推理文庫で『あやかしの鼓』は角川ホラー文庫でも読めます。

赤軍と白軍と日本軍が密やかにせめぎ合いを続ける第二次大戦前の満州、ハルビン。この地に駐留する日本軍の連絡係を務めるインテリ一兵卒が、色々な偶然が重なり軍資金略取をした経理の男の事件を皮切りに数奇な運命に巻き込まれ、逃亡生活を行う物語『氷の涯』
喀血して療養中の人気歌舞伎俳優に宛てられた一通の手紙。彼が恋した一人のピアノ奏者の女性が、自分と彼との摩訶不思議で数奇な運命について独白したものだった『押絵の奇蹟』
遙か昔からの因縁で非常に美しい音色を醸し出しながら怨念に包まれている鼓に翻弄されるその子孫達『あやかしの鼓』以上、短めの中編が三編により構成される。

淡淡とした独白調の文章から漂う妖気と狂気
個人的に『押絵の奇蹟』以外の二作は再読だったにも関わらず、改めてその着想の巧さ、話運びの巧みさ、そして効果的な結末、物語を構成する全てが胸に響いた。『氷の涯』の主人公青年の無力感漂う序盤から中盤から生きる悦びを終盤で得るまでの不思議な変遷。『押絵の奇蹟』の自らも病身の女性が愛する人間へ「書き残したい、伝えたい」という、互いの数奇な運命について独白した文章の美しいまでの凄まじさ。『あやかしの鼓』の主人公が自らを失い惑乱、運命の糸に引きずられるように堕ちていく様。読む度に何か新しい発見、新しい印象が感じられる。
夢野作品の特徴の一つに「独白調」の文章というものがある。それは時に手紙であり、日記であり、事後振り返って誰かに語る物語であったりするのだが、それらは「特定の個人」の印象であり観察であり経験であり、それを基に形作られた物語である。主人公たる「独白者」が自ら読者に告白する、つまり読者はある意味、主人公との対話という二人称の世界に入ることを余儀なくされるのだ。この手段によって、登場人物らの持つ(そして夢野自身の?)強烈な精神はダイレクトに読者の脳味噌に飛び込んで来る。夢野久作に熱狂的なファンが多いのはその痺れるようなイメージに取り憑かれるから、という考え方はうがちすぎだろうか?そして独白者が男性であっても、女性であれば特に文章そのものから立ち上るような色気が発散されているとも思う。別にエロティックな事象を描くことなしに、文面から漂う色香はフェロモンのように、これもまた読者を魅了して止まない。嵌れば嵌るほどに、その魅力が高まる作家である。

夢野久作は当時の他の探偵作家よりも「まだ少しは」恵まれているのか、代表作は探せば新刊書店で入手が可能である。角川文庫版の夢野は『ドグラ・マグラ』『少女地獄』以外は滅多なことでは手に入りません。教養文庫あたりで探して頂くことをお勧めします。


99/03/11
久生十蘭「黄金遁走曲」(現代教養文庫'76)

久生十蘭をはじめ小栗、夢野などカルト的人気を誇る作家の傑作集を持つ教養文庫。どうやら細々と再版、重版されているようで、本作含め、運が良ければ大きな新刊書店でまだぽつぽつと入手できる。

戦前の巴里に留学に来ているコン吉とタヌ嬢が欧州各地に旅に出ては繰り広げられるドタバタ旅行記『ノンシャラン道中記』
同じくコン吉とタヌ嬢が欧州からの帰国途中に知り合った亜細亜の暗黒街のボス達と繰り広げる大金の軍票を巡るドタバタ劇『黄金遁走曲』
日本を脱出し、巴里で我が道を謳歌するお嬢さんたちの乱行をユーモラスに描いた『花束町一番地』
仏蘭西での貧乏暮らしの留学生女性の二人組の知り合いがモンテカルロのカジノで大当たりをしたと聞き、二匹目の泥鰌を狙う『モンテカルロの下着』
コン吉、タヌ嬢ものが中編、残りが短編の合計四編を収録。

豪華絢爛な文体で綴られた欧州の雰囲気溢れる活字版ドタバタ喜劇
久生十蘭の作品で必ず触れられる点として、その特異な文体が挙げられる。もちろん書かれたのは日本語でありながら口語調、講談調、文語調、落語調…様々な文体が使い分けられ、その使われる単語一つを取っても「飄逸(ノンシャラン)」「水浴着(マイヨオ)」など常人の知識とセンスでは考えつかないような表現が多用される。その文章の端端に日本語・フランス語・英語に対して音読み・訓読み・当て字・特殊解釈を使用した単語を縦横無尽に使い分け、独特のテンポと欧羅巴(漢字でこう書かれる時代)の当時の雰囲気を醸し出すことに成功している。少し取っ付きにくいが、心浮き立つようなノリに虜になることは必定だろう。久生十蘭は、テキストの持つ魔力を最大限に、いや、組み合わせることでその言葉の持つ力以上のものを伝える作家なのだ。
そして軽妙かつ洒脱なその物語の内容。文体が先なのか、内容が先なのか。「外国」が一般人には到底自らが行くことのない遠く離れた「異界」であったことを想起させ、更にその中で縦横無尽に十蘭はタヌ嬢、コン吉をはじめとする日本人を活躍させる。当時の読者にとってこれは異世界アドベンチャーの変形だろう。決していい加減に風俗や光景を描写している訳ではないのに(現地人、状況に多少の誇張はもちろんあるが)「何となくいかがわしい、インチキ臭い」物語が加わって、総合的に本作を輝かせている。物語の起承転結そのものはかなり強引ではあるが、それもまた欧羅巴という「異界」内部ではまた楽し。

ドタバタ系の楽しい物語が好きな方は、まず要チェック。しかしそうでなくとも、久生の完成された文体、文章は「本好き」の人に一度は味わって欲しい怪しく不思議な魅力に満ち溢れている。教養文庫を見かけることがあれば、即ゲットしましょう。