MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/05/10
戸板康二「團十郎切腹事件」(講談社文庫'81)

'58年(昭和33年)歌舞伎評論家だった戸板康二が旧『宝石』編集長だった江戸川乱歩の依頼で初めて書いた推理小説『車引殺人事件』他八編を含む短編集。純粋の処女短編集と講談社文庫版は収録作品に異同があるらしい。表題作『團十郎切腹事件』は'59年の第四十二回直木賞の受賞作品。(ちなみに同時受賞したのは司馬遼太郎『梟の城』)

歌舞伎界の大ベテラン、七十七歳になる俳優、中村雅楽。新聞記者の竹野が事件を語ると、雅楽がその推理力をフル回転、快刀乱麻にその真相を説きほぐす。全作品、雅楽もの。
歌舞伎『車引』に出演する役者が出番直前に死亡。毒殺されたのだが容疑者にはアリバイが『車引殺人事件』
骨董趣味の役者が国宝級の仏像を借りて演技をしていたが、彼は殴られその仏像は紛失してしまう『尊像紛失事件』
立女形が突如姿を消してしまった。誘拐かと思われたが彼からは無事を知らせる暗号めいた手紙が届いた『立女形失踪事件』
K市近くの小劇団で俳優が絞殺された。事件そのものやそれ以前に劇団では不思議な出来事が多々あった『等々力座殺人事件』
舞台の千秋楽に睡眠薬を飲んで自殺した若手役者。彼は一人の女性を巡り別のエリート俳優と対立していた『松王丸変死事件』
テレビ放映される現代舞踊。盲女が薬を飲むと目が開くシーン、女優が薬のすり替えで毒殺された『盲女殺人事件』
人間ドックで入院中の雅楽が、嘉永7年、八代目市川團十郎が遭遇した瑠璃五郎という役者の失踪事件を語る。色々な仮説が組み立てられる中、雅楽は自らの推理を語り始める『團十郎切腹事件』
開演中の舞台の奈落で女性が刺し殺された。動機も殺害方法もてんで分からない中、雅楽がある点に注目し推理を開始『奈落殺人事件』以上八編。

ぎっしりと中身の濃い短編推理小説群
マニアから激賞されることが多い割にほとんどの作品が入手困難、という戸板康二。(私も苦労しているし)初めて読んだ戸板作品である本作からは何となく「ぎこちなさ」「窮屈さ」を感じた。理由は二つ。一つは「歌舞伎」を主題にした作品ということによる彼我の時代の一般常識の差。三十年もの時のせいで歌舞伎は庶民の文化から一部文化人の娯楽になってしまい、歌舞伎世界は現代人にとり今やある種の異界でさえある。そしてもう一つは推理小説としてまだ微妙に感じさせられるぎこちなさ。「推理小説を書こう」という気負いからか、アリバイの検証、思考の飛躍などに多少無理しているな、と思わされるところがいくつかある。本シリーズの魅力は老優、中村雅楽の魅力と共に語られることが多いのだが、後半で少しずつその魅力は感じられるようになるものの、まだ(本作だけでは)正直彼の魅力が伝わってこない。『グリーン車の子供』あたりとはまた描かれ方が違うのだろう。
多少バランスが悪いとはいえそれぞれ短編に込められたミステリとしてのエッセンスは非凡。歌舞伎界での出来事である点が時代を超越した枠組みを創り出しているため、逆に論理の純粋性を高めてられている。推理の前提として歌舞伎知識が必要な作品もあるが、犯罪の構図や解決論理は別途きちんと筋道が立っている。そして『團十郎切腹事件』の真相(作品上の)から伝わる哀しさ、寂しさはやはり一級品。

ただ雅楽初登場の作品群でありどうしても本作から読みたかった。意外な硬さがあって却って驚いたが、短編の占める割合が高く「元祖日常ミステリ」とも言われる戸板作品群、個人的にはもう少し他作を読み進めた上で評価したい。


99/05/09
倉阪鬼一郎「怪奇十三夜」(幻想文学出版局'92)

最近新聞の書評欄などで自伝的エッセイ『活字狂想曲』が絶賛されている倉阪鬼一郎の本業、怪奇小説の第二短編集。実は'87年に『地上の鰐、天空の蛇』という短編集が出ているのだがこちらは実質入手不可。本作も早めに入手されるにこしたことはなさそう。

『鬼祭』『絶句』『階段』『人文字』『幻小路』『地球儀』『怪奇十三夜』『夢でない夢』『人肉遁走曲』『禿頭回旋曲』『七人の怪奇者』『異界への就職』『猟奇者ふたたび』表題作もあるが、題名通り十三編の怪奇短編。
怪奇短編小説はシチュエーションそのものがネタバレになる可能性があるので、本作に関しては内容の紹介を控える。ただ題名で十二分に雰囲気は出ているか、と思うので想像力を逞しくて頂きたい。日常を切り裂いて人間の実存を脅かす短編、異常なシチュエーションが人間を狂気の淵に追い込む短編、クトゥルーものなどなどヴァリエーションは様々である。


十三どころか、無数に切り裂かれ散りばめられた異界への入り口
本邦唯一の怪奇小説家、倉阪鬼一郎氏の作品は、ある意味「崇高」な印象を受ける。氏は色々なsupernaturalな媒介(幽霊、化物、異世界の人間……)を使って現実を崩壊させ、読者の心をを異界へとあの手この手を使って誘ってくる。肉体の終わりは決して安寧を意味せず、次の世界への扉に過ぎない。ぽっかりと空いている暗い淵に吸い込まれるような気分。現実から切り離され、魂を遊離させられるような不思議な怖さが最大の魅力。一般のエンターテインメント小説からは得られない精神の昂揚感、これが私の「崇高」という印象に繋がっている。
但し本作、同時に読者に求められるのは「高度な想像力」でもある。この倉阪怪奇世界を十分に堪能するためには文章、行間、台詞、状況を己の心の中に投影し、それを頭の中で再構成する必要があるからだ。神経を鋭敏にし、奥歯でしっかりと内容を噛み締めて、些事に邪魔されない落ち着いた時と共に頭脳をフル回転させて創造を巡らせ、黙々と取り組むべき作品かと感じる。逆に考えると、通俗ホラーに比べると想像力の足りない人にとっては全く怖さを感じられないかも、という恐れが多少あるということ。

恐らく現在は大書店にしか置いておらず、なければ発注する必要があるかもしれない。入手しにくい分、ホラーにそれなりに興味を持った「通」の人間か、倉阪作品に興味のある方しか手を伸ばさないかもしれない。とすると上記の懸念は杞憂?


99/05/08
天藤 真「犯罪講師」(角川文庫'82)

角川文庫版での最初の天藤真の短編集。この段階では天藤作品の短編全てを角川文庫で収録する予定だったという。なぜ途中で止めてしまったの?

自ら手がけた幼児誘拐の完全犯罪を生徒に向かって講義するエックス氏『犯罪講師』
革命的な建築資材の発明を騙し取る為に発明者そっくりの人物を見つけて協力を要請『共謀者』
隣人同士が県会議員。隣人から自らの不正が暴かれそうになった片方の県会議員は殺意を抱いて計画を練り始める『天然色アリバイ』
恩義あるボスから殺しを依頼された滝。完璧な計画のもと標的を油断させるため滝は女装して屋敷に忍び込む『目撃者』
引っ込み思案の甲二は、兄貴分の松平からそそのかされ、片思いの女性を無理矢理にでもモノにするため彼女をラブホテルに監禁する『誘拐者』
叔父の殺人を依頼された不良の甥っ子は完璧な計画を元にぼんくら二人に途轍もない計画を持ちかける『日本KKK始末』
国立大学に息子を入学させたいと願う夫婦はコネを利用して採点を手伝っているという男に接触する『採点委員』
しがない工員の王次がたむろするスナックに一人の抜群に魅力的な女性、ルミがやって来た。王次は彼女に一気に夢中、彼女も王次を選んだものの意外とガードが堅い。気持ちを抑えられない王次に対し、彼女はある提案を行う。中編『死神はコーナーに待つ』以上の八編。

「犯罪者」及び「犯罪計画」が主題の傑作短編群。切り口鮮やか、どんでん返しも鮮やか
巻き込まれ型の『死神は……』まで含め、全ての作品で何らかの形で登場人物が「犯罪を犯す側」に関わっている。それぞれに動機だとか経緯だとか、そういった犯罪の前提となる点ももちろん書かれてはいるが、天藤氏のシニカルかつユーモラスな視点は、その部分を中心に捉えて物語を構成している訳ではない。中心を成すのは、犯罪そのものの奇想天外かつ突飛な内容そのものであり、そしてその更に裏に隠された意表を突くラスト。この二点に集約されているようだ。まさに読者にとっての「犯罪講師」となる短編が収録されているということ。またほとんどの作品が「本格推理小説短編」における倒叙形式を使っているところがミソ。犯罪を犯す側から物語を描くことで、彼らの発想、実行、成果など読者は彼ら共々スリルを味わい、犯人だけが最後に引っかけられる作者の罠まで、読者は堪能出来る楽しみがある。

発行当時、天藤真の連作を除く最初の短編集という位置づけであったことからも分かる通り、収録作品のセレクトに大変気が使われており、その意図がまた成功している。創元推理文庫での短編集がどのような形で復刻されるのか不明なだけに、それまでこの作品集は貴重な存在かと感じる。


99/05/07
小野不由美「風の海 迷宮の岸(上下)十二国記」(講談社X文庫ホワイトハート'93)

小野不由美の中高生に大人気のオリエンタルファンタジー、「十二国記シリーズ」の二作目にあたる作品。ちなみに一作目は『月の影 影の海』であるが、同じ世界ながら時期が違うため直接の繋がりはない。ただ世界に関する説明がかなり端折られている分、一作目から入る方がスムースだろう。

家族から不思議と孤立していた少年は雪の降るある日、土塀の人間の入れる筈のない隙間から自分を差し招いている腕を見る。その手に掴まれ少年は光をくぐり抜け、蓬山という異世界に入り込む。蓬山では十年前、泰果が実ったが触の影響でその泰果が蓬莱に流されてしまったのだ。十年間、蓬莱(日本)で育った彼は「泰麒」と呼ばれる戴国の麒麟であり、国王を選び、補佐を行う存在であるということを世話係の女仙に教えられる。しかし蓬莱で人間として育った彼は、自らの力が発現しないことに悩み続ける。景国の麒麟、景麒が蓬山を訪れ、泰麒に色々なことを教えてくれるのだが、泰麒の力は目覚めない。そんな折、戴国の「我こそは王たらん」という人間が蓬山に集ってくる祭事の季節となり、驍宗と李斎という二人の将軍と泰麒は出会う。

オトナを引き込む魅力的な舞台、そして小野マジック
続けて読むと中高生ならずとも魅力溢れる世界にくらくら。妖魔や人間でない存在が混在する十二国記の雰囲気は日本人のルーツとも通ずるのだろうか、語り部としての小野さんの文章力も加わってぐいぐいと世界に引き込まれていく。そのような世界でありながら、いや、あるからこそ、人間の存在理由や感情の起伏、純粋な想いが煌めくように感じられる。
ファンタジーの体裁を借りながら、冒険譚を綴りながら、人間という存在がもたらす様々な感動をあれやこれやと角度を変えながら小野さんは読者に伝えている。本作もストーリーそのものはシンプル過ぎるくらい。「泰麒」である主人公が抱え込む悩み、そして克服。それだけとも言える。それなのに、彼と世界がファンタジーの衣を纏うことで、「矮小なごく普通の人間が悩みを乗り越え成長していく姿」がよりくっきりと、そして分かり易く浮かび上がるようになっている。魅力的な舞台装置故の小野マジックか。
そして本作の「泰麒」は小野不由美のある過去作品のあの人物の過去の物語でもある。

説得力のある「異界」を完璧に創造しきった小野不由美の勝ち。インターネット上にも数多くある十二国記サイトをはじめ、熱狂的なファンの多さがその魅力の大きさを物語っているのではないだろうか。


99/05/06
田中啓文「水霊 ミズチ」(角川ホラー文庫'98)

ティーンズ向けファンタジー作家であり<異形コレクション>にも個性的な短編を寄せていた田中氏が本格的にホラーに進出してきた長編第一作。ホームページはこちら

異端の民俗学者杜川己一郎は新興宗教に関するフィールドワークのため宮崎を訪れていた。解散した新興宗教イヅナ教の取材のため、渚家を訪問したところ、激しいポルターガイスト現象を目撃する。どうやら発生源は、渚家の一人娘、中学生の由美らしいのだが、杜川は居合わせた雑誌記者、戸隠と共に母親から追い返されてしまう。翌日杜川は、相談に訪れた由美、そして戸隠と共に県下の飯綱村で発見された遺跡を訪れる。レジャーランドを作るための工事現場から発見された社殿で、やたら蛇に関する暗合を発見、杜川は引っかかりを覚える。何とか工事を継続させようとする村長らと話し合ううちに、突如地震が発生、社殿の中心部の大岩がずれ、そこから勢い良く泉が吹き出てくる。事態に怯えた由美は「みんな、死ぬわ」と言い残し姿を消してしまう。村長は新しく出来た泉を天下の名水として喧伝することを思い立ち、根回しを開始。ところがしばらく経つとその水を飲んだものの体に異変が生じて来た。

緊迫ストーリーと豊富な学術背景、恐怖のセンスの三重奏
読後、唸らされた。
まず、民俗学者を主人公に据え、オカルト雑誌記者というワトソン役を登場させることで、古事記、日本書紀といった日本古来の伝説を物語の下敷きに有機的に組み込むことに成功している。やっぱり「神話」とか「言い伝え」とかフォークロア系の地元の民が語り継ぐ物語には恐怖を喚起させる何かがある。そして本作、恐怖の対象となるのは「水」である。どこにでもある、そして誰もが必要な媒体。これがこの作品の恐怖の源となる。「水」を飲んだ人間に異常が発生。その変質していく描写(というか発想)がまた凄まじい。更に仲間を少しでも増やすべく、知能を持って活動を開始するあたり、ゾンビ的恐ろしさも。異常さの描写の気色悪さ、クライマックスの展開など、元々の文章力が高いのか、迫力と物語のスピードは満点。読み出し最初の数ページからクライマックスまで一気にページを捲ってしまえる。もう一つ注目したいのは伏線の巧さ。前半に散りばめられた何気ない伏線が、きちんと物語の必要事項に収束していく展開がまた見事。
登場人物それぞれが何らかの人生の陰を持っているのだけれど、その辺りは純粋なホラーとしては、逆に不要なのではとも少し感じた。(結果的に物語の厚みを増している側面はあるけれど)

ラストの方の割り切れない引っ張り方は私の好み。怖くない国産ホラーが多い昨今、この作品はかなりいけるかと思います。厚さに負けず、ホラー好きの方はトライしてみてはどうでしょう。


99/05/05
仁木悦子「緋の記憶 三影潤推理ノート」(講談社文庫'83)

仁木悦子作品中、仁木兄妹に並ぶ、主要キャラクタの一人、私立探偵の三影潤を主人公とした作品を収録。'76年、'77年の二年にわたって雑誌に掲載されたもの。

立ち寄った画家の遺作展で小品を万引きしようとした男を三影が発見する『暗緑の時代』
依頼人は自らが見る三つの夢をから、幼い頃亡くなった母の真相を突き止めて欲しいと三影に訴える『緋の記憶』
妻が二日前に失踪した……依頼人の持ち込んだ事件は大したことのないものに思えた『アイボリーの手帖』
富豪の老人はある男のファイルを三影に渡し、この男が自分の孫なのか確認して欲しいと頼んできた『沈丁花の家』
喫茶店で偶然であった知り合いの恋人は出版社勤務で仕事中に作家の原稿を無くして困っていた『蜜色の月』
以前の依頼者の娘が通りがかった三影に「人を殺してしまった」と告白する『美しの五月』以上の六編。

ちょっぴりハード、真剣勝負。三影の優しさが染みる好作品集
仁木作品全体から見ると、三影が登場する作品にはある特徴がある。事件の発生がスムースである点だ。仁木兄妹の場合「市井の人々が事件を解決する」面白さがあるが、その裏側には「何でわざわざ事件に首を突っ込むの?」という素朴な疑問が生じることが多々あった。しかし、痩せても枯れても職業、私立探偵。事件の方が彼の元にやって来るのだから、その導入部の自然さは明らかな差が出てくる。それぞれの事件も、切り口の違いはあれど「事件が三影を要求している」という雰囲気、必然性を感じる。見せかけの事件、三影の疑念、新たに浮かぶ人間関係、見抜かれる真相、どちらかというと哀しさの漂う結末。大きな意味でのパターンは確かにある。しかしそれは飽きが来るタイプのパターンではない。事件や人物に何らかのアイデアが凝らされているせいだと思う。この辺りのツボの押さえ方が仁木さんの非凡なるテクニックだろう。

決して代表作として取り上げられないのだけれど、何故か心に残るキャラクタ、三影潤。仁木兄妹の作品、子供視点の作品にどうしても隠れ勝ちな主人公だけれど、お話それぞれかなり良いです。渋め。


99/05/04
はやみねかおる「機巧館(からくりやかた)のかぞえ唄 −名探偵夢水清志郎事件ノート」(講談社青い鳥文庫'98)

ジュヴナイル作家ながら本格推理テイストを持つ作品を次々と著すことで知られるはやみね氏の七冊目の長編。

大ベテランの推理作家、平井龍太郎のデビュー五十周年記念パーティに招かれた名探偵、夢水清志郎と亜衣、真衣、美衣の三人姉妹。平井はからくりが随所に施されていると噂される「機巧館」に住んでおりパーティもそこで開催された。彼は挨拶の席上、「まだまだ死ねない」と強調。その理由は、莫大な財産を巡る争いと、見立て殺人をテーマにした『夢の中の失楽』の執筆を行う、と宣言した。パーティにはお馴染み上越警部も招待されており、事件が予感された。書斎に平井が引き込んでしばらく、悲鳴が聞こえた。慌てて書斎に駆けつける警部と清志郎だったが、部屋には鍵がかかっており、やっとのことでこじ開けたところ平井は部屋の中から蒸発してしまっていた。

相変わらず贅沢な作りのミステリ。そしてマニアが随喜するパロディの数々
本作は出版直後「難しすぎて子供には分からないのではないか」と物議を醸したらしい。分かるか分からないか、そんなことは実際に読む人間が決めれば良いこと。出版された後に外野が騒いでも仕方ないように思う。私としてはもちろん目一杯に楽しませてもらった。
本作、二つの短編にメインとなる『夢の中の失楽』の事件が挟み込まれた構造となっている。それらに使用されているトリックそのものは目新しい、とは少し言い難い。しかしジュヴナイルという雰囲気の中でこれだけいろいろと張り巡らせてあれば、総合的にミステリとして充分楽しめる。トリックの巧拙よりも作品から得られる満足の方が大きい。更に、そこかしこに見られる本格、新本格推理小説に対する直接、間接の言及がまた楽しい。もちろん作中作となっている作品の元となるのは『匣の中の失楽』、さすがにオマージュと呼ぶまで完成してはいないものの、雰囲気作りには成功していると感じた。

子供向けとして十分に人気もあるのだろうが、すっかり「大人も楽しめる」と認知されたはやみね作品。次作は江戸が舞台になるとの話だが、それでもやはり期待は大きい。楽しいミステリである。


99/05/02
都筑道夫「紙の罠」(角川文庫'78)

『悪意銀行』などにも登場する謎の男達(ギャング?)近藤・土方の登場する第一作目。元は'62年に桃源社から刊行されている。

自称、名人の近藤庸三は紙幣が印刷される用紙が盗まれたというニュースを見て「襲ったのは何者かは分からないが、これは印刷の名人に次の手が伸びる」と察知、彼を押さえて紙を奪った連中に売りつけようと、アパートを飛び出す。新聞で既に知っていた印刷名人の坂本宅を探す途中、同じことを考えた土方という知り合いに出くわす。しかし更に同じことを考えた沖田という男に先を越され、坂本は連れ出されていた。転んでもタダでは起きない彼らは、坂本を押さえられ困っているであろう犯人側に対し、坂本氏を探し出すことをお金で請け負おうとコンタクトを図る。要求を呑んだ犯人側のボスは代理の女性を彼らと接触させ、近藤と土方二人に仕事を入札させた。その結果近藤にその仕事は回ってきた。

都筑流コン・ゲーム+スラップスティックアクション
紙幣用の紙が盗まれたという情報から、印刷名人を押さえるという発端の奇妙さ(悪く言うと無理矢理さ)が気になる人は気になるかもしれない。しかし本作、悪人(根はそれほど悪人ではない)対悪人(根はそれほど悪人ではない)対悪人(根は悪人)対黒幕(かなり悪人)とが虚々実々の駆け引きを繰り広げるスラップスティックストーリーなのだ!と、初めから捉えておれば問題はないはず。互いと互いが手を組んでは離れ、裏をかき、成り行きで協調しとその展開はスピード感に溢れ、目まぐるしい。もちろん物語にはアクションあり、お色気あり、義理人情あり、蘊蓄あり。とんでもないものを武器にしたり、小道具として妙なものを使ったり、とここらの知識とアイデアの深さ、広さは都筑作品にしか味わえない深さがある。これら色んな要素を貪欲にかき集めながらも、それでも根底に流れるユーモアと都筑氏一流の良い意味での「きざ」な表現で包み込むことによってストーリー全体のまとまりが保たれている。また、余り目立たないが、歯切れの良い文章が独特のリズムを創り出していて、これも一気に読ませる一つの理由として挙げられるだろう。
惜しむらくは、主人公格の近藤と、つかず離れずの好敵手役の土方が互いを出し抜きあうのだが、その手腕が似ているせいか、同じような性格に見えてしまう点か。

実質、現在でも角川文庫版を入手しなければ読めない作品なのだが、これが意外と手に入りにくい。都筑氏でしか読めない作品だから、都筑氏を探すしかない。図書館なり、古書店なり探してみて下さい。


99/05/02
鷹見緋沙子「死体は二度消えた」(徳間文庫'82)

謎の覆面作家、鷹見緋沙子の二作目の長編。本作は他の二作『我が師はサタン』『最優秀犯罪賞』と明らかに雰囲気が違う。(それは覆面作家の作者が違うから?)

三英商事に勤務する竹村則久はうだつのあがらない独身社員。彼とは相性の合わない課長の古川の攻撃の格好の目標となっていた。現状を思い悩む彼は、恋人の紀美子のアドバイスを元に脱サラして、作家になるべく構想を練り始める。そして現在の自分の状況から、古川課長の殺人計画を小説の為にまとめ上げた。竹村は自らの小説の臨場感を増すべく、古川が残業している筈の会社に深夜忍び込みを図り、部屋の様子を鍵穴から覗く。すると仕事をしている筈だった古川は職場に倒れ込んでおり、何者かの手によって資料室にずるずると搬入られていくところだった。オフィスの電気が消され、資料室の電気がついた後、何も変化がないことを訝った竹村が勇を決して資料室に向かうと、そこにある筈の死体が消えていた。慌てて会社から飛び出た竹村が自宅に戻ると、こんどは何故か、自宅の一室に古川の死体が横たわっている。混乱したまま死体を処分しようと竹村が道具を取りに出たわずかな隙に、さらに古川の死体は再び彼の目の前から消えてしまった。しかし翌日から古川は会社に出勤してこなかった。実は古川は汚職事件の証拠を持っており警察から追われている、という。

不可能犯罪テーマながら実はサラリーマン社会サスペンス
冒頭、自分の会社に忍び込む主人公。課長への憎しみを感じ、彼の緊迫が伝わってくる絶妙の筆致。緊張が高まる……のだが、これは実は小説のための材料取材に過ぎないと明かされ、緊張は一旦緩和される。だが忍び込んだ彼が目にするものは、自分が空想の中で殺される課長が実際に引きずられていく姿であった……再び緊張が高まり、不可解な事態が次々と発生する。これだけ魅力的な冒頭からの展開だと正攻法の本格推理を期待するのが普通かと思う。事実、終盤、主人公は関係者を集めて一連の謎解きを開始してしまうくらいなので、強くそのあたりは意識されている。少し残念なことに、それが中盤からは、汚職や出世を巡る謀略が前面に押し出されてしまって、冒頭の不可能犯罪の強烈さが徐々に薄れてしまっている。題名通り「死体は二度消えている」という問題があるのに事件の大枠が一体どうなっているのか、という点に物語の焦点が移ってしまう。このあたりはサラリーマン社会を風刺したを権謀術数の描写が目立つ。最終的には、徐々に「HOW」の視点から冒頭の事件が明らかになっていく。それは良いのだ。しかし、そのトリックを仕掛ける理由「WHY」があまりにも……なのだ。途中で頭の中を「何もそんなややこしいことをしなくても」と過ぎった瞬間に盛り上がった興が引いてしまったのが、返す返すも残念。

どちらかというと上記二作に比べると、残念ながら怪奇性や論理性とも、エンターテインメントとしての出来が多少落ちるように思う。求めるものが異なると言われればそれまでなのだが。会社を舞台にした謀略系サスペンスがお好きな方には意外と合うかもしれない。


99/05/01
岡本綺堂「白髪鬼」(光文社時代小説文庫'89)

『修善寺物語』などの新歌舞伎の第一人者で、原書でドイルを読み触発され『半七捕物帳』という名作を編みだした岡本綺堂。一方では怪談にも多大な業績を残しており、本作品集は綺堂の怪談から、主に現代(といっても大正、昭和初期)ものを中心に収録されている。『現代』『講談倶楽部』『新青年』など雑誌に'23年(大正13年)〜'34年(昭和9年)の間に執筆された作品。

夜啼岩に纏わる怪異『こま犬』、田舎に群生する幽霊藻と呼ばれる水草と幼い男女の恋『水鬼』温泉場に出かけた少女は同行した友人のことが帰り道に気になって仕方がない『停車場の少女』他、『木曽の旅人』『西瓜』『鴛鴦鏡』『鐘ヶ淵』『指輪一つ』『白髪鬼』『離魂病』『海亀』『百物語』『妖婆』ショートショート程度の長さから普通の短編まで十三編を収録。

これぞ「怪談」。精神を研ぎ澄まして取り組みたい
五十年どころか七十年近く前に書かれた小説、なのに。まず驚くのが文体。これが全く古さを感じさせない。それは時代が時代、風俗情景は大正期、昭和初期ともちろん古い。しかし文体が古びていないのがまず凄い。そして内容。これはもう、溜息。贅沢な怪談。幻、禁忌、幽霊、物の怪の類を題材に「何かがそこにある」「だけど、それが何なのかは説明できない」という現実の狭間をものの見事に文章として表現している。解説で都筑道夫氏が「怪談をいったん後退させて、現実感を取りもどしながら、結末では現実と非現実とを二重写しにして見せる。」と書いている。これ以上の説明は必要ないかもしれない。
表題作となっている『白髪鬼』に登場する生き霊、『妖婆』での雪道に黙って座っているだけという得体の知れない婆。決して事細かに描写している訳ではないのに、心の中に直接飛び込んでくるようなイメージの脅威。これぞ「怪談」なのだろう。

表層だけをなぞっただけではこの凄さは理解しにくいかもしれない。現在となっては、読む人によって怖かったり怖くなかったりの差があるとも思う。考えようによってはこれこそ「本格ホラー」の本質たる部分である。本作を読むことは、己の想像力が試されているような、そんな気分になる本。