MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/06/20
横田順彌「女子大生ミステリー事件簿 メビウスの8つの謎」(廣済堂文庫'93)

ハチャハチャSFの名手、横田順彌氏。本作の位置づけは残念ながら分からない。本書掲載作品そのものは'89年〜'92年にかけて『小説city』という雑誌に掲載された作品をまとめたもの。

中堅ミステリー作家の田辺俊夫は、姪の女子大生、田辺真紀子と共に、ちょっと不思議な出来事に関する相談を様々な人から受ける。彼らの調査と推理で明かされる、それぞれの事件の一風変わった真相。
自分の生活をじろじろと覗く別の女性が気になって仕方のない女子大生『ふたりの世界』
男性と交際しようとすると、心当たりのない男性から警告が入る女性『灰色の瞳』
事故にあってから人が変わってしまった旦那を心配する人妻『君といつまでも』
ポルノ作家のワープロが壊れ、何の操作もしないのに作品が画面に浮かび始めた『悲しみのセレナーデ』
明治時代のバンカラ集団に夢中になった教授。その妻の様子が日々おかしい『また逢う日まで』
評判の発明博士、松戸歳圓氏を取材に訪れた一行はタイムマシンを経験する『道標ない旅』
俊夫の友人の前衛書家の自宅に毎夜毎、幽霊が現れるという『心のこり』
鬱病になった俊夫が訪れた別荘では深夜、女性の歌声が聞こえてくる『惜別の歌』

ミステリのパターンに軽いSFを乗せてみました
出だしは、全編ミステリのコードを踏んでいる。冒頭に奇妙な謎が提示される。謎のストーカー、別人への変化、謎の電話、正体不明の歌声……。それらを相談された田辺俊夫と真紀子の叔父姪コンビが解決に当たる、というのが基本的なパターン。そしてその真相は、現実的合理的なものではない。何と言っても横田順彌だ。意表を突く、という精神はミステリとは同じものの、「この手で来るか」という解決を持ち込んでくる。そのオチは、ヨコジュン的なダジャレオチではない。その手もゼロではないながら、あくまで基本はSFの手法である。勿論、帯に「ミステリー」を銘打っているが、この場合の「ミステリー」はあくまで「推理小説」という意味で使われているのではなく「七不思議」という風に受け取っておくべき言葉なのだ。また、取り上げられるほとんどの事件は、奇妙な現象など犯罪性の軽いもので、実際の意味で警察が乗り込んでくる類ではない。だからこそ、オチの「軽さ」も生きている。
そして主人公の叔父と姪のやり取りが、あくまで微笑ましく、ちょっと「あれ?」という気持ちも、ミステリ読みとしては起きるのだけれど、それも瞬間で癒される。こういう「ミステリー」もアリだよね。

本格ミステリ好きな方は、間違っても読んではいけません。激怒すること間違いなし。そういう難しいことを考えず、軽い気持ちで読むと、これが意外や意外、楽しいのだ。全く読むのに負担にならない、気分転換の読み物程度に楽しまれてはいかがでしょう。


99/06/19
松本清張「点と線」(新潮文庫'71)

「社会派推理」と呼ばれる一派の大御所、松本清張。本作はそんな松本氏の処女長編にあたり、'57年から翌年にかけて『旅』と呼ばれる雑誌に連載された作品。本書と同時期に『眼の壁』『ゼロの焦点』なども執筆されている。

九州博多付近、香椎の駅近くの海岸で情死と思われる男女の死体が発見された。男は汚職の疑惑がかかる某省庁の役人、女は東京の小料理屋の女。二人とも青酸カリを飲んで死亡しており、心中として処理されようとしていた。そんな中、地元署の鳥飼刑事は男の遺留品から、食堂車で男が一人で食事したと知り、不可解さを覚える。一方、彼ら二人は、官公庁に食い込まんとする機械商社の遣り手、安田という男と、死んだ女性と同じ店の女中二人と共に東京駅の離れたホームから列車に乗るところを目撃されていた。男が死んだことで、汚職捜査が行き詰まり困った捜査二課の三原刑事は、鳥飼刑事の主張に共感、この事件の裏に作為の匂いを読みとる。この事件の作為の中心は、安田の周りに集まっていることに目を付けた三原だったが、安田には二重三重の鋼鉄のアリバイが存在していた。

意外と?オーソドックスなアリバイ崩し本格推理
確かに犯罪の動機は汚職、である。犠牲者は汚職隠しの上層部のエゴから発生する。この点のみ捉えて、「これぞ社会派推理だ!」と論ずる向きもいなくはないだろうが、少なくとも本作、ガチンコのアリバイ崩しがメインストーリーとなっている。犯人は冒頭から分かっている。捜査側が崩さなければならないのは、アリバイだけではなく、「どうやって」犯人が心中死体を作り上げたのか、という”HOW”の謎もある。東京駅四分間の空白など、推理小説史上に残る有名なシーンもあり、九州で犯行中だった筈の容疑者が、その時分、北海道に居たというアリバイを持っている点など、アリバイはアリバイでも不可能犯罪的興味まで感じられ、前半からずっと読者の興味は尽きない。登場人物にも無駄がなく、文章も平易で読みやすい。ただアリバイを必死で崩している捜査側があの点になんでもっと早く思い至らないか、というのは少し疑問だけれど。
いずれにせよ、同じ時期の鮎川哲也の同系統の作品と並べても、何らおかしくない本格推理。この後にもっと「社会派」を強く打ち出す作品群が出ているのだとは思うが。少なくとも、自分的清張作品再評価の気運が高まるレベルの作品であった。この作品が当時の大衆に受けた、のなら、その大衆とやらは「本格推理」を高く評価していた訳ですね。

ちなみに私が手に取った新潮文庫版では、'87年に改版されるまで増刷が五十二回。その後三回で更に八回の増刷が行われている。推理小説でこれだけ高年層を中心に、とは思うが増刷され広く流布している作品は他にそうはないはず。それなりの魅力を松本清張という作家が持っていた、という確証の一つである。


99/06/18
浜尾四郎「鉄鎖殺人事件」(春陽堂文庫'56)

貴族院議員にして探偵小説家、早くに夭折した浜尾四郎が残した数少ない長編の一つ。『殺人鬼』の続編にあたり、私立探偵藤枝真太郎が活躍する。'33年、新潮社の書卸しで「新作探偵小説全集」の一冊として著された。

藤枝の事務所の元へ、友人の私(小川)の従姉妹が何事かを相談に訪れる予定になっていた。やって来た大木玲子は気が動転しており「人殺しがあった」「新聞で知った」などと支離滅裂なことを言い残すといきなり帰ってしまった。その様子を訝しんだ藤枝と私は、事件があったと思しき南佐久間町の質屋に赴く。その店は深夜にも関わらず、裏口が開いており、二人は中に忍び込んだ。内部こそ整然としていたが、応接室では壁に貼ってあったと思しき西郷隆盛の肖像画が何枚も床に破り捨てられており、店には年輩の男が一人両手が鉄の鎖で縛られた上に胸を刺されて死んでいた。焦る私を後目に、店に落ちていた意味ありげな恋文や、二回へ向かう階段に残る痕跡など、現場の検証を素早く済ませる藤枝。更に彼は翌朝、大騒ぎとなった現場に悠然と現れ、店の近所の捜査を行い、隣接したアパートの住人が怪しい行動を取っていたことを知る。付近の目撃者の証言で、やはり現場に玲子らしい女性が来ていたことを二人は確認。だが、その玲子は行方をくらましてしまっていた。

登場人物、背景、トリック……バランスが絶妙の完全探偵小説
ヴァン・ダイン、コナン・ドイルを尊敬していたという浜尾氏であるが、本作の「探偵小説」としての構造の緻密さ、完成度の高さは、先輩大物に比肩するクラス。本当に驚いた。
冒頭の事件が発生する側から探偵役が登場、捜査を開始する。きちんと序盤から手掛かりはきちんと配されており、それがまたミスリーディングを誘い、次々と被疑者が想定される。事件は捜査側を嘲笑うかのように連続して発生、助手役は狂騒し、探偵は悩み、恐らく犯人とは思えない被疑者は追い詰められていく。ある段階より、探偵は、きっかけを掴むと続々と啓示を受け、真相を見通し、最終的に大団円を迎える……。
国内作品、海外作品を含め、一つのパターンである。パターンが出来ているから、レベルが高いと言うのではない。そのパターンを踏まえた上で、あくまでフェアに、論理的に物語を終結させているからレベルが高いのだ。探偵小説長編の常で、登場人物が多過ぎる感もあるものの、終わってみると無駄な人物が一人もいないことにも驚く。名探偵藤枝はとにかく、つい事件に干渉してしまう冷静でいられないワトソン役の小川くんの「だらしなさ」からは、複数の後代日本の推理小説の登場人物像が重なって見えてくる。本作に関しては、登場人物、背景設定、トリック、動機、物語世界などのバランスが、探偵小説的に絶妙。戦前に既にこのレベルの作品が日本に存在した、ということを知っただけで、充分に満足。

殺人鬼』読了後、ずっと読みたくてたまらなかった作品。この文庫版もたいがい古いのだが、恐らく現在までの最新版。ちなみに活字は全て旧仮名、旧漢字。本書入手のきっかけを作ってくれた松本楽志くんに多謝。いや、ホント、満足。


99/06/17
井上夢人「おかしな二人 岡嶋二人盛衰記」(講談社'93)

乱歩賞、推理作家協会賞など受賞した推理作家ユニット「岡嶋二人」。その一人で、現在も創作活動を継続する井上夢人氏による題名通りの「岡嶋二人ドキュメント」。本書はハードカバー版だが、講談社文庫版が現役。

作者自身の警告もある通り、作品のネタバレ多数。気にされる方は最低『あした天気にしておくれ』『焦茶色のパステル』の二作だけは読まれてから、本書に取り組まれた方がよろしいかと感じます。(私も全作品は未だ読んでいません)
ユニットの結成から苦労しつつも乱歩賞を受賞するまでを綴った「盛の部」、受賞後の創作活動、そしてユニットが駄目に(解散する、よりも”駄目に”というイメージ)なるまでを綴った「衰の部」の大きく二つに分けられた構成。1972年。二十一歳で父親になった映画青年の井上泉が、自らの引っ越しに際し、徳山諄一という七つ年上の男に友人を介して出会う。二人は様々な曲折を経て意気を投合、乱歩賞、という目的に向かって邁進を始める。小説の書き方もろくに知らない二人。創作は苦労の連続だったが『あした天気にしておくれ』にて乱歩賞の最終候補に、そして『焦茶色のパステル』にて第二十八回の江戸川乱歩賞を受賞する。そうして彼らは「売れっ子作家」への道を突き進んでいく……。

小説作法と人間ドラマ。楽しくそして寂しいドキュメント
ある作家が小説を書く際のテキストとして本書を挙げていた。二人による合作の秘密や、作品の成立過程について単純に書いたもの、と勝手に受け取って読み始めた私にとり、この作品は少なからずショックだった。本書は、岡嶋二人というユニットの内幕を通じた、人間対人間のコミュニケートの記録なのだ。
形式はあくまで伝記的、自伝的であり、一種のドキュメントである。そして井上氏の語り口は、小説に負けず劣らず巧い。読ませるための工夫も随所に凝らされている。二人三脚という日本の小説界では珍しい合作形式を、井上氏が振り返りつつ解説する。通常の作家が一人で行っている「創作過程」が、二人のキャッチボールの形式で分かり易く語られている。この辺りの発想、考え方は、特に、ゼロないしそれに近いところから小説を書きたい、という”作家志望者”には良いテキストになることは事実。そして売れっ子の作家の生活がどんなに厳しいものかを知ることも。
しかし何より、全体的に軽妙な語り口でありながら、同じく全体を覆う微妙な寂しさは強烈に心に残る。最終的に別々の道に進むことが(厳然たる事実として、読者にとって)分かっている二人。全くのゼロから一気に積み上げられた男同士の友情、そしてそれさえ越えた信頼感が、ある時点から少しずつ、しかも着実に崩壊していく様。読者が感じる寂寥感は井上氏が感じたそれと、程度の差こそあれ同じようなものだと思う。本書を書くことで井上夢人が一つのステップを乗り越えたのは確かだろう。というよりその為に書かれたのかもしれない。

冒頭で述べたように、「小説を書くときの発想方法」「賞応募のテクニック」など創作を目指す方にはもちろん役に立つはずです。岡嶋作品ファンは裏話的な部分、井上夢人ファンは氏の背景的な部分に面白さがあるかと思います。ただ、岡嶋作品を全く読んでいない人には、本書は意味不明点が多すぎるかも。


99/06/16
鈴木輝一郎「新宿職安前託老所」(出版芸術社'95)

某MLで色々と興味深いお話を教えて下さる鈴木輝一郎氏の五冊目にあたる単行本。第四十七回日本推理作家協会賞の短編賞を受賞した『めんどうみてあげるね』を含む連作短編集。六編を含み、うち後半四編は全て書き下ろし。

介護、介助のコストを切り捨てることで利用料を大幅に引き下げ、昼間の間だけ老人を預ける施設、託老所。入所の条件はただ二つ。健康であることと、介助が必要でないこと。共稼ぎの家庭が増え、老人が元気なのは良いけれど、家で一人で留守番させるて、急に倒れられたり、火の元が心配だったりという不安から、この施設、なかなかの人気。ここ新宿区にある託老所では十数人のお年寄りと、謎の幼女、新庄さやかとが日々を送っていた。
託老所に通うことになった中村きん。ボケ始めた老女を庇う先輩年寄りたちに不審を感じ始める『めんどうみてあげるね』
痴呆で施設を出所した嘉蔵は人前では笑い顔を見せたことがなかった『ねえ、笑っておくれよ』
九十過ぎで元気な文蔵とキリコの夫婦が二人して託老所に入居してきた『おねがいしようか』
中村きんは託老所に通う途中、イラン人の怪しい手相見に声を掛けられる『幸セニシテアゲル』
フリーライターの朝霞弘之は老いた母を託老所に入所させ、内情を探ろうとする『役に立てるかい?』
スキャンダルに巻き込まれた託老所が閉鎖の危機に『ひとりでできるもん』以上、舞台を同じくした連作短編集。

ミステリながら、高齢化社会の問題点を鋭く突き刺した異色作
老いてなお元気な人々にとっての最大の望みとは。
託老所という架空の舞台設定が、まず巧い。そこには「元気であるが、孤独な」老人たちの生活が縮図となって現れている。家族に遇されていお年寄り、寝たきりのお年寄りは本書には登場せず、身体の反応が鈍くなったり、頭の回転が若い頃に比べると多少落ちたり、という程度の老化現象を抱えた、ごくごく普通のお年寄りが主人公。核家族化が進んだ結果、家族の形態は彼らお年寄りが若かった頃とは大きな変化を遂げてしまっている。息子の嫁は姑の世話を嫌がり、子供たちさえも年寄りの面倒にきちんと取り組まない。自分たちがしてきたことを期待できない空しさ。養って貰っていることへの引け目。自分が社会に役立てないという苛立ち。そんな鬱屈した思いを抱えた彼らにとって最大の望み、そして最大の興味は「人生の幕引き」、そしてそれを如何にスムースに、綺麗に、迷惑をかけないで成し遂げることが出来るか、ということ。本書には一つの最適な、しかしやり切れない処方箋が描かれている。
お年寄りと長い時間を共有することで、幼女ながらお年寄りと同じような価値観を持つ不思議な少女、さやかを配して、作者はブラックなユーモアを交えながら、その点を厳しく追及していく。我々若い世代にとって決して身近な存在ではない「死」が、彼らにとって最大の悦びとなる、この逆説。亡くなったお年寄りの葬式の帰り道、世間話で話される「……でも、良かったね」。本書の本当の怖さは、意識下に問題点を押し込み、気付いていない振りをしている全ての読者に対し、この問題をさらけ出していることであろう。

現在は改題され『めんどうみてあげるね』という題名で新潮文庫にて入手が可能。勉強の意味も込めて、お年寄りに普段接することのない若い人に是非とも読んでもらいたい作品。面白がりながら、いずれ自分も直面することになる問題に触れられます。人は誰でも年を取り、老いるのです。貴方も、です。


99/06/15
小栗虫太郎「人外魔境」(角川文庫'78)

この一連のシリーズは探偵小説ではなく、戦前でありながら探検、怪奇、SF小説のテイストがいっぱいに詰まった「魔境小説」である。'39年から'41年まで雑誌「新青年」に掲載された作品群。

アフリカの奥地にある前人未踏の秘境「悪魔の尿溜」と呼ばれる地からやって来たと思われる、人間と猿の間の存在である動物。その神秘を追うために、日系混血の医師、座間は原生林に分け入る『有尾人』
仏領北アフリカに存在する「食肉岩地帯」。百人からなる探検隊が一夜にして消えていなくなった記録の残る地に、美術商の山座らの一行が挑む『大暗黒』
チベットの奥地にある四つの険しい山の頂付近には、必ず雲がかかりその内部は定かではない。フリーランサーの世界的鳥獣採取人にして、大日本帝国のスパイ、折竹孫六が彼の地に足を踏み入れんとする『天母峰』
以下、三作目登場の折竹孫六の世界各地に於ける冒険譚が以下の土地土地を舞台に繰り広げられる。太平洋の真ン中の渦、南アメリカの原生林、アフリカ、グリーンランドetc……『「太平洋漏水孔」漂流記』『水棲人』『畸獣楽園』『火礁海』『遊魂境』『第五類人猿』『地軸二万哩』『死の番卒』『伽羅絶境』『アメリカ鉄仮面』以上十三編の秘境、奇境の物語。

想像力の限界を超えた超空間を見せつけられる快感と恐怖
小栗虫太郎とは、何者なんだろう?『黒死館殺人事件』で見せる衒学的な凄さ、探偵小説でありながら異常な幻想的とも言える知識群が駆使された内容が「ミステリの奇書」として挙げられるのならば、本書は「空想科学小説の奇書」として名を留めるべき小説である。
戦前の時代、飛行機がようやく世界中に飛び回り、空からはある程度世界が観察出来るようになった時代。しかし陸上からは、灼熱、寒冷、疫病、害虫などなど前人未踏の地が、世界中に残されている。高度でかつ深い知識を背景に、しかし最終的にはその大いなる空想力を以て、小栗虫太郎はその前人未踏の魔境、秘境を自らの筆一本で鮮やかに描き出している。緑はあくまでも深く、溶岩は爛れるように赤く、氷は不気味な輝きを放っている。色彩は勿論、温度や湿気、臭気さえも鮮やかに、誰も見たことのない未踏の地を描写する力は、まさに魔法や超能力に匹敵する才能のように感じられる。
そもそも、現代の我々は秘境や前人未踏の魔境とも呼ばれる土地土地に対して、それに類する現実の世界を、写真で、映像で、そもそも知識として持っている筈。本書を読んでいる間、その断片的な視覚、知識を組み合わせることで、小栗世界を頭の中で再構築していくのだけれど、彼の文章はその再構築さえも拒絶するほど凄まじい。まさに余人の想像を絶する世界が小栗の頭の中に構築されていた、ということだろう。
後半は一転して、折竹が愛国心に燃えた国際スパイとしての能力を発揮する、戦争冒険小説の様相を呈す。それはそれで自然以外の部分に、超空想力が働いているために面白さが減ずることはないのだが、個人的にはやはり前半部の圧倒的なイメージの洪水に酔った。

本書も桃源社版など色々な版があるが、現在は何故か、角川ホラー文庫にて復刻されているので、容易に入手が可能。取っつきにくい文体、多少の気取りのある登場人物など、入り口は決して広くないものの、入り込んだら容易に抜け出せない、虫太郎ワールドへ飛び込んでみませんか?


99/06/14
山田正紀「裏切りの果実」(文春文庫'87)

山田正紀による犯罪アクションサスペンス小説。'82年から翌年にかけて雑誌『オール讀物』に連載され、文藝春秋社から'83年に単行本となった作品の文庫化。

'73年、復帰直前の沖縄空港に降り立った垂見志郎と名乗る男。本土から来たその青年は、胸に大きな野望を抱いていた。通貨の円への切り替えを目前に控え、日本銀行より493億円もの現金が沖縄に輸送されており、その一部を奪い取ろう、というのだ。自分の身分を徹底的に隠し、下見を済ませ、アジトを確保した青年は、幼なじみという伊波名という酒場を経営する男とコンタクトを図る。彼は裏世界では「沖縄一の小悪党」と呼ばれている男だ。彼に資金の援助を頼む志郎。自らの犯罪計画にその伊波名と、彼の店で働く夢見る青年と、米兵のヒモを抱え資金が欲しい、シンガーを加える。輸送に使われるのと同型のトラックを準備するところから、志郎は着手する。

七十年代を悼むかのような現金強奪犯罪サスペンス
「沖縄の日本への返還」という歴史的事実。この日から既に二十五年以上が経過しており、このことをリアルタイムで知らない世代が続々と増えている。執筆当時から数えても'73年のその出来事はたかだか十年前、山田正紀氏は、その独特の「時代と時代の節目」を生々しく描き出している。少なくとも当時、時代と地続きだった舞台は、現在の読者にとり、いつの間にやら歴史の中に埋没し始めているテーマと変化している。(沖縄居住の方には誠に失礼な物言いだが)本土の人間が訪れるのにパスポートが必要で、通貨はドル、米兵が本当に我が物顔で沖縄を占領している世界。そしてその世界が、現代の日本のシステムに組み入れられる「その瞬間」にしかあり得なかった犯罪を、この物語は綴っている。少なくとも、その「歴史的事実」は永遠に忘れられてはならないはずだ。
テーマは山田正紀が好んで取り上げる題材の一つ、現金輸送車強奪。強奪方法そのものは奇想天外なトリックというよりも、現実性を重視した作戦。色々と、舞台設定を考慮した方法ではあるが、残念ながらそれほど目新しくはない。本書の見どころは後半部、題名にもある「裏切り」にある。一旦組んだ仲間同士、互いが互いを信用していないのは明らか。彼らがいかに獲物を自分一人のものにすべく、虎視眈々と互いを裏切ろうとする緊張感。最後に笑うのは主人公か、悪役か、ヒロインか、それとも思いも依らない脇役か。このサスペンスフルな展開で物語は最後まで引っ張られる。

大まかなストーリーだけで、充分冒険サスペンスとしての要件は満たしている。しかし、本書はその面白さと合わせ、その時代が持つ特殊な雰囲気をも味わうようにしたい。古書店か、図書館で。


99/06/13
牧野 修「MOUSE(マウス)」(ハヤカワ文庫JA'96)

今や押しも押されぬホラーの作家として認識される牧野氏であるが、元はファンタジー等を著しているれっきとしてSF作家である。特に本書はSFマガジン掲載時にファンより絶賛を受けたSFの代表作。パンクノベルと銘が打たれているが内容の衝撃性によるものだろうか。

近未来の日本。埋め立て地に立てられたニュータウンが地盤沈下を起こし、そこに地震が発生、大人が皆逃げ出した廃墟に社会からはみ出た子供たちが住み着いた。そこは十八歳以下の子供達だけが住む「ネバーランド」という街となった。彼らは腰にカクテルボードと呼ばれる数十種類のドラッグカプセルを装着、特殊な機械により腹についたチューブにより直接体内に送り込み、幻覚と超感覚の世界に浸っていた。彼らは「マウス」と呼ばれ、唯一街の外に繋がった雄橋、雌橋と呼ばれる箇所で身体を売り、ドラッグを購入していた。誰もが幻覚の世界に生きるネバーランドでは、「言葉」が互いの存在を同調したり、相手の急所を突いて破滅に導いたり、と重要な役割を背負っており、彼らは本名を隠し、字で呼び合っていた。そんな「ネバーランド」の住人を巡る五つの物語。
マイティマウス、と名乗る連続殺人鬼がネバーランドを徘徊、ツクヨミとティンカーベルの元に危機が迫る『マウス・トラップ』、嗅覚が異常に発達した男が、息子を捜し出すためにネバーランドに潜入する『ドッグ・デイ』、幻覚を実在の存在にまで高めるネバーランド内のゲーム、ラジオ・ゲーム。その達人が恋人と訪れた家の秘密『ラジオ・スタァ』、日常に嫌気がさした普通の女の子が、ネバーランドの住人と知り合い、何者かに追われる身となる『モダーン・ラヴァーズ』、ネバーランドに送り込まれた二人の超的な能力を持つ男女。彼らの狙いは?『ボーイズ・ライフ』以上、五編。

日常を一気に侵食する、幻覚と超感覚と言葉が煌めく完全世界
設定そのものからは漫画家、大友克洋の名作『AKIRA』を彷彿とさせる。近未来、子供達の国、ドラッグ、シュールな日常生活。ただ、それらの類似によってこの作品の価値は全く下がるものではない。同じテーマを扱いながら、幻覚に生きる未来の子供達の言動、行動、価値観、欲望、生活様式をより深く、彼らの内側から描ききることによって、現代の日常の見えない狂気まで映し絵として描き出しているから。
ドラッグを常用することで、感覚が先鋭化し、五感全てが発達した一種の超能力的能力を主人公「マウス」達は保持している。その代償として肉体の異常や、疾患が現れるにしろ、彼らはドラッグを止めることはなく、益々その世界にのめっていく。そして十八歳以下の国、無政府状態下に生きる彼らを突き動かすのは「彼らなりの価値観」「彼らなりの本能」「彼らなりの愛情」である。歪んだ形とはいえ、読者たる我々の持つ価値観と彼らのそれが、極端に離れている訳ではない。むしろ、我々が理性や道徳という様々な形で押さえ込まれている「本当の欲望」を、逆に極端な形で発露させているに過ぎない。無軌道で、目茶苦茶な彼らの不思議な魅力に読者が引きずり込まれていくのは、我々の出来ない、でも本当はそう有りたい、という押し込まれた気持ちを代弁してくれるから、だと感じた。
また、文章も魅力。ホラーのコードを多用し、幻覚と超感覚が支配する世界を余すところなく、我々に伝えてくる作者の力は並大抵ではない。一つ一つが現実離れした設定であっても、作品世界が既にその、現実離れしたところで完璧に構築されている以上、彼らはその世界でしっかりと踏ん張っている。日常と非日常が逆転するようなラストも非常に印象的。

本書は刊行されたのが、ごく数年前であるにも関わらず、現在品切れ、とのこと。本書は、問題作であると同時に傑作であるので、古書店で発見したら迷わず入手しましょう。絶対にこの輝きは時間を経ても、色褪せることはないはず。SF系を受け入れられる方には、無条件にお勧め。それ以外の方にも是非とも読んでいただきたい作品かと思う。


99/06/12
藤本 泉「呪いの聖女」(詳伝社NON NOVEL'79)

'66年『媼繁盛記』で小説現代新人賞を受賞、その後、綿密な構成とストーリーをミステリに転じ、『呪いの聖域』で'76年の直木賞候補に、翌'77年に『時をきざむ潮』にて江戸川乱歩賞を受賞した。

五十過ぎの甲地刑事は、仕事中に受けた怪我が元でアキレス腱を切断、療養中だった。婿養子で警察一家に迎えられた彼も、出世できなかったことで家族の風当たりは冷たい。そんな折り、近所に住む大富豪、石郷岡宗次郎が謎の凶器で腹を刺されて殺される事件が発生。石郷岡の遠縁の親戚でもある彼は、休職中ながら興味を感じ、一人で事件を調べ始める。石郷岡には七人の子供がいたがそれぞれ、水の事故や交通事故、ガス中毒などで次々と命を落としており、あまりにも年齢が離れていたため養女に迎え入れた、実質妾の女性、妙がその相続者となっていた。彼女を含め、石郷岡の使用人に「神」姓を持つ岩手出身の人間が多いことに気付いた甲地刑事に危機が訪れる。

伝奇的背景の内で翻弄される老刑事
ふむ。伝奇的背景とか、横溝的人間関係とか、超変格だとか、幻想志向が強いとか。読前に藤本泉(せん、と読む)という作家の情報として私が得ていたのは、いずれにせよ「ちょっと変わった」という形容詞。現在では、幻の作家として挙げられる方だ。ただし、物語を読んでいる最中は、あまりそのような感覚を受けず、どちらかというと当時の本格派に近い味わいを感じた。事件を警察が様々な角度から検討、容疑者のアリバイを刑事がこつこつと検討していくタイプ。
「大金持ちが殺され、他の身内が事故で死に絶えているため、若い美貌の女性がその遺産を受け継ぐ」。事件そのものはもちろん、異常さを感じさせるのは、大富豪の周りにいる人物たちのみ。なので、一見は平凡な事件の印象だ。実際、身体が不自由で、かつ捜査権を持たない初老の男に調べられることは限られている。あくまで地道に、同僚から情報を集め、唯一の拠り所である「被害者と遠縁」であることを利用して、一つ一つ現場を巡って聞き込みをするだけ。従って、序盤で明かされる限りは、事件の平凡さと相まって凡百の(失礼)ミステリーといった感触しか受けない。それが後半にかけて一転。甲地の地道な捜査により徐々に導かれる、東北の寒村にルーツを発する一族。閉鎖的な村から導かれる、美貌の女性やその取り巻きのバックグラウンド。そこからは凄まじい執念、怨念さえ滲み出てくる。事件を起こすに至った強烈な動機は、そのスケールの大きさから心に刻まれるものがある。

結局のところ、最後の一行を読み終えて本を閉じた瞬間に感じるイメージは、やはり「伝奇的推理」の名に恥じないもの。とはいえ、藤本さんの作品のほとんどは既に書棚から消えてしまっているため、オススメしたとしても読んで頂きにくいのが残念。


99/06/11
小林泰三「肉食屋敷」(角川書店'98)

'95年『玩具修理者』で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した小林泰三氏の四冊目の単行本。『SFマガジン』『小説non』『小説現代別冊メフィスト』に掲載された三編に異形コレクションの一冊『屍者の行進』に収録された一編を加えた四編からなる短編集。

のんびりとした村役場職員が、人里離れた研究施設に赴いた。放置されたままになっている二台のトラックの処理について相談するためだ。彼を出迎えた施設は何か歪んでおり、中に居た研究者は、この施設をトラックに積んだ強アルカリ液とガソリンで自分ごと処分して欲しいと言う『肉食屋敷』
人体の組織を用いて造られた馬が走り、人が人を狩り、新鮮な死体を機械の材料として利用するという世界。一人の男が寂れた村に辿り着いた『ジャンク』
寝たきりになった妻へ夫が宛てた手紙。夫は自分が癌だと告白、自らの行動を恥ずかしがりながら、自分が書いた覚えのない、若い頃に認めた二通の手紙を発見した…その内容は?『妻への三通の告白』
汚い部屋で目覚めた男は、自分の寝ているうちに「敵対者」がやって来ていたことを知る。男は自分の中にある多重人格を「敵対者」と呼び、自分の人生を目茶苦茶にする存在だ、と極度に怖れていた『獣の記憶』以上、四編。

異なるタイプの恐怖に曝される快感
小林泰三氏の多彩な作風を改めて認識。本編収録の四作それぞれ、クトゥルー風(すみません、イメージで使用しています)、SF西部劇風、ミステリ風、サイコサスペンス風、と物語を綴る方法も違えば、舞台となる世界も異なり、受けるインパクトも異なっている。共通しているのは、一人称ないし独白調の文体で世界を表現している点。これは恐怖と相対する主観を読者と同一軸に持ってくるための装置として有効な手法である。主人公が見たまま、感じたまま、が読者に伝わるのと同時に、主人公の目を用いた「作為」まで可能になる。
個人的に圧倒されたのは表題作『肉食屋敷』。この作品を頭の中で想像しながら組み立てると、本当に脳味噌がぐちゃぐちゃになりそう。作品内部の「敵」となる存在の訳の分からなさ、奥の深さ、理解不能さ。それらが全て恐怖を喚起させてくれる。やっぱり訳分からない存在は、それだけで怖い。ラストのやり切れなさと共に印象に残った。そして圧倒的なイメージによって構築された「世界そのもの」に圧倒される『ジャンク』。西部劇をモチーフにした氏の発想、更に付け加えられるいくつかの設定含め、小林泰三版『瓶詰の地獄』とも言える『妻への…』読めば読むほど夢野久作っぽさを感じる。もっと壊れても良いようにも感じたが、佳作である。最後の『獣の記憶』、これは仕掛けられたあるトリックがOKならば、理に落ちる結末はミステリ作品としても評価出来そう。

薄目のハードカバーゆえ、あっさりと読み終えてしまった。もっともっと、小林ワールドを味わいたい。某掲示板とかであんまり遊びすぎないで下さいね。それでも珠玉の四作が揃えられた本短編集は、小林氏の現在を知るのに最適な一冊。