MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/07/10
小野不由美「風の万里 黎明の空(上下)十二国記」(講談社X文庫ホワイトハート'94)

十二国記シリーズ四作目。慶国の王となった陽子を中心に物語の本道に戻った内容。

同じ年頃の三人の少女。己の立場に逡巡し苦悩し旅をする彼女たちの物語。
慶国の玉座につき、実際に「王」としての職務を執る必要に迫られた陽子。とはいえ元は蓬莱の学生の彼女に国をどうして良いものかなど皆目分からない。全王から引き続き執務する官僚たちの言葉が否応なく彼女を責め立てる。そんな彼女は一計を案じ、宮を飛び出す。
厳密で過剰な法で国家を運営していた芳国でクーデターが発生、王女として箱入り育てられていた祥瓊は父母を目前で殺される。一般市民として里に放り出された彼女は貶められた自らの境遇に対し憤懣が募るが誰も彼女に同情してくれない。
蓬莱で親に売られ、海客として才国に流れ着いた鈴。彼女は言葉を理解したいがために仙の元で奉公を願い出るが、そこでの激しい試練が彼女を苛む。我慢が限界に来た時に彼女は才国の宮へと直訴に向かう。

少女たちの成長を描くに止まらない一大物語絵巻
王としての悩みを持つ陽子を除いた二人の少女。出自の全く異なる彼女らに共通した性格は「自らの不幸に酔いしれる」ことで「自分のことしか考えていない」点。他人を見渡せない彼女たちの心の狭い感性は、軽い反感を読者に覚えさせながらも、我々個人が持つ暗黒面を突き刺すような発言、行動が次々と飛び出してくる。物語前半はずっと彼女たちの不幸&シンデレラを夢見る妄想を中心にストーリーが続く。もちろん物語の進行に伴って、現実の過酷さや、掛け替えのない友人と出会うことで彼女たちは精神的に着々と成長していくのだが。この部分が本作の大きな主題となろう。しかし、物語はちっぽけな人間救済のドラマに止まらない。彼女たちと陽子、そして景麒や楽俊といったお馴染みの登場人物を交え、それぞれのミクロの視点で物語が作られているにも関わらず、小野さんの筆力は「慶国」という陽子が受け継いだ「国家」そのもののマクロな姿を浮き彫りにしていく。三人が共通の敵を見つけ、戦いを挑むことになる終盤。ラストの転変は水戸黄門が好きな国民性に強く訴えてくる堪らない快感となるはずだ。

確かに上下巻でかなりの厚みがあり、読み応えがある。しかしその読み応え以上の感慨を読んだ人間は受けるはず。人間の苦しさとは。人間の尊厳とは。生きるための根元の力への栄養素が詰まった作品。本作を手に取る際にはまず、正伝である『月の影 影の海』だけは最低読み終えておきたい。


99/07/09
倉阪鬼一郎「地底の鰐、天空の蛇」(幻想文学出版局'87)

倉阪氏の「本当の」暗黒処女短編集。'77年、十七歳の時から'86年迄に創作された三十余編の短編小説の中からセレクトされている。『幻想卵』『金羊毛』他同人誌発表作品、初期『幻想文学』に発表された作品など多彩で且つ「濃い」ラインナップ。

『墓夢(ボム)』『百物語異聞』『地底の鰐、天空の蛇』『十三階段』『相同夢(ソドム)』『酒仙転生』『忘書道綺譚』『宙吊りの少女』『駄菓子屋の少女』『すでにそこにある究極』『制帽譚』『弥勒』『七色魔術戦争』『鏡のない鏡』『便所男』『インサイダー』『未知なる赤光を求めて』『夜想曲』 十八編にも及ぶ作品群。
怪奇十三夜』でも述べたとおり、個別の作品内容は書かない(書けない)。ネタバレもあるが、物語の筋立てを語りきれないというのが正直なところか。怪談風、ユーモア小説風、幻想小説風、クトゥルーものなどバラエティ豊か。長めの作品は『夜想曲』『地底の鰐…』『七色…』などあるが、基本的に読者の頭の中にて再構築を要請される作品群なので、テキストそのものの長さと作品の印象に相関は感じられない。

網膜への投影されることさえ拒む圧倒的なイメージの群れ
唐突であるが、倉阪氏は怪奇小説家でありながら、俳人でもある。自明のことながら、「俳句」は五七五の定型の韻の中に季語を入れるという約束事がある。にも関わらず、この短い文章は豊かな情景を味わう人の脳裏に浮かび上がらせる。どうも本作品集を読むにあたり、その俳句で磨かれたと思しきセンスを強く感じた。選び抜かれた語彙、効果を考えられた文章で紡がれるそれぞれの物語、そこから伝わるイメージが文章そのもの100%より遙かに激しく美しく心に広がるのだ。しかも目を瞑ればその「絵」が浮かぶ、というレベルを遙かに越えて、「イメージ」そのものがダイレクトに脳味噌に飛び込んでくる感。カタチに出来ないイメージなのに、心では理解が出来る。これは、良質の俳句で日本人が受ける感銘に近いのではなかろうか。情動であるとか、感情であるとか、光景や場面を単に描写しているのに、それ以上の「さまざまなもの」がどぼんどぼんと激しく争いながら心を突き刺してくる。妖異や恐怖までも「さまざまなもの」に紛れて飛んでくるのだから始末が悪いというか、凄いというか。
話運びがもたもたしていたり、人物造形がすっきりしていなかったりと小説としての技巧だけを取れば、近作よりも確かに落ちる。それは仕様がない。しかし表題作他、破綻しながら、自ら壊れながら突き進む強烈なパワー、どろりと垂れ落ちてきそうな登場人物の妄念、全てを極めた為に結晶化する事物などなど、拾うべき部分の余りの多さには瞠目する筈だ。倉阪鬼一郎作品の原点が此処に。

『怪奇十三夜』が倉阪氏の「再デビュー作」と言われるのは、本書がとうに絶版となっていると信じられていたため。ところがインターネットの凄さか、まだ実は在庫が残っているという話が広がり、私は直接注文にて購入することが出来た。既に出版局在庫は無くなったそうだが、現時点でまだ渋谷の某書店では入手可能であるという噂も。倉阪鬼一郎の粗削りで遮二無な魅力が詰まった作品集。ファンなら押さえたい。ミーコも出てます。


99/07/08
仁木悦子「殺人配線図」(角川文庫'81)

仁木悦子さんの『猫は知っていた』『林の中の家』に続く長編第三作目にあたる作品で、'60年に桃源社の企画「書き下ろし推理小説全集」の中の一冊として書き下ろされた。乱歩、彬光ら大物、鮎川、日影といった新進気鋭の作家らと堂堂と肩を並べているのは、当時の女性作家としては破格の扱いであった。

偶然、街で大学時代の旧友、塩入に出会った休職中の新聞記者、吉村駿作。旧交を温めているうちに吉村は塩入から奇妙な依頼を受ける。彼と一緒に暮らしている従姉妹が沈み勝ちで困っている、なんとか彼女を明るくしたい、とのことだ。研究者であった彼女の父親が昨年、三階建ての自宅から足を滑らせ墜落死しており、彼女は自分の不注意から事故が発生したものと自責の念から塞ぎ込んでいるという。軽い好奇心から何となく調査を引き受けた吉村だったが、この一見単純な事件には、色々な矛盾点が含まれていることを発見しはじめる。

ストレートに描かれた、ストレートな本格推理
初期長編で発表母体が「書き下ろし推理小説全集」。おそらく仁木さんは、かなりのパワーをこの作品に対して投入したのでは無かろうか。本格推理作品として、優れていることはもちろん、登場人物の配置、隠された動機、舞台となる洋館、小道具となる電気回路などなど、色んな推理小説的興趣をぎっしりと、それでいながらスッキリと作品内に詰め込んでいる。過去に発生した事件を、素人探偵が首を突っ込み、調べ上げていく…という展開は仁木さんの短編でもよく見られる手法。本作の場合、「一見それほど問題がない単なる事故」から「複雑な思惑の絡まった殺人事件」へと変貌していくところがポイント。その展開も二転、三転、決して簡単には真相は現れない。さりげなく配置された手掛かり、登場人物の証言、そして主人公の観察眼より、刻一刻と事件そのものの構図が次々と変化していく様が面白い。最終的に導き出された真相も、曇りのないすっきりとしたもの。フェアであり、ストレート。長編としては少し短いが、内容に無駄がない話運びはさすが。故人の伏せられた人間関係がちょっと強引な印象もあるけれど、最初と最後の事件の構図の違いを見ると、やっぱり凄いな、と。
他の作品では実はあまり同意は感じなかったが、この作品を読むと仁木さんに寄せられる「日本のクリスティー」という称号が本当にしっくり感じられる。現代に持ち込んでもそのまま通用する作品。非常に清々しいラストにも好感。

再三のコメントで申し訳ないが、仁木悦子の作品の良さはこのようなあまり「メジャー」ではない作品に現れている。『猫は知っていた』だけに留まらず、多少苦労してでも探してみる価値は充分にあるかと思う。


99/07/07
東 雅夫(編)「妖髪鬼談」(桜桃書房'98)

編者が'97年『別冊太陽 幽霊の正体』という雑誌に「毛霊談義―――近現代の幽霊小説逍遥」という題名で寄せたエッセイで取り上げた作品を中心にまとめたという異色のアンソロジー。同じく東氏編集の『屍鬼の血族』とは姉妹編にあたる(はず)。

題名の通り、古来から霊力を持っている存在であるとされている「髪の毛」を主題に編まれている。
髪の毛の持つ霊力を史書や神話、歴史面から検証した小論、宮田登『女の髪』、学校の怪談が我が身を襲う、加門七海『実話』、毛むくじゃらの生き霊が登場する、大原まり子『恐怖のカタチ』、精巧に作られた人形に殺された娘の髪の毛を植えて欲しいと依頼する母親、田中文雄『妖髪』、百物語より髪の毛テーマの掌編漫画、杉浦日向子『黒髪の怪二話』、黒髪を持つ大女が声を出すとき東京は怪異に襲われる、泉鏡花『黒髪』、嵐の中で溺れる少女を救助した大学教授、森真沙子『水妖譚』、秀才ながら弁護士試験を落ち続ける男、岡本綺堂『白髪鬼』、車庫に向かう電車の中に白髪の少女が乗っているのを目撃、中島らも『白髪急行』以上、近現代からセレクトされた九編。

髪の毛に対して日本人が抱く原初の畏れが呼び起こされる
後ろ髪を引かれる、髪が逆立つ。日本という国において「髪」という存在は自分の身体の一部でありながら、激しい感情や高ぶりを覚えるとき、自らの意志とは関係なくその存在をアピールする。
髪は女の命。そしてまた日本という国において「美しい髪」を持つ、ということは美人としての条件の一つであった。現在でも女性に対する激しい恨みを晴らすのに、「無理矢理、髪の毛を切る」という姑息な手段が存在する。美を司る身体の一部を奪うことで、相手を貶めるのだ。美しい髪の毛を維持することに腐心するのは、大昔から現在まで女性の大切なたしなみであり、髪の毛にじゃ(一般的に)日本女性の想念が籠もっている。
ただ実際のところ、この作品集において全てが「髪の毛」のそのものにこだわっている作品とは言いかねる。「髪の毛」は登場する幽霊が透き通るような白髪であったり、美しい髪の毛を持っていたりと、どちらかというと「髪の毛」そのものが恐怖を喚起する対象となるのではなく、日本の伝統的幽霊譚に付随する一つの名脇役として描かれている作品が多い。ただ、やはりそのちょっとした「髪の毛」という要素が加わるだけで、物語の持つ闇は一層深くなり、漂い来る情念はどろどろと濃くなる。その名脇役が醸し出す、美しく恐ろしい世界の数々を堪能出来る作品集。
個人的な収穫は、泉鏡花の文章の美しさを再認識したこと。学生時代以来再読の機会がなく現在に至っているのだが、白黒であるべき情景まで「はっ」と息を呑むほどに色鮮やかに描き出してしまう卓越した筆力。半世紀を越えて未だに心の奥底にダイレクトに広がり、滲む。現在でも熱心なファンが存在することが妙に頷けた。浮かび来る幻想、不思議な文章。全くもって天才のそれである。

作品一つ一つの中表紙には鳥山石燕の『画図百鬼夜行』から、特に髪の毛が特徴的な妖怪画がそのまま使用されており、雰囲気を盛り上げている。またカバー絵もじっくり見ると怖いほどの美しさに戦慄する。ソフトカバーの書でありながら、さりげなくともトータルとして魅力が高い。怪奇小説アンソロジーとして、オーソドックスではあるが、初心者よりちょい上レベル向きかも。


99/07/06
津原泰水「蘆屋家の崩壊」(集英社'99)

ティーンズ向け作家からホラーに転じた津原泰水氏の『妖都』に続く、二冊目の単行本。『小説すばる』や『異形コレクション』に掲載された作品に書き下ろしを加えた同一主人公の短編集。「伯爵」もあとがきに登場。

三十になっても未だ定職に就けずぐうたらしている「おれ」こと猿渡は、大宮に住む「伯爵」と綽名されている怪奇小説家二人は、「豆腐が大好き」という奇妙な縁で仲良くしている。そんな彼らが巡り会った怪異のエピソードが綴られる。
幽霊の名所というトンネルを中古車で通ると過去の因縁が何かを見せるという『反曲隧道』
「豆腐の旅」の途中、学生時代に猿渡が交際していた女性の屋敷に寄る二人。その家は陰陽師安倍晴明のライヴァル、蘆屋道満に繋がるという『蘆屋家の崩壊』
一度一緒に映画を見に行った女性の次の約束を断った猿渡。その後、彼は謎の女性に付きまとわれる『猫背の女』
静岡での伯爵の講演会に「蟹」に誘われて付いていった猿渡、その蟹は美味であったが不吉な外見を持っていた『カルキノス』、美人姉妹の依頼と蒟蒻に誘われ、群馬の山村に赴いた伯爵と猿渡。その過疎村では不可解な現象が発生するという『ケルベロス』
カメラ店で猿渡と出会った旧友は昆虫写真や標本を扱う会社に勤務していた。彼の自宅にはマダガスカルに行ってからおかしくなった同僚が寝込んでいた『埋葬虫』
頭の中の「恐怖の瓶の蓋」が外れ、恐怖が止め処なく溢れるようになった猿渡。日常生活に支障を来した彼は、バレンタインデーの夜「グランドホテル」に赴く『水牛群』以上七編

奇妙で楽しい登場人物、奇妙で不思議な切り口、そして奇妙で鋭い怖さ
文章から、登場人物から、そこはかとなくユーモラスな雰囲気をまず感じる。「豆腐」にこだわる二人の妙な趣味、猿渡のちょっと情けない感じ、登場人物の「あー、こんな奴いるいる」という程度の変人っぽさ、挟まれるエピソードの現実にありそうな可笑しさ(巨漢の女性の痴漢騒動には爆笑)。
そのような雰囲気でありながら、読者の知らないうちに、物語は実はいつの間にか異界へ突入している。「異界」と言っても、現実に有り得ないような突飛な世界ではない。あくまでも現実と地続きでありながらも、ちょっとどこかが歪んでいる程度の差。なのに。短編一つ一つの後半になると、こみ上げてくるような怖さが、どこからかやって来る。その現れ方も様々なパターンがあり、予測の死角を突いて突如襲われてしまう感。怪異のない状態の二人のユーモラスなやり取りが楽しいだけに、いきなり突き落とされる時の落差が大きく、恐怖は倍加される。
個人的に一番のお気に入りは『猫背の女』作品集の中でもっとも笑える話でありながら、サイコ・ホラー的な狂気も見え隠れしており、更にラスト、訳が分からないままに怖さの淵に叩き込まれるような感覚を味わった。また「虫を好んで食する」男たちが登場する『埋葬虫』からは、純粋に生理的に受け付けない不気味さを、ラストを締めくくる『水牛群』からは、幻想的な光景の中に一つの救いを感じることが出来た。短編配列のトータルバランスも良い。

軽快な文章といい、「何か」を醸し出す雰囲気といい、装幀、カバー、挿入画も含めて「書物」トータルとして素晴らしい。読んで面白く、観て美しい。作者が愉しんで作品を描いていることから感じられ、それがきちんと読者に恐怖という形で伝えられている点、嬉しさを感じる。


99/07/05
島田荘司「涙流れるままに(上下)」(光文社カッパノベルス'99)

島田荘司の久しぶりの吉敷刑事ものの新作。『週刊宝石』誌上で二年にわたって連載された作品に加筆修正が加えられた。吉敷も登場するが、重要な役割を果たすのは吉敷の別れた妻で数々の作品で重要な役割を果たしてきた女性、加納通子。

様々な事件を経て、天橋立近くで娘、ゆき子と暮らす、吉敷竹史の元妻、加納通子。彼女は自分の網膜に蘇る首無し男の幻影から、盛岡に暮らしていた自分の幼少の頃の恐ろしい経験を反芻していた。事故で級友を死なせてしまたこと。同居していた女性の婚礼の日の自殺、その直後の母の変死……。その真相を知るべく通子は自分の過去を探る決心をする。
一方、吉敷は霞ヶ関の裁判所内の喫茶店で、上司と老婆が言い争うのを目撃する。彼女は獄中にいる死刑囚の夫、恩田が冤罪であると無実を訴え続けて来たことを知る。裁判で全て決着のついている事件に現職の警察官が関わるのは辞職を意味することを知りながらも、自らの信念故にその事件を調べ直すことを決意する。盛岡、釧路と吉敷は思い出深い地を訪れるが、その事件の関係者はまた、別れた妻の通子と関係があった人物たちであった。

吉敷の烈しさと通子の哀しさ。これこそ島田荘司世界の集大成
一応礼儀だと思うので書いておく。『北の夕鶴2/3の殺人』『羽衣伝説の記憶』『飛鳥のガラスの靴』『龍臥亭事件』と順に読んでおくとより楽しめるでしょう――――、でも、実際は違う。そんなもんじゃない。この上下巻、二千枚のボリューム、この内容。吉敷もの全てを読み込んだコアな島荘ファンでないと、実は本書を読み通すのはかなり辛いのではなかろうか。上記作品のネタを全て割っているし、思い入れたっぷりにこれでもか、と描かれた吉敷&通子はクセがあるし……。逆に島荘ファンには御馳走なのだが。
島田氏が自ら「あとがき」で述べている通り、本書の目的は二つ。「加納通子の語られざる生涯」そして「冤罪事件とは」この二点。今までも数多くの物語に登場、不思議な行動、言動を繰り返していた謎の美女、加納通子。彼女の数奇なる生涯は上巻で多く語られる。一方、いつまで経っても青臭い正義感にとらわれ、だけどそれゆえに読者の共感を呼ぶ警察官、吉敷竹史。彼は結審済みの四十年前の冤罪事件に、自らの辞職を賭けて取り組んでいく。通子の経験と吉敷の事件は奇妙な繋がりを見せながら、ラストで明かされる真相に向かう。この作品の内部で新たに提示される謎とその回答という意味では、数ある島田作品と比べ、用いられているトリックそのものは小さい。しかし、物語全体を使って島田荘司が全ての日本人に向けて語りかけてくるメッセージは強烈かつ重い
そして、この物語の雰囲気を重く濃くしている理由は、吉敷と通子が経験する大きな喪失感。吉敷は数々の事件に関わることで、通子はその数奇ともいえる運命によって、二人が出会い別れることで、彼らは数多くのものが喪った。庇護してくれる人物を喪い、親しい友人を喪い、思い出を喪い、信頼できる同僚を喪い、プライドを喪い、愛情を喪う。今まで彼らが喪ってきたもの、そしてこの物語の中で喪うもの、全てが「大きな器」たる本書の中で、赤裸々に描かれている。何かを得る代償として、でさえなく、生きていく行為を営むだけで、大切な色々なものを喪う哀しい中年男女二人。島田氏は執拗に、場面場面の光景を描写し、心理状態を浮かび上がらせる。背筋がざわめいたり、目を背けたくなるシーンも多い。
これらの点をクリアし、最後まで読み通した読者に与えられるのは、御手洗ものとは明らかに異なる、吉敷もの独特のカタルシス。「見え見え」「意外性が少ない」などの批判もあろうが、敢えて私はこの作品のラストは、こうでないといけない、と断言したい。吉敷竹史と加納通子の将来に幸あれ。

自らを「島田荘司ファン」と思っている人なら「読むべき」一冊。初心者には多少辛い……、が逆に吉敷シリーズを『夕鶴』から踏み直す根性さえあれば、その方が幸せかもしれない。吉敷シリーズの集大成たる本書が、既に存在するのだから。


99/07/04
貫井徳郎「転生」(幻冬舎'99)

貫井徳郎氏の十作目にあたる単行本にして、八作目の長編。書き下ろし。心臓移植をテーマにしており、かつ著者初の「青春恋愛ミステリ」。

「おれ」は大学入学直後に拡張型心筋症という難病にかかり、心臓移植無しには完治しないと宣告され、絶望的な日々を送っていた。ところが二十歳になり、素晴らしい幸運が訪れた。心臓移植の提供者が現れたのだ。手術を受け、成功。予後も医者の想像を上回る勢いで身体の状態は上向いた。ただ、手術後「おれ」は妙な夢を見るようになった。恵利子という笑顔の素敵な女性と幸せな一時を公園で過ごしている夢、深夜の帰り道に何者かに付きまとわれ、追い掛けられた挙げ句、最後に殺されてしまう夢。そして更に、手術前の自分には無かった奇妙な現象が、自分に現れていることに気付く。聞いたことのない音楽がショパンだと分かったり、極端に絵が上手になったり、手で長髪をかきあげる仕草を知らずにしていたり……。「おれ」は自分に心臓を提供してくれた女性の記憶が自分に影響を与えてくれているのだ、と考え、数こそ少ないが仲の良い友人たちに相談してみることにした。

謎と向き合い成長する主人公、そして……主役はもう一つ
臓器提供者(ドナー)の記憶が、手術を受けた側(レシピエント)に何らかの形で転移する――――ということは実際に事例がある、という。しかし現状の「臓器移植手術のシステム」において両者のプライバシーは決して明かされることはない。記憶が転移するならば、受け渡されたその記憶だけが、ドナーとレシピエントを繋ぐ鍵となる。本作はレシピエント側の、ドナー探しが物語の一面を引っ張っている。レシピエントたる二十歳の青年が、主人公。 しかし、私の印象では、彼とは別に、もう一つ主人公が存在するように感じる。それは「脳死による臓器移植問題」そのもの。
本書では「臓器移植」という事実が、単にミステリの部分をなすテーマとして取り上げられた以上に、大きな存在感で物語全体を覆っている。移植を受けたことによる不思議な影響に悩む主人公。彼はその原因を探るため、臓器提供者を探し、夢に出る人物を追い、何者かに脅され、苦労した結果、ようやく真相に辿り着く。物語を通じて見えるのは、移植を受けたことによって初めて、積極性を持って物事にぶつかれるように成長する主人公であり、移植を受けたことで巡り会う「移植」に纏わる闇の部分であり、移植を受けたことで見つけられた真の友情、そして愛である。貫井氏のリーダビリティ高い文章により、読んでいる間は「移植」という言葉を持つ深刻さをあまり感じない。自らの「謎」にぶつかる青臭い主人公の行動が、どちらかというと、ハードボイルド的な手法で描かれ、個性的な脇役と共に物語が進んでいく、一般的なミステリ。それが読み終わって振り返ると、その様々な情景は「臓器移植」という事態が引き起こす器の中での出来事であったことが分かる仕組みだ。
今まで日本では技術的な問題をクリアした後、長い間許可されていなかった脳死による臓器移植が成功したニュースはまだ耳に新しい。話題としては知っているこの事実も、身近にこの問題に関わる人間がいない限り、自分のものとして受け止められる人はごく少数だろう。物語の軸が「心臓移植」であり、それを真剣に取り上げていることによって、この話題を(少なくとも読む前よりも)読む側も真摯に受け止めよう、という気持ちに、必ずなる。

最後に付け加えると、この作品、従来の貫井作品の特徴とも言える「驚愕のどんでん返し」という味は薄い。もちろんミステリ的な趣向そのものはきちんと押さえられており、後半の盛り上がり、真相展開の場面などはしっかりとしている。そして特筆すべきは、元気が出る気持ちの良いラスト。作者自らが言うように、青春恋愛ミステリとしても充分楽しめる。


99/07/03
山口雅也「マザーグースは殺人鵞鳥(マーダー・グース)」(原書房'99)

山口雅也氏の『ミステリー倶楽部へ行こう』に続く、二冊目のエッセイ集。'80年代に光文社『EQ』早川書房『ミステリ・マガジン』学研『ハウス&ホーム』各誌に連載されたエッセイ全編に加筆修正されたもの。

第一部「マザーグースは殺人鵞鳥」
英国に伝わる童謡「マザーグース」とミステリの関係について氏独自の考え方が示された後、「マザーグース」でもポピュラーな唄と、関わりのあるミステリを考察する「マーダー・グース」、そして氏の「マザーグースミステリ」、「キッドピストルズ」シリーズについて唄と簡潔な解説が述べられている。
第二部「キャラクター指名手配」
前半は様々なミステリから特徴有る主人公を抜き出し、印象に残る文章と共に彼らを紹介する「ヒーロー&ヒロイン」後半は、更に幅を広げて魅力有る脇役について前半と同様に語る「デッド・オア・アライヴ」
第三部「ミステリー住宅事情」
異色のエッセイ。思索型探偵のホームズ、クイーンらの居住空間、行動型探偵であるマーロウ、スペンサーらの事務所にスポットを当て、考察を加えている。後半は更に「殺人現場の居住空間」と題し、犯罪が行われる場所について考察を行っている。

そして山口雅也は読者に進むべき道を示した。いくつも。
表題に騙されてはいけない。山口氏が自身の『キッドピストルズ』シリーズのテーマとしている「マザーグース」、本書はそればっかりのようなイメージを受けるかもしれないが、大きな誤り。『ミステリー倶楽部…』同様、山口氏による一種の(そしてちょっと変わった)海外ミステリ紹介本だと考えて欲しい。
さすがに第一部に関しては「マザーグース」に対する、徹底的なこだわりを見せている。英国の伝統的に伝わる、だけど単なる「童謡」が、他国の作家が取り上げて、ミステリと結びつける、という過程は、考えてみれば不思議なこと。(日本の昔話が海外作品に使われた、という話は寡聞にして知らない)不条理と残酷さ、不思議さを併せ持った歌詞とはいえ、なぜこんなに多くの作家が、創作意欲を燃やしたのか。山口氏自ら訳した歌詞を見て、解説を読んでいるうちに、疑問に対する答えの一端は見えるような気がする。
そして第二部。これはもう物語からジグソーパズルの鮮やかな一ピースだけを見せられ、完成した作品を想像する、というような試み。紹介される文章もホントに短いのだが、山口氏の切り口が巧い。そのせいで「自分で残りを埋めてやろう」=「紹介された本、読んでやろう」という気分にさせられること請け合い。
第三部もちょっと異色なアプローチ。ミステリというフィクションの中で、衣食住の「住」にこだわったエッセイ。クイーンやホームズといった大物にはマニアがいて再現を試みられたことは今までもあるだろうが、逆にあまり「住」の面に注目されない、ハードボイルド探偵の事務所までも再現してみようという試みは面白い。そして思い出話として語られるJDカーへの熱愛ぶりなど、ニヤリとさせられる部分も。

やっぱり海外ミステリへの(ある種)ガイド本と捉えるのが正解か。古典に限らず、'80年代後半までの最新作まで、広いスパンの作品を満遍なく取り上げており、マニアならもちろん、そうでなくとも読んだことのある作品との再会がまずあるはずだ。その上で、当然知らない世界も多数紹介されていて、読みたい作品も次々出来てくる。懐かしむのと同時に、再び次に進む道を見つけてしまう、そんな本である。


99/07/02
北川歩実「模造人格」(幻冬舎'96)

謎の覆面作家、北川歩実の第三長編。書き下ろし。

「わたし」こと木野杏菜という少女はクリスマスの日、母親にホテルに置き去りにされる。翌日、ホテルには彼女の母親から連絡を受けた、という男たちがやって来る。彼女が自分が「木野杏菜」だと名乗り、このような事態になった経緯を彼らに話す。しかし、彼らは彼女が「木野杏菜」だとは信じない。何故なら、彼女は四年前、女子中学生だった時に残酷な事件で殺されているはずだったから。男たちは殺された木野杏菜の兄で、残る二人はその時に犠牲になった別の少女の兄と父親だった。「わたし」は三年前に交通事故に遭っており、喪われた記憶を母親によって教育されて得てきた。自分が自分自身でないかも、と揺れ動く「わたし」を、今度はもう一人の被害者の父親で、精神科医の男が現れ「君は杏菜だ」とホテルから連れ出していく。一時的に彼女はその男の元に身を寄せることになる。

揺れ動くアイデンティティ、凄絶な事件、人間の記憶ほど不可解な存在はない
記憶喪失の主人公の自分探し、というとエンターテインメント全般でよく取り上げられるテーマでもあり、平凡な印象がある。しかし、手掛けるのは『僕を殺した女』で記憶喪失をテーマで読者に豪快な背負い投げを食らわせた北川歩実。一筋縄どころか、四重にも五重にも張り巡らされた仕掛けは、読者を新たな異郷に誘う。
本作、凄絶な猟奇事件が背景にある。少女強姦の変質者が、政治家の親と、弁護士、医師ら共謀により、精神異常者のレッテルを貼りつけ強制入院させられる。彼は彼らを逆恨みし、弁護士らの娘で同級生だった女子中学生を唆して空き家に連れ込み、暴行した上なぶり殺しにしてしまうのだ。そして本編を貫くのはこの悲惨な猟奇事件の関係者たちの複雑な人間関係。事件の中心となる「杏菜」を名乗る少女、その兄、弁護士とその息子、精神科医とその姪……。その遺産、自らの潰えぬ哀しみ、事件への興味、錯覚した愛情など、何重にも複雑にクロスする感情の元、誰もが、新しくやって来た「杏菜」が何者なのか、「事件」の真相はどうだったのか、ということを知ることに血眼になる。
愛する者を喪った彼らの気持ちも分かる。分かるゆえに、パラノイアックに自分の感情を剥き出しにする登場人物に激しい怖さを覚える。普段は理性で押さえるタイプの人物たちだからこそ、の変貌ぶりが強烈。猟奇事件の犯人の悪意は、歪みながら強烈に遺恨を残している。全てを忘れることで平穏を取り戻そうと努力していたはずの彼らが、為す術もなく別の意味の狂気に取り込まれていく様子に、人間の押さえられない本能の哀しさが見える。多少の悪意は時間の経過により、雲霧消散するのだとしても、強烈にどす黒い悪意は、地縛霊のように関係した人間を蝕み続けている。

ラストで一旦、杏菜の正体、事件の真相は明かされ、全てに説明がつく。しかし、その真相が本当に真実を語っているのか?という疑念は読み終わっても、拭い去れない。読みやすいとはちょっと言いにくいが、不思議な気分にさせられるミステリである。


99/07/01
角田喜久雄「虹男」(春陽堂'55)

本書は春陽堂の「角田喜久雄探偵小説選集」の一冊。『虹男』自体は'47年、『高木家の惨劇』『奇蹟のボレロ』と同時期に執筆された作品。春陽堂の文庫もあるが、そちらも絶版。

新聞記者の明石良輔は、デパートの水槽に毒物を入れ金魚が死んでいくのをうっとりと眺めている少年を目撃する。少年が落とした財布から、小幡由利枝という女性に宛てられた脅迫状を良輔は発見、興味を抱く。彼は同僚で、小幡由利枝と学生時代に面識のある鳥飼美々にその文面を見せると、彼女はその文面にある「虹の悲劇」という言葉が少し前の新聞広告に出されていたことに気付く。この秘密の手がかりを得るべく、良輔が新聞に小幡由利枝宛の新聞広告を出したところ、知り合いの岡田警部から連絡が。彼によると実験物理学の権威、摩耶龍造の別荘で、摩耶家次男の清彦が頭を刺され死亡、更に火を掛けられるという、奇妙な殺人事件が発生しており、小幡百合枝はその被疑者であるというのだ。彼女はアリバイを主張しているものの、それを証明出来るはずの女中と医者が見つからないという。鳥飼美々の伝手を頼りに、小幡由利枝と面会したところ、清彦が事件の直前「虹が見える」と言っていたという。そしてこれら一連の出来事が、摩耶家を滅ぼす「虹の悲劇」のプロローグだった。

跳梁する毒殺魔、旧家を襲う伝説の悲劇、最上級の探偵小説
新聞記者二人が「虹の伝説」に支配される摩耶家に乗り込み、この家に潜む謎を解明、由利枝を救わんと奮闘する。しかし奮闘虚しく、怪しい一族の人間は一人、また一人と犯人の凶行に遭って命を失っていく……。まるで映画を見ているかのように、不気味に残酷に、物語は展開する。
素晴らしい。悲劇の主人公となる摩耶一族。気の弱い主人、頑なで意地悪、息子を溺愛する夫人、芸術に逃げ込む長男、金魚の毒殺が趣味の頭の足りない少年、悲劇のヒロイン由利枝と、その従兄弟で怪しげな八郎。互いに反目しながらも「家」に固執し秘密を守ろうとする点のみは一致。伝統ある一族全体が、本人達が気付かないまま、実は「狂気」に支配されている。被害者はまず「虹」を見て、後に毒殺される。この段階を執拗に犯人は踏む。一族の中に秘密が隠されていることが分かっていても、なかなか踏み込めない探偵。例えば「誰もいない屋根裏部屋に潜む人影」「殺人者の跫音」「死ぬ前に見える虹」「不可能状態での毒殺」「突如現れる脅迫状」など、不気味なサスペンス感覚が横溢。そして探偵がどれだけ奮闘しても事件を食い止めることが出来ない無力さと、次に何が起きるか分からないスリリングな展開。五人以上の人間が死んでしまうのだが、その最終的な真相の緻密で壮大な構図には必ず圧倒される
殺人者に狙われ、怯えているはずの家族がとる謎の行動、ダイイングメッセージ。これら舞台を盛り上げるエピソード一つ一つがレッドヘリングとなりながら、実は伏線を兼ねていたり、また、単に複雑な人間関係と思いきや、実は重大な動機に繋がっていたり。読み終わってから初めて気付く、角田喜久雄の凄まじい推理小説センス。幻想的な世界が現実に結びつき、単に推理小説的カタルシスだけに留まらず、文学的な意味でも余韻を感じさせて終わる。これは上手いというレベルに留まらない、人によっては一世一代クラスの傑作作品ではなかろうか。本作が角田氏の代表作には挙げられるが最高傑作と呼ばれないところを考えると、氏の奥深さは並大抵ではない。

出版年次の相当古い本ですが、この『虹男』は最近の版で読めない作品ですので悪しからず。かなり運が良くなければ出会えません。この本をプレゼントして下さった橋詰久子さまに大感謝。最高の一時を楽しませて頂きました。個人的絶賛。