MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/07/20
岡本綺堂「蜘蛛の夢」(光文社文庫'90)

光文社文庫で再編された岡本綺堂の短編集。'19年(大正9年)から'36年(昭和11年)にかけて『民衆講談』『朝日』『文藝倶楽部』などの雑誌に発表された短編を編んでいる。一旦『探偵夜話』や『今古探偵十話』などに採録された探偵小説趣味の作品を多く採録。

大陸の日本軍。購買を司る大尉が殺されたが、死体は狐に化けたという『火薬庫』
叔父さんと一緒に歩いていた女性が雷に打たれ死んだ。その日から叔父さんと従姉妹の一人が行方不明となる『蜘蛛の夢』
富くじを当てた男は持ち慣れない金に戸惑い、親方夫婦に預かってもらうことにする『放し鰻』
氏族の商売を始めた母子、意外と上手くいく影に男が『平蔵とお鶴』
夜中に突如女性がやって来て庭に次々と穴を掘っていく『穴』
東京湾で取れた大きな鯔の腹の中から女性から男性に宛てた手紙が見つかる『有喜世新聞の話』
その友人は旅が好きにも関わらず、どうしても日光には足を向けない『慈悲心鳥』
中国版大岡越前守の芝居の最中に浮かばれない男の幽霊が現れる『女侠伝』
文禄二年小早川隆景配下の地にて夜中に謎の馬が現れる事件が発生した『馬妖記』
今年の夏は二十九日に牡丹餅を食べると健康に生活出来るという噂が引き起こした悲劇『廿九日の牡丹餅』
文政四年、裁判を司る吟味役の宅にて「旦那の吟味は間違っている」と声が『真鬼偽鬼』
旅行の最中、身に覚えのない女性から栄螺の貝殻を次々と投げつけられる一家『恨みの蠑螺』

大正〜昭和の街が息づくロマンティックミステリィ
劇作家であった岡本綺堂は長編が少なく、多くの短編を残している。本書はそんな中から「探偵趣味」を持った作品を集めている。ただ、当時の探偵小説的な定義に含まれるものであるので、非常に範囲が広く、また「現代人の定義のミステリ」としては弱い作品が多い。単に犯罪を発生から解決まで綴ったもの。一見不思議な事態が発生するが、大したからくりがある訳ではないもの。現代のミステリ的には『火薬庫』『蜘蛛の夢』あたりが面白いだろうか。これだけ作品があるなかでいかにも少ないと御不満に思われるかもしれない。しかし、本作を読むポイントは別にある。
それは、綺堂の描く街、人、時代を楽しめる点だ。トリックとして弱くても、綺堂の描く市井の人々はそれぞれ、大正、昭和の時代の中で精一杯に生きている。悩み、喜び、驚き、怖がる。そんな普通の人の普通の感情が、綺堂の手にかかると不思議と活き活きとしたものとして感じられるのだ。そんな彼らの間に発生する事件。事件そのものは、それ自体に存在価値を主張せず、その事件に関わった人々を様々な角度から照らし、街を、人を魅せる。現代人は誰も直接知らない時代に足を踏み入れてしまったかのような、不思議な錯覚が味わえる作品たち。一編一編は枚数もそれほどでもなく、語られている事件も小さなもの。それでも物語を通して見えて来る風景が茫漠と感じられるのは、綺堂の手腕なのか、その時代の持つ独特の煌めきのせいなのか。

『半七捕物帳』以外の光文社文庫の短編集も今や全て品切れ(絶版?)とされてしまっている。色々と全集も出ている作家なので様々な媒体で読めるが、歯切れの良い美しい文体には読書好きなら必ず魅了されることと思う。今となってもこの文庫もなかなか入手しづらいのが難か。


99/07/19
服部まゆみ「時のアラベスク」(角川文庫'90)

'87年に第七回横溝正史賞を受賞した作品で、服部さんのデビュー長編。本書は'87年に角川書店より発行された単行本の文庫化。

主人公の大学院生、根岸亮の中学時代以来の親友、澤井慶は幻想小説作家。怪奇小説と純文学を融合させた独特の作風は一部に根強いファンを持っていた。そんな彼の書き下ろした『魔物たちの夜』が大反響を呼び、遅ればせながら出版記念会が開催され、彼の内輪の人間が集まった。その場にはシナリオライターである彼の叔父が、世界に通用する大映画監督、佐伯英次を連れて来ていた。佐伯は慶の『魔物たちの夜』を是非とも映画化させて欲しい、と大いに乗り気。一方の慶はというとあまり映画化に乗り気ではなく、白けかけた雰囲気の中に贈り物が届けられる。しかし箱の中にあった薔薇の花束にはナイフが隠されており「KILL YOU」と書かれたカードが同封されていた。激しく動揺した慶により、そのまま散会になるも、最終的に慶は映画化を受け入れ、欧州にロケハンに旅立つ。しかしロンドンで彼の父親が殺されるという事件が発生する。

主人公は幻想的欧州都市か、人には見えぬ憂いを潜めた人の心か
服部まゆみは文章を読ませる作家である。そしてそれ以上の小説テクニックをも持つ。爺むさいことを言いたくはない。しかし、服部さんの紡ぎ出す流麗でかつ詩情の籠もった文章は、そんじょそこらの作家に比べると同じ分量で遙かに大量のイメージを瞼の裏に描き出させてくれる。直截的な表現抜きに雰囲気を描いており、それが上手い。
ストーリーは中盤までは平凡、とまず見える。作家の出版記念パーティに送られてくる脅迫のプレゼント。謎の無言電話。旅先での事故。単純に筋書きだけ辿れば一見、せいぜい高級な(海外ロケ含む)「二時間ドラマ」程度の内容にしか見えない。しかし、読者がそう思ってくれたら、それは服部まゆみの術中に填り込んだということだ。
読了後になって初めて気付いたのだが、ストーカー犯罪者風の展開に持ち込むことで、初心者ならこう思うだろう、上級者ならこう思うだろう、と服部さんはわざわざ二重に罠を仕掛けて来ているように感じる。表面上の犯人(初心者用)とは別に、ある程度の人間には「こう思わせておいて犯人はこう」とさらに思わせている節がある。ネタバレになるので上手く表現出来ないが。
そして何より、そのどんでん返し。特に終盤にかけて事件の絵解きの部分で初めて吐露されるそれぞれの鮮烈な感情が凄い。登場人物がそれぞれ淡淡としたクールな人間ばかりが居並んでいる、と思わせておきながら、実は彼らがそれぞれ、その時々にどんなに深い想いや心の闇を抱えていたかを明らかにしていく部分は、戦慄もの。謎解きのカタルシスと人間心理の深さを同時に感じる終盤。そして更に、この段階で初めて、実は序盤のあれもこれもどれも伏線だったんじゃないか!と愕然。ガラス作られた豪華なパズル。そんな作品。

ロンドン、ブリュージュ。そして日本。服部まゆみの描く世界は不思議と重厚な透明感を伴って網膜に映る。これがデビュー作と思えない洗練された文章と構成。(逆に言うと最近はデビュー作が下手すぎるのか?)そして人間心理の持つ深淵を垣間見るような怖さ完成された作品です。角川文庫がなぜ絶版にしているのか理解できない逸品。


99/07/18
久生十蘭「久生十蘭集 日本探偵小説全集8」(創元推理文庫'86)

本作も創元推理文庫の「日本探偵小説全集」の一環。この巻に関しては長編が一作もなく短編を大量に掲載している点が特徴。

二つの捕物帳を中心にまとめられた作品群。
自己中心的に生きてきた男が自身が起こした事件について残していく息子へ手紙を認める『湖畔』、敗戦後の避暑地で目撃される、孤独で高貴な老人の秘められた過去『ハムレット』以上の二つの中編。
顎十郎捕物帳として『捨公方』『紙凧』『稲荷の使』『都鳥』『遠島船』『鎌いたち』『氷献上』『日高川』『御代参の乗物』『三人目』『丹頂の鶴』『ねずみ』『野伏大名』『蕃拉布』『咸臨丸受取』『菊香水』『初春狸合戦』『猫眼の男』『永代経』『かごやの客』『両国の大鯨』『金鳳釵』『小鰭 の鮨』『蠑もり』全二十四編。
また平賀源内捕物帳として『萩寺の女』『山王祭の大象』『長崎ものがたり』の三編。
『昆虫図』『水草』『骨仏』の三掌編。巻末に久生十蘭の年譜あり。

多少、感想としては狡いが本巻のメインを占める二つの捕物帳については別に『顎十郎捕物帳』『平賀源内捕物帳』を取り上げているので、そちらを御参照頂きたい。『平賀……』については元本(春陽堂、講談社)の関係から作品題名が異なるが、全く違う訳ではないので判明は容易かと思われる。それらに掲載されなかった中、短編群の印象について述べるので、本作品集全体としてのイメージは全て参照した上で感じ取って頂ければ幸いだ。

言葉の無駄を極限まで削ぎ、読者の想像力を膨らませる巧みな技巧
久生の探偵小説趣味の出た二中編。しかし両方とも傑作だろう、これは。『湖畔』では主人公の男性の外面ばかりを取り繕い、内心は狷介な人間を主人公に据えている。息子への書簡という形式の独白調、つまり一人称なのだが、人間誰しもが多少は持っているこの性格が哀しいまでに心に訴えられる。冒頭の奇妙な出だしにさえ、ミスリーディングが含まれているのだが、最後まで読み切った時に結晶ともいえる孤独な心に感動を覚える作品だ。また『ハムレット』は不思議な老人を冒頭に登場させ、彼の経験した出来事を第三者の視点で描いているのだが、裏切られた人間の孤独が悲壮なまでに感じられて、胸を打つものがある。
また三編の掌編はホラーショートショートとでも表現されるべき作品。いずれも何気ない文章から事件や犯罪を臭わせる手法だが、それぞれから執念、妄念が感じられ不思議な怖さを感じる。これらも良い。珠玉。

『顎十郎捕物帳』を未読ならば、本作を購入するのが久生テイストに出会う近道。掲載された捕物帳以外の作品も心に残る逸品だといえる。本当に文章に魅力を詰め込める作家であることがしみじみと感じられた。


99/07/17
赤川次郎「マリオネットの罠」(文春文庫'81)

赤川次郎!二十年近く人気作家としての地位を不動としている偉大なミステリ作家。全国民に知らぬ人はいないだろう。その赤川氏が'77年に著した長編第一作が本書。

K大学の仏文科の研究生である修一は、後輩の牧美奈子と婚約、結婚資金稼ぎのアルバイトの為に「三ヶ月で百万円」という住込でのフランス語の家庭教師を引き受ける。長野県茅野に近い山奥に洋館を構える峯岸家の紀子、芳子二人の美人姉妹がその相手だ。一ヶ月前に近くで殺人事件が発生した関係で、警察関係者が執拗く訪ねてくるこの館には運転手とお手伝いが一人ずつ。しかし、修平はひょんなことから、館の地下室に作られた座敷牢更にもう一人、峯岸家の三女がいることを知る。彼女は五年前、襲われそうになった下男を刺し殺してしまった為、姉たちから監禁されているのだという。修一が住人の留守を突いて彼女を解放すべく地下室を開いた時、新たな悲劇の幕が切って落とされた。

赤川次郎とはこんなに凄い作家だったのか……
赤川次郎といえば、多作なミステリ作家の代名詞。過去に十作以上は読んで出来ている私の「赤川次郎像」は「軽くてお洒落でコミカルで、推理小説を読みつけない初心者にも読みやすい、あくまで軽〜いミステリー」だった。映画化された作品や最近の作品については、この認識、それほど間違っていないんじゃないか、と思う。しかし本作は、少なくとも赤川次郎の作品を私が軽視していたことを嘲笑うかのような素晴らしい本格ミステリだった。逆に考えると「もっとも浮気な層」である「あまり読書をしない人達」にこれだけ長い間人気を誇っているということは、文体なり、その根本にある姿勢なりが「時代を超えて支持されている」ということか。ますます凄ということじゃないか!
現在でもそうだが、まず読者の視点のコントロールが無茶苦茶巧い。トラックの運転手が殺される導入から、「館」の持つ秘密が徐々に明らかになる序章で切り替わるのは勿論、第二章からはそれまでと全く無関係のような人物に視点を割り当て、かつ意表を突くような展開に持っていく。これらのプロットを駆使して物語り中に散りばめられた謎の数々。無関係に殺される人物のミッシングリンク。麻薬シンジケートの謎。人混みに潜む犯人の恐怖。サイコサスペンスや冒険活劇、そして本格推理をミックスさせた展開は、やはり赤川次郎、目茶苦茶に上手い。乾いたユーモアと共に語られる物語が、サスペンスの頂点と共に閉じることなく、終盤に進ませてどんでん返しに持ち込むあたり、天性のストーリーテラー(多分に映画を強く意識している)としての才能が痛いほどに感じられる。

だって赤川次郎が本格推理書いているんだよ、面白くなかったら詐欺みたいなものです。新刊古書店入手容易。赤川次郎をバカにしていた昨日の私と同類の方は、騙されたと思って読んでみて下さい。目からウロコがぼろぼろ落ちます。


99/07/16
小泉喜美子「ダイナマイト円舞曲(ワルツ)」(光文社カッパノベルス'73)

『弁護側の証人』より十年、生島治郎との離婚したことにより再び筆を執った小泉喜美子の、復帰第一作目となる書き下ろし長編。

自称「花嫁修行中」二十六歳の「わたし」はパリに留学していた時代に共に絵筆を取った親友、クレモンティーヌの招待で地中海の小国、ロンバルド公国を単身訪れる。クレモンティーヌはこの国の独裁的な王であるドミニコ・ヴィットリオ九世に見初められ、九番目の后妃となっているのだ。ただヴィットリオ九世は今までに八人の妻を喪っており、その精力は青髯の誉れが高い。豪壮な宮殿や、慇懃無礼な使用人。映画の舞台のような状況に、舞い上がってしまい落ち着かなかった「わたし」もクレモンティーヌの幸せそうな顔を見て、まずは一息。ところが「わたし」は割り当てられた自室の電話の混線によって、この城の内部で何らかの不吉な陰謀が進行していることを知ってしまう。「D」と名乗る人物は何者? 戸惑いながらも生まれて初めての豪華なパーティに招かれ、日本の着物を着て出席した「わたし」は、クレモンティーヌとほとんど年の違わないながら義理の息子となる、活発で明るい皇太子と巡り会い、心惹かれる。

洒落た器に味わい深いミステリを盛ってどうぞ。極上のデザート
例えば「本書は小泉喜美子が十年ぶりに書いた作品」だとか「昭和四十八年に出版された」だとか「ミステリの執筆が忘れられず生島治郎と離婚した」とか「小泉喜美子(当時)はえらく美人であった」など作品内容とは関係ない形容詞が付きがちな本書。しかし、架空の王国を舞台にサスペンス溢れる陰謀譚を華麗に、そして鮮やかに創り上げた、この内容こそを誉めるべきだろう。作者自身のことばによると、「”絶対に合理的で、周到に計算された”明晰な童話」とのことだが、その言葉通り見事に「童話世界」が具現化されている。
まず、宮殿や舞踏会、王族、執事といった明らかに(今や)古臭く童話的な存在を肯定、舞台を整えている。そして年老いた皇后、精力的で浮気な王、活発な皇太子、意地悪な王女などなど、一歩間違えれば時代錯誤の少女マンガに登場しそうな人々を丁寧に配置し、半ば確信犯的に、一種メルヘンティックなおとぎ話の世界を確立させている。これが器。そしてその背後で進められる陰謀は一転して現実的。おとぎ話と現実の悪意との接点に向けて物語は広がりを見せ、いくつもの伏線、意味ありげなインターローグを得て、陰謀が実行されるクライマックスへと進む。根幹を成す王国の秘密や、いくつもの不思議な出来事の原因となる仕組みについて、一つ一つ取り出すと焼き直しであったり平凡であったりするかもしれない。しかし、この見事な器に物語と人物が美しく盛りつけ、小泉シェフが読者に提示した御馳走は、十二分な驚きと感銘を与えてくれる。器の物語世界と、料理の物語構造が互いにマッチし、本作の形でしか味わえない滋味を堪能。古い映画に関する深い蘊蓄がパウダーシュガーのように場面場面をデコレイトしているのも嬉しい。

もちろん絶版。集英社文庫版もあるがそれも絶版。時代を超越した設定が、非凡なセンスを古びさせない。当時のカッパノベルスの巻末の既刊リスト、松本清張、高木彬光、水上勉……ら、ばりばりの男性作家の推理作品が並ぶ中、やはり本書は異彩を放っている。センスが違うのだ、センスが。


99/07/15
泡坂妻夫「亜智一郎の恐慌」(双葉社'97)

泡坂妻夫氏の初期代表作「名探偵・亜愛一郎シリーズ」の姉妹編として位置づけられた作品集(の割りに作品内での言及とかは一切ないけれど)。愛一郎の御先祖、亜智一郎が活躍する時代ミステリ。

十三代将軍家定の時代。亜智一郎は将軍家江戸城に仕える身分ながら、「地震の間」を管理し「雲見櫓」にて日がな空を眺めるという閑職についていた。そんな折り安政の大地震が発生、智一郎の機転により将軍は「地震の間」におられ被害は無かった。またこの機に乗じて変を起こさんとした渡辺家の賊達を機転で持って見破った功により、甲賀忍者の末裔、藻湖猛蔵、下座見役で芝居好きの緋熊重太郎、怪力無双の古山奈津之介ら共々、将軍直属の隠密としての仕事をするよう命ぜられる。時代の転変と共に彼らが向き合う奇妙な事件の数々。
最初の一連の事件により雲見番が隠密として命ぜられる『雲見番拝命』
野州白杉藩の藩主を調査に向かった智一郎と猛蔵は領内で病人を連れた行列を何度も見かける『補陀落往生』
遊女に惚れる重太郎。一方将軍には匠戸藩より「地震時計」なるものが献上されていた『地震時計』
将軍家定には世継ぎがいなかったが、庶子が江戸市中にいるという噂を確認すべく雲見番が行く『女方の胸』
十四代将軍慶福に引き続き仕える雲見番。最初の仕事は慶福自身が写真に撮られたいという希望を叶えること『ばら印籠』
尊皇攘夷が盛んになり奉行所の手が足りない。雲見番は行方不明の旗本の娘を捜索する『薩摩の尼僧』
慶福に降嫁の話が出ているが、大奥には何かと怪異の噂が。無理を承知で大奥への潜入を要請される雲見番衆『大奥の曝頭』以上、七編。

鏤められた泡坂氏の遊び心(中級者以上向け)
亜愛一郎の奇妙なユーモアを知る読者にとっては少なからず戸惑いを最初に感じるはず。
理由はいくつかある。智一郎の立場がはじめから「探偵役」を期待されている点、徳川家に使える雲見番という立場以上に、事件それぞれに「歴史」を深く絡めている点、実質隠密役を務めているところからの事件に対して深刻に関わり合いを持たざるを得ない点。つまりこれら最初の設定の時点で、智一郎は愛一郎に比べるとシリアスな立場に立たざるを得ない状態に持ってこられている。その結果、かなり悪意の強い深刻な事件と遭遇させられる機会が多く、無責任とも思えた愛一郎シリーズの独特の軽さは抑えられ気味。また幕末特有の日本の血生臭い歴史が絡むのもシリアスの一因かも。
とはいえ、そのトーンの中においても、抑えられない泡坂氏の遊び心は健在。特に亜智一郎のキャラクタの持つ、不思議な魅力はやっぱり愛一郎と通じている。「雲を日がな眺める」「逃げ足が早い」「整った容貌」「写真術」などとキーワードが重なるだけで、何だか微笑ましい気分にさせられてしまうし、他の作品と通じている登場人物が何人も登場したり「分かる人には分かる」作り。
作品集全体としては日本ミステリ史に誇る「愛一郎」のシリーズに比べると正直、多少切れ味は落ちるがそこは泡坂妻夫、外している訳ではいない。もっとも印象に残る作品は『補陀落往生』、何気ない伏線とトリック、更にストーリーが綺麗に結びついて最後に事件の絵が浮かび上がるあたり、泡坂マジックの集成。これぞ真の名人芸。他に絵が綺麗だったのは『地震時計』『大奥の曝頭』あたり。やはり、バラバラにされたパズルを読者の想像の及ばない形の「絵」に持ち込むのが泡坂短編の楽しさなのかな、と再確認。

本書を読了された方に是非読んで頂きたいのは、葉山響さん入魂のこちらのページ。「亜智一郎」の世界がどれだけ現代を舞台にした泡坂作品に繋がっているかが、一目で分かります。こういう遊び心が泡坂作品を豊かに彩っているのは確か。


99/07/14
牧野 修「デビルサマナー ソウルハッカーズ 死都光臨」(アスペクトノベルス'98)

セガサターンの同題の人気ゲームのノベライズ。ATLUSより'97年秋に発売された3Dタイプのロールプレイングゲーム。現在はホラー作家としての地位を確立しつつある牧野氏だが、他に「クロックタワー」というゲームのノベライズ作品も出版している。

次世代情報通信都市のモデルとして創られた天海市。政府から特別指名を受けたアルゴン精工により都市中にネットワークが張り巡らされ、全ての家庭と店舗に端末のある街。そこに住む少年、蝉野賢一は、サナギという通り名を持つハッカー。スプーキーズという腕利きハッカー集団に、幼なじみのヒトミと共に参加していた。サナギは、ここのところ毎晩、”ウラベ”という悪魔を召喚する技を持つ男となる夢を見る。ウラベが「組織」の秘密を盗み出すために建物に忍び込むのだが、強大な敵に追い詰められ最後に命を失うところで、目が覚めるのだ。スプーキーズはヒトミの提案により、パスワードをハックし試行中の電脳都市、パラダイムXに潜入することに成功する。リーダーからの召集で溜まり場の電子機器を満載したトレーラーに移動した彼らは、リーダーからハンドガン型の奇妙なPCを見せられる。サナギがそれを握ったところ、ロックのかけられていた筈のPCが起動、赤い光がモニターから飛び出し、ヒトミから謎の悪魔、ネミッサが現れる。

元シナリオが良いのか。少なくとも牧野氏の筆はクールな冴えを見せる
評価は難しい。この悪魔と電子機器が共存し、互いに影響しあう独特な世界の構築は、その多くはゲームシナリオを考案した別の作家によるものだろう。だから、牧野氏を誉めちぎるのは筋違いなのかもしれない。しかし、この作品(少なくとも活字として手にしているこの本)は、牧野氏の世界観というフィルターを通されたものであることは、間違いない。「独自の倫理観を持つ少年達」が「独自のセンス」の元に「独自の世界を生きる」という、我々オトナから観ると価値観の差ゆえに、あまりリアルに感じられない「独自な世界」。これが確実に物語内に存在、息づいていると感じさせられる。確かに、PCで呼び出す悪魔、の、割にナイフで消散してみたり、電脳世界内部の探検に自らの身体が入り込んでしまう、など説明抜き、理屈抜きの「あれれ、これ、あり?」という設定が多数ある。その不自然さを割り引いても、この世界に生きる登場人物たちについては、地面に足のついた不思議にリアルな存在として描ききっている点は、評価できよう。
ゲームとミステリ。というと幾人かの作家がゲームシナリオに挑戦していることが思い浮かぶ。成功した作品、埋もれてしまった作品両方だが、彼らは比較的自由に世界を構築出来たはずだ。それとは別に、初めから制約のある世界を「いかに活かすか」を競う仕事も有るのだな、としみじみと感じた。

読了後、当ゲームの関連サイトをいくつかチェックした。少なくとも筋立ての大まかなところはゲームの進行からは外れていないようだ。もちろんRPGなので、キャラの成長とか武器魔法のパワーアップという要素はあるのだろうが、ストーリーを知らない人間にとって、このノベライズだけで充分にファンタスティック。


99/07/13
山田風太郎(新保博久編)「風太郎千年史」(BRUTUS図書館'99)

突如出版され、従来未刊行の作品や、入手が極度に困難な作品を含んでいるため、風太郎マニアを歓喜の渦に叩き込んだムック形式の本。同時刊行が『谷川俊太郎ヴァラエティブック[こ・ん・に・ち・は]』『ワンダー手塚治虫ランド』二冊。下記したような企図をもって編纂された風太郎の一人アンソロジーといった感。

まず中国宋代を舞台にした、妖異金瓶梅から『赤い靴』'78年以来単行本収録から削られていた幻の一編、『銭鬼』を収録。続いて切支丹物『山屋敷秘図』
忍法帖より『忍法棒占い』『忍法小塚ッ原』、水木しげる画、京極夏彦着彩の漫画『大いなる幻術』
幕末〜明治の過渡期を描く『首』『東京南町奉行』
明治物より『巴里に雪のふるごとく』、ホームズ作品パスティシュ『黄色い下宿人』
風太郎自身の幼年時の記憶を描く『わが家は幻の中』から『父の死』と続き、未刊行の自伝的エッセイ『風眼帖』を通じて、中学生時の風太郎が「映画朝日」に投稿した『中學生と映畫』、戦時下18歳時に受験雑誌に投稿、最優秀作を獲得した処女小説『石の下』、ノンフィクション名作『戦中派不戦日記』から終戦前後の八月分と、探偵小説を書き始めるまでの風太郎の生き様を辿る。
初期探偵小説より『黒衣の聖母』、昭和二十二年の日記を抜粋した『わが推理小説零年』で当時の様子が分かり、雑誌「宝石」応募のプロデビュー作品『達磨峠の事件』『歓喜登場』と続く。その後のインタビューやエッセイが『奇想とユーモアの異色作家山田風太郎』『推理交響楽の源流』『読まなくたってかまわない』『ナンセンスだから面白い』と続き、「週刊朝日」に掲載された『自筆死亡記事』を挟んで、'78年に書かれた未来小説『1999年』まで。合計15編。

風太郎だから一人で綴れる一千年の歴史の切り口
上記を見て、賢明な方はお気づきであろう。編集にあたった新保氏の企画の意図。それは山田風太郎作品を「発表順」ではなくて「作品内の年代順」に並べた、ということ。これが見事に当たっている。今まで風太郎を読み尽くしてきたマニアに取っても新しい側面、新しい角度から作品を俯瞰することで、気付かなかった魅力を再確認出来るような作りになっている。まず物語。奇書「金瓶梅」から題を取った中華の魅力の詰まった探偵小説『赤い靴』に始まり、作者自身がもっとも気に入っている忍法帖『笑い陰陽師』より男女の妙を面白可笑しく描いた短編『忍法棒占い』、虚実ない交ぜの明治物の面白みが詰まった『巴里に…』、戦後の荒んだ時代を背景に切なさを読み込んだ探偵小説『黒衣の…』などなど充分に傑作が揃う。加えて漫画、エッセイ、インタビューと様々な形式で構成され、バランスや装幀、割付にまで隅々まで気の届いた作り。うん、凄い。表現が難しいが、風太郎の作品集を読んでいる、というより、山田風太郎という作家を読んでいるような気分。
また山田風太郎が、気に入らない作品の単行本収録を長い間拒否していた(いる)ことは誠に有名。本書にて、久々ないし初掲載された作品も氏が気に入らなかった訳なのだが、駄作どころか、(超傑作とは言えないかもしれないけれど)見事なものばかり。またデビュー前の投稿作品(もちろん戦前)を二つとも完全収録していることは驚嘆に値する。
忍法帖、探偵小説と一応は、触れている自分にとって最大の収穫は『戦中派不戦日記』をはじめとするエッセイ群。「山田風太郎」という神格視さえされる作家の個人の歴史が、氏自らの手で綴られる。異常とも思える脅威の作品群を創り出した男、その淡淡たる視線、生き方は一見普通ながらも、世の中の捉え方はやはりこの人ならではの慧眼に満ちている。誰もが驚嘆する忍法帖のアイデアでさえ「編集者に求められ、締め切りが近づいたら浮かんでくる」と言い切ってしまうあたり、普通のようでいて只者ではないことを自ら語っているようなもの。

忍法帖を集中的に発表した時期、明治物を集中的に発表した時期、最近なら室町物と色んな時期があるのだが、ほとんど駄作がない風太郎だからこそ出来た傑作集。しばらくは本屋に並んでいる筈だが、将来的なことを見越して買って置いて損はないと思う。


99/07/12
筑波耕一郎「殺人(コロシ)は死の正装」(角川文庫'80)

氏はデビュー当時は「筑波一郎」。筑波氏は雑誌『幻影城』の「幻影城新人賞」第一回に『密室のレクイエム』を応募、入選こそ逃したものの、作品は誌上に推薦作として掲載された。'76年に発表された本書は第一作目の長編にあたる。幻影城ノベルス版で所有するのが「通」なのでしょうが、この通り、角川文庫でも収録されている。

ルポライターの木島逸平の従姉妹、和子が轢き逃げで殺される。木島は最前まで腎臓炎を患って入院していたのだが、見舞いに来た和子は雑誌「推理クラブ」に掲載されている新人賞佳作作品の内容が変だ、と言っていたことが気になる。その小説は、実際に発生した心中事件で「互殺」とされ処理された事件を描いていたが、小塚という作者は、その事件には別の男、女性の勤務する会社の組合書記長が真犯人である、ということを示唆していた。和子はこの死亡した女性と旧知の間柄であり、丁度そのことについて自らの手で調べ始めてすぐ、この事件に遭遇した、その偶然が木島には気に入らず、彼女の足取りを追い始めた。やはり和子はかなりこの事件に深入りしていた。

魅力的な冒頭、惜しむらくは中盤?
冒頭、轢き逃げの光景を描写するプロローグから始まり、現実に発生したという事件とそっくりの設定を持つ小説が提示される。事件、小説共々男女が同時に異なる方法で殺し合った、という不思議な心中の事件。奇妙な「あれ?」と思わされる状況が提示されており、掴みとしてはなかなか。特に本格不遇の時代の作品ということもあるのか、労組とか轢き逃げとか、社会性のある事物を取り入れようという意欲も感じられる。一応の探偵役となる作家志望の青年、専介、そのパトロンの聡一郎、敵役となる金遣いの荒い女性ゴロの男、など鍵となる登場人物はそれぞれ、人間的に妙な魅力や毒をきちんと持っており、その造形にも不満はない。
それなのに。物語の中盤、主人公が必死で独自の捜査を行っているところ、この部分がいささか退屈、というか中だるみがある。盛り上がるべき部分において緊張感が維持出来ていないのが誠に残念。主人公が、幾人もの関係者に会いに行き、証言を聞いてくる。ひたすら、この部分が「単なるお使い」の繰り返し。勿論、主人公自らの意志で聞きに行くのだが、関係者の反応が総じて同じで大したことを話すでもなく、誰かを追い詰めている、とか、真相に迫りつつある、という緊張感が薄い。魅力的な準密室事件に使用されたトリックは、ユニークながらちょっと強引さも感じられる。どうも短編向きのネタを長編に引っ張った、という印象が残ってしまった。

まだ、一作しか読んでいないので、評価は差し控えたい。氏の作品そのものは、少なくとも現在、入手は難しくなっている。


99/07/11
小栗虫太郎「小栗虫太郎集 日本探偵小説全集6」(創元推理文庫'87)

小栗虫太郎。'01年生まれ。'33年、雑誌『新青年』誌にて『完全犯罪』にてデビュー、翌'34年、日本推理小説界の永遠の金字塔『黒死館殺人事件』を同誌に著す。'46年に没するまで精力的な創作活動を行い、その独自の世界には今なおファンが多い。本書には代表的四短編と『黒死館』を採録、解説は塔晶夫(中井英夫)。

中国に展開するソヴェート軍の一部隊。彼らが駐屯先に定めた洋館で将校らの愛妾が完全なる密室にて死体で発見される『完全犯罪』
寺社の一角で住職が合掌をした姿勢のまま額に穴を穿たれて死亡。争った形跡はなかった。前捜査局長にして、目下一流の刑事弁護士たる法水麟太郎、初登場『後光殺人事件』
ロシア人の居留する鐘堂を持つ西洋寺院の鐘が、怪しく打ち鳴らされた。訝しんだ支倉検事と法水が現場に駆け付けると、塔の側で老人の変死体を発見する『聖アレクセイ寺院の惨劇』
神奈川県にある通称「黒死館」と呼ばれる豪壮な館。降矢木一族の屋敷である。そこに住むバイオリニストが死体で発見された、という支倉の連絡に、事件の手強さを感じ取った法水は落ち着き払ってその一族について資料を確認する。降矢木一族は、代々変死者を多く出しており、昨年にも当時の当主で学者の、降矢木算哲博士が、人形を抱いたまま謎の死を遂げたばかりであった。博士は四人の西洋生まれの楽人を、生まれたときから、屋敷内に引き取って育てており、殺されたのはそのうちの一人、ダンネベルグ夫人であった。毒入りオレンジを食して死亡した彼女の死体は、原因不明の光で全身が輝いている、という変死体。屋敷を訪れた法水は、豊富な知識と観察により第二、第三の犠牲者を予測する。 長編『黒死館殺人事件』
法水が舞台俳優を務めるハムレットの舞台。放逐された主演男優の幽霊が不可能犯罪を引き起こす『オフェーリア殺し』

無から有を幻視させ、有を無に返す。手練手管に対抗する術なし
私にとって『黒死館殺人事件』は通読で三度目。それでもまだまだ「分かっちゃいない」のかもしれない。
他の作品も含め、小栗虫太郎の持つ知識は本当に多岐に渡っている。言語学、物理学、医学、心理学、外国語、高級文学、天文学、歴史学、暗号学、紋章学、地政学……ありとあらゆる「…学」と名前のつく事柄全てに一家言持っていたと思われる。執筆時期である戦前と、現代をこれらの学問の中身で直接真偽などを比較することはもはや無意味な行為に過ぎない。虫太郎の作品内で、これでもか、というくらいに用いられる学問的事項は、その知識部分だけを取り出されることを拒否している。その真偽を問わず、これらのペダントリーはあくまで虫太郎の創り出す物語の内部においてのみ有効なのだ。法水の知識を含んだ台詞は登場人物に絶対的ダメージを与え、その見識は物語に重大な方向性を与える。偶然と思われる暗合にさえ必ず意味が付せられ、発せられた言葉、記された文章からは、「そのもの」以上の重大な意味が必ず付け加えられる。
特に『黒死館殺人事件』において、読者に許される行為は「ひたすら傍観すること」でしかない。「推理」を拒否された読者がどうやってこの世界に干渉出来よう。法水が、降矢木一族が、支倉が、それぞれ演じている「黒死館」という舞台(いや、建造物というべきか)を見つめ、彼らが言葉から生み出す壮大な幻想を甘受するという、もっとも無力で、しかしもっとも贅沢な役割を読者は与えられている。その立場から逸脱しようとする者を排斥する力を「黒死館」は持つ。だから、我々読者に出来ること、それは彼らの一挙一動、言葉の端端までをしっかり目を開けて受け止め、織りなされる「黒死館」という巨大かつ偉大な虚構を受け止めるだけだ。(と、こう考えると「アンチミステリ」という意味が少しだけ分かったような……)

まだ小栗作品を読んでいない人にとって、小栗虫太郎は手強い作家である。取っ付きにくいし、難解な部分が多い。しかし、小栗虫太郎を読んでいる人にとって、小栗虫太郎は更に手強い作家である。読んでも読んでも、読み返す毎に新たな発見があり、その紙面上に凝らされた深謀遠慮の餌食となる。なるほど聖書や仏典を差し置いて、戦地に『黒死館殺人事件』一冊を持って赴いた、という青年の気持ちがほんの一端だけながら、分かる気がする。