MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/07/31
仁木悦子「穴」(講談社文庫'79)

仁木悦子の講談社文庫では二冊目の短編集。『穴』より『誘拐者たち』までが'67年から'69年の二年間に雑誌発表された作品。最後の『うさぎの…』のみ少し発表年代が早い'62年の作品である。

反抗期の「僕」は夜中にペットの犬の死体を埋めている隣の家の人を見かけるが、両親には「人の死体」を埋めていたと嘘をつく『穴』
食堂でコートを取り違えられた盲人が、麻薬取引事件に巻き込まれてしまう『明るい闇』
山奥に住む老婆が、土地を工場建設の為の買収にやって来た村一番の成功者を目撃する『山のふところに』
病気の叔母に頼まれ、幽霊が出るという別荘に従兄弟連中とやって来た俊平。『幽霊と月夜』 友人のバイクを壊してしまい弁償しなくてはならなくなった高校生二人は、金持ち婆さんの飼い猫の誘拐を企む『誘拐者たち』
知恵遅れの子供達が生活する養護施設にて、飼育小屋から出火。中で生徒が一人焼死していた『うさぎと豚と人間と』以上六編。

社会的弱者を暖かい視点で描く仁木的職人芸
この作品集、登場人物群が他作に比べ格段の特徴を持つ。まずは、他の作品でもみられる子供主人公、子供視点の形式で綴られた表題作『穴』、続いて、幼い頃に光を失って盲学校で教えている盲人が探偵役をつとめる『明るい闇』、更に生活保護を受けているよぼよぼの老婆を主人公にした『山のふところに』。知恵遅れの児童たちが被害者、証言者と重要な役割を果たす『うさぎと……』まで四編が、社会的な弱者を登場人物に抱えている。これらの作品全てに殺人シーンが登場しており、事件も深刻で、立ち上る悪意、害意もかなり強い。不思議なのはそんな中、全体のトーンが明るく、暖かく感じられること。一見、不思議にも思えるが、実はそれは必然なのだ。我々(健常者?)は、つい登場する彼らのことを「弱者」と決めつけてしまいがちだが、彼らは決して弱くとも何ともないのだから。ある状態こそ甘受しているものの、その中で精一杯に生き、自分自身を信じ、誇りを持っている。人間的な部分だけを取り出せば、欲望に負けて犯罪を引き起こしている健常者側の方が、余程弱い。
他の二作、『幽霊と月夜』は短編ながら系図付きの正統派本格推理。『誘拐者たち』はコンゲーム風の展開がひっくり返るユーモアミステリー。どちらも仁木さんらしい味わいに溢れている。

薄いのであっという間に読み終えることが出来るが、内容的にはじっくりと濃い。仁木さん以後、なかなかじっくりと「彼ら」に目を向けた作品に巡り会わない。探偵役だけなら、『遠きに目ありて』『ブードゥー・チャイルド』とかいくつか挙げられるのだが、全体を貫くトーンは少し違う気がする。


99/07/30
日影丈吉「移行死体」(徳間文庫'83)

元々は'63年に早川書房より<日本ミステリーシリーズ>として書き下ろされた長編作品。この前後の時期、日影は積極的に推理小説を発表している。

アパートを滞納が原因で追い出され、先輩の甘利宅に転がり込んだ大学生、宇部。画家を自称する甘利はかなりの預金を持ちながら、古びたビルの五階にある、がらんどうのアトリエに住んでいた。ところがその甘利にして、ビルの持ち主の鳥山から立ち退きを命ぜられていた。鳥山は個人政党の当主でアルバイトの女性を雇い、弟夫婦と共に同じビルで生活している。ある日、宇部は甘利から、オーナーたる鳥山を抹殺する計画をうち明けられた。鳥山が、ビルにほど近い大学で計画されている学生運動に反対するアドバルーンを上げるのを利用、アリバイ工作も完璧な計画だ。しかし実行当日、宇部は怖けづいてしまい、鳥山を気絶させるものの止めを刺さずにビルを飛び出てしまう。一方、屋上で待っていた甘利は、鳥山の「死体」をロープで部屋から引き上げる。そして彼らがそれぞれアリバイ工作をして、ビルに戻ってみると屋上にあるはずの死体がない。殺したはずのない死体。存在したはずの死体の消失。二重の謎に悩まされる二人の元に、鳥山の死体が東京から三百km離れた八丈島で発見された、との連絡が入る。

時代を超えた若者の「渇き」、消えて移動する死体の謎
時代は高度成長期の波の中。日本が戦後を脱しつつある時代。そんな中、主人公たちはその波から外れたところで、日々腹を空かせている。ただ、日影丈吉描くところの、宇部、甘利という学生達から感じられるのはら「飢え」を伴わない「渇き」。その日の寝場所にさえ困り、毛布一枚にて友人のところに転がり込むような生活をし、学生運動に参加し、働くのは嫌だが日々の食事にさえ事欠く。彼らは確かに腹を常に空かせている。たまに出会った食べ物はがつがつと食しているし、食べ物に釣られて……という形容詞がよく似合う行動を取る。それでも彼らは「飢え」てはいない。逆に、不思議と充足しているようにさえ見える。つまり自分のプライドを堅持しているから、醜さを決して感じさせない。
物語は、殺していない筈の死体が発生した上、更に消失して遠方に現れる、という死体移動の不可解ミステリ。錯覚とトリックを組み合わせた構成も巧いし、動機となる隠された人間関係の構成にも納得が行く。そして序盤から、ミスリーディングは炸裂しているは、読者は犯罪そのものを眺めているにも関わらず、肝心なところは確乎り隠してあるは、でミステリとしての魅力ももちろん、高い。
それでも、読了後、彼らの渇いた姿がひどく印象に残るのだ。一種の青春の残酷さが描かれている、という気がする。本作を青春ミステリと分類したくなるのは、私だけだろうけれど…

恐らく、この徳間文庫で入手するのがもっとも容易かとは思います。いずれにせよ、今となっては多少苦労するかもしれませんが。日影らしいのか、らしくないのか。真夏の日差しを感じさせるミステリかと。


99/07/29
瀬戸川猛資「夢想の研究 活字と映像の想像力」(創元ライブラリ'99)

早川書房の雑誌『ミステリマガジン』'89年より'91年まで連載されたエッセイをまとめ、'93年に同社より単行本化されたものが元本。『夜明けの睡魔 海外ミステリの新しい波』に続く、創元ライブラリによる瀬戸川猛資氏作品復刻の二冊目。(もっともっと続けて>東京創元社さま)

小説全般と映画全般に詳しい筆者が、古今東西の(特に米国の)映画や、それと題材の似た本などを取り上げ、想像力を巡らせた大胆な主題や仮説をまず打ち出す。「『十二人の怒れる男』はなぜ”男”なのか」「SFは本当に科学を礼賛しているのか」そして自由自在の切り口で、周辺の本や映画を更に取り上げ、周辺事項について調べ上げ、何とも楽しい文章にて仕上げた、珠玉の評論。合計、二十八編。題名を列記する。『謎解き――男だけの世界』『わたしは悪魔』『帝王伝説』『聖域へ』『ビデオ雑記帳から』『獅子王変化』『大君の都』『夢のなかの生涯』『異なる文化』『センス・オブ・ワンダー』『破滅の愉しみ』『天空の人びと』『からくり兎』『些細な事柄』『硝子玉とコルク玉』『もうひとつの顔』『月の山脈』『裏切る現実』『或るコンプレックス』『幻の国』『太古の祭り』『彼方の物語』『灯台もと暗し』『霧のなかの群衆』『問題作の作り方』『東の風』『地球をめぐる風』『本の燃える日』(巻末に索引付き)

半分大人で半分子供の心を持つ、本好き映画好き全ての人々に捧げる
最初は「映画評と書評のミックスされたものだろう」という気分で読み出した。氏もどうも最初は自ら定めた枠内からはみ出ないように心がけていたのかもしれない。取り上げるテーマや、きちんとマッチしながら独創的な着眼点こそ面白いながら、比較的無難な構成で始まる。それが回を追う毎に、筆が走り出して来るのか、色々な題材へ筆が飛ぶ飛ぶ。純文学、歴史、宗教、文化。人によっては小難しい題材を切り開いて、分かり易く料理し、主題に肉付けしていく。自分の過去体験、電車で見かける人々。少しでも関係あれば、それは料理され題材に変わる。いやはや、変化球だろうが、直球だろうが、過程はとにかく最終的にストライクゾーンにぶつけてくる。魅せるのが上手い。そして後半に入ると、益々アイデアは冴え、言葉は踊り、イメージは弾けて、それでも主題は読者にぶつかる程の勢いで飛び込んでくる。脱線が激しければ激しいほど、そして取り上げる主題が突飛であれば突飛であるほど、瀬戸川氏自身、執筆していて楽しくて楽しくて仕方ない雰囲気が伝わってきて、そして読んでいるこちらまで愉しくなる。これぞ極上の幸せ。
そして何よりも。とにかく平易に、分かり易く、と心がけておられるのが何とも嬉しい。何も考えずに読むと気付かないかもしれないが、とにかく頭の中にイメージだろうが主題だろうが、すいすいと入り込んでくる。これは瀬戸川マジックと表現しても過言ではない。恐らく、小説も映画も全く知らない人でも理解できるように書かれている。だから、ちょっとでもどちらかを囓った人ならば、より以上に深い感銘を覚えるのだと思う。

評論家として知られる中で、現在の私がもっとも尊敬かつ憧れている人物。編み出された文章からは、映画なり、本なりの魅力が香り立ち、読者を幻惑して止まない言葉のマジシャン。早くに夭折されたのが、今更ながらに真剣に惜しまれる。この作品は瀬戸川氏からの映画と書物を愛する全ての人への贈り物。


99/07/28
皆川博子「聖女の島」(講談社文庫'94)

'72年に『海と十字架』という長編児童文学を上梓、翌年には「アルカディアの夏」で小説現代新人賞を受賞、以後ミステリ、幻想、恋愛、時代に伝奇と様々な分野で執筆活動を続けておられる皆川博子。本作は'88年に講談社ノベルスより刊行され、ミステリサイドからもホラーサイドからも絶賛をもって迎えられたという。

ひところは海底炭田の採掘基地として五千人の人口を誇っていた島。しかし今や打ち捨てられ、廃墟のみがその島を埋める。そんな中、ある修道会がその孤島に矯正施設を建設した。売春、盗み、恐喝などで放逐された九歳から十五歳までの三十一人の少女たち。園長の矢野藍子からの助けを求めるメッセージを受け、一人の修道女がその島に上陸する。園長の問わず語りの独白によると、少女達は施設に放火、更に少女が船を奪って島を脱出を試みた途中に溺れ死んだというのだが、島にはなぜか三十一人全員が揃っていた。園長以外には他に三組の「お父さん」「お母さん」、下働きの男が二人。一見、従順に見える少女たち。自信を喪い、喋り続けることでしか不安を解消出来ない園長。保護役でありながら、少女達の得体の知れなさに内心怯えている職員。修道女は、ひたすら全てを見守った……

怪奇と幻想と官能と恐怖と欺瞞と自由と孤独の満ちた……孤島
舞台設定が、まず大いに魅力。食料も水も心配のない代わりに外界から隔絶された廃墟の島。放埒で自由な心を持つ少女たちと、彼女らに翻弄されて自信を喪失し、子供騙しの策略を打ったり、捨て鉢になる大人たち。近未来SFで使われそうな舞台装置を、設定で現代に持ち込んでしまう発想の豊かさにまず驚く。そして、幻想小説的な表現で綴られた透明感のある文体。人間の醜い感情を徹底的に描きながら、文章からは汚らしさなど微塵も感じさせない。皆川さんが書けば書くほど人間臭さを喪っていく登場人物たち。そしてそれでいて、妙なリアリティが作品内では逆に引き立つ不思議。
果たして、この島で何が起き、何が起こりつつあるのか?園長の心のガードを一枚一枚取り外していくことで、真相に向かって行く展開は見事。読者は心に疑問符をいくつも抱えたまま、終盤まで物語に引き付けられてしまうことに間違いない。ゴシックミステリの様式を取りながら、人間の犯す罪とは何なのか。人間が迎える救いとは何なのか、物語の謎を越える形而上のテーマを内包していることも、この作品の奥深さを際立てている。
ガラスで出来たような大人のような少女たち、寄せ木細工で出来た子供のような大人たち。彼らの迎える戦慄のラストは、読者にも大きな衝撃と余韻を残すことは間違いない。幻想ミステリともゴシックホラーとも読者の勝手な分類を、軽々と越えてしまう不思議な文学だ。

特に「小説読み」の方に勧めたい一作。表層をなぞるだけで満足しない、想像力を持つ読者を要求する物語のように感じる。閉じられた幻想的空間に浸りたい方に。


99/07/27
小池真理子「墓地をみおろす家」(角川ホラー文庫'93)

元々エッセイスト出身、ミステリ作家に転身、心理サスペンスの名手として「妻の女友達」という作品で第四十二回推理作家協会賞を受賞した小池真理子さん。彼女が角川文庫書き下ろしで'88年に刊行された作品が、角ホラに再収録されたもの。

駅から至便、買い物便利、全室南向き、管理人常駐、2LDKという好条件の新築マンション。そして価格は相場の半額。広告の仕事をする哲平、元イラストレーターで専業主婦の美沙緒、そしてその娘の玉緒三人は劣悪な賃借住まいから抜け出してそのマンションの一室を購入、八階に越してきた。申し分のない環境であった。ただそのマンションの三方が広大な墓地に囲まれていることを除けば……。玉緒が可愛がっていた小鳥が引っ越してきた翌朝に死亡、玉緒はその晩から小鳥が枕元にやって来るのだと言い張る。またテレビのあるチャンネルにだけ黒い影が映り込む現象が発生するなど奇妙な出来事が少しずつ発生する。美沙緒はうわさ話から、その昔、計画倒れになった地下街造成計画がこの付近にあったことを知る。そして同じマンションに住む子供達と収納スペースのある地下室で遊んでいた玉緒が原因不明の怪我をする。

まさしくモダンホラージャパネスクの先駆作品
読了後改めて考えた。マンション、という建築様式は何と日本的なんだろう。都市圏の土地の価格の異常な高騰、集団生活に向き、不快な事に我慢強く、横並び指向が強く、核家族化が進み、持ち家意識が極端に強い。そういった日本人的な方向性を集約した「住まい」、これがマンション。(異論もあるだろうが)しかるに、この日本的なマンションを舞台にした本作こそ、現代のホラー・ジャパネスクの称号に相応しいのではないだろうか。
そして読みやすく入りやすい文章、世界。全てが日本人には墓地に囲まれたマンションが徐々に、異界と交わり、侵略されていく様子。新築間もない新しい建物だけに逆に無味乾燥とした造作が際立ち、原因不明の現象がより一層不気味さを増す。攻め寄ってくる異界は視覚だけだったり、嗅覚だけだったり、雰囲気だけだったりと決してその姿を読者の前には曝さないが、適度に押さえられた表現が、心の隙間に忍び寄ってくるような怖さを喚起するのだ。そして終盤、エレベーターがマンションが部屋が、巨大な柩と化し、迫り来る怪異と共に、登場人物を窮地に追い込んでいく。これは一種の早すぎる埋葬とも言える。安心できる空間が徐々に狭まっていく恐怖は現代の日本人に限らず、心理的な圧迫感を感じるはずだ。

十年前の作品でありながら、モダンホラーの傑作として挙げられることの多い本作。当時話題に上らなかったというが、五年十年早すぎたのだろう。世間が追い付いていなかっただけ。一旦絶版になった本作を角川ホラー文庫で復活させた関係者の慧眼に敬意を表したい。ホラー入門者なら絶対押さえるべき作品。


99/07/26
都筑道夫「かげろう砂絵 なめくじ長屋捕物さわぎ」(角川文庫'82)

砂絵シリーズの六冊目の作品集。元本は'81年に桃源社より出ているが翌年に角川文庫にて刊行されている。現在は光文社文庫版がある。

『酒中花』長雨続きで懐が寂しくなったセンセーは下駄常宅に出向く。彼は熱で寝込んでいたが、そこに信濃屋の娘が家出をした、という報せが。しかも彼女は風呂場から逃げ出したという。
『ぎやまん燈籠』博奕で負けて夜道を歩いていた喜三郎は耳まで裂けた口を持つ女を目撃。彼女は浴衣を脱いで素っ裸だったという。長崎屋という商家で幽霊騒ぎが起こり、下駄常とセンセーが様子を伺いに向かう。
『秘剣かいやぐら』夜道を歩いていた下駄常に斬りかかると見せた浪人。彼は「切ったのは日向屋の半兵衛」と言い残して去る。そして実際にその商人は同じ頃何者かに一刀のもと斬り殺されていた。
『深川あぶら堀』マメゾーとカッパが宗十郎頭巾の武士から一人一両で斬られた振りをしてくれ、と頼まれる。その通り実行した二人だったが、翌朝材木問屋の番頭の死体が川から上がる。
『地獄ばやし』神田明神のお祭りの日、民造という男が大工の鉄が刺されて死んでいるのを見つける。ところが他の人間を連れて現場に向かうと倒れていたのは踊りの師匠宅に養女に入っている女性だった。
『ねぼけ先生』下駄常がセンセーに八辻ヶ原に女砂絵師が出たと注進。その女性、かなりの腕前の持ち主だった。センセーが長屋に戻るとセンセー思いの面々が彼女を勝手に捉えて吊し上げていた。
『あばれ纏』町内が皆焼けるような大火事の中、竜神に守られているという女性が、燃えさかる火の中から軽い火傷だけで助けられた。ただ、その横には殺された男の死体が焼けており、彼が放火の下手人と思われた……以上、いつも通りの七編。

闇夜の暗さ、祭りの喧噪、物売りの声、小道を舞う埃
読めば読むほど、知れば知るほど「なめくじ長屋」シリーズは凄い。江戸を見てきたかのような描写が詰まっている。街の名前、生活様式、治安、階級意識、様々な職業、季節折々の風物詩、祭りなどのイベント、市井の人々の楽しみ、江戸期特有の文化……。その多種多様な知識を背景に書かれた江戸の街はあまりにも自然過ぎて、読者には一々引っかからないかもしれない。しかし、調べれば調べるほど知識の羅列になってしまう作家、ろくすっぽ調べないで一般読者程度の常識からさえ外れてしまうことを書いてしまう作家、そんな中、エンターテインメントの王道を保ちつつ、江戸文化をしっかり消化したこのシリーズはやっぱり凄すぎる。とにかく疑問があればとことん追求して止まない、都筑氏らしさが実は「なめくじ長屋」にもっとも色濃く現れている。
そう、そして江戸文化そのものだけでなく「捕り物さわぎ」という独自のエンターテインメントの部分も健在だ。本作では、次々と繰り出される奇妙不可思議な現象が、新本格のミステリよろしく次々と解き明かされていく『ぎやまん燈籠』、逆にサスペンスタッチを使って、センセーが巻き込まれる危難と、そこからの見事な脱出を描く『ねぼけ先生』の二作に強い印象が残った。そして、江戸女の強烈な情念と火事場の不思議さのミスマッチが面白い『あばれ纏』もそれらに次ぐ。
いやしかし、うん。センセーは格好いいねぇ、粋だねぇ。どうしても若かりし頃の都筑先生の分身に見えてしまう。

角川文庫版では、都筑氏の姪っ子夫婦による裏話&写真で解説が構成されており、身内から見た先生の日常が微笑ましく描かれている。また不鮮明ながら今作で取り上げられた江戸の各所も白黒写真と共に掲載されている。光文社文庫版の入手の手軽さも良いが、この解説が加わる分、角川文庫を探す価値があるように思う。


99/07/25
山田風太郎「江戸忍法帖」(角川文庫'75)

甲賀忍法帖』『軍艦忍法帖』に続く風太郎忍法帖の第三長編。'59年から翌年にかけ『漫画サンデー』誌に連載された作品。

徳川五代将軍綱吉の時代。側用人として権勢を振るっていた柳沢吉保の元に三人の男が現れ、前将軍家綱の遺児が生きている、と告げる。自らの寵妾に綱吉を交じらわせて出来た嫡子を我が子として育て、六代将軍の後見人の座を狙う吉保に取り、晴天の霹靂とも言うべき事態であった。吉保は配下の甲賀忍者より選り抜きの「甲賀七忍」に命じ、その遺児、葵悠太郎の抹殺を命じる。悠太郎に付き従っていた三人の猛者も、甲賀忍者にかかると手も足も出ず惨殺されるのだが、もとより世に出ようという意志のない悠太郎は「さいずち長屋」に住んだまま平然としている。しかし執拗に悠太郎を付け狙う魔の手は、悠太郎と仲の良い長屋の獅子舞の姉弟にも襲いかかる。まだ十にも満たない弟の丹吉が忍者の一人の凶刃に倒れるや、悠太郎は「甲賀七忍」に対し、猛烈な復讐戦を開始。背後に柳沢吉保がいるとみるや、彼の娘の鮎姫を拉致して忍者に対抗する。

強烈な忍法戦、淡い慕情。忍法帖のオーソドックス
まずは忍者。風太郎忍法帖らしく七人の忍者がそれぞれ奇妙かつ凄絶、そして強力な技を使う。登場忍者がどんな忍法を見せるのか、が忍法帖の魅力の一つなので、ここでは敢えて触れない。彼らに相対する主人公、悠太郎はあくまで正統派の実力派剣士。まず、両者の戦いの変遷が魅力の一
単なる戦いだけに留まらず、獅子舞踊りの姉弟の姉、お縫、吉保の娘でじゃじゃ馬の鮎姫、甲賀忍者の総帥の孫娘、お志乃と三人の女性に想いを寄せられ、元が純情なだけに大いに悩みを深くする。爽やかかつ悲劇的な恋物語が魅力の二
そして柳沢吉保という天下の実力者(そして歴史上の大人物)を敵に回した一個人、悠太郎の運命やいかに。実際の史実の裏側を覗く虚々実々の駆け引き、これが魅力の三
まず上記のポイントが全てきちんと押さえられているために、本作は忍法帖の中でもかなりオーソドックスな作りの作品であると言える。ただ、受け取り方によってはこれも弱点。悲哀、残酷、正義、愛憎、狂気、何かの感情や表現が突き抜けているが故に感じる「麻薬」的魅力には少々欠ける感。本作ではそれぞれが読み物の常識の範囲内で表現されており、トータル一つの物語として魅力的である。それでも、ひと味スパイスが足りない気がする、というのは風太郎マニアの贅沢だろうか。

忍法帖の中でも、富士見文庫、講談社ノベルススペシャル、講談社文庫(現役)と次々と復刻され、入手しやすい作品の一つ。初期代表作に相応しく当たりの良い、バランスの取れた作品。特にまだ忍法帖をほとんど読まれたことの無い方に特にオススメ。


99/07/24
土屋隆夫「赤の組曲」(角川文庫'78)

土屋隆夫の五作目の長編にあたり、'66年の9月より『オール讀物』誌に連載された作品。土屋氏のシリーズ探偵役、千種検事ものでは『影の告発』に次ぎ二作目。『針の誘い』へと続く。

東京地検の千種検事の元へ、少し前に知り合いの結婚式で偶然再会した大学時代の旧友から相談を受ける。その友人、出版社の部長を勤める坂口という男の妻が三日前から失踪して行方が知れないという。坂口は愛息を昨年悪質な轢き逃げで失っており、その頃から妻は錯乱状態にあり、過去にも一晩外を彷徨ったきり戻らなかったこともあったらしい。失踪当日、荷物を届けに日中阪口宅い訪れていた少年からの通報により、彼女の元に謎の男性が訪れていたらしいことが発覚。更に銀行から彼女は旅行代金として三十万円もの金を引き出していた。自宅の捜索の結果、彼女の部屋から血によって三つの丸印が描かれたテーブルクロスが発見される。一方、信州の鄙びた温泉宿に彼女らしき人物が宿泊するが、その女は弟を迎えに駅に行く、と言い残したまま姿を消してしまう。その部屋には赤いネグリジェが残されていた。

トリックを積み上げる小説手法と共に紡ぎ出す叙情に注目
解説(武蔵野次郎氏)が言うには土屋作品には「文学性」「ユーモア」「技巧が凝らされている」という。発行年代のせいもあろうが「ユーモア」という点はちょっと同意できない。ただ、読後に残される土屋作品独特の余韻からは間違いなく、ロマンティシズムを孕んだ文学性を感じる。
指紋であるとか、遺留品であるとか、ちょっとした関係者の言葉から、着々と犯人のトリックや、関係者の錯覚を突き崩し、千草&野本は真相へと迫っていく。一つ一つは大きくなくとも、トリックを積み上げることで「大きな事件」を構成しているところは、さすがに緻密さを感じさせる。その土屋氏のコントロールにより、事件は最初Who done it ? が、途中から Why done it ?へ、そして最終的にはアリバイ崩しへと「物語の謎」は進行につれ、刻一刻と変化していく。そんな中次々と発見される、赤で統一された手掛かり。それらの中から立ち上ってくる登場人物(特に犯人の!)思い。動機が判明するきっかけこそ現代では子供でも知っているようなヒントがきっかけだが、その単純さ故に煩悶したであろう犯人の苦しみ。善良で向上心が強い少年を襲う悲劇と、彼を取り巻く人達の言いようのない哀しみ。色々な感情が渦巻き、カモフラージュされながらもその一つ一つが実は強く激しい。こつこつと、積み上げられたトリックを解き明かしていく千草検事&野本刑事の、泥臭いながらも颯爽とした姿よりも、事件によって苦しめられる犯人、被害者の存在の方が、読了後は大きく心に残る。本編のラストを飾るような真っ赤な夕焼け。その美しさとその下で祈りを捧げる登場人物の無念さが、寂寥感を掻き立てる。

トータルとしての完成度、バランスは、土屋長編の中ではそれほど高くないかもしれない(もっと凄い作品もあるから)。その分、詩情、ロマンといった要素が色濃く浮き出ている。確かに本格推理小説でありながら、それ以外の要素も多分に含んだ作品。光文社文庫版もあり、そちらの入手が容易。


99/07/23
栗本 薫「絃の聖域(上下)」(講談社文庫'82)

伝奇、SF、ミステリ、一般、時代小説とほとんど全てのジャンルを網羅していると思われる栗本薫(中島梓)さんの代表的推理作品の一つで第二回吉川英治文学新人賞受賞作。伊集院大介シリーズで乱歩賞を受賞した'78年、『幻影城』誌に翌年まで連載された作品。

人間国宝の長唄の家元であり、その世界に多大な影響力を持つ安東喜左衛門の邸内で一人の女弟子が刺殺される事件が発生した。喜左衛門は妻と別れ妾と同居。またその婿養子の喜之介は妻の八重との仲は冷え切っており、彼もまた妾の友子を邸内に囲っていた。八重には多恵子、由紀夫という二人の子供がおり、友子も智という息子がいたが、由紀夫と智は同性愛の関係にあった。雑事一切を取り仕切る横田や、八重の愛人弥之介などが絡んで、複雑な愛憎模様が安東家を覆っており、夫婦や親子が互いに相手を犯人では、と名指しする異常な状況下にあった。ところが、状況から家の人間にしか犯人が存在しないにも関わらず、その殺された女弟子に殺人の動機を抱く者はいない。警察が捜査に行き詰まりつつある中、由紀夫の塾講師である伊集院大介が安東邸を訪れ、事件はこのままでは終わらない、連続殺人に発展するだろう、と予言する。

現世と切り離された「芸の道」の小宇宙を描く本格ミステリ
通読後、横溝正史を想起した。複雑に愛憎もつれ合う人間、家族関係。大きな柵となって登場人物の上にのしかかる「家」という概念。事件の渦中に調査のために現場を離れてしまう探偵役。警察を含め関係者の前で最後の絵解きが始まる場面。そして事件の中心にいるのは妖艶な魅力を持つ美しい人妻。ただそういった「一般的な金田一耕助モノ」を踏み台にして、少なくとも本作では、もう一段更なる高みを目指そうとした意図が垣間見える。その意気や良し。
そして徒に複雑な人間関係を描いているように見せながら、更にその裏、闇の部分に潜む人間関係が後半に至ると見えてくる。発生する事件そのものはシンプルながら、動機やアリバイがはっきりしないまま、クライマックスとなる安東流の大発表会「大ざらえ」の日が近づいてくる…この緊迫感も堪らない。ダイイングメッセージや、密室の謎を多少安易に持ち込んでいる感も受けたが、壮大な闇に包まれた動機群、そして登場人物を操る三味線の糸が、どのように、そして何故、繋がっていたかを知らされるラストからは、強い衝撃を受ける。最終章で掻き鳴らされる三味線の音、活字なのにそれが心に響いてくるような激しい余韻を残して物語は閉じられる。
妙な言い方をすると、この事件は「どうしようもないもの」が原因で発生している。恐らくこの「どうしようもないもの」は今回の事件が幕切れを迎えても、安東家に限らず、何十年か後に再びどこかで事件を発生させるかもしれない。「どうしようもないもの」があまりにも途轍もない存在で、人間個人の力でどうにかなるものでないだけに、悲劇的、悪魔的なこの事件も終結した時に人間の業という哀しさを感じるのだろう。

「どうしようもないもの」については本書を読んで下さい。人気作家ゆえに本作も版を重ねられている現役本。他の分野でも高い人気を誇る栗本さんの初期作品でありながら、この段階で既に独特のリーダビリティの高さは獲得されている。気軽に手に取れる、質の高い作品。


99/07/22
森 雅裕「サーキット・メモリー」(角川ノベルズ'86)

角川ノベルズ書き下ろしの第四作目にあたる長編。私家版としてマニア垂涎の作品であった『いつまでも折りにふれて』が遂に商業出版された現在、文庫化されていない本書が森雅裕収集のキキメに躍り出た感。

日本のトップ二輪レーシングチームに所属する保柳弓彦。芸能界で人気急上昇中のトップアイドル、梨羽五月香とは異母兄妹であり、二人の父親は日本で最大の二輪の会社である梨羽技研の社長梨羽善三であった。そんなある時、五月香は出席したパーティでマスコミ界を牛耳る経済界の重鎮、板妻徳太郎と会見、彼女か弓彦どちらかが、彼の血を引いているという証拠がある、と伝えられる。徳太郎の孫にあたるのが、弓彦のレーシングチームで同僚にあたる男、板妻圭介。そして圭介は五月香に結婚の申し込みをしていた。チームメイトの西寺に「二十年前の秘密について見せたいものがある、十六ミリの映写機を準備して欲しい」と弓彦は告げられる。しかし所用を済ませて自宅に戻った弓彦は、その西寺が自宅内部で殺害されているのを発見する。

控え目ながらもやっぱり森雅節。ミステリ&バイクレース
本作、「オートバイミステリ」などと唄われているがちょっと違うように思う。というのは、その二つが繋がっているところが最後に明かされる過去の事件における、ある一点だけ(強いて言えば、登場人物がバイクに関係あるが)なのだ。私の受けた印象では「まずバイクレースありき」それを書くために「ミステリーの要素」を入れたという風に映ってしまった。恐らく読者の方で「バイクとミステリは別物」割り切った方が、この作品、面白いように思うんだけど。
登場人物は少な目。ただ、その中で人間関係の謎を作った結果、その少ない登場人物の関係が、横溝正史ばりの複雑な家系になっている。主人公弓彦か、従姉妹の五月香、ただでさえ異母兄妹であるのに、更に父親が実は違う……(他人じゃん)ミステリー的には彼らの一種の自分探しが中心となる。
ただ主人公がオートレーサーである関係で、バイクに関する記述がどうしても多い。そして蘊蓄含めて、やたらが詳しい。ファンにとってはこのあたりが「森雅節」。そして相変わらず、というかこの頃から、というか登場人物らの「皮肉っぽいクセのある会話」ももちろん健在。ただ少し「あれ?」と思うのは主人公の性格が他の作品に比べ、あまり攻撃的ではないように感じられること。とはいえ偏屈であることには変わりない。これも「森雅節」。あと、従姉妹の五月香がやたらいい女。これも「森雅節」。つまり森雅裕ファンが喜ぶ三点の要素は完全に作品中に揃っている。
そして、全ての謎が解かれた後に、自分のフィールドのバイクレースで無謀な戦いを繰り広げる主人公の姿は、エピソード的には蛇足に近くとも、やっぱり感激してしまう。

ヒロインの名前、梨羽五月香は『感傷戦士』『漂泊戦士』の主人公とも同姓同名だが、別人。本作が文庫化されない経緯もその辺りにあるのかもしれない。『The Isle Of Man Story マン島物語』を想起させる二輪レースの迫真の駆け引き、そして森雅ミステリー。普通の人の目に触れることはないかもしれないが、森雅裕ファンにはやはり押さえて欲しい一冊。


99/07/21
高木彬光「誘拐」(角川文庫'73)

旧『宝石』誌上に'61年から連載された作品。執筆開始までアイデアが揃わず、江戸川乱歩に励まされ執筆に臨んだという。角川版の当時の解説で夏樹静子さんが「斬新」「スマート」を連発しているが、優秀な「誘拐物」が次々と現れた現在において、その評価をそのまま当てはめることは出来ない。「誘拐ミステリ」の嚆矢としての味わい、練り込まれた構成を愉しみたい。

「彼」は木村事件と呼ばれる誘拐殺人事件の裁判を傍聴しに通っていた。幼児を身代金目的で誘拐、警察を目撃して怯え、子供を殺害の上長期間逃げ回って逮捕された容疑者、木村繁房。優秀な歯医者でありながら、女性関係のもつれから借金を背負った挙げ句犯行に至り、しかも子供を殺害した彼は死刑を免れまい、という噂であった。そんな木村を見て「他山の石」とすべく冷静に観察を続ける「彼」。「彼」もまた誘拐事件を起こすべく計画を練っていた。しかもその計画はありとあらゆる方向から見て完璧でなくてはならない。非常に高い確率の蓋然性、更に万が一失敗した場合の収拾策。全てが揃った時、「彼」は誘拐を敢行する。標的にされたのは目黒区駒場に住む金融業者、井上雷蔵の息子、節夫。井上宅には『子供はさらった。命が惜しかったら三千万円、千円札で準備しておけ』と電話が入る。

誘拐という危険な知能犯罪をリアルに、そして意外に
本作で扱われる「木村事件」は刊行当時有名だった現実の誘拐事件「本山事件」を下敷きにしているという。全内容の四分の一を占める公判の描写は、冒頭こそ多少退屈な感があるも、実際の犯行を辿る場面では、容疑者の混乱した心の動きやその結果としての不可解な行動などが浮かび上がり、なかなか興味深い。そして、その公判を傍聴し、計画を練る「彼」の存在。物語は「木村事件」の具体像を読者に提示した後から「彼」の誘拐事件へと続く。「木村事件」の失敗を教訓として、完璧な犯罪を試みる犯人の姿。そして発生する事件。しかも捜査側、被害者側の視点で事件が描写されるために、実際に「彼」がどのような行動を取ったのかは、終盤に至るまで読者には分からない。
彬光らしい丁寧かつ重厚な描写と、じっくり描かれた人物像。逆の意味で驚きを覚える身代金授受の方法。特にこの部分が「誘拐物」のアイデアのメイン、と思って読むと肩透かしを喰らう。この犯人の意外な大胆さが、ラストの驚愕の事件の構図に繋がっていくのだが、最後の最後まで「彼」の意図をきちんと隠蔽する辺り、彬光は読者のコントロールが上手い。
探偵役がちょっと唐突に登場しすぎ、その推理、方法にかなりの強引さを覚えるものの、「彼」の誘拐事件の構図の意外性がその不自然さを上回っており、好奇心としては満足。特に前半部の公判場面が積極的に物語に影響を与えている点を高く評価したい。

ベテランミステリファンならとにかく、本作が初めて読む「誘拐物」という方はほとんどおられないのではないだろうか。岡嶋二人なり、他の作家の作品なり最近の「誘拐物」は、軽妙な味わいで処理された作品が多いように感じられるが、本作はその悲惨さまでもきちんと浮き彫りにした、重厚な一作。少なくとも先行する作品に対する記念碑的存在である点はひしひし、と感じられる。