MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/08/10
森 博嗣「そして二人だけになった」(新潮社'99)

新潮社ミステリー倶楽部に向けて特別に書き下ろされた森博嗣初のハードカバー長編。(別に『森博嗣のミステリィ工作室』があるけれど、一種ガイド本なので)

盲目の天才物理学者、勅使河原潤。財閥の御曹司で政治家としての影響力を持つ彼が主導そて、A海峡を跨ぐ「アンカレイジ」という巨大な橋が架けられた。その吊り橋を支える基点となるコンクリートブロックの内部には様々な観測装置を備えたシェルタが極秘裏に建設されていた。勅使河原、その美人アシスタントの森島由佳、科学者、医者など六人の男女が、バカンスを兼ねた実験のため、そのシェルターの内部で過ごすことになった。ところが何者かによってコンピュータルームの一部が破壊され、シェルタはロックされて、内部から外へ出ることが出来なくなってしまった。脱出の手段を検討する中、殺人事件が発生した。被害者は何故か木とモルタルで出来た二つのボールを手の中に握り締めていた。残った五人の中に殺人者が?警戒の中、嘲笑うかのように殺人が発生、生き残ったのは勅使河原と由佳の二人だけになってしまう。

現代の密室テーマと不可能犯罪の融合。大がかりなミステリィ
隔離されたシェルター。もちろん密室。そして内部の人間が一人ずつ殺される。『そして誰もいなくなった』パターン。残された二人のどちらかが犯人と思われるのだが、その二人が章毎に交互で一人称で物語を語っているだけに、トリックが果たしてどこにあるのか、という興味は尽きない。緊迫したサスペンスと、事件の論理がともに十二分に味わえ、一気に読み進められる。作品全体のトリックは綾辻行人氏の某作品との類似を感じたものの、更にどんでん返しを加えて作品そのものの読了感を曖昧なものに持ち込んでいる。このあたり、今までの森作品で見られなかった実験性を感じた。
森博嗣が自らのイメージ、感覚、考え方を作品として素直に表現した時、どうも世間一般(定義は曖昧だけど)のイメージ、感覚、考え方とギャップが生じてしまう。感情を廃した論理、人間性を無視した行動、直感の異常な冴え。別に悪いことではない。ただ、馴染みにくい。そのギャップを橋渡しするアイテムとして森氏が選んだのは、頻繁に登場する「天才たち」。天才なら人と違う行動を取ってもおかしくない。極論を喚こうとも、人間性が欠如していようとも、そして神の視点で世界を俯瞰していても許される。世間一般の人々とはそもそも異なる存在なのだから。
初期森博嗣作品を形容するためよく使用されていた言葉に「理系」という形容詞がある。これも「天才」の行動を文系人間が「理解したつもり」になるためのキーワードだろう。逆に言えば、この天才達による現世との一種の隔離感覚そのものが、森作品の最大の魅力なのだろう。ミステリとしての骨格が多少弱くとも揺るぎ無い人気を誇っているのは、その感覚が支持されているからに違いない。

2,000円とちょっとサイフにきついお値段だが、犀川&萌絵のシリーズなどで森作品に触れている人間なら、ノンシリーズと言えどもとっつき安い内容。好きな方なら、やはり押さえたい。


99/08/09
戸板康二「小説・江戸歌舞伎秘話」(講談社文庫'77)

歌舞伎評論家で、雅楽シリーズで知られる小説家、戸板康二。彼が『別冊小説現代』に'72年から'76年まで四年間にわたって連載したミステリ作品。文庫版の解説は小泉喜美子。

呉服屋に奉公に来たお糸は、女主人の元を訪れる歌舞伎役者がいることを口外するな、と言い含められる。その役者、女形の菊次は実力があるものの華がない。ある役を得た菊次に呉服屋は、とびきりの衣装を与えることにする。その衣装のおかげで菊次の評判は鰻登り。いつの間にか菊次に惹かれていたお糸は、呉服屋が秘蔵しているその衣装を着てみたくてたまらなくなる。あるお店でその衣装纏っていたところ、酔った女性に絡まれる。そして名主の滝にその振り袖が浮かび大騒ぎに。『振袖と刃物』
など、江戸時代を舞台に歌舞伎に携わる人々と市井の人々とを描いた作品群。『座頭の襦袢』『美しい前髪』『種と仕掛』『幼馴染』『お七の紋』『女形と胡弓』『夕立と浪人』『ふしぎな旅籠』『鉄の串』『お染の衣装』『稲荷の霊験』『ところてん』『女形の大見得』全部で十四編の短編。

後にも先にも戸板康二にしか書けない、空想演劇史ミステリ
本作、歌舞伎ミステリーである。だけど、雅楽もので見られる「歌舞伎の世界の事件」がテーマでなく「歌舞伎の世界そのもの」をミステリーに仕上げてしまった恐るべき作品である。
長い歌舞伎の歴史の中で、ある時期から変化した芸、いつからか始まった独特の演出、今までに無かった興趣を持つ台本。例えば「車引で登場する三人兄弟のうち松王丸だけ白い襦袢なのは何故か?」「白浪五人男で万引きと疑わせて実は違うシーンが出来たのはなぜか?」「鶴屋南北の出世作で二役早変わりがあるが、どういう発想からか?」などなど、一般人は疑問に思わないような、「歌舞伎内部」からのエピソードを取り上げる。そこから想像を膨らませて、その裏にはこのような出来事があったのではないだろうか、と戸板氏が、実在の人物に空想の人物を掛け合わせ、更に歴史的エピソードや当時の歌舞伎事情を関わらせて作りあげた極上のフィクション。
読み終わると確かに、上の発想で作られたのだろう、ということは分かる。特筆すべきは、読んでいる最中は、あくまで江戸時代を舞台にした普通の時代ミステリ仕立ての物語といった趣きとしか感じさせないこと。それぞれのエピソードのきっかけとなるのは、許されぬ愛、親子や肉親への情愛、嫉妬、憎悪など人間の持つ根元的感情であり、その結果ミステリアスな事件が発生するも、解決も取り立てて凄い、という程でもない。もっとも驚かされるのは、その結末が実際の歌舞伎の謎にいつの間にやら繋がっていることだ。
もちろん(私もそう)歌舞伎に詳しくない人間が読んでも理解できるように書かれているので、その点、安心。

歌舞伎の持つ不思議な魅力と戸板氏の洒落っ気と遊び心が奇妙にマッチして不思議なミステリの体裁となっている。雅楽ものを初めとする推理小説らしい推理小説だけが戸板ワールドでないことをひしひしと感じた。雅楽シリーズをご存じの方にこそ「知ってもらいたい」意味でお勧め。


99/08/08
泡坂妻夫「砂のアラベスク」(文春文庫'93)

『影桔梗』にて直木賞を受賞した直後に出た短編集。オリジナルは'90年文藝春秋社より発行された単行本。'87年から'90年にかけ、いくつかの雑誌に掲載された作品を収録。

モロッコに行方不明の友人を訪ねる片島は機内で知り合ったエレーヌという白人女性に強く惹かれる。現地到着後すぐ、彼はつきまとう日本人ガイドに騙され、荷物のトランクを奪われる。友人の足跡を辿り、彷徨ううちに彼は異国で織りなされる様々な人間模様を知る。禁じられた恋に殉ずる男女のドラマ『砂のアラベスク』
奇術クラブのツアーでスペインに滞在する一行。その中に連れ合いを亡くして落ち込むアマチュアマジシャンの淵岡の姿があった。彼は同行する人妻、千秋に強く惹かれる。彼を誘う彼女。しかし誘いながらも彼女は彼を敬遠するなど、奇妙な行動を取る『ソンブラの愛』
デザイナー景子に心身とも捧げたアシスタント、順がNYに向かうことになった。景子は自分の恋人が順と浮気していることを感じ取る『夜の人形』
幼い頃から商店街の商売敵同士の息子、娘として仄かに惹かれながら別々の道を歩んだ片瀬と真波。彼らの息子はそれぞれ高校の野球部に所属、甲子園を賭けて地区予選で激突した『裸の真波』
前二編が中編、後ろ二編が短編

大人の男女の禁じられ、秘められた恋をミステリアスに料理
凝った探偵趣味の小説とは別に、泡坂氏の手の内に入れているジャンル、大人の恋愛小説。連城三紀彦氏ほどちくちくちくちくと心に訴えてくる程、感情は横溢していないけれど、必ずミステリの風味を付けて盛り上げる泡坂流。どちらが上と比べられるものではない。本書の四つの中短編においても、全て重要なポイントになる部分で、微妙なそれでいて巧妙なトリックが読者を待ち構えている。ただ、トリックは、それが小説の主目的ではない。あくまで表現の主体は恋愛なのだ。「凄いな」と思わされたのは、そのトリックを物語内に組み込むことで、大人の男女の愛の形を効果的に浮かび上がらせていること。禁じられた愛、運命的な出会い、歪んだ愛情、仄かな想い。分別ある大人の豊かで精神的な恋愛に思わぬ方向から光を当てることで、その恋の美しさ、切なさ、純粋さが、より一層に輝く。
中編二編は泡坂氏には珍しく、海外を舞台にした作品で、流れてくる異国情緒も良い雰囲気を盛り上げている。特に『砂の…』はこの異国情緒が合わせてクセ者だったりするのだが。

良くも悪くもオトナ向け。(表現が、ではないですよ)トリックそのものは小さいが、そのトリックによって作られる泡坂的情緒溢れる世界を堪能したい一作。


99/08/07
鷹見緋沙子「闇からの狙撃者」(徳間文庫'81)

プロフィール不明の謎の女性覆面作家、鷹見緋沙子の五冊目。中編一作と短編が一つから成る。本作も含め、徳間文庫版は古書店で容易に入る。本作も恐らく著名作家の覆面作品であろうが、その詳細もまた、不明。(情報募集中)

『闇からの狙撃者』埼玉県の土地成金に二人組の強盗が押し入った。土地を売った代金、二億円の現金を首尾良くせしめた長身とずんぐりの二人組は逃走。しかし、二人は計画的に互いに素性を明かさないまま、この犯罪を実行、逃走経路では、予想通り計画的に仲間割れ。通報により警察が駆けつける中、長身がずんぐりをナイフで刺して逃走した。あっさり捕まるずんぐり、こと谷村だったが、相方の長身は必死の捜査にも関わらず姿を消した。六年の懲役を終えた谷村は、その長身を探し出し、現金を奪い返す計画を胸に出所する。
『覆面レクイエム』高級住宅地に住む富豪の女性が殺された。彼女はその邸宅を利用して売春組織を経営していたことが発覚、どうやらそのトラブルが元で殺されたらしい。彼女の所有する顧客ファイルには男女五百人近い名前があったが、事件後抜き去られているものがあった。

男女の欲望の深淵を覗くサスペンス
 『闇からの狙撃者』こちらは中編。
謎の呈示の仕方がミステリというよりは、サスペンスのそれ。犯人は誰?とか、犯行方法は?ということよりも、頁を捲る興味は「これからどのように展開するんだろう」という展開を追う方向でついつい進んでしまう。結局のところクライムストーリーだからか。とはいえ、その興味の引き方は巧い。冒頭の二億円強盗事件は、スリリングながらよくある展開。ただ仲間割れして逃げた男が、物語上の誰なのかは分からない。別に語られる、妻の浮気を黙認する代わりに相手の男を恐喝する鬼畜のような男のストーリーが存在し、相方を捜す谷村の行動と相まって、真犯人が誰なのかを巧くはぐらかしている。数少ないヒントから、推理を進めていく過程もなかなか良い感じ。(でもそこまでして関係者を消す必要が犯人に本当にあるのかは、ちょっと疑問だ)そしてラスト。作者はきちんと読者を裏切ってくれる。
 『覆面レクイエム』こちらは短編。
短編ながら中身の詰まった作品。主婦売春の組織を巡る男女の駆け引き。やけっぱちになった男女の心理状態から引き起こされる事件で、警察側の捜査及び推理が優秀。ラストには、やっぱりどんでん返し、しかしこれが無くとも余韻の残るミステリであるだろうに、ちょっとだけイメージを壊した気もする。

これで徳間文庫から出版された五冊は読了しましたが、文庫落ちしていない作品がトクマノベルスに数冊存在します。ただ、本書以降は「官能サスペンス」とジャンル分けされているようなので、チェックするかどうかは未定です。


99/08/06
海野十三「浮かぶ飛行島」(講談社少年倶楽部文庫'75)

戦前に大人気を誇った少年雑誌『少年倶楽部』。この文庫シリーズはその中から『鞍馬天狗』『少年探偵団』など往年の名作や『のらくろ』など漫画を復刻した企画。勿論、現在では全て入手困難。本書はその『少年倶楽部』に'38年(昭和十三年)の一月から十二月にかけて連載された。

大英帝国が巨費を投じ、南シナ海の海上に建設中の飛行島。巨大な甲板と飛行設備を持ち、洋上の基地として使用されるという触れ込みだ。親善を深めるため、二隻の大日本帝国の練習艦隊の須磨、明石の両艦がその飛行島に訪れた。一個の街を擁するかのような飛行島で、乗組員は一時の安息を得、翌日、再び祖国日本へ向け出帆した。ところが点呼を取ったところ、川上機関大尉の姿が見えない。しかも彼の部屋には彼の持つ服が全て存在しており、神隠しに合ったかのようだった。到着前に川上大尉と酒を酌み交わしていた親友の長谷部大尉は、引き返して捜索するよう求めるが、艦隊司令は頸を縦に振らない。騒動の中、川上に可愛がられていた杉田二等水兵は、艦隊から脱走、単身泳いで飛行島へ向かった。その頃、実は艦隊司令の密命を帯び、飛行島に潜入中の川上は、労働者の支那人に変装し、飛行島の秘密を探るべく、行動を開始していた。

愛国心に燃えた軍人による一大冒険謀略アクション…児童小説
単純に面白い小説である。子供向けだから、という訳でもなかろうが読んでいくうちに展開が読める読める。一人のスーパー軍人が、周囲が全て敵という危険な状況下であくまで勇敢に戦い、秘密を探り出し、謀略を凝らして、大英帝国の野望を阻止する……。筋立ては超単純と言ってもいいかもしれない。それが面白く感じられるのは「活劇」のお約束を踏んだ、一本筋の通った理想的な展開で物語が綴られるせいであろうか。川上機関大尉は変装の名人で、体力と根性は誰にも負けない。頭も良く、どんな状況でも諦めずに切り開いていく。本書の魅力は、あまりにも単純な「ヒーロー像」が具現化されているから、に尽きるからかもしれない。ところどころに外国人を揶揄するようなユーモアを交え、戦争の悲惨な部分もきちんと描き、そして「大和魂」に名を借りた犠牲的な精神がきっちり描かれる。戦前の理想小説。
もちろん、今読むと彼らの精神は理解は出来るものの共感出来るような考え方ではもちろん無いし、あまりの無条件の軍人礼賛には「やばさ」までを覚える。某国の少年たちは今でもこのような物語を読み続けているのかもしれない、と考えると少しだけ、背筋が寒くなる。

装幀が安野光雅、更に椛島勝一の挿画が雰囲気を盛り上げる。(椛島氏といえば我々の世代だとウォーターラインシリーズのプラモデルの表紙絵のイメージが強く、軍艦、軍用機描かせたらこの人!と個人的には。) 従軍の経験もある海野の戦意昂揚ジュヴナイル。果たして、彼はこれを楽しんで書いたのだろうか、苦しんで書いたのだろうか。少し気になる。


99/08/05
倉阪鬼一郎「田舎の事件」(幻冬舎'99)

今年に入り、驚異的なペースで新作を刊行している倉阪氏の書き下ろし「抱腹絶倒の新本格ミステリ連作短編集」。味わい的には「新変格ミステリ」(造語)といった印象を受けたのだが……。十三編のうち十編は幻の同人誌『幻想卵』が実は初出だという。

村一番の名家の息子が精神を患って帰郷、村中がその話題でもちきりに『村の奇想派』
ソバを極めた余所者の男が辺鄙な村で「ソバだけを味わわせる」店を開店『無上庵崩壊』
二つの学校出身者が対立する地方都市で起きた弁当屋の威信を賭けた戦い『恐怖の二重弁当』
売れない純文学作家が一計を案じ、推理小説で賞を取ったと偽ると思わぬ波紋が『郷土作家』
東海林大学に入学した若者は、ふとした冗談から「東大」に入ったことにされ大当惑『銀杏散る』
相撲界の歴史に存在しない村出身力士の銅像が橋の側には神々しく建立されている『亀旗山無敵』
歌上手で通してきた男がNHKのど自慢で鐘一つで敗退。そこから人生が狂い出す『頭のなかの鐘』
何もない村で環境問題をひたすら訴える最若年の村会議員は周りから煙たがられた『涙の太陽』
校正に関しては天才だが人付き合いの苦手な男は、年齢と共にその融通が利かなくなる『赤魔』
八百屋を改造してコンビニを開いて失敗。借金まみれで全てを失った男が取った行動『源天狗退散』
幹部二名、会員一名の田舎の右翼団体の中では実は日本転覆の謀略が練られていた『神州天誅会』
古書マニアの男が故郷で超濃密マニア向け古本屋を開店。密やかな愉しみに耽る『文麗堂盛衰記』
片田舎の俳人、権藤氏は大スランプに陥り、素人の俳句を審査するうちに遂に発狂『梅の小枝が』

恐怖と笑いは紙一重。倉阪鬼一郎の抱腹絶倒の変化球ミステリ
隠し玉『活字狂想曲』の倉阪氏ならではのとぼけた味短編作家の描く新本格ミステリ「田舎」の特殊性(閉鎖性、見栄、情報の遅れ、偏見、頑固……)の三つの要素が有機的に結びつけられた時、不思議な不思議なミステリが出来上がった。
これだけの数の作品がまとめられているので、括りつけて解釈するのは大変難しい。それでも無理矢理まとめると、「田舎出身の人物」が「見栄をはじめとするプレッシャー」に押し潰され、その状態を「維持または脱出」するために「奇矯な行動」を取るパターン。そして「田舎出身の人物」が「田舎故の理由」により「田舎的な行動」を取り「世間を騒がす」パターンの二種に大別される。(私の最大のお気に入りは『無上庵崩壊』でこれはパターンから外れるけれど)そして両者に共通するのはもちろん「強烈なお笑い」。さりげない行動、言動、とぼけた行動、言動、真面目な行動、言動、意地っ張りの行動、言動。本人が真剣で真面目であればある程、その落差は激しくなる。とにかく誰でもどこかでツボに嵌ることは確実な、爆弾のような文章。読んでいる間中、ワタシは口元にずっと笑みを貼り付けてしまい、周りを気持ち悪がらせた。確かに物語の構造的に多少似ている作品もあるが、それはそれで異なる笑いを付加している辺りを評価したい。そして見逃しやすいのだが、作品それぞれがあくまでテンポのある、軽い作りにも関わらず、主人公に訪れるのはかなり悲惨な結末であることに注目。この辺りの登場人物への残酷な突き離し方は、やはり倉阪氏が怪奇小説作家であることを思い出さされる。
更に突っ込んで考えると、この「笑い」の源泉は、鋭い人間批評精神と、観察眼にあるようにも感じる、なんて書くと誰かに笑われそうだけれど……。

断りとして書いておくが、本書は「都会出身者が田舎者を笑う」ような悪趣味な趣旨の本ではない。「田舎出身者が郷愁を感じ、でも噴き出しちゃう」本である。万人にお勧め出来る倉阪作品。ところで、かたやきは地元では「山本」と「中井」が有名だ、とのことです。


99/08/04
佐々木丸美「忘れな草」(講談社文庫'87)

元本は'78年に講談社から書き下ろし単行本として刊行されている。講談社文庫では二冊目。『雪の断章』の姉妹編にあたる(ネタバレあり)「会社シリーズ」の作品。

ほんの小さい頃から、葵は醜いアヒルの子。いつもみんなに嫌われ、いじめられた。一方同い年の弥生は、いつもおばさんから誉められる行儀の良い子。同じ孤児でありながら、こんなに差別されるのは、弥生の親が養育費をきちんと置いていったのに比べ、葵の親が「三日後引き取りに来る」と言ったきり戻ってこないため…。しかしてそんな二人の間にも、あまりにも近い間柄故の友情、愛情、憎悪が混じり合い、不思議な縁でがんじがらめに縛られた、離れられない存在として育った。そしてある日、彼女らは知らされる。彼女らのうちのいずれか一人が、大企業の継承権を持つ娘だということを。一旦離れた彼女らは、中学生になり一人の男性の元に二人共預けられる。その男性、高杉青年とお手伝いのトキ、そして葵と弥生の四人はそれぞれの思いを胸に一つ屋根の下に暮らす。

手紙、雪、深い愛、エゴ、人生そして友情
佐々木作品の独特のパターン。まずは改行の少ない女性主人公による一人称の独白。抽象的なものの譬え。幼少期の経験から語られ、中学生、高校生と物語と共に進み、変化していく彼女らの感性。一人のプリンスを他の女性と奪い合い、無器用さ故に、深く傷つき、自ら気付き、少しずつ成長していく。
もちろん本書もそのパターンを踏襲している。また『雪の断章』に比べると、「会社」を巡る他人の思惑の部分が大きな比重を占め、利害を含んだ色々な人間の干渉により、物語は大きく揺れる。一つ屋根の下で暮らす主人公の葵と、同い年の弥生。更に彼女らを庇護し、深い魅力を持つ青年とお手伝いという脇役的な存在でありながら、存在感たっぷりに描かれる女性。屋敷という名の座敷牢で半ば監視されながら成長する彼女らが、本音でぶつかり合い、互いを欺き合い、落ち込み深く傷つく。取りなしや成長によって一旦関係が落ち着いたとしても、再び外部の介入により揺り戻しが起き、揉め事は繰り返される。メインテーマは「愛」にあるように思わせながら、その二人の関係が実は底流にあることに徐々に気付かされる展開。第三者として見守る読者にとっても(登場人物にとっては尚更)辛い部分が物語の大部分を占めている。その辛さの大きさ故、ラストで発露する深い友情に、そしてその無器用さに、こちらまで哀しくなり、涙が出そうになる。そんな作品。

刑事事件は起きず「謎」はあくまで「彼女らの正体」に集約される。その点は広義のミステリーの範疇に含まれるか。しかし何よりも凄いのは広大なる佐々木ワールド。『雪の断章』は勿論「館三部作」ともリンクする登場人物と世界。主人公の内面世界が、相当な深さ広さを持つことが特徴でありながら、人間関係まで広く繋がる。リンクする部分を見つける楽しみもあることに漸く気付いた。


99/08/03
鮎川哲也「準急”ながら”」(角川文庫'79)

'66年に<ポケット文春>向けに書き下ろされた作品。現在だとこの角川文庫版を探すことになる。

過去に北海道で事故に遭った女性が、通りすがりの旅行者に命を救われた。去ってしまったこの女性がひょんなことから判明、新聞社の努力もあって十六年降りに再開した女性は海里昭子という活け花の先生であったが、何故かその美談が全国に出ることに抵抗を感じている様子だった。一方愛知県犬山市で土産物店を営む鈴木武造は、客をライバル店に取られ不機嫌だった。そんな折り、小田原のこけし業者という刑部という男が彼を訪ねてくる。刑部の持ち出した新商品のアイデアに心動かされる鈴木。ところがなかなか刑部からの連絡がなくいらいらしているところに漸く彼が再び現れる。そして翌朝鈴木武造は死体となって発見される。刑部に該当する男は小田原にやはり存在しなかったが、逆に鈴木武造は戸籍住所でぴんぴんしているという。一転、謎の人物となった土産物屋主人はどうやら海里昭子と連絡を取っていた形跡があるのだが、その海里も毒殺されていた。

題名さえもミスリーディング。鬼貫警部のアリバイ崩し
当時、東海道新幹線がようやく開通したばかり。それでも、現在のように新幹線の開通と同時に並行する特急、急行などが廃止されることはなかったようだ。大きく古く非効率の代名詞とまで言われた国営組織、国鉄、ならではだからだろう。もちろん今はない東海道線の準急”ながら”が本書の題名に掲げられている。そして鬼貫警部、と来れば真っ当な時刻表を使用したアリバイ崩し作品が想像されるはず。もしかすると鮎川氏はそこまで読者を見据えた上で本作の題名を付けたのではなかろうか。
というのも、本作、確かにアリバイ崩しがメイントリックとなっているのだが、そのポイントになるのは実は「写真」なのだ。証拠として提出された一連の写真に隠された謎。色々とプロにしか分からない方法が検討されながら、そのポイントとなる点は、きちんと伏線で語られているあたり、小憎い。序盤で不可思議な「犯人も謎なら被害者も謎」という事件を発生させ、更に中盤までは「犯人は誰か?」という一般捜査陣の地道な捜査活動が展開され、詰めの部分で鬼貫が登場し、犯人と目される人物のアリバイを崩し、ラストは……。完全なる鬼貫警部ものの王道の展開。鬼貫の詰めの部分が多少短く、燃焼不足の感もあるけれど、鮎川ファンなら楽しめるはず。

最近、着々と鮎川作品の復刻が進んでいるので、いつかは対象となるのではなかろうか。特にハルキ文庫あたり。書いたとおり鮎川作品の王道。但し、代表作として挙げられることの少ない渋めの作品。


99/08/02
小野不由美「図南(となん)の翼 十二国記」(講談社X文庫ホワイトハート'96)

オリエンタルファンタジーの名作、十二国記の五作目。現在('99年)における最新の作品にあたるが、十二国のうち恭国を扱う外伝的な内容。

恭国は王が亡くなり二十七年。妖魔は徐々に街を侵食し始め、国土は荒れ始めていた。首都連檣に裕福な商家の娘として暮らす珠晶は、不自由ない暮らしと高い教育を受けて育った。しかし学校の先生が妖魔に殺されたことで、官吏になる道は閉ざされてしまう。十二歳の彼女は日に日に荒んでいく国家を見て決心をする。「この国を統べるのは私かもしれない」彼女は登極し、王と認めてられる為に遠く蓬山を目指す。一人で騎獣と共に、家出同然で飛び出した珠晶は旅の途中で謎の青年、利広に助けられ、黄海ほとりの城塞都市、乾城に辿り着く。そこから蓬山に向かうには恐ろしい妖魔が棲む水のない海、黄海を通り抜けなければならない。乾城にて黄海に生きる猟尸師、頑丘と出会った珠晶は彼を全財産賭けて雇い、利広と三人で他の登極を目指す人々と共に黄海に踏み出す。貧しい者、富んだ者、少人数多人数、様々な集団が黄海を抜け、蓬山に登るべく進むのだが、妖魔に怯えながら荷物を抱えて道無き道を進むのは想像を遙かに超えた難事業だった。

異なる立場にいる人間は理解し合えないのか?身近なテーマを昇華させた不思議な作品
十二国記の外伝にあたり、一人の少女が王を目指して冒険をする物語。本編の主要人物もほとんど登場せず、世界が共通しているだけ。また、普通の子、恵まれない子の物語が多い十二国記の中で、逆に恵まれた環境にいる主人公が登場する。「恵まれている」故の逆差別を受ける彼女が経験するのは、黄海を横断する旅の中、金持ちにも貧乏人にも、人間であるということだけで「平等に襲ってくる妖魔の危険」。貧しい生活を強いられる人々、生まれながらに虐げられた人々と共に彼女が行動し、旅を通じて心を、そして考え方を成長させていくのがメインストーリー。元々頭が良く、勇気のある彼女が更に成長し、器を備えていく展開には好感。そしてまた彼女により「恵まれている」ということだけで色眼鏡を見て彼女を見ている人々迄もが、その考え方を改めていく。素直に面白い。
本作、色んな意味で「子供たち」を象徴しているように思う。現代でも、昔でもいい。子供は生まれた環境により、その育つ環境も様々。決してそれは自身が望み、努力した結果獲得した環境ではない。彼らを庇護する立場にある親の環境がそのまま子供に反映されているだけなのだが、なかなか当人にはそのことは理解しがたい。そんな彼らが互いを分かり合い、親しみ合い、慈しみ合い、尊敬し合うような関係になるには? 実際のターゲット読者層である子供たちが、そのことに自ら気付いていくためのヒントがこの物語にはあるように思う。

物語の後半にて明かされるいくつかの固有名詞で「ニヤリ」と出来るのが十二国記「外伝」の一つの面白さ。しかし本作は本作だけを仮に読んだとしても、読者は珠晶の強さ、弱さ共々に共感を覚えられるし、充分に楽しめるはず。あくまで王道に沿った物語展開ながら、読者を引き込む力は本当に強い。


99/08/01
京極夏彦「百鬼夜行――陰」(講談社ノベルス'99)

京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」のサイドストーリーを集めた短編集。『川赤子』のみ書き下ろしで他は全て『小説現代』誌に'95年〜'99年に発表された作品。かなり加筆修正されている。

第一夜『小袖の手』杉浦隆夫と柚木加奈子 着物の袖から出る手は頸を甘美に締め付ける
第二夜『文車妖妃』久遠寺涼子 小瓶の陰から引き出しの中から小さな女が私を監視する
第三夜『目目連』平野祐吉 極度の視線恐怖症に悩まされる男は部屋中に沢山の眼を見る
第四夜『鬼一口』鈴木敬太郎と薫紫亭主人 鬼とは一体なんなのか、角があれば鬼なのか
第五夜『煙々羅』箱根の消防団員、棚橋祐吉 消防団員になる動機はある火事と煙だった
第六夜『倩兮女』教師、山本純子 笑顔という表情が全く作れない急進的女性解放主義者
第七夜『火間虫入道』警部、岩川真司 河原で出会う少年は彼の本質を見抜いて指摘する
第八夜『襟立衣』円覚丹 祖父は霊験あらたかな教主であった。その源泉は眼のある袈裟
第九夜『毛倡妓』木下圀治 売春婦を嫌悪する彼は子供の頃、納屋の中の姉と遊んでいた
第十夜『川赤子』関口巽 妻の一言から鬱状態になった彼は川の中に不思議なものを見る

京極夏彦の「怪奇の血」溢れる優れた妖怪ホラー
このような分類をすると怒る方もおられようが、私は本作から京極夏彦の「怪奇の血」の匂いが感じた
『姑獲鳥の夏』を筆頭とする講談社ノベルスシリーズ(これまで「妖怪シリーズ」と呼ばれていたがどうやら「百鬼夜行シリーズ」が正解らしい)において描かれてきた様々な事件。事件の外観はあくまで幻想的、怪奇的。通常の論理では到底説明がつかないとような現象が陳列される。そしてこれまでのシリーズでは、その不可解現象と我々が信じている現実世界を結びつける(説明する)キーワードとして「妖怪」が使用されていた。ただ、最終的に京極堂によって解体されてしまった現象は、その根本に理路整然たる犯罪行為や確信的な人間による行為が必ず存在し、「壮大気宇なミステリ」として普通は読解され、高い評価を得ている。
そして一方、本作。既存の事件に登場する被害者、関係者、加害者など、脇役でも端役に近い人々が短編それぞれの主人公となって登場する。あくまでサイドストーリー。彼らが事件の発生する前に何をしていたのか、その生い立ちはどうだったのか、行動の裏付けとなる心理状態は何故発生したのか。彼らの心の奥底、もっとも人から隠したい部分までも、淡淡と京極夏彦は頁上に開帳する。彼らは、皆一様に「それぞれの弱み」を持っている。それはコンプレックスであったり、トラウマであったり、何かへの恐れであったり。そして、彼らは「妖怪」を見る。疚しい心、弱い心がそれを見せる、という考え方もあろうが、どうやら彼らは、揃って生まれついての幻視者のようにも思われる。彼らは「妖怪が見える」から「弱い」のではなく、「妖怪が見えてしまう」ことから理で割り切れる社会から、少しずつ逸脱し、更に心の傷を深めていくのだ。原因と結果が逆なのである。
一人称で描かれた物語上で、妖怪の存在は絶対、である。決して理に落ちないし、物語内で落とされることのない憑物。彼らに見える以上、妖怪は存在する。

『嗤う伊右衛門』で京極夏彦が初めて見せた幻想文学的手法。時期的にはそれ以前に執筆された作品も多いが、その方面に昇華した作品が本書である、と私は受け止めた。優れたミステリ作家としての肩書きを持つ京極夏彦は、実は幻想文学作家であり、紛れもないホラー作家でもあることを本書で証明している。但し、登場人物の関係上、本書は「妖怪シリーズ」を全作押さえてからの方が、意味は通じやすいか。