MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/08/31
土屋隆夫「影の告発」(角川文庫'77)

本作の後『赤の組曲』『針の誘い』と続く千草検事(&野元警部)シリーズの記念すべき第一作目。旧『宝石』に'62年に連載され、翌年第十六回の日本推理作家協会賞を受賞している。

ある春の日、客でごった返す東京のデパートのエレベーター。満員の乗客の中で「痛いじゃないか!」と男の声がする。客が雪崩れ出た後、一人残っていた中年の男は「あの女がいた……」と謎の言葉を残して息を引き取る。臀部からストリキーネを注射されての毒殺だった。たまたまそのデパートに来ていた千草検事は、捜査を担当する野元と共に事件に挑む。被害者は後に、私立高校の校長と判明。彼が身に付けていた一枚の写真と、現場には落ちていた一枚の名刺、そして死ぬ間際の謎の言葉、この三つが事件解明の手掛かり。この名刺を持っている可能性のある人物は五人。しかし彼らは事件当時のアリバイを持っていた。旅行に出ていたというテレビ作家、宇月が怪しいと睨んだ千草だったが、彼のアリバイは完璧であった。

さり気ない旅情、秘められた慕情、そして鉄壁のアリバイ
土屋隆夫の「トリック」へのこだわりは有名なことである。「トリック」を虚構に甘んじさせず、実行可能かどうか自らの手で実験を行った上で初めて作品に取り込むという徹底ぶり。(推理小説として必ずしも実験が必要とも思われないが、作家としての姿勢、そして出来上がった作品には土屋氏ならでは迫力が確かにある)本作はアリバイ崩しがメインの謎として存在する。その謎を補完するための数々の小道具(具体的には書かない)。これが多少時代がかってしまうのは致し方ないが、後の作品で形を変えて使用されているものもあり、その先取り精神には頭が下がる。
そして、これほど「トリック」にこだわる作家の作品が、なぜにこんなに文学的な薫りをさせているのだろう。作中、十四に分かれた章それぞれの冒頭に、一人の少女を描いた幻想的な物語が部分的に綴られている。一見目を奪われるが、香気はそこからだけではない。引用される藤村の詩、その時代を抉る鋭い目。それに、登場する舞台舞台を叙情的に取り上げる手腕。文中の上野駅と東京駅の比較など、秀逸に過ぎる。こういった細かい気配りが随所に見られた上で、ミステリとしての興味は決して外していない。巧い。

アリバイトリックながら時刻表など登場しない。戦争の傷跡など重厚な部分もまた時代。雰囲気全部とミステリ興味、どちらも楽しめる逸品だろう。


99/08/30
吉村達也「ふたご」(角川ホラー文庫'96)

吉村氏が角川ホラー文庫向けに書き下ろした四作目。吉村作品は『初恋』『先生』といった題名と内容とのギャップが興味を喚起するのか、ホラー文庫内での売れ行きはかなり良いらしい。

二枚目俳優の安達真児は、モデル出身の美貌の妻、唯季を殺害する計画を立てる。資産家の娘に目を付けた彼は、結婚して三年目の妻の存在が邪魔になったのだ。浮浪者に家を襲わせ、唯季を襲わせた上、現金を強奪させる計画で、その時刻彼は遠く広島のロケ地に行っているという寸法だ。首尾良く妻は殺され、更に犯人の浮浪者も人知れず殺害して計画は達成したものの、安達は急に訪れた良心の呵責に耐え難くなる。そんな折り、唯季の父親から呼び出され、唯季には彼女にそっくりなふたごの妹が存在していると聞かされる。子供の頃から彼女らはそっくり同じで、両親でさえも二人の区別がつかなかった。母親は時々二人が入れ替わっていたりしたことを知って精神を患い、自殺同様の死を迎えていたという。安達はアルバムで見せられた唯季の写真が、その双子の妹、ユリの写真だと知り愕然。そして父親は、安達にユリと一緒になってくれないか、と持ち掛けてくる。

心理ホラーと科学ホラーの吉村的融合
題名から想像のつく通り、ふたごを扱ったホラーであろう、という想像を元に読み始める。中盤まではある程度の予想の付く展開。ところが主人公の旧友の学者が出てくるあたりから、物語の雰囲気が徐々に変わってくる。序盤は、殺人者でありながら後悔故に自ら恐怖に落ち込んでいく主人公が描かれているのが、その恐怖そのものに対して科学的に(文中で絵空事と言いながら)分析され、その余りにも突飛な科学的妄想から喚起される恐怖に変わっていく。主人公の壊れ方、ヒロインの不気味さなど、ストーリーの展開がテレビ的に切り替えられ、最も効果の高い視点から、読者は登場人物と体験を共有する。
「絶対的同一的な特徴を持つふたご」について、仮説とはいえかなり詳しく深く論じられている。これは意地悪く言えば『パライヴ』系の科学ホラーの流行に乗ろうとした、との見方も出来る。ただ吉村達也の描く人間は、俳優、モデル、ソムリエ、マネージャー、金持ち娘と一般世界と余り縁のない世界人でありながら、その性情が妙にリアルで読者に「こういう奴、いるいる」と思わせるテクニックは高い。そもすると浮きがちな科学的論証が、彼ら吉村世界の住人たちによってそれなりのまとまりを見せている。

落としどころからして、コアなホラーマニアには物足りないのではという懸念こそあるものの「怖い話が好き」というレベルの方なら、通常の小説以上に楽しめるはず。事実、吉村ファンからはこの作品、受けが良い。


99/08/29
西東 登「蟻の木の下で」(講談社文庫'76)

'64年、第十回の江戸川乱歩賞受賞作。氏にとり本作が最初の推理小説でそれまでは海洋小説などを執筆していたという。小動物や小鳥、魚などを小道具に使うのが巧い作家とされている。

井の頭公園の熊の檻の前で、鉤爪状の傷で絶息している男が発見される。何故だか男は裸足で側に新興宗教正聖会の会員であることを示すバッジが落ちていた。そしてその檻には簡単に近づけない構造になっていたこと、雨で証拠が流されていること、男が酔っていた形跡があることなどから、事件の真相解明は難航した。被害者の戦友だったカメラ部品工場の社長の池見は、飲み屋でたまたま週刊誌の記者の鹿子二郎と知り合う。事件に興味を持った鹿子はアシスタントの宍倉麻子と共に正聖会を取材、そのバッジがその地区の支部長のものであると知る。一方、平凡な会社員阿木屋の元に一人のタイ人留学生が訪れる。彼は大戦中、阿木屋の上司であった鬼軍曹淵上に無理矢理犯され、殺された現地女性の弟だ、と名乗った。

今なお残る戦争の暗い影。謎の連続殺人に隠されたミッシングリンク
動物園での謎の死、新興宗教の権力抗争、戦争中に行われた昏い犯罪、陰湿なイジメなどなど、突っ込まれるイベントは盛り沢山。賞応募の作品ではアイデアを出来るだけ詰め込むのが基本だろうし、致し方ないか。ボリュームもそれ程なく、そこに内容を詰め込み過ぎれば、当然それぞれエピソードが中途半端になってしまう。本作もその点否定はしないが、トータルの印象としてはそれぞれが上手くまとめられた感じを受けた。
分析するに、それらのエピソードが過不足無く伏線として機能しているから、だと思われる。本作における伏線は、通常思い浮かべられるような「犯人の落とし物」「不自然な行動」などでない。それぞれのエピソードそのものにて張られている。つまり本作の伏線が大きすぎて、却って読者に見えないのだ。読後感に味わったトータルの味わいの良さは、伏線使いの上手さと大きな関係がありそうだ。
しかもそれぞれ、限られた容量の中で出来るだけじっくり描こうとした意図は伝わり、また、その一つ一つが興味深い内容なのだ。特に戦時中の回想場面からは「日本人が非道いことをアジア諸国に行ったこと」「日本軍部の腐敗」ことなど迫真のリアリティで描かれている。それにしても、表題となっている『蟻の木』これは怖い。
動機の使い方、解決など、読み終えて貰うと分かるが、横溝正史の影がちらほらする、と思ったのは私だけか?

現在、講談社文庫で再刊中の「乱歩賞全集」にも本作はもちろん収録されているので、急がれるならそちらで読んで頂ければ。そうでなくとも、初期乱歩賞作品は比較的古書店で巡り会うことも多い。


99/08/28
大下宇陀児「鐵の舌」(雄鶏社'47)

大下宇陀児の代表長編として挙げられる作品の一つ。雄鶏社の推理小説叢書の2。作品は何かの雑誌(調べてません)に'37年(昭和十二年)に連載されたもの。

三浪中で代議士の父親と優秀な弟を持つ真面目だけが取り柄の駄目な兄、下斗米悌一。密かに心を寄せている喫茶店レギイネの看板娘、芙佐子にも心を打ち明けられない。そんな折り、彼女に言い寄っていた友人の一人、村岡が自殺を図る。その遺書が悪友たちの元に届けられるが、彼は彼女から病気をうつされた、恥ずかしいので死ぬ、とある。悌一は心ならずも友人達と喫茶店に出向き、彼女に絶交を言い渡してしまう。春、漸く弟と共に試験に合格した悌一だが、父が破産し、家計は深刻な状況に陥ったことを知らされる。弟は人の援助で高等学校に進むことになったが、自らは学資がないため広告会社に就職、家計を助けることになる。幸いその会社の社長の綿貫氏から眼をかけられ、順調な昇進を遂げた悌一は、記念パーティの席でアドバルーンに飛ばされかけた綿貫の子供を救い、大きな信頼を得る。

一人の青年の挫折と成長、そして事件。男の中の男の物語
題名の「鉄の舌」という言葉にまず興味をそそられる。本作、紆余曲折を経て成長した悌一青年はある犯罪の嫌疑を掛けられ、かつその容疑者として拘留される。その際、自らの行動を恥じず怖れず、どんなに自白を強要されても頑として口をつぐむ。故に「鉄の舌」なのだ。
主人公、悌一が高等学校(現在の大学)受験する時分より会社員として或程度のキャリアを積むまでの期間を着々と大下氏は書き込んでいる。その間の家族関係、友人関係の変化、悌一の挫折、成長。まずは一人の人間の成長期を見ているかのよう。場面によっては読むのが辛くなるようなシーンも。そして一転して事件が発生し、悌一が無実の罪で捕まった後、探偵役として立ち上がるのは、非常に意外な人物なのだ。読者は悌一が犯人でないことを知っているので、興味は「真犯人は誰?」だけで適度な意外性はあるけれども、その背景説明のために、今まで悌一が関わってきた事柄が全て必要事項であったことに気付かされる時、より驚きを深めることになった。確かに探偵小説なのだろうが「普通の」探偵小説とは明らかに一線を画している感がある。
本書のあとがきで大下氏は旧来探偵小説の批判を行い、自分自身はリアリズムにロマンティックを加えたロマンティックリアリズムの作品を今後著していきたい、と決意を述べている。そしてこの年の年末から大下氏は後に第四回探偵作家クラブ賞を受賞する『石の下の記録』を旧「宝石」誌上に連載を開始する。本書で大下氏が模索したリアリズムが、かの作品に連なったであろうことは、想像に難くない。

私は本書を某書店で千五百円で購入しました。ちなみに定価は当時「二十圓」ですので七十五倍の古書価であります。他にも収録刊があるとは思うのですが、現時点で不明。アナタも巡り会うことがあれば。


99/08/27
式 貴士「ヘッド・ワイフ」(角川文庫'85)

'80年、'81年の二年の間に『問題小説』『小説推理』『小説CLUB』……などに掲載された作品を集めた、式貴士五冊目の短編集。文庫版にも名物「日本一長いあとがき」付き。(角川文庫の巻により「あとがき」が掲載されていないものがある)

家庭教師の教え子の少年に恋をし、彼の塑像創りに熱中する女性『マイ・アドニス』
ペニスから水を吸い込む特技を持つ男は、子供を玉袋で育てることに『ホーデン・ベイビー』
その指輪は狙った相手を異次元空間に引き込む。彼は女性修行をそこで『スペース・エロス』
神家、三代にわたる遺伝性の特技、自由自在に脱糞をコントロールする力『スカトロ・エレジー』
エイリアンを名乗る自意識過剰の娘が一人の男性に熱烈なラブレターを送る『エイリアン・ラブコール』
性的に興奮した時に身体に浮き上がる写真。特殊な乳剤を開発した男は恋人に『ホルモン・フィルム』
スワッピングに励む夫婦はメキシコ土産の蛇を砕いて服用。意外な副作用が『ソウル・スネイク』
全身の産毛が性感体の女性と、理想的な逸物を持つ男性が熱烈な結婚をし初夜を『アンタッチャブル』
不注意の事故で大怪我をした妻は首だけの姿で僕の帰りを待っている『ヘッド・ワイフ』

式式奇想の横溢。エロスと浪漫、哀愁とユーモアの共演
この作品集、良いようにも悪いようにも取れた。(ただ本作が最初に出会う式作品という人には良い点しか見えまい)
良い点。まずは「絶対に式貴士しか描けない世界」が完成されていること。ペニスが水を吸う、とか、性感入れ墨、とか、首だけの妻、とか奇想はやっぱり凄まじい。そこから徹底的にエロだろうが、グロだろうが、その奇想における最大効果を省略せずに全て書き込んでいる。式貴士の持つ圧倒的な迫力の原点はここにある。タブーだろうが禁忌だろうがお構いなし。とにかく徹底させること。本作、その点は充分に満足。
悪い点。その奇想に徐々に私が慣れてきたのか、展開が読めるように思われてしまったこと。奇想の内容と式氏の考え方に徐々に私が毒されているからかもしれないのだが。単に式氏の麻薬的魅力に嵌ったとも言う。
そして長いあとがき。本作だと71頁分。作品集全体の四分の一があとがきなのである。こんな作家は他にいないだろう。読者アンケートの返事を全ての作品について取り上げたり、自作解説を延々と行ったり。この辺りの生真面目さ、不思議なボケっぷりなど、垣間見える式氏の素顔と作品とのギャップはまた作品の不思議さを深めているように思う。

いずれにせよ、一旦読み出すと他の作品全てを読んでみたくなる不思議な魅力を式貴士は持っている。例えば、出版芸術社の『鉄輪の舞』などは現役で入手可能だし、とにかくこの毒と狂気には触れてしまうことが一番。


99/08/26
久生十蘭「魔都」(朝日文芸文庫'95)

久生十蘭の第三長編(十蘭名義の第二長編)『新青年』誌上に'37(昭和十二年)より翌年にかけ十三回にわたって連載された。ちなみに久生十蘭は第二十六回直木賞作家でもある。

昭和九年の大晦日。三流夕刊紙の記者である古市加十は同郷の笑子に執拗く誘われ彼女のバーに立ち寄る。店では成金や上流階級の子息らが乱痴気騒ぎを演じていたが。加十はただ一人悠然としていた紳士と意気投合、彼の愛人、松谷鶴子のアパートに転がり込む。しかしその紳士、宗方竜太郎と名乗ってはいたが実は亜細亜の安南国の王、宗龍王であった。そこで散々酔っ払った加十は辞去するが、出てすぐ上から鶴子が降ってきた。慌てて彼女を抱えて邸に戻る加十だったが鶴子は絶命。しかも宗龍王はいつの間にか失踪している。駆け付けた警察により加十は宗竜王と間違われ、帝国ホテルに連れ込まれる。一方、加十の勤める夕陽新聞の悪徳編集長は「日比谷公園の噴水の鶴が美しい歌を奏でる、瑞兆だ」と購読者確保の偽キャンペーンを打つ。警察により解散させられることを狙っていたのが、驚いたことに予告した時間に鶴は本当に歌を奏で出した。

大晦日の夜九時から一月二日の朝四時まで。三十一時間のノンストップスーパーストーリー
何故「魔都」なのか。
久生十蘭が語るのは、東京という大都会、行き交う人々は多けれど、実は互いと互いのことが何も分からない都市。道をすれ違う人間は、さっき人を殺してきたところかもしれない。電車で隣に座っている人間は、狂信者でテロリストかもしれない。新聞に出るほんの僅かな記事の裏側に、人間の悪意、煩悶、苦しみがどれだけ隠されているのか。戦前の大都会、東京はいろいろなモノを抱え込んだ、まさに魔都だったのだ。
久生氏は、徹底的に自己を文体から排除、メタ的視点で「魔都」を舞台に繰り広げられる事件を徹底的に描写する。時々作者は登場し嘴を挟むが、あくまで傍観者としての立場を貫き、作品内の登場人物が自らの欲望、自らの野望、自らの信念を持って行動しているかのように表現している。シナリオのない舞台劇、筋書きの読めない映画。あくまでフィクションにこだわりつつ、画面転換や、脇役にもこだわり、一つの事件とそれに纏わる人間模様を徹底的に描写する。そして、浮かび上がるのは事件人間それぞれよりも結局「魔都」そのものなのだ。
終わってみると、たった三十一時間。新聞に掲載される記事はたった数行。「元宝塚の女性がアパートの二階から飛び降りて自殺」さてさて、その裏側では……安南国の秘宝「ラジャー」を巡る争い、安南国王自身を巡る争い。借金や開発利権や愛情や憎しみ、誰かと誰かの利害がぶつかり合い、騙し、騙され、恋い恋われ、新聞記者、マダム、ごろつき、妾、ヤクザ、警察、スパイ、大臣、小娘、そして大臣ズ。二十四時間ぶっ通しで動き続ける。文章そのもの、構成そのものは十二分に飄逸の仮面を付けながら、底に沈む「魔都」はしっかりと物語全体を支配している。個別のエピソードを繋げながら、最終的にトータルの印象でそう思わせるところに久生十蘭の凄さがある。

この朝日文芸文庫版は大きな新刊書店にはまだ現役本であります。現代教養文庫版もありますが、入手困難。都市小説の先駆としても重要な位置づけ。文章の魔術師、不思議世界の創造者、こんなに西洋チックなのにとっても東洋テイスト、是非とも、久生十蘭の魅力を満喫して頂きたいものです。


99/08/25
山田風太郎「銀河忍法帖」(角川文庫'77)

本編は'67年から翌年にかけて「週刊文春」に連載されていた作品で、原題は『天の川を斬る』。忍法帖長編としては十九作目と、忍法帖の中では比較的近年に執筆されたものといえる。

豊臣家は未だ大坂城にありながら、関ヶ原で勝利を収めた徳川家に世の中が傾きつつある時代。家康の懐刀で経済、開発、治水などを重要な政策の実権を一手に握っていた一人の才人がいた。大久保石見守長安。西洋科学を信奉する彼は、政治のみならず戦車を作成するなど軍事開発にも力を入れていた。彼が佐渡の金山へ赴くにあたり、伊賀御庭番統領である服部半蔵は五人の忍者を護衛として推挽する。ところが長安は自分の五人の愛妾にそれぞれ短銃や硫酸瓶、伸縮自在のバネなどの武器を持たせ彼女らを護衛とするので、忍者は不要だと言う。激高する忍者も彼女らの武器に悉く敗れ、結局、合わせ十人の大量の護衛役を含めた行列が佐渡へと向かう。その途中、一人の美女が長安の眼に止まる。彼は若作りの秘法として生きた女体を酒に浸した強精剤を好んで使用しており、その材料に最適だと思ったのだ。捕らえようとする長安に対し、飛び出して彼女を救ったのが、江戸の暴れん坊で六文銭の鉄と名乗る無頼の者。彼は彼女、朱鷺を抱えていきなり走り去る。

超絶忍法合戦とユーモアが同居、魅力いっぱいの主人公
風太郎は忍法帖の執筆に最終的には倦んでしまったという。しかし、その執筆が中期に差し掛かったこの作品においてはまだなお、これだけの忍法及び武器を考案し、かっちり物語を創りあげる力を保持し続けていたことには、舌を巻かざるを得ない。針や合奏刀など超絶技術で技を操る伊賀の五人の忍者もさることながら、長安の妾として設定された五人の女性の持つ武器のアイデアがまた素晴らしい。媚薬の煙、硫酸入りの瓶、火炎筒…誰でも練習すればすぐに扱える「携帯武器」。これと忍者の技とを対比させたのは、逆にわざと「忍法帖」という世界の本質を自ら皮肉ったものなのか。
そして本書において絶対の魅力を放っているのが、相対する六文銭の鉄。隆々たる肉体と素早い身のこなし、そして巨大なる一物を持つこの男、粗野で惚れっぽく、色魔でいながら律儀。忍者を、妾を、次々に撃破しながらも謎の女性、朱鷺に全く頭が上がらない。愛らしさと男らしさを併せ持つ不思議なキャラクタ。
鉄&朱鷺の最終的な目標が見えないままに進む物語。で、ありながら真剣勝負の対決に彩られ、長安やその側近の妖しい魅力が跳梁して、引っ張られるように進んでいく。佐渡の金山の当時の雰囲気の再現など、歴史的な考証も苦労しているに違いないのに、さらりと書いてそうと見せないところにも注目したい。

本書も忍法帖としては非常に入手しやすい作品。別に角川文庫を探さずとも、講談社文庫、講談社ノベルススペシャルなど近年に立て続けに復刻されている。気軽に手にとって、六文銭の鉄の魅力に酔いしれて欲しい。


99/08/24
皆川博子「闇椿」(光文社文庫'98)

原作は『北の椿は死を歌う』という題名で`88年に同社カッパノベルスにて出版された作品だが、'98年、『死の泉』が吉川英治文学賞を受賞した記念として改めて文庫化されたらしい。

渋谷で画廊を経営する村上康雄は、同じビルの喫茶店で働いく斎原茜という女性と知り合い、絵の指導を行っているうちに強く惹かれ、結婚を決意する。茜は両親と義絶しているといい、結婚式当日まで康雄は彼女の両親と会うことが出来ないことに一抹の不安はあった。東京駅のステーションホテルでの結婚式当日、着替えを済ませた茜はウェディングドレス姿のまま、式の直前にホテルから失踪、初めて訪れていた茜の両親も、その失踪を見計らったかのように姿を消してしまう。心当たりを探し尽くした後、康雄は茜の実家の住所さえも知らないことに思い至り愕然とする。結局、康雄は、従姉妹で肉体関係のあった明子、ひょんなきっかけで知り合った「妹を探している」というルポライターの吉田万貴子らと共に、少ない手がかりの中から山形県の温海温泉に、茜の姿を求めて向かう。その地に「斎原茜」はいたが、彼女は地元を離れたことがなく、康雄の婚約していた「茜」とは別人だった。

うっすらとかかった靄を通して観るような美しい文章、人間真理と土俗風習との融合が生んだ悲劇
皆川作品には、独特のテンポが流れている(ように思う)。読者が急ごうと、登場人物が生き急ごうと、そのテンポは皆川さんにゆったりとコントロールされて、物語の進められ方そのものが独特の雰囲気を醸し出して作品全体を包んでいる。本作もその例に漏れない。
物語そのものは、式を挙げる直前に花嫁が失踪、その行方を追ううちに彼女が抱えていた事情が明らかになってくる、という「人間探し」のミステリー。主人公とその従姉妹が花嫁の痕跡を追って東北に旅するだけ、と言えば身も蓋もないが、その過程で出会う人々それぞれが根底に「複雑な人間心理」を持っている。隠されていたその心理が少しずつ暴かれ、白日の下に曝される過程。朧気に見えるようでいて、やはり肝心な部分の靄の濃い物語。この作品のリズムの中で徐々に浮き上がってくる「花嫁」の過去、そして心理。人間の根っこを見据えて哀しい部分、辛い部分が凝縮されたかのような「花嫁」の姿が浮かべば浮かぶだけ、いい知れない寂しさに胸が詰まる。

確かに「花嫁失踪」にはトリックもあるし、展開もミステリーのそれ、なのだけれども。個人的には一つの人生を辿った「小説」のように感じられた。本書は皆川ミステリーの中では比較的入手の容易な一冊でしょう。


99/08/23
牧野 修「ウイルス 紫の花(メリーコーク)」(アスペクトノベルス'97)

セガサターンの同名のゲームのノベライゼーション。牧野氏には以前に紹介した『デビルサマナー』や本書の他にもPSのホラーアドベンチャー『クロックタワー』をノベライズした作品もある。

地球上に住処を喪った人類。彼らは月や火星に移住して暮らしていたが、劣悪な環境という点では地球と似たりよったりであった。そんな彼らが暮らすのは電脳空間。人々は、自らの身体、精神のデータを電子化して「プロセシング・アライヴ」という電脳空間にて仕事をし、娯楽を得、生活を楽しんでいた。もちろん一定時間が過ぎれば「リアル・アライヴ」と名付けられた現実世界に彼らは戻ってくる。しかしその空間内部に電脳化された肉体を異形のモノに変質させる未知なるウイルスが発生、ネットに接続(ダイブ)した人間を次々と襲っていく。「プロセシング・アライブ」内部で変質した人間は、変化したデータ故、元の世界に戻ることも許されず、そのまま実体は脳死にさせられるのだ。電脳軍のエリート特殊部隊員として作戦行動に参加したサージは、ウイルスの襲撃を受けて隊が壊滅、彼一人が生き残る。彼は軍を辞め、「プロセシング・アライヴ」専任の捜査機関、STANDに入隊、ウイルスとの独自の戦いを開始する。

恐らくゲームそのままの臨場感、そして恐らくゲーム以上の興奮を具現
「恐らく」というのは私がゲームを未プレイだから。
ゲームのノベライズには、想像するに様々な制約が考えられる。「足すことは出来ても、引くことが出来ない」ことだ。即ち作家は、ゲームの内容にオリジナルのエピソードを本筋に影響しない程度に付け加えることは許されるものの、ゲームとして既に存在する骨格、主要登場人物、舞台背景、設定などモロモロについては「ゲームの魅力を余すところなく伝える」という使命のもと、確実に記述することを要求される。そして勿論ゲームをプレイしていない人間も読者として想定されていて、彼らを「その気」にさせるのもまた大きなポイントであろう。
本作、牧野氏は見事なまでに制約をクリアしている。かなり奇想天外な(しかしパソコンを触っている人間には理解可能な)世界をまずきちんと表現し、コマとなる人物を適宜配置、そして何よりも彼らにきちんと「息」を吹き込んでいる。ストーリーは恐らくゲームそのままであり、登場人物の配置を見ればおおよその進み方は判断できてしまう。(ああ、こいつはここでこうなったんだったら、後でああなるだろうな……)ある意味、アドベンチャーゲームのお約束の展開。それでいて、興味を失わせずに物語を引っ張って行っている点、大いに評価したい。ゲームをプレイしていなくとも、このゲームの凄さは十二分に分かる。
これはゲーム制作者への賛辞になるが、「人間の全データを取って電脳世界に送り込めば、その世界でのリアルな経験が味わえる」という発想、疑似世界を受動的に体験する世間で言うヴァーチャルリアリティとの逆転でありながら、それなりに現実理論の延長線にあって素直に世界を受け止めることが出来た。考えた人、エライ。

初期作品を先に押さえる読み方をしているため、牧野氏の出世作『屍の王』『偏執の芳香』などをまだ読んでいない。牧野氏の突き放したような、それでいてしっかりとした人物造形、そして独特の冷静さを持った舞台造形、この二点がどのように突き詰められて行くものか、楽しみ。


99/08/22
角田喜久雄「黄昏の悪魔」(春陽文庫'76)

長編『黄昏の悪魔』に短編『緑眼虫』を併録。『黄昏…』は'49年に発表された作品だが、手元の資料では『緑眼虫』はいつ頃の作品か不明。(力不足。どなたか御教示を)

『黄昏の悪魔』
満州から引き上げてきた美人女性、江原ユリは安ホテルに宿泊しながら新聞社からの就職合否通知を待ちわびていた。ところが謎の男が現れ、合格の通知を不合格のものへとすり替えてしまう。今まで就職しようにも、先回りして先方に彼女の悪口を触れ回る者がいて、果たせず、彼女にとり新聞社は最後の希望の綱だったのだ。絶望の余り首を縊ろうとする彼女を救ったのは、その謎の男。吉谷と名乗る男は再びホテルにユリを連れ込み、結婚届けの署名を強要する。事情が分からず怯えるユリに直接襲いかかる吉谷。その時、亡くなった両親が好んで歌っていた「黄昏のブルース」という曲が隣室から聞こえてくる。吉谷はなぜかその曲に酷く動揺、その隙にユリは手洗いへと逃げ込む。十数分後、戻ってきたユリの目の前には血塗れの吉谷の死体が。慌てて逃げ出すユリだったが、また別の男が彼女を捕捉すべく現れる。
『緑眼虫』
周平の裏にある「おばけ屋」は長い間無人で、子供達の格好の遊び場だった。ところがある日、、両親のうわさ話から過去に誘拐殺人事件を犯した野尻仙蔵という男がその家の持ち主で、しかも逮捕のきっかけとなったのは両親の警察への密告だったという。報復に怯える両親だったが、彼が帰ってきてからというもの、両親の様子が少しずつおかしくなってくる。

稀代のストーリーテラー。謎を含んだまま怒濤のように展開する魅力溢れる探偵小説
長編の『黄昏…』にしろ短編の『緑眼虫』にしろ、物語全体の舞台となる東京の「怪奇な雰囲気」が抜群に素晴らしい。戦争の色を濃く残す東京。退廃的な雰囲気と進歩的な雰囲気が同居する東京。夜の闇はあくまでも深く、悪人が跳梁跋扈している東京。空気が澱みながらも、澄んだ夕焼けの美しい東京。空き地、バー、旧家、女中、自動車、カフェ、質屋、新と旧の混在している東京。我々の世代が絶対に経験したことのない時代、そしてそれでいて何か甘く切なく、不思議と懐かしい感情さえ沸き上がる不思議な街。
そして、その街を舞台に跳梁する「狂気」。これはまた角田探偵小説の重要なモチーフと言えそうだ。『黄昏…』では訳も分からずに、怪しい男たちに付きまとわれ、恐ろしい思いをするユリ。彼女が放り込まれるのは複数の人間が持つ「狂気」のまっただ中。『緑眼虫』の周平少年も、変節していく両親に恐怖を覚えつつ更に隣人の持つ「狂気」に怯える。角田氏の巧さとして、これらの「狂気」の正体が、物語が進んでもなかなか明かされず、そもそも物語を支える謎の一つとして描かれる点がある。そしてその「狂気」は背景の「怪奇な雰囲気」との絶妙のコンビネーションを成している。数々発生する不可解な事件。その裏に隠されている「狂気」。その正体が知りたいがために頁を捲る手ももどかしく……。これがまた探偵小説の醍醐味だろう。一気に読んだ。途中で止められなかった。

明かすと、私が本書を購入するのに支払った金額は千五百円。古書店で初めて見かけた瞬間に購入を何故か決めてしまっていた。今になって思うに「角田喜久雄の探偵小説」というだけで中身を見る前から「面白さのオーラ」が発されているのを感じ取れた、のかもしれない。


99/08/21
都筑道夫「狼は月に吠えるか」(文春文庫'87)

元本は'79年発行。ノンシリーズの現代の怪談集。絶版ですが、郊外型古書店を何軒か回れば容易に見つかります。

都市の狭間に発生する連続猟奇殺人事件。主人公は自宅で寝ていたに関わらず、その事件現場を知っている『狼は月に吠えるか』
路上で出会った見知らぬ男性がいきなり「なぜ僕の部屋を覗くんだ」と女性に怒りはじめる『鬼火いろのドレス』
酒場で「髑髏のペンダント」を付けた女性と懇ろになった男性五人が次々と殺人を犯す『髑髏のペンダント』
古ぼけた道具屋に転がっている曰くありげな燭台はその男を奇妙に引き付けた『人魚の燭台』
その女性はSEXする際に強烈なサイコキネシスが発生するため、男性との恋愛が不可能だった『池袋の女』
古ぼけた探偵事務所の老人所長は水晶玉を使用して依頼人の主人の浮気を調査する『古川私立探偵事務所』
死んだはずの寝たきりのオヤジが、自分が死んだことに気付かずにやたら旧友の元に出没する『スープがさめる』
男のアパートにいきなり「妻」と名乗る見知らぬ女性がテレビ局と共に押し掛けてきた『侵入者』
友人の妻に誘惑された男は、彼女の造ったブードゥーの呪い人形に針を突き刺す『殺人ゲーム』
新婚旅行に出た一人娘から「人を殺してしまった」というTELが入り、父親は大慌てで現場に『事後従犯』以上十編。

モダン・ホラーというより、あくまで「現代の怪談」か。奇妙な味わい
怪談でありホラーを前提としているものの、結末は合理的なものと宙吊りにさせらるもの、スーパーナチュラルながらオチのつくものと様々。しかし、怪談が成り立ちそうもない都会の隙間に落ちているほんの小さな妄想や、個人が心の底に隠し持つ狂気を引き出すのが都筑さんはホントに上手い。
特に本書に収録されている作品は総じて「奇妙で怪談的な雰囲気」といった共通点こそ持つものの、作品全体を取りまとめる明確なコンセプトは感じられない。それだからこそ、結末の予想がつかない、という楽しみ方が出来る。そしてまた特に上手いな、と思わされるのは物語の発端である「奇妙な現象」。知らない筈のことを知っていたり、死んだ筈の人間が生きているかのように行動したり、見知らぬ人間に奇妙な理由で声を掛けられたり……。推理短編や捕り物さわぎやショートショートなどと同じようなテクニックが使用されている。そしてまた、本作においても都筑氏の描く冒頭のシーンはどれもこれも極端に印象的だ。さわりだけでしっかり読者の心を捕まえた上で、結末に向けて必ずどこか別の世界に運び込んでしまう。都筑氏の手腕、凄いわ、ほんと。

パラレルワールドみたいな、お洒落で粋なオトナの為の「別の都会」がどこかに実は存在しているんじゃないか、という錯覚を気持ちよく読者に抱かせてくれる都筑ワールド。作品数を読めば読むほどはまりこむ、不思議な世界です。