MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/09/10
佐々木丸美「花嫁人形」(講談社文庫'87)

佐々木丸美の前期三部作『雪の断章』『忘れな草』に続く三作品目。北海道を舞台にした「会社」の勢力争いに巻き込まれている三人目の娘「昭菜」の物語。

北一商事代表取締役の父親、本岡は子煩悩で人望のある男。その妻は美しく従順な女性。そして四人の娘たちは何不自由なく育てられている。そんな中一人、五人目の娘にあたる昭菜(わたし)だけは異端だった。親、姉ら家族から完全に無視され、小学校にさえ通わせてもらえず、読み書きさえ取り上げられた。それは彼女が曰く付きの貰い子だったから。そんな家に「おじさん」にあたる高校生、壮嗣が居候することになり、姉たちは彼に夢中になる。特に熱を入れていたのは四女の織と、従姉妹にあたる奈津子。彼女らは二人とも壮嗣を自分のものにしようと互いに牽制し合う。昭菜は時折彼が寄せてくれる暖かい視線に戸惑いながらも、もちろんその輪に加わることは出来ない。しかし壮嗣も他の家族といる時は一緒になって昭菜を無視していた。本岡家の女性達が年頃を迎える時、様々な、そして激しい愛情がこの家を歪ませていく。

強烈すぎる愛のさまざまな形。北国に舞う愛の嵐、第三弾
ここまで佐々木作品を読んできて気付いた。本シリーズの三作が三作とも主人公は事情のもと辛い境遇にある「孤児」。そして彼女らは「ヒーロー」格への全身全霊を賭けた、すがりつくような「愛」に目覚め、自分の足で立つまでの成長の物語なのだ。周囲の登場人物や「不幸」の中身は少しずつ違うが、大筋は同じだと言ってしまっても良い。そんな中で『雪の断章』の飛鳥、『忘れな草』の葵、本作の昭菜、三人の少女の性格は一見同じように見えながら、計算された微妙な書き分けが施されている。余りにも酷い環境が、抗う術を持たない幼い彼女らを歪ませる。歪んだ目から眺めた世界は歪んで見えるし、逆に歪んだ世界が彼女らには正常に見えたりする。一人称の物語だけに、歪んでいるのが周囲なのか、自分なのか分からないまま、無器用に立ち回る彼女たち。何らかの衝撃や経験を元手に、歪んだ世界観を自らの手で立ち直らせる姿に、佐々木作品の感動は隠されている。とりわけ、本作の昭菜の違いは際立つ。というのも飛鳥、葵は肥大した「自我」「プライド」により、物事の見方を強烈に歪めているのに対し、昭菜の世界が歪んでいるのは、「全てを奪われていることからくる自信喪失」のせいだから。そんな彼女が中盤で行う「復讐」は、あくまで物事に干渉しないということでしか、世界と接することの出来ない彼女を象徴している。一方、登場する四姉妹+従姉妹の強烈に過ぎる愛情が対象とすれ違い、壊れ、そして更に巨きな「家」が崩壊していく様は、昭菜の生き方とは別に強烈に印象を残す。
シリーズ一つ一つはあくまで独立した物語でありながら、「会社」関係の人物は物語を選ばず、全ての作品で、噂に上ったり、姿をちらりと見せたり、人の口で人物像を語られたりと様々な部分で登場する。意図的に暈かされている部分もあるし、タイムテーブルが作品毎に微妙に異なるため、「会社」の物語の全貌は今一つ分からない。(まぁ、実際に社会人で働いているから「権力争い」なんてのは、現代では意味のないことだと思うし)ただ、そのおかげで作品世界全体の色調が統一されているのは事実で、あくまで「現実」を踏まえた「壮大なお伽話」として物語に浸ることが出来る。

「館シリーズ」とも根底で繋がっており、六作全て読んでも未だ私には「会社の争い」(というか禾田進介VS本岡剛造?)の全貌が見えてません。恐らく改めて六冊一気読みしないとダメかも。過去から現在に至るまで、高い人気を保ち続けており、絶版ながら文庫はよく見かけますが「見つけたら即買い」出来ればシリーズまとめて読みたい。


99/09/09
鮎川哲也「黒い白鳥」(角川文庫'83)

本書と『憎悪の化石』、二作を合わせて'60年に第13回探偵作家クラブ賞を受賞した作品。鬼貫警部&丹那刑事によるシリーズ作品。

組合の長期に渡る激しいストライキに揺れる東和紡績の社長、西ノ幡豪輔が、多忙の合間を縫っての銀座への外出の最中に行方不明となった。彼は列車の屋根に載せられ、遠く埼玉県久喜にて、射殺死体となって発見される。同じ日の早朝、上野駅近くの橋の上から多量の血痕が発見され、西ノ幡の自家用車もその近くで発見された。犯人と目されるのは、組合側の強硬派の二人と、西ノ幡が所属する新興宗教団体に所属する脅迫屋であった。社長の死体が載せられたと思われる列車が特定出来たことから、社長が殺害されたのは深夜十一時四十分頃と推察された。組合の二人にはアリバイが成立したが、もう脅迫屋の知多半平の行方はいぜん分からない。そんな折り、浜松駅より、寝台列車の乗客の一人が毒殺されたという報が入る。その男はポケットに付け髭を入れており、その顔は西ノ幡豪輔とまるでそっくりであった。

刑事ドラマものの原点?洗練と論理と冴えが心地よい
さすが探偵作家クラブ賞受賞作、と言ってしまうと誉めるにしろ、単純に過ぎるだろう。
しかし、場面展開といい、冒頭の謎の提示の仕方といい、様々に転換する視点といい、試行錯誤する捜査といい、そして勿論最終的に犯人と、捜査側との間にそびえるアリバイ崩しまで、鮎川本格のエッセンスが濃縮されて詰まっている。これは現代作品へ通じる「ミステリー」の原点の一つと言えるのではないだろうか。決して意識されている筈はないのに、映像化がこの段階で意識されていたのではないか、というような斬新な作りで物語が構成されている。ポイントとしては、やはり物語の盛り上げ方だろう。半分叙述のような形で被害者の行動を読者に見せておく。サイドストーリーを進める。被害者はいきなり死体となって登場する……。犯人が誰か、というのは中盤を過ぎてほぼ明らかになり、アリバイ崩しが立ちはだかるのは他の作品と同じだが、飛び回るように全国各地に移動する鬼貫&丹那、犯人の告白により暗い過去が明らかになる終盤、そして一種鮎川的ワンパターンながら決着をつける犯人。余韻に浸るため目を閉じれば、脳裏にテロップが流れていく……というのは冗談ながら、各地の印象的な情景が物語中に多いのも事実だ。巻末に時刻表が数ページにわたって掲載されているが、これはアリバイをリアルに実証するためのもので、時刻表そのものにトリックはない。どちらかというと随所に作者により挿入される図絵の方に大きなヒントが隠されているように感じる。
強硬な労働組合、国鉄など小道具こそ古いものの、ミステリとしての構造については三十年経過した今でも決して風化していない偉大な作品

例によって角川文庫版で読んだが、大書店で入手可能の双葉文庫「日本推理作家協会賞受賞作全集」が現在もっとも入手しやすいはず。黒い背表紙が目印って普通知ってるか。


99/09/08
宮部みゆき「理由」(朝日新聞社'98)

'98年度の「このミス」で3位を獲得するなど'98年度のミステリ界の話題を席巻した作品。朝日新聞の夕刊に'96年9月から翌年9月まで連載された作品+大幅加筆修正。ハードカバーながら少なくとも十刷以上版を重ねるベストセラー。

荒川区の工場跡地に建てられた超高級分譲マンションから一人の男性が墜落死した。そしてその二〇二五室から別に三人の男女の他殺死体が発見される。住民台帳などから、彼らはこの部屋の持ち主で住民であった小糸信治とその家族かと思われたが、死体との年齢構成に差異があり、全く別人たちが被害者であることが判明する。エレベーターの監視カメラには二十階から地上に降りる四十代の不審人物が記録されており、この人物、石田真澄が一家四人殺しの容疑者として手配された。ところが持ち主である小糸一家も事件の発生を聞いた直後に雲隠れしてしまい、このマンションの所有権を巡って複雑な権利争いが持ち上がっていたことが徐々に判明していく。

インタビュー形式で浮かび上がる「現代の家族」「現代の欲望」そして「現代の狂気」
マイナーな漫画を引き合いに出して恐縮だが、能條純一という漫画家が十年ほど前に著した『翔丸』という名作がある。カッターナイフを持ったカリスマ『翔丸』の凄さを描き出している手法が、本作とどうしてもダブって見えた。過去を振り返るインタビュー形式と三人称の叙述形式の融合、である。
本作、全ての事件が終結した後、ルポライターが事件の関係者から話を聞き、徐々にアウトラインをなぞりながら事件の全貌を浮かび上がらせる。その隙間は、彼らの取ったであろう行動を作者の手で再構成して埋めている。まず舞台となる建物のアウトラインが語られ、事件の模様を目撃者や隣人、管理人の口から語らせ、徐々に犯行の関係者の描写へと核心に迫っていく。この方式の新鮮さと共に、視点の巧さも光る。例えば放埒な経済観念を持った女性を描写するのに、女性本人のみならずその夫の姉を配置し、第三者的な視点も忘れないあたり、構成の巧さだろう。関係者それぞれにとり、事件の真実は決して共有できるものではない、ということを巧みに読者に伝えているな、と感じた。こういってはなんだが、事件そのものは多少一般経済に詳しい人間からするとそれほど意外なものではない。ただ「平成不況」や「現代の膨らんだ欲望」「バブルを知る人間の妙なプライド」などいくつもの社会的なテーマを内包しており、更にこれらのインタビュー(事件に関係ない部分)を付け足すことによって浮き上がってくる「家族」からのメッセージは読者の心に残るはずだ。
結局のところバブル期に「金」という亡霊に取りつかれた人々が作品内の「狂気」を一手に引き受けているのだけれど、その「狂気」も丁寧な構成の中で「狂気」として感じさせないところがまた凄い。

遅れて読んだが、話題作になるだけのことはある。ミステリというよりエンタテインメント作品の持つ「時代、世相を斬る」という役割を目一杯に背負った作品かと感じた。数年は文庫落ち(朝日文芸文庫?)はないでしょうから、新刊で買うか、図書館で。


99/09/07
小泉喜美子「血の季節」(文春文庫'86)

'81年に発売された小泉喜美子長編三部作の最後の一作。第一作『弁護側の証人』はシンデレラを、二作目『ダイナマイト円舞曲』は青ひげを、そして本作は吸血鬼をテーマにして描かれており、幻想文学サイドからも評価が高い。ちなみに、この文庫版の解説は戸板康二。そして戸板康二が講談社文庫で出版している作品解説には小泉喜美子が再三登場する。

昭和五十X年の早春のある日、青山墓地で幼女の惨殺死体が発見された。五歳の彼女は西洋人形を持って友人宅に遊びに行った後、行方が分からなくなっていたのだ。捜査担当の警部は犯人に対し言い知れない怒りを覚える。
一方、死刑囚が収監された独房には、弁護士の手によって送り込まれた精神病理学者が訪れていた。この、犯人と目される男は自分の話を最後まで聞いて欲しい、と弁護士に頼む。――四十年前、戦前の下町から山手に越してきた彼は、外国の公使館に住む同年代の白人の子供、フレドリッヒとルルベルという兄妹と知り合う。彼らは、言葉の違いをものともせず一緒になって遊び回るようになる。最初に館を訪れた日、少年は美しい彼らの母親の肖像画と、その部屋から出てきた充血した目を持つ黒ずくめの服装をした男に出会う。そして月日が経ち、無二の親友となった彼らの前に太平洋戦争という壁が立ちふさがる。

ミステリーでもゴシックホラーでも。両領域からでも深く楽しめる逸品
あまり指摘されないことかもしれない。しかし強く思った。小泉喜美子の文章は素直で綺麗で巧い。
「ドラキュラ」を扱った小説は枚挙にいとまがない。そしてこの作品もその一列に加わるわけだが、興味の対象となる「ドラキュラ」の扱いが(当時の)従来の小説とはひと味もふた味も違う。まず二つの物語が並列で描かれている点。一つは猟奇殺人の地道な犯人探しであり、もう一つは収監された、その事件の犯人の回想となっている。その回想が本作ではメインプロット部分。少年の目を通した戦前、戦中、戦後。反発と恐れ、期待と不安の入り交じった描写、これが何といっても秀逸。友達が出来ず鬱々としている少年。外国の公使館で友人を作る少年。仄かな恋心を抱く少年。成長して少しずつ悩みを抱える少年。大人っぽいながらもどこか子供臭い分別に縛られる少年……。もちろん小泉さんに「男の子」だった時期があるはずはないのに「ぼく」一人称で構築された物語と心情の表現が、あまりにも自然で滑らかなことに驚き。序盤に種を蒔いて、中盤以降に「ぼく」の体験は少しずつ回収され、そして現在と過去のいりまじる段階で、読者は混乱と漠然とした不安感に悩まされることになる。計算されているのだろうが、巧い。
そしてラスト。それぞれの事件、エピソードにおける「謎」はミステリ的にきちんと回収される。その反面、理に落ちない不思議な出来事は(最も重要なポイントで)残され、ホラー特有の不安感、恐怖感も兼ね備えている。そしてなによりも、全編から伝わる言いようのない哀愁感。戦争に対する一般人の無力、孤独な少年の心などメッセージ性も高い作品でありながら、夕暮れに向かって拡散し、そして再び降り積もっていくような読後感は、私をしっかりと包み込んでくれる。

読み終えてショックなのは小泉喜美子が遺した長編って私が今までに読んだ三作で全て、だということ。入手困難な短編集がずらりと存在するマニア泣かせ、それでいて病み付きになって離れがたい不思議な作家。翻訳にも才があり、美人。天は人に二物三物を与えている好例。


99/09/06
日影丈吉「内部の真実」(現代教養文庫'77)

'49年のデビューから第九回日本探偵作家クラブ賞を受賞する『狐の鶏』そして更にしばらくは短編ばかり発表していた日影氏が'59年に東都ミステリーに書き下ろしたごく初期の長編。

規律と頽廃の同居する戦時中の台湾。本島人の協力者、蘆田家の庭先で憲兵隊に所属する苫曹長が拳銃弾を受けて死亡、そばには名倉一等兵が頭を強く殴られ昏倒していた。蘆田家の娘、恒子を巡って酔った苫曹長が名倉一等兵に、決闘を申し込んだという。ところが落ちていた二挺の拳銃からは指紋が発見されなかった上、名倉の拳銃には弾が込められておらず、苫曹長の拳銃からは一発だけ発射した形跡があった。上司が不在で分遣隊の責任者代理であった小高軍曹による手記でこの状況は克明に描写されている。死体の発見者は蘆田家の養女、揺琴。現場の妙な状況から、第三の拳銃の存在が推定され、調査が進められたが、そうこうしているうちに名倉一等兵が犯行を自供をしてしまう。だが、調査を担当している大手大尉の部下、勝永伍長はこの自白や、事件の状況にいくつもの矛盾点を感じ取り、調査の継続を考える。彼は偶然、台湾の廟にて小高軍曹と出会い、彼が台湾文化に深い造詣を持っていることを知る。

文学の薫りは推理小説のために、ミステリの薫りは人の心の闇の為に。美しき文章の二重螺旋。
目眩を覚えるように……。美しい……。
現場の代理責任者、小高軍曹の手記の形式で描かれた日記。当初は淡淡と捜査の様子や、周りの状況を冷静に観察し、押さえた筆致で状況を的確に描写している。ところが物語が佳境に差し掛かると、小高の文章に少しずつ情動が描写されるようになり、彼自身の感情が込められるようになっていく。この場合、作者の使用するトリックはマニアならすぐ当たりが付くだろう。しかし日影丈吉はそのマニアの予想を嘲笑うかのように、次のステージを用意している。元の下級将校射殺は、ほんのちょっと不可解な部分があるだけの謎の小さな事件のように思えるが、それがどうして物語の進行と共に容疑者が二転三転していく。また少しずつ明かされていく新事実によって、事件の構図全体をもくるくると万華鏡のように変化し、その夢幻感はまた、堪らなく深く体中に染み入ってくる感。
さらに合間に描かれているというより、下敷きとして全編を覆っている、愛情と叙情が溢れる台湾という土地の描写。豊かな自然、土俗の宗教、異なる文化だけでなく、人々の複雑な性情まで噛み締めれば締めるほどに豊かに味わえる。最終的に哀しく寂しい結末と真相を読者は知ることになるのだが、その意外性よりも、不思議な、そして流れるように美しい筆致によって台湾という豊沃な大地を描き出した日影氏の筆力の方に強い印象が残るのではないか。もちろんミステリの構造として足りない部分があるということではない。ミステリを描くことで人間の心を、台湾を描くことでミステリそのものの構図を、両者を不可分に絶妙のバランスで成り立たせているのが、本作最大の特徴と言えよう。

本作は「読みたい!」と大騒ぎしたところ、葉山響さん@謎宮会より譲って頂けることになりました。大感謝です。日影丈吉の代表作として有名な割りに、この教養文庫版か、別冊幻影城の日影丈吉特集号くらいでしか読むことの出来ない幻の作品なのです。


99/09/05
藤本 泉「東京ゲリラ戦線」(ハヤカワ文庫JA'78)

この文庫の出る前年の'77年『時をきざむ潮』乱歩賞を受賞する藤本さんは、形容詞として必ず使われる土着的な伝奇ミステリを中心作品群に持つ。この作品はその流れ以前、デビュー二作目として三一書房から'68年に出版されたメッセージ性の強い作品。

米国帝国主義、資本家に対する労働者、学生の運動が激しく行われている七十年代初期。デモに参加したものの自分たちの無力さを嘆く三人の女子学生が、近所の立川基地の滑走路に向け、簡単な仕組みによるガソリン放火テロを行った。その一人、女子体育大学生の伊都子は、その実行途中で一人の男性に出会う。彼は彼女の行動を咎め立てしたりせず、自分たちの組織の仲間にならないか、と逆に持ち掛けてきた。彼女は彼を振り払い、彼女は下宿に戻る。彼女の住む街は立川、昭島、福生にまたがる「立横カスバ」と呼ばれる治安が著しく悪い一帯にある。そこは労働者や売春婦が安い家賃に惹かれて集まるドヤ街であり、バタヤ村であった。後日、人を傷つけないつもりで行ったテロが、事故を引き起こし米国の高級将校が亡くなったことを知り、動揺する三人。伊都子は、その時出会った彼が働く「ターザンスクール」というスポーツジムに行く。そこは学生・労働者運動を統率する秘密組織であった。

昔、日本人には溢れんばかりのエネルギーがあった。それはどこへ行ってしまったのだろう?
安保の自動延長に反対する闘争、東大安田講堂の紛争……三十年ばかり前、日本には壮絶なる学生運動が存在した。そのことは知識として知っている。しかしその前後に生まれた我々には、その経験は、ない。
本作は、その時代の学生運動、資本家との闘争に身を投げ込む人々の物語であり、一種の仮想戦記のような冒険小説である。筋道としては単純だ。一人の学生が、紆余曲折の後に「日本政府」との戦いに挑むまで、なのだから。ただ、その膨らまし方、考証、各々の戦いの緊張と迫力、計算された登場人物など、その肉付けの仕方が既に完成されている。余計な贅肉は出来るだけ省き、必要な筋肉はきちんと付け加える。そうして出来上がった物語は、時代性を色濃く反映した「当時の」近未来冒険小説としての体裁がきちんと整えられ、普通に読んでも充分に血沸き肉躍る快感を伴ったエンタテインメントとして読める。特に完全武装の自衛隊と、中途半端な武器しか持たないゲリラとの決戦シーンのド迫力と、その戦略のアイデアには、感心することしきり。「情報の重要性」にきちんと目を付けている点など、「先を見越して」描かれていたという評は納得出来る
感慨深いのは、現在の日本の作家には、この小説に登場する奇妙な現実味とエネルギッシュな感情を兼ね備えたキャラクタ造形は絶対に不可能であろう点。国民が総中流化してしまった日本人からは生まれ得ないような「感情の迸り」が作品から滲み出ているのだ。現在「テロ」は理由の如何を問わず許されない。しかし当時の風潮の下では「手段としての必要悪」として許されていただろう点で、価値観が百八十度変容してしまっているからかもしれない。「時代」を読んでいる気がした

これもかなり入手しにくいであろう作品。そもそも藤本泉はカルトな人気を誇っている割に、専門古書店にも出にくい反面、郊外型古書店にごろごろ転がっていたりする。これをオークションに出品してくれた溝口@書物の帝国さん、ありがとう!良い巡り会いでした。


99/09/04
逢坂 剛「百舌の叫ぶ夜」(集英社文庫'90)

'80年『暗殺者グラナダに死す』にてオール讀物推理小説新人賞を受賞、以後冒険小説分野で着実にキャリアを重ねる筆者は'87年に『カディスの赤い星』にて第96回の直木賞を受賞する。本作はその翌年に書き下ろされた。

新宿の街中で過激派集団によるものと思われる爆弾事件が発生、テロリストとして当局にマークされていた男と、公安警察所属の倉木警部の妻が犠牲者となった。一方、エセ右翼を隠れ蓑にした暴力団、豊明興業の暗殺業務を請け負っていたテロリスト、新谷和彦という男は、豊明興業の赤井らに能登半島の狐狼岬という崖から秘密を守るために突き落とされる。しかし、記憶を無くした新谷は奇蹟の生還を遂げ、自らを何者かということを確かめるために独自の行動で豊明興業の関係者に迫る。一方、事件当時新谷を尾行していた公安警察の女性刑事、明星や、爆弾事件の担当となった大杉警部補などが、上司に阻害されながらも独自の捜査を続ける倉木に加わり、それぞれに捜査を進めた結果、闇に隠れた大いなる陰謀が彼らに対して牙を剥き出す。

男の美学を纏った狂気、緊迫のサスペンスを纏った本格推理
逢坂剛=「冒険小説作家」というイメージが先行していたのだが、どっこい本作は彼本来のファンはもちろん、かなりハードな本格推理ファンをも満足させる強烈なプロットを内包したド級の作品であった。
まずは警察とヤクザの抗争?を描くシーンが凄い。登場人物の設定、配置が非常に巧みであり、それが物語の魅力の付加に成功している。主人公格の二人、新谷と倉木 はどちらも、正真正銘のダーティーヒーロー。彼らほどでもないが、脇役の大杉警部補もやっぱりダーティーヒーロー系だし、紅一点の明星刑事も正義一点張りのお嬢様ではない。男が惚れるような人物が大量に登場するのだ。そして彼らそれぞれはダーティさの裏に「狂気」を隠し持っているのだが、その「狂気」がなぜだか渋く、格好良く感じてしまう。対するヤクザたる豊明興業の面々の凶悪さもまた際だっているし、その黒幕の造形もちょっと平凡ながら期待を裏切らない。彼らを主人公として、巨悪をぶち倒すカタルシスだけでも普通の冒険サスペンスとして充分お釣りの来るエンタテインメントと成りうる。それなのに、更にプラスαまで用意されている。それが本格ミステリ的な作品構成
本格ミステリサイドから本作を読む際、注意したいのは「あとがきを最初に読まないこと」私はたまたま眼にしなかったが良かったものの、大きなヒントに言及されており、推理ファンならこれを読まない方が絶対に楽しめる。途中まで読んで作者の仕掛けに気付いたときの驚きは、上記のエンタテインメントの要素に加えてショックに近い。

これは本気に凄い作品。誰が読んでも楽しめるのではなかろうか。ちょっと派手めの暴力シーン、ばたばた出る死人が気にならなければ、万人にお勧めできる超絶エンタテインメント。


99/09/03
仁木悦子「みずほ荘殺人事件」(角川文庫'79)

仁木悦子の角川文庫では三冊目の作品集。表題作は'60年に旧「宝石」誌に、『最も高級なゲーム』は'78年に「幻影城」誌に発表されている。他の作品もその幅広い年代の間から収録された模様。

主人公の住むアパートでホステスが絞殺された。外部からの進入の形跡はなく、住人たちの誰かの仕業と見られたがアリバイが捜査を阻む『みずほ荘殺人事件』
一風変わった電気スタンドを古道具屋で見つけた。ところが遊びに来た母は、そのスタンドを不吉だと言い張る『死を呼ぶ灯』
元いたアパートに遊びに来ると親切にしてくれたおばさんが、大家殺しを自供して逮捕されたという。おかしい『肌さむい夏』
失踪人調査のテレビ番組に米屋の若者の写真が。しかし彼はその人物ではない、と否定する『あの人はいずのこ空に』
推理小説ファンが集まり犯人当てゲーム。ところがその推理が終わった後電気が消え、一人が倒れていた『最も高級なゲーム』
嫁にいびられたり家にいられない老人が公園の片隅で愚痴をこぼす。そこへ一人の不審な若者が現れて『老人連盟』以上六作品。

あくまで徹底的に本格にこだわる仁木さんの渋さが光る短編集
この『みずほ荘殺人事件』所収の作品群、あくまで私が今まで読み進んできた仁木悦子という作家の作品集の中ではもっとも「本格の薫り」を感じた。もちろん「日本のクリスティ」と呼ばれる仁木さんは自身の作品の中でバリエーションこそ多彩ながら、根っこではずっと「本格」にこだわっていることは理解している。ただ一般的に作品を俯瞰すると、その作風のバラエティ故に「優しさ」や「人間」といった仁木さんの優れた観察眼が特に前面に出てしまい、作品としての完成度とは別に、その論理で詰まれたようなプロットの凄さを感じにくかったのも事実である。その(僅かながらの)不満を一蹴するようなインパクト。特に事件現場の平面図が掲載されている『みずほ荘殺人事件』『肌さむい夏』、そして元々が犯人当ての探偵小説を元にしたメタなミステリ『最も高級なゲーム』(この題名も秀逸だ)この三作にはその「本格の薫り」が濃密に立ちこめている。読者の前に全て手がかりを与えて、なおもインパクトのある解決を突きつけ、読者に息を呑ませる。当たり前ながら、「本格」を標榜する推理作家の誰もが求める作品を、さらりと書き上げるあたり、驚きとともに改めて嬉しさを覚えた。

これももちろん、角川文庫版を探して頂くしかありません。古書価で500円、郊外型古書店なら見つけさえすれば半額以下で入手可能でしょう。仁木作品そのものは出版芸術社より仁木雄太郎悦子ものが二分冊で単行本が出ており、新刊書店でも購入可能です。


99/09/02
夢野久作「人間腸詰」(角川文庫'78)

角川文庫における夢野久作作品のうち八冊目にあたる。'34年(昭和九年)から'36年(昭和十一年)にわたって『ぷろふいる』や『改造』、そして『新青年』などに掲載された最晩年の作品群が収録されている。

米国の博覧会へ台湾から烏龍茶を売りに行った大工が巻き込まれる恐ろしい体験『人間腸詰』
妻と子を喪って生きていく教師は、子供の頃森の中で聞いていた幻聴を思い出す『木魂(すだま)』
その男はコレラとよく似た症状で倒れ、死んでしう。残された人々はパニック『無系統虎列刺(コレラ)』
材木屋の主人が何者かに頭を殴られ死亡。しかし、怪しい人間は彼の周りに一人もいない『近眼芸妓と迷宮事件』
立派な洋館に住む外国人女性が何者かに絞殺される。彼女には鮮やかな入れ墨が『S岬西洋婦人絞殺事件』
猟奇的な散文詩とその虫に訪れた意外な結末とは『髪切り虫』
雨の日の古本屋。物色する客に対して店主は以前に万引きされた聖書について語り出す『悪魔祈祷書』
ドイツ軍の野戦病院。軍医は上官に連れられて、ある共通点を持った傷を負った者と引き合わされる『戦場』以上七編。

夢野久作、最晩年期の猟奇と幻想と探偵趣味
執筆期が重ねられた短編集ながら、内容はそれぞれ幻想系、猟奇系、探偵小説系と異色な作品が集まった。どれからも雰囲気溢れる夢野臭がぷんぷんと漂っており、魅力が高い
今回初読だった作品中、個人的に印象が残ったのは表題作『腸詰地獄』。題名からだけでももの凄い興味が涌きませんか?そしてそれを裏切らない奇想天外な内容。当時当たり前のように日本の領土であった台湾から米国に向かった男が、ちょっと羽目を外したばかりに味わう恐怖。単に彼の恐怖のみならず、彼の戸惑い、孤独などが回想譚の形式で、冗談交じりにユーモア溢れる筆致で描かれている。その内容そのものと表現とのギャップが、徐々に追い詰められ、絶体絶命の「腸詰地獄」に追い込まれていく主人公の心情を際だたせている。更に、不気味な余韻を漂わせるエピローグでは、それまで押さえられていた読者の空想力が一気に広がるような仕掛けが込められている。髪の毛一つでこうも怖く出来るものだろうか。
刺青が重要な役割を果たす『S岬……』も当時の猟奇探偵小説的な趣に加え、一種の不可能犯罪が描かれており、さすが夢野、といった感。
それにしても本文庫版の解説者は真の夢野ファンではないのか解題の仕方が一面的に過ぎて、ちと気にくわない。

角川文庫版の夢野久作は基本的に『ドグラ・マグラ』『少女地獄』以外は結構な古書価がついている。教養文庫版の夢野は重版されているようでもあるので、今から入られる方はそちらからを強くお勧め。ワタシ的には角川完集まで後二冊。遠い。


99/09/01
竹本健治「タンブーラの人形使い パーミリオンのネコ2」(トクマノベルズミオ'88)

竹本健治によるSFのシリーズ、パーミリオンのネコ。大友克洋のチーフアシスタントで知られる末武康光と組んで漫画として連載される予定だったのが、予定誌が潰れてしまい小説化することとなったという異色作。シリーズの1のみ文庫化されているが、残りのシリーズ三作はノベルズ版のみ。

D級の凶悪犯罪者を狩る美貌の隻眼スナイパー、ネコとその相棒でコンピューターに強いずんぐりオヤジのノイズ。彼らは銀河系屈指のリゾート、タンブーラに来ていた。ノイズの気持ちも知らず、「男漁り」と称して出掛けてばかりのネコに愛想を尽かしたノイズは、中央図書館からデータバンクにアクセス、闇に包まれたネコの秘密を探ろうとする。しかし二重三重に巡らされた壁に加え、改竄が繰り返されたデータにその謎は深まるばかり。しかし図書館でノイズは美しい女性と知り合う。一方、タンブーラでは「人形」にされた女性と、保安隊との戦闘が人知れず、繰り返し行われていた。彼女らはテロを企てる一派に雇われた「人形使い」のドゥーガーに操られているという。しかし、保安隊が慎重にその形跡を消し去っていたため、人々はそのような事件が発生しているとは気付いていなかった。

戦慄、そして殺戮。計算し尽くされた危険なゲーム
竹本健治の初期推理小説作品に「ゲーム三部作」と呼ばれる作品群がある。牧場智久ものの嚆矢で「将棋」「囲碁」「トランプ」(別に「チェス」もあり)など、大人も嗜むゲームをテーマに描かれた作品である。
本書を読み終えた時に、そのことが頭に浮かんだ。ちょうど、この作品からも竹本健治のこだわる「ゲーム」の匂いが「ぷん」と立ち上ったかに思えたからだ。
前作から引き継がれる登場人物は主人公ネコと相棒のノイズの二人だけ。その割りにこの巻から登場する人物がかなりの人数に上る。兇悪、かつ姿の見えない犯罪者がネコを狙う。スナイパーたるネコはその人物、ドゥーガーを狙う。二人はタンブーラという惑星上で、丁丁発止の罠を仕掛け合う。この作品、相棒格のノイズも含め、アイデンティティをもって登場する全ての人物が、最終的に彼らの駒となるゲーム。クライマックスに向けてその傾向は高くなる。ネコとドゥーガーとは役者が違うとばかりに、駒たる人々は続々と舞台を下ろされる。盤に復することの出来ないボードゲームの様相。テンポも良い。シリーズものの常として最終的に勝利を収めるのはどちらか、ということだけは読者の予想の範囲内だが、このゲームは中途の筋書きが読めない分がエンタテインメント

竹本健治作品を収集する際「あっさり四巻揃い四百円で入手出来た」という人と「探しても探しても見つからない」という人が別れるシリーズ。ちなみに私は後者。ノベルズ版のみにある末次氏の挿し絵が格好いいです。