MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/09/20
山田風太郎「叛旗兵」(角川文庫'84)

『週刊サンケイ』に'74年から翌年にかけて連載された作品。既に風太郎はその時期、忍法帖の執筆を終えており、本作もジャンル的には時代物ということになるのだが……。

関ヶ原の役より十年。大坂に秀頼がいるものの、徳川体制は着々と布陣が固められていた。名門、上杉家に仕え、関ヶ原で敗れた上杉家の存続に尽力した賢臣、直江山城守の元へ徳川家より使者が送られる。養女でありながら、彼が目に入れても惜しくないほどに可愛がっている伽羅を、家康の懐刀、本多佐渡守の次男長五郎の婿に欲しいというのだ。十五年ほど行方不明とされていた長五郎の人物は不明、本人も常に深く頭巾を被っており、隠密として育てられたのではないか、との噂が立てられる程だ。もちろん、直江家を陰ひなたに支えてきた猛者、直江四天王も黙ってはいられない。そこで山城守は苦慮の末、一計を案じ、既に伽羅には婚約者がいる、と本多家に申し伝える。その婚約者は関ヶ原の猛将大谷刑部の忘れ形見で、宇喜多家の面々と共に八丈島に流されていた、大谷佐兵衛という男。しかしその男、ひょろひょろとどうにも頼りない。伽羅は、佐兵衛が男らしくなるまで夫として扱わないと宣言、その特訓の役目は直江四天王が承ることとなった。

風太郎時代物の奔放さと風太郎忍法帖のスペクタクルの合体
この作品、一般的に挙げられる忍法帖シリーズではない。どちらかというと風太郎の時代物とカウントされている。その区分がどこにあるのか実は私も認識がない。江戸時代初期に題材を取り、そこかしこに無名の忍者こそ登場すれ、主人公群と敵に名のある忍者が登場しないため、忍法帖として扱われないのか、ないしは風太郎本人が忍法帖と思って書いているか、否か、のどちらかだと想像する。しかし、この作品、四人の豪傑を中心に据えた登場人物配置、弱っちい主君を鍛える為に諸大名を脅かしてやろう、という発想、小次郎、武蔵ら傑物らとの味のある対決、そして一人の謎の人物を巡る全編にわたる大きなプロットなど、作品全体から発する匂いは、まさに「忍法帖」のそれと同じなのだ。
本作は同様に「時代物」らしく、歴史上の有名人が多数登場する。佐々木小次郎、宮本武蔵の両巨頭をはじめ、伊達政宗ら、江戸初期の名物大名の数々、そして上杉家の四天王の一画を占めるのが、あの「傾奇者」某漫画でも知られる前田慶次郎だったりと、まさに戦国有名人オールスター。彼らが風太郎の筆に乗せられ、紙幅一杯に、いや読者の心の中まではみ出さんばかりに活躍する様は、ストーリー抜きの、場面場面だけでも一見の価値があるくらい。史書の隙間を縦横無尽に使う風太郎マジックはここでも健在。
これだけの俳優、舞台を揃えてエンターテインメントに徹したようにみせかけ、その実ラストでは歴史の無為無情が滲み出るようになっていて、更に驚かされる。ここまで読者を陥れる色々な罠を、二重三重に張り巡らせられるのは、風太郎自身が言葉の忍法使いだから、だろう。

最近では廣済堂文庫の山田風太郎傑作大全のシリーズで読めるはず、なのだが、あのシリーズも本屋で見かけなくなりつつあるような……。早めに押さえた方が良いかもしれません。


99/09/19
北村 薫「盤上の敵」(講談社'99)

小説現代別冊『メフィスト』誌に'98年5月より翌年9月まで五回連載された作品に加筆修正を加えたもの。従来の北村節とはひと味違う、シリアスなタッチが話題を呼んだ。

元田舎で現在新興住宅地となっている地に店を構える花屋の主人が、友人に誘われ狩猟のために猟銃を入手したことが全ての始まりだった……。テレビ局のディレクター、末永純一が田舎の一軒家の自宅に近づいたところ、自宅の回りを警察が取り囲んでいた。猟銃を持った連続殺人犯が逃亡の際に彼の家に閉じ籠もっていたのだ。心から愛する妻、友貴子が人質となっている、と警察から知らされた末永は「白のキング」となって「白のクイーン」友貴子を「黒のキング」殺人犯から救い出すことを決意する。エキセントリックな性格の友貴子はこの状況に耐えられないかも知れない――、瞬間的に一計を案じた末永は警察の許可を取って現場を離れ、テレビ局の同僚に連絡を取り、あることを頼んだ。そして近所に住む幼なじみの夫婦のところである物を借り出し、再び車に乗って現場に戻った。

「あの」北村節による恐るべき緊迫感、怖ろしい悪意、そして驚くべき仕掛け
メフィストで中途まで読んでおり雰囲気は把握しているつもりだったが、単行本で改めて通読してこの「文章による破壊力」に改めて衝撃を受けた。殺人犯と対峙する主人公の行動を描いた章と、過去の経験によって壊れやすい心を持った女性の独白の章。交互にこれらが描写され、事件の進行と共に「白」のサイドに属する「二人の人間」が徐々に徐々に浮かび上がってくるという寸法。この辺りの人間の描き方、というのは今までの北村作品と実は本質的に違いはない。ほんの僅かな事象に印象的な暗喩、明喩を織り交ぜ、読者の心の中に場面場面の「絵」を描いていく。表現者たる者、誰もが心がけている筈だが、この「絵」に関して現代作家の中で北村氏が抜けた「筆力」を持っている。
そんな北村氏は色んな作品がありながら基本的には「幸せ」「悦び」を描いて来た。ところが同じ筆で今度は「不幸」「哀しさ」を描く。そのまま氏の「筆力」は絵を描く「絵筆」というより、心のカンバスを引き裂く「矢」となる。 読んでいるこちらの胸が、痛むほどそれは鋭い。――もちろん、確信犯だろう。特に自分が「北村薫」である、という点を強く意識して書かれたのではないか、と邪推してしまうくらい。
これらの表現、描写によるショックに隠れがちながら、「殺人犯人に自宅を乗っ取られ、妻を人質に取られている男」が取る行動の展開、テンポ、構成、それぞれ非常に巧みに作られている。相手の出方、味方の動きを計算している点は「チェス」に相応しい。どうすれば読者が一番驚くか、ということをよく知っている北村薫らしい作品とも言えるのだ。本作から得られる驚きは一つの本格ミステリとして充分以上のものがある。

「暖かい作風が好きで北村薫のファン」という人間には些かショックの強い作品。ただ、それをどう捉えようと、これも北村薫という作家の本来持っているべき一側面である、ということ。怖いばかりに目が行くが、ミステリとしてのしっかりした作りが何と言っても素晴らしく、読後感も決して悪くない。ファンなら避けずに通り抜けるべき作品である。


99/09/18
今邑 彩「少女Aの殺人」(角川ノベルス'95)

今邑彩の十一作目の作品にあたり、角川ノベルスに書き下ろされたもの。文庫化も近いか。

深夜放送の人気DJの新谷可奈は「F女学院の少女A」と名乗る少女の投書を読み上げた。『あいつは毎晩わたしのベッドにやってくるんです。このままではわたしはいつかあいつを殺してしまうかもしれません……』二人暮らし養父からの暴行に怯える少女からのものと思われた。F女学院と想像された芙蓉女学院に勤務する同級生、脇坂と連絡を取った可奈は、「少女A」と同じ境遇にある生徒が三人もその学校に在籍していることを知る。そして数日後、その中の一人の養父が自宅で刺し殺されているのが発見される。家の中は荒らされており、養女である娘は睡眠薬を飲まされて眠りこけていたという。単純な事件に見える事件の背後には複雑な人間関係が隠されていた。

くどいほど丁寧な謎解きミステリ
インターローグとして語られる、父親を殺害する養女の行動と心の動き。ゴシック体で通常の章に挟まれた文章が、嫌が応にも雰囲気を盛り上げる。そして、語られる事件。謎の投書、三人の養女と三人の父親、そして発生する殺人。とにかく序盤の掴みが巧く、ぐいぐいと物語が進んでいく。「父親による娘への暴行」というタブーが隠されていながらも、謎が謎のままで置いておかれるために不快感はあまりない。三人の養女の誰が「少女A」なのか?殺人を犯したのは誰なのか?芋蔓式に飛び出てくる複雑な人間関係の行き着く先は?冒頭にばらまかれた謎に興味が引かれる。
ただ、偶々私は事件の構図が、捜査の進む中盤で見えてしまった。実際、その回答は物語が後半に差し掛かった辺りで、読者に対しては開示される。ただ、ここからがちょっとくどい。事件の構図は読者にはとっくに見えており、謎はほとんど残っていないにも関わらず、その検証を登場人物が一生懸命に行い、後から犯人の動機とその後の心情について丁寧に丁寧に一つ一つ描いているのだ。手法を少し間違えたかな、といった印象を残念ながら感じてしまった。今邑彩の真骨頂はやはり短編にあるからか。

ただ、冒頭から中盤にかけてのスピーディな展開と「謎」そのものの構図を見せるまでの展開は手慣れている感。軽めのミステリーファンにはこちらの方が受けるのかもしれない。


99/09/17
森 博嗣「人形式モナリザ」(講談社ノベルス'99)

森博嗣の『黒猫の三角』に続く、新シリーズの二冊目。講談社ノベルスでは十四冊目にあたる書き下ろし作品。

夏休みを利用して蓼科高原の小さなペンションで住込のアルバイトをしている小鳥遊練無。彼に頼み込んで「無料の避暑」を愉しむべくそのペンション『美娯斗屋』にやって来た保呂草潤平、瀬在丸紅子、香具山紫子といった面々。ペンションの近くには美術館と、オーナーの親戚、岩崎家が経営する「人形の館」と呼ばれる博物館があった。美術館に早速訪れた保呂草と紫子。その美術館で所蔵していた一枚の絵が昨夜盗み出されたという。その絵の作者という男と知り合った紫子は、シュールレアリスムタッチのその絵に「モナリザ」が描かれていたことを看破する。一方、ペンション経営者と「人形の館」を訪れた紅子。乙女文楽という人形劇を観劇、そして館内の千体もの人形の中のどれかが、地元の江尻駿火という高名な彫刻家の遺作「モナリザ」であることを知らされる。翌日、改めて乙女文楽を見物していた彼らの前で、舞台上の女性が毒のため倒れる。彼女は「人間が人間を操る」という劇を演じている途中だった。続いて彼女を操るために舞台の上部に居た足の不自由な老女も刺殺死体として発見される。

複雑な謎も描写はシンプル淡淡。森ミステリィの一つの様式美
サービス精神が旺盛と言おうか。ページ数の少な目の長編の割りに提示される謎は盛り沢山。「衆人環視の中の不可能犯罪」「密室傷害事件」「遺作のモナリザの抱える謎」……などなど、謎一つ一つがなかなかに魅力的。もちろん全てに「綺麗な」解決がつけられているし、その筋道も整っており、伏線も(一部を除くと)フェア。また森氏の作品全般に言えるがメインの事件は「舞台の特殊性の高さ」を巧く利用している場合が多い。(天文台、研究所、手品、etc)本作でも演劇中の舞台の上という衆人環視の逆密室を、その構成に巧く利用している。挿入される一見無機質とも感じられる思想も一連の森氏作品らしいし、登場人物の良い意味での奇矯さもそう。なので、本作も他作品同様、完成された「森ミステリィ」の一環を成している。そして、徐々に明かされる主要登場人物たちの秘密、少しずつ発展する人間関係。大きなシリーズとしての要件も整っている。面白い。面白いのだが、何かが足りないようにも思える。
考えるに「森ミステリィ」の特徴であるシンプルさが、逆に足を引っ張っているのかな、と。良い意味での独創性が、捉えようによっては一人よがりの演出になっているというか。様々な場面の処理の仕方は、これ以上はない、というくらい良いのに、場面場面の繋ぎ方が無造作だったり、描写が丁寧な部分と雑な部分の落差が激しかったり。骨格とアイデアは相変わらず素晴らしいだけに、トータルの完成度としては勿体ない印象が拭えない。

前作に引き続き読まれる方が多いと思われるので特にコメントはない。ちょっとだけ(ほんの)森氏の量産体制が悪い方に影響を出しているのかも、という懸念を感じてしまった。でもまぁ、凡百のミステリに比べれば、もちろん高い水準にある。


99/09/16
佐左木俊郎「恐怖城」(春陽文庫探偵CLUB'95)

'33年(昭和八年)三十二歳の若さで世を去った佐左木俊郎は、農村文学の旗手として文壇から高い評価を受けていた。そんな彼が'29年頃から雑誌『新青年』を中心に手がけたのが探偵小説。新潮社の後世に名高い「新作探偵小説全集」の第四巻に『狼群』という長編も寄せていた。

大農場の一人娘が、幼馴染みの下男の妹を誤って撃ち殺してしまう。その下男は婚約した彼女と、その婚約者に対し、恋するあまりに歪んだ殺意を持っていた。彼女の事件を隠蔽した下男は徐々にずうずうしい態度を彼女に取り始める『恐怖城』
友人に去られた男が、いきなり他人の頭を殴りつける精神病に『街頭の偽映鏡』
学校の教室に上着を掛けて外出する教師の蟇口が無くなったことから始まる悲劇『錯覚の拷問室』
工場に出勤する男に見知らぬ女性が「迎えに来てくれたのね」と声を『猟奇の街』
荷車で野菜を売る老人にとって時間通りに市場に入ることは最優先課題だった『或る嬰児殺しの動機』
労働争議に苦しむ町工場の社長が、従業員に揃いの法被と仮面を被せ、観桜会としゃれこむが……『仮装観桜会』以上『恐怖城』のみ長編で五編の短編。

農民、労働者を鮮やかに描く、プロレタリアート探偵犯罪小説
ここまで時代性を全面的に打ち出してきた探偵小説にはなかなかお目にかかれない。全ての作品に「社会的弱者」の立場が明確に打ち出されており、探偵小説や犯罪小説の形式を借りて、もちろんその「謎解き」「サスペンス」の興味を満足させた上、主題の定まった純文学がごとき余韻を持たせている。その余韻は「社会派」と呼ばれるミステリで得られる感覚に近い。告発する為に下敷きにされているのは、は貧しいことによる悲劇、搾取する側される側双方に存在する悲劇、都市と農民の感覚差による悲劇など、戦前の農民、貧民、労働者層が抱えている問題は、もちろん現代の「社会派」が打ち出してくる観念とは完全に異なっている。作品の成立年代と「社会派」的テーマには大いに相関があり、水上勉、松本清張の社会派、島田荘司の社会派とのそれぞれの訴えているものを比べてもそれは瞭然であろう。その点、戦前の社会の歪みを真っ向から見据えている本作、時代を越えてきた作品が持つ独特の風格を兼ね揃えていると感じた。
本格的な謎解きよりも倒叙や犯罪小説的作品が多いのも、探偵小説、プロレタリアート小説としての両方の興味を喪わないためには、最適の選択であったように思う。

気になっているのだが、春陽文庫の探偵CLUBシリーズ、徐々に新刊書店でも入手しにくくなって来ているように思う。ゾッキにも出ているが……。今回を逃すと次回いつ入手できるか分からないラインナップ。興味ある作家は早めに押さえることをお勧めします。


99/09/15
京極夏彦「巷説百物語」(角川書店'99)

妖怪の専門雑誌季刊『怪』に創刊当時から連載されていた「百物語」のシリーズに書き下ろしを加えて刊行された作品。京極氏の二冊目のハードカバー。

事触れの治平、小股くぐりの又市、山猫回しのおぎん。世の中の報われぬ恨み、闇に葬りたい過去などを、依頼によって奇想天外な方法で片を付ける集団。彼らに考物の百介が加わり、人の心の闇を顕し、罪業を暴き、瞬時の秩序を取り返す。決して正義の為でなく、義侠と、そして金のため。
猛雨の中、谷川にやって来た僧侶は雨宿りの小屋の中に十人近い人間を見る『小豆洗い』
山で狐罠を仕掛けて暮らしてきた猟師は今や別の職業に身を窶していた『白蔵主』
山に住む大男は賭事こそ綺麗ながら異常に女癖が悪く村娘を散々拐かした『舞首』
孫を亡くした風流爺の元に夜な夜な狸がやって来て彼の話相手になっていた『芝右衛門狸』
厩の下働きから婿入りして大商人となった男は人前に姿を見せるのを嫌がった『塩の長司』
巨大な柳の下に作られた宿屋の十代目。彼は女性運と子供運に恵まれなかった『柳女』
京のその辻では日がな女性の死骸が何体も色んな状態で放置されていた『帷子辻』以上七篇。

今までの作品を踏み台にした、京極文学の集大成と言っても良いのではないか。
京極氏の文体の妙。妖怪シリーズにしろ、時代物にしろ、あまり、文体について拘って論じた文章を読んだ記憶がない。例えばページ割りを計算した改行だとか、句読点をページの最後に持ってくるだとか、泡坂妻夫氏ばりの「形」へのこだわりは有名だが、本作で強く思ったのは人称、場面、状況により、効果的に文体を変化させていること。江戸の言葉、京の言葉、どこともわからない地方の言葉。また上流階級、下層階級、使用人、浪人、商人それぞれ当たり前のように一人称の文体が変わる。その手も凝っている。話し言葉に人それぞれに独特のリズムを持たせ、当て字、古い言い回し、時代言葉をルビを使って自在に読ませ、縦横無尽に駆使するやり方は、時代物の専門作家であっても難しいのではなかろうか。そして、彼らの「言葉」は落ち着いて淡淡とした氏ならではの三人称の文体へと繋がっていく。その結果、物語は大きく膨らみ、状況は立体化し、我々は見たこともない光景を幻視することになる。恐ろしい迄のテクニック。……文体の魔術師と言われた昭和の天才、久生十蘭を想起したのは私だけだろうか?
作品そのものは人気時代劇「必殺シリーズ」と氏自身の立脚点である「妖怪」とを緩やかな形で合致させたのように感じる。心に疚しさを持つ者が、仕掛けによって怪異を見るという構造は、従来の「百鬼夜行シリーズ」を丁度ひっくり返したものだ。(あちらでは怪異が京極堂という仕掛けによって解体されていく)その仕掛けの中身は全て物語の最後で明かされるため、終盤に慌ただしさが感じられることは否めない。「悪人」(あくまで便宜的な呼び方だが)達が表でどう見えようと救いようのない者共であり、彼らに「仕掛け」を以て鉄槌を下す彼らはあくまで「仕事人」である。正義による悪の打倒というお約束のもと、物語が爽快感をもって終わるか、というとそうではない。どちらかというと精精、「最悪の事態を免れた」程度。この読後感もまた「殺し」という手段でしか収拾を図れない「必殺シリーズ」と通じるものであろう。
楽しみ方としては邪道かもしれないのだが、インタビューなど作品そのもの以外で伝え聞く京極夏彦氏の「趣味」、いや「ライフワーク」が詰まった作品のように感じた。個別では書き下ろしの『帷子辻』の眩瞑感を推す。

連作短編集として秀逸の出来。ミステリとしてや、時代小説として読まれる方にもそれなりに楽しめるとは思うが、作品世界にどっぷり浸り、「京極夏彦」ならではの文体を人物を妖怪を心の奥底に住まわせたくなるような、強烈な一作。ジャンルの峻別など細かい問題を拒絶する作品かと。


99/09/14
松本清張「ゼロの焦点」(新潮文庫'71)

松本清張の第二長編。雑誌『太陽』にて'57年より連載開始するも同誌の廃刊により、江戸川乱歩が編集長を務めていた旧『宝石』に舞台を移して'59年に完結した。新潮文庫版は改版を重ねて増刷七十回以上を経ており、そのベストセラーぶりが伺える。

二十六歳になる禎子は、大手広告取次の北陸方面出張所主任で三十六歳の鵜原賢一と見合い結婚をした。箱根への新婚旅行中、禎子は夫の中に言いようのない陰があることを感じる。鵜原は北陸から東京の本店に引き戻されることになり、その残務処理のために金沢に向かうが、一週間の予定を過ぎても帰ってこない。心配する会社の同僚と共に禎子は金沢に向かうが、自分自身まだ夫のことをよく知らない為、様々な努力をするも徒労に終わる。禎子は家に残された夫の荷物の中から洒落た家と農家の写った二枚の写真を僅かな手掛かりとして持参してきたが、夫が北陸時代に懇意にしていた耐熱煉瓦会社の社長宅がその一枚と同じものだった。賢一の兄、鵜原宗太郎も金沢を訪れ、自ら捜査を行うも、禎子は彼の挙動に不審を感じる。そしてその宗太郎は能登半島の旅館で毒入りウイスキーを飲まされ、毒殺されてしまった。

単なる推理小説を着実に脱皮しつつ高みを目指す第一歩
本を閉じた後、様々な思いが心を過る。戦後十数年。戦争が日本人に残した傷跡。哀しい愛の形。そう、紛うことなきミステリでありながら、読後に感じたのは純文学の感慨に近い。
物語の筋としては単純である。「妻による夫探し」。夫のことをよく知らないままに結婚する、古い日本の見合い結婚が悲劇の始まりとなって、妻は知らされざる夫の秘密、そして事件の構図を探らざるを得なくなる。その過程で連続殺人が発生、秘密を掴んだと思しき関係者が次々と犠牲に。事件の犯行方法やアリバイは余り問題にされていない。あくまで夫の辿った運命、そして秘密を探る Why done it? が主筋の物語。展開により、秘密を暴く以上に、その関係者の複雑な心境、立場が同時に明らかにされていく。人間そのもの、社会そのものに別の角度から光を当てている点、非常に興味深く、単なるミステリ以上の高みへ清張氏が向かっていたことを如実に感じた。濃い推理小説ファンにとっては伏線がかなりあからさまなので、データが揃った段階でおおよその事件の構図については見えてしまうかもしれない。構図が見抜けたらそこで本の価値が終わり、という作品ではないので別にそれでも構わないかと思う。
作品の成立年代と関係が深いことだが、現在となっては過去の日本の情景、因習が心に残る。例えば、電話は交換を通す、金沢−東京間の移動に十時間、一度も二人きりで会わずに見合いの席だけで結婚する。会社は家族の面倒を見るのが常識……等々、良くも悪くも昭和三十年代初期の日本という「時代性」が多く残っている。ただ、使われているトリックが心理トリックに属するものだけにミステリとしての新しさはなくとも、古くさくもない。登場人物一人一人をミステリとしてのコマとして扱わず、その登場人物たちが醸し出す「生きている証」をミステリとして織り上げた、という感触を持った。

さすがは「大」松本清張。ミステリとしてもベスト級に挙げられることの多い作品だが、恐らく単なるミステリ以上に一つの物語として人の記憶に残る作品である。時代を超えて大きな支持を得ている点、秘密はこの辺りに隠されている気がする。


99/09/13
西澤保彦「夢幻巡礼」(講談社ノベルス'99)

一応は「チョーモンイン」シリーズにあたる作品ながら、能解匡緒こそ登場するものの神麻嗣子の出番はない。今後の展開に重要な役割を果たすという「奈蔵渉」を中心に描いたシリアスな作品。外伝的性格。

十年前。奈蔵渉は母親からの無意識下の圧迫に苦しんでいた。ストレスから肥満に陥った彼は、遊び人の大学生を唆して母に浮気をさせる。狡猾な父親は、自ら浮気をしていたにも関わらず、母の浮気の証拠を掴んで離婚、自らは若い愛人、伸子と再婚する。渉は、父と新しい義理の母と暮らすうちに大学に合格するが、壊れた母と出会った際に歩道橋から突き飛ばされ、顔面に重傷を負う。母はその足で伸子を惨殺、服役することになる。それ以来、渉は男性としての機能を失い、殺人淫楽症へと堕ちていく。復学した渉は、大学のコンパで二人の女性と出会う。幼い頃にプールで突き飛ばして重傷を負わせた沓水さやか。そして一生賭けても「壊したい」と思える女性、能解匡緒。狂気を秘め、破綻した性格を持つさやかに対してだけは渉は男性の機能を回復、彼女に溺れていく。渉は彼女から「乙葉絹江」を殺して欲しい、と頼まれ、偶然にも助けられそれを実行する。しかし、何者かにより渉の父親と、更なる再婚相手が惨殺されてしまう。

'99年のトレンド?シリアルキラーが探偵役の本格ミステリ
文中の言葉を借りると「歯を磨くように」殺人を日常感覚で行える人間。我々が歯を磨くのに失敗するかどうか、一々考えないのと同様、彼にとって「殺人」は日常の延長でしかない。彼の血が「殺人淫楽」に目覚めたのは、無意識下の母親、父親からの歪んだ愛情。彼はその事実を冷静に分析しながらも、その縊りからは脱出出来ない。寧ろ、脱出を望めば望むほど、深い穴の奥に引きずり込まれていくかのよう。そして本作全体においても、この「歪んだ親から子供への歪んだ愛情」「歪んだ子供の歪んだ反発」というのはメインとなるテーマともなっている。
今までも「親子の反発」はタックタカチのシリーズなど、西澤作品では良く見られたテーマであり、そのいずれでもかなり深刻な描かれ方をしていた。本作はその路線の集大成とも言え、どうしてもその歪みから来る、余人の触れることが出来ない独特の昏さが作品全体を覆っている。分かり易いながらも複雑なプロット、緊迫感溢れる犯罪シーン、最終的に全ての伏線を回収してしまう妙など、良くできた作品。全体を覆う昏さがエピソードのトーンを揃え、それが更に作品全体に一本の筋を通していることが、成功の要因か。敢えて苦言を呈するなら、「人が死にすぎ」。トラウマや登場人物を「壊す」為に必要だとする考え方もあるが、一つ一つの「死」に意味を持たせるあまり、謎の構造が徒に複雑化している感も否めない。ただその一方で、この「過剰感」に魅力を感じる人もいるのだろう。
それにしても、西澤超能力テーマ作品のうち、能力そのものよりも登場人物たちの方にインパクトが残る作品は本作が初めてかもしれない。

本作はその性格の割りに単独作品としても読めます。殊能将之『ハサミ男』が面白かった、という人ならその延長線上で楽しめるはず。「彼ら」とチョーモンインが最終的にどのような「戦い」を行うのか。今後の展開が非常に楽しみですね。


99/09/12
戸板康二「松風の記憶」(講談社文庫'83)

中村雅楽のシリーズで知られる戸板氏の数少ない長編の一つ(雅楽ものでは二作しかない!)。'59年から翌年にかけ『東京新聞』夕刊に百八十回にも分かれて連載されたものだという。

広島県のある古寺に訪れた修学旅行中の桃蔭女子高校の生徒たちが、一人の老人がベンチに腰掛けて亡くなっているのを発見する。死因は卒中で不審なところは見当たらなかった。ただ、彼の荷物が少し離れているところに整然と置かれていたことには何人かが気付いていた。老人の名は、浅尾当次、巡業中の歌舞伎役者だった。彼には当太郎という息子がいたが、当次は自分の名前を大阪の役者、多見之丞に譲ろうとしていたという。新聞記者の竹野は、その多見之丞が、実は当次の隠し子であることを知る。また更に、当次には別に娘がいるらしいことも判明する。その娘、安川ゆき子は若水流という舞踊の若手の筆頭格として若水田鶴子と名乗っており、当次の死と時を同じくして上京することを決めていた。一方、桃陰女子高の仲宮ふみ子というエキセントリックな生徒は、演劇の道を志し、彼女も上京を決める。彼女は心の中にある出来事をしまい込んでいた。

いくつかの人生が離れ、交叉し、重なる時に事件は起きる
現代風に言えば「広義のミステリー」の範疇、といった感触。冒頭にこそ老人の不審死が描かれているものの、取り敢えずは自然死ということで片づく。その後は、主人公格の女性二人と、遺族であり、役者である息子、当太郎の三人を巡る数奇な運命が、戸板氏らしい淡淡とした描写で描かれている。再び、事件らしい事件が発生するのは物語の後半まで待たなければならない。その事件、トリック的には舞台の特殊性を利用したオリジナルにしても、犯人についての謎は一切ないに等しい。それはここに至るまでの物語中で再三述べられていることだから。
この物語の主眼は、その「第二の事件」に至るまでの哀しい人間関係にあると言っても過言ではない。二人の男女の秘められた過去、一人の男を陰日向に争うさまが、長い時間をかけてじっくりと描かれており、その部分は「人間の成長」を描いた一個の小説として充分に味がある。最終的に、どちらかが潰えることが分かっていながらぶつかり合うその想いは、彼女らの葛藤をつぶさに見ている読者の方がきちんと感じられるはず。一種の犯罪小説として読むことも出来るが、物語を最初から最後まで見守っている中村雅楽が最後に登場、句会という舞台装置を用いて幕引きをびしっと行っており、読了してみるとやはり「ミステリー」としての味わいが深い。

講談社文庫版の戸板康二は人気が高いです。本作もそのうちの一つ。しかし、珍しく手許にダブり本(但し背焼け+カバーにテープ補修あり)がありますので、送料+150円でお譲りします(笑)掲示板に書き込んだ早いもの勝ち(偉そうな)


99/09/11
都筑道夫「キリオン・スレイの再訪と直感」(角川文庫'78)

都筑道夫の多数あるシリーズ探偵の中の一人、キリオン・スレイシリーズの三作目。角川文庫ではラインナップのカバーが変わった後の『敗北と逆襲』がある。本作は'77年から翌年にかけて『野性時代』誌に発表された作品を集めた作品集。

如雨露を突然持ち帰った男が自殺した。綿菓子を突然持ち帰った男が自殺した『如雨露と綿菓子が死につながる』
バー『三角帽子』でキリオンと会っていた画家の町田。彼の細君が同時刻に殺されていた『三角帽子が死につながる』
風呂屋で刺青を背負った男がナイフ状のもので刺し殺された。現場や入浴者から凶器が見つからない『下足札が死につながる』
温泉に出掛けたキリオン一行。そこには見事な女達磨の刺青を持った女性の死体が横たわる『女達磨が死につながる』
一人の女性がぼろぼろの本を万引き、代わりに署名本を書棚に入れていったことを訝る古本屋店主『署名本が死につながる』
占いで「あなたは近いうちに人を殺します」と言われた女性がキリオンに相談を持ち掛ける『電話とスカーフが死につながる』以上六編。

名探偵復活論を地で行く謎と論理のパラダイス
今まで読んできた中で、キリオンのシリーズは謎の提示が甘い作品ほど、解決が尻窄みになってしまうという不思議なパターンの作品が見受けられる。その分、キリオンの前に現出する謎がとんでもなく奇怪で突飛な場合、その着地が決まれば、印象がより強いものになる。
個人的に印象に残ったのは、消えた凶器ものの『下足札…』と短編でミッシングリンクをやってのけてしまう『如雨露…』の二作。特に風呂屋で刺し殺され、凶器が消えてしまう『下足札…』は短編ながら、動機や背景まで鮮やかに浮かび上がり、アリバイ崩しまで含まれるという贅沢な逸品。『署名本…』あたりも日常の謎系の物語が実際にどんな犯罪に結びついていたのか、という動機探しに面白さがあるも、最初の状況がうまく生かし切れていない点が少し残念。
にしても、定着したキリオンが醸し出すそこはかとないユーモアが良い味を出しているし、プラスティックの西郷さん、トミイ青山ら、脇を固める面々が固まっており、都筑氏唱えるところの「名探偵待望論」を地でいく巧さが作品内には込められている。余計な説明を読者に強いず、論理で読者への戦いを挑もうとする、都筑氏の「意志」みたいなものが嫌でも目に入ってくる。

一作目の『キリオン・スレイの生活と推理』から順番に読んでいった方が良いでしょう。そちらの方がキリオンのとぼけた味わいが深く感じられるのではないかと思います。都筑氏の短編の名手ぶりもあり、どの作品を手にとっても安心して読めますが。