MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/11/10
夢野久作「狂人は笑う」(角川文庫'77)

角川文庫で出版されている(いた)夢野久作作品集のうちの一冊。何故か『ドグラ・マグラ』と『少女地獄』のみ再版が繰り返されている。他の作品にも佳作は多いのに復刻する気はないのだろうか。

失恋の結果、精神に変調を来し座敷牢の閉じ込められた女性の話と不眠症は隣にいる中国人のせいだと主張する青年の話『狂人は笑う』
愛する余り恋人を殺した男性は毎日公園で彼女の死体発見記事を探す『縊死体』
その少年が乗った船は必ず危難に見舞われるという。おれの船の船長はその小僧を船に乗せ出航、乗組員は恐慌に陥っていく『難船小僧(S.O.S BOY)』
麻雀牌の密輸を試みた若者を機関室に連れ込んだ男は自らの経歴の独白を若者に聞かせる『焦点(フォカス)を合わせる』
真面目だけが取り柄の福太郎という坑夫のところに押し掛け女房がやって来る。彼は幸せだったが彼女に振られた男、源次は面目を立てるため彼を狙っているという『斜坑』
香港からシンガポールに向かう船の二人の水夫がチブスに罹る。水夫長は彼らを海に投げ込もうとするも船長は許さない『幽霊と推進機(スクリュウ)』
中編。水産業に携わる剛毅な男が、世の中に蔓る爆弾漁業を取り締まるために孤軍奮闘するが、有力者や役人を抱き込んだ彼らに歯が立たないため一計を案じる『爆弾太平記』

空間そのものを閉じ込めることにより、内部で逆に大きく広がる幻想と妄想
収録された作品のうち『難船小僧(S.O.S BOY)』、『焦点(フォカス)を合わせる』、『幽霊と推進機(スクリュウ)』そして『爆弾太平記』と、主に「海」「船」を主要な舞台としている。それぞれは幻想譚であったり怪談であったり講談調であったりと描かれ方は全く異なるが、登場人物は「底板の一枚下は地獄」という船の最も危険な部分に生活を置く者たち、と共通している。彼らは物事に対して強大な自負心を持ち、豪快に大胆にぶつかっていく一方、無意識下で様々な事柄に対し、畏敬や畏怖といった念を持ち続けている。それは船という閉じられた空間内部で働く者がアイデンティティを、コミュニケーションを保つための自衛手段、とも受け取れる。彼らは事件に当たる際、一方で無鉄砲なまでの大胆さを発揮しつつも、心の中では別の弱い部分を必死で押さえつけている。人間の虚勢と内心。表と裏。人間一般誰もが持つ強さ弱さを、船という閉所に生きる人々を舞台に引き上げることで夢野は鮮やかなコントラストを付けて描き出している。悪人も善人も、突き詰めていくと「人間」でしかないのだ。
例えば『斜坑』これも炭坑夫の物語であり、坑道という閉所が物語で大きな役割を果たす。そこから出た主人公が逆に妄想と現実の狭間に入り込む物語。裏表のない無自覚な人間でも、気付かないうちに狭間に入り込んでいく怖さ。
『縊死体』『狂人は笑う』の両者は「狂人」が主人公。狂気が是なのか、現実が是なのかの混迷感が不思議な味わいを醸し出している。狂人の神経が、徐々に読者に入り込む快感、そして嫌悪感。決して正解のない世界に叩き込まれるような眩瞑感は夢野作品の真骨頂と言える。

夢野の作品は再読、再々読であっても常に何か新しい発見がある。妄想と現実の狭間に、虚勢と内心の狭間に、人間の本来持つ強さ弱さが滲み出ており、大胆な語り口と裏腹に繊細な人間の心の襞みたいなものが諸処より感じられる。どっぷり浸るのに適。


99/11/09
筑波耕一郎「密室の木霊」(エイコーノベルス'86)

幻影城ノベルス出身作家、筑波耕一郎のエイコーノベルス書き下ろし作品。もちろん文庫などには落ちていないので、この本でしか読めません。

潤子は世良田克久の妻として、一児喬弘の母として平凡ながら幸福な暮らしを送っていた。しかし彼女は後妻で、子供も前妻の苑子の産んだ子供だった。その苑子は一年前、育児ノイローゼから山手線に飛び込んで自殺、またその前には生後たったの二ヶ月だった喬弘が、他の家の子供と共に誘拐される事件が起きているなど、世良田家には色んな事件が発生していた。ある朝、克久宛に封筒に入れられた一葉の写真が届けられる。差出人はなく、写真には喬弘でない別の子供が映っており、写真の裏には大きく一文字「?」と書かれている。それを見た克久は急に落ち着きを失って、会社を無断で遅刻するなど不審な行動を取るようになる。その四日後、克久は一見自殺に思える状況で自宅で屍体で発見される。青酸カリを服用したものと思われたが、その容器がなかったことから警察は他殺と断定、殺人事件として捜査を開始する。

複数の密室殺人、錯綜する人間関係。筑波氏らしい本格推理
事件の舞台となる世良田家。特に呪われているというわけでもないこの一家は災難が大量に降りかかる。前妻の突然の自殺、生後二ヶ月の赤ん坊の誘拐、写真だけの上、本人にしか分からない脅迫状、そして主人の謎の服毒死。そして実は密室殺人。これだけ一世帯に集中して次々と事件が発生する。不自然だ。不自然、いいじゃない。これは本格推理小説なんだから。謎に対する心理トリックあり、物理トリックあり、サスペンスの味付けありとミステリファンが楽しめる要素は揃っている。決してそれぞれのトリックは独創的ではないけれども、巧く組み合わせてあるし、Who done it?も人間関係の複雑さによりかなり難易度が高い。なので、終盤に探偵役が一気にががががっと謎を解いていく際のカタルシスはかなり高い。これぞ本格謎解きの醍醐味
「謎解き」を主眼としているので、不自然な人物や設定はさほど気にならない。が、一つ残念なのは、フェアに徹するあまりかプロローグでヒントを出しすぎているように思える点。人間関係の複雑さで多少は目眩ましを試みてはいるものの、根本となる構造が最初の段階で推理出来てしまうのはやっぱり致命的かも。

この作品に限らず、この「エイコーノベルス」というのは相当に入手が難しいかと思います。決してメジャーでない作家のメジャーでない作品ですけれど、読めばそれなりに楽しませてもらいました。


99/11/08
中町 信「自動車教習所殺人事件」(徳間文庫'88)

中町氏は'69年に「急行しろやま」により第四回双葉推理賞を受賞してデビュー。本格作品の書き手として知られ、現在もなお根強いファンを持つ。本作は'80年に徳間文庫より出版された単行本の文庫化。

埼玉県にある武蔵自動車教習所の配車係の石川が川土手に倒れているのを、教習中の同僚が発見、病院に運び込んだが間もなく死亡。頭を強く打っており捜査にあたった中畔警部は事故他殺の両面で捜査を進めていたところ、暫くしてこの教習所の技能主任である金野が教習所の事務所棟の自室にて頭を殴られて死亡する事件が発生した。しかもこの建物は扉が三つあったものの発見当時は密室状態。聞き込みを進めるうちに、教習所内部にある教官同士の確執、教習生への秘密裏の融通、ギャンブルの借金、教官への恨みなど様々な人間模様が浮かび上がってくる。その密室の謎が解明されないうちに、更に無断欠勤を続けていた教官の一人、大淵が自宅側の車の中から刺殺屍体となって発見される。複雑に渦巻く人間模様の中、一人の容疑者が浮かび上がるが今度は彼には鉄壁のアリバイが存在していた。

論理重視の本格ミステリ。ふんだんに使用されたトリックに驚き
謎宮会のメンバーの方から「中町を読むなら『新人文学賞殺人事件』『高校野球殺人事件』そしてこの『自動車教習所殺人事件』のどれかから入るのが適当」というアドバイスを頂いた。果たして。
……なるほど、物凄くロジカルな本格ミステリだった。そのテイストは土屋や鮎川に近く、密室、アリバイ崩しといった本格的なトリックへのこだわりが感じられ、そのこだわりを基に物語を構築している感がある。おかげで多少リーダビリティという点を犠牲にしている印象も拭えないものの、それを補って余るだけのトリックの山が読者を迎え撃つ。教習所施設の密室トリックが解明されたかと思うと、今度は容疑者が鉄壁のアリバイを持っているなど、二重三重に読者が、というより作中の捜査陣は堅固な壁に塞がれる。最後の真相開陳の部分が紙幅の都合か、えらく駆け足のように思ったが、やはり本作には込められた「本格」への心意気を買いたいところ。
本作で舞台となっている自動車教習所。この施設をメインの舞台とした小説は寡聞にして他に知らないのだけれど、職員としての人間同士の確執に加えて、教習生と教官の間に渦巻く好感、憎悪など色々な人間関係が存在し、ミステリの舞台としては意外とすんなり当てはまるな、という印象。執筆された当時と教習所のシステムこそ多少違えど、教習所に通ったことのある読者には、理不尽な落胆や無遠慮な物言いへの怒りなど、他にはない雰囲気はよく理解できるはずだ。

私の中町信初体験としてはまずまずの作品から入れた、という自己評価。勧められている他の二作もやはり読んでみようという気になっている。


99/11/07
竹本健治「兇殺のミッシング・リンク パーミリオンのネコ3」(トクマノベルスミオ'89)

竹本健治のSFシリーズの第三弾。長い間入手困難な竹本作品の一つであったが、今般ハルキ文庫で復活が予定されている模様。ノベルス版で全て揃えた私は早く読まねば。

表面積の80%をダークグリーンの海に囲まれた惑星、ヌーバス。この星では政治家、運動家など要人が乗った旅客機、ヘリコプターが突然操縦不能に陥る原因不明のまま乗客が全員死亡するという大事故が 相次いでいた。三度目の事故で恋人を喪った情報局の職員、リンメイはこれらの事件に何らかの繋がりがあると睨み、手掛かりを求めて徹底的に事件を洗い直していた。最初は組織だって行われていた捜査も、収穫がないままに解散。リンメイは一人で捜査を続けていた。遂に彼女はD種犯罪がこの事件の裏にあることを突き止め、独自にネコ、ノイズの出馬を要請する。しかし彼らがコンタクト地点に赴いた時には、リンメイは数千キロ離れた洋上でやはり乗り物の大事故に巻き込まれて死亡。今度は失われた輪を求めて二人が彼女の調査を引き継いだ。

シリーズSF作品なのに何とミステリ的な……
「ミッシングリンク」――ミステリファンにはお馴染みの用語であろう。題名にも込められている通り、竹本氏はこの手法を使用してSF作品を一つ創り上げてしまった。全く前触れなく、いきなり発生する事故。原因不明。果たしてこれらの事件は、誰がどのようにどんな意図を持って発生させているのか。一連の事件を繋ぐ「輪」さえ見つかれば、真相の核心に迫れるのに、その周辺をぐるぐる辿らされるもどかしさ……。
ミステリでもそうだが、ミッシングリンクを解く本当に重要な鍵は物語が展開するにつれ浮かび上がるようになっている。従って事件発生の段階で「条件は揃いました、はい解決して下さい」という訳にはいかない。なので謎を抱えた主人公らが、手掛かりを求め彷徨う必要がある。そしてその手掛かりを掴んだ彼らが、真相に迫っていく姿には、やっぱりミステリの精神が感じられる。(例えば警察小説とかに近いか?)
シリーズ三作目ということで息が合ってきたネコとノイズの二人。この作品で新しく登場するビュインという少年も合わせ、彼らの活き活きした躍動感と、竹本氏独自の未来観が反映された舞台。輪はかなり後半にならないと繋がらないが、それまでの展開の妙味から決して飽きることのない内容となっている。単純にSFアクションとして割り切ったとしても充分に楽しめるはず。

ただ、やはり物語を楽しむ上ではシリーズ第一作から順を追って行った方が得策かも。スペースオペラの一種ということになるのだろうが、漂ってくるミステリ臭が、他の作家の作品とはひと味違った味わいを感じさせてくれる。


99/11/06
結城昌治「夜の終わる時」(双葉文庫'95)

日本推理作家協会賞受賞作全集の17。'63年に中央公論社から出版された作品で、翌'64年に第十七回の推理作家協会賞を受賞。同時に受賞したのが河野典生『殺意という名の家畜』。

ヤクザによる恐喝事件の調書を取るために出ていた徳持刑事は深夜になっても署に戻らず連絡も途絶えたまま。必ずその日の成果を帰宅前に顔を出すか連絡するかして報告する慣習の捜査係では異例のことで同僚は、彼の身を心配する。徳持刑事はヤクザの幹部で、恐喝事件で逃亡中の関口と幼なじみで、警察の情報が漏れる度に癒着が疑われていた。翌日、徳持はビジネスホテルで絞殺死体となって発見される。どうやらその部屋には関口が宿泊していたと思われ、怒りに燃える同僚たちは必死の捜査を開始、別のヤクザの情報から関口の恋人を特定、彼女を尾行することで関口の逮捕に漕ぎ着ける。しかし逮捕された関口は犯行を完全に否認、取調は思うようには捗らない。

計算され尽くした構成の妙。文章から最大限の効果を引き出す結城マジック
言い方が悪いかもしれないが、序盤の進行は当たり障りのない普通の推理小説的でしかない。ヤクザ同士の抗争を背景に、荒れる街を担当する捜査係の安田刑事の一人称視点。素朴な正義感に燃え、素朴な疑惑に揺れ、素朴な怒りに燃える彼の心情はすぐに読者を引き込むものの、特筆すべきほどの凄さは感じにくい。彼と彼の同僚たる刑事たちは淡淡と、そして粘り強く一人の犯人を追い詰めていく。地道な捜査と直感で犯人の探索を続ける彼らの姿は、警察小説としては通用するものの推理小説的切れ味はどちらかというと鈍いままに進む。この物語が、苦労の結果、逮捕した犯人が留置場内で毒殺されるしまうことから物語が急転。構図が完全に逆転する。警察内部に事件の関係者が存在することは明らか。犯人を捕らえる行動は一転して身内からの犯人探しという、WHO DONE IT?的な興趣に鮮やかに変化するのだ。
そして本作の価値を高めているのが、最終的に犯人はこいつしかいない!という状態になってから。物語は更に構造を変化させ、犯人の一人称形式で語られるという大胆な表現方法へと構造を変化させる。自ら回想しながらどのように犯罪を行ったか、何故犯行に至ったかを告白、そして同時進行で犯人が元同僚に追い詰められていく様を生々しく描いているのだ。ここに至って作品から漂ってくる香りは、警官とヤクザの癒着という生々しいものから、一人の男の哀しさへと変化していることに気付かされる。特にこの叙情は、序盤のまま捜査側の一人称視点では決して表現出来なかっただろう。男の哀しさは他人に暴かれるものでなく、自ら語ることによって、その本当の寂しさ辛さが伝わる。独りよがりもまた特権。

普通の推理小説がいつの間にか本格の謎解きになり、更にハードボイルドへ転変していく。計算し尽くされた結城氏の見事な手腕に拍手を送りたくなる。涙をにじませながら。そんな作品。


99/11/05
友成純一「放射能獣−X」(講談社ノベルス88')

幻影城新人賞の受賞作家で、猟奇的な書の多い友成氏。当時講談社ノベルス初の「フィギュア」を使用した表紙、更にその模型を作成したのは知る人ぞ知る横山宏氏。作品は怪獣ホラーだと思うのだが、背表紙には「長編パニック小説」と銘打ってある。

原子力発電所を近くに抱えた山中で蛾や甲虫、百足などの虫が大量に発生。徐々に規模を大きくしていき、人間に害を与えるレベルに達してきた。フリーの取材記者である恭子と福地の二人はその地を訪れ、深夜狂ったように飛び回る虫たちに襲われる。必死の思いで脱出した彼らの取材結果は他の記者に奪われていた。一方、日本海溝の最深部では二億年の眠りから醒めたある巨大な生物が活動を開始していた。その生物の回りには投棄された放射性廃棄物が幾層にも積もっており、その生物は自らの内部から放射能をまき散らす怪獣となっていた。六つの目、四本の手に三本の足、巨大な翼と硬い皮革に覆われた彼は徐々に浮かび上がりながら巨大化。邂逅したタンカーは不運にも彼により撃沈される。駆け付けた海上自衛隊の総力を挙げたミサイル、魚雷の攻撃にもびくともしない彼に人々の焦燥は募る。

名作「ゴジラ」を継ぐ正統派放射能怪獣ホラー
本作には東宝・円谷の怪獣を観て育った世代に取っては至言と思える言葉がある。
「東京を高いところから見下ろした時に広がる壮大なパノラマ風景。何と空疎で白白しいのだろう。その思いの本当の理由、それは怪獣がいないからだ。東京のパノラマ風景はその中心に怪獣がそそり立つことによってようやく成立する」(意訳)
東京に限らず、高所から都会を眺めた時に感動と共に一瞬心の中を過ぎる物足りなさ。感じたことはないだろうか。そんな心の歪んだ空隙を、超絶なエンターテインメントの形で癒してくれるのが本作。
出だしは昆虫ホラーの様相。大量、そして巨大な虫が人間を襲いながら群となって移動する。この段階で背後に「原子力発電」という災厄の根元は十二分に匂わせてあり、すぐに結びつく。一方、日本海溝の底で目覚めた生命体。これもきっかけは原発から排出される低レベル放射性廃棄物(つまりは原子力発電所で使用された長靴だとか雑巾だとか防護服だとか)が詰まった何万本ものドラム缶にある。水圧から解放され醜悪に巨大化し全身から放射能を帯びた生物。ここまで来ると人類への警鐘とか何とか、教訓めいた印象を感じ取るべきなのかもしれないが、さすがは友成、一気に怪獣対人間の物理的な戦いに話を繋いでしまう。これぞ、怪獣作品の醍醐味。何も理解せず、特に破壊本能があるでもなく、単に存在が危険なだけで攻撃に曝される放射能獣。必死で攻撃するも怪獣の能力による思いの外の反撃により、その無力さをさらけ出す人間。怪獣が暴れ回っているのを全く気にせず夜の銀座で遊びほうける人間たちの描写に、僅かながら現代社会への皮肉は感じられるものの、あくまで主人公は「放射能獣X」。ストーリーは単純とも言えるが、圧倒的な存在感、迫力により怒濤のラストまで一気に読ませる。

友成作品を語るのに必ず触れられるエロティックな描写は皆無、もう一つグロテスクな表現も遙かに押さえられている。(講談社ノベルスという媒体のせいかもしれないが) 手法、目的ともに単純なだけにストレートに伝わるエンターテインメントに仕上がっている。こだわりの多い「怪獣好き」へも勧められる作品だ。


99/11/04
加納朋子「沙羅は和子の名を呼ぶ」(集英社'99)

『小説すばる』誌を中心に'94年から'99年にかけて書かれた短編をまとめたノンシリーズの作品集。アンソロジーなどに収録されていた作品もあり。

廃屋となった病院に惹かれて中に入り込んだ「僕」はそこでいる筈のない少年や少女の姿を見る『黒いベールの貴婦人』
愛する妻を喪った夫が経営する喫茶店には沢山の熱帯魚が買われている『エンジェル・ムーン』
NYに行っている従姉妹の真弓から借りた部屋に住む知世子の元に一羽の伝書鳩が不思議なメッセージを伝えてきた『フリージング・サマー』
娘を事故で喪った傷が癒えず、夫の単身赴任先のバンコクに来た妻。彼女は別れを告げに来たのだ『天使の都』
突然実家に戻ってきた娘への母親の会話。娘の行きたいという鄙びた田舎の漁港には母も昔行ったことがあるという『海を見に行く日』
時代物。旅の途中の山中で道に迷った旅人が辿り着いた一軒の館には美しい娘が住んでいた『橘の宿』
家そのものは大きくないが十坪の庭はおばあちゃんの宝物『花盗人』
僕が毎日通る寂れつつある商店街の銀行のシャッターにある晩、男が雑木林を思わせる画を描いた『商店街の夜』
双子の姉を持つ彼女は、姉から彼氏候補を紹介してもらうことになるが、彼からはすっぽかしを喰らってしまう『オレンジの半分』
元城一樹は勤務する会社の専務の娘を妻にしており和子(わこ)という名の娘がいる。地方の社宅に入った和子は沙羅と名乗る不思議な少女と出会う。『沙羅は和子の名を呼ぶ』

日常の隣にある幻想、日常の内側にあるミステリ
本作はかなり前に書かれた雑誌発表作品などを集めた短編集なので、作者の時期的な作品内容の変化ということを指摘することは当たらないのかもしれない。それでもこの作品集は、従来の加納作品を支配していた「日常の謎」から一歩踏み出した内容を目にすることが出来たという意味で、私の記憶に深く残ることになりそうだ。十編の作品は大きく二つの印象に分けられる。
大人が心の中で暖めている密やかな夢の実現と喪失を暖かく哀しく描く『エンジェル・ムーン』、恋に恋する若い女性の気持ちをコンパクトにコミカルに味わわせてくれる『オレンジの半分』、疲れた大人たちの人生を点描するかのような『天使の都』、夢想と現実と思い出の境界に揺れる壊れやすい女性の心を巧みに描いた『フリージング・サマー』。これらは現実的な解釈解決が付けられるのでミステリに分類されるかと思う。しかして現実と重ね合いながらも不思議な幻想的とも言える現象を登場人物の目線から見事に紡ぎ出しており、序盤から結末に至る感覚はミステリのそれというより幻想文学で味わう浮遊感覚に近い。その過程を経、結末にて明かされる捻りの効いた結末がそれはそれで心地良く、切なく甘く哀しくもあるのだけれど、最終的にはほんわかと気持ちの良さだけが残される。加納ミステリらしい味わいがとても良い。
そしてもう一方の作品群。特に表題作の『沙羅は和子の名を呼ぶ』、『黒い貴婦人』、『商店街の夜』など日常から一歩踏み出した部分、パラレルワールドとも異界ともつかない世界を「日常のすぐ隣」に創り出したことで物語を大きく膨らませることに成功している。説明のない異世界が美しく切なく楽しく味わえる感覚はファンタジーのそれに近い。身体の中を一つ一つの物語、一つ一つの世界が通り抜けて行き、こちらも爽やかな後味だけが残される。日常にこだわりつつも日常を脱皮したことで、世界がこれまで広がるものか、ということを実感させられた。

ミステリとしてだけ、の評価ならあまり高くないかもしれない。でも、今年読んだ新刊の中では最も印象に残る作品集になった。加納朋子の新境地、などと書くと行き過ぎだろうか。とにかく優しい気持ちになれる本。


99/11/03
都筑道夫「夢幻地獄四十八景」(講談社文庫'80)

都筑氏の講談社文庫では唯一のショートショート集。題名に「四十八」とあるが、更に十二のショートショートが加わっており、一冊でなんと六十もの作品を味わえる。更に、解説は詩人、谷川俊太郎(これがまたカルタなのだ)。

まず『異論派かるた』として四十八のショートショート。
「意味深長」「牢刻」「化けもの」「人形責め」「ほれ薬」「変化球」「飛びおり自殺」「ちりれんげ」「離婚マニア」「沼」「留守番」「男の夢」「わに」「鏡の間」「夜の声」「他人の空似「冷蔵庫」「そとば小町」「つまずき」「根なし草」「涙壺」「らんの花」「夢遊病」「生めよ、ふやせよ」「居留守」「のんきな神」「老いらく」「栗めし」「闇討ち」「マジックカメラ」「健忘症」「船を見に」「ごろつき」「円」「天命」「愛しているよ」「猿の手」「夢うらない」「名人」「魅惑のひとみ」「侵略戦争」「ゑくぼ」「秘術」「もう一度」「狭いながらも」「すべりどめ」「京人形」
おまけ?に『狂訓かるた』として十二のショートショート。
「犬も歩けば車にあたる」「牢より娑婆」「灰より不死鳥」「贋物ばかり世にはばかる」「ほら吹き損のくたびれ儲け」「兵を知って志をかため」「年よりの誠実」「知己もくどけりゃ邪魔になる」「利口者の子はたくさん」「盗人の信念」「留守に入れば亭主が怒る」「老いても恋したがる」

ショートショートには人間の想像力の全てが籠もる
例えばSF。SFの中でも近未来SF、サイファイ風の現実SF、スペースオペラの一部分。ミステリだったら、サスペンス、本格、コンゲーム風のもの。恋愛小説でも純愛、不倫、夫婦……とそれぞれ全く異なる作品になるはずだ。それらが全て一カ所にまとめられても違和感のない、さらにはその混沌性こそがショートショートであろう。本作に込められた六十もの作品。それぞれ全く異なる主題、全く異なる設定、全く異なる登場人物たちが物語を綴っている。たった四ページの物語に彼らの人生、環境、状態が全て込められ、そして「オチ」のある物語が繰り広げられる。短いながらも膨らむ世界。これをしっかり堪能出来る作品集かと思う。
本作はそれに加えて、「いろは」に会わせて四十八もの題名で、題名に合わせた物語世界をそれぞれに構築している。遊び心に溢れる都筑氏だけに非常にさり気なく感じるが、実際に作るのは相当な労力が込められているのではないだろうか。その苦しみや感じさせないのが都筑作品の凄さなのだが。

リサイクル系の郊外型古書店の方があまり苦労せずに入手出来るだろう。ショートショートという作品自体、ほとんど新刊書店には並んでいない現在だが、実際現代でも十二分に通用する作品である。結局、ショートショートが人生の真理を突いているから、ということかもしれない。


99/11/02
泡坂妻夫「魔術館の一夜」(現代教養文庫'87)

泡坂氏は推理小説作家でありながら、高名なアマチュアマジシャンであることは広く知られている。そんな氏のマジシャンとしての業績を分かり易く集めた一冊。元本は社会思想社から'83年に発行された単行本。

登場するのは愉快酒翁社の編集者の女性と、奇術好きの作家。彼らはあるパーティで知り合い、そのまま抜け出してその作家自慢の「魔術館」に向かう。そこで件の女性が、作家先生から奇術のレクチャーを受ける……という体裁。そして全ては二人の会話と、奇術を解説するための図表のみで構成されている。取り上げられているのは基本的に泡坂氏が自ら考案し、奇術専門誌他に発表したマジック!つまり、完全なる氏のオリジナルである。当然、レクチャー本であるから、そのマジックのタネはもちろん、状況をどう設定するか、具体的な練習方法、コツに至るまで懇切丁寧に(でもあくまで会話文)説明がされてある。
その種類はマッチ、ハンカチ、カード、組み絵、結び目、パズル……色んな種類があり、ほとんどは「ご家庭にあるものを流用」ないしは「ちょっとした工作」によって実演が可能。

あくまで本作品は「奇術集」であり「小説」ではない。
ただ、全体的には大きなストーリー仕立てになっている。それなりの落ちもある。また会話文の端端に古今東西のミステリについてのちょっとした蘊蓄があるのが楽しい(一部ミステリのネタバレもある)。取り上げられた手品からも一般的な手品入門集レベルのものから、かなり修練を積まなければいけないもの、数理学的なタネがあるものまで多岐に渡っており、マジシャンとして泡坂妻夫の凄さが作品を通してでなく、もっと具体的な形で確実に感じ取れる。一連の小説の著者としての「泡坂氏」に比べると、もっと身近に感じられる「泡坂氏」がこの本の中にいるように思った。

泡坂妻夫には日影丈吉、中井英夫との共著で『秘文字』という暗号だけで書かれたミステリがあるが、それと同系列か。泡坂ファンのコレクターズアイテムかも。


99/11/01
赤川次郎「三毛猫ホームズの推理」(光文社文庫'85)

説明不要?赤川次郎の超人気シリーズの第一作目。'78年に光文社カッパノベルスより刊行された。(因みに'99年現在で四十冊近くがこのシリーズだけで刊行され、しかも続行中)そして本作は「本格ファン」の間でも高い評価を得ている。

捜査一課に所属する片山刑事の綽名は「お嬢さん」。警官でありながら、多量の血を見ると貧血を起こし、高所恐怖症でおまけに大の女性恐怖症と来ている。そんな彼が慕う上司の三田村警視から呼び出される。最近、羽衣女子大に通う女子大生が友人の部屋の中で、何者かに滅多刺しにされる事件が発生しており、そんな事件の捜査に借り出されては、と怯える片山。ところが三田村は、羽衣女子大の中で組織的売春が行われているらしいので調べるように、と別件を命じた。学部長の森崎との相談の結果、女子寮の食堂で片山は土曜日の夜に一晩中の見張りをする羽目に陥る。そして当日、女子寮の部屋に忍び込もうとする教授を一名発見。降りられなくなった彼を保護している間に、寮近くのプレハブ小屋から椅子と机が全て運び出されるという謎の事件が発覚した。そして翌晩、森崎がそのプレハブ小屋から死体で発見される。

錯綜するプロット、登場人物の魅力、奇抜な密室殺人
本編は「連続猟奇殺人」「売春組織」「汚職」と一つの女子大を舞台にする三つの異なる犯罪から成立している。当然、それぞれについて「謎」が存在する。犯人は誰? 組織の黒幕は? 汚職の実体? 更にどの事件と繋がるのか不明の「密室殺人」が加えられ、弱々しい主人公と美人女子大生のラブストーリーを交えてストーリーは展開する。多くのコンテンツを一気に一冊に持ち込んでいることがお解りになるだろうか。
そしてその上で改めて赤川次郎の実力の高さを感じた。相当数の人物が物語中に登場するにも関わらず、その一人一人が独特の個性を持ち、読み分けは容易。多少突飛なシチュエーション及び、ちょっと無理があるのでは……と普通なら思うような人間関係も赤川氏の手にかかると、逆にそれがしっくりくるように感じさせられる。多用されるカットバックや、場面の展開、ユーモラスな行動、言動など、現在も脈々と続く赤川作品独特のエッセンスが、この初期作品からきちんと詰まっている。いくつかの殺人事件だけでなく、部分部分にターゲット以外の奇妙な謎が配してある辺りも上手い。連続殺人の犯人に関してだけは、ちょっと不満もあるのだが、それでもきちんと伏線を張りながら、解決に持ち込んでいるので文句は付けられない。この密室殺人トリックは有名で、実は不幸にも読前に知ってはいたのだけれど、トリックだけに凭れかかった作品ではないため十二分に楽しめた。

改めて思いましたが、赤川次郎作品を無条件にバカにしているミステリファンはいませんか?「赤川次郎しか読まない自称ミステリファン」の視野の狭さを小馬鹿にするのは多少は仕方ないかもしれません。けれど、赤川作品そのものは決してバカに出来ません。 批判するならまず読んでから。読んだら批判は出来なくなると思いますが。