MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/11/20
樋口有介「初恋よ、さよならのキスをしよう」(講談社文庫'95)

……題名の付け方が巧いよねぇ。『ぼくと、ぼくらの夏』でサントリーミステリー大賞を受賞してデビューした樋口氏の七作目。'92年にスコラ社から書き下ろし刊行された作品の文庫化。

三十八歳の犯罪専門のフリーライター、柚木草平は三年前に誤って人を撃ち殺したことで警察を辞めた男。時々私立探偵の真似事もするが、別居中の妻(美人)と十歳になる娘(もうすぐ美人)に振り回される日々。
娘を連れてスキー場にやって来た柚木は、高校の時に憧れを持っていた同級生、卯月美奈子(美人)と二十年ぶりに再会する。彼女は見合いにて結婚、実業家夫人として雑貨の店を経営しているという。その一ヶ月後、柚木の元に若い女性(超美人)が訪れる。彼女は美奈子の家に居候しているという姪っ子で早川佳衣と名乗る。彼女は、美奈子が数日前に店で何者かに殴り殺された、と告げる。美奈子がスキーから帰ってから娘の梨早(美人)に「何かあったら柚木に頼るように」と言い残していたことから、佳衣は柚木に事件を洗い直して欲しい、と依頼する。思わず引き受けてしまう柚木。彼は発見者の店員(ちょっと美人)から状況を確認すると、彼女と親しくしていたという高校当時の同級生らに接触を開始する。

もしかするとハードボイルドに見せかけた、男のためのファンタジーなのではなかろうか?
偶然再会した同級生の死から高校時代の他の同級生の秘密を否応なしに暴いてゆかざるを得ない……。柚木一人称の視点、少しずつ明かされていく人間関係による謎、さり気なく気取った不思議な文体で綴られる物語等々、ハードボイルドとしての条件(というものがあるならば)はクリアしているだろう。決して重々しくならず、それでいて軽すぎない行動。必要以上に深刻ぶらない、ないしは深刻であっても表面には出さない彼や彼の周囲の人物の態度。ドライとも思える人間関係。日本を舞台にしながら、米国西海岸あたりのドライな気候を思わせる。一人称の主人公柚木の行くところ、彼の視点で状況が再構成されるため、であろう。彼の感性、彼の感情を通した世界を読者は読んでいるということになる。ひっくり返せば全ての一人称の物語に言えることなのかもしれないが。事件がどんなに深刻でも、柚木の独特のタフさが読者の救いになっている
樋口有介の作品は、受け取る人により本当に様々に受け取られそうだ。主人公が常にモテモテなのだ。それも嫌味が感じられるのでなく、自然に登場する美女連から「好意を持たれる」というという羨ましい?状態。またその登場する女性が、子供から妙齢までみんな違った意味での魅力に満ちているのが始末に悪い。更に嬉しい?ことに柚木は美女に弱い。「魅力有る美女の頼みで嫌な仕事を引き受けてしまう男」これってファンタジーの常道ではないか。その中での柚木の活躍、とくとご覧あれ。

軽い気分で明るく読み通せるハードボイルド。樋口有介には女性ファンより男性ファンが多いのでは、と思うがどうなのだろう。んー、なんだか爽やかな気分になってきたぞ。


99/11/19
戸川昌子「猟人日記」(角川文庫'71)

'62年(昭和37年)『大いなる幻影』にて第四回乱歩賞を受賞した戸川昌子さんが一年半のブランクを破る第二長編にあたる。

タイプライターを生業としている一人の女性がプレイボーイの男性と出会う。彼らは一度きり、行きずりで関係を持つがその女性は妊娠、六ヶ月になった時に飛び降り自殺してしまう。その事実を知ったその姉は彼に復讐を誓い、少しずつ彼のことを調べ始める。その男、本田一郎は電算機エンジニア。大阪に妻を残し、東京でホテル住まいをする彼は、夜な夜な”獲物”と称する女性をハントするのが生き甲斐。彫りの深い顔立ちと、女性の求めるものを瞬時に見抜く嗅覚とで、ある時はアルジェリアからの留学生、ある時は外国からの特派員と様々な国籍、職業を装って彼女らと一時の関係を楽しむ。彼はその関係した女性と味わった出来事を”猟人日記”と名付けたノートに克明に記録していた。ある時、彼が新聞を何気なく見ていたところ、過去に彼の”獲物”だった女性が絞殺死体となって発見された記事を読む。それが彼が殺人犯人の容疑を掛けられる序章となるとは知らずに……。

「時代」の皮を被りながらも、脈々と続く都会の男女の孤独を映す……
例えば「流し」で酒場で音楽を奏でる人々。働く女性の略号は「BG」。風俗や流行を念入りに描いているだけに「当時」を感じさせる言葉が頻出する。その点だけを取り出せば、古臭いという形容詞を感じる方もいるだろう。但しこの物語の本質は全く違う部分にある。そうでなければ本書が未だに色んな形で復刻され、何かの受賞作品でもないにも関わらず、現在でも(多少苦労はしても)新刊書店でも購入が可能という状況は生まれ得なかっただろう。
大きな二部構成。自分が犯人でないことが明らかにも関わらず、魔に魅入られたかのように罠に落ちていくプレイボーイ。後半は彼の弁護のために興信所を駆使し、独自の観点から事件の再構成を図る老若二人の弁護士たち。読者は登場人物の知り得ないプロローグ、インターローグを通じて事件そのものの構図は分かったような気にさせられる。それも罠とも知らずに。微妙なレッドへリング、巧妙な伏線を駆使した考え抜かれた物語は、ミステリとして充分な驚きを秘めている。その一方で、その風俗描写と合わせ都会に生きる孤独な男、女を詩情豊かに歌い上げているのだ。満たされない女性に瞬時の幸せを与える男。猟人することで瞬時の渇きを癒す男。(少なくとも当時は)非難されるべき乱れた行動から浮かび上がってくるのは愛情への飢え、そして渇き。脇役で登場する人物それぞれも、いずれも何かが欠けている存在ばかり。華やかに見える大都会が何十年も前からずっと空疎で、隙間だらけの存在であるか、改めて感じ取れたように思う。

上でも書きましたが本書、『大いなる幻影』とのカップリングで講談社大衆文学館、ないし出版芸術社のふしぎ文学館など、新刊書店にて入手が可能です。


99/11/18
鮎川哲也「りら荘事件」(講談社文庫'92)

'53年、SRの会の機関誌に発表された『呪縛再現』を原型に'56年から翌年にかけて『探偵実話』誌に連載され、十回以上も「刊行」されている鮎川哲也「貿易商・星影龍造」ものにして、代表的な長編の一つ。(自分的テーマ『白の恐怖』を最大限に楽しむための再読、その一。)

大富豪が秩父に買った大別荘は彼の没落と共に名前を「りら荘」と変え、日本芸術大学の施設となっていた。夏のある日、七名の学生が「りら荘」を訪れる。管理人夫妻が出迎えたのは、美術学部の日高鉄子、美術から音楽に鞍替えした行武栄一、音楽部の橘秋夫、安孫子宏、松平紗絽女、尼リリスとその婚約者、牧数人。彼らは互いに色々な愛憎を抱えていた。そんな第一日目の夜、橘と紗絽女が婚約を発表する。橘が好きな鉄子、紗絽女を狙っていた安孫子は意気消沈する。翌日、リリスのコートが盗まれなかったか、と警察が訪ねてくる。彼女のコートを持った人物が山奥で足を滑らせて死んでいたというのだ。そして現場にはこれも別荘から持ち出されたと思われる「スペードのA」。無邪気な推理合戦を繰り広げていた彼らだったが、紗絽女が衆人環視の中で毒殺され、釣りに出ていた橘が刺し殺されるという事件が立て続けに発生、恐慌に陥る。しかもそれぞれに前の事件と同様にスペードのカードが現場付近から見つかる。

味のある細かいトリックを巧みに繋ぐと論理の館が組み上がる
その題名から想像されるのと異なり、決して「館もの」の体裁でないし、クローズドサークルという訳でもない。序盤から警察の捜査が入り込むし、「りら荘」には様々な人間が出入りする。館もの独特の「隙」が少ないにも関わらず、傍観する多数の人間を嘲笑うかのように、人がばたばた殺されていく。片手で足りないこの惨劇も、一つ一つ解きほぐしていくと、全てにきちんと動機があり、細かいトリックが積み重なっていて形作られている。注目したいのはこれらのトリックのほとんどが実はアリバイトリックということ。とすると、鮎川作品の鬼貫警部シリーズと同じではないか、という向きもあるかもしれない。
だが、根本的に異なる点がある。それは星影龍三が名探偵である、ということ。つまり鬼貫ものでは大抵、先に犯罪という山が存在し、それを警察がコツコツと少しずつ突き崩していくのに比べ、本作は犯罪という山が少しずつ積み上がって、気付くと手を着けられない状態になっており、最後に一気にその山を星影が爆破してしまうような印象。これぞ名探偵の特権。他の鮎川作品に見られる独特の叙情は少なくとも、論理で固められた作品であり、記憶には深く残る作品であることは確かだろう。
時代経過による風俗的な風化は耐えられるとして、本作における最大の瑕疵は、女性登場人物のネーミングにあるように思う。鉄子にリリスに紗絽女。その凄まじさ?ゆえの印象は大きい。しかしやっぱり哀しいかなそのセンスには失笑を禁じ得ない……。尼リリスの本名がカメってのは尚更。

特に新本格からミステリに入った方には鬼貫警部シリーズよりも、こちらの星影シリーズの方が入りやすいかと思う。講談社文庫でまだ現役?の入手しやすさと読みやすさ、合わせて鮎川入門としては適当。


99/11/17
仁木悦子「冷えきった街」(講談社文庫'80)

仁木悦子の八番目の長編にあたる本作は「私立探偵 三影潤」もの。元本は'71年に同社より刊行されている。

世田谷区成城の大邸宅に住む学校経営者が三影に依頼を持ち込んできた。彼の六歳になる娘を「誘拐するという予告状」が届いたというのだ。誘拐される前の予告状という怪しさに加え、最近、学校の理事を任せている長男が不審なガス中毒事故に合ったり、高校生の次男が家の前にて何者かに暴行されるなど不審な事件が続いており、内々で調べて欲しいというのだ。承諾した三影は調査を開始、この経営者が今まで三人の妻との間に一人ずつ子供を設けていることを知る。その邸宅には経営者の家族の他に長男一家や使用人など多数の人が暮らしていたが、消印のない脅迫状の様子から内部犯の疑いが強い。捜査を続ける三影は脅迫状の当日、誕生パーティに招かれ彼ら一家と過ごす。食事の後寛いでいた時に、外から怪しい笛の音が聞こえて来る。調べるとそれは何者かの悪戯だと分かったが、家に戻った長男が湯飲みを一口飲むと、苦しみながら死亡してしまう。混乱の間に何者かがお茶に青酸系の毒物を放り込んだらしい。

読後、優しさよりも苦さが残る仁木版ハードボイルド本格
私立探偵の三影潤の完全一人称視点によるハードボイルドタッチの作り。複雑な家族構成を持つ一家に発生する連続殺人事件の謎に向かう。その一方、敷地や屋敷の見取り図が掲載されるなど、本格推理的な御約束も押さえられており、手掛かりが揃うのにこそ時間がかかるものの「フェアな本格」としての読み方も可能。このあたり、「日本のクリスティ」仁木さんの「らしさ」が嬉しい。
しかし、単なる推理小説として読むのも良いが、複雑な環境の中で、ねじくれてしまっている次男、冬樹と三影との交流に注目したい。三影本人が抱える暗い過去(私は本作で初めて知った)。父親や家族から愛されず、孤独の中に青春を送る冬樹。彼らが少しずつ、本当に何気ないところから互いに心を開いていく過程が、脇で次々に発生する陰惨な惨劇の中で僅かながらの暖かさを感じさせてくれる。ただ、それそのものが結局のところ物語の「ハードボイルド」な一面である「哀しさ」を深める重要な役割を果たしているのだけれど。
例えば「優しさ」や「悪意」といった人間感情、もしくは「トリック」「謎」といった推理小説手法をあまり前面に押し出さず、押さえた筆致で登場人物を淡淡と描く。読み終わって初めて気付かされるこの手法の巧さも円熟の域にあった仁木さん故のものか。

仁木雄太郎・悦子兄妹だけが仁木作品の魅力ではない。本作の主人公、三影潤の湛える男としての魅力は素晴らしい。決して格好良いわけでも、スマートなわけでも、優しいだけでもないのに、不思議な魅力が滲み出ている。なんで仁木さんは女性でありながら、こんな主人公が描けるのだろう。悩みつつ、私は次の仁木作品を読む。


99/11/16
東 雅夫(編)「怪猫鬼談」(桜桃書房'99)

『妖髪鬼談』『屍鬼の血族』の続編、にあたるのか「化け猫」を扱った作品を収録したアンソロジー。表紙の河鍋暁斎の版画絵の雰囲気が最高に内容にマッチしている。

作品が多すぎるので個別の内容紹介は控える。ただ、現在に至るまでの高名な国産幻想文学作家がほぼ全て出揃っているのでは? というくらいに網羅されており、それに活躍中のモダンホラー系、SF系などの作家が連なる超豪華な布陣であることは一目瞭然。また小説だけでなく、水木翁の漫画、エッセイ、論文調のものまで、頁を捲るまで何が出てくるか分からない、というバラエティの広さ。本そのもの、テーマ共、重厚なのに読者を決して飽きさせない、そんな工夫が心憎い。
『猫』別役実、『猫又』水木しげる、『白猫』北原白秋、『夜への誘い』中井英夫、『黒猫の家』倉橋由美子、『猫』内田百閨A『猫』吉田知子、『猫の縁談』出久根達郎、『笑い猫』花田清輝、『闇の芳香怪猫映画』田中文雄、『HORRORミーティング』菊地秀行、『大猫・化け猫』柴田宵曲、『猫騒動』岡本綺堂、『化猫武蔵』光瀬龍、『有馬の猫騒動』三田村鳶魚、『魔性の猫』山村正夫、『猫恐』田中文雄、『猫と同じ色の闇』森真沙子、『悪獣篇』泉鏡花

畢竟、猫の持つ理不尽さこそが最大の恐怖なのか
「犬と猫、どっちが好き?」と聞かれれば、私は必ず「犬」と答える。絶対に犬。ぽてよりもこた。ヤマト運輸より日本ビクター。ライオンズよりウルフルズ。自ら飼育した経験のせいか、犬の行動様式なら理解出来る。逆を突き詰めて行くと、猫は何を考えているのかさっぱり分からない。私には。
犬猫、両方とも古来より人間の愛玩動物として飼われている。しかし化け猫はいても化け犬はいない。妖怪に変化するのは、何故だか必ず猫。今まで深くそんなことを追求したことはなかったが、本作を読み色々と考えた。
本書に取り上げられている「猫」は様々である。飼い猫、野良猫、昔の雑種猫、今のブランド猫、チェシャ猫からもちろん化け猫。彼ら(彼女ら)を見ていて感じるのは「何を考えているのか分からない」ところ。一部の許された人間(飼い主?)にだけはその意志が通じているのかもしれない。しかし、それ以外の全ての人間にとり、猫の真の気持ちは決して汲み取れない。「理解出来ている」つもりでいる他人は、より危ない。この理解不能の生物、それが「猫」なのだ。猫が単なる猫でいる間はいい。しかし猫は化ける。飼い主の怨念を猫が晴らす。自ら受けた恨み、同族が受けた恨みを猫が晴らす。傍観している立場からなら理解も出来ようが、この恨みを受け取る人間は堪らない。理不尽さに恐れおののくことになる。相手が猫だけに、ある一定のポイントを過ぎた辺りで人間の理屈が通らなくなり、猫の理屈になってくる。猫は抵抗の出来ない対象をひたすらいたぶり、弄び、傷付けることで少しずつ目的を達していく――いや、それが果たして目的なのかさえも定かではない――ここが途轍もなく、怖い。
本書では古来から伝わる「化猫伝説」からモダンホラー的な現代の「恐怖小説」まで、広い範囲の作品を遍く網羅している。その恐怖の根元に繋がるのはこの「猫の理不尽さ」にあるように感じた。

1,800円の定価に多少びびってもこの内容ならば逆にお買い得。特に、幻想文学系の諸大家が紡ぎ出す言葉の魔術、透徹たる文章にどっぷりと浸ることが出来る。初心者から上級者まで十二分に、そして多様に味わえるホラーアンソロジーの秀作。


99/11/15
京極夏彦「魍魎の匣」(講談社ノベルス'95)

京極夏彦の第二作目にして出世作。煉瓦本の走り。劇団てぃんか〜べる公演が近々あるので復習を兼ねて再読。読み返すのはたぶん五度目くらいだが、読む度に新しい発見があり楽しい。

『姑獲鳥の夏』事件の二ヶ月後、書類仕事で遅くなった警視庁の巡査部長、木場修太郎は下宿のある武蔵小金井駅の踏切で飛び込み事故と行き会う。被害者は柚木加奈子という女子中学生。立場上、捜査の協力を求められた木場は、彼女と一緒にいた楠本頼子という同級生から事情を聞こうとするが泣くばかりで埒があかない。頼子を連れ、重体の加菜子の入院した病院を訪れた木場は、加菜子の保護者として現れた弁護士の増岡、そして銀幕を引退した女優の柚木陽子と出会う。一方、作家の関口巽は初単行本の出版の打ち合わせに出向いた出版社で、新進気鋭の幻想作家、久保竣公と邂逅。家に帰った関口を待ち受けていたのは雑誌記者の鳥口。彼は相模湖で発生したバラバラ死体事件の取材に同行して欲しいと関口に強く依頼する。

やはり(自分的)京極夏彦のベスト。最強の破壊力を持った構造体
京極夏彦作品は出版される度に全て目を通し、作者の幅広い題材への対応力、高い文章力、奥深い構成力等々、その都度慨嘆する。しかし京極氏は実に二作目にして「推理・幻想・ホラー・ユーモア・恋愛・SF」の全ての要素を惜しみなく注ぎ込み、多数の登場人物を心憎いばかりの配置によって動かし、全てのジャンルの読者へ強烈な印象を残す作品を創り上げてしまっている。後の作品群も驚嘆すべき内容ではあるものの、本作により打ち込まれた衝撃は私の読書人生を左右する程強烈であったことだけは事実だ。
本書を基にいくつもの評論が(書評ではない!)が作成されていることでも分かるように、人によって本作へのアプローチは様々。「これ!」と決めた読み方は存在しない。ミステリとしてもSFとしてもホラーとしても読めるのは勿論、種々の形で込められた京極氏の妖怪へのこだわりや、超能力・宗教論、犯罪精神論など、学術的な分析を行うことさえ可能。また京極堂、榎木津を中心とする、俗に言う「キャラ読み」さえも出来てしまう。マルチエンターテインメントの結晶。誰もが自由に自分流でしかも楽しみながら読める。考えてみれば冗談のようなオチを持つ本作だが、舞台と構成の巧みさにより、最終的にどの読み方をしてもきちんと収斂し、不自然さが押さえられている辺りも流石。
今回の再読にて気付いたこと。バラバラに文中に挿入されている作中作『匣の中の娘』は、そのレトロな文章によって喚起される想念、妄念が読者の心の隙間にひたひたと入り込んでくる。これは実は傑作短編ではなかろうか。(未完なのが残念)また改めて幻想文学的にアプローチを考えるに、本作の以下の点が瑕疵のようにも思えてきた。(ネタバレのため反転)ラスト、雨宮が匣入りの加奈子を持って島根で伊佐間と行き会うシーン、是非ともここでも「匣の中の娘はもしかしたらまだ生きているかも」という演出を付け加えて欲しかった。そうした方が雨宮が踏み込んだ境界部分が強調され、遙かに余韻が増すように思えるのだが如何。

シリーズ作品であり『姑獲鳥の夏』から順に読んで頂きたい作品。文庫化され外観の匣的イメージは小箱になってしまったものの、本書は未読の方にとっては「パンドラの箱」になることが間違いない。心して。


99/11/14
大下宇陀児「自選探偵小説傑作集 凧」(早川書房'46)

昭和21年発行。もちろんMYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLEで今まで取り上げた作品中、最も古い。仙花紙本でもちろん旧仮名、旧漢字。でもこれがまた面白いのだから始末が悪い。貴重な本をKIYOCA-CHANよりお借りしました。多謝。(梅田古書倶楽部で売ってましたが、四千円でした)

幼い頃より父親に虐待されていた息子。母親は彼に父親が不在の時は奴凧を上げるようにしてくれと頼む『凧』
地元の代議士の御転婆娘は、夜中に一人でスキーに出掛けたところストーカーの男に襲われる『紫色燈の處女』
金持ち紳士の主宰する雪の山荘でのパーティ。旦那を置いて一人出席した女性教師は身の置き所がない『雪の城』
お伊勢は良く気の付く出来た女中であったが、内心では主人夫婦の波風を願う屈折した心を持っていた『悪女』
劇団の唖の女芸人は団員から虐められ続けていた。彼女は唖に効くと生きた蛞蝓を飲み込む癖のある『なめくじ綺譚』
落語家の師匠は身請けした年下の女房にベタ惚れ。女房の機嫌を害することを怖れ間男さえも叱れない『落語家變相圖』以上六編。

知らない時代なのに何故か情景が瞼に浮かぶ……探偵小説的大下世界
後に伝わる『凧』『悪女』の出来がやはり抜けているのだけれど、他作品も含め「奇妙な味わい」を持つ作品が揃う。トリックとかなんとか細かい作品検証をしていくと杜撰な部分が見える割りに、読み終えてみると「これぞ探偵小説!」と力を入れたくなるような不思議な感覚を味わった。それぞれ事件があり、謎があり、解決がある。ミステリとしての単純な骨格、それだけではこの感覚は醸し出せない。むしろ現代の読者の視点からすれば、謎もトリックも解決も貧弱なレベルに映るはず。それなのに物語がこれほど魅力的に感じられるのは何故なのか。
一つ言えるのは、人間描写の巧さであろうか。当然執筆当時は戦前。物語の舞台となるのは、一般家庭。ブルジョア。医院。女中。サーカス団。噺家。これだけ取っても勿論魅力がある。同じ日本でありながら、現代と比すれば同じようでいて全く異なる価値観、風習、生活がある。そんな中で発生する事件。見かけこそ異なっても、事件の原因や結果として訪れる困惑や恐怖、後悔、疑心といった登場人物の情動だけは現代と全く変わらない。むしろ素直な分、現代より分かり易いかもしれない。五十年以上経った作品を新鮮な気持ちで味わえる理由だろう。このよく知らない舞台とよく知る人物のギャップが探偵小説の魅力なのかもしれない。
身分不相応なパーティに参加したが為に大きな代償を負う『雪の城』。幻想的かつ恐怖感溢れる妄想の描写は傑作。また『なめくじ綺譚』は作者のとぼけた語り口と登場人物が味わう悲哀とのギャップに忘れがたい印象が残る。本当に読めて良かった。

『凧』『悪女』に関しては創元推理文庫の探偵小説全集にも収録されているので雰囲気を味わいたいならまずそちらから。


99/11/13
山田風太郎「忍者六道銭」(角川文庫'80)

角川文庫では最初に長編及び連作短編集を忍法帖に収録しており、本作はその中で二冊目の短編集。「忍者の決闘」を主題にした作品を風太郎自身がセレクトしたということで、著者自身の意向も反映された内容。「…試合」という作品が多いことでも分かる。

姫君が気に入らない二人の花婿候補者が結婚を諦めるよう、二人の忍者に依頼する『忍者六道銭』
家康は長男秀康の不穏な動きを忍者に探らせる。くの一たちは次々と秀康に屈服する『摸牌試合』
将軍指南役の為に女人と交わりながら精を押さえることで無敵の剣法を維持する宮本武蔵『武蔵忍法旅』
大岡越前守が伊賀者頭領が嫁入り前夜の処女を奪い取ることを咎めたところ、忍術の為という『膜試合』
柳生の跡継ぎの元に来た小野一刀流の娘。しかし彼は美少年を寵愛していた『逆艪試合』
交配の妙に取りつかれた平賀源内が伊賀と甲賀の血に着目、反発する二家の縁組を目論む『麺棒試合』
道場の危機を救った浪人は女人に殺されるために故郷の伊賀に帰らねばと恋人に語る『かまきり試合』
麻耶藩に仕える催眠術を操る三人の忍者は主を襲った剣客を屠る。生き残りの三人は催眠に対抗すべく三種の技を編み出し、甲州路にて再び相まみえる『忍法甲州路』

強大な相手との決闘こそ忍者の華。忍者が最前面にて活躍できる唯一の場の集成
これまで多数の忍法帖を読んできた。風太郎作品における忍者はあくまで「影」であり「陰」であって、物語の主人公こそ務めることはあっても、あくまで歴史の表面からは見えないところで活躍する存在として描かれている。本作品集においても、そのポリシーが変えられている訳ではない。だが、忍法帖という物語内部で最も忍者が活きる瞬間がある。それは「決闘」であり「戦い」。ひたすらに己の身を極限まで鍛え、必要あれば改造し、常人の想像も及ばぬ特殊な技を身に着けた一騎当千の強者。彼らが物語で「生の悦び」を見出す瞬間は、あくまで命を賭けた「決闘」の最中しかないのだ。
果たして、この作品集に登場する忍者たち。ユーモラスな題名とは裏腹に奇妙な理由で理不尽な戦いを強いられる。しかしこの瞬間のために「忍者の生」があるのだ。忍者vs忍者、忍者vs剣豪、忍者vsくの一。パターンは色々あり、相変わらず「どこからこんな想像力が働くのだろう」という各種忍法が飛び交う作品中、彼らは戦い、傷つき、命を落としていく。それでも彼らの戦う姿は深く心に焼き付くのだ。
主人公の輝きとは別に、風太郎によるストーリーテリングも全く負けてはいない。皮肉な結末、思いもよらないどんでん返し。時代設定、登場人物設定の奇抜さ、妙な説得力。「外れなし」と言い切れる風太郎忍法帖の凄さはどの短編にも漲っている。名作とされる『忍法甲州路』の意外で皮肉なラストなどその最右翼とも言えよう。

本作収録の短編は講談社文庫『忍法関ヶ原』を始め講談社ノベルススペシャルの短編集や講談社大衆文学館などで読むことが可能な作品が多い。が、やはり風太郎自身によるダイジェストというコンセプトには抗いがたい魅力を感じる。


99/11/12
久生十蘭「無月物語」(現代教養文庫'77)

初版は古いが教養文庫、思い出したように再版しているので本書も新刊書店で購入しました。'97年の六刷。芸術とも称される磨き抜かれた文体を誇る久生十蘭の教養文庫傑作選の最終巻。解説・都筑道夫、解題・中井英夫。

江戸の末期、船に乗り訪米した一人の侍の記録『遣米日記』
江戸の末期、異人警護の任についていた男は一人の仏人と諍いを起こす『犬』
江戸の末期、太鼓の名人であった侍は維新戦争に翻弄される『亜墨利加討』
明治期、人を愛することに無器用な貴族の男は心ならずも妻を手に掛け……『湖畔』
後白河法皇の時代、親殺しの罪で滅多に行われない死刑に処された妻と娘『無月物語』
享保十八年、一人の美青年が不思議な恋に陥り数奇な運命を辿る『鈴木主水』
嘉永のはじめ、一人の殿様のふぐりが段々と巨大化する病に罹る『玉取物語』
秀吉の頃、犬猿の仲である蘆屋家と風摩家の娘と息子が悲劇的な恋に落ちる『うすゆき抄』
寛永二年、重責を耐え難く思っていた老中、酒井は部下の申し出に飛び付く『無惨やな』
天保元年、ひょんなことから貴族の奥方を貰った侍の悲喜劇『奥の海』以上十編。

慨嘆、そして嘆息。一読では味わいきれない贅沢で芳醇な物語
物語の筋を紹介しても意味がないのではないか。そんな絶望的な気分におそわれた。本書に収録された久生の短編、これらは「渡来もの」「時代もの」の二種類に大別される。「渡来もの」は戦時に執筆されたものらしく、維新開国の時期に世相を重ね、講談調の語り口から日本人の矜持を保て!異国人何する者ぞ!という精神昂揚のニュアンスが第一義的にあることは感じられる。だが、受ける印象がそれだけではない。もっと重苦しい人間の魂の澱のようなものが作品から滲み出ているように思う。それが何なのか。困ったことに言葉にしようとする端から、手のひらからこぼれ落ちてしまうような、脆く不確実な感覚なのだ。
更に『湖畔』以降の作品群。これらは何かしら時代劇や、講談などを借景して十蘭が新たに世界を構築した物語らしい。普通ならば物語の展開を楽しむはずが、更にその強いエネルギーの塊みたいなもの(やっぱり言葉に出来ない)が益々強烈に感じられる。その一層目は分かる。切なく哀しい純愛、信念に殉ずる峻烈な心。更にこれらを突き抜けた所、二層目、三層目ににある別の言葉に表しきれない何か。心が揺さぶられるのに、何故こう感じるのかさえ分からない――。ただ一つ理解したのは、現在の自分にはまだまだ読解力不足だということ。物語の筋を解説したところで、この感覚は伝わるまい。やはり読んだ人それぞれに、それぞれの十蘭がある。そう強く感じる。
久生の文章の全てを丸々受け取れないのは、物語を提供している久生にではなく自分の側にまだ何か、経験か想像力かが欠けているからなのだろう。もっと真摯に生きて経験を積み、人間として成長する度ごとに少しずつ久生の語りたかったことが自分の中で形になってくるのではないだろうか。私は必ずまたいつか久生を読むことだろう。繰り返し繰り返し。

ちなみに『鈴木主水』は'51年(昭和二十六年)の直木賞受賞作品である。


99/11/11
鷹見緋沙子「悪霊に追われる女」(トクマノベルス'89)

謎の覆面作家、鷹見緋沙子の諸作。徳間文庫に所収されている五冊に関しては比較的入手しやすいかと思われるが、実は文庫落ちしていないノベルス作品が本作を含め最低四冊ある。

平泉順子は、夫の洋治の大学のバレーボール部時代からの親友、寺西研二との不倫を楽しんでいた。順子は土地持ちの一人娘として、その美貌と大きな経済力をもって自由な夫選びをした結果、洋治を選んだのだったが、寺西にも未練を残していたのだ。夫の出張を幸いに日光に研二とドライブに出掛けた帰り道、道に迷ってUターンする際に若い女性を研二は轢いてしまう。崖から落ちた女性の様子を見に行った寺西は、彼女が既に絶命しており、遺書が残されていたことから彼女が自殺志願者だったのだ、と彼女に告げる。発覚を怖れた寺西は女性を埋め、結局警察には届けないまま二人は現場を去った。一年後、白骨死体が発見されたとTVで報じられた数日後、順子は寺西宛に届けられた「女の轢き逃げを見た、金を用意しろ」と書かれた脅迫状を見せられる。順子は夫への発覚を怖れ、否応なしに金を用意するが、その後も脅迫状は次々と届けられた。

私は轢き逃げ犯?悪霊から届けられる脅迫状?美貌の人妻が不倫の果てに見たものは??
と、まぁ、二時間ドラマ風。
鷹見緋沙子の文庫化された初期三作は少しずつ異なったテイストの「本格推理」の味わいに満ちていたのだが、それ以降に出版された(相変わらず覆面作家としての中身は分からないけれど)作品群は徐々にサスペンス指向が強くなってくる。本作でその趣向を強めているのが女性主人公の一人称視点。彼女が味わう犯罪への韜晦、原因不明の現象への恐怖が物語の中心を成す。後ろめたさや社会的地位の崩壊の恐怖など、彼女自身の行動、考えは非常に分かりやすいし、謎もそれなりの魅力がある。……ただ、不倫を楽しむコジャレマダムという主人公像にどうにも感情移入が難しかった。なので100%作品を味わうことが出来ていないかもしれない。あくまで私の問題であるのだが。
サスペンスを強く打ち出しながらも、いくつかの伏線を含ませ、奇妙な「悪霊」という存在を打ち出して、なんとか「ミステリ」への回帰を図っていたのでは、と窺える節がある。しかしその試みも、サスペンスとの狭間で中途半端になってしまっているところが少し残念。真相にしろどんでん返しにしろ、掘り下げ方が足りなく容易に見透かされてしまうレベル。この辺りもまた「ミステリー2時間ドラマ」を想起してしまう原因の一つかも。ただそれが悪い訳ではもちろんなく、これもまたエンターテインメントの一様式かと思う。

そうそう見かけない上に「長編官能サスペンス」の文字がレジへ運ぶのを躊躇わせるかも。そのような(官能)シーンが皆無とは言いませんが、想像されるほど強烈ではありません。二時間ドラマ風サスペンスがお好きな方なら楽しめるかと。初期の本格作品を押さえられた方なら、そのギャップを味わうのもまた一興。