MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/12/10
吉村達也「京都魔界伝説の女 −魔界百物語1−」(カッパ・ノベルス'99)

「殺人プロデュース」を行うという悪の化身、QAZ(これはキーボードの左配列のタテだな)。彼が引き起こす百の事件と、サイコセラピスト氷室想介との戦いを描くという「魔界百物語」の一作目。今後このシリーズを氏はライフワークにするという。

住民の反対運動を押し切って建設された十三階建てのマンション。母親が眼を離した隙に十歳になる息子が最上階の部屋から墜死した。彼が死の直前に読んでいた本、それは『小学生にも分かる超能力』執筆者はろくどう・ひそか。息子の死の原因を巡って夫婦仲は双方の親を巻き込み分裂、互いを憎悪する泥沼の関係となる。
'97年。東京から京都に事務所を移そうと計画する氷室は、宿泊しているホテルのバーで「魔界案内人」を名乗る一柳という男と出会う。彼の本職は普通の観光案内業ながら、京都の歴史は血みどろの抗争であったと氷室に力説、京都は魔界であると言い切る。一柳は'99年に今をときめく超能力タレント、鹿堂妃楚香の発案する「魔界ツアー」の仕事を頼まれており、彼女がした予言について氷室に尋ねる。

前半〜中盤まで辛いが、後半のロジカルな展開に光が
日記(99/12/01)で中間報告した通り、中盤までは近年の吉村作品の(私の価値観に照らせば)悪い方の影響を感じた。即ち、<作者自身が出掛けた観光地のレポート+その地域で取材した事柄を作品中に無理矢理織り込むパターン>。この結果、旅行記にミステリを加えるという制約で窮屈な作りになり、作品そのものが良くてこじんまり、下手するとこじつけになっている、というのがここのところ残念で仕方がなかった。また、唐突無理矢理の登場人物設定。例えば超天才とか、殺人淫楽症の人物を登場させるなら、それに相応しい背景があろうというもの。彼らが温泉や観光地にいきなり登場すればミスマッチに陥るのは必然。
……と、旧作批判はさておき、本作。序盤は上記のパターンの追従。京都、香港を舞台に「予言を行う美人超能力者」「魔界案内人を自称するオヤジ」「十数カ国語を使いこなす異端天才学者」「超美少女天才学者助手」が登場。そもそも「犯罪プロデューサーQAZ」だけでも怪しいのに……。ミステリとは関係ない部分の独特の歴史観、恋愛観などには見るべきところがあるものの、本筋の膨らまし方はか冗長。
ところが終盤に入り、事件とその解決に至る部分では一筋の光明を感じた。犯罪者の狂気の論理性が意外性と共に浮き上がる、本格ミステリらしい展開になっている。事件の骨子は「バラバラ切断された手首と足首だけが猿のぬいぐるみの手と共に予言された場所から見つかる」……という猟奇的なもの。「容疑者にはアリバイ」「動機は不明」……詳しくは書けないが、種々の伏線をつなぎ合わした結果、関係者が辿り着く「切断という行為の真相」関しては目新しく、そして合理的な解決がなされている。このプロットに物語を絞れば、シンプルで良いミステリになっただろう、というのは読者のわがままか。

正直、万人にお勧め出来る作品ではまだないです。贅肉が多すぎるのが痛い……ですが、少しずつ作風を取り戻しつつある予感もあり、やっぱり自分的には吉村達也は目が離せません。今後の感想にてご判断を。


99/12/09
岩井志麻子「ぼっけえ、きょうてえ」(角川書店'99)

第六回日本ホラー小説大賞を短編ながら受賞した表題作に加え、書き下ろしの三編の中編(長めの短編)小説が加えられて単行本化されたもの。岩井さんには別名義での少女小説家としての側面も。

岡山の外れで働く遊女。決して美しくない彼女が、遊びに来てくれた旦那に自らの境遇を一人語りする。農村で村八分にされていた彼女の母親は子供の間引き専門の産婆。双子で生まれてきた彼女は捨てられて二日経っても生きていたため、仕方なく育てられたのだという。受賞作『ぼっけえ、きょうてえ』
岡山の山村で虎連刺が流行。患者の存在を隠す村人対策のため、役場は患者を密告するための函を設置。一人の下級官吏がその開封と密告のあった家庭を訪問する役割を命ぜられる『密告函』
岡山の漁村。その村の沖には干潮時にだけ姿を現す岩場があるという。「あまぞわい」と名付けられるそこには洞窟があり、女性の霊が取り憑いているという。その女性は尼とも海女とも伝えられる『あまぞわい』
農村の片隅に暮らす貧しい孤児兄妹。彼らはある理由から忌み嫌われていた。兄は年頃になると日清戦争の為に軍隊に志願出征。妹はある農家に下女として引き取られるが人間扱いされず牛舎で牛と生活を共にさせられる『依って件のごとし』以上四編。

きょうてえの「きょう」は、恐怖の「きょう」。現代に甦る本当の怪談
津山三十人殺し、八つ墓村。近年だと龍臥亭事件、か。岡山の中国山脈よりを舞台に展開される事件には猟奇の香りが常に濃密に漂う。不便な交通、瀬戸内海寄りとは比べものにならない悪天候、地質の悪条件。中央、現代の常識で考えるのとは異なった土俗の習慣がいくつも残っていた土地。キーワードは「隔絶」と「貧困」か。それに、その状態が敢然と屹立していた「時代」が加わる。物語の舞台は整った。
この舞台から、地域故のいくつもの禁忌(タブー)が編み出され、そしていくつもの禁忌が破られていく。「貧困」ゆえ「隔絶」ゆえ。そして「時代」ゆえ。
そういった(あくまで現代の常識下でしかないが)特異な環境下における、四つの怪談。ホラーでなく怪談。これが収録の四つの作品である。今までのホラー大賞とは全く怖さの質が異なる。三人称を廃し、一人語りで、独特の方言と共に語られる『ぼっけえ、きょうてえ』そして『あまぞわい』。また三人称でも忍び寄る影が悪意や欲望の形をとっていつの間にか全編を覆っている『密告函』『依って件のごとし』。これら怖さを伴った幻想的な物語群は、どこか夢野久作が九州を舞台に描いた一連の幻想小説とも通じる気高さに満ちている。 行動だけを取れば「鬼畜」と言われても仕様のないような出来事も、その根本にある葛藤も迷いもない精神に、現代人にない美しさを感じてしまうのだ。そしてその背後にぽっかりと空いた虚ろな穴も。丁度、我々の太古の祖先が単純に「暗闇」を恐怖の対象としていた時に味わったような恐怖。本書に漂うのは、理屈で割り切れる怖さではなく、心の奥底から這い上ってくるような怖さなのだ。

科学知識に裏付けられた怖さや、人間の狂気が醸し出す怖さだけが「ホラー」だと一般に思われている現在、正統派怪談とも言える本書が高い評価を受けているのは喜ばしいことだと思う。実際、かなり売れているらしい。


99/12/08
土屋隆夫「美の犯罪」(角川文庫'79)

'50年から'70年頃までに書かれ、当時単行本未収録作品をまとめた角川文庫での十五冊目。「宝石」の懸賞にて『罪深き死の構図』でデビューした筆者の受賞後第一作『外道の言葉』など、押さえたい作品が並ぶ。解説は著者自らが執筆。

母子家庭の寝たきりの母親が死化粧を施されて殺された。犯人は評判の親孝行娘。彼女は犯行動機について緘黙する『美の犯罪』
万引きをゴロツキに目撃された人妻。彼女は見逃してもらう代わりに体を許すが、エスカレートする男の要求に耐えられなくなった『殺人ラッキー賞』
ある産婦人科医に寄せられた男の遺書。地位あるその男は、ある店の女給と関係を持ったところ、それが若い頃に別れた自分の娘としか考えられないことに気付いた『外道の言葉』
人妻から亭主へ宛てた不貞を詫びる遺書。その旦那から親友への虚無的な遺書、そして、もう一通の誰かの遺書『三通の遺書』
探偵社の入社試験と称し変装して都内を廻らせられた男。明らかにインチキな依頼をした、その男は彼のアリバイを盾に殺人計画を実行する『心の影』
体の弱い婦人が自宅で殺害された。容疑者である夫は娘を連れて離れた街の映画館にいたというアリバイがあり、それも立証された『天国問答』
長編『妻に捧げる犯罪』の原型になった短編。悪戯電話常習の男が偶然聞いた女の声。その声は殺害計画の実行を告げていた。興味を持った男は推理を開始『女の穴』
出世の為に結婚した女房が一年間入院している間、冴えない旦那は醜貌の部下の事務員と浮気。期限が近づくに連れ彼女の深情けに困り始める『肌の告白』以上、八編による短編集。

犯罪の持つ生々しさが、土屋氏の手で更に生々しさが際立てられている……
土屋短編には独特の生々しさがある。 人間関係の軋轢を書くのが巧いというのか、犯罪による心の葛藤を描くのが巧いというのか。嘘を嘘で塗り固めなければならない人間や、自らの立場を保全するために追い込まれる、心に闇のある人間が物語を導く。多くは独白形式で描かれ、犯罪に走る人間の持つ独特の「心のねじれ」が全編を支配し、いつの間にか読者の心をも浸食する。そこに至ってしまう人間の弱さ。夫婦などの関係の脆さ。欲望(特に男女関係から生じる欲望)。そういった「心のねじれ」が、犯罪を演出しているかのような怖さ。感情移入出来る登場人物がほとんど出てこないにも関わらず、土屋作品に妙に惹かれるのは「人間の持つ心の暗部」に独特の引力があるせいだろう。
人間が誰しも持つ「覗き趣味」。変態的なニュアンスに限らず、ゴシップや他人の考えていることが知りたい、といった誰もが持ちながら、表層では「そんなの興味ありません」と鼻で笑っているような根元的な欲望を、土屋氏の短編は毎度毎度くすぐっていく。そして味わうのは爽快感というよりも喪失感。これこそ「犯罪の果て」にあるものなのか。文学的と言われる土屋作品にこそ、この真実がしっかりと描かれているというのも皮肉なものだ。

取り敢えず、重複を防ぐために短編集も角川で私は進めていますが光文社文庫などの方がまだ比較的入手しやすいかも。しかしまずは長編から入りたい作家。その後、短編集に取り組んで異なった余韻を味わって欲しいものです。


99/12/07
倉知 淳「幻獣遁走曲 猫丸先輩のアルバイト探偵ノート」(東京創元社'99)

倉知淳の五冊目にあたる単行本で『日曜の夜は出たくない』に続いて、猫丸先輩が探偵を務める短編集。『創元推理』誌等に発表された作品に書き下ろしが一作加わったもの。

ペットフード会社主催の猫品評会でのアルバイトをする猫丸先輩。ダイヤモンドの指輪が消える『猫の日の事件』
新薬テストのちょっと危ないアルバイトをする猫丸先輩。一緒に検査していたはずの若者が消える『寝ていてください』
珍獣アカマダラタガマモドキの捕獲チームのアルバイトをする猫丸先輩。唯一の資料の手紙が消える『幻獣遁走曲』
デパートでの着ぐるみヒーローショウのアルバイトをする猫丸先輩。ヒーローの着ぐるみに悪戯がされる『たたかえ、よりきり仮面』
松茸が取れる山の地主から頼まれアルバイトをする猫丸先輩。籠にいっぱいあった松茸の一部が消える『トレジャー・ハント・トラップ・トリップ』以上五編。

柔らかいユーモアと暖かい雰囲気「日常の謎」の王道
今まで発表されてきた「猫丸先輩」を主人公とするシリーズは、日常系の謎志向が感じられつつ、しっかりと悪意が描かれていたり、刑事事件だったりと一般の事件に近く、「境界線」の作品だったように思う。ミステリ的に普通の事件とも日常の謎との境目をどちらにも浮気出来るような位置づけで、ある意味贅沢なポジションだった。それが本作は一転、「日常の謎」の方の王道、ど真ん中を歩む五つの短編となった感。冒頭の『猫の日……』こそ窃盗事件なものの、残りの事件はハッキリ言えば他愛もない出来事。これが作品全体の雰囲気に絶妙の好影響を与えている。
事件を創り出すための変てこなアルバイトという舞台の設定、特徴のある登場人物の絶妙な配置。演出だけで、既にきちんとユーモアを予感させ、更に実際に見事な舞台回しにて実現させている。加えて、物語毎に異なった人物の一人称視点にて語られている点にも注目。猫丸を余り良く知らず、逆に怪しく感じている語り手と、既に知っている読者、この視点のギャップも計算されたユーモアだろう。
そして作品を読み終えた後にしみじみと感じる「暖かみ」。これこそ倉知作品ならではの味わい。
本作にて取り上げられている「何かが消失する謎(モノ、人……)」と「その解決」には古典の換骨奪胎?や、ホントにそれが正解?と思えるものも。にしても、爽やかな読後感がそのような多少の「?」は打ち消してくれる。

心休ませたい時に手に取るのに絶好の本。寡作で(ナマケモノと呼ぶ人も)知られる倉知氏であるが、このレベルの作品をきちんと打ち出しているうちは、確実に支持者を増やしていくに違いない。


99/12/06
横田順彌「火星人類の逆襲」(新潮文庫'88)

新潮文庫書き下ろし。これってその、横田順彌の「明治物」と呼ばれる一連のシリーズの一環と考えて良いのでしょうか?良いのでしょう、多分。押川春浪だし。

新渡戸稲造の「野球害毒論」に熱り立つ天狗倶楽部の面々。天狗倶楽部は冒険小説作家、押川春浪、早稲田大学応援隊隊長、吉川信孝らが中心となるバンカラスポーツ社交団体。愛する野球の名誉を守るため新聞で論戦を繰り広げようとしていた矢先、途轍もない事態が発生してそれどころではなくなってしまった。東京は大森海岸付近に隕石と思われる謎の物体が落ち、数日後になって円筒状の機械に乗ったタコのような異星人が目撃されたというのだ。数年前に英国を襲った火星人と思われる彼らは、戦闘機械にて大森の漁民らを緑色の怪光線で焼き殺しながら上陸、少しずつ移動を開始した。英国での火星人はバクテリアにて自滅した教訓を踏まえ、帝国軍もバクテリア攻撃を仕掛けるが逆に戦闘機械は活性化してしまう。火星人は赤い謎の植物を付近に撒き散らしながら、徐々に都心に向かう。天狗倶楽部は勇敢にも偵察のため、大森に赴いた。

明治期の日本へ、火星人来襲! 時代SF冒険譚
解説の會津信吾氏の言葉「遅れて書かれた現代小説」でも本作は明治を舞台としたサイフィクト(?)的冒険SF小説、文化に傾倒し、明治の時代考証を徹底的に行う横田氏。伊達に「古典SF研究家」の肩書きを背負っていない。本作でも本当にさりげなくも「明治」という時代を完璧な形で取り入れている。
さて、本編。'38年、ウェルズが米国でニュース仕立てのラジオドラマで『宇宙戦争』を放送したところ、全米に大パニックが広がったことは有名な話。本作では、このウェルズの火星人が再び地球到達、帝都を目指して無敵の進軍を続ける。お馴染みのタコ型の生物、彼らの乗った無敵の戦闘機械。戦闘の後に繁殖する火星の植物。対するは柔軟性に欠ける軍隊と、野性味溢れる民間人団体、天狗倶楽部。ストーリーとしては明治を舞台にしたパニックSFといった趣き。かなり現実的に軍隊は動くし、人的被害もきっちり描かれる。それに対し紙幅狭しと暴れ回る天狗倶楽部の豪放磊落、痛快無比の活躍によって火星人類撃滅の為の手段が考え出され……と話は盛り上がる。火星人類の特異な解釈、そしてその対抗手段はまたSF。想像力の面白さが広がる。明治を舞台にした痛快SF活劇だ。万人向けのラストも良い感じ。ちなみにダジャレは全くありません。

横田順彌・會津信吾による伝記『快男児 押川春浪』(パンリサーチ出版局)で明治期に実際に生きていた主人公、脇役らの生き様を読むことが出来るそうだ。まさに「快男児」そして「痛快」。読み終わって妙にすっきりする作品である。


99/12/05
山口雅也「ミステリーDISCを聞こう」(メディアファクトリー'99)

山口氏の三冊目のミステリエッセイ集。『ミステリー倶楽部へ行こう』(国書刊行会)『マザーグースは殺人鵞鳥』(原書房)と出版社は異なるもコンセプトを近めた「エッセイ三部作」の掉尾を飾る一作。

 DISC1 「ミステリーDISCを聞こう」
雑誌「ダ・ヴィンチ」連載の同題のエッセイを再収録。ミステリに関する音楽(CD、レコード)を取り上げその収録曲目や関連する本、映画について述べられたもの。
 DISC2 「トラックス」 主に'80年代に様々な雑誌に連載、寄稿された音楽とミステリに関するエッセイ、対談などを収録したパートと、「Swingin' Dick HARD BOILED」と題された一連のハードボイルド作品の主人公と物語の中で取り上げられた音楽とを対比し、訪問記風に綴っていくパート。DICKはdetectiveの俗称。もう一つの俗称ではない。勿論。
 DISC3 「ミステリー・ライナー・ノート」
ジャズの専門雑誌『スイングジャーナル』に'80年代の後半に三年半に渡って連載されていたエッセイ。ハードボイルドを中心としたミステリでジャズについて言及されているシーンを取り上げ、それについて論じる形式。

音楽とミステリーの知っているようで知らない関係
古来、ミステリーには雰囲気を盛り上げるため、登場人物の心情を表現するため、時代風俗を示すため、作品中に頻繁に音楽が登場している。本作の後半「ミステリーライナーノート」にて取り上げられるのはハードボイルド作品、でかつジャズである。基本的にジャズの知識のあるはあるが、ミステリは素人という人間を対象にミステリーを紹介するコラムで分かり易い作り。こういうアプローチはまぁ、普通に考えられる。
一方、その逆にミステリからネタを取って音楽にしてしまった、という一見特異な経歴で作られた希少盤を紹介するのが「ミステリーDISCを聞こう」。希少盤の収集を誇る山口氏にしか書き得ない企画だろう。それらの中間にあるのが「トラックス」にあたりそうだ。文章で表現するのが最も困難と思われる「音楽」という芸術。それを一生懸命に読者に伝えんとする山口氏の熱意には敬服する。ただ実際のところ本当に本書を楽しもうと思うなら、一通り以上の「海外ミステリ」と「ジャズなどクラシックポピュラー」の知識が両立して初めて、という気もする。両方初心者の私としては正直、活字を追うだけになる部分があった。そのかわり、両イメージを浮かべられる人には二つとない良書になるのではなかろうか。
エッセイ三部作全てについて言えることでちょっと疑問点。一冊の中に登場する記事で「同じネタ」を同じようなアプローチで取り上げているものがある。発表媒体が異なる場合やむを得ないかもしれないが、単行本にする際には何がなんでも発表分全部掲載するのではなく、多少考慮すべきではないだろうか。「ああ、またこのネタ?」と思う度、魅力が減じてしまうように感じるのだが……。

本書8Pより抜粋。『今まで見たことのないようなレコード。きっとレアな一品なのだろう。しかし、あまりにマイナーなブツではある……。 「こんなもん、誰が買うんだ?」男は苦々しげに心の中で呟く。 だが、一瞬ののちに、はっとして、「あ、俺が買うんだ……」 と今度は声に出して呟いてしまう。そして男は、諦観の気配漂う溜め息をつくと、そのレコードを餌箱から抜き出して、カウンターへと向かうのだった。』  ……全てのコレクタに捧げる一文、である。私も。そして貴方へも。


99/12/04
河野典生「殺意という名の家畜」(角川文庫'79)

'62年に旧『宝石』誌上に連載され、翌年に宝石社より単行本化。連載の翌々年の'64年に第十七回推理作家協会賞受賞。同時受賞したのが結城昌治『夜の終わる時』。本作は正統派ハードボイルドと言われる。(でも「正統派」って何や?)

駆け出しの作家岡田晨一は深夜に一人の女性から電話を受ける。ジャズをBGMにその女性は「今会って欲しい」と告げてくるが岡田は煩わしさから電話を切る。彼女は星村美智。一度だけ関係を持ったことのある女性だった。翌々日、彼の自宅の郵便受けに「相談したいと思って来ました」という走り書きのメモを残して彼女は完全に失踪。彼女と結婚を考えていたという教育テレビ局のディレクター、永津は彼女を捜しに岡田の元を訪れ、事情を語る。そしていつしか誰に頼まれるでもなく、岡田は失踪した美智の影を追い始めていく。彼女は睡眠薬に溺れた生活を送っており幾人もの男の影がその生活には見え隠れしていた。彼女の正体が分からなくなりかかった頃、新聞記者の友人から岡田の元に「彼女らしき人物の無理心中の焼死体が四国で発見された」という連絡が入る。

「謎」という最も魅力的な罠に嵌っていく男を独特の感性で描く
題名が物凄いと思う。「殺意」だけで充分険しいイメージを持つ言葉であるのに、重ねて「家畜」である。これはもう険しいを越えてトゲトゲしい題名である。どんな暴力衝動が込められているのか、どんなにハードなエロスが(家畜−調教と連想する私はヘン?)込められているのか??
……と危惧した?ほど、強烈ではなかった。独特の寂しさ、哀しさを感じさせられる作品であり、しっかり地に足の着いた一流の物語。過剰な衝動は見当たらない――強いて言えば一連の物語のきっかけになった事件がそれに当たるか。
過去に一度すれ違った女性の秘密を行きがかりから興味を持ち、結局追ってしまう作家。謎めいた彼女が抱えていた秘密とは、彼女はなぜ焼死体となって発見されたのか。一人の女性に発生した謎を追う姿は、先行する幾つものハードボイルドの先駆者を想起する。厳密にミステリとして見た場合、伏線の極端に少ない登場人物や、鍵となる事件人物への行き当たり方などが微妙に気になる部分もある。まぁ、サスペンス風味の為のスパイスとするならば、逆にそれくらいの方が良いのかもしれない。
協会賞を受賞するということは、受賞当時は新鮮さや新しい試みがあったものと推察されるが、私自身はそれ程の驚きや感動を抱くことが出来なかった。それは私が、恐らく後に大量に出た同系統の書物に毒された身体だから、なのだからか。

現在ならば双葉文庫日本推理作家協会賞受賞作全集に収録されているので、そちらでどうぞ。氏自身は一時期スランプに陥っていたとのことだが、SF系も含め様々な著作あり。(本編に登場する作家は「岡田晨一で『アガサ・クリスティ殺人事件』に登場したのは「高田晨一」。なんで?)


99/12/03
中井英夫「真珠母の匣」(講談社文庫'88)

幻想博物館』『悪夢の骨牌』『人外境通信』から続く中井英夫の連作小説「とらんぷ譚」シリーズの最後の一作。

大正生まれの星川家の三姉妹、長女の由良、次女の江梨、三女の志乃。五十代を迎えた彼女らは正月に必ず三人集まって食事を共にする習慣だった。すっかり子供も大きくなり隠居気分の由良、夫が運輸業で羽振りの良い志乃に比べ、ペーパークラフトの教室で生計を立て、独身を貫いている江梨にはいささか気分が重い。ある年、由良は星川一族が絶対の信頼を置く占い師により「姉妹それぞれが眼と歯の病気から大変なことになり、また三人の前に凛々しい美青年が現れて、三人が三人とも恋をする……」という託宣があったと告げた。三十数年前、戦時中にただ一人愛し、そして空母と共に太平洋に散った男、山下洋司を想い続ける江梨は、その言葉を笑い飛ばしながら妙に心に引っかかりを覚える。そしてある日、江梨の家に別荘のセールスマンが訪れる。江梨はその男の面影の中に洋司を見出して多大なショックを受ける……。三人の女姉妹の連作短編に加え、中井風吸血鬼譚『影の狩人』、有終の美を飾るマジシャンの幻想『幻戯』

幻想の裏に侵食する現実。それが更なる幻想であっても過酷な現実であっても
ギリシャ神話に登場するグライアイ――一つの耳と一つの目、一つの口を代わる代わるに使用する老婆。女としての盛りを過ぎた三人姉妹はこのグライアイに喩えられる。社会的な立場、自らの高貴な精神、世間的な常識。長年にわたり培ってきた精神的な支柱。何十年もの間この精神的な支柱に支えられ、決して噴出することのなかった「女」の欲望。それぞれが巡り会った「美青年」により徐々に浸食され、いつの間にか価値観さえ逆転してしまう。その境目は見えるようでいて、読者にはほとんど感じられない。中井英夫独特の「霧」が本作にもかかっている。連作短編の形式を取り、主人公を印象的に切り替えつつ計算されたラストに持っていく手腕。雰囲気に酔いながら溜息。
独自の感性が光る『影の狩人』。本作はアンソロジー『屍鬼の血族』にも収録されており中井英夫による吸血鬼譚の決定版と言えるのではないか。また『幻儀』の乾いた味。読んでいくうちにどこからが妄想でどこからが現実か分からなくなり溶け込んでいくように収束する本編は「とらんぷ譚」の終わりを告げるのに相応しい。

結局「とらんぷ譚」を読み出してから本作にて完了するまで二年を要してしまった。読後、時間が経ってもシリーズ全編を覆う「乾いた霧」のような毒々しくも鮮やかなイメージには感銘を深めるばかり。この講談社文庫版では入手し辛い場合は、創元ライブラリに走りましょう。


99/12/02
都筑道夫「蜃気楼博士」(ソノラマ文庫'75)

発行元を御覧頂ければ分かる通り、都筑道夫氏のジュヴナイル中編集。現在も続くソノラマ文庫が開始された直後、四冊目にあたる。現在は入手困難。

第一の挑戦:厳重にロープで縛られ見張られた戸棚に入った男が殺人を予告。「霊」の力を利用するという。そして遠く離れた場所で彼と一緒に戸棚に入れた筈のナイフで刺された男が発見される。しかも彼の指紋が『蜃気楼博士』
第二の挑戦:山の上の別荘でのかるた会。一人の女性が誘拐され、脅迫電話にて「謎が解けるか?」との挑戦が告げられる。机の上には五枚の百人一首、下の句の札が残されていた『百人一首のなぞ』
第三の挑戦:次郎の隣に住む中学生のあゆみ。彼女が放課後に残っていたところ、数学の東野先生と面談、彼の貴重な本を奪って逃走したという怪しい男が校内から消え失せてしまう。更に東野先生は何者かに殺される『午後五時に消える』

都筑道夫の「読者への挑戦」ジュヴナイルにしておくのが勿体ない!
本サイトを読まれる方なら「ジュヴナイル」というだけでバカにするようなことはないだろう。大人以上に純粋な眼を持った少年少女読者に対しては、大人に提供する以上に純粋で、質の高いエンターテインメント作品でなければ評価はされない。眼に曇りがない分、誤魔化せない。本作ももちろん真っ向からその高いハードルに挑んでいる。三つの中編、それぞれ対象の少年少女はもちろん大人をも真剣に唸らすようなフェアなパズラーでいて、緊迫感溢れる冒険サスペンスなのだ。これが都筑道夫の才能。
三つの中編それぞれに大きく二つのプロット込められており、それぞれに不可能犯罪、密室殺人、暗号、ダイイングメッセージ……と盛り沢山。一口で二度美味しい作り。フェアに(そして大人向きよりは平易に)伏線が張られており、解決もすっきり。逆に「謎解き」の部分が平易に書かれすぎており、勿体ないように思えるくらい。一ひねりした独特の短編長編を見慣れた都筑ファンの眼にも、この真っ向からの本格というのは少し珍しいはず。好奇心旺盛な探偵役の少年、草間次郎は中学生。彼の冒険、機知、屈託の無さ……ちょっと乱歩の少年探偵団とイメージが被って懐かしい気持ちにもなった。

本書はひょんなことから入手出来たものの、ずっと探し続けてようやく見つけた。これは埋もれさせておくには本当に勿体ない都筑作品。どこかの出版社の復刻を真剣に望みたい。(でも復刻ジュヴナイルはあまり売れないらしい……)同じくソノラマより出版された『妖怪博士』(超入手困難)も読んでみたい!


99/12/01
近藤史恵「ガーデン」(東京創元社'96)

近藤史恵さんの第三作目の長編。書き下ろし。ご自身によると本作は「読んで下さい、あなたが好きでも嫌いでも、これが近藤です」なんだそうだ。近藤史恵普及委員会はこちら

自殺願望のある女子大生、真波。彼女は自分自身から我慢を除くと何も残っていないことに絶望していた。自殺の下見のつもりである海岸に出掛けた彼女は、不思議な少女、火夜(かや)と出会う。運命のように彼女を自室に連れ帰った真波は、火夜と暮らし始める。二人は眠ることが好きということ以外は全く正反対の性格、生活だったが、それが逆にうまく運んでいた。しかしある日、火夜は「もういられない」と言葉を残し、真波の元を去ってしまった。
独自の価値観を身に着けた火夜。彼女は自分好みの基準をクリアした男と寝たり、主婦からサイフを掏摸取ることで生計を立てていた。ある晩、彼女は街のチンピラから拳銃を譲り受ける。火夜が「幽霊」と呼ぶ賭場の運営者の友人に誘われて出向いた賭場で、彼女は罠に掛けられ多額の借金を「身体で払う」羽目に陥ってしまう。

さまざまな「愛のかたち」が最大の魅力でありトリックである
近藤作品のシリーズ探偵にあたる、今泉文吾の最初の事件。
序盤は良い。少し謎めいた、ファンタジックかつエキセントリックな二人の女の子の話と思わせる。この二人が離ればなれになったところから、本作の主人公とも言える火夜の物語となる。最初は風船のようでいてカミソリのような感性を持つ彼女を掴むのに苦労する。それは物語の終盤まで続く。壊れやすそうでいて、安易に近づく者を切り裂いていく火夜。自堕落なようにしか見えないのに、汚れを感じさせない火夜。色々な形で彼女の虜になっていく男たち。想像以上の哀しみとほんの小さなことへの喜び。
読んでいるうちに苦しくなってきて、そこから逃れるために更に読む……
謎は中盤から終盤に向けて増えていく。「どのように」というタイプの謎でなく「なぜ?」という動機の謎。これが最後の最後まで分からない。そしてまた明かされるその理由に衝撃を受ける。火夜という少女の存在が物語世界を支配し、そして動かしている感。登場人物のみならず、読者も必ず彼女に引き込まれていく。切なくて哀しくて、しかもそれをどこにも持っていくことが出来ない。どうしてこんな世界を創れるのだろう……。祈りたくなる作品がこの世にあるとするならば、本作がそれである。

読み終えた後、「これが近藤史恵か!」と溜息を吐いた。人物の造形、物語の構造、そして読者に与えるインパクト。見事に計算し尽くされたミステリとしての超A級品であり、かつ独特の精神世界を描いた「少女たちの物語」でもある。忘れられない一作になりそうだ。