MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


99/12/20
連城三紀彦「夜よ鼠たちのために」(新潮文庫'86)

新潮文庫での二冊目にあたる短編集。初出等は不明。(ハルキ文庫を当たれば出ているかも……怠慢です)

妻がラブホテルで殺されたという連絡を受けた画家は衝撃を受ける。彼女つい先程、自らの手にかけて自宅に埋めたばかりのはずだったからだ『二つの顔』
警察を二年間で辞めた男が、元同僚の老刑事に宛てた手紙。とある誘拐事件で追跡中の誘拐犯の行方について偽証をしたことを告白する『過去からの声』
アパートにて父親と二人暮らしの下半身麻痺の女の子が殺されかけた。その部屋の鍵は付け替えたばかりで誰もその部屋には入れない筈だった『化石の鍵』
毎日決まった時間に外出する妻の行状調査……探偵が尾行してみても彼女は金と時間を弄んでいるばかり。逆に尾行に気付かれ、夫の行動を調べて欲しいという依頼まで受けてしまう『奇妙な依頼』
孤児院で唯一の友達の鼠、信子を殺された俺は犯人の少年をナイフで斬りつけた。病院にて一応の矯正を受けた俺は成長し、再び自分の「信子」に巡り会うが……『夜よ鼠たちのために』
年の離れた男に養われる牧子。男には荻窪に彼の帰りを待つ女性、静子がおり、牧子はその女性に嫉妬心を燃やす。一方静子も年下の銀行員と愛人関係にあり、その銀行員は牧子の恋人でもあった『二重生活』以上六編。

めくるめく文章と仕掛けられた超絶サプライズ。間違いなく絶品傑作の短編集
考えてみると連城作品は外れが少ないなぁ……。凄いですよ。ほんと。だって収録作品全てにサプライズが待ち受けているんですから。
残念ながら本作がどのような意図で編まれた短編集なのかは不明――ただ私が感じた限り全作品が「ミステリ」で、全作品に「サプライズ」が込められている点に嫌でも注目させられる。そしてそれぞれはプロットに仕掛けられたトリック。連城さんらしい騙しのテクニックが毎々終盤に脳味噌に炸裂する。六連発、立て続けに騙される快感。このような感激を味わえる作品集など、そうはない。――ここまでなら優れたミステリ作家であれば、大変なこととはいえ努力で実現可能なレベルかもしれない。連城さんの凄さはこの段階に止まっていないところだ。
連城作品と言えばまず想起される叙情性。特に大人の男女の深い情念が絡まった作品が思い浮かぶ。通り一遍の薄っぺらい恋ではなく、耐えたり忍んだり、諦念と溜息の中で育まれる濃密な恋。非ミステリの短編集で見られる、この情熱、情念が本作でもしっかりと下敷きとして物語に編み込んである。否、この燃えさかる情念によって揺らぐ現実、見せつけられる幻想が、物語の大きな原動力になっており、ミステリとしての罠として多大に機能している。同じ題材を扱っていても、連城さんにしか出来ない「処理」によって、見せつけられる変幻自在の罠。素直に酔いたい。

ハルキ文庫での連城ミステリの復刻短編集などはハッキリ言えば「全て買い」(プロデュースが日下三蔵さんだし、セレクトに狂いはないはず)そして、本書ももちろん。新本格ばかり読んでいる人、騙されたと思って是非。日本にはこんなに凄い作家がいるのです。


99/12/19
島田荘司「御手洗潔の挨拶」(講談社文庫'91)

島田荘司の代表的シリーズである「御手洗潔」ものの第一短編集。元本は'87年に同社より刊行されている。再々読でようやく気付いたが、御手洗らしき顔がちらりと描かれた藤田新策画の表紙がよくよく見ると味わい深い。

看板屋のオーナー社長が早朝仕事場でナイフで刺されて死亡していた。株取引の怨恨で容疑者が挙がるが、仕事場には内側外側から施錠されており密室状態であった『数字錠』
ジャズ好きの人間が招かれたあるマンションでのパーティ。嵐による停電に乗じ参加者の一人が装身具を盗み逃走、マンションから飛び降りたかに見えた彼は、近くの高架の線路で轢死体となって発見される『疾走する死者』
酒場で一人の男が自らの不思議な経験を語る。彼は昔、いきなり職場に来た「紫電改研究保存会」を名乗る男から脅迫を受け、数時間宛名書きを手伝わされたという『紫電改研究保存会』
ある老婦人の家のすぐ隣にあった小さなたこ焼き屋台が店ごと盗難された。調査そのものに乗り気でなかい御手洗も、その目の不自由な老婦人の犬が毒殺されたと聞き、本腰を入れる『ギリシャの犬』
以上四中編に島田氏自ら御手洗潔を論じた小文『御手洗潔の志』があとがき代わりに付け加えられている。

現代の推理小説を語るためのベーシック中のベーシック短編集
本作で注目したいのは御手洗潔というエキセントリックなキャラクタの魅力。島田氏の確信犯的な描写が特に本作で強く打ち出されている。島田氏の日本人嫌いはつと有名で、その日本人の持つ嫌らしさを色んな意味でひっくり返したのがこの「御手洗潔」という探偵役に現れている。決して正義の味方ではないが、弱いモノに優しく、強いモノには傲慢、趣味にはどっぷりのめり込み、仕事や世間的な評判などにはあまり感心を払わない。とはいえ世界で最も有名な探偵、シャーロック・ホームズとの類似点が多いのは偶然だろうか。
本作収録の四つの中編はそれぞれコアになるトリックがある。それぞれ「アリバイ」「物理」「心理」「暗号」である。それぞれのトリックそのものは実は極端に驚くような内容ではない。むしろ先人の使用したトリックに近かったり、些か強引さの感じられるものだったりする。それでも四つの作品がそれぞれ強い印象を持っているのは、やはり物語の構築が巧みだからに他ならない。御手洗石岡が決してコーヒーを飲まない理由となる『数字錠』、御手洗の趣味の深さが感じられる『疾走する死体』など実際に重視されているのはサイドストーリーなのだ。つまり物語の軸がトリックに置かれていない。寧ろ、御手洗潔を語るために仕方なくミステリの形式を取り、仕方なくトリックを持ってきているかのようにさえ感じられる。この傾向は後年の御手洗ものの短編でより顕著になる。

今更、と思われる方が多いとは思う。しかし(まだ当時執筆されていなかった)後の短長編や吉敷作品と繋がる登場人物、エピソードなどがいくつも登場、島田荘司作品を有る程度読み込んだ方の再読であれば、深い味わいがあることは間違いないだろう。一種読まれていることが常識扱いされている現代作品。まだ読まれていない方はやはり確実に押さえておきたい逸品。


99/12/18
宮部みゆき「震える岩 霊験お初捕物控」(講談社文庫'97)

'92年から翌年にかけ『時代小説』誌に連載された『百年目の仇討始末』という長編に大幅な加筆修正を加えられ、'93年に新人物往来社より単行本化された作品の文庫化。『かまいたち』に収録されている「迷い鳩」「騒ぐ刀」の続編とも言うべき作品。

深川の貧乏長屋で、蝋燭売りを生業にしていた一人の男が死んだ。生前に喪った女房を弔いながらひっそりと生きてきた男に周囲の同情は厚かった。なけなしの道具をかき集めて葬儀の準備が整ったところで、死んでいた筈の男が起きあがったのだ。「死人憑き!」発見したおかみは叫んだ。
日本橋通町で「姉妹屋」という一膳飯屋で働く、お初は「人の見えないものが見え、人に聞こえないものが聞こえる」特異な体質であった。彼女はその特異な能力で岡っ引きをしている兄を助けているうちに、南町奉行所根岸肥前守の目に留まり、女だてらに奉行所に出入りを許されるようになった。彼女は、名与力、「鬼の古沢」の息子、右京之介と同行を命ぜられるも、この男どうもなよなよして男らしくない。二人で街を歩いているうちにお初は子供が油壺の中で死んでいる、強烈なイメージが頭の中に飛び込んできた。

捕物帖という定型時代小説に「超能力」を加えた総合エンターテインメント小説
『火車』『理由』などの印象が強いせいか、私には宮部みゆきは現代ミステリ作家というイメージがある。ところが、著作リストなどを改めて確認すると、実は定期的と言えるくらい頻繁に時代小説の作品も著している。そちらも幾作品か拝読しているが、時代、風俗とも豊かに書き込まれ、独特の世界を築き上げている感がある。通じて感じられるのは宮部みゆきさんの持っている「色」。特に少年を主人公とするミステリ諸作と、本編「お初」を主人公とする作品とに、どこかしら似た印象を受けるのだ。もしかすると作品に一人称視点を用いる際につい「地の宮部さん」が覗いてしまうから、かもしれない。この辺りはもう少し読み進めてから改めて考えたい。
江戸時代の市井の怪奇現象を編んだ「耳袋」。その中の一編を下敷きに膨らまされた作品。時代が時代であり、体裁は時代小説のそれ。そして一旦死んだ筈の人間が再び生き返る(ゾンビ?)ホラー小説の王道。更に謎を追う主人公を配した捕物帖、すなわちミステリ。そして主人公の超能力。いわゆるSFか。更にほのかに感じられる主人公、お初と右京之介との薄い恋物語まで加えてしまうか。これらが渾然一体となって一つの物語を成しているのだ。そしてこの凄まじいジャンルミックスを物語の語り口からは全く意識させないのが宮部さんの筆力。逆に全体をまとめるために、拡散をある程度計算して押さえているのか、物語そのものは多少こじんまりした印象も残る。バランスが難しいところなのだろう。

単純な時代小説と思えば、あれあれ?だろうし、かといってSFとしてがっちり構えていても、変格ミステリとしても肩透かしを受ける。本作はジャンルに関する先入観無しに「何が起きるか分からない」総合エンターテインメントとして受け取って登場人物や歴史に対する空想を楽しんで欲しい。


99/12/17
貫井徳郎「妖奇切断譜」(講談社ノベルス'99)

前作『鬼流殺生祭』に続く「明詞もの」ないし「九条・朱芳」シリーズの第二作。待ち望んでいた期待に違わない上質のミステリ。

維新後しばらくの明詞の時代、東京に猟奇事件が発生した。絶世の美女が立て続けに殺され、四肢を切断された上、遺体がお稲荷さんに捨てられていたという。九条惟親は七年前喧嘩別れした友人藤下実基からその殺された二人が「今様美女三十六歌仙」という流行りものの錦絵に描かれていることを知らされる。実基の妹、珠子も「三十六歌仙」に描かれており次に狙われるのは自分ではないか、と怯えていると聞いた九条は、その調査を引き受ける。この犯人は「八つ裂き狐」と呼ばれ、街の話題を独占していた。
上野の彰義隊の生き残りで元武士の田村喜八郎。維新による時代変化で職を失い居合いの大道芸と母親の傘貼りで生計を立てる彼は、幼い頃より女性の脚に大きな執着を感じていた。彼は「八つ裂き狐」の噂を聞き「切り落とされた脚」が欲しいと願うようになる。

「やられた!」が二回、時代と解決の融合の妙、見事なる本格ミステリ
時代小説の系譜の一つに捕物帖がある。奇妙な事件や犯罪を、当時の時代風俗と絡め、時代ならではの謎、時代ならではの解決を見せることで独特のエンターテインメントジャンルとして君臨しており、ファンも多い。
九条典親、朱芳慶尚を主人公とする本シリーズ、「明詞」という時代が舞台。明治時代をフィクショナル化した近代の設定にも関わらず、本作から感じられたのは何故だか、捕物帖の雰囲気。前作に関しては時代通りの探偵小説風の雰囲気が窺えたのに。
美人画に描かれた女性が次々とバラバラ死体で発見される猟奇事件、公家出身の役人の友人の頼みで妹の護衛を買って出る九条。各所に挿入される脚フェチの元武士の行状。跳梁する殺人鬼を止められず切歯扼腕する警察。そしてラストに控える「探偵」vs「犯人」の真相明かしの構図――使われているコードは勿論、謎の魅力、伏線の配置、解決のカタルシスに至るまでの個々に見られるエンターテインメント性は、推理小説、探偵小説のそれであると断言できよう。また私の素人目ではあるがきっちり調べられているように感じる時代考証、風俗、江戸の名残と近代化とに揉まれる帝都の風景など、明治を感じさせてもそれ以前の江戸を舞台にした捕物帖と通ずるものでもない。では、何故?
答えは物語の底流に流れる登場人物の意識、考え方にあるのでは、というのが私の結論だ。さりげなくも実は登場人物の意識や考え方がきっちりと描かれている。読者の違和感が少なくなるように配慮されていながら、登場人物は「明詞に生きるその時代の人々」であることが強調され、時代小説にありがちな「舞台は江戸でも人物は現代感覚」という安易さがない。 その時代に生きる人々が、その時代の価値観に基づいて、その時代ならではの事件を起こす。その時代感覚ととびっきりの本格推理の融合。これが単純な時代ミステリの域を越えた捕物帖的雰囲気を醸し出している理由かと思う。
「なぜ人をバラバラにするのかの解釈」や「脚フェチ喜八郎のリアル」を楽しむのも良し。しかしなぜこの物語が「明詞」なのか、を心の隅に置きながら読んだ方がミステリ的にも味わいが深いのではなかろうか。

今年は『プリズム』といい本作といい、貫井本格ミステリの収穫が大きい一年でした。氏の構成力、筆力ともに着々と向上しつつあるように思います。いつか「このミス」一位を獲得して下さいませ。(ほとんど私信)


99/12/16
霞 流一「オクトパスキラー8号 赤と黒の殺意」(アスペクトノベルス'98)

発行元は(株)アスキー。現在のところ主に架空戦記やゲームのノベライズなどがメインのノベルス。妙に活字が大きかった。

浅草に近い下町藻呂黒(もろくろ)町。この町にある蛸薬師の境内のイチョウの木に売れないイロモノ芸人、イロハニ権兵衛が首に縄を付けてぶら下がっていたのだ。その木には死体と共に揺られる八枚の「蛸の絵馬」。権力と人気を乱用する国会議員にしてタレントの名探偵、駄柄善吾と、その下僕扱いの刑事床山は権兵衛の所属する寄席、牧楽亭(ぼくらくてい)の笑鷲屋一門に目を付ける。そこには”全身楽器”権兵衛を含め”下ネタ落語”の笑鷲屋梅独、”地のまま夫婦漫才”海之屋アンモ・ナイト、”ウけない漫談師”赤羽ブルース、”自分にしか分からない物真似”猿間寝太郎ら、「貧乏の七福人」と呼ばれる怪しげな芸人が所属していた。続いて”悲壮な奇術師”竜神丸が一般人と頭突き合戦をして果てたかのような姿で頭蓋骨陥没死体で発見され、そのマンションでは密室で老人がナイフで刺されて死んでいた。砂場にマネキンが突き刺さっていたり、藻呂黒町は大混乱に陥った。

「お口あんぐり」な真相。私は納得したが果たして貴方は??
舞台設定がまず凄い。別にSFという訳でもないのだが「モウロク町のボツラク亭」とまで言われる自虐的な大衆演劇場とその周辺の人々がメイン。名は体を表すの言葉通り哀愁を漂わせるような人生を送りつつも「芸人」としての意地を捨てきれない登場人物らがこの物語の骨格をなしている。その彼らの日陰のような人生が、「人気タレントにして国会議員、権力と人気を利用する名探偵」が太陽となって随所に影絵のように浮かび上がらせられるのだ。霞氏の狙いはイロモノ芸人に陽を当て、悲惨なギャグを連発させ読者を煙に巻くこと……だけではもちろんなく、彼らに纏わる不可能、不可解犯罪が主眼となる。その解決はとにかく物語全体の動機と構図に関しては人によっては拒否反応もあるかもしれない。しかし逆に考えるとこの不可解犯罪のために、これだけの笑いと悲哀に満ちた舞台設定がなされていると考えると、妙に納得、そして感心さえしてしまう。
前作から氏の文章を読んでいて強く感じるのはギャグもさるものではあるのだが、食べ物が目茶苦茶美味しそうなのだ。香り、触感見事に文章で再現していてホントに生唾もののシーンが並んでいる。ああ、たこ焼き食いてぇ。

霞氏の作品は読み出してしばらく、実は取っつきにくい。反面、そのギャグに乗り、物語に乗ることさえ出来れば、すぐに嵌る。つまり噛めば噛むほど味が出てくる作品なのだ。あ、そりゃスルメでんがな。失礼しました〜。


99/12/15
小松左京「継ぐのは誰か?」(早川文庫JA'74)

云わずと知れたSF界の大御所。本作は「元祖SFミステリ」という紹介を以前読んだので手にとってみた。

国家制度は残っているものの戦争は無くなり、全世界がコンピューターのネットワークにて瞬時に結ばれるようになった近未来。ヴァージニア大学都市には各国の大学から優秀な世界の俊英が集まっていた。主人公タツヤはサバティカル・クラスで一年間一緒に過ごすことになった学友達と親しくなり、日々論議に明け暮れる。彼らのお気に入りのテーマは「人類は完全じゃない」……そんなタツヤに催眠下のメッセージが届く。「チャーリィを殺す……」仲間の一人チャーリィを殺害するという予告だった。何もなかったかのように日々を送るが、恋人のミナと眠りについている時に二度目の予告が携帯電話ヴィジフォーンから流れ出る。驚いて飛び起きた二人。彼女をはじめ、他の友人もメッセージを受け取っていたのだ。ミナが養子として引き取っているアフリカ原住民の子供、ジャコポが何か邪悪な存在を感じ唸り声を上げている。仲間の要請でチャーリィには国際警察機構よりの護衛がつく。京都やモスクワで同様に予告殺人が行われていることが判明したからだ。だが厳重な警戒の中、チャーリィは研究室で感電、廃人同様になってしまう。

壮大な主題、膨らむイマジネーション。ミステリはSFの興趣に埋もれて
中盤までは確かにミステリかもしれない。何者かから送られてくる殺人予告、不可能犯罪、ダイイングメッセージ。更にコンピューター上のデータの消去、実験機械の暴走など、この世界において考えられないことが次々と発生する。いくつかの手掛かりが呈示され、この謎に挑む学生達。伏線から読者が謎解きをするのは無理かもしれないながら、この世界ならではの解決が付けられる。広義のミステリと言えることは間違いないものの、竹本健治氏のSF作品などミステリ諸氏が著したSFに比べると、どうしても洗練されきっていないイメージが残る。
個人的にはミステリとして最初の刑事事件(?)が終了した後に膨らんでいく展開にこそ、この物語の主眼があると捉えた。事実、。題名「誰が継ぐのか?」。これは科学文明の発達により、人類が人類としての進化が停止したこの時代、これから衰退していくしかない人類が保持しているステータスを果たして「誰が継ぐのか?」を意味する。中盤以降、この「誰」が明らかになった後の展開。作者の本領であるこちらの部分の方が、前半のミステリ部よりもエンターテインメント性が高いように感じた。二十年近く前に、現在のインターネット環境に近い世界を描いている点にも注目したい。

現在、このハヤカワ版は絶版。他に角川文庫(こちらも絶版)となっていますが、現在はハルキ文庫で現役入手が可能ですので、比較的入りやすいかと。


99/12/14
鮎川哲也「風の証言」(角川文庫'75)

'71年に毎日新聞社から書き下ろされた単行本が初出。鮎川氏の十六作目の長編で、鬼貫警部ものとしては十二冊目にあたる作品。「小説サンデー毎日」誌に掲載された中編『城と塔』を長編化したものだという。

井の頭公園の四阿で男女の他殺死体が発見された。男は音響機器メーカーの技術者、女はバレエのダンサー。二人に何の繋がりもなく、死体の状況から女性が巻き込まれて殺されたように思われた。捜査陣は男が自社内に潜む産業スパイを暴き立てようとしていた矢先に殺されたことから、動機のある同僚を追求する。ところが彼は当日はスケッチ旅行に出ていたとアリバイを主張する。丹那刑事が同行して確認してみても、アリバイは崩せない。あるきっかけからその男のアリバイは崩れてしまうにも関わらず、男は自分は現場には居たが犯人ではない、と主張し始めた。彼の証言より「赤いベレー帽の男」が容疑者として新たに捜査線上に浮かび上がり、事件は当初と全く異なった様相を呈し始める。

物語のテンポと文章のリズム。丹那&鬼貫の名コンビの奏でる静かなる協奏曲
本作でやはり注目されるのは「写真」を利用したトリックになるのだろうか。序盤のスケッチを利用したトリック、終盤の写真を利用したトリックの二段重ねがその思いを強めるのは確かだ。
そのオリジナリティに感心させられるのはもちろんだが、本書の最大の魅力はトリックだけではないように感じた。状況描写、場面転換、事件の進行――容疑者が次々と浮かんでは打ち消されていく――物語のテンポが抜群に良いのだ。とっかかりから真相到達まで深く物語に引き入れられる要因はこの「独特のテンポ」に最大の要因がある。鬼貫ものの例に漏れずアリバイが物語の主眼。しかし本作、鮎川氏お得意の鉄道時刻表のトリックを全く使わない。全く別のあの手この手で遠隔地に居たというアリバイを作る犯人、そして壊す鬼貫。意外性だけならば中盤にて容疑者ががらり入れ替わり、事件の構図が反転する部分が最も強い筈なのに、やっぱり印象に残るのは細かい部分を詰めながら一歩一歩真実に迫っていく鬼貫と丹那の背中、そして彼らが引っ張る物語のリズム。「指の欠けた双子の弟」が登場することで物語の作為性強く感じられるものの、それを利用して99%の完全犯罪を目論む犯人と、確信しながらも聳える分厚い壁に挑むコンビ。驚愕のトリックや一気のどんでん返しがなくとも、論理を積み重ねることで中身の濃いミステリはいくらでも生まれることを再確認。

'97年に青樹社文庫で復刻されているので、現在であればそちらを探せば比較的容易に入手出来る作品。細かいディテールに多少古さはあるが、鬼貫ものの良さは十二分に感じられるはず。


99/12/13
中町 信「新人文学賞殺人事件」(徳間文庫'87)

現在の『小説推理』誌の前身、『推理』誌に連載された『模倣の殺意』という作品が、単行本化されるにあたり『新人賞殺人事件』という題名に変更され'73年に双葉社から出版された。この文庫版が出版されるにあたり更に上記の題名に変更が加えられたのだという。ちなみに本書解説を書いているのは鮎川哲也。

七月七日午後七時。売れない推理小説作家、坂井正夫という男が、自室で青酸カリを飲んで死んでいた。事件は服毒自殺として処理された……。
中田秋子という女性が、坂井正夫の自殺に疑いを抱く。彼の恋人だった秋子は、死の直前に彼のもとを訪れていた謎の女性が事件に関係しているのでは、と考えて独自に調査を開始する。彼はその女性から五十万円もの小切手を受け取っていたのだ。更に彼は近々三百万円もの大金が入手出来るかも、と秋子に漏らしたことがあった。秋子はその女性、遠賀野律子を求めて富山に向かう。
坂井正夫と推理小説の同人で知り合いの津久見伸助という男。フリーライターの彼は坂井正夫の事件を読み物に取り上げて欲しいという依頼を受ける。彼の作品を取り上げた雑誌の編集次長の妹が坂井と昔交際して自殺した過去があったことを知り、彼はその男、柳沢が事件に関係しているのでは、と疑い始める。

かなり強引に無理矢理かけられた一本背負い!判定は、作者の一本勝ち!
本編は「中田秋子」による章と、「津久見伸助」による章という二つの物語が交互に描かれる。この視点の異なる二つの物語、という形式は一つの物語とするため終盤で交錯していくのが普通の形式だろう。二人はそれぞれ「坂井正夫の自殺事件」に別々の立場から疑いを抱き、別々の容疑者に迫って行く。どちらもそれっぽいし、どちらの容疑者も怪しい。両方の事件ともアリバイが立ちはだかり、そこには何らかの作為が感じられる。そして最終的に明らかになる真相は?
……もうこれは読んで貰うしかない。この力技、この驚き。読み終わった私としてはここでは書きたくないし、書けない。
本作で最も巧いと思われるのは、一つの推理小説を「本格推理小説らしい論理による快感」と「変格推理小説らしい驚きによる快感」の二重構造に仕立てあげていること。後に多作するようになり、ワンパターンとも揶揄されている作品もあるようだが、御本人の実力はさすがに高い。納得。

謎宮会のメンバーから勧められた「中町を読むなら……」の三冊のうち『自動車教習所殺人事件』に続く私としては二冊目の本。さて次回予告は恐らく『高校野球殺人事件』となるでしょうか。


99/12/12
飛鳥 高「細い赤い糸」(講談社文庫'77)

'62年、第十五回探偵作家クラブ賞(この翌年より推理作家協会賞)受賞作品。他の候補に土屋隆夫『危険な童話』多岐川恭『異境の帆』など歴史に残る超強力な作品を押さえ堂々の受賞。

某公団の汚職が摘発され、警察の手が入った。関連部署の検収課に勤務する戸塚は自らの身の危険を感じ、取引業者に善処を促す。一方で彼は定年間近の自らの上司、佐々木を生け贄にしようと差出人不明の手紙で彼を脅す一方、証拠書類の改竄を申し出る。終業後に一旦会社を出た戸塚は自らのアリバイを作った上で佐々木を自殺に見せかけ殺害すべく夜半に建物に戻ってくるが、小心な佐々木は既に飛び降り自殺を遂げていた。慌てて建物から逃走する戸塚。自宅近くまで戻って一息ついた彼は、後頭部を鈍器で殴られ死亡する。傷口には細い赤い繊維が付着していた。そしてまた物語は失業中の若者たちの話へと変わる。彼らは知り合いの務める映画館に強盗に入ることを計画する……。

精密に計算された背負い投げを喰らったような感覚
この時代にこのようなタイプのミステリを書ける作家が日本にいたとは。正直驚いた。小手先のトリックもアリバイトリックも叙述トリックも全く使わず、プロットだけで大きな驚きを覚えた。
本作、『「細い」「赤い」「糸」』『「細い」「赤い糸」』のダブルミーニングだ、というのは考えすぎだろうか? 上司殺害を決心していたのに自殺されてしまった部下。恋人が部長の娘の縁談に乗り気で気が気でない女性。映画館の売上を悪友と共に奪い取ろうと計画し、実行する男。自らの手で大きくした病院を若手に乗っ取られるのではと怯える医者。全く異なる視点で描かれる四つの物語、そして発生する殺人事件。共通するのは「細くて赤い糸」。注意していたら分かる、とかそういうレベルでなく本当に繋がっているように全く見えない。
これらの四つの物語の接点を全く読者に見せないまま、一気に最終章に入ってしまう。共通する登場人物も、舞台も、関係もない。四つの事件に張られた見えないくらい「細い」「赤い糸」。縁(えにし)を意味する赤い糸という題名が、読了した読者の頭の中に谺する。そして四つの事件にて語られていたいくつかの出来事が頭の中で繋げられた時、普通の驚き以上のものが感じられると思う。

飛鳥氏の長編は初読なので、踏み込んだ分析は出来ないものの、実力が高いことは確か。作品に長編の多い飛鳥氏の諸作は現在ほとんど目にすることが出来ない。その中で唯一本書だけは双葉文庫の推理作家協会賞全集にて読むことが出来る。有り難いことである。私はもっと読みたい。誰か貸してくれる人がいましたら、お願いします。


99/12/11
山田風太郎「忍者月影抄」(角川文庫'79)

'61年の5月、雑誌「講談倶楽部」にて『くノ一忍法帖』の連載が終了。その翌月から同誌で連載が開始されたのが本作。忍法帖の初期作品らしい特徴がよく出た作品。

八代将軍吉宗の時代。江戸幕府は奢侈禁止令を出し節約を推奨していた。そんな折り、徳川御三家の一つ、尾張藩当主の宗春は本人は勿論、部下や城下に至るまで遊蕩を奨励し、幕府に反発していた。元々吉宗が将軍家を引き継いだ頃の因縁により、紀州と尾張とは「そり」が合わないという事情があり、宗春は吉宗より叱責を受ける。憤懣やるかたない宗春は、真面目一辺倒の吉宗が将軍になる前、紀州藩の若殿の時分に、実は十八人もの妾を囲っていたことを世間に知らしめ、意趣返しを図る。……そうして江戸は日本橋に三人の女性がふらふらと現れた。一糸纏わぬその背中には「公方様」「御側妾」「棚ざらえ」と赤い文字で書かれている。この事件をきっかけに、尾張藩の抱える尾張柳生の剣士と甲賀忍者と、幕府お抱え、公儀御庭番を務める伊賀忍者、そして尾張柳生と激しく競争心を燃やす江戸柳生の剣士、合わせて二十八人の血みどろの戦いが開始された。

まさに奇想のオンパレード。人間の可能性を追求した忍法を見よ!
本作には物語を引っ張る特定の主人公が存在しない。冒頭こそ、公方吉宗と宗春の対決が描かれながら、忍者と剣士に引導を渡してしまうと、彼らは舞台袖に引っ込んだきり、物語の完結に近づくまで登場はない。忍者にも剣士にも、そして標的となる女性達も皆、それぞれの舞台の脇役を務めてしまうと、その姿を消してしまう。忍者剣士標的にそれに関連する人々の名前を加えれば、五十人近い登場人物が登場、普通の小説ならまとまりがなくなり、訳が分からなくなりそうだ。それでも独特の面白さを保っているのは、過去の吉宗の寵姫を一方のグループは、生きたまま江戸に連れ帰らねばならず、もう一方のグループは始末せねばならない、という基本的にワンパターン。しかし奇想に満ち溢れた大いなるワンパターンに乗っ取っているから。その回ごとの主人公が異なれど、読者の頭に基本的な筋書きが入っている。果たしてこの回の登場人物はどうするのか。ワンパターンの枠の中からはみ出るような、手に汗握る死闘決闘には必ずや没入すること請け合いだ。
当初の大名同士の私怨による争いが、いつの間にやら因縁の忍者と因縁の剣士の争いに下がってしまい、死闘の原因と目的の明確さに多少欠けるきらいがあるあたり、欠点とする人もいるかもしれない。ただその点、私は忍法帖に付き物の「凄絶な暗さ」が薄れているようで、逆に好感さえ感じた。忍法帖の人物でありながら、自らの目的(流派の違いによる競争心)の為に戦える彼らは、実は幸せなのかもしれない。

今回の講談社文庫の復刻に漏れた一作。講談社ノベルススペシャルでまだ入手が可能かも。特にアイデアが枯れる前のノリノリの、そして奇想に富んだ忍法が多数楽しめる。その忍法が映えるように物語が出来ているのを楽しみたい。