MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE−特別編
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 私的快適ミステリーズ特別編

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01/08/12
若竹七海(脚本)「毒を入れないで」(劇団フーダニット'2001年公演)

「あの人気ミステリ作家、若竹七海さんがミステリ劇の脚本に初挑戦!」 '2001年夏、インターネットを中心に華々しく話題を呼んだ。演ずるのは新鋭劇団フーダニット。これが第二回目の公演だという。さてさてその内容は……。

舞台は「喫茶店ワイルダー」。夏のある日台風が接近してきており、店の中には黒いズボンに白いシャツをつけたマスターが一人……いや、店の奥の長椅子には誰かが寝そべっているようだ。マスター、毛布を引き上げ、客から見えないように衝立でその人物を隠す。そこに現れたのは、優柔不断そうな若いOLのゆかりと、軽薄そうな彼氏、ケン。彼らは仲こそ良さげながら何かをたくらんでいるようだ。両親を亡くした彼女が受け取るべき保険金を、叔母が管理しているのが気に入らないのだ。ケンはゆかりをそそのかしながらもどこか気が弱い。しかし彼はもし叔母さんが承服しないようなら「プランB」を実行するよう念を押し……一旦出ていく。一方、雨の中、買い物に出ていたウェイトレスとマスター。彼らの間にも当選した宝くじを巡って何やら不穏な雰囲気が。やって来た来た強欲おばさん。ケンも加勢するものの、やはり話はまとまらない。店に入ってきたサスペンスドラマのプロデューサー&監督&シナリオライターのやり取りに、叔母さんの注意が引きつけられた時、ケンが謎の粉末をミルクピッチャーに振り入れた! 

要求される緊張感と、若竹さんらしい世界の雰囲気と。そして果たして結末は?
昨年(2000年)末、クリスマスの頃に綾辻行人、有栖川有栖の御両人が原案を作成した本格ミステリドラマがテレビ放映された。第一回放映終了後、視聴者が推理した犯人とその理由を募集するという趣向。私は放映そのものをビデオで見たこともあって、応募はできなかったがそれこそすり切れるまでビデオを眺め回した。あからさまな手掛かり以外に細かな伏線が実はあちらこちらに張られていたことは何度も見返して初めて気付いた。

そんな経験があった。だから「『本格ミステリ』を劇で行う」(なんたって劇団の名前が、本格の王道フーダニットだ)と聞き、これはめちゃめちゃ難しい(え、そんな伏線あったっけ?)か、目茶苦茶簡単か(あからさまに犯人が分かる)のどちらかと思いこんでいた。だが、それは杞憂に終わる。舞台の特性を利用したとはいえないが、十分に後で思い出せる範囲の中に伏線やヒントがある劇となっていた。まずはその点、高く評価したい。

そして一方、人間の悪意を描くことに近年益々磨きがかかる感のある若竹さんらしく、舞台の上に様々な動機を陳列する。遺産管理を巡る叔母と姪の確執、宝くじの当選金を巡るマスターとウェイトレスの深刻な雰囲気……等々の物語が始まる前から続いていると思しきものから、テレビプロデューサーに自信のシナリオを改悪されていくライターの焦燥、そのプロデューサーの発言に目くじら立てて怒る叔母さんまで、そのどれも犯罪の理由としておかしくない。また、これを俳優さん女優さんが熱演してくれるものだから、何か起きる度に「あ、これが関係あるのか?」と毎度毎度思わされるのだ。テキストの上とはまた違った若竹ワールド、そしてでも、若竹ワールドそのものをナマで拝見させて頂いた。一幕しか使用しないながら、登場人物も整理されているし、誰が殺されたのか、しばらく伏せられるなど演出もなかなか心憎く、若竹ワールドをきっちりとサポートしている。
ミステリ的には大筋、特に最終的な真相はOK。特にこの劇で使用されている「毒殺」の方法は、新作ミステリに普通に使用してもおかしくない斬新さがある。 また、きちんと序盤に張られた様々な伏線が回収されていて、「本格」としての様式美に満ちている。ただ、それと中盤に行われる推理合戦とが、きちんとリンクしていないことが少し残念かも。

劇が終了して、猛烈に美味しい珈琲(毒入りでないもの) が飲みたくなった。すると、ホールでは先ほどの出演者のたちが中心となって、珈琲をサービスしてくれるではないですか。しかも、先の劇の出演者の皆さまがウェイトレス、ボーイ代わりでてきぱきと働いている。この敷居の低さは魅力ですね。
さて、今日(8/12)が千秋楽。お客さんの入りはどうだったのでしょうか。


99/07/27
狂沢 瞬「大宇宙の屍・完全復刻版」(書肆幻象'99)

'38年(昭和十三年)、犯罪実話等を主に扱っていた雑誌『くらいむ』誌上に予告なしに登場したという曰く付きの空想科学探偵小説。『くらいむ』誌は刊行後半年で出版元の倒産で廃刊、本書は書名のみ伝わる幻の小説だった。六十年後の現在、作者の遺族により発見された原稿が厚意により関係者の手に渡り、復刻され出版に至ったという。

時は未来。大日本帝国の生んだ世紀の天才博士、神藤黎太郎を中心とした科学技術集団は、世界初の宇宙旅行艇・宙征丸の開発に成功した。気密の維持、推進力の増強などの基本技術に加え、長期間の宇宙旅行に耐えるべく呼吸、食料など生理的諸問題までも解決した一団。領土的野心や安全保障の問題から警戒する欧米各国の恫喝を一蹴、彼らの深遠なる目的「宇宙の神秘」を探索すべく、宙(そら)へ旅立つ。人類初の宇宙空間進出の感動も束の間、宙征丸内部で様々な異常事態が発生する。突如、空間が歪み、操縦士が、機関士が神藤博士の目の前で消えてゆく。原因不明の機器誤作動、宇宙空間の異変。果たして宇宙の大悪人が存在するのか、宇宙の真理を知ろうとすることへの神の警告なのか。神藤黎太郎は事件の真相を見抜くことが出来るか。

空前の想像力、狂沢瞬の小宇宙。読者は宇宙に飛び込み、想像に泳ぐ
戦前の同じ頃、自らの頭脳の中に強烈な小宇宙を持つ或る作家がいた。彼の名は小栗虫太郎。果たして本書の著者、狂沢氏と小栗との間に何らかの関わりがあったかどうかは、当時の記録を紐解いてみたもののはっきりした記述は見当たらない。ただ狂沢氏と江戸川乱歩との間に交流があったことは確かなので、彼を介して面識程度ならあったかもしれない……。と両者の関連性を調べたのは、『大宇宙…』が執筆された翌年から雑誌『新青年』に連載が開始された、小栗の代表的秘境冒険小説『人外魔境の存在からだ。その最終話を飾る掌編に『アメリカ鉄仮面』という作品がある。無類破格の知識を誇る小栗より生み出された、この作品においてでさえ、人類はようやく「成層圏」を目指しているに過ぎないのだ。その小栗より先に「宇宙旅行」を主題に日本人が描いた、しかも変格ながら推理小説仕立ての物語があったとは驚きを通り越して、痛快でさえある。(『竹取物語』とかは別ね)
そもそも、戦前に描かれた空想科学的小説を読む場合陥りやすいことだが、内容を現代の科学や論理で割り切り、その正誤により価値を図る輩がいるようだ。もちろん、その行為には全く意味がない。あくまで「物語の中」における説得性、論理性こそが問われるべきだろう。その点、当時、入手の困難だったであろう西洋東洋の最新科学情報を貪欲に取り込んである本作、ミステリ的には読者の及ばない知識を謎の解決に要するので、反則と呼ぶ人がいるかもしれない。しかし、作品内情報による説得性は充分であり、全ての謎が内部で完結している点は、高く評価出来よう。しかし何よりも、大宇宙の深淵に自らを犠牲にしてまでも「知的好奇心」を満たすために散っていく、博士をはじめとする登場人物たちの熱き思いに胸をうたれると、このような検討が不毛だとさえ感じられる。冒険小説としては王道。特に序盤は単なる偏屈親父にしか見えない神藤博士の変貌がポイント。
もう一つ物語の底流に流れているのは「運命」であり、それと相反する「意志」の存在。この場合の「運命」は大宇宙全てを統べる「ラプラスの魔」的なもの。知識でしか宇宙を知らない(知っているつもりの)人類の大多数にとり、この存在は否定しきれない筈だ。その大きな流れの中、個人の意志は果たしてどこまで逆らうことが出来るのか。その逆らう行動でさえ「運命」なのか。いずれにせよ、読み終わった読者それぞれが多様な感想を持つだろうが、その中に必ず「生きる勇気」が入っているに違いない。

解説では、笠井潔、筒井康隆、夢枕獏の大物三人が本書への熱い思いを語っている。未だ版元には在庫が有るとのこと。現在を逃すと将来にわたって本書を入手する機会は喪われるかもしれない。狂沢という、一人の男が紡ぎ上げた「大宇宙を舞台にした小宇宙」。今からこの世界に飛び込める貴方は、至福のひとときを味わえるに違いない。

追記:その後の調べで山中峯太郎他少年向け文学作家は既に宇宙物を既にこの時代に書いていたことが判明。古典SFの翻案作品なども紹介され、既に子供達は自由な空想宇宙に触れていたようです。自らの不明を恥じますが、書いちゃったのでそのままにします。
99/06/12
別冊家庭画報(編)「一流シェフが手ほどきする 人気のチャイニーズ」(世界文化社'98)

「完全保存版」が売り、カラーページをふんだんに使用した料理本の人気シリーズ『人気の……』からの一冊。本シリーズ'95年に発売された『人気のイタリアン』が大ブレイク、続いて『人気のケーキ』『人気のパスタ・ピッツァ』などが立て続けに発売された。今回は特に筆者が愛用している『人気のチャイニーズ』を取り上げる。ちなみに、我が家での略称は『人気の中華』である。

まず冒頭、手ほどきを担当する人気シェフがフルカラーポートレートつきで紹介される。本作に登場するのは東京・上野毛「吉華」の久田大吉、南青山「虎萬元」孫成順ら六人。別に彼らを食べる訳ではないので、シェフの顔で判断するのは避けたいところだ。それぞれ夜のコースが最低5,000円〜15,000円から、という店を持つ。ということは安い店でも、最低一人8,000円は見ておいた方がいいだろう。仮にビールを諦めてお茶でひたすら食事をしたとしてもだ、消費税、サービス料、特別地方消費税など加算される怖れがあるのだ。。続いて麻婆豆腐、酢豚などの「こだわり定番メニュー」「前菜・おつまみ・サラダ」「肉の料理」「魚介の料理」「野菜の料理」「点心」そしてこの連作をまとめる「中華をもっと身近に」という章で締めくくられる。

家庭の中華料理をランクアップ。この幸せを貴方の手にも
結果から申し上げる。本書はスグレモノである。単に「料理の作り方」を書いているに留まらない。その味付けや、調理方法のこだわりは、同じ料理を最大限美味しく調理する、というポリシーが貫き通されている。そこから、何が導き出されるのか。それは「幸せ」である。
男性だと「料理はちょっと……」という方もいるだろうが、君だって昔プラモデルの一つも作ったことがあるだろう。材料が食材に変わるだけ。気軽に取り組んで貰いたいもの。基本は「勝手にアレンジをしないこと」である。素人が失敗する大抵の原因は、分量を変えたり、余計なものを加えたり、減らしたり、レシピ通りに作らないことだ。大体、書いてある通りに作って不味いなら、本にする訳がないじゃないですか。花椒、五香粉、豆鼓などなど、台所には置いていないような調味料が要求されても、出来る限り購入すること。かく言う私も近所の西友の棚にないと知るや、わざわざ何度も新宿伊勢丹地下食料品売場まで出向いたものである。その結果、一度使用したきりの謎の調味料が戸棚に眠るのは致し方ないところだろう。しかし干し貝柱、高いぞ。手間も掛ける。挽肉もパックで購入せず、食感を求めるため豚バラを包丁で刻むのだ。簡単なようだがやってみるといい。脂で滑るわ、筋は引っかかるわ、で大変なんだから。ミステリでよくあるバラバラ死体なんて、あんな面倒くさいことよくやるわな、ほんと。しかし、完成するまで手間を惜しんではいけないのだ。

さて、取り上げるのは「肉団子」である。ポイントは肉の粘りが出るまで、徹底的に手で混ぜること。肉の筋繊維質をほぐして脂肪を馴染ませて、柔らかく柔らかく。手の体温が微妙なポイントになるので、器具を使っては駄目。そして丸めて油に投入。濃い茶色までしっかりと揚げられた肉団子。芳ばしい香りが部屋中に広がる。器に山盛りにして、中国山椒を細かく挽いたものと塩を合わせた調味料につけて頂く。まだ湯気の立つ表面はカリッと仕上がっており、まずはサクサクとしたその外側の食感を楽しむ。もちろん断面からは肉汁がジュワーっと溢れる。口いっぱいに膨らむ豚の奥深い旨さ。何個でも食べられる。ああ、これぞ幸せ
男性からすると女性が一冊何千円もする料理本をひたすら買い集めることに、奇異を感じる方もあろうが、これは「料理の作り方」を購入しているのではなく「幸せ」を買う行動なのだ。温かい目で見て上げて欲しい。

本書は人により、様々な楽しみ方が出来るかと感じる。ひたすら完成された料理の写真を眺め、涌いた唾で食事をする、文章を暗記し、中華料理クイズ大会へのステップとする、バランスに気を付けてカップラーメンの蓋にする……などなど百人百様の楽しみ方で本書を活用したい。まぁ、普通に幸せになりたいのなら、実際に作ってみることですな、やはり。


99/06/01
NTT(編)「インターネットタウンページ」(NTT番号情報株式会社)

最近よくみかける「7月1日、NTTは生まれ変わる予定です」というCM、わざわざ「予定」なんて表現を使っているところに、NTT分割に対する微かな抵抗を読みとってしまう、私。それにしても番号案内に関しては既に別会社だったのね。

「第一回 輝け!日本変格書評コンテスト」の課題は、「タウンページ(いわゆる職業別電話帳のこと)に決定」らしい。しかも「お手元のタウンページで可。年度、地区は特に指定しない」と幅を広く取って頂いている。なのに!!私の家にはタウンページがない!のだ。別にNTTに意地悪をされたとか、トイレットペーパーがなくなったのでちり紙交換に出したとか、料金を滞納して借金のカタに持って行かれた、とかではない。単に「いりますか?」と聞かれた時に「いりません」と反射的に答えてしまったのである。嗚呼(この場合漢字を使用するのが適当な気がする)こんな時が来ようとは。

なぜタウンページを断ることにしてしまったのか。もとは私のトラウマにある。大学入学を期に上京した私は、念願の一人暮らしを開始した。憧れの生活。あんなこと、こんなこと出来る。(と思ってた)うははは。「ピンポーン」うはは?「NTTですー。電話帳ご入り用ですか?」「あ、下さい」「ここに置いていきまーす」どさっっ!! 一冊五センチx三冊。私はいきなり「都会の恐怖」(単に東京の人口の多さ)を思い知った。(しかも練馬区版で、だ)
とにかくこれは邪魔だった。1Kのアパート。タダでさえ狭いのだ。漬け物石にしようにも、糠味噌はない。マクラにするには堅すぎる。立てて置くと端が醜くよじれ、横に置くと躓く。「ああ、こんな邪魔なもの、いらんやんけーーーー」私は、夕陽に向かって叫んだ。(あくまで心の中だけで。何しろ大家が怖かったのだ)「捨てればいいじゃない」そう、アナタ、それは正しい。でも「いつか使うこともあるかもしれない」と思い始めると捨てられない。そして、いつか、は、大抵来ないんだ、これが。
なに?書評はどうしたって?ここまでが、導入ですよ、導入。いずれにせよ変格書評に定型なぞ、ない。(はず、多分、おそらく、ですよねぇ)

さて、まずは皆さんに見に行って頂きましょう。まぁ、この文章を読んでいるということは、ネット環境にあるのでしょうから、まずは上の題名をクリックしてみましょう。別の窓を作るなんて技はないので、バックで戻ってきて下さいね。お願いン。

豪華絢爛なるトップページ。デザインの凝り方に瞠目。
一応ネタを割るといけないので反転にしてみました。

見たいのは電話番号で、広告じゃないんだよ!画面、重すぎ!ちっとは、採算の前に客の使い勝手を少しくらい考えて欲しい。


一応、LAN環境の方には、ある種オススメ。あとはブックマークが効くので一度調べた番号を登録しておく、という使い方もありますね。巡回コースに入れている方は、用事がある時だけに訪れるようにした方が良いでしょう。


99/05/26
日経エレクトロニクス編「最新略語小辞典'98」(日経BP社'98)

エレクトロニクス関連業界人必携の冊子。残念ながら非売品であるが、毎年更新されたものが出版されている。私は昨年開催された、とある見本市で入手した。

本書は題名の通りの小さな辞典である。中綴じ(ホッチキス二ヶ所止め)でページ数は僅か92を数えるのみ。厚みも数ミリに過ぎない。最初の言葉は「2P」、最後の言葉は「ZTAT」だが、それらに挟まれた総語彙数は1,500以上、中身の充実度は薄さを全く気にさせない。内容は、普通の辞書を想起すれば良い。略語が英語のABC順に言葉が並んでおり、そのカタカナ読み、フルスペル、そしてその訳、ないしは意味が掲載されている。また、外国語特有の概念や、特殊性を持つ単語など、的確な日本語訳が存在しない場合は、わざわざ日本語で意訳してくれている。ただし、固有名詞や信号名称などの略語については一般的なレベルに限られており、特殊な固有名詞については、ないものと諦めて頂きたい。また気を付けたいのが、無断転載が禁じられている点。かなり警告に大きなスペースを割いており、違反した場合は損害賠償を含むペナルティを課すことがある模様だ。

知っていそうで知らない略語。これ一冊で全てOK!
LCD、OEM、DVD、DRAM……、ちょっと気の利いた新聞なら上記の言葉が使われていない日を探す方が難しい。例を挙げると「LCD」という言葉を使用する際、日経では括弧付きで言葉の後ろに(液晶表示装置)と書いてある。しかしこれがなんという言葉の略称か、御存知の人は意外と少ないのではないだろうか。そんな時に役に立つのが本書だ。LCDから意味を引く。Liquid Crystal Display。まさに和訳は液晶表示装置ではあるが、その略称の元になる英語を理解していた方が、言葉の意味は頭の中にすぐに染み込む。冒頭の言葉は同様に、Original Equipment Manufacturing、digital video disc、Dynamic Random Access Memory。これらを知れば、難解な新聞記事も理解が数倍に広がることだろう。例に挙げた文章の他にも通信や装置、機器関連の略語はもちろん、実装など生産関連、ソフトウェア開発に関する言葉などまで収録範囲内。用語を眺めているだけでも知的好奇心の満足に繋がる。もちろん、日本人が書いたと思えない「パソコンのマニュアル」や、技術用語が頻繁に登場する「森博嗣のミステリィ」なんかの副読本にも最適。合コンで言葉の解説なんかやってしまった日には、相手の女の子の貴方を見る眼も変わってくる。(多分冷たく)
ただ残念ながら、TDLやELTといった用語は入っていないので、そのあたりの言葉は貴方の周りの「○○ウォーカー」の愛読者に尋ねて欲しい。

コアなミステリファン、かつお仕事の都合でこの本を所持されている方も多いはず。(名乗り出ましょう)バックナンバーに古書価がつくことはまずありませんが、'99年版もそろそろ東京ビッグサイトあたりで配布されることでしょう。名刺の御用意を忘れずに


98/09/21
京極夏彦「塗仏の宴  宴の始末」(講談社ノベルズ'98)

待ちに待ちに待ちに待った、京極夏彦、妖怪シリーズ第七作目にして本編『塗仏の宴 宴の支度』の完結編。支度のストーリーについてはこの項の下に記述あるので参照して頂きたい。
ネタバレになるのでストーリーについては反転にて記述。ほとんど真っ白です。つまり、作品を読んでから読んで下さい。

(「宴の始末」ストーリー)
支度にて山梨県の「へびと村」とその周辺の利権を争いながら、それぞれ暗躍していた謎の集団や人物たち。新興宗教「成仙道」自己啓発集団「みちのおしえ修身会」漢方薬処方「条山房」不老不死を求める「徐福研究会」右翼拳法道場「韓流気道会」風水士 南雲正陽、女占い師 華仙姑処女、少年預言士、藍童子、歴史研究家 堂島、富山薬売り 尾国ら。彼らはそれぞれ今まで京極堂の「落とした」事件に関わった登場人物を深く巻き込みながら、静岡は韮山を目指して動きはじめる。依然として囚われたまま、織作茜の殺害自白を始める関口。その上、次々と行方不明になる敦子、木場、榎木津。取り残される形になった鳥口、青木、益田らの不安は募る。そして彼らは眩暈坂を上り、中禅寺の許に集まる。それぞれの事件の関連性はがあるのは明確であるのに、余りにも大きいその構図にその場に集まった誰もその全貌を理解できない。「これ以上の死人は出ない、ゲームには私は動かない方が良い」と自らは哀しい表情をしたまま動かなかった京極堂も、尾国による赤ん坊殺しの一件を益田に指摘され遂に重い腰を上げることになる。

以下、感想。これもネタバレになるので反転。

まず、ミステリ論として。
推理小説の定石(というかルール)を一つ完全に潰している。即ち複数の第三者による目撃証言は必ず正しい。また記述者の手による独白は常に正しい(表現をぼかすのは可)、など読者にとってよりどころとなるべき証拠群を、後催眠や薬物投与の手法でポイントポイントで潰してしまうことにより、読者に言いようのない不安感を与えることに成功している。その分、従来から逸脱傾向のあったミステリ的方法論から妖怪シリーズはどんどん違う方向性を持たされているように感じる。とはいえ、終盤に明かされる人間関係におけるサプライズはミステリ的なエンターテインメント作品の常套手段ではあるが、、読者による予見はちょっと無理。

そして観念論として。
「人」そのものが生きていくことの意味について、特に「始末」では徹底的な考察が行われるように感じる。特にその「自分自身の連続性の否定」による「自分の過去の選択」をさせる洗脳まがいのやり方には、背筋に寒いモノが走る。特に中盤の「家族が揃って暮らす」という意義を畳みかけるように否定しまくる部分は、一応意味付けらしきことをして従来の考え方でお茶を濁しているラストに比べ、圧倒的な破壊力を感じた。特に「人間が生きるのに意味なんてない」という考え方は「人の生き様そのもの」を殺人の動機とする某氏のあるシリーズのアンチテーゼとも見て取れるがいかがなものだろうか。

そして宴は始末しないと。
宴会に幹事が必要なように、「塗仏の宴」にもその設定者が存在しなければそれは単なる「飲み会」でしかなかった?
読後、気になるのは、この明らかに京極堂よりもスケールの大きいと思われる設定者、堂島がこうまで時間と暇とをかけてやりたかったことってほんとにこんなちゃちなこと(それなりに大掛かりではあるけど)だったの?それこそ世界そのものを破壊するとか征服するとかに必要なパワーとそれほど変わらないように思うんだけれど。人物が大きいだけに最終的に明らかにされる「ゲーム」の矮小さが滑稽に思える。それぞれが勝手に信じていた不老長寿、だとか秘密基地とかは夢があって(笑)大きいイベントだけれども、設定者はその幻影を取り除いた姿ももちろん知っていた訳で、そのために費やしたこの労力って一体??
つかみの部分やストーリー展開、登場人物の配置などやっぱり巧いし、「塗仏」は大作で傑作であることは確か。これだけ拡散させて、探偵小説のように最後に一同に会して京極が語るシーンにまで持ってくる技は見事だと思うし、いくら傷があってもこの不安感、自らの生きる世界そのものが揺らぐような幻惑感を味わわせてくれる本作はもの凄く凄い。
でも、個人的には京極作品の中でもっとも拡散した中身を持っている印象。サービス精神からか関係者が一同に会して「出てくるだけ」登場人物がやたらめったら多く、私には不要(それが楽しみの人もいるので一概に否定は出来ないけれど)。私の理想の妖怪シリーズは、ぎゅうぎゅうと閉鎖世界に物語を押し込んで、じっくりたっぷり登場人物が描かれている方が好み。そして氏の筆致はそちらの方がより生きると思う。
色々書きましたけれど、京極氏に対する個人的期待が過剰に過ぎる顕れ、とご笑納下さい。


98/03/28
京極夏彦「塗仏の宴  宴の支度」(講談社ノベルズ'98)

待ちに待ちに待ちに待った、京極夏彦、妖怪シリーズ第六作目。本編『塗仏の宴』は「宴の支度」「宴の始末」の二部構成になり、本作はその前編。また今回は六章から成るが、その中の「ひょうすべ」「しょうけら」についてはそれぞれ、小説現代増刊メフィストに事前に掲載されている。(勿論加筆修正した跡があるが)金色の帯には「支度」「始末」両方購入する人への京極夏彦直筆扇子などのプレゼントがあった(笑)

本作、京極氏本人が以前より次作は「関口○○」である、と情報を流しておりいろいろ当てはめて楽しんでいた時期があったが、やはり正解は「関口逮捕」のようだ。

結局「支度」と「始末」通じて読まないことには一つの物語にならないので、この段階では思いついたことを述べるにとどめる。どれが「塗仏の宴」を通じて鍵になってくるのか正直なところ分からない。
まず、まさに「宴」だ、という点。伊佐間や今川、久遠寺老などはまだ出てこないが、朱美や茜など、復活はないかと思われた人物が再登場している。また中小の宗教団体が多数登場し、またその頭領や黒幕と思われる人物も複数人登場している。彼らは一面は善人、また側面を変えてみると強烈な悪人となる。宗教団体の教祖とはどちらにせよ、そういう存在なのかもしれないが。
また、人為的に意図された暗示や催眠が強烈なテーマとなって様々な人に襲いかかっている。冒頭のぬっぺっほうの謎と共に、どのような解決がされるのか、期待したい。その他キーワードは「本末転倒」か。また各章の時制が僅かにあいまいなので、何か錯覚のトリックがあるのかも。

これまで全ての作品にそれぞれ学術的な裏のテーマとも呼べる内容が付されているのが、妖怪シリーズの特徴であったが、今回は本当に民俗学的な部分にスポットをきちんと当ててきたようにイメージ。
ラストに関口逮捕の衝撃の理由があるが、一体何がどうなっているのか、怪しい新登場人物たちの始末の付け方など、今から「始末」に興味津々。京極先生、頑張って下さい。(夏頃発売・・・というと延期されて年末か?)

以下、粗筋。ネタバレしないように気をつけましたが、一応気にされる方もいると思うのでフォントで隠してあります。マウスで範囲指定するなどしてお読み下さい。

「塗仏の宴 宴の支度」梗概
・「ぬっぺっぽう」  相変わらず執筆しているのか怠けているのか分からない関口の許に、「實録犯罪」の編集長をしており鳥口の上司に当たる妹尾が訪れる。彼が持ちかけてきたのは奇妙な話の取材依頼だった。復員して来た光安という男が十六年ぶりに戦中、警察官として勤務していた伊豆の小村を訪れると、村が消失していると主張していると言う。正確には村の形跡だけは残っていながら、存在の記録は全くなくなっており、その該当しそうな場所に住む住民は昔からここに居るがそんな村は知らない、と言う。しかし一方、その村で未確認ながら、大量虐殺があった?と書かれた新聞記事も存在していた。結局引き受けた関口は光安から話を聞く。光安はその村の長、佐伯家に代々秘密で伝わる、あるものがその原因でないかと疑っていた。現地に赴いた関口は堂島という民俗学者と出会い、そのからくりと思われる作為が一部判明する。しかし廃屋と化した佐伯家に入り彼は意識を失う。
そして関口は気付くと逮捕されていた。しかも裸の女を殺し木に磔りつけたかどで。

・「うわん」  狂骨の夢に登場した朱美。彼女は以前の屋敷を引き払って沼津に越してきていた。彼女が自宅近くの浜を散歩していると海辺の松で自殺を企てている男と出会う。その男、村上は間抜けなことに木から落ちて怪我をし、朱美の自宅にて介抱されることに。完全に反省したと思われた村上は朱美が目を離した隙に再度の自殺を試みるがまたも朱美と彼女の隣人、ナツに阻まれる。ナツはしつこい「成仙道」という宗教からの勧誘に困っていたが、この宗教は近辺に着実に勢力を広げているようであった。翌日、朱美は訪ねてきた良人の仕事仲間である尾国誠一にこの話をする。村上の過去の話をすると尾国の樣子がおかしくなって朱美は不安になった。更に翌日病院で更に三度目の自殺を図ろうとした村上をナツと共に見舞いに行く。すると成仙道の信者の集団が病院を取り囲み、村上を治そうと代表者が言ってきた。抵抗する朱美とナツにも関わらず、村上は彼らにすがろうとする。突如そこに現れた尾国。彼はそこで村上にかけられた謎と成仙道のやり口を暴き、彼らを退かせた。 ・「ひょうすべ」  逮捕された関口の回想。京極堂に年始の挨拶に訪れた関口は居合わせた宮村という古書肆と共に、京極堂よりひょうすべの講義を受ける。そのときに宮村の友人の加藤麻美子という女性の祖父が「みちの教え修身会」という団体に嵌っていて困っているという話を聞く。関口はその後、書き下ろした原稿の掲載を依頼しに稀譚舎を訪れ、宮村と麻美子と出会う。彼女は自分の子供を自らの手による事故で亡くしていた。謎の解明の為に中禅寺の元に集められた彼らは麻美子が霊媒師・華仙姑処女の託宣に依存して生活している事実を知る。中禅寺は更に子供の事故に纏わる忌まわしいからくりを解き明かす。この事件の背後にいたのはまた尾国誠一であった。

・「わいら」  相変わらず「稀譚月報」の仕事に励む中禅寺敦子。彼女自身の生い立ちにも触れられ、彼女の言葉で彼女自身が分析されている。彼女は記事にした「韓流気道会」という拳法道場の一味に逆恨みされ、その一味に襲われる。偶偶その時彼らが拉致していた女性と共に間一髪、逃げ出することに成功する。しかしその女性は華仙姑処女、噂の霊媒師だった。彼女は予言をしている時の記憶がなく、自分の本名は佐伯布由であると名乗り、自らの境遇に不安を感じているようだった。この夜、敦子の自宅で匿っていた華仙姑処女と共に敦子は再び気道会の襲撃を受ける。敦子は怪我をし気を失うが、通玄先生と呼ばれる男が彼女を救う。彼女の処遇に迷った敦子は彼を榎木津の元に連れて行くも、榎木津は全く乗り気ではない。帰り道、再び気道会に襲われ絶体絶命となったところに颯爽と現れたのは榎木津だった。一味をのしたあと、榎木津の助手、益田の口から明かされたのは、華仙姑処女を操っていたが尾国あるということだった。

・「しょうけら」  木場は猫目洞の女主人お潤より、奇妙な男につきまとわれて困っている女性の相談を受ける。三木春子というその女性は彼女の生活の一部始終を綴った手紙を受け取っていた。容疑者の工藤とは「長寿延命講」で知り合ったという。これは通玄先生という男が主宰する講で、二月に一度集まり徹夜で生活を改善するアドバイスを受け、その生活環境に応じた薬を受け取るというものだった。木場はこの庚申講のことを京極堂に相談する。ちょっとした助言を受けた木場は半信半疑で三木の元を訪れ、事実関係を調べるがどうにも工藤には彼女を窃視したりすることは出来ない。工藤を引っ張ろうと新聞店を訪れると、既に加藤は別件で捕まっており、告発した藍童子と呼ばれる少年が長寿延命講のからくりを解き明かした。

・「おとろし」  絡新婦の理に登場した織作茜。彼女は忌まわしい思い出の残る屋敷を売却しようとしていた。遠縁の親戚で羽田隆三という老人が買い取ろうという。好色だがやり手の羽田の出した条件は彼の運営している「徐福研究会」を手伝え、というものだった。その話とは別に彼女は織作家に伝わる神様、石長比売を奉納してもらうアドバイスを求めるため京極堂の助言を求める。待ち合わせに京極は現れず、多々良という京極の友人が代理でやって来ていた。彼からの情報を元に、茜は富士山麓の神社に、羽田の秘書、津村と共に向かう。彼女はそこで津村の過去と目的を知る。津村は徐福研究会の東野という男を父を廃人にした犯人ではないかと疑っていた。また彼の父は、伊豆の小村の大量虐殺の唯一の目撃者だったのだ。
目的の神社で石長比売を奉納しようとした茜に謎の男が語りかける。そしてその夜泊まった温泉で彼女は……

今まで思考を放棄していたために、何が発生していたのかよく読者には分からない、関口の逮捕の理由がここに明らかにされる。

そして(支度の完了)……
宴は始末へと向かう。